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弁慶説話 : 出会いの場面について

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Academic year: 2021

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(1)(11). じ め. ︱︱ 出 会 いの場 面 に つ. に. │. 直. ギ話. 大 男 の弁慶 が薙刀を振り上げ、牛若丸 に切りかかる。牛若丸は、ひら っと飛び、行. 弁 慶 ﹄ は、 そ の名 の通 り 、 五条 橋 で の対決 を 中 心 に、 主 従 の契 約 を 結 ぶま でが描 か. 橋 じ ぞり弁 慶 ﹄ は 弁 慶 の出 生 か ら 五条 橋 で の出会 いま でを 描 いて いる。 ま た 、 ﹃ ﹃. れ て いる。. 義経記 ﹄ の場 合 ① ﹃. 義 経 記 ﹄ か ら 見 て いき た いと 思 う 。 書 写 山 でひと 波 乱 起 こし て そ れ では、先 ず ﹃. じぞり弁慶﹄、 ﹃ 橋弁慶﹄ に ついて比較 し てみる。そし て、出会 い 子 ﹃ 弁慶物語﹄、 ﹃. 義経 記﹄と御 伽草 本 稿 では、まず義 経と弁慶と の出会 いの場面 に焦点 をあ て、﹃. 出 でて、南 へ向 いて行 き け れば 、 人 の家 の築 地 の際 に件 み て、 天神 へ参 り の人. 生 に、弁 慶 に よ か ら ん太 刀与 え 給 へ﹂ と 祈 誓 し て、 夜 更 く れば 、 天神 の御 前 に. 今 夜 の御 利 六月十 七 日、 弁 慶 五条 の天神 に参 り 、夜 と と も に祈 念 し け る は 、 ﹁. き た弁慶 は、都 で太 刀 千 振 り を 得 た いと 願 い、 通行 人 か ら太 刀 を 強 奪 し て いた 。. の場と し て五条 天神 、清水寺、五条橋 界隈が選ば れた作 品 があるのに対 し、そう で. 明く れば 六 月 十 八 日な り 。 清 水 の観 音 には 、 上 下参 籠 す る所 な れ ば 、弁 慶 何. 慶 は 、何と し ても 義 経 の黄 金 作 り の太 刀を 奪 いた いと 思う 。. る。 しか し、義 経 の戦 法 に翻 弄 さ れ 、 決着 が つか な か った 。 あ き ら め の つか な い弁. る た め、 五条 天 神 に祈 願 し に行 く 。 そ こ で、義 経 と 出 会 い、 第 一回 目 の対 戦 と な. 九 百九十九 振 の太 刀 を 奪 い取 った 弁 慶 は 、 六 月 十 七 日、 千 本 目 に立 派 な太 刀を 得. の中 に、 よき 太 刀持 ち た る人 を ぞ待 ち か け た る。. 義 経 記﹄巻 三 では、そ れ ぞ れ の作 品 に ついて、簡 略 に触 れ てみ た い。ま ず、 ﹃. 一、 義 経 と 弁 慶 と の 出 会 い. た背 景 に ついて考察 し てみた いと思う 。. はな い作品もあ ること がわかる。出会 いの場とし て、北 野天満宮 や法性寺 が選ばれ. 平家物 語﹄ では、出会 いの場面 に ついて 一切触 れられて いな い。 る。ま た、 ﹃. 義 経 記﹄ で の最 初 の出 会 いの場 は、 五条 天神 であ の出 会 いは書 か れ て いな い。 ﹃. 義経記﹄ には、 五条橋 で 絵本 ︶ で親 しま れ て いる五条橋 で の出会 いの場面だ が、 ﹃. ﹁ ﹁ 牛若 丸と弁 慶﹂ 昭和 2 牛若丸し や絵 本 ︵ これは、小学校唱歌 ︵ 1年  講 談 社 の. す が に牛若丸 にはかなわぬと降参 す る。. ったり来たりす る。扇 で手招きを し ては、弁慶を翻弄す る。鬼 のよう な弁慶も 、さ. 弁慶 物 語 ﹄ では そ こま では物 語 って いな い。 対 し、 ﹃. 平 泉 へ落ち てゆき 、 頼 朝 の軍勢 に攻 め ら れ 、 死 に至 るま で の弁 慶 を 記 し て いる のに. 義 経 記 ﹄ では 、 そ の後 、義 経 に付 き 従 い ﹃ 弁 慶 物 語﹄ も ほ ぼ 同 じ と 言 え る。 た だ 、 ﹃. は 、 弁慶 の出 生 か ら 、義 経 と 主 従 の契 約 を 結 ぶ過 程 が描 か れ て いる。 こ の話 の筋 は. ノk. 説. 義 経と弁慶と言うと 、五条橋 の上 で の対決場面が有名 であ る。五条 の橋 の上 で、. は. 弁.

