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− デ ュ ー イ か ら ロ ー テ ィ へ −」 概 要

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Academic year: 2022

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(1)乙. 「プ ラ グ マ テ ィ ズ ム の 教 育 理 論 に 関 す る 研 究 − デ ュ ー イ か ら ロ ー テ ィ へ −」 概 要. 柳沼 良太. Ⅰ 研究課題と方法 世界的に多大な思想的影響を及ぼしたデューイ(J.Dewey,1859−1952)は、進歩主義教育 をはじめとする社会運動においても理論的指導者として重要な役割を果たした。1980年代 からデューイのプラグマティズムや教育理論をポストモダンなどの現代思想と関連づけて 再評価する動向が顕著であるが、その中で決定的な役割を演じた人物としてアメリカの著 名な哲学者ローティ(R.Rorty,1931−)を挙げることができる。ローティはしばしば自ら を「デューイ主義者」と称し、デューイのプラグマティズムが伝統的な西洋哲学における 二元論や基礎づけ主義を批判した点を今日のポストモダン的思想状況に即して再評価して いる。ローティはデューイの思想を引き合いに出しながら自らのネオ・プラグマティズム を展開し、さらにはそれをふまえた教育論をも提示しているが、それらは必ずしもデュー イの思想を全面的に継承しているわけではない。ローティがどのようにデューイのプラグ マティズムと教育理論を受容し継承していったのか、またローティとデューイにはいかな る思想的相違が認められるのかを分析していくことは、デューイのプラグマティズムとそ の教育理論が有している思想史的意味や現代的意義を理解することに資すると同時に、ロ ーティのネオ・プラグマティズムとその教育論を正当に評価することにも繋がる。そこで 本論文では、デューイからローティへ至るプラグマティズムの展開を辿り、教育に関する 両者の見解を吟味して、デューイとローティとの連続面と相違点を明らかにした上で、プ ラグマティズムの教育理論がもつ可能性と今日的意義を探ることにする。.

(2) こうした観点からプラグマティズムの教育理論にアプローチするためには、次の3つの 課題に取り組む必要がある。第1の課題はパース(C.S.Peirce)からジェイムズ(W.James)、 デューィ、ローティへと至るプラグマティズムの発展過程を歴史的コンテクストに即して 解釈し、相互の影響関係を把握することである。第2の課題は、デューイにおけるプラグ マティズムと教育理論との関係構造を時期的な変容過程に即して多角的に検討することで ある。そして第3の課題は、ローティのネオ・プラグマティズムとその教育論を検討し、 デューイとの接続関係と断絶関係を明らかにすることである。以上の課題に取り組むこと で、デューイからローティへ至るプラグマティズムの思想史的展開を踏まえつつ、プラグ マティズムの教育理論の特徴と今日的意義を具体的に提示することが可能となるであろう。 本論文においてプラグマティズムとその教育理論を検討するにあたっては以下の5つの 視角を採る。第1は、パース、ジェイムズ、デューィ、ローティらのプラグマティズムに 通底するエートスを見出すための視角である。第2は、デューイのプラグマティズムの思 想的変遷を見据え、デューイがどのような時期にどのような課題にどのように取り組んで いったかに着目する視角である。第3は、デューイとローティそれぞれにおいてプラグマ ティズムと教育理論が相互に影響し合う点に着目する視角である。第4は、ローティが提 示しているネオ・プラグマティズムの教育論を教育実践との関連において具体的に考察す る視角である。第5は、以上の分析を踏まえた上で、デューイとローティとの連続関係と 断絶関係を多角的に読み解いていく視角である。. Ⅱ デューイにおけるプラグマティズムの展開 まず、デューイのプラグマティズムをその形成過程に即して前期・中期・後期の3つの 時期に区分する必要がある。本論文では、ボイドストン編のデューイ著作集で採用されて いる時期区分や従来の研究において提示された見解を踏まえながらも、特定の年号を境界 線として画然と3つの時期を区分するのではなく、デューイの思想的発展のダイナミズム に即してその著作を大きく3つの著作群に編成し、それぞれの著作群に3つの時期を対応. 2.

