日本国憲法改正規定の背景

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(1)

現在

以 下

││マッカーサー草案における形成過程とその

B a

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o u

n d

日本国憲法の憲法改正規定の理解の仕方は︑

アメリカ憲法という︶

は じ め に

その改正限界論などを含めて圧倒的にヨーロッパ大陸諸国の理

日本の改正規定は︑その成り立ちからいえば︑

の改正規定の考え方に由来するものである︒

日 本 国 憲 法 改 正 規 定 の 背 景

その基本構想を憲法改正規定のマッカー

とりわけ改正制限の問題について考えてみることにしたい︒

アメリカ連邦憲法

21-3•4-303 (香法2002)

(2)

年までは改正を禁止すること︑②以後︑ 日本国憲法の憲法改正規定の実質的な内容の形成は総司令部民政局において行われた︒改正規定の起案を担当したのは天皇・条約・授権規定に関する委員会︵以下︑天皇等小委員会という︶で︑ネルスン

( G .

A .   N e l s o n )

陸軍中尉とプー

( R .

A .   P o o l e

) 海軍少尉であった︒草案作成に当たっては︑他の条文と同じ

v

SW NC C‑ 22

8 が指針とされたが︑この

条文については松本案の改正規定に対する民政局のコメントも参考にされたようである︒すなわち﹁国民は︑国民が

公選により議会に送った議員を通して︑憲法改正を発議し︑成立させる権限を︑無制約的に有すべきである︒この点

についての天皇の権限は︑憲法改正を公布するという形式的権限に限らるべきである﹂という指摘である︒

第一次案とその問題点

(4 ) 

マッカーサー草案の憲法改正規定の第一次案は見つかっていないが︑

委員会の会合での議論などからその内容を推測できる︒すなわち︑

( 1 )  

そこに書かれていたのは︑①一

0

年後の一九五五

‑ 0

年毎に憲法改正のために国会の特別会が開かれること

③憲法改正は︑国会の三分の二以上の多数決で発議され︑

( 5 )  

ある

四分の三以上の多数決で承認されること︑

︵レ

ヴュ

ー条

項︶

であったようで

この規定の特色は︑改正の禁止期間と定期的な再検討という日本の特殊事情を想定した特異な部分を除けば︑国会

の特別多数決のみで改正が可能とされていることにある︒このことは︑国会に関する第一次案の第二四条﹁国会は︑

日本における憲法改正規定の形成

一九四六年二月六日の運営委員会と天皇等小

21-3•4-304 (香法 2002)

(3)

( 2 )  

憲法改正の権能を与えられている唯一の機関である︵改正の章を見よ︶﹂と照応する︒改正された憲法条項の公布につ

いては︑天皇に関する第一次案の第五条で︑天皇の任務として

公布すること﹂とされている︒これは天皇の憲法改正に関する権限を公布に止めるという意図を具体的に表示するも のである︒改正規定中に天皇の公布がセットになって存在したかは明らかではないが︑松本案に対する民政局のコメ

ントに忠実な起草態度であったことを知ることができる︒

この第一次案は︑六日の運営委員会と天皇等小委員会の会合において︑改正禁止期間を中心に意見の対立があった︒

小委員会側の説明によれば

0

年の改正禁止期間の設定は︑﹁日本国民にはまだ民主主義運用の用意ができていない﹂

ことから︑国会が改正によって新憲法を失わせることを防止するにあるという︒また︑﹁憲法改正の提案と承認に三分

の 二

運営委員会の反論について 四分の三というかなり高い率の賛成を要求していることは︑単に多数派だというだけの勢力の政治的気まぐれ

によって憲法の変更がなされるということを︑不可能にする﹂趣旨であるというものであった︒

( 1 0 )  

これに対して運営委員会は︑改正禁止規定をおくことに﹁理論と実際の両面から﹂反対した︒反対の論拠となった 運営委員会側の憲法改正に関する見解は次のようなものであった︒①自由主義的な憲法の起草は︑責任感のある選挙 民を前提としなければならないこと︒②︱つの世代に︑次の世代が憲法を改正する自由を制約する権利はない︒R憲

複雑なものではなく︑簡明なものでなければならない︑ 法は︑相当な永続性をもつ文書でなければならぬとともに︑弾力性をもつ文書でなければならず︑

というのである︒ その改正手続は︑

この運営委員会の主張は︑極めて興味深いものである︒①についていえば︑自由主義的憲法は︑成熟した国民が自

﹁⁝⁝すべての憲法改正⁝⁝に︑公印を捺し︑

か つ

21-3•4-305 (香法2002)

(4)

引くところである︒ ら憲法を生み出すのだという前提から当然のことであろう︒また︑起草の指針である

SW NC C 22

8

﹁日

本国

民が

( 1 2 )  

その自由意思を表明しうる方法で︑憲法改正または憲法を起草し︑採択する﹂としており︑第一次案の改正禁止規定

( 1 3 )  

がそれに抵触する疑いは拭いきれないであろう︒

また︑実際の政治的観点からしても︑このような改正禁止期間の規定を置くことは難しかったと思われる︒日本国

民の自主的な制定物のはずの憲法改正案にこのような制限規定を懺くことが︑

②については︑

これは実はアメリカにおける憲法改正権の本質理解をもとにした指摘であり︑後にアメリカの憲法

改正規定のところで触れることにしたい︒ 日本政府さらにはこれを審議する帝国

また︑③の前半の︑憲法は永続性をもつ文書でなければならぬとともに︑

アメリカにおける憲法改正規定のあり方と共通する論点である

から︑やはり後に触れることとする︒ただ︑後半の改正手続が簡明なものでなくてはならないということについては︑

一般的にはそういえようが︑余り説得的な理由になっていないようにも思われる︒

以上のような小委員会と運営委員会のやりとりを踏まえてのことであろうか︑運営委員であったハッシ

( A .

R .  

