当事者能力欠敏看過判決の効力(一)
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(2) 早大百周年記 念 号. 二三六. 度が千差万別であることは︑これに訴訟当事者能力を認めようとした立法者をして︑代表者さえあれば︑訴訟主体と して認めても差支えないことにしたいと云わせたほどである︒. ﹁大体力︑単純ナ法人格ノ無イモノニ付テハ︑一般的二斯ウ云フモノヲ社団トスル︑斯フ云フモノヲ財団トスルト云フ法ノ決. 備シタモノモアリマセウシ︑又稽々不完全ナモノモアルカノヤウニ思ハレマス︒ソコテ此処テハ特二其組織其他ノコトニ付. マリト云フモノハ︑一般的ノモノカ無イノテアリマスカラ︑全ク是ハ事実ノ発達二委シテ置ク︒其事実ヲ見マスト云フト︑完. テ︑其当事者能力ノ要件ヲ決スルト云フコトニナリマスト︑ナカく複雑ニナリマスノテ︑ソコテ代表者トナルヘキモノノ備. ハツテ居ルカ否ヤト云フコトヲ一ッノ目安二立テマシテ︑代表老カアレハ先ツ訴訟ノ主体ト見テモ差支ナイ程度ノモノト認メ ︵1︶ マシテ︑サウシテ其程度ノモノナラハ独立シテ訴訟ノ当事者トナリ得ルト云フコトヲ規定イタシマシタ次第テアリマス﹂︒. たしかに︑取引社会において生成・活動する集合体の組織型態はさまざまであろうが︑それがどのようなものであ. るにせよ取引者相互の判断によって経済単位主体として承認し合い︑その集合体の名において取引活動をおこない︑. その取引をめぐって生ずる少々のトラブルも話し合いで解決していることだろう︒そのかぎりでは︑権利能力も当事. 者能力も︑問題にならない︒そして︑自律的に解決しきれない紛争だけが民事訴訟にもちこまれることになるから︑. この取引主体である集合体が︑そのまま︑その名において当事者として登場することになる︒そこで︑立法者はでき. るかぎり︑その取引主体にそのまま訴訟主体としての地位を認めるべく︑﹁特二其組織其他ノコトニ付テ其当事者能 ︵2︶. 力ノ要件ヲ決スルト云フコトニナリマスト︑ナカナカ複雑ニナリマスノデ﹂代表者の定めさえあれば︑当事者として. 承認し本案判決を受けることができることにしたのであろう︒代表者の定めがあるということは︑その集合体が対内. 的には︑その程度に組織化されていることを象徴しているし︑対外的活動のためには︑取引の効果が当該集合体に帰. せしめられるように代表権を集中させていることだからである︒そして︑このようにして訴訟に登場した集合体は︑.
(3) 訴訟上は法人と全く同様にあつかわれ︑この集合体に権利義務が帰属する旨の判決がなされると﹁その限りで︑一般. には認められない権利能力が個別訴訟を通じて認められることになる﹂というのが︑訴訟法体系書の理解である︒つ. まり︑訴訟以前には︑この集合体に権利能力は認められていないし︑また︑認める必要はないと考えられている︒し. たがって︑訴訟以前には権利能力のための組織要件具備は必要ないことになる︒このような集合体が紛争を自律的に. 解決できないときに︑どのように訴訟当事者として承認されるかは︑訴訟法独自の立場から︑当事者能力の要件の問. ところが︑このような集合体が︑訴訟に関係なく︑取引関係の主体としては権利能力をもっていなければならな. 題として考えてゆけばいいことである︒. 二. い︑とすると︑事情は変わってくる︒というのは︑この集合体に権利主体性が承認されているという前提があるから. こそ︑取引結果から生ずる権利義務の主体となりうるのであるから︑訴訟があろうと︑なかろうと︑およそ取引社会. において実在して活動する集合体は︑権利義務の帰属が可能な権利能力をもたなけれぽならない︒それを付与するの. が民訴法四六条である︑という考え方がある︒つまり︑民訴法四六条は︑民訴法学者が考えているように︑人格のな. い集合体に訴訟追行の便宜をはかることだけを目的とするのではなくて︑むしろ︑右の集合体に権利能力を与付する ︵3︶ ための実体規定であると理解するのである︒したがって︑集合体への権利能力の付与は︑法人の設立に関していえば︑. 許可主義︑準則主義の厳格な要請に応えるだけの実体を具備した集合体にのみ承認されるのであるから︑民訴法四六. 条により権利能力が付与されるにあたっても︑右の許可主義︑準則主義による承認に匹敵するほどの厳重な要件を具. ﹁団体としての組. 備するほどの集合体にのみ認められるべきことになる︒それでは︑どのような要件か︑といえば︑それは︑そのまま. 法人格を付与しても差支えないほどの組織を整備させるだけの要件であることを必要とするから︑. 二一二七. 織を備え︑多数決の原則が行なわれ︑構成員の変更にかかわらず団体が存続し︑その組織において代表の方法︑総会 当事者能力欠訣 君 過 判 決 の 効 力.
(4) 早大百周年記念号. ︵4︶. 二一二八. の運営︑財産の管理等団体としての主要な点が確定していることを要する﹂ということになる︒有名な︑昭和三九年. 最高判例である︒しかしこの事件においても︑社団として権利帰属が認められるかどうかが争いの主要な問題となっ ていたのであり︑当事者能力は問題となっていない︒. 三 この昭和三九年判決以前では︑判例はどちらかといえば︑前掲の立法者の意図が斜酌されて︑訴訟法独自の立場 ︵5︶ から︑当事者能力要件が考えられていたといえる︒大審院時代にも民法上の組合に当事者能力は認められていたし︑. 最高裁も︑昭和三七年には現に︑前掲の社団要件を到底具備しているとは思われない三銀行団債権管理委員会に当事. 者能力を認めている︵最高判昭和三七・一二二八民集一六巻二一号二四≡責︶︒一審では﹁かかる社団性極めて稀薄な ︵6︶ 集団は民訴法上の法人に非ざる社団とはいい得ない﹂とされていたのである︒ ︵7︶ しかしながら︑昭和三九年判例の出現以来︑当事者能力の判定は︑これを引き合いに出しておこなわれている︒そ. れは最高裁においても同じである︒昭和四二年判例︵昭和四二・一〇・一九民集二一巻八号一〇七八頁︶においても︑これ. に全面的に依拠しているし︑昭和五五年判例︵昭和五五・二・八民集三四巻二号一三八頁︶も同様である︒つまり︑訴訟. 以前にも権利主体性が認められるだけの社団であって初めて当事者能力が認められるというのである︒下級審裁判例. においては︑次に述べるように︑多少の出入りはあるが︑右の昭和三九年判例を引ぎ合いに出して判定しているもの がきわめて多数にのぼり︑この三九年判例に先例としての意義を認めている︒. それにしても︑三九年判例の示した社団要件を具備している団体が民訴法四六条に該ることはまちがいないが︑問. 題は︑その要件の一部にしても欠如する団体には︑当事者能力は認められないかである︒しかし︑昭和三九年判例を ︵8︶ 厳格に遵守しようとする裁判例は︑そのような団体に当事者能力を認めないのである︒. このような態度は︑前掲の立法者の意図からみると︑きびしすぎるといえるだろう︒これを︑いま︑裁判例におけ.
