黄瀬川下流域の地形について
著者 吉川 契子
雑誌名 静岡地学
巻 66
ページ 43‑47
発行年 1992‑10‑30
出版者 静岡県地学会
URL http://doi.org/10.14945/00025344
静 陣 地 学 第66号 (1992)
瀬) I r下流域の地形について
吉 川 i 契 子 *
1 まじめに
11は、静時県東部に位寵する狩野川の支流であるO 御殿場市の標高560m付近に流れを発し、
西の富士火山@愛鷹火山、及び東の箱根火山の関を流れ下り、狩野Jl
I
vこ合流している(図 1) 0 黄瀬川下流域には、震状地状の地形しているO これまでに行われた くの研究の中で、この薦状地状の 地形が取り上げられているが、い
も、その地形発達史について、
検討が成されているとは胃し
、この
うこととした。しかし、
Gで7 G 〕、少」、ヂ首~Z:、ヂ、 ま ら
を述べて、
るO
2
るO ま 1 lの
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国2 黄 瀬J11下流域の微地形分類
少し!列
8
rllJ世扇状地河岸段丘l河i手段丘II谷底平野徽高地砂様州 その{患の沖積面 Sa三枚橋 Sh El校神社flii Hi日吉 行a八宏圏 M宮原
の東の柿田川、境j[fの形成する を「段丘j と
4 結果と
①地形分類(図2)
黄瀬川扇状地の地形分類は、これまでに いくつかの論文で示されているが、薦状地 及び爵状地面に見られる微地形の分類は、
研究者により様々な解釈が示されているO
鈴木ほか (1952)は、扇状地を大きく 3 段の段丘に区分しているが、本研究では、
鈴木ほか (1952)が第
I I I
段丘と分類してい るものを、扇状地として分類するO(1988)は、溺状地を「河川が山地から平 地にでたところを溺の要として、河道を移 動させてできた半円錐状の地形j と定義し ているO 黄瀬川扇状地を構成する
を構成しているのは御殿場泥流堆積物 (後述)であり、主に数回の洪水により堆 したと考えられるので、厳密には河道を さ てずごき とは 〉し 〉し もある カ三、 を し おり、 (1988) の う火 と えて し〉と われるO
ほか (1952)は 11の西の
@日 られる、 を浸食
して形成された小谷の と、黄瀬川
11
北川(1976)、松原 (1984、1989)、 ( 1986)では、 @日
と対比しているO
小谷を分類していない。
本研究では、これらの小谷を また、北}11 (1977)は、
と分類するO
、「自然堤防j、「 「砂探台地jと、それ以前の研究になかっ た、微地形単位での分類を行っているO しかし、例えば
r r
日河道J
と分類された地形を現地で観察す ると、必ずしも溝状の田地が存在するとは限らない。本研究ではr l
日河道J
は分類しない。松原(1984、 1989)は、 3段の沖積段丘を、藤枝 (1986)は2段の河岸段丘を分類しているO 本研究では、黄瀬川 沿いにみられる 2段の段丘を河岸段丘と分類した。最後に、香貫山周辺の微高地を分類した。以上をまとめると次のようになるO
[黄瀬Jf
l
薦状地]愛鷹火山と箱根火山の間の谷の出口に形成されており、扇端の南西部は浮島ケ原 に、南東部は狩野川低地に漸移するO 麗端の中央よりやや西の部分は、かつては香貫出地にまで及ん でいたと考えられるが、現在は狩野}11により浸食されているO この扇状地はさらに 以下に述べる微44
地 形 に 分 類 さ れ るO
(河岸段丘I、IIJ黄瀬J[[の鮎査の滝以南 に は 、 明 瞭 な 2段 の 河 岸 段 丘 が 存 在 す るO 段 丘 Iと段丘IIの比高は 1"‑'3m、段丘Iと扇 状 地 の 比 高 は 3"‑'5m。黄課長}I[に流れ込む支 流 の 河 口 付 近 に は 、 幅 の 小 さ な 段 丘 を 伴 う こ
とがあるO 段 丘 上 の 構 成 層 は 、 御 殿 場 泥 流 堆 積 物 で あ るO 段丘の形態、は、河川の流路跡を 残しているが、その形態の特徴から、 2度 の 大 洪 水 に よ り 、 形 成 さ れ た の で は な い か と
えられるO
黄 瀬 川 東 方 、 狩 野 川 支 流 の 柿 JlI ..境J11 ..大場]11は、いずれも谷底平野を
図3 御殿場泥流堆額物露頭位護国(議開)
るO 同 じ く 西 方 に は 、 三 枚 檎 及 び 日 吉 の 小 谷 の 谷 底 平 野 が 存 在 す るO ミ三枚橋の小谷は、扇状地面 を深く浸食して、こつ然と現れるO そ の 形 態 の 特 徴 が 、 柿
8 3
j[[と大変よく似ているO 現 在 、 三 枚 橋 に は 流 量 の 少 な い 河111があるO お そ ら く 、 地 下 水 量 が 豊 富 で あ っ た あ る 時 期 に 、 扇 状 地 を 構 成 す る 御 殿 場 泥 流 が 、 水 を 含 ん で 崩 壊 し や す く な り 、 河 川 に よ る 浸 食 を 受 け て ( 土 砂 崩 壊 で ) 一 時 に 形 成 さ れ た のではないかと されるOの 北 西 に あ り 、 明 治 時 代 に は 既 に 集 落 が あ っ た 。 こ り、かつて蔚状地がここまで続いていたと考えられるO
② 御 殿 場 泥 流 増 積 物
11 しているの
を
は、
るO 関3に
叫
( 1 9 8 0 )
により、黄瀬111扇 状 地 堆 積 物 と も 呼 ば れ て い る が 、 富 士 火 山 起、一次的に流下したものである(軒由、
1 9 6 4
..宮地、1 9 8 8 ) 0
泥流中の1 4C
として、
2 1 0 0
士1 0 0y . B . P .
