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論 説 '

 ,̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲̲

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議

山 下 邦 也

はしがき

II  III  IV  VI 

オランダにおける課題意識の発展 新生児治療の倫理学

新生児学における灰療行為の限界 その後の展開

あとがき

は し が き

オランダで安楽死関連法案(遺体処理法改正案)が下院を通過したばか りの時期,朝日新聞 93年 2月28日付けの記事は,同国における重度障害 新生児の延命治療の放棄,中止,生命終結事例の推計件数について報道し た。 その内容については後に詳述するが,要するにオランダ小児科学会の 推計によれば年間で数百人の新生児の延命中止や放棄があり,十件程度の 生命終結ケースがあるというものであった。記事はこれをどう受けとめる かについて中川米造・大阪大学名誉教授の次のような談話を添えている。

日本でも行われている恐れがある。両親にショックを倖えないように ニ四 二

と,担当医が「死産」 とか「先天的弱質」で処理しているのではないか。

アメリカでは,社会問題化し,各病院の倫理委員会で扱う問題になった。

69  ‑ 15 ‑‑814 (香法'96)

(2)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山ド)

延命の判断を全面的に任されることは,医者にとっても負担が大きすぎる。

本来,社会全体で考えるべき問題で,そのためにはまず戸ータを公開する

ことが必要だ。一一—

私は日本において現在どの程度データが公開されているのか知らない が, 1990年まではオランダでもこのような全国規模の推計はなされていな かったようである。推計で十件程度の生命終結行為についても,密室内の 出来事として公然化せず(また安定的な申告制度も確立していなかったこ とによるとも思われるが)起訴ケースは皆無だった。新生児に対する生命 終結行為が初めて起訴されたのは,この報道後の 93年3月25日の生命終 結ケースについてこれを実施したプリンス医師が自ら検死医に申告したと

きであった。

1991年,安楽死に関する医療実施調査委員会(レメリンク委員会)は,

安楽死や自殺附助以外に要請のない生命終結ケースが年間に千件程度行わ れているという推計値を公表して同国内外を駕かせた。安楽死関連法案も この扱いをめぐって色々に論議され,関係する倫理的・法的論議も盛んに なされた。障害新生児に対する本人からの要請のない生命終結行為の問題

も焦点化したであろうことは容易に推測できることである。

(I) 

私はオランダの刑法学者カルムトハウト博士の論文やタック教授との情 報交換を通してプリンス事件の司法判断に関心をもっていたところ, 95年

4

月発行のイギリスの医学誌に次のような判決予測記事が掲載された。オ

ランダ事情が窺えるので少し丁寧に紹介する。

_―‑オランダの裁判所は頂篤な多発性障害のある生後

3

日の赤ちゃんを謀 殺した婦人科医に有罪を宣告する模様であるが,注意深い措猶を伴ったと

して処罰は免れるだろう。地裁は,法は何よりも人間の生命の絶対的な保 四 護のために存在するものであって,まだ末期とはいえない赤ちゃんの生命

を積極的に終結すべきではないとしている。

女の赤ちゃん・リアンネは,アムステルダムの北方,プルメレントのウ ォーターランド病院で生まれた。赤ちゃんには水頭症,二分脊椎症,脳障 15‑ 4  8 B  (香法'96) ‑‑ 70 

(3)

害,そして奇形の肢体を伴う多発性の障害があった。婦人科医ヘンク・プ リンスは,病院とアムステルダム医学センターの二人の婦人科医,二人の 小児科医,神経外科医及び神経学者と相談した。彼らの一致した見解によ れば,赤ちゃんの治療は不可能で,しかも苦痛があるため植物状態で生か せるとしてもせいぜい一年の余命だろうというものだった。

プリンスは三つの選択肢に直面したという。第一は疼痛対策である。こ れは伝染病またはその他の合併症を招くであろう。第二は昏睡に陥るまで 大量に鎖痛剤を投与すること。これは結果として死を迎えることになる。

第三は生命終結の措置をとることである。

相談を受けた両親は子供を不必要に苦しませたくないといった。両親の 要請に基づいて医師はまず睡眠薬を注射し,次いで強い安定剤を注射した。

赤ちゃんは母親の腕の中で

1 5

分後に死んだ。医師は事件の顛末を検死医に 報告した。

プリンスは患者の扱い方について最も広い合意点を探したと供述した。

モルヒネの量を徐々に増やして法との衝突を回避することもできたが,結 果は同じであり,それは死の時点を不確実にする。結局,この方法で赤ち ゃんは母親の腕の中で死ぬことができたと,プリンス医師は述べている。

同様の事件がどれほど起こっているかは知られていないが,オランダ小 児科学会は年間に十件以下程度と推計している。

オランダの上級裁判官たちは,すでに会合をもち,プリンスとその同僚 たちが払った注意深さにかんがみて不処罰が妥当であると決定している。

しかし,法務大臣は新生児の生命の意図的な終結ケースの司法判断を求め て起訴を命じた。安楽死問題の指導的法律家であるプリンスの弁護人スト

リュウス氏は,医師を「法創造のモルモット」として利用することは不当 な法的プロセスであると指摘している。

オランダ医師会の法律顧問レゲマーテ教授は,医師たちはプリンスの医 師として直面させられた義務の競合の抗弁を裁判官が受け入れるかどうか

(2) 

固唾を飲んで見守っている, と語っている。

四〇

71  15‑ 4  812  (香法'96)

(4)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

プリンス事件に対するアルクマー地裁判決は

1 9 9 5

4

2 6

日に出され た。新生児の生命終結に対する最初の司法判断であった。タック教授から

無罪の判決であった。

送っていただいた判決文によれば,緊急避難の抗弁が成立するという完全 しかし,事案は検察官によってアムステルダム高裁 に控訴された。控訴理由は何であったのだろうか。保健法のレーネン教授 の

9 5

7

月の論文によれば,控訴の理由は地裁が安楽死の要件と医学的に 無意味な治療を中止した後になお苦痛がある場合の生命終結処分の要件を

(3) 

混同しているところにあるとされている。私はその他の若干の関連文献に も目を通しながら事件そのものもさることながらは新生児の治療の限界を めぐるオランダの議論(法的論議を含む)の全体像が掴みきれないもどか しさを感じていた。これに関する基本文献はオランダ小児科学会が

1 9 9 2

年 に公表した報告書『なすべきかなさざるべきか?_新生児学における医

(4) 

療行為の限界』であることが想定された。そうこうするうち,

9 5

年 11月

1 6

日付けの毎日新聞は「赤ちゃん安楽死・医師処罰せず・オランダ・地裁判 決」 の見出しで次のような記事を伝えた。

――—フロニンゲン地裁は 13 日,重い障害を持って生まれた女の赤ちゃんを 安楽死させたジェラルド・カダイク医師に対し「殺人罪は成立するが,処 罰はしない」 との判決を出した。 この赤ちゃんは十三番目の染色体に異常 があるため,脳と心臓に重度の障害があった。カダイク医師は赤ちゃんの 両親や他の医師と相談して安楽死を実行したが,判決はこれを「医の倫理 に適合した責任ある行動」 とした。オランダでは安楽死は違法行為だが,

