奈良教育大学学術リポジトリNEAR
逃亡ホロープに関する1649年法典の規定
著者 石戸谷 重郎
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 20
号 1
ページ 41‑58
発行年 1971‑10‑30
その他のタイトル ПРАВИЛА УЛОЖЕНИЯ 1649 ГОДА О БЕГЛЫХ ХОЛОПАХ
URL http://hdl.handle.net/10105/2880
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逃亡ホロープに関する1649年法典の規定
石 戸 谷 喜 郎 (歴史学教室)
ま え が き
ポロ‑プ立法という立場からロシア法史を通観すれば、いくつかの重要な法典あるいは法令が 浮かび上ってくるが、とりわけ大きな意味をもっているのは、 ll‑12世紀の「ルースカヤ‑プラ
‑ヴダ」(11、 1597年2月のホロ‑プ法令(2)、そして「1649年の会議法典」′3)であろう。ル‑スカヤ‑
プラーゲダはホロープについての最古の法であるのみならず、そのホロープに対する関心の深さ によっても、われわれの注目を惹く 1597年法令は、 16世紀末ロシアにおけるホロープ制変革の 基本構想を示しており、かつその諸条項が実施された結果を一部地域とはいえ今日に伝えてい て、現代ソビエト史学のホロープ研究は、この法令とその実施結果としての「登録帳簿」を中心に 進められている観があるCO。最後に、 1649年法典についていえば、ソビエトでもわが国でも、そ のホロープ関係諸条項が敵視‑されてきていることを否定できないと恩うo その背景には、ロシア の奴隷‑ホロ‑プは17世紀には軽視に価する存在になった、という考え方があるようである(5)。
勿論、ソビエト史学では、最近になってチェレ‑プこン、あるいはジーミンが、 15‑16世紀のホ ロープ大量解放説を批判しはじめている(6)。しかし、 1649年法典がその第20章「ポロ‑プについ ての裁判」全119か条をもってホロープについて実に詳しく規定しているという事実、への注目 のし方が充分であるとは思われない(7)。
法典第20章の主要な関心は、あえて分ければ三つの問題に向けられている。第‑は、スルジー ラヤ‑カバラナ8)による「債務ホロープ」についてであって、とくにその不完全隷属性(主人の 死とともに自由を得る)を守ろうとしている。これは上にあげた1597年法令の継承発展である刈。
第二は、 17世紀中葉でもけっして廃止されていない古い型の「完全ホロープ」の問題で、債務ホ ロープをこれと区別させることに努めているO 第三は、上の二つの型を含めての「逃亡ホロー プ」(ll)に関するもので、その基本的立場は、農民土地緊縛立法の完成(法典第11章)と相まって、
ホロープ所有権の確立を複雑な個々の場合に応じて明確にし、農奴制身分社会の同定に一つの役 割を果たせることにあったO 逃亡ポロ‑プへの関心の深さは、さきのルースカヤ‑プラーヴダに おけるそれに比べても、劣らないのである。ホロープの「逃亡」とホロープの「所有」とは表裏 一体の関係にあるので、主人に所有されているからこそ、その主人から立ち去ることが「移転」
(BblXOA)ではなくて、 「逃亡」 (no6er)と見なされたのである。その意味では、どちらかとい えばホロープ所有権の問題に重きをおいているように見えるイワン3世1497年法典にせよ、イワ ン4世1550年法典にせよ、ホロープの逃亡とその裁判に備えているもの、といわねばならない(12).
ただし、 1649年法典の逃亡ホロープに関する規定は、 15‑16世紀の法典・法令よりもはるかに多
くの予想し得る場合を設定している。それは、予想しての条文化というよりは、17世紀のホロープ
裁判記録からも知られるように03)、実際の苦い経験から1:̲み出されたもの、というべきであろう。
42 ホロ‑プに関する1649年法典の規定(石戸谷)
本稿は、わが国ロシア史学がその条文に即しての検討をしていない1649年法典の多数ホロープ 条項のうち、とくに逃亡ホロープに関するものに焦点をしぼって、紙数の許す範囲内で、考察を 試みようとするものである。
1逃亡ホロープの隠匿
ホロ‑プ所有を確立して逃亡を防止するためには、逃亡ホロープを隠匿することのないよう に、その隠匿に対する罰則が必要である。これは、すでに古くル「スカヤ‑プラーゲダに兄いだ されるものであるが、法典第20章(以下、たんに法典というときは1649年法典を、また第何条と のみ示すときはその第20章の条項を指さす)は、とくに3か条をこれに当てている。一般に逃亡 ホロープをめぐる裁判は、そのホロープと「旧主」CIOとの問でよりは、 「逃亡先きの主人」05)と旧 主との間で行なわれる場合の方が、はるかに多い。第49条は、逃亡ホロープを隠匿している者
が、法廷において「十字架接吻」 (KpecTHoe nejiOBaHne)'10、すなわち宣誓によってこれを否定 し、後になってその隠匿が暴露される場合について定めている。 「被告」 (OTBeTHHK、多くの場 合逃亡先きの新主人)は、虚偽の宣誓をした罪によって、第11章「農民についての裁判」の該当 条項によって罰せられる。偽りの十字架接吻について、法典第11章は三つの場合をあげている。
すなわち、その第24条では、地主が戸口調査の際に農民の「戸」 (ABOD)を申告せずan、これを秘 匿するとき「きびしく罰する」と示されている。その第29条では、被告が逃亡農民についてはそ の隠匿を認めるが、農民が持ち逃げした「財産」 (>khbot)を宣誓して否定し、後に発覚するとき について、旧主に返すべし、と定めているのみである。第20章第49条が指している条項は、この 何れでもなく、第27条(第11章)と考えられる。というのは、ここでは端的に逃亡農民の隠匿を 否定する場合があげられており、かつ「接吻して否定する」 (oxuejiyeTua)、 「(逃亡者が後に) 現われる」 (06・BHBIイTua)などの用語も、この第27条のみが第20章第49条に一致しているからで
ある。そこでこの第27条(第11章)の罰則であるが、 「多くの人々に知られるように」つまり見 せしめのために、 「三日間市場で(no ToproM)鞭うち」、しかもその後で「1年間獄に投じ」
(nocaAHTb ero b TropMy Ha ro′l)、あまつさえ出獄後も‑切かれを「信用せず」 (ne BepHTb)、
何事によらず何びとに対しても(何びとかを訴えること) 「裁判を与えない」のである(18)。いい かえれば、体罰、投獄の上、市民権を剥奪するのである。逃亡農民や逃亡ホロープを隠匿し、か つこれを偽りの十字架接吻によって否定する者に対するこのような厳しい罰則は、モスクワ国家 が農奴制身分社会の確立に懸命の努力をしたことの、好事例の一つと見ることができよう。
ところで、逃亡ホロープが逃亡先きの最初の主人からさらに逃亡するときは、問題が複雑にな る.隠匿していた者が、 「原告」 (HCTei;)つまりこの場合は「旧主」が告訴するまでに、自分の もとから「逃亡した」 (36e>Kaji)、いまは他の都市にいる、と述べるとき、第50条の規定によれ ば、第二の逃亡先きまでの距離によって一定の期間が、いわゆる「露里の期間」 (nosepcTHO員 CpOK)が被告に与えられ、捜索・逮捕の上そのホロープを「ホロープ庁」 (XojionH員npHKa3)(19) に差し出し、庁から正当なホロープ所有者にひき渡される。しかし、被告が、ホロープのその後 の逃亡先きを知らない、という場合には、被告に期限をつけて捜索させるのである。第51条は、
この期限について三つの段階を設けている。すなわち、最初は2か月、それで見つからないとき はさらに4か月、それでも探し出せないときは、さらに半年の猶予を認める。これらの期間は、
事情によってそれぞれ延ばされる余地をのこしており、条文によれば、逃亡ホロープが「遠隔の
