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パネル・ディスカッション

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著者 村田 晃嗣, 臼杵 陽, 森 孝一, 小杉 泰

雑誌名 基督教研究

巻 65

号 1

ページ 29‑42

発行年 2003‑09‑30

権利 基督教研究会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004451

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[森] 文学部4回生の山中さんから臼杵さんへの質問。「十字軍のイデオロギーにつ いて研究しているが、パレスチナ人を統合させるための論理、パレスチナ人としての アイデンティティの核はあるのでしょうか」という質問です。

[臼杵] パレスチナ人にとってサラディンはエルサレム解放について現在に至るまで 祝われている人ですが。十字軍がパレスチナ人の核になるということは到底ありえな い話です。ただこれまでは「シオニズムがパレスチナ人を追い出した。それに対して 出てきたのがパレスチナ人のアイデンティティだ」という議論が主流だったのですが、

最近の歴史の読み直しの中では、アラブ・ナショナリズムができてきたのと同時期に パレスチナ人アイデンティティは出てきたという議論があります。19 世紀の終わりの 段階で、すでにパレスチナ人は他の地域のアラブとは違うという議論が最近では出て おりますので、アイデンティティというのはどのようにとらえるのかは立場によって 違うと思います。なかなか難しい議論ではないかと思います。一般的にはパレスチナ 人のアイデンティティは「離散を通じて形成されていった意識である」と考えるのが 妥当ではないかと思います。

[森] 小杉先生、臼杵先生へ。「筑波大学助教授の惨殺事件が前にございました。そ れについてどのようにお考えですか」という質問です。

[小杉] 日本の警察は優秀だと思っていたんですが、残念ながらあの事件は、私の知 る限り迷宮入りですね。彼はサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を翻訳したので暗 殺されたのではないかという説はずっとありますが、憶測の域を出ていません。逆に、

そういう種類のテロではないかという思い込みがあって初動捜査をきちんとしなかっ たから、後で真犯人を検挙できないような困難に陥ったという説もあります。そうい

パネル・ディスカッション

Panel Discussion

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う意味で、五十嵐先生の事件はきちっと犯人を検挙してもらいたかったという気持ち を、中東、イスラーム研究に属する者は持っていると思います。警察を批判するわけ ではありませんが、我々が何か勝手に思い込んで動くと本質を誤るという一つの事例 ではないかという気もいたします。

[森] 残念であるということでしょうが、イスラームの世界から見ると、ある種の理 論づけ、正当性を持っているものなのでしょうか。

[小杉] 五十嵐先生の事件は、誰がやったか全くわからないんです。イスラーム世界 の原理主義者がやったという俗説は憶測ですし、ちょっと信じがたいと思います。な ぜかと言うと、私の知るかぎり、イスラーム世界ではこの件についてのコメントは、

イランも含めてゼロなんです。サルマン・ラシュディを批判・攻撃している人は大き な声で発言していますので、イスラーム世界の過激派がやったとすれば、黙っている はずはないのではないかと思われます。そうすると、この事件はいわゆる原理主義者 とは関係ない可能性がかなりあるのではないでしょうか。関係ないなら関係ないで、

真犯人を挙げてもらいたかった、関係があるならあるでちゃんと犯人を挙げてもらい たかった、というのが本当のところです。未だに憶測だけが歩き回っているのが問題 だと思います。五十嵐先生のためにも犯人は捕まって処罰されるべきだった。捕まっ ていれば、どちらにしてもイスラーム世界に対する誤解が解けたんです。仮にイスラ ーム世界と関係ある事件だったら、それはそれで事態がはっきりわかって、政治的な 分析もできます。そうでなければ単なる個人的な犯罪で、イスラーム世界と何も関係 がないと明言できる。どちらにもなっていないところに個人的にも、研究者としても フラストレーションを感じるということです。

[森] 関連した質問で小杉先生に。イスラーム復興と近代化の問題について。五十嵐 先生の問題はイスラーム圏以外の人々にとっては反近代的な理解を超えた行動のよう に思えるんですが。

[小杉] 五十嵐先生の話は、単なる国内的な犯罪であったら、今の会話は成立しない んですよね。イランと関係ある人がやったのだという可能性があるとしたら話題が成 立するのですが、全く関係ない単なる犯罪だという可能性もあるわけで、如何ともし がたい感じですね。あえて言えば、日本の警察がだらしないと言わざるをえませんが。

憶測の上に議論を展開することが一番危険なことで、「イスラームと関係あるのではな いか」という想定のもとに「あんなことをなぜ許すのか、どういう論理で正当化するの か」と言うと、全く架空の設問になってしまいます。実際には、正当化も何もされて いない可能性が強いわけです。ラシュディ事件自体については、イスラーム世界では ものすごい反発があるので、大きな声でたくさん語っているんですね。何も語ってい ないのは、もしかしたら何も関係がないのではないかという気がしてならないんです。