肉体的,精神的苦痛に耐えかねた患者からの明確な依頼に基づいて行った 場合には容認される。 しかし,

二三九 ついては明確な基準がなかった。

自分の意思を表明できない患者の安楽死に カダイク医師のほかにも,脳が一部しな かない女の赤ちゃんに薬物を注射して死亡させたヘンク・プリンス医師に

対し,アムステルダム高裁は先週,今回とほぼ同じ判断を示している。一—-

記事は「赤ちゃんの安楽死」と呼んでいるが, もちろん,地裁判決が「安 楽死」 の概念を使用したはずはない。 しかし,他方で, オランダ小児科学 15 ‑‑4 ‑8ll (香法'96) —- 72 

(5)

会の報告書を執筆したメンバーの諸論文は時々「安楽死」という用語も使 用しているので,私が理解するところと同学会のスタンスとは異なるのか 気になってもいた。このようなわけで,私はいずれ高裁判決等も検討した いと思っているが,遅蒔きながら報告書の入手方について同学会に依頼の 手紙を出した。そして,過日,手元に届けられた。原著は

B5

版で,法的 付録等を合わせて

1 0 6

ページからなる。内容的には,安楽死問題一般の解 決方向と同様に,価値多元的な社会の現実を踏まえて複数の医療倫理観の 並存を認め,医療の最初からの放棄や中止のみならずケースによっては生 命終結が容認されるとする立場も含め新生児学における諸問題を検討し,

加えて濫用を防止し,また一つの倫理観を押しつけることのないよう制 度・組織面の工夫を凝らすと共に法的論点を洗い出すという全面にわたる 作業を行ったものである。これは比較研究の参考になろうかと思うので,

本稿において多少の周辺状況にも触れながら披露しておきたいと考える。

II 

オランダにおける課題意識の発展

重度障害新生児に対するナチスの政策とその帰結はよく知られている。

第二次大戦後,ナチスの絶滅プログラムは激しく非難された。しかし,

6 0

年代以後,未熟な重度障害新生児に対する新たな救命技術が発展するにつ れて,再び新生児の生命終結,死の許容性に関して議論が起こった。アメ

リカでは,まずダウン症候群と腸閉塞の子供を餓死させることの道徳性が 議論された(ジョンズ・ホプキンズ事件)。その後,ダフとキャンベルは

1 9 7 0

‑1972

年間にイェール・ニューヘブン病院の特別育児室において重度障害 新生児の

1 4

%が治療の中止による死を認められたことを公表し,治療と道 徳的ディレンマの問題を訴えた。ナチスの過去に照らして,議論は積極的 な生命終結ではなく「死なせること」の道徳性に集中した。またナチス政 策の基礎にあった優生学,人種主義,国民経済の負担などに関わる論議は

(S) 

否定された。問題性の自覚は

7 0

年代当初に顕在化したようである。

オランダの状況はどうであったろうか。同国で安楽死が最初に社会的問

‑n ‑

15 ‑4 ‑810 (香法'96)

(6)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

題になったのは

1 9 7 3

年の地裁判決を通してであった。この時期,妊娠,出 そして死(延命)に関わる医療技術の発展とその逆説的な悲惨な結果 が問題視されるようになっていた。生死をめぐる医療倫理の問題は 70年代 当初からオランダ議会の注目も集めた。所轄大臣の諮問に応じて,保健審 議会は

1 9 7 2

年に安楽死問題の中間報告書を作成し,

1 9 7 5

年には重度障害

(6) 

新生児に対する「安楽死」問題の中間報告書を提出した。ここでは安楽死 の概念は「新生児に対する意図的な生命終結または延命行為の差し控え」

生,

を指すものとして使用された。この定義は

1 9 8 2

年の同保健審議会による集

(7) 

中ケア新生児についての勧告においても維持された。一方,

1 9 8 2

年に発足 した安楽死問題国家委員会は

1 9 8 5

年に最終報告書を提出した。そこでは,

その間の議論の展開を踏まえて,安楽死の概念を「患者本人の要請に基づ く他の者による生命終結」と定義し,医師が回復の見込みなく耐え難い苦 しみの状態にある患者の明示的で真剣な要請に基づいて注意深い医療手続 きのコンテクストで生命を終結した場合にはその行為は刑法

2 9 3

条にいう 嘱託殺人ではないとして刑法の改正が提案された。

の例外を設けた。すなわち,客観的医学的基準に従って不可逆的昏睡と認 められる意思表示不能の患者に対する生命終結が所定の手続きを経て行わ しかし,委員会は一つ

れた場合には正当化できるとしたのだった。 しかし, この例外条項は一般 的に受け入れられるものとならず,「要請のない生命終結行為」は依然とし て安楽死に準じて容認されるものとはされていない。

も不可逆的な昏睡患者の生命終結が直ちに容認されるとしたのではなく,

治療が無意味であるとして中止された後の

ただし,委員会提案

(苦痛等のある)事態を問題と

二三七

していることに注意しなければならない。

(8) 

生児問題を扱ったものではなかった。

重度障害新生児に対する医療の限界問題についての専門家集団による本 とまれ国家委員会の報告書は新

格的な検討が開始されたのは小児科学会の「新生児学の倫理的側面」 ワー キング・グループ(本稿では以下「倫理委員会」と呼ぶ)の

1 9 8 6

9

1 9

日の発足以来であろう。本稿で取り上げる小児科学会報告書の文献一覧に

15  ‑809 (香法'96) ‑ 74 

(7)

よれば, 80年代前半に公刊された(おそらく主要な)論文は 4編(しかも きわめて短い)を数えるにすぎない。 80年代末以降の増加が注目される。

そして,今日までのところ重要な文献はオランダ医師会の生命終結問題委

(9) 

員会の提出した

1 3

ページからなる討議ノート『重度欠陥新生児』と本報告

(HI) 

書であろう。

紹介に当たっては資料的意義にかんがみて本来のコンテクストをできる だけ尊重することとしたため要約にもかかわらず比較的長いものになるこ とが予想される。そこで,以下に医学誌に掲載された委員会メンバー自身 による報告書の要点紹介と若干の付加的情報を掲げて道案内の便とする。

1 1 1   新生児治療の倫理学(報告書の概要)