H u

s   , 

s e

y )

海軍中佐は︑国会だけで憲法改正をできるとしてきた従来の方針を変更し︑﹁憲法改正は国会が総議員の三分の二

( 1 4 )  

以上の賛成をえて発議し︑選挙民の過半数以上の賛成によって承認される﹂という案を提起した︒国会に対する小委

員会側の危惧を︑選挙民の過半数の賛成という日本国民の意思表明を直接に参与させる制度を導入して︑

図ろうとしたものだったのだろう︒完成したマッカーサー草案の憲法改正規定︵第八九条︶ 弾力性をもつ文書でなければならないとする部分も︑ 議会に与える政治的反応を考えれば︑明らかであろう︒

その緩和を

との著しい相似性が目を

21-3•4-306 (香法2002)

(5)

くことになると主張したのである︒

ところで︑憲法改正に対する制限が別のところから提案された︒それは︑人権に関する委員会︵以下︑人権小委員

の作成した第一次案が︑次のような条項を含んでいたからである︒

この憲法のいかなる将来の改正も︑またいかなる将来の法律又は命令も︑ここに国民に対して保障する絶対

いかなる将来の立法も公共の福祉︑民

主主義︑自由又は正義を他のいかなる考慮に従属させることがあってもならない︒﹂

二月八日に運営委員会と人権小委員会の会合にかけられたが︑両者の間に基本的な見解の対立がある ことが明らかになった︒運営委員会は︑六日の天皇等小委員会に続いて︑憲法改正を制限する規定に反対した︒今度 は人権規定の改正禁止という主題であったから︑反対論もさらに具体的になっている︒運営委員のケイディス

( C . L .  

K a d e s ) 陸軍大佐の反対の論拠は︑①第四条は暗黙のうちに︑この憲法草案に規定された人権条項の無謬性を前提とす

るものである︒②一

つの世代が︑他の世代に対して自らの問題を決する権利を否定することになる︒③これでは権利

これに対して小委員会側は次のように擁護した︒すなわち︑

ルースト

( P .

K .   R o e s t

) 陸軍中佐は︑①現代はある発展

段階に到達しており︑現在人間性に固有のものと認められている諸権利を将来の世代が廃止するということは許され

るべきではない︒②日本に民主政治を樹立するだけでは不十分で︑

今日までなされた社会および道徳の進歩を永遠に

保障すべきであるというのであった︒また︑ワイルズ

( H .

E .   W i l d e s )

氏は︑第四条を削除すればファシズムヘの扉を開

運営委員のハッシも小委員会案に反対した︒それは︑①第四条は︑政治についての意見と理論とを憲法という高次

章典の改正は無効となり︑その変更は革命によってのみ成就されることになる︑というものであった︒

この

条文

は︑

の平等及び正義の権利を決して制約し︑又は撤回してはならない︒また︑

﹁ 四

会と

いう

( 3

)  

人権小委員会による改正制限の提案

21-3•4-307 (香法2002)

(6)

こ ︒ にかかっているのだから︑非実際的である︑ の存在としようとするものであること︒②第四条を憲法に挿入しても︑

このような応酬がなされたが︑結局妥協案は得られず︑民政局長のホイットニ

( C .

W h

i t

n e

y )

陸軍准将の裁定に任さ

( 1 6 )  

れた

とい

う︒

第二次案とその問題点

憲法改正規定にもどれば︑運営委員会との会合の後に天皇等小委員会が作った第二次案は以下のようなものであっ

この憲法の改正は︑国会のみが︑その総議員の四分の三の同意をえて行なうものとし︑このような国会

は︑その改正は︑

この憲法と一体を成すものとして︑効力を生ずる︒但し︑第

0

章の改正の場合に

さらに選挙民による承認を求め︑投票した国民の三分の二以上によって承認されたときにおい

てのみ︑効力を生ずるものとする︒

この憲法の改正が前項に定める方法に従い効力を生じた場合には︑天皇は︑国民の名で︑この憲法と一体を成すも

( 1 7 )  

のとして︑直ちにこれを公布する︒﹂

この第二次案は︑運営委員会との討議において反対された改正禁止期間条項やレヴュー条項を削除している︒しか

しながら最も注目すべきことは︑但書において︑第

0

章の改正についてはさらに国民投票を求め︑投票者の三分の二

の同意を要するという厳格な加重条件が新たに課されていることである︒これは︑

ことができる︒この第

0

章は

の議決があれば︑

おそらく章の序数がまだ確定されていなかったのでこのような仮の形を取ったのであ

その

改正

は︑

﹁ 第 条

( 4

)  

というものであった︒

一種の改正内容の制限規定という その趣旨が実現されるかは最高裁判所の解釈

’~

21-3•4-308 (香法2002)

(7)

のですが︑原案をずっと和らげた形で︑

と述べました︒彼等は︑明らかに︑最終案からこ

この条文は本憲法草

これら運営委員会のメンバーは︑私に対して︑昨 は︑元来はこの条文を挿入することに反対だった

う記述を文字通りに受け取ればそうなりそうである︒

しかしながら︑

条文については前述のようにホイットニの裁定に委ねられたのであるが︑その後の人権の章の試案に四に相当する条

2 3

文は表れないのである︒彼が四をそのまま生かすという裁定を下したとは考えにくいのではなかろうか︒

さらにこの事情を裏付けるとみられるのが︑ラウエル文書

N o

. 1

3 である︒このホイットニのマッカーサーヘのメモ

は︑﹁閣下が疑問をさしはさまれた条文は︑人権に関する小委員会から提出されたものであります︒運営委員会の全員

︵ケイディス陸軍大佐︑ラウエル陸軍中佐およびハッシ海軍中佐︶

これを採り入れたのです︒

夜︑私が閣下の部屋から帰ってくるのを待っている間にまさにこの条文についてさらに議論し︑

案中の弱い点であることは明らかだということに意見が一致した︑ これには疑義の余地がある︒というのは︑

この

を命じて︑解決された︒それは︑権利章典を害ね︑または変更する憲法の改正を禁ずる︑

たしかに︑民政局報告書の

ろうが︑人権の章を意味したことは確かであろうと推定されている︒

どんな事情によってこの但書が挿入されることになったのかは︑直接の資料はなく︑今の所かなり大胆な推測をす るしかない状況である︒そのためには︑少し回り道をする必要がある︒すなわち︑民政局報告書によれば︑

サー

( D .

