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『宗教研究』237号(52巻2輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

仏身論の展開:三身説の成立をめぐって, ルーベン・アビト, The Development of the Buddha-Body

Theory, Ruben L.F. Habito, pp.1-21.

2,

奄美の村落における宗教観と信仰実践:瀬戸内町西阿室全世帯調査結果から, 安斎伸, The Concept of

God and Other Beliefs in a Hamlet of Amami-Oshima, Shin ANZAI, pp.23-50.

3,

方等陀羅尼経に基づく方等懺法の考察:中国における実修とその意義, 大野栄人, The Study of the

Fang-têng-ch’an-hui(

方等懺法 Vaipulyaconfession ritual) Based on Vaipulya-dhāranī-sūtra(方等陀羅尼経

Fang-têng-t’o-lo-ni-ching), Eijin

ŌNO, pp.51-77.

4,

アニミズム論の再検討:マレーシアの場合, 山本春樹, Re-examination of Animism theory: in the case

of Malaysia, Haruki YAMAMOTO, pp.79-101.

特別寄稿

5,

新しい酒は新しい容器に:伝統的なチャーチ=セクト概念からの離脱, ジェイムズ・A.ベックフォード,

James BECHFORD, pp.103-126.

書評と紹介

6,

井門富二夫編『講座宗教学第3巻 秩序への挑戦』, 西山茂, Shigeru NISHIYAMA, pp.127-132.

7,

藤田富雄編『講座宗教学第4巻 秘められた意味』, 木田理文/吉原和男, Toshihumi KIDA/Kazuo

YOSHIHARA, pp.132-136.

Posted in 1978

(昭和53)年

(2)

仏身論の展開

参 伍 理

仏陀

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三身 達し じ

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仏身論の展開

三身説の成立をめぐって

ルーベン・

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Ⅰ ⅡⅡ @@@ 丑

、 11 田

(3)

有部は三帰依中の帰依仏を八菩提の法 V との 密 接 な関係において説いている。すな ね ち、帰依 す るところの 仏と ︵。Ⅰ l.l @

ま、ィ、ムの

無学を成ずる菩提の法に他ならないとⅡ︵ 2 卜さらに仏とは八法を自性となす V ものである と 強調している。 (112) 2 ダ て

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(4)

仏身論の展開

仏伝文学の普及につれて、仏陀信仰は一般民衆 に惨速 したが、成仏の八経路 V が一般化されると ともに、釈尊のほ @M- かにも、その過程を経て成仏した者の存在が想定 され、過去 仏 、未来 仏 、ないし現在他方 仏 の 多 仏 思想が派生した。 この展開に関しては、 ノ 。 ンド の民間信仰の諸要素 の 影響を よ り精密に検討する余地があると い え よ,つ 。 @ ㎎︶ ﹁異邦家輪講﹂に見られる大衆部等の仏陀論は 、 超越的な存在として仏陀をとらえているが、 そ れは歴史的仏陀、 ︵四︶ 人間釈尊のわくをはみだし、複数であらわれる 八 すべて仏陀たるもの V をさしていると解せられ る 。 さらに、大乗仏教になると、釈尊以外の仏とし て 、 阿閻仏 、薬師如来、阿弥陀仏等が登場して 信仰の対象とされ た 。これらの仏陀たちの登場によって救済仏教の 道 が開かれた。 以上の如く入仏なして 仏 たらしめるもの V の 追 究は 、仏陀を八法を自性とするもの V すなわち 八 法を身体とするも の V ︵らぎ日日奏卸せ 麓 ︶と見る有部の代表的立場と 、超人的仏陀を仰ぎ、その偉大さを種々 な 方法 で 讃嘆する一般民衆① の 信仰的立場とに分かれるが、前者は八法中心 V 的立場であり、後考は八仙中心 V の立場である といわれる。大まか しかし、入滅した師を追慕することほ ︵ j ︶ 化するに至った。そしてかの仏陀がこの を 経て善行を積み、修行をなしたからで た行為を物語る本生譚︵︶翠の甘 P ︶はこの 題は仏陀がいかなる径路を辿って仏陀 と ︵ り @@ である。 やまず、その偉大さを讃嘆するに つ れて、かれ を 理想化し、超人格化・神格 地位に至ったのは、今生の修行によるだけでは なく、実は過去の多数の生涯 あると考えられるようになった。釈尊の前生に めげる諸功徳、大悲に基づい よう に作成された。その他種々の仏伝文学 類 が発 生したが、それらの中心 課 なったか、すなわち成仏の因縁︵大起︶及び 修 行の階梯︵本行︶ということ -@ Ⅱ︶ るから、今なお入仏陀 V として仰がれるべきもの ぱ その残した 法 以外の何ものでもない、という ことである。 要するに、部派仏教を代表する有部の立場に ょ れば、釈尊は八十歳にして入滅し、人格として 何 も 残らないのであ

(5)

すものでもあると解せられる。 以上の如く、八仙なして 仏 たらしめるもの V の 追究は種々のかたちで行なわれて、それらによっ て 厳密な意味での 仏身論的考察が準備された。 ニ % 身 説の発想 仏陀の本質に対する問 い がさらに行なわれて、 八 仏陀 V における三身の区別が考えだされた。 有 部 では、真に仏陀 と 仰ぐべ き ものは八法を自性となすもの V であり 、その自性たる法とは 八 無学を成ずる菩提の法 V であると説かれ ︵ お @ ︶ ︵ 砿り @ るが、その場合、この立場における釈迦牟尼 仏の 位置が当然問われることになる。そこで入仏陀 V における入能 依の 法 V と八所依の身 V とい 5 二種の区別が説かれ、 前者は仏の本質、仏をして 仏 たらしめるものと され、後者はそれを