(山田ほか、1 9 7 2 )
、2 3 6 0
士1 0 0y . B . P .
(町田、1 9 8 0 )
、2 5 8 0
士6 5 y . B . P .
1 9 8 8 )
が あ り 、 約2 1 0 0 " ‑ ' 2 6 0 0
年前の堆積物であるOは、 るO よる あるカ人
の砂の中に、 む レキ るいは
は し 、これと同様の なって ることが
あるO つ いる 明瞭であるO これらの の間に、
を、レンズ状に、
1 0 " ‑ ' 4 0
cmの さではさ ことカまあるOると、ハンマーで叩いた時、カンカンと えがする さになるO り、 あるO しかし、ひとたび水分を と、
しや る
1 9 8 8 ) 0
沼津市や この露頭が確認できるが、驚くのはその量の多さであるO 約
3 0 0 0
年前に、何らか のきっかけで、 に御殿場岩屑流が供給され、その後の洪水により、一部が泥流となって 瀬川下 流に流下して堆積したのであるO 洪水がおさまった後、表層の砂のみが、流水に運搬されて堆るO そして、この一連の堆積様式が時間をおかずに繰り返されたのであろう(宮地、投稿中)。
狩野}1 [は、香貫山北部を迂回するように流れているが、黒瀬橋に近い香賀山山麓(狩野川左 の八宏臨近くの露頭で、御殿場泥流堆積物の露頭が確認された(図ム Ha地点)0 また、香貫山 西側の宮原町バス停そば(図 2、問地点)でも、同じく御殿場泥流堆積物を擁認した。この 2つ 頭から、香寅山西部に発達する微高地は、葉、瀬}I[扇状地の一部であるO つまり、かつては、御殿場泥
山にまでせまり、狩野)11低地が閉塞された るものと忠われるO その され、現在の狩野川の流路を形成し 後、 I[扇状地と香貫山との狭さく部となっている
ていったのではないだろうか。
③黄瀬川
御殿場泥流は、約 2100~2600 年前に、富士火山東麓の御殿場岩屑流の堆積物が洪水により、泥流堆
となって流下したものであるO 洪水後すぐに、表層の砂が流水により流下@堆積した。そして、
時の地形的@地質的な条件の違いのため、場所により、更に二層目、三層自の洪水堆積物が形成さ
れた。一時に、 の谷を流れ下り、谷の
を形成し1'‑0
は
山麓に し、 と浮品低地を分離したのではないだ ろうか。
湿地性堆積物の まり、沼沢地ないし しているO 二千数百年前に御殿場泥流が堆積したことにより、
は狩聖子}II して来る砂や泥が、より一層増積し易くなったかもしれない。しかしその後、狩野川 の 現在の流路が形成されたのではないだろうか。
1 " IIは、どのようにして形成されたのであろうか。ま 1'‑" @日立ど@ 川@境}1 [ ..
が、これらの 水分
と対比できるのであろうか。この点については、今後考察を深めなくてはならない は、御殿場泥流堆積物の性質と関連がありそうであるO 御殿場泥流は、
と矩時間に崩壊する、という性質がある(前述)。また、御殿場泥流にはスコリアの あり、その部分が帯水しているのを、日校神社下の工事現場(図ム Sh
した。そこで、例えば、黄瀬Jf[の水量が増し、かつ、地下水が増加するような出来事一つまり洪水な どーが生じたのではなかろうか。洪水により、黄瀬川は扇状地を浸食して段丘犀を形成するO
しやすいスコリアの多い層が、水分を十分含んだ、状態、になり、小河川の
でも と されたのではないであろうか。 2段の は、 2
の大洪水があったことを予想させるO
ヰ
本研究では、 /f上流域の地形との対比や、地下地質を合めた されていなし〉。また、デ
46‑
タも少なく不十分な点、が多い。しかし、今後も更に調査を進め、他の研究をも参考にしつつ、本地域 の地形発達史を明らかにしていきたい。
本研究を進めるにあたり、静岡大学教育学部 塩 川 亮 先 生 、 山 梨 大 学 教 育 学 部 今 泉 俊 文 先 生 に お 世話になりました。深く感謝致します。
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