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シ モ ー ネ ・ ル ッ ツ ァ ッ ト ﹃ 議 論 ﹄ に 現 れ る 近 世 ヴ ェ ネ ツ ィ ア の ユ ダ ヤ 教 観 念

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(1)

序   ﹃ヴェニスの商人﹄のシャイロックは︑貪欲で非人道的で︑金のためならば人間の命をも厭わない反ユダヤ的ス

テレオタイプである︒中世イタリア文学に原型をもつこの物語は︑当時のユダヤ人イメージを反映している︒偏見

はイタリア諸都市で道徳観念が発達すると共に使い勝手良く形成され︑一方的にユダヤ人に当てはめられてきた︒ natione

シ モ ー ネ ・ ル ッ ツ ァ ッ ト ﹃ 議 論 ﹄ に 現 れ る 近 世 ヴ ェ ネ ツ ィ ア の ユ ダ ヤ 教 観 念

李       美   奈

(2)

反ユダヤ的言説は社会的風潮の問題にとどまらず︑ユダヤ人への服装・職業・居住の制限を正当化し︑生活を左右

する現実的問題であった︒他方で同時代のユダヤ人はこの状況に甘んじず︑偏見を取り除くことを試みた︒その一人が一七世紀ヴェネツィアのラビ︑シモーネ・ルッツァットである︒

  本論ではルッツァットが︑都市活動に参加するための現実的な闘争の中で偏見に対してどのように反論したかを

明らかにする︒

  本論で資料として用いるのは﹃ヘブライ人の状況についての議論︑とりわけ名高い町ヴェネツィアに居留する 人々について 1﹄︵﹄︶である︒筆者シモーネ・ルッツァットは︑北東ドイツ出身の有力家系の家 に一五八三年に生まれた 2︒遅くとも一六〇六年からドイツ系共同体のラビを務め︑レスポンサ集を出版したほか︑

ハラハー判断や共同体記録に名前を残す︒ヴェネツィア当局はユダヤ人を共同体単位で管理しており︑その指導的立場であったルッツァットは︑当局と共同体の媒介的な立場であった可能性が高い︒

  ルッツァットは﹃議論﹄をイタリア語でヴェネツィア社会に向けて書いたが︑その契機はユダヤ人が盗品隠しに 協力した一六三六年の強盗事件である︒この事件はヴェネツィアの反ユダヤ的風潮を刺激し︑犯人処分後もユダヤ人追放を求める声は止まなかった 3︒﹃議論﹄はユダヤ人居住許可の延長を当局に求める陳述書 4に属すると考えられ

るが︑誰の手に渡りどう扱われたか︑ユダヤ人の立場に直接的に影響を与えたかは不明である︒一六三八年に出版

された経緯も明らかでない︒手稿がコンタリーニ家の文書館にあり︑当局の犯罪委員であったアンジェロ・コンタリーニが強盗事件の調査に関わったことから︑この手稿は当局に提出された可能性が高い 5︒またその後は居住許可

が延長された︒

(3)

  資料の背景に不明確な部分が多いものの︑﹃議論﹄の書かれた緊急性は考慮に入れるべきだろう︒誇張した記述もあると考えられ︑当時のユダヤ人社会の姿をそのまま記述するものとして扱うことはできない︒本論では︑ルッ

ツァットがヴェネツィア社会の事情に合わせて追放の要求に反論するためにどのように議論を組み立てたかに注目

する︒

  豊富な内容をもつ﹃議論﹄は多様な文脈の中で分析されてきた︒ラヴィドは﹃議論﹄に現れるユダヤ人の金融業

に関する記述を対象に︑一七世紀ヴェネツィアの経済状況を参照しつつ︑ルッツァットの利子に対する解釈をユダ

ヤ思想史上に位置付ける 6︒またマイノリティであるユダヤ人が論じた国家論の一つとして︑同じルッツァットの

﹃ソクラテス︑あるいは人間の知について﹄と共に分析する研究もある 7︒この研究はユダヤ思想と西欧やイスラー

ム世界の政治思想とを比較し︑中世的な国家論を引き継ぎつつマキャベリ的リアリズム︑近代的国家理性の思想の

影響を見出し︑近世以降の思想へと繋げるが︑ユダヤ教についてルッツァットがどのように捉えていたかは触れな

い︒また︑近代的な宗教や民族の観念の枠組みをルッツァットの議論にも当てはめて論じるが︑これらの概念が近代以降に大きく変化した点は考慮されない︒本論では︑﹃議論﹄がヴェネツィア社会に向けて書かれたことを踏ま

え︑この著作を当時の社会的背景に一度留めて捉え直すことを試みる︒

  近世ヴェネツィア︑イタリアにおけるユダヤ人の歴史については︑日本語で書かれたものは多くない︒それゆえ︑一節ではユダヤ人がイタリア社会に参入する歴史的背景について︑また一七世紀ヴェネツィアのユダヤ人の状

