Ⅰ.はじめに
メコン河委員会(Mekong River Commission、以下 MRC)が 1995 年に創設されて今年で 15 年になる。最 初の流域委員会が設立されてからは既に 50 年以上が 経った。その間、戦争などの紆余曲折はあったものの、 今日ではすべての流域国が順調に経済発展を遂げてい る。 この 15 年の間、MRC は統合的水資源管理(Integrated Water Resources Management、以下 IWRM)のアプロー チを積極的に採用し、メコン河の「水」だけではなく、 漁業や航行(navigation)、観光など、水に関連する分野 を「統合」した管理を指向してきた。しかし、MRC の 活動の根幹ともなるべき水資源開発においては、環境プ ログラムに傾注してきたために、1995 年の MRC 創設以 来、本流でのダム建設ができなかった(笠井、2009: 88)。一方で、メコン河上流の雲南省では、中国が水力 発電のためのダム建設を積極的に行っており、MRC に 加盟している下流 4 ヵ国は、それによる環境や漁業、生 態系への影響を懸念している。また、創設後 15 年が経っ た現在でも中国が MRC に加盟する様子はうかがえず、 一方で中国は MRC 加盟によって本流でのダム開発が制 約されることを回避しようと、アジア開発銀行(Asian Development Bank、以下 ADB)の大メコン圏(Greater Mekong Sub-region、以下 GMS)構想の中で、メコン河 流域諸国に対する経済的なテコ入れを積極的に行い、そ の影響力を強めつつある。メコン河流域諸国が経済成長 と相まって大きく変貌する中で、とりわけ急速な経済発 展を遂げてその影響力を増大させてきた中国と、メコン 河下流諸国との関係を再考する時機を迎えていると言 える。 本稿は、メコン河の水資源をめぐる上流の中国と下流 4 カ国との今後の関係を展望するために、水資源管理の 国際的な潮流である IWRM の観点から、メコン河流域 における重要なアクターである MRC の抱える課題を考 察することを目的とする。そこでまず、これまでの MRCの活動の経緯と中国との関係を整理する。次に、 MRCが活動を行う上で重要視してきた IWRM のアプ ローチとアカデミックに議論されてきた IWRM との違 いを明らかにし、MRC における水資源管理の課題を考 察する。そして最後に、メコン河の水資源をめぐる中国 および下流 4 カ国との今後の関係を展望する。
Ⅱ.MRC による水資源管理の変遷と中国
Ⅱ.1.MRCの組織概要と水資源管理の変遷 MRCは、1995 年 4 月 5 日に「メコン河流域の持続可 能な開発のための協力協定」(以下、95 年協定)が、下 流 4 ヵ国の間で調印されたことで設立された。また、上 流の中国・ミャンマーがオブザーバーとして参加するこ とも、あわせて決定した。発足当初の事務局は、前身の メコン委員会(Mekong Committee)1 )のものを引き継ぎ、 タイ・バンコクの国連アジア太平洋経済社会委員会 (UNESCAP)の建物を使用した(大和谷、1993: 199)。 MRCは、 理 事 会(Council)、 合 同 委 員 会(Joint Committee)、事務局(Secretariat)という 3 つの常設の 組織から構成されている。理事会は閣僚レベル、合同委 員会は次官・局長レベルによって組織され、前者が政策 Ⅰ.はじめに Ⅱ.MRC による水資源管理の変遷と中国 Ⅱ.1.MRC の組織概要と水資源管理の変遷 Ⅱ.2.5 ヵ年戦略計画 2006−2010 Ⅱ.3.MRC と中国との関係 Ⅲ.メコン河委員会の水資源管理の課題と今後の展望 Ⅲ.1.統合的水資源管理とは Ⅲ.2. メコン河委員会による水資源管理の課題と今後 の展望―中国との関係を念頭に Ⅳ.おわりにメコン河委員会による水資源管理の課題と展望
─統合的水資源管理の観点から─
濱 崎 宏 則