(5) ところが︑この昭和三九年判例については︑すでに︑福地俊雄教授から︑﹁それはあくまで一応の基準であって︑. る︑当事者能力についての﹁厳格な傾向﹂とよんでおきたい︒. 四. その具体的適用については︑当該団体の目的や事業内容などをも参照するほか︑とくに当該事案の争点がいかなる法. 律関係であるかという点との相対関係において判断されるべきである︒とくに︑形式的な訴訟当事者能力が争点とな. った場合と︑実質的な対内・対外の権利義務が争われた場合とでは︑一律に決する必要はなく︑前者の場合には︑代 ︵9︶. 表者の定めのある団体であれば︑社団と民法上の組合とを強いて区別しなくても何ら差しつかえは生じないと考え. る﹂といわれていたのである︒また︑この金科玉条となっている判例が示した要件の一つ一つにつき︑民法上の組合 ︵10︶ との対比において︑民法の立場から︑どれほど明確さを欠いているかを具体的に指摘したのは星野英一教授である︒. この指摘によれば︑この判例は︑はたして先例とすべき意義を有するのかについて疑問に思えてくる︒さらに︑菅野. 孝久判事から次のように発言がなされている︒﹁この判例は︑権利能力なき社団の当事者能力について判示したもの ︵n︶. ではない﹂︒﹁ここに挙げられた権利能力なき社団の要件は民法上のものであり︑民訴法上の権利能力なぎ社団の要件 ︵12︶. ではないことに注意を要する﹂というのである︒また︑富樫貞夫教授も︑訴訟法の観点から民訴法四六条にいう﹁社. 団﹂の意義を定めなければならないとされている︒そうすると︑われわれは︑この学説に従えば︑民法上の社団要件. を判示した昭和三九年判例から解放されて︑当事者能力の要件を考えることができることになる︒つまり︑民法上の. 社団が民訴法四六条の社団に含まれることは当然であるが︑前者は後者の一部であっても全部ではない︑ということ. 下級審裁判例のうちにも︑右のような趣旨から︑三九年判例の示した社団要件を具備していない団体のために︑. であり︑訴訟法独自の制度目的から︑当事者能力の要件を定めることができるということである︒. 五. 二三九. 当事者能力を認めたものがすくなくない︒つまり︑当事者能力の要件を︑前記の﹁厳格な傾向﹂とは反対に︑かなり 当事者能力欠鉄看過判決の効力.
(6) 早大百周年記念号. 二四〇. 緩和させて︑これを認め︑当該事件かぎりで最終的な解決をはかろうとしているのである︒たしかに︑当事者能力を. 認めずに訴を却下してしまって︑解決をあとにひきのばすよりも︑これを認めて︑たとえ請求棄却判決をするにして. も︑そのほうが︑最終的な解決をうることができる︒そのためであろうか︑当事者能力を認めずに訴を却下する裁判. 例のうちにも︑傍論で︑請求につき実体的判断を示しているものがある︒そのことによって︑もちろん︑既判力によ. る決着はつけられないのであるが︑その実体的判断︵つまり︑請求は認められない︑という判断︶が示されることによる︑. 再訴防止の事実上の効果は大きい︒しかし︑そのような姑息な手段をとるくらいならば︑いっそのこと︑代表者の選 ︵13︶. 出の意思が明確なかぎり︑当事者能力の要件を緩和して︑それを肯認して実体的解決をはかるほうが正道だろう︒昭. 和三九年判例以後にもこのような合目的的な途をえらんだ裁判例もあるのであり︑このような傾向を︑いま︑当事者 能力に関する﹁緩和な傾向﹂の裁判例とよんでおきたい︒. なお︑前掲のように︑昭和五五年最高判例は︑﹁沖縄における血縁団体であるいわゆる門中﹂に当事者能力を認め. たが︑安次富助教授から︑﹁本件では︑門中が当事者能力を有するかどうかが判断されればよかっただけなのに︑そ ︵14︶. れをこえて門中が︑民法上の権利能力なき社団にあたるかどうかが実質的に判断されているのである﹂と指摘されて. いる︒そして︑その実質的判断においても︑三九年判例の判示した要件をかなりに緩和して︑その具備を判定してい. る︒この判決要旨を掲載した判例タイムズの解説は︑﹁本件の門中も︑その組織・運営等はもっばら慣行によって決. 以上のような︑裁判例における︑﹁厳格な傾向﹂と﹁緩和な傾向﹂ の二つのうち︑どちらか一方にだけ統一され. まるものであるため︑かなりあいまいなところも多いようであり︑⁝⁝したがって本判決については︑議論のあるこ ︵15︶ とも当然に予想される﹂と述べている︒ 六. てゆくことはないだろう︒前者は︑判例の主流ではあるが︑民訴法四六条にいう﹁社団﹂をもって民法上の﹁社団﹂.
(7) と解し︑その﹁社団﹂としては訴訟前︑訴訟外においても権利主体でありうるために三九年判例の社団要件の具備が. 要求されているが︑このことについては︑前掲のように︑きびしい批判があった︒はたして︑この批判にたいしては︑. どれだけ反論できるか︑かなり︑疑問である︒それにたいして︑後者は︑民訴法四六条にいう﹁社団﹂とは︑訴訟法. 独自の立場から考えることになる︒それは︑当該集合体のためだけではなく︑その相手方および裁判所のためにも訴. 訟実施上の便宜と活性化をはかることを目的として︑代表者の定めがある程度に組織化されていて︑構成員の訴訟追. 行上の利益も保護されていれぽ十分であるとされている︒そのようにしてまで当事者能力を認めるのは︑できるかぎ. り実体的判断による最終的解決をはかろうとすることにあるから︑そのことを含めて︑この考え方を抹消否定しぎれ るだけの批判は困難のように思われる︒ ︵絡︶. したがって︑この相反する二つの傾向からおこなわれる︑当事者能力の判定のしかたは今後とも︑併存してゆくこ とであろう︒. いずれにしても︑それぞれのケースにおいて︑それだけの根拠があっての判定であるかぎり︑統一されないことを 懸念する必要はないのかもしれない︒. いま︑ここに︑ある集合体が当事老として登場し︑﹁緩和な傾向﹂から判断されて︑当事者能力が認められたと. しかし︑この二つの﹁傾向﹂が併存することの中に︑ひとつの重大な問題がひそんでいる︒. 七. する︒しかし︑この集合体には︑昭和三九年判例の示した社団要件のうちの︑どれかを︑どのようにしてか︑欠いて. いるはずである︒それにもかかわらず︑当事者能力ありと判定されて本案判決がなされているのであるから︑それを︑. 二四一. 昭和三九年判例を基準としてみれば︑つまり︑﹁厳格な傾向﹂からみれば︑当事者能力の蝦疵・欠敏を誤認・看過し ている判決だということになる︒ 当事者能力欠敏看過判決の効力.
(8) 早大百周年記念号. 二四二. しかしながら︑このように︑﹁厳格な傾向﹂の立場からみて︑﹁緩和な傾向﹂の本案判決が︑たとえ当事者能力欠敏. の誤認・看過判決であっても︑それが︑すでに︑形式的に確定している以上︑敗訴当事者は︑もはやそれを再審によっ. ても争うことができないとすれば︑なんら問題はない︒つい︑最近までの︑わが国の通説は︑ドイッの通説である再. 審説と異なって︑再審も許さない完全有効説であった︒また︑実務界の見解も︑これを支持していたから︑敗訴当事. 者が︑当事者能力欠敏看過を口実に確定判決を争うスキも与えていなかった︒したがって︑そのような攻撃を判断す ︵ ︶ る機会を裁判所はもたなかったから︑当事者能力欠敏看過判決の効力について判示した判例もないのは当然である︒. ところが︑当事者能力欠飲の誤認看過が︑再審事由となるどころか︑その看過判決が無効であるとすると︑事情は. 一変してくる︒裁判所が︑当事者能力の肯認の判断を判決書に明示していないときはもとよりのこと︑たとえ︑その. 判断を明示していても︑当事者は当事者能力欠鉄誤認看過が無効事由になるとして︑この確定判決を争うことができ. ることになるからである︒そして︑最近︑当事者能力欠敏看過判決は無効であるとする学説が︑きわめて有力に主張. 判決が形式的に確定しても︑それが無効であるとすれば︑既判力はもとより︑執行力も形成力も生じない︒﹁し. されるようになり︑しかも︑それは支持を広げつつある︒. 八. たがって︑判決が確定したのちは︑︵原告の場合は︶旧訴訟と同一訴訟物について新訴を提起するか︑︵被告の場合は︶. 旧訴訟の訴訟物の不存在確認の訴を提起すべきであろう︒もっとも︑旧訴訟の訴訟物を先決関係とする訴訟において︑ ︵18︶ その訴訟物に対する判決の無効を主張することは差し支えない﹂︒qD あることが︑判決の無効事由であるというこ. とは︑また︑有効な確定判決にたいし︑﹁この判決にはその無効事由がある﹂という口実をもって︑争うことができる. ということでもある︒つまり︑﹁厳格な傾向﹂から︑昭和三九年判例の示した社団要件のすべてを具備していると判. 断した確定判決にたいしても︑当事者は︑それでも︑当事者能力欠敏看過を理由に無効を主張することができる︒ω.