(2) (12) ). 文学 。文化研 究編 (2004年 3月 甲南女子大学大学 院論集 第 2号. と も あ れ 、 作 夕 の男 は今 宵 清 水 に ぞあ ら んず ら ん。 参 り て見ば やと 思 ひ てぞ参. 諄 も こ の集 団 の伝 承 す るも のだ った ろう 。頼 光 の四 天 王 のひと り 渡 辺綱 が、 こ. 明 社 があ り 、 こ の付 近 に陰 陽師 、声 聞 師、散 所 な ど の集 団も あ って、鬼 一法 眼. の戻 り橋 で鬼 女 の手 を 斬 った話 にも 安 倍晴明 が登 場 し ており 、 やは り こ の集 団. り け る。 あ か ら さま に清 水 の総 門 に件 み て、 待 てど も 待 てど も 見え 給 はず 。 今 宵 も か. よ く 混 同さ れ た 文 献 が 早 く か ら あ る。 ︵ 中略 ︶鬼 一法 眼 が 住 んだ と いう 一条 堀. の伝 承 であ った 。 鬼 一法 眼 も 集 団 の住 人 のひと り であ り 、陰 陽師 であ った のは. こう し て、 第 二回 目 の対 戦 は、清 水 の坂 ︵ 五条 坂 ︶ で行 わ れ る。 し か し 、義 経 は. 川 の陰 陽師 、声 聞 師 な ども 、 上 御 霊 の傍 ら に住 む 北畠 の声 聞 師 や、禁 中 に近 か. く て帰 ら んと す ると こ ろ に、何 時 も の癖 な れば 、 御 曹 司 夜 更 け て、 清 水 の坂 の. 弁 慶 を さ ら り と 交 わ し 、 姿 を 消 し てし ま う 。 清 水 寺 で の通 夜 へ向 か った義 経 に弁 慶. った ゆえ に ﹁ 御 近 所 の声 聞 師 ﹂ と いわ れた桜 町 の声 聞 師 と と も に、義 経 物 語 に. 興 味 深 い。 ︵ 中 略 ︶ 陰 陽 師 、声 聞 師 、散 所 な ど は 、 常 に雑 居 し て いた ら し く 、. は つ いて行 く 。 そ し て、 第 三 回目 の対 決 が 、参 詣 に や ってき た 人 々の前 で繰 り 広 げ. 参 与 し て いた と 見 て よ いだ ろう 。 ︵ 中 略 ︶ 五条 天 神 に は 一条 堀 川 に住 む 陰 陽 師. 辺 り にま た 例 の笛 こそ聞 ゝ ﹂ え けれ。. ら れ る。. 鬼 一法 眼 の徒 党 が 奉 仕 し 、 そ の呪 力 によ って疫 病 を 撃 退 し て いた 。 ﹁ 鬼 一﹂ の. が 多 い のも 一つ の特 徴 であ った 。 ﹁ 鬼 こ の ﹁いち ﹂ は 神 を い つく 者 を 意 味. 二 人 は や が て舞 台 へひら と 下り 合 う てぞ 戦 ひ給 ふ。 始 め は 人も 怖 ぢ て寄 らざ り 清 水 の舞 台 で の対 決 により 、弁 慶 が降 参 し 、義 経 と 主 従 の契 約を交 わ す こと にな. し 、神 に奉 仕 し た 呪 術 者 の身 分 を 明 ら か にし て いる。 ﹁ ○ ○ いち﹂ と 称 す る者. 名 も 鬼 の名 に よ って鬼 の子 孫 を 称 し 、陰 陽師 や声 聞 師 な ど 、 山 の宗 教 家 にそ れ. 義 経 記 ﹄ の主 従 契 約 に至 る ま で の対 決 場 面 であ る。第 一回 目 が 五条 る。 以 上 が 、 ﹃. に、 語り物 を 語 った 琵 琶法 師 が多 い のも 、神 に仕 え た 下賤 な 芸 能 家 によ って、. け る が 、 後 には 面白 さ に行道 を す る様 に、 つ いてめ ぐ り て これを 見 る 。. 天神 、 二回 目 が清 水 の坂 、 三 回 目 は 清 水 の舞 台 であ った 。. 別 当 乱 行 の事 ﹂ で は 、 弁 慶 の母 の五条 天 神 への参 詣 が 物 語 の発 端 と な って いる こ. 鬼 一法 眼 が差 向 け た 湛 海 を 五条 天神 で討 つこと にな ってお り 、巻 三巻 頭 の ﹁ 熊野の. 神 に奉 仕 し て いた 例 の語 り の集 団 が ﹃ 義 経 記﹄ の 一部 を 語 って いた こと を 指 摘 さ れ. り の集 団 は、義 経 伝 承 にも 関与 し て いた と いう事 を 詳 し く 論 じ ら れ て いる。 