および意思決定を、後者がその実施を担っている。事務 局は実務を担当している。 95 年協定は 6 章 42 条から構成されている。第 3 章「協 力の目的および原則」の中の第 1 条では「協力分野」と して「灌漑、水力発電、航行、洪水制御、漁業、木材運 搬、レクリエーションと観光」が列挙され、「幅広い分 野を対象とした包括的な河川流域開発を想定」(笠井、 2003: 207)している。さらに第 2 条においては、すべて の流域国への持続可能な便益の開発とメコン河流域水系 の 無 駄 な 利 用 防 止 の た め に、 流 域 開 発 計 画(Basin Development Plan、以下 BDP)の策定を通した共同もし くは流域全体での開発を行うように規定されている2 )。 BDPは、MRC が加盟国をコントロールし持続可能な 水資源開発を先導しようとしたものとして注目を集め た。しかしながら、1995 年 6 月に最初の下部委員会が 開催されて以後は、MRC 全体の組織改革が進むまでは 目立った成果がなかった(MRC, 2006a: 7)。 MRCは、95 年協定の下で流域全体を展望した開発を 進めることになったが、現実は大きく食い違った。MRC の実際の活動は、加盟国の開発テーマを列挙することが 中心であったため、MRC が加盟各国の開発プロジェク トに対する支援の窓口と化し、個別の国内プロジェクト の実施に関わるだけの体制になってしまった。他方で、 援助を提供する側は MRC に対する信認を低下させると ともに、MRC を経由しないで直接対象国を支援するよ うになり、MRC の存在意義が大きく損なわれる事態が 生じた(山影、2003a: 60 – 61)。 そこで MRC は事務局をカンボジアの首都プノンペン に移し、1998 年から 99 年にかけて大規模な改革を行っ て、委員会の目的がプロジェクトの実施ではなく流域管 理であることを明確にした。そして 1998 年には「新し い方向:新戦略 1999 − 2003」を策定し、下記に示すよ うに「メコン河流域の将来ビジョン」、「MRC のビジョン」 および「MRC のミッション」を掲げ、MRC として目指 す方向性とその果たすべき使命を明確にすることで、組 織内の意思統一と活性化を図った(MRC, 2003: 5)。 ▼メコン河流域ビジョン 経済的に繁栄し、社会的に公正であり、環境的に健全 なメコン河流域 ▼ MRC ビジョン 流域ビジョン達成のためにメコン流域国に資する、世 界水準かつ資金的に安定した国際河川流域組織 ▼ MRC ミッション 加盟国相互の便益および人々の幸福のために水と関連す る資源の持続可能な管理と開発を促進し、調整すること そしてさらに 2000 年末にかけて見直しを加え、最終 的に「戦略計画 2001 − 2005」が策定された。またこれ 以後、MRC は毎年、5 カ年計画に沿って業務計画(Work Programme)を策定するようになった。この戦略計画に おいてはプログラム・アプローチが採用され、MRC の 活動がコア・プログラム(BDP /水利用プログラム/ 環境)、サポート・プログラム(人材能力開発)、セクター・ プログラム(漁業/農業・灌漑・林業/水資源・水利/ 航行)の 3 つに分類された(MRC, 2003: 3−4)。このカ テゴリー分けによって、MRC 内の複数あるプログラム の優先順位が明確になった。つまり、MRC の本来的な 業務である水資源の開発および管理を文字どおり「中核」 業務とし、それに付随するプログラムとの棲み分けを 図ったといえる。 この 5 ヵ年計画の成果として MRC は、コア/サポー ト/セクターの 3 つに分類したプログラム・アプローチ での事業の達成や、促進すべき適切な開発プロジェクト およびプログラムへの資金拠出や選別のための基礎づく り、共同での BDP の実施と発展を挙げている(MRC, 2006b: 3−4)。しかし一方で MRC は、自ら課題も指摘 している。MRC としてもっとも大きな課題は、MRC が 他の開発パートナーの活動との重複を避け、補完的な活 動をせざるを得ない状況にあり、それは MRC が他の開 発パートナーと比較して、付加価値や能力において制約 があるからだ、という指摘である。また、持続可能な発 展を通じた貧困脱却に関して、目に見える具体的な結果 が出せていないという自己批判も展開している3 )。この 自己評価に対応する形で新しく策定したものが、現在ま で続く新 5 カ年計画「戦略計画 2006−2010」である。 Ⅱ.2.5ヵ年戦略計画2006 − 2010 2006 年 に 策 定 さ れ た「 戦 略 計 画 2006 − 2010」 は、 2005 年 5 月から策定の準備が始まった。その後 1 年余 りの間に、加盟国間による調整協議やドナー会合、ステー クホルダー会合など、さまざまなアクターによる議論が 重ねられ、2006 年 8 月 30 日に合同委員会によって最終 案が承認された。 2006 年から 2010 年の戦略期間における MRC の、組 織全体の運営における原則とアプローチは表 1 のように
