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首都大学東京 博士(観光科学) 学位論文(課程博士)

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首都大学東京 博士(観光科学) 学位論文(課程博士)

論文名:江戸後期における行楽空間の特徴に関する歴史地理学的研究 著者:洪 明真

審査担当 主査

副査

副査

上記の論文を合格と判定する 平成 年 月 日

首都大学東京 都市環境科学研究科 教授会

研究科長

(2)

江戸後期における行楽空間の特徴に関する歴史地理学的研究

The Historical Geographical Study on Characteristics of Tourism spaces in the Late Edo Period

洪 明真

MYUNGJIN HONG

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要旨

歴史地理学は、地域の復原と変遷を重要なテーマとしている研究である。歴史地理 学では、特定の歴史的背景における景観形成とその要因や諸問題が考察され、地域変 化のプロセスやメカニズムが解明されている。歴史地理学の研究方法は、研究者が過 去の人間によって表現された自然や人文の現象を「実体視」し、過去における場所・

地域・景観・空間と人間集団の行動などを復原し、それらの相互作用の仕組みや構造 を歴史的な記録から解明することを基本としている。江戸の都市空間に関しては、城 下町の成立に基づいて町人地・武家地・寺社地などの土地利用、および街道や水路な どのインフラストラクチャーの配置計画、さらに江戸の名所からみた都市文化や商品 流通による市場構造などが研究の対象となってきた。本研究は、江戸の行楽空間に注 目し、江戸後期の買物案内書と絵図を用いて、歴史地理学の方法で行楽空間を復原し、

その特徴と構造を最終的に解明することを目的とした。江戸における社会文化的な事 象は、地誌とそこに描かれた挿絵や錦絵、および江戸切絵図や、買物案内書、そして 日記などに反映されている。本研究は、当時の人びとの買物行動に着目し、江戸町人 地の日本橋地域と下谷地域を対象地域とした。本研究は、錦絵と挿絵の視覚史料およ び『江戸買物案内』と『江戸名物酒飯手引草』文献史料を組み合わせて歴史 GIS によ り行楽空間を復原し、その特徴と構造を究明した。

日本橋地域の視覚史料によれば、河岸、川船、人物、商業活動などが主な描写対象 であった。描写対象の川船は庶民の行楽行動および移動手段のひとつであることが歴 史記録や絵図から明らかになった。特に、日本橋地域の川船は物資を輸送する廻船と、

庶民の行楽に用いられる遊覧船、屋根船、茶船、猪牙船に区別することができる。江

戸後期の日本橋地域では後者のタイプの川船が多くなり、それは日本橋地域において

行楽空間が形成されたことを示している。さらに、本研究は日本橋地域の文献史料の

データを買回り品サービスと日常品サービスのカテゴリーに分け、歴史 GIS を用いて

地図化して行楽空間を復原した。復原された歴史地図によれば、高級な買回り品や会

席料理を提供する飲食店は特定の町もしくは川沿い立地していた。特に、会席料理の

店舗は初音の馬場、見世物や花火が見物できる両国橋、見世物と芝居小屋があった場

所に、買回り品の店舗は川沿いや街道沿いの買回り品がある商店街に多く立地する傾

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向にあり、そのような地域で行楽空間が形成された。他方、茶漬・蕎麦・寿司のよう な簡素で比較的低価な商品を扱う飲食店や日常品の店舗が、西の東海道沿いと中山道 沿いに分散的に立地し、芝居茶屋が多かった葺屋町に集中していた。したがって、日 本橋地域では、商業空間のなかで高級料理や買回り品など行楽的な指向の強い業種の 店舗が集積することで行楽空間が形成されてきたといえる。

一方、江戸下谷地域の視覚史料は、東叡山寛永寺とその周辺に植栽された桜、およ び晴れ着で装った女性を描写の対象としていた。桜は江戸本来の普遍的な植生でなく、

寺社の植生としては稀なものであった。幕府は、東叡山寛永寺の建造で桜を大量に植 栽し、その後も、桜の品種構成の変更と増殖が図られた。幕府による桜の植樹政策は、

為政者の権威を示すとともに、江戸庶民に行楽の場所を提供することになった。かく して、桜は下谷地域に人びとを誘引する契機となり、行楽空間の形成要因のひとつと なった。そのような経緯から、下谷地域でも、高価な飲食や買回り品を中心とした商 業活動が行われてきた。高級な会席料理と蒲焼を提供する店舗は、寛永寺周辺の町に 集中しており、比較的低廉な商品を提供する簡素な飲食店は、根岸の山林地や浅草方 面へ向かう街道沿いに立地していた。したがって、下谷地域の行楽空間は宗教空間に 関連して形成され、その発展は桜の植栽による人出の増加を契機としていた。全体的 にみると、下谷地域は宗教空間と商業空間によって構成される門前町であったが、そ れらの空間の境界地により高価な買い回り品の店舗や高級飲食店が立地することに より、盛り場としての行楽空間が形成された。

歴史地理学の方法で復原された日本橋地域と下谷地域を比較すると、日本橋地域は、

買い回りの商品の流通と販売の機能が卓越する商業空間と日常的な商業機能を含む 生活空間により構成され、江戸後期の旅や見物の大衆化にともない膨大な人的・物的 資源の移動や流通が加わり、買回り品を取り扱う店舗は消費とその観覧(現代のウィ ンドウショッピング)を楽しむ場となった。その場所は主要街道沿いや中央河岸、お よび特定の街区でみられ、それらの空間は行楽空間としての役割を担うようになった。

他方、下谷地域は寺社地としての宗教空間と、その門前町としての商業空間により構

成されていた。宗教空間が桜の植栽や祝祭の場(「ハレ」の場)として発展し、多くの

人出が確保されるようになると、宗教空間と商業空間の境界に買回り品の店舗や高級

料亭など買い回りのサービスを提供する店舗が立地し、行楽空間が形成された。江戸

(5)

後期における大衆文化の成熟は、徒歩圏である身近な地域での行楽を発達させ、その

行楽のひとつが消費行動であった。消費行動は日常の買物と買回り品の買物に大別で

きるが、買回り品の買物行動が行楽と関連している。日本橋地域や下谷地域で明らか

にされたように、買回り品を扱う店舗や買回りのサービスを提供する高級料亭の集積

が行楽空間の形成を確かなものにした。江戸後期の日本橋地域や下谷地域の視覚史料

の分析でも、それぞれの行楽空間の登場人物は武士や町人の男性だけでなく、特に町

人の女性の存在が強調された。したがって、商業空間の買回り化や高級化、あるいは

非日常化は行楽空間の形成の原動力になっており、そのような仕組みは現代における

都市観光の原点になっていることが明らかになった。

(6)

目次

第1章 序論 ··· 1

1.1 研究背景 ··· 1

1.1.1 江戸の都市空間と行動文化に関する研究 ··· 1

1.1.2 歴史GISによる地域空間の研究 ··· 5

1.1.3 デジタルアーカイブによる史料の活用性 ··· 9

1.2 本研究の目的 ··· 10

1.3 本研究の新規性と意義 ··· 11

第2章 本研究のアプローチと方法 ··· 14

2.1 歴史地理学 ··· 14

2.2 歴史地理学の方法論 ··· 15

2.3 本研究の方法 ··· 16

2.4 史料の吟味 ··· 17

2.4.1 視覚史料 ··· 17

2.4.1.1 「錦絵」 ··· 17

2.4.1.2 名所案内記の「挿絵」 ··· 18

2.4.1.3 江戸の大縮尺地図「江戸切絵図」 ··· 19

2.4.2 文献史料 ··· 21

2.4.2.1 『江戸買物独案内』 ··· 21

2.4.2.2 『江戸名物酒飯手引草』 ··· 22

2.4.3 その他の照合資料 ··· 23

2.4.4 史料の妥当性 ··· 24

(7)

第3章 本研究で復原する地域 ··· 27

3.1 江戸の範囲 ··· 27

3.2 本研究で復原する地域「江戸の町人地」 ··· 29

3.2.1 古町の日本橋地域の概観 ··· 30

3.2.2 新町の下谷地域の概観 ··· 32

3.3 研究対象地域の位置付け ··· 33

第4章 江戸日本橋地域における空間復原 ··· 39

4.1 視覚史料による江戸日本橋地域の景観 ··· 39

4.1.1 視覚史料による江戸日本橋地域の描写対象 ··· 39

4.1.2 江戸日本橋地域の描写対象「河岸」 ··· 41

4.1.3 描写対象の「川船」と行楽行動の関わり ··· 43

4.2 歴史GISによる江戸日本橋地域の空間復原 ··· 51

4.2.1 文献史料による江戸日本橋地域のデータ作成 ··· 51

4.2.2 江戸日本橋地域の復原地図の作成方法 ··· 52

4.2.2.1 江戸日本橋地域における町割りとその特定に関して ··· 52

4.2.2.2 江戸日本橋地域における復原地図の作成方法 ··· 54

4.2.3.3 歴史GISよる江戸日本橋地域の商業空間の可視化 ··· 56

第5章 江戸下谷地域における空間復原 ··· 73

5.1 視覚史料による江戸下谷地域の景観 ··· 73

5.1.1 視覚史料による江戸下谷地域の描写対象 ··· 73

5.1.2 江戸下谷地域の描写対象「東叡山寛永寺」 ··· 76

5.1.3 描写対象の「桜」と行楽行動の関わり ··· 78

(8)

5.2 歴史GISによる江戸下谷地域の空間復原 ··· 86

5.2.1 文献史料による江戸下谷地域のデータ作成 ··· 86

5.2.2 江戸下谷地域の復原地図の作成方法 ··· 87

5.2.2.1 江戸下谷地域における町割りとその特定に関して ··· 87

5.2.2.2 江戸下谷地域における復原地図の作成方法 ··· 87

5.2.3.3 歴史GISよる江戸下谷地域の商業空間の可視化 ··· 89

第6章 江戸行楽空間の構造の比較 ··· 99

第7章 結論 ··· 106

参考文献 ··· 109

付録 ··· 116

謝辞 ··· 125

図題 図1 歴史地域統計データの整備による歴史地図作成の事例 ··· 13

図2 歴史地理学での歴史GISによる空間復原の例 ··· 13

図3 『江戸買物独案内』 ··· 26

図4 『江戸名物酒飯手引草』 ··· 26

図5 「旧江戸朱引内図」 ··· 36

図6a 「東都下谷絵図」 ··· 37

図6b 「根岸谷中日暮里豊島辺図」 ··· 37

図6c 「今戸箕輪浅草絵図」 ··· 38

図7 江戸の土地利用の形態 ··· 38

図8a 「東都名所 日本橋真景 并二魚市全図」歌川広重作 ··· 46

(9)