= ロ えば、法中心の立場は釈尊の教えに従って 修 行 に従事する出家者によって代表され、 仏 中心 の 立場は在家信者の ︵Ⅲ り ︶ 信仰的態度にあられされるが、特に後者の グル |プは 仏塔信仰の主なる担い手であると思われる 八仙なして 仏 たらしめるもの V の追究のも う一 ・ つの側面は、仏陀たるものの功徳に関する考察で ある。これにも 六法中心 V と 八仙中心 V の 三 線が見られる。 |リ 仏典において、修行の結果として無学聖者の 身中に成就する五種 - 桟 - の 功徳 法 が述べられており、 戒 ・ 定 ・ 慧 ・解脱・ 解脱知見という八五分法身 V 説が見られるが、 それは 色 等の五種に @ Ⅰ り乙 D ︶ よって構成される凡夫の身体に対照され、仏陀 たるものの入身体 V を構成する五種の功徳 法 であ ると解せられる。他 方 、理想化された仏陀がいかにすぐれたもので あるかを証明するものとして、十八不兵法等に関 する考察が行なわ - 舛 @ ね 、仏教全般に伝わった。これら諸功徳は仏陀 の 悟りの智慧に結びつくものに体ならず、その 超 人 たる性格をあられ (114) 4

(6)

身 、すな ね ち、かたちをもってあらわれた歴史 成 と同一視することによって、三十二相等を具足 的 仏陀と結びつく八色身 V とを区別して成立した 仏身論である。これ した人格的仏陀がか @ ㎝ @ たちあるものとして本質的仏陀ではないという 強 調も導きだされる。 要するに、般若経典発想の二 身説は 、木質的 仏 身 、すな ね ち、智慧の完成と結びっげられる六法 身 V と、現象的 仏 開

唾は

、いわば八法中心 V 的立場に立った仏身 論 であり、仏塔信仰を担った仏教徒たちの信仰的 態度と対照させられるも 他方、超人格的仏陀を信仰の対象とする、いわ ゆる八仙中心 V 的立場は 、 趣を異にした三身の 区 別を立てていると 5 (115)

具現した釈尊に

他 ならなしと解せられる、

0-7-

すな

ね ち、仏と呼ばれるものは、先ず第一に八法を身

体 とするもの

V であ

般若経典においても、

仏 たるものの本質が中心

的な問題であり、そこで本質的仏陀と、いわば

現 豪的仏陀の区別が

あるもの︵物質を身体とするもの、﹁

口づ笘

ガリせじ

として、見られるべぎではなく、法を身体とす

るものとして、観る

(7)

般若経系の二具 説は 、仏陀の本質と説か の︵色身︶は非本質的なものであると見な 土豹方向が説かれている。これに対して、 めに歴史上の顕現をなすと説かれるが、 こ 以上二種の八二 身説 V が注目されるが、 智慧の完成に他ならない仏陀︵たち︶の 木 とその歴史的顕現︵化身︶とを区別する 二 ﹁大智度論義においても、既に指摘され は 種々の区別原理があると指摘されている れる六法身 V を智慧の完成と同一視し、これを 重視するが、かたちあるも している。すな ね ち、真の仏陀を求める者には、 色身から法身へという 向 ﹁法華経﹂の本身 仏は 、超歴史的な次元から世間 を 観察し、衆生済度のた れはいわば両下 的 方向である。 一 つ はかたちあるもの︵色身︶、非本質的なもの と 、かたちをなさない、 質 ︵法身︶とを区別する三身 説と 、もう一つは 超歴史的・超人格的本身 仏 身説 である。 @ ㍗︶

論 に見られる八二具 説 V に

ているといってよかろう。 ﹁法華経﹂自体においては、仏身論的考察はなさ れてはいないが、超歴史的本身 仏と 、その歴史 約六顕現 V との 二 - 糾 - 種の区別がなされている。これほ 八 変化 V 思想 の 注目さるべき所依でもあると い わ ほ げればなら ない。超歴史的本身 仏を説く﹁法華経 ヒ はさらに救済仏教の土台を 築 き 、八仙中心 V の信仰的態度を高揚したもので あると見られる。 @ ㏄ - 多方における諸仏の帰一するところでもある、 と 説かれる。 いうことも注目される。その見方は﹁法華経﹂の 八 久遠仏 V によって新たな段階に至ったもので ある。 ﹁法華経 の如来寿量品に説かれる久遠仏は 、久 しい昔に成仏したとされるが、それはむしろ時間 を 超えた次元とし⑥ て解せられ、寿命無量︵の で の﹁ま い ︵ p.w せロ の・ bqp 日ゆ セ盤︶たるものとして常に住しながら、絶え間 な く 一切衆生のために - ㏄ @ 種々の巧みな手段をもってはたらきをなす如来 であると説かれている。この超歴史的仏陀は釈尊 0 本身とされ、また

(8)

仏身論の展開

また、戒を保つことから生じ、三昧から生じ、 知 恵か ㌦生じ、解脱から生じ、解脱を自覚する 知 から生じる。また おそ いつくしみ︵ 慈 ︶と同情︵ 悲 ︶と喜びと不偏の心 とから生じる⋮︵中略︶⋮十力、四種の畏れのな いこと、仏陀に 特 有 な十八種の性格から生じる。あらゆるパーラ、 ,ターから生じ、︵六種の︶神通や︵三種の︶ 知 から生じる⋮︵中は 略 - ︶ さ づ