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[森] 村田先生への質問。一般参加の菊池さんから。数名の方からも出ております。

アメリカと日本との関係、アメリカと日本だけに限らないのですが、「理念とか価値、

ビジョンの共有の問題について」。もし共有していれば対立することもない。従属して いたとしてもいいのではないかということですが。「日本の外交における理念、価値、

ビジョンがはっきり見えない。日本の価値、ビジョンはどういうものだと村田先生は お考えか」という質問です。

[村田] 価値やビジョンがはっきり見えないというのは日本外交にだけ特徴的なこと ではないと思うんです。ある意味で価値やビジョンが極めて明瞭だという外交はドクマ ティックな外交であり、あまりよい外交ではないかもしれないという気がいたします。

そのことをもって日本外交のできが悪いというふうに必ずしも言うことはできないだろ うと思います。しかしながら我が国にとって、我が国の平和と安全を確保するというの は言うまでもないことで、基盤的な価値に属することであります。それは極めて素朴な 意味での国土防衛と言っているのではなく、もちろん国土も防衛しなければいけません が、日本人が生きている社会のメカニズム、価値観、習慣、文化の集積を守ろうとする のはあたりまえのことだろうと思います。日本のように天然資源が乏しく国土が狭隘で 人口の集密な生活水準の高い社会にとって、開かれた自由な国際貿易体制が維持されて いることは極めて重要なことでありますし、人とコミュニケーションの拡大ということ も重要なことであり、そういうことについて大方、アメリカと価値を共有していると思 うわけです。東アジア太平洋地域での基本的に現状維持を願っているという点でも日本 とアメリカの外交の大きな方向性は合致していると思います。

[森] 臼杵先生への質問です。「パレスチナ問題に対する日本の役割について」。神学 部の高嶋さんから「日本は政府としてパレスチナ問題に対してどのような態度をとる べきか。何ができるのか」という質問です。

[臼杵] いつも聞かれる質問でありまして、9 月以降に開かれるだろうブッシュ大統 領が提案している中東和平会議に、日本政府は参加をまだ確定しておりません。おそ らく今後、参加する方向で決められていくと思いますが。これまで日本政府は膨大な 額をパレスチナ自治政府に対して拠出してきたわけですが、今回のイスラエルの大侵 攻によって、日本政府及び他の外国の政府による援助でつくられたインフラ等々が破 壊されてしまい、また再びゼロから出発せざるをえないという状況になっています。

今後、日本政府がどういう役割ができるか。人道的な支援はもちろんやらないといけ ないわけですが、日本政府自身、中東政策の中で、パレスチナ問題を極めて重要視す るという考え方を持っているのであれば、日本政府自身がアメリカの考えている大き な中東和平を決めていく枠の中で、積極的に何ができるのか。対米関係を前提とした 中でパレスチナ政策の独自性を打ち出せる可能性があるのか、ないかのかということ

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を、もう少しきちんと議論をしなければならないのではないかと思います。

実際問題としてできるのは、EU諸国がやっているように、政府あるいは政府では なくても民間の調査団が、パレスチナで何が起きているのか、日本は何ができるの かという調査団等々を派遣することによって、現地の状況に即した立案をしていく 必要があるのではないか。これまでの延長線でパレスチナに対する対処の仕方をし ているのであれば、少なくとも日本の役割は極めて限られたものにならざるをえな いというふうに私は考えています。

[森] 同じ質問について村田先生はいかがでしょうか。「パレスチナ問題について」。

[村田] 臼杵先生がおっしゃったことに基本的に同意ですが、9 ・ 11 以降の流れで 申しますと、単純な国際分業作業がとられてまいりました。これは多分、欧米は意 図したと思いますが、まずアメリカが軍事力で叩く。その後、ドイツで最初の復興 会議が開かれました。外交政治上のお膳立てをヨーロッパがする。最後に東京に持 ってきてアフガン復興会議で日本が金を出すという分担が今まではきれいにできて きたわけです。アメリカが叩いてヨーロッパがネゴーシエイション(negotiation)を して、日本が金を払う。それがスムーズに流れれば必ずしも悪いことではないと思 いますが、金だけ出すという協力の仕方には限界があるでしょう。そういう意味で は現地調査や人の面での協力が今後ますます重要になってくるだろうと思うんです。

よく「金のある国は金を出せばいいんだ。それぞれ得手不得手があって、日本のよ うに金のある国はお金を出して貢献すればよろしい」という議論がなされるわけで すが、そのような議論は煎じ詰めて言えば「金のない国は血を流せ」と言っている に等しいのです。私どもが余裕のある限りは経済的な協力を惜しんではなりません が、しかしそういうワン・ディメンショナル(one dimensional)な、一つのファクタ ーによる協力だけでは自ずと限界があるということ、この問題だけではなく、この ことは国際社会との関係の中で我々が理解を深める必要があると存じます。