図8b 『江戸名所図会』の「日本橋」 ··· 46

図9 江戸日本橋地域における河岸 ··· 48

図10 江戸後期の日本橋地域における「川船」 ··· 49

図11 利根川水系の川船(高瀬舟)による行楽行動 ··· 50

図12 昭和5年の帝都復興事業の区画整理後の日本橋地域の土地変化 ··· 61

図13 日本橋地域におけるポイントコントロール設定(現在と昭和5年) ··· 62

図14 明治期市区改正前の日本橋地域へ遡るためポイントコントロール設定 ··· 63

図15 歴史GISにより復原した日本橋地域の「町」 ··· 65

図16 江戸日本橋地域における「薬関係」商店の立地 ··· 66

図17 江戸日本橋地域における「灯火関係」商店の立地 ··· 67

図18 江戸日本橋地域における「履物関係」商店の立地 ··· 68

図19 江戸日本橋地域における「装飾関係」商店の立地 ··· 69

図20 江戸日本橋地域における「茶と菓子」商店の立地 ··· 70

図21 江戸日本橋地域における「飲食店」の立地 ··· 71

図22 江戸日本橋地域における「書物関係」商店の立地 ··· 72

図23 寛文2(1662)年『江戸名所記 一巻』目録四「東叡山」 ··· 81

図24 「東都名所 上野東叡山全図」 ··· 80

図25 「東都上野花見之図 清水堂」 歌川広重初代作 ··· 83

図26 天保5(1834)年の『江戸名所図会』「東叡山寛永寺」 ··· 83

図27 明和9(1772)年の『江戸砂子温故名蹟誌』、 「東叡山」 ··· 84

図28 寛文2(1662)年『江戸名所記 一巻』目録四「東叡山」 ··· 84

図29 延宝5(1677)の『江戸雀』の「上野」 ··· 85

図30 『江戸遊覧花暦』 「東都名所 上野東叡山全図」 ··· 85

(10)

図31 現在の下谷地域の空間データ ··· 94

図32 下谷地域の重ね合わせ地図 ··· 94

図33 江戸下谷地域の復原地図 ··· 95

図34 江戸下谷地域における商業活動のカテゴリー別の立地 ··· 96

図35 江戸日本橋地域における行楽空間の復原 ··· 104

図36 江戸下谷地域における行楽空間の復原 ··· 105

図37 江戸日本橋地域の行楽空間の構造 ··· 108

図38 江戸下谷地域の行楽空間の構造 ··· 108

表題 表1 視覚史料による日本橋地域の描写対象 ··· 47

表2 下総国の境町より江戸日本橋への旅人 ··· 50

表3 江戸日本橋地域の「町」データ ··· 64

表4 視覚史料による下谷地域の描写対象 ··· 82

表5 江戸下谷地域の池之端仲町における商業活動 ··· 97

表6 江戸下谷地域の山下における商業活動 ··· 98

表7 江戸下谷地域の広小路における商業活動 ··· 98

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1

第 1 章 序 論

1 . 1 研 究 背 景

1 . 1 . 1 江 戸 の 都 市 空 間 と 行 動 文 化 に 関 す る 研 究

江 戸 の 都 市 空 間 に 関 し て は 、 歴 史 学 、 地 理 学 、 都 市 学 、 建 築 学 な ど の 分 野 で 空 間 構 造 に 着 目 し た 研 究 が 膨 大 に 蓄 積 さ れ て い る 。 城 下 町 の 成 立 に 基 づ い た 町 人 地 ・ 武 家 地 ・ 寺 社 地 に よ る 土 地 利 用 、 街 道 と 水 路 の 都 市 建 設 の 計 画 、 江 戸 の 旅 と 名 所 か ら み た 都 市 文 化 、 商 品 の 流 通 と そ の 市 場 構 造 な ど 様 々 な 研 究 課 題 が 取 り 上 げ て き た 。 全 国 各 地 の 城 下 町 絵 図 か ら 都 市 計 画 の 類 型 化 と 変 容 に よ る 近 世 都 市 の 形 態 論 に 関 す る 研 究 ( 矢 守 、 1 9 7 0 ) が 代 表 的 で あ る 。 こ の よ う な 、 日 本 の 封 建 社 会 の 成 立 と 構 造 論 や 国 家 論 か ら の 視 点 に よ る 都 市 研 究 が 戦 後 か ら 1 9 6 0 年 代 ま で に 検 討 さ れ て き た ( 鈴 木 、 2 0 0 1 ) 。

1 9 7 0 年 代 に 入 っ て か ら は 、 都 市 内 部 を 構 成 す る 町 と そ こ で

生 活 し た 人 間 集 団 の あ り 方 を 解 明 す る 研 究 が 行 わ れ る よ う に な っ た 。 例 え ば 、 玉 井 ( 1 9 7 7 ) の 研 究 で 、 江 戸 の 町 人 地 の 京 橋 地 域 と 日 本 橋 地 域 の 土 地 価 格 を 主 要 街 道 と の 位 置 関 係 か ら 示 し 、 町 人 の 社 会 的 地 位 の 比 較 と そ の 地 域 的 差 異 を 明 ら か に し て い る 。

近 年 、 江 戸 に お け る 土 地 変 化 に 関 し て は 、 岡 本 ( 2 0 0 4 ) に よ る 町 人 地 の 研 究 が あ げ ら れ る 。 過 去 の 生 活 空 間 の 有 効 な 情 報 と も 評 価 さ れ る 「 江 戸 沽 券 図 」 と 「 明 治 沽 券 図 」 を 基 に 、 日 本 橋 ・ 京 橋 ・ 銀 座 の 3 地 区 を 事 例 と し て 、 街 区 と 町 屋 敷 の 状 況 を 示 し た 。 明 暦 の 大 火 以 降 に 行 わ れ た 都 市 整 備 に よ る 町 割 り の 変 化 を 比 較 し 、 江 戸 の 空 間 を 検 討 し た 。 ま た 、 田 中 ・ 古

田 ( 2 0 1 0 ) の 研 究 で は 、 明 暦 大 火 の 前 後 に 作 成 さ れ た 「 寛 永 江

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2

戸 全 図 」 と 「 明 暦 江 戸 大 絵 図 」 を 比 較 し 、 寺 社 地 ・ 武 家 地 ・ 町 人 地 の 立 地 移 動 を 地 図 で 示 し そ の 変 化 を 明 ら か に し て い る 。

1 9 8 0 年 代 以 降 は 、 多 様 な 分 野 か ら 江 戸 の 社 会 文 化 的 な 事 象

か ら 当 時 の 人 び と の 生 活 に 着 目 し た 研 究 の 傾 向 が 見 ら れ た 。 と り わ け 、 江 戸 の 行 動 文 化 に 関 す る 研 究 で あ り 、 盛 り 場 、 江 戸 名 所 、 旅 、 寺 社 参 詣 と 人 間 行 動 の 関 わ り で 検 討 が こ れ ま で 行 わ れ た 。 こ こ で 、「 行 動 文 化 」 と は 、 寺 社 参 詣 、 名 所 を 巡 る 旅 行 、 納 涼 、 祭 礼 、 開 帳 、 生 け 花 、 踊 り な ど 江 戸 後 期 に お け る 文 化 現 象 を 把 握 す る 概 念 で あ り 、 「 遊 芸 文 化 の 諸 領 域 」と「 遊 芸 以 外 の 広 汎 な 文 化 領 域 」 に 分 類 さ れ て い る ( 金 子 、 1 9 9 5 )

1

。 こ れ ら の 文 化 的 行 動 の 活 性 化 の 背 景 に は 、 交 通 網 の 発 達 や 流 通 、 都 市 人 口 の 増 加 、 経 済 的 交 流 が あ げ ら れ る 。

以 上 の 江 戸 の 行 動 文 化 を 含 め 、 江 戸 名 所 と 江 戸 旅 に 関 し て は 、「 旅 日 記 」 あ る い は 「 紀 行 文 」、「 名 所 案 内 記 」 な ど の 歴 史 記 録 か ら わ か っ て き た

2

。 江 戸 中 期 以 降 に な る と 、 旅 日 記 が 多

1

「 遊 芸 と か 物 見 遊 山 ・ 縁 日 ・ 祭 礼 ・ 見 世 物 ・ 開 帳 な ど へ の 殺 到 、 あ る い は 芝 居 ・ 吉 原 な ど の あ そ び 、 ま た 、 遠 く 、 富 士 ・ 御 嶽 ・ 大 山 ・ 江 ノ 島 な い し は 伊 勢 ・ 熊 野 ・ 西 国 三 十 三 所 ・ 四 国 八 十 八 カ 所 ・ 北 陸 二 十 四 輩 巡 礼 な ど へ の 参 詣 の 旅 、 ま た 金 沢 八 景 ・ 玉 川 八 景 ・ 江 戸 近 郊 八 景 ・ 隅 田 川 八 景 と か 、 箱 根 へ の 温 泉 湯 治 の あ そ び な ど 、 き わ め て 広 い 生 活 領 域 に わ た っ て お り 、 菊 人 形 と か 上 野 ・ 墨 堤 ・ 飛 鳥 山 ・ 品 川 御 殿 山 ・ 小 金 井 堤 な ど に お し か け た 花 見 の 群 集 の 行 動 な ど を も ふ く め て 、 こ れ を 行 動 文 化 と い う 。」 西 山 松 之 介 『 江 戸 の 生 活 文 化 第 三 巻 』 吉 川 弘 文 館 、 1 9 8 3 。