策定されている。「戦略計画 2001 – 2005」における自己 評価に基づいて、財政面の強化や人材育成を通して、こ れまでの活動にさらなる付加価値を付けて、他の開発 パートナーとの差別化を図ろうとしていることが推察さ れる。また、ステークホルダーの参加や情報公開の促進 を通じて、MRC としての貧困脱却への取り組みをアピー ルする狙いがあると思われる。さらに MRC は、2010 年 までに達成すべき目標を以下のように掲げている(MRC, 2006b: ix)。 ■ 流域資源の持続可能な開発と管理を、成功事例(ベ スト・プラクティス)から学ぶ原則によって行い、 かつ組織的なプロセスおよび実績において先進的で ある国際河川流域組織として認知されること ■ 流域の水関連および環境資源に付随する優れた分析 および管理体系に裏打ちされた、管理情報および知 識の「中核的研究機関」として受け入れられるよう にすること ■ 流域国の社会的、環境的な強い願望を反映した一連 の実現可能かつ正当と認められる開発プロジェクト を蓄積し、重要なプロジェクトを流域圏でのメコン プログラムに分類すること ■ MRCの流域全体に、世界水準の国際河川流域組織 であるという認識と理解を確立し、貧困軽減と持続 可能な発展に寄与すること 「戦略計画 2006 − 2010」では、表 1 に示した「プロ グラム調整」の原則に基づき、MRC は 2005 年まで実施 していたプログラム・アプローチを廃止したため、コア /サポート/セクターの 3 つの分類を廃止した。これは プログラムを 3 つに分類したことによる縦割りの弊害を なくすためであり、「プログラム調整」の原則に則って、 新しい戦略計画では IWRM アプローチにならって各プ ログラムのより強固な統合を目指している。具体的には 図 1 に示したように、BDP /環境/情報・知識管理/ 統合的人材能力開発/水利用/洪水管理・緩和/干ばつ 管理/農業・灌漑・林業/航行/水力発電/漁業/観光 の 12 のプログラムが策定され、中でも BDP が中枢的な 役割を果たすことを示している。また、各プログラムと もに毎年発行している業務計画の中で 1 年間の業務プラ ン(work plan)を掲げるようになり、具体的な成果を 出していくことを目指した。 表 2 に、各プログラムの概要をまとめた。各プログラ ムの詳細は紙幅の関係上、本稿では取り上げないが、そ の中身を見ていくと、MRC のプログラムは多岐にわたっ ている一方で、すでに完了したものや第 2 段階へと展開 しているものもあり、メコン河の水と関連する資源の管 理を担う組織として着実に成熟しつつあると思われる。 しかしながら、MRC がメコン河下流域の管理を進める 一方で、対外的な関係として、上流の中国との関係はな かなか進展せず、悩みの種となりつつある。 Ⅱ.3.MRCと中国との関係 中国はメコン河の最上流に位置し、経済的にも地理的 にも大国であり、メコン河下流域諸国に対して影響力を 強めてきている。中国からさまざまな製品が輸出され、 また、インフラ整備のための資金が中国企業から投資さ れるなど、その存在感は増すばかりである。 MRCにとっても、中国の存在を無視することはでき ない。MRC 創設前の 1960 年代から 70 年代にメコン河 下流域の開発が停滞していたのに対し、中国はすでに本 流の本格的な開発を、雲南省を中心に計画していた。中 国でのメコン河開発はもっぱら電力中心であり、そのた めのダムと水力発電所の建設が具体的プロジェクトで あった。すなわち、距離にしておよそ 1,200km、標高差 1,800 メートルの間に 14 カ所のダムを建設し、年間で 1,095 億 kwh の電力量を供給する計画を立てた。そして 現在では、すでに 4 基の水力発電用のダムが稼働してお 表 1 「戦略計画 2006 ‒ 2010」における原則とアプローチ 原則 アプローチ プログラム調整 IWRMアプローチにならったさ まざまな MRC プログラムの、よ り強固な統合 サステイナビリティ オーナーシップ メンバーシップ 加盟国による分担金の一定した 増加と、MRC の管理および運営 における強化された状態 MRCスタッフの 能力開発 人的資源戦略および政策の導入 ステークホルダーの 参加 市民社会・NGO および新興の河 川流域組織との緊密なコミュニ ケーションおよび連携 透明性・情報公開 MRCのステークホルダーとのコ ミュニケーションにおける先を 見越した取り組み MRCの活動における ジェンダーの視点の 統合 包括的なジェンダー・ガイドラ インおよび政策の構築と普及 出所:MRC(2006b: viii – ix)