長年にわたる論議を経て新生児治療の道徳的側面に関する報告書が学会 の全員一致で受け入れられた。報告書は小児科医の間では歓迎されたが法 律専門家と政治家の間には両親と医師が行う「生命の質」(場合により「生 の質」と表記すことがある)決定について批判もある。ある教会指導者た ちはこのラインに沿って抗議した。しかし,オランダの倫理学者,医学関 連の各学会,メディア,プロテスタント教会の間では相当に支持されてい る。小児科医たちのオープンネスは広く賛辞を呈されている。小児科学会 内部でも「積極的安楽死」(論文の著者たちはこの概念を使用するが,報告 書自体はこの概念を否定している)をある人々は非難し,他の人々は究極 の可能性として受け入れている。以下,報告書の要諦を示す。

最近

2 , 3 0

年間非常に未熟で重篤な新生児に延命治療を施す事例が急増 した。道徳的観点から,ある状況のもとでは,治療の中止だけでなく,治 療の不開始も正当化されるべきである。これは人工呼吸器の使用,酸素吸 入のみならず,鼻孔経管チュープによる栄養補給などのケアにも当てはま

る。これらの延命措置は生存の合理的な見込みがある場合に限って正当化 される。

l

L  

/ 

[ /   15‑‑4 808 (香法'96)

(8)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山ド)

延命治療の中止

延命治療の中止は医療的決定である。死の過程では人間的ケアが伴われ なければならない。これは苦しみを緩和するが,他方で死を促進する医薬 の処方を伴う場合がある。末期段階におけるこれらの措置は常に医療の慈 悲ある実践の一部であったのであり,安楽死とは考えられなかった。

治療による生存の可能性があるとしても,今後の「生命の質」に疑問が ある場合の決定は非常に困難であり,決定に関わる人は灰療専門職に限ら れない。救命の価値や当の子供と家族の利益をどう考えるかという問題も ある。これらの状況において生死の間の選択は医師の責任領域に属すると いうのが報告書の結論である。選択は慎重な診断と予後に基づかなければ ならない。きわめて悪い予後が合理的に確実であるところでのみ延命医療 の問題性が論議される。しかし,完全な確実性がない場合でも決定はされ なければならない。絶対的な確実性を待つべきであるとすれば,治療は決 して中止されず,無限に持続されることになる。予後については,医師だ けでなく両親とナーシング・スタッフも十分に理解していなければならな い。予後は可能な限り機能的な術語で判定されなければならない。次のよ

うな質問項目が設定される。

*  その子供は今後コミュニケーティブな能力を有するだろうか?

*  その子供は独立の生活を営めるだろうか?

*  その子供は医療施設に持続的に依存することになるだろうか?

*  その子供は精神的または肉体的に苦しむだろうか?

*  その子供の余命はどれほどだろうか?

これらの情報は医師と両親に重度の障害に伴う負担の重さを理解させる ものでなければならない。最も困難なステップは,子供と家族が負担に耐 える能力の測定である。これは両親が適切なカウンセリングを受けて,関 係者全てが一緒に選択すべきことを了解しているときにのみ成功する。選

15‑‑‑4 ‑‑807 (香法'96) 76 

(9)

択は完全に明晰になされなければならない。例えば,人工呼吸を施されて いる重度の脳損傷の未熟児の診断における有用な選択肢は次のようであ

る。

1.  最大限の集中治療を持続し,必要ならば拡大する。

2 .  

現状を維持する。

3 .  

ほとんどの集中治療(例えば人工呼吸器の使用)を中止する。

4 .  

全ての延命措置を中止する。現に苦痛があるか,もしくは予見される 場合には緩和のために死を促進する医薬を与える。

*  1

のオプションはよい予後がある場合に選択されるだろう。

*  2

の幾分アンビバレントなオプションは一時的な措罹としてのみ受け 入れられるだろう。

*  3

のオプションはこれが重度障害新生児に直接予期される死を到来さ せるならば最上の選択であり得る。ここまでは小児科学会内部に合意 がある。

4

のオプションは,ある状況において,ある小児科医によって受け入 れられる。

この一例は,換気装置から引き離された後,未熟児保育器で人工栄養を 補給されるか,または集中治療以外の治療で生存可能な重度障害新生児で ある。このケースではある小児科医はそのような治療の持続を道徳的に正 当化できないと考える。彼らはそのような延命は利益がなく,積極的に有 害であって,無責任であると考える。生命維持措置なしには当の子供は末 期段階にあるといえるのだから,緩和医薬を投与し,死を促進すべきであ ると彼らは考える。他の医師たちは死を医薬によって直接もたらすことを 道徳的に疑問視する。彼らは延命医療の一部を持続することは,理論的に は子供の利益にならないとしても,より小さな悪として受け入れられると

‑ 77  ‑‑‑ 15‑‑ 4 ‑‑‑806  (香法'96)

(10)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

考えている。しかし,人々は延命治療の中止が,長い,

(子供自身が何を感じているかは推測の域を出ないが)死の過程を導く むかむかするよう な

ことについては人道的根拠から受け入れられないと考えている。

これらのケースでは平穏な死が迎えられる そこで,

あらゆる新生児センターでは,

よう人工呼吸器を中止する。 このような状況において延命行為を差し控え る決定は, ごく最近まで法的反動があろうとは思われもしなかった。新生 児は致死性の病気で死んだものとして自然死の証明書に署名された。 この 選択はオランダでは例年,何百件もなされている。 しかし,新たな安楽死 関連法は予想される脆弱な生命の質が治療を差し控える主要な理由である 場合には自然死の証明書を発することを禁止しているようである。

延命措置の開始

一度開始された延命治療の中止にはそのような問題がある。我々は,理 論的には,治療中止に関する道徳的考慮と治療の開始に関する道徳的考慮 というのも,新生児学の実 とがそれほど異なっているとは考えていない。

務では出生の最初の瞬間または数時間内で完全な決定をすることはできな だが,治療の開始は数分内でしなければならない。

ぇ,一般的には延命のためのあらゆる集中治療措置が行われる。「まず行い,

いからである。 それゆ

しかる後考えよ」である。 このように害悪と利益についての明瞭な見通し なしに治療を開始する決定は「暫定的治療」 と考えられるべきである。 し

このような方針には限界がある。例えば,重度障害の高度の危険性 のある 26週未満の未熟な新生児の治療を開始し,入院期間を延長し,かつ かなり遅い段階で死が訪れるようなケースで,我々自身が一度開始された 治療を中止することに不本意でありがちであることを考えると,

かし,

~

の英知は疑問視される。 この方針

新生児に対する積極的安楽死

より困難な道徳的選択は,重度の障害が想定され,延命医療なしには生 15‑‑‑4  ‑805 (香法'96) ‑‑ 78  ‑. .

