-99-新刊紹介 2000 年以後、韓国の社会科学界で繰り広げられた論争のうちで代表的なものは、民主主義関連の論 争と国家と民主主義についての論争だろう。すなわち、前者は民主化以後の民主主義問題に関するもの であり、後者は世界化という時代的流れの中での国家と脱国家現象についてのものである。言い換えれ ば、これら二つの問題が 2000 年以後の韓国社会で社会的なイシューとして浮上したと見てよいだろう。 批判社会学会と民主化運動記念事業会で共同企画し、全 17 名に達する各分野の専門学者らが自らの見 解を明らかにした『地球化時代の国家と脱国家』は、二つの論点のうち後者と関連して韓国の進歩的学 界が持つスペクトラムを示している。 本書の企画趣旨によれば、地球化は批判的社会科学に二つの課題を提起する。一つは現在進行中の地 球化から、脱近代的・脱国民国家的な社会組織原理について省察することであり、もう一つは今日の地 球化の具体的な姿である新自由主義的地球化を越えた、異なるコミュニケーションと連帯の原理につい て考えることである。すなわち、新自由主義的地球化を克服しつつ、脱国民国家的・地球的社会組織原 理を模索することが、今日の社会科学に付与された課題なのである。こうした意味で地球化時代の脱国 家的・脱民族的想像力についての議論は、単なる理論的論議に留まるものではなく、より実際的に問題 を把握し、診断するにあたって最も基礎的でありながらも根本的な作業になるだろう。 この本の論議は、一次的には学術的な次元のものであるが、韓国のように民族主義的・国家主義的情 緒の強い社会において、いかに民族主義、あるいは国家主義的情緒が再定位されなければならないかを 考えるという点で、実践的な含意を持つものでもあるといえる。本書は社会科学の狭い一分野の研究に 縛られるのではなく、汎社会科学の次元で「地球化時代の批判的知識清算」の方向を考えようとした。 本書は、地球化が国民国家、政治社会思想、民主主義と市民権、民族主義、そして社会運動などに提起 する挑戦を扱った五つの項目で構成されているが、読者はこれらの項目を通じて脱近代的・脱国民国家 的代案の模索をめぐる様々な立場について知り、これを比較することができる。 本書はこの間、国民国家(国民経済)的時空間を前提に発展してきた社会科学が、地球化あるいは世 界化の滔々たる流れのなかでいかなる変貌を被っており、これにいかに対処すべきなのかについての学 術的論議を扱うものである。そのため、極めて多様な分野の、互いに異なる文脈を持つ文章が一冊の本 に編まれたという特徴を持つ。この点が本書のもつ長所であり、また短所でもある。多様な分野の論議 を一遍に知ることができるのはよいが、ともすれば該当分野の文脈から離れた誤解をすることもありう るからだ。
社 会
崔 晶 基
(全南大学校社会科学部社会学科教授)
批判社会学会、民主化運動記念事業会共同企画
著『地球化時代の国家と脱国家』
(ハヌル、2009 年) 비판사회학회.민주화운동기념사업회 공동기획『지구화시대의 국가와 탈국가』한울 , 2009コリア研究 創刊号 -100-正義の問題は近代政治システムも構成する最も重要な問題であるといえる。ところで西洋における正 義概念は、東洋におけるそれとは相当に異なるようだ。西洋において正義を象徴するものは秤である。 つまり公正でなければならないということだ。アリストテレスがいう平均的正義と配分的正義にもまた、 社会的生産物を分配する方法をめぐる苦悶が込められている。これに対し東洋における正義は、正しい ものと誤ったものをめぐる問題である。人間の道理や天の意思に照らして正しい行為を志向することで ある。こうした差異は市場経済を根幹とする今日の韓国社会における、正義について互いに対立的な思 考の出発点でもある。 キム・ウチャン先生の『正義と正義の条件』は審美的理性を根幹に、わが社会の中心的話題である正 義をめぐる社会問題を、韓国社会の文脈でわかりやすく説き起こした本だ。キム・ウチャン先生は高麗 大学校名誉教授・大韓民国芸術院会員である韓国の代表的な英文学者・文学評論家、社会批評家であり、 今日の韓国の代表的な人文学者といえよう。著者は本書で今日の韓国社会における正義概念について思 考を巡らせている。特に市場の自由、市場の道徳倫理、そして正義の条件及び実践のような、わが社会 の核心的問題に関する論議を通して、彼の深く広い思惟がわかり易く展開される。