[森] 小杉先生に対する質問です。共同通信社の尾崎さんから。「イスラーム過激派 のエネルギーが自分たちの国の腐敗政権の打倒という身近な運動に集結されず、国際 テロ組織になって対米テロという形をとるのはなぜでしょうか」。

[小杉] 一般論でお答えすると、粗雑な議論になってしまうかなと思います。国によ って温度差が相当あります。エジプトなどでは、過激派が国内闘争をしている延長の 中で国際的なつながりが出てくるのが一つのパターンですが、サウジアラビアの場合 はどうか。特にビン・ラーディンおよび彼が育てた義勇兵たちが対米闘争をやった時 の議論について、公表されている主張を見ますと、サウジアラビア政府がもともと悪 いというより「湾岸戦争の時以来、アメリカが駐留しているからいけないのだ」と言 っています。彼らの考えでは「聖地の防衛」が主要な問題なんです。サウジアラビア

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政府は腐敗しているかもしれませんが、聖地の防衛について怠っているとは言えませ んので、そうすると外国軍が駐留しているのが問題だというロジックになります。と ころが聖地のない国ではそういう話にはなりませんので、私の見る限りでは国内の政 府を批判する議論の方が多いと思います。パレスチナのようにイスラエルという占領 者がいて「外敵」と闘っているという形をとっているところもいくつかありますが、

そうでないところは自国の政府を棚にあげてアメリカが悪いからこうなっているとい う議論はしません。いずれにしてもイスラーム運動は、イスラームという共有の基盤 がありますので、社会運動や政治運動において「一国だけでやらないといけない」と いうルールはないようです。実際、いろいろな国や地域での活動を見ると、その国の 人以外は排除するとか、よそから来ているメンバーは誰もいないというルールにはな っていないように思います。ビン・ラーディンの声明が特徴的なのは、自国の政府を 攻撃するよりも「アメリカが聖地を占領しているから悪い」という理屈ですが、これ はサウジアラビアの運動の特徴ではないかと思います。「自国政府を打倒すればいい」

と言わないのは、エジプトとかアルジェリアの例と比べると異なっています。

[森] それはビン・ラーディンだけでなく、サウジアラビアの特徴とお考えなんですか。

[小杉] ビン・ラーディンだけではありません。サウジアラビアの反体制派とされる 人たちは、しばしば「我々は国王に忠告しているだけだ。国王が忠告を聞いてくれれ ばそれでいい」と言います。そもそも「王政を打倒しなければならないと言っている わけではない」というトーンがかなり強くあります。実際の行動は反政府的で、強い 批判をしていても、トーンとしては「王様は我々の助言を聞くべきだ」というスタイ ルをとるのがサウジアラビアの特徴で、エジプトではそういう形をとりません。

[森] エジプトの場合、どういう行動をとるかについてお話いただけますか。

[小杉] エジプトの場合、はっきりとした反体制運動で、体制転覆をめざす。なぜそ ういう違いが起こるのか。私の考えでは「イスラーム復興運動」の中で、急進派は 70 年代からあちこちに出てきますが、政治的な急進派はもともとあちこちにいるわけで す。社会的な矛盾や政治的な問題がある国には「社会を何とかしよう」という運動は どこにでもある。ただし、急進派と言っても 50 年代、60 年代は民族主義の運動です。

それが、イスラーム回帰が起こると、イスラーム的なイデオロギーでないと人々の支 持を得られないということで変わってきます。エジプトにおけるイスラーム急進派は イデオロギーはイスラームかもしれませんが、運動のパターンからすれば 50 年代、60 年代の社会主義や民族主義の急進派の続きだとみなすことができます。ところが、サ ウジアラビアの場合は民族主義的な急進派はほとんどいませんでしたので、イスラー ム的伝統の中の野党であり反体制派ですね。彼らは自分を「反体制」と思わず、「我々 はあくまで王様を正そうとしているだけだ」という理論を立ててくるのです。

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[森] 臼杵先生、何か追加はございますか。

[臼杵] パレスチナに関して言いますと、少なくとも「反米」が前面には出てきてい ない。「占領者イスラエル」がアメリカによって軍事的に支えられているという事実は 認識しているわけですが、闘争としては 9 ・ 11 以降、ハマスに典型的に見られるわけ ですが、アメリカを攻撃する戦術はとらない。あくまでパレスチナの中で「防衛ジハ ード」を展開するということであって。もう一つ重要な点は「イスラーム的な運動」

だけをパレスチナの自爆闘争に特徴的なことと考えていくと間違っていくのではない か。最近ではタンジームとかファタハ系の組織も参加していますので、もともとパレ スチナにおけるイスラーム運動も、ナショナリズムとの関係の中で運動が展開してい った側面があります。イスラームということだけでパレスチナ闘争を説明してしまう と、かなり誤った見方になっていくのではないかと思います。

