黄柴(宗)の禅について
小野知行
今日、禅宗と言われている宗派は、曹洞宗・臨済宗・黄葉宗の三宗である。曹洞・黄葉は一宗一教
団であるが、臨済宗は十四派(本山)と興聖寺派に分立して展開している。
黄葉宗は、中国僧・隠元隆埼(一五九二〜一六七三)の長崎渡来(一六五四)年を以て伝来期日とりんざいしょうじゅうしているが、当時から黄葉宗と称したわけではな‑明治七(一八七三)年までは臨済正宗を標模し
ていた。明治七年に至り政府の命令で臨済宗と合併を余儀無‑されたが、明治九年になって、ようや
‑独立し、黄葉宗となったのである。臨済正宗と名乗っていたことからも分かるように、真の臨済禅しょうばうげんぞうじきしにんしんけんしょうの系統を継ぐものであり、従って、その宗旨は、正法眼蔵実相無相の法門を宣揚し、直指人心見性じょうぶつ
成仏の端的を開示することとしている。
そもそも禅門は、「坐禅」をもって宗旨の板低としている。あ‑までも「行」(実践)である。漢語
「坐」は、すわること、「禅」は、焚語「ディヤーナ」の音訳「禅那」の省略で、静慮の意味である。
従って、「坐禅」とは、すわって静かに考えることを意味している0●●それでは何を考えるのかというと、真実の自己とは何か言い換えると「心」とは何か、この見たり、
聞いたり、笑ったり、泣いたりする自分という奴は一体何者なのかを考えるのである。すなわち「己
事究明」を第一とするわけである。まかかしょう禅宗は、中国で成立するのであるが、その始まりを、釈尊が郵っ獣雌において、摩討迦葉に正法眼
‑ 17‑
ふそく蔵実相無相の法門を付嘱したことに求めている。
蒜配賦=第六則世尊嘘榔)(荏
「世尊,育,墾'雌か雪に在って,花みしょうのみ破顔微笑す。 ‑)を見るにt
を混じて衆に示す。
世尊云‑'吾に正法眼蔵'担架妙心' みみょう実相無相'微妙 かしょう是の時、衆皆配賦たり。唯だ迦菓尊者
の法門有り。和郎扇争,択う舛別伝,磨
詞迦葉に付嘱す。」と述べられている。
このような世界は「以心伝心」の世界であるといえよう。
「正法眼蔵」とは'正法眼(正しい教えを見る目・悟りの目)と正法蔵(正しい教えだけが入って
いる蔵・正しい仏法の教え)という二つの言葉の合成語で'仏教の真髄を表す。正しい教えの内容は
「浬襲妙心」の四字で表わされている。浬肇は悟りの世界を意味するので'妙心を悟るということで
ある。人間の心は'欲しいとか'憎いとか'可愛いとか'いろいろなことを思い'煩悩だらけである
が、その煩悩の出て‑る根本'人間の心の根本を妙心という。では'その真実の姿は何かというと'
それは一定の姿・形を持っていない実相無相である。言い換えると「無心」ということになる。誠に
深甚微妙であって'はかり知ることもできない。根本の心とはそういうものであると教えるのが'こ
の微妙の法門の意味である。しかし'そういうものは'以心伝心へ心で心に伝えてい‑ものであって
言葉や文字でもって伝えることはできない'だから文字を立てず'あるいは教えの外に別に伝えると
いうわけである。これが'「不立文字・教外別伝」である。ししそうじょうまた'以心伝心ということからどの師匠からどの弟子に受け継がれたかを示す師資相承の系譜を
禅宗では大変重視する。インドについては'迦葉を第一祖として第二十八祖達磨まで'一師より一資
に釈尊の正法が伝えられたとする説がとられた。「酎戴二十八祖」という。
‑ 18‑
さて'インドから中国に禅を伝え'中国禅宗の初祖とされたのは'第二十八祖の菩提達磨である。