(11)

存できないであろう新生児のケースで年間で十件ほど行われている。

一例は高度の医療援助で生存しつつ重度の脳障害が明らかになったケース もう一つの例は外科的治療の中止にもかかわらず延命している重

その

である。

度の先天的奇形のケースである。ある小児科医たちが医薬の投与による積 極的安楽死を道徳的に正当化できるとみなすのはこのようなケースであ る。すでに何度も延命治療はなされているが,苦悶に喘いでいる子供に「死 を与える」ことは慈悲の行為として義務づけられているとさえ論じられる。

もちろん異論がある。医師には治療の責任があり,

には中止すればよいといわれる。

それが害悪である場合

これら二つの立場は,原理・原則の問題として,容易に妥協的解決策に 導かれるものではない。我々は,両方の見解が尊重されるべきであり,

の際,両親にはこの不同意について知る権利があり,担当医の見解を知る 権利もあると考えている。

法的観点からは生命の終結は医師によって引き起こされたことを意味す る。 それゆえ, このケースでは安楽死に関する新法のもとで検察官に申告 されなければならないであろう。いままで誰一人として起訴されていない。

しかし,法的状況は明確ではない。

にはある種の勇気を必要とする。

そして, かかるケースを申告すること

決定プロセス

多人種的・価値多元的社会に存在する様々な見方に照らして,

な予想される生命の質に関する決定は医療チームの全スタッフによってな このよう

される必要がある。両親の願望は非常に重要である。担当医が両親の切望 を支持できない場合には両親が他の医師を選択できる機会を提供すべきで ある。両親は十分な情報と熟慮のための時間を含む適切なカウンセリング

とサポートを受け,担当医との温かい人間関係を保障される必要がある。

チーム内部の協議及び両親との持続的な対話が格別に重要である しかし,

~

とはいえ,選択した方針に責任をもつべきは担当医である。

79  ‑ 15  ‑4  804 (香法'96)

(12)

~

オランダにおける新生児医招の限界論と法的論議(山卜^)

協議と相談を経てなされた諸決定は病院内部での評価と議論に服するべ きである。 オランダ小児科学会の報告書またはその要約は国内の全ての新 生児病棟で精読されるべきであろう。 これは両親にとっても意味のあるも

のである。 両親またはチームが選択した方針に道徳的異議をもつナーシン

(ll) 

グ・スタッフまたは医療スタッフは参加を拒否する権利がある。 病棟レベ ルでは解決されない道徳的見解の対立があるときは病院の倫理委員会また

02Xl3) 

は病院理事会に提起されるべきである。

以上を道標として次に報告書それ自体に即した紹介を試みる。

(1)  Anton M. van Kalmthout, Euthanasia, assisted suicide and active termina‑ tion of live without express request in the Netherlands. pp. 41  42. 本論文の紹介

として,山下邦也「オランダにおける安楽死,自殺射助及び明示的な要請のない積 極的な生命の終結」(諸外国における安楽死の動向(サ,神}'学院法学 25 3 177

(2) 

(3) 

(4) 

(5) 

(6) 

(7) 

...  189 ン\

Tony Sheldon, Dutch  court  convicts  doctor  of  murder. BMJ, vol. 310, 22  April 1995. p. 1028. 

II. 

J .   J .  

Leenen, Ontwikkelingen in  de jurisprudentie met betrekking tot het  levenseinde.  Ned Tijdschr Geneeskd 1995 juli; 139(28) pp. 14591461. 

Nederlandse Vereniging voor Kindergeneeskunde, Doen of laten? Grenzen  van het medisch handelen in de neonatologie. Utrecht, 1992. 

Duff and Campbell, Moral and ethical dilemmas in the special care nursery.  New Eng 

Med 1973; 289: 289‑95.; 

Duff and Campbell, On deciding the care of severely handicapped or dying  persons・・・with particular reference to infants. Pediatr 1976:  57: 487 ‑93. 

Gezondheidsraad/N ationale  Ziekenhuisraad. Advies  inzake  euthanasie  bij  pasgeborenen en overwegingen bij  dit advies.'s Gravenhage: Staatsuitgeverij, 

1975. 

Gezondheidsraad, Advies inzake intensive care neonatologie.'s‑Gravenhage:  Staatsuitgeverij, 1982. 

(8)  山下邦也「オランダにおける終末期医療決定と刑法ー一安楽死に関する判例法の 展開とその周辺事情(2)‑ー 」 香 川 法 学 15 3

(9)  Discussienota  KNMG commissie'Aanvaaardbaarheid  Levensbeeindigend  Handelen'.  Levensbeeindigend handelen bij  wilsonbekwame patiertten.  Deel 

15‑‑4 ‑‑803 (香法'96) ~·80

(13)

I:  Zwaar defecte pasgeborenen. 

(10)  諸論文において最も頻繁に言及されている。

に際してこれら二つの文献を熟読している。

(11)  プリンス事件では,本来の担当医が道徳的異議に珪づき参加を拒否したため,め ぐりめぐってプリンス医師が実施に当たったものである一―—判決文による。

(12)  C. Versluys, Ethics of neonatal care.  The Lancet. vol. 341. 1993. pp. 794  795.  (13)  Z. Versluys and R. de Leeuw, A Dutch report on the ethics of neonatal care. 

Journal of medical ethics. vol. 21. 1995. pp. 14  16. 

Medisch Contact 1988; 43: 697‑709. 

また前述のプリンス医師もその行為

I V  

な す べ き か な さ ざ る べ き か ?

一 新 生 児 学 に お け る 医 療 行 為 の 限 界 一 ― ‑

本報告書は, オランダ小児科学会の周産期学部門の要請に基づいて新生 児に対する延命措置の不開始, 中止及び緊急状況における生命終結の実施 の問題に関する討論資料としてこの部門のワーキング・グループ(倫理問 題委員会)によって準備され,

1 9 9 2

1 1月 5

日の総会において学会の報告 書として公式に受け入れられた。

第一章 序

1 . 1  

委員会の構成

1 9 8 6

9

1 9

日以来,

の倫理的側面」

1 . 2  

1 . 3  

委員会の目的

周産期学部門内部で,

たは中止,

オランダ小児科学会・周産期学部門の「新生児学 に関するワーキング・グループが活動している。

予後の悪い新生児に対する延命措置の不開始ま さらに意図的な生命終結に関して議論を始めること

オランダ小児科学会の理事会に報告書と勧告を提出すること

二三〇

委 員 会 の 作 業 計 画 現存文献についての概観

81  1s‑‑4~so2 (香法'96)

(14)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

大学病院の新生児センターと大学に属さない小児科病院における現行 の方針施策と文書化されていない規則に関する概観

定義

これらについての周産期学部門における論議

委員会内部における道徳的側面に関する議論。 この議論は延命措置の 不開始または中止に限定された。

事実上の選択状況,延命行為の中止についての道徳的考察,及び延命 行為の開始・不開始に関する報告書の作成。周産期学部門内部での議 論と調整

法学者との法的側面に関する討論

上述の法学者の若干の代表と倫理学者との道徳的側面及び法的側面に ついての討議

決定作成と生命終結に関する実際的勧告の作成,方針作成についての 勧告,治療・監護チーム内部における克服できない良心的ためらいの 取扱い

周産期学部門内部における討論についての報告と調整。この後,オラ ンダ小児科学会の周産期部門内部のコンセンサス及びこの専門グルー プ内部の強調点の相違を明示すること