2

江 戸 の 住 民 が 名 所 を 訪 れ た こ と は 、文 政 3 年 以 降 に 書 か れ た 日 記 か ら 絶 え ず 遊 び ま わ っ た こ と が わ か る 。 神 田 雉 子 町 の 町 名 主 で あ り 、『 江 戸 名 所 図 会 』 の 著 者 で あ る 斎 藤 月 岑 ( サ イ ト ウ ケ ツ ゲ ツ シ ン ) も 、文 政 末 か ら 明 治 初 期 ま で 毎 日 日 記 を 書 い て い る 。 例 え ば 、 正 月 は 日 本 橋 地 域 の 境 町 と 葺 屋 町 の 初 春 芝 居 を 見 に 行 き 、 3 月 は 上 野 に 花 見 に 出 か け て い た 。 こ の よ う な 行 動 は 毎 年 繰 り 返 し て 行 っ て い た 。① 西 山 松 之 介 『 江 戸 学 入 門 』 筑 摩 書 房 、 1 9 8 1 。 ② 千 葉 正 樹 『 江 戸 名 所 図 会 の 世 界

― 近 世 巨 大 都 市 の 自 画 像 ― 』 吉 川 弘 文 館 、 2 0 0 1 。

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3

く 書 か れ て お り 、 こ の 頃 か ら 旅 が 盛 ん に な っ た と 後 世 の 研 究 者 ら は 解 釈 し て い る 。 旅 日 記 や 名 所 案 内 記 な ど の 出 版 物 の 登 場 は 、 江 戸 時 代 に お け る 教 育 の 向 上 が そ の 背 景 に あ る 。 そ の な か で も 、旅 日 記 の 登 場 の 根 本 的 な 要 因 は 寺 社 参 詣 で あ っ た 。

本 来 、 旅 は 江 戸 の 寺 社 の 本 山 や 本 宮 が 、 山 城 国 ・ 大 和 国 ・ 河 内 国 ・ 和 泉 国 ・ 摂 津 国 の 西 国 に あ っ た こ と か ら 、 東 国 か ら 西 国 へ の 旅 で あ っ た

3

。 そ れ が 、 参 勤 交 代 の 実 施 と 共 に 、 藩 の 用 務 な ど で 来 る 武 士 達 、 訴 訟 で 来 る 人 達 に よ り 、 江 戸 に 長 く 滞 在 し た た め 、 江 戸 の 各 地 を 見 て 回 る よ う に な っ た 。 紀 州 藩 士 酒 井 伴 四 郎 の 日 記 は 、 万 延 元 ( 1 8 6 0 ) 年 5 月 1 1 日 か ら 1 1 月 3 0 日 ま で 1 9 5 日 間 の 、 江 戸 で の 行 動 を 記 録 し た 。 酒 井 伴 四 郎 は 勤 務 を し て い な い 時 に は 江 戸 見 物 や 参 詣 を し て お り 、 移 動 経 路 や 、 買 物 、 飲 食 な ど の 行 動 を 詳 細 に 書 い て い た

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一 方 で 、 江 戸 で 生 活 し て い た 江 戸 市 民 や 江 戸 を 訪 れ た 人 び と が 集 ま る 地 域 は 、 『 江 戸 名 所 図 会 』 な ど の 名 所 案 内 記 に 描 か れ て お り 、 そ の 様 子 が う か が え る 。

以 上 に あ げ た 江 戸 の 都 市 空 間 と 行 動 文 化 を 継 承 し て い る 研 究 は 、 こ れ ま で に 歴 史 地 理 学 分 野 で 数 多 く 研 究 さ れ て い る 。 金 子 ( 1 9 9 5 ) で は 、『 江 戸 名 所 図 会 』 の 挿 絵 6 5 6 図 に 描 か れ た 内 容 を 、 宗 教 ・ 社 会 ・ 自 然 ・ 歴 史 関 係 の 4 つ の 分 類 か ら 、 江 戸 に お け る 行 楽 行 動 の 要 因 と し て 検 討 し 、 さ ら に 、 挿 絵 に 登 場 し た 人 物 図 像 か ら 江 戸 の 行 楽 地 の 特 徴 と 地 域 性 を 説 明 し て い る 。

千 葉 ( 2 0 0 1 ) は 名 所 案 内 記 類 を 解 説 ・ 比 較 し 『 江 戸 名 所 図 会 』

の 史 料 的 価 値 を 再 評 価 し 、 絵 図 に 描 か れ た 様 々 な 事 象 を 通 じ

3

西 国 へ の 旅 の 目 的 地 ま で 着 く 過 程 の な か で 、有 名 な 寺 社 や 名 所 を 取 り 入 れ な が ら す る の が 一 般 的 な 旅 の あ り 方 で あ っ た 。 山 本 光 正 『 江 戸 見 物 と 東 京 観 光 』 臨 川 新 書 、 2 0 0 5 。

4

東 京 都 江 戸 東 京 博 物 館 『 酒 井 伴 四 郎 日 記 ― 影 印 と 翻 刻 ― 』

東 京 都 江 戸 東 京 博 物 館 調 査 報 告 書 第 2 3 集 、 2 0 1 0 。

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4

て 過 去 の 空 間 分 析 の 方 法 を 深 化 さ せ た 。 『 江 戸 名 所 図 会 』 に 描 か れ た 人 物 や 植 生 、 建 物 形 態 の 図 像 と そ の 位 置 関 係 な ど か ら 江 戸 の 空 間 を 解 明 し て い る 。 阿 部 ( 2 0 1 2 ) は 、 江 戸 後 期 に 刊 行 さ れ た 2 つ の 名 所 案 内 記 、歌 川 広 重 作 の『 絵 本 江 戸 土 産 』と『 江 戸 名 所 図 会 』 に 描 か れ た 挿 絵 を 比 較 し な が ら 、 そ れ ら の 描 写 対 象 の 分 類 と 分 布 か ら 江 戸 の 行 動 文 化 を 示 し て い る 。

近 年 で は 、 古 田 ( 2 0 1 4 ) が 寺 社 参 詣 と の 関 わ り で 、 江 戸 周 辺 地 域 の 寺 社 参 詣 の 「 六 阿 弥 陀 参 」 の 3 つ を 取 り 上 げ 、 地 誌 書 と 挿 絵 の 内 容 を 比 較 ・ 検 討 し た 。 そ の な か で も 「 武 州 六 阿 弥 陀 参 」 が 、 当 時 に お い て 為 政 者 と 庶 民 に 行 楽 行 動 と し て 高 く 認 識 さ れ 、 実 践 さ れ て い た こ と を 明 ら か に し た

5

さ ら に 、 土 木 学 の 研 究 で は 、 歴 史 地 理 学 の 観 点 を 取 り 入 れ て お り 、 江 戸 の 絵 図 と 風 景 画 を 基 礎 資 料 の 幾 何 学 的 な 歪 み を 補 正 し 、 C G ( C o m p u t e r G r a p h i c s ) を 用 い て 江 戸 の 都 市 景 観 を 再 現 し た ( 清 水 ・ 布 施 、 2 0 1 0 ) 。

以 上 の よ う に 、 城 下 町 の 成 立 と そ の 都 市 計 画 に よ る 空 間 構 造 、 地 域 形 成 と そ の 景 観 、 江 戸 の 文 化 理 解 の 視 点 か ら 都 市 江 戸 は 解 明 さ れ て き た 。 こ れ ら の 従 来 研 究 で は 、 行 動 文 化 に 関 し て い く つ か の 課 題 点 が あ げ ら れ る 。 ま ず 、 新 城 ( 1 9 7 1 ) が 江 戸 中 期 以 降 の 庶 民 社 会 で は 新 し い 動 向 と さ れ る 「 旅 」 が 現 わ れ 、 江 戸 後 期 に は 農 村 ・ 都 市 を 問 わ ず 消 費 生 活 が 向 上 し た こ と に よ り 、 民 衆 の 衣 食 住 が 全 般 に わ た っ て 豊 潤 と な り 多 様 化 し た と 述 べ て い る 。 し か し 、 多 様 化 の 具 体 的 な 例 は 、 寺 社 地 の 関 連 す る 行 動 で と ど ま っ て い る 。 金 子 ( 1 9 9 5 ) も 、 江 戸 後 期

5

「 武 州 六 阿 弥 陀 参 」、 「 山 の 手 六 阿 弥 陀 参 」、 「 西 方 六 阿 弥 陀 参 」

の 江 戸 の 3 つ の 「 六 阿 弥 陀 参 」 を 官 撰 地 誌 ・ 図 会 類 ・ 紀 行 文 ・

草 子 本 の 記 載 内 容 お よ び 図 像 を 比 較 し 、 ど ち ら の 「 六 阿 弥 陀

参 」 が 江 戸 の 人 び と に 高 く 受 容 さ れ た か を 検 討 し た 。 古 田 悦

造 江 戸 の 3 つ の 「 六 阿 弥 陀 参 」 に お け る 「 武 州 六 阿 弥 陀 参 」

の 特 徴 歴 史 地 理 学 2 6 9 、 2 0 1 4 。

(15)

5

の 行 楽 行 動 は 多 様 な 形 態 が み ら れ た と 論 じ な が ら も 、 そ れ に つ い て は 具 体 的 に 言 及 さ れ て い な い 。 こ の 多 様 化 に 関 連 し て 近 年 の 研 究 で は 、 江 戸 後 期 に は 都 市 整 備 が 整 え る と 共 に 江 戸 に 近 隣 す る 地 域 か ら 江 戸 に 来 て 遊 び や 買 物 を す る な ど 行 楽 行 動 を す る よ う に な っ た 。 江 戸 見 物 の 対 象 は 有 名 寺 社 が 中 心 で あ り 、 他 に は 人 が 集 ま る 広 小 路 、 問 屋 で あ っ た と 言 及 さ れ て い る

6

。こ れ に 関 連 し て 江 戸 の 都 市 空 間 と 行 動 文 化 の 研 究 動 向 は 、 江 戸 の 都 市 空 間 か ら 生 活 空 間 へ 、 そ こ で 生 活 し た 人 び と の 視 点 が 取 り 上 げ ら れ て お り 、 よ り ミ ク ロ 的 な 観 点 か ら の 研 究 傾 向 が 見 ら れ つ つ あ る

