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出版者 法政大学史学会

雑誌名 法政史学

巻 39

ページ 72‑82

発行年 1987‑03‑24

URL http://hdl.handle.net/10114/10307

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法政史学第三十九号

八新刊紹介V 村上直・馬場憲一編 『江戸幕府勘定所史料I会計便覧l』

江戸幕府の主要な財政基盤は直轄領におかれていた。幕府直轄領の規模は、石高でふると、初期には約二四○万石、

元禄期には約四○○万石、延享元年(一七四四)には約四六一一一万

石、幕末には約四一○万石といわれており、全国六八ヵ国のうち四七カ国にまたがっていた。このように全国的に配置されていた幕府直轄領は勘定奉行配下の約四○名の郡代・代官によって管轄されていたが、これら郡代・代官を指揮・監督し、直轄領の支配、民政、年貢・労役・金穀の収納事務、あるいは幕府の全般的な財務関係を取扱っていた実務機関は勘定奉行を長官とする勘定所であった。江戸幕府の行政組織は、開幕当初には「御当家の政は庄屋仕立て」といわれ、徳川家康の側近グループである近習出頭人が政務を担当し、地方支配は代官頭によってすすめられていた。それが二代将軍秀忠の治世になってから次第に側近政治が否定されて封

建官僚制にもとづく誹代合議制へと移行しはじめ、三代将軍家光

の治世後期である寛永一○年代から幕府の行政機構や職制・職掌の整備がはかられた。幕府行政の実務的な中枢は寺社奉行・町奉行・勘定奉行にあったが、勘定奉行は三奉行中末席であったが、その役割は幕府の財 七一一

政・経理勘定・直轄領の民政・支配等を掌り、実務的な職務内容は一一一奉行中、もっとも広範にわたり、充実していた。勘定奉行は、開幕当初には代官頭大久保長安・伊奈忠次がこれに近い役割を担っていたが、その職務内容は・業務権限は明確でなかった。それが寛永十九年八月、直轄領の農政と幕府の財政経理を統轄する勘定頭が正式な職制として制度化されて、この勘定頭を頂点とする勘定所機構の熊容が固まり、天和・元禄期を経て、享保期に勘定所機構が完成した。ところで、幕府の行政機椛中もっとも重要な役割を担っていた勘定所の機構やその具体的な職務に関する研究、あるいは幕府政治の展開や基礎構造との関連などから勘定所の役割を明らかにする研究は、現在のところ著しく立遅れている状況にある。かかる状況の中で、従来、江戸時代後期の勘定奉行支配下の勘定所の職制や職務分掌、諸役人の構成や江戸における居住地等を網羅した「会計便覧』という史料の存在が確認され、その史料価値は他に勘定所の全容を明らかにした類書もないことから勘定所の研究には貴重なものであることは認識されていた。しかし、この「会計便覧』はこれまで翻刻されていなかったので、その活用に大きな制約があった。それが今回、本学教授村上直氏及び本学出身である馬場憲一氏によって精力的な調査が行われ、その結果、確認された天保十年・弘化一一一年・同四年・嘉永二年・同一一一年・安政一一一年・同四年・同六年の年次別「会計便覧』を翻刻・校訂し、「江戸幕府勘定所史料l会計便覧l』として一書に鑿とめて刊行された.本書の