(9) もっとも︑後訴の裁判所が︑前訴判決は有効であると判断して︑敗訴当事者の無効の主張を斥けることはできる︒し. そして︑そのようなために︑第四︑第五の訴訟も生じかねない︒. かしながら︑当事老能力欠敏看過判決が無効であるとすると︑後訴︑つまり第二訴訟の判決も︑欠敏看過のため無効 であると主張して争うことができることになる︒㈲. ㈲ このような極端なことがなくても︑すくなくとも︑第二訴訟の提起のために︑終局的解決はおくらせられること. になる︒㈲ しかも︑無効説の立場からすると︑無効の主張を許さなければならないだけではなく︑その主張あるた. て︑前回と同一の判断に到達するという保障は全くない︒. びごとに︑裁判所は︑前訴における当事者能力を判断しなおさなければならない︒しかもそのたびごとの判断に際し. そこで︑以上のような判断のくりかえしを禁圧できるためにも︑有効説の立場が支持されるべきであるが︑しかし︑. ︵19︶. この有効説が採用している当事者能力の概念から判断すると︑無効説にたいしては対抗できないのではないか︑とい う懸念がある︒. そこで︑本稿では︑当事者能力欠敏看過判決の効力を中心として︑それをめぐる問題を考えてみたいのである︒ 第五一回帝国議会民事訴訟法改正法律案委員会速記録二一七頁︒. (( )). 鍛冶良堅﹁いわゆる権利能力なき社団︵非法人社団︶について﹂法律論叢三二巻五号七四頁︑森泉章﹁権利能力なき社団・財団﹂公益法人. 二四三. 最高判昭和三九・一〇・一五民集一八巻八号一六七一頁︑福地俊雄︑本件判例批評︑民商法雑誌五二巻五号七一一⁝頁によると︑社団の成立. の研究二一六頁︒. 上田徹一郎︑前掲一三七頁︑富樫貞雄﹁民法上の組合の当事者能力﹂民事訴訟法の争点七八頁︒. 当事者能力欠敏看過判決の効力. ︵5︶. 要件に関する最初の上級審判例だということである︒. ︵4︶. ︵3︶. なくなることが指摘されている︒. 上田徹一郎﹁組合と訴訟・執行﹂契約法大系V=二七頁では︑民法上の組合に当事者能力を認めると︑組合員の独自の訴訟追行の可能性が. 21.
(10) この点に関しては︑判例時報のコメントの中に詳細である︒判時六六六号八一頁︑七七六号七二頁︑八七〇号九六頁︑九二二号一⁝頁など︒. 大阪地判昭和三一・一二・八下民集七巻一二号三五八三頁︒. 二四四. ︵7︶. ︵6︶. 人の集合体のすべてが︑いつでも︑社団として完成したうえで取引活動をおこなっているわけではないだろう︒つまり︑昭和三九年判例の. 早大百周年記念号. ︵8︶. 産を取得し︑債務を負担することもあろう︒そして︑その権利関係は︑やがて完成された社団・財団に承継されてゆくのであろうから︑完成. 要件を初めから具備するほどに十分に組織化されているわけではないが︑その完成をめざして進行途上にありながら取引活動をおこない︑財. められない傾向にある︒たとえば︑東京地判昭和四一・一二・二〇判タニ〇五号一五六頁がある︒被告は全国学童横断陸橋設置促進会の常任. 途上の集合体にも当事者能力を認めてもよさそうであるが︑この未完成社団には︑前記の要件を具備していないところから︑当事者能力は認. 理事として振出した手形の貴任を追求されたものであるが︑被告は︑右の団体こそが責任を負うべきものだと主張したようである︒被告は代. 表者であったようであるが︑この団体には被告外四名の理事と事務局がおかれ︑事務局職員の服務規律も定められ︑同会名義で当座預金口座. の設立を志向する者がそのために尽力すべきことを約束して結成し︑活動を続けているところのいわば準備的︑手段的な団体として被告等同. があって銀行取引を継続してきていることが認定されている︒しかしながら︑裁判所は﹁同会それ自体が最終目的の団体ではなくて財団法人. 会の構成員の間に民法上の組合関係が生じているものと認めるのが相当である﹂と判定した︒それにもかかわらず︑裁判所が当事者能力を認. めなかったのは︑﹁構成員の資格︑総会運営︑財産管理等社団として主要な点を確定する規則が存在することについて何等の主張︑立証がな. また︑東京地昭和四四・四・一五判タニ三八号二三〇頁は︑ここでも︑前例と同様に︑被告個人の売掛代金債務を追求されたが︑被告は自. い﹂からだという︒. 分が代表している社団の責任を主張したようである︒しかし裁判所は︑この団体をもって︑有志︸○余名が数回にわたり協議した結果︑社団. 法人設立発起人会成立までの措置として設けた︑設立準備委員会であると認定している︒そして︑この委員会発足までの間に発生した債務な. いし責任にっいては︑この委員会は負担しないという︒昭和三九年判例の判示した要件を具備していないから︑法人に非る社団としての成立. 星野英一﹁いわゆる﹃権利能力なき社団﹄について﹂民法論集一巻二七二頁︑﹁団体としての組織をそなえる﹂とか﹁団体としての名称を. 福地俊夫﹁法人に非ざる社団について﹂神戸法学雑誌︸七巻一四八頁︒. いる︒古くは︑甲府地判昭和二七・二丁一七下民集三巻︸二号一七九〇頁も同様である︒. 要件を欠いているためだというのである︒後掲の札幌地判昭和四三・四・︸六判時五三三号八二頁の分会の賠償責任の判断も同様になされて. ︵9︶. ︵0 1︶.
(11) 有する﹂というのはあいまいな表現であり︑﹁代表の方法﹂﹁財産の管理﹂が確定しているということは︑それにつき﹁規則﹂があることを標. 準とするとの趣旨であろうが︑果たして実質的にこれを標準とすることが妥当か否かは問題であるし︑﹁総会の運営﹂に関する規則について. ﹁同一性﹂の有無はなにをもってきめられるかこそが間題であって︑﹁同一性﹂が保持されるか否かといってみただけでは始まらない︑と批判. も同じである︑という︒﹁多数決の原則の存在﹂も︑やはり標準とならない︑とされ︑団体の構成員の変更による﹁同一性﹂の維持の点も︑. されている︒. ︵11︶菅野孝久﹁住民団体・消費団体の当事者能力﹂民訴法の争点七八頁︒ ︵12︶富樫貞雄﹁民法上の組合の当事者能力﹂民訴法の争点七七頁︒. 原告は︑小笠原島硫黄島帰郷促進連盟という団体であるが︑入会手続︑会員総会に関する規定がなく︑総会も一度だけ開かれて︑﹁毎年少. ︵13︶ ① 東京地昭和四四・一〇・六判時五九三号五五頁︵判タニ四二号二六五頁︶. くとも一回の会員総会を開くということがなかった︒﹂また︑﹁資産の管理︑監査に関する規定﹂もなかったのである︒それにもかかわらず︑ 当事者能力を認めて︑請求を認容している︒. 原告は︑大洋観光に勤務する一般従業員およびホステスを会員として︑会員相互の友好親睦︑共済福利をはかると共に前記会社の発展に寄. ③ 東京地判昭和四四・一二・二二判タニ四六号三〇一頁︒. 与することを目的として結成された団体であって︑会則を有する︒また︑会長を定めて︑現にその会長に就任しているものもいる︒. 社団の意思決定機関としての社員総会に当るものはない︒. ところが︑裁判所は︑次のような事実を認定している︒ ↑0. それにもかかわらず︑社団であって代表者の定のあるものということができるから︑当事者能力を有する︑というのである︒. その管理運営において多数決の原則が十分に行われているとはいえず︑団体の民主的管理運営という点において著しい欠陥がある︒. 回 原告の総会またはこれに相当するものが開かれたことがあることを認めるに足りる証拠はない︒. ⑲. 大阪地堺支決昭和四五・一・二一判時五八六号七七頁︵判タニ四四号二二一頁︶. 日本共産党泉洲地区委員会が妨害行為禁止の仮処分を申請した事件であるが︑﹁申請人は民訴法四六条にいう法人に非ざる社団にあたると. ③. 二四五. 解して一応差支えないものと思われる﹂︒このコ応差支えない﹂という表現に﹁緩和の傾向﹂が見られる︒というのは︑本件申請人の上部 当事者能力欠敏看過判決の効力.
