212
書評・新刊紹介
藻類 Jpn. J. Phycol. (Sôrui) 63: 212-213, November 10, 2015
片岡博尚 翻訳と注釈
グスタフ・ゼン「葉緑体の変形と定位運動」1908
私は翻訳者である片岡と師弟関係にあり,長い付き合い で20年を超えた。最近翻訳を終えて出版する本があると聞 いた。昔話をくわえて紹介する。
突然だが,私はお酒自体好きではないが,お酒の席は好 きである。学生時代,片岡と夕方から毎日飲んでいたとい うか飲まれていた。こちらは,夕方から実験本番にもかか わらずあちらはお酒をふるまう。高度な実験するお金もな いので,待ち時間と称して藻類の固定の時間を延々ととっ た記憶がある。現在の分子生物学全盛の研究社会とは別の 次元であり,研究も待ってくれるそんな良い時代であった と思う。当時よく片岡は「お酒の量は研究内容に比例する」
というような暴言を吐いていた。私も反論し,「馬鹿じゃ ないですか?お酒飲んだら実験できないし,進むわけない でしょう」と。まあそんな師弟関係だが,馬が合ったらし くよく夢を語った(語られたという方が正確である)のを 覚えている。この現象の受容体みつけたらすごいだろう的 な,,,何の解析方法も知らない二人で,,,今考えたら,飲 んでいるだけで何も進んでいない。しかし,10年後,その 夢のような話が様々な人に力を借りて現実になることは,
その時は考えていなかったのは言うまでもない。
当時,片岡は酔ってくると古書を出してきて,説明もな しにゼン(G. Senn本著著者)やペッファー(W. Peffer)・
ハウプト(W. Haupt)のことを私に喋っていたことを覚え ている。博士課程に入りたての学生にとっては師匠の言葉 は呪文でしかなかった。ただこれを数年続けられると,人 間というものは恐ろしいもので得体のしれない歴史を認識 するようになる。これが洗脳ということなのだろうと思う。
ことあるたびに,引退後はこれらの翻訳でもするかなと言っ ていたことも記憶している。ただ私がいる間にお酒に起因 する入院が,複数回,私の中では長くはないだろうと考え るに至り,これら大事な書物の日本語訳は,(私は語学がま ともにできないので翻訳業に向いていないという理由もプ ラスして)誰かの手にゆだねられるのだろうと,思い至っ
た。本書はお酒に飲まれている時に一番出てきた書のひと つである。何故かというとこの書は片岡の大事な家族黄緑 藻類フシナシミドロが巻頭から取り扱われているからであ る。ひいき目なしにこの書は世界の葉緑体運動・形態のバ イブルであることがわかったのは,私が博士を取得するあ たりであって,飲みながら話をきいたことによって世界の 情勢がわかったからである。1990年代に入り,Nature, Science誌で光受容体の報告がなされ,その引用にSennの 著書が引用されていた。
東北大学出版会
A5版, 446ページ,2015年7月,
定価:4,500円+税,
ISBN: 978-4-86163-255-6
<書籍を出版された会員の皆様へのお願い>
御著書の情報をお寄せください。
必 要 事 項 :①書名,②著者名,③出版社,④サイズ,⑤頁数,⑥出版年,⑦定価(税込),⑧ISBN 情報提供先:お茶の水女子大学 理学部 生物学科 嶌田 智
E-mail: [email protected]
213
ここ数年,片岡は一生分のお酒を飲んだことにより,お 酒を飲めない体になった。当人にとっては由々しき事態で あるが,生きるためにはしかたがない。飲めなくなったこ とで翻訳をする時間ができて,手も震えることもなく最後 までやり遂げたのだと思う。生き延びて翻訳をし終えたこ とは,二度目になるが非常に嬉しい事である。翻訳者であ る片岡の名誉のためいっておくが,アル中であるが酒乱で はない。70歳まで生きてくれたこと・この本を翻訳してく れた能力に感謝している。
私は繰り返しになるがお酒自体は好きではないが,学生 には「お酒を飲む席は大事にしよう」とそこには研究者が 集まる夢を語る場所であるからと片岡の戯言を翻訳してこ の本の紹介前文とさせていただく。
本書の内容に関しては以下に記す。
本書は,スイス・バーゼル出身の分類学者であり生理学 者であるグスタフ・ゼン(Gustav Senn)が1908年に記述 した葉緑体運動・形態に関する歴史的な教科書である。ま た翻訳者は,本書で扱われている黄緑藻類フシナシミドロ 研究の第一人者である東北大学片岡博尚博士によるもので,