[森] 臼杵先生、村田先生へ。アメリカ研究科の米山さんから。「アメリカでのイス ラーム・ロビー、ユダヤ人ロビーについて」。それと共に「アラブ・ロビーの影響力、

パレスチナ・イスラエル問題についてどのようにお考えか」と。

[村田] イスラエル・ロビーがアメリカの国内政治に大きな影響力を持っていること は繰り返し指摘されるところです。類似の例を挙げるとすれば台湾ロビーも相当程度 に成功裏にロビー活動をワシントンで行っているという感じがいたします。単純な共 通点がございまして、両方とも小さな国で敵対的勢力に囲まれている。イスラエルに ついて忘れてはいけないのは、アメリカがイスラエルにシンパシーを持つ理由です。

宗教上のものもあると思いますが、中東の中でイスラエルが数少ない、ほとんど唯一 の民主主義国家であるということを抜いてはならないだろうと思います。サウジアラ ビアもエジプトもその他の国に比べて、イスラエルは民主主義というシステムが働い ているわけで、台湾についても同じようなことが言える。80 年代以降、民主化された 台湾、民主化された小さな国が敵対的勢力に包囲されているというイメージ、実態が どうであるかは別として。そのようなイメージにおいて、イスラエル・ロビーと台湾 ロビーは似たところがあって有効に機能している。もちろんアメリカではロビー活動 は合法的になされる限りは合法で、ロビー活動そのものが悪いわけではない。我が国 の外交を振り返った時、日本外交はなぜこれほど機能しないのかと考えることの方が 重要であるという気もします。

[臼杵] 私自身、アメリカ国内の状況についてはよくわかりませんが、イスラエル から見た時、ユダヤ人ロビーがどのように機能するかを考えてみると、有名なのは AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)というユダヤ人の組織です。この 組織は大きな力を持ち、選挙の集票力を持っている。アメリカのユダヤ人は極めて 政治意識が高い。参政権の行使、投票率が高いことがユダヤ人の政治的な行動を逆

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に保障する点がある。それに対してアラブ・ロビーという言い方自体、問題性があ ります。アラブと言いましてもたくさんの国籍の人たちがいるわけで、キリスト教 徒とイスラーム教徒がいる。とりわけアメリカに多く移民しているのはキリスト教 徒の人々が多い。レバノン、シリアを中心に。パレスチナにおいても圧倒的にキリ スト教徒が多い。したがってアラブということで括ればアラブ諸国のどこの出身な のかという問題が出てきます。ユダヤ人に比べれば結集しにくい。今回の 9 ・ 11 以 降、ヘイト・クライム(hate crime)的な問題が出てきた。「ムスリム」であるという ことだけで憎悪の対象になったり、嫌がらせ、放火とか襲撃を受けたりという事件 か起こりましたが、ムスリムと言いましても一枚岩ではない。600 万人とも言われま すが、宗教宗派別の正確な統計がないのでわからない。しかしその中の 4 分の 1 くら いは南アジア出身のムスリムであろうと言われています。若干少ないですが、アラ ブ系の人たち、もう一つ大きなものとしてアフリカ系のアメリカ人、黒人の人たち のイスラーム教徒がいる。残りは非アラブ、トルコとかイランの出身者がいる。ロ ビー活動として一枚岩的になれない、組織を持っていない点が問題になってくるの ではないかと思います。

[森] アメリカにおけるイスラーム、ムスリムの話について追加してお話させていた だきますと、アメリカにおけるユダヤ系アメリカ人の人口は 3 %であると言われてい ます。それに対してイスラーム系のアメリカの人口は統計がありません。これはいろ んな本を読んでもはっきり出ていない。一番多い数はユダヤ系アメリカ人と同じ 3 %、

750 万人くらいではないか。ギャラップ調査で「自分の宗教について」の問いに「自分 はイスラームの信徒である」と答えている人は 1 %を切っているわけです。250 万人以 下で 1 %を切った場合、統計の数字にも出てこない。アメリカのイスラームの団体の ある有力な方が日本にお出でになった時、その質問をしたんですが、彼も「統計を持 っていないが、大体 600  万人くらいだと思う。何年か前のニューヨーク・タイムズに 出ていたから」という答えしか返ってきませんでした。

これは反対に言うと、イスラーム教徒がアメリカにおいてどのような立場に置かれて いるかということを表していると思います。ギャラップの場合、電話で聞きますから、

「あなたの宗教は何ですか」という質問に、「自分はイスラーム教徒である」と答えに くい社会的状況があるのではないかと考えた方がいいと思います。ただ 9 ・ 11 の後、

ターバンを巻いているインド人が攻撃を受けたりする反応がアメリカではありました が、1941 年のパールハーバーの時のアメリカの反応と比較すると全く異なっています。

イスラーム系の学校が、心ないアメリカ人に攻撃される恐れが出てきた時、アメリカ のリベラルなキリスト教会の人々が学校の前に立って守るという動きもあったわけで す。なかなか一色で説明することは難しいのではないかと思います。