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を の 徳 9 (119) ︵㏄︶ よって述べられている。 次に、﹁ 浬穏経ヒは 八法身常住 説 V を宣揚したも それは以上の﹁ 不 増 不滅 経円 ﹁ 勝隻 経 ﹂等と同じ伝統に立っているといわなければ 円浬興経 ﹂の常住たる法身は、また 衆 生 済度のために三界 @ 皿 - においてあらゆる時代にわたって種々の八方便 身 V をあらわしていると説かれている。 ﹁如来応供 正 等覚者は、所化の衆生のために三界 に 三種の方便身を現ずる。すな ね ち、生れるか の 如く、生長す ︵功田︶ るかの如く、 浬 興に入るかの如く示現するが⋮ 如 来は常住である ピ 常住、すな ね ち、時間の次元を全く超えている というありかたでありながら、あらゆる時代にお い て姿をあられ し 、利他のはたらきをなしているという如来法身 は 、さらに﹁智光明荘厳 経ヒの 主題となり、 そ のはたらきは 九楡に づ 。・の 臣ヴ甘 p. づ 。︶という四徳が如来の不 共 なるも のであり、阿羅漢、独覚、菩薩に存せざるもので あると説かれるとこ ︵ 毬 @ ろにおいて見られる強調点でもある。 れるのである。それは、如来法身の常波羅蜜、 楽 波羅蜜、我波羅蜜、海波羅蜜︵三モ P 。 苗 口目 ざ ゆ ・の二片すの。 づ 0. ゆ任 づが ︵ ・ @ 仰 - ︵︵ 肢 ︵ すゅ 仮が 壷ぬ銭ヴプ曲 ︶と呼ばれ、衆生の地位を示 すものと解せられる。これに基づいて、如来蔵 は 八柱 纏 位の法身 V と 定義される。すな ね ち、木性においては法身 は 如来蔵Ⅱ衆生と全く平等であるが、 得果 という 点 においては区別さ

(11)

(120) 10 に 厳

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(12)

仏陀の智慧と大悲をさすものであり、これらを 阿弥陀仏の無量寿と無量 開 -0- 仏 11 (121) きを除くことができないといえ 目燵甘 卸せり 臣ま繕 Ⅱ 甲繕ユ Ⅱの給のでの︶ 三 のせ 宝田じと見なし、全く利他 鼻 とは区別されるものであると すなね ち、受用身︵報身︶の はこの点において対照的に見ら よ う 。この点において、同じく三身を説く﹁ 究 寛一乗空性 論 ﹂︵

官簿 的 o ︵ ra ま % ゅ的曲 ︵略号、由の ﹁︶︵ メ 7 6 ︶ は、第二身の受用身︵報身︶を 大 悲の清浄なる等 流 ︵ ガ pqE づ w. ぬ E&& ま ・ 行 をなすものとするが、ただあらわれる領域・ 場 所において同じく利他行をなす変化 ︵㏄︶ 説いている。 理解にその自利的方面を強調する目のやと、 利 他的 方面を重視する抽のくの両立場 れるが、同じ報身に自利のみならず利他のはた らぎが認められ、 自 受用と他受用の両 のはたらぎとされる。しかし、菩薩行の完成者と 見なされる諸仏︵諸々の報身 仏 ︶には報身 仏と、、 、、 してママの利他のはたら

︵㏄

-

の 用法が見られ、仏の受用身すなわち法を享受

する

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語 とな

見られるが、やがて報身仏は三身説の中に位置

づ げを受ける

よう

になった。

三身

説 があられされてからも、

八執身仏

V の

概 念

がさらに展開される余地を有していたといえる

のである

のは、

八 報身

V

︵受用身︶を重視して、それを三身

のうちに最初に説いたと思われるョ大乗荘厳経論

六目

麓すゆせゆ

︵㏄ -

享受者であり、自利のほたらきの結果を受用

し、

それをあらわす仏身として説かれているが、

利 他行

は 第三

るのであ 諸要素が 。という 諸功徳の の 変化身

(13)

性 の 義 、すなわち一切の煩悩所知障を離れたあ りかたをさし、自性 身 または法身と呼ばれる。 - 篠 ︶ の 第一身は他の一一身 のよりどころ 宙絆 申せ ひ ︶であるが、他の二 身 とは 、自利のはたらぎをなす受用身と、利他行をな す 変化身である。 受 片身︵報身︶は、以上見た如く、菩薩行の完成 者であり、清浄法界の諸功徳法の享受者であり、 会衆論にあらわれる 具体的な仏陀︵たち︶をさすものである。そし て 、変化身は、衆生教化のために世間にあらわれ る 仏身である。 ヨの 巨は 第一身を清浄法界の自性の身とし、 平 等 ・微細なるよりどころとするほか、あまり 許 し ぃ 説明をなさな ︵ 乃 - ぃが 、それを不動なる、無色無形の仏陀の木質と 見 なしているといえよ う 0 そして、その本質を 具現するもの、主体 的 仏陀は、諸功徳法の享受者である受用身に他 ならない。 ︵ ム 71 u ︶ ヨ のレ自体においては、受用身,報身の利他的 方面 は ほのめかされているが、それほ後の安意訳 、そして﹁仏地 経 論卜 ﹁成唯識論﹂その他の唯識系の諸論書にお いてあらわに説かれるようになった。これらによ って英仏としての 報 身は仏陀たるものの根本である智慧と大悲の具 現 者であることが明らかにされるのである。 こ ね ちによって、受用 @n@ 三身謀によって仏身論 は 理論としての 充 全的な 士 万成 に至ったといわれているが、大まかに見て 、 三身謀以後の仏身 論 には二系統を区別することができる。一つほ 旨いキ によっ て 代表される立場であ 冗 @2 ︶いわば 、 八 報身中心 V の仏身論 である。もう一つはれのくによって代表される、 いわば八法身中心 V の仏身論的立場である。 唯識思想の立場に立つ目の キ は、菩薩 行 をめぐ ることがらを主題にして、その菩薩 行 が目ざす、 清浄法界︵ 目ミ ・ 日 注す ひ ︵ u. 丘 当ロ ロミ ︶と呼ばれる仏の世界の叙述 におして三身謀をあらわしてしる。