り(K. Onishi, 2008: 202 – 203)、さらに 12 基のダム建設 を計画していることから(Financial Times, 2010)、MRC および下流 4 カ国はそれによる環境や農業、漁業への影 響を強く懸念しているのである。 しかしながら、MRC は中国のこうした動きに対して まったく対処できない。なぜなら、2 章でも述べたとお り、中国は MRC には正式な加盟国としてではなく、オ ブザーバー(dialogue partner)として参加しているか らである。中国は 1995 年の MRC 創設のためのワーキ ンググループ会合以来、すべての MRC における会合に 参加している(笠井、2003: 207)ものの、正式加盟への 動きはまったく見られない。 背景にはいわゆる「メコン・スピリット」による制約 の回避があると推察される。これは MRC の前身である メコン委員会創設時に合意されたもので、「少なくとも メコン河本流の開発に関しては流域 4 カ国の合意の下に 進める」という原則である(山影、2003a: 56)。メコン 河の本流には流域の加盟国の同意が得られなければダム 建設ができないため、上流に位置する中国が MRC に正 式加盟してしまうと、下流国の合意なしにダムが造れな くなってしまうのである。 以上に見てきたように、MRC による下流域内の水資 源管理は、この 15 年の間に着実に進められてきた。し かしながら、上流の中国による積極的なダム建設によっ て、現在では対外的な関係に対応する段階を迎えている。
Ⅲ.メコン河委員会の水資源管理の課題と
今後の展望
MRCがこれまで、水資源管理政策の遂行にあたって 大きく依拠してきたのが IWRM という概念である。こ のアプローチはどのようなもので、MRC の政策の中で どのように扱われ、そしてどのような課題を抱えている のかを、本章で考察していく。 Ⅲ.1.統合的水資源管理とは IWRMアプローチが今日の水資源管理の国際的な潮流 となってきているが、歴史的には、第 2 次世界大戦後の 表 2 MRC プログラムの概要 プログラム名 概要 流域開発(BDP) 2007 年 1 月より始まったフェーズ 2(BDP2)が進行中で、流域国相互の利益のために、 統合的かつ持続可能で公平な方法でメコン河流域の水資源を管理、開発することを目 指す 環境(EP) 環境モニタリング・評価や環境デザイン支援、人々の生活と海洋の生態系、環境知識 の普及、環境流量の管理などを行う 情報・知識 データ交換・共有、情報管理、政策策定支援枠組み、政策策定支援システム、能力開発・ 制度強化などを行う 統合的人材能力開発(ICBP) 人材育成のために、プロジェクト管理や情報管理、コミュニケーション、環境ガバナ ンスなどのさまざまなトレーニングを行っているほか、研究協力やジェンダーの主流 化を推進する 水利用(WUP) 流域内の水利用における、情報交換と共有、モニタリング、通知・事前調整・合意、 流量保全、水質のためのさまざまな手続きを策定し、2008 年 3 月に終了 洪水管理・緩和(FMMP) 地域洪水センターの設立、越境洪水問題の調停・仲介、洪水緊急管理の強化、土地管 理などを行う 干ばつ管理(DMP) 通常と異なる干ばつとそれによる影響の管理を行う 農業・灌漑・林業(AIFP) 水田における多機能性や灌漑効率性の改善、水および食料に関する課題克服プログラ ムなどを行う 航行(NAP) 社会経済分析、各地域の水運計画、航行のための法的枠組み、運行の安全確保、環境 の持続可能性などを行う 水力発電(ISH) 2007 年から本流でのダム開発推進のために、関係プログラムとの協議を重ね、計画実 行のための準備を進めている 漁業(FP) 漁業生態系の評価、メコン河固有の魚種の養殖、漁業管理などを行う 観光 環境に配慮した水関連の観光事業の促進を行う 出所:2003 年から 2009 年までの MRC Work Programme を参照して筆者作成。