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都市にいる」と被告がいうとき(第51条は、第50条とちがって第二の逃亡先きが不明のときの規 定であるが)、 「そのような長い期間を与える」ことになっている。思うに、被告が逃亡ホロ‑プ をようやく見つけた後、ホロープ庁にさし出すまで、遠隔地であれば所定の期限に間に合わない 場合もあることを考慮してであろう。
上のような場合、最後まで逃亡ホロ‑プが探し出されないときは、逃亡ホロ‑プの隠匿者は、
そのホロープの代りに「50ル‑ブリ」をホロープ庁を経て、原告‑旧主に支払わねばならない。
第51条に示されているこの金額は、 15‑16世紀の身売り状にあげられている平均価格よりは勿 論、その最高額(15ル‑ブリ)に比べても(20)、 17世紀のスルジーラヤ‑カバラア二21)、法典第20章 第19条で統一された額に比べても(22)、はるかに高額である。同章第115条に指示されている逃亡 ホロ‑プ同志の結婚の場合について一方の主人が自分のホロープを手放すときに代価として受け とる10ル‑ブリよりも高く、ただ国境守備隊員と結婚した逃亡ラーバ(女性ホロープ)について 旧主が受けとる50ルーブリ(同章第27条)がこれに比肩し得るのみである。第51条の「50ルーブ リ」は、それ故、逃亡ホロープ隠匿に対する懲罰の意味ももっている額と見られる。
2 逃亡ホロープの逮捕および旧主への引き渡し
法典第20章第4条は、その後半で、逃亡ホロープを「引き渡す」 (OTAaTH)ことについての原 則的なことを定めている。旧主と主張する者についても、 「裁判と取調べによって」その者のホ
ロープであることが明らかにされたとき、 「ホロープストウォに引き渡す」べLと指示してい る。その法的根拠としては「身売り状その他の証文(KpenOCTb)」があげられており、また本人 のみならず、妻子も引き渡される。ただし、子については同一証文にその名が明記されている か、もしくはその旧主のもとでホロープの子として出生した子に限られているO第4条の後半 は、逃亡ホロープについての規定という形をとりながら、同時にホロープ所有権の根拠にもふれ ているもので、その考え方や子についての用語などにおいて、 1550年法典第76条、その前の1497 年法典第66条にその明らかな起源を求めることができる(23)。
順序を逆にして考察したが、第4条の前半は、逃亡ポロ‑プの特殊な行動をあげて、旧主が逃 亡先きの主人を告訴し得ること、および上述のように条件が整っていれば旧主に引き渡されるこ と、の前提としているO特殊な行動というのは、かれら逃亡ホロープが旧主のもとにいる「他のホ ロープと農民を煽動して」′ 1 (hhwx Ji;O,neft h KpecTbflH n0月roaapHBaiOT)、旧主のやしきを略奪 したり、これに放火する場合をあげているからである。思うに、法典編纂以前の何らかの事件、と
くに1648年のモスクワ暴動(一般に1649年法典編纂を促した契機の一つと見なされている)にこ の種の事態が起ったことが、このような条文の制定となってあらわれたのであろう(25)。旧主は、
逃亡先きの主人を「破壊」 (posopeHbe)の罪で告訴するのであるが、ホロープ自身の責任が問わ れていないことに注目すべきであろう。ところで、その逃亡先きの主人として第4条前半では、
ポヤ‑LJ オコ‑ルニヰェ ドクー‑ムヌイ・リユ‑ジ‑ スト‑ル=3
克明に次の諸階層を列挙している。すなわち、貴族、 (26〕側近の官、(ヱ7)貴族全議員、 Q6)陪食の宮(ヱ<;i)、
ストリヤ71チエ ドクオリヤ‑ネ ジ‑リノイ ジ5‑‑ティ・がヤーノL/スキー ドゥオロクィ.リコージ‑ イノゼ‑‑
侍従30)、 ,tスクワ士族、書記、中級士族(31)、都市貴族、下級士族(32)、やしきの用人(33)、外国
ム ノ^ ポシ1‑チエ チ‑ノ スJL,ジ‑ルイ.リ ー‑フPI
人(34)、書記補、および「あらゆる位階の勤 務 人」がこれである。条文では、これらの人々
は、逃亡ホロープが「(その)もとに住み」 (XHBVT3a‑‑‑)といういい方をしているO その意味
は、これらの人々のもとに身を寄せている、ということであり、ホロープ労役を必要とした諸階
層が上のような形で列挙されているのである。ただし、これでホロープ主の階層がつくされてい
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ホロープに関する1649年法典の規定
る、と考うべきでない。 1597年2月のホロープ法令には、ホロープ主として「大商人」 (rOCTb)、
d! ‑ブ
「商業人」 (TOprOBbie juoaa)もあげられており、 17世紀初頭のカバラア登録帳簿によれば司祭、
ジヤナヨータ
寺 男などでホロープ主になっているケースが少なからず確認されている 1649年法典第20葺 は、下級聖職者がホロープ主となることを禁じているが(第104条)、現実を逆に暴露していると 解すべきであろう。ヤコブレフは、 17世紀中葉のホロープについて、逃亡ホロープの「届出」
(汀BKa)を謁査して、届け出たホロープ主のなかにかなりの数の上層の特権的ホロープを検出し ている(36)。
さて、旧主が自分の逃亡ホロープを誰か他人のもとに兄いだして、これを捕えようとするとき
ブI)‑スタフ
の手続について第20葺は特別な条項をもっていない。しかし、第88条が「執行官なしで捕えると き」といっているところからすると、一般には旧主が直接に捕えるのでなく、官憲に申出て執行 官に逮捕してもらうのが晋通であったように思われる(37)。勿論、逃亡ホロープはそのまま旧主に 引き渡されるのではなく、裁判で結着がつけられるまで執行官のもとに拘留されるのである(節 94条)。その拘毘料と食費は、敗訴者が支払うことになっている。旧主が自分のホロープの逃亡 先善について探知する手段がないとき、かれは一般に告示して逮捕を依頼することができた。た だし、この逮捕依頼を規定している等89条は、その民間一般人に対して旧主が「約束」 (yroBop) 通りの「逮捕謝金」 (nepeeM)を支払うべきことを、とくに強調している。同条で注目されるの は、この「逮捕謝金」の支払いが、その術語≪nepeeiw≫とともに、その起源をかのルースカヤ
‑プラーヴダにまでさかのぼって求められることである(拡大編纂第113条)。このことは、 1649 年法典が、編纂の資料としてルースカヤ‑プラーヴダを用いたとか、あるいはキエフ時代の法を 復活させたというようように解さるべきでなかろう(38)。むしろ、ルースカヤ‑プラーゲダ以後の
ロシアの立法には明白に示されていないが、数値紀にわたって維持されていた慣行であった、と 見るべきであろう。
ホロープ労働が必要とされていた当時において、第三者が他人の逃亡ホロープを逮捕して、し かも旧主に渡さないで自分のもとで使う場合もあった。第90条は、旧主が告訴して、第三者が「労 働のため留めおいた」 (aep〉KaTfa RJIH p3DOTbl)事実が、裁判で明らかにされるとき、 「労働さ せた代償として」 (3apa6oTy)ホロープ1人について2ジェ‑‑ガ、 1週ごとに2アルトゥイン の割で、その第三者が旧主に支払う(条文の用語では、官憲が「攻立てて、その金を原告に渡 す」)、と定めている。さきの逃亡ホロープの隠匿についての規定では、 「いない」 (H2T,第49 条)、 「いた」 (6uji,第50条)というような表現がされているのに対し、この第90条では、 「労働
ジエルi:ヤ‑チ
のため」のみならず、 「留めおく」といっている。 ≪>Kap>KaTH≫ということばは、本人の意志を
無視していることを示す。それは、逃亡ホロープの単なる隠匿とは区別されたからである。現
実には、隠匿者は他人の逃亡ホロープを無為徒食させる筈はないが、その点はとくに追及されて
いない。第51条にいう隠匿者の旧主への50ルーブリの支払いも(既述)、期限後において隠匿者
がその逃亡ポロ‑プを醸し出して旧主に引き渡すときほ、その50ルーブリが隠匿者に返されるの
であるO 第49‑51条では、要するに、逃亡ホロ‑プをかくまった場合について、その期間も労働
に使ったかどうかも、全く問題にされていないのである。逃亡ホロ‑プが自由人と詐称し、第三