(3) させるという手法を採用した。 次に、デューイのプラグマティズムの背景要因として、最初にエマーソンの哲学を取り 上げプラグマティズムを誕生せしめたアメリカ的な思想的土壌に注目し、次いでパースと ジェイムズのプラグマティズムを特徴づけ、両者についての手短な比較考察を試みた。 その後で本題に入り、まず、前期デューイがキリスト教、進化論、新ヘーゲル主義、生 理学的心理学などから影響を受け、独自の実験的観念論を形成していく過程を明らかにし た。前期デューイの哲学は、生理学的心理学の実験的手法を取り入れるなど確かに科学的 方法を導入している面もあるが、根本的には新ヘーゲル主義の観念論的な論理構造に立脚 している。前期デューイは生理学的心理学を新ヘーゲル主義の哲学に取り込む形で独自の 実験的観念論を構築したのであった。 中期デューイは、ジェイムズのプラグマティズムから影響を受けて独自の実験主義や道 具主義を構築するが、その後パースのプラグマティズムからの影響によって協働探究に根 ざした客観的な科学的方法や論理的な認識過程を重視するに至る。また、中期デューイは プラグマティズムに生物学的進化論の見地を積極的に取り入れて、有機体と環境との相互 作用としての経験の連続性を強調し、人間が問題を解決してゆく過程を有機体としての人 間が環境へ適応してゆく過程として捉え直していった。したがって、中期デューイの提示 する認識方法論においては、仮説の形成との関連で知的な要因が重視され、人間が様々な 問題を知的に解決していく過程が環境との相互作用に即して捉えられている。こうしたプ ラグマティズム的発想の延長線上で中期デューイは社会の進歩的な再構築を提唱し、人間 の知性に信頼を寄せて十全なコミュニケーションに立脚した協働探究の推進によって、創 造的な民主主義社会の構築を目指したのである。 さらに後期デューイは自然主義的形而上学を取り入れることによってプラグマティズム を再構築するに至った。後期デューイにおいては信念の体系をことさら重視するパース流 の態度が後退し、信念だけではなくそれに欲求や目的を加えた体系を重視するジェイムズ 流の複合的な態度が前面に出ているのはその顕著なあらわれである。後期デューイのプラ. 3.

(4) グマテイズムによれば、実践や実験においては知性だけでなく感情や欲求も重要で積極的 な役割を果たすのであり、協働探究を通じて道徳的理想が形成され社会変革が推進されて しかるべきなのである。そして後期デューイはこうしたプラグマティズムの見地から宗教 や芸術の意義を捉え直すことで、知性と感情と想像力を総合した認識作用を重視すると共 に、個人の自己実現と共同社会の建設とを調和的に統合する次元を展開していったのであ る。. Ⅲ デューイのプラグマティズムと教育理論 次に、上述したデューイのプラグマティズムとの関連においてその教育理論に検討を加 えた。予備的な作業としてまず19世紀後半期のアメリカにおける伝統的な学校教育の状況 を概観した後で、前期デューイの実験主義の教育理論の成立過程とその構造を明らかにし、 シカゴ大学付属実験学校の構想との関連をも検討した。前期デューイの実験主義の教育理 論は、子どもの衝動や本能から出発して、それらを社会的目的に即して再構成し、子ども の判断力と感受性に働きかけることで民主的で自律的な人格を形成する総合的な教育を志 向している。デューイが子どもの従事する活動的仕事の意義を重視するのも、それが子ど もの衝動的な自己表現の欲求を満たすだけでなく、社会的な目的と結び付いて、知的にも 情操的にも子どもの成長を促す活動だからである。パーカーとデューイは共に進歩主義教 育の理論的指導者とされているが、フレーベル主義に忠実な教育理論を展開したパーカー と実験主義の教育理論を展開したデューイとでは相違する点も多い。前期デューイは実験 主義の教育理論に新ヘーゲル主義を組み入れることで、教育における心理的要因と社会的 要因との統合を目指し、子どもの社会的な自己実現や教育による社会変革を提唱しており、 この点において、もっぱら子どもの成長という心理的要因のみを重視する新教育とは基本 的に異なった立場にたっている。 中期デューイの教育理論の中核をなすものは問題解決学習であり、また教育に対する中 期デューイのスタンスをよく表しているものとしてその教育目的観が挙げられる。中期デ. 4.

(5) ユーイの教育理論は、子どもを基本的に知性的存在として捉え、子ども自身が問題解決に 取り組みながら知的に成長することを重視する点においてプラグマティックで知性主義的 な性格が顕著である。加えて、中期デューイはプラグマティズムの立場から特に子どもの 成長を強調した独特の教育目的観を打ち出している点も注目に値する。デューイによれば、 教育において目的とは本来手段から分離された固定的なものではないのであって、目的を 実現する子どもの活動の中で目的が常に未来を志向して手段と柔軟に一体化し変容を遂げ るとき、子どもの成長は最大限に尊重されるのである。さらに、中期デューイの教育理論 は政治的社会的な要因だけでなく産業的な要因をも教育内容として積極的に取り入れ、産 業構造の大規模な変化を見据えて子どもを将来の民主主義社会に自由に参加できるような 市民に形成するための学校教育を構想しているのである。 後期デューイは進歩主義教育の児童中心主義的な偏向や世界恐慌による学校教育の混乱 を踏まえつつ、さらに自然主義的形而上学との関連において教育理論を再構築している。 後期デューイの教育理論は、科学的方法を重視する道具主義的な側面を中期から引き継ぎ ながらも、知性と感情の融合、個と全体の融合を強調する自然主義的形而上学の特色を際 立たせている。つまり、後期デューイは子どもの知性と感情あるいは想像力、そして子ど もの個性と社会性を包括的に育むための総合的な教育理論を構築していったのである。.こ のように後期デューイが知育と情操教育とを融合する重層的な教育理論を構築するに至っ たのは、芸術的経験や宗教的経験の教育的意義を再評価したことと密接に関わっていると 考えられる。さらに、後期デューイの教育理論は、個人が社会的文化的環境と相互作用す ることを通じて問題解決能力や協働探求能力を高めるだけでなく、豊かな感情や想像力を 駆使して民主主義社会の理想像を構想し、その実現を目指して社会的実践に主体的に参加 する中で公衆の一員として社会的な自己実現を果たすという論点を強調するところにも大 きな特徴がある。このような後期デューイの教育理論は、前期の新ヘーゲル主義的な観念 論と中期の道具主義とを統合した構造を呈しており、デューイのプラグマティズムの教育 理論における最終的な発展形態として位置づけることができよう。. 5.

