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博士学位論文審査要旨

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博士学位論文審査要旨

2010年5月25日

申請者  :江口  文恵(早稲田大学教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学)

      早稲田大学非常勤講師

論文題目:室町後期の能  ―作品世界と周辺の人々―

申請学位:博士(学術)

審査委員:主査  大津  雄一  早稲田大学教育・総合科学学術院教授  博士(文学)

      副査  田渕句美子  早稲田大学教育・総合科学学術院教授  博士(人文科学)

      竹本  幹夫  早稲田大学文学学術院教授  博士(文学)

      三宅  晶子  横浜国立大学教育人間科学部教授  博士(文学)

1、本論文の目的

  能の大成者である世阿弥の出現により猿楽はその姿を大きく変えることとなった。そし てそれ以降室町後期まで、能作者が新しい作品を作り、演じることが続いた。現在演じら れている作品のうち、そのほとんどが室町後期までに成立したものである。しかし、室町 後期に成立した作品には、世阿弥の生み出した様式には則ってはいるものの、作風が世阿 弥の作品とは大きく異なっているものが少なくない。

  これまでの能の研究は、世阿弥の時代を中心として行われ、室町後期の能については必 ずしも十分には行われてこなかった。本論文は、世阿弥の甥、観世三郎元重(音阿弥)の 末子観世小次郎信光とその子観世弥次郎長俊の作品分析によって、室町後期の能の特質を 明らかにする。また、信光・長俊以降の能役者の事跡、あるいは彼ら以前の役者のそれを、

諸資料を博捜して明らかにする。

2、本論文の構成

  本論文は序説、全六章の論で構成される研究編、および本文編からなる。さらに研究編 は全六章を内容別に第一部〜第三部(各部二章)に分けている。第一部・第二部は能の作 品研究、第三部は能役者を主とした歴史研究である。なお、第三部については第一章・第 二章ともに比較的規模の小さな論を複数合わせて章を構成しているため、節を設けている。

以下に目次を示す。

序説  室町後期の能と能面  ―能作者別に見る能面用法の変遷―

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《研究編》

第一部  観世小次郎信光作品研究 第一章  〈高祖〉をめぐる諸問題

第二章  〈大蛇〉考  ―観世信光の「龍の能」―

第二部  観世弥次郎長俊作品研究

  第一章  観世長俊の神能  ―〈厳島〉〈老子〉を中心に―       

  第二章  観世長俊の作詞法と後世の評価

第三部  信光・長俊前後の能役者たち  ―記録類に見える人々― 

  第一章  長俊以後の能役者

    第一節  勧修寺文書に見る観世小次郎元頼の領地安堵  ―観世新九郎家文庫蔵織田信 長朱印状に至るまでとその後―

    第二節  八世観世大夫観世元尚の忌日について  ―大徳寺文書に見える観世大夫家関 連書状―

  第二章  信光以前の役者たち     第一節  若年期の金春禅竹

    第二節  増阿弥書状二通  ―応永期の東寺百合文書検討―       

    第三節  『東院毎日雑々記』に見える芸能関連記事

《本文編》

  凡例

  観世信光作品            〈高祖〉〈大蛇〉〈愛宕空也〉〈太施太子〉〈龍虎〉〈皇帝〉〈貴船〉〈亀井〉〈吉野天人〉

  観世長俊作品

    〈厳島〉Ⅰ型・Ⅱ型・Ⅲ型 〈異国退治〉〈江野島〉〈老子〉〈広元〉〈花軍〉〈岡崎〉

〈みうへが嶽〉〈呂后〉〈降魔〉〈長卿寺〉〈葛城天狗〉〈樒塚〉

結語       

【初出一覧】       

3、各章の概要

序説  室町後期の能と能面  ―能作者別に見る能面用法の変遷―

  室町後期に作られた能が、能の大成期(世阿弥時代)と比較してどのような変貌を遂げ ているのかを概観するために、能面を手掛かりに時代別に能の特徴を考察する。世阿弥時 代の能に使われている能面は『申楽談議』第二十二条「面のこと」において挙げられる面 でほぼ事足りるが、時代が下るにつれ、必要な能面が増える傾向にあり、それだけでは間 に合わなくなる。世阿弥の女婿金春禅竹が〈春日龍神〉で龍神の能を作ったのをはじまり とし、室町後期になると龍が登場する能が新作・改作ともに増えるほか、世阿弥が否定し