五条 天. つま り 、  一条 堀 川 に在 住 し て いた 語 り の集団 が 五条 天 神 に奉 仕 し て いた 。 そ の語. ︲。 語 り 物 が行 わ れ て いた 証拠 と し てよ いだ ろう. と 、 さ ら には 、 ﹁ 弁 慶 義 経 に君 臣 の契 約 を 申 す 事 ﹂ の章 段 に お いては 、 弁 慶 の 五条. て いる 。 す なわ ち 、 角 川 氏 は ﹁ 語 り 手 ﹂ と そ の語り が行 わ れ た ﹁ 場 所﹂ と いう 点 に. ﹃ 義 経 記 ﹄ で は 、 巻 二巻 末 の ﹁ 義 経 鬼 一法 眼 が 所 へ御 出 で の事 ﹂ では 、 義 経 は 、. 天神 への祈念 が義 経 と の出 会 いのき っか け と な って いる こと な ど 、物 語 の主 要 な舞. 着 目 さ れ て いる。 こ れ ら のご意 見 を 踏 ま え つつも 、 そ の語 り の対 象 と な った 人 々、. 聞き 手 ﹂ にも 目を 向 け る必 要 があ ると 思わ れ る。 つま り 、 ﹁. 台 に 五条 天神 が選 ば れ て いる。 ﹃ 義 経 記 ﹄ と 五条 天 神 と の関 わ り に つ い て は 、角 川 源 義 氏 に よ つて、   一条 堀 川 に 住 ん で いた陰 陽師 ら と ﹃ 義 経 記﹄ の語 り と の関連 に つ いて以 下 のよう に述 べら れ て. 道 の大 家 安 倍 晴 明 は 、妻 が職神 ︵ 陰 陽 道 で呪 証 な ど に使 う 人 形 ︶ の顔 を 恐 れ た. 者 だ った と いう 。  一条 堀 川 には安 倍 晴 明 の橋 占 いで有 名 な 戻 り橋 が あ る。 陰 陽. 鬼 一法 眼 は 一条 堀 川 に住 む陰 陽 師 法 師 ︵ 古 本 には 園 城 寺 法 師 ︶ で文 武 二道 の達. し触 れ てみた いと 思 う 。 ︵ 表 1︶ 諸 本 に つ いては、様 々 に分 類 さ れ て いる が 、刊 本. ﹃ 弁 慶 物 語﹄ を 理 解 す る にあ た つて、 諸 本 に ついて整 理 す る 必 要 があ る の で、少. きた ﹃ 義 経 記﹄ 巻 三 の内 容 に相 当 す る ﹃ 弁 慶物 語﹄に つ いて確 認 し てみた いと 思う 。. 以 上、 ﹃ 義 経 記 ﹄に お け る 出 会 い の場 面 に ついて、見 てき た 。次 に、ゝ﹂れ ま で見 て. ② ﹃ 弁 慶 物 語﹄ の場 合. の で、 戻 り 橋 の下 に これを かく し お いて使 った 。 吉 凶 の橋 占 いを 問 わ れ ると 、. 系 の本 文 が比較 的 異 同 が少 な いのに対 し 、 写本系 の諸 本 では異 同 が多 いと 言 わ れ て. いる 。. そ の職 神 は 人 の 口 に移 って善 悪 を 示 し た ︵ ﹃ 源 平 盛 衰 記 し 。 戻 り 橋 の近 く に晴.

(3) 八 木直子 :弁 慶説話. (13). 表 1  弁慶物語﹄ の主な諸本 ﹃ 未刊国文資料  未 刊御伽草子集と研究 二し 写本   ﹃ 武蔵坊弁慶物語絵巻﹄穂久迩文庫蔵 ︵ ﹃ 京大本。 京都大学国語国文資料叢 書 4 弁慶物語﹄    一 只都大学 国文学研究室蔵本 ︵ 1︶ 東大本 岩瀬文庫本 古典資 料研究﹄ 5︶ 慶應義塾 図書館蔵 ︵ 慶應本。 ﹃ 元和七年 写本 ︵ 元和 本。 ﹃ 室町時代物 語大成﹄ 2 1︶ 8︶ 山辺道﹂ 2 天理図書館蔵本 ︵ 天理本。 ﹁ ﹃ C BL本。大系本 の底本。︶ 武蔵坊絵縁起﹄ チ ェスタービ ー ティー図書館蔵 ︵ ﹃ 室 町時代物語大成﹄ 2 刊本 古活字本    慶応義塾図書館蔵 ︵ 1︶ 、 ﹃ 島根大学文 理学部紀要﹄ 0 古活字別本       ︵ 1 H︶. いる 。 武 弁 慶 に関す る独 立 し た 作 品 の中 で、 現 存 す る最 古 のも のと さ れ て いる のが 、 ﹃. を語 って終わらせ て いる。. 