者がこれを自分のホロープとして、やがて旧主との問に裁判があって、その第三者(われわれの
いう逃亡先きの主人)が敗訴になっても、後述する「持ち逃げ」や裁判費用を別とすれば、ここ
でも労働させたこと、あるいはその期間は、第20章でも、また実際の裁判でも、問題にされてい
ない。これは、ホロープに対する所有権という立場からその逃亡を規定している第20章の特徴と
逃亡ホロープに関する1649年法典の規定(石戸谷) 45
もいえるであろう。これに対して第11章「農民についての裁判」では、他人の逃亡農民を「よく 調べもせずに」 (He npcmeAaB noAJIHHHO)自分の農民にする地主は、その逃亡農民を「原告」
にひき渡すだけでなく、 1年10ルーブリというかなり高額の賠償を「原告」に支払わねばならな い(第27灸)。ホロープと農民に対するこのような取扱いのちがいの理由の一つとしては、国家 に対する租税負担の有無があげられるであろう。以上のように見てくると、第20葺第90条は、同 章のなかで特別な地位を占めるもので、容易に拡大解釈さるべきではあるまい。
修道院あるいは聖職は、ホロープを非自由から解放するか。これに、否と答えているのが第67 条と第68条とである0第67条は、逃亡ホロープが「出家」 (nocrpHryTua)しているとき、ある
d< ‑‑・・ブ ジヤコ′‑ン
いは、司祭・補集の地位に就いている場合について,かれらを「総主教」 (naTpHapx)、都市に よっては「当局」 (BTlaCTb)に送り、そこで「望なる使徒および聖なる父の錠によって」 (no npaBHJIOM CB月tmx ano二toji h cBHTbix oreu)指示が下される、と示している。この「捉」は全 く同じ用語でホロープ夫婦不分離に言及している第62条にもあげられている。その内容を推測す る手がかりをわれわれはまだ見出していないが、総主教らが逃亡ホロープをその地位にとどめる ような指示を下すことを予期して、そこへ送ったとは考えられないo というのは、つづく第68灸 は、逃亡ホロ‑プが「僧衣」 (neone'ieaCoe miユTbe)、 「僧帽」 (cKycj)bjOを着用しているとき、
これを脱がせて旧主に「ホロープストウォに引き渡す」と指示しているからであるO前条の第67 条は「持ち逃げ」を旧主に返すとのみいって、第68条ほどに明白ないい方をしていないが、ソビ エト史学もわれわれと同じ見解をとっている(39)。
3 逃亡ホロープおよび持ち逃げについての裁判
逮捕された逃亡ホロ‑プは、裁判の結着がつくまでは、逃亡容疑者にすぎない。多くの場合、
裁判は旧主と逃亡先きの主人(正確には主人と称する2人の者)との問で争われるが、ときには 逃亡ホロープが自ら旧主よりの自由を主張して裁判になるともあこる。何れにしても、その裁判 は煩雑きわまる子続と関係者(当局、原告、被告)の大変な労力のもとに行なわれたのである。
よく知られているように、ルースカヤ‑プラ←ヴダはホロ‑プに証言権を与えていない(40)。し かし、 「ノヴゴロド裁判法」 (15世紀)では、ホロープに関する事件ではホロープが「証人」
(nocjiyx)たり得る、としている(41)。 1649年法典第20章は、この問題について、被告(逃亡先き の主人)の裁量にまかせる立場をとっている。つまり、被告は証人としてのホローブを拒否する こともできたのであって、第54条はポロ←プを「信用しない」という被告には自ら答弁すること を認め、また被告がホロープの証言に同意するときは、裁判の結果がどのようになっても、その 証言を信用する、と定めている。証言の信悪性は必ずしもホロープのそれについてのみとは限ら ないが、実際の裁判では、ホロ‑プ証言の虚偽が暴露された事例も伝えられている。 1622年のあ る裁判で、逃亡したラ‑バ(女性ホロープ)は、はじめ旧主に対してスルジ‑ラヤ‑カバラアを 与えたことがないと証言し、登録帳簿によって問いつめられるや、 「(被告側の)指図によって一 日分のカバラアを否定した」 (no HayneHMO ‑KoSajiy Ha ceo只JT油HBHJia)と告白しているC42)。
この種の事例を豊富に示すことはできないが、 17世紀ロシアのホロープ裁判でも証言よりは証拠
物件に重きがおかれたのであって、第79条は、裁判が「法廷に提出された物によって」(no tomv,
hto b cyae nonoxei子0)行なわれる、と明示している。同条は勿論、証言と証拠物件の重さを也
較しているのではなくて、裁判がおわってから提出される証拠物件を受理しないことをいおうと
46 逃l=ホロ‑プに関する1649年法典の規定(石戸谷)
しているのである。その際、具体的に同条があげているのは、さきの第4粂後半と同様に、 「ホ ロープに対する証文」である。証文のほか、 「住民調査」 (後述)あるいは逃亡ホロ‑プの父母 との「対審」 (3aOHH3H CTaBKa,第24条)も用いられているが、一般には証文、とくにスルジ‑ラ ヤ‑カバラアで争われている(43)この場合、つねに問題になるのが、逃亡先きの主人がそのホロ ープからとっているカバラアである。
何びとかのホロ‑プになるためには、 「自由人」 (BOJIHbie JIK)AH)でなければならない。第7 条は自由人と称してホロープたらんと願い出る者について、主人側がその者について「いかなる 自由人であるか」 (Ka王<He OHH BCMHbie MOAH)などを尋問し確認した上でスルジ‑ラヤ‑カバラ アを取るべきことを、詳細かつ具体的に規定している.逃l=ホロープは、 「自由人と名乗った」
(cIくa3aJic只BOJIHOH HC/IOBeK)のが普通であり(第95条)、ホロ‑プ労働力を必要とした主人側は カバラアを取っておかなければ法的にかれらを拘束できないので(第18粂)、第7条の規定にか かわらず、実際には逃亡ホロープと逃亡先きの主人との間に非合法なカバラアが結ばれることが 多かった。それらのかヾラアはその「不法」 (BOpOBCTBO)が裁判で明らかにされるときは、 「新 しいカバラアを拒否する」 (no hobjim Ka6ajiau orf<a3biBaxH,第24粂)、 「かれらが新たにカバ ラアを与えるその人々(逃l=先きの主人を指さす、引用者)を拒否する」 (teM JIJOA6M, KOMV OHH Kaoajiuノja/lVT BHOB, OT王くa3bIBaTi王,第85条)、 「そのカバラアはカバラアでない」 (xa KaSajia He b Kaoajiy,第114条)など、その表現は一様でないが、法的効力を失なうのであるO
証文として提出されたカバラアは、あるいは提出者の要請により、あるいは裁判官の判断によ って、カバラア登録帳簿との照合が行なわれた0第20童第25条は係争のホロープの人相・特徴を 帳簿と照合して違反者に鞭打ちを加える、としているが、裁判記録にも次のような事例が兄いだ
さ蝣IIるL,
(あ) 「[原告]チモフェイは陳述せり:そのカバラアは128年(7128年、西暦1620年、引用者) に、シャ‑ツクにおいて取られた(HMaHa)、 ・‑そのカバラアほ帳簿に登録された、 ‑・帳簿は このモスクワに、ホロープ庁にあるO シャ‑ツクの帳簿は兄いただされたり(cblCIくaHbi)、
シャーツクの帳簿に‑そのかヾラア兄いだされたり、その帳簿によってオフィムカを(逃亡 ラーバ、引用者)調べたり(OCMaTDHBaJIH)、調査の結果、すべての特徴において一致せり
(bo Bcex npHMeiex couuiact>)。」 (1623年の判決文から¥(44)
(い) 「[原告]イワンは、 ・=いかなる証文も提出せず(KpenocTH HHKaKHe He iiojio〉KHJl)、
‑・[被告]ワシ‑リーは、蝣134年(7134年、西暦1626年、引用者)のスルジ‑ラヤ‑カバラ アを提出せり、しかるにそのカバラアは、モスクワのホロープ裁判庁において取られたるも のなり、 ‑帳簿よりそのチェロベ‑ク(ホロープをいう、引用者)の人相および特徴が抜き 書きされ(b po)Ke員h b npHMeTbi BbinHcano)、調べられたり。調査の結果、そのチェロベ