南インド香至国の第三王子で'般若多羅尊者の法を嗣ぎ'南海経由で梁にやって来た。普通元(五二〇)年広州に到着したというっ仏教に関心が深‑「仏心天子」と自称していた梁の武帝との問答が伝
えられている。こしょうたい
挙す'梁の武帝、達磨大師に問う'如何なるか足れ聖諦第一義。
磨云‑、酪酸射撃。帝云‑,朕に対する者は誰ぞ。磨云‑,不識。 ふしき
(﹃酢戯禦第一則より)(注2)けいとくでんとうろく
岩月徳伝燈録Jj(注3)から補足しながら'見てみると、最初に次のような問答があったとされる。
「朕はこれまでに多数の寺を造り'経典を写させ'僧侶を育成してきた。こうまでした朕には、ど
んな功徳があるのか。」「無功徳。」「功徳がどうしてないのか。」「それは、迷いの世界
の因果であり'幻のようなものであり実際はないからだ。」「では、真の功徳とはどんなもの
か。」「悟りの実体というものは完全無欠のもので、しかも空である。だから'真の功徳とい
うものは世の中の常識ではとらえられないのだ。」
という応答が続き'この後'「聖諦第一義」の問答に入っている。
そして'廓然無聖とは「からりとして聖なるものは何もない。」ということである。
雪賓は'その頭の中で'「清風は大地いたるところに吹いて'どこに尽きるところがあろうか。」と
述べ'さわやかな風がすべてを吹き尽‑すような爽快な答えであると絶賛している。禅のさわやかな
風が中国に吹き始めたのである。これまで中国に伝えられた学問仏教・翻訳仏教とは異なる新鮮な実
践仏教の教えであった。
機縁かなわずと見た達磨は,梁を去り、揚子江を渡り、魂の郎此少林寺に寵もる。いわゆる面壁九
‑ 19‑
年である。ゆえに達磨は「壁観バラモン」と呼ばれる。壁観とは'壁を観るのではな‑、壁が観るの
である。壁となって観るのである。何を観るのか。空を、生きた空を観るのである。えか後に二祖となる慧可との話が伝えられている。ひじ達磨面壁し、二祖雪に立ち管を断って、云ふ、弟子心末だ安からず0
乞ふ師'心を安んぜよ。ち磨日‑、心を将ち来れもと祖日‑、心を鬼むる
磨日‑'
汝 が 為 に
安更
心:・Lに
し
寛だ了言汝
ん に がた
め興に安んぜん。
ぬ 不 o可
待0
(﹃無門閑﹄第四十一達磨安心)
この公案の源流は'﹃金剛般若経﹄の「過去の心は得られない、現在の心も得られない'未来の心
も得られない。」にあるが、遠い過去からの万人の迷いと苦しみが「心」であった。仏教の究極の目
的は'結局はこの安心にあると思われる。解脱とか悟りとか'難しい言葉を並べてもこの安心を別の
言葉で述べたものであるといえよう。
達磨にとって'安心とは壁観であった。それは、煩悩退治の禅法'煩悩を断じて浬磐を得るのでは
ない。煩悩を断ぜず浬磐を得る必要のない本来の心にかえるだけである。本来の心にかえるのが'安
心である。要は各自の心のありかたによる。不安な心のはかに安心する心はないのである。落ちつい
た心とおちつかぬ心とが一つであるような'心の根元に落ち着‑のである。
二祖より、三祖.郁厳酷酢へ,さらに四祖通信大賢(注4)へ,そして五祖.断裁大満(六〇二㌧
六七五)へと法が伝えられる。
早‑に父を亡‑Lt柴売りをしていた慮少年(後の六祖・慧能)は、ある時、お客が﹃金剛経﹄を
20
読んでいるのを聞き、「応無所住而生其心」の文で頓悟したという。老いたる母を残し、さっそ‑、
その下に七百人の雲水が集まって修行していた黄梅山の五祖・弘忍を訪ねる。何を求めにきたのかと
問われて、六祖は、鰍覇の生まれで、新州の百姓ですが、ただ仏になる道を求めにきたと答えると・
