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茂木一斎 (1981年10月15日受理)

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(1)

茨城大学教育学部紀要(教育科学)31号(1982)7−22      7

音楽教育と音楽学の連携のために

一中学校鑑賞共通教材の音楽学的研究と指導法の実例

(理論と実践の連携のための試論(IV))一

茂木一斎

(1981年10月15日受理)

      o

̀n Attempt to Make Music Education and Musicology Hamlonlze An Example of a Musicological Study and a Teachin魯Method about a㏄㎜on Teaching Material of Music Appreciation in Lower Sec。nda,y S・h・・1(An Att・mpt t・Make Th…yand P・actice Harmonize(IV))

       *

jazue MoTEKI

(Received October 15,1981)

Abstract

The author of this paper picked up F.P.Schubert sLied喝Erlkδnig , first analyzed it musicologically and schemed a teaching−method of this Lied on the base of the analysis.

@       鵯

、    序

 現在の音楽科教育には未だに難問が山積している。これを解決するための1つの方法として,      1)筆者は音楽学的に十分な教材研究をまず行なうことを考え,すでに以前に拙論において小学校教

材での具体例に基づく指導法を提出した。今回は中学校教材での具体例として第1学年の鑑賞共 通教材に指定されているシューベルト作曲の歌曲「魔王」をとりあげている。この作品について

も現在までの音楽教育関係文献ではごく簡単な指導法にしか言及されていない場合が多く,徹底 した教材研究に基づく指導法は未だほとんど研究されていない。前述した拙論では「お話」の作 成に至る求心的な教材研究の深化について考察したが,今回は様々な角度からの教材へのアプロ

一チ法を探ることにより,教材研究の大きな可能性,広がりについて研究を深め,音楽科教育研 究へのささやかな寄与としたい。

*茨城大学教育学部(Faculty of Education,Ibaraki Univercity)

(2)

第1章 詩学的前提

第1節 鑑賞のための分析

特にドイツ・リートの場合は詩と音楽とに密接な関連がある場合が多い。・したがって鑑賞に際 してもこの関連性の理解が重要な前提となる。そのためにはまず詩自体の特質について理解せね ばならない。ゲーテの詩「魔王」はヘルダーがデンマークの物語詩から訳したものに基づいて作

試みよう。

@      3)

ネ下にこの詩を掲げるが,右側に各音節をHebu㎎一とSenkullg Uに分類して示した。

Wer reitet so sbat durch Nacht und Wind?     U−UU−U−U一 Es ist der Vater mit seinem Kind;         U−U−UU−U一

Er hat d㎝Knaben wohl in dem Am,    U−U−U−UU一

Er faβt ihn sicher,er h巨lt ihn warm.       U−U−UU−U一

Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht?− U−U−UU−UU一 Siehst,V註ter, du den Erlkδnig nicht ?      U−U−U−UU一

Den Erlenk6nig mit Kron und Schweif?−     U−U−UU−∪一 Mein Sohn, es ist ein Nebelstreif.−        U−U−U−U一

Du liebes Kind, komm, geh mit mir!      U−U−U−U一 Gar sch6ne Spiele spiel ich mit dir;        U−U−U−UU一 Manch bunte Blumen sind an dem Strand;     ∪−U−UU−U一 Meine Mutter hat manch g廿lden Gewand.     UU−U−U−UU一

Mein Vater, mein Vater, und hdrest du nicht,   U−UU−UU−UU一 Was Erlenk6°nig mir ldse verspricht:−       U−U−UU−UU一 Sei ruhig, bleibe ruhig, mein Kind;        U−U−U−UU一 In dUrren Bl翫tern sauselt der Wind.−       U−U−U−UU一

Willst,feiner Knabe, du mit mir gehn?    U−U−UU−U一 Mdne T6chter sollen dich warten schbn;      UU−U−UU−U一 Meine Tdchter f曲ren den nachtlichen Reihn,    UU−U−UU−UU一 Und wiegen und tanzen und singen dich ein.     U−UU−UU−UU一

Mein Vater, mein Vater, und siehst du nicht dort U−UU−UU−UU一 Erlkdnigs T6chter am dαstern Ort?−       U−U−UU−U一 Mein Sohn,mein Sohn, ich seh es g㎝au:     U−U−U−UU一 Es scheinen die alten Weiden so grau.−      U−UU−U−UU一

(3)

茂木:音楽教育と音楽学の連携のために       9

Ich liebe dich, mich reizt deine schbne Gestalt; U−UUU−UU−UU一 Und bist du nicht willig,so brauch ich Gewalt.  U−UU−UU−UU一 Mei・Vate・,mein Vate・, jet就鰍er mich an!U−UU−UU−UU一