弁慶 ま た、同じく写本系 に分類され て いるが、異 な った話 の展開とな って いる ﹃. 武蔵坊絵縁起﹄と呼 ば れる伝本から読 ん で いき 物語﹄ の記述を見 てみる。まず、﹃. た い。表 2 の ︻ 弁慶物語﹄ の欄 に ついては ﹃ 新 日本古典文学大 諸作品対照表︼ の ﹃. CBL︶ 新大系﹄ の底本 は、チ ェスタービ ーティ図書館蔵 ︵ 系﹄を基 に作成 した。 ﹃ 本 であ る。 では、本文を見 てみた い。. 場面①. 頃は六月十 五日 の夜 の事なるに、洛中を こ ゝかし こと伺 ひ見れども 、さる べき. 物もなかりけり。 やう ノヽ歩 み行く ほど に、北野 の御前 に参りけり。 弁慶、坂本 へ行く。 ︵ ︶. 頃は七月十 四日 の夜、弁慶 いつも の装東 にて、長刀杖 に突き て、法性寺 の方 へ. 場面②. あ る 。 藤 井 隆 氏 によ れば 、室 町時 代 中 期 を 下ら ぬ書 写 であ ると さ れ て いる。 内 容 に. 行きけ るに、そ の音気高き笛ぞ聞 こえ ける。. 蔵 坊 弁 慶 物 語絵 巻 ﹄ であ る。 特 徴 は 、 本 文 が他 の諸 本 と 大 き く異 な って いる こと で. つ いては 、弁 慶 の出 生 を 描 いて いた と 考 え ら れ る、巻 頭 部 分 が残 って いな い。 現存. 場面③ 又、八月十七 日 の夜、清水 へ件 の男 や参 ら んと思 ひ、清水指して参 りけり。. 本 書 が義 経 記 の 義 経 記 ﹄ と 比 較 し て み ると 、前 掲 書 の藤 井 氏 が、 ﹁ 部 分 に ついて、 ﹃ 影 響 を 受 け て いな い のは 明 ら か であ る﹂ と 述 べら れ て いる ほ ど 、 同 じ 題 材 を 扱 った. 場面④. げ に、おも し ろし御坊。在所 は いづく。 五条 河原 こそ、 ⋮ ﹁ ﹂と のたま へば、﹁. 義 経 記 ﹄ には 記 さ れ て 作 品 と は 言え 、異 な った 説 話 が収 め ら れ て いる。 例 え ば 、 ﹃ いな い、 太 刀 ・具 足 調 達 や、 渡 辺館 で財 を 乞 う 事 、渡 辺館 で賊 徒 を 退 治 す る事 の三. 広ハヽ とし てよし。 ﹂と言 ふ。. 清水を 下向 し て、 五条 の橋 の真中を勝負境 に定 めたり。. 場面⑤. 義 経 記 ﹄ で 一章 段 にわ た って語 ら れ て いる書 写 山 に つ 話 を 載 せ て いる の に対 し 、 ﹃ いては 、 全 く 触 れ ら れ て いな い。 では 、 出 会 いの場 面 に ついて見 てみ ると 、. とな って いる。書写山再建 のため、財を募 ろう と考え た弁慶 は、  一先ず都 に上 る。. さ る ほど に べん け いは、 ほ つこく に おも む かば やと 思 ひ つ ヽ、ま づ み や こ へぞ のぼり け る。 も と より いさ か いし ゆ行 の事 な れば 、 いか な る お こ の物 にも いで. そし て、義経と出会 い、主従契約を交わす事 になる。. 場面① によると、六月十 五日の夜 、北野天神 で義経 に会う こと にな って いる。兵. あ は ゞやと おも ひ け る に、 そ のこ ろ 五 でう のは し のほと り に て夜 ご と に つじぎ 中 略 ︶む さ し ぼう べんけ いは 、 五 でう のは り を す るも のあ り と ふう ぶ んす 。 ︵. 七月十四日夜 の、法性寺 では対戦 できず に、義経を取り逃がし てしまう 。次 に、 八. 法 に長け て いる義経 は、八尺もあ る築地を飛び越え て姿を消し てしまう 。場面② 、. と し て、 北 国 への修 行 の旅 を や め て、 五 条 橋 で の出 会 いを 描 い て いる。 そ し て、. 。 や っと、義経を引き止 め る事 が で 場面③ ︶ 月十 七日 の夜 には清水寺 へと向 かう ︵. し に てしう ハヽ の御 け いやく 申 せ し ⋮ ﹃ 義 経 記 ﹄ が多 く の紙 面 を 費 や し て描 いた 、 都 落 ち 以 後 に つ いては 、簡 略 にあ ら 筋.