M a

c A

r t

h u

r )

元帥は﹁ただ一点﹂重要な修正をしただけで草案を最終的に承認したとしているが︑その一点が 何であるかという周知の問題にかかわる︒従来︑その一点とは︑人権の第一次案の四﹁この憲法のいかなる将来の改 正も︑⁝⁝ここに国民に対して保障する絶対の平等及び正義の権利を決して制約し︑

除したことと理解されてきた︒

﹁ある一条は行きづまり︑遂にマックアーサー元帥が最終草案からそれを削除すること

( 2 1 )  

という条項であった﹂とい

又は撤回してはならない﹂を削

マッカー

21-3•4-309 (香法2002)

(8)

われる投票において︑その過半数の賛成を必要とする︒

この憲法と一体を成すものとして︑直ちにこれ

国会

が︑

この承認には︑国会の定める選挙の際行な 以上の曲折を経て成立したのが︑ はなかろうか︒

この削除された一点を︑憲

( 2 4 )  

の条文が削除されることを喜んでおりました﹂と述べている︒

筆者には︑このメモは次のような示唆を含んでいるように思われる︒①わざわざ人権に関する小委員会に由来する

と述べたことからすれば︑問題の規定は人権の章に含まれていたのではないようであること︒②原案をずっと和らげ

選挙民の同意を要するという加軍条件を課すに止めたことを指しているのではないか︑ た形でこれを採り入れたというのは︑憲法改正条項の第二次案において絶対的改正禁止ではなく︑国会の議決後に︑

ということである︒大体︑人

権の章に含まれていたとした場合︑原案より

i n v

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y   m

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h   m

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e   m

o d

e r

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e   f

o r

m で採り入れたということを条文と

して具体的にイメージするのは難しいのではなかろうか︒以上のような理由で︑筆者は︑

法改正規定の中の人権の章についての加重条項ではなかったかと推測している︒すなわち︑ホイットニの裁定は︑人

権の章の改正制限については改正規定の但書で︑絶対禁止ではなく加重条件による制限とすべきことを指示したので

マッカーサー草案第八九条の﹁この憲法の改正は︑総議員の三分の二の賛成で︑

これを発議し︑国民に提案してその承認を経なければならない︒

憲法改正について前項の承認を経たときは︑天皇は︑国民の名で︑

( 2 5 )

2 6

)  

を公布する﹂という条項であったと考えられる︒

}¥ 

21~3.4~310 (香法2002)

(9)

マッカーサー草案における憲法改正規定は︑前述のような憲法改正に関する深刻な見解の対立を含みつつ形成され たことが︑近年の研究で明らかにされてきている︒そこで行われた議論の道具立ては︑当たり前のことであるが大陸 マッカーサー草案を作成した人々の思考を支配したと思われる第二次大戦の終結あたりまでの展開を見ておくこ

一七八七年五月二七日からフィラデルフィアで行われた憲法制定会議

( C

o n

v e

n t

i o

n )

において︑憲法改正規定につい

ての提案は︑夙に五月二九日のいわゆるヴァージニア案に出現する︒ヴァージニア代表のランドルフ

( E .

R a

n d

o l

p h

) に

より提出された決議案の第一三項がそれで︑これが規定作成の出発点となった︒それは曰く︒

﹁必要なときにはいつでも

U n

i o

n の

A r t i

c l e s

を改正できる規定が設けられるべきである︒しかし︑この改正には合

衆国議会

( N

a t

i o

n a

l

L e g i

s l a t

u r e )

の同意を要求されるべきではない︒﹂

この案は六月五日の全員委員会

( C

o m

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t t

e e

o f   t

h e

  W h

o l

e )

で取りあげられ︑後半の改正には合衆国議会の同意は

いらないということが議論の中心となった︒議論の決着は六月一一日の委員会に持ち越されたが︑結局﹁必要なとき

にはいつでも

U n

i o

n の

A r t i

c l e s

を改正できる規定が設けられるべきである﹂という前半部分のみが受け入れられた︒

( 1

)  

憲法制定会議における憲法改正規定の成立

とにしたい︒ 法的なものではなく︑アメリカ法的な色彩に彩られたものであった︒

ここ

では

︑ アメリカ憲法の改正規定の成立状況

アメリカにおける憲法改正規定の形成と展開

21  3.4~311 (香法2002)

(10)

承認されたとき︑あるいは四分の三の が真っ向から対立したのである︒ かねばならないという点に議論が集中した︒

いわば︑州権支持者と連邦制支持者 これは州の マサチューセッツ代表のゲリー

( E .

G e

r r

y )

は ︑

この規定では三分の一に

制定

会議

は︑

( 3 0 )  

さらに︑この採択された案は︑七月二三日の制定会議で議論も反対もなく承認され︑具体的な草案にするため細目委 員会

( C

o m

m i

t t

e e

o f   D

e t a i

l ) に

送ら

れた

八月六日の細目委員会の案は︑次のようなものであった︒

﹁この憲法の改正のため

U n

i o

n に加盟する州のうちの三分の二の議会の請求があれば︑合衆国議会はこの目的の

( 3 1 )  

ための憲法会議

( C

o n

v e

n t

i o

n )

を召集しなければならない︒﹂

八月三

0

日にこの草案を取り上げたが︑

( 3 2 )  

そのまま承認された︒ところが︑制定会議も大詰に近づいた

九月

0

日に再検討に付された際︑この案は様々な批判にさらされ︑大きな修正を余儀なくされてゆくことになる︒

まず問題になったのは︑

その改正手続のあり方であった︒特に︑委員会案が三分の二の州が請求すれば憲法会議を開

満たない州が反対しても︑憲法会議を開きその多数で州憲法を根こぎにする改正が出来ることになるが︑

( 3 3 )  

犠牲において連邦の権限を拡張するものだと主張した︒他方︑この案は憲法改正を余りに

r i g i

にするという異論がだd

された︒ニューヨーク代表だったハミルトン

( A .

