「多元的価値に基づいた世界史構成の研究」 : 高等学校「世界史」カリキュラム論の視点から
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(2) 目次. 序 1. はじめに …一一一………一一一一……一一一………一一一…一…一一一………一一一一一……………一一…… 1 2,. FukuyamaとSaid 一一r一…一一一……一一…一一一…一一一一…一一一………一………一一……一一……一 2. 第1章 世界史構成の現状と問題点 第1節 日本の世界史教科書構成の分析と考察 !. 従来の世界史教科書の特徴と問題点 ・一一…一一…一一…一一……一一一 8 2. 改定学習指導要領の世界史構成 ・…一一一一一一・…一一一…一………一一 11. 第2節 アメリカの世界史教科書構成の分析と考察 ……一・ 12. 第3節 現行世界史構成の原理(近代化理論の世界史) ユ. 原理としての「近代化」 一…一一一一………一………一一一…一一…一…・ 14. 2。 古典的近代化理論と新近代化理論 一…一…一……一一一一一……一 15 3, 近代化理論の世界史 ……一…一一…一一…一…一一一一一……一一一一一一一…一……一一一一 18. 第2章 反近代化理論的世界史構成の原理と問題点 第1節 従属理論の世界史構成 一……一一………一一一一…一一……一一一…一一一一一一…… 40. 1. 古典的従属理論と新従属理論 一一一一一………一…一一一一…一………一 41 2. 従属理論の世界史 ………一一………一一一一一…一一一………一一一一…………・… 45. 第2節 世界システム理論の世界史構成 1. 世界システム理論 ……一一一一……一一一一……一一…一一…一…一一………一一一一一一一一一 48. 2. Wallersteinの近代世界システム ・一一一一一一一…………・……・ 53. 第3節 世界システム理論の世界史 1.. L.S.StavrianosのGloba!Rift. ………一一一一……一…一一一一一一一一一 60. 2. 大江 一道の「世界近現代全史」・一一一一一一………一…一…一…一. 63. 第3章 多元的価値に基づく世界史構成の理論. 第1節 近代以前の世界システム理論 ユ. J.L.Abu−Lughodの世界システム理論 ・…一…・・一一一…一一一一 77 2. A.G.Frankのプロジェクト 一………一一一一一一一…一一……一一一一一…一…一 81 3. J.0,Vollの世界システム ……一一一一一……一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一. 84.
(3) 第2節 M.G.S.Hodgso11の世界史. 1. アフロ・ユーラシア複合体としての「世界史」一… 87 2.. 「世界史」におけるイスラム ……一一一一一………一…一…一一…… 8’9. 3.. 「世界史」における「大変革期」……一一…一一…一……一一一一一一… 91. 第3節. r地域世界」からの世界史構成 一一一一一一一……一……一…一一…一一 93. 結び 一一一…一…一一一……一一一…一一一一一一一一一一一…一一一……………一一…一一一一…一一一一一一一一……一一一……一一一一一一一一一…一一一 104. 資料は*で示し、註の後に掲示。.
(4) 「多元的価値に基づいた世界史構成の研究」. 一高等学校「世界史」カリキュラム論の視点から一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 教科・領域教育専攻 社会系コース. M94525. 乗田 政長. 1995年12月20日 序 研究の目的. 1 はじめに. 米ソ(二大)超大国による世界的ヘゲモニーの時代が終わりを告げ、90年代に入って 世界は緩やかな平和と相互協調の時代へと進むかに思われた。ところが湾岸戦争やボスニ ア内戦、先進諸国内部でのテロの横行など、市民社会自体がその存在すら脅かされかねな い事件が続いている。世界認識を一つの部面のみから捉えようとする試みが破綻をきたし た以上、我々も多くの側面から世界を見つめ、その内部に隠されている問題点に目を向け る努力を真剣にしなければならない時に立たされているのである。. 経済や政治、それを支える情報や通信、技術や資本など、ボーダーレスな現代の社会に おいては、我々の直面している問題は直接全世界の人々の問題と無関係ではありえないし、. 世界の片隅に起こっている些細な事柄でも、我々にとって大問題になりうるものなのであ る。世界は決して先進国の一握りの市民だけのためにあるのではなく、大多数の第三世界 の人々にもその権利があることはいうを待たない。また同時に、未来は国内の少数のエリ. ートのためのみにあるのではなく、社会の底辺を支え、不安定な生活状況にある人々のた めにもその半分は保持されるべきものなのである。しかもこの社会的不安定さのただ中に いる人々こそが、直接、政治的、経済的問題の犠牲者としてまず影響を受ける存在なので ある。ボーダーーレスな社会では、こうした社会階層の底辺に位置する部分で、国内問題と. 国際問題がリンクすることが多い。内戦と難民の発生、移民労働と失業問題。外国人労働 者の移入と過激な民族主義運動。それが高じた形でのテロの横行とそれに対抗する宗教的 原理主義運動。こうした図式はもはや世界中どの国にも共通して見られる問題であり、現 1 一.