7

1 . 1 . 2 歴 史 G I S に よ る 地 域 空 間 の 研 究

1 9 9 0 年 代 に は 地 理 情 報 シ ス テ ム ( G e o g r a p h i c I n f o r m a t i o n S y s t e m 、 以 下 G I S と 呼 ぶ ) が 登 場 し 、 地 理 学 分 野 に お い て も 導 入 さ れ る よ う に な っ た 。 地 域 空 間 の 位 置 情 報 の 正 確 さ と 、 膨 大 な 情 報 処 理 能 力 、 デ ー タ の 加 工 に よ り 詳 細 は 分 析 が 可 能 と な っ て き た 。 近 年 で は 、 G I S を 過 去 の 地 域 空 間 の 再 現 に 用 い ら れ 、 歴 史 G I S ( H i s t o r i c a l G e o g r a p h i c I n f o r m a t i o n

S y s t e m 、 以 下 歴 史 G I S と 呼 ぶ ) が 新 し い 研 究 動 向 と し て 世 界

的 に 注 目 を 浴 び て い る 。

日 本 で は 、過 去 の 統 計 デ ー タ を 歴 史 G I S 上 で 利 用 す る た め 、 空 間 情 報 デ ー タ の 構 築 お よ び 整 備 を 提 示 し た 筑 波 大 学 の 村 山 祐 司 研 究 室 に よ る 成 果 が あ げ ら れ る 。 渡 邉 敬 逸 ・ 村 山 祐 司 ・ 藤 田 和 史 ( 2 0 0 8 ) は 、 日 本 市 町 村 界 の 明 治 以 降 統 計 資 料 を デ ー タ 構 築 し た 後 、 新 し く 作 成 し た 行 政 地 図 上 に 結 合 さ せ 、 そ の

6

山 本 光 正 『 江 戸 見 物 と 東 京 観 光 』 臨 川 新 書 、 2 0 0 5 。

7

戸 沢 行 夫 『 江 戸 町 人 の 生 活 空 間 』 塙 選 書 、 2 0 1 3 。

(16)

6

変 遷 を 示 し た ( 図 1 ) 。 こ れ は 歴 史 G I S 研 究 に よ る 地 域 空 間 を 復 原 し た 先 駆 者 的 な 研 究 と 評 さ れ る 。 そ の 他 、 1 9 9 3 年 よ り 行 わ れ た 「 明 治 ・ 大 正 期 人 口 統 計 地 図 情 報 」、「 明 治 期 以 降 行 政 変 遷 デ ジ タ ル 地 図 」 な ど の 歴 史 G I S の デ ー タ 作 成 お よ び 統 計 地 図 が 作 成 さ れ た 。 さ ら に 、 伊 能 忠 敬 ( 1 7 4 5 ~ 1 8 1 8 ) の 「 大 日 本 沿 海 輿 地 全 図 」 と 、 現 在 の 日 本 全 域 を 対 応 さ せ た 『 デ ジ タ ル 伊 能 図 』 を 出 版 し て い る

8

。 こ れ は 、 地 図 作 成 時 の ベ ー ス マ ッ プ と し た 「 大 日 本 沿 海 輿 地 全 図 」 の 図 題 か ら も わ か る よ う に 、 日 本 列 島 の 全 域 の マ ク ロ ス ケ ー ル の 範 囲 を 捉 え て い る 。 村 山 に よ れ ば 、 行 政 区 域 変 遷 地 図 の 場 合 は 、 1 8 8 9 年 以 降 の 行 政 単 体 の 情 報 に よ る も の で あ り 、 明 治 以 前 の 行 政 界 を 特 定 す る こ と が 難 し い と い う こ と で 、 歴 史 G I S 上 で 江 戸 後 期 の 空 間 デ ー タ が 作 成 さ れ て こ な か っ た と 言 及 し て い る

9

一 方 、 韓 国 で も 近 年 、 歴 史 G I S の 研 究 は 注 目 さ れ て お り 、 朝 鮮 時 代 に 出 版 さ れ た 地 誌 と 朝 鮮 時 代 の 後 期 の 実 測 に よ っ て 作 成 さ れ た 古 地 図 を 組 み 合 わ せ た 「 朝 鮮 時 代 ・ 文 化 電 子 地 図 」 と い う 研 究 成 果 が あ る

1 0

。 韓 国 の 歴 史 G I S に よ る 復 原 の 事 例 研 究 に お い て も 、 朝 鮮 全 図 の マ ク ロ ス ケ ー ル の 地 域 範 囲 と な っ て い る 。 ま た 、 矢 野 ・ 中 谷 ・ 河 角 ・ 田 中 ( 2 0 1 1 ) の 研 究 で 、 人 文 学 と 情 報 学 を 融 合 さ せ た 地 域 の 空 間 復 原 を 行 い 、 日 本 で

8

村 山 祐 司 監 修 『 デ ジ タ ル 伊 能 図 』 河 出 書 房 新 社 、 2 0 1 5 。

9

渡 邉 敬 逸 ・ 村 山 祐 司 ・ 藤 田 和 史 「 歴 史 地 域 統 計 デ ー タ 」 の 整 備 と テ ー タ 利 用 ― 近 代 日 本 を 中 心 と し て ― 地 学 雑 誌 1 1 7 ( 2 ) 、 2 0 0 8 。

1 0

二 つ の 研 究 課 題 と す る ① 朝 鮮 時 代 の 電 子 文 化 地 図 の 開 発 と

そ の 応 用 研 究 ( T h e D e v e l o p m e n t a n d A c a d e m i c A p p l i c a t i o n o f

t h e E l e c t r o n i c C u l t u r a l A t l a s o f C h o s u n K o r e a ) 、 ② 朝 鮮

時 代 の 電 子 文 化 地 図 の 生 活 文 化 論 的 研 究 ( A S t u d y o f L i v i n g

C u l t u r e b a s e d o n t h e E l e c t r o n i c C u l t u r a l A t l a s o f C h o s u n

K o r e a ) は 、2 0 0 2 年 か ら 5 年 間 に わ た り 3 8 憶 ウ ォ ン に 及 ぶ 研

究 費 の 支 援 が 投 入 さ れ 、 高 麗 大 学 校 の 民 俗 文 化 院 に よ っ て 作

成 さ れ た 。

(17)

7

歴 史 都 市 と い え る 京 都 の 過 去 の 空 間 を 歴 史 地 理 学 理 論 と 方 法 に 準 拠 し 、 有 形 ・ 無 形 の 日 本 文 化 を C G で 再 現 し て い る 。 こ の 研 究 で は 、 京 都 に 現 存 す る 文 化 遺 産 が 最 も 多 く 制 作 さ れ た 江 戸 期 に お け る 情 報 を デ ー タ ベ ー ス と し て 構 築 し 、 作 成 し た 復 原 地 図 上 に デ ー タ を 3 次 元 的 に 配 置 し 、 都 市 モ デ ル を 提 示 し て い る 。

歴 史 地 理 学 分 野 で は 、 1 9 9 0 年 後 半 よ り G I S が 日 本 の 地 理 学 分 野 で 導 入 さ れ た も の の 、 史 料 の 膨 大 な 記 載 内 容 や 絵 図 な ど の 歴 史 資 料 な ら で は の 扱 い の 難 し さ か ら 、 G I S へ の 活 用 ま で は 至 ら な か っ た 。 し か し 、 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ の 構 築 と デ ー タ 整 備 や 、 歴 史 G I S の デ ー タ ベ ー ス 構 築 と 地 図 作 成 が 実 現 さ れ た 背 景 か ら 、 2 0 1 0 年 頃 か ら 歴 史 G I S を 取 り 入 れ た 研 究 が な さ れ る よ う に な っ た

1 1

近 年 で は 、 工 学 分 野 で も 江 戸 の 武 家 地 空 間 の 変 容 実 態 を

G I S で 再 構 築 す る 研 究 が 進 行 中 で あ り 、 江 戸 の 都 市 空 間 の 復

原 が 地 理 学 の み な ら ず 他 分 野 で も 試 さ れ て い る 。 清 水 ・ 布 施

( 2 0 1 0 ) で は 、 過 去 の 失 わ れ た 景 観 復 原 を 研 究 課 題 と し て い る

歴 史 地 理 学 の 観 点 か ら 、 古 地 図 の 幾 何 学 的 な 歪 み の 補 正 方 法 を 試 み て い る 。 江 戸 の 測 量 図 「 天 保 改 正 御 江 戸 大 絵 図 」 に 現

1 1

1 ) 考 古 学 、 情 報 学 、 地 域 研 究 、 地 理 学 、 歴 史 学 な ど の 研 究 者

が 過 去 に 生 き た 人 び と の 日 常 生 活 の 復 原 に G I S へ の 活 用 の 軽 視 、ま た 、時 間 軸 が 重 要 し さ れ て 来 な か っ た こ と に 着 目 し た 。 こ こ に は 、 古 地 図 、 絵 図 、 古 文 書 、 統 計 デ ー タ を 使 い 過 去 の 空 間 復 原 す る 方 法 と 分 析 が 提 示 し て い る 。 H G I S 研 究 協 議 会

『 歴 史 G I S の 地 平 景 観・環 境・地 域 構 造 の 復 原 に 向 け て 』 日 本 放 送 出 版 協 会 、 2 0 1 2 。

2 ) 歴 史 地 理 学 理 論 に 基 づ い た 復 原 方 法 と 解 析 が さ れ て い る 。 平 井 松 午 ・ 安 里 進 ・ 渡 辺 誠 『 近 世 測 量 絵 図 の G I S 分 析 』 古 今 書 院 、 2 0 1 4

以 上 の ① と ② の 研 究 で 復 原 さ れ た 地 域 は 、 マ ク ロ ス ケ ー ル

の 地 域 、 も し く は 時 間 軸 の な か で 、 土 地 変 化 が 少 な い 地 域 で

あ る 。

(18)

8

代 の 地 図 座 標 を 投 影 し て 基 準 点 7 6 5 点 を 設 定 す る こ と で 江 戸 の 地 理 情 報 や 土 地 利 用 の 正 確 さ を 提 示 し て い る 。

以 上 の よ う に 、 G I S は 人 文 諸 科 学 に お け る 分 析 ツ ー ル の 一 つ と し て 浸 透 し 、 地 域 の 時 空 間 分 析 が 正 確 に な る と い う 方 向 性 と 、 空 間 復 原 の 有 効 性 が 証 明 さ れ て き た 。