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もう一つパレスチナ・イスラエル問題で龍谷大学の中井さんからの質問です。「パレ スチナ自治政府の議長選挙が行われるだろうが、その結果がイスラエル・パレスチナ 問題にどういう影響を与えるだろうか」と。臼杵先生いかがでしょうか。

[臼杵] 2 週間前、ブッシュ大統領が新しいパレスチナ政策に関する演説を行いまし た。その時に明快な形で「和平のためにはテロに妥協しない新しい異なるパレスチナ 人の指導部が必要だ」と明言しました。アラファトの名前ははっきり言いませんでし たが、事実上「アラファトを交渉の相手にしない」ということです。アメリカ自身、

アラブ穏健諸国、エジプト、サウジアラビア、ヨルダンの政府にいろいろ交渉し、事 実上の「アラファト外し」を画策しているという情報も流れています。しかしながら、

アラファト自身は「ブッシュ演説を歓迎する」と彼らしい表現で言いました。彼自身、

相当な自信を持っているようで、仮に現実問題として選挙があっても、現時点では自 分が再選されることは間違いないと確信しているようです。問題はパレスチナ自治政 府の代表にアラファトが再度選ばれた場合、アメリカはどのような対応をとるか。民 主主義的な制度を通じて選ばれた指導者に対してどのように対応するかが問われてく ることになると思います。そうなると、アメリカ政府は「パレスチナ独立国家をつく る時にアラファトは必要ない」と言っていましたので、どのような形で今後、パレス チナ国家の自立に努力するのかという点で、いささか不透明な部分が残ります。いろ んな憶測が飛び交っています。アラファト自身、「自治政府の治安機構をはじめ行政機 構の改革を進めている」と豪語しております。それをパウエル国務長官が「それなり に評価している」と言ったりして、アメリカ政府の内部で分裂を画策するようないろ いろな発言もありますが、今後どのようになっていくのか、予想はできないと思いま す。再びパレスチナ人がアラファトを選んだ時、どうなるかという展開については予 想できないということです。アメリカ政府の対応の問題になってくると思います。

[森] それでは最後にまとめの形で、それぞれの報告者からお話をしていただければ と思います。村田先生から。

[村田] 他の先生方からのご発言も承りました。森先生は「二つの原理主義の対立」

の問題を提起されました。小杉先生は「文明の衝突か対話かという問いそのものが必 ずしも適当ではなく、それぞれの文明の中に対話を欲する勢力と衝突を欲する勢力が ある」というご指摘がございまして、いずれも基本的に同意でございまして、多くの ことを学ばせていただきました。屋上屋を重ねることになるかもしれませんが、先程 の臼杵先生のお話の中にも出てきましたように、アメリカの政府の中にも対中東政策、

外交政策全般についての明瞭なコンセンサスが必ずしも存在しているわけではないと 思います。そこにはある種の振幅の余地がある。政府の中にもあるだろうと思います。

世論についてはもっと大きな振幅の余地がある。冷戦が終わり、アメリカが一強にな

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って、そうした中で 9 ・ 11 が起こったという連鎖的な動きの中で、アメリカのブッシ ュ政権が「単独行動主義」的傾向を強めているとしても、これが今後、アメリカ外交 に不可逆の潮流であるかどうかという見極めはまだつかない。アメリカ外交は再び協 調的なものに戻ってくるかもしれないということは可能性としてあると思うんです。

その時に大事なことは、国際社会が、とりわけアメリカと密接な関係にある諸国が、

アメリカを国際協調の枠組みに導けるような道筋や手順を描けるかどうかということ ではないかと思います。

そういう意味ではアメリカ社会の持っている多元性に、いささかオプティミステ ィックな期待を持っているところでございます。アメリカ自身が原理主義的になっ て、イスラーム原理主義との応酬になってしまう。ややもすれば過激派の存在しか 見ないという小杉先生のご指摘は大切だと思いますし、イスラーム文化、文明につ いての我々の理解をもっと多元的に深めないといけないというのは全く同感です。

イスラームの中でも対話を中心とする中道派・穏健派と急進派・過激派が存在する。

ただ過激派の目的は何なのでしょうか。ビン・ラーディンの目的は何か。最初の問 いに返ってくるのですが、ビン・ラーディンが世界貿易センター(World Trade Center に突っ込んだ。彼をそうさせた理由や目的は何だったのでしょうか。この行動で彼 は何を実現しようとしたのでしょうか。パレスチナ問題の解決でしょうか。だとす れば、こんなトンチンカンな方法はなかったと思います。パレスチナ問題の解決に つながらない。一体、過激派はあのようなテロを通じて何を実現しようとしている のかということが私には未だにはっきりしないということです。