急速な経済成長の中で不足する電力供給に対応するため に、治水から利水へと水資源開発の方向性が変わってき た。しかし、水力発電のために大規模ダムを建設するこ とで生態系への悪影響や住民の立ち退きなどの問題が起 こるようになり、水資源開発における環境的・社会的配 慮が求められるようになった。このようにして、現在で は水資源管理にさまざまな要素が統合されてきた。 しかしながら、IWRM に何が統合されるのかについて は、定まった見解がない。たとえば中山は、メコン河に おける IWRM について「河川流域を一元管理するよう な機関を設立すべき」と述べており、「流域全体を統合 した管理」という意味合いで用いている(中山、1997: 17)。同じような見解として、縦割り行政の統合化や、 住民や NPO / NGO などの多様なステークホルダーの 統合のように、組織やガバナンスの統合を意図している 場合もある(三好、2007: 153−189)。他方、太田は少な くとも 5 つの統合化が必要であると主張している。すな わち、「①各水循環経路(地表水経路・地下水経路・人 工的経路)の統合的管理、②水量・水質・水辺空間の統 合的管理、③治水・利水・水環境の統合的管理、④水循 環に影響を与える流域圏での土地利用の統合的管理、⑤ 流域圏内行政区画および各種水関係機関の統合的管理」 の 5 点を挙げ、「水循環と水環境、流域、組織の統合」 という解釈をしている(太田、2001: 31)。 以上の議論をふまえると、IWRM の見解の相違は、そ れに統合されるべき要素の違いによるものであるといえ る。この点について N.S. Grigg は、IWRM には①関係政治・ 行政機関、②地理的区分、③水利用の諸目的、④自然・ 生態系保護という 4 つの視点があり、これらのバランス がとれていることが重要だと述べている。また、これら の背後には、5 番目の視点として、科学技術・法学・財 政学・経済学・政治学・社会学・生命科学・数学、その 他の諸科学の知識を混合した学際的な視点があると説明 している(N. S. Grigg, 1996: 18)。また O. Varis は IWRM に統合されるべき要素を図 2 のように示している。 これまでの議論を総合すれば、IWRM に統合されるべ き 要 素 が 以 下 の よ う に 整 理 で き る だ ろ う。 つ ま り、 IWRMが意図しているのは、水資源に関連するさまざま な要素を複合的な視点で管理することが求められる、と いうことであるといえる(濱崎、2009: 89)。 •水資源の要素 ─水量・水質・水需給・水循環・地下水… •問題領域の統合要素 ─持続可能性・人権・自然・地球温暖化… •ガバナンスの要素 ─流域統合・市民参加・パートナーシップ… •使う側の視点に立つ要素 ─説明責任・透明性・公平性 ・効率性… •学際的な要素 ─科学技術・法学・政治学・経済学・社会学… Ⅲ.2. メコン河委員会による水資源管理の課題と今後の 展望―中国との関係を念頭に 前節では IWRM に関するアカデミックな議論を整理 したが、では MRC が活動を展開する上での拠り所とし ている IWRM はどのようなもので、どこに差異があり、 何が問題だと言えるのだろうか。そこから、MRC と中 国との関係を展望するための手がかりを得る。 MRCの活動における IWRM は、地球水パートナーシッ
プ(Global Water Partnership、以下 GWP)の定義に依 拠している。すなわち「IWRM は、必要不可欠な生態系 の持続性と妥協することなく、経済的効果と社会福祉を 最大化するために、公平な方法で、水、土地および関連 資源の、協調的開発・管理を促進する 1 つの過程である」 (GWP, 2000: 22)とする GWP による IWRM の定義を根 拠として、実際の活動に反映させている。その象徴が図 1 に示された、各種プログラムの統合であるといえよう。 しかしながら、前節の議論をふまえれば、メコン河は 本流だけでなく支流も含めた流域としての管理4 )と、 すべてのステークホルダーの管理への参加(=統合)が 必要である。この点に関して、MRC における IWRM は、 ただ単に多岐にわたるプログラムを統合しようとしたも のにすぎない。MRC が管理しているのはメコン河の下 流域だけにすぎず、上流の中国およびミャンマーを流れ る部分に関しても、流量や水質、使用水量などを把握す る必要があるだろう。ましてや、中国において既に数基 のダムが稼働し、これからもさらに建設されることを考 慮すれば、上流を含めたメコン河の「流域」としての管 理は必要不可欠である。 しかしながら、MRC およびその加盟国は、中国とい う大国に対して及び腰であると言わざるを得ない。その 中国との関係について、現在の中国− MRC 加盟国間の 関係を象徴するような出来事が、2010 年 4 月にタイ・ ホアヒンで開かれた MRC 首脳会議において見受けられ
