• 検索結果がありません。

新 刊 紹 介

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "新 刊 紹 介"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

新刊紹介  

誰よりも十戒を守った君ほ︑   

誰よりも十戒を破った君だ︒  

誰よ㌢還衆を愛した君ほ︑  

∴誰よりも民衆を軽蔑した君だ︒  

誰よりも理想にもえあがった君ほ︑  

誰よりも現実を知っ′ていた倉だ︒   

君ほぼくらの東洋がうんだ︑  

垂花の匂のする電気機関車だ︒  

これは︑本音の歴史的部分をおわるにあたって︑著者のかかげ  

た芥川龍之介遺作の詩七ある︒この詩は自殺を一カ月後にひか  

ノ  

高島善哉 清﹃社会思想史概論﹄  

山  崎  

第三十五巻 第五号   

川がレーー√ンをうたったもの・であるが︑ここ.には︑ふた   A¶   ︵六八二︶ ′九六  

っのもの︑愛とくるしみ︑夏と冬︑光と陰がおりなす微妙な色  ヴオフトーク  彩がある︒そして︑西ヨーロッパにたいする東 方がある︒  

わたくしほ︑よみすすんでこの詩に到達したとき︑いかにも︑  

これほ本書の内容と形式紅ふさわしいうただとおもった︒なぜ  

なら︑よむものにあつっぼ︑い衝動と胸さわぎをおこさせる情熱  

の本音ほ︑いっさいの思想と歴史とを︑周到にも︑つねに二面  

的にとらえる︒すべては単色でなく複雑な混合色をおびる︒し  

かも︑いつのまにか祖国日本の忠恕におよんでいる︒  ヽヽ   社会思想史概論といっても︑基本的なものはこれを山応叙述  

するという意味での概論にすぎず︑けっして︑よそよそしい教  

科巷的叙述でほない︒社会思想史とよばれる領域が方法的に  

既成の事実として確定しているわけでほない︒そこで著者ほ︑ 

従来の接近方法を整理し検討する︒︵一︶社会的現実からの接  

近︑︵二︶個別科学史から社会の総体把握へ︑︵三︶哲学的世  

界観的側面から︑︵四︶思想家の体系の歴史への批判からの四  

っの接近方法がある︒︵こほ思想の多面性を無視し︑︵三︶  

ほ具体的事象を処理しえない︑︵四︶ほ積極的意味が不明で︑  

あるものほ過度の抽象をともなう︒したがって︑︵二︶が著者  

の方法にもっと庵ちかい︒﹁経済学︑政治学︑社会学などの社  

会生活の実質内容を扱う個別科学の研究成果をふまえながら︑  

しかも社会の総体把捉ができるような見方を打出そうとする﹂  

のである︒軋もかかわらず︑総体把起は︑哲学や文芸や宗教など  

とのつなが灯ほもなろん︑社会の敵対的人間かんけい︑民族の   

(2)

=対立をも視野のなかにふくまなければならないのだから︑︵こ   

︵三︶︑︵四︶から摂取するものはすくなくないり著者がもっぱ  

ら︵二︶のせ場にあるのではない︒叙述にほ︑いわゆる個別科  

卓のみならザ︑︑︑\ケルアンクエロ︑べートーふソェソ︑グリン  

カ︑チャイコフスキーがくわわらざるをえない︒これは︑奇を  

てらってのことでほなく︑思想史の確立に肉迫する雄渾な構恵  

め必然の結果にすぎないというぺきである︒   

主要目次はこうである︒   

序章 社会思想史のあり方について  

筋仙部   

第こ早   

第二輩   

第三茸   

第四童   

第玉章   

第六章   

第七章  

=第二部  

第二茸 近代社会と民族   

第二章 民族的自覚の形成  

第三章 両革命の波間紅   

第四章 ロシアにおける共同体思想  

鱒三部 階級の解放  

宗全恩禁慧L   人間の解放   

ルネサンス   

宗教改革   

エートクピア   

先駆的市民革命   

啓蒙時代  

古典的市民革命   

人間解放の成果と課題  

民族の解放   筋二軍 初期社会主義  第二童 古典的調和の崩壊  第三章 近代の超克 第四童 普遍人間的解放  第五黄 体制変革における民族と階級  第六章 帝国主義と社会主義  第七輩 戦争と革命の弁証法   終章 現代社会思想史の課題  いま︑それぞれの項目をくわしく再現することほひかえた  