‑クは、人相および特徴においてカバラア帳簿と一致せり。よって、 ・‑ワシ‑リーに引き渡 すことを判決せり(npnroBopHJiH‑OT^aTb BaCHJIHK)‑.)O」 (1630年の判決文からyォ) 上のうち(い)では、原告が証文を提出しなかったことが敗訴の一因になっているが、証文なし でも裁判に勝つこともできるのである。第85条は、逃亡ホロープをその父母の主人に引き渡すこ
とを指示しており、後述する「住民調査」は証文によらない裁判の代表的なものである。
逃亡先きで取られたカバラアの無効なことについては、第113条と第114条とが最もよくその趣
旨を条文化している。国家に対する租税負担者であった農民について、かれらが逃亡して自由人
と詐称してもこれをホロープに採ってはならないという規定は、さきの第7条に明示されている
逃亡 ホロープに関する1649年法典の規定 47
が、第115条は、地主が自分の農民をホロープ化してはならないことにふれている。しかし、同 条の主たる目的は、このようなホロ‑プが主人から逃亡して「誰か他人に、自分に対するカバラ アを与える」ときについて、その逃亡先きの主人が旧主の「罪証を示して」 (yjiHHaTH)そのホロ
‑プを「横取り」 (OTT月niBa'ra)しても、これを許すべきでなく、そのカバラアを無効とするこ とを強甜するにあったO これに対して、第114条は、ホロ‑プが旧主以外に、さらに2人の主人 にカバラアを与えている場合をあげて、逃亡中のカバラアの無効をもっと明白にしているo二つ のカバラアとは、一つは旧主在世中に逃亡してそこで与えたカバラア、もう一つはそこからまた 旧主のもとに帰って旧主の死まで奉公した後に全く別の第三者に与えたカバラアである。証文が 二つ提出されるときは、 「より古いもの」 (crapee)を正当とする原則があるが(第52条)、いま の場合は、前者が無効であるのは当然で、同条はその理由を「逃亡して不法(46)によって与えたが 故」 (noxoMy, mto‑Aa.T 6erasoqH bopobctbom)と明示しているO
ポワ ヌイ.オブイスク
ホロープ裁判にも通用された「住民調査」の原語≪onajiHbifl o6bicfC≫は、文字通りには「 1 人残らずの調査(または尋問)」の意味であって、法廷での証言、証文のみで事件が解決されない
とき、そのホロープがかって奉公し、あるいは現に奉公している主人のやしきの周辺一昔の住民 のすべてに、尋問を行ない、その結果を総合して判鉄に資するもので、労力と時間を最も要した ものである。住民調査は、一般の裁判についても行なわれ、法典第10章「裁判について」はこれ についての詳しい規定をもっている(47」。われわれが別の機会に考察した17世紀中葉のホロープ裁 判は、とくにこの第10章の諸条項に即応して(手続・形式・方法において)行なわれている(48㌔
さし当って第20章の条項のみを取りあげることにする。
住民調査は、上述のように、一定地域内の住民全部を対象とするが、ときにはその住民の数が 予想を下廻って少ないこともある。第95条は、そのような場合でも、原告と被告、および「調査 官」 (06b王u以K)が、その範囲内では「調査対象の住民」 (06bICHbie JIMAH)はこれ以上いない、
というときは、その調査を住民調査として法的に認めることを定めている。第108条は、ホロ‑
プ裁判において住民調査が必要とされる具体的なケースについて指示している。すなわち、原告
・被告の一方が、そのホロ‑プを自分の「スタリンノイ」 (e′rapHHHOi互)と主張し、他方が、自分 はそのホロープからカバラアを取っているといってこれを提出している場合についてである。法 典第20章は、 「スタリンノイ‑ホロープ」を一般には完全ホロ‑プの意味で使っているが、かれ らに対する(正確には、かれらの父祖に対する)証文を主人側がつねに保有しているとは限らな い。それでもなお、主人側の権利を認めるのは「スタリナ‑」 (cTapHHa,文字通りには「古さ」
の意)によってである(43)。このあたりにホロープ裁判が複雑化している因由の一つが求められそ うであり、何か割り切れないものをのこす(50)。ところで、第108条によれば、より多数の住民が そのホロープについて、 「長年にわたって」スタリンノイであったことを知っている、と証言す るときは、カバラアよりも謝査結果(証言の数的統計)が優先される。また、スク1)ンノイかどう かを知らないと証言する住民がより多数を占めるときほ、カバラアの成立年代と、実際にホロー プになりはじめた年代とを比較して、より古い方を有効とするのである。住民調査は、住民のひと
りひとりに尋問して証言をとるために、かなりの時間を必要とするのほ当然であるが、第109条
は、調査される地域が遠隔のとき(シベリア、アストラ‑ンなど)、原告または被告が裁判の「延
滞」 (BOJIOKHTa)を理由に住民調査の実施に異議を唱えるときほ、その実施拒否権を認めてい
る。この場合には,遠隔地に領地、居住地をもつ者が不利になるが、一般的にいって、ホロープ
48 逃亡ホロ‑プに関する1649年法典の規定(石戸谷)
裁判では遠隔地に勤務している主人には特別の配慮がなされている。例えば、第112条では、遠 隔地勤務者が到着するまでホロ‑プ裁判を開始しないこと、捕えられたホロ‑プを裁判開始まで 拘置し扶養する執行官‑の支払いは敗訴者の負担とすることなどが、定められているO
法典の条文についても、裁判記録から見ても、ホロ‑プの「逃亡」と密接不離の関係にあるの
スノ‑ス
が「持ち逃げ」 (choc)である。 「指ち逃げ」の基礎になっているのは、ホロープが使用または 着用している一切の動産は、その主人に所有権ありとする考え方である。 (ホロ‑プは不動産を 所有できないO)例えば主人の死によって自由に解放されたホロープが「財産なしで」 (6e3 〉KH‑
botob)主人のやしきから出されたにしても、これを旧主の妻子(遺族)に請求する権利は認め られていない(第65条)。他方、ホロープの旧主からの立ち去りが、 「逃亡」ではなくて合法的な
「移転」 (bmxcw)と判断されるときは、旧主はそのホロープ(正確にいえば、ホロープでなく て自由人)を失なうのみならず、 「持ち逃げ」について弁償を訴えても、裁判に取り上げられな いのである(第17条、第58条)卸。つまり、ホロープとして逃亡することは、同時に持ち逃げの 罪を犯すことであり、第20章で「逃亡リュ‑ジ‑と持ち逃げについて」 (第55条)、 「ホロープと 持ち逃げについて」 (第96条)というように、並記していることに注目すべきであろう。第57灸
は逃亡ホロープについて告訴するときは、持ち逃げについても同時に告訴すべきことを指示し、
ホロープに対する所有権について勝訴した後に改めて持ち逃げについて告訴しても、その訴えを 受理しない、と明記している。持ち逃げされる動産について、第88条は「道具」 (pyx‑7iH且b)、
「財産」 Ohbotm)などの語を用い、第95条では、 「財産」のうちとくに「衣類」 (jMaTb只)を あげている。第88条では、ホロープおよびその妻子が、逃亡先きで使っていた道具について、そ れが旧主のものでなく、逃亡先きの主人のものであることが明らかにされるとき、 「道具なしで
」かれらの身柄を旧主に引き渡すことが指示されている。第95条は、捕えられた逃亡ホロープ が、着ている衣類は旧主のものであるが、 「他の財産は何も持ち逃げしなかった(He c王子aiUHB3Jl」
と述べ、逃亡先きの主人もまた「その衣類のほかには何も持って来なかった(けe npHHaumBaji)」
と述べるときは、 「現物の衣類」 (nojiHHuoe njiaTbe)を原告‑旧主に引き渡す、と定めてい る。しかし、現実にはこの衣類以外の動産こそ持ち逃げについての裁判の中心なのであって、第
;ォk
95条もその末尾で「上記以外の他の訴訟についてはかれらに裁判を与え、 ・・・」と示しているO持 ち逃げされた動産は、告訴状に列挙されるが、また逃亡の「届出」にも列記される。ともに、そ れが年月を経て現物のまま残っていないことを考慮して、金に換算されているのが普通である。
