• 検索結果がありません。

マ ッ ク ス ・ シ ュ テ ィ ル ナ ー の 近 代 合 理 主 義 批 判 学    位    論    文    内    容    の    要    旨

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "マ ッ ク ス ・ シ ュ テ ィ ル ナ ー の 近 代 合 理 主 義 批 判 学    位    論    文    内    容    の    要    旨"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

法 学 博 士    住    吉    雅    美 学    位    論    文    題    名

マ ッ ク ス ・ シ ュ テ ィ ル ナ ー の 近 代 合 理 主 義 批 判 学    位    論    文    内    容    の    要    旨

   近年 リパタリアニズムの興隆など、個人の理性に全幅の信頼をおくがゆえに、

個人の 自由を最優先してそれに政治哲学を従属きせようという風潮が有カとなり つっあ る.理性的自律はたしかに近代合理主義の基礎をなすものであるが、反面 その反 自然的性格がもたらす人類の自己否定などの弊害も指摘されている。理性 的自律 の弊害の原因のひとっは、へーゲルによって定礎きれた同一性原理に見い だされ る。そこで本論文では、個人の自由の絶対化を考察しぬいたばかりでなく、

上の同 一性原理への取り組みをとおして近代合理主義批判にまで射程をひろげた 19 世 紀 ド イ ツ の 思 想 家 マ ッ ク ス ・ シ ュ テ ィ ル ナ ー を と り あ げ る 。    自然 支配のうえに理性主導型の文化を形成してゆく近代合理主義精神の源泉は、

19 世紀 前半 に 確立 され たへ ーゲ ル哲学、なかでもその核心である同一性原理に 求めら れる。この原理は人間理性を客観的な存在としての真理(カント風にいえ ば「物 自体」)に直接に関与せしむることをもって、理性をたんなる現象認識の 枠組み たるにとどめず、それを実体的な真理そのものとして存在論的に根拠づけ た。か くてこの原理には、カント的な理性主導的側面と、それが回避してきた自 然(客 観)との合一をめざそうとするロマン主義的な志向の側面との両義性が認 められ る。そして、へーゲルの批判的後継者たちであるへーゲル左派の多くは、

上の両 義性のうち第一の側面を強頒・仲長させ、無神論的な人間理性万能主義を 鋭くに いたったのだが、シュテイルナーはそれらとことなり、同一性原理に由来 する自 然抑圧的な合理主義的性格に個別的多様性を無化する危険性を看取し、そ の解体 を試みることによって近代台理主義へのラヂィカルな批判の先鞭をっけた。

   この ようなシュティルナーの試みは、前三月期のドイッ自由主義への批判をき っかけ としている.シュティルナーは、かかる自由主義的思潮が、   「プロテスタ ン ト的 合法 性 」す なわ ち「 内な る神J としての理性 への服従を自我に命ずるr 市 民的」 自由しか眼中におかないことを批判する。彼によれば、このような心根を 育んだ 元凶はドイヅ観念論における自律思想に見いだきれるという。カントから へーゲ ルにいたるまで共通にみられる自律思想の特徴は、個人がおのれのたんな る個別 的・特殊的な意志とは異なる、普遍的な基準を生きることであった。この ような 個人を生身の自我と本質とに区別する 自我の二重化 、そして自我をこ のよう に二分する主体の自己還掃的自己知の構成にシュティルナーは疑問をぃだ き、そ こから同一性原理への批判と解体へとむかうのである。すなわち、理性的 自律と は神から人類に同一性原理が転位された所産であるが、それは人間が、も っぱら 歴史的過去に拘束きれた自己の他在におぃて自己規律することであるにす

6

(2)

ぎなく、かかる自己完結的な自律によっては将来に踏み出すことができなぃ、と。

こう して シュ テイ ルナ ーは 「君 の過 ぎ去 った 時 に縛 られては、君は硬直する」

「私は私を仮殻するものではない」と述ペ、同一性 原理における自我の二重構造 を廃 棄し 、過 去に 限 定さ れず 、ま たけ っし て対 象化 され なぃ 「移 ろい ゆく 私 J r 自 己創 造的 人格 」 とし ての唯一者を提唱するにい たる。それは、暫定的な受け 入れ枠組みとしての人格と、諸々の経験との間のフ イードバック関係から、自己 人格の基本的統一性を絶えず更新してゆくものであ る。