(5) 代世界を特徴づける病巣と言えるものなのであるD。 こうした外的要因と内的要因のリンクのみならず、先進国に共通して見られる病いも存 在する。社会構造が固定化し、社会的移動の機会が閉塞状態にある国では、一つの国家の 中に複数の社会集団が存在し、それぞれが全く異なった文化価値の下で生活しかっ反発し あっているということである。社会的上昇の機会は極端に狭められており、その中心に教 育があるという主張は、多くの社会学者も指摘するところである2)。そこでは、教育はも はや社会的抑圧機能の一つとも考えられ、教育現場での荒廃の根本的な原因となっている。 こうした上昇と抑圧の機能、}を額面通り受け取り、解釈し教授することを教育の任務とは. 思わないが、その立場に立たされている四達の行為の背景にあるもの、社会的原因になる ものを見定め、考察し、自分なりの結論が見いだせるような授業を構想する必要を痛感す る。. 多角的かつ多元的な方法で社会を考察し理解するということは、現代の社会を生き抜く 最低条件でもある。歴史はその意味で、多くの事件と複雑な関連性、複数の価値観が交錯 する宝庫である。以上の問題を適切に踏まえ、将来を担う市民を育てる為の世界史教育が 是非とも必要となるのはそのためである。それゆえに、従来の世界史構成の問題点を洗い だし、新しい時代に即応した世界史構成を探求する意義は大きい。というのも、世界史認 識の問題は、その構成原理にこそ解決の糸口があるからである。なぜなら日本の世界史教 育においては、その教育内容が系統主義的であるため、歴史の構成の問題が、歴史の認識 の問題と不可分に結びついているからである。従来、第三世界を中心とする異文化理解教 育やグローバル教育の研究、実践が報告されているが、生徒の認識の発達や教育の目的に まつわる問題提起の重要性もさることながら、世界吏教育における内容の改善も焦眉の急 を告げているのである。その意味で、本研究の目的を高等学校「世界史」カリキュラムの 見直しと、その前提となる構成原理の模索として位置づける。特に、我々が見落としがち であった第三世界の歴史を積極的に取り入れることによって、これまでの世界史像とは異 なる多元的な認識が引き出せることを念頭に置いている。その際、世界史構成の基本的原 理にあたると思われるいくつかの理論を取り上げ検討することで、世界史構成問題の克服 への方向を考える。. 2 FukuyamaとSaid. 一v. @2 一.