(6) Ⅳ ローティのネオ・プラグマティズム ローティはデューイのプラグマティズムを高く評価しながらも、それをそのまま継承す るのではなくポストモダン的文脈に即して独自のネオ・プラグマティズムを構築している。 そこでまず、こうしたローティの思想的独自性を跡付けるためにその思想遍歴を辿りつつ、 ローティがネオ・プラグマテイストとして自己確立するまでのプロセスを吟味した。 それを受けて、次に、ローティが徹底的な批判を加えてやまない西洋の伝統的な形而上 学の問題を取り上げた。ローティにとってこの形而上学とは、様々な現象の根底にある不 変の実在に関する普遍的な知識を探究する特権的な役割を独占的に担ってきたものであり、 その伝統は近代のリベラルな社会における公共のレトリックのうちにも強力に浸透してい る。ローティは西洋の伝統的な形而上学に対して無効宣告を下すべく歴史主義、反表象主 義、反本質主義、反基礎づけ主義、反二元論を提唱し、現代思想の文脈に即してプラグマ ティズムの新たな展望を切りひらいていくのである。ローティは伝統的な形而上学とプラ グマティズムとの問題構制の違いを充分に見据えた上で、伝統的な形而上学を脱構築し、 ネオ・プラグマティズムの鮮烈なイメージを提示している。 こうしたローティのネオ・プラグマティズムは啓発的哲学として特徴づけることができ る。.この啓発的哲学とは、ソクラテス的な対話の力に依拠して人間の自己創造を切りひら くインスピレーションを与える哲学であり、それはオープンで寛容な態度に根ざして他者 との会話を継続することを促して社会変革の可能性を探ることにも結びつくのである。啓 発的哲学のエートスが支配的となれば、人間は想像力や共感の働きによって他者の苦しみ を軽減すべくますます配慮するようになると共に、個々人の多様性に寛容になる。こうし て従来よりも正当な社会関係が構想され、リベラルの民主主義的ユートピアを志向する人 間的連帯が漸進的に実現されるとローティは考えるのである。ローティはネオ・プラグマ ティズムの立場から、たゆみない会話の継続によって実現される協働探究によって漸進的 な社会変革を積み重ね、独自のリベラル・ユートピアの構築を志向しているのである。. 6.

(7) Ⅴ ローティのネオ・プラグマティズやと教育論 ローティのネオ・プラグマティズムから派生する教育論は最終的には啓発による教育を 目指している。ローティによれば、啓発による教育は常に当該社会における当該の時点の 文化によって提供された材料を前提とするほかないのであって、啓発による主体的自己創 造が可能となるためには共同体における支配的な言説や因習的な価値観によってまずは充 分に社会化が達成されなければならない。つまり、従来の自己像を新しい自己像に置き換 えることを通して個性化を図るという、啓発による教育の目的を実現するためには、既存 の因習的で支配的な言説や価値観を内面化することによってやがて克服されるべき自己像 をあらかじめ形成しなければならないのである。 したがって、初等・中等教育においてはもっぱら基礎的知識や伝統的な社会規範を習得 させて子どもを充分に社会化し、それを受けて、高等教育においては学生を啓発して、学 生の個性化を図り豊かな自己創造を促すべきであるとローティは考える。ここでいう個性 化とは、それに先立っ社会化の過程で形成された自己像や社会のイメージの内容に疑問を 抱きそれに反発することによって初めて生起し得るのであって、こうした個性化の過程を 通じて学生は現実の社会にみられる弊害や疎外を克服すべく、より寛容で民主的な社会を 志向するようになるのである。 このように高等教育の段階に至って、学生は教師とのソクラテス的対話を通して啓発さ れることになるのであるが、そこで重要となるのは学生自身が主体的に批判的思考や想像 力を活用することである。ローティはことさら公共的領域と私的領域を統合する考え方を とらないが、教育における個性化の過程において学生が批判的思考や想像力を駆使してリ ベラル・ユートピアを志向し社会の現状を打破すべく公共的領域の変革を構想するとき、 それはそのまま私的領域における自己創造にも繋がっていく。なぜならば、公共的領域の 再構築の構想は、私的領域における自己像を構成している信念のネットワークの再構成と 不可分であり、それは新たな自己の創造を実現することになるからである。.以上のような. 7.