   ところで、   このような唯一者とは、シュテイルナーによってEigen としての所有 にもとづけられたことからも明らかなとおり、中世 の主一奴をめぐる闘争過程に たっまったき主観的な自我段階に符合する。シュテ ィルナーは積極的に中世社会 の パ ラ ダ イ ム に 定 位 す る の で、 1840 年代 の国 家 ー社 会、 精神 一物 質の 主一 奴 的分裂状況に直面しても、マルクスはじめ他のへー ゲル左派のようにその克服と してのGemeinwesen を志 向せず、逆にかかる分裂を必然として受け入れる。このよ うな主観的な唯ー者の自我観の政治哲学的境位は、 近代市民社会成立の前段階で あるへーゲル『精神現象学』における自己意識の段 階に照応する.主権国家の確 立期にあたってシュティルナーがこのように反動を 装わなければならなかったの は、それによって精神分析的な意味で前言語的・前 意識的段階における個体的自 我の形成史を呈示しようという関心のゆえにであっ た。すなわち、シュティルナ ーの唯一者の自我とは、言語や社会的関係をまだ知 らぬうちからの生身の自我の 形成過程までに遡られるものである。シュティルナ ーは自我をこのような次元か ら捉えることによって、理性的人間文明の表舞台か ら排除された自我生成の言表 されぬ葛艫のドラマに配慮をそそぎ、象徴界の体系 の網より漏れおちた個体的自 我の生の全体をっかもうとする.このように把握さ れた自我の言表されぬ事実全 体は、理性主義的な自我観へのアンチ・テーゼであ るとともに、生身の自我をも っぱら偏向的に理性的自我として再生産することに よって自己維持を図る意識界 の既存の諸制度を批判、その硬直化・物象化をたえ ず阻止する基盤となりうるば かりでなく、そこから因果連関を超えて新たな価値が創出される可能性を託され、

シュティルナーによって「創造する無J  r 自己創造 的人格」と積極的に顕揚され た。

   以上のような唯一者の議論はもちろん、当時の政 治・社会問題と無縁に藷られ たわけではない。唯一者を説くシュティルナーは、 現実的個体の唯一性を圧殺す るという理由で社会主義的な思想をしりぞけるが、 だからといって無条件的に現 下の市民社会の有様を支持するわけではなぃ。唯一 性の発揮としてのプラトン的 労働観への憧憬を重要視するシュティルナーは、代 替可能なるがために個人労働 が普遍化きれ、抽魚的なものとして等質化させられ る市民社会の分槊化の進展に 警告を発し、市民社会を容赦なく侵食してゆく市場 化から、生ける個人のかけが えのなさを救出しようとする。また、この唯一者と してかけがえのなさと人格の 自己所有(Eigen )は、 一般にロック型所有論の伝統をうけっぐりバタリアニズム において所有梅(property ,Eigentum )の名のもと に混同され尊重されている私 的所有権を自己より区別し、それにたいする批判・攻撃をなす視点ともなりえた。

7

(3)

   また唯一者は、自己所有者として自己人格の統一性を自発的に更新してゆくこ とができるために、信条や良心の自由をもち、しかもみずからの意見表明や意見 交換を妨げられずにおこないうるのでなければならない。  1940 年代のプロイ セン政府による強圧的な国家公民としての園民教化に対抗し、シュティルナーは 自己選択・自己決定における個人の主体的自由を確かならしむるものとして、言 論・出版・教授の完全自由を要求した。

   以上のような唯一者の諸特徴に照応する政体としてシュテイルナーは、三月革 命前後の世論の大勢に敢えて抗して、連邦主義(FOderalismus )を主張した。国 民個人個人が現実的個体であることを尊重し、いかなる概念的把握によっても汲 み尽くきれないその事実的生の奥深さを可能なかぎり配慮するならば、それらの 自発性にのみ出来する多種多様な睹結社から、恒常的な櫓カの府をもたない動態 的な社会状態が維持されることこそが、最良であると考えられたのである。以上 が本論文の結諭である。

‑ 8

(4)