(6) 現代世界は多くの部分で共通の悩みに直面している。激しい競争社会においては必然的 に社会的不平等や不公平分配を生み出し、国内、国外にまたがる経済関係は、こうした社 会問題の国際レベルでの共通性をもたらすものともなっている。世界の人々の価値観や物 の考え方は、社会的不平等感と歴史的経緯によって形作られる部分が大きい。しかも現代 においては、こうした複雑で多元的な価値観を理解することは容易ではない。ナショナリ. ズムで単純に規定される国際紛争も、こうした異なる価値観が背後で働いていることにあ まり気づかれてはいない。世界を見る見方は、立場と生い立ちによって大いに異なるので ある。我々はまず、こうしたそれぞれの立場を認識することから始めなければならない。 F.Fukuyamaはその著、 「歴史の終わり」において、冷戦終結後の世界はもはやイデオロギ ー一.. フ対立のない、市場経済に支えられたリベラルな民主主義によって覆われるであろうと. いう見方を提出した、)。彼によれば、人間の歴史を前進させるエネルギーは、認知を求め. る闘争にあるとする。ヘーゲルとその後継者であるコジェーブによって成された理論を背 景にして、人間の優越願望と対等願望が進歩と調和を追求させ、様々な対立のなかから、. 共通の価値規範たるリベラルな民主主義というルールを確認した。20世紀になって、フ ァシズムや共産主義が成功しなかったのも、結局は認知を求める人間の要求に答えること ができなかったからなのである。今この段階にあって、こうした人間の本源的要求を満た し得る最適な政治体制こそリベラルな民主主義であり、もはや歴史はここより後戻りはし ない。それゆえ、歴史はこの体制を維持発展させていくようになる。. 以上がFukuyamaの要旨であるが、東西冷戦が終わりを告げ、ベルリンの壁が撤去された 時期にあたっていたこともあって、世界的に大いに共感と批判を呼び起こした。彼自身に 寄せられた批判の多くは誤解によるものだとしているが、その中身はどうなのであろうか。. Fukuyama自身が確認しているところによると、一つは最近の世界情勢のように、歴史は決 して終わってはいないのだということがある。ソマリアやユーゴスラビアの紛争、貧困や 麻薬問題など、社会問題が山積みされているのに歴史が終わったとは言えないではないか ということだ。また歴史がはたして方向性を持つものであるかという批判もある。ヘーゲ ルやコジェーブの理論にそった考えが、はたしてFukuyamaの言うように普遍性を持つのか。. また、リベラルな民主主義が現在世界中で拡大しているように見えるのは、一種の論理的 帰結というよりも、たまたまの偶然に過ぎないのではないかといったものなどである。. これに対して彼は次のように答える。リベラルな民主主義と自由経済に基づく国際貿易 体制こそが現時点での最善の体制であり、それが完全なものであるとか、問題を一挙に解 3 一.
(7) 決してしまうようなものでは無いということ。また、近代科学に支えられたテクノロジー によって地球規模の動きが存在する以上、我々が得てきた経験的知識では、リベラルな民 主主義が世界的ゴールへの最も適合的なものであることを証明しているというのである。 Fukuya皿aは、歴史が終わったのはそのイデオロギー的側面であって、社会的な事件や問題 自身今後も存在するし、それを解決していく社会的規範がこの体制を支持するのだという のである・}。いわば、楽観的な近代化理論に人間の本源的要求を整合させたものとなって. いるところに魅力があるものと思われる。実際、浅田彰と交わされた対談の中では、南北 問題や先進国内部での第三世界化の問題などは、やがて解決されていくものであるといっ た楽観的な見方に終始している、)。そこには、彼自身が否定しているはずの単純な進歩史 観が甦っているのである。. 一方、E. Saidは、その著rオリエンタリズム』の中で、西洋中心の物の見方がいかに現 代社会の文化的歪みを大きく規定しているかを証明して見せたv)。オリエントという名前. の持つ意味が、いかに西洋人によって解釈され、創造されていったものであるか。また東 洋が常に研究の対象の立場にあり、西洋は常に研究する側の立場であるということなどで ある。彼によれば、西洋から見たオリエント、もしくは東洋というものは、常に西洋自身 が規定し、西洋自身がイメージしたものに他ならない。客体である東洋は自分で自分を表 現することが出来ず、西洋の作り出す姿のまま存在しているかのように捉えられた。ある 時はエキゾチシズムであり、また西洋の敵、あるいは冒険の対象として進むべき豊かな土 地、そして西洋人の文明によって再教育され、文明の領域に恩恵的に参入させてもらえる 未開の民として描かれてきたというのである。. 特徴的なのは、その未開の民の領域が、かっては中東、インドであり、次第にアジア全 般やアフリカに拡大してきたということである。これは西洋の植民地の拡大と一致する。. いわば西洋によって作り出された文化的価値が、植民地拡大とともに大きく西洋の内部で 一般化し、ついには植民地にまで蔓延するに至ったのである。P.コーエンは、こうした 西洋中心主義的な価値観により歪められた歴史がいかに実体を見失わせているかを、中国 とアメリカの関係において追求している8)。明治維新によって文明国の仲間入りを果たそ. うとした我が国においても、こうした西洋から見たオリエンタリズム的世界像が影響して いるのは当然であろう。東洋が西洋とは異なり、否定的、もしくは非文化的で、日本の進 むべき方向性にとってなんら材料とならないという考えは、オリエンタリズムという、西 洋人が作り、世界に普遍化していった一つの価値規準を、当時の日本人がそのまま受け入 4 一.