し か し 、歴 史 的 事 象 の 地 域 分 析 へ の G I S の 応 用 に 関 し て は 、 他 分 野 に 比 べ て そ の 進 歩 の 遅 さ が 指 摘 さ れ て い る ( 渡 邉 敬 逸 ・ 村 山 祐 司 ・ 藤 田 和 史 、 2 0 0 8 ) 。

一 方 で 、歴 史 地 理 学 分 野 の 歴 史 G I S 研 究 で は 、経 度 、緯 度 、 等 高 線 な ど の 地 理 空 間 情 報 と 古 地 図 を 基 盤 と し た 復 原 方 法 と 解 析 法 が 提 示 さ れ て い る 。 そ の 研 究 内 容 は 、 近 世 後 期 に 制 作 さ れ た 村 絵 図 ・ 国 絵 図 の 実 測 図 の 、 地 図 と し て の 精 密 性 の 評 価 や 測 量 の 誤 差 分 析 な ど 、 当 時 の 地 図 制 作 の 技 術 に 関 す る も の で あ る ( 平 井 ・ 安 里 ・ 渡 辺 、 2 0 1 4 ) 。 近 世 の 測 量 図 を ベ ー ス マ ッ プ に し て 歴 史 G I S 上 で 復 原 地 図 を 作 成 し た 後 、 当 時 の 武 家 地 と 村 落 に お け る 土 地 利 用 の 区 分 、 土 地 の 面 積 、 奥 行 、 間 口 、 屋 敷 と 建 物 の 配 置 、 家 臣 数 、 村 落 の 居 住 人 数 な ど の 文 字 史 料 と の 組 み 合 わ せ か ら 地 域 空 間 が 復 原 さ れ て い る ( 図 2 ) 。

ま た 、 隠 岐 の 村 落 景 観 を 当 時 の 生 活 基 盤 を 中 心 に 検 討 し た 溝 口 ( 2 0 0 6 ) の 研 究 で は 、 貞 享 5 ( 1 6 8 8 ) 年 の 隠 岐 の 地 誌 で あ る

『 増 補 隠 州 記 』 の 記 載 内 容 を G I S で 地 図 化 し た 。 そ こ で は 、 今 後 の 日 本 に お け る 歴 史 G I S の 課 題 点 と し て 、 地 誌 な ど の 文 字 史 料 の 情 報 に よ る 地 域 構 造 史 へ の 進 展 が 言 及 さ れ た 。 こ れ は 、 歴 史 資 料 の 事 象 の 可 視 化 す る こ と を 意 味 し て い る 。

以 上 に あ げ て い る こ れ ま で の 歴 史 G I S の 先 行 研 究 で は 、 過

去 の 地 域 復 原 す る 際 に 、 G I S 上 で 使 用 す る ベ ー ス マ ッ プ と 、

時 間 軸 の な か で 土 地 変 化 に よ る 空 間 単 位 の 変 化 と そ の 特 定 が

問 題 点 と し て あ げ ら れ て い る 。 こ の こ と は 、 過 去 の 空 間 情 報

と 現 在 の 空 間 情 報 を 一 致 さ せ る 作 業 、 即 ち 、 地 図 を 重 ね 合 わ

せ す る 作 業 、 そ の 後 、 G I S 上 の ポ リ コ ー ン デ ー タ の 作 成 に 関

(19)

9

連 す る 。 日 本 の 東 京 地 域 に 関 し て は 、 市 町 村 合 併 が 盛 ん に 行 わ れ 、 統 計 の 単 位 地 域 が 頻 繁 に 変 更 さ れ た こ と に よ り 、 年 次 間 の 行 政 界 変 遷 の 確 認 作 業 と 、 複 雑 な 作 業 プ ロ セ ス が 求 め ら れ る と 指 摘 さ れ た

1 2

1 . 1 . 3 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ に よ る 史 料 の 活 用 性

デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ ( D i g i t a l A r c h i v e ) と は 、 図 書 ・ 出 版 物 ・ 公 文 書 ・ 美 術 品 ・ 博 物 品 ・ 歴 史 資 料 等 公 共 的 な 知 的 資 産 を デ ジ タ ル 化 し 、 イ ン タ ー ネ ッ ト 上 で 電 子 情 報 と し て 共 有 ・ 利 用 で き る 仕 組 み を 指 す ( 総 務 省 、 2 0 1 2 ) 。 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ ( D i g i t a l A r c h i v e ) が 台 頭 し た 背 景 に は 、 1 9 9 0 年 代 以 降 、 パ ソ コ ン の 技 術 と 共 に イ ン タ ー ネ ッ ト の 利 用 者 の 急 増 し た こ と が あ げ ら れ る ( 原 田 、 2 0 0 2 )。

総 務 省 は 2 0 1 2 年 に 「 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ の 構 築 ・ 連 携 の た め の ガ イ ド ラ イ ン 」 を 作 成 し て お り 、 そ こ に は 、 情 報 環 境 の 変 化 の な か で 媒 体 転 換 に よ る 知 的 資 産 の 保 存 と 蓄 積 の 整 備 は 、 有 用 に 利 用 こ と で 社 会 ・ 文 化 の 基 盤 に な る と 明 記 し て い る 。 ま た 、 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ は 、 教 育 利 用 や 観 光 促 進 、 地 域 産 業 振 興 で の 利 用 な ど に も 期 待 さ れ る こ と を 言 及 し て い る 。

日 本 で は 、東 京 国 立 博 物 館 が 1 9 9 4 年 よ り 画 像 デ ー タ 構 築 を は じ め 、 国 立 美 術 館 、 国 内 国 立 国 会 図 書 館 、 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 、 国 立 公 文 書 館 な ど 機 関 に よ る デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ の 構 築 お よ び 運 営 が 約 2 0 年 間 に わ た っ て 実 施 さ れ て き た

1 3

。 そ の

1 2

前 掲 9 ) 渡 邉 敬 逸 ・ 村 山 祐 司 ・ 藤 田 和 史 「 歴 史 地 域 統 計 デ ー タ 」の 整 備 と テ ー タ 利 用 ― 近 代 日 本 を 中 心 と し て ― 地 学 雑 誌 1 1 7 ( 2 ) 、 2 0 0 8 。

1 3

「 国 立 国 会 図 書 館 資 料 デ ジ タ ル 化 の 手 引 き 」 2 0 1 7 年 版

( h t t p : / / d l . n d l . g o . j p / v i e w / d o w n l o a d / d i g i d e p o _ 1 0 3 4 1 5 2

5 _ p o _ d i g i t a l g u i d e 1 7 0 4 2 8 . p d f ? c o n t e n t N o = 1 & a l t e r n a t i v e N

o = )

(20)

10

他 の 私 設 機 関 に よ る 歴 史 資 料 の デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 構 築 作 業 は 、約 7 0 ヶ 所 の 日 本 国 内 大 学 の 附 属 図 書 館 と 新 聞 社 が 担 っ て き た 。 こ れ ら の デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 構 築 と 整 備 の 目 的 は 、 歴 史 資 料 の 保 存 、 社 会 や 文 化 の 理 解 向 上 、 学 術 研 究 と 教 育 へ の 利 用 に あ る と 示 し て い る 。 こ れ に 関 し て 、 日 本 学 術 会 議 ・ 歴 史 学 研 究 連 絡 委 員 会 の 2 0 0 0 年 の 報 告 で は 、デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 資 料 の 検 証 と 、 そ の 社 会 的 活 用 の 課 題 の 改 善 策 と し て 、 歴 史 資 料 の 新 知 見 を 検 証 す る こ と と 、 検 証 の 場 を 国 際 的 に 開 く こ と を あ げ て い る 。

藤 岡 ・ 矢 守 ・ 足 利 ( 1 9 7 6 ) に よ れ ば 、地 理 学 者 の 任 務 は 、諸 々 の 歴 史 地 理 的 事 象 に つ い て の 資 料 を 統 計 化 し 、 さ ら に 地 図 化 す る こ と で あ り 、 あ ら ゆ る 地 域 の 様 相 を 復 原 し た 局 地 地 域 の 歴 史 地 図 の 作 成 も 地 理 学 者 に 課 せ ら れ た 任 務 で あ る と い う 。 日 本 で は 、約 2 0 年 間 に わ た っ て 数 多 く の 歴 史 資 料 を デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ の 構 築 ・ 整 備 が さ れ て き た も の の 、 構 築 の 目 的 の 一 つ で あ る 学 術 研 究 の 活 用 へ の 積 極 的 な 取 り 組 み が 活 発 に 行 わ れ た と は 言 い 難 い 。 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 資 料 に は 、 江 戸 時 代 に 刊 行 さ れ た 地 誌 、 江 戸 名 所 記 、 買 物 案 内 、 古 地 図 、 風 景 画 な ど が 膨 大 に 収 録 さ れ て い る 。 乙 部 ( 2 0 0 2 ) は 、 絵 図 に は 土 地 空 間 の 主 観 的 な 認 識 や 知 識 が 盛 り 込 ま れ て お り 、 過 去 に お け る 地 域 が わ か る 重 要 な 史 料 で あ る こ と を 強 調 し た 。

以 上 に 述 べ た 日 本 で 構 築 さ れ た デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 資 料 の 活 用 性 に 関 す る 問 題 意 識 か ら 、 筆 者 は 日 本 の デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 構 築 に よ る 歴 史 資 料 を 本 研 究 の 課 題 で あ る 江 戸 期 の 地 域 空 間 の 復 原 に 使 用 し た 。

1 . 2 本 研 究 の 目 的

本 研 究 は 、 江 戸 の 行 楽 空 間 と 関 連 し た 人 間 行 動 に 注 目 し 、

江 戸 後 期 の 買 物 案 内 と 絵 図 を 用 い て 、 歴 史 地 理 学 の 方 法 で 行

(21)