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刊行は今後の幕府勘定所の体系的な研究を促進させるうえで貴重な仕事といわねばならない。本書は、現在存在が確認されている前述の八種類の年次別『会計便覧』を翻刻・校訂したものを収録していて、その史料価値の貴重なことから、それ自体研究者にとって十分恩恵を与えているが、本書の編者は、この「会計便覧」の活用を便利ならしめ、さらに今後の勘定所に関する研究の向上に資するために、次のような勘定所機構の成立過程についての解説、『会計便覧」に関する解題、勘定所における勘定奉行・勘定吟味役・勘定組頭補任者の略歴、勘定所関係年表を収録している。○江戸幕府勘定奉行と勘定所付『会計便覧』○江戸幕府勘定所主要役職補任者略歴一覧㈹勘定奉行補任者略歴ロ勘定吟味役補任者略歴白勘定組頭補任者略歴○江戸幕府勘定所関係年表以上のように本書は収録されている「会計便覧」の史料価値の貴重なことから学界の有効な共有財産となることは勿論であるが、今後の幕府勘定所、あるいは幕府の行政機構について研究するうえで、本書はこの方面の研究者に新たな光明を与えるものである。是非諸氏の活用を期待するものである。なお、本書について若干の希望をいわせてもらうと、本書の活用に便利な解説・解題・補任者一覧・関係年表がつけられているが、とくに補任者一覧については寛政以前の補任者についても配

新刊紹介 慮されると活用になお便利であったかと思われる。また、できうるならば、現在のこの方面の研究状況を周知し、今後の研究に指針を与えるうえから考えると、関係文献・論文等の目録が収録されていると本書の利用価値を高めたであろう。しかし、このことは一方では今後この方面の研究をすすめる者にとって一つの課題となることでもある。〔一九八六年二月二五日刊、九七○○円A5判、一一一一一一五頁、吉川弘文館〕(仙石鶴義)

近年、日本近世史の研究は幕藩制国家の研究や地方史研究・市町村史編さんの盛行とあいまって幕政史・旗本領、あるいは農村史・村落史・都市史・交通史・商品流通史など社会経済史的視点を取り入れた研究が特にいちじるしい進歩を示している。本書は代官・天領・幕政史あるいは関東近世史などの研究に多大の貢献をされてきた本学教授村上直氏に法政大学で教えを受けた学界の第一線で活躍中の卒業生や大学院生が村上氏の還暦を記念して、これまでの研究動向をふまえつつ江戸幕府の政治的・経済的な基盤であった関東を中心として現在における日本近世史の重要課題に取り組んだ論文集である。

七三 村上直編

『幕藩制社会の展開と関東』

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法政史学第三十九号 右の執筆者はそれぞれ自分のもっとも得意とする分野の論文を書いたようであるが、それら個々の論文が近世関東の地域的特質を明らかにするという視点から体系的にまとめあげられているところに本書の魅力があるといってもよいであろう。そこで先ず本書の内容構成を示せば次のとおりである。目次近世関東の地域的特質と課題村上直第一編幕政の展開と地域支配関東における関所の位置と役割渡辺和敏l新郷・川俣関所を中心にl江戸幕府隠場制度の成立過程根崎光男甲州における小切税法成立の一考察安達満寛政改革と日光奉行所佐々悦久第二編旗本知行の性格旗本知行割の諸問題白川部達夫1分郷手続をめぐってl旗本知行所における経済統制について横浜文孝l「分散知行と地払い’第三編後期関東の広域支配江戸周辺農村の広域支配と触次馬場憲一l武蔵国葛飾郡東葛西領を事例としてl改革組合村の構造米崎情実l武州多摩郡日野宿組合村を中心として1.ヘリー来航前後における江戸湾警衛と村方の動向筑紫敏夫 l上総国市原郡を中心に’第四一編関東農村の動向近世前・中期における干鰯場支配の一形態仙石鶴義I下総国海上郡飯沼村を中心にl享保期の新田開発と農民の動向について柳田和久l武州多摩郡高倉原持添新田を事例としてl近世の家作規制と農民家屋平澤勘蔵I武川・相川の村落を事例としてl近世の水利普請と「証拠書物」について木龍克己第五編関東の都市と交通都市日光の神役と町役人制度澤登寛聡l稲荷町の町政運営の変動を中心としてl脇往還における宿駅の展開と助郷制池田昇1日光山裏道梅之官宿を中心にl近世後期における助郷夫役収取の動向宇佐美ミサ子あとがき見られるとおり、本書「幕藩制社会の展開と関東」という書名にふさわしく全体を五編に分かち、幕政の展開、旗本知行、広域支配、農村、都市、交通という観点から江戸幕府の直接的基盤といわれる関東とその周辺地域を研究対象として幕藩制社会の特質を究明しようと試ゑたものである。すなわち、編者の村上直氏は、巻頭の序論で「近世関東の地域的研究を志す多くの研究者にとって、究極の目標はやはり近世日本全体からふた関東の地域像であり、地域的特質の解明であると 七四

