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(1)

三家父長制家族の特徴︵以上第四巻第三号︶

四家父長制家族の変容︵以下本号︶

社 会 史 か ら み た 近 代 イ ギ リ ス に お け る 家 父 長 制 家 族

︵ ニ

・ 完

三五

(2)

討することに限定せねばならない︒ t i

c a t e

d   N

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l e

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  F a

m i

l y

 

一六

0│

︱ 八

00

という歴史的︱︱一類型によって説明しているが︑

i l y   ストーン

L .

S

t o

n e

は︑十六世紀から十九世紀に至るイングランドの家族構造の変遷を︑①

Th

e  O

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n  L

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一四

0│

︱六

0

︑②

Th

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P a

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l   N

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  F a

m i

l y

 

ら第三類型への移行過程を検討する︒ストーンの大著において法律問題が占めるスペースは必ずしも大きくないが︑

法的構造︵特に財産法︶

(l ) 

筆者だけではない︒当然のことながら︑

一四

0│

︱六

0

︑③

Th

e  D

om

es

  , 

ここでは第二類型か

の変化が家族構造の変容を示す重要な論拠のひとつとして位置づけられていると考えるのは

ストーン自身は近代家族の成立をその法的側面に限ることなく社会史的角度 から多面的に考察しているが︑筆者の中心テーマはイングランドにおける家父長制家族の変容と財産法との関連を検 テーマをより具体的に言えば︑次の二点である︒ストーンは︑厳格継承財産設定

S t r i

c t S

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t l

e m

e n

t の方式をとった

婚姻継承財産設定

M a

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g e

S e

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l e

m e

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が十七世紀後半に普及したことをイングランドの家族構造の第二類型から 第三類型への移行を示すものとして位置づけている︒この厳格継承財産設定の普及が家父長制家族の衰退を示すよう な家族内での財産関係の変化に対応しているかどうかを検討するのが第一の課題となっている︒近年の継承財産設定 研究は︑土地所有の集積に継承財産設定が促進的役割を果たしたのかという経済史的観点からなされてきたが︑法制 史的観点からも︑厳格継承財産設定の普及を家父長制家族の衰退を示すものとして位置づけるストーン︑トラムバッ

R .

Tr

um

ba

ch

︑ボンフィールド

L .

B o

n f

i e

l d

らの所説をめぐって論争が展開されており︑この論争の検討から︑スト

四家父長制家族の変容

三六

7 ‑ 2 ‑236 (香法'87)

(3)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(ニ・完)(栗原)

そして︑第二の問題として︑厳格継承財産設定の方式をとった婚姻継承財産設定において︑

択の自由がどの程度受容されていたのかが検討されねばならない︒前章で述べたように︑

三七

ーンが近代家族の成立として位置づける家族構造の第三類型の時代の家族像に接近できればと考えている︒

子の側に婚姻相手の選

ストーンによって主張され

ている婚姻相手の選択をめぐる意思決定権の配分に関する四類型のうち︑第二類型から第三穎型への転換が検討課題

となる︒すなわち︑両親︑親族︑家族の保護者らによる

a r r a n g e d m a r r i a g e

が依然としてとられているが︑その一方

で夫婦間の感情的絆や相互の人格を強調する新たな婚姻観のもとで︑子の側に拒否権が付与されたのが第二類型であ

る︒この第二類型が家族構造の歴史的三類型のうちの第二類型である家父長制核家族の時代に対応していることは言

うまでもない︒そして︑第三類型では︑愛情個人主義の影脚を受け︑婚姻相手の選択の自由は子の側に与えられたが︑

この選択の自由も多かれ少なかれ︑同等の経済的社会的地位の範囲内において行使されねばならないという親子双方

の共通理解のもとで︑親の側に拒否権が与えられている︒子の側に拒否権が留保されているとはいえ︑婚姻相手の選

択が親︑親族︑家族の保護者などによってなされる第二類型から︑親による拒否権という制約があるとはいえ︑婚姻

相手の選択の自由が子の側に付与された第三類型への転換は︑家族構造のレベルにおける第二類型から第一二類型への

転換を示すものとして位置づけることができよう︒

十七世紀後半以後︑イングランドの地主階級において普及する婚姻継承財産設定は︑それ以前の方式と異なる特徴

をもっている︒生涯不動産権ー限嗣封土権方式に受託者達への譲与が挿入され︑現有の生涯不動産権者による権能の

拡大が︑﹁未確定残余権を保持する受託者達﹂によって防止されることになった︒さらに︑夫が現有の生涯不動産権者

でないならば︑それになるまでの期間の夫婦の生活費として扶養料

m a i n t e n a n c

e ︑婚姻期間中に妻に支給される小遣

p i n

,  mo

n e

︑夫の死亡後に妻に支給される寡婦給与y

j o i n t u r e

︑長男以外の子供達への分与産

p o r t i o n

なども婚姻のと

(4)