況について概説を兼ねて本論の問題系を提示する︒とりわけ経済的貢献を優先する商人社会がユダヤ人受容の土台

を作りつつ︑同時に商人社会において発達した道徳性がユダヤ人のステレオタイプを作り上げた点を詳説する︒二

(4)

節では﹃議論﹄の内容︑特に道徳と宗教を論じる一三章と一四章に焦点を当てる︒二節の内容を先取りするなら︑

ルッツァットはユダヤ教を普遍的道徳性と特殊な儀礼とに分けている︒この二分法は近代的な宗教概念に共通する特徴を持ちつつ︑近代とは異なる社会観念を含んでおり︑この点を踏まえて両側面の内容と関係性を捉える︒三節

ではこの二分法を当時のヴェネツィア社会の背景に則って考察する︒市民のあり方と外国人統治の方針とにルッツ

ァットが議論を合わせたこと︑それがユダヤ教を守ることに繋がっていることを示す︒最後に結論と共に︑﹃議論﹄の近代以降への影響に触れ︑ユダヤ史への位置づけを試みたい︒

一  イタリアのユダヤ人   中世西欧においては信仰という社会の絆の基礎の上に封建制度が成り立っていたとされる 8︒しかしイタリアは中世末期の急速な経済発展により︑封建制度が弱体化し商人が支配層を構成する都市国家が誕生した︒ここでは︑社

会の基盤として信仰より経済的貢献が優先された︒特にヴェネツィアは︑交易路の開発や商人の誘致のためなら教

皇と敵対することも厭わず︑教会と国家とがある一定の距離を持っていたと言える︒他方で商人社会は取引に信用を必要とし︑商業上の誠実さや社会に貢献する忠誠心など道徳性の観念が発達した︒この変化はユダヤ人に対する

相反する態度をもたらした︒一方では︑保護を与えずとも経済的リスクを負い︑商業の発展に寄与する有益な存在

としてユダヤ人を歓迎し︑他方では彼らの道徳性や忠誠心について深い不信感を突きつけ︑近代につながる反ユダヤ主義をもたらした︒

  北イタリアにユダヤ人が入植するのは一四世紀以降︑金融業と交易業におけるユダヤ人の需要が高まった時であ

(5)

る 9︒戦争により貧困層が増加し小口融資が必要とされるが︑急速に成長する商業に合わせて道徳的教義を構築したキリスト教は︑利子付きの金貸しに対する批判を強め A︑その結果キリスト教徒は小口融資の業界から撤退した︒同

時に︑地中海覇権がオスマン帝国に移り︑イタリアの都市国家は東方の植民地を失い交易が減少した︒地中海で得

た商品を内陸に売り込む差額で利益を得ていたイタリア諸都市は︑交易のための商品の供給源を必要とした︒こうした背景から︑教会に縛られずに活動でき︑地中海にネットワークをもつユダヤ人を国益︵ragione di stato︶にかな うとして誘致するようになった B︒   ヴェネツィアでは︑一六世紀カンブレー戦争で島内避難が認められて以降︑ユダヤ人の本島内での継続的居住が 始まった C︒戦争で金融業の必要性を認識した当局は︑一五一三年にユダヤ人に居住と金融業を認めた︒またオスマ

ン帝国との交易協定により帝国臣民のユダヤ人が流入し︑さらに一五七一年のレパントの海戦でヴェネツィアがア

ドリア海周辺の領土を失うと︑東方交易を補うために当局は東方商人を招致し︑ユダヤ人商人がこれに応えた︒

  ユダヤ人はその経済的貢献を見越して誘致されたが︑経済的貢献は道徳性と密接に結びついていた︒急速な経済発展は利益を優先するあまり︑取引における不正や社会格差を引き起こし︑都市国家は度量衡や取引方法の規制に

よって秩序の安定に努めたが︑取引の信頼を形成する内面性を管理する手段は持たなかった︒代わりに各都市を巡

る遍歴説教師が都市活動における道徳性の発展を担った D︒説教師は大衆に対して︑共通善の形成︑市民道徳の重要性を説いたが︑同時にユダヤ人に対して差別化する理論を培った E︒貧者向けの小口金融業と東方の交易業をユダヤ

人が担うようになったのは︑キリスト教徒が商業上のリスクを避けたためだが︑ユダヤ人参入をこの理由ではなく

市民道徳の観点から説明し︑ユダヤ人を非道徳的︑不誠実な人々としてレッテルを貼っていった︒

(6)

  ユダヤ人の入植を認めるかどうかは︑この内面の問題を国益に照らしてどう捉えるかに依る︒ユダヤ人の居住を

認める賛成派は︑ユダヤ人を国家における必要悪として受け入れた︒他方で反対派は非道徳・不誠実さが国家全体の崩壊を招くと理由をつけた︒すなわち︑ユダヤ人が金融業を担うのはキリスト教徒から利子を取って貧者を苦し

めるためであり︑また交易業に励むのは都市の取引を独占したのちにそれを意のままに操り︑都市を混乱に陥れる

ためだ︑と F︒二つの態度は五年ごとのユダヤ人協約を更新する際に鮮明に現れる︒一六世紀の間︑協約の更新案は一回の投票では通過せず︑対案である追放案が採決されることもあった︒国家発展のためのユダヤ人受容は神に赦