(12) 早大百周年記念号. 二四六. 機構である日本共産党大阪府委員会でさえも︑﹁厳格な傾向﹂からすれば︑民訴法四六条にいう社団に該当しないとみられていた︒大阪地決. 東京地判昭和四五・一二・二二判時六二八号六一頁︒これは︑慣例による代表者の定めがあるだけで当事者能力を認めた事例である︒原. 昭和四一・五・三〇ジュリスト三六九号六頁である︒. ㈲. よって組長頭を一人選出して事務を総括させ︑原告の意思は右組長の会議にもとづぎ決定され︑組長頭が対外的に原告を代表することが慣例. 告は地域住民からなる団体であって︑総会はなく︑﹁一〇余の小部落ごとに構成員が各一ないし二名の組長︵合計一四名︶を定め組長の互選に. となっていたことが認められ︑右認定に反する証拠はない﹂という︒﹁厳格な傾向﹂からすれば︑当然︑当事者能力は否定されるこ〜になる︒. そこで︑判例時報のコメントは︑﹁厳格な傾向﹂と対比のため︑東京地判昭和四四・七・三判時五七三号七一頁と大阪高判昭四五・二二六. 大分地判 昭 和 四 六 二 丁 三 判 時 六 三 八 号 九 九 頁. 判タニ四八号一三七頁をあげている︒. 事案は仮処分の申請事件であるが︑申請人は︑全日自労の大分県支部の宇佐分会である︒相手方から︑当事者能力を争われたが︑裁判所は. ㈲. 次のように認定して当事者能力を肯定した︒まず︑独自の活動については自白があったものとみなし︑分会のための規約については︑特に明. 示されていないが︑全日自労組合規約が示されているだけである︒最高議決機関として分会委員会︑分会の執行機関として分会執行委員会︑. すると︑三九年判例から見れば︑独自の規約の有無︑構成員の特定︑総会の運営︑財産の管理などがどうなっているかは不明のままであるこ. 対外的代表者として分会執行委員長があり︑現に選任されているものがある︒これで十分であると考えられるが︑分会が独自の団体であると. とになろう︒現に︑札幌地判昭和四三・四・一六判時五三三号八二頁は︑国鉄労組札幌地本中央支部の当事者能力は認めたが︑その前身であ. って規約を有し︑右規約は分会内部の組織関係︑分会の運営等について規律しているが︑社団の定款ともいうべき右規約に分会独自の目的や. る本局分会は﹁権利能力ある社団﹂とはいえないと判示している︒その理由は︑この分会は国鉄労組の﹁組合員をもって構成される団体であ. 業務内容を掲記せず⁝⁝財産の管理等については何等規定されておらず⁝・−現実に格別の財産を所有せず⁝⁝﹂と認定している︒これと較べ. 東京地判 昭 和 四 六 ・ 五 ・ 一 七 判 時 六 四 三 号 七 〇 頁. れば︑この大分地判がいかに﹁緩和な傾向﹂にあるかということがわかる︒. ㈲. 本件は︑登記請求事件であるが︑団体自身が当事者となったものではない︒しかし︑団体に帰属する所有権確認の訴を団体の代表者が自ら. の名で提起したものである︒ところが︑その代表者個人が訴訟の係属中に死亡した︒この場合︑右の個人の相続人が訴訟を承継するのではな.
(13) くて︑この団体内部で選任された次の代表者が新たに原告として訴訟を承継すべぎものと判示している︒しかしながら︑そのような処理の前. るものの︑いわゆる﹃権利能力なき社団﹄に準ずる社会的存在として︑民訴法四六条の準用も考えられるのであるが﹂登記請求であるから︑. 提は︑この団体が︑﹁社団﹂であると認められることである︒裁判所は︑原告団体が﹁明文の規約を欠く等やや社団としてのまとまりに欠け. 和な傾向﹂にあるといえるが︑それによれば︑もし︑団体自身が当事者となった場合にも当事者能力は認められたであろう︒しかし︑裁判所. 代表者個人が原告となったものと認めている︒ここで︑社団に﹁準ずる﹂とか︑民訴法四六条の﹁準用﹂とかいうことを認めること自体︑﹁緩. の認定によると︑原告の十日会という団体は︑代表者の﹁近所の十数軒の家族の親睦団体で︑⁝⁝構成員は当時二〇家族前後で⁝−成文の規. 程度の組織性で十分であると考えられるが︑昭和三九年判例を引ぎ合いに出す﹁厳格な傾向﹂の裁判例とくらべると︑きわめて﹁緩和な傾向﹂. 約の定めはなく︑役員は二名とされていたが︑実際は原告先代﹂が一人で会の運営にあたっていたという︒本件の実体的解決のために︑この. ω. 千葉地昭和四九・七・一五判タ三三四号三四二頁. にあるといえ る ︒. 原告側は一人の個人の他三つの組合である︒第一は︑国鉄動力車労働組合︑第二は︑その千葉地方本部︑第三は︑そのまた千葉支部であ. り︑このうち︑第二︑第三の原告の当事者能力が間題になり︑これは第一の原告の構成部分にしかすぎないと相手方から争われた︒これにた. 認めることがでぎると判断している︒しかし︑三九年判例があげた︑その要件の一っ一つがどのようになっているかの判断は全然示されてい. いして︑裁判所は︑三九年判例の判旨を引用して︑原告第二︑第三は︑第一の下部組織ではあるが︑右判例の判示する要件をそなえていると. ない︒否定裁判例の特徴は︑必ず︑その一っ一つを数えあげて︑要件具備の不足を指摘しているのであるから︑本件の判定のしかたも︑﹁緩. 安次富哲雄︑本件判例批評︑判例評論二六三号︵判時九八二号︶一八八頁. 和の傾向﹂にあるといえるだろう︒町会の当事者能力を認めた東京地判昭和四二・五・二〇判タニ〇九号二一〇頁も同様である︒ 4 ︵ 1︶. ︵焉︶ 判例タイムズ四二青写八七頁. ︵16︶ 富樫貞夫︑前掲七六頁では﹁これまでの判例をみる限りでは︑四六条の﹁社団﹂を判断するメルクマールに関して各判決の間にかなりのバ. 二四七. 例である︒さらに続けて﹁全体として判例は︑民法上の組合を含めて多様な団体にできる限り広く当事者能力を認めようと努めており︑こう. ラッキがみられ︑とくに否定例のなかには正当と思われないものも含まれている﹂と指摘されている︒﹁否定例﹂は︑﹁厳格な傾向﹂からの裁判. 当事者能力欠敏看過判決の効力.