た。2009 年末から今年にかけての乾季においては、50 年来の干ばつが起こり、流域各地の農業や住民の生活に 大きな打撃を与えており(New York Times, 2010)、この 原因が上流の中国雲南省におけるダム開発ではないかと 一部で指摘されたことを受け、MRC 加盟各国首脳は中 国に対してダム開発の規制に関する要求を共同宣言に盛 り込む予定だった。しかし、中国側はこの干ばつとダム との因果関係を一貫して否定しており、そのような内容 の共同宣言の採択に対して不快感を示していた。結局、 自国の経済発展を中国からの直接投資に大きく依存する メコン河流域各国首脳は、中国との関係悪化を懸念し、 共同宣言の中に中国へのダム建設の規制要求は盛り込ま れなかった(読売新聞、2010)。 これまでの議論をふまえて中国と MRC との将来的な 関係を展望すると、水力発電の需要増大にともなうダム の建設を考慮すれば、メコン河流域を一体的に管理する ことがこれまで以上に求められる。それゆえ、これまで のように中国がオブザーバー資格で参加し続けることに は、中国および MRC 加盟国が対等な立場で議論すると いう点においても限界があるため、中国だけでなくミャ ンマーも含めた上流国の MRC への正式な加盟を促して いくべきである。そうなれば、メコン河流域として一体 的な管理も可能になり、より効率的かつ効果的な IWRM アプローチによる水資源管理が実現できる。 そのためには、中国やミャンマーに MRC への正式加 盟を促すような何らかのインセンティブを提示していく 必要があるだろう。中国と MRC の共同によるダム建設 計画と、それによる電力の相互供給システムの構築や、 本流における船運のための共同浚渫計画によって中国か らベトナムまでの船の航行を可能にし、物流や人の往来 を活発化させるなど、中国を MRC 加盟へと誘う具体的 な計画が求められる。
Ⅳ.おわりに
本稿では、これまでの MRC の水資源管理政策を、戦 略計画を中心に整理することで MRC の IWRM に基づい た水資源管理政策の課題を明らかにしてきた。つまり、 創設から 15 年が経ち、メコン河下流域を管理する委員 会としての組織的骨格は成熟してきたものの、対外的に は中国との関係が問題となってきた。 そこで本稿では、統合的水資源管理という観点から、 まず学術的にどのような議論がなされてきたのかを整理 し、MRC の活動における IWRM の考え方との相違点を 探った。それによって、MRC の考える IWRM には、メ コン河の一体的な管理という視点がなく、上流の中国を 統合するというビジョンが欠けていることがわかった。 そこで本稿では、上流の中国が MRC に正式加盟するこ との必要性を唱え、そのために将来的な共同プロジェク トを計画することでインセンティブを示していくことが 求められるとの展望を示した。 MRCでは現在、次期 5 カ年計画となる「戦略計画 2011−2015」の準備作業が MRC の事務局において進め られている。この新しい戦略計画も、現在の下流域 4 カ 国を前提としたものであるが、上流の中国の正式加盟を 想定した長期的なビジョンが示され、メコン河流域のよ りスケールの大きい発展ビジョンが描かれることが期待 される(MRC, 2009b)。 一方で、筆者は 2010 年 2 月に MRC スタッフへのヒ アリング調査を行ったが、オブザーバーである中国との 対話や個別のプロジェクトの実施に関する実務的な対話 の場は常に設けられている、とのことであった。このよ うな協議を通して、MRC と中国の間に信頼関係が醸成 され、後の正式加盟へと繋がっていくことが期待される。 また本稿では、メコン河流域の水資源管理にもっとも 直接的に関与する MRC と中国との関係に着目してきた が、その他にもメコン河に関与する国際機関は多く存在 し、またそれらの機関と中国との関係も無視することは できない。