、、、

@3@@ そこで第一 身 とは清浄法界の自

五二系統の仏身論

12

(14)

仏身論の展開 は 法 法 ( 仏

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開 運

13 (123)

う な

八 報身中心

V

の仏身論は特に阿弥陀仏の仏

格を裏づける理論的構造として重視されている。

︵ 7

8

@ 乃 -

して、その如来法身の自利・利他の二種のはたら

きをもって三身というありかたを区別する。

そ こでは、第一身とは

煩悩所知障を離れ、無漏法身を獲得した仏身で

あり、自利をなすものと解せられる。そして他の

二具ほ利他行をな

し 、会衆論においてあらわれて菩薩を相手にして

説法する受用身と、世間において衆生の教化を

なす変化身との

@ ㏄ -

種 と説かれる。すな

ね ち、第一身は、三身を含

む 総括的な如来法身の自性

鼻 として、仏地を獲得

し 、成道の主体、仏

@ ㎝㏄︶

@ ㏄ @

小兵功徳法の完成者であると解せられている。他

の 三身はその如来法身の大悲の等

流 として、

そ れぞれの領域にお

- ㏄ @

する総括的如来法身である。すべての仏身は

、,

﹂の如来法身に帰するものであり、衆生のめざす

究 覚他であると同時

に 、信仰の対処とされる

八 絶対者

V

的 仏

でもある

と 解せられる。さかのばってみれば、司法華経ヒ

の 統一仏力見られ

。、、︵

8

4@

@

㏄︶

@ ㏄ @

むすび

︵ 行 ︶ 身 ・報身が八自性 鼻 と変化身を っ なぐ三身 調め 中軸をなすもの・・・真に仏身と称すべ き もの V とし て 高揚される 0 かょ

(15)

フ,ダ観 ・仏身論の種々の考察の結果、八絶対 ︵ 4 ︶最近の研究成果に よ る訂正を要するが、中国に 者 V 的伝 が 説かれる よう になった。その絶対的伝 おける仏身論の分類の図式をあらわすものとして、 塩 回議 遊 ﹁仏身論の展 は 、智慧と大悲を 根本となすもので、普遍性・具体性︵特殊性︶ 、 超越性・内在性、そして人格性・非人格性を特 質 とする宗教的最高 @ ㏄ - 原理として高揚されるようになった。報身 仏の 阿弥陀仏と名づけられ、または如来法身の大日如 来 と名づげられる 絶 対 看的 仏は 、 八 創造 V というはたらぎを除いて ヴェーダーンタのブラフマン、キリスト教の 神 、その他諸宗教の 八 絶対者 V の概念と共通性が濃いとき ロ ってよか ろ う 。 註 ︵ 1 ︶長尾雅人﹁仏身論をめぐりて 円 ﹁哲学研究 ヒ第 五二一号︵一九七一年︶一八八頁︵又は、長尾 著 ﹁ 中 観と 唯識 口 岩波書 店 、一九七八年、二六六 | 二九二頁︶参照。 ︵ 2 ︶本稿でとりあげる﹁大乗荘厳経論 L と円 究 寛一 乗 空性輪ヒのほかに、日現 観 荘厳論円目摂大乗論﹂ 及 びそれに対する 釈、 ﹁仏地経論宗﹁十地経論 円 司法華経論 目 ﹁金剛般若経論 L 、そして未解決の問題を提示する﹁仏性論 ヒ ﹁大乗 起信論﹂、 そ の 他もあげられる。 ︵ 3 ︶拙稿﹁法身と智慧﹂、﹁仏教学 ヒ 第三号︵一九七 セ年 ︶ 一 0 三 @ 一 0 四頁参照。 開 ﹂、口印仏所﹂ セ巻 ︵一九五九年三月︶一二 0@ 一二 三頁が参考となる。また、﹁大乗義章﹂第十九に見ら れる 八開 具合 - ㏄ - の 重要な一部門となった。 こともできるが、その法を体得することは仏教徒 のめざすところに他ならない。 しかしながら、法を実際に体得し、それを説いた 釈尊への追慕、そして具体的な信仰対象を求め る 仏教徒たちの ぬ不 教 的要望が、八仙中心 V の信仰的態度を成立さ せた。故に 、 法と並んで仏は帰依 処 として立て も れたのである 0 そこ で仏のありかたに関する考察が盛んに行なわれ、、、、、、 @ 理想境地としてのみならず、依るべ き 師の追究 としてなされ、教理 (124) 14

(16)

仏身論の展開

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(18)

仏身論の展開

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(20)

仏身論の展開

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(21)