されるか︑それとも神の罰が下り衰退を引き起こすか︑という宗教的な問題とともに︑ユダヤ人の道徳性と忠誠心

の欠如が社会の混乱を招き当局権威を脅かすのではないか︑という国家論も焦点であった︒それでも︑追放後のユ

ダヤ人税や融資を補う経済政策には代替案がなく︑実際の追放には至らなかった G︒一七世紀になると居住許可はほぼ自動的に更新され︑ユダヤ人居住はある程度当然視された︒しかし内面性の問題が解決されたのではなく︑議論

はキリスト教色を希薄にし︑道徳性や忠誠心において信頼できないユダヤ人をいかに統治するかという問題へと移

った H︒ユダヤ人の儀礼︑法に政治的に干渉し統制を図ろうとしたのである︒ルッツァットはこのような時代背景の中で︑ユダヤ人の居住を正当化するために﹃議論﹄を書いた︒

二 

議論

一三章

一四章の内容   ユダヤ人の居住を主張するために︑ルッツァットは﹃議論﹄の前半においてヴェネツィア社会にユダヤ人がもた

らす利益・貢献を強調する︒ヴェネツィア経済の問題点を指摘し︵一︱三章︶︑ユダヤ人の経済的有益性︵四︱八

(7)

章︶と︑国の威厳を示すための有益性︵九︑一章︶を示す︒後半ではユダヤ人の内面性に関する偏見に対して反論する︒典型的なステレオタイプを一つずつ論駁し︵一一︑一二章︶︑ユダヤ教の道徳性を強調︵一三︑一四章︶︑最

後にユダヤ人がこれまでどこにも害をもたらさなかった歴史を示す︵一五︱一八章︶︒本論ではユダヤ人に対する

道徳的なステレオタイプへの反論という点に注目するため︑主に一三章と一四章を扱う︒一一章︑一二章もステレオタイプを扱っているが︑その根拠の薄さを突く議論となっており︑ユダヤ教の説明は多くは含まれない︒また一

五章︑一六章にユダヤ教の説明が展開されるが︑論点が多く扱いきれないため別の機会に紹介したいと思う︒

1  ルッツァットの二分法   ユダヤ人への道徳性の不信は︑キリスト教との差別化の理論によって形成されており︑その差異の根拠は彼らが

キリスト教徒ではないことにある︒この問題は道徳がキリスト教の文脈で発達した以上容易に解決しない︒ユダヤ

教を守りつつ道徳性に応えるためにルッツァットは︑ユダヤ教を特殊な I儀礼・歴史の側面と︑普遍的な神の摂理・

道徳の側面とに分け︑前者についてはユダヤ社会のみに適用される教えとし︑後者についてはキリスト教と共通する︑あるいはより広く人類全体の教えとして強調した︒

  ルッツァットの二分法︑および二つの側面が範囲の異なる集団を対象にしていることがわかるのが︑以下の表現 である︒︵以下︑訳の末尾に校訂版の該当ページを付記する︒︶私は聖書の中に︑神がユダヤ人に対して︑わざわざ周辺の人々の精神に彼らの信仰︵credenza︶を挿入させて︑

彼らの独自の儀礼を紹介するよう命じた︑といったことは見出してはいない︒しかし神の万能︑知恵︑偉大さ︑

慈悲︑正義といった信仰については人々に教えるようにと命じている︒⁝エジプトに起こった驚異や奇跡︑民

(8)

の解放︑海を干上がらせ︑それから追っ手を沈めたこと︑自然の大いなる装置と激動︑法を与えたことなどを

伝えなければならないとは命じていない︒そうではなく︑神の存在とともに︑天を動かすことによってその組織と人間をすべての事柄と一致するように創造した︑彼の万能たる根本的な力という神の摂理について︑説得

しなければならないのである J︒︵pp. 58‑59,

ユダヤ教の独自の儀礼︑宗教実践やユダヤ人救済の歴史はユダヤ人のみで共有し︑異教徒に教えることを意図されていない︒他方でユダヤ教のより普遍的な教え︑神の性質や創造の目的︑万能たる力については︑ユダヤ人は異教

徒にも積極的に伝えねばならない︒この二分法はそれぞれ一三章︑一四章においてより詳しく説明される︒

  一三章﹁古いモーセの法は︑すべての人類に愛を行うように命じた﹂では︑普遍的教えである神の摂理が︑友愛

や社会の調和︑すなわち道徳や倫理と関わっていることが示される︒しかしモーセに与えられた神の法が︑我々すべての人間のために講じたのは︱すなわち神による自然のみがこ

の世界に作られたのだが︱すべての部分が調和をもってつながっているべきで︑互いに好意を持って支えあう

ということである︒あらゆる種類の人間は全員一致の友愛をもってともに応じるように作られていて︑一つの共和国のいかなる町の人間もこのように考えるべきであり︑また教育によってこのような愛や慈悲を人間の精