H a

m i

l t

o n

) は︑合衆国議会こそが修正の要請を最もよくとらえうる存

( 3 4 )  

在であるから︑議会自身も憲法会議を召集できるようにすべきであると論じた︒

この相反する要求に応えて提案されたのが︑ヴァージニア代表であったマディソン

(J .M

a d

i s

o n

) の妥協案で︑次の

ようなものであった︒

﹁合衆国議会は︑両院の三分の二が必要と認めたとき︑あるいは全国の三分の二の州議会から請求を受けたときに

は︑この憲法に対する改正を提案しなければならない︒提案された改正条項は︑少なくとも四分の三の州議会で

︵州の︶憲法会議で承認されたとき︑この憲法の実質的な一部として有効

1 0  

21-3•4-312 (香法2002)

(11)

( 3 5 )  

いずれの承認方法をとるかは︑合衆国議会の定めるところによる︒﹂

( 3 6 )  

これによって両者の懸念は相当程度に解消され︑妥協にいたった︒

三分の二の州議会の請求がある場合には改正を提案するための憲法会議を召集しなければならないという修正を加え

れば今日の第五条本文になる︒

報告を取りあげた際︑

ちな

みに

その修正は︑制定会議が九月一五日に文体委員会

( C o m m i t t e e o f   S t y l e )

( 3 7 )  

ペンシルベニア代表の

G

・モーリス

( G .

M o r r i s

) の提案にもとづき採択されたものである︒

これで本文の手続の方は決着がついたが︑次に改正内容を限定しようと云う提案がなされた︒その第一波は︑九月

1 0

日︑改正手続問題が落着した直ぐ後に︑サウスカロライナ代表のラトリッジ

( J .

R u t l e d g e

) によって起こされた︒

それは︑憲法制定会議ですでに決定されていた合衆国議会は二

0

年間は奴隷貿易を禁止しないという規定︑

衆国議会は直接税を任意に賦課する権限をもたないという規定︵第一条第九節第一項および第四項︶ および合

を憲法改正から

守ることを要求したものであった︒これは既に妥協にもとづき内容の決まっていた規定の裏書きを求めたものであっ

( 3 8 )  

たから︑議論もなく採択されたのである︒

第二波は︑九月一五日に襲ってきた︒

とな

る︒

コネチカット代表のシャーマン

( R .

S h e r m a n )

が︑州︑特に小州の権益を守ろ

うとして一連の動議を提出したのである︒それらは①改正には︑総ての州の承認を要する︒②当該州の同意なしには︑

州の内政

( i n t e r n a l p o l i c e )

に影響を与えたり︑あるいは上院における州の平等な投票権を奪うような憲法改正は許さ

れない︒③改正規定を削除し憲法の総ての条項を改正不能とする︑

* 

といったものであった︒ この案はほぼ成案に近いもので︑合衆国議会は

21-3•4-313 (香法2002)

(12)

( 2 )  

最も重要なのは②の動議であったが︑その主張を簡単に認めては州の領土や輸出入などといった事項に飛び火しか

( 3 9 )

4 0 )  

ねないものであり︑他の動議と同じく否決された︒

権を奪えないという部分を蒸し返した︒このときには︑誰もせっかくこれまで積み上げてきた成果を危険にさらすこ

( 4 1 )  

とをおそれ︑議論もなく承認されたのであった︒

以上のような経過を経て︑憲法制定会議によって作られ︑さらに州議会による承認を経て成立した憲法改正規定は︑

次のようなものである︒

合衆国議会は︑両院の三分の二が必要と判断したときはいつでも︑

m e n t s )

を提案しなければならない︒また︑全国の三分の二の州の議会から請求があったときは︑改正を提案する

ための憲法会議

( C o n v e n t i o n )

を召集しなければならない︒提案された条項は︑

有効となる︒

いづれの承認方法をとるかは︑合衆国議会の定めるところによる︒但し︑

れる改正は︑如何なるかたちでも第一条第九節第一項および第四項の規定に効果を及ぽしてはならない︒また︑

どの州からも︑

シャーマンの動議②の一部︑当該州の同意なしには上院における州の平等な投票

この憲法に対する改正

( A m e n d '

いずれの場合も︑四分の三の州議

︵州の︶憲法会議で承認されたとき︑この憲法の実質的な一部として

その州の同意なしには︑上院における平等な投票権を奪ってはならない︒﹂

改正規定成立史をめぐる問題

この規定の成立史で特に注目に値するのは次のようなことであろう︒第一は︑改正規定の必要性の根拠である︒憲 法制定会議で述べられたのは︑①憲法の不完全性の認識︑特に将来の世代にとってはさらに不完全なものになるであ

会で承認されたとき︑あるいは四分の三の ﹁

第五

しか

し︑

その後

G

・モ

ーリ

スは

一八

0

七年末以前に行わ

21-3•4-314 (香法2002)

(13)

ろうという認識︑および②若くひ弱な政府を革命から守る︑

それはより深い根をもつ考え方であって︑

( 4 2 )  

というものであった︒この二つは制定当時の理由づけで

アメリカの憲法改正観念を理解する鍵と考えられる︒

今日から考えれば不思議なことであるが︑アメリカ憲法より前からあった邦憲法には改正規定をもたないものが稀

( 4 3 )  

ではなかった︒またそれがあっても極めて厳格で︑実際上︑事態に応じた改正をなしうるようなものでない場合も多

( 4 4 )  

かった︒これは︑憲法を自然法の産物とみたり︑理性信仰が暴走した結果のようである︒しかし︑アメリカ憲法の﹁制

( 4 5 )  

定者達は︑憲法が完全であると信じたり宣言するほど大胆でもせっかちでもなかった︒﹂また︑将来の世代にとっての

不完全性が特に言及されるのは︑不都合は時間がたてば大きくなるのは当然でもあるが︑

( 4 6 )  

の主体が﹁生ける世代﹂と考えられていることに結びついている結果であろう︒すなわち︑主権者として

の世代は︑究極的には自分自身を統治しなければならない︒

﹁そ

れぞ

れ その世代が統治されるルール

( 4 7 )  

によってではないにしろ︑少なくとも消極的に同意することによって﹂という考え方によっているのである︒

を書き換えること もう︱つの理由も︑憲法改正の本質理解に関係する︒実際のところ︑憲法制定会議の時代は︑ある意味で革命が傍

らにあった︒

シェイズの反乱︑連合会議と邦の軋礫︑奴隷制をめぐる深刻な対立などを思い浮かべながら議論が進め

られたに違いない︒思想的にも︑独立宣言はロック流の革命権を承認していたのである︒このような状況においては︑

憲 法 改 正 は 革 命 と ト レ ー ド オ フ 関 係 に あ る も の と 考 え ら れ た

︒ 憲 法 制 定 会 議 で ヴ ァ ー ジ ニ ア 代 表 の メ ー ソ ン ( G .