(8) れた証なのである。. Saidにとっては、 Fukuyamaの論説は西洋を中心にしたものに他ならずg)、富む国と貧し. い国など国際的緊張関係や、先進国内部にも広がっている社会問題、いわば国内の第三世 界化などには何の回答をも示してはいないものであった。そこには勝ち誇った西洋文明の 自己主張が、残りの文化の影響や参加を認めないという姿として示されている。彼ら二人 の主張は、そのまま現代の世界認識を代表する両極であると同時に、いわばコインの表と 裏のようなものと考えられる。アメリカを中心として世界秩序が統合されていくかのよう に考えるFukuyamaのような世界像の背後には、 Saidによって代表されるような、イスラム. を中心とするアンチテーゼが深く広く進行しているのである。世界像を知るということは、. 一方の見方だけで満足するということではないだろう。あらゆる角度から、異なる立場か ら、その民族や文化のもつ価値観を理解するということが前提になければ、主体的な歴史 認識は決して深まりはしない。ここに異なる二つの見方を提示したのは、我々の歴史認識 がより深くより確実に、主体的判断へと成長するための材料としてである。両者の見方に 優劣や正誤の区別をつけることはできないが、我々の歴史の判断が、決して一面的であっ てはいけないということがこの例から引き託せるはずである。. ラテンアメリカやアフリカ、大部分のアジアは第三世界という言葉によって代表されて いる。しかし我々は、こうした第三世界の実体については驚くほど無知なのである。そも. そも、第三世界とは何なのであろうか。第三世界という呼び名は、1950年代初めにフ ランスで用いられたのに始まるという監の。 インドシナ植民地での民族解放運動を、市民. 革命期の第三身分になぞらえて第三世界の興隆と呼んだ。この呼び方はまもなく西側のジ ャーナリズムによって使いだされ、西側を第一世界、東側を第二世界、そしてその中間に 位置し、中立主義の立場をとる国家を指す二葉となったのである。またその内訳は、南ア フリカや日本、社会主義諸国などを除くアジア、ラテンアメリカ、アフリカを含んだ地域 を表し、かって「後進国」や「低開発国」と呼ばれ、現在国家統合や経済的貧困に悩む国 国といった特徴を持ち口)、 次のように定義されるものなのである。. ア、帝国主義、資本主義の力によって過去に支配をうけていた。 イ、国際関係では主に中立であるが、東西どちらかにつく国家もある。 ウ、低開発経済で、人口の多くは原始的な農業もしくは鉱業に従事する。. エ、一人あたりの国民所得は低く、70年代後半で西側の7分の1にしかならない。 一 5 一.
(9) オ、社会発展の初期的段階にあり、封建的、半封建的、もしくは部族的結合による。 1 2}. 以上を要約すると、第三世界は少なくとも経済的に豊かとは言い難く、歴史的に植民地 化された経験を持つものが多く、社会形態は先進資本主義国とはかなり異なったものが多. いということであろう。また50年代、60年代の植民地からの独立運動の波とともに、 政治的に影響力を発揮するであろうという観測から、この時期に西側を中心にさかんに語 られた書葉であったということも分かる。. こうした第三世界を世界史構成の中に組み入れる時、何から描き出すかということが問 題となる。はたして第三世界が低開発経済の下にあえぎだすようになった頃からか、ある いは前近代において輝かしい文化を誇っていた頃なのか、あるいはそれらを含めたもっと 広い歴史の流れの中に位置づけるべきなのかということなどである。Saidは、 Fukuyamaの. 見方を「我々アメリカ人こそが、〈歴史の終わり〉を現出できるのだと高らかに宣言した に等しい」13}とし、その傲慢な見方がいかに世界の多くの民族を傷つけているかを主張し たが、一一一一部先進国の「我々」の価値と、第三世界に代表される「彼ら」の価値とが、とも. に世界史の中に相対化されながら位置つく構成が求められる。以上の点をふまえた上で、 あるべき世界史構成の方向性を探っていく。. 一 6.