い︒どの項目をと?ても︑もんだいを二重性において把握する  

こと︑いいかえると︑矛眉と統山の論理をひとつひとつのパラ  

グラフにセンテンスに適用する慎重さ歓指摘しておこう︒   

独自性の著しい点は︑とりわけ民族の視点である︒このこと  

が︑下イツ︑フランス︑ロシアの社会思想を構造的紅位置づけ  

るし︑マルクス解釈にあたらしい息吹をあたえる︒プロレタリ  

アは祖国をもたないのではない︒マルクスは︑俗にいわれるよ  

うに︑祖国と国民とを否定したのではない︒反対に︑プロレタ  

リアートがみずからを解放し社会全体の進歩をかちとるために  

は︑﹁プロレタリアートがまず政治的支配をかちとり︑国民の  

A指導的∀階級の地位にみずからを高め︑自分白身を国民とし  

て組織しなければならない﹂のであり︑その意味で﹁プロレジ  

アートはそれ白身なお国民的である﹂とのぺたのである︒だか  

ら︑主体としての階級にたいして︑民族は母体であり︑この両  

︵六八三︶九七   

(3)

第三十五巻 第五号  

老の相互浸透的なかんけいを正確に理解することこそ︑現代マ  

ルグス主義のおらいりやすい欠陥の′ひとつである﹁合理的一元  

主義﹂を克服できるのである︒﹁もっとも多く誤解されてき  

たマルクス思想﹂の他のひとつは︑宗教は民衆の阿片なのだと  

いう命題だった︒しかし︑∵かれが宗教雪倒結した世界意識﹂と  

みなしたばあい︑宗教を阿片として民衆から強制的紅とりあげ  

ることがもんだいなのではなく︑そのような宗教的倒踏を不可  

避的にうみだす現実世界の人間疎外の根本原因をと 

とがもんだいだった︒﹁民衆は自分眉身の状態紅関する幻想を  

止揚せよ︑と要求することは︑幻想を必要とする状態を止揚  

せよ︑と要求することである︒だから︑宗教の批判は︑潜在  

的に︑宗教を後光とする苦界の批判なのである﹂というのが眼  

目だったのである︒   

それだけではない︒﹃資本論﹄によってマルクスは哲学者か  

ら経済学者になったという見方があるが︑それは社会思想とし  

てのマルクス主義を誤解させる︒頭脳としての哲学と心臓とし  

てのプロレタリアをむすびつけようとするのがマルクス生涯の  

仕事であり︑かれが﹃資本論﹄において哲学者であることをや  

めたのではけっしてない︒初期疎外論の思弁性を克服する﹃資  本論しは﹁人間疎外の諸形態の徹底的な追跡の沓﹂であり︑そ  

れはたんに経済的人間疎外の分析に寄与するばかりでなく︑′政  

治的∵倫理的︑宗教的などの人間疎外の分析にも寄与すること  

る︒こうし  思想史約観点は︑キルクス主義を完成した   ︵六八四︶ 九八  

不動のものとし七前提するかわりに︑その実体を生成過程のな  

かでw2rdenするものとして理解する︒二⊥一山月革命挫折以前  

のわかい革命家マルクスの変革のヴィジョンは︑民主主義革命  

から社会主義革命へ急行的連続的に転化する﹁永続革命﹂︑すな  

わら﹁小五年︑二〇年︑五〇年にわたる内乱と国民戦争﹂であ  

り︑中央集権的な秘密結社紅集結した少数精鋭の革命家が指導  

する﹁政治的奇襲﹂にょって開始され市街戦での武力的優越に  

ょる中央集権的共和国の樹立︑プロレタリア独裁を挺子とする  

社会主義経済の発展︑国家の死滅を展望するといったものであ  

った︒だが︑これは四八年段階の歴史的真実ではありえても︑  

四九年︑五〇年の産業発展は︑永続革命論が客観的諸条件を無  

視して革命的情勢の持続を人為的に創りだそうとする幻想に転  

落しうるものであることをかれにおしえた︒後年エンゲルスは  

その死の直前︑﹃フランスにおける階級閥争﹄につけた自己批  

判的な序文のなかで︑﹁われわれは⁝⁝新しい経済的世界恐慌  