神に植え付けるのである︒⁝それゆえに預言者マラキ二章︵一〇節︶⁝は︑互いに愛しあい互いの侮辱を避け

るための優しい情愛を抱く︑二つの動機を挙げている︒一つは一人の父から派生していて︑すべての人は同族であり︑等しく自由で︑世界の善を共有し受け継いでいることである︒二つ目は︑我々は全員︑唯一の神から

作られ生み出されたということである︒これは︑たった一つの信仰や礼拝のもとに一緒になるということを言

(9)

っているのではない︒それはユダヤ人の間にのみよい一致を導くための議論である︒そうではなく︑説得力があり一般的な理性︵ragione︶に基づいて︑人間すべての和解を論じている︒︵pp. 52‑53,

まず︑ルッツァットの考える友愛や調和は一つの国の中で成立することが想定されており︑より現実的な観念であ

ることがわかる︒﹁町のいかなる人間も﹂この教えを持ち互いに支え合うという表現から︑市民道徳に類似した考え方であることも伺える︒実際に︑ユダヤ人は﹁彼らの宗教︵religione︶の外の人々︑異なる人々は彼らとともに 人間社会に参加するものと考えている︒そこで自然の道徳性の規定︵li precetti della naturale moralità︶を守り︑ある 上位の原因の認識︵cognitione d’una causa superiore︶を持ちながら︑彼らはつながっている︒﹂︵p. 58,︶とあり︑

社会の構成員が神の認識を通して道徳を持ち︑互いに関わりながら社会に参加していくと考えられており︑神への信仰と社会道徳とが密接に関わっている︒

  さらに︑唯一の神から創造され︑アダムという共通の父を持つという記述から︑ルッツァットの考える道徳が一

神教的教えの文脈内にあり︑すなわちキリスト教との繋がりが意識されている可能性が指摘できる︒キリスト教との共通点については︑例えば一二章においてもユダヤ人が社会を乱す原因になるという偏見に反論する際に︑両者

の宗教が儀礼は異なるが︑倫理的禁止事項は共通することを指摘している︒キリスト教もユダヤ教も︑共に唯一の

神のもと︑社会調和をもたらす道徳が同じ方向性で教えられていると考えている︒

  一三章の議論でユダヤ教の中の社会道徳の教えを示す際に︑キリスト教と共通する部分まで遡る理由は︑ユダヤ

人がキリスト教とは異なる信仰によって異教徒を苦しめることを許されている︑というステレオタイプ的言説に対

して反論するためである︒

(10)

間違いなくユダヤ人にとって︑自らの信仰︵religione︶の外にある人であれ︑ユダヤ人であれ︑彼らからだま し取ることは大いなる罪と考えられている︒それどころか︑この罪は神に対する冒瀆として訴えられ︑最も大きな罪であり︑それゆえユダヤ人が許しがたい存在と考える罪の一つと考えられている︒︵p. 54,

ルッツァットの議論における道徳や社会全体の調和は︑具体的には取引の誠実さを示す︒キリスト教説教師がキリ

スト教徒の商売とユダヤ人の商売を差別化しながら比較し︑前者の誠実さをより鼓舞するために後者を貶めて説明することに真っ向から反対し︑一神教の共有している教えから︑ユダヤ教も取引上の誠実さが命じられていると主

張するのである︒

  ルッツァットの二分法の後者︑すなわちユダヤ人の間でのみ特殊な儀礼や歴史を共有することについては︑一四 章の﹁ユダヤ人は宗教においてほかの人々と異なるけれども︑その理由のみで隣にいる彼らと戦いを行うのは妥当ではない﹂︵p. 58,︶において説明される︒ここでルッツァットは︑ユダヤ人にとって儀礼は重要だけれども︑

そのことで異教徒を混乱させることはない︑と主張する︒最初の一四章の引用では︑ユダヤ人がその儀礼や歴史を

異教徒にわざわざ教えて強要することはないことを説明している︒また︑聖書において異教徒がユダヤ教の儀礼を守らなかったが故に罰せられたと読める場面がいくつかあるが︑それについて次のように説明し︑特殊な儀礼が異

教徒に無関係という主張を補強する︒

これまで幾度となく︑ユダヤ教の儀礼を守らず︑特殊な信仰がなかった︵particolare incredulità︶ために︑異教徒の町が水没したが︑これはただ理性︑人間性の自然な衝動が働いていないからである︒五都市連合はその卑

猥さ︑不寛容さ︑不正義ゆえに破壊され焼き尽くされた︒ノアの洪水の際には︑聖書は肉体の堕落︑邪悪な強

(11)

欲さ︑強奪についてのみ言及している︒⁝一方でユダヤ人に対しては宗教︵religione︶への反逆と法の順守の怠慢という特別な罪について強調している︒︵p. 60,