小児科学会の理事会に対する中間報告書を原案として覚え書きの形で まず文書で,次いで

1 9 8 9

4

2 7

日の全員出席の集 提供すること。

ニ ニ

会での学会内部の議論。その後,修正原案が

1 9 8 9

1 1

2 7

日にオラ ンダ小児科学会の理事会によって学会の中間報告書として受け入れら れた。

公表。次いでオランダ医師会,若干の他の関係機関,学会に対するコ メントを求める文書の送付。受け取ったコメントを参照して調整報告 書を作成すること

集中治療状況の範囲を超えた場合も含めて,緊急状況における意図的 な生命終結について議論し,周産期学部門とオランダ小児科学会の理 15 ‑4 ‑‑801 (香法'96) 82 ・—←

(15)

事会に報告すること。ここでの議論において「意図的な生命終結」と いう術語は新生児が延命医療行為なしに生存できる状況で使用される

ことになった。これは重要な定義の修正である。

修正された報告書について倫理学者と再度の討論をすること

修正された報告書に関する保健法学者等との再度の討論は第二付録と して掲載される。学会理事会及び若干の関係機関との協議

学会内部で詳細に議論し,承認を得ること。そして,小児科学会理事 会に最終報告書を提出すること。

1 9 9 2

9

1 0

日,この報告書は小児 科学会理事会によって受け入れられた。

学会の総会による討議と承認の後,

1 9 9 2

1 1

5

日,報告書はオラン ダ小児科学会の記録になった。

報告書には医療の最初からの放棄,中止についての決定,及び意図的 な生命終結に至る決定の際の注意深さの要件が第一付録として付加さ れる。

しかるべきときに報告書がどのような効果をもち, どのように扱われ たかに関する評価をしなければならない。

1. 

4

文 献

付録として文献リスト(第三付録)が付加される。(本稿では割愛する)

1. 

オランダにおける現状

オランダにおける七つの大学の新生児センター(‑大学のセンターの データは不完全)と非大学系の一小児病院の新生児学部門内部の

1 9 8 7

年の調査から次の事実が判明した。すなわち,

4 / 8

は延命治療の中止に 関する書かれたプロトコールをもち,

3 / 8

は「書かれざる規則」をもっ ている。今後の生の質は

8 / 8

で共に重要と考えられた。

3 / 8

で例外的な ケースで意図的な生命終結が行われた。

5 / 8

では行われなかった。

全国で十力所の新生児集中ケア病棟のうち四つの集中治療病棟で死亡 83  15 ‑4 ‑800 (香法'96)

/¥ 

(16)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

した新生児に関する調査によれば,

1 9 9 0

年,全部で

1 0 8 5

人がこれらの 病棟に収容され(+のセンターで全国トータルの約

4 0%), 

そのうち

1 8 5

( 1 7

%)が死んだ。

1 8 5

人中の

7 4

( 4 0

%)は死亡時まで治療され た。

5 8

( 3 1

%)は生存の全ての希望が失われたので所与の時に治療が 中止された(第二章の定義

2 . 2 .

aによる。以下同様)。

1 7

人(9%)は生 存のどんな希望もなかったので最初から治療は放棄された(定義

2 . 1 .  

a)。3

5

( 1 9

%)は予期される生の予後が非常に悪いと評価された ので治療が中止された(定義

2. 2 .  b)

。一人の子供は予期される生の非 常に悪い予後のため意図的な生命終結がなされた(定義

2 .3 .  

a)。セン ターからのデータ及び意図的な生命終結に関する個人的に入手された データに基づいて次のような量的推定のための議論がなされ得る。

* * 

オランダでは年間数百人の新生児が定義

2 . 1 . a  , 2 . 2 .   a

及び

2 . 2 .b

に よる延命治療の放棄または中止によって死亡している。

2 . 2 .

aと

2 . 2 . b

の区別はしばしば一義的に可能ではない。むしろ議論の趨勢はそこ における生存可能性と結果としての生の質に益々集中し始めている。

かくてセンターの研究では定義

2. 1 .  aまたは 2 . 2 .aに一致する割合

は定義

2 . 2 .b

に一致するそれのおよそ

2

倍である。

オランダでは年間に

1 0

人の新生児が意図的な生命終結により死亡し ている (定義 2.3)。

1 9 9 2

年には十力所の新生児集中治療センターにおいて『なすべきかな の中間報告書が重要なガイドラインとして使用され さざるべきか?』

ニ ニ 七

た。

1 . 6  

コンセンサス

この作業方法によってオランダ小児科医のコンセンサスの形 成を意図し,同時に相違点とその基礎にある問題を明らかにし,

委員会は,

さらに全

15‑‑‑4 ‑‑799 (香法'96) ~- 84~-

(17)

国規模の一律的な意思決定手続きの促進も意図した。今日の多元的社会で は,かつての「よき医療慣行」である専門職グループのコンセンサスから 出発しつつも他方で専門職グループの多様な意見を識別することも妥当と 考えられる。しかし,しばしば重要な強調点の相違が尊重されるべきこと,

また時々はグループの例外的な考え方が尊重されるべきことも必要であ る。

本報告書では,委員会の大多数と学会が支持していることをコンセンサ スとして,またはその勧告として表現した。かくて,完全な全員一致の存 在は必要とされず,相当程度の合意はすでにコンセンサスとみなされた。

他方,重要な強調点の相違はデイセンサスとして記述された。

オランダの小児科医によってほとんど異議なく分けもたれている考え方 も,コンセンサスが欠ける当今の考え方も一緒に取り上げられている。

1. 

議論の範囲

我々は,多様な人々による決定が出生をめぐる方針の重要な構成要素で あることを意識しているのではあるが,実際的理由のために議論は主とし て小児科医に限定された。本来,議論は,周産期に活躍する,産科医,幼 児神経科医,その他の専門家,看護婦,及び患者利害団体に広げられるべ

きものである。

1. 

8

年 齢 区 分

本報告書のテーマは新生児であって,その結論は必然的に年長児たちに とって妥当するものではないことを確認しておかなければならない。

新生児とは形式的には生後

4

週間の者だけを指すが, しばしば当の子供 の 非 常 に 早 い 出 産 に か ん が み て , 医 師 会 報 告 書 =

Rapport  CAL/ 

KNMG(Deel I )

と同様に,

3

ヶ月の時期を問題にすることが意味あると考 えている。

‑ 85  15 ‑‑4~798 (香法'96)

'  

/¥ 

(18)

オランダにおける新生児医旅の限界論と法的論議(山ド)

第二章 定

2 .  I 

2 . 2  

延命医療の最初からの放棄

a • 支配的な医学的知見によって生存が不可能とされるケースの不開始。

かくて見込みのない医療行為は最初から放棄される(例:無脳症)。

b. 