けることには問題はないであろう︒ きに定められ︑これらの供与に受託者達が介在し︑法的保護が与えられることになった︒この方式は世代ごとに長男の結婚のときに繰り返された︒

継承財産設定への信託の応用が革命期の特殊事情によって誘発されたものであることはハバカク

H . J . H a b a k k u k  

によって主張されている︒戦死という不測の事態に備えて家族の財産と将来をより安定的かつ確実なものとしたいと

いう地主達の願望から︑また国王派地主にとっては所領の没収とその示談金の支払いから生じる被害を最少限度でく

いとめるために︑現在の保有者がその生涯不動産権を拡大しうる余地のない継承財産設定の方式の採用が要請された

わけである︒厳格継承財産設定の考案者をその時代の代表的法律家であるブリッジマン

0 . B r i d g e m a n

やパーマーG.

(6 ) 

P a l m e r に求めるブラックストーン説には批判が出されているが︑革命期を継承財産設定の普及の画期として位置づ

﹁未確定残余権を保持する受託者達﹂によって︑現在の保有者がその生涯不動産権を単純封土権

f e e s i m p l e

へと以前

のように拡大することはできなくなり︑現在の保有者は土地の﹁絶対的所有者﹂から﹁一代限りの管理者﹂にすぎな

いものとなり︑その処分権能は大幅に制限されることになった︒

ィングランドの地主達は︑現在の保有者を常に生涯不動産権者とすることによって︑土地を家族内で永続的に保存

しようとしたわけである︒かつては家産の絶対的所有者として家族に君臨していた家父が厳格継承財産設定の導入に

よって生涯不動産権者へと物的財産法上の地位が低下したことは︑親子関係においてもその影響が現われている︒家

父が不動産を自由に処分しうる絶対的所有者であるということは︑子供達に自分の意思を強制するのに役立つとされ︑

家父長制的親子関係の基盤として考えられていた︒親による自由な処分権の行使は︑子にとっては親への不服従に対

(8 ) 

する刑罰として相続から廃除されるという現実の脅威でもあった︒

三八

7 ‑2‑238 (香法'87)

(5)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(ニ・完)(栗原)

から命令的なものへと変わったわけである︒ れ

てき たが

自由な処分権を制約する厳格継承財産設定の採用が家父の自由な意思を制約し︑家父の権威を損うものであるとい

う認識は︑十七世紀後半の貴族のなかでも確認しうる︒

一六七三年︑二代目ノッティングガム伯the

s e

c o

n d

  E a

r l

f     o N

ot

ti

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ha

m︑

ダニ

エル

婚のときに︑ダニエルの父親である初代伯は︑花嫁側からダニエルを生涯不動産権者とする厳格継承財産設定を要請

されている︒しかし︑初代伯がそれに難色を示したのは︑

二 九

一六

0

ー一七八

0

年間の それの採用によって︑ダニエルが妻の寡婦給与や子供達の

分与産を自由に増額したりすることができなくなるという理由からであるが︑本当の理由は︑初代伯が所領を自分の

を子に服従せしめることになり︑ もとにおくことによってダニエルに対して親の権威を維持したかったからであった︒厳格継承財産設定の採用は︑﹁父

(9 ) 

そのことは自然と経験に反している﹂とダニエルの父親は考えたわけである︒

厳格継承財産設定の採用によって家族内での家父の権威が弱まる一方で︑

その地位が上昇したのは長男以外の子供 達であった︒厳格継承財産設定の導入以前においても︑長男以外の子供達に対して分与産を供与することは慣習とさ

いつどれだけの額を彼らに供与するのかは家父や長兄の自由な裁量に委ねられていた︒しかし︑厳格継 承財産設定においては︑長男以外の子供達への分与産がいつどれだけの額を供与されるのかを︑親の結婚のときに双 方の交渉によって前もって定めるのが慣行とされた︒その支給の最大限度が定められ︑予想しうる子供の数ごとに詳 細に規定され︑捺印証書に記載され︑大法官裁判所による保護を受けることになった︒その意味では︑裁量的なもの 長男以外の子供達への分与産の供与を厳格継承財産設定によって親の婚姻のときに前もって定める方式がいつ頃に

支配的方式になったのかについては︑研究者によって若干異っている︒トラムバッグは︑

0

の貴族家族から三六例を検討し︑

五例を除いた全ての婚姻継承財産設定が一六九

0

年以後には長男以外の子供達

フィ

ンチ

Da

ni

el

Fi

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hの

(6)

対し

ては

︑ 一人であれば一

0000

ポン

ド︑

財産設定を研究したボンフィールドも︑ケントでは十八世紀の最初の二

0

年間

に︑

ノーサンプトンシャでは次の二〇

( 1 1 )  