(8) 個性化のための教育に従事する教師の理想像としてローティはリベラル・アイロニストを 提示する。リベラル・アイロニストとしての教師は、人々が世界の意味を構築するために 払ってきた努力の拠り所をなす種々の前提や様々な方法に通暁しているだけではなく、権 威付けられた既存の言説や価値観に多角的な批判的検討を加える。このような活動を通じ てリベラル・アイロニストとしての教師は、学生と共にリベラル・ユートピアの社会的ビ ジョンを自由に構想し、その実現のために実際の社会的実践にコミットするのである。一 般にポストモダンの教育論が教育における抑圧的な権力構造の単なる告発に終始しがちで あるのとは対照的に、ローティの教育論は、ポストモダンの性格を豊富に保持しつつも、 将来の社会への希望に根ざして積極的な公共的志向性を失うことがないという注目すべき 特性を具えているのである。. Ⅵ デューイからローティへ 最後に、デューイとローティのスタンスが互いに対立し合っている点と両者に一貫して いる連続面を取り上げた。その際、論点を整理するにあたって、特にデューイの思想の前 期・中期・後期の時期区分との関連に留意した。 まず両者のプラグマティズムにおける相違点としては、次の3点が挙げられる。第1は、 デューイが経験論に根ざして経験を重視しているのに対して、ローティは特に言語を重視 している点である。第2は、中期デューイが協働探究に即した科学的な方法や態度を最大 限尊重しているのに対して、ローティは会話に伴う拘束を除外すればおよそ探究方法とい うものを意識的に重視していない点である。第3は、デューイが前期から後期にかけて一 貫して私的領域と公共的領域との調和的統合や一元性を強調しているのに対して、ローテ ィは私的領域と公共的領域を画然と分けて、両者の統合や融合を退けている点である。 教育論における両者の相違点としては、次の3点が挙げられる。第1は、デューイが教 育の場において子どもが協働探究に取り組む過程で子どもの社会化と自己実現が同時並行 的に達成されると考えるのに対して、ローティは最初に子どもの社会化が達成され、その. 8.

(9) 後はじめて個性化の作用によって自己実現が可能になると考える点である。第2は、デュ ーイが初等教育の段階から一貫して社会化と個性化の過程を一体的に捉えているのに対し て、ローティは初等・中等教育にもっぱら社会化の過程をあてがい高等教育にはもっぱら 個性化の過程をあてがっている点である。第3は、デューイが初等・中等教育において子 どもの興味や関心を重視しているのに対して、ローティはもっぱら社会化の機能を担う初 等・中等教育においては基礎知識や共通文化の習得を子どもの興味や関心よりも優先させ ている点である。 以上のような両者の相違点にも増して重視すべきは、両者の連続面である。まず、両者 のプラグマティズムにおける連続面としては、次の5つを挙げることができる.。第1は、 生物学的進化論の発想を大幅に受け入れる両者のスタンスである。第2は、理論の絶対的 真理性や無謬性あるいは制度の絶対的正当性に対する強烈な否定的態度を堅持して可謬主 義を展開していることである。第3は、どのような理論や制度も普遍性や絶対性を有する ものではなく、歴史的な偶然性を免れえないという歴史主義の観点を採っていることであ る。第4は、事実と価値の画然たる区別を緩和して、科学と他の学問さらには科学と芸術 をことさらに対立させて捉える態度を大幅に退けていることである。第5は、より望まし い未来に向けて社会を変革しようとする社会再構築主義の立場からリベラルな民主主義社 会の実現を目指していることである。 両者の教育論における連続面としては、次の3つを挙げることができる。第1は、伝統 的な形而上学の発想にもとづく教育思想を根本的に批判していることである。.第2は、教 育の目的を被教育者にとって外在的な要因に関連づける発想を退け、子どもの成長や学生 の個性化に即して民主主義社会の発展を展望していることである。第3は、教育において 知性の働きだけではなく、想像力や感情の働きをも重視していることである。 以上のような連続面から明白に読みとることができるのは、デューイとローティが共に プラグマティズムの立場から伝統的な形而上学を批判しつつ、近代の啓蒙主義を継承する 「進歩の物語」を教育思想や社会思想に取り入れているということである。. 9.

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