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いってよいであろう」と述べ、さらに政治史的、社会経済史及び文化史的視角から地域社会を含めた、新しい関東の地域論を組承立てることは容易でないと指摘しておられる。確かにそうした視点から近世関東の地域的特質を究明することは個人の力では容易に成し得ることではないが、そうした困難な課題も若い研究者のおう盛な研究意欲を結集することによって初めて可能であることを本書は実証しているといってよいであろ

う。そこで本書収録の論文について、その要点だけを簡潔に紹介してふたい。先ず第一編では、幕藩制の展開と関東というテーマで、その特質を追求している。先ず、渡辺論文は、江戸幕府の全国支配の重要施策の一つである関所政策について論じ、江戸警衛のために利根川・江戸川筋に設置された関所の一つ新郷・川俣関所を取り上げ同関所では通船改めをしていたが、それは経済統制を目的とするものではなかったと示唆に富んだ見解を発表されている。根崎論文は、鷹場制度の形成、成立過程について論じ、特に初期の鷹場が軍事的配慮にもとづいて設定されたものであり、江戸周辺に禁猟区を設定することによって江戸の防衛と治安の維持をはかっていたと指摘されている点が注目される。安達論文は米納を原則とした江戸幕府租税制度のうちでも特殊な甲州の石代納Ⅱ小切税法の起源について追求し、徳川氏が武田氏の小切税法の遺制を採用したものであると結論し、新しい見解

新刊紹介 を打ち出している。佐々論文は、松平定信の寛政改革の一環として行われた日光・伊勢両奉行所の改革を中心として論じ、寺社側の強い抵抗を排しつつ、懐柔政策をとりながらも弘化期ごろまでに徐々に幕府支配力の強化をめざしていったと指摘するなどニーークな論考といえる。第二編は旗本知行に関する二論文から成る。白川部論文は相給知行を設定作業としての分郷(ワヶゴウ)問題について、これまでの先人諸氏の見解批判をしつつ精細な分析により再検討を加えた好論文といえる。横浜論文は旗本の知行形態について論じ、特に分散知行形態がつねに一体化できる配置・結合性を有していたこと、また、経済支配Iとりわけ年貢地払いのあり方については、領主間の隔差がふられればゑられるほど、個々独自の支配を行使していたことなどを実証した手堅い論文である。第三編、後期関東の広域支配では、先ず馬場論文が江戸周辺農村の広域支配と触次の問題について葛飾郡東葛西領を事例として触次役の機能を考察し、農民支配を補完する中間的支配機構としてきわめて有効に作用していたこと、また、領中惣代的な機能も有するなど、広域的支配を貫徹するために重要な存在であったことを指摘されている。米崎論文は多摩郡日野宿組合村を中心として改革組合村の内部構造について組合村入用と村役人を素材として検討し、「惣代庄屋」的秩序との関連において、いわば重層的な構造であったと結