年間に長男以外の子供達への分与産を厳格継承財産設定によって保障するのが支配的となったことを指摘している︒

デヴォンシャ公爵

t h e d uk e  o f   D e v o n s h i r

e 家の継承財産設定は︑この時代の継承財産設定による分与産の配分をみ

( 1 2 )  

るうえで興味深い︒

一六八八年︑公爵二世の結婚のときに継承財産設定がなされる

( A

︒息子がいない場合に︑娘一人の場合には一︱

o )

00

ポンド︑娘がそれ以上いた場合には一︱

1 0 0 0

ポンドが娘達の間で均分されることが定められた

定では長男がいた場合の長男以外の子供達への用意規定は定められていなかった︶︒

一年︑前記の継承財産設定が修正される

( B

000 )

︒娘達︵五人︶にそれぞれ六

ポンドを指定し︑三人の長 男以外の息子達にそれぞれ五

00

ポンドの年金を支給することが定められた

︵この継承財産設

一七一七年︑一二人の長男以外の息子達のうちの一人が死亡したのにともない︑長男以外の息子達に対する前記の継

承財産設定が修正される

( C

)

五 ︒

00

ポンドの年金とともに︑

ノッティンガムシャの土地を与えた

Lo rd   Ja me

にヨークシャの土地を︑s

Lo rd   Ch a r l e s

一七一九年︑公爵二世の長男︑従って公爵一二世の結婚のときに継承財産設定がなされる

( D

)

︒長男以外の子供達に

二人もしくは三人であれば︱

1 0 0 0 0

ンド

あればそれぞれに六

000

ポンドを男女の区別なく支給することが定められた︒

一七四五年︑公爵三世は前記の継承財産設定を修正する

( E

)

︒彼の三人の長男以外の息子達にそれぞれ年収五

00

︵この手続には議会制定法が利用された︶︒

が生 存し てい た︶

一 七

四人もしくはそれ以上で ︵当時︑公爵︱︱世には息子四人︑娘五人

( 1 0 )  

への分与産の供与を定めていることを指摘している︒

一六

0│

︱七

0

年間のケント︑ノーサンプトンシャの継承 四〇

7‑2 ‑240 (香法'87)

(7)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(二~. 完)(栗原)

ている

00

ポンド︶︑三人もしくはそれ以上の場合にはそれぞれに六

000

ポンドを分与産として供与することが前もって定

めら

れた

そして同時に︑公爵三世の四人の長男以外の子供達に対しては︑

定において定められた分与産︵それぞれに六

000

ポン

ド︶

には︑年収二

000

ポンドにのぼる単純封土地もしくは限嗣封土地を公爵三世の長男以外の息子達に譲与する指定権

も付与された︒

デヴォンシャ公爵家の継承財産設定の歴史には︑厳格継承財産設定の導入にともなう家族関係の変客が如実に示さ

れていると思われる︒長男以外の子供達への分与産の供与がその両親の婚姻継承財産設定のときに前もって定められ

( A . D . F )

︒ ︵

A )

では男子が生まれず娘達だけの場合を想定して定められているが︑こうした方式が十七

( 1 3 )  

世紀後半に頻繁にとられたことはボンフィールドによるケント︑ノーサンプトンシャ研究からも確認しうる︒しかし︑

十八世紀の婚姻継承財産設定

( D . F )

C .

E )

は ︑

子供の数が確定した段階での継承財産設定の修正

( B )

のときにも︑先の婚姻継承財産設定︵A︶において定められ

た娘達に対する分与産の支給額は︑最小限度額として設定者である父親を制約している︒継承財産設定の修正

( B .

それに先行する婚姻継承財産設定

( A . D

)

において︑現有権者である父親に付与されている指定権

pp

we

rs

の子供達に対しては︑ ポンドの土地を継承財産設定した︵公爵三世には息子四人︑娘一人がいた︒ちなみに︑年収額の二十倍が上地価格と

当時は考えられていたので︑彼らには一

0 0 0 0

ポンドの分与産が支給されることになるが︑この継承財産設定は一

七一九年に定められた分与産が実際に供与されるまでの扶養料を定めたものと思われる︶︒

一七四七年︑公爵一二世の長男︑従って公爵四世の結婚のときに継承財産設定がなされる

( F

)

︒公爵四世の長男以外

一人の場合には一

0 0

0 0

ポンド︑二人の場合は一五

0

00

ポンド

一七一九年の公爵一二世の婚姻継承財産設

が男女の区別なく実際に支給された︒さらに︑公爵三世

では︑男女にかかわりなくその支給限度額の上限が前もって定められている︒

︵従

って

それぞれに七五

(8)

にもとづいてなされたものである︒法的構造上︑現有権者に付与されている指定権は︑その設定時にそれが行使され

( 1 4 )  