11

楽 空 間 を 復 原 し 、 最 終 的 に は 行 楽 空 間 の 特 徴 と 構 造 を 解 明 す る こ と を 目 的 と し て い る 。

1 . 3 本 研 究 の 新 規 性 と 意 義

従 来 の 歴 史 地 理 学 に お け る 歴 史 G I S 研 究 で 復 原 さ れ て き た 地 域 範 囲 は 、 殆 ど が マ ク ロ ス ケ ー ル の 地 域 で あ り 、 地 方 の 村 絵 図 、 国 絵 図 に 描 か れ て い た 地 域 空 間 が 対 象 地 域 と な っ た 。 た と え 、 ミ ク ロ ス ケ ー ル の 地 域 で あ る と し て も 、 村 絵 図 に よ る 地 域 の 土 地 利 用 、町 割 り に 関 す る 地 域 空 間 の 復 原 で あ っ た 。

歴 史 G I S に よ る 過 去 の 都 市 空 間 の 復 原 が 試 さ れ て い る な か で 、

土 地 変 化 が 大 き か っ た 東 京 地 域 に 関 し て は 、 復 原 の 難 し さ が あ げ ら れ て い る

1 4

。 工 学 分 野 に お い て 清 水 ・ 布 施 ( 2 0 1 0 ) が 、 江 戸 の 空 間 再 現 は 建 物 と 街 路 の 一 部 に 限 ら れ て お り 、 町 割 り や そ れ を 構 成 す る 諸 要 素 は 明 ら か に さ れ て こ な か っ た と 指 摘 し て い る 。 こ の こ と に 関 連 し て は 、 岡 本 ( 2 0 0 4 ) の 研 究 で は 、 近 代 以 降 の 東 京 の 土 地 変 化 の 状 況 が そ の 大 き な 要 因 か ら 、 町 人 地 の 構 造 が 明 ら か に さ れ て こ な か っ た と 述 べ て い る 。 さ ら に 、 従 来 の 明 治 期 の 東 京 行 政 区 域 変 遷 地 図 の 場 合 は

1 5

、 明 治 以 降 の 行 政 デ ー タ を 使 っ て 作 成 し た も の で あ り 、 そ の 以 前 の

1 4

明 治 の 都 市 計 画 に よ る 区 画 整 理 、大 正 時 代 の 関 東 大 震 災 に よ る 被 害 と 区 画 整 理 、 昭 和 時 代 の 東 京 大 空 襲 に よ る 被 害 と そ の 復 旧 計 画 に よ っ て 、 東 京 の 土 地 変 化 が 非 常 に 大 き か っ た 。 そ の 代 表 的 な と こ ろ が 日 本 橋 地 域 で あ る 。 ① 岡 本 哲 志 近 世 江 戸 に お け る 町 人 地 の 街 区 と 町 割 り の 変 容 に 関 す る 研 究 日 本 建 築 学 会 計 画 系 論 文 集 6 9 巻 5 7 7 号 、 2 0 0 4 。 ② 前 掲 9 ) 渡 邉 敬 逸 ・ 村 山 祐 司 ・ 藤 田 和 史 「 歴 史 地 域 統 計 デ ー タ 」 の 整 備 と デ ー タ 利 用 ― 近 代 日 本 を 中 心 と し て ― 地 学 雑 誌 、 2 0 0 8 。

1 5

「 行 政 界 変 遷 地 図 」 は 、 筑 波 大 学 大 学 院 生 命 環 境 科 学 研 究

科 空 間 情 報 科 学 分 野 の ホ ー ム ペ ー ジ に 掲 載 さ れ て い る 。

h t t p : / / g i s w i n . g e o . t s u k u b a . a c . j p / t e a c h e r / m u r a y a m a / d a t

a l i s t . h t m l

(22)

12

空 間 情 報 、 言 い 換 え れ ば 、 江 戸 後 期 の 「 町 」 を 特 定 す る こ と は 容 易 で は な い こ と が 指 摘 さ れ た 。

そ こ で 、 本 研 究 は 文 献 史 料 『 江 戸 買 物 独 案 内 』 と 『 江 戸 名 物 酒 飯 手 引 草 』 に 記 載 さ れ て い る 商 店 の 地 理 情 報 が 江 戸 後 期 の 「 町 」 で あ る こ と に 着 目 し た 。 歴 史 G I S 上 で 江 戸 後 期 の 町 人 地 に お け る 「 町 」 の 特 定 が 可 能 で あ る こ と と 、 復 原 地 図 作 成 を 通 じ て そ の 方 法 を 示 す 。 以 上 の よ う に 買 物 案 内 の 指 標 を 可 視 化 す る こ と で 、 江 戸 後 期 の 行 動 文 化 が 反 映 さ れ た 行 楽 空 間 を 解 明 す る こ と に な る 。

本 研 究 の 意 義 と し て は 、 江 戸 後 期 の 社 会 文 化 的 な 指 標 が わ か る 文 字 史 料 を 可 視 化 し 、 地 域 社 会 に 応 用 す る こ と で あ る 。 次 に 、 空 間 構 造 が 異 な る 地 域 に お け る 復 原 地 図 の 作 成 方 法 の 相 違 を 提 示 す る こ と で あ る 。 ま た 、 歴 史 地 理 学 の 方 法 に 基 づ い て 、 江 戸 の 「 町 」 を 復 原 し 、 江 戸 後 期 の 消 費 行 動 を 空 間 的 に 示 し た 研 究 は 今 ま で な い 。 要 す る に 、 買 物 案 内 の 地 理 情 報 を 地 図 デ ー タ と し て 用 い て 、 江 戸 の 大 縮 尺 地 図 を 作 成 し た こ と が 本 研 究 の 新 規 性 と な る 。 今 後 、 こ の 歴 史 G I S に よ る 地 域 復 原 は 、 古 地 図 と の 比 較 を 通 じ て 地 域 資 源 へ の 活 用 が 期 待 で き る

1 6

本 研 究 は 、 日 本 で 構 築 ・ 整 備 さ れ て い る デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ 資 料 の 活 用 性 、 そ の 地 域 社 会 へ の 理 解 や 教 育 へ の 利 用 を 歴 史 事 象 の G I S 応 用 研 究 を 通 じ て 提 示 し た こ と に 意 義 が あ る 。

1 6

近 代 以 降 の 都 市 施 設 の 建 設 工 事 に お い て 、古 地 図 の 地 理 情 報

は 参 考 さ れ ず 、そ の 例 と し て 博 多 駅 の 陥 没 事 故 が あ げ ら れ る 。

博 多 駅 と そ の 周 辺 は 湿 地 で あ っ た こ と が 古 地 図 に 画 か れ て い

る 。 こ の よ う に 、 現 在 の 比 較 す る こ と で 、 災 害 防 止 の た め の

地 図 作 成 に 用 い ら れ る 。

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図 1 . 歴 史 地 域 統 計 デ ー タ の 整 備 に よ る 歴 史 地 図 作 成 の 事 例 注 : h t t p : / / g i s w i n . g e o . t s u k u b a . a c . j p / t e a c h e r /

m u r a y a m a / g i s d a t a . h t m l よ り 引 用 し た 。

図 2 . 歴 史 地 理 学 で の 歴 史 G I S に よ る 空 間 復 原 の 例 注 : 平 井 松 午 ・ 安 里 進 ・ 渡 辺 誠 編 ( 2 0 1 4 )

『 近 世 測 量 絵 図 の G I S 分 析 』古 今 書 院 よ り 引 用 し た 。

(24)

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第 2 章 本 研 究 の ア プ ロ ー チ と 方 法

2 . 1 歴 史 地 理 学

歴 史 地 理 学 は 、 地 域 の 景 観 復 原 と 変 遷 を 重 要 な テ ー マ と し て い る 地 理 学 的 な 景 観 研 究 で あ る 。 歴 史 地 理 学 は 、 特 定 の 歴 史 的 背 景 に お け る 景 観 形 成 と 要 因 や 諸 問 題 を 考 察 す る こ と で 、 地 域 変 化 の プ ロ セ ス や メ カ ニ ズ ム を 解 明 し て い る 。 そ の 研 究 方 法 は 、 過 去 の 人 間 に よ っ て 表 現 さ れ た 自 然 と 人 文 に 関 す る 現 象 を 実 体 視 し 、 過 去 に お け る 場 所 ・ 地 域 ・ 景 観 ・ 空 間 と 人 間 集 団 の 行 動 と 、 そ の 相 互 作 用 の 構 造 を 歴 史 記 録 か ら 証 明 し て い る 。 こ れ ま で に 、 中 世 ・ 近 世 時 代 に お け る 人 び と の 生 活 空 間 や 社 会 文 化 的 行 動 に 関 す る 研 究 が 数 多 く 蓄 積 さ れ て い る 。 歴 史 地 理 学 で は 、 日 本 の 過 去 に お け る 人 間 集 団 が 生 活 空 間 を 形 成 し て か ら 居 住 し て い る 地 域 空 間 の 地 理 的 変 化 に お い て 、 そ の 構 成 要 素 を 明 ら か に し た 研 究 が 蓄 積 さ れ て い る 。

こ の 歴 史 地 理 を 研 究 す る 方 法 は 、 逆 行 法 ( R e g r e s s i v e

m e t h o d ) で あ る 。 逆 行 法 に つ い て は 、 菊 地 ( 1 9 8 4 ) が 、 現 在 と 過

去 を 解 く 鍵 で あ り 、 過 去 の 地 域 ・ 景 観 に 到 達 す る 方 法 で あ る

と 述 べ た 。現 在 は 過 去 の 堆 積 で あ る こ と を 前 提 し て 成 立 す る 。

逆 行 法 は 、 研 究 対 象 と な る 事 象 や 空 間 な ど の 過 去 を さ か の ぼ

り 、 後 世 に 加 え ら れ た 部 分 を 消 去 す る こ と で 、 地 域 の 景 観 や

諸 事 象 の 原 点 が 明 ら か に な る 。 ま た 、 現 在 の 地 表 面 に お け る

地 理 、 過 去 に 関 す る 記 録 と 照 合 し て 、 過 去 の 地 表 に 展 開 し た

地 理 を 組 み た て る こ と で 、 既 知 か ら 未 知 へ 到 達 で き る 。 要 す

る に 、 過 去 の 実 存 世 界 に お い て の 構 成 要 素 を 特 定 す る こ と で

あ り 、こ の 際 、歴 史 地 理 学 で は 空 間 認 知 が 重 要 と な っ て く る 。

歴 史 地 理 学 の 空 間 認 識 の 一 例 と し て 古 田 ( 1 9 8 5 ) の 研 究 を あ

げ て み よ う 。 近 世 武 蔵 国 佃 島 の 集 落 を 形 成 時 か ら 明 治 初 年 ま

で の 屋 敷 地 の 所 有 者 お よ び 土 地 形 態 を 復 原 し た 際 、 佃 島 の 屋

(25)