(14) 一. 早大百周年記念号. 二四八. した態度は︑民訴法四六条の立法趣旨に照して基本的に是認されてよいと思われる﹂として︑﹁できる限り広く﹂認めようとする﹁緩和な傾. 向﹂を評価している︒また︑小島武司﹁住民団体・消費者団体の当事者能力﹂新実務民事訴訟法講座1巻二八六頁も﹁思うに︑基本的には非. は︑団体性の強弱にこだわらず当事者能力を認めることで微妙な判定にともなう手続上の危険を避けることができ︑また︑団体およびその構. 統一説が妥当である︒団体的結合の基本目的に意思の一致があり︑しかも団体活動に関して意思反映の合理的ルールが貫徹されているかぎり. これにたいして︑昭和三九年判例が︑今後も基準としての役割りを維持していくだろうことを示唆しているのは︑菊井・村松・全訂民事訴. 成員に判決効を及ぼし効果的な紛争の処理が可能になろう﹂と︑ここでいう﹁緩和な傾向﹂を述べている︒. 前述のように︑わが国では︑これまでは完全有効説が支配的であり︑しかも︑当事者能力に関して︑裁判例は立法趣旨を活かして︑﹁緩和. 訟法−⁝四頁である︒﹁実務上は︑この基準に従って﹃権利能力なき社団﹄かどうかが判断されている﹂という︒. な傾向﹂にまとまっていたから︑当事者能力が認められて本案判決がなされ︑それが確定したあとに︑かりに︑これを争うことができて︑判. ︵17︶. 断のしなおしを求めることができたとしても︑やはり︑前訴において当事者能力は具備していたものと判断されるから︑判断のしなおしを求. この間題については︑柏木邦良﹁訴訟要件の審理と判断﹂の第六章﹁訴訟要件の判断﹂において︑訴訟要件を﹁看過誤認した判決の効力﹂. 中野貞一郎・松浦馨・鈴木正裕編・民事訴訟法講義四二二頁. めても︑それはムダであることが予め承知させられていたのである︒ ︵18︶. として論じられる予定がすでに発表されている︵北海学園大学法学研究五巻一号︸二八頁︶︒わが国における︑訴訟要件に関しての唯一の総. ︵19︶. 合的研究であるので︑それにもとづく︑この間題の解明が期待される︒. 二 無効論とその影響. たとえ︑当事者能力欠敏看過判決︵以下では看過判決とだけいうことにする︶であっても︑それが完全有効であ. るということは︑当事者がこの確定判決のうえに︑安心して法律関係を展開してゆくことができるという保障でもあ. る︒しかも︑この安定性の恩恵にあづかるのは︑両当事者に限らない︒一般承継や特定承継の承継人はもとよりのこ.
(15) と︑その訴訟物たる権利義務に限定されず︑それを基本として派生する権利関係︑あるいはそれを先決関係とする法. 律関係の利害関係人︑さらには︑それを処分することによって生ずる権利関係の利害関係人のためにも︑当事者であ. った集合体には権利主体性が承認されることになる︒このように︑看過判決でも有効であると解することによる安定. 性は︑かなりの拡がりをもつだけに︑逆に︑この看過判決を無効と解することの影響もかなり広いことになる︒. しかしながら︑看過判決も有効であると解する多数説によると︑﹁当事者能力とは︑民事訴訟の当事者となること ︵1︶. のできる一般的能力をいう︒判決手続についていえば︑原告として訴え又は被告として訴えられるための能力であ ︵2︶. る﹂とされてきた︒当事者能力が訴訟法上の概念である以上︑﹁当事者能力とは訴訟法律関係の主体となり訴訟法上. の諸効果︵とくに裁判の効果︶の帰属主体となりうる能力をいう﹂のである︒そうだとすると︑当事者能力を欠くも. のは︑民事訴訟の当事老となることがでぎないものであり︑訴訟法上の諸効果の帰属主体となることはでぎないはず. である︒また︑民事訴訟の当事者となることができなければ︑そのようなものは﹁当事者﹂ではないし︑すくなくと. も﹁当事者﹂として判決を受けることはないはずであり︑あるいは判決の訴訟上の効果は帰属せしめられないことに. なる︒そうだとすると︑そのような者にたいする本案判決は︑なぜ︑有効で︑しかも︑その事件に関する限り当事者. 能力︑さらに権利能力まで認められることになるのであろうか︒かつて︑ドイッの古い判例は︑後掲のように︑当事. 者能力を︑右の見解と同じように解するので︑法律の定めに従って﹁組織化されていない集合体は当事者ではない﹂ として︑当然無効を宣言していた︒. そこで︑当事者能力の欠敏を看過した判決は﹁その内容に効力が生ずることはできないであろう︒当事者能力のな ︵3︶. い者が既判力に拘束されることは無意味であり︑財産の帰属主体でないからこれに対して強制執行することもできな. 二四九. い﹂という小山昇教授の見解があらためて登場し︑ついに﹁その判決は︑内容上の効力︵既判力.執行力・形成力︶ 当事者能力欠敏看過判決の効力.
(16) 早大百周年記念号. 二五〇. を生じない無効の判決である︒なぜなら︑当事者能力のない者はおよそ紛争の当事者たりえない者だから︑この者を ︵4︶. 本案判決に拘束させることによって紛争を解決しようとすること自体無意味だからである﹂という新堂教授による無 ︵5︶. 効説に到達する︒つまり︑現在のように当事者能力を理解しているかぎり︑欠敏看過判決無効説に到達せざるをえな. い必然性をもっており︑だからこそ︑いまや︑この無効説はその支持者を広げようとしているのである︒そして︑他. 方では︑前述の﹁厳格な傾向﹂は︑この無効説の支持に拍車をかけるにちがいない︒むしろ︑この﹁厳格な傾向﹂を. 基盤にして︑新たな無効説が展開することも考えられる︒なぜなら︑この﹁傾向﹂によれば︑社団要件目権利主体性. の要件旺当事者能力の要件であるから︑それを具備していない集合体は︑社団ではなく︑したがって︑権利主体性も. もっはずがなく︑その結果︑当事者能力は認められるべぎではないところ︑それが誤認看過されて本案判決がなされ ても︑その判決が有効であるわけはない︑と考えることはありうるからである︒. 法人格のない社団・財団が︑民事訴訟法により当事者能力を与えられ︑訴訟手続上は法人格をもつそれと全く同. さらに︑訴訟上は次のようにも考えられる︒. 二. じようにあつかわれる結果︑訴訟物たる権利義務の帰属を認める判決によって︑その権利義務に関する限りの法主体. 性が︑その当事者に認められるから︑それを根拠としてその法主体に当該判決の既判力が帰せしめられるものと考え. ると︑請求棄却判決については︑その判決の既判力の帰属は説明を異にせざるをえない︒なぜなら︑請求棄却判決は. 訴訟物たる権利義務が存在しないこと︑ないしはそれが当事者には帰属しないことを確定するので︑当事者となって. いる権利能力なき社団︑財団を訴訟物たる権利義務の主体とする必要がないだけではなく︑この棄却判決によっては. 権利主体性が認められないにちがいないからである︒しかし︑このような当事者にたいしても︑棄却判決の既判力は. 生ずるのであるから︑権利主体性の認められないものにも既判力が生ずることがありうるということである︒そこで︑.
(17) 権利能力なき社団・財団が当事者となっている訴訟の請求認容・棄却の両判決共通に︑既判力を帰せしめることがで. ぎる根拠としては︑当事者能力があることをあげることが考えられる︒つまり︑既判力という訴訟上の効力が︑権利. 能力のない当事者に帰せしめられるのは︑当事者能力という訴訟上の資格をもっていたからである︑という説明のし. かたである︒そうすると︑社団や財団の要件をそなえていないために当事者能力をもたないものには︑既判力は帰せ. このほかにも︑看過判決を無効と解すべき根拠は︑次のように︑いくつも考えられるので︑有効説の立場からは︑. しめようもないのであるから︑その意昧で︑当事者能力欠敏看過判決は無効だということにもなる︒. 三. この一つ一つに対応できなければ︑その存続はありえないようにも思える︒. はじめにあげたように︑当事者能力が民事訴訟の当事者となることができる資格であるならば︑それを欠くもの. 当事者能力欠鉄看過判決の効力. 有効説によれ. 当事者能力の具備の有無は職権調査事項であり︑裁判所は. 二五一. 職権探知にもとづいて判断すべぎであるが︑それに違反した判決によって当事者能力・権利能力は認められるべきで. による看過の結果︑それが認められるべぎではない︒働. り︑法人格は︑特定の要件のもとに︑特定の手続を経て慎重に付与されているのが現状であるから︑裁判所の不注意. は︑私法がきびしく規制しているところに反し︑また︑私法上の主体規律秩序をむやみにみだすことにもなる︒つま. ば︑民訴法四六条にも該当しないものに︑結局︑権利能力を認めることになるが︑それでは︑法人格の付与について. そのようなものが権利義務主体になれるわけではない︒つまり︑判決は無効とならざるをえない︒⑥. 能力もなしに︑権利義務の主体となることができないものにたいして︑本案判決が権利義務の帰属の宣言をしても︑. も︑当事者能力があるからこそ︑判決は当事者能力を通じて権利義務を帰属せしめることができるのであり︑当事者. ないものにたいする判決であるから︑判決として有効であるわけはない︒③ 権利義務主体となることができなくて. は当事者となることがでぎないはずであり︑したがってこのようなものにたいする判決は︑当事者となることができ. qD.
