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(1)

(4)  (3)  (2) 

はじめに取り組みの過程︵以上二巻一号︶

取り組みの内容 曰 事

① 実

︱ 九 七 八 年 二 月 の 子 ど も 向 け テ レ ビ広告に関するスタッフ・レポー 一九八一年三月三一日のスタッフ

の最終報告および勧告 一九八一年九月一日のスタッフの

最終勧告︵以上三巻二号︶

小括

要 件

① 一 九 七 八 年 二 月 の 子 ど も 向 け テ レ ビ広告に関するスタッフ・レポー

ト︵以上四巻三号︶

︱ 九 八

0

年の連邦取引委員会改善

③ ス タ ッ フ の 最 終 的 見 解

④ 小 括 権限上または憲法上の障害

① 権 限 上 の 障 害

② 憲 法 上 の 障 害

︵ 以 上 本 号

③ 小 括 四 是 正 措 置 むすびにかえて

三) (二)

規則の制定を中心として

連 邦 取 引 委 員 会 に よ る 子 ど も 向 け テ レ ビ 広 告 の 規 制

︵ 四 ︶

耕 ロ

(2)

いと規定した︒

1

J

9 9  

スタッフは︑次のように

問題となった子ども向けテレビ広告の不公正性

一九

まとめることにしよう︒ に

つい

て︑

スタッフが最終的にどういった判断を下したのか︑

要件

︵続

ゴ ︐

f

̲

︱ 九 八

0

年の連邦取引委員会改善法

ビ広告に関する規則の制定手続は︑﹁欺職﹂と﹁不公正﹂という

両者の理論に基づいて開始されたにもかかわらず︑

五月の連邦取引委員会改善法は︑﹁欺腸﹂という理論に基づいて

( 3 4 )  

のみ︑その規則制定手続を再開することができると規定した︒

つまり︑同法は︑﹁不公正﹂という理論に基づいては︑子ども向

けテレビ広告に関する規則の制定手続を継続することができな

述べ

た︒

スタッフの最終的見解

ッフの最終報告および勧告において︑

スタッフは︑規則制定手続が終結されるべきであると のスタッフの勧告にかんがみて︑存在すると認定された慣行が

( 3 5 )  

欺眺的であるかどうかという質問に答えない︒

( 3 6 )  

より特定的には︑スタッフは︑次のように述べた︒すなわち︑

幼ない子どもが子ども向けテレビ広告を適切に評価する認識能 力をもたないという結論を証拠から導き出すことができるとい う事実にもかかわらず︑記録において確証されているのは︑唯

一効果的な是正措置は︑幼ない子どもに向けられた広告物すべ

てを禁止することであるが︑そのような禁止は︑実際問題とし

( 3 7 )   て︑実施することができないということである︒是正措置上の

この障害のために︑幼ない子どもに向けられた広告が欺腸的で

いて

︑ スタッフは︑幼ない子ども向けのテレビ広告が欺腸的で

( 3 8 )

3 9 )

 

あるかどうかという争点について何らの言及もしていない︒

小括

以上

4

九七八年二月の子ども向けテレビ広告

に関するスタッフ・レポート︑

一九

0

年の連邦取引委員会改

善法︑一九八一年三月三一日のスタッフの最終報告および勧告︑

ども向けテレビ広告に対して︑どういった判断を下したのか︑

まとめておこう︒まず︑問題となった子ども向けテレビ広告が 不公正となるかどうかという争点について︑続いて︑問題とな った子ども向けテレビ広告が欺職的となるかどうかという争点

0

年の連邦取引委員会改善法の制定によって︑﹁不公正﹂とい

う理論に基づいては子ども向けテレビ広告に関する規則の制定

~

そこで︑以下︑

スタッフが︑結局のところ︑問題となった子

か︑明らかにしてきた︒

九八一年三月=二日のスタ

て︑規制の要件をめぐってどういった議論が展開されてきたの 九八一年九月一日のスタッフの最終勧告をみることによっ

一九

0

それ

に対

し︑

一九八一年九月一日のスタッフの最終勧告にお 子ども向けテレあるかどうかを決定する必要はない︒

(3)

手続を継続することはできないということが規定されたので︑

スタッフは︑最終的には︑問題となった子ども向けテレビ広告

が不公正であるかどうかについて︑何らの判断も示さなかった︒

伺 問 題 と な っ た 子 ど も 向 け テ レ ビ 広 告 の 欺 眺 性 子 ど も 向けテレビ広告に関する規則の制定手続において問題となった 事実にかかる争点は︑三点ある︒すなわち︑第一は︑子ども向 けテレビ広告が︑幼ない子どもにどういった影響を及ぼすかと いうことである︒第二は︑砂糖入り食品のための子ども向けテ レビ広告が︑栄養についての子どもの態度等にどういった影響

を及ぼすかということである︒第三は︑砂糖入り食品の消費が︑

子どもの歯の健康にどういった影響を及ぽすかということであ

る︒そこで︑以下︑

それぞれの争点ごとに︑明らかにされた事 実についてスタッフがどういった判断を下したのか︑まとめる

ことにしよう︒

① 子 ど も 向 け テ レ ビ 広 告 が 幼 な い 子 ど も に 及 ぼ す 影 響

規則制定に向けた取り組みの過程では︑何歳の子どもであれば︑

子ども向けテレビ広告を適切に評価する認識能力をもたないの

かについて︑合意が得られていない︒そこで︑この点について︑

子ども向けテレビ広告が欺腸的となるかどうかを判断する必要

はない︒これが︑

しか

し︑

スタッフの最終的な見解である︒

スタッフの見解を詳細に検討してみれば︑次のこと

(b) 

は︑別の問題である︒また︑効果的な是正措置をとることがで レビ広告が欺職的であるかどうかということと︑それに対して もしれない︒しかし︑六歳以下の幼ない子どもに向けられたテ 告が欺眺的であるかどうかを決定する必要はないということか できなければ︑六歳以下の幼ない子どもに向けられたテレビ広 れば︑是正措置上障害があり︑効果的な是正措置をとることが