︵ 目 ︶勾のせ㏄ っ @ ︶の @ の∼ @ の 参照。 ︵㏄︶ ガ曲 ﹁ 偉コ a. ぬけ色色 三 ,三ゅ ぜ が コ隼ダオ の づ ㏄ づ @ ㏄

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21 (131)

(23)

奄 一見して奄美大島の他の小村落と 装 らない四阿 室 を調査 地 として選定したの

美の村落における

宗教観と信仰実践

今回︵一九七

セ年

九月︶宗教・社会調査を実施

した

乱 呼塗は奄美半島の西南に浮かぶ加計呂麻島

︵周囲一四二・五

キロメートル、面積八二平方キロメートル︶の

外海に面したほぼ中央︵東経一二九度一三分、北

緯 二八度六分︶の海

セセ年

九月現在︶という小部落である。正式の

名称は鹿児島県大島

同室。

三方を猛毒の蛇ハブが棲息する山で囲まれ、一方

が 海に面する狭い平地に位置

し 住民は肩を寄せ合う

よう

に小さな村落共同体

な 形成し、

ほ そばそと農業を営

十せぬ

・ ふ

金や大島紬の織り賃に仰いで生活している。

問題の所在と調査目標

安斎

奄美の村落における宗教観

と信

実践

瀬戸内町四阿

全世帯調査結果

から

23@ (133)

(24)

主 ︶を対象として、その宗教所属と宗教観、日 常 生活における宗教実践の様相を調査し、これら と村落生活、人問関 係などとの相関の実態をできる限り繊密に 、ま た 数量的に把握し、宗教と地域社会の関係を解 明 することを目指し キハ - Ⅰ。 村落生活の面では、過疎化が進行するなかでの 生業に対する態度や転出者急増の理由、転出先と その職業、村落 内 での生活程度、地域の社会構造の解明にも留意し たが、これらに関しては稿を改めて報告するこ ととし、本稿では 紙 数の限りもあり、﹁宗教﹂に関する調査事項に焦 点 をあてるのみに止めたい。 されたことを機として、四阿室の全戸調査を計 画し、急激に過疎化が進行する雪村落の全世帯主 ︵もしくは準世帯 に 百一つてカトリ ソク 教をはじめとする移入宗教の 受容における住民の思考・意識構造の変化と 村 落 生活の相関につい @ 註 l ︶ て 調査を継続してきた。 昨年は文部省科学研究費による大学会連合の総 ム 口調査 地が 奄美大島にぎまり、筆者が宗教学会 調 査班 の一員に委嘱 西岡室の調査は今回が初めてではなく、すでに 第一回の調査は十五年前の一九六三年にさかの ,ほ り 、その後も数次 は 、戦後まで伝統的な ノ p の祭祀を持続させてい たこの村落に、大正中期に大本教が伝えられて 定着し、戦後の ソ ロ 祭祀の崩壊と時を同じくして、カトリック教が 宣教されて、広く受容され、さらに創価学会の折 伏も行われて、住民 の 一部に受容されているという宗教学的に興味 深い現象に注目してのことである。 (134) 24

(25)

調査の経過 調査の計画から実施、集計、分析に至る経過は 次の通りである。 一九七 セ年 七月昭和五二年度四阿空宗教社会 調 査を企画。 八月調査項目の検討及び質問項目の ヮ ーディン グ 。

九月調査

票 設計及び印刷。九月二一日二 九日現地調査実施 十月集計方針の検討と整理 十一月﹁転出と家族の実態﹂﹁宗教と生活﹂に 一 一分類してデータカードを作成。 践 十二月﹁転出と家族の実態﹂について電算処理 開始。 仰実 ポ 一九 セ 八年一月﹁宗教と生活﹂について 電算処理開始。 観 一二月古本教実践のスコア 1 等の検討 0 教 士 小 四月第一次集計完了 げ

間葉に基づいて、四阿 室 の全実質世帯に対し、 上 智 大学社会学科学生 3

名︶

顛から成る調査員と筆者による、条目訪問、面 接 聞き取り調査 沃 によって 家 施された。 奄 対象となった世帯は、行政上の世帯︵住民票の 世帯︶にとらわれることなく、同一家屋に住み、 生計を同じくする ニ 調査の計画・実施・集計

(26)

実質世帯とした。 したがって、行政上は同一世帯とされていても、 家 際には二世帯に分れているものは、それぞれ を 対象とし、また 住民票は二世帯となっていても共同生活を営ん でド るものは一世帯として扱った。 さらに住民票には記載されていても、調査時に世 帝人員のすべてが転出しているものを対象外 と した 0 これを整理すると次のようになる。 住民票に よ る世帯数八六。転出世帯数匹。住民 西 否一 、実質一の世帯数匹。実質 二 、住民票一の 世 帯 敬二、増減世帯 教士。実質世帯数七九。調査不能世帯 三 。調査 実施世帯数七六世帯。 調査不能の三世帯ほいずれも高齢者が一人暮し なしているものであり、病弱、老齢のため面接 聞 ぎ 取りが不可能な ものであった。 しかし、残る全世帯の全面的な協力を得て回収率 九六・二 % と高い数値を得たことは、地域の全 世帯調査として 極 めて高い水準に達したものと舌口ってよく、調査結 果の信頼度を高めることができた。 それは、調査 地 の西岡室の住民がこれまでの数 次の調査で調査者と面識があり、区長や郵便局長 、小学校長などこ の地の指導的地位にある人びとの全面的協力があ った 上に、調査期間を豊年祭の期に合わせて、 調査委員全員が祭り の 準備を手伝い、祝宴に招かれるなどして住民か ら 広く好感をもって迎えられ、調査員も熱心に 訪問面接に当ったこ とに由るものである。 調査票の構成 本調査の目的から調査票は五つの大項目に分 け たが、︵ l ︶は回答者の属性と家族構成、︵ D ︶は 転 出の実態、︵Ⅲ︶は 生活状況、︵ N ︶は地域と社会構造、︵ V ︶は宗教 所 属 、信仰実践である。 (135) 26