異教徒が儀礼を守らなかったとしても罰の対象ではない︒聖書において異教徒に下された罰は人間の理性に反した

からである︒他方でユダヤ人は法の遵守の怠慢が罪と見做される︒

  ただしトーラーにおいて罰の対象となっていたものの︑現在ユダヤ人が儀礼を遵守するのは︑強制されてではな

く︑ユダヤ人の自由な意思に基づく︒

ヨシュアは聖なる土地に達した後︑モーセの法に則りこれを守ることを確認する自由と彼ら自身の意思を︑そ

の民に置いた︒すなわち︑それを拒むことによる苦悩に苛まれる羽目に合わないようにするために︑完全に自由にして罰を下すことをしなかった︒そうしてユダヤの人々は法を受け入れたのだが︑ヨシュアは徹底して罰

を免除した︒しかし︑服従を義務付けられていない他の民が免除されたとしても︑ユダヤ人は法を守るのは自

分たちの義務だと考えた︒︵p. 60,︶ルッツァットはトーラーにおける強制的な儀礼の遵守の姿を︑このように歴史的に切り離した︒この議論は︑儀礼

が異教徒に当てはまらなくとも︑ユダヤ人がその遵守に執着することで異教徒との関わりを阻害するのでは︑とい

う危惧への反論につながる︒続けてルッツァットは異教からユダヤ教に改宗したナアマンの例を挙げ︑改宗後もそれまでの異教徒との関わりや生活習慣を保てること︑たとえ異教への礼拝が必要だったとしても許されることを示

している︒既に守っているユダヤ人は儀礼を全て守らねばならないが︑新たな改宗者は必ずしもそうではない︑と

する論調からは︑儀礼を慣習と捉えている節も見られる︒

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2  ルッツァットの社会観と二分法   ユダヤ教を特殊な儀礼と普遍的な道徳に分け︑前者は自発的に守り後者は積極的に共有するという議論は︑現代の宗教の公共性や社会的役割を想起させる K︒各宗教は独自の儀礼と教義を持ち︑それは私的な領域に限られるが︑

他方で公共の場において道徳性を教える役割を積極的に担う︑という構図である︒この宗教像はまず個人から形成

される国家があり︑その中で副次的・私的な形で宗教共同体を作る近代社会の構造に基礎を置く︒確かにルッツァットは︑近代的な個人観念︑アトム的個人から社会が構成されるという観念を持つ︒

ユダヤ人が気高い都市ヴェネツィアに︑かなりの利益をもたらしていること︑ヴェネツィアの人々を構成する

一員と数えられることは︑とても慎重な精神の繊細な感情に反するかもしれないような︑厚かましく不調和な

発議ではないだろう︒⁝このように︑ユダヤ人をデモクリトスのアトムに類比して︑自らを巨大な大衆の微粒子として︑また公共の国

庫の崇高さへの糧となる税を納める薄い地球上の大気としてみなすことは理に適っているだろうし︑許される

ことだろう︒︵p. 8,︶ここでの﹁微粒子﹂は特定の性質を持たない︑普遍的な人間を想定する︒人間精神は﹁モザイク状になっていて︑

見かけは一つのイデアを形作っているのだが︑近づいてみるとつまらないものや高価なものなど様々な石が一緒に

なってくっついて出来上がっている︒﹂﹁それゆえ一人の人間の性質や状況を表現するのはとても困難で骨が折れることで︑それらの動きを一つの規則や考えに帰するなど﹂できないとルッツァットは主張する︒同様に﹁一つの民

について内面を定義する﹂︵p. 42,︶ことはできず︑ユダヤ人についても同様である︒国家を構成するユダヤ

(13)

人には特定の内面的傾向は見いだされず︑ルッツァットがユダヤ人を普遍的な人間の一つとして考えていることが伺われる︒

  しかしながら︑ルッツァットの社会観においては︑アトム的個人は国家に直接属するのではなく︑まず宗教によ

って結びつけられた共同体を通して繋がる︒宗教におけるつながりが最も主要な絆であり︑人間社会を結びつける最も強い結び目である︒⁝﹁神の崇拝

は︑強固で善なる︑不変の絆である︒﹂まさしくユダヤ人はそのように維持していて︑儀礼の遵守以外におい

てもこれは見いだされるが︑特殊な信仰︵credenze particolari︶においても同様である︒⁝彼ら︵ユダヤ人︶は

様々な度合いの人間の関係の中にあると考えており︑まさにこの民において慈善の義務が置かれ︑その愛が最も重要な地位を占め︑その次に血の繋がりがあり︑そしてその後に市民との愛がある︒それゆえ︑彼らの宗教

の外の人々︑異なる人々は彼らとともに人間社会に参加するものと考えている︒︵p. 58,

ここでの人間の絆の序列に関する説明で明らかなように︑ルッツァットは︑宗教の特殊な繋がりが人間社会において最も重要な繋がりであり︑人間全体の調和をもたらす普遍的な繋がりに先んじて生じると考えている︒まず特殊

な儀礼によってユダヤ人集団の調和が維持され︑そして普遍的な教えによって人間全体の調和がもたらされること

になる︒

  ただし︑血の繋がりについては論じられず︑どのように働くのか明らかでない︒イベリア半島でのコンベルソの 増加と血の規定によって血縁が強く意識されるようになり L︑ヴェネツィアではイベリア出身の︑儀礼を失ったユダ