効果的な是正措置をとることができるかどうかということと きるかどうかとはかかわりなしに︑六歳以下の幼ない子どもに

向けられたテレビ広告が欺眺的であるかどうかを決定すること

には︑独立の意義がある︒

砂糖入り食品のための子ども向けテレビ広告が栄養につ

決定をおこなうべきであった︒もっとも︑スタッフの見解によ 欺職的であるかどうかについては︑少なくとも︑

スタ

ッフ

は︑

そこで︑六歳以下の幼ない子どもに向けられたテレビ広告が る ︒ 評価する認識能力をもっていない可能性があるということであ 二は︑六歳を超える子どもも︑子ども向けテレビ広告を適切に 適切に評価する認識能力をもっていないということであり︑第 第一は︑六歳以下の幼ない子どもは︑子ども向けテレビ広告を スタッフの最終的な見解であるということができる︒すなわち︑ が︑規則制定に向けた取り組みの過程で事実上明らかにされた

︱ 二

(4)

は必要ではないというのが︑ スタッフの最終的な見解である︒

い 砂 糖 入 り 食 品 の 消 費 が 子 ど も の 歯 の 健 康 に 及 ぼ す 影 響 規則制定に向けた取り組みの過程では︑砂糖の消費が虫歯の原 因となるということについては合意が得られたが︑虫歯の形成 に寄与する他の要素が存在するので︑食品が最低何パーセント の砂糖を含んでおれば虫歯を誘発する可能性があるのかという ことについては︑合意が得られていない︒また︑特定の食品が 虫歯の原因となる性質をもっているかどうかを識別する方法に

ついても︑合意が得られていない︒そこで︑この点については︑

子ども向けテレビ広告が欺職的となるかどうかを判断すること ( 3 4

)

拙稿﹁連邦取引委員会による子ども向けテレビ広告の規制

︵一︶﹂香川法学二巻一号一三七︑一四九頁(‑九八二年︶を

も参

照︒

( 3 5 )

F i  

n a l  

S t a f

f   R e

p o r t

,   s u p r a

o t   n

e ( l 2

) ,   a

t   4

. 

( 3 6 )

 

Id . 

a t  

2 3.  

は必要ではないというのが︑ 子ども向けテレビ広告が欺腸的となるかどうかを判断すること

スタッフの最終的な見解である︒ いては︑合意が得られていない︒そこで︑この点については︑

いての子どもの態度等に及ぼす影響 組みの過程では︑砂糖入り食品のための子ども向けテレビ広告 が栄養についての子どもの態度に影響を及ぼすということにつ

規則制定に向けた取り

︱ 二 五

( 3 7 )

なお︑この点については︑後述三四参照︒

( 3 8 )

ここでは︑一九八一年三月三一日のスタッフの最終報告および勧告における合意とは異なり︑規則の主題となる適切な年

齢層に関しても争いがあるとスタッフが主張しているとい

うことに︑留意しなければならない︒つまり︑子ども向けテ

レピ広告に関する規則の制定手続において問題となった︑事実にかかる争点すべてについて︑スタッフが合意できなかっ

たということである︒そのために︑スタッフは︑幼ない子ども向けのテレビ広告が欺腸的であるかどうかという争点に

ついて何らの言及もしなかった︒

( 3 9 )

なお︑一九八一年三月三一日のスタッフの最終報告および勧告に対しては︑次のような公衆のコメントが提出されてい

ーは︑スタッフ・レポートにおいて述べられた広告慣行が︑ CSP認識にかかる争点についてのコメント︒申立人である t こ ︒

連邦取引委員会法第五条のもとで欺職的となるとスタッフは認定すべきであると述べた︒また︑申立人であるACT

は ︑

子ども向け広告が欺腸的であるということを記録およびスタッフの認定は示していると主張した︒両グループは︑法的

議論をおこなうとともに︑テレビ広告が欺職的であるとの認

定を支持すると信じる事件を引用した︒約e

Su

mm

ar

o f  

C o

m m

e n

t s

,   s

u p r a

o t   n

e ( 6 )

,   a t  

9 10 . 

砂糖にかかる争点についてのコメント︒ACTは︑子どもが

テレビ広告を批判的に処理したり︑それに抵抗したりするこ

とができないかぎりで︑砂糖の消費が栄養上もつ意味を明らかにすることなく商業メッセージを子どもに伝えるのは︑欺

腸的であると主張した︒S

Id .a t  

15

1 6.  

(5)

一九八一年九月一日のスタッフの最終勧告において︑スタッフ ういった見解をとっているのか︑紹介しよう︒続いて︑

一九

引委

員会

が︑

うかである︒

0

月二日︑子ども向けテレビ広告に関する取引規制規則の制定

手続を終結するにあたって︑何らの言及もしていない︒しかし︑

規則制定に向けたその取組みの過程では︑吃ち人った議論がお

こなわれている︒そこで︑以下︑権限上の障害と憲法上の障害

( 4 1 )

 

に分けて︑検討をおこなうことにしよう︒

田 権 限 上 の 障 害 ま ず

︑ 一 九 七 八 年 二 月 の 子 ど も 向 け テ

レビ広告に関するスタッフ・レポートにおいて︑

一年三月三一日のスタッフの最終報告および勧告︑

なら

びに

が最終的にどういった見解をとっているのか︑紹介しよう︒ スタッフがど これらの問題については︑連邦取引委員会は︑ うかである︒

一九八一年

口 権 限 上 ま た は 憲 法 上 の 障

( 4

0 )  

問題となるのは︑次の点である︒すなわち︑第一は︑連邦取

示唆された是正措置を課す権限をもっているかど

というのは︑連邦取引委員会と連邦通信委員会が

競合する権限をもっているので︑はたして連邦取引委員会が実 際に執行権限をもつかどうかは︑改めて問題としなければなら

ないからである︒第二は︑連邦取引委員会による商業的言論の

規制は︑憲法に違反するものではないということができるかど

しかしながら︑連邦通信委員会は︑

一般

に︑

Jの分野におい かを審査することができる︒ この点︑連邦通信委員会は︑公益を考慮するに際して︑免許

人が流布する特定の広告物が欺職的な性質をもっているかどう

ては連邦取引委員会の権限が優先すると考え︑特定の広告物に

関する不服申立を連邦取引委員会に付託すると宣言してきた︒

同時に︑連邦通信委員会は︑欺職的な広告物を放送するのを避

けるために︑免許人は合理的な注意を払う義務を負い︑免許人

は連邦取引委員会の裁定や活動に注意をすべきであり︑しかも︑

免許人がこの要請に応じたかどうかが︑免許人が公益に合致す らおいていない︒ 一九七八年二月の子ども向けテレビ広告に関するスタッ

,1 , 

( 4 2 )  