学 位 論 文 審 査 の 要 旨

主 査   教授    今 ヲI :弘逆 剛 査    教 授    長 谷 川    晃 剛 杰  l 伽 教授    川崎   修

  近 代合 理 主 義 に 内 礼 う ・ る 理 性的1111tが 反自 然的 性格を もち 、人 類の自 己否 定に っな がりか ねな いと の危 虞から 近 代 総 体 を 反省 的 に 回 顧 す る 必 要 性 を 脱く 臓 論 が し ば し ば な き れ て いる 。 こ の よ う なfm題の 根 源 の ーっ として 、 カ ン ト の 理 性的 自f飢 の 思 想 を よ り 具体 化 さ せ 発 展 さ せ た も の と して の 、 へ ー ゲ ルの いわ ゆる 「同一 性原 理」 があ る。

  ↑1! 古 は 木論 文にお いて 、マ ックス ・シ ュテ ィル ナーー‑ rwa人の 向「ITの絶 対化Jに まっ わる| 珊題 を考 察し抜 い た だ け で な く、 へ ー ゲ ル の 同 一 性 原 理 と取 リ 糾 み 、 そ れ と の 格 闘 を 通し て 、 そ れ を 近 代 的 合 理 主義 批判 にま で展 聞 さ せ て い った 、 へ ー ゲ ル 左 派 の 一 員 と日 さ れ る マ ッ ク ス ・ シ ュ テ ィル ナ ー ― ー を 取 り あ げ て 、近 代合 理主 義の m]題tEを瑕も根源的な次元において検討しようとする。

  へ ーゲル の同 一性Kir!ilcま、 人n‖JliI性をJltな る現 鍛認識 の枠 糾に とど めるの では なく 、それを実体的な典理その も の と し て77 tE論 的 に根 拠 づ け よ う と す る もの であ った 。こ の原理 !に は、 一カで はカ ント 的な 理性主 彈的 な側 而 と 、 他 カ で はそ れ が 回 避 し て き た 自 然 (客 観 ) との 合一 をめざ そう とす るロマ ン主 義″ 、J側而 とをと もに 認め るこ と ヵtで きる 。 こ の 両 鑑 性 を ヵ ロ に 、へ ー ゲ ル 左派 の多 くは へーゲ ル哲 学を 何ら かの意 味で 世俗 化させ なが ら、 前者 の側而を強調・ヤい張きせ、無帥論的な人nq理性万能主義に到った。

  し かし 、 シュ ティ ルナ ーは 、同‑竹三 原理uニ は自 然抑 圧的な 合理 主競 的なf'I三Wrが内 包さ れて おり 、ここ に佃 別的 多 義 性 , . 多様 性 の 無f匕 に 向 か う 危険 が 潜 在 して いる こと を看取 し、 その 解体 を試み るこ とに よって 近代 合理 主義 へ の ラ デ ィ カル な 批 判 のI懾 矢 を 放 った 。 こ の こ と は 、 個 人 が お のれ の 們 別 的 ・ 具体 的意 志と は区別 され る普 遍的 な 規 印 を 生 きる こ と を 要 求 す る カ ン ト から へ ー ゲ ル ヘ 到 る 自1瓠 思想 を 基 ホ 的 に 問題 化す るこ とを意 味す る。 この よ う な ‖H凪 は 、 カ ン ト 以 降 の 「 ド イツ 法 思 恕 の 泉 嗣Jを 榊 成 する も の と い う こ と が で き るが 、 と も あれ このよ う な問題性への蔚日にホ論文の基木的モティーフが存在する。

  理 性ー― 内な るml ‑―への 服従 とい う瞥 遍―キ 義 倫理 学の 基木的 モテ イー フを前 艇と した ‖専 、それ は生 身の們人 の 典 体 的 な そのll専 々 の 自 我 と 「ホ 顧Jと の く 自我 の二! 化冫 を招 き、 実質的 には 瞥遍 的慨念 ・法n|Jの 前に 生身 の 們 人 を 犠4!I! に す る こ と を仰 純する 。か くし て他 吉は、 上述 のよ うな 観点に 立ち つつ 、自我 を一 旦二 分し た上で 、 そ れ を 「 主 体 のrj己 還 帰 的 自己7Jと い う 榊 成 を 介し て 同 一 性 を 実 現 せ し め る とい う 発 恕 に 、 シ ュ テ ィ ル ナー が 疑fmを抱き、「同‑やI!原jlP.Jの解体ヘ向かったという思恕史的局而に江Dする。