が勃発するまでほ前途になにどとも期待できないことを︑すで  

に血八五〇年の秋に声明したのだ︒そのために︑われわれ  

はこれらの人びと︹ウィリヒやシャツパーらの主鶴的な永続命  

革論者︺からも︑革命の哀切老として破門されたのである︒  

ところが︑これらの人びとは︑そのうちはとんど例外なしにビ  

スマルクと妥協した︒しかし歴史はわれわれもまた誤っていた  

ことを教え︑当時のわれわれの考えな二つの幻想としてほくろ  

してくれた︒︑⁝⁝歴史は当時のわれ▼おれの誤謬をぶちこわした   

(4)

ばかりでなく︑プロレタリアートが闘争する場合の条件をすっ  

かり根粒から変革してしまった︒一八由八年の闘争方法は︑  

今日では︑どの関係からも時代おくれ七なっている﹂ とかい  

た︒マルクスは︑五山年二月日付エソゲルス宛の手紙で   

﹁われわれ二人︑君と僕とがいま公式に孤立していることほ︑  

僕にほ愉快だ﹂といい︑エンゲルスは﹁僕たちには今や⁝⁝人  

気もいらない︑どこかの国のどの見の支持もいらない・⁚三とい  

うことを示す機会がきた︒こんどはただ白分白身だけに責任  

をもつだけだ︒そして諸公たちが僕たちを必要とする時がき  

たら︑僕たちは自分の条件を口授する地位にあるのだ︒それ  

\   までは少くとも休養だ︒もちろん︑いくらかの寂しさはある︒  

・⁝それにしても僕たちは⁚⁚:けちな大物たちが僕たちを忌避  

しているの.をこばす理由はないのだ︒目下の主要事は僕たちの  

本の印刷可能性だ﹂と返事にかいた︒ちょうど五番目の子が︑  

やがて死ぬためにうまれたばかり︒産裾にあったィェソニー夫  

人ほ︑軽い分娩であったにもかかわらず︑中傷のために重い病   

気にかかった︒これが経済学批判体系樹立への出発だった︒著  

者の叙述ほ学問と人間のかんけいを︑精神の危機と克服のかた  

ちでえがせだす︒思想史ほ人間マルクスを視野のなかにきざみ  

こまなければならない︒資本主義がマルクス主義をうむとして  

も︑それは具体的個人をとおしてである︒   

マ 

間や剰余労働時間ほ︑たんに資本主義社会の特殊歴史的カテゴ  

猥荘会思想史概論﹄  

リなのでほない︒それほ︑原始共同体から社会主義社会にいた  .るどのような社会形態にも共通する普遍性をもつ︒マルクスに  とっては︑その歴史的歪曲こそがもんだいであり︑ここから︑  生産者が真の意味で﹁時間の主人﹂になり﹁個性の完成﹂を成  就する人類史的展望を基礎づ▲けた︒広義の経済学の意味はまさ  にこのことにあった︒ひらかれた体系は別の重要論点をもふく  む︒レーニンはマルクス主義がドグマではなく生きた方法であ  ることをみぬいた︒不屈のレーニンみずからも︑農業綱領をめ  ぐって自己批判した︵仙九〇六牛三月﹃労働者党虚業綱領の改  訂ヒ︒だれでも知るように︑かれはマルクス王義をロンア資本  主義のなかで創造的に発展ざせJぅと腐心したし︑とくに︑段  階としての帝国素養の概念設定につとめた︒そのさい︑帝国主  義を﹁一つの療殊な方式の政策﹂であるとみるカクッキーにた  いし︑直裁紅﹁資本主儀の独占段階である﹂とのぺ︑た︒レーニ  ンほ著者のいわれる体制認識1段僧認識1状況認識の方式をそ  れなりにつかん︑でいたというぺきなのである︒レーニンは段階  認識の壷大性をカクッキーにつきつけ︑ベルンシュタインのよ  うに︑﹁表象として考えられる状況的存在の数学的成長=状況  認識﹂だけを︑体制認識を犠牲にして論ずる仲間ではなかっ  た︒段階認識を︑そしてこの三者のかんれんをとらえる方向に  むか?たのは︑レーニンのみであるが︑おおくのもんだいをの  ちの研究者にのこしていることも否定できない︒かれは︑ま  た︑帝国主義時代の経済と政治を具株的紅分析したうえで︑始祖  