(27)

奄美の村落における

宗教観と信仰実践

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(28)

世帯主の宗教別と家族成員 今回の調査で解答を得ることのできた七六世帯 の家族成員は転出者数を含めると 四 0 七名である が、 六名が転出し、この数は実在成員総数の過半数 ︵五五・五 % ︶を占めている。 いま、世帯主の宗教別に世帯数、転出中の家族を 含めた世帯人員数を見ると次のようになる。 ㈹ カトり " ク数 一 三世帯、九二名。

の あノ ち

" 一 " 一 一 宗教観と信仰実践の諸相と特色 域別 分担をきめ、九月二三日の豊年祭︵てんて ん 祭り︶後の調査期間中、連日早朝から夜半まで 丹念に各戸を訪問し て 、解答を集め、これを調査本部に持ち帰った。 たが、集計にはデトロイト大学で編集された SP ラムを用いた。 集計と電算処理 以上の二種類のデータ は IBM のデータカード SS ︵の ヰ P ︵ざま。 由 ︶㌧欝の方 革波の Ⅰ 0 Ⅱの 0 缶曲 ∼の う柑臣 に 穿孔され、上智大学電子計算機 室の B 五セ 00 ce ︶第五版のプログ によって集計され 調査結果の集計と電算処理には主として上智大 掌大学院社会学専攻の鈴木隆がこれに当り、本調 査 票から﹁転出と 家族の実態﹂と﹁宗教と生活﹂の二種類の デ| タを 作成した。前者は、 IF5 とⅡ転出の実態の 項目から一人につき 一票のデータを作成し、職業や転出の実態を一応 世帯とは切り離して集計ができるよ う に配慮 さ ね 、一方後者の﹁ 宗 教 と生活﹂については VQ 騰の宗教所属を中心 に 、世帯ごとに地域とのつながりが解明できるよ う なデータとした 0 1 Ⅰ 38) 28

(29)

奄美の村落に

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明 し と信 含まれた一七の質問項目への解答結果であり、 , ﹂こでは︵ V ︶ Q 巧による解答者の宗教所属別に考 察を加え、特に無宗 践 仏 浅さて、本稿における住民の宗教観と信仰 実践の関係の考察において、調査結果から取り上 げられるのは、︵ V ︶項に ㈹大本教大世帯、三五名。

㈹創価学会

四 世帯、三二名。 第一回の西町 室 調査を家施した一九六三年には 一二二世帯、住民数四二 0 名であった ㈲その他の宗教士世帯、四四名。 ㈲ 無 宗教表明 四 上 ハ 世帯、二一三名。 実質世帯数七九世帯、定住住民一八四名と住民 数は半数以下になり、この部落の過疎が 理解することができる。 甚だしい過疎の進行と住民の家族構成、社会構 造 、経済生活、生業、教育、そして、 の 解明 は 今回の調査の重要な課題であるが、調査 は 今年も続行中であり、宗教に焦点を ては、前述した よう に部分的な発表にとどまら ざ るを得ない。 のが、十五年の歳月を経て、 いかに深刻なものであるかを 宗教分布と信仰生活との相関 あてた中間報告の本稿におい

(30)

れないが、位牌が広く受容され、定着した経過 ほ ついては、いわゆる文化宗教定着解明の一貫 と しても、次回の調査 で 取上げた い 。 なお、当地のカトリック信者の殆んどが位牌を 安置し、その中には十字架をしるしたカトリック 式の位牌が安置さ れていることも注目に価いしょう。 神棚の有無 Q2 ﹁神様をまつっていますか﹂の解答には 解 答 者の宗教所属によって異なる結果が見られた 。これを奉斎する 神の種類についての Q3 ﹁それはどんな神様で すか。﹂への解答とあわせて検討してみよう。 カトリック 教 信者はその九二・三 % が神をまつっ ていると回答し 、 神の名はイエズス・キリスト であった 0 キリス ト 教では、 父 ・ チ ・聖霊の三位一体の神が説かれ るが、四阿室の信者が祀る神としてあげたのは

一位の神の子キリ ストの名であった。 大木教の信者も六六・七 % がまつっていると 回 答 しており、その神は大本の神様であり、他方 日 蓮 正宗、創価学会 の会員の中には神をまつっていると答えた人は全 くなく、その教えに神をたてない日蓮正宗の面 目 躍如たるものがあ った 。 ところで、この質問項目への回答で最も興味が 持たれたのは、その他の宗教とくに無宗教を表明 している住民のそ れであり、その他の宗教では約半数が自宅に神 をまつり、その内容は天 照 皇大神、神仏、水神、 拝所と多様である。 されて慣習となっていることに、住民の家系と 祖先に対する強 い 関心を見ることができる。︵ 表 I 参照 ハ ︶ 一般住民の葬式も仏式によらず、墓碑に仏式の戒 名 がないことから、この部落と仏教寺院との 直 接の関係は認めら たのは墓地の大々的な整備と各家の墓碑の建設で あり、既成仏教や寺院を知らないこの地に仏式 0 位碑や墓碑が受容 30

(31)