澄剌とした生の見込みの少なさを考慮して,予後が極端に悪い場合に は全ての手段を投入すれば事実上の生存可能性があるにもかかわらず 開始しないこと。

る医療行為が放棄される

ここでは,倫理的な基準によって無意味と考えられ

(例:重大な矯正できない先天的な異常)。

延命医療行為の中止

a .  

生存見込みの欠如ゆえに支配的医学的見地からみて無意味な延命行為 は中止される

b. 

澄刺とした生の見込みの少なさを考慮して,予後が極端に悪い場合に は事実上の生存見込みにもかかわらず倫理的基準に従って無意味と考 えられる医療行為は中止される

(例:ポッター症候群)。

(例:非常に深刻な神経障害のある人 工呼吸器を装着された子供)。

2.3 

さし当たり延命医療行為なしに生存できるが,澄剌とした生の見込み の非常に悪い新生児が緊急状況にある場合の意図的な生命の終結

a .  

最近行われた延命医療行為

最近行われた延命医療行為によって延命しているが,予後に関するデー タはこれが子供の利益ではないことを示しており, 一方,生存は通常のケ

アによって長期にわたり可能である場合(例:人 1~呼吸がすでに停止され 二二五 た重症仮死による大脳障害のある新生児)。

b. 

医療行為の最初からの放棄

医療行為の最初からの放棄にもかかわらず,死が短期に結果せず, それ によって人道的に対応し難い苦しみがあり,損傷が増大し得る場合(例:

重大な先天的な心臓欠陥に対する心臓外科手術の放棄または二分脊椎症の 15  4 ‑797 (香法'96) ー " 86   

(19)

非常に深刻で複雑なケースに対する手術による縫合の放棄)。

C• 唯一の延命医療行為の枠外

深刻な異常が予測されるが,通常の治療によって長期にわたり延命する であろう場合(例:ほとんど不在のコミュニケーション及び/または子供 によって体験される苦しみが明らかである先天的な手術不可能な脳異常)。

2 . 4  

延 命 行 為

a .  

ゾンデ栄養など両親によって習得された医療的/看護的行為を除く家 庭で両親自身によってなされ得る通常のケア(給養,清潔法など)

または結果として延命を伴う医療的(看護的を含む)措

b. 

目標として,

* 

*  

* 

例えば,家庭,病院の病室またはナーシング・ホームにおけるゾン デ栄養,保育器ケア及びその他の医療的/看護的テクニック

医薬,点摘,静脈栄養などを含む基本的医療ケア

集中治療施設における生命維持機能を支える措置:人工呼吸,循環,

水分と塩分濃度の調整,エネルギー管理及び防衛に本質的な方法を

(部分的には)人工的に引き継ぐ方法 手術的干渉

2 . 5  

a. 

延命措置の中止とは,

命措置(例えば,

ゾンデ栄養,静脈栄養等を持続しつつ,

を中止することを意味する。

人工呼吸)

ある延 それは品位 を低下させる状況を防止するために控えられる。ディレンマは,死を 防止しないもっともな理由はあるが,他方で生命が延長されるという

ことである。

b. 

最初から炭療を放棄(定義 2.1.

b) 

場合,この状況は最初の選択にもかかわらず延命医療行為の開始を余 したが,死が短期には起こらない

ニ ニ

儀なくさせる。

‑‑‑‑ 87  15‑4 ‑796 (香法'96)

(20)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

C• 安楽死国家委員会 (1985年報告書)による命名法と同様に安楽死とい うことばは回避される。なぜなら,委員会は安楽死ということで患者 の要請に基づく生命終結を理解しているからである。

d. 

安楽死国家委員会の報告書と同じく,死の過程にある新生児への医療 行為は通常の医療行為に属するものとみなされる。

e .  

倫理的な観点から,積極的/消極的という術語はもはや使用されるべ きでないと勧告されたので,意図的な生命終結という術語が選択され る。緊急状況では生命終結の意図的な追求が問題である。中間報告書 (1989年)では,延命医療行為の放棄と意図的な生命終結との区別は,

3 . 3

3 . 4

の選択可能性の間でなされた。 しかし,熟考の末,我々は,

その時点においてどんな延命医療行為もなしに生存可能な死の過程の 範疇外にある新生児についてのみ意図的な生命終結が問題であると確 信するようになった。かくて生命終結は延命行為とは別に意図される

ものであって,他方,中止は通常のケアに至る程度の論争の余地ない ものに属すると考える。

f  •

定義された状況の間に多様なバリエーションがある。提案された定義 は連続性にはっきりした限界を引くものではない。

g̲ 「澄刺とした生の見込みの少なさという観点における健康の極端に悪 い予後」は,成人に対する安楽死論議に連結している。 この文言によ って,周産期の特別な性質がオープンになり,

についてより明快に語り得る。

「僅かな生命の見込み」

第三章 事実上の選択状況ー一延命医療行為の中止の是非

医療的延命と治療に依存している子供の無意味な延命医療行為(定義 2. 2. b) の中止が議論されるとき,次のような選択状況がある。

3 . 1  

は,

15 

生存の予後が最悪になっているか, もしくは死の過程が始まるまで とくに生命維持機能を支える集中的な措岡を持続する。

4  795 (香法'96) ‑‑‑88 

(21)

3 . 2   3 . 1

の場合において,

それ以上続行できず,

一定の限界(例えば人工呼吸の負担)のために もはや鼓動せず, もはや蘇生せず, または複雑さゆ えに新たな治療が実施できない場合がある。

3 . 3  

通常の保育器ケアやゾンデ栄養のような些細な集中延命措置は継続 されるが,生命維持機能を支える集中措置を中止する。 これにより延命す る場合も,死亡する場合もある。

そのために次のような三つのガイドラインが設定される。

a .  

基本的医療ケアと看護臨床ケア(生命維持機能の集中的持続の中止)

b. 

苦痛の予防と人間らしい状態の保障に向けた単純な医療ケアと看護臨 床ケア

C• 苦痛の予防と人間らしい状態の保障に向けた単純な家庭ケア

3.4  責任をもって続行できないので,原則として,全ての延命医療行為を 中止する。方針に一貫して固執する場合には長期の, かつ人間的に正当化 されない重大な死の過程が結果するケースでは,薬物の投与または持続が,

かつ促進するだろう。

品位を低下させる苦しみを防止し,死を軽減し,

3 . 5  

所 見

a. 