ヤ人を共同体に受け入れる際に︑彼らが一度改宗したという事実をどう扱うかが問題となっていたことを指摘する

(14)

にとどめたい M︒   さて︑ルッツァットが宗教的繋がりを一番先に持ってくることは︑近代的社会観との距離を見せる︒この背景には当時のヴェネツィア国家の統治のあり方︑その中でユダヤ人が置かれた曖昧な地位とステレオタイプの問題があ

る︒とりわけ︑あくまで自由な意思によって守られる特殊な儀礼が︑教育によって植え付けねばならない普遍的道

徳性よりも強い絆であるというねじれは︑ルッツァットがステレオタイプに反論しつつユダヤ教も守るという困難な問題に取り組んだ結果である︒次節で︑ヴェネツィアの社会状況とユダヤ人の立場を確認しながら︑ルッツァッ

トの議論における二つの側面とその関係について検討していく︒

三  ヴェネツィアの市民と外国人

およびユダヤ人   ヴェネツィアにおいてユダヤ人は市民と外国人の間という曖昧な立場にあったと言える︒ルッツァットもこれを

自覚し︑﹃議論﹄の前半でこの曖昧さを強みに変え︑むしろヴェネツィア社会に必要な存在としてユダヤ人を描く︒

すなわち︑安定を求め危険な交易を回避する市民とは異なり︑ユダヤ人は進んで不安定な仕事を引き受け︑他方で自国の利益を追求する外国人とは違い︑ユダヤ人は喜んで自分たちの住む国に服従し利益をもたらす︑と N︒市民と

外国人の﹁間﹂には︑両概念の連続性がある︒ヴェネツィアは多くの人やものが移動し︑都市に属する市民とよそ

からきた外国人の概念が︑互いを区別しながら形成された O︒   先述の通り︑偏見は市民全体に適応される道徳性という共通理論に基づき︑キリスト教との差別化から生まれ

た︒その前提として︑ユダヤ人が都市の構成員と見做し得る存在であったことを確認する︒当時のイタリアの﹁市

(15)

民﹂は︑厳密には都市の政治に関わる人々のみを指すが︑市民総会という理念があり現在の市民概念と全く異なるわけではないと考えられる︒限定的な﹁市民﹂は経済的・政治的特権を持つが︑この権利は継続的な居住と納税で 得ることができ︑ヴェネツィアにおいても同様である P︒法制上の﹁市民﹂はごく一部の人々で構成されるが︑そこ

に入る条件は外に開かれた概念であった︒ユダヤ人はヴェネツィア内での継続的居住と納税を満たし︑また市民層の特権であった海上交易権は移住後すぐに与えられていたため︑他の多くの構成員よりヴェネツィアの市民に近い

側面を持っていた Q︒   ルッツァットは実際に︑先に引用した序文において︑ユダヤ人をヴェネツィアの構成要素と位置付けた︒しかし それを納得させるためには︑内面的差別化を否定し︑社会の秩序を積極的に安定させている道徳性を強調する必要

があっただろう︒それゆえにルッツァットは︑ユダヤ人共同体をキリスト教徒の兄弟団と同じような位置付けにし

たのではないかと考えられる︒先述の通り︑ヴェネツィア当局は市民個人に直接的に道徳性を要求する具体的な政

策を欠いた︒その代わりに︑ヴェネツィアの市民は遍歴説教師に触発されて兄弟団を設立し︑キリスト教教義に基づいて自らを律する道徳的規則を持ち︑この組織を通して都市活動や取引を行い︑敬神・悔悛・慈善活動に励み︑

社会秩序に貢献した R︒ルッツァットはこうした道徳的規則をユダヤ教も持つことを示そうとし︑キリスト教への改

宗という形ではなく︑トーラーの中のキリスト教と共通する教えに遡って︑そこから内面性に関わる教えを引き出した︒キリスト教とは異なるけれども︑市民道徳についてはキリスト教徒の市民と同じ方向を向いており︑兄弟団

と同様にヴェネツィアの調和を成している︒このようにして︑ユダヤ人が都市における必要悪であるというレッテ

ルを払拭しようとしたと考えられよう︒

(16)

  他方で︑偏見を形作っている︑ユダヤ人とキリスト教徒は異なる︑という事実は避けることはできない︒とりわ

け生活全てを律するユダヤ教の儀礼は︑ヴェネツィアの中で独自の文化や社会を形成した︒ルッツァットの特殊な儀礼についての説明は︑ヴェネツィアの外国人組合の規則の性格と類似している︒ヴェネツィアは地中海やアルプ

ス以北から商人が訪れる国際的な都市である︒外国人は出身地ごとに組合を作り都市当局と交渉し︑自分たちの権

利や独自の慣習を守っていた︒商人は外地において︑一時的な滞在ゆえにその活動の基盤となる信用︑人間関係︑権利基盤が脆弱で︑危険があった時に身の安全を確保する手段を欠いたためである S︒ヴェネツィアでは組合は独自