奄美の村落における

宗教観と信仰実践

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の 31@ 041) 一方、無宗教表明者の四一・三 % が神をまつって いると答えて 四 、火の神 三 、祖先 二 、大工 神二 、山の神 一 、天 の神Ⅰ ウチガ 無 宗教表明世帯四六のうち一九世帯が種々の神 をまつっている 帯 で数種の神をまっるなどの例があるからであ る 。 我が国においては無宗教の表明がそのまま 無神 主義や反宗教に の場合、無宗教の表明は回答者が特定の組織 宗 数 に所属していな 容 と矛盾するものでないことが、これらの解答 からも明らかであ また、カトリック教や大本教などは別として、 無 宗教表明者が が 見られ、 天照 皇大神の奉斎も、そのおふだが 全国的なひろがり て 受容されていることが理解される。 一神観と 多神韻 Q4 ﹁神様は一つ以上あると思いますか。﹂の 設問は西岡重任 には 宗教所属に よ る有意差が明確に見られた 0 カトリック信者は一神を主張し、大本教信者に は 一神と多神の 設問に解答せず、その他の宗教は多神を表明し 、 無 宗教表明者は おり、挙げられた神の名は、水神一二、天 照 皇天 神 , 三 、という結果となった。 わけだが、神の種類の合計が二八に及ぶのは、 一 世 つながらないことは断るまでもない 現 家であり、 そ いという表明であって、宗教的習俗や民間信仰の 受 る 。 まつっている神には家族の日常生活に密着する性 格 で 家庭に配布されていることから、家のまもりと し 民の神観念の理解に資するために問はれたが、 回 答 ばらつきが見られ、創価学会の信者の殆んどは @ ﹂ の 一神 、多神半々に分れるというふうであり、全体 で ・

(32)

制度宗教や組織宗教側からすれば、一神 か 多神 か 無神かということは、教理の立て方の根木問題 であり、ゆるがせ にできない重大事項であるが、西岡室の村落生活 においては、 神 観念の差に よ る対立は見られず 一 神と多神、神と 仏 は速緯線上にとらえられているかのような 思 考 構造を見る思 い がする。 つまり、南島のこの小村落では アニ ミステックな 宗教基盤の上

悟一神

、多神、無神的信仰を悉 く 受容していると 思われるのである。 位牌、 神 礼拝の頻度 すでに、位牌の安置や神をまつることの有無は 明らかになったが、これらに対する住民の態度を 知るために、次の 設問がなされた。 Q5 ﹁位牌 か 神様を拝みますか。㈹毎日、㈲ ときどき、㈹拝まない。﹂ この設問に対しては予想外に高い肯定的回答を得 て 、全体が八二・九 % が毎日拝んで い ると答え 、無宗教表明 層に おいても七八・三 % という高率が毎日の信仰実践 を 示している 0 ︵ 表 m 参照︶ 目答 結果には宗教所属に よ る有意差は見られず、 大本教と他の宗教︵カトリック 教 、大本教、 創価学会以外の宗 教 ︶の信者回答者のすべてほ毎日の実践を表明 している。 これらの回答率において、筆者 は 西町室の住民が 家系への関心、祖先への思慕、家内安全への 願 い な 、位牌や身近 に 置いた種々の神々のシンボルに向けての信仰 実 践に 具現化している よう に思われてならないの である。 呪 ︵まじない︶の実施 度 Q7 ﹁まじないをすることがありますか。﹂の 問いに対して、八四・二 % が﹁しない。﹂と回答 したのは意外なほ どであり、大本教信者はすべて、カトリック 信 者は一名を除いて、まじないをしないと解答して いる。 (142) 32

(33)

奄美の村落にお け

魑え

、宗教的な上棟式が存続していることが わかる 0 綜ただ、創価学会の信者の場合、その半数 が頭ぃ ごとをすると答えて Q7 同様のばらつきを 示し、カトリック信者の 場合は肯定度が三 0. 八 % と低く、伝統的な 上 株式儀礼に対する拒否の姿勢が見られる。 しかし、カトリック信者の場合でも、棟上げに 際してカトリックの司祭を招いて神別を依頼した りしており、儀式 内容に変化はあっても、上棟式が宗教的儀礼を 伴って挙行される風習は今後も継続すると思われ る 。 このことを示すように、この項目では上棟式儀礼 を入れ替えるカトリック以外の宗教所属による 有意差は見られな 33@ (143) と 信仰実践 る

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創価学会の信者においては、他の信仰実践の項 目では統制のと がまじな い の実行を答えているのが注目される 無 宗教表明者においても八四・八 % がまじない の 実行を否定し を 示している。 思うに学校教育による合理的思考の推進、内地 の 都会に転出し した カトリック教や大本教の呪術否定の宗教 態 度が 、この部落に られる。 この項目での宗教所属による有意差は見られない 上棟式儀礼実施の有無 れた徹底した態度が見られるが、ここではその 半 数 ており、この部落での呪術的行為は消滅に近い一 衰退 た 多くの家族、親族との交流、そして、部落に定 着 お げるまじないの衰退に影響を及ぼしたものと 考 え

(34)