(4) 場 面④ ︶。 そ し て、 いよ い き た 弁 慶 は 、対 決 の場 所 と し て、 五条 河 原 を 指 定 す る ︵ 弁 慶 物 語 ﹄ では 、 四 回 出 会 場 面⑤ ︶。 こ の ﹃ よ 五 条 橋 で決 着 を つけ る こと にな る ︵ う こと にな って いる。 そ し て、 出 会 いの場 と し て、他 作 品 には 見 ら れ な い法 性 寺 が 義 経 記 ﹄ と 同様 に、 日付 け が記 さ れ て いる。 登 場 す る。 ま た 、 ﹃ さ て、他 の作 品 は ど の様 に描 いて いる のか 、も う 少 し見 て みた いと 思う 。 じぞり弁 慶 ﹄ ﹃ 歳 頃十 六 七 の小 冠 者 、 五条 の橋 にた ゝず み て行 き 来 の人 を 悩 ま す 都 五条 が橋 にを ひ て千 人 斬 り のあ る由 を 、 弁 慶 つぶさ に承 り て. ﹃ 橋 弁慶 ﹄. 。. じ ぞ り 弁 慶 ﹄、 ﹃ ﹃ 橋 弁 慶 ﹄ に お い て は 、義 経 と の出 会 いは 、 五 条 橋 と な って い ZO. 二、 北 野 天 満 宮 、 法 性 寺 に 関 す る 一考 察. け ら れ る。. しか し、 ﹃ 義 経 記 ﹄ で は 、 五条 橋 で の出 会 いは 一切 語 って いな いのに対 し 、 清 水. で の対 決 を 描 いて いる。 こ の事 に つ いて、 岡見 正 雄 氏 は 、. ﹁五条 の橋 で の合 戦 、 橋 弁 慶 謂 も そ れ が清 水 への参 詣 道 であ った の で、 弁 慶 と. 御 曹 司 が清 水 の観 音 で合 戦す る よう にな って いる義 経 記 の形 は古 い原 型 であ っ た の では な いか 。 ﹂. 看 聞 御 記 ﹄ 永 享 九 年 ︵一四 三 七 ︶年 七 月 十 九 日 条 に と 指 摘 さ れ て い る。 ま た 、 ﹃. 清 水 風 情 、牛 若 弁 慶 切 り 合 は 、 内 裏 の孟 蘭 盆 会 の御 灯 籠 を 拝 見 し た 事 が記 さ れ 、 ﹁. いの風 情 な り 、殊 勝 の 一段 目を 驚 か す ﹂ と あ り 、清 水 で の対 決 場 面を 描 いた 灯 籠 が. 義 経 記﹄ の語 る清 水 で 評 判 にな った こと が 分 か る。 つま り 、 永 享 九 年 前 後 には 、 ﹃. の対 決 話 が 一般 に知 ら れ て いたと 考 え ら れ る。. 義 経 記﹄巻 第 三 ﹁ 弁 慶 義 経 に君 臣 の契 約 を 申 す 事 ﹂ では 、 二回 目 の出 会 ま た、 ﹃. いの時 と し て、 六 月 十 八 日 の清水 観 音 の縁 日を 設 定 し て いる。 そ し て、弁 慶 が 清 水. 寺 の観 音 の縁 起 に つ いて こう 語 って いる。. 五条 橋. 聞き. 退 治す るた め都 に上 る. 出 雲 のわ にぶち 山 で修 行 中 に、. じ ぞり 弁 慶. 五条 橋. 一回. 牛 若 丸 が 千 人斬 りを 企 て、 九 百 九 十 九 人を 斬 った 時 、 弁 慶 と 出会 う 。. 橋 弁 慶. ﹁こ の観音 と 申 す は 、 坂 上 田村丸 建 立 し奉 り し御 仏 な り 。 ﹃ 我 三十 三 遍 に身 を 変. 六月十 五 日 七月十 四 日 八月 十 七 日. 北 野神 社 法性寺 ※ 五条 橋. 三回. 弁慶 が 書 写 山 再 建 の釘 代 と す 都 で人 々を 悩 ま す 冠 者 が いると 義経記﹄と同じ。 る。後 は、 ﹃ 、 c. 弁慶 物 語 ︵ C B L本 ︶. 諸作品対照 以上、諸作品 におけ る、出会 いの場所 に ついて見 てき た。表2の ︻. 五条 橋. 一回. 牛 若 丸 が 辻き り を し て お り 、 弁 慶 が これを 討 と う と す る。. 武 蔵 坊 弁 慶 物 語絵 巻. じ て衆 生 の願 ひを 満 てず は、祗 園 精 舎 の雲 に交 は り 、 永 く 正覚 を 取 ら じ ﹄ と 誓. 義 経 記. 表︼からも出会 いの場を五条橋とする ︿五条橋説話 ﹀を扱 っている作品が多く見受 表 2  諸 作 品 対 照表 作 品. 弁 慶 が太 刀 千 振 を 得 た いと 願 い、 九 百 九 十 九 振 得 た後 、義 経 に出 会 う 。. 事 柄. 義 経 と 弁 慶 の出会 いのき っ かけ. 五条 天神 清 水 の坂 清 水 観 音堂. 三回. 出会 った 場所. 六月十七 日 ︵ 五条 天神︶ 六月十 八日 ︵ 清水観音︶. 対 戦 の回数. 出 会 った 日. 園城寺 と。 お んじやう し ︵ 法勝寺﹂。東大本、天理本 ﹁ 法性寺﹂。 元和本 ﹁ ※古活字 別本 ﹁. 回. (14) ). 文学 ・文化研 究編 (2004年 3月 甲南女子大学大学 院論集 第 2号.