る範囲を規定されている︒指定権の範囲についてはその家族の諸事情に応じて多様であるが︑重要なのは︑父親の指 定権はそれを行使しうる範囲を継承財産設定によって制約されており︑単純封土権にもとづく自由な処分権と異なる 点である︒従って︑父親が子の服従に報いるために分与産を増額したりする場合も︑父親に付与された指定権の範囲 十八世紀の婚姻継承財産設定においては︑長男以外の子供達の分与産は︑長男による家産の享有に先行して供与さ

れるような法的構造がとられている︒長男が家産を現有する前に定期賃借権が受託者達に限定され︑受託者達によっ

( 1 5 )  

て受益者である長男以外の子供達に分与産が供与されるのが当時の慣行とされていた︒

長男以外の子供達への分与産の供与をめぐる兄弟間の紛争が大法官裁判所にもちこまれるケースは︑必ずしも多く

( 1 6 )  

ないと思われる︒にもかかわらず︑一七二三年︑大法官

Lo rd M a c c l e s f i e l d

は︑分与産の供与を求める長男以外の子

供達を﹁債権者

c r e d i t o r と同等な地位にある﹂と考え︑分与産を﹁父親の生来の債務

ad

e b t   b

y  n a t u r

﹂e

てい

る︒

こうした長男以外の子供達の法的地位も︑ として扱っ

一七三六年︑大法官裁判所主事a

M a s t e r   i n   C h a n c e r y

によ

て若干の修正が加えられている︒﹁子供達に対する用意は単なる任意的なものではない︒というのは︑親達は自分達が

死亡したときか︑自分達が生存中に子供達に対して相応な用意を与えることを義務づけられているからである︒親達 が用意を与えない場合には︑法律が子供達にそれを与えている︒というのは︑子供達は債権者や買主と同等でないに

しても︑エクティ上の権利があるからである︒子供達は︑債権者や買主と︑任意譲受人

v o l u n t e e

r の中間の地位にいる

( 1 8 )  

から

であ

る︒

しか

し︑

内で自由裁量的に行使されるにすぎないのである︒

7‑2 ‑242 (香法'87)

(9)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(ニ・完)(栗原)

ホされている十八世紀前半の四例では︑ さらに︑大法官︑ハードウィック卿

L o

r d

H a

r d

w i

c k

e は︑大法官裁判所主事の見解を修正し︑﹁親は用意の額とそれ

を与えるであろう条件を決める裁判官であり︑イングランドの法律によって︑親は適当と思うならば︑子供の相続権

( 1 9 )  

を廃除しうるのである﹂と親の地位を強化した︒このハードウィック卿の立場は︑一七五三年に彼によって制定され

た婚姻法

M a

r r

i a

g e

A c t  

(26 

G e

o .

  I I .

  c a

p .  

33 .)

においても確認しうる︒

︵ 従

て︑このハードウィックの立場を厳格継承財産設定が導入される以前の状態への復帰を意味すると理解すべきではな

いであろう︒長男以外の子供達への用意規定を親の婚姻のときに前もって定める婚姻継承財産設定の方式が一般化す

るな かで は︑

そのときに親に付与される指定権の範囲を親子関係においても拡大するという実情を反映したものにす

( 2 0 )  

ぎないと思われる︒

厳格継承財産設定の普及に家父長制家族の衰退をみるストーン説を支持するボンフィールドによれば︑十八世紀の

最初の四

0

年間に︑厳格継承財産設定における分与産は︑寛大かつ安定的で︑非裁量的なものとなり︑親の裁量によ

って分与産を供与しないという条項もなくなり︑

ケン

ト︑

ノーサンプトンシャの継承財産設定の資料からも︑その半

分以上︵五ニパーセント︶が規定された金額を比例配分することを指示しており︑父親には特定の子を優遇する

って︑冷遇する︶権限も委ねられていないと指摘されている︒

さらに︑長男以外の子供達に供与される分与産は︑その家族が所有する土地の価値との比率においても︑資料に明

1 0

分の

三︑

四分の一︑六分の一︑三分の一を占めており︑男子が生存せず

娘達だけの場合には︑第四例はそのままであるが︑五分の二︑五分の四︑五分の三とさらに増額されるように定めら

( 2 2 )  

れている︒家産のうちに分与産が占める比率は高いものとなっており︑このように長男以外の子供達の経済的境遇が

改善されたことは︑親達の間で子供達を平等に扱うという観念が浸透していることを示すものと言えよう︒﹁家族の土 一七五三年の婚姻法については後述するとし

(10)

臣回

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(11)

︵西甜︶

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(:=:) L. Bonfield, Marriage Settlements 1601‑17 40, pp. 82‑92, 

心)R. Trumbach, op. cit., pp. 89‑91, 

ほ)L. Bonfield, Marriage Settlements 1601‑1740, p.109, 

ほ)把恨~8唸蕊起旦0;\J'B.English and J. Saville, op. cit., pp. 25‑30, ~ill;t

• ; 