七五

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法政史学第三十九号 諭付け、これまでの研究をさらに一歩前進させた労作といえる。筑紫論文は.ヘリー来航前後における村方の動向について上総国市原郡の村々を素材として、先ず江戸湾警衛と助郷役・人夫役・御用金などの負担について明らかにし、次いで領主の軍事力の空白を補完するために、組合村は一村ごと、小組合ごとに「自衛力」をもって、組合内部の治安を確保することを義務付けられたとされた好論文である。第四編関東農村の動向では、仙石論文が関東における鰯漁業の成立、干鰯生産の発展、魚肥の生産と流通、在方商人の成長と干鰯市場への進出過程について下総国海上郡飯沼村の史料を中心として追求したもので興味深い論考である。次いで柳田論文は、享保改革期に視点を据え、武州多摩郡西。北部にまたがる広大な入会秣場であった高倉原新田を取り上げ、新田開発以前の状態、江戸町奉行下の開発状況、さらには新田開発が上中層農民の積極的な対応によって推進されたものであることを明らかにされている。平澤論文は、江戸幕府の家作制限の基調が村方において実際にどのような様相を呈していたのか、相武両国の農村を取り上げ、家屋の規模と持高、家格の高下との間には一定の相関が承られること、家屋は村落の身分秩序の規範として強く意識されていたことなどを究明されたものである。木龍論文は莫大な費用負担をともなった近世の水利普請がどのような基準により公儀負担となり得たのか、これまであまり顧り承られなかった「証拠書物」を中心として幕府の治水政策につい て考証された論文である。第五編は関東の都市と交通の問題を追求した三論文から成っている。

先ず澤登論文は、これまで都市史の研究が大都市に集中する傾

向があったことを指摘し、それ以外の地方・地域都市史の研究の

必要性を強調し、寺社奉行の管轄下にあった宗教都市日光を取り

上げ、町役人制度や経済構造、さらには稲荷町の町政運営システムが世襲年寄制から合議制へ転換していく実態を克明に追求している。

次に池田論文は、主要街道に比べてきわめて研究が少ない脇往 還の一つ、日光山裏街道にあたる古河藩領梅之官宿を取り上げ、

御定賃銭や公用通行の実態を明らかにし、さらに幕末期における

特権者交通量の増大に対処するため他藩領にまで助郷差村を拡大 するためには幕府権力の行使が必要であったと論述されている。 宇佐美論文は、小田原宿の加助郷村であると共に隣宿の大磯宿 の助郷負担も課せられていた大住郡の助郷夫役収取の動向と過重 な夫役収取に農民たちがいかに対応しつつあったかを追求された

ものである。また、人馬請負制の問題にも論及し、下層農民が助

郷役の代勤によって貨幣収得が可能となったことが、請負制展開

の要因にもなったとされている点が注目される。以上、紙数の都合で個々の論文についてくわしく紹介できなか

ったが、いずれも近世関東の地域的特質を鋭意追求した力作で、

啓発されるところ多大であり、日本近世史研究の進展に大いに寄与するものと確信するものである。 七六

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中世村落に関する研究は、すでに戦前から成果がふられているが、今日も多くの研究者の関心を集め、すぐれた研究が生糸だされている。しかし、研究が盛んであるにもかかわらず、いまだ未解決の問題が多く残されている研究分野でもある。このような状況のなかで、ひとつの答を提示したのが、本書であるといえる。本書は、一九六六年に発表された論文から、本書をなすにあたって新たに執筆された論文まで、この一一○数年にわたっての、著者の中世村落に関する研究の成果が収められている大部の書である。本書の構成は、以下のようである。序章中世村落の諸形態第一節古代末期の谷戸利用第二節中世谷戸集落の形成第三節戦国大名の谷戸支配第四節非農業民の村第五節十三塚をめぐって第六節武蔵国新井宿村名主惣百姓訴状

新刊紹介 〔’九八六年十二月刊、八五○○円A5判、五六四頁、吉川弘文館〕(丹治健蔵)