(10) 註) 1 ) L. S. Stavrianos, Global Rift, Quill, U. S. A. 1981.. Stavrianosは、この本の序章で現代社会が直面している問題を描き出しながら、. 国内と国外の第三世界化の克服が世界の歴史をとらえる鍵であることを訴えてい る。. 2)P.ブルデュー、J.パスロンr再生産』宮島 喬訳 藤原書店 1994年 教育が社会構造の固定化に影響を与え、階級的な硬直化をもたらすことを説明す ると同時に、それを再生産する機構として機能していることをブルデュ ’一らは指 摘している。. 3)A.W.グー一一ルドナーr知の資本論』原田 達訳 新二二 1988年 グールドナー・一によれば、知識の独占こそが社会階級においてのステイタスを上げ. る有効な武器であると同時に、社会的抑圧の手段ともなりうるのだとする。 4) F.Fukuyama, The End ot History and The Last Man , Penguin, U. K.1992.. (F.フクヤマr歴史の終わり』 渡辺 昇一訳、三笠書房、1993年) 5) F.Fukuyama, “Reflections on The End of The History,Five Years’. kater”,. After History?,Littlefieユd Adams,U. S, A.1994. pp.239−258.. 6)浅田 彰r〈歴史の終わり〉と世紀末の世界』、小学館、1994年 7) E.Said, Orientalis皿, Penguin,U. K.1995.. (E.サイードrオリエンタリズム』今沢 紀子訳、平凡社、1993年) サイードは「西洋がオリエントについて思索を始めたその当初から、オリエン トにできない唯一の事柄は、自己を表象することだった。」と述べている。. (オリエンタリズム、下、187ページ). 8)P.A.コーエンr知の帝国主義』佐藤 慎一訳 平凡社 1993年 9 ) E. Said, Culture and lmperialism,Vintage, U. S. A. 1993. p. 259.. 10)国際政治経済辞典(東京書籍、1993) 11)新社会学辞典(有斐閣、ユ993) 12) An Encyclopedic Dictionary of Marxism and Communism , Jozef Wilczynski. Macmillan Reference, 1981. 13) E.Said, Cuiture and lmperialism, p.320.. 一 7 一一.
(11) 第ユ章 世界史構成の現状と問題点. 第1節 日本の世界史教科書構成の分析と考察. 1 従来の世界史教科書の特微と問題点. 世界史教育の内容は、地理的な広がりと時代的な奥行きとから、網羅主義的にすぎると 従来から批判があった。また国と国との関係や、文化の伝播など、横の繋がりが分かりに くいという欠点も指摘されてきた。では実際の世界史教科書では、どのような構成になっ ているのであろうか。t。. 東京書籍の平成6年版r新選世界史S1)では、古代から現代まで四部構成になっている。. 第ユ部のr古代の世界」では、オリエント、地中海、南アジア、東アジアと世界の古代文 明を四つの文明で捉え、それがそれぞれ第2部の「諸地域世界」の展開に受け継がれてい る。すなわち東アジア世界、西アジア世界、南アジア・東南アジア世界、ヨーロッパ世界. という四大文化圏にそれぞれ包含されているのである。そして第3部は「欧米社会の発展 と世界の一体化」となっており、欧米市民社会が成立、発展し、アジア・アフリカを世界 レベルに一体化、統合化していくこととなる。第4部は「現代の世界」として、二つの世 界大戦と戦後世界を扱っているのであるが、こうした構成の特徴を考えてみよう。 まず、. 世界は古代以来四つの異なる文明によって生成発展してきたという前提から出発している ことが分かる。そしてそれらは、それぞれ次の時代にそのまま受け継がれ、四大文化圏と して位置づけられる。最終的に世界吏としての一体性が現れるのは、欧米の市民社会の成 立とその海外発展の結果によるものとなる。いわば世界史を形成した主体は西洋諸国にあ り、アジア・アフリカ、ラテンアメリカなどは西洋によって統合された客体にすぎないと いうことなのである。これは、ヨーロッパ世界の展開と拡大が、その次の世界の一体化へ 直接に結び付く構成になっているということからも分かる。ルネサンスと宗教改革によっ て始まった西欧国民国家の成長が、次の啓蒙主義と市民革命に受け継がれ、帝国主義時代 に至る。アジアやイスラムは、それぞれの「世界の展開」として第2部の前半で語られる のを最後として、次に現れるのは帝国主義と民族運動の部分まで待たねばならない。つま り西洋の政治的、文化的影響に対して単に反応し、変革されるものとしてあらわれるので 一8一.