15

敷 地 割 は 京 型 で あ り 、 奥 行 の 寸 法 は 江 戸 型 で あ る こ と か ら 、 そ れ ぞ れ 摂 津 国 の 移 動 漁 民 の イ メ ー ジ と 幕 府 の イ メ ー ジ が 復 合 し て い た こ と が 明 ら か に な っ た 。 こ こ で 、 古 田 ( 1 9 8 5 ) は 時 間 と 空 間 の 二 つ の 軸 の な か で 事 象 を 分 析 ・ 考 察 す る 歴 史 地 理 学 が 対 象 と す る 歴 史 地 理 的 事 象 は 、 過 去 の 人 び と が 自 然 的 ・ 社 会 的 環 境 の な か で 、 地 表 面 に 対 し て 働 き か け た 結 果 に 生 じ た も の で あ る と 論 じ て い る

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2 . 2 歴 史 地 理 学 の 方 法 論

歴 史 地 理 学 の 説 明 理 論 を あ げ る と 、 以 下 の 通 り で あ る 。 古 典 理 論 と さ れ て い る の が 、 環 境 論 ・ 環 境 決 定 論 ・ 環 境 可 能 論 で あ り 、行 動 的 環 境 論 、環 境 イ メ ー ジ と 人 間 行 動 、景 観 論 、 分 布 論 、 地 域 論 が 新 理 論 と さ れ て い る

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本 研 究 で は 、 景 観 の 形 成 要 因 と 、 事 象 の 位 置 や 分 布 、 地 域 性 を 識 別 す る ア プ ロ ー チ を し て お り 、 新 理 論 の 説 明 理 論 を 採 択 し た 。

ま た 、説 明 理 論 を 叙 述 す る 理 論 と し て は 、① 時 系 列 的 分 布 、

② 地 理 的 歴 史 学 、 ③ 地 歴 史 学 、 ④ 景 観 史 、 ⑤ 地 域 史 、 ⑥ 時 の 断 面 の 地 理 、 ⑦ 現 在 の 地 域 理 解 の た め の 過 去 の 地 理 、 ⑧ 時 の 断 面 推 蓄 法 、 ⑨ 占 拠 系 列 、 ⑩ 空 間 深 化 、 ⑪ 変 化 す る 地 理 が あ げ ら れ て い る 。

歴 史 地 理 学 で は 、 以 上 の よ う な 説 明 理 論 と 叙 述 理 論 に 準 拠 し 、 史 料 の 歴 史 的 事 実 か ら 地 域 空 間 を 究 明 し て い る 。 過 去 の 歴 史 資 料 か ら 、 記 録 が な か っ た 時 代 を 研 究 対 象 と す る 際 は 、 遺 跡 や 出 土 物 や 化 石 な ど を 使 用 す る 「 遺 跡 歴 史 地 理 学 」、 記 録

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歴 史 地 理 学 会 『 空 間 認 知 の 歴 史 地 理 』 歴 史 地 理 学 紀 要 2 7 古 今 書 院 、 1 9 8 5 。

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菊 地 利 夫 『 日 本 歴 史 地 理 概 説 』 古 今 書 院 、 1 9 8 4 。

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が あ る 時 代 を 研 究 対 象 と 場 合 は 「 文 献 歴 史 地 理 学 」 と す る 。 ま た 、 過 去 の 空 間 に お い る 個 々 の 事 物 の 地 域 的 差 異 と そ の 要 因 究 明 す る 「 歴 史 系 統 地 理 学 」、 過 去 の 特 定 地 域 に お け る 地 域 的 性 格 を 総 合 的 に 究 明 す る 「 歴 史 地 誌 学 」 の 2 つ に 大 別 さ れ る 。

本 研 究 は 、 歴 史 地 理 学 の な か で は 史 料 の 有 無 か ら は 「 文 献 歴 史 地 理 学 」 と な り 、 地 域 空 間 を ど の よ う に 明 ら か に す る か の 側 面 で は 「 歴 史 地 誌 学 」 の 位 置 付 け と な る 。

2 . 3 本 研 究 の 方 法

本 研 究 で は 、 歴 史 地 理 学 の 伝 統 的 な 説 明 理 論 と 叙 述 理 論 に 準 拠 し 、 従 来 の 研 究 方 法 と 新 し い 研 究 動 向 と さ れ る 歴 史 G I S を 使 用 し て 過 去 に お け る 空 間 復 原 を 行 っ た 。

以 上 の 歴 史 地 理 学 の 方 法 に 基 づ い て 、 第 4 章 の 4 . 1 と 第 5

章 の 5 . 1 で は 、 研 究 対 象 地 域 の 江 戸 時 代 に 刊 行 さ れ た 視 覚 史

料 に 描 写 さ れ て い る 事 象 を 抽 出 し た 。歴 史 地 理 学 で は 風 景 画 、 挿 絵 な ど の 史 料 は 、 風 俗 や 人 間 の 行 動 や 地 域 の 風 景 が 精 緻 に 描 写 さ れ て お り 、当 時 の 事 象 が わ か る 重 要 な 手 が か り で あ る 。 こ の 従 来 の 研 究 方 法 か ら 、 江 戸 後 期 の 日 本 橋 地 域 と 下 谷 地 域 に お け る 視 覚 史 料 か ら 描 写 対 象 と な っ て い る 事 象 を 示 し た う え 、 歴 史 的 事 実 に 基 づ き 、 当 時 の 地 域 景 観 と 関 連 付 け て 考 察 を 行 っ た 。 こ の よ う に 、 絵 図 や 風 景 画 を 用 い る 歴 史 地 理 学 の 方 法 は 、 近 年 、 他 分 野 で も 注 目 し て い る 。 風 景 画 に は 地 形 や 城 の 眺 望 が 巧 み に 取 り 入 れ て お り 、 地 理 的 な 環 境 や 都 市 の 起 源 、 歴 史 を 表 面 的 に 物 語 っ て い る 。 そ れ は 都 市 の 根 源 的 な 個 性 で あ る た め 、 都 市 景 観 を 考 え る 上 で 重 要 な 要 素 で あ る と 言 及 さ れ て い る ( 清 水 ・ 布 施 、 2 0 1 0 ) 。

第 4 章 の 4 . 2 と 第 5 章 の 5 . 2 で は 、 本 来 、 視 覚 史 料 に は 絵

師 の 主 観 性 が 含 ま れ て い る た め 、 記 録 に よ る 文 字 史 料 か ら 客

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観 性 を 指 向 し た 。 江 戸 後 期 に 刊 行 さ れ た 社 会 ・ 文 化 ・ 経 済 的 な 情 報 が わ か る 文 献 史 料 の 記 載 内 容 を 指 標 と し 、 近 年 、 歴 史 地 理 学 の 新 し い 研 究 動 向 と さ れ る 歴 史 G I S を 使 用 し 、 時 空 間 的 な 復 原 を 行 っ た 。こ の 際 、文 献 史 料 の 記 載 を 反 映 す る た め 、 研 究 対 象 地 域 に お け る 復 原 地 図 の 作 成 が 前 提 と な る 。

2 . 4 史 料 の 吟 味

本 稿 で 使 用 す る 資 料 の 用 語 と し て は 、「 文 献 史 料 」 と 「 視 覚 史 料 」 の 二 つ に 区 別 し 用 い る 。 文 字 史 料 、 地 域 に 関 す る 歴 史 的 事 実 が 分 か る 区 史 お よ び 研 究 史 な ど を 文 献 史 料 と し 、 錦 絵 と 名 所 案 内 記 の 挿 絵 、 絵 図 類 を 視 覚 史 料 と 呼 ぶ 。

2 . 4 . 1 視 覚 史 料

2 . 4 . 1 . 1 「 錦 絵 」

錦 絵 と は 、 浮 世 絵 風 景 画 で あ り 、 多 色 摺 木 版 画 で あ る 。 享

保 5 ( 1 7 2 0 ) 年 に 、 蘭 書 の 輸 入 が 許 可 さ れ た こ と を 契 機 に 西 洋

画 法 の 陰 影 技 法 と 遠 近 技 法 な ど が 取 り 入 れ ら れ 、 明 和

2 ( 1 7 6 5 ) 年 に 鈴 木 春 信 に よ り 創 始 さ れ た 。遠 近 技 法 と 陰 影 技 法

の 西 洋 画 法 を 受 容 し た 歌 川 豊 春 ( 1 7 3 5 ~ 1 8 1 4 年 ) に よ り 、 浮 世 絵 風 景 画 の 「 江 戸 名 所 絵 」 と い わ れ る 江 戸 特 産 の 絵 画 が 生 ま れ る よ う に な っ た 。

こ の 西 洋 風 の 画 法 に 影 響 さ れ た 浮 世 絵 風 景 画 は 天 保 年 間

( 1 8 3 0 ~ 1 8 4 4 年 ) 広 重 と 北 斎 の 風 景 画 に よ り 全 盛 期 を 迎 え た 。

鮮 や か な 彩 り の 革 新 的 な 絵 画 技 法 は 絵 師 の み な ら ず 当 時 の 庶

民 に も 大 い に 受 け い れ ら れ 、 江 戸 の 特 産 物 に な っ た 。 錦 絵 に

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は 多 く の 絵 師 達 に よ っ て 江 戸 の 風 景 や 庶 民 の 生 活 、 旅 人 の 姿 な ど が 描 か れ て い る

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2 . 4 . 1 . 2 名 所 案 内 記 の 「 挿 絵 」

過 去 の 事 象 と 地 域 景 観 が 描 写 さ れ た 視 覚 史 料 に お い て は 、 史 料 の 性 格 か ら 錦 絵 よ り 、 比 較 的 に 客 観 性 が 高 い と い え る も の は 地 誌 の 挿 絵 で あ る 。 名 所 案 内 記 と は 、 江 戸 に つ い て の 出 版 物 で あ り 、 江 戸 の 地 理 的 な 情 報 を 取 り 込 ん だ 地 誌 で あ る 。