個人的見解・最新情報を踏まえ注釈を入れており非常に読 みやすい内容となっている。
本書に記載されている植物材料は陸上植物および多くの 藻類を含め100種をこえ,その変形と定位運動様式につい て詳細な分別を行っている。近年の分子系統学からの見地 からでは,かなり複雑な内容ではあるが非常に興味深い結 果となっている。当時の分類法は,当然のことながら形態 だけであり,現在の分類群と照らし合わせながら見なくて はならないが,翻訳者の意向で,付録として現在の分類表 を添付しているので参照されたい。当時の生理学と分類学 が混在した学問領域の出発点ともとれる書物で,藻類・多 様性進化を扱う研究者・学生にとって読んでいただきたい 一冊である。
葉緑体の変形のみならず,葉緑体の物理的な定位運動反 応を詳細に記載しており,少しだけ紹介したい。当時の研 究者は当時の顕微鏡レベルで光学的技術を存分に使って,
葉緑体光定位運動を,解析しているのがわかる。葉緑体光 定位運動は,捕食性生物(ホスト)が葉緑体を獲得し,従 属性の生物に進化する過程で得られた反応であると考えら れる。それは,一次共生植物だけの運動反応ではなく二次 共生植物も持つ普遍的な反応であり,多く植物を扱って研 究したことがうかがえる。葉緑体光定位運動は,光合成の 効率化ために,太陽から降り注ぐ光を良い条件で受け止め るための運動である。光が弱いところでは,光方向に近い 細胞表面に集まる集合反応を,そして強光に関しては光か
ら遠ざかり細胞側面に逃避する反応を意味し,このことで 葉緑体が,さも能動的にふるまっているように見えること をこの時代に報告している。この反応の重要な要素は,ホ ストへの栄養分の供給を行うために必須な反応であり,集 合反応も逃避反応も同様に光の強度を細胞内で調節し,良 い場所に移動し光合成能力を発揮することである。本書で はこのメカニズムがどのように調節されているかは解けて いないが,この本書がもととなり,100年の時を経て現在 の最先端研究につながっていることは間違いない。またこ の反応は青色光で行っている。現在では当たり前のことに なっているが本書を読み進めていくと,ゼンはこの波長に 関することを100年も前の時代に理解していたことにな り,脱帽せざるを得ない。
現在この青色光を受容する受容体が1996年にアメリ
カのBriggs博士のグループによって光屈性の受容体とし
て発見され,詳細な解析によって2001年に葉緑体光定 位運動の受容体として認知された。それをフォトトロピ ン(Phototropin)と呼ばれる青色光受容体である。日本 の光生物学は世界でも最先端を走っており,前述の葉緑体 光定位運動がフォトトロピンによって起因することを見つ けたのは和田正三博士の当時東京都立大学グループである し,同時期にミドリムシの光驚動反応の受容体として光活 性化アデニル酸サイクレース(Photoactivated Adenylyl Cyclase, PAC))を発見したのも故渡辺正勝・伊関峰生博 士の基礎生物学研究所グループである。また本翻訳書を刊 行した私たち片岡博尚博士のグループもストラメノパイル 専用青色光受容体であるオーレオクロム(Aureochrome)を 発見している。これらの発見報告と同時に本書を読むと非 常に興味深いことが理解されるだろう。以上のように日本 の光生物学は発展してきたが,本書を読み進めていくとゼ ンが発見した多くの現象がまだ解けておらず,問題点が浮 き彫りになってくる。特に本書に記載されている藻類・植 物の生理応答機構また受容機構がいまだわかっていないこ とで多数あることが容易に理解できる。
本著はドイツ語の読ま(め)なくなった学生だけでなく,
これから多様化した藻類研究を目指す若者に読んでいただ きたい本である。また藻類研究に煮詰まった研究者への次 へのステップの礎またはバイブルになる本として読まれる ことを強く推奨する。
最後に翻訳者片岡博士の共同研究者・友人であり,藻類 光生物学のパイオニアである渡辺正勝博士・総研大元教授 がこの翻訳書が出版される前にお亡くなりになられたこと ついて哀悼の意を表す。
(立命館大学・生命科学部 高橋文雄)