しかし、彼らが部落内で職能的活動を展開し得 てな い 現実は、部落の住民にすでに広範囲に易者 離れ、 ユ

が の 霊知権能を語っていた 0 ユ タは本来沖縄本島区域で活動した女性占者を指 したが、後には男性でも ユ タ的な職能者が出て 、西岡 室 でも戦後 男性の占者が活躍したことがあり、このような 職能者がここでは易者と呼ばれている。 南島の住民間では病気、不幸などに際して ユ タ や 易者に対する依存度がかなり高いので、 Q9 で ほ ﹁不幸があった とき易者をたずねますか。﹂の設問によって 、住 民の依存度を調べた。 回答は七七,六 % の高率で易者をたずねないと い う 結果を示し、組織宗教所属者には一様に否定 度 が高く、カトリ ック 信者の場合は例外なく全員が易者に対する 依 存を否定している。 これに対し、無宗教を表明した四六世帯のうち 一 二世帯と宗教所属が組織宗教以外の七世帯の う ち 三世帯が易者を 訪ねると答えていることは、前記の移入宗教が 宣教地の伝統的呪術行為を否定し、これが住民に も 影響を及ぼしてい る 反面、村落文化の枠内での宗教・ 無 宗教表明 層 の中にほ、易者や ユ タに対する依存が低率なが ら 見られのである。 ︵ 表 + N 仝 全照 ︶ 今回の調査で、この部落に易者や ユ タに対する 受容度が高ければ、部落内で充分に職能を発揮し 得ると思われる 潜 在的 易者、 ユ タとも言える 父 娘の家を訪ねて、 面 接する機会を得たが、家屋内に立派な祭壇を設 げ 、 父娘 ともに自ら

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(144) 34

(35)

奄 る 35 姥 現在は甘庶の栽培もごく僅少で、耕地は 家庭菜園化され、過疎によって狭い耕地が放置さ れており、部落の生業は 翔大ぎく転換してしまい、農耕儀礼も消滅し、 豊年祭も宗教とは無関係な部落の親睦行事に変 化してしまったのであ 皿 こお げる宗教観 と信 イ ン 過 そ Q ア 去 し Ⅰ 0

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難 たちはもはや神々に収穫を祈願するという, ﹂とをやめてしまったのだろうか。 今回、調査班が参加 こには白装束に身を包 願 もなかった 0 祭りは無宗教の区長 列 、 班 別の演芸も展開 した八月十五夜︵旧暦︶の豊年祭︵てんてん祭り ︶は現在では唯一の部落の祭典であるが、 そ んでし ずし ずと入場した ソ ロを始めとするカミ - 一 ンジ,︵神役の巫女たち︶の姿も、厳粛な 祈 の 挨拶に始まり、ニャーの聖域 助 で伝統的な角 力 が力強く展開され、地区別の目を奪 う 花街 されて、人々は湧き立ったが、角力も行列にも ﹁奉納﹂の性格は失われてしまっていた 0 住民 ︵注 3- サチ ︵豊年感謝の神事︶、十五夜︵豊年祭︶など が 部落総出で挙行された。 収穫祈願の有無 奄美の農・漁村であるこの地では、かっては 豊 年を祈願する農耕儀礼が年中行事として盛んに 行 われ、 ノト の日のアッラ スブ イ︵田の草とり、害虫駆除 の神事︶、六月キノ ェ の日の ム ギャ ムイ ︵新米 の 祝い︶ 、 旧暦五月 キ 八月のシバ 進んでいることを示しており、調査結果はこれ を 実証したのであった。

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部落唯一の神式神社に対する住民の態度を知る ため、 Q は﹁厳島神社におまいりすることがあり ますか。﹂ したところ、過半数の約六五 % が参拝を肯定した が 、回答には住民の宗教所属別に顕著な有意差 が 見られた。 と 設

︵ ヰ比 4 ︶ 勧請されたものなのか、建立の動機と時期は 、ま だ 明らかにされていない。 大漁祈願の有無 西岡室は大正末期から昭和の初期にかけて 鰹漁 業の中心として湧き立っており、大正一三年頃は 大型の動力 船が四 隻 もあって漁業も盛んに行われ、部落の古老 た ちは一様に当時を懐しみ、現在も釣り好きの老人 が 多い。 しかし、漁場が遠く 南へ 去り、かっての盛況は 幻 のように消えて、今は見る影もなく、とれた 魚 類は僅かに各家の 食卓を賑わす程度で漁業とも言えない状況であ る 。 したがって Q Ⅱ﹁大漁を祈る行事がありますか。 ﹂の問いに対しても 殆 んど全員の九七・三 % が 大漁祈願行事の消 滅を 生口げている。 前項とも関連して、生業や生活の変化が宗教 行 事の信仰に及ぼす影響が極めて大きいことを部落 祭祀廃止の現実や 住民の解答から明確に知ることができた。 家庭内に奉斎されている水神、火の神への信心 も 、各戸に水道がひかれ、炊事、洗濯にガスや震 気が用いられ、 家 量も火に弱いかや葺きがなくなった現在、衰退 を 早めることが予想され、今後の宗教調査も﹁ 蛙 塞 本数における宗教 性 ﹂に目を向けることの必要が一層強まって ゆ くことであろう。 厳島神社参拝の有無 四阿 室 には神山の中腹の海を見渡すムロ地に内地 式 に鳥居、社殿を持っ厳島神社があるが、これが 古く、平家の落人 たちの怨霊の慰撫のために住民によって建てられ たものなのか、それとも水神もしくは航海神と して 薩落 体制の下で 046) 36

表  @   位牌を祀っている  西  同室     カトリ, ク    大本教創価学会その  他     無  宗教令  き十  12           36  63  は                10  13  a
表  N   不幸の時易者をたずねる     カトリ, ク    大本教創価学会その  他     無  宗教会  き十  一              12  17  a      """  5
表  Ⅵ  厳島神社の改築について     カトリック大本教創価学会その  他   無  宗教合計              40  61                   11  なんとも  居 、  a

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