(5) 八 木直子 :弁 慶説話. (15). ひ、 ﹃ 川 原 を 越 え て我 が地 に入 ら ん者 を ば 、福 徳 を 授 け ん﹄と 誓 ひ 給 ふ御 仏 な り 。 さ れ ども 弁 慶 は福 徳 を も 欲 し か ら ず 、 ただ こ の男 の持 ち た る太 刀 を 弁 慶 に. 語 に登場 し てく る のも 自 然 の流 のよう に見え る。. こ れ に対 し、 地 理 の面 か ら 見 て不自 然 な 北 野 天神 と 法 性 寺 は な ぜ対 決 の舞 台 と な. った のか疑 間 に思 わ れ る。 表 2 の ︻ 諸 作 品 対 照 表 ︼ か ら も 分 か る よう に、 ﹃ 弁慶物. 語﹄ ︵ CB L本 ︶ で は 、 対 決 の場 と し て、 北 野 天 神 ・法 性 寺 ・五 条 橋 と な って い. 取 ら せ て賜 べ﹂ と 祈 誓 し て門 の前 にぞ待 ち か け た な。 弁 慶 の言 葉 を 借 り て、 語 り 手 が わ ざ わ ざ 清 水 寺 の縁 起 を 語 って いる よ う に 思 わ れ. 弁 慶 物 語 ﹄ の写 本 の 一つであ る ﹁ る 。 ま た、 ﹃ 慶 應 本 ﹂ に お いて は、 北 野 天神 と 五 条 橋 で対決す る こと にな って いる。. Z O。 清 水 寺 と ︿義 経 と 弁 慶 の主従 物 語 ﹀と の関 わ り に ついては 、先 学 に よ って、 以 下. た 時 代 の人 々にと って、庶 民 にと っては 、 清 水 の観 音 は東 京 で いえ ば 浅 草 の観. ﹁ 清 水 寺 は今 で こ そ 観 光 のお寺 さ ん であ る が 、 室 町 び と 、 こ の義 経 記 が 成 立 し. 義 経 記 ﹄ では 、弁 慶 に よ って清 水 寺 縁 起 が 語 ら れ て いた 。 そ れ に に対 思 わ れ る。 ﹃. で、 義 経 の武 術 を 身 せ つけ 、 超 人 的 な 人 物 であ った こと を 印 象 付 け る場 面 のよう に. 小 鷹 の法 ﹂ や 八 尺 の築 地 を 飛び 越 え ると いう 離 れ技 を 披 露 す る。 ま る る。 義 経 が ﹁. ﹃ 弁 慶 物 語﹄ ︵ C L B本 ︶ で は 、 六 月 十 五 日 の夜 、 北 野 天 神 で 戦 う 事 に な って い. 中 略 ︶殊 に室 町 時 代 に は観 音 の縁 日 と し て重 ん ぜ ら れ た 六 月 音 様 であ った 。 ︵. し、 ﹃ 弁慶物 語﹄ ﹁元 和 本 ﹂ では、弁 慶 が 北 野 天満 宮 に ついて以 下 のよう に語 って い. のよう に述 べら れ てき た 。 まず 、 岡 見 正 雄 氏 は 、. 十 八 日 の夜 に、 大 の男 の弁 慶 が参 り の人 の環 視 の中 で、 引 い つ進 んづ 遊 ぶ よう. Z ω。. 当社権 現 は 、 殊 更 諸 社 に こえ て、 慈 悲 深 重 に御 座 、 因 位 に、ざ んげ んを 、う ら. に戦 って主 従 の契 約 を 結 ぶと いう のは美 し い絵 様 、 室 町 ご こ ろ であ って、 ⋮﹂ 室 町 時 代 の庶 民 にと つて、如 何 に清 水 寺 の観 音 信 仰 が身 近 な も のであ った か を 説 い. み給 ひ て、偽 を 純 す の天神 と 、 名 を ゑたま へり   然 る に、 弁 慶 は 、親 も いろわ. す 、師も お し へず 、 みづ か ら 発 心 の出家 也 、流 転 三界 の文 を 唱 て、 わ れと髪 を. てお ら れ る。 