ほ)A.W.B. Simpson. op. cit., pp. 237‑238, 

ぼ),;t:l!t,~8赳的如:Q

t{<l国芯臣8$曲旦いこや竺'

心)The English Reports, XXIV, pp. 689‑690, 

(芝)R. Trumbach, op. cit., p. 87, 

(;:;) Ibid., p. 87, 

(~)掘~8~jA('¥

⇒ 

+2~ 垣S埠粗旦硲t{<l8竺'砦姦森涎益削器{赳冷~~S益梱毬迷如胆念ど函孟.;:f,.;;;8~ 合心や~t{<l1\-'8益測S涵中 R. Trumbach, op. cit., pp. 77‑78, 旦苺初菜や~1-Q

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(12)

寡婦給与そのものは︑十六世紀のユース法以前から︑

コモンロー上の寡婦産に代わるものとしてユースの仕組みを

えら

れ︑

財産権も与えられることになった︒

さ れ

妻の財産も夫のものとなるが︑信託の仕組みを利用することで︑

エクイティ上は妻には独立した法的人格が与

妻を受益者として供与されることが定められている︒

コモンロー上は︑

夫婦合体説によって妻の法的人格は夫に吸収 から であ る︒

婚姻継承財産設定のなかで︑婚姻期間中には妻の意のままになる小遣銭が︑

夫の死亡後には寡婦給与が

の仕組みのなかで法的保護を与えられたことばかりでなく︑

それの普及が家族内での妻の地位の強化を反映している

( 2 1 )

  するものではない︒ 専門弁護士は関与するとしても︑裁判所が直接に介在する仕組みはとられていない︒裁判官の意見と実際の慣行とは必ずしも一致 をめぐって紛争が生じ︑裁判所に訴えてはじめて裁判官が関与しうるのである︒婚姻継承財産設定の実際の運用には︑不動産譲渡

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39 ,  19 86 , 

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35 1,  

( 2 2 )

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352 

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,  19 83 , 

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30 4,  

( 2 3 )

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34 7.  

( 2 4 )

一七三三年︑ハンプシャのジェントルマン︑AnthonyHenleyは︑一六九九年の彼の両親の婚姻継承財産設定において定められた

妹や弟達への分与産を支払うために︑議会の個別法律Private

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が認められた︒しかし︑妹や弟達に供与すべき分与産のうちの四六

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ときにその娘がもちこむ分与産を当てべきことを求められている

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21 ,  19 81 , 

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30

3 1,

)

厳格継承財産設定の普及を家父長制家族の衰退を示すものとして位置づけるもうひとつの論拠は︑

妻の財産権がそ 四

7‑2‑246 (香法'87)

(13)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(ニ・完)(栗原)

介して支給されてきたものである︒妻の財産権の保護それ自体も十六世紀末以後︑大法官裁判所によってなされてき

たものである︒

特有財産笞

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t e を発展させたことを受けて︑妻の単独使用に供せられる財産を妻にもたせることが広範に行

こうした法理論を発展させる契機となった事例として︑

(2 ) 

ある

で︑鑑定人達が家にある家具を評価しに彼女の家にやってきた︒家具のほとんどは夫のものではなく︑

によって貸されたものであるが︑鑑定人達は︑財産は夫のものであって︑既婚婦人の身分であるアリスにないことを

指摘した︒しかし︑鑑定人達が驚いたのは︑

スのためのユース譲受人に移転する予防策を講じ︑

ことを知ったからであった︒この捺印証書によって財産はユース譲受人に属すのであって︑

の で

一六

0

年以後の五

0

年間に︑大法官裁判所は婚姻期間中の妻の財産を保護するために介入し︑妻の

一六

六八

年︑

アリス

四七

アリスの夫が死亡したとき︑彼女の夫が残した多額の債務の支払いのために家具を売却する目的

アリスの母親がこの事態を予想し︑人的財産をアリスにではなく︑

アリスの亡夫の債務を支払うための売却から免れることができた︒ストーンによれば︑婦人達が婚姻のときに

自分達の財産を保護するために信託を付して譲受人に財産を移転するという法的工夫を利用した古典的事例とされて

ストーンの言う家族構造の第二類型から第三類型への変容の契機といる︒既婚婦人の法的地位のこのような改善は︑

して位置づけられよう︒ われるに至っている︒

アリスの母親

アリ

それが履しえないほど注意深く捺印証書において作成されていた

アリスに属すのではない

また︑革命期が妻の社会的地位の向上に果たした役割も無視できない︒ジェントリの妻達が世帯

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d の管理

において重要な役割を果たしたからである︒多くのジェントリの所領が夫のやむをえざる不在の期間には妻達の一時

的管理下に置かれたし︑長期にわたる妻達の管理下で発展したりした︒遺言執行人としての妻の指名︑妻への家産の ソーントン夫人

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n のケースが

(14)