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た「力動風鬼」に相当する荒ぶる鬼神や、危害を加える悪鬼など新しい役柄が加わるに伴 い、龍に使用される黒髭面や悪鬼に使われる顰面などが新出することを指摘する。また、

室町後期の能作者観世長俊の作品には、多くの登場人物がそれぞれ異なる面を着用して舞 台に立つ場面や、舞台上で複数の役者が面の早替えを行う演出など、斬新な能面の扱い方 をする作品が目立つ。世阿弥が確立した能のセオリーに則りながらも、新しい作風や試み を次々に繰り出していく室町後期という時代には、能がまだ「古典演劇」ではなく、新し いものを生み出す力を持ったパフォーミング・アーツであったことが窺い知れるとする。

《研究編》

第一部  観世小次郎信光作品研究

  先学の研究成果で観世信光の生年が訂正され、その経歴を全体的に見直す必要性が生じ た。信光の能作の経歴において再考すべき作品を取り上げる。

第一章  〈高祖〉をめぐる諸問題

  観世信光の生年が従来考えられてきたよりも十五年遅いことが判明したことで、享徳元 年音阿弥所演の〈カンノカウソ〉(漢の高祖)は演者音阿弥の子息観世信光によるものでな い(当時信光三歳)ことが確実となった。ただし、信光の子息観世長俊の直談の筆録で信 光作品を特定する第一級資料である作者付『能本作者註文』には信光作品の項に「高祖」

と書かれている事実には変わりない。この点に着目し、現存の番外曲〈高祖〉について考 察する。現存〈高祖〉の詞章を分析すると、星に祈る場面で剣を持って秘文を唱える点が 信光作の〈皇帝〉に近似しており、信光作である可能性は捨てきれない。また、享徳元年

〈カンノカウソ〉が所演された薪猿楽御社上りの能に参勤した金春・金剛・観世の三座の 演目を見ると、現存〈高祖〉の如く多人数を要する演目は他に見られず、役者の数が足り たのか疑問が残る。これらの考察により、現存〈コウソ〉は既存の複式夢幻能(恐らく音 阿弥所演〈カンノカウソ〉がこれに該当するであろう)に、斬リ組などを加えて「斬リ組 霊験能」に仕立てた改作ではないだろうかと可能性を指摘する。

第二章  〈大蛇〉考  ―観世信光の「龍の能」―

  観世信光の生年訂正と前章で考察した〈高祖〉の成立年代が不明となったため、信光若 年期の作品として代わりに挙げられるのが〈大蛇〉である。同曲は処女作である可能性も 有している。〈大蛇〉は同じく信光作〈玉井〉とともに『日本書紀』を原拠とする作品で、

恐らく中世日本紀を参考にしているであろうものの、書紀の原典にかなり近い言葉づかい が見られる点が共通するほか、どちらにも龍が登場する。龍が登場する信光作品は計八作 品が挙げられ、現存信光作品の三分の一を占めている。信光の能作者としてのスタートは 龍の能で、信光の代表的作風と言ってもよい。これは金春禅竹以降龍が猿楽の中で定着し たことを物語っている。また、信光が龍を表現する際に使う語彙がある程度固定的である

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ことがわかる。さらに〈大蛇〉で引用される和歌は八代集など有名な文献に基づいており、

それに対して漢詩の引用は見られない。信光と言えば『三体詩』からの引用を多用するこ とが知られているが、〈大蛇〉には見られない。それは〈大蛇〉の情景描写などに『三体詩』