さ ら に、 ア フ マド ・M ・フ アト ヒ氏 は 、縁 日と 語 り と の関 係 に ついて着 目 さ れ て. んじ ん也 是 みな い つわ り にな り ゆく 間 、 いま し め ん が た め に、 男 の姿 と へん じ. そり 、衣 を そ め て、 心 を そ めず 、 さ て悪 行 を いた す 時 は 、 又衣 鉢 を け がす 、 ま. ﹁ 清 水 寺 縁 起 や縁 日 のと き の庶 民 の参 詣 状 況 な ど が あ れ ほ ど 詳 細 に 語 ら れ る の. て、ま しノヽ け る、 ござ んな れ 、 あ わ れ和 光 垂 辺 の御 じ ひ ほど 、 あ り がたき 事. いる。. は 、当 時 非 常 に清 水 寺 が庶 民 に親 しま れ て いて、清 水 寺 の観 音 が 民 間 信 仰 にお. は、 よも あ ら じ と て、 社 旦 にち か づ き 奉 る. 弁 慶 物 語﹄ ﹁ こ のよう に、 ﹃ 元和 本 ﹂ にお いては 、 北 野 天満 宮 縁 起 に つ いて記 さ れ て. いて大 き な存 在 であ ったか ら であ ろう 。 そ こ で義 経 と 弁 慶 と の再 会 及 び 主 従 関 係 成 立 の舞 台 と し て清 水 寺 が 選 ば れ る のは 、 やはり そ の当 時 の民 間 信 仰 や語 り. いる。 これ は、 C B L本 や古 活 字 本 には な い部 分 であ る。 ﹃ 弁 慶 物 語﹄と 北 野 天 満. さ て、北 野 天 神 に つ い て、簡 略 に 述 べる と 、京 都 市 上 京 区 の北 野 天 満 宮 の こと. 宮 と の関連を 考え る上 で重 要 にな ってく る箇 所 だ と 思 わ れ る。. の状 況 など か ら 見 て、 五条 天神 社 と 同様 、 必 然 的 であ ったと 思 わ れ る。﹂ 語 り 手 は 、あ る時 は 、 弁 慶 の言 葉 を 通 し て清 水 寺 の縁 起 を 語 り 、大 勢 の人 が集 ま る 縁 日 に こ の主 従 物 語 を 語 って いた 。 つま り 、縁 日と 語 り は 一体 のも の であ ったと 述. 窺 い知 る こと が でき る。 そ の縁 日 にお いて、義 経 と 弁 慶 と の主 従契 約 の物 語 が 語 ら. 以 上 の事 か ら 、室 町 時 代 の庶 民 の生 活 に密 着 し て いた 清 水 寺 の観 音 信 仰 の形 跡 を. 来 、 庶民 の参 詣 で にぎ わ って いた 北 野 天神 界 隈 は、猿 楽 や曲 舞 の興行 の場 と さ れ て. 護 を 受 け る こと に な る。 そ し て、 室 町 時 代 に、 最 盛 期 を 迎 え る。  一方 、 室 町 期 以. 原道 真を 祀 って いる。 建 武 三年 の足 利 尊 氏 の勝 利 祈 願 を き っか け に、 歴 代 将 軍 の庇. で、 北 野天神 と も 呼 ば れ て いる。 天暦 元年 ︵ 九 四七 ︶ 年 に北 野 の地 に創 建 さ れ、 菅. れ て いた と 考 え てみ る。 そう す ると 、 地 理 の面 か ら 見 ても 、 清 水 寺 への参 詣 道 にあ. いた よう であ る。 ま た 、 天 神 信 仰 に つ いて調 べ てみ ると 、︿弁 慶 の物 語 ﹀がす で に. べら れ て いる。. た る、清 水 坂 ︵ 五条 坂 Y 五条 橋 ・五 条 天 神 が主 従 契 約 に至 る対 決 の場 所 と し て物.