︵六八五︶ 九九   

(5)

第三十五巻 第五号  

マルクスの世界同時革命テーゼをのりこえ︑不均等発展法則の  

重視にもとづく困社会主義勝利の命題な提起した︒しかし︑  

山国社会主義の勝利がいつどこで実現するかについてのかれの  

予測ほあいまいで適中したとほいえない側面をもつ︒   

あざやかな叙述と手際のいい指摘は︑なにもマルクスとマル  

クス主義の部分にかぎらない︒たとえば︑後進国の理論的優位  

性︵歴史意識と社会的視角︑理性と人類の概念などにおける︶  

や生産力把握と批判的性格の対抗は︑そうしたものの岬例であ  

り︑地主的立場のマルサスが地代という不生産的消費なしには  

資本主義社会は永続しえないとかんがえたその俗物的主張が︑  

じっは︑かれの主観的意図に反tて︑ス︑︑\ス‖=H=ソカードク的資  

本主義杜盆の自律性拒否を意味するというのも︑これにかんれ  

んしよう︒うしろむきとかまえ.むきというのは︑かんたんな座  

標軸で片づけることができない事実を︑本書のあらゆる個々の  

叙述が示す︒だからといって︑著者が思想のアナーキーを主張  

しているわけでほもちろんなく︑思想と科学のダイナ︑︑︑ソクな  

多面性とそこ紅つらぬく小本の筋をまさに本来のあり方匿おい  

て論証しょうとするのである︒それは︑あたかも︑川の水があ  

るときは滝となり︑またあるときはうずまきとなり︑逆流し停  

滞しながら︑海紅そそぐ様子に似ている︒著者は河川が必然的  

に海にながれる事実を︑いいかえれば公式をそれ自体として強  

調するかわり匿︑紆余曲折をへる過程のなかに︑それをみいだ  

そうとされる︒その点できわめて大胆かつ創造的姿勢である︒   ︵六八六︶ 岬00  

著者の論説を修正主義だとよぶあわてものがでてこないとはか  

ぎらない︒しかし︑著者は︑おそらく︑戸坂潤のさわやかな規  

定によって︑これをしりぞけるであろう︒﹁公式を未知の領域  

に向って使用する代りに︑既知の公式を反覆証明することを︑  ′  公式主義といふ︒公式主義とほつまり︑公式を使用しないこと  

を意味すると云ってもいい﹂︵戸坂潤覇学論﹄唯物論全書︑  

脚〇五ぺー汐︑コ戸坂潤選集﹄笛二巻︑二四四ぺージ︶︒   

そうした意味で終章はひときわ興味ふかい筆さばきである︒  

人間疎外と主体性の回復匿おけるマルクス主義人間観の総合  

性︑プラグマティズムとサルトルとの対比︑社会的自然の提  

唱︑体制︑段階︑状況の社会認識における一一ろの基本カテゴ  

リ︑主体としての階級と母体としての民際という発想︑世界史の  

なかの日本の立場︑そのいずれをとわず今日的状況の渦中にお  

ける思想の有効性にかんけいする︒それは︑要するに階級視点  

を縦糸にいっさいの〟元主義の克服をめざす現代の証言といっ  

た苦悶にみちた相貌をもつ︒   

感動の苔という命名は︑社会科学書紀あたゝえられていけない  

ものときまっているわけではなかろう︒事実︑第二次戦争適後  

の敗戦日本には︑われわれの胸をうつ社会科学の小冊子がっぎ  

からつぎにあらわれた︒われわれの身なりは貧しく︑書物の装  

帽ほ粗末であったが︑読者には感動があった︒それがいまはどう  

であろうか−−表装の美しさに逆比例してますますヴァイタリ  

ティにとぼしい本があふれているのでほないか︒それは豊富の   

(6)