が使えなかったからではなく、本曲の成立時期がまだ信光の初期段階であったため、同書 と出会っていなかったからではなかろうかと考察する。

第二部  観世弥次郎長俊作品研究

  観世信光の子息観世弥次郎長俊の作品は、従来父である信光の作品群の亜流として扱わ れることが多かった。長俊作品全体を捉えなおすことで長俊自身の作能の特徴を考える。

第一章  観世長俊の神能  ―〈厳島〉〈老子〉を中心に―

  観世長俊の作品には〈大社〉〈江ノ島〉など神能作品が多く、うち〈厳島〉はほかの作品 と異なり、女神である弁財天をシテとする。詞章は法華経の引用がきわめて多いために前 場は長大で、それに対して後場は短い。詞章は最低二度にわたり改訂されており、前場は 法華経の文句を中心に削除される傾向にあり、後場は語を増やすなど増補の痕跡が確認で きる。また、〈老子〉は謡本の奥書より長俊若年期の作品であることがわかっている。中国 の伝説上の人物を生きたまま神格化して神能に仕立てた能で、前場は短く老子は登場しな い。代りに天女が前場・後場の両方に登場する。天女は前シテとして登場して中入し、後 場には後ツレとして再度登場する、特異な構成である。天女が登場する場面以外の詞章は

『道徳経』や『神仙伝』からの直接的な引用で構成されている。構成に特徴がある点で共 通する〈厳島〉も若年期の作品である可能性を指摘し、後年の作品〈江ノ島〉などでは神 能に定型の「後ツレ天女型」に落ち着いたのではないかと論じる。

第二章  観世長俊の作詞法と後世の評価

  大がかりな作り物や派手な演出、多人数の役者が登場するなど、従来指摘されてきた長 俊の特徴は舞台上での視覚的効果についてのものが圧倒的に多かった。本章では長俊の作 る詞章に着目し、作詞法からその特徴を導き出す。長俊の詞章を分析すると、①典拠など 引用文献を直接的に詞章に取り入れる点、②先行の能の詞章を積極的に活用し、類似場面 を構成する点、③固定的な表現(決まり文句)が見られる点が挙げられる。特に①の直接 的引用は長俊の詞章に難解な語が多いことと関連している。これは長俊の作能法自体が典 拠をそのまま能に仕立てる手法であるため、詞章にもそれが反映している。しかし、いく つかの作品は後世の改作の際にその詞章も変えられており、特徴と言える難解な文句を含 む箇所を中心に削除・改訂されていることが多い。長俊の作品の特徴は素材の新しさおよ び素材に対する素直さにあるが、その特徴が後世に演じる際の支障となっていたのであろ うことを指摘する。

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第三部  信光・長俊前後の能役者たち  ―記録類に見える人々―

第一章  長俊以後の能役者

  第二部で考察した観世長俊以後、能の新作が増えなくなる。本章では長俊以降の能役者 たちの動向を、寺社資料をはじめとする記録類からさぐる。主に信光・長俊の子孫及び血 縁関係にある室町末期の能役者たちについて考察する。

第一節  勧修寺文書に見る観世小次郎元頼の領地安堵―観世新九郎家文庫蔵織田信長朱印 状に至るまでとその後―

  観世長俊の子息である観世小次郎元頼が織田信長から朱印状(法政大学能楽研究所観世 新九郎家文庫蔵)を拝領し、領地を安堵されたことはすでに知られており、能役者の領地 拝領としては比較的早い例とされている。同時代の勧修寺文書には、観世小次郎が三好長 逸と三好宗渭(政康)の二名(いずれも三好三人衆)に領地安堵についての願い出たこと に対する返事や問い合わせの書状が現存する。当該書状は文中に見える地名が信長朱印状 に見える領地名と部分的に一致するだけでなく、朱印状よりも早くに成立している。信長 が進出する以前は三好氏が畿内を支配していた。勧修寺文書の文面からは三好が元頼に安 堵状を送ったこと及び三好以前に細川氏にも領地安堵されたことをうかがわせる。従来新 規拝領か旧領安堵か判然としなかった信長からの領地安堵が旧領安堵であったことが判明 し、戦国時代の動乱中に権力者が変わるたびに領地安堵についてはたらきかける元頼の動 向を明らかにした。この結果から信長と観世元頼の関係も再考を要することを指摘する。