全支配権の移譲︑未成年の子供達の扶養と養育に対する妻の責任などがその時代の遺言のなかで頻繁にみられたばか

りでなく通常であったことが指摘されている︒血縁集団から夫婦家族の遊離がすでになされた時代に︑血縁集団内︑

さらには親子間での政治的分裂が生じた時代に︑家産管理や子供達の養育が妻達に委ねられたことは︑その意思決定

を夫婦平等に共有するとまでは至らないとしても︑家族内での妻の地位の上昇に確実に貢献したと言えよう︒

(4 ) 

ハバカクの言うところの﹁夫に有利な婚姻市場﹂によって︑妻がもちこむ婚姻分与産の額が寡婦

給与との比率において急激に上昇した時代でもあった︒妻がもちこむ分与産と妻に支給される寡婦給与との間には︑

(5 ) 

時代ごとに慣習上の比率が定められていたが︑十七世紀末には一

0

:一となっている︒

ところで︑婚姻継承財産設定は︑夫方の財産をめぐる妻の親と夫の親︑夫と妻︑長男と長男以外の子供達という三

世代の取極めを含んでいる︒妻がもちこむ分与産は︑

るのが通例とされている︒妻がもちこむ婚姻分与産は︑

争課題であるにせよ︑夫の家の債務の支払いや夫の弟や妹への分与産の支払いに利用されたことからも︑夫の家計に

(6 ) 

とって経済的貢献度の高いものとされていたと言えよう︑婚姻分与産の上昇は︑その貢献度を高めるものであったが︑

その 一方 で︑

それを提供する妻の親と夫の親との間の交渉によって決められ

それが土地購入に利用されるのが慣習であったかどうかは論 それを提供する妻の親の婚姻継承財産設定をめぐる交渉力を強化するものであった︒夫が所領の現有権

者となるまでの夫婦の扶養料︑婚姻期間中に妻が単独で使用しうる財産︵小遣銭など︶︑長男以外の子供達に供与され

る分与産など︑妻やその子供達のための規定が婚姻継承財産設定のなかで前もって定められるようになったのは︑婚 姻分与産の上昇によって交渉力を強化された妻の親が自分の娘のみならず︑その孫達のための将来的取極めを求めた からである︒妻がもちこむ分与産の上昇は︑妻の娘が婚姻のときに供与される分与産の上昇をも必然的に意味してお り︑その意味では︑子供達を平等に所遇するという新たな慣行への変化を促進したと言えよう︒しかし︑夫側からみ

十七世紀後半は︑

四八

7 ‑ 2 ‑248 (香法'87)

(15)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(ニ・完)(栗原)

会婚姻以外の無式婚姻

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であっても法的拘束力が与えられている︒従って︑ここで言う婚姻の自

由とは法律上の問題というよりも事実上の問題をさしている︒すなわち︑

ストーンによって提起された婚姻相手の選 択をめぐる意思決定権の配分に関する第二類型から第三類型への変遷が厳格継承財産設定の仕組みのなかで確認しう 親によって婚姻相手が決められる

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の変容を示す例は︑

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s の娘

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y と︑ヨークシャの

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t の法定相続人である息子との結婚交渉のなかにみ

(8 ) 

られ

る︒

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s は伝統的慣行

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を採用したが︑ブルジョア出身の職業人として両当事者の選択

両当事者にはこの結婚交渉が進行中であることは知らされていなかった︒九月末に︑

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が多額の分与産を

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に支払うことを含めて︑二人の父親は経済的条件について同意した︒

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にこの結婚について知らされy

たのはこのときであった︒しかし︑

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は︑若い二人を合わせ︑彼らがお互いに好きになったならば結婚させる

が︑そうでない場合にはとりやめにするという条件も︑

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t に同意させている︒これは︑

前述の第二類型から第三類型への移行過程を示す典型的事例といえよう︒ が最大のものであると考えていた︒ るのかが検討課題となる︒ らない︒そもそも︑ また︑厳格継承財産設定の仕組みのなかで︑

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一 七

0

年︑六月から九月にかけて︑双方の父親は経済的情報を交換しあったが︑

一 年

イングランドの婚姻法は︑両%事者の合意を婚姻成立の絶対的条件としており︑

四九

シェフィールドの弁

れば︑婚姻分与産の上昇にともなう妻側の交渉力の強化によって相続全体に介入されることになったために︑夫側の

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が侵害され︑親子関係においても︑子供の善行もしくは不服従に報いたり︑罰したりする父親の権威が損

われることになった︒

子の側に婚姻の自由を許容する慣行が普及したことも注目されねばな

そのために︑教

ストーンの言う

(16)

与するにあたって︑

継承財産設定の仕組みのなかで子の側に婚姻相手の選択の自由が付与されているかどうかは︑分与産の供与に特定 の相手との婚姻の指定や親の婚姻同意などが条件とされているのかどうかによって示される︒子の側の婚姻相手の選 択の 自由 は︑ その子の家族内での地位に応じてその許容度に相違がみられる︒長男以外の息子達の場合には︑十七世