フ・レポート連邦通信委員会は︑免許の付与が公共の便益︑

利益または必要に役立つ場合には︑放送事業者に対して免許を

与え︑免許人がこの基準を満たさなかった場合には︑申請を棄

却する権限を与えられている︒連邦通信委員会は︑また︑免許

しかし︑放送に関する一九三四年の通信法は︑虚偽かつ欺隔

的な信号または通信の意図的な伝達にかかる規定を除いて︑不

公正または欺眺的な行為または慣行にとくに言及する規定を何 ことができる︒ を停止したり取り消したり︑あるいは差止命令を発したりする

︱ 二

(6)

連邦通信委員会のこの政策は︑

された︑連邦通信委員会と連邦取引委員会の間での連絡協定に

おいて︑具体化されている︒それによれば︑連邦取引委員会が︑

不公正または欺腸的な商業広告を規制する優先的な責任を負 い︑連邦通信委員会が︑放送免許人の全般的な経営が公共の利 益︑便益および必要という通信法の基準に合致しているという

ことを確証する優先的な責任を負うということが承認されてい

こ ︒

一九七二年四月二七日に採択

ガイドラインを確立するための規則制定手続を開始しなかっ

現在︑連邦通信委員会は︑

︱ 二 七

コマーシャルの過剰や子ども向け

また︑連邦通信委員会は︑この理由︑および︑連邦取引委員 会の主として最近の活動を根拠として︑欺眺的な広告に関する

的に禁じるのが適切な道であると信じると述べた︒ うということを強調した︒ る経営をおこなったかどうかの決定にあたり審査されるであろ

. . .  

連邦通信委員会は︑欺眺的な広告物が放送されていないとい うことを確証するのに免許人が正当な注意を払わなかったとの 申立を審査する過程で︑欺職的な広告を規制する連邦取引委員 会の優先的な権限に敬意を払うという連邦通信委員会の政策を

支えている理由について︑議論をしてきた︒連邦通信委員会は︑

その資源が限られており︑また︑特定の広告物に関する主張の 理非を決定するのに必要な専門性が欠けているということを強

調し

た︒

る︒この協定の結論は︑放送メディアを含むすべてのメディア における不公正または欺眺的な広告を規制する︑すべての事項 に関する優先的な権限を連邦取引委員会が行使し︑連邦通信委 員会は︑免許の申請または免許の更新の申請を審査するにあた り︑この領域における関連事項を考慮に入れ続けるということ

であ

る︒

とでの放送にかかる争点とするのではなく︑

事実︑最近︑連邦通信委員会は︑定の放送広告慣行を規制

する連邦取引委員会の是正措置が適切であると認めた︒また︑

連邦通信委員会は︑広告物が虚偽かミスリーディングであると

認定されるなら︑それについてのクレームを︑﹁公正﹂原則のも

その広告物を全面 広告といった︑放送事業者の広告慣行を審査している︒後者の

主題に関するその聴聞の後に︑連邦通信委員会は︑いわゆる﹁販

売をおこなう主人公﹂を子ども向けコマーシャルにおいて用い

るのを制限し︑

また

︑ コマーシャルと番組の中身を明確に分離 することを要求する政策陳述を打ち出した︒その際︑連邦通信 委員会は︑子ども向けテレビ番組でのコマーシャルをすべて禁

止すべきであるかどうかという問題も同様に検討した︒しかし︑

それは︑子ども向け番組の質に影響を及ぼす可能性があるので

(7)

だけである︒すなわち︑第一は︑ 禁止は公益と合致しないという理由で︑禁止しなかった︒しかし︑政策陳述は︑産業のコードが確立した︑子ども向け広告の量に対する制限を暗に支持し︑また︑産業の自主規制が不充分と立証されるなら︑一層厳格な基準を打ち出す用意があると警告した︒もっとも︑連邦通信委員会は︑スナック食品︑ビタミン剤︑医薬品といった︑子どもに有害であると主張されている製品の広告が及ぽす影響を含む︑聴聞で提起されたいくらかの争点は︑扱わなかった︒というのは︑これらの争点の多くは︑子ども向け番組や︑食品広告における広告慣行に対して︑連邦取引委員会が現在進めている調査の主題であったからである︒

連邦通信委員会のこの宣言︑および連邦通信委員会と連邦取 引委員会の連絡協定から︑両機関は︑子ども向けテレビ広告を

規制する競合的な権限をもっているということがわかる︒

行政機関が競合的な権限をもつときの基本原理となるのは︑

次のことである︒すなわち︑同一の主題に関して二つの法が存 在するところでは︑可能なかぎり両法が執行されるべきである

ということである︒競合が認められないのは︑次のようなとき

一方の機関の制定法上の規定

が︑他方の機関のそれと相入れないほど矛盾するときである︒

第二は︑一方の機関が行き渡った規制の仕組みを執行しており︑

それが︑他方の機関による規制の実行によってそこなわれると 一九八一年九月一日のスタッフの最終勧告において︑スタッフ

一九

きである︒第三は︑競合的規制によって︑被規制主体が︑矛盾

子ども向けテレビ広告に関する︑連邦取引委員会と連邦通信

委員会の競合的権限の行使は︑これらの要素のいずれによって

も︑決してそこなわれるものではない︒両委員会が締結した連

絡協定は︑競合的権限の存在を支持している︒

ゆえに︑子ども向けテレビ広告を規制する連邦取引委員会の

権限は︑連邦通信委員会の権限を侵害するものではない︒

. " スタッフの最終的見解

ッフの最終報告および勧告においても︑

一日のスタッフの最終勧告においても︑

委員会が子ども向けテレビ広告を規制する権限を有するかどう

かという争点について︑何ら言及していない︒

2 憲法上の障害

まず

また

一九七八年二月の子ども向けテ

レビ広告に関するスタッフ・レポートにおいて︑スタッフがど

ういった見解をとっているのか︑紹介しよう︒続いて︑

一年三月三一日のスタッフの最終報告および勧告︑

なら

びに

が最終的にどういった見解をとっているのか︑紹介しよう︒

',~,

' . ︑

一九七八年二月の子ども向けテレビ広告に関するスタッ

( 4 3 )  