その事例は枚挙にいとまかないはど豊富にあるが、その若干をあげておこう。
オジエレ‑リヤ チヤ
(あ) 「わたくしの財産の持ち逃げをした(B3
‑1ルカ オドーリヤ1‑トカCHOcy) :糸を通した真珠の首飾り、銀の酒 杯5個、現金30ルーブリ、襟なしカフタン2着、ラシャのカフタン2着、大きなシュ‑バ、
シュタ‑ヌJ( ジ‑71ン t='ンで‑・j ヤrロ‑
染色したカフタン、ラシャの帽子2個、暗青色のズボン、農夫用上張り、火縄銃2丁、鞍・‑。
また、かれは、わたくしのT)エージ‑ (ホロ‑プのこと、引用者)に対するカバラアを奪っ た:[以下にそのホロ‑プの名を列記、計18名、逃亡者自身およびかれの父に対するやバラ アを含む]。わたくしの逃亡チェロベ‑ク、センカは、わたくLから現金、各種の道真(火 維銃などを指さす、引用者)、酒杯、衣類、カバラアのはかに、全部で62ル‑ブリ相当のも のを奪った(B3汀n na uie3ユccht Ha py6. c noJiTHHOio)。」 (1620年の届出MM)
(い) 「イワシカとその妻子はわたくしの財産を盗んで(no*ipaTHH)逃げた、わたくしの財
i;ヨンカ
産35ル‑ブリ相当のものを奪った。また、碑オリンカは自分の子らとともに、盗んで[逃
逃亡ホロープに関する (石戸谷) 49
d‑tム‑‑ト ロ‑ー・ンヤジ メ‑‑リン コフ
げた]。わたくしの[次の]財産を奪った‑趨および頚圏づきの属4頭、去勢属3頭、雌
イ′レ
馬1頭、馬は鰻と項圏と合わせて25ルーブリ・,かれらの着衣その他の各種の道具、 20ル‑ブ リと1ポルチ‑ナ相当のものOその逃亡した稗とその子らは、わたくLからわたくしの財 産、全部で45ル‑ブリと1ポルチ‑ナ相当のものを奪った。」 (1628年の告訴状,ォ2)
(う) 「わたくしの稗アリーシカは、かれらに煽されて(nohxno即OBOpy)わたくしの財産 を持ち逃げした(cHecJia >khbotob mohx) :現金10ルーブリ、婦人用真珠の首飾り、首飾り ツ工ナ̀‑・
の価格は12ルーブリと1ポルチ‑ナ、婦人帽、婦人帽の価格は3ルーブリ、ナ‑ヴィン10 個、ナーヴィンの価格は5ルーブ))、婦人用手袋5、手袋の価格は3ルーブ))と1ボルチ‑
ナ、 ‑ンカチ4枚、タオル2枚、 ‑ンカチとタオルの価格は2ル‑ブリと1ポルチ‑ナO わ たくしの牌アリ‑カは、かれらに唆されて,わたくしの財産36ルーブリと1ポルチ‑ナ相当 のものを持ち逃げしたO」 (1634年の告訴状)CサD
これらの事例について詳しく論及するいとまはないが、 (あ)ではカバラアを持ち逃げしている ほか火縄銃まで盗んでおり、 (い)では逃亡ホロ‑プの着衣まであげているO (あ)ど(う)では貴重 品が主要なもので、やしきに奉公していたホロープなるを思わせるが、 (い)では、少なくともオ
リンカ母子は貴重品でなくて家畜を主にしていることからすると、農耕に使われていたホロープ のように思われる。何れの場合にしても、個々に換算されている金額の合計が最後に示されてい
る額と一致しているO この合計額の最高は、ヤコブレフによれば、 17人のホロープがアフブルテ ィン・ダルマ‑ツキー侯から集団逃亡したときの1700ルーブリである〔54)。
4 逃亡ホロープの結婚・国外脱走・体罰
ここに逃亡ホロープの結婚というのは,ホロ‑プの逃亡先きでの結婚のことである。ホロープ またはラーバ(女性ホロープ)が、自分の妻または夫を捨てて逃亡し、別人と再婚するときにつ いて、第26条は「上記のホロープ条項によって」と示すのみであるo これは、具体的には第24条 を拾していると考えられるoつまり、父母を捨てて逃亡するホロープと同様に、旧主に連れ炭さ れ、逃亡先きの主人に与えたスルジーラヤ‑カバラアは無効とされるのである。この場合、かれ
らは再婚しているので2人の妻または夫があるわけであるが、その処置を具体的に指示している のが、第84条と第85条とである。第二の妻(または夫、以下略す)は、逃亡先きの主人のもとに のこされ、夫は旧主のもとで最初の妻とともに生活しなければならない。ただし、そのホロープ が捕えられたとき、最初の妻がすでに死亡していれば、第二の妻はかれとともにかれの旧主に引 き渡される。これは、他人のホロ‑プを∴たとえかれが自由人と名乗っても、自分のホロープに 採ってはならないという原則(第7条その他、既述)、およびホロ‑プにも通用された夫婦不分
離の原則(第62条)に照らして考えれば、当然のことであるが、逃亡先きの主人にしてみれば、
それだけ損失が大きくなる。ホロープが逃亡して自由人の女と結婚し、その上で誰かのホロープ になっている場合でも、第87条によれば、夫婦ともに旧主に引き渡される。同条は、かれらの問 に子が設けられている場合について、その子も父母とともに旧主に連れ戻される、と規定してい る。要するに、逃亡ホロープに対する旧主の所有権は、かれらの結婚(または再婚)によっても ゆるがせられなかったのである。
逃亡ホロープまたはラ‑バが、逃亡して結婚していても、というよりは,逃亡して結婚してい
るために旧主への引き渡しを免れ得る二つの特殊なケ‑スがあるo その一つは、娘または寡婦な
50 逃亡ホロープに関する1649年法典の規定(石戸谷)
るラーバが辺境警備の勤務人に嫁いでいるときで、かの女の夫、つまりその守備隊員が妻の旧主 に50ル‑ブリの「結婚税」 (BbfBO4)を支払えば、かの女は旧主に連れ戻されない(第27)。これ は、国境警備が重視されたこと、また結婚税がきわめて高額にされていることを考え合わせれ ば、納得される規定である。もう一つは、別々の主人から逃亡したホロープとラ‑バが結婚する 場合で、夫婦不分離の原則からすれば、 2人の旧主のうち何れかが自分の権利を放乗せざるを得 ないわけである。第115条は、このような場合について、 2人の旧主に「くじ」 (wepeSeft)を引 かせ、くじに負けた者が権利を放棄し、代りに勝った者から10ル‑プリを受ける、と定めてい
る1649年法典は「くじ」を「地片」の意味で使っていることもあるが(第17章第2・5・13・
14・15条)、ここでは「神の意志」を問うための「くじ」であって、他の章にも同様な条項が兄 いだされる(05)。 「くじ」によって逃亡ホロープ夫婦の所属をきめた事例をわれわれは示すことが できない。しかし、 1635年のある判決文は、 2人の旧主がお互に最後まで譲与しなかったため
に、 1625年の総主教の夫婦不分離の指示を引用して、カバラアのより古いものをもつ主人に夫婦 を渡しているoただし、自分のホロ‑プを失なった旧主は、一般のホロープ裁判とちがって非合 法の故に敗訴したのでないから、代りに15ル‑ブリを得ている(56)。思うに、このような経験が、
1649年法典では上述のような「くじ」による方法を条文化させるにいたったものであろうo ホロープ逃亡の特殊なケースとして(少ないケ‑スという意味ではない)国外への逃亡があ るO国外への逃亡でなくて、捕虜として国外に遜れ去られたホロープは、脱出・帰国すれば、も はや旧主に隷属せず、自由を得る、という規定は、 1497年法典1550年法典を経てこの1649年法 典第20章第34条に受けつがれている(57‑0 しかしーホロープ自らが国外に逃亡したときは、その後 に帰国しても、この恩典が与えられる筈もなく、第55条は、このようなホロープは旧主に引き渡 されるとし、その理由を「捕虜にされたのでないからである」と明記している(58)。国外逃亡のホ ロープ、または逃亡して国境付近で捕えられ国外逃亡を企てたと見なされるホロープについて は、旧主に引き渡される前に、スパイ容疑で厳しく取り調べられている事例が伝えられている (59)ホロープが逃亡して別の主人にホロ‑プとなり、その上で捕虜になり、外国から脱出・帰国 するという複雑な場合について、第56条は、捕虜になったことよりも、はじめに旧主から逃亡し たことに重きをおいて、何ら恩典を与えず、旧主に引き渡す、と指示している。
