五四
私 所 有 権 の 自 然 法 的 基 礎
井上紫電
人が外界の財貨を排他的︑織績的に所有の封象とする櫨利を有するや否やの問題は︑此の権利が人間の全経
濟生活︑ひいては文化全般に封し至大の關蓮を有するが故に如何なる時代に於てもその重要性を失はないが︑
特に私有財産制度を否定する有力なる思想の存する今日その重要性は加重せられてをるのである︒
本稿は私有財産制度が人闇の本性に窮極の基礎を有する自然法的制度であり︑此の故に人闇の恣意に依り屡
棄するを得ぬ制度なる所以を閥明することを目的とするものである︒
■︑私所有権の概念
私所有椹とは物を排他的に支配する櫻利︑物の使用︑牧釜︑塵分の植能を包含せる穫能たることは今此虚に
更めて謂ふ迄もないところであらう︒所有者は目的物の使用の橦能を有するが故に目的物の平和なる支配を他
入が妨げることを禁することが出來︑又牧釜の権能を有するが故に目的物より引き出し得る総ての利釜を享受
することを得︑更に虜分の櫨利を有するが故にその欲するところに随つて賓却︑賂與︑消費︑破棄等の行爲を
爲すことが出來る︒
以上の橦能を所有者は完全に有するのであるが︑然しこのことは如何なる使用︑牧釜︑盧分も是認せらるべ
きことを意味しない︒法律秩序は全道徳秩序の一部に外ならナ︑此の故に所有櫨の行使も道徳秩序の範園内に
於いてのみ許さるぺきは謂ふ迄もない︒私所有椹は夫自艘は無制限なものであるといふのは︑所有権者が物を
費却し︑貸與し︑若しくは破壊しても︑それに依つて平均的正義に反し︑他人の構利を害するものではないと
いふに止まる︒﹁所有権は完全なる模能である︒然しそれは私の所有物につき私が如何なる使用を爲すも罪にな
らすといふ意味で完全なのではない︒浪費が罪であり︑施與の拒否は少くとも或場合には罪であり︑酒の濫用︑
酒浸りが罪であることは誰も疑はない︒そうではなくて,所有権が完全な構利だと謂ふのは私が私の財産を使
め用虚分することに依つて嚴格法に反し︑又は平均的正義に蓮背することはないといふ意味である︒﹂
更に叉各肚會に特有なる事情に基く各種の公法的︑私法的制限も亦︑所有権が他人に封する關係に於いて排
他的支配棲であること蕊矛盾するものではない︒之等の法律に依る制限は平均的正義に基くところの︑他の個
人に依る制限に非すして共同の幅証乃至は政治的︑肚會的その他の見地よりする高吹の制限であり︑之等の制
限にして徹慶せられんか所有椹はその本來の完全なる支配構に復蹄するのである︒
學者は屡々普遍的なる所有椹の概念を定立することの困難を嘆ナる︒例へば法制史の櫨威申田博士に依れば
私所有権の自然法的墓礎(井上)五五
1)W.Morin,Lapropriet6priv6ed,apressaint・ThomasetlesencycliquesdeI、60n
XIIIetdePieXI,lg36.P.33.