フ・レポート商業的言論は︑政治的言論とは違って︑伝統 スタッフは︑連邦取引 一九八一年九月 一九八一年三月=二日のスタ する要求に従わせられるときである︒

︱二 八

(8)

の者とは異なる特別の地位を占めている︒このことは︑アメリ カ合衆国の法制において以前から認識され︑適用されてきた原

理で

ある

︒ 憲法修正第一条の保障を支えている規定は︑子どもにはあて はまらない︒子どもは︑判断の成熟︑自分自身の選択のための 充分な能力︑および︑おとなにはそなわっていると法が想定す る︑時間および経験に由来する見通し︑を欠いている︒これら

の理由のために︑子どもは︑ なっている

おとなに拒否すれば違法となる一 一条に合致するものである︒

︶ a 

, ' ` `  

子どもは︑法のもとで︑特別のクラスに入る者である

的に︑憲法によって保護されない形態の言論と考えられてきた︒

しかし︑最近の最高裁判決は︑商業的言論が︑憲法修正第一条 の何らかの保護を享受すると判示した︒そこで︑この分野での 委員会の規制活動は︑それらの事件における判示によって︑禁 じられたり厳しく制約されたりするかどうかという問題が生じ

る︒しかし︑禁止されたり制約されたりしないというのが︑

ス タッフ・レポートの結論である︒子どもに向けてテレビ放映さ れる砂糖入り食品についての広告の︑適合するよう狭く調整さ れ︑また︑注意深く立案された︑委員会の規制は︑憲法修正第

子どもは︑憲法修正第一条の関係で︑他の視聴者とは異

子どもは︑憲法修正第一条の目的にとって︑他

︱ 二 九

に関して︑年長の子どもの視聴者と就学前および低学年の子ど 定のタイプの言論およびその他の活動から防御されてきた︒

最高裁判所は︑また︑子どもの利益が争点となっているのか︑

おとなの利益が争点となっているのかによって︑州の行為に対 する憲法修正第一条の制限が異なりうる︑ということを長い間

認めてきた︒

問題となっている言論に憲法修正第一条の保護がどれほど与

えられようとも︑その言論が子どもの視聴者に向けられるとき︑

言論の制限が︑正当な州の利益によって正当化される場合には︑

与えられる保護を合法的に減じたり︑また︑場合によっては排 除したりすることができる︒そういった州の利益として︑二つ のものを識別することができる︒第一は︑子どもの福利に対し てもつ親とか教師の利益である︒第二は︑若者の福利に対して

州がもつ独自の利益である︒

最高裁判所が支持した原理は︑憲法修正第一条の保障の前提 である︑自分自身による選択のための充分な能力を未成年者が 欠いているということを根拠として︑州は︑未成年者へのわい せつな︑またはその他の好ましくないものの拡布を合法的に制 限することができるということである︒さらに︑裁判所は︑未 成年者の年齢に基づいて︑意味のある憲法上の区別をすること ができると示唆した︒このことから︑テレビ広告へのその接近

(9)

子どもの態度および行状に及ぽす有害な影響を阻止するためで もを別々にとりあつかうことを定める委員会規制を憲法修正第

わい

せつ

物︑

または未成年者に有害と考えられるものが︑子

どもから合法的に制限されうるということは︑最高裁判所によ

って一貫して支持されてきた原理である︒

子どもへのわいせつ物の拡布を減らすのを支持する理由を考

えてみれば︑砂糖入り食品の広告といくらか類似していること

がわかる︒子どもが︑その知的および感情的未成熟のために性 的なものにとくに影響を及ぼされやすいと考えられるなら︑子

ども

は︑

一定の商業観念を受け人れるよう誘引するためにとく

に企図された︑高度に洗練されたテレビ広告物に比較的弱いと

いうことが帰結する︒両者のタイプの言論を国が制限するのは︑

ある︒わいせつ物および子ども向け広告の両者の拡布に対する 政府の制限は︑また︑自分が適していると考えるように︑子ど

. .  

もの道徳や︑栄養についての見解・習慣を処理する親の権利を

擁護するものである︒最後に︑子どもを感情の上で操作するか

食いものにする可能性のある言論から︑子どもを保護するにあ

たっての国の利益の方が︑両者の表現形態に接近することによ

って子どもが得るかもしれない限定的な利益にまさっている︒

印保護された権利に対する︑年齢を根拠とする制限は︑広 一条が排除しないということは︑明らかであろう︒

③  ているとの結論に基づくものであった︒ な憲法修正第二六条でさえ︑ く支持されてきた

一 三

保護されたと思われる言論の権利も︑子

どもが視聴者である場合には制約を受けるということを裁判所

が認めたのと同じように︑立法府も裁判所も︑正当な州の利益

を促進するために︑極めて重要なその他の権利が︑子どもに関

しては制約を受けるということを認めてきた︒年齢と基本的権

利の享受との結びつきについてのおそらく最も劇的な証明は︑

まさしく憲法それ自体の中にみいだされなければならない︒

公職

を求

め︑

の起

草者

は︑

① そ れ に つ く 権 利 は

︑ 憲 法 に よ っ て 保 護 さ れ

た権利である︒しかし︑公職を求める者が一定の年齢に達して

いない場合︑憲法それ自体が︑その権利を制約している︒憲法

おそらく︑諸問題および諸状況を処理する一定レ

ベルの成熟および能力が︑生活年齢とともに通常そなわるとい

うことを認めて︑これらの制限を課したもののように思われる︒

選挙

権は

② そ の 他 の 基 本 的 な 市 民 的 お よ び 政 治 的 権 利 を

維持するものであるので︑根源的である︒しかし︑自由主義的

一八歳以上の者にかぎって選挙権

を与えている︒選挙権に対するこの事前の年齢制限は︑一般に︑

公民権の知的で責任ある使用の能力を一八歳未満の市民は欠い

婚姻権は︑人間の基本的な市民権の︱つであり︑まさし

く民族の現存および残存にとって基本的であるといわれてき

(10)