  化 古の 受 約に 従え ば、IやI!f内1ヨ1い とは 神か ら人 類に同 一性 原理 が転移 され た所 廰に 他なら ない が、 それ は人間 が も っ ば ら 歴史 的 過 去 に 拘 束 さ れ た 自 己HZ俳 、 筒 ‖tに い えば 過 去 的 自 己 に よ る 現社 的自己 の支 配に すぎ ず、か か るr.I己完 キ占 的な1‑1fltに よっ ては、 倆人 は未 来に 踏みfI|すこ とが でき ない。こうしてシュテイルナーは、「君の過 ぎ た 時 に 縛 られ て い て は 、 霜 は 硬 瓶 す るJ、 「 租 は 私 を 仮 設 す る もの で は な いJと 述ぺ、 同‑悩! 原珊uこ おけ る1ヨ 我 の =m性 を 廃 棄 し 、 過 去に 限 定 さ れ ず 、 ま た 泱 し て対 鍛 化 さ れ る こ と の な い 「 移ろ い ゆ く 私Jあ る い は むし ろ   「r己nll迎r'I'J人怖Jと しての¨他一者を捉|罸するに到るわけであるーそこに、暫定的な受け容れI牛キルとしての人格 と 、 髞 々 の 経験 と のHI】 の フ イ ード ・ パ ッ ク 関 係 か ら 、 自 己 人格 の泉 木w統一ヤEを 絶え ず更 新し てゆく とい う自 我 観・人幣械が成立する。

    こ の よ う な 観 点 か ら 、ヘ ー ゲ ル 、 へ ー ゲ ル 左 派 の 們々 の 論 宥や マル クス 等の論 宵に 対し て、 住吉は 批判 的な 検 甜 を 飢1えて い く 。 こ の 点 の 紹 介 は 刪霞 せ ざ る を え な い が 、 そ のよう な議 論が 、当 ‖れD政治 ・社 会間 題と の関迎 の   Iftで厩 ‖‖ きれ ている こと はい うま でもな い。 ‖fた一 者を脱くシュティルナーは、現実fり胴体の唯一性を圧殺すると いう珂l亀‖1でキJ二会1!義「Iりな心心を斥Hるが、f煕条f′ト的に現下のTIi民礼会を支持するわけでもない。唯一性の発抑と

ー9

(5)

し て の 労 働 の可rig rJiiをm規 する シュ テイル ナー は、 個人 労働をiiIi象 化・ 轡遍化 させ 、代 替可 艫化を 促進 して いる 市 民 礼 会 の 分 業 化 に贅 告 を 発 す る 。 こ の よ う な シュ テ イ ル ナ ー の 思 想 は 、 ロッ ク を 継 承 す る 「 所 有 的 個 人主 義 」 と は 全 く 異 質の も の で あ る 。 む し ろ シ ュ ティ ル ナ ー は 、Tお 民 社 会を 容 赦 な く 侵 食 し て い くiH場 化 から 、生け る個 人 の か け が えの な さ を 救 出 し よ う と す る 。ま た こ の 唯 一 者 と し て の かけ が え の な さ と 人 栫 の 自 己所 有(Eigen)が 、 一 般 に ロ ッ ク 型 所 有怖 の 伝 統 を う け っ ぐ 思 想 ― ―そ の 現 代 的 形 態 は り パ タ リア ニ ズ ム ― − に お ぃ て 所 有 柵(pro− perLy,Eigen Lum)の 名 の 下 に 混 同 さ れ 尊 重 さ れて い る と し て そ れ を 批lrIし 、 私的 所有 櫞を自 己よ り区 別し、 それ に 対 す る 批 判・ 攻 撃 を な し え た 。