段木一行署 『中世村落構造の研究』

第一章封建領主制の形成第一節古代末期の武蔵国多摩郡第二節古代末期東国の馬牧第三節東国武士の思想と行動第二章鎌倉御家人の活動第一節香取神宮と守護千葉氏第二節各地の千葉氏第三節豊島氏の行動第三章中世村落の領主と農民第一節東寺領伊予国弓削島第二節安芸国因島周辺と小早川氏第三節東寺領安芸国後三条院新勅旨田第四節下総国香取神領の土地所有形態第五節中世村落構造の一考察第四章国人領主層の行動第一節下総国千田庄地頭代中村胤幹第二節武蔵国船木田庄の平山氏第三節奥州南北朝内乱期の鎌倉御家人層第五章戦国時代の地方商業活動第一節戦国大名の伊豆諸島支配第二節相模国当麻宿関山氏の宿場商業活動第三節武蔵国の関戸宿有山と品川宿鈴木氏以上、六章二三節よりなっている。本書の構成の糸によっても、著者の幅広い視野と問題関心の所在を知ることができよう。しか

七七

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法政史学第三十九号 し、本書の書で最も注目すべきなのは、中世東国の村落に関する論文であろう。紙幅の都合上、そのすべての内容の紹介はできないが、序章は、本書の総論として位置づけられると考えられるので、若干ふれておきたい。ことに、最近書かれた第一~三節が重要であり、この部分に著者の今日における中世村落研究のひとつの到達点あるいは研究の総括がある、とゑてよかろう。ここで著者は次のように言っている。封建社会を演出した封建領主と農民が谷戸地区に注目し、水利権を中核とするいわば中世的集落を創出した。谷戸が典型的中世村であることは、そこが封建領主の基盤地区であり、すぐれて領主権の強固な地区であったということである。著者のこのような中世村落に関する見解の背後には、積糸重ねられた実地調査の経験という重承が感じとれる。著者は本学大学院を修了し、東京都教育庁の文化財調査担当学芸員とながく都の文化財調査の第一線で活躍を続け、その方面での著者・論文も多い。本書には、これまでに著者がたずさわってきた文化財調査の成果がじつによくとり入れられている。すでに述べたように、中世村落研究には、学界での多くの蓄積があるが、その対象は主として畿内近国などの西国の地域であり、時期は中世後期が中心となっている。東国御家人が鎌倉幕府を成立させる上で中心的役割を果したにもかかわらず、その基盤となった東国の村落に関する研究は極めて乏しい。著者のいうように「西高東低」という状況であるが、その理由は今さら言うまでもなく、西国に比べ東国では中世の村落構造を知ることのできる文献 七八

史料がほとんどのこされていないことによる。そこで、多くの研究者により地名などの利用がなされているが、しかし、著者も述べているように、今日伝わる地名が新しく成立したものであることもあり、その利用には充分注意する必要がある。また、古くから伝わる神社が近世になってから場所を移したようなことも承られ、それらを根拠にした説は、それの糸によっては説得力に欠ける。そのようなとき、著者の行う考古学の成果の利用、考古学者との協同作業が必要となる。もちろん、このような試承はすでにいくつかなされ、成果を得ているが、その多くは城館阯、都市遺構であり、村落の場合も、多くは文献に恵まれた西国に所在するものである。多摩地区は、近年かつてない大きな規模での開発が進められ、それにともなった発掘調査が行われている。その調査の成果がきわめて有効に著者の研究にとりいれられ、見事に結実している。著者の研究の成果だけでなく、著者の歴史地理学的、歴史考古学的な研究方法についても、中世村落を研究しようとするものにとっては、学ぶべきことは多い。□九八六年十一月刊、七五○○円、A5判、五一○頁、吉川弘文館〕(清水久夫)