(12) ある。15、16世紀に強力に世界をリードしていたはずのイスラム国家は、実際に近代 を扱う時点では、もはや過去の国といった印象さえ与えかねない2)。この特徴は、第4部 での世界大戦の記述においてもしかりである。世界大戦は、日本やロシアなどを含めた一 回目大国の戦争なのであって、大部分の第三世界の国々にとっては植民地宗主国同士の戦 争にすぎず、あまり意味を持たないという主張もある、)。西洋中心主義的世界史といわれ るゆえんである。. 次に平成6年版第一学習社のr新世界史』のであるが、これはそのはしがきにあるよう に、大国中心の世界史やヨーロッパ中心の世界史の反省に立ち、 「世界の中の日本」に焦. 点をあてることを目標としているだけに、その構成内容にも独自のものが見える。構成は 七つの章からなっており、第1章の「文明のおこり」では、古代の文明をオリエント・イ ラン、地中海、インド、中国、内陸アジアという五つに分けていることも特徴的である。. 第2章から第4章までは東アジア、イスラム、ヨーロッパ文化圏が充てられ、三つの領域. からなる文化圏学習を強調している。そして第5章の「19世紀の世界」から、いよいよ 世界の一体化が描かれ、 「両大戦の世界」、 「今日の世界と日本」という具合に進んでゆ く構成である。. しかしここでも、西洋中心主義的な見方が克服されているとは言い難い。第5章以下、 最後までの世界史記述は、ヨーロッパ列強の成長と、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ の変貌という形で描かれており、歴史を動かしている主体は常に西洋である。イスラムや. インドなどにおいても、その記述が第3章以後に現れるのは、西洋列強の進出に抗しきれ ず衰退してゆく帝国としてがはじめてである。例えば第5章の5では、「オスマン帝国の 衰退」とあり、 「イギリスのインド支配」がその次に続くのである。アジアやアフリカは. 西洋の発展の時期にはすでに衰退し、滅びゆく存在のようにさえ受け取られる。独自の文 化的重要性や世界史上での役割を評価するのは、文化圏として強調するだけでは不十分で、. 近代以後においても、いかにその文化が影響し続けているかを語らずしては不可能であろ う。実際、イスラム教徒の人口増加やその文化的影響は、むしろ近代以後に著しくなり、 現代においても大きくなっているのである5)。その意味からも、これらの世界史教科書の. 構成は、西洋が中心となって世界を統合していったという一面的な記述になっているとい わざるを之ない。. 最後に平成6年版の山川出版のr詳説世界史』、}を見てみよう。全部で三部構成になっ. ており、第1部は先史時代から、オリエントと地中海、アジア・アメリカの古代世界、内 一9一一.
(13) 陸アジア、東アジア世界、イスラム世界、ヨーロッパ世界の六つの文化領域に分けて記述 してある。第2部は「近代ヨーロッパの誕生」と「ヨーロッパ近代国家の形成」があり、 その次に「アジア諸国の繁栄」が記される。前二者の教科書構成とは異なり、ヨーロッパ. 近代の次に再びアジア世界の繁栄を取り上げていることに特徴がある。しかし第2部の後 半は「市民社会の成長」、「自由主義と国民主義」と続き、ヨーロッパとアメリカ合衆国 が記述の帯心となる。特に最後の14章は、 「ヨーロッパ諸国の東進」という項目で分か るように、ヨーロッパの拡大によるアジアの動揺が語られるのである。第3部は「帝国主 義の成立とアジアの民族運動」から始まり、「二つの世界大戦」、 「今日の世界」という. ふうに、世界の一体化がここにおいても、西洋を主人公とする形で描かれる。近代以前は. 世界各地の文化圏をカバーし、東西文化の交流なども第8章で取り上げてはいるが、非常 に幅広の世界史構成であり、事実や事件に関する記述が