あっ

たが

﹁偶然や暴力にまかすよりは︑容易で︑

正規な︑憲法上の方法﹂で対応しよ

M a

s o

n )

が述べたように︑改正規定とは︑

うとするものである︒ストーリー

(J .S t

o r y )

が後に﹁憲法改正の権力は︑そういって良いなら︑あらゆる一時の沸騰や

興奮を排出する安全弁

( s a f

e t y

v a

l v e )

である︒そして︑秩序が危殆に瀕するとき︑あるいは自己破壊の危険があるとき︑

( 4 9 )  

その機械の動きを制御し︑調整する本当に効果的な道具なのである﹂と述べたのも同様な見解にもとづくものである︒

︵ 憲

法 ︶

アメリカにおける国民主権

21-3•4-315 (香法2002)

(14)

一時的なものであれば︑憲法改正手続の進行のなかで淘汰されるであろうし︑改正が真に必要なものなら︑

( 5 0 )  

その手続を突破できるであろう︒これが改正規定の本質であるとされたのである︒

第二には︑このような用途に沿う具体的な改正手続は如何なるものであるべきかが問題となる︒制定者達は︑憲法

の安定性の要求と︑変化の要求のバランスに悩んだ︒すなわち︑

た﹁長く永続する政府は︑軽微かつ一時的な原因で変更さるべきでない﹂という独立宣言の考え方︑他方でまた余り

に厳格な改正手続は︑革命的事態にも対応しようという構想に反するし︑また世代ごとの国民主権という考え方にも

( 5 1 )

5 2

)  

抵触することになるからである︒その均衡点として成立したのが本文の手続であったのだと考えられる︒

第三に注目すべきは︑憲法改正条項の但書に代表される改正内容の制限の問題であるが︑

第二次大戦までの展開

では第二次世界大戦にいたるまで︑憲法改正についてどのような議論が交わされ︑

たのであろうか︒ヴァイル

(J

R . .

  V i

l e )

は︑次のように概観している︒ どのような成果が蓄積されてい

本格的に憲法改正に関する議論が訴訟や論文において展開されたのは︑二

0

世紀の初頭からのことであって︑

主題は憲法改正の内容制限であった︒論争の対立点は︑憲法解釈を通じて︑改正手続に内容上の制約を課そうとする 反革命的な主張と︑それに対する反対であった︒これは実は︑連邦政府の権限を制限しようとする広範な運動の一環

とみられる︒それは︑﹁既得権

( v e s t e d r i g h t s ) ﹂﹁留保権限

( r e s e r v e p d o w e r s )

﹁州

( s t a r i t e g h t s

) ﹂﹁実体的適正手続

( s u b s t a n t i v e u   d e  p r o

c e s s )

とい

った

油生

印の

下で

闘わ

れ︑

( 3 )  

る ︒ た

しか

に︑

それなりの成果をあげはしたが︑

その

一九三七年以降急速に衰退 これについては次に述べ 一方で憲法を最高法規とすることからくる要請︑

一 四

21-3•4-316 (香法 2002)

(15)

よっては新しい憲法の制定とみられるようなドラスチックな変更をなしえない︒これをなしうるのは︑現在の憲法を

作ったと同じ権威ー合衆国国民ーだけである︒例えば連邦国家性はアメリカ政府の基本的性格であるとし︑

( 5 5 )  

は許されないとするのである︒

第二は憲法明文上の制限で︑第五条但書の上院における州の投票権の平等である︒そこで保障されるのは表面上は

平等な州の投票権であるが︑それは州の存在をも保障するものである︒州とは︑州の

p e o p l e

とその政府であり︑但書の

改正制限は州を構成する

t h e c l a s s   o f t   h e   p e o p l e

︑州の政府や政治制度に及ぶというのである︒かくして︑修正第一

五条は︑黒人に参政権を与えることにより

p e o p l e

c l a s

s を変動させることになるからこの制限に抵触し︑違憲であ

るとしたのである︒

もう︱つの代表的な改正権の制限に関する論考はマーベリ

( W .

L .  

M a r b u r y )

によるものである︒彼によれば︑改正権

は憲法を破壊する権限を含むものではない︒そもそもアメリカ憲法を採択した目的は﹁より完全な

U n i o n S t a t e s

﹂を作るにぁ左︒改正権は︑全く憲法第五条の改正規定によって与えられた権力にすぎない︒とすれば︑そのよ

危う

くし

うな

U n i o

を滅ぽすような改正をなしうるはずがない︒例えば︑州の課税権を奪うような改正は︑州の自立的存在をn

U n i o

を破壊することになり許されない︒さらに︑第五条の但書について︑n

むと

し︑

マケンと同様に州の保障を含

( 5 9 )

 

﹁州として独立し固有の存在であるのに必要不可欠な機能﹂を奪うことはできなし

彼に

よれ

ば︑

ケン

( A .

V v .   M a c h e n により一九一)

0

年に書かれた︑

( 5 4 )  

ので

ある

第五条の憲法改正権は二つの限界をもつという︒まず

一 五

このような機能には明ら

o f   t h e  

その変更 つ目は黙示的なもので︑憲法改正に 修正第一五条︵投票権の人種差別禁止︶の違憲論に端を発したも

ここ

では

した

この論争の内容を簡単に紹介し︑ 憲法改正については︑

その結果どのような解釈に到達したかをみることにする︒論争は︑ この争いは一九一

0

年に始まり︑

( 5 3 )  

一九三一年には終わっていたというのである︒

マ 21-3•4-317 (香法2002)

(16)

かに州の立法権が含まれ︑

( 6 0 )  

その内実を奪うことは第五条但書によって許されないとするのである︒

﹁憲法改正権力に

( 6 1 )  

これらの主張に対抗して反論を試みたのが︑一九三

0

年のオーフィールド

( L .