また、元頼・勧修寺間に紛争が起こったことが新九郎文庫文書及び勧修寺文書から見てと れるが、その発端が天文十年十二月『大館常興日記』に見える、勧修寺門跡領を元頼が競 望したことによるものであろうと類推する。さらに、信長の朱印状に見える地名のうち、

勧修寺領以外に醍醐寺領が含まれていることから、『醍醐寺文書』を調査し、同文書中に見 える小次郎元頼に年貢が納められている記録(天文年間)を紹介する。

第二節  八世観世大夫観世元尚の忌日について  ―大徳寺文書に見える観世大夫家関連書 状―

  観世宗家の文書類を収蔵する観世文庫所蔵の系図類は八世観世大夫観世元尚の命日を天 正五年正月晦日(暦では一月三十日)する。先学もそれに従い、命日を一月三十日として きた。しかし、元尚の位牌が納められた京都大徳寺の文書に残る元尚の養父観世宗節の書 状は、元尚の命日が一月二十九日であると明記する。一日の違いではあるが、家伝と異な る命日を記録する文書の存在を指摘するほか、大徳寺文書に見える観世大夫関連文書をい くつか紹介し、観世大夫家と大徳寺の関わりについて考察する。

第二章  信光以前の役者たち

  本章では信光の父である音阿弥元重の活動時期でもある応永末年頃の記録類に見える芸

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能関連記事を抽出して考察する。猿楽に関係する人物と演能記録が中心だが、田楽役者や 田楽や延年などに関する記事も考察対象とする。

第一節  若年期の金春禅竹

  『金春古伝書集成』刊行以降、あまり考察されてこなかった金春禅竹の若年期における 活動記録二件を紹介・考察する。一件は応永二十八年十月興福寺維摩会での講師翫猿楽に 出勤した「児金晴」(『応永廿八年維摩會講師房引付』)で、これまで文献上の初出と思われ ていた応永三十一年八条坊門勧進猿楽(『後鑑』及び『東寺百合文書』)より三年早く、禅 竹の活動時期を早めるもので、現時点では唯一の禅竹が十代(数え十七歳)の頃の活動記 録である。別一件は先に掲げた応永三十一年の八条坊門勧進猿楽(禅竹二十歳)の記録で、

従来知られていた『後鑑』記事が引用する『東寺廿一口方評定引付』の記事を確認すると、

「…今春大夫、勧進猿楽沙汰之由、風聞之間、名人之間…」などとあり、『後鑑』では省 略されている記述が見える。『後鑑』省略記事を中心に考察し、「名人」から禅竹が若い頃 から人気役者だった可能性の指摘や当時の勧進猿楽の様相を分析する。応永二十八年・三 十一年両記録に共通する「児」という記述から、禅竹が二十歳まで元服していなかったこ とを指摘し、禅竹の元服が比較的遅い理由についても考察する。補説では禅竹の元服時期 を世阿弥の女婿となり『拾玉得花』『六義』を相伝される以前、応永三十一年後半〜同三十 四年頃であろうと推定した。また、禅竹以外の芸能・文学史に関わる記録として、光暁の 日記『東院毎日雑々記』に見える応永二十八年の維摩会講師翫猿楽に出演した「石鶴」な る人物やその翌日に東院を訪問した歌人正徹の記事、及び『東寺廿一口方評定引付』応永 三十三年五月十三日条に見える観世三郎(音阿弥元重と思われる)の勧進猿楽記事などを それぞれ紹介する。

第二節  増阿弥書状二通  ―応永期の東寺百合文書検討―

  東寺百合文書の応永十三年『東寺廿一口方評定引付』に「田楽増阿弥」の名前が見える ことが先学により指摘されており、東寺と田楽新座の役者増阿弥との関わりは従来から指 摘されている。本節では応永三十年以降の百合文書から増阿弥なる人物が燈籠を寄進する 一連の記録及び書状を紹介し、それが田楽役者増阿弥のものである可能性を考える。当該 記録の年代が田楽役者増阿弥の活動時期と一致する点から、一連の記録は田楽役者の増阿 弥である可能性は高いと思われるが、当該記録の場合応永十三年の引付所載記事とは異な り「田楽」などの役者であることを特定する語が見られないが、その可能性を指摘する。