最後に、逃亡ホロープに対する体罰についても、第20章は規定をもっている。第22条によれ ば、逃亡ホロ‑プに加える体罰の方法は「ホロ‑プ庁の前で山羊皮の鞭で仮借なく打つ」 (6hth KHyTOM Ha K03可e Hema脚0)、その目的は「それを見て他の者がそのような不法を二度としない ため(HT06bI Ha TO CMOTp只HHbIM ITe llO3aAHO OblJIO Ta王くBOpOBaTb)である。誰が体罰を加 えるのか1649年法典は、それぞれの当局に指示する形で条文がつくられているので、この場合 もホロープ庁の役人に「打つべし」と指示していると見るべきであろう。時代はもっと後になる が、 1686年のある裁判記録は、逃亡ホロ‑プに対して判決に従って「罰が加えられ」 Cyme王iO HaKa3aHne)、 「山羊皮の鞭で打たれ、‑左の耳を切り落された」と記している(GO)D耳を切り落した という部分は、 1649年法典に出ていないが、山羊皮の鞭での欧打が判決に従って行なわれたこと が注目されるO では、旧主は自分の逃亡ホロープに対していわば私的制裁を加え得なかったかO
この点について、第92条は、旧主が自分に「引き渡された」逃亡ホロープを、 「欧打して死に致
らしめないように、不具にしないように、餓死させないように」 C^TOO一 月O CMepTH He y6nn打
He H3yBeiHJi, h roaoAOM He yMOpHJl)、旧主に厳命する、と定めている。これは、主人による
残酷な体罰に制約を加えようとしているもので、その限りではホロープ立法史上新しい条項であ
ホロープに関する1649年法典の規定(石戸谷) 51
るが、逆にいえば、このような現実があったことを推測させるのであるOバスカコ‑ワもこの第 92条について、主人が命令に違反したときの罰則がないことに注目している(611。
む す び
以上、 1649年会議法典の第20章「ホロープについての裁判」全119か条のうち、焦点を逃亡ホ ロープまたはホロープの逃亡にしぼって考察を試みたのであるが、紙数の制約もあって要約的に 述べてきた。あえて要旨をまとめれば次のようになるであろう。
(1)逃亡ホロープの隠匿者が法廷で偽りの十字架接吻(宣誓)をするときは、市民権剥奪など の厳しい罰が科せられる。ホロープには逃亡を常習とする者もあり、逃亡ホロープの隠匿者がか れらに逃げられて旧主に引き渡しできないときは、その追捕の責任と義務は隠匿者に負わせられ る(2)逃亡ホロ‑プの所在を旧主自らが扱知し得ないときは、民間一般人に「逮捕謝金」を約 して捜索・逮捕することもあった。これは、ル‑スカヤ‑プラーゲダ以来の慣行が条文化された ものである。 (3)逃亡ホロ‑プは、最後まで追求され、逃亡先きの主人が自分もスルジーラヤ‑
カバラアを取っていると主張して譲らないときは、裁判を経て旧主に引き渡される。 (4)裁判は 法廷に提出される「証文」を根拠に争われるが、例えば「住民調査」のように、証文によらない で決定されることもあるc (5)ホロ‑プに財産所有権がないため、逃亡することは少なくともそ の着衣を盗むことであり、加えて貴重品その他の主人の財産を持って逃げるのが普通であったた め、 「持ち逃げ」についての裁判は、逃亡ホロ‑プについての裁判と密接に結びついていた(6) 逃亡ホロープは、聖職についていても旧主のもとに連れもどされるO ただし、逃亡ラーバ(女性 ホロープ)が辺境の守備隊員と結婚しているときは、夫が旧主に「結婚税」を支払えば、旧主か ら自由になる。 (7)逃亡ホロープの逃亡中または逃亡先きでの結婚にはいろいろな場合があるが、
旧主の権利の擁護と夫婦不分離の原則との組合せの上に処置が拍示されている(8)逃亡ホロー プには国家権力による公的な体罰のほか、主人による私的制約が加えられた。後者について法は 行き過ぎないように注意するにとどまっている。
本稿「まえがき」でもふれたように、逃亡ホロープの問題は、同時にまたホロープ所有権の問 題でもある。 1649年法典がその第20章において逃亡ホロープについて多くの条項をあてて規定し ているのは、所有権の問題を逃亡という角度から解決しようとしているからである。事実、多く の凌雑な問題が、逃亡ホロープをどうするかという具体的現実に直面して提起されたのである。
この点は、農民の場合と比べてどうなのか1649年法典は、一般に強調されているように、その 第11章で逃亡農民に対する地主の追求権を無期限にした、という意味で、 15世紀以来次第に強化 されつつあった農民土地緊縛を完成したものである。その第11章が全34か条という比較的少ない 条文でまとめられているのに対し、第20章ははるかに多くの条項をもたねばならなかったのは、
何故であろうか。恩うに、農民については、その帰属と逃亡農民の引き渡しは、土地台帳または 人口調査簿を基準にして決定された。これに対して、ホロープについては登録帳簿がある.しか し、 1597年2月法令による「古い証文」の帳籍は、その後更新・整備されておらず、スタリンノ イ‑ホロープ(完全ホロープ)を証文と帳簿によって処理することは困難になってきていた。加
うるに、債務ホロープは、そのスルジ‑ラヤ‑カバラアが帳簿に登録されているとはいえ、主人
が死亡すれば自由人として新たな主人のホロープとなり得たし、また逃亡して自由人と詐称して
別の主人にカバラアを出せば、それがまた帳簿にも登録されるし、その流動性は、かれらが土地
52 逃亡ホロープに関する1649年法典の規定
とのつながりを農民ほどには強くもっていなかったという事情もあって、かなり大きかったと見 られねばならない。この流動性をある程度は許容して(62)、しかも主人側の所有権を擁護しなが ら、農奴制社会の‑翼としてのホロープないしホロ‑プ制を維持するためには、 119か条という ぽう大な量の条項も必要やむを得なかったのである。
このようにいっても、われわれは農民の逃亡者が少なかったといっているのではない。逃亡ホ ロープの実態については、ロシア・ソビエト史学でもヤコブレフを除いてはとくに注目に価する 成果も見られない.むしろ、逃亡農民のそれが中心に研究されてきており、ときにあわせ論せら れている程度である(63)。本稿も、ホロープ逃亡の実態あるいは逃亡後のホロープの実態にまで考 察をひろめる余裕がなかったが、これについては他日を期したいと恩っている。
まえが書の註
(1) npaBAa PyccKa只, Ho皿pe月. B.J¥.FpeKOBa, H.3月‑bo AH CCCP, t. I TeKCTbi,刺.‑Jl; 1940; T.
II KoM.weHTapmイ M.‑JI., 1947; T. Ill <t>aKCHMIUIbHOe BOCnpOH3Beノ1eliHe TeKCTOB, M., 1963.
(2〕 FIPn, Bbin. 4, M., 1956, crp. 370‑374, 517‑521; XpeCTOMaTH只no iイCTOpHq CCCP XVI‑XVII
BB., Fl0月pen. A. A. 3HMHHa, M., 1962, erp. 209‑213.
c3) npn, Bur1 6, Co60pnoe yjioaceHHe aapa A.neiくcea MraafijiOBHHa 1649 ro^a,刈り1957; M. H.
TuxoMHpoB h IT. n. EnH(})aHOB, Co6opnoe y,乃0)KeHHe 1649 roAa, yneSHoe noco6ne ′叩a Bbicme員
uIKOJIH, H3.H‑BO MoCIX. VHH‑Ta, M., 1961(j;ajiee‑M. H. Thxomhpob, y,/io>KeHne).これら二つの刊行 のうち、前者はnc3, t. i, ens., 1830の復刻、後者は1649年当時の刊本によっている CM.H.TjイXOMH‑
poB, yjioMceHHe, Ilpe.叩CJIOBIイe; TaM >Ke, CTp. 27)。本稿は後者をテクストにしているO
(4)とくにB.M. riaHeaxの研究成果が注目されるO例えば、 HOBblfl KCTOHH呈>;k no i王CTODHK XOJIOIICTBa
B XVI B., 《Hct. apx.》 JSIa 4, 1959; HoBrop0月CKa兄 3anHCHa只 KHiira ciapux Kpenocre員1598 r.