B .   O r f i e l

d ) の論文である︒ヴァイルが

一九三一年には論争は終結したといっているのは︑この論文がトドメとなったことを意味しているようである︒すな

( 6 2 )  

わち︑当時の標準的な憲法改正論を確立したものと見られる︒

この論考はいわばそれまでの憲法改正に関する内容制限論の総括的批判という形をとっている︒そこでは︑憲法改

正の内容制限論を明文によるものと黙示によるものを分けて︑それぞれ批判するのである︒

まず︑明文による憲法改正の制限について︒その根拠となる第五条の但書︑上院における州の投票権の平等条項は

法的効力があると考えられてきた︒最高裁が

Do dg e

v .  

W o o l s e y  

(1 85 5)

において︑傍論ではあるが

( 6 3 )  

対する永久で︑変更不能な例外﹂としたからである︒多くの学者は︑この問題に沈黙するか︑不可侵とみるか︑

( 6 4 )  

キリと変更できないと考えていたという︒オーフィールド自身は︑全州の承認があれば変更可能とみていた︒

とこ

ろで

マケンやマーベリの主張のように︑但書から憲法改正に対して州の存在が保障されているという結論が

導けるかについては︑次のようにいっている︒すなわち︑第五条但書は︑制定史からみて︑憲法制定会議でのシャー

マン提案の二つの要素︑州の内政への不干渉の保障と︑上院における州の投票権の平等保障のうち︑後者のみが承認

された結果と見られる︒このことは本条項が州の独立的存在の維持の主張まで含むものではないことを意味している︒

( 6 5 )  

理論的にも︑上院における州の投票権の平等保障から︑州そのものの存在保障を導き出すのには無理があるとする︒

たようである︒ただ︑ 問題は︑黙示的な内容制限を認めうるかである︒どうも当時の論文では︑黙示的制限を認めるものが大部分であっ

( 6 6 )  

その根拠については殆ど一致が見られないというのが実状であったという︒他方︑裁判所の判

決には︑黙ホ的な内容制限論に勇気を与えるような判例は見あたらないとしている︒実をいえば︑裁判でそのような

一 六

21-3•4-318 (香法2002)

(17)

要す

るに

その結論は︑第五条の憲法改正には︑

よ ︑

ところで︑オーフィールドの論考がでた後︑

よ う

様々な根拠にもとづく個別の内容制限の主張に対しては︑ こ

れは

一 七

いずれにせ ( 6 8 )

 

主張が行われるようになったのは︑当時としては新しい事態であった︒

N a

t i

o n

a l

P r o h

i b i t

i o n  

C a

s e

s  

(1 92 0)

L e

s e

r

( 6 9 )  

V•

G a

r n

e t

t  

(1 92 2)

が代表的なものであるが︑裁判所は黙示的制約を認めてはいない︒判例を基礎として根拠づけるの

ところで彼が黙示的内容制限が存在しえないとする一般論的論拠は︑次のようなものであった︒

m

明示的内容制限 が第五条但書として閥かれたことは︑憲法制定会議において︑内容的制約が真剣に考えられた結果であるから︑黙示 的制約を認める理由がない︒③改正規定は︑憲法の不完全性を十分認識したうえでのものであるから︑改正は広く認 められ︑黙示的制約を含意するとは考えられない︒③改正規定は主権の表現であり︑他の憲法条項の影響を受けない

( 7 3 )  

特別の性格

( s u i

g e

n   e r

i s )

をもつ︑といったことが挙げられている︒

この論文はさらに︑黙示的内容制限を主張する諸種の見解の基礎を検討し︑

アメリカ憲法においては内容制限が成立する基碇がないことを一般的に根拠づけたうえで︑

認められないということである︒ それが成立しない所以を説いている︒

さらに具体的に

モグラ叩き的対応をするという構想にもとづくものといえ

一九三九年に

C o

l e

m a

n

v .  

M i

l l

e r

判決が下され︑憲法改正手続︑少なく

ともその一部は政治問題となり司法判断になじまないということが明らかにされた︒以後︑改正内容については一層

司法判断になじまないと考えられたからであろうか︑内容制限の主張はほぼ鳴りをひそめたようである︒

この判決はオーフィールドの結論を強化する働きを果たすことになった︒

その但書による上院における州の投票権平等以外に内容的制限は そして︑以上のことがマッカーサー草案を作成した民政局員たちの背景知識であっ

は不可能な状態であった︒

21-3•4-319 (香法2002)

(18)

たと思われる︒

ルーストの見解は︑各世 以上のような背景知識にもとづくとき︑憲法改正に制限を課するかどうかについて︑運営委員会が天皇等小委員会

や人権小委員会に対して行った反論をよりよく理解できるように思われる︒ここではより対立点が明らかな︑運営委

員会と人権規定を改正禁止事項にしようとした人権小委員会の議論を中心に分析してみたい︒

運営委員会︑特にケイディスの見解は︑憲法改正に関する当時のアメリカの通説の枠組みに従っていることは明ら

かで

ある

ところで︑人権を改正禁止事項にしようという人権小委員会に対する運営委員会の反対は︑改正の内容制

限はアメリカ憲法でも認められていることであるから︑

ることが︑憲法改正の意義との関係で適切.妥当なものであるかが問題となったのである︒

ルーストの見解は︑要するに社会の進歩の産物として﹁現在人間性に固有のものと認められている﹂人権を将来の

( 7 7 )  

憲法改正による侵害から守るということである︒このような態度は︑彼が社会科学者として懐いていた進歩の理念

( 7 8 )  

(i

de

e  d

e  p

ro

gr

窃︶にもとづいた主張と考えられる︒それに対して︑ケイディスは普遍的道徳といったような観念を否

( 7 9 )  

定的にみる法実証主義的思考をもつ人物であった︒その彼にとって︑人権規定の改正禁止条項は︑現在人権と考えら

れているにすぎないものを無謬とするもので︑合理的でないと批判したのも当然であろう︒

代が自らの世代のあり方を決定するというアメリカ的な国民主権にもとづく憲法改正観とは︑氷炭相容れないもので

( 8 0 )  

もあった︒また︑ケイディスは︑それを革命によってだけ変更できるとするものと批判している︒これも︑憲法改正

' '  