五六
﹁議論は抑も所有構とは如何なる櫨利概念であるかといふ一見甚だ卒凡なる如くしてその實は從來の學者中何
人も之が満足なる定義を下し得なかつた程極めて困難なる問題と相關蓮する︒然し所有権なる概念は元來論理
的に必然的な確立概念ではなく︑歴史的具艦的事實に即し︑一杜會︑齢時代の政治的︑経濟的状態に順慮して
勢攣蒋する概念である︒﹂又牧野博士も﹁所有構についてはわれわれはフランス民法第五百四十四條に於ける所
有椹の定義を基礎とし︑それを織受したわが民法第二百六條を出稜黙として事を理解することにして居る︒し
かしそれは︑たΨ︑現行の法規に基いて所有椹の基本的な要件とされて居るものを學げるといふだけのことで
恥ある︒少しく浩革的に乃至比較的に見わたす者にとつては所有櫻の概念は決してしかく明瞭なものではない︒﹂
と述べられる︒(註)
註然し若し論者の如く不憂の所有権の概念を否定ぜんか︑私有財産制度は砂上の縷閣に堕し︑結局マルキンストの次の言葉
な承認ぜざるな得なくなろであらうO
﹁蜀立なる關係として︑特殊の範疇として︑抽象的且つ永蓮なろ灘念としての所有確の定義な求めんとすろは形而上
學︑若くは法律學の幻想に外ならない︒﹂(寓p舞)﹁所有構の概念は國家及び肚會事情の輩なろ反射に過ぎず︑之等と共に不
断に憂悪すうものであるo今日の所有権概念に昨Eの所有構概念に■非ること︑恰も今日の國家及び祉曾に昨日の國家及び
壮會に非うと同然であろ︒琵の故に恰も太陽が地球その他の天髄な動かす如く︑政冶的︑祉曾的組織の中に毅然として立
つて之な動かし導くところの不動の所有原理な語ること程全歴史的獲展と矛盾し︑哩ふべきことはない︒所有権概念に流
砂の如くに愛愚すろものでり︑今Hの所有構の恒久性な前提とすろ者に砂上の襖閣為築く者であろ︒﹂(=①宴昌︒阜び臥pぎ
国・ω9譲ぴ︑U凶o国凶σq窪g日い犀耳o轟号円ぎヨ器く§︾ρ=帥"彗幽富目ヨ&¢ヨ窪留鉱鑑︒・ヨ瘍噛Qo・鴇)
2)中 田 博 士 「律 令 時 代 の 土 地 所 有 灌 」、 國 家 學 界雑 誌 第7S號.通tSis77頁 以 下o 同 博 士 に 依 れ ば 、 濁 逸 民 法 第 一 草 案 物 穫 編 の 起 草 者t;るJohowも 所 有 擢 の 滴 足 な る定 義 な 與 へ る こ と に 困 難.寧 ろ 不 可 能 で あ ろ か も知 れ ぬ と述 べ て ゐ
る と の こ とで あ ろ0
3)牧 野 博 士 「民 法 の 基 本 問 題 」、 第 四 輯.354頁o
私は今此塵に比較法制史的に各法制下に於ける所有棲概念及びその攣遷の跡を辿ることを得ない︒此の黙に
つ關しては既に我國にも若干の文献が存する︒然し私の臆測を以てすれば︑所有櫃の概念の確立の困難は︑論者
が實誰主義の立場よりして︑各國の相異れる内容の實定法規に捉はれつ玉而も所有櫨の普遍的概念を定めんと
することに起因するのではないかと思はれる︒元來實定法規は各時代︑各場所の具艦的事情に相封的なるもの
であり︑各枇會の肚會的︑政治的︑経濟的事情その他の要素が織込まれて形成せられるものである︒所有擁に關
する實定法規もその例に洩れす︑時代と場所とに特異なる各般の事情に基き多種多様たり得る︒例へばローマ
に於ける所有権秩序とギリシヤに於ける所有権秩序︑特に封建時代に於ける公法的支配並に公法的義務と結合
せる所有槽秩序と︑現代の法制下に於ける所有椹秩序との聞には大なる蓮庭が存するのみならす︑現代に於い
むむ ても例へば英國の所有棲秩序と︑日本の所有権秩序の間にば若干の差異が存する︒然しそれにも拘らす本質的
には所有権秩序が︑從つて所有櫻が存在する︒蓋し人類は外界の物資を利用することなくしては生活し得ない
が︑其の物資の量は有限であり︑從つて如何なる肚會に於いても外界の物資に封する人類の支配を権利として
認め︑之を相互に相侵さ穿らしめ︑其の物資の利用を安全確實ならしめることが必要である︒此のことは個人
及び家族にとつて必要なるのみならす全杜會の正常なる維持焚展に必要であり︑叉維濟的關係に於いて必要な
るのみならす︑精紳的︑道徳的關係に於いても必要である︒此の故にこそ人間の外界の物資に封する排他的支