(OnuT peKOHCtpaKu棚), 《Hct. CCCP》 No 1, I960; H3 HCTOpHH Iくa6a,7ii,Horo xo.ioncTBa b XVI B・, 《Bonpocbi siくOHOMH‑くH H KJiaCCOBHX OTHOIiieHH員b PyccKOM rocyziapCTBe XI「XVII BeKOB》, Nl・‑JI., 1960; K Bonpocy o xojionax‑CTpa月HHKaX B XVI B., 《Ewer, no arp. hct. Boc. EBponbi
1960 r.》, Khcb, 1962; 3aniiCHbie :くhhth CTapwx KpenocTefl Konua XVI b., 《np06. HCTO^HHKOBe^e‑
Hue》, t. XI, M., 1963; O Kjiacc坤HKauHH h coCTaBe KaQajibHbix h 3amicnbix k王iiir CTapbix Kpe‑
nocTei‑i XVI Bexa. 《 Apxeor. e>Ker. 3a 1962 roji》,刺., 1963; 06 oHHom HecoxpaテiHBiueMca yKa3e XVI B., 《Mccie,gOBa‑ihh no OTenecTBeHHOMy HCTOiHHKOBeaeHHK), C6. CTaTeft, nocB只m. 75‑jiexnK) npo<}>. C. H. BajiKa》,九¥.,‑Jlリ1964; yjiomeHHe 1597 r. o xojioncxBe, 《Her. 3arr.》, t. 77, 1965;
K Bonpocy o npOHCxo>K」eHHH KaSajibHoro xoaoncTaa, ≪E>i<er. no arp. net. Boc. Eeponu 1964 r.》 KHIJJHHeB., 1966; O COLlwajlbHOM COCTaBe Fくa6ajibHbix xojionoB b KOHue XVI b., 《Kpecxb那ICI TBO IイK.iaccoBan 6opb6a b申eoaajibno員Pocchh, C6. cTaTe員naMHTH H.H. CMnpHOBa》, JL, 1967;
Kagajibnoe xojioitctbo na PycH b XVI Bexe, M3A‑BO ≪Hayt(a》 Jlen. otaリ皿,ユ967.バネヤフのほ かには、 E. H. KojibmeBa, FlojiHue TイAOIくJlaAHb‑e rpaMOTH XV‑XVI BeKOB, 《Apxeor. e>Ker. 3a 19 61 ro′1》 M., 1962; Ee Me, OnuT npHiwei川H KOppejIH聯OHHoro aHajiH3a卯月peIueI・王H只HeIくOTOpfalX CnOpHblX BOnpOCOB HCTOpHH XO.1OI‑CTB3, 《Her. CCCP》, JVs 4, 1969; B. H. KopeuKHft, 3aKpenome‑
IlをIe IくpeCTbHH H KJiaCCOBaR 6opb5a b PoccrIH BO BTOpOH nOJIOBHHe XVI B.,ル<¥., 1970, Hi. 4 《3a‑
KOHO且aTeJifaCTBO o xojioilax 80‑90‑x roAOB XVI B.》.なお、ルースカヤ‑プラ‑ヴダのホロ‑プにつ
いての最近の論考としてほ、 M. H‑ CMHpHOB K npo&ne.we ≪xcMoncTBa》 b npoごrpaHHoft lipヨnjie.
逃亡ホロ ‑プに関する (石戸谷) 53
Xojion h車eoAajibHa只BOTMHHa, 《Hct. 3an‑》. T. 八1., 1961; B. B. Maspo且liH, CoBeTCIくa只HCTO‑
pHorpacpHH co耶ajitH0‑3KOHOMHHecKOrO CTpOSI KHeBCKO員Pvch, 《Hex. CCCP》, jYs 1, 1962; A. A.
3hmh王i, Xojionbi且peBHe員PycH, ≪Hct. CCCP》, No 6, 1965; Ero >Ke, Oeoaajibnan rocy/iapCTBeH‑
HOCTb H PyCCIくan npaB且a, 《Hct. 3an.》, T. 76, M., 1965.
(5)拙稿「ホロープ所有についての法史的一考察」 (奈良学芸大学紀要、人文・社会科学、第10巻第1号)
‑ン;,!u
(6 ) JI. B. MepenHHH, 06pa30BaHne PyccKoro uenTpajiH30BaHHoro rocyjapcxBa b XIV‑XV BeKax,
M., I960, rji. II, §9 《XojioncTBo》 CTp. 253‑263; A. A. 3hmhh, Ornyciく xojionoB Ha eojho b
CeBepo‑BocTOMHo員Pvch XIV‑XV bb., 《KpecTbsmcTBO h Kjac. 6opb6a b車eo月. POCCHH, C6. CT.
IlaM. H.M.CMHpHOBa》;拙稿「15‑16世紀ロシアにおけるホロブの解放と譲与」 (奈良教育大学紀要、人 文・社会科学、第19巻第1号)
(7) 17世紀ロシアにおけるホロ‑プを考察したヤコブレフの大著が一般に高く評価されなかった理由の一つ としてほ、 17世紀のホロープ農奴化を過大評価した当時の、あるいはスターリン時代のソビエト学界の傾向 をあげることができよう。ヤコブレフはこの労作の中で、 1649年法典は第20章以外の条項も含めると、 940 か条(実は全967か条)のうち200か姦以上がホロ‑プについて言及・規定している、と数えている。 A・
只KOB刀eB, XoaoriCTBO h xojionu b Mockobciくom rocyノaapcTBe XVII b., t. I,刺.‑/I., 1943, ctd. 54.
(8)その書式と内容については、拙稿「16世紀ロシアの債務l)ユージイ」 (土地制度史学、第14号)参照。
(9) 1597年法令および債務ホロープの不完全隷属性については、拙稿「16世紀末のホロ‑プ法令と債務ホロ ープ」 (史林、第45巻第5号)参照o
(10)拙稿「17世紀ロシアのホロ‑プ裁判」 (奈良教育大学紀要、人文・社会科学、第18巻第1号)の註(82)、
(83)参照。
(ll)本稿では「逃亡ホロ‑プ」なる語を用いるが、法典テクストでは次のようにさまざまである: 「逃亡ホ ロ‑プ」 (Serjioft xojiorl)、 「逃亡リュ‑ジー」 (6erjiue jiio月日)、 「逃亡チェロベ‑ク」 (6erjiOH qejio‑
BeIく)o
(12)前掲拙稿「ホロ‑プ所有についての法史的一考察」、とくに、その「3.ホロ‑プ所有権の諸基礎」参照。
(13) A. fiKOBJieB, yKa3. C04., CTp. 318‑562, /loKyMeHTH (T月'jk6u no xojionbHM /(ejiain) NsJSIs 1‑26;
前掲拙稿「17世紀ロシアのホロ‑プ裁判」の註(58)、 (70)、 (101)、 (115)参照。
1の注
(14)法典テクストでは、 「旧主」は直訳すれば「古い主人」 (CTapblH 60HpHH)、 「以前の主人」 (npeHくf川員 SOJIpHH)、 「最初の主人」 (nepBH員 60月P以H)などの語のはか、 「かれらに逃げられる者」 (jHO即, OT lくoro olHH 36e>K3T)、 「それらのリユージーの所有者」 (TOT, Hblイre jik>aけ)などといわれている。勿論、
たんに「主人」 (60月Phh)という場合も少なくない。
(15) 「逃亡先きの主人なる語」はテクストでは使われていない。逃亡ホロープは逃亡先きで旧主とは別の者 にスルジ‑ラヤ‑カバラアを出してそのホロ‑プになるのが普通であったから、そこにホロ‑プと主人の、
ただし非合法の関係が成立するのであるO テクストでは、 「かれらが逃亡してそこに住んでいる者」 (moArr, v Koro ohh )khbvt b 6erax)、 「かれ〔旧主〕がそこでその〔逃亡〕ホロープを捕える者」 (tot, ykoto
。 oh 3a Toro xojiona noHMaeTC只)、 「かれらが逃亡中にホロープストウォを願い出る者」 (tot, komv ohをI b 6erax 6bK>T tcjiom b xa/roncTBO)など、意識的に「主人」なる語を避けて複雑・微妙ないい方をして いる。
(16) 「十字架接吻」は、ル‑スカヤ‑プラ‑ヴダに兄いだされず、そこではたんに「宣誓」 (poTa)というの
み(Kp. npaB., ct. 10; flpoc. npaB., ct. 31, 34, 49)。年代記では10世紀の記事では十字架によらない異
教的な宣誓CnCPJI, t. I, ctd. 32, 907 r.)、 11世紀中葉から次第に十字架接吻のことが多く兄いだされる
CnCPJI, T. I, CTp. 162, 1059 r., crp. 167, 1067 r.X とくに1068年の記事は十字架接吻を裏切ったとき
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逃亡ホロープに関する1649年法典の規定(石戸谷)
について述べて興味深いcncpji, t. i. cTp. 172)。その後、 HCr, nCI¥ Cya‑ 1497 rojqa, Cyji‑ 1550 roaaなどを経て、 1649年法典では第20章のはか、とくに第10章「裁判について」 CO cyAe)に多く規定・
言及されている(第22・126・154・158・161・173・186・190・195・232・281の諸粂)。
(17)農民は税を負担するが、ホロ‑プほ負担しないが故である。これについての必読史料の一つとして、 1646
r., FIHCaOBb泊HaKa3 0 nepenHCH moeIくOBCKoro ye3Aa, 《maTepiiajibi no iイcrop舶KpeCTbHH B HO‑
CCHH XトXVII bb. (C6. AOKVMeHTOB)》, Tlojx pe且. B. B. MaBpo^HHa, H3ノJ‑BO JleH. VH以‑Ta, 1958, JVs 105 (AA三i, T. IV, AS> 14).