(6) 北 野 天 神 根 本 縁 起 絵 巻 ﹄ 等 によ って、 天 神 形 成 し つ つあ った 室 町 中 期 ご ろ には 、 ﹃ は 十 一面 観 音 の垂 辺 と し て信 仰 さ れ てく る よう であ る。 つま り 、 こ の時 代 、 学 問 の 神 と し て祀 る 一方 で道 真 を 観 音 と 同 一視 し 、 諸 芸 の神 と し ても 信 仰 さ れ て いた と い う こと にな る 。 ま た 、 法 性 寺 に つ い て は 京 都 市 東 山 区 の九 条 河 原 、 鴨 川 の東 岸 にあ った 寺 で 、 延 九 二 五 ︶、 藤 原 忠 平 に よ っ て 創 建 さ れ 、 開 山 は 天 台 座 主 法 性 房 尊 意 に よ 長 三年 ︵ る 。 そ の本 尊 は 、 千 手 観 音 であ った と いう 。. 見 てき た 。 特 に、今 ま で論 じ ら れ る こと のな か った 北 野 天 満 宮 や法 性 寺 に つ いて考 察 を 試 みた。 し か し 、 現 段 階 にお いて単 純 に中 世 で の観 音 信 仰 の隆 盛 が ﹃ 弁 慶 物 語 ﹄ に反 映 し た と 言 う には 、あ ま り に資 料 が少 な く 、 結 論 付 け るま で には 至 って いな い。 出 会 い に至 るま で の動 機 に つ いてな ど今 回扱 いき れ な か った 問 題 は多 く 、 そ れ ら に つ いて は 、 テキ スト を さ ら に詳 細 に読 む こと が 必 要 であ る。 ま た 、 同 時 代 に成 立 し た 他 の作 品 、資 料 等 にお け る北 野 天 満 宮 や法 性 寺 に関 す る 記 事 や中 世 の人 々 にと って の観 音 信 仰 や天 神 信 仰 に つ いて の記事 に ついても 幅 広 く 見 る と いう こと な ど 多 く の課 題を 残 す こと にな ってしま った 。 ﹃ 弁 慶 物 語 ﹄二 じ ぞり 弁 慶 ﹄二 橋 義 経 記 ﹄ や御 伽 草 子 類 ︵ 今 後 の作 業 と し ては 、 ﹃ 弁 慶 L と と も に、 今 回 取 り 上 げ る こと の でき な か った 同 時 代 の芸 能 であ る謡 曲 や ﹃ 鳥 帽 子 折 ﹄ で は 、 五条 橋 や清 水 で の御 曹 司 と の 未 来 記 ﹄二 笛 之 巻 ∵ ﹃ 幸若舞曲 ︵ 出 会 いを 採 って いる。︶ と も 比 較 した いと 考 え て いる。. ﹃ 義経 記﹄ の成立﹂角 川源義 全集   一九八三  角 川書店 角 川源義 ﹁. 義経記 ︵ 田中本︶ ﹃ 新編 日本古典文学全集﹄二〇〇〇  小学館. 藤井 隆 未 刊御 伽草子集と研究   一九 五七 未刊国文資料刊行会 ﹃ 弁慶物 語﹄ に ついて 義経記﹄と ﹃. 看 聞御 記﹄ の永享 六年 ︵一 多 く の絵巻 や物 語 に通じ て いた後崇 光 院貞成親王 の日記 ﹃. 田  岡と同掲書。. 店.   大 修館 書 田  大島建彦 二園田  稔 ・圭室文雄 ・山本節 編 ﹃日本 の神 仏 の辞典﹄ 二 〇〇 一. 的  弁慶物語 ︵ 元和本 ︶ ﹃ 室町時代物語大成﹄巻十 二  一九 八 四 角 川書店. 〇〇二  古典資料研究会 固  弁慶物語 ︵ 慶 應本 ︶ ﹃ 古典資料研究﹄第 五号 一一. 中京国文学﹄第 一一号   一九九 一 と主従関係 の成立︱︱ ﹃. 義経記﹄と ﹃ベーバルス王伝 説﹄ ︱︱ 英雄 に対す る神 の庇護 ア フ マド ・M ・フ ァト ヒ ﹃. mと同掲書。. 続群書類従 ・補遺﹄ 一九 三 〇  続群書類従完成会 看 聞御記 ﹃ 田と同掲書。. 岡見正雄 ﹃ 義 経記﹄ 日本古典文学大系   一九五九 円 石波書店. 奈良絵本 ︶ ﹃ 室町時代物語大成 ﹄巻十   一九 八 三  角 川書店 橋弁慶 ︵. じぞり弁慶 ︵ 奈良絵本 ︶﹃ 室町時代物語大成﹄巻六   一九 七九 角 川書店. 同と同掲書。. 石波書店 新 日本古典文学大系﹄室町物語集 下   一九九 二  山 弁慶物語 ︵ C BL本 ︶﹃. したも のではな いと言われ て いる。 0と同掲書。. 義経記﹄巻 三 の影響 下 に成立 弁慶物語﹄は ﹃ と されて いる。 つま り、従来 の研究 では、 ﹃. 義経 記﹄﹃ 弁慶物語﹄ が別 々に取り入れ て成 立した 出来 上が って いた ︿弁慶 の物語 ﹀を ﹃. 語 ﹀は室町時代前 期 には成立 し て いたと 考えられ て いる。室 町前 期 ︵ 十 四世紀 ︶ご ろに. 武蔵坊弁慶物 語 二巻﹂と記され て いること からも、︿弁慶 の物 四三四︶十 一月 六 日条 に ﹁. (4)(3)(2)(1)注 (14)(13)(12)(11)(101(9)(8)(7)(6)(5). こ れ ら の事 か ら 、 北 野 天 神 、 法 性 寺 、 いず れ に つ い ても 、 観 音 信 仰 と の 関 わ り が 見 え てき た 。. び. 今 回 は 、義 経 と 弁 慶 と の出会 いの場 面 に つ いて、諸 作 品 の本 文 を 取 り 上 げ つ つ、. 結. (16) ). 文学 ・文化研 究編 (2004年 3月 甲南女子大学大学 院論集 第 2号.

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