移動する権利︑すなわち︑州から州へ自由に移るという

人権は︑我々の憲法体系において︑保護される地位を占めてい

る︒しかし︑運転免許の付与︑すなわち︑州内においてのみな らず︑州間において移動するための︱つの重要な手段は︑州法

によって︑一般に︑特定の年齢に達した者に制限されている︒

そのような年齢制限は︑成熟した個人を未成熟の個人から区別 するにあたり︑何らかの公平な関係があるという理由で︑正当

化されるものとして支持されてきた︒

⑥同じように︑私的契約の権利は︑市民の自由の少なざる ⑤  ことに基づくものであった︒ なうのに必要な成熟および理解を︑若年の市民は一般に欠いて た︒そのような制限は︑婚姻および性関係に関する決定をおこ た︒しかし︑未成年者の婚姻権は︑大部分の州で制限されてき

④社会において普通の職業に従事して︑生活のために働く 権利は︑個人の自由および機会のまさしくその本質である︒そ

こで

それを保障しようとしたのが︑憲法修正第一四条であっ

た︒しかし︑連邦および州の法は︑昔から︑一定の職業または

施設での子どもの雇用を制限したり禁止したりしてきた︒その ような制限または禁止は︑危険な活動の遂行に伴う︑身体の侵

害や搾取の危険を査定する能力を子どもがもっていないという いるということに基づいていた︒ ない︒幼児による契約または譲渡は︑その選択によって取り消 幼児は︑喫約によって自分自身を絶対的に拘束することはでき

すことができるというのが︑支配的な法のルールである︒それ

は︑自分自身の不用意および他の者の企図から自分自身を保護

するために︑幼児に与えられた権利である︒

これらの例が示すように︑子どもの権利や自由をいくらか制

約することを含む手段によって︑子どもを保護する州の広範な

権限は︑広く認められ︑適用されてきた︒

要するに︑保護をおこなうという政府の行為によって︑憲法

上重要な基本的権利を子どもが行使するのを合法的に制限する

ことができるなら︑子どもが理解したり評価したりすることが

できない︑高度に洗練されかつ説得をおこなう︑テレビ広告へ

の子どもの接近を政府は︑また︑制限することができる︒商業

的言論にかかる事件は︑この立場に全面的に合致している︒と

いうのは︑成熟したおとなは︑合理的で知的で情報を提供され

た上での経済上の決定をおこなうために︑商業情報に接近する

必要があるというのが︑それらの事件の要点であるからである︒

⑮商業的言論にかかる最近の事件は︑未成熟の子どもの視

聴者ではなく︑おとなの情報権を保護するものであった

商業的言論は︑今や︑憲法修正第一条の保護をいくらか

(7) 

部分を占めている︒しかし︑

いくらかの資格が条件となるが︑

(11)

のチャンネルを閉じるのではなく︑開くことである︒ その目的を達成するための最善の手段は︑ で

ある

ート・ボード・オプ・ファーマシー対バージニア・シティズン

( 4 4 )  

ズ・コンシューマー・カウンシルという画期的な事件において︑

最高裁判所は︑商業的言論が憲法修正第一条の保護すべてを欠

いているわけではなく︑合法的な活動についての広告を︑州が

完全に抑圧することはできないと判示した︒

バージニア・ファーマシー事件判決の意見において︑裁判所

は︑自由企業経済における広告の役割について次のように述べ

た︒我々が圧倒的に自由な企業経済を維持するかぎり︑我々の

資源の配分は︑数多くの私的な経済決定を通じておこなわれる

ことが大である︒それらの決定が︑総じて︑知的で充分に情報

を提供された上のものであるということは︑公益の問題である︒

この目的のためには︑商業的情報が自由に流れることが不可欠

また︑裁判所は︑次のように述べた︒人々は︑充分に情報を

提供されている場合にのみ︑自分自身の最高の利益を受け取る︒

コミュニケーション

もっとも︑商業的言論が全く憲法修正第一条の保護外にある 考えられた︒しかしながら︑

一九

七六

年に

バージニア・ステ

享 受 し て い る 伝 統 的 に

︑ 純 粋 に 商 業 的 な 広 告 は

︑ 憲 法 修 正

第一条の保護の範囲外にある表現の︱つのカテゴリーであると

ので

はな

く︑

~

したがって︑州による完全な抑圧に従うのではな

いと判示するにあたり︑裁判所は︑商業的言論と非商業的言論

との間には相違があるということを強調しようと腐心した︒裁

判所は︑これらの相違のために二つのタイプの言論の間で保護

の程度が異なるのが是認され︑また︑商業的言論に対する何ら

かの形態の規制が確実に許されうる︑ということを認めた︒

ィ商業的言論にかかる最近の事件を支える前提は︑未成熟

幼ない子どもに向けの子どもの視聴者にはあてはまらない

られる︑砂糖入り食品のためのテレビ放映される広告に対して︑

委員会が現在おこなっている調査は︑決して判決によって排除

されるものではない︒実際のところ︑最近の商業的言論にかか

る事件を支えている原理は︑次の命題と全面的に合致している︒

すなわち︑自分自身による選択のための充分な能力が欠けてい

るという設定で表現がおこなわれるところでは︑政府がその表

現を規制するのは︑憲法修正第一条の保障と共存し︑また︑そ

れを実施することにさえなるという命題である︒

商業的言論にかかる事件における最高裁判決を支えている重

大な前提は︑次のようなものである︒すなわち︑①商業的言論

は︑情報を提供された上での信頼することができる決定を確実

にすることで︑個人および社会の利益に役立つので︑憲法修正

第一条の保護に何がしか値する︒②我々の政治体制のもとでは︑

(12)

政府ではなく市民が︑政治的選択と同様に︑商業的選択もおこ

︵換言すれば︑社会の資源の配分は︑数多

くの私的な経済決定を通じることによって︑最も効率的におこ

なわれる︶゜③商業的言論は︑製品およびサービスの利用可能性︑

性質および価格を公衆に知らせるのに役立ち︑しかも︑我々の

自由企業体制における資源の配分において不可欠の役割を果た

す︒④最も重要なことであるが︑おとなは︑成熟しており︑ま

た︑判断力︑合理性︑評価能力︑および︑憲法修正第一条の保

障の前提条件である自分自身による選択のための充分な能力︑

をもっていると想定される︒⑤製品についての情報を州の市民

に全面的に知らせないようにすることで︑市民を保護するとい

う極めて保護統制的なアプローチに対する有効な代替は︑次の

ような想定をおこなうことである︒すなわち︑この情報それ自 体は有害ではなく︑充分に情報を提供された場合にのみ人々は 自分自身の最大の利益を享受し︑しかも︑その目的を達成する

