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究  義  理、

ドキュメント内 『宗教研究』237号(52巻2輯) (ページ 113-116)

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咲 一定数の加入の理論が︵暗黙の内とはいえ︶ 利用されていることは明らかである︒したがっ て︑ 私の意図は ︑単  にそれを一層明確かつ体系的にすることにある︒ 加入に関する理論が﹁セクト﹂という言葉の既 存の使用法に内包 さ  れているという事実は ︑ 私が︑この論文の冒頭 で 嘆じた概念と定義の幅の広さのひとつの原因と もなっている 

﹁内包された理論﹂︵の コ ca つの二︶ 曲 ︵の年寄 の 屯 ︶ とい う いい方で私が考えているものを︑手短に説明 しよう ﹁セクト﹂ 

という言葉の概念をめぐる混乱をもやにたとえ るならば︑そのもやの彼方から︑若干の共通の考 え方1人間の動機を 

支配する基本的原理についてなかば公式化され た 観念をあらわしている考え方1がばんやりと 浮 びあがってくる︒ 換 

舌口すればなんにんかの社会学者による﹁セクト﹂ という概念の定義づけには︑同時に︑なぜ人々 が セクトに参加する  のかを︵他の事柄とともに︶説明するひとつの 潜 在 的な理論が含まれているのである︒理論的 仮 定を内包させてしま 

っ たため︑すでに隠されていた説明が確証される にすぎないということがたびたび生ずる︒なぜ なら︑定義によって 

選び出される証拠は︑内包された仮定を確証す るものばかりになってしまうからである 例え ば ︑宗教は︑剥奪感 

︵ 監偶守笘ざコ ︶と欲求不満に対して人々に補償の 機能を果すと考えている社会学者は︑﹁セクト﹂ という言葉を ︑剥  奪 感や欲求不満をもつ人々から構成されている 集団だけを示すような 具 ムロに定義しがちである︒ したがりてセクトの 

ある︒  大  ざっぱにいって︑理論的枠組は︑研究  の方法と範囲に厳しい制限をもづけるものである  ︒このことは︑仮に  理論的枠組が明確に表現されていれば︑それ 

自 体で特に深刻な問題となるわけではない︒しかし 

︑もしそれが明確に  され  ば  げれば︑研究方法に対して本来そうであ  るべきである以上に︑好都合な研究成果がもたら  されることとなろ  ヘノ @ ︒  したがって  ︑  仮に社会学者が様々に定義する  ょ  5  な  ﹁宗教的セクト﹂という概念の背後にある  理  論  釣枠組の中に  ︑  いくつかの基本的パターンを  見ぎね  めることがで  ぎるとするならば︑それは︑ひとつの特定の  セ クト  に対する研究に  とって︑これまで多くのいわゆるセクトについて  なされてきた経験的命題辞よりも︑より一層  実  り 多い出発点となる 

     

  

のそれと一層都合  よ く比較できるということであ  る ︒基本的概念に対する批判的考察は︑どの 

おいても絶えず健全であり︑またしばしば有益な  ものである  0  このことほ  ︑  ﹁チャーチ﹂と﹁  ょ う  な科学的手続ぎに  セ クト﹂の概念が 

︑そ  0  本来の意味を与えられた社会的文化的文脈にも  はやあてはまうない現在の場合︑特にそうなの  である︒教会が多く  の  ヨーロッパの諸民族の生活のかなりの部分に影  響を与えることができ︑教会法が依然として  効  力  のある法的な力で 

  

なね ち︑彼らが言 う ︑補償的機能と関係をもた ない宗教的セクトの特徴を検討することがで きな くなってしまうので 16 

新     配 欲求不満 補償       しい この方向性における基本的仮定は︑当事者の︵ 絶 射 的であれ相対的であれ︶剥奪感や欲求不満の 感覚が ︑ 彼に ︑そ       斬 れらの除去あるいはその補償の追求を動機 つけるのに役立っているということである︒    

分析の目的のために︑私は︑内包された理論上  一  ︑欲求不満  ノ  補償  の方向性の多様性を三つの項目に類別した︒ 

これらの方向性と関連した仮説に目を通  す  前に︑それぞれの方向性の範囲について二︑三 

  

あった時代︑また教会の指導者たちが︑国家 

ハ の国家の経済的源泉の一部を構成し︑教会の教  義が  ︑宗教的信念をほとんど独占していた時代  においては︑異議を  及 び  国際的な場面で重要な役割をはたし︑教会の富  が︑  多くの  ョ ーロ︐ 

    

   を 崩し去ったのである︒ 

正理論的方向性 

世界観の構成 @ 答 ︶ 今日︑おもにピーター・バーガーの著作と結び つ げられる考え方に︑人間の思想と行動の根底に は ︑社会的相互変  渉を通じて︑現実を妥当性あるかたちに構成す るという﹁人間学的必然性﹂があるとするものが ある︒この考え方に  ょ れば︑人間の文化は︑世界観の構成︑破壊︑ そ して再構成という継続的なプロセスという観点 から理解することが  できる︒宗教的思想と制度は︑世界観に対して ︑﹁人間の歴史的努力 よ り以上に力のある源泉 か ら 由来する安定性﹂ ‑0@3  を 与える限りにおいて﹁上記のプロセス内で基本 的な役割を果たすと考えられる︒したがって ︑ ハ ーガーは ︑ゐ 示教 は  社会制度に﹁究極的に有効な存在論的地位を与︑ ぇ ること︑すな ね ち︑それらをひとっの神聖かつ 宗教的な準拠枠に 位 ︵・・ つ 0 ︐ ︶ 置 づけることによって﹂正当化の機能をはたす と 主張する︒次のような発言は︑この一般的アプ ローチの代表例とし 

て受 げとることができる︒ 

﹁宗教 は 意味の問題に解答をあたえ ょ とする それは︑毎日の生活体験に直接関わる目の前の 経験的な世界を超 

越する深い存在への展望にもとづいて︑ひとび との心に信仰と根本的な行動の指針を示すことに よって⁝⁝社会秩序 

  のなかの各種の規範に︑神聖な意味 づ げをあた 

︐ え て い くのである 0 ﹂ 

社会統合 

宗教が︑究極的リア り ティの観念を与える機能 を 果たすという仮定に極めて密接に関連している のが︑そのような    ︵竹筏︶ るひとつの根元的な抗議である ﹂ 

  

ドキュメント内 『宗教研究』237号(52巻2輯) (ページ 113-116)