それ自体を問題としたわけではない︒﹁人権﹂を改正禁止とす

運営委員会の改正制限条項に対する態度について

一八

21-3•4-320 (香法 2002)

(19)

の狙いの一

( 8 1 )  

っ た

つを革命の阻止︑

また興味深い︒

一 九

ないし憲法改正を通じた革命にあるというアメリカ的思考からすれば当然の主張であ

( 8 2 )  

人権小委員会の態度は︑政治的意見と理論を憲法という高次の存在にしようとするものというハッシの反対意見も

( 8 3 )  

というのは︑彼自身は︑若干の疑いを留保しながらも高次の法の存在を認めていたからである︒人権

を高次の法と見れば︑

それに憲法や憲法改正規定が拘束されるのも当然であり︑常識的にはなぜここで反対したかは 分からない︒しかし︑全く推測の素材がないわけではない︒彼の執筆になる前文およびその作成過程における議論を

( 8 4 )  

みる

と︑

および②総ての国家を拘束する基本的な政治道徳の二つの ようである︒問題は②が人権をも含むものであるかにある︒彼が例としてニュルンベルクにおける戦争犯罪裁判を挙 げているところからみて︑国際法上の人権を考えていたのであり︑国際連合の成立にその法化の契機を求めたのであ

( 8 5 )  

ろう︒こう考えれば︑彼が人権を日本国憲法の次元においては高次法とみなかった理由も理解できるのではなかろう

ハッシの反論のもう一点は︑憲法に改正禁止規定を置いても︑その趣旨が実現されるかは最高裁判所の解釈にかかっ

ていて非実際的であるということである︒これは思うに

C o l e m a

n v .  

M i l l

e r

判決を念頭においた発言とみられるが︑禁

止規定を置かなければ禁止の可能性はその時点でなくなると考えられるから︑解せない意見のように思われる︒

ところで︑小委員会のワイルズによる︑人権の改正禁止条項を削ればファシズムヘの扉を開くことになるという意 見をどう考えるべきであろうか︒これについては運営委員会側の反論の記録はない︒特に反論する価値を認めなかっ

どうも憲法改正に関するこの手の濫用論というのはアメリカでも行われたらしく︑

フィールドが興味深い反論を展開しているので紹介しておこう︒第一は︑ある機関が権力の濫用の可能性をもつとし たのかもしれない︒ か

しか

し︑

ハッシの高次の法とは︑①国民主権と民主主義︑

オー

21-3•4-321 (香法2002)

(20)

ついてすでに相互了解があったかのような︑ て

も ︑

四 む す ぴ

そのことは当該機関にその権力があるということへの反論にはならないとするのが判例の態度であるという指

( 8 7 )  

摘で

ある

︒ 第二は︑理論的なもので︑憲法改正権というのは︑通常の政府権力と違うという認識にもとづく︒すなわち︑通常

の権力濫用にあっては︑国民は単に政府機関

( a g e n t )

の濫用の結果を蒙るだけである︒しかし︑憲法改正権は︑その手

続からみて︑国民あるいは少なくとも国民の最高機関の作用︑要するに主権の作用とみることができる︒

とす

れば

それが濫用のようにみえようとも︑国民自身の活動の結果を国民が身に受けているにすぎない︒それを濫

( 8 8 )  

用というのはおかしいというのである︒この議論を精密に組み立てうるかは難しい問題であるが︑興味ある見解とい

えよ

う︒

以上の議論は︑憲法改正規定の第二次案において人権の章が改正禁止から加重条件の附加へと緩和されたとしても︑

加重条件を課する事自体︑適切.妥当を欠くとする根拠になりうる︒そのように運営委員会も感じたからこそ︑

が最終的にマッカーサーにより削除されたときに快哉をさけんだのであろう︒

このマッカーサー草案の憲法改正規定は︑日本側に提示されて後︑ほとんど実質に関わるような修正を受けていな

い︒国会が二院制を採ることになったために︑両議院の三分の二での発議への修正とか︑国会の定める選挙の際行わ

( 8 9 )  

れる投票に加えて﹁特別の国民投票﹂によることができるようにしたに止まる︒まるで憲法改正という作用・手続に

いかにもスムーズな日本政府の対応であった︒このことは憲法制定帝国 二

0

そうである

それ

21-3•4-322 (香法2002)

(21)

アメリカ的に理解することにほとんど注目しなかったのはどうしてなのか︒

従来の慣れ親しんできた大陸法系統のそれに全く違和感なく接合できるものだったからなのであろう︒

これほどの同床異夢のケースは︑今日では珍しいのではないか︒そして︑それは覚まされるべき夢なのであろうか︒

‑ 11大友一郎

1 1 田中英夫編著﹃日本国憲法制定の過程ー﹄︵有斐閣・一九七二年︶︱

1 0

( 2 ) 憲法改正規定については︑①国民を代表する立法部により承認された立法措置であること︑②いかなる機関も暫定拒否権以上の権限をもたないこと、が指示されていた(前掲注(1)高柳ほか•四一四頁参照)。

( 3 ) 前掲注

( l

) 高柳ほか・八六頁︒

( 4 )

犬丸秀雄監修﹃日本国憲法制定の経緯﹄︵第一法規・一九八九年︶七一頁の記述は憲法改正の第一次案が見当たらないことを示し

ている︒なお︑高柳賢三

1 1 大友一郎"田中英夫編著﹃日本国憲法制定の過程

I I ﹄︵有斐閣・一九七二年︶二七四ー五頁参照︒

( [ 3 )

前掲注

( l

) 高柳ほか・ニニ四頁参照︒

( 6 ) 前掲注

( 4

) 犬丸・八0

頁 ︒ ( 7 ) 前掲注

( 4 )

( 8 ) 前掲注

( 1 ) 高柳ほか・八六頁参照︒

( 9 ) 前掲注

( 1 )

( 1 0 )

運営委員会の構成員は︑ケイディス陸軍大佐︑ハッシ海軍中佐︑

1

頁参照︶︑ケイディスが主査の役割を果たした︒

0

( l )  

における改正規定の理解を下敷きにしたもので︑

しか

し︑

これまで見てきたように︑ とはなかったのである︒ 議会における審議においても同様であって︑

憲法改正権の本質やその限界などについて本格的な議論が交わされるこ その視点からの検討と修正を受けたものである︒学界が改正規定を

ラウエル

( M .