なかの貧困ともいうべき状況なのである︒わたくしほ︑本音を  

よんで絶えて久しい感動をおばえたのである︒﹃概論しという  

今日的タイナルにとらわれない警世の櫻文をその紙背にみたの  

であった︒もはや戦後でほないのことはほ︑著者にとってそら  

ぞらしい虚妄にすぎない︒表書は︑思想史の名をかりた憂国ヒ  

ューマニストの審である︒   

著者のそうした態度は︑編別構成に端的に示される︒﹁社会  

思想とは︑人間が社会の中で生き行動することにょり︑あるい  

はそのことのために︑もたなければならない態度決定である⁝  

⁚︒なんのための態度決定なのか︒それは社会における人間の  

生活をよりよくするという目的のためである︒したがって社会  

思想とは︑人間の社会的解放の思想であるといわなければなら  

ない︒⁝⁝人間は社会の中に生きているだけでなく歴史の中に  

生きている︒社会的なものはすぐれて歴史的なものであり︑逆  

に︑すぐれて歴史的なものほ社会的なものである︒一⁚⁚:社会に  

おける人間解放の思想としての社会思想ほ︑時代が進むにつ  

れ︑また民族が異なるにつれて歴史的に変化する︒⁝・⁚資本主  

義体制の初期においてはまず人間解放の恩憩として現われ︑つ  

いで︑後れて資本主義体制紅進んだ諸国においては民族解放の  

思想として現われ︑最後に︑仙般的に階級解放の思想として現  

われている﹂ために︑本番ほ﹁第劇部を人間の解放とし︑第二  

部を民族の解放とし︑第三部を階級の解放として構成﹂され  

る︒つまり︑本番は思想体系の屈列とその説明ではなく︑解放   

瑚瑚攣社会還史概論﹄   ヽヽヽヽヽヽ  のものがたりなのである︒それは︑思想史をたんなる過去形の  追想録たらしめない︒なぜなら︑階級ほむろんのこと︑人間も  民族も︑すぐれて今日的・現代的なことがらであるから︒もの  がたりは︑対象を過去軋もとめつつ︑いまの主体をつきうごか  すひとつの民話である︒本書はそうした意味で世界と日本の︑  思想史のころもを着た雄大な民話たろうとしているのだろう︒  こころみに︑わが国の既刊社会思想史文献と対比すれば︑その  特異性はあきらかである︵三木滴・林達夫・羽仁五郎・本多謙  三﹃社会史的思想史﹄は︑苗代・中世・近世・現代という時代  区分︑大河内一男彗社会思想史しの系譜的区分︑淡野安太郎  ﹁社会思想史﹄の時代区分︑務台理作・山崎正桐 ﹃近代社会  思想史論﹄の人名別区分︑城壕登﹁近代社会思想史﹄ における  ルネサンス的人間・宗教改革的人間・啓蒙的人間・現実的人間  ・社会的人間という典型的人間像にょる区分があるけれども︑  総じて時代別︑人名別︑事項別のいわば項目のすくない辞典の  ようなものであり︑努力のあとがみられる城壕民のものは啓褒  的︑現実的︑社会的の意味内容があいまいでこれらにルネサン  ス的がくわわるのではさらに諸概念の抽象性と静態性とをつよ  くかんじないではいられない︶︒  

社会思想史というわかい学問領域は︑いまだにみずからの対  

象と方法とを確認するにいたっていない︑とはだれもが異口同  

音にのべるところである︒しかし︑処女鞄紅敬子をなげるもの  

ほ︑じつほ︑はとんどいない︒小心翼翼︑因循姑息︑もしくは  

︵六八七︶ iO鵬   

(7)

参照

関連したドキュメント

OR の応用(応用分野別の傾向と応用例が列挙 のとおり,いろいろの角度から OR の解説が盛り込 されている) まれている..

新 刊 紹 介  

 本書は全 7 章により構成される。 I 章のイントロダクショ ンでは底生性渦鞭毛藻を対象とした研究の歴史と本書の趣旨 等が示され, II

本書の意義としては,個々に存在していた 日本の 翻訳に関わる様々な過去の言及を1

-83-

韓国には、東大門市場や京東市場のようにソウルでよく見られるような常設市場ではない、5

-101- 新刊紹介:社会(崔晶基)

著者イム・ジンソンは、この 24