第三節  『東院毎日雑々記』に見える芸能関連記事

  本章第一節でも引用した『東院毎日雑々記』(東京大学史料編纂所蔵。興福寺所蔵本の影 写本)は興福寺東院の光暁の日記である。同書は日々の仏事等以外に、芸能に関する記録 を多く記録する。本節では同書中の芸能関連記事を翻刻・考察し、応永年間の興福寺近辺

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での猿楽・田楽の状況を概観する。特に『大日本史料』第七編未収録の記事(未刊行部分 を含む)には従来知られていなかった記録が多く、非常に興味深い。第伊一節で紹介した 記事のほか、寛正年間の活動記録のみが知られていた「金若」なる人物の中院猿楽記事や 応永二十五年十一月の薬師寺八幡宮の宮遷猿楽記事など、小さな記録ながらも芸能史にお けるミッシングリンクを埋めることのできる記事について重点的に考察する。

《本文編》

  観世信光・長俊の作品は番外曲が多いため、校訂されているテキストが少ない。研究の ための能のテキストは小段分けが施され、校訂されたものであることが必須条件であるが、

刊行テキストに収められている信光・長俊らの作品が少ないことが研究の遅れの一要因に もなっている。上記の問題点を考慮し、日本古典文学大系『謡曲集』に未収録の長俊・信 光作品の中から第一・第二章の作品研究で扱った曲を中心に、校訂本文を作成し、収録し た。底本は現存諸本で管見に入るもののなかから、曲ごとに最善本を選んで校訂し、新し いテキストを提供する。

4、総評

  観世信光・長俊を中心とする、室町後期観世座の能作者の作風論・作品論からなる第一 部・第二部と、長俊子息の元頼に関する歴史資料、その他の室町中期の歴史資料の紹介を 主体とする第三部とに、大きく二分される構成の論である。前半の信光・長俊の作品論は 特徴的な作風を代表すると思われる数曲を選んで論じたものである。もちろん、論者は、

両作者の作品を網羅した上で、その他の作者の作品群と共通要素の多い作品は除外し、特 色ある作品について論じるという方法で信光・長俊の作風の本質を摘出しているのである。

その結果、これまで全体を網羅するという前提の下に、浅く広く全作を論じるばかりで、

戦前の認識をほとんど越えることのなかった信光・長俊の作品論を大きく進展させる論と なった。信光の龍神物やいわゆるツレ天女の役柄造型について、龍神・天女の組み合わせ という常套的パターンがいつ、どのように成立したのかという俯瞰的な視点がないなど、

能の作品群全体、室町後期の作品群の中での体系的な把握にまで及んでいないのは惜しま れるが、室町後期能作論としてはきわめて貴重で骨太の好論と評価出来る。

  第二部の歴史資料紹介は、観世元頼の所領獲得の経緯を安堵状などの文書を博捜して論 じる部分と、田楽増阿弥や金春禅竹の新出資料の紹介が中心である。元頼関係の考察は、

室町期における能役者の身分と扶持の問題について光を当てた卓説で、一見小論風に見え ながら論じている問題は大きい。元頼所領は本来ありうべからざるものと幕府当局者に指 弾されながら、結局は戦国期の混乱に乗じて歴代権力者の安堵状を獲得する事実を積み重 ね、やがては子孫である観世新九郎家が囃子方で唯一所領を認められるという特例に発展 していく経緯が述べられている。これは裏を返せば、こうした扶持のあり方が能役者には

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本来なかったことを示しており、豊臣秀吉による四座役者への扶持の画期的な意味も鮮明 化するという成果を生んでいる。後半の増阿資料は、それを田楽増阿のものと即断しない 慎重姿勢が学問的な手法の確かさと一体となっており、論者の姿勢をよく表している好論 である。また金春禅竹の若年期の資料、そのほか音阿弥若年期資料の紹介をも付加する。

広範で緻密な資料調査によってもたらされた多様な発見の積み重ねであり、いずれも断片 的な資料ながら、能楽史研究にもたらす成果は決して小さくない。

  以上により、審査委員一同、本論文を博士(学術)の学位授与にふさわしいものと判断 する。

参照

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