(18)前掲拙稿「17世紀のホロープ裁判」の註(90)では、第11童第27条を偽証した農民に対する処罰の規定と 見なしている。逃亡農民を隠匿して偽証した者に対する罰則である。この際、訂正しておく.
(19)また「ホロープ裁判庁」 (npdKa3 xcworibero cy^a)とも呼ばれた.ホロープ庁、あるいは庁の歴史に ついては、 A. A. OHMHH, 0 CJIOHCeHHH npHKa3HO員cHCTeMU Ha Pyc以, 《JXoKjiaAU h coofimeHHH MHC‑Ta hct. AH CCCP》,州1954, Bbin. 3; A. K. JleohTbeB, 06pa3OBaHHe npHKa3HO員CHCTeMbI ynpaBJieHHH b Pyc. roc‑Be,刺., 1961; H. B.ycTioroB, 3bo3K>i岬a npHKa3Horo ci'po兄Pyc. roc‑Ba
B XVII B., 《A6CoJllOTH3M B POcc打H》, C6op. ct., M., 1964.
(20)拙稿「帳簿に登録された15‑16世紀ロシアの身売り状について」 (奈良教育大学紀要、人文・社会科学、
第16巻第1号)参鼎。
(21) H3fくK, h. II, H3KK 111 roAa; CM. KaurraHOB, Komm. k cjiv>k. Kafiajie 1619 r.. 《npn.Bun.
5サctd. 93‑110.
(22)スルジ‑ラヤ‑カバラアによる不完全隷属ではあるが、 1人3ルーブリと指定している。
/
2の注
(23)本稿の註(12)参鷹。
(24)ホロープに対する煽動の事例については、 A.月KOBJieB, yKa3. coh., rji. IV, §3・ 《noノ^rOBOp K noCery》 (Tain me, CTp. 153‑166).
(25) 1648年モスクワ暴動については、 C.申. UraTOHOB, MOCKOBCKHe BOJIHeH主ih 1648 rcwia, C04. t. I,
Ct. no pyc. HCTOpHH, H3ノ1. 2‑e, CnB., 1912; C. B. BaxpyuiHH, mOCKOBCKHH MHTe>K 1648 TOAa,
《C6. ct. b necTfa M. K. JIio6aBciくOrO》 fir., 1917, MocKOBCKoe BOCCTaHHe 1648 r., Hay. 'rpyAbI,
t. II, M., 1954; n. n. Cmhdhob, nocaACKHe moan h hx KjiaccoBaa 6opb6a Ao cepeノJHHbl XVII
Beica, t. ll, M.‑JI., 1948.
(26) 《60月Pe》については、 H. n. FlajioB‑CHJibBaHCKH員 Focy/tapeBbi c7iy>Kiwibie jiioah, m. 3 《CjiyAくH‑
Jibie moAh b XVII BeKe》, rji. 1 《60月DCTBO H MeCTHHieCTBO》, Coi. t. i, cne., 1909, ctd. 128‑
146; B. 0‑ KjiモoqeBCKH伝 HcTOpHH COCJIOBHH B PoCCHH, H和. 3‑e, M., 1918, Com. t. VI,爪., 1959, JieK. XXI‑XXII (cTp. 449‑463); A. A. 3hmhh, O cocTaBe ABOptlOBblX VHOeiKaeHH丘PyccKoro rocy‑
AapcTBa KOHua XV h XVI b, 《Her. 3an.》, t. 63, 1958, cTp. 180‑205.
(27) 《OKOJIHHIHe》は、宮中において貴族に次ぎ、その上位の者は貴族に列せられた。皇帝巡視の随行、外国 使臣の接待、宮中儀式を司ったはか、庁の長官にも任ぜられた。
(28) 《^yMHbie Jim月H》は、 《fioapcKa只Ayiwa》の構成員 B. O. KjnoneBCK岨60月pcKa只AVMa ApeBHefl
PycH, M34. 5‑e, M., 1905; H. H. Cmhphob, OnepKH noJiHTHiecKO員Hctophh PyccKoro rocyaapcTBa30‑50‑x it. XXI b., M.‑Jl., 1958; A. A. 3hmhh, CocTaB BoapwくOfi AyMbl B XV‑XVI BB., 《Apxeo‑
rp. ewer. 3a 1957 r.》, M., 1958.
(29) 《CTOJIHHFくH》, 17世紀の人コト‑シヒンによれば、外国使臣の接待に際し多数のかれらが陪食している、
F. K. KoTomxHH, O Pocci欄b uapcTBOBamie A^ieKcen mHXa崩JIOBHHa, 《CoHHeHHe rpHropbfl Kot‑
OuIXHHa》 cne., 1906, cxp. 25 cm. H. Thxomhpob, yjiowemie, CTp. 404).
(30) 《cTP月riHne》, Yjiok. XVI, ct. 1, 39, 43, 46, 62; XVII, ct. 2, 19, 20, 25, 26, 42, 45; r.K.Koto‑
ホロ‑プに関する (石戸谷) 55
IUXHH, !/lくa3. cot. cTp. 25 (M. H. Thxom叩ob, YjiOKeHHe, CTp. 406).
(31) 《xHJIUbl》 cnpn ではHCHJIbm*王)、モスクワ士族と地方都市(または郡)士族の中矧こ位した h. n.
UaBJioB‑CmibBaHwCTA員, yIくa3. coh., ctp. 151‑152.
(32) 《Aera 60刃pCKHe》,いちおう「下級士族」と訳出したが、研究史上問題の多い階層の一つである B.H.
ByraHOB,月era 60月PCXHe, 《Cob. hct. ∋Hl(.》, T‑ 5, cTp. 140‑141; M. H. Thxomhpob, J/jTo>KeHne, ctd. 337.
(33) ≪月BopoBfaie Jimノ叩》, 「用人」としたが、身分はホロープであるO ホロ←プ制がなくなってからも農奴の 一部にこの語が使われつづけた KpecTb只HCKaa pe<J)opMa b Pocchh 1861 r., CSopHHK 3aKOHOAaT.
aKTOB, M., 1954; n. A. 3aHOHHKOBCKH員 OTMeHa KpenocTHoro npaBa b Pocchh, H3且1 2‑e, Mリ
1960;増田冒讃,ロシア農村社会の近代化過程, 1958年;菊地昌典,ロシア農民解放の研究, 1964年。
(34)外国人がホロープ主になっている事例の一つとして、 A.刃KOBjieB, yKa3. coh., Rok. Ns 4 (ギリシア 人にして通訳)。
(35) TaM me, ctd. 81.
(36) TaM >Ke, cto. 132‑133.
(37) TaM ace, crp. 319 (Hok. Ma 1‑II), CTp. 327 (月OK. No3‑1), cTp. 364 (ぷok. Ns9‑1).
C38) 1649年法典の編纂に利用された資料については、 rlPn Bun. 6, CTp. 10‑13; T.州. THXOMHpOB,
yjio〉Kern′ie, CTp. 22‑24; 42‑56; M. H. TiイXOMHpOB, HcTOTHHKOBeAeHHe HCTOpHH CCCP, Bbin. 1,
刈., 1962, CTp. 248‑253; Ft.刀. MepHMX, H3HK y^lOJKenHH 1649 T0月a, M., 1953, cTp. 24‑79; B.州・
MepHOB, Mo>kho nn ciHTaTb A0‑くa3aHHbIM, MTO JIHTOBCKH員craTyT只BJIHeTCH HCTOHHHKOM V H IX
rjiaB CoSopnoro yjio〉KeH朋? 《C13BHHCKVIH apXHB, CB cT. H M3T.》, M., 1963; ft. II. CMHpHOB, 4eJio6mHbie ABOpHH H AeTe茄 BOHpCKlイx scex ropoAob b nepBO角nojioBi川e XVII b., MOHZIP, 1915,kh. 3.
(39) nPn, Bwn. 6, cxp. 375.
3の注
(40) llpoc. npaB.ua, ct. 66, 85.
(41) HCr,ぐt. 22 cnpH, Bbin. 2, ctd. 214, 222, 236).