常に中間状況は起こり得るが,

ッチされた。

上述において基本的な選択状況がスケ

b. 

死の過程に随伴することは昔から医療行為に属する。死の過程とは生 命維持機能が明白に衰弱する数何時間から数日という期間を指す。 そ

の段階では選択された治療方針によって死に導かれる。その状況では 一定の方針選択(例えば,深刻な脳損楊を考慮した人工呼吸器の中止)

は不可避的に死を結果する。他の選択をすれば患者は生き延びるであ ろう。

89  15  4 ... 794  (香法'96)

(22)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

第四章 無意味な延命行為の中止

4 .  I 

我々は生または死をどの程度決定できるか/すべきか?

倫理委員会の各々は,強い道徳的おののきにもかかわらず,生と死につ いての決定はこの状況における医師の責任と考えている。延命手段の利用 可能性にもかかわらず, これをやめる決定も,死をもはや阻止しない決定 も,生と死についての決定と考えている。同じことは延命医療の決定にも 当てはまる。 しかし, それは道徳的には死の許容より気楽である。 ここま では一致がある。我々の責任は死なせることの是非に制限されるのだろう か, さらに特別な状況では意図的な生命終結をも含むのだろうか。 この問 題は多様な考え方の成り立つ議論のテーマである。 とりわけ,

きわめて先端的な医療手段によって延命させることによって,

当の子供を 予想された 障害が明白になったとすれば,死なせるばかりでなく,死を意図すること

も我々の責任ではなかろうか。我々は益々進歩する手段でもって生命を 益々人為的に延長している。 そして, そのことによって,本来の相違,感 情的相違を不問に付している。そのことは, 同時に「死なせること」と「死 を意図すること」 との間の限界を曖昧にする。 その点で, ある人々は克服 できない原則的な異議を唱える。彼らにとっては,延命行為の放棄は医療 権限内のものだが,意図的な生命終結は医療権限外のものであり, さらに 人間の権限外のものである。意図的な生命終結に対する慎重さは法的威嚇

によって強化されている。

緊急状況における意図的な生命終結の是非についてコンセンサスはない が,全く意思を表明できない新生児に対する先端的な延命治療を中止する か開始するかという意味における生死の決定については大部分のコンセン サスがある。 しかし,治療に同意できず,治療を拒否できず, 「安楽死」を 求めることもできない新生児は,延命医療行為に無限に服させられるべき

であるとすることで問題は片づかない。

4 . 2  

絶望的な苦しみ/絶望的な状態/僅少な生の見通し/僅少な「生の 15‑4・‑793 (香法'96) ‑‑90  ‑‑

(23)

質」はどのように考えられるべきであろうか?

第一に,絶望的な苦しみ,予見される障害, またはしばしば手に負えな い状況についての評価に注意しなければならない。第二に,「僅少な生の見 通し」を判断するためには,次の三段階がある。

重大な障害状況の評価(医学的予後)

全体の判断を可能にするための機能的術語への翻訳 子供と家族の負担能力に関係した生の見通しの考慮

a .  

重大な障害の可能性を査定するために次の医学的データが利用され る。

*  カルジオタコグラフ,

ータ

マイクロ血液検査, ェコー検在等の周産期デ

*

*

*  

アプガー・スコア,血液分析等の出生時に直接入手されたデータ 妊娠期間と出生体重のデータ

出生後の臨床検査, とくに痙攣など神経検査によるデータ

ェコー・エンセファログラフ, エレクトロ・エンセファログラフ,

*  

コンピュータ・トモグラフなどの画像テクニックによるデータ 血圧,脳血流,酸素圧力と二酸化炭素圧力などの物理的データ 血液の酸度などの生化学的データ

学術文献は,

に関連するデータを提供している。

これら周産期の諸ファクターと予期される生存期間の障害 しかし,個々の子供に予見される障害 の評価に従ってこれらのデータを翻訳することは非常に難しい。なぜなら,

これらのデータは,調査グループに由来するものであり,

的意味をもつにすぎないからである。

それゆえに統計

ニ ニ

b. 

後の生の深刻な/非常に深刻な障害の可能性または絶望的な苦しみの 91  15‑‑4 ‑792 (香法'96)

(24)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山ド)

可能性を示す周産期のデータの翻訳は,最大の明晰性をもって注意深 くなされなければならない。子供の将来の諸機能をスケッチできる五 つの基準が採用される。その場合,単に一つの基準に当てはまるだけ でなく,むしろ様々な点で深刻な障害の集合を問題にしていることに 注意しなければならない。この点について疑いがあるときには一般的 には適切な延命行為をするべきである。他方,治療の中止の場合だけ ではなく,実施の場合にも十分な議論がなければならない。子供が一 定の臨床的状況で深刻な障害に苦しんでいる場合には,さらなる延命 を放棄する理由がある。この判断は医師ごとに異なり,両親もまた他 の判断を下す場合があることに注意しなければならない。

絶望的な苦しみ/絶望的な状態/僅少な生の見通し/僅少な生の質,を テストするために次の留意項目が選ばれる。

「コミュニケーション」

口頭のコミュニケーションも,非口頭のコミュニケーションも考慮され る。ここでは精神的能力とそれを表明する可能性が問題である。

「自活する能力」

歩行,自座,自己管理(世話),書く能力,家庭的活動またはその他の作 業を実行する可能性,自己創造的に発達する能力。これらはできるだけ機 能的な術語で表現されなければならない。

「依存」

自宅で相対的に僅かの医学的支援でもって生活できる場合がある。他方,

病院収容などの医学的回路に依存するケースがある。ここでは,子供を養 育し,世話する両親の能力も一緒に考慮されるべきである。

「苦しみ」

いくつかの軽い病気では,苦痛,息苦しさ,その他の肉体的な苦しみも 重要な役割を演じる。他の基準によって類別された異常,排便・排尿の障 害,その他のハンディキャップなど患者自身が体験する負担もある。

15‑‑4 ‑‑791 (香法'96) ~92 ‑‑

(25)

「予期される寿命」

一方で,深刻な苦しみのある場合には長期の生存は余計な負担として体 験されるが,他方で,子供が間もなく自動的に死ぬという自然の経過を待

ち受ける場合もあり得る。

C• 生の見通しに関する考慮は,予期される障害の注意深いかつ客観的な 可能性の確定に基づかなければならない。しかし,ほぼ確実に深刻な 障害の集合が予想される場合には個人的・主観的判断による。ここで 主観的とは「個人的」な判断を意味するのであって,「独断的」または

「片寄った」判断ではない。受忍限度を超えた障害の重大さは程度と 数において表現されず,または点数に単純化されない。特殊な状態に ついての考慮が必要である。ある病人のケースは他のそれとはそのユ ニークさで異なる。同じことは両親とその生活状況にも当てはまる。