ための最善の手段は︑コミュニケーションのチャンネルを閉じ

ることではなく︑開くことであるとの想定である︒

こういった前提を考えてみれば︑それらが子ども︑とくに幼

ない子どもの視聴者にはあてはまらない︑ということがわかる︒

幼ない子どもはとくに︑極端に影響を受けやすく︑通常おとな

に関しては想定される知覚能力︑経験︑判断力の成熟︑評価能 なうことが望ましい証拠は示しており︑ 力および合理的な決定過程を欠いているということを︑現在の

また︑法の先例は想定している︒そこで︑

おとなに対して適用することができる前提条件とは異なり︑次

のように想定することは合理的ではない︒すなわち︑非常に幼

ない子どもが︑矛盾しているか潜在的に有害であるコマーシャ

ルのメッセージを合理的に理解したり評価したりすることがで

きるとか︑競合する観念や製品選択の自由な流れにさらされた

とき︑情報を提供された上での信頼することができる決定を究

極的におこない︑自分自身の最大の利益を享受すると想定する

こと

であ

る︒

したがって︑商業的言論にかかる事件を支えている前提は︑

幼なく極度に未成熟の子どもの視聴者にはあてはまらないの

で︑それらの事件は︑ここで関連がある委員会の活動に対する

提案を拘束するものではない︒

け商業的言論にかかる最近の事件を支えている原理は︑視

聴者の利益を保護し︑情報を提供された上での信頼できる決定

を促進するということであり︑広告主の側での﹁話す権利﹂を

確 立 し た り 擁 護 し た り す る と い う こ と で は な か っ た 広 告 主

の側での「話す権利」は、主たる原理ー~重要な商業上の情報

を受け取るという、成熟した視聴者の権利を保護すること—|_

に単に付随しているにすぎない︒

(13)

たとえ広告主の側での﹁話す権利﹂をいくらか認知すべきで あるとしても︑広告主は︑自分が選ぶ視聴者はだれにでも﹁話

しかける﹂ことができるということが︑必然的に帰結するわけ

ではない︒話し手が一定の言論をおとなに拡布する憲法上の権 利をもつところでさえ︑その話し手は︑同一の言論を未成年者

に拡布する憲法上の権利をもっていないかもしれない︒情報を

提供された上での信頼できる決定が︑問題となっている広告の 拡布によって促進されない場合には︑未成熟で非常に影響を受

けやすい視聴者に対して︑人類に知られた最も説得的な伝達手

段を通じて述べる広告主の権利について︑委員会が制約を課す

ことは︑商業的言論にかかる最近の事件を支えている原理によ

っては排除されないであろう︒

3

社会の資源の知的で効率的な配分に貢献するという広告

の役割は︑未成熟の子どもの視聴者に向けられる広告によって︑

促 進 さ れ る こ と は な い 政 府 規 制 に 従 う の が 明 確 で あ る 商 業

的言論の︱つのカテゴリーは︑虚偽の︑欺腸的な︑またはミス

リーディングな広告である︑と最高裁判所は指摘している︒砂

糖入り食品についての︑子どもに向けてテレビ放映される広告

が︑欺職的またはミスリーディングであるかぎりで︑そのよう

な広告の委員会による規制または禁止は︑明らかに支持するこ

( 4 5 )  

とが

でき

る︒

するよう意図された種類の商業的言論ではない︒ 自由企業体制における広告の基本的な役割は︑公的および私 な流れを助長せず︑

一 三 四

欺職的およびミスリーディングな広告は︑連邦取引委員会法

第五条に基づいて禁止されており︑また︑憲法修正第一条の保

護を明らかに受けない︒というのは︑それが︑商品およびサー

ビスの誤った配分に寄与し︑それによって市場の効率を害する

からである︒子どもに向けてテレビ放映される︑砂糖入り食品

の広告は︑同じ批判を受けやすい︒それは︑商業的情報の有益

それゆえ︑憲法修正第一条の保護を商業的

言論に拡張することによって促進することが追求されている目

標に役立たない︒

的な決定に関連のある︑正確で信頼することができる情報を提

供することによって︑市場の効率性に寄与することである︒適

れる

とき

切に機能する広告は︑消費者の側での経済的合理性を想定して

( 4 6 )  

いる︒広告が︑評価能力を内在的に欠いている視聴者に向けら

そのような広告は︑資源の誤った配分を促進し︑結

果として市場の効率を害する︒幼ない子どもに向けられるとき

に欺眺的または不公正であると厳密に画定され︑かつ︑無益で

あるか正味の社会的損失をもたらす広告は︑連邦取引委員会が

市場行動︵消費者と競争者の両者の︶に関して専門性をもって

いるということを前提とすれば︑憲法修正第一条の保護を享受

(14)

約するという州の利益は高められる

商業的言論を規制する

最高裁判所は︑また︑最近︑テレビ視聴者がとらわれの性質

(イ)

いるということを知りさえしない︒

とな

る︒

のものであるのか︑に確実にあてはまるものである︒そのような子どもは︑

コマ

用いられるメ

(7) 

われ

る︒

のテレビ広告物によって現在提起されているものである︒ 護する必要性は︑とくに大きい ﹁電子放送メディアの特別問題﹂のために︑この形態のコ

ミュニケーションを通じて拡布される広告に関して子どもを保

﹁特別問題﹂としては︑放送

となっているという事実︑

(c) 

およ

び︑

コミュニケーションの前代未聞の力︑子どもがしばしば視聴者

とくに弱い子どもの視聴者 に対して電子メディアを通じておこなわれる放送広告が﹁とら われの聴衆﹂という争点を提起するという事実があるように思

電子放送メディアの﹁特別問題﹂としては︑コミュニケ

ーション様式としてのその前代未聞の力︑子どもが大部分の時 間帯で視聴者となっているという事実がある

ッセージがどういった性質のものであるのか︑視聴者がどうい

った年齢のものであるのか︑広告メッセージがどういった主題

ということは︑すべて︑どの範囲で商業的

言論の規制が可能であるかを査定するにあたって︑重要な要素

広告が﹁とらわれの聴衆﹂に向けられるとき︑言論を制 かどうかを決定するにあたり州が考量すべき要素として︑その

言論が﹁とらわれの聴衆﹂に向けられているかどうかがある︒

その要素は︑子どもというとらわれの聴衆に到達するために︑ 洗練されたテクニックを広告主が用いているときに︑

とらわれの聴衆という問題関心は︑ここでとくに関係がある︒

商業的言論に対する州による制約の合憲性を支持するにあた り︑裁判所は︑潜在的に有害な製品を子どもに売るために企図

され

とくに考

かつ用いられる︑洗練された広告技術に対して関心を示 した︒その関心はまさしく︑多量に砂糖の入った製品について 最高裁判所は︑最近︑とらわれの聴衆に向けられる私的な言

