1 《子供たちに聞かせてあげたいノーベル賞 2013》 2013 年ノーベル生理学医学賞
細胞内の物質輸送の中心的役割を担う
小胞輸送の分子レベルでの解析と制御メカニズムの解明
2013 年のノーベル生理学・医学賞は、米国エー ル大学ジェームズ・E・ロスマン教授(62)、米国 カリフォルニア大学バークレイ校ランディ・W・ シェックマン教授(64)、米国スタンフォード大学 トーマス・C・スードフ教授(57)の三人に贈られ ました。授賞理由は「細胞内の物質輸送の中心的 役割を担う小胞輸送の分子レベルでの解析と制御 メカニズムの解明」に対してです。 細胞は様々な物質を生産し放出する工場だと考 えることができます。例えば、血糖値を下げる役 目を持つインスリンというタンパク質は膵臓の細 胞で生産されて血液中に放出されますし、神経伝 達物質と呼ばれる分子はある神経細胞同士でやり とりされることによって私たちはものを考えたり、 痛みを感じたりします。 細胞の設計図である遺伝子は DNA 分子として 細胞の中に存在しています。細菌のような、より 原始的な構造を持つ原核細胞と呼ばれる細胞の内 部では DNA も含めいろいろな細胞構成成分が混 じり合っていて、様々な生命現象が細胞内の至る 所で行われ、全体として調和を保っています。一 方、人間の細胞のような真核細胞は細胞の中が多 くの区画に区分されています。それらの区分は遺 伝子を保管する核、タンパク質を合成するリボソ ーム、エネルギーを生産するミトコンドリア、細 胞内の老廃物を処理する液胞などのように明確な 役目をもっています(次ページ図)。 それによって、高い効率で遺伝子の複製や修理 を行ったり、有害物質を細胞内で隔離して自分自 身がダメージを受けることを避けたりするなどの 高度な機能を獲得し、それが進化の過程で有利に 働いたと思われます。一方で、原核生物であれば 細胞内で作り出さ れた分子は細胞内 を自由に拡散して お互いに作用する ことができますが、 真核生物では分子 を透過させにくい 油のような膜で細 胞内が細かく区切 られているために、 これらの区画相互 で物質が適切にや ジェームズ・ロスマン教授Photo: © Yale University
ランディ・シェックマン教授 Photo: H. Goren. © HHMI
トーマス・スードフ教授 Photo: © S. Fisch
2 りとりされなければ生命現象の調和をはかること はできなくなってしまいました。 真核細胞の内部は機能ごとに区分されている (中西貴之著 カラー図解でわかる細胞のしくみ:ソフト バンククリエイティブ) 細胞内が細かく区分されていることについては 高性能な光学顕微鏡でその構造を観察することが 可能になった頃から多くの科学者が興味を持って 研究を続けてきました。1970 年代になって特定の 分子を着色する手法や、電子顕微鏡で細胞を観察 する方法が確立されると細胞内の仕組みがより詳 細に観察できるようになり、1974 年にノーベル生 理学医学賞を受賞したアルバート・クロード、ジ ョージ•パラディ、クリスチャン・ド•デューブら はこのような研究の先駆者でした。 細胞外に分泌されるタンパク質がどのように細 胞内で運搬されるのかについては、電子顕微鏡に よる観察によって、小胞体で合成されたタンパク 質がゴルジ体で加工や仕分けをされ、分泌される ことが解明されました。また、タンパク質が自分 の適切な居場所を見つけるための宛名シールのよ うなアミノ酸配列を持っていることを明らかにし た研究は 1999 年のノーベル生理学医学賞を受賞 しました。そういった、細胞内部構造の限定され た部分を観察することによって局所的なタンパク 質の振る舞いについてはいろいろな疑問が解決さ れていきましたが、たとえばゴルジ体は次々に運 ばれてくるタンパク質をどのようにして見分けて いるのかといったことや、タンパク質に付加され ているという宛名シールがどのように読み取られ て適切に細胞内、および細胞内から細胞外への物 質輸送に利用されているのか、そういった全体を 制御している仕組みは依然として謎のままでした。 ゴルジ体の電子顕微鏡写真 油の膜がつづら折りになっていることがわかります。左の イラストと比較してみて下さい。
PHOTO : Louisa Howard
そういった研究を総合して考察すると、細胞内 でやりとりされる分子は小胞と呼ばれる油の膜で できた小さな泡に包まれて運搬され、それらを必 要に応じて細胞の外に放出する仕組みも同様に放 出すべき分子を細胞と外界を隔てる細胞膜へ小胞 が輸送することによって行われ、細胞内には小胞 を輸送担体とする大規模な物流ネットワークがあ るように思えました。 細胞内の小胞が細胞内物質輸送の重要な構成要 素であることは古くから知られていましたが、こ れまで不明だったこれらの小胞がそれぞれに自分 自身の正しい宛先を発見し、細胞内の区画(=細 胞小器官)に融合して内部に包み込んでいた物質 を提供する方法やそれが位置的、時間的に精密に 調整されている正確なメカニズムを解明したこと が今回受賞した3 人の科学者の業績です。 3 人は細胞内部の小胞輸送ネットワークが巧み に機能している仕組みを分子レベル、遺伝子レベ ルで解明しました。