むむむ配槽たる所有橿が如何なる肚會に於いても存在するのであり︑私が所有椹秩序の相異攣遷にも拘らす本質的に
私所有櫨の自然法的墓礎(井上)五七
4)例 へば石 田博士 土地総 有機史論 、及 び 「更的獲展 の過程 に於 け る土地趣 有 櫨 の諸形態 」肚倉政策時報 、昭和g年1月 號o
大 塚郷 二氏 「所有権 の吏 的諸形態 」法 學志林、36雀 。第5號o 吉 田博士 土地 所有擢論 、151頁 以下。
五入
は私所有模が存在すると述べたのは正に此の意味に於てである︒
又學者は屡々羅馬法上の所有櫨とゲルマン法上の所有櫨とを封比せしめ︑前者は絶封不可侵であるが︑後者
りはその内容に於て國家叉は團盟の監督を撮取せる團盟的所有橿であるとする︒然し斯の如き封比は正當ではな
いと思はれる︒英國的所有棲の概念︑ユダヤ的所有権の概念︑若しくは日本的所有橦の概念の存せざる如く︑
羅馬的所有権︑若しくはゲルマン的所有権の概念の匿別は存しな市のではあるまいか︒正︑不正の概念︑﹁自
己のものし︑﹁他人のもの﹂の概念と同じく所有棲の概念も普遍人類的のものである︒何盧に於ても所有櫨自盟
は物を合理的に支配する礎利である︒羅馬法上の所有櫨は絶封不可侵だと謂はれるが︑然し決して立法に因る
制限が存在しなかつたわけでもなければ(註)︑叉ゲルマン法上の所有椹が團饅的所有構だからとて︑所有椹が
他人に封する關係に於て排他的支配灌であつたことが否定せられるわけではない︒唯所有椹思想としては︑財
貨に樹する排他的支配構たる所有権が主として個人の爲に存するものと親る個人主義的見解と︑所有模を以て
個人の爲のみならす共同の幅祀の爲にも存すると観る中正なる見解と︑所有構を以て軍なる肚會的機能と観す
る極端なる團膿主義的見解との封立が存するが︑所有権自髄が他人に封する關係に於て財貨に封する排他的支
配構であることは如何なる時代︑如何なる場所に於ても攣るところはないのである︒
註肚會的必要に抽象的なる理論構戊とに無關係に其の實相な顯さしめろ︒羅馬法上の所有機と雌も決して紹野不可侵のもの
に非ずして︑之に劉してに幾多の制限が加へられて居tのである︒羅馬の法律學者と雌も所有権が共同の輻祉の要請すろ
5)例 へ ば 石 田 丈 次 耶 氏 物 権 法 、Io頁 以 下o
1
義務あ伴ふべきこと︑﹁公の幅証は最高の法﹂(絶蕊虐露凶雪︒・=箕o冒騨げ菖である二と為盟あて居たのであり︑事實十二銅
法以來︑公益及び隣入の利盆の爲に所有権は幾多の制限な受けて居六のであろo
例へば寓・6鐸ρの畢ぐる所有擢に蜀する幾多の制限の中主なうもの為摘記すれば次の如く.てあろo必盤的見地よりすろ制
限︒(Ω審魯房Oo降?固g3同斡謬9︒仲霞o甘まζ茜曾砕o一酔ユ︒箕名ま5おい摯で●︻◎︒し
a河岸の所有者に︑畑に赴く爲に舟行すろ者︑舟な樹に繋ぐ者︑綱な乾す者︑岸に荷物を置く者の露に︑河岸の便用々
許容せれば占怯らないo
b公道が洪水その他の不可抗力の爲破簗ぜられしときに︑公遣の隣接地の所有者11公道の修理に必要なろ期間︑通行右
許容ぜればならないo
C家の費同さは﹀﹁鳥噂舞6帝・に依り七十歩昆隅︑]イ&93昌帝に﹂依謡り山ハ十歩長に︑制限されお01
d2曾︒置及び閏"身げ昌帝時代の元老院に研究の爲家な破壇する・︑とな許し六〇
e元老院に鍛個の揚合に於て公用徴攻な許し穴︒
f土地の所有者に他入が承諾なしに其の所有地内に屍髄叉に骨な埋め糞るときと雌も︑大司祭の布告叉に皇帝の命令な
しにに之な獲堀すうな得ないo
此の外ンP9ρに相隣關係に基く幾多の制限な列禦して居る︒其の主なうものな襲ぐれば︑
a隣家の樹木の根が建物の土璽な危くする虞あるときは之々戴取することな得る︒
b所有確者に其の権利な唯隣入な害する目的のみ為以て行使することな得ないo
c隣地に向つて無用に水な流出し叉は煙為放散ぜしめろ仕事場な建てること々得ないo
之な要すうに杜會生活の必要は理論的には麺樹であるべき権利為制限すろ︒羅馬法上の所有構も決して論者の謂ふ如く麺
能不可侵のものではなかつ六のである︒
私所有権の白然法的基礎(井上)五九