嶺南の生まれならば、まさし‑野蛮人だ'どうして仏になれるものかと言われて'「人に南北ありと
いえども、仏性に南北なし。・・仏性に何の差別かあらん。」と答えたという。大器と見た五祖は'あんじゃつ
行者として米を抱‑仕事をさせる。
数カ月過ぎたある日の事、五祖は、多‑の門人たちに、自らの所見を侭(請)に表して見せよと要じ⊥う'r・)求する。きっそ‑南廓の壁に書きつけたのは、教授師をしていた神秀上座であった。
「身は是れ菩提樹,心は明鏡台の如し、時時に勤めてが搬せよ。厳密を敵かしむること煉れ。」
この侭を人に読んでもらった六祖は'自分の本心を表明するため、字の書ける人にたのんで壁に書いてもらう。
「菩提本樹なし、明鏡台に非ず'本来無一物、何れの処にか塵攻を惹かん。」(悟りにはもともと
樹も要らず、明鏡もまた台ではないもともと無一物だ、どこに塵挨がつ‑ものか。)
この慧能の侭は'対立の世界を超出したもので、菩提とか煩悩とか比較すべきものでないと解釈さ
れている。本来無物ではあるが、一切方法如如として、その実相をあらわす。山あり、川あり'楼台ほんちかつありで'そこに本来の面目'露堂々、本地の風光、曽て蔵さざるところ、そこには一点の塵挨な‑、
実に清風明月の天地のところを言い表している。
神秀よりも悟境の深いことを見て取った五祖は、慧能(とはいってもまだ出家・授戒していなかっとうかいた)に伝法の印として袈裟を与えて、南に逃がす。それから十六年の覇晦(才能を包みか‑す)のすほ「しょうじえ、はからずも広州法性寺で、「旗が動‑か風が動‑か」の議論に巻き込まれる。
‑ 21‑
ちな「六祖'困
して末だ みに風,緋厩をあぐ ひとはた二僧あり対諭す'一りほ円く幡動‑と一りほ日‑風動‑と'往復かつかな曽て理に契はず'祖日‑'是れ風の動‑にあらず'是れ幡の動‑にあらず にんしゃ仁者が心動しょ‑なりと。二僧保ぅ鰯たり。」(表門閑﹄第二十九非風非鵬)
びっ‑りした僧達は'師匠である印宗法師に伝える。師は'この男が慧能と知ると直ちに弟子の礼
をとる。しかし'まだ俗人のままのため'出家得度させた。これで禅僧・慧能が誕生したわけである。
さて、この議論はなかなか面白い。風は形がない'動いているか動いていないかよ‑分からない。
幡もそれだけでは動かず、凪がなければならない。幼稚なようであるが'よ‑考えるとよ‑分からなにんしゃい。お前さん万(仁者)の心が動‑と六祖は答えたのだが'これでは唯心論である。さんがいゆいいっしん確かに仏教は唯心論的考え方であるといってよい。例えば「三界唯一心」と言うが'人間の心が根
本になっていて'すべての事柄・現象が起こって‑ると考えているがtLかLtそれだけですべてが
割り切れるわけではない。
むしろ'仏教(秤)では'物が先が心が先かという議論はしない。物心一体と見ている。物を離れ
て心はないし'心を離れて物は存在しないと考えている。
この非風非幡の話につけた無門のコメントを見るとはっきりする。
「無門日‑'是れ風の動‑にあらず'是れ幡の動‑にあらず'是れ心の動‑にあらず。」
人間の心も本来無一物である。なんしゅうぜん達磨の伝えた禅は'この後'慧能を祖とする南宗禅(頓悟を特色とする)と神秀を祖とする北宗ぜんしゅう禅(漸修を特色とする)とに分かれるが'盛んになってい‑のは南宗禅の方である。
‑ 22‑
中唐時代には,郎卸璽一っ(七〇九㌧七八八),ボ郵か威
者を数多‑輩出しそれぞれ宗風を立てた。馬祖の法系から
ほ ′七∴
三
宗 \
・ 七
臨上九
済 La:○
()
)が出で'個性豊かな禅
宗が成立し'石頭の法系