(9 ) 

紀前半には︑遺言による分与産の供与にそうした条件が課せられなくなったことがストーンによって指摘されている︒

そして︑継承財産設定の仕組みのなかでそのような条件を課すことなく分与産が娘達に対しても供与されるようにな

るのは︑十八世紀に入ってからであると思われる︒ボンフィールドによるケント︑

によれば︑継承財産設定が遵守された家族の半分以上において︑親の同意なしに結婚しようとする不品行な長男以外 の息子や娘であっても︑その父親の継承財産設定のなかで示された額の分与産を剥奪されることはなかったとされて

( 1 0 )  

いる︒親の婚姻継承財産設定のなかで定められた分与産は︑長男以外の子供達が一定の年令に達したときに︑典型的 には娘であれば一八オ︑息子であればニ︱オになったときに︑彼らが実際に結婚しようとしまいと自動的に付与され

るのが増々一般的となったのである︒

ところで︑継承財産設定の仕組みのなかで長男以外の子供達への分与産の供与に婚姻相手の指定や婚姻同意を条件

手の指定や婚姻同意を条件としたとしても︑ ノーサンプトンシャの地域史研究

とするかどうかは︑法的には継承財産設定のなかで現有権者である父親に付与されている指定権に依存する︒婚姻そ

のも

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ep ro vi si on を課 すの でな い限 り︑ 親が 分与 産の 供与 に婚 姻相 その継承財産設定は法的には有効なものとされている︒従って︑十八世 紀前半に分与産を一定の年令に達したときに自動的に供与する方式が支配的なものになったとしても︑その方式だけ が法的に有効なものとされるようになったことを意味するのではない︒継承財産設定において規定された分与産を供

一定の年令に達したときにそれを自動的に供与する場合もあり︑規定の分与産を子の服従や不服

五〇

7 ‑ 2 ‑250 (香法'87)

(17)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(ニ・完)(栗原)

彼らの財産権を保護したとしても︑

中に手をつけずにおく範囲内にすぎず︑長男に偏した不平等な財産配分こそが厳格継承財産設定の目的と考えたわけ

( 1 7 )  

である︒厳格継承財産設定を所領保存のための家父長制的手段とみなしたわけである︒

スプリングが提起した次の批判点は︑厳格継承財産設定の法的構造上の多様性に関してである︒分与産の供与に親

長男以外の子供達への用意を定めることによって︑

従に対応して増額したり︑減額したりするというように親の裁量が働く余地が残されている場合もあり︑婚姻相手の 指定や婚姻同意を条件にして分与産を供与する場合もありうるわけであり︑法的にはいずれも有効なものとされてい る︒これらの供与方式はいずれも親の指定権にもとづいている︒こうした指定権の多様性から︑厳格継承財産設定が

( 1 3 )  

家父長制的婚姻統制を含むことが実際にはありうるわけであるが︑重要なことは︑婚姻相手の選択の自由を子供達に

与えるという親達の態度の変化が分与産の自動的供与という方式で示され︑

( 1 4 )  

ある

その方式が広範に浸透したという事実で

厳格継承財産設定の普及に家父長制家族の衰退をみるストーン︑トラムバック︑ボンフィールドらの所説に対して

は批判もある︒スプリング

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は︑厳格継承財産設定を︑所領の連続性への要求が最も高く︑所領の連続性への

( 1 5 )  

脅威が最も低い時代に家父長制家族を維持するための法的工夫として位置づけている︒スプリングは︑厳格継承財産

( 1 6 )  

設定の本質的目的を女子直系卑属を所領の相続から廃除することに求めている︒コモンロー上の不動産法定相続の準

その順序を逆転させ則では︑娘だけがいる場合には傍系の男子に優先してその娘に相続権が与えられるのに対して︑

ることに厳格継承財産設定の方式がとられた特殊な意義をみるわけである︒男子が優先されるために︑娘に相続権が

回ってくるのは︑﹁設定者及びその法定相続人達へ﹂という継承財産設定の最後の限定文言によってであった︒従って︑

コモンロー上の不動産法定相続︵長子単独相続︶の適用から免れ︑

そのことは︑所領をそれに付着している社会的政治的権力のために家族の長の手

(18)

による婚姻相手の指定や婚姻同意を条件とするものもあり︑

制家族の衰退を示す確たる証拠として一般化することがはたしてできるのかという疑問が提示されている︒家父長制

家族の衰退は︑十九世紀中頃以後に求めるべきであって︑十六│'十八世紀の家族法史は︑家父長制の衰退の時代とし

て一義的にとらへられるべきではなく︑両義性

a m b i g u i t

y によって特徴づけられるべきであるとするのがスプリング

( 1 8 )  

の見解であった︒

また︑厳格継承財産設定による既婚婦人の財産権の確立が︑妻の独立性と夫との平等につながったかどうかについ

て も

それを肯定的に位置づけるストーンやトラムバックらに対して︑オーキン

S . M .