Erlkδnig hat mir ein Leids getan!      U−∪一UU−U一

Dem Vater grauset s,er reitet geschwind,      U−U−UU−UU一

Er hヨ1t in Armen das achzende Kind,       U−U−UU−UU−       ,

drreicht den Hof mit Mゼhe und Not;      U−U−U−UU一 In seinen Armen das Kind war tot.        U−U−UU−U一

以下,各項目毎に分析する。

〔1〕試行構成   各節とも4行の全8節からなる長大な作品であり,各行のHebungの数

4)      5)

も4と,4の倍数を中心1こ構成される。Auft aktの存在も各行に共通していて,全体としてかな り安定した作法をとっている。物語詩としての淡々とした性格の表現にもこのような構成法が一 役かっているといえるだろう。ただしHebmgとHebungの間に挿まれたSenkungの数は一定し

ておらず,これがリズムの微妙な変化を生み出している。たとえば魔王の言葉について考えてみ       6)

驍ニ,第3節第1行,魔王の語り出しの所は全てSenku㎎1つ,つまりA雌aktにTroc願usの 連続という形で,2拍子の決然としたリズムとなり,それが少年をとらえて離さない魔王の呼び かけの絶大な力を表わすかのようである。ところが同節第2行以下になると,これにSenkung 2 つを含むDaktylus(−UU)が混入してくる。行が進み再び魔王の言葉が現れる第5節に入るに つれてこの比重は増し,同節最終行ではついに完全にAuftaktにDaktylusの連続という形に変わ

ってしまう。それは魔王が不気味でかつ優雅な拍子を交えて子供を誘惑していく過程であり,第 5節最終行でこの詩的律動はwiegβn, tanzen, singenに対応した,まさに舞踏的リズムにと変化

するのである。       7)

@〔2〕押韻   行末は全て男性終結(mannliche Kadenz)しており,これにより余韻が生      8)じ,また次行のAuft aktへの接続も円滑にされている。尾韻は全てPaarreimの形をとつて

おり,これも規則正しさを助長している。また各行の冒頭にも共通した響きを用いて押韻 的な効果を上げている。たとえば第1節第3,4行共通のErによるリズム性や, M ei nやMeine を隣接行(第5節第2,3行)や同一人物(父と子それぞれ)に用いることによる統一性の獲得 などである。

〔3〕母音の音色   例えば第3行第1,2節で,日本語でいえばイに近い発音を多用する ことにより,魔王の誘惑の気味悪さを表わしたり,最終節第2行でエに近い発音を集中的に用い てあえぐ子供を表現していると考えられる。

以上ごく基本的な3点に分けて分析したが,これによりこの詩がバラーデとしての性格から円 滑な進行のために規則正しい構成法によりつっも,その中で微妙なニュアンスの変化を表わして いるということが明らかになった。詩それ自体が変化と統一を実現した有機的な構成体であり,

快いリズムや音色の変化により,すでにこれだけで十分音楽的な要素を持っているのである。

第2節 指 導 法

       ワ

O節での考察から明らかになったように,詩はそれのみですでに独自の構成法と音楽性を有し

i

(4)

ている。これを適切に指導できれば,詩と音楽との関係や作曲家の詩に対する態度を理解するの に非常に有益であろう。しかしこの教材が指定されている中学校第1学年では,ドイツ語はおろ か英語の学習さえ始められたばかりであり,まずは語学的障害が大きい。しかしドイツ語の発音 は英語などよりもローマ字に近いし,時間的余裕があれば,指導法は十分考えられる。

〔1〕指導例   たとえば物語のアウトラインを説明した後,まず原詩を板書し,単語に沿 って正しく発音し読み上げる。その際,一∪のリズムと尾韻については説明できる。次に逐語訳

     と全訳を施して単語や文章の意味と強弱リズムや母音の音色との対応関係について説明指導する。■     さらに詩の朗読を鑑賞する必要もあろうが,これについては教師に自信がなければ,ドイツ人に

よる朗読のテープを聴くのもよいだろう。要するに音楽以前に詩独自の原理が存在することに気 つかせられれば,それが一般的に音楽と言語との芸術的関係の理解へと通じることになる。

〔2〕翻訳歌詞による指導

原詩の考察に関連して,訳詞による鑑賞指導について考えてみたい。一般に外国声楽曲は原語 では意味内容が理解しにくいというためであろうが,しばしば訳詞で歌われる。「魔王」の場合,