3 3 人の業績を簡単にまとめると、ランディ・シ ェックマン博士が小胞輸送が適切に行われること に関与している遺伝子を発見し、ジェームズ・ロ スマン博士は小胞が目的の場所に運ばれ放出され るメカニズムに欠くことのできない特殊なタンパ ク質を発見しました。そして、トーマス・スード フ博士は小胞に包まれた分子を適切なタイミング で放出させる指示を出している仕組みを解明した ということになります。 大量の荷物を取り扱う運送会社の倉庫では、す べての荷物が正しい宛先に指定された日時に配送 されていることを管理する必要があります。私た ちの体を構成する細胞の中も同様で、細胞の中で は膨大な種類のタンパク質などの分子が作り出さ れていますが、細胞内のタンパク質工場で作られ たタンパク質は小胞に包まれてそれぞれ適切な場 所に運搬されなければなりません。しかも、細胞 の中は前ページの細胞内のイラストのように細胞 小器官と呼ばれる区画に分かれていて、タンパク 質によっては区画から区画へと何度も運搬される ものもあります。また、体調を整えるホルモンや 思考に関わる神経伝達物質、外敵から身を守る免 疫物質なども同じ仕組みで作り出されますので、 間違いを起こさない非常に緻密なメカニズムを細 胞が持つことが必要です。 このような巧みな輸送システムが細胞の中に構 築されていることに魅了されたランディ・シェッ クマン博士は 1970 年代に単細胞生物のパン酵母 (サッカロマイセス・セルビジエ)を使って細胞 内小胞輸送に関係している遺伝子の研究を始めま した。この酵母は細胞内で作られたタンパク質を 小胞を使って細胞外に分泌する性質を持っている ので、タンパク質輸送が適切に行われていなけれ ばそのタンパク質が細胞内に蓄積することを観察 でき、研究には都合の良い細胞でした。(右上図) 酵母の遺伝子に人工的に異常を何種類も起こさ せ、小胞輸送が異常になっている酵母が見つかっ た場合には、どのような遺伝子に変異が起きてそ のような状態になっているのかを調べることによ って、細胞内物質輸送に重要な役目を担っている 遺伝子を23 個突き止めました。 ジェームズ・ロスマン博士は 1980 年代からほ 乳類の細胞を用いて小胞輸送の研究を行っていま した。小胞が細胞内の区画から区画へ移動すると き、間違いなく目的の区画へ運ばれることは非常 に神秘的な出来事のように思われましたので、勤 務していたスタンフォード大学が得意とするタン パク質を部品のようにラインナップし、それを試 験管内で再構築する手法を小胞輸送に応用してみ ました。 ロスマン博士は小胞輸送に関わっていると考え られるいくつかのタンパク質を精製 1し、分子レ ベルでその仕組みを研究したところ、物質を包み 込んだ小胞が適切な区画へ到達しその目的地の膜 に結合する際に特殊なタンパク質が複数組み合わ さった複合体が関与していることを明らかにしま した。この研究が行われた 1970 年代はまだ動物 の細胞に遺伝子を組み込んで発現させる技術は開 発されていませんでしたので、代わりの方法とし て動物細胞に感染するウイルスにタンパク質を組 み込み、動物細胞の中に運び込ませて再構築する という独特の手法で複数のタンパク質が連携して 機能するメカニズムの再構築実験を行い、小胞輸 送に関わっているタンパク質を明らかにしました。 つまり、小胞と目的区画が融合する時には小胞 側と目的地側の両方の膜に存在しているタンパク 質がジッパーのように結合する仕組みになってい 1 細胞をつぶして作ったタンパク質の混合液から 目的とするタンパク質だけを純品として取り出す ことを「タンパク質を精製する」と言います。
4 たのです。ジッパーの部品になるタンパク質には 多くの種類があり、それらは特定の組み合わせで しか結合することができないような仕組みになっ ていました。目的地ごとに異なる種類のジッパー が用意されているので、小胞が目的地ではない区 画に到達してもその区画の膜とはジッパーがかみ 合わないため融合することができず、誤った場所 に小胞が運ばれること無く物質が正確な目的地に 送られていたのです。小胞が細胞の外に物質を放 出する際も同様のメカニズムで小胞と外膜は融合 していました。(下図) その後の研究で小胞輸送に関する遺伝子を研究 していたシェックマン博士が発見していた遺伝子 の一部が、ロスマン博士がほ乳動物の細胞の中で 発見したタンパク質の遺伝子であることも確認さ れ、二人の研究があたかも小胞と細胞膜がジッパ ーで融合するかのように合体し、細胞内輸送メカ ニズムに関与する重要な遺伝子とタンパク質の関 係を明らかにしました。 