(18) 二五二. 判決手続の進行中︑当事者能力について争点となることがなかったために︑全然︑審理も判断もなされ. 早大百周年記念号. はない︒㈲. ずに本案判決が下され︑そのまま確定したとしても︑それについて不可争性の効力の生ずる根拠はなにもないから︑ ︵6︶ 当事者は︑いつでも︑この判決の効力を争うことができるとすべきである︒⑥ 当事者能力の不具備について︑全然︑. 当事者能力の欠敏看過は︑現行法. 不問に付されたまま本案判決がなされても︑判決が有効であり︑かえって︑欠敏している当事者能力が認められると いうことになれば︑そもそも︑当事者能力という制度は不必要なはずである︒ω. 上は再審事由とはなっていないが︑それは︑蝦疵としては軽微だから判決の確定によって治癒されるので再審事由と. されていない︑と考えるべきではない︒むしろ︑蝦疵は重大で無効だからこそ︑判決の有効を前提とする再審のため. 当事者能力は訴訟行為の有効要件でもあり︑これを欠くものの訴訟行為は無効である︒し. の根拠となっていない︒実在しない当事者にたいする判決は無効だからこそ︑その非実在看過が再審事由となってい. ないのと同様である︒圖. 当事者能力の欠敏があれば︑それは事実審の口頭弁論の終結までに補正されること. たがって︑当事者能力を欠くものの全体としての訴訟追行が有効であるわけはなく︑それにもとづきなされた本案判. 決も有効であるわけはない︒働. 当事者能力の有無の判断には既. が要求される︒ところが有効説によれば︑当事者能力の欠敏が補正されないまま本案判決がなされても有効だという ことになるから︑その欠敏が補正されることを要求しているのは無意味となる︒㈹ ︵7︶. 判力は生じないので︑これを肯定する判断がなされても︑﹁当事者能力のない者が当事者能力を有することはありえ. ドイッの通説によると︑当事者能力欠敏. ない﹂︒⑪ 当事者能力を有しない者は︑当事者適格をも︑もつことはできないはずであり︑当事者能力欠敏看過判. 決は︑当事者適格欠鋏看過判決でもあるから︑有効であるはずはない︒働. 看過判決は︑﹁無効の訴﹂Z一畠江αqざ計匹品①によって︑判決の効力は失効せしめられると考えられているが︑これは︑. 結局︑看過判決をもって︑無効と解しているのと同じであり︑ただ︑無効主張のためには一定の手続を経ることが必.
(19) 要だとされているのにすぎない︒. 四 以上のようであるとすると︑欠敏看過判決は無効であるとしかいいようがなく︑これをあえて有効視することは. 絶望的でもあるように思われる︒しかし︑他方︑この判決が無効であるとすると︑上述のように︑必ずしも実際的で. はない結果を惹き起こすことになる︒その点を︑もう少し具体的にみると次のようである︒. たとえば︑人または財産の集合体が自分への土地所有権の帰属を主張して確認の訴を提起し︑判決は三審を通じて. 集合体への所有権の帰属を肯定し︑判決は確定したとしても︑相手方がその集合体の権利主体性を認めず︑したがっ. てその判決は無効であるから︑土地所有権の帰属も認めないと主張しているかぎり︑土地の帰属をめぐる紛争は少し. も解決されず︑その状態は訴訟開始前と全く同様であって︑右の確認訴訟はムダであったことになる︒この場合︑前. 訴裁判所が当事者能力を肯定していても︑無効説によれば右のような判決がまるでなかったのと同じような主張を許. す結果となる︒また︑この訴訟の被告であったものから︑右の判決の確定後に︑集合体の代表者個人あるいは構成員. 個人を相手方として所有権確認の訴を提起したところ︑この第二訴訟の裁判所が︑前訴判決における当事者能力の判. 断には既判力を生じていないことを理由に︑この第二訴訟の請求を認容したとすれば︑前訴確定判決は当事者能力の 間題からくづされてくる︒. また︑当事者能力欠敏看過があると主張される判決が給付判決であれば︑無効説によれば︑執行力もないから︑こ. の判決を債務名義とする強制執行は許されないことになる︒したがって敗訴当事者は執行文の付与をめぐる争いによ. って執行の阻止をはかることになろう︒まず︑債権者の執行文付与の申立てにもとづき執行文が付与されたときは︑. 債務者は︑執行の阻止︑あるいは執行をおくらせる目的で異議を申立てるであろうが︑それについては執行法三二条. 二五三. の定める裁判所が裁判する︒また︑執行文付与に対する異議の訴︑執行文付与の訴は同法三三条の裁判所が裁判する︒ 当事者能力欠敏看過判決の効力.
(20) 早大百周年記 念 号. 二五四. これらの裁判所は執行文を付与すべきでない事由︑ここでは執行力の発生していない事由である判決の無効原因につ. といえるが︑それにとどまらず︑前述のような当事者能力の判断基準の複雑なために︑これらの裁判所の判断は前訴. き︑つまり当事者能力の欠敏看過につき判断することになろう︒それだけでも︑執行のひきのぽしの利用に成功した. 確定判決の裁判所の判定とは必ずしも一致するとは限らない︒そして︑もし︑これらの裁判所が﹁厳格な傾向﹂の立. 場に立って︑前訴訟においては当事者能力が欠敏していたと判定すれば︑前訴判決にょる解決は失効することになる︒. しかしながら︑これらの裁判所が確定判決の基礎となった当事者能力の有無についてまで判断しなおす権限をもって. いるかは疑問であるが︑当事者の不存在を看過してなされた判決の無効にかぎらず︑他の無効原因のある判決の基礎. の判断の必要があることを考えると︑当事者能力欠敏看過判決が無効であるとすれば︑右に述べたような事態はあり うるはずである︒. ところで︑当事者能力の具備について裁判所が中間判決か終局判決の理由中にその判断を示しているときは︑前記. の執行手続上の裁判所も︑右の判断がなされていることを知ることができるが︑しかし当事者間に当事者能力につい. て争いがなけれぽ︑右の判断はとくに示されないのが通常であるといわれているので︑判決の外形的な表示からは︑. 当事者能力の具備を判断している場合と当事者能力の欠敏を看過した場合とを区別することはできない︒そこで︑こ. の間の事情に剰じて敗訴当事者が当事者能力の欠敏看過を理由に判決の無効を主張すると︑その判断をもう一度くり. しかしながら︑当事者能力につぎ再度の判断がなされる機会があるときに︑前回の判断と今回の判断がくいちが. かえさざるをえないだろう︒. 五. うことは︑﹁緩和な傾向﹂からの判断と︑﹁厳格な傾向﹂からの判断とのくいちがいに限らない︒前回に﹁厳格な傾向﹂. から肯定されても︑今回も同じく﹁厳格な傾向﹂から否定されるということはありうるだろう︒つまり︑それほど︑.