慶 長 1 9 ( 1 6 1 4 ) 年 の『 慶 長 見 聞 集 』の 初 期 段 階 の 名 所 案 内 記 は 、

最 初 は 見 聞 録 に 近 い も の で あ っ た が 、 そ の 後 、 地 誌 的 ・ 実 用 的 な 性 格 が 加 え て い く よ う に な っ た 。

『 江 戸 名 所 図 会 』 は 、 天 保 5 ( 1 8 3 4 ) 年 か ら 天 保 7 ( 1 8 3 6 ) 年 に 刊 行 さ れ た 地 誌 で あ り 、 こ こ に 描 か れ た 精 密 な 挿 絵 は 絵 師 の 長 谷 川 雪 旦 ( 1 7 7 8 ~ 1 8 4 2 年 、 以 下 雪 旦 ) が 描 い て い る 。『 江 戸 名 所 図 会 』 は 、 江 戸 後 期 に わ た っ て 刊 行 さ れ た 名 所 案 内 記 の な か で 集 大 成 と 評 価 さ れ て い る 。 江 戸 名 所 、 市 街 地 、 年 中 行 事 、 商 業 活 動 、 人 物 な ど の 数 多 く の 事 象 は 描 か れ た て い る の は 、 鳥 瞰 図 技 法 が 用 い ら れ る こ と か ら で あ る 。

さ ら に 、 源 氏 雲 と 水 墨 画 の 技 法 が 用 い ら れ 、 室 町 後 期 以 降 の 日 本 の 都 市 景 観 図 の 典 型 と さ れ る 「 洛 中 洛 外 図 」 で の 画 風 を つ く り だ し て い る 。 元 和 3 ( 1 6 1 7 ) 年 に 浮 世 絵 風 景 画 で あ る 狩 野 探 幽 が 徳 川 幕 府 の 御 用 絵 と し て 仕 え る よ う に な っ た 。 当 時 、 儒 教 思 想 を 唱 え た 幕 府 の 政 策 と 呼 応 し た こ と に よ り 、 都 市 景 観 図 は 淡 泊 な 水 墨 画 で 描 写 す る こ と が 特 徴 と な っ た 。 そ の 後 、 狩 野 派 に よ っ て 大 和 絵 の 系 譜 が 受 け 継 が れ た 。 こ の よ

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洪 明 真 江 戸 期 に お け る 日 本 橋 地 区 の 商 業 地 景 観 の 特 徴 と そ の 変 容 ― 視 覚 史 料 の 分 析 を 中 心 と し て ― 観 光 科 学 研

究 第 9 号 、 2 0 1 6 。

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う に 、 『 江 戸 名 所 図 会 』 の 絵 師 雪 旦 は 、 桃 山 画 壇 を 代 表 す る 長 谷 川 等 伯 ( 1 5 3 9 ~ 1 6 1 0 年 ) の 末 流 で あ る た め 、 大 和 絵 の 絵 師 と な る 。

『 江 戸 名 所 図 会 』 で は 、 源 氏 雲 な ど の 大 和 絵 の 技 法 を 全 面 的 に 用 い ら れ て い る 。 こ こ で 、 源 氏 雲 と は 、 金 箔 押 地 の 雲 の 形 に よ る 装 飾 的 な 区 切 り の こ と で あ り 、 大 和 絵 の す や り 霞 の 技 法 を よ り 図 案 化 し た も の で あ る 。 『 江 戸 名 所 図 会 』 の 紙 面 の 上 段 部 分 に は 源 氏 雲 で 処 理 し た 上 に 、 文 字 情 報 が 書 き 込 ま れ て い る 。 こ の 源 氏 雲 は 、 日 本 の 伝 統 の 都 市 景 観 図 の 系 譜 の 技 法 を 受 け 継 が れ て お り 、 し た が っ て 、 為 政 者 の 意 図 に 基 づ き 刊 行 さ れ た 地 誌 『 江 戸 名 所 図 会 』 に も 描 か れ て い る 。 本 研 究 で の 挿 絵 は 『 江 戸 名 所 図 会 』 の 挿 絵 を 中 心 的 に 使 用 し た 。

但 し 、 江 戸 下 谷 地 域 に 関 し て は 、『 江 戸 名 所 図 会 』 と 共 に 、 地 誌 の 萌 芽 と さ れ る 寛 文 2 ( 1 6 6 2 ) 年 の 『 江 戸 名 所 記 』、 延 宝 5 ( 1 6 7 7 ) の『 江 戸 雀 』、実 用 的 な 名 所 案 内 と さ れ る 宝 暦 3 ( 1 7 5 3 ) 年 の 『 絵 本 江 戸 み や げ 』、 明 和 9 ( 1 7 7 2 ) 年 の 『 江 戸 砂 子 温 故 名 蹟 誌 』、江 戸 名 所 案 内 記 の 集 大 成 と さ れ る 文 政 1 0 ( 1 8 2 7 ) の『 江 戸 遊 覧 花 暦 』 の 名 所 案 内 記 の 挿 絵 を 取 り 上 げ て い る 。 下 谷 地 域 に お け る 事 象 を 時 間 軸 の な か で 検 討 す る 必 要 が あ っ た 。

2 . 4 . 1 . 3 江 戸 の 大 縮 尺 地 図 『 江 戸 切 絵 図 』

地 図 は 、 最 古 の 地 域 情 報 で あ り 、 地 図 は 人 び と の 環 境 認 識 の 鏡 で あ り 、 古 地 図 を 通 じ て は 古 い 時 代 の 地 図 の 環 境 認 識 が わ か る の で あ る

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。 江 戸 時 代 に な る と 、 幕 府 が 政 治 的 な 理 由 か ら 各 藩 に 地 図 作 成 を 命 じ 、 村 名 、 石 高 、 国 境 ・ 郡 境 、 主 要

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菊 地 俊 夫 ・ 岩 田 修 二 『 地 図 を 学 ぶ ― 地 図 の 読 み 方 ・ 作 り 方 ・

考 え 方 ― 』 二 宮 書 店 、 2 0 0 5 。

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交 通 路 、 城 郭 が 描 か れ た 国 絵 図 が 作 成 さ れ た 。 絵 図 は 、 城 下 町 に お け る 武 家 屋 敷 の 識 別 の た め に 必 要 で あ っ た

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江 戸 中 期 以 降 は 、 庶 民 の 旅 行 が 盛 ん に な り ガ イ ド マ ッ プ と い わ れ る 道 中 図 が 刊 行 さ る 。 さ ら に 、 江 戸 後 期 に は 地 図 が 大 衆 化 と な っ た 時 代 と な り 、 そ の 代 表 的 な 例 が 江 戸 切 絵 図 で あ る 。

江 戸 後 期 に 作 成 さ れ た 江 戸 市 中 の 大 縮 尺 の 地 図 と し て は 、

「 寛 文 五 枚 図 」、「 吉 文 字 屋 板 ( 美 濃 屋 板 )」、「 近 江 屋 板 ( 近 吾 堂 板 )」、「 尾 張 屋 板 ( 金 鱗 堂 板 )」、「 平 野 屋 板 」 の 5 つ の 切 絵 図 が あ る 。「 平 野 屋 板 」 を 除 い た 4 つ の 切 絵 図 は 、 江 戸 市 中 を 地 区 ご と に 作 成 さ れ て い る 。 武 家 地 の 人 名 や 著 名 な 寺 社 地 が 1 筆 ご と に 表 記 さ れ て お り 、 現 代 の 区 分 地 図 に 相 当 す る 。 し か し 、 町 人 地 に 関 し て は 町 名 が 記 載 さ れ て い る の み で 、 宅 地 が 1 筆 別 に 示 さ れ て は い な い 。

切 絵 図 に 映 画 的 に 書 き 込 ま れ て い る の は 、 武 家 屋 敷 、 寺 社 で あ り 、 四 編 摺 ( 黒 ・ 青 ・ 黄 ・ 橙 ) で 、 名 所 遊 覧 的 な 内 容 に 絵 画 的 手 法 で 親 し み や す い 絵 図 で あ る 。 本 研 究 で は 、 淡 彩 四 色 に 対 し 、 絵 草 紙 屋 が 出 自 し た 濃 彩 の 五 色 の 鮮 や か な 原 色 の 尾 張 屋 板 を 照 合 資 料 と 用 い た 。 赤 で 寺 社 、 緑 で 土 手 ・ 山 林 ・ 明 地 ・ 火 除 地 ・ 馬 場 ・ 百 姓 地 ・ 田 畑 、 青 で 川 ・ 堀 ・ 池 ・ 海 、 黄 で 道 と 橋 、 灰 で 町 屋 を 表 し て い る 。

こ の よ う に 、 尾 張 屋 板 の 『 江 戸 切 絵 図 』 は 華 麗 な 色 で 江 戸 の 人 び と の 趣 向 す る 工 夫 が さ れ て お り 、 以 前 の 切 絵 図 と 比 べ て も 、名 所 遊 覧 的 の 性 格 が 高 い と 評 価 で き る 。尾 張 屋 板 の『 江 戸 切 絵 図 』 は 、 本 研 究 で の 文 献 史 料 に 記 載 さ れ て い る 「 江 戸 町 」 の 空 間 認 識 、 デ ー タ の 検 証 お よ び 作 成 時 に 非 常 に 重 要 な 史 料 と な る 。町 人 地 が 町 名 の み 記 載 さ れ て 画 か れ た こ と が『 江

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飯 田 龍 一 ・ 俵 元 昭 『 江 戸 図 の 歴 史 』 築 地 書 館 、 1 9 8 8 。

図 5 .   「 旧 江 戸 朱 引 内 図 」
図 1 2 . 昭 和 5 年 の 帝 都 復 興 事 業 の 区 画 整 理 後 の 日 本 橋 地 域 の 土 地 変 化 ( 一 部 掲 載 )
図 1 4 . 明 治 期 の 市 区 改 正 前 と 「 昭 和 5 年 と 現 在 の 重 ね 合 わ せ 」 の ポ イ ン ト コ ン ト ロ ー ル 設 定
表 3 . 江 戸 日 本 橋 地 域 の 「 町 」 デ ー タ
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参照

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