O k

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による批判がある︒小遣

銭が妻が自由に処分しうる独立した固定的収人としてみられるかについてである︒小遣銭の利点は︑妻が金銭を求め

てそのたびごとに夫のところへ行く必要なしに︑世帯を整えたり︑個人的な買物をしたりすることができる点にあり︑

小遣銭は夫の経済的社会的地位に一致した妻と世帯の体面を保っために費されることが求められている︒そもそも小 遣銭は︑財産権として十八世紀において考えられていたものでないので︑妻の経済的独立性や平等に結びつけられる

( 1 9 )  

べきものではないというのがオーキンの批判点であった︒

妻の特有財産

s e p a r a t e e s t a

t e の性質についても批判が提起されている︒受託者の手中にある特有財産として妻の富

を保存する慣行は︑それを妻の管理下におくことをねらったというよりも︑

それを夫の管理下からはずすことにねら いがあるのであって︑特有財産による妻の財産権の保護が妻の経済的独立性や夫との平等という新たな要求によって

( 2 0 )  

なされたことを示す資料は存在しないと主張されている︒そのうえ︑婚姻継承財産設定のなかで妻に特有財産が与え られる場合においても︑夫がその特有財産の受託者として指名されるのが通常であり︑受託者が明示的に指名されて

( 2 1 )  

いない場合は夫が受託者となることは十七世紀初期の判決によってすでに定められている︒法理論上は︑夫は受託者

こうした多様性から厳格継承財産設定そのものを家父長

7 ‑ 2 ‑252 (香法'87)

(19)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(こ・完)(栗原)

管理したりすることを可能なものと考えられない

ので︑十八世紀末までに既婚婦人に与えられた特有財産は︑実際のところ︑﹁欠陥のある贈与﹂であると主張している︒

厳格継承財産設定による婦人の財産権の保護が婦人の経済的独立性や平 等な夫婦関係の確立に対してストーンやトラムバックのように短絡的に肯定的にとらえるべきではないという女性史 す家族内の新たな財産関係に対応したものとして位置づけてよいと思われる︒

夫婦の平等が実現されるのには十九世紀を待たねばならないわけである︒

制家族の衰退というすでに生じている大きな流れのある到達点を示しているにすぎない︒

( 1 )

大法官裁判所による婦人の権利の擁護に関する最近の研究として︑

M. L. C i o n i ,   Wo me n  a nd   La w  i n   E li za be th an   En gl an d  w it h  P a r t i c u l a r   Re fe re nc e  t o  t he   Co ur t  o f   C ha nc er y, a   G rl an d  P u b

. ,   1 9 8 5 ,  

3る ︒

( 2 )  

L .   S t o n e , h  T e  F am il y, e  S x  a nd   Ma rr ia ge n     iE ng la nd 5   1 0   0

l o

o o o , p .   3 3 1 ,  

( 3 )  

K .  

r i g h t s o n

̀   

En gl is h  S oc ie ty 5   1 8  0 1 6   1 8 5

̀  

Ru tg er s  U ni v.   P r e s s ,   1 9 8 2 ,   p .   9 4 ,  

( 4 )  

H.J•

Ha ba kk uk ,  M ar ri ag e  S et tl em en t  i n   t he   Ei gh te en th   Ce nt ur y, r   T an sa ct io ns f   o   t h e  R oy al i   H s t o r i c a l   S o ci et y  4 t h   s e r v o .   l .   3 2 ,   1 9 5 0 ,   p p . 1   2

2 3

,

( 5 )  

I b i d . ,   p .   2 1 ,   p p .   2 5

2 7 ,  

( 6 )  

I b i d

̀ 

.   p p. 27

3 0

, な お︑ ハバ カク 説を めぐ る論 争に つい ては

︑ハ バカ ク︑ 拙訳

﹁十 八世 紀イ ング ラン ドに おけ る婚 姻継 承財 産設 定﹂

︵香川法学第六巻二号一九八六年︶の訳者解説を参照されたい︒

( 7 )  

R .  

Tr um ba ch , 

p .  

c i t . ,   p .  

4 ,  

からのものと言えよう︒

しか

し︑

ストーンらの主張するように︑

スプリングやオーキンの批判点は︑

家父長

しか

し︑

婦人の経済的独立性の確立や 厳格継承財産設定の普及を家父長制家族の衰退を示

スプリングやオーキンに共通する論点は︑ られている社会において︑妻が夫から独立して財産を所有したり︑

として妻の意思に従うことが美務づけられているが︑

しかし実際には︑

妻が夫に服従することが依然として義務づけ

参照

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