(21) ﹁厳格な傾向﹂からの判断でも︑弾力がありうるということである︒ ︵8︶. 伊藤真教授によって︑あらゆる種類の訴訟において当事者能力を認定する際に︑不可欠の要件であるとされた︑対. 内的独立性︑対外的独立性︑内部組織性のうちの形式的組織性の具備は︑今後︑当事者能力の認定のために大いに参. 考になるものと思われるが︑それにしても︑裁判所が異なるにしたがって︑右の要件の一つ一つが︑具体的にはどの. 程度で十分であるかという判断は︑事案における実際の適用に際し︑かなりの幅がありうることだろう︒つまり︑各. 団体がもっている組織要素から右の要件として拾いあげるかどうかまた︑どのように拾いあげるかは︑いままでの裁. 判例に見られるとおり︑かなり判断のくいちがいの余地があると考えられる︒そして︑そのことはやむをえないので ある︒. 一般的な表現の常として具体的な内容が明確と. ﹁厳格な傾向﹂の拠りどころとなっている昭和三九年判例︵とそれを全面的に引用した昭和四二年判例︶について︑ ﹁権利能力なき社団について前記二つの最高裁判決の例示をみると︑. ︵9︶. はいえないものや認定の困難が予想されるものもあるので︑個別的な事件において法人格のない団体の当事者能力を. 判断するのに困難な場合が少くないと思う﹂という菅野孝久判事の指摘がある︒したがって︑三九年判例を引き合い. に出す裁判例相互の間にも︑この判例の示した社団要件の一つ一つについて︑その具体的内容の把握のしかたや︑さ. らに︑それを具備しているかどうかの認定のしかたに相違が出てくることは︑これからも考えられるところである︒. そうすると︑やはり︑一度︑当事者能力の判断がなされているにしろ︑あるいはその欠敏が不問に付されたにしろ︑. すでに本案判決がなされて︑それが確定している以上︑もう一度︑当事者能力につき判断をくりかえすことは︑右の. を不当に負わせることにならないかも︑考えなければならない︒. 二五五. 確定判決をひっくりかえす危険性もあることである︒しかし︑無効主張を遮断することにより︑敗訴当事者に不利益. 当事者能力欠敏看過判決の効力.
(22) 穴. 早大百周年記念号. 二五六. ところで︑判決の無効事由として争いなくあげられているものを見ると︑次のような特徴をもっているが︑それ. をいま︑上述したところの当事者能力の欠敏看過を無効とすることとくらべてみたい︒. 第一に︑判決の無効事由は︑そのほとんどが︑外形上からも︑つまり誰の眼からもかなり明白かつ確実な欠陥ばか. りである︒訴訟係属がないのになされた判決︑裁判権に服しない者に対してなされた判決︑実在しない当事者に対し. てなされた判決︑判決当時すでに存在しない法律関係の形成を宣言する判決︑内容が不定もしくは不明であるとか︑. 矛盾していてその意義を確定できない判決︑あるいは公序良俗に反する内容の判決︑事実上不可能な給付を命ずる判. 決など︑いずれも特別な調査をまつまでもないほどに明白な事由ばかりである︵これを﹁当事者能力以外の無効事由﹂. ことができるためには︑前訴においてはたして当事者能力が具備していなかったのかどうかを調査しなおさなければ. としておく︶︒これにたいして︑当事者能力の欠鋏看過は︑右の事由ほど︑外形上からは明白ではない︒それを知る. ならないが︑すくなくとも︑集合体の実体の調査に立入らなければならない︒. 第二に︑﹁当事者能力以外の無効事由﹂は︑明白かつ確実であるから︑これらについてはくりかえし判断しなおさ. れることがあっても︑前回の判断とくいちがうことはないが︑当事者能力について判断しなおされることがあれば︑ 前述のように︑集合体の実体の調査に立入るだけにくいちがうことがありうる︒. 第三に︑﹁当事者能力以外の無効事由﹂は︑それが判決の無効事由ではない︑と解されることはないが︑当事者能. 力欠敏看過では︑次節に紹介するように︑有効説が多数説であり︑この説を採用する裁判所にょれば︑無効事由では. ない︑と解されることはありうる︒しかし︑他の裁判所によりくりかえし判断されて︑無効と解されることも︑また︑ ありうる︒. 第四に︑﹁当事者能力以外の無効事由﹂は︑再度︑判断しなおされることがあっても差支えないし︑むしろ︑その.
(23) ほうが望ましいことがあり︑第五に︑さらにくりかえして︑三度︑四度にわたり︑判断しなおされる事実上の可能性. て判断のしなおしが求められることになる︒. はありえないが︑当事者能力の判断のしなおしは︑以上のところからも不都合があり︑しかも︑三度︑四度とわたっ. 第六に︑﹁当事者能力以外の無効事由﹂は︑外形上も明白かつ確実であるから︑これを包蔵していない判決が︑ム. ヤミヤタラと無効であるという主張にさらされる危険はなく︑したがって敗訴当事者からの最終的解決のひぎのばし に利用されることはないが︑当事者能力欠敏看過は合法的にそれを許すことになる︒. 七 以上のように見てくると︑理論的根拠をひとまず度外視して考えれば︑当事者能力看過を理由に確定判決を争う. ことを遮断することができなければきわめて都合の悪いことにならざるをえない︒そこでその看過判決を無効と解す るよりも︑でぎることならぽ︑有効と解するほうが実際的である︒. そのため︑以下では︑当事者能力欠敏看過判決を有効と解することができないか︑その結果はどうなるか︑また︑. 釈明にょる補正はどうなのかについてを考えてみたいと思う︒そして︑その前に︑ドイッおよびわが国における有効. 説への展開を調べておきたい︒ただ︑ここでは︑﹁厳格な傾向﹂からみて︑﹁緩和な傾向﹂の判断には︑当事者能力の. 欠敏看過があるというのではなくて︑実際に︑当事者能力に鍛疵︵要件具備が不十分︶や欠敏がある場合に︑それを. 子一・民事訴訟法体系︵昭和二九年︶一〇八頁を初めとする当事者能力についての︑ドイッおよびわが国の不動の定義である︒なお︑伊. 誤認・看過してなされた本案判決の効力が念頭におかれている︒. ︵1︶. 三ケ月章・民事訴訟法︵有斐閣︶一八○頁︑同・民事訴訟法︵弘文堂︶二三二頁︒. 藤真・民事訴訟の当事者︵昭和五三年︶二〇頁以下︒. 兼. (( )). 当事者能力欠敏看過判決の効力. 二五七. 小山昇・民事訴訟法︵三訂版︶八三頁︒なお︑染野義信・民事訴訟法︵一九六九年︶は場合によっては無効とすべき必要のあることは示唆. 32.
(24) 一. 早大百周年記念号. ︵5︶. ︵4︶. 新堂幸司・前掲九八頁︒. 中野貞一郎・松浦馨・鈴木正裕編・民事訴訟法講義一〇一頁︑吉村徳重・竹下守夫・谷口安平編・講義民事訴訟法九八頁︒. 新堂幸司・民事訴訟法︵二版︶九七頁︒. 二五八. ︵6︶. 伊藤真・前掲七五頁以下︑まず︑対外的独立性については︑教授自身が﹁対外的独立性についての判断も︑事案によって差が生じるように. 小山昇・前掲八三頁︒. されていた︒しかし︑原則として有効とする立場をとり︑再審も認めない︒. ︵7︶. 思われる﹂︵六八頁︶とされて︑挙げられた裁判例の判断の区々について﹁このことは︑対外的独立性が機械的に決定されるものではなく︑. ︵8V. 問題とされている請求について当該団体が独自の利益を有するかどうかによって決定されることを示している﹂︵七三頁︶といわれている︒. 存在していればよい﹂︵七六頁︶︑とされているから︑ある団体に︑そのようなルールがおこなわれているかどうかの実際の認定に際しては︑. 形式的組織性についても﹁意思決定の方法等が書面によって確定されている必要はなく︑構成員の意思が団体の運営に反映されるルールさえ. 入に関係なく団体の同一性が保持されるというのが︑この要件の内容である﹂︵六九頁︶といわれているが︑この点については︑次註の菅野孝. 裁判所によりかなりの相違のでてくることも予想される︒対内的独立性については︑﹁団体の構成員が明確になっており︑構成員の脱退・加. 菅野孝久︑前掲八○頁︒昭和三九年判例の判文に即して五つの点が検討されているが︑第四の点である﹁構成員の変更にもかかわらず団体. 久判事の意見があり︑また︑星野英一教授の意見もある︵前掲一節註︵10︶︶︒. そのものが存続する﹂との要件については︑﹁この要件の認定はかなり困難であると思う︒余り認定が困難な要件は︑現実に要件としての機. ︵9︶. 能を果たさなくなる﹂といわれているが︑そうすると︑実際の事件に直面して︑この要件の具備の認定が区々になることが予測されるだろう︒. 三 有効説への展開. ドイッにおける当事者能力欠敏看過判決の効力についての学説の歴史は︑無効説の一般的支配から︑有効説への. 展開である︒まず︑無効説の支配は︑当事者無能力者への判決の効力の帰属の不可能を明らかにした結果であった︒. これにたいして︑有効説は︑どちらかといえば︑理論的解明よりも︑判決無効の主張を手段に終局的解決の遷延や紛.