生の質の量化によって客観性の外見をつくろうよりは,我々は医師と 両親がそこで限界を確認するオープンな対話を選択する。上記の留意 項目は,決定とその後の報告及び責任を考える場合に役立つ。

新生児はその固辺に完全に従属している。とりわけ,重大な障害をもっ た子供はその障害ゆえに依存性から脱却できない。その障害は子供と家族 の社会への適応を長期にわたって困難にさせる。他方,障害の存在及び障 害児または障害をもった成人との交際が障害をもった人々及びその周囲に 対してもつ積極的効果も強調されなければなぅない。

1 9 s ; 3

年に新生児集中 治療について勧告した保健審議会の報告書は次のように述べた(p.59)。

「我々はほとんど不完全な隣人であっても,彼らを決して資格をもたない,

無価値な存在とみるべきではない。不完全な人々との交際は固有の人間的 な価値をもつ。障害児に対する長期の世話の選択も早期の死の選択も,人 間的誠実さをもった選択であり得る。意識的な選択であると否とにかかわ らず,障害児の世話を引き受ける人は障害をすら生活に取り入れて,この 93  15‑ 4 ‑790 (香法'96)

} ¥  

(26)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山下)

ほとんど超人的な仕事の中で自己が支えられていることを知っているに違 いない。彼らがなし得ることは,障害者自身にとってだけでなく,世話を する人と社会にとっても価値あるものである。なぜなら,このような人間 的配慮は,他のどこにも見出されないし,他のどこでも出会うことはない からである。このような相互の支え合いとその成果がなければ,我々は孤 立と非人間化に脅かされることになるだろう。」

4 . 3  

無意味な(澄剌とした生に関する予後の点で無意味な)延命治療の中 止を考慮するとき,第三章でスケッチされた選択可能性に関する我々の道 徳的考慮はどのようなものであろうか?

3  . 1

の選択可能性:回復の兆候が出現し,または生の予後が最悪になり,

または死の過程が始まるまでは生命維持機能を支える措置が実施される。

可能性がなくなるか,回復の兆候が出現するまでは治療を最高に集中的 に行うことが新生児学における通例の方針である。ここではその予後が良 好または疑わしいとされる子供たちが問題である。委員会の全メンバーは,

疑わしい場合には予後が悪いと評価される具体的な論拠が見つかるまでは 適切に治療を続けることを選んだ。

そのような深刻な障害のおそれが非常に大きいと評価される場合にだけ 下記のオプションが議論される。しかし,適切な情報を得た両親が明晰か つ注意深い考慮の未,続行を求める場合には,一般的には死の過程が始ま

るまで,または人間らしくないと体験される状態が出現するまで治療は続 行されるべきである。

3 . 2

の選択可能性:

3 . 1

の場合であって,しかも一定の限界にもかかわら ずまだあきらめられないとき。

委員会は,予後に対する疑いが新たな複雑さの出現によってほぼ確実な 重度障害の将来予測に変わる状況の中間段階で,この選択可能性を考えて いる。それは,新たな複雑さが予後の極端な悪化を意味する状況では理由 15‑ 4・789 (香法'96) ‑‑94 

(27)

のある選択である。この方針は,まだ希望を放棄していない両親に対して もこの選択可能性に従って推奨され得る。これもまた注意深い決定過程を 必要とする重大な決定である。なぜなら,ここでは次のような三つの危険 が予想されるからである。

決定が余りに軽はずみになされる危険

新たな状況を十分に考慮する余地を担当医にほとんど残さない危険 この方針は救命干渉の是非を迅速に決定しなければならない医師にと って余りに曖昧または不明確である場合があり得る。

決定をすることに対する能力不足や気が進まないことによる長期のアン ビバレンスがあることに用心しなければならない。方針の選択が後者に基 づく場合には,非常に恣意的になり,将来が全く偶然の事情に左右される

ことになる。その場合には,治療・看護のチームの間にも多大の混乱が起 こり,余り重要でないものが問題の行程に立ちはだかることになる。あら ゆる時点で方針は明瞭でなければならない。

非常に深刻な気管支肺異形成のような極度に悪い予後をもって人工呼吸 器につながれた患者の場合にも,同様の限界が予期される。この場合,可 能性のない延命医療行為が問題(定義

2 .2 .  

a)であるが,しばしば予想され る重大な障害についての考慮(定義

2 .2 .  b)

も問題である。この選択がなさ れ得る他の状況として未熟児の場合がある。いくつかのセンターでは,例

えば, 26週の子供たちに対して集中治療が提供されているが,それらの子 供たちが一定の複雑さを示すときにはかつてなされた取り決めゆえに原則

として治療されない。それは,限度ある集中治療に関係する。委員会は,

全てのファクターを注意深く考慮した延命措附の中止に関するそのような 決定に優先権を与えている。

3 . 3

の選択可能性:生命維持機能を支える集中措置は中止するが,些細な

95  S  4 ‑788 (香法'96)

̲̲ J

/¥ 

(28)

オランダにおける新生児医療の限界論と法的論議(山ド)

集中措置は持続し,それから結果するものを受け入れる。苦しみの予防を 意図した在宅ケア,人間らしい状況を保障する基本的臨床的医療ケアが追 求される。

子供が集中措置の中止の結果,非常に悪い状態になったとしても,それ は子供の死の過程として理解されなければならない。

しかし,集中措置の中止後,子供が深刻に苦しむことなく,また明らか にさらなる損傷を受けることなしに生命維持機能が無傷のまま残る可能性 もある。ここでは通常の親による出産ケアによっては生きられない子供を 出発点としているのであるから,生存ぱ恒常的に持続される医療・看護的 延命措置(それは保育病棟ではいかに習慣的であろうとやはり人工的と認 められる。)によるものと理解される。しかし,例えば,早産児に対するゾ ンデ栄養などの中止は,それだけで品位を低下させる状況に導くであろう。

これらの措置は多くの人々の感情によれば,中止されるべきでない人間ら しいケアである。

ここにはディレンマがある。すなわち,一方で深刻な障害をもって生き ることを考えると人工的な延命は子供によくない,つまり,延命の続行は もはやよい兆候の出現しないところでは無責任である,ともいえるのであ って,そこからは,論理的にはこの延命措置の中止が結果するであろう。

他方,通例の早産児ケアの中止は,子供が死の過程にあることが明らかで ない間は人間的に無責任であるとも思われる。

ディレンマからの次のような出口がある。

[ a ] 上述の負担 (3.3)にもかかわらず早産児ケアのような延命措置を続 行する。

[  b  ] 

あらゆるおののきに耐えて,死を軽減し,加速する医薬を投与する という

3 . 4

に記述されたオプションを選択する。

人々は次のような状況において

r

J

の 代 わ り に [

]を選ぶ。

15・4 .  787 .. (香法'96)

, 

参照

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