論を制限する利益を州がもつとのその立場を再確認している︒

とらわれのフォーラムを規制する州の利益は︑視聴者がメッ

セージを受け取るのを拒絶することができないという事実に由 来する︒この利益は︑幼ない子どもに向けられるテレビ広告物 シャルのメッセージの影響から逃れることはできない︒しばし

ば︑子どもは︑テレビ放映されるコマーシャルが説得を試みて をもっているということが︑行政機関がテレビでの言論を制限

するかどうかを決定するに際して許される考慮事項の︱つであ

ると判ホした︒

一 三 五

址されなければならない︒

(15)

こ ︑ ≫ 

ぷ ノ

メッセージに強い注意を向け︑

した

がっ

て︑

一層容易に

子どもに向けられる広告物の規制が必要であるかどうかを考

えるにあたって︑委員会は︑子どもがテレビというメディアに

••••

とらわれていると考えることができる︒おとなのテレビ視聴者

でさえとらわれの聴衆の構成員となっていると最高裁判所が想

定したということは︑注目に値する︒

さらには︑裁判所は︑テレビの習慣的な視聴者すべてが︑

のメディアにとらわれているということを認識した︒ そ

とらわれの聴衆に向けられるメッセージを規制する州の利益

は︑身体上の現実のとりこが存在する脈絡に限られるのではな

い︑ということが証明されている︒そうではなく︑州の利益は︑

メッセージが拡布されているフォーラムに身をさらすという心

理上のとりこや社会的な強制が存在する脈絡にも同じように及

ぶ︒確実に︑多くの場合︑子どもは︑テレビというメディアに

心理上とらわれているものと考えることができる︒実際のとこ

ろ︑言論を規制する州の利益は︑疑いもなく︑心理上のとりこ

の場合に一層強い︒というのは︑身体上とらわれている者は︑

メッセージにそっぼを向きさえすればよいからである︒それに

対して︑心理上とらわれている者は︑テレビを見る子どものよ

広告主のメッセージによって効果的に教化される︒広告主のメ

ッセージの効果および集積的影響によって︑子どもを育てる過 程での親の至上の利益がはなはだしく害されるところでは︑政府規制の論拠は強くなる︒

仙州は︑子どもを育てる過程での親の至上の利益を妨害す る 言 論 を 制 約 す る こ と に

︑ 正 当 な 利 益 を も っ て い る 最 高 裁

判所は︑子どもを好きなように育てるという親の権能を害する

言論の制約に州が利益をもっているということを認めてきた︒

親が︑教師とともに︑子どもの食事習慣をコントロールする

優先的な責任をもっているということは︑争いがない︒実際︑

子どもの健全な栄養習慣を促進することは︑子どもの監護およ

び養育にとって基本的である︒しかし︑子どもに向けられる︑

継続的で大量の食品広告を通じて︑幼ない子どもの食事習慣に

対して実質的な力を及ぽす立場に広告産業が成功裡に自己を置

子どもにとってのテレビの重要性と︑ いてきたという証拠が増えている︒親と教師は︑そのような広告が集積されたために︑子どもの食事習慣をコントロールする親の能力と︑子どもの健全な栄養感覚を促進する親と教師の責任の遂行がともに︑はなはだしく害されたと主張した︒さらに︑

その視聴習慣の浸透を考

慮に入れると︑親は︑子どもに対する大量の食品広告の影響を

相殺するために︑打ち消しや指針を提供し続けることはできな

ヽ~゜

幼ない子ども向けの︑テレビ放映される食品広告の集積的な

一 三

(16)

影響によって︑親および教師の各々の責任の遂行がはなはだし

<害されるなら︑この事実は︑憲法修正第一条によって要求さ れる比較衡量の過程で︑適切に考慮されうる︒危機にさらされ ている各々の利益の衡量を子ども向け広告の規制でおこなうに あたり︑委員会は︑次のような利益をその衡植過程に適切に含 任を親がもつというその主張が侵害されるのを阻止するとい

う︑親の社会的および個人的な利益である︒

い制限がおとなの権利を不当に侵害しないかぎりで︑また︑

採用された基準が子どもに関してまであいまいであったり過度 に一般的であったりしないかぎりで︑子どもを保護する目的で

の言論の規制は︑憲法修正第一条に合致している

二つの条件が充たされるかぎりで︑

われるということである︒

うのは禁止するが︑

裁判

所は

一定の形態の言論から子ど

もは保護されうると示唆した︒その二つの条件というのは︑第 一に︑おとなの正当な権利が制限の過程で不当に侵害されない ということであり︑第二に︑禁止は厳密に︑かつ正確におこな わいせつ物に関していえば︑未成年者がそのようなものを買

おとなが買うのは許すという規制が適切に

おこなわれておれば︑憲法上の問題は生じない︒

子どもに有害と考えられる印刷物または映画に関しては︑比 めることができる︒すなわち︑子どもを養育する権限および責

較的明確な執行のメカニズムが存在する︒たとえば︑未成年者 が︑成人向けの劇場に接近したり︑成人向けの書店でわいせつ

物を買うのを禁止するということである︒放送物に関しては︑

それを子どもに与えない一方︑おとなへの拡布をどのようにし

一層困難な問題がある︒また︑禁止が広すぎはしな

判例の分析によれば︑政府規制によって︑おとな向けのもの︑

または︑子どもを必然的に害したり子どもに必然的に不適切と

••••

おとなが接近するのが全面的に

いうわけではない表現様式に︑

妨げられるところでは︑そのような制約は憲法上許されない︑

ということが指摘されている︒他方︑判例によれば︑そのよう

なもののおとなへの拡布は許すが︑子どもへの拡布は禁じる︑

一層厳密におこなわれる規制は︑支持されるということが示唆 あいまいでもなく︑広すぎもせず︑商業的言論に接近するお

となの権利を不当に侵害しないように注意深く形成されている 委員会の規制活動は︑判例において確立された原則と矛盾しな い︒印刷メディアまたは映画に対するものとしての放送メディ アがかかわっているところで線引きをするということは︑必然