教科書などにも訳詞による旋律が載せられている。しかし一方では,翻訳すると原語のニュアン スが失なわれるという立場から原語主義が根強く存在することも事実である。両者によるディレ ンマを解決するのは,原語のニュアンスを忠実に生かした名訳が出現することであるが,言語構 造が全く違う以上,それはほとんど不可能であろう。

次にドイッ語の歌の訳詞を作る場合の問題点2つとその解決策について考えてみたい。第1に ドイツ語の歌ではほとんど一音符一音節であるのに日本語のそれでは一音符にかな1つをあては めていることが多いため,後者では盛りこめる単語が少なくなり,内容の乏しいものとなること       9)

ナある。第2にゲオルギアーデスも指摘するように,ドイツ語では言葉の意味内容と響き,発音 が一致し音楽にも対応しているわけであり,それがドイツ・リートにも広く認められるが,従来 の訳詞では日本語でのその忠実な対応が考えられていない。

以上2点の解決のためには多少音符を細分化してでも,ドィッ語の単語にまでもできる限り忠 実な訳を行なうことである。これには原譜を多少改変せねばならぬという問題や,ドイツ語と

日本語との文章構造の相違による困難が伴なう。それに両言語の響きの違いはほとんどどうしよ うもない。しかしもしこのような訳を作成し,その訳による演奏を,原語による鑑賞の補助的手 段として行なうならば,言葉と音楽との関係の理解のために多少は役立つであろう。次に「魔王」

の最初の2節の部分のシューベルトの曲について上記の趣旨による訳を試みた。参考のため原詩 も下に付した(譜例1)。これを見てもわかるように,たとえばWerやEs istの忠実な訳によ り,第1節第1行と第2行との問と答の関係は表現できるであろう。またsicher,Siehs t,nicht の語感なども多少は感じ取れると考えられる。その他,細かい工夫もいろいろ行なっているが,

先にも述べたようにこのような趣旨の訳詞による演奏はもちろん最終的な鑑賞対象ではない。し かし原詩と原曲とによる芸術的迫力をわかりやすく再生するためのプロセスの1つとしては十分 有効ではなかろうか。

(5)

茂木:音楽教育と音楽学の連携のために      11

譜例1

   だれが かけるかこう  おそく や  み と か ぜ に  、    それ  は  お とうさんと         )   Wer  rei−tet so  spat durch Nacht und Wind?      Es ist der Va互er mit

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か  れの子   かれ は  その  子  を   た しかに うでに   い だ きし かりと そして se重.n㎝  Kind, er  hat  den  Kna−ben   wohl in dem Am,   er fasst ihn sicher  er

凸あたためている      なあ ぽうや  なぜ かくすのそん なにおびえてかおを  みえる      )h百1t ihn warm.       Mein Sohn, was birgst du so ba㎎dein(3esicht? Siehst,

      嬰

ィとうさんねえ   ま おう がみえ ないの      あの  ま  お  う が  かん むりとながいすそで  )Va−ter, du  den Er1−kd−nig nicht?    d㎝  Er・1e降K6・nig  mit Kronund Schweif?

●       ●

ああ ぽうやそれは  き  り だよ Mein Sohn, es ist dn Ne−belstreif.

第2章 他の作曲家の作品との比較

第1節 鑑賞のための比較分析       10)

@Capellによれば,ゲーテの「魔王」には50以上の作曲が存在するといわれる。ここでは比較的 よく知られたライヒャルトとレーヴェの作品について考察し,最後にシューベルトの作品をこれ

らと比較検討し,その特質を浮き彫りにしてみよう。3者の作品は奇妙にも全て同じg−mol1 で書かれている。

 〔1〕ライヒャルト(J.F. Reichardt 1752〜1814)は第2次ベルリン・リート楽派に属する作         11)曲家であるが,譜例2からわかるように彼の「魔王」は単純な有節形式で作曲されている。ただ

し魔王の言葉は全てRρでdの保続音上に歌われ,その部分の主旋律は伴奏の上声に移行してい

る。実は17世紀以来,リート・ジャンルでは単純な有節リートが支配的であった。それ以上に拡       12)大発展しなかった原因としては,ヴィオーラによれば,種々の理由からの自己限定があった。こ

の「魔王」もその典型的な例の1つであるが,ラィヒャルトの友人でもあったゲーテ自身,「魔       13)

、」について「一定でかつまとまった旋律を備え,………誰にでもすぐ覚えられるもの………」

と述べ単純な有節形式を好んでいたと考えられる。したがってこの作品は詩聖ゲーテの理想にも かなった,当時の常識的な作曲法によるものであった。

〔2〕レーヴェ(C,Loewe 1796〜1869)は著名なバラーデ作曲家であり,彼の「魔王」(譜 例3)もよく知られた作品である。ライヒャルトのそれが単純な有節形式であったのに対し,レ