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昭和六十一年四月、東京・池袋西武で「甦る幕末」展が催され盛況を呈し、のち全国各地を巡回した。この写真展で、ハリス米国公使通訳オランダ人ヒュースヶンの遺体写真およびヒュースヶンの日本人妻の一人という写真を見たが、同年二月二十八日付発行の本書には右二葉のほか、「おつるとヒュースヶンの遺児」などを含め二十頁にわたり豊富な口絵写真を添えている。へリスは有名で伝記も出ており、最近ではタマリン署、濱屋雅軌訳『日本開国Ⅱペリーと〈リスの交渉』(高文堂出版社一九八六)がある。ヒュースヶンには、故今宮新氏の研究「初期日独通交史の研究』鹿島出版会一九七一、「ヒュースヶンのことど屯」『史学』三六の二・一一一)のほか日記が訳刊されたぐらいに過ぎない(青木枝朗訳『ヒュースヶン「日本日記亡校倉書房一九七一)。著者はアムステルダムの古文書館でヒュースヶンの出生届を確認し生家などを訪ね、下田ではくリス下僕の子孫西山家でヒュースヶンの洋服を手にとるといった実地調査と関係文献の渉猟に基づいて、幕末開国史の一節を平易に説いている。〈リスとヒュースヶンの出会いから日米交渉、ヒュースヶンの遭難C八六一・一・一五Ⅱ万延元・’二・五)までのうち、侍妾問題は安政四年二八五七)のお吉・お福に始まり、翌年のおさよ(〈リス)・お

新刊紹介 宮永孝箸

『開国の使者l〈リスとヒュースヶンー』

八東西交流叢書1V まつ(ヒュースヶン)に至る経緯をたどり、下田玉泉寺の村上文機師S開国史蹟玉泉寺今昔物語」著者)が柿崎の古老から聞いた話などを伝える。三番目のおつるに関しては「続通信全覧類岻之部』(雄松堂から刊行中)の傭雇門の「米国通弁官ヒウスヶン傭妾一件」(安政六年八月十一日)を引用するが、遺児を抱いた写真は著者が剛医ポンペ取材に渡蘭の折、ポルスプルック伯(駐日領事代理)のアルバムから見つけたのである。ちな承にヒュースヶンが葬られた麻布の光林寺には先年演習の学生たちと墓を訪ねている(本年度の下田合宿記事は本号九八ページ参照)。著者(法政大学社会学部教授)は英米文学・日欧交渉史を専攻し、これまでに『・ヘリー提督』(有隣堂)、『幕府オランダ留学生」(東京書籍)、『ボンベー日本近代医学の父』(筑摩書房)『阿剛陀商館物語』(同)などの著作、また訳書に「グラント将軍日本訪問記』(雄松堂出版)などと、精力的に採訪・著訳活動を進めて止むことがない。なおこの八東西交流叢書Vの2は、楠家重敏著『ネズミはまだ生きているIチニ〈レンの伝記l」(’九八六年、七五六頁、七五○○円)が続いて出た。ちな承に『阿蘭陀商館物語』については増島宏教授(社会学部)により、『法政』一九八七年二・’一一月号に紹介されている。〔一九八六年一一月刊、一一一○○○円、A5判、二一一一二頁、雄松堂出版〕(安岡昭男)

七九

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法政大学考古学研究室より『本屋敷古墳群の研究』に続いて、『多摩校地遺跡群』l・Iが発刊された。筆者はこのような大部でしかも内容の多種な調査報告書の紹介に適当ではないが、同遺跡群が「町田校地遺跡群」と称されていた初期の調査に参加したこともあり、これによりその責任の一端を果たしたい。多摩校地は東京都町田市相原町を中心に所在する。地形的には多摩丘陵西端部に位置し、広い平坦面は比較的少なく、痩せた馬の背状の丘陵が樹枝状に発達し、狭長な谷戸が台地を複雑に開折するという特徴を持つ。このためここに形成される遺跡は、平坦な土地に営まれた遺跡とは自ずと異なった特徴をもつのであり、本書の第一の価値をここに認めることができよう。本書のlは、本文四四五ページ、図版一五○ページにわたるA地区の四つの地点についての調査報告書である。Al1地点からは遺構としては縄文時代前期の住居並一軒、平安時代住居趾八軒、集石・士坑などが、遺物としては諸磯式を中心として縄文時代早期から後期までの士器・石器、平安時代では灰釉陶器・風字硯・石帯・鉄製鈴銅製鈴・万年通宝などの珍しい遺物が含まれる。Al3地点からは縄文時代の士坑一基、平安時代の住居吐二軒などが、Al5地点では平安時代の住居趾一軒・士坑二基が検出されている。これらの各地点は狭長な小支谷を挾んだ台地急傾斜に 法政史学第三十九号伊藤玄三・峯岸章夫編