アメリカの軍事行動によって過激派は後悔したのか。その答えはノーだ。小杉先生 がおっしゃった通りだと思います。しかしながら過激派が、ビン・ラーディンと目さ れる人物がワールド・トレード・センターにテロを行った本当の理由は私には理解で きませんが、他方アメリカが、アフガニスタンで軍事行動をとった目的は明らかだと 思います。それがいい悪いは別にして、アメリカがアフガニスタンで軍事行動をとっ た目的は極めてクリアなわけです。アルカイーダの組織的戦闘能力を奪うということ です。彼らが後悔しようが、しまいが関係はあまりない。彼らが大規模な第 2 波のテ ロを起こす組織的な戦闘能力を奪うという意味では、アメリカの軍事行動にはある種 の合目的性があったと思います。

ターリバンやイスラーム原理主義がどういうものかよくわかりませんが、当初思わ れていたより存外脆く崩壊してしまったというのは、結局のところターリバン、アル カイーダでも確信犯で、死ぬまでついていくという人間はどんな組織でもごく少数で あり、状況に応じて追随するその他大勢の周辺部分がいて、そういうのは強い力でガ ンと叩かれた時には砕け散るということが示されたのではないかと思うんです。そう

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いう意味ではアメリカがアフガニスタンで軍事行動をとったことは、「もっと別の軍事 力の行使の仕方があったのではないか」という議論はあるにしろ、アメリカがターリ バンやアルカイーダを叩いたことには一定の合目的性があったと考えております。私 にとっては、犯行声明さえないテロとアメリカの軍事行動を、同列に論じることは難 しいのではないかという感じがいたします。

[臼杵] 少しイスラエルのことをしゃべってみたいと思います。アメリカのユダヤ人 とイスラエルは基本的には極めてつながり方が強いものがある。ユダヤ人であれば誰 でもイスラエルの国籍を取得することかできるわけです。本人が望めばイスラエルは 二重国籍を認めていますので、アメリカ国籍を放棄することなく、イスラエルの国籍 を取得することができる。イスラエル以上にアメリカのユダヤ人の数は多いわけで、

イスラエルにとっては潜在的にアメリカのユダヤ人は人間の資源として膨大なものが あることを、まず前提として考えなければならないと思います。

さらにユダヤ人における「過激派」という言葉の震源になっている人物がアメリカの ニューヨークのブルックリン地区から出てきたという歴史的な事実がございます。そ の人の名前はメイール・カハネというのですが、このラビの名前はイスラエル人のほ とんどが聞くと嫌悪感を示します。彼は明快な形で「アラブ人の追放」を訴えるわけ です。今回はイスラームにおける原理主義的な動きとアメリカの原理主義的な動きが 中心になりましたが、イスラエルの中の、とりわけユダヤ人の原理主義的な流れを代 表する人物としてメイール・カハネがいるわけです。彼は明快な形で「イスラエルが聖 書によって約束された土地からアラブを暴力をもって追放すべきだ」。さらには「世俗 的なユダヤ人は背教者であり、彼らはハラハー、つまりユダヤ教の宗教法に照らして 死に値するものである」という全くイスラームの原理主義者と相似形の議論を生み出 している。その結果起こった事件が、ラビン暗殺です。ユダヤ教の中にも同じような 原理主義的な動きが起きている。この点を改めて考えてみる必要があると思います。

森先生が「見えざる国教」とアメリカの宗教と国家の関係をご説明されましたが、

イスラエルはおそらく中東の中で、かつてオスマン帝国という国家があった、その中 で最もオスマン的な要素を継承しているのがイスラエル国家であると言えます。イス ラエルでは現在に至るまで宗教が異なると結婚もできません。宗教法が厳然として存 在していまして、ユダヤ教が国教とは規定しておりませんが、まさに「見えざる国教」

としてのユダヤ教がイスラエルのユダヤ人を規定しています。アメリカのユダヤ人は 誰でもイスラエル国籍をとれます。しかしアメリカのユダヤ人は改革派と保守派でリ ベラルな部分が多い。しかしイスラエルのユダヤ教の主流派は正統派です。アメリカ のユダヤ人がイスラエルに移民して来た時、宗教的な生活を送りたいとシナゴークに 行ってコミュニティに入ろうと思っても、冠婚葬祭を司る権限を持つ正統派の首席ラ

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ビ庁の管轄下にあるので改宗しないと入れないという、ユダヤ人の間でも恐ろしい差 異が出てきている。そのことももう少し知っておく必要があるのではないか。ユダヤ 教と言っても決して一枚岩ではない。現在、イスラームやキリスト教で起こっている のと同じ動きが起こっている点を最後に指摘しておきたいと思います。