ロスマン博士は次に神経細胞に興味を持ちまし た。神経細胞は複数の細胞が情報を神経伝達物質 という有機化合物分子の姿でバケツリレーのよう にやりとりすることでネットワークを形成してい ます。神経細胞と神経細胞が接続する部分はシナ プスと呼ばれますが、ある3 種類のタンパク質が シナプス付近の細胞内に大量に存在することが古 くからわかっていました。それらのタンパク質が シナプスで何をしているのかは長年の謎でしたが それを知ったロスマン博士はひらめきました。博 士は酵母で行ったのと同じしくみの再構成実験を シナプスのタンパク質で行い、その複合体が神経 細胞での小胞輸送に関わっていることを明らかに したのです。神経細胞では神経伝達物質が小胞に 包み込まれた状態で細胞内をシナプスに向かって 運搬され、特殊なタンパク質の関与で小胞と神経 細胞の膜の融合が起き、包み込まれていた神経伝 達物質がシナプス部分の細胞外に放出されていた のです。これを向かい側に位置する別の神経細胞 が受け取ることによって情報の伝達が起きます。 同様にトーマス・スードフ博士も脳の内部で神 経細胞同士が情報をやりとりする仕組みに興味を 持っていました。神経細胞は普段は静かな状態で 待機していて、何かの刺激を受けることによって 情報の伝達を行いますので、神経細胞の小胞はあ る決まったタイミングに限定して神経伝達物質を 細胞外に放出しなければなりません。このような 放出のタイミングはどのような仕組みでコントロ ールされているのでしょうか。 細胞が外部の刺激に反応する仕組みとしてカル シウムイオンが関わっていることが知られていま す。1990 年代にスードフ博士は神経細胞において、 カルシウムイオンに関係しているタンパク質を見 つけ出す研究を行いました。その結果、細胞外の カルシウムイオンが細胞内に流入する現象をきっ かけとして、神経伝達物質を取り込んでいる小胞 を神経細胞の外膜へ急速に接近させるコンプレキ シンとシナプトタグミ ンという2 種類の非常 に重要な役目を担うタ ンパク質が確認できま した。両タンパク質の 遺伝子を破壊したマウ スでは神経伝達物質の シナプスへの放出が正 常にできなくなること も確認されました。 小胞輸送におけるタンパク質ジッパーの機能 (ノーベル財団の公式資料を翻訳)
5 細胞内にはリソソームへの細胞内輸送、細胞外への調節性 分泌・恒常性分泌などの様々な輸送ルートがありますが、 いずれも小胞が重要な役目を担っています。 (中西貴之著 カラー図解でわかる細胞のしくみ:ソフト バンククリエイティブ) 3 人のノーベル賞受賞科学者の発見は細胞の中 で様々な分子が細胞内外の状況に対応して適切な 場所に適切なタイミングで運搬されるメカニズム を理解するために重要な発見です。ここで仕組み が解明された小胞による輸送は人や酵母はもちろ ん、すべての動物における一般原則として存在し ています。このシステムは例えば2 型糖尿病のよ うな代謝性疾患、膵臓β細胞からのインスリン分 泌の欠陥、免疫細胞が体内に侵入した有害物を駆 除するためのサイトカインの放出、さらにホルモ ンの血液中への放出や脳内の情報伝達に至るまで 様々な生体機能において重要な役目を担っている ことがわかっています。 小胞輸送にトラブルが発生すると糖尿病、てん かんなどの様々な疾患を発症させます。また、ボ ツリヌス菌のボツリヌス毒素や破傷風菌の破傷風 神経毒素など、いくつかの細菌毒素は小胞が目的 の膜に融合することを妨害することによって感染 した宿主に致命的なダメージを与えることもわか っています。 受賞者のプロファイル ランディ・シェックマン博士 1948 年米国ミネソタ州生まれ。カリフォルニア大 学でノーベル賞科学者アーサー・コンバーグの指 導を受け 1974 年にスタンフォード大学で博士号 を取得。1976 年にカリフォルニア大学の教員とな り現在に至りハワードヒューズ医学研究所の研究 者も兼任。 ジェームズ・ロスマン博士 1950 年米国マサチューセッツ州生まれ。1976 年 にハーバード大学医学部から博士号を受け、マサ チューセッツ工科大学の博士研究員を経て 1978 年から小胞の研究を行うことがきっかけとなって カリフォルニア州のスタンフォード大学に移籍。 2008 年からは米国エール大学の教授も兼任。 トーマス・スードフ博士 1955 年ドイツ生まれ。ゲッティンゲン大学理学部 で 1982 年に博士号を取得。1983 年に米国移住。 ダラスのテキサス大学サウスウエスト医療センタ ーから 1991 年にハワード・ヒューズ医学研究所 の研究者となり、2008 年からはスタンフォード大 学の分子細胞生理学教授。