一ヴェのそれは通作形式で書かれている。しかも新しい素材を次々にレチタティーヴォで結ぶよ うな単純な羅列的通作ではなく,全体の構成計画に基づく有機的な通作形式となっており,最終 行のみにレチタティーヴォ的手法を用いて効果をあげている。ところでこれらはシューベルトに

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煖、通しているため次項で詳しくシューベルトの作品と比較してみよう。

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k3〕シューベルトの「魔王」(譜例7)は,前述したようにレーヴェのそれと共通性を持っ ているが,詳しく調べると両者には大きな相違点も存在し,それがシューベルトの特質をも明ら

かにしている。まず次に両者の調性プランを原詩の節の進行に従って表にしてみる(表1)。

表1

1        2         3        4        5        6        7        8

状況設定父子父 魔    子 父  魔    子 父  魔 子  状況描写 Schubert g(B) g→cc(b冴3 B     g h→G  C      a cis→d Es→db→g g一唖As→g

Loewe 9  9 9 d G    g e  G    ge  G g  転調→9

      15)

アの表を見れば,Ca pel lの指摘を待つまでもなく,両者の調性空間の利用法の相違は明らか である。共にg−mollを主調とするが,レーヴェでは,子が原則としてg−mol1,魔王も常にG 一durと,全曲を通じてg調が支配的で,他調への転調は比較的少ない。それは調的変動の少な いスタティックな世界である。この作品を体験する者の関心は調変化の乏しい音楽的内容よりも

むしろ歌唱者の朗読上の変化に向けられざるをえない。もちろんそこには「身の毛のよだつ」よ        16)

うな「音響の流れ」はある。しかしそれはあくまで全体をおおう漠然とした恐ろしい 気分 表出のみである。特に常にG−durで現れる魔王の語りかけは,旋律形もさして変わらず,音楽 的変化に乏しいのである。

これに対しシューベルトでは主調g−mol1は最初と最後を中心にわずかに現われるにすぎない。すでに 長大なg−mollの前奏において異様な気分は十分描出されており,歌の登場と共に調的変化に富 む音楽的なドラマが開始されるのである。3度にわたる魔王の登場はその都度,調を変え旋律形

(11)

茂木:音楽教育と音楽学の連携のために      17

を変えて行なわれる。魔王は手を変え品を変えて子を誘惑する。これに対し子供の叫びは2回目 から旋律形と調を1度ずつ上昇させてほとんど絶叫に至る。また特に父の音楽的な心理描写は絶 妙である。最初の登場では転調を交え不安に子に問いかける。2回目と3回目では長調に転じて 子を安心させようとする。しかし4回目,最後にはcis−mol1からd−mollへと半音違いの微妙 な転調を行ない,心の動揺は隠せなくなる。シューベルトは詩のドラマ性を広い転調空間の利用 によって音楽に移し,真に劇的な音楽を創造したのであった。それは響きと劇性に対する直観の

鋭さであると同時に,両者を結合して音楽構造へと転化させる高度な精神活動の産物である。      17)

@Georgiadesはシューベルト作品の性格を「語り」 (Sagen)という観点から説明する。たと えばシューベルトは原詩に忠実に各行をAuftaktで始める形で音楽化しているが,ただ一箇所第

7節第4行のみいきなり強拍から始める。これはErlkδnigという言葉が冒頭音節のアクセント の方がむしろよいことに基づくが,それにより子の絶叫は迫真性を帯びる。ここには機械的でな

い「語り」の自然な力が生かされている。また同節第1行のIch liebe dichは全く語り口調であ       1のり,あたかも眼前で語られているかのような気味悪い程の現実味を帯びている。

以上の考察から明らかなように,シューベルト曲は「語り」の表現力や音楽構造の緻密さに より,ライヒャルトはもちろん,レーヴェの作品からも判然と区別される傑作となっているので

ある。

第2節 指 導 法

3つの作品の性格の相違は,一聴しただけでもある程度漠然とは感じとれる。したがって鑑賞 指導に際して,1つの詩から異なる音楽が生み出される実例としても,これら3つの作品を聴き 比べることはそれなりの意味があろう。しかし前節での考察からも明らかなように詳細な分析は

3者の相違をいっそう明確にし,すぐれた音楽作品がいかに他の作品と異なるかを具体的に明 らかにする。ひいては本当にすぐれた芸術作品に感動でき,心的生活を豊かにするだけの音楽性 や精神を育成することになろう。したがってできる限り細部にまで行き届いた指導がなされるこ とが強く望まれる。