[小杉] 二つ申し上げたいと思います。一つは村田先生がご提起された何のためにビ ン・ラーディンがやったかという問題について。ビン・ラーディンの主張は単純に言 ってしまうと「アメリカはアラビア半島から出ていけ」という議論をしており、攻撃 によって相手の被害を増大させ、撤退させたいという考えです。そういう考え方の是 非も問題ですが、私が 9 月 11 日事件について思うのは、半分はサウジアラビアの事件 だということです。実際、サウジアラビア政府も最近認めていますが、あの事件に参 加した人たちの半数以上はサウジアラビア国籍です。アフガニスタンの問題ではない んですね。アフガニスタンはたまたま彼らを匿っていたというだけで、ターリバンと ビン・ラーディンが一緒にされていますが、考え方も全然違う人たちです。アフガニ スタンには客人をもてなす習慣があるので、いったん保護した客人は引き渡さないが、

別に思想的に共感していたわけじゃない、とも言われています。サウジアラビアの内 政と外交に問題があると言っているのはアメリカだけではなく、皆、気がついている。

ただ、日本ではあまり指摘されていません。9 月 11 日事件がサウジアラビアの問題か ら起きたとすると、これはどういう意味を持っているか。石油エネルギー資源の日本 への安定的供給の観点から深刻な問題があると思います。私が疑っているのは、アメ リカが次の標的としてイラクをしきりに挙げている理由は何かということです。「イラ クがテロの元凶だ」と言っていますが、それは合理的な説明ではなく、イラクが今の 状態にある限り、アメリカ軍はサウジアラビアから撤退できないのです。サウジアラ ビアから撤退しようと思えばイラク問題を解決しないといけない。そうだとすると

「アメリカにサウジアラビアから出ていけ」ということでテロ攻撃があったことは、ア メリカ側もきちんとわかっているのかなという印象を受けます。

私自身は、それがたとえ合理的だとしても、軍事的な方法で物事を解決しようとい う姿勢自体が紛争をなくせない理由だと思います。「共存の可能性を探る」というタイ トルですので、その観点からもうひと言申し上げて終わりたいと思います。

「共存の可能性を探る」という時、私たちは一体何年くらいのスパンでものを考え るのか。共存を達成するには時間がかかります。5 年、10 年でテロがなくなるでしょ うか。私はなくならないと思います。そういう短期的な、辛抱心の足りないことでは

「文明の対話」はできないのだろうと思います。21 世紀全体を見通して対話をしていく 必要があります。そうすれば力関係も変わっていくのではないか。パレスチナ問題に ついては、イギリスが 1910 〜 20 年にやった過ちに原因があるとも考えられますが、

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もっと悪いのは 1947 年に委任統治が切れるところできちっとした代わりの仕組みをつ くらなかったことです。国連決議は一応ありましたが、それを実施する仕組みをつく らなかったのはなぜか。つくれなかったわけです。1910 年代には強大な大英帝国が取 り仕切ることができた。30 年後にはその力はないんです。そのため、放り出して立ち 去ってしまう。後は、イスラエルを建国したい人たちとアラブ人が戦争をするのに任 せてしまった。このことが禍根を残したと思います。日本はまだかなりお金もある、

力もあると思いますので、物質的・人的援助をすることも必要ですが、お金でできる ことだけでなく、対話をし続けることが一番大事です。村田さんは「外交は理念で言 ってはいけない」とおっしゃいましたが、政府や外交官ではない普通の人は、理念を 語っていけばいいのではないでしょうか。どういうふうにしたら対話に基づいた世界 ができるのかという理念を持って、理念に沿って、若い方を中心に向こう 50 年は頑張 るということで、ぜひやっていただきたいと思います。日本のあるべき姿を見据えな がら、私も人生の残っている分だけ頑張りたいと思っております。

[森] 私に対する質問もたくさん寄せられました。その中のいくつかにお答えさせて いただきます。共同通信社の尾崎さんから「ブッシュ大統領の宗教的情熱は彼自身の ものでしょうか。それとも特定の人物が影響を与えているのでしょうか」という質問。

「宗教右派」と呼ばれる大きな政治勢力を考えてのパフォーマンスではないかと思いま す。一体その人たちが人口のどれくらいいるか。全人口の 18 %です。アフリカ系アメ リカ人の人口が 12 %ですから、その 1.5  倍です。これが大きな積極的な政治活動をや るわけでから、どれくらいの影響を持っているか、十分にうかがい知ることができる と思います。因みに日本における創価学会は 7 %〜 9 %ではないでしょうか。創価学 会が日本の政治のキャスティングボードを握っているわけですから、18 %の宗教右派 がどれくらい大きな力を持っているかはうかがい知ることができると思います。

法学部政治学科の越さんから「尊厳について」の質問。イスラームの人々への尊厳 を申しましたが、「ターリバンによる抑圧は尊厳への抑圧ではないか」という指摘です。

「一挙に数千人の人を殺すという、そこに尊厳への配慮があるのか」。もちろんそれは 尊厳に反することで、私は何もアメリカだけが人間の尊厳を重視しなければならない と言っているわけではございません。どんな宗教、どんな国家であっても、それがと んでもない形をとることもありますし、すばらしい形をとる場合もある。宗教は人間 がつくりだすものです。人間と神を混同するからいけないのであって、人間がつくり だすものには、すばらしいものもあるし、とんでもないものもあるのだという認識を した上で、我々はあらゆる国、あらゆる宗教が人間の尊厳を主張していかなければい けないのではないかと思います。