E .   R

o w

e l

l )

陸軍中佐であり︵前掲注

( 1

)

日本国憲法の憲法改正規定は︑

それ

は︑

できあがった憲法改正規定が︑ マッカーサー草案の段階までは︑アメリカ憲法

21-3•4-323 (香法2002)

(22)

( 2 4 )   ( 2 5 )   ( 2 6 )  

( 1 1 )   ( 1 2 )   ( 1 3 )   ( 1 4 )   ( 1 5 )   ( 1 6 )   ( 1 7 )   ( 1 8 )   ( 1 9 )   ( 2 0 )   ( 2 1 )   ( 2 2 )   ( 2 3 )  

前掲注

( 1

) 高柳ほか・一三六頁︒

前掲注

( 1

) 高柳ほか・四一四頁︒

この指示が︑新憲法の改正規定にも妥当することにつき︑前掲注

( 4

) 高柳ほか・ニ七四頁を参照︒

前掲注

( 1

) 高柳ほか・一三六頁︒

前掲注

( 4 ) 犬丸.︱‑四頁︒

会合における応酬については︑前掲注

( 1

前掲注(1)高柳ほか・一四八—五0頁。 ) 高柳ほか・一九六ー八頁参照︒

前掲注

( 4

) 高柳ほか・ニ七七頁参照︒

例えば︑佐藤達夫"佐藤功﹃日本国憲法成立史第三巻﹄︵有斐閣・一九九四年︶四六ー四七頁参照︒

前掲注

( 4 ) 高柳ほか・一五四頁参照︒

連合国最高司令部民政局︵小島和司

1 1 久保田きぬ

1 1 芦部信喜訳︶﹁日本の新憲法﹂国家学会雑誌六五巻一号四0

(

例えば︑ラウエル文書

N o . 1 1 G 3  

(

( 1 ) 高柳ほか・ニ︱六頁以下参照︶︒

その裁定に関して︑前掲注

( 1

) 高柳ほか・一九八頁は︑括弧書きで

I n

t h

e   f

i n a l

  d r

a f

t   o

f   t

h e

  do

c u

m e

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,   t

h i s  

A r t i

c l e   w

as

m i   o

t t e d

.  

と記している︒そこでいう

t h e

f i n a

l   d r

a f t  

o f

  t h

e   d

oc

um

en

t の意味が︑マッカーサー草案であるならば︑その最終の結果のみを記

したもので︑ホイットニの裁定やその後の推移まで教えるものではない︒

前掲注

( I ) 高柳ほか・ニ六二頁︒

前掲注

( l

) 高柳ほか・三

00

頁 ︒

このような理解にもまだ問題は残る︒というのは︑前述のように︑民政局報告書はある一条の削除と書いているからである︒筆者

の推測に水をさすものであるが︑まるまる一条を削除したとまでは解する必要はないのではないか︒マッカーサー草案の改正規定

は︑運営委員のハッシが天皇等小委員会との会合で提案した案に酷似している︒これは︑マッカーサーによる改正規定中の人権の章

の加重条項を削除する命令をうけて︑運営委員会がハッシ案にもとづいて補修を加えた結果ではないか︑と推測しても荒唐無稽とは

いえないのではなかろうか︵第三次案は発見されていない︶︒民政局報告書の記述は︑いわば実質的な結果の報告としてみるならば︑

筆者の推測を破るものとは思われない︒

21-3•4-324 (香法2002)

(23)

(図)索)

(自)隅)

(ご)

啜)ぼ)

(苫)ほ)

(哀)ほ)

噂) 淀旦I

1

醒坦げ)喧忌芸令・1

+1臣~~4¾\\笙゜

C. WARREN, THE MAKING OF THE CONSTITUTION, 1929, 672‑3. 

塩翌元(召)WARREN, 673. 

匡翌元(宮)WARREN. 67'.1. 

D. Linder, What in the Constitution Cannot Be Amended? 23 ARIZ. L. REV. 720. (1981); 

i

琴鱈(召)WARREN, 67 4. 

i

忌翠え(召)WAR REN, 67 4‑5. 

芸翌紺(召)WARREN, 675

垣翌え(;:;;)Linder,720.; 1忌翌元(召)WARREN. 675. 

宕翌垢(召)WARREN, 676. 

垣翌日(M)Linder, 720‑1. 

活翌出(召)WARREN, 676‑7. 

塩翠l;t!(召)WARREN. 679. ; 

i

忌翌俎

(M)

Linder, 721. .tfi{'凶腔1~抵兵垣探

1

密旦?こいざ

l<O

ギ母旦1駁箆泣唸均巳迂謬再

{瞑~+2゜洲;'._!'tf!f;臣苔旦0.'.::~豆'l+:::]I! 湛饂注澤

I

1く約どが:--,~田杓ご心゜

念)いいいS坦三や埒ぐ心

(i

臣翌垢(召)WARREN. 680. 

揺)゜

ほ)fJ~ S吾寃旦哀~l-0再{瞑噂髯母芯噂麟謬糾いい心,1声鰐(~)Linder,721‑2. 如麟窓

(~) 溢稟出(ご)Linder, 722. 

(望)宕翠紺(かLinder,719.; 

J. 

R. Vile, Limitations on the Constitutional Amending Process, CONST. COMM. 374‑5. (1985); 

i

忌翌

如召)WARREN, 673‑4. 

心)宕翌紺(~)Linder, 719. 

ほ)配暉尽迄芯炉0や'塔玉旦豆俎話S匡涵如蔀

女(要ぐ冥起t1!R

11澤)゜ド"":;‑, 令崇逆S再{赳四社芯活告孟~.,;i)8(i忌翌え(~)

Vile, 375.)'咄溢ど洛玉酌如碍旦::;,+28芸’りS廿^バ咋繹底凜深如担汀象~.,;µ-IQぐ心゜

J. 

STORY, COMMENTARIES OK THE CONSTITUTION OF THE UNITED STATES. 3d ed. (1857), vol. 2§1828. (~ 翌垢(怠)0RFIELD. 117. 

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