巨視的な公式化を越 えて、具体と普遍を総合すると同時に簡潔で明瞭な文章で記されるこの「正義論」は、自己の正義だけ を絶対化することで甚だしい分裂状況を呈している韓国社会の統合の方向を示唆している。 この本でキム・ウチャン教授のいう正義とは、あらゆる人間が人間らしい生を送ることができる人間 的秩序であるといえよう。絶対的な正義は神にのみ可能なのであって、人間社会における正義は相対的 であるほかない。こうした不完全な人間の貴重な価値を守りうる秩序は、結局のところ愛の秩序といえ よう。もちろんこうした正義を実現することは決して容易なことではないだろう。現在の韓国では経済 危機のために庶民の生活は極めて苦しく、崖っぷちに断たされているのが実情だ。最小限の人間らしい 生すら保障されえない現実において、正義を実現すること自体が難しいものとなってしまった。しかし 人間として人間らしい生を送るためには正義の実現した社会の具現は決して放棄しえない価値であろう。 いまだ足りないものばかりだが、少しでも社会に正義が実現される与件を作り出していくことが、私た ちのなすべきことではないだろうか。
キム・ウチャン
著『正義と正義の条件』
(センガゲナム、2008) 김우창『정의와 정의의 조건』 생각의 나무 , 2008-101-新刊紹介:社会(崔晶基) 1990 年代以降民主化が進むなかで、国家保安法が世論の俎上に乗せられたことがあった。朝鮮戦争以降、 社会のあらゆる領域で人々の口と耳を塞ぎ、数多くの人々に苦痛を与えたその法の廃止を主張する強い要 求があったためだ。にもかかわらず国家保安法は廃止されなかった。廃止に反対する世論も囂々たるもの があったからだ。冷戦体制と反共イデオロギーに基づく反対はまだしも、相対的にみて自由で民主的な社 会を望むとみられる人々のなかでも、一部は国家保安法に関連する論議を敬遠した。すでに死文化した国 家保安法について再び論議する必要があるのか、という論法で自らの気まずさを隠したのだ。そして李明 博政権が発足すると、国家保安法は決して死文化していないという事実が明白になった。 著者は 1948 年に麗水、順天地域で発生した軍人蜂起、すなわち麗順事件について研究する歴史学者 である。しかしこの本はただ麗順事件のみを扱っているわけではない。麗順事件からはじまり、朝鮮戦 争を経るなかで確立した、韓国社会の非理性的な反共体制を主たる研究対象としているのである。その 体制を最もよく表現する単語が「パルゲンイ*」である。人格冒涜と敵対感を帯びた俗語のなかで、言論 はもちろん小学校の教科書にまで掲載された唯一の単語が、この「パルゲンイ」であろう。韓国社会で パルゲンイは一次的な社会悪であり、甚だしくは殴り殺しても罪にならない人間以下の存在であった。 この本はそのパルゲンイ、あるいはパルゲンイを作り出した勢力がいかに登場し、約 60 年間の韓国の 現代史においていかなる意味を持ったのかを分析した研究結果である。 国史編纂委員会研究員である著者の結論は簡明である。「パルゲンイは麗順事件(1948)という記念 碑的で流血的な事件を通して生まれた」というものである。著者は、李承晩を頂点とする勧告の既得権 勢力は、反対勢力である共産主義者を「良民を虐殺する殺人魔、非人間、不倶戴天の存在」へと作り出 すために麗順事件を利用したと主張する。著者は「麗順事件を通して全面的に登場した国家暴力はパル ゲンイを無くすどころか、絶えずパルゲンイを作り出した」と強調する。そして著者は「大韓民国は国 民に対する暴力の洗礼のなかで誕生した。李承晩政権の国民形成方式は『敵』と『我』をはっきりと区 別し、相手の絶滅を試みる戦場の論理に基づくものであった」という。「反共国家の誕生」の裏面には、 社会を対象とした国家による「汚い戦争」が存在したというのである。 著者は、この研究の第一の目的を「公式の歴史の視線から隠蔽され、抜け落ちていた麗順事件の事実的側面 を究明すること」であるとした。彼は麗順事件を歪曲してきた政府と、「真実が明らかになることに対し神経質 的な反応を見せた」保守勢力のみならず、「進歩陣営が見せる気まずさと沈黙」もまた、この事件の歴史的意味 をあるがままに把握するに際しての障害となると指摘する。「無計画的で時期を逸した反乱」であったという進 歩陣営の観点は、この事件の政治・社会的性格と偶発性を複合的に把握できないものによる、という視点である。 * 「アカ」の意