(25) 争のむしかえしを封ずるための目的的で実践的な狙いが先行していたように思われる︒そして︑有効説は︑実在的効. 果説というべき見解と判断効果説ともいうべき見解に分けられる︒前者は︑当事者が実在している場合は︑たとえ︑. 当事者能力の欠敏を看過してなされた判決であるにせよ︑判決の効力は︑この実在する当事者に帰せしめられると考. えるのである︒つまり︑看過判決が有効であるのは︑当事者の実在に結びつく効果であることになる︒これにたいし. て︑後者は︑裁判所が当事者能力につぎ︑直接または間接に判断しているとぎは︑その判断に拘束力を認め︑その判. 断の不可争性のゆえに看過判決でも有効となるという見解である︒しかし︑その後︑裁判所が当事者能力につき明示. の判断を示しているときにだけ︑当事者はこの判決を争うことができないとする︑いわば明示判断不可争説が主張さ. ︵1︶. ドイッ普通法時代には︑当事者能力のないことは︑判決の無効原因の一つであったことが︑わが国での研究から. れるようになり︑これが現在のドイツの多数説のとる立場となっている︒. ニ. 明らかにされている︒そのためだろうか︑当事者能力欠敏看過判決が有効であるとする見解は︑一八七七年のドイツ. 民訴法制定当時には︑見当らないようである︒この民訴法の制定者も︑当事者能力は実体法上の権利能力と一致する. とみていたために︑当事者能力をあらためて訴訟法の中に規定を設けること自体︑必要ないどころか︑よけいなこと ︵2︶. だと考えていたといわれているほど︵権利能力なき社団の受働的当事者能力については︑一八九八年の改正法において初めて. 規定された︶︑実体法上の権利能力は︑そのまま訴訟法上の当事者能力であった︒したがって︑当事者として訴訟に登 ︵3︶. 場したものに︑当事者能力が欠敏しているというのは︑ワツハがすでに説いていたように︑そのものに権利能力が認. められないからであり︑また︑権利能力がないために権利主体性が認められない︑ということは︑そのようなものが︑ 法的には実在しているとはいえない︑と考えられていたようである︒. 二五九. このように︑当事者能力の欠敏は︑非権利主体性︑ひいては法的非実在性と同視されたため︑訴訟現象としてあら 当事者能力欠 敏 看 過 判 決 の 効 力.
(26) 早大百周年記念号. 二六〇. われてくる当事者能力欠敏看過判決は︑非権利主体性の看過判決︑あるいは当事者の非実在看過判決と同視されて︑. 当然無効艮︒窪蒔となったと思われる︒しかし︑その判決の無効の根拠の説明のために︑論者によって非権利主体性. 看過が強調されるか︑あるいは借称当事者の非実在性看過が力説されるかであり︑とぎには︑その両方が同時に引か れることもある︒. ワツハは︑﹁実在していない当事者︑つまり肉体的にも法的にも存在していないものにたいする本案判決は不能で ︵4︶. ある﹂といって︑実在していない自然人である当事者と︑当事者能力のないために実在しない当事者︵法的不存在︶と. を同視しているαq風魯壌魯蒔が︑他方では︑﹁いかなる事情のもとにあっても︑当該権利の主体ではありえないもの. に︑つまり︑その権利を既判力ある判決によって帰せしめることができないものには︑権利保護の利益が欠敏してお ︵5︶ り︑そのようなものとの訴訟は無益である﹂として︑ここでは︑当事者無能力が非権利主体性と同視されている︒シ ︵6︶. ユタイソも︑﹁判決が有利にも不利にも作用しうる権利主体が︑事実上存在しないとき︑あるいは当事者能力の欠敏. のために法的に実在しないときは︑その判決は当然無効である﹂と述べて︑権利主体の事実上の不存在と当事者能力. の欠敏のための法的な非実在とを同視しているが︑さらに﹁もしも︑当事者能力の欠敏を顧慮することなく︑判決が ︵7︶. なされたならば︑その判決は法的にも事実上もいかなる意義をももたない︒けだし︑その判決の効力を作用させるこ. とができる権利主体が不存在だからである﹂また︑﹁僑称当事者が実在しないのと︑人的団体としては存在するが︑当. 事者能力がないのとは︑訴訟主体が存在しない点で︑区別することはできない﹂として︑右のことを明らかにしてい. る︒また︑プランクも︑﹁当事者無能力者にたいする訴訟は不適法なのではない︒法的には不能なのである︒それに. もかかわらずなされた判決が当事者能力を明示または黙示で肯定しているときは︑それは通常の上訴で取消される︒. しかしながら︑このような判決が確定したあとは︑独民訴法は無効の訴を認めていない︵この訴の事由は当事者の存在.
(27) を前提としているからである︶︒というのも︑この判決の内容は不能であるから︑いずれにせよ︑確定しても執行されな ︵8︶. いし︑そのかぎりでは無効の訴を必要としないからである︒民事法上︑権利・義務を有することができないものは︑. 既判力ある判決によっても︑権利を取得したり︑義務を負わせられることはない﹂として︑当事者能力欠敏看過をも. って︑非権利主体性看過と同視して︑この判決を当然無効と解している︒エソゲルマソも﹁たとえば︑B町の病院が. 一定金額の支払いを訴求されて︑事実上敗訴判決を受けたとする︒しかし︑この病院は︑独立した財団ではなくて︑ ︵9︶. 実はB町に所属する営造物にすぎなかった︒このような場合︑判決は︑何人にたいしても義務を負わせることはない︒ ︵10︶. つまり︑判決は無効なのである﹂という︒病院は実在しているが︑それが財団として認められないかぎり︑権利の主 体性も認められないから︑その看過判決は無効だというのであろう︒ ︵11︶. 当時のドイッの判例︵ライヒスゲリヒト︶も当事者能力欠敏を︑権利主体性の欠如︑当事者の非実在性と同視して︑. 次のように判示している︒﹁以上のように︑法律にしたがって組織されていない団体は当事者ではない︒それは訴訟. 上︑行為能力がないだけではなく︑そもそも︑そのような団体は当事者ではないのである︒その団体には︑訴訟関係. のためのいかなる法主体性も欠けている︒そのような団体にたいする訴訟は︑集合体の名において表示し︑その代表. 者と称するものによって審理を進めてはいるが︑それは何人に対する訴訟でもないし︑何人との間にも訴訟関係は成. 立することなく︑何人にたいしても有効な判決をなさしめるような訴訟ではない︵一八八六.一一.二七のラィヒスゲリ. ︒参照のこと︶︒ここにおける判決は︑いかなる有効性をももつことはなく︑形式的確定力にもか ヒトの判例︑︸≦一〇︒︒ ︒ 80. かわらず︑絶対に無効である︒まさに︑実在せざる自然人にたいして︑あるいはその名において訴えられたのと︑全 く同様なのである︒このようなものにたいして︑既判力は生ずべぎであるまい﹂︒ ︵12︶. 二六一. 他方︑当事者能力を絶対的訴訟要件とみたスケドゥルの見解は︑特色がある︒当事者無能力者の関係する﹁このよ 当事者能力欠敏看過判決の効力.
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