まず,シューベルトの「魔王」は通作形式であるとまでは説明されることも多いようである。

しかし通作の概念を確実に把握するには,これに対立する有節形式の実例による理解が肝要であ り,それには当然ライヒャルト歌曲の鑑賞が有効である。これは他の詩への付曲,たとえばしば しば行なわれるようにシューベルトの「野ばら」などを例とするよりも次の意味で効果的である。

それは同一詩に基づく有節と通作の概念の理解は,生徒をして詩を音楽化する際の根本的な問題 の認識へと至らしめるからである。

レーヴェとシューベルトとの比較には,かなりデリケートな音楽理論的問題が含まれている。

まず伴奏形の違いには,特にシューベルトの曲の内部での旋律形の変化の様相に関連してすぐに 気づくであろう。次に旋律形の相違について理解できれば,両者の音楽的態度の違いにっいてか なり具体的に把握できる。それには魔王の語り口の変化についての両者の比較が意味があると考 える。問題は調的な理解であるが,これについては中学校第1学年ではあまり徹底した理解は望 めない。生徒の理論面でのレヴェルを十分考慮しつつできる限り深い理解ぺと導くことが望まれる。

とにかく1つの詩への異なる作曲の比較指導をするということは,言語と音楽という異なる芸 術ジャンルの対決を見つめさせるとともに,すぐれた芸術作品のすぐれているゆえんについて認 識させるということで,非常に有益な内容を含んでいる。

(12)

第3章 稿による相違

第1節 作品形成理解のための比較分析

シューベルトの「魔王」にはカーマス版によれば4つの異なる草稿が存在する。そのうち3番 目の稿では他の稿で特徴的な3連符が8分音符の連続に変えられているが,このことは3連符が 弾くのに難しすぎたというエピソードと共によく知られている。譜例4〜7にこれらの草稿の最 初の部分を掲げる。第3稿以外の3つの稿については互いによく似通っているという説明だけで 足れりとしている場合も多いようであるが,これらについてもよく調べると微妙な違いが見い出 せる。たとえば冒頭部分には第3稿までは乃oの指示があるが,最終稿では!に変えられている。

これにより,はるか遠くから聞こえてきたひづめの音は,聴者を冒頭からいきなり異様な状況へ と投げ入れる眼前での圧倒的な響きへと変貌している。また前奏は第2稿以後,1小節拡大さ れている。それは第7小節の後に1小節挿入されたたあであるが,これによりカデンツの解決に 余裕が生じ,前奏の広大な印象が増している。また紙面の都合で譜例はないが,子の登場の際の 旋律形も第2稿以後,変化して父への訴えかけの表情がいっそう強まっている。これら以外にも,

よく調べればさらに多くの変更が見い出せる。

第2節 指 導 法

シューベルトが「魔王」を情熱的に瞬く間に書き上げたというエピソードは広く知られており,

教科書などにもそのような趣旨の解説がなされている。そしてシューベルトは一瞬のひらめきで 作曲する天才型の作曲家で,計画性に乏しく自己の作品を顧ることも少ないなどと説明されるこ ともあるようである。しかし前節での考察や,エピソードの信愚性に疑問をいだくBrownの推

19)

@からも考えられるように,必ずしもそのような性格の作曲家ではなかった。彼の「魔王」の指 導に際し,前述のエピソードを事実であると決あつけて,シューベルトをそのような型の作曲家 であると断定するのは危険である。むしろ,強烈な3連符や大胆な調的展開等に着想の見事さや 天才性を認あつつも,構成の緻密さや,それに至る諸稿の存在には推敲を重ねる努力型の建築家 の姿をも見るのであり,この両面をしっかり指導し分ける必要があるのではなかろうかと考える。

第4章 作曲家理解

シューベルトという作曲家は決して一般常識化しているような単純な美しい歌曲の作家だけで はなかった。彼の作品中にしばしば現れる異様なまでに大胆な転調,同一動機の飽くことなき反 復による呪術的ともいえるような恐ろしい効果,それらに我々は天折した天才の人間性の底なし

の深みを見る思いがし,改めて芸術の持つ不思議な力に身震いする。「魔王」には,やがて最晩 年の「影法師Der Doppelgδnger」などに至って十分に現れることになるこの不気味な力がすで に内在している。その鑑賞指導に際してシューベルトの説明をする際,生没年中心の事実の羅列 的な説明のみでなく,彼のこのような精神にふれ,さらに一般的に芸術の表現力の偉大さの認識 へと発展させたいものである。

(13)

茂木:音楽教育と音楽学の連携のために 19

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参照

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