的に︑﹁時間帯﹂による制約︑および︵または︶視聴者に占める

幼ない子どもの無視できない数の存在によって画される制限と されている︒

一 三 七

いか

とか

あいまいではないかという問題も生じる︒

て許

すか

(17)

変のわいせつ﹂という基準が︑分析手段として有益である︒現

一定

の広

避妊薬の商業広告が︑おとなに対して︵または︑製品を認識す るということは︑二つの理論のもとで支持されうる いった︑要素を考慮するということを含んでいる︒制定法のその要請を遂行するにあたり︑委員会は︑おとなの視聴者の権利と︑保護を必要とする幼ない子どもの利益とを調整しようとしなければならない︒そうするにあたり︑委員会が︑その正当な目的を達成するのに必要な︑最もドラスティックでない手段を注意深く︑厳密に︑また︑できるだけ明確に用いるなら︑そのような規制活動は︑憲法修正第一条の要件と合致するであろう︒

①商業的︱=口論に対する時間帯による制約︑および︵または︶

視聴者構成による制約が︑委員会の是正措置として可能性があ

m

場合によっては保護されない広告︵﹁可変のわいせつ﹂に

類 似 し た

︶ お と な に 関 し て は 保 護 さ れ る 広 告 を 見 た り 聞 い たりするおとなの権利と︑放送視聴者である幼ない子どもに関

しては不公正であり︑また︵または︶欺職的である︑

告から幼ない子どもを保護するという公益とを調整する是正措

置を形成しようと試みるにあたっては︑最高裁判所が認めた﹁可

在提案されている規制は︑有益な分析手段としての﹁場合によ

っては保護されない広告﹂という概念を同じように呼びおこす︒

い内容と結びついた︑時間︑場所および態様の制約につい ての承認の出現伝統的に︑時間︑場所および態様の制約は︑

内容に対して中立的であった︒しかしながら︑最近︑少なくと

も広告に関しては︑内容と結びついた︑時間︑場所および態様

の制約が︑憲法上許されるということが徐々に裁判所によって

指摘されてきた︒たとえば︑保護することができるグループ︵た

とえば子ども︶が含まれている場合には少なくとも︑内容を根

拠にした︑広告の時間︑場所または態様に対する制約は︑憲法

上許されうるし︑そのようなメッセージを特定の時間帯に限る

わっ

てい

る︑

のを許すということが示唆されている︒

裁判官による最近の見解の大部分は︑広告の内容に関連する︑

時間︑場所または態様の制約が支持されうるのは︑とくに︑①

制約が重要な政府利益に役立つ︑②制約が放送メディアにかか

. . .

.  

および︑③成熟した視聴者の相当部分へのアクセ

スが許されている︑という場合であるとの主張に支持を与える︒

ることができるほど充分に成長しているために不快にされた未

成年者に対しては少なくとも︶不快を与えるということのため

に︑時間︑場所または態様の制約が支持されるなら︑多量に砂

糖の入った食品のためのテレビ放映される広告に︑幼ない子ど

もがさらされるという結果に関してもつ政府の正当な関心は︑

先見的に︑問題となっている広告の内容に基づく類似の制限を

支持

する

一三 八

(18)

成熟した視聴者への適切なアクセスの問題に関しては︑シガ

. . .

. .  

レットの放送広告の全面的禁止が支持された状況とは異なり︑

ここでは︑テレビ放映される砂糖入り食品広告すべての全面的

な禁止は考えられていない︒関心のあるおとなは︑おとなの番

組を

通じ

て︑

また︑印刷広告︑店内の販売促進︑ダイレクト・

メールなどを通じて︑

ることができる︒ そのような製品広告へ依然として接近す

商業的情報への適切な接近に対するおとなの権利を保障する

と同時に︑子どもの視聴者を保護するために︑時間︑場所また

は態様の制限を内容に基づいて広告に課すという考えを用いる

ことは︑総じて︑時間︑場所および態様の制約という伝統的理

論を︑差しせまった必要に適応させることになる︒

⑧憲法修正第一条の比較衡量というテストに基づいてさ

え︑テレビ放映される子ども向け広告の委員会規制は許されう

る子どもに対する︑テレビ放映される砂糖入り食品につい

ての広告の﹁不公正﹂を︑記録が確立するかぎりで︑委員会は︑

正当に︑一連の要素を考量することができる︒その一連の要素

となるのは︑次のものである︒すなわち︑①商業的言論にかか

る最近の事件の基礎にある前提および原理︵たとえば︑情報の

必要性︑および︑情報を提供された上での信頼できる決定を容

易にする目的で︑重要な商業的情報を受けとる成熟した視聴者 の権利︶︑②子どもの視聴者の性格︵たとえば︑説得にとくに弱いとか︑おとなの消費者の判断︑成熟︑評価・決定能力を欠くといった︶︑③問題となっている広告が︑電子放送メディアを通じて拡布され︑子どもという視聴者による無限定のアクセスおよび無比の影響という﹁特別問題﹂をもたらすという事実︑④保護されることが求められている子どもという視聴者は︑テレビメディアの﹁とらわれの聴衆\すなわち︑特別の配慮および保護を伝統的に是認してきた人物であるという事実︑および︑⑤子どもという視聴者への広告を制約することを求めるにあたり︑委員会は︑子どもを育てる過程での親の至上の利益がはなはだしく妨げられるのを終わらせようとしているという事実︑る

︵し

かし

おとなは︑視聴する憲法上の権利をもつかもしれ

ない︶︑テレビメディアを通じておこなわれる広告放送を規制す

るという委員会の要請は︑調整という困難な問題を提起する︒

しかしながら︑委員会は︑その正当な目的を達成するのに必要

な︑最も制約の少ない是正措置を形成することによって︑この

要請を合憲的に遂行することができる︒採用された是正措置が︑

注意深く練られ︑正確に起草され︑また︑成熟した視聴者がそ

のような製品情報に継続的に接近することが許される︵充分な で

ある

一 三 九

子どもの視聴者にとって不公正および︵または︶欺職的であ

参照

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