「法政大学多摩校地遺跡群」I・I

八○

形成された遺跡である。これに対してAIO地点は、台地の緩斜面を中心に様々な遺構が構築されている。旧石器時代の石器集中部二箇所、縄文時代の多様な形態を持つ士坑一九○基、平安時代の士坑三基、近世のものと思われる落とし穴・炭焼窯、更に当地点の最大の成果である第二次大戦中に設置された多摩送信所関連遺構などが検出されている。考察の章では「多摩校地遺跡群内における平安時代の住居構築と史的背景」、「文献から見た平安時代の富士噴火活動」、「古代における銭の流通と皇朝十二銭l『万年通宝』に関連してl」、「多摩送信所について」、「風倒木痕の形成過程と分類」と調査に関連した様々な問題点について考察が加えられている。本書Iは、本文一七七.ヘージ、図版四四ページにわたってのG地区の六つの地点の調査報告書である。G地点は校地の北西部に位置し、南側に開く狭長な谷戸を挾んで位置する小規模な遺跡群である。中心を占めるのは、Gl1地点である。平安時代の住居杜四軒と焼土遺構・士坑などが検出されている。Gl5地点は平安時代後期の住居趾一軒と焼土遺構二基などが検出されている。その他の地点からは士坑などと共に縄文土器や石器が検出されているが、調査面積がわずかなためまとまった資料はない。これらの調査地点とは別に、五基の炭焼窯の調査もなされている。考察の章では、「多摩校地遺跡群G地区の遺物から見た平安時代後期の丘陵型集落の様相」、「平安時代山地住居出現の歴史的背景」、「多摩校地遣群G地区の炭焼窯について」と『多摩校地遺跡群l』と同様調査成果に基づく問題点について考察を加えている。

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つぎにこの二冊の調査報告書で述べられているいくつかの点について見てゑたい。AIO地点で検出された多摩送信所関連遺構は、昭和一九年に戦争状況の緊迫化一「」対応して対ドイツ通信用の隠蔽式送信所として建設された。その後、ドイツの降伏・日本の敗戦という情勢変化によって、昭和二○年一○月の廃止まで陸軍の通信用・進駐軍放送に利用された近代日本の激動期を知る貴重な遺産である。この送信所には短波電信機と円筒型送信塔が設置されていたという。発掘調査では後者の基礎部分が検出されているにすぎないが、この多摩送信所が注目されるのは、従来からポツダム宣言受諾の放送がここで行われたのではないかと考えられていたからである。結論からいうならば、確証はないもののここで行われた可能性が最も高いということである。それは同送信所の「地位」の検討、関連・文献・証言等の検討から導かれたものである。本書で述べているように、「軍事施設というものは、その全貌を知る手掛かりとなる記録の大半は、終戦時に焼却されてしまったなどの理由で極めて少ない。また、戦後四○年以上たった現在、当時の人々の記憶も薄らぎ、それに関係した人々も他界されている場合が多い。そのような文献などの資料の欠けているところが今回の調査で明らかとなった」のである。関係各位の努力に対して敬意を表したい。A地区。G地区で検出された平安時代の住居比群は、多摩校地周辺の地形的特色である痩せた馬の背状の丘陵の斜面部に位置して検出されている。それも綾斜面の糸でなく、急斜面部にも検出されているのである。併せて五つの地点から一六軒検出されてい