最近出ました「国旗に対する忠誠」の中の「神のもとなる国家」(one nation under

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God)の違憲判決についてどう思うかという質問があります。これも世論調査でお答 えしますと「神のもと」という言葉を残すべきだと考えている人が 90 %います。

90 %という数字は非常に意味深な数字で、「自分はユダヤ・キリスト教的伝統に属す る宗教を信じている」と答えている人が 90 %いるのです。法理論だけで言うならば

「政教分離」「信教の自由」を徹底していけば、「神のもと」という一神教の言葉を入 れるのは間違いだと思います。しかしアメリカの宗教政策は片方で「政教分離」「信 教の自由」を重んじながら、同時に「国家統合」「国民統合」をめざすわけです。宣 誓をしたくないという意思表示ができる選択の余地は残すべきですが、「神のもと」

という言葉を入れることが「政教分離違反である」という議論は、法理論の中だけ の議論ではないかという思いを持っております。

対話について。小杉さんがおっしゃってくださったことは私も全くその通りだと思 います。しかし、穏健派・リベラル派の間の対話というものが今までどうだったのか。

それが何を生み出してきたのかを考えてみると疑問を持たざるをえない。京都にある 神学部で働いておりますから、比叡山あたりからお誘いがあります。「世界宗教者平和 会議」その他をやろうと。僕は全部断っているのです。どうしてかと言うと、リベラ ル派だけの対話だからです。サロン的な感じがしまして、本当に宗教の本質に迫るよ うな対話があまりない。本当になされるべき対話は、各リベラル派の対話も大切です が、イスラームにおける過激派とリベラル派の対話、キリスト教、ユダヤ教それぞれ における過激派とリベラル派の対話が必要ではないか。それが実現できるかという問 題はありますが、そのような思いを持っております。

小杉先生への質問として「イスラームにおける穏健派というのはどういうものなの か。何を主張しているのか」という質問がありましたが、代わりに私がお答えするの はおかしいですが、小杉さんのご指摘と通じると思いますが、私は原理主義者とは

「待てない人々」のことだと定義しています。待てない人、すぐに答えを欲しがる人。

それに対して「50 年のスパンでものごとを考える」のが穏健派・リベラルの特徴なの ではないかと考えております。

私は「アメリカの情報は偏っている」と申しました。それでは、アメリカに入って いく諸外国の情報はどうかという質問。これはなかなか鋭い指摘だと思います。法学 部の三刀さんからのご指摘です。確かに偏っていると思います。長期的にテロの問題 を解決していくことを考えてみると、一つは経済的な意味での南北問題の解消である と思います。もう一つは情報における南北問題の解消ではないかと考えています。イ スラームのことがほとんど知られていない。私は西宮に住んでいまして震災を体験し ました。テレビで報道される震災の現場と、そこを歩いてみる感じは全然違います。

潰れている瓦礫の中に、いろんなものが見えるわけです。昨日まで遊んでいた人形と

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か、昨日まで使っていたノートとかが見えるわけです。ところがそういう情報は、テ レビを通じてではほとんど伝わりません。それと同じで、パレスチナやアフガンの現 場の情報は、アメリカにはほとんど伝わっていないのではないでしょうか。そういう 情報をアメリカに伝えていく。それは日本に住んでいる者ができる一つの行動である のかもわかりません。

神学部で教えている私にとっては根本的な問いが出されています。経済学部の西さ んから。「宗教対立はそもそも自己と他者を差異化しているところに原因があるのでは ないか」という指摘です。私なりに言い換えてみますと、今までの宗教のあり方は、

相手を自分の形に「同化させていく」という形だったと思うのです。それを「伝道」

と呼んだり「宣教」と呼んだり「布教」と呼んだりしているのですが、結局、自分の 型に当てはめていく。文明も同じだと思います。そういうあり方が行き詰まったとい うことがはっきりしたのが 21 世紀ではないか。今までの「伝道」という形で「改宗」

させて宗教が拡大していくという「同化」ではなく、違うものが共存し、共生してい く形の宗教のあり方が問われていると思います。具体的に言うと、教会の経営の仕方 はどういう形になっていくのか。そこに問われている根本的な問題があるのではない か。共生というものに対して、どういう形をとれるのかということについての答えは 未だに出ていない。宗教の分野においても出ていないのではないかと思います。

たくさんの方から質問を出していただきながら扱えなかったものがたくさん残りま したことを心からお詫びしたいと思います。本日は、皆さんにこのように積極的に参 加していただきまして、有意義なシンポジウムを持てましたことを心から感謝申し上 げたいと思います。もう一度、協力してくださいました 3 人の先生方に拍手を送りた いと思います。どうもありがとうございました。

参照

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