  ま た 唯 一 者は 、 自 己 所 有 者 と し て 自 己 人格 の 統 一 性 を 自 発 的 に 更 新し て い く こ と が で き る が ゆ えに 、 信 条 や 良 心 の 自 「nを も ち 、 し か も 自 ら の 意 見 表明 や 意 見 交 換 を 妨 げ られ ずに なし うるの でな けれ ばな らない 。1840&T:‑代 の プ ロ イ セ ン 政 府 に よる 強 圧 的 な 国 家 公 民 と し て の国 民 強 化 に 対 抗 し 、 シ ュ ティ ル ナ ー は 自 己 選 択 ・ 自 己 決定 に お け る 個 人 の 主 体 的 自I11を 碗 か に す る も の と し て 、 言 論 ・ 山 版 ・ 教 授 の 完 全 自 由 を 要 求 し た 。   以 上の よ う なl唯 一 者 の 簡 特 徴に 照 応 す る 政 休 と し て 、 シュ テ ィ ル ナ ー は 、 三 月 恭 命 前後 の 吐 論 の大 勢に敢 えて 抗 し て 、 迎 邦 主 義 を主 張 し た 。 国 民 個 人 個 人 が 現実 的 個 体 で あ る こ と を 尊 爪し 、 い か な る 慨 念 的 把 握 に よっ て も 汲 み 尽 さ れ な い そ のllt実 的 生 の 奥 深 さを 可 能 な 限 リ 尊mす る ため に は 、 們 人 們 人 の 自 発 性 にの み 山 来 す る 多 稲 多 様 な 結 祉 か ら、1亘 常 的 な 櫞 カ の 府 を もた な い 動 態 的 な 礼 会 :伏 悠が 維持 される こと こそ 、最 良であ ると 考え られ た か ら で あ る 。

  f.1! 古は 修こヒ 樔稈 在学 巾か ら思想 史の 内在 的理解 に徹 する とい う研究 スタ イル を取 リ統け てい る。 そして その成 果 は ホ 論 文 に 遺 憾 な く 発 抑さ れ て い る 。 少 な く と も マッ ク ス ・ シ ュ テ ィ ル ナ ー の 思想 そ の も の の 理 解と して は、

従 来 ま で の 我 が 陲Tに おけ る 最 も 包 括 的 な も の で ある と 評 価 し て よ い で あ ろ う 。し か もこ の雛 解なシ ュテ ィル ナー を 理 解 づ る に あ た っ て 、ド イ ヅ観 念論 哲学― −と りわ けへ ーゲル 哲学 ―― へーゲ ル左 派の 鷸論 者、マ ルク ス等 々、

そ れ ぞ れvll. 解に 雨 雛 な 思 恕 家の 蹴論を 丁寧 にフ オ口 ーし、 その 全体 の枠 紐の叶1で 、お よそ 上述 したシ ュテ ィル ナ ー 像 を 榊 成 し え た と い う こと は 、ft吉 が 思 恕 史研 究 者 と し て の 基 礎 的 素 養 を十 二 分 に 身 に っ け て い るこ とを示 す も のと 嗣! するこ とが でき る。

  し か し 、 本 論 文 は同 |t寺 に 、シ ュティ ルナ ーと それ をめぐ る思 想的j拷 問題 を理解 する こと を通 して、 同時 に、 近 代 か ら 現 代 に 至 る 哲 学 的 ・思 想 的 問 題 に 対 し て41吉 が 基 木 的 な 理 郷 能 カ を もち 、 今 後 、 本 研 究 を 跳 鼎台 として 、 更 に ス ケ ー ル の 大 き な 研 究 を な し う る だ け の カ 戚 を0mえ て い る こ と を も 十 分 に 窺わ せ る だ け の も の が あ る 。   而接試 験に おけ る質 疑応答 にお いて も、 質fllqの 意味 を適mに 捉えて、Jt、IJ廊にそれに説得カを備えた応答を彳了い、

論 議 能jに お い て も 優 れ た カ 量 を もつ こ と を 示 し た 。 以 上 か ら 、審 査 委 員 は 全 員 一 致 し て 、木 論 文 は 学 位 論 文 と し て か な り 高 水 粥 を 示 す も の で あ り 、 合 柵 と す る に 全 くnU題 は な い と い う 点 で 意 見 の 一 致 を 見 た 。

10

参照

関連したドキュメント

ところで,このテクストには,「真理を作品のうちへもたらすこと(daslnsaWakPBrinWl

tiSOneと共にcOrtisODeを検出したことは,恰も 血漿中に少なくともこの場合COTtisOIleの即行

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

 

ヨーロッパにおいても、似たような生者と死者との関係ぱみられる。中世農村社会における祭り

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

北区らしさという文言は、私も少し気になったところで、特に住民の方にとっての北