の規則を作ることを公的に認められており︑ドイツやギリシャの商人は慣習や信仰儀礼を組合に導入した︒この規

則は︑組合員はこれを守らねばならないが︑ヴェネツィア法以上の強制力をもつことを禁じられ︑当局の検閲を経

て組合に導入された T︒この組合は︑Università又はNationeと呼ばれた︒   ルッツァットは儀礼に関して外国人集団の法的地位に近づけることで︑キリスト教徒と異なる規則をもつことを

正当化したと言えるのではないか︒人間社会において最も重要な絆にも関わらず︑儀礼を自由意志による遵守とし

たのは︑当時ユダヤ人の法が自治法として過度な強制力を持ち︑ヴェネツィアの秩序を侵すのではないか︑という疑義があったためである U︒世俗権威を脅かさない限り外国人組合にも認められていた慣習規則という形に落とし込

むことで︑儀礼を法的に守ったのである︒実際に一六三一年にユダヤ人の法を調査した役人は︑ユダヤ人組合が独

自の法を持っていることについて︑外国人組合が規則を持てることを根拠に正当としており V︑反論としては有効であっただろう︒

  さらに﹃議論﹄において︑普遍的な道徳性と特殊な儀礼は互いに切り離されているように読める︒というのも︑

(17)

ルッツァットの主張する道徳性をキリスト教における道徳性と比較すると︑それがあくまで対異教徒の議論であることが鮮明になるからである︒キリスト教世界では道徳性は説教師によって扇動的に強化されており︑個人の救済 や宗教的熱狂につながる要素だった W︒それに対して﹃議論﹄は異教徒同士の関係における誠実さのみに力点を置

く︒つまり︑ユダヤ社会内部の関係やユダヤ教の宗教的敬虔さには関連させず︑あくまでユダヤ社会とキリスト教社会の境界を律するものとして機能する︒このような議論を行ったのは︑ステレオタイプ的主張がユダヤ人の不道

徳性の要因をその特殊な儀礼に帰することへの対応であろう︒すなわち︑ユダヤ人が特殊儀礼を守り続けるため

に︑儀礼を普遍性から切り離してキリスト教との比較軸から外したと解釈できる︒

  ユダヤ人への偏見とそれに基づく追放論に対し︑ルッツァットが﹃議論﹄において行った反論は︑護教のための

宗教的な論駁ではない︒ルッツァットはユダヤ人に内的特徴がないとしながらも︑ユダヤ人の共通事項として﹁古

代への慕情﹂︑﹁法 Xの遵守において︑慣習にかじりつく﹂ことをあげ︑さらにこの慣習は﹁世界中に離散している一 五五〇年もの間︑一貫﹂しており︑﹁災難の中ですら危険に直面しなかったかのような︑信じがたい粘り強さ﹂︵p. 43,︶で守られていると説明する︒しかし古い信仰への固執は︑まさに改宗を拒絶するユダヤ人に対して教会

が非難してきた論題である Y︒ユダヤ人の居住を正当化する議論においてこの点を導入したということは︑キリスト

教の伝統的非難がヴェネツィアにおけるユダヤ人の社会的地位に何の影響も与えないとルッツァットが考えたことを意味する︒

  むしろルッツァットの議論の相手は国家であり︑ヴェネツィアでユダヤ人の信仰がいかにして存在しうるかを模

索した︑統治に関する議論を行った︒ルッツァットはもう一つのユダヤ人の特徴を挙げているが︑ここでは政治的

(18)

位置付けを試みている︒

それでもまだ世界中の彼らの慣習がいかなるものか知りたいのであれば︑これだけは言えるだろう︒この民の精神は非常に弱っていて︑衰弱しており︑現在あらゆる政治統治のもとで能力がなく︑特別な利益を受けるこ

ともなく︑かといって世界中において将来性があるわけでもない︒彼らの質素さは古代への慕情となり︑現在

の起こっていることに目を向けていない︒︵p. 42‑43,︶ルッツァットがこのように否定的な記述を用いたのには動機がある︒メラメドやシロスは﹃議論﹄の一五章の中 に︑マキャベリの宗教観の影響を見出す Z︒宗教はそれが誤った教えであれ︑統治者にとって社会の秩序を保つには

有益︑という考え方である︒ルッツァットは一一章ではその議論を提示しないが︑同様の視点をユダヤ人にも向け

ていると考えられるだろう︒すなわち︑ユダヤ人が古代の教えに固執するが故に各地の統治に甘んじるのであれば︑それは有益であり黙認した方がよい︑ということになる︒ルッツァットは︑国益に基づいてユダヤ教を位置付

けることで︑国家内に存在する正当性を論じたのである︒

結論

  以上のように︑﹃議論﹄を社会背景に関連づけて読み込むことで︑シモーネ・ルッツァットがヴェネツィアの統

治方針に影響を受け︑それと妥協する形でユダヤ教の姿を描いていたことが明らかとなった︒ユダヤ人をヴェネツィアの構成員として認めてもらうために︑ユダヤ人共同体をキリスト教の兄弟団と同じように道徳に関する教えを