新刊紹介 る。このような立地をとるものは「離れ国分」などと呼ばれ、その性格等について様々な検討がこれまでになされてきたが、この二冊の報告書では一貫して畑作経営のための住居立地として考えている。この点に関して『ⅡlG地区l』の考察にしたがって立論の順を追って承よう。多摩校地内から検出された住居吐群と同様な立地をとる他遺跡の住居趾との比較の結果、「A・G地点から検出された住居趾には住居規模・椛造・出土遺物の点から特殊なものとすることはできず、他の山地住居と性格を同じくするものであることが確認され」、さらに平地住居趾とも比較の結果「その規模・構造・出士遺物の点でそれほど異なるというものではないことが知られる」。これにより「平地住居に対する山地住居の性格を捉える要因にならない場合、そうした立地条件に適応した生産基盤の差異でなければならない。……その際、山間部という土地条件を考慮するならば、畑作を想定することは妥当であるとおもわれる」。以下その歴史的背景の検討のため「律令政府による陸田雑穀栽培の奨励という」観点から、文献史料の検討を通して「山地住居出現の背景には大規模な飢漣と、それに対処するための律令国家の陸田奨励策が存在したと考えられる」という結論に達したのである。この結論に対する批判は当然様々になされるであろうし、筆者もこの結論に対して疑問を持つ者であ}一心。立論の過程とその史料についてはともかく、その前提である多摩校地内出士の遺物は果たして「それほど異なるという屯のではない」のであろうか。筆者にはAl1地点出土の石帯、銅製・鉄製鈴、風字硯、Gl1地

八一

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法政史学第三十九号

点出士の耳Ⅲなどは特殊ではないかと思われるのである。また、わずか一七軒の住居吐からの出士遺物としては、このような特殊な遺物の外にも多くの灰釉陶器が出土している。他の普通の平地住居と比較しても、生産力のより低いと思われる地域からこのような遺物が出土したという点に意味を見いだすべきと思われる。聞くところによれば多摩校地の発掘調査報告書は、残り半分が残

村上直(編)『小山市史通史編Ⅱ近世』小山市昭皿『日本史資料総覧』(共)東京書籍昭Ⅲ『近世神奈川の地域的展開』(共)有隣堂昭Ⅲ『民衆史入門』(共)雄山閣昭u「日本地域史研究』文献出版昭田「幕藩制社会の展開と関東』*吉川弘文館昭田村上直・馬場憲一『江戸幕府勘定所史料l会計便覧l』鵠吉川弘文館昭皿村上直(監)・白川部達夫『下野国近世初期文書集成』文献出版昭田伊藤玄三・峯岸章夫編「法政大学多摩校地遺跡群』1.Ⅱ*法政大学昭Ⅲ中野栄夫『日本中世史入門』雄山閣出版昭皿 【会員編著書抄】鵜紹介別掲 芥川龍男編『大友宗隣のすべて』新人物性来社昭Ⅲ安岡昭男共編

『日本史総覧』補巻Ⅲ断雌聿新人物性来社昭皿

段木一行「中世村落構造の研究」*吉川弘文館昭矼青木光行『旧中家村史』友愛出版昭田前川明久『日本古代氏族と王権の研究』法大出版局昭肛宮永孝「開国の使者』*雄松堂出版昭、向井晃(共編)『幕末軍事技術の軌跡ll佐賀藩史料『松乃落葉匡思文閣出版昭皿川岸宏教共編『聖徳太子と飛鳥仏教』吉川弘文館昭山 八一一

っているという。今後また新しい視点で多摩校地周辺の地域史の解明に寄与されることが期待される。以上新刊案内としてははなはだ不十分な内容となってしまった。このような大部の調査報告書が法政大学考古学研究室の諸兄により上梓されたことを、卒業生の一人としてよろこびたい。(小出輝雄)

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