こうした多様なアクターによるメコン河流域 の水資源管理の今後の動向に注目し、そのあり方につい て研究を深めていくことが必要だと考える。 注 1 )メコン委員会(正式名称:メコン河下流域調査調整委員会) は、1957 年 10 月に、ラオス・タイ・カンボジア・南ベトナ ムの 4 ヵ国が加盟して設立された組織である。メコン河にお ける水資源開発計画と調査の促進、調整、監督および統制が 目的であったが、その後のベトナム戦争やベトナムによるカ ンボジア侵攻、中越戦争などによる域内の混乱により、活動 は停滞した。さらにカンボジアが脱退したことで、メコン委 員会の活動は停止していたが、1995 年に MRC として再スター トを切った。この間の詳しい経緯については、大和谷(1993: 197 – 198)や山影(2003a; 2003b)を参照。2 )MRC(1995)Agreement on the Cooperation for the
a c c e s s e d h t t p : / / w w w. m r c m e k o n g . o r g / a g r e e m e n t _95/ agreement_95.htm on April 29th, 2010. 3 )ここまでの MRC 自身による「戦略計画 2001 – 2005」の課 題提起は MRC(2006b: v)を参照した。 4 )この点に関して、1 つの河川だけでなく支流を統合した流 域としての管理の必要性が、今日では強調され始めているこ とを補足しておく。詳細は、和田(2009)や吉川(2005)を 参照。 ※謝辞 本稿は、文部科学省科学研究費(基盤 B)「気候変動による 水資源環境影響評価分析と統合的水管理」(平成 20 ∼ 23 年度、 代表:仲上健一教授)および、「ASEAN・Divide の克服とメコ ン川地域開発(GMS)に関する国際共同研究」(代表:西口清 勝教授)の研究成果の一部である。 参考文献
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- 太田正(2001)「水基本法の制定から統合的水管理の実現へ─ 健全な水循環と水環境の再生と保全のために」『月刊自治研』 自治研中央推進委員会、43 巻、pp.27 − 38。 - 笠井利之(2003)「メコン川流域の開発と環境を考える」『立 命館国際研究』立命館大学国際関係学会、15 巻 3 号、pp.201 – 224。 - 笠井利之(2009)「MRC 水力発電計画に関する地域マルティ・ ステークホルダー協議会合―(ビエンチャン、2008 年 9 月 25 − 27 日)に出席して―」『立命館国際地域研究』立命館 大学国際地域研究所、第 29 号、pp.85 − 102。 - 中山幹康(1997)「メコン川流域における統合的な管理の可能 性」『国際開発研究』国際開発学会、第 6 巻、pp.15 − 30。 - 濱崎宏則(2009)「統合的水資源管理の概念と手法についての 一考察」『政策科学』立命館大学政策科学会、16 巻 2 号、 pp.83 – 93。 - 松岡勝実(2004)「水法の新局面─統合的水資源管理の概念と 制度上の諸課題」『水利科学』水利科学研究所、48 巻 1 号、 pp.1 − 26。 - 三好規正(2007)「統合的水管理政策と『水循環の保全および 流域の管理に関する基本法』(仮称)制定についての提言」『法 学論集』山梨学院大学、57 巻、pp.153 − 189。 - 山影進(2003a)「メコン河開発の紆余曲折─水系・流域・地 域をめぐる国際関係」『国際問題』日本国際問題研究所、 No.521、pp.51 − 71。 - 山影進(2003b)「メコン河流域諸国の開発協力と ASEAN」『政 経研究』日本大学法学部、39 巻 4 号、pp.449 − 479。 - 大和谷久次(1993)「メコン河流域開発計画と環境問題」『ア ジア研究所・研究プロジェクト報告書』亜細亜大学アジア研 究所、No.25、pp.193 – 220。 - 読売新聞(2010)「メコン流域国 中国に及び腰」2010 年 4 月 5 日朝刊。 - 吉川勝秀(2005)『河川流域環境学―21 世紀の河川工学』技 報堂出版。 - 和田英太郎(2009)『流域環境学―流域ガバナンスの理論と実 践』京都大学学術出版会。
図 1 MRC プログラムの構造 出所:MRC(2006b, vii)
図 2 IWRM の相 出所:O. Varis(2008, 220)