持ち︑都市の秩序に貢献していることを強調した︒このようにユダヤ人を普遍的道徳性の土台に乗せ︑自らに向け

(19)

られたステレオタイプに反論する一方で︑その普遍性から特殊な儀礼を切り離し︑政治的関心とは無関係で強制性がなく︑自由意志による遵守という外国人組合の慣習的規則に準ずることで︑キリスト教徒との差異を守り儀礼を

固持し続けることを正当化した︒

  こうしたルッツァットの議論は︑ヴェネツィアに十分に受け入れられるように︑なおかつユダヤ教の文化的要素を守るようにするためである︒ヴェネツィア社会におけるユダヤ教の存在を正当化するための一時的な建前上の議

論とも言える︒しかしこの著作はヴェネツィア以外においても︑ユダヤ人が西欧社会に参入していく際の議論に影

響を与えた可能性が指摘されている︒例えばオランダのユダヤ人メナセ・ベン・イスラエルは︑イギリスへのユダ

ヤ人入植許可を説得するために﹃謙虚な申し入れ﹄︵︶を書いたが︑そこで経済的有益性については﹃議論﹄

の主張を多く引き継ぎつつも︑当時のオランダの社会状況を反映して︑内面性の議論については信仰の自由と国家

への忠誠に重点を置いた a︒またスピノザもルッツァットが引用したものと同じテキストを用いて類似した議論をし ている b︒およそ一世紀経ると︑モーゼス・メンデルスゾーンがベン・イスラエルの﹃謙虚な申し入れ﹄を翻訳し序文を付してユダヤ人の社会的役割の議論を受け継ぎ︑さらに有益性抜きでのドイツ社会参入を目指してユダヤ人の

市民としての道徳性を強調するとともに︑ユダヤ教の強制性を排除し私的空間に限定する議論をしているが︑ここ

にルッツァットの間接的影響が指摘されている c︒さらにヴェルトリは︑ルッツァットによる︑宗教ではなく都市活動を基礎にしたユダヤ人の社会的位置付けは︑パレスチナでの国家建設の動機にも少なからず影響を与えた︑と主 張する d︒これらのことから︑ルッツァットの観念はヴェネツィアでの一時的な状況から生み出されたのみならず︑

同時代の西欧ユダヤ人にもある程度共有されており︑またその後近代化に伴い観念が引き継がれている可能性があ

(20)

ると言えよう︒   そこで︑近代化の中での影響について︑重要な点を二つ指摘しておきたい︒一つ目はルッツァットの二分法に見られる精神と儀礼の分離である︒それまでにもユダヤ思想の中で︑精神と儀礼の関係は議論されており二つの側面

を捉える考え方はあるが︑中世においてこの二つは不可分である︒たとえばマイモニデスは道徳性や知性は善い行

為や習慣によって獲得されると論じる e︒それに対し︑ルッツァットの議論では二つの側面に完全に分けられ︑各々異なる役割を持ち︑互いに接続しない︒こうした完全な二分法は︑﹁ユダヤ教を信じる市民﹂を生み出し近代のユ

ダヤ人解放を準備し︑ユダヤ教のその後の多様化をも呼んだのではないだろうか︒たとえばメンデルスゾーンによ

る道徳性の強調︑および急進的な改革による儀礼軽視の傾向は二分法を基盤にしていると筆者は考えている︒もう

一つ重要な点は︑ルッツァットの議論の﹁ユダヤは宗教か民族か f﹂という近代的な問題への接続である︒本論で指摘したとおり︑積極的道徳・忠誠心の教えを主張する一方で︑独自の儀礼を公共の普遍性から離して個人の意思に

基づくとする二分法は︑近代的な宗教概念に共通する︒他方で社会において個々人が慣習でまず繋がり︑その後に

道徳を通して市民とつながるという関係性は民族的と言えよう︒この議論は当時のヴェネツィア社会の構造に合わせたものである︒しかし︑外国人組合natione としての位置付けによって安定化することで︑儀礼の特殊性とnatione概念とが密接に関わったまま近代に突入していくことになったのかもしれない︒

  もし反ユダヤ的言説が想定するように︑道徳性がキリスト教的文脈内にのみ帰属するなら︑それを兄弟団以外の人々がいかに共有しうるだろうか︒ルッツァットはキリスト教からの道徳性とは別に︑ユダヤ教からの道徳性を提

示したが︑それらは同じ方向を向いていても別の宗教である以上︑一致していると説得することは困難である︒近

(21)

代のユダヤ人解放により︑ユダヤ人がキリスト教徒と同じ﹁市民﹂となるとき︑両者は一致した道徳性をもつことを要求されるが︑それが大いにキリスト教的文化を引き継ぐなら︑改宗せずに儀礼を守り続けるユダヤ教徒が︑市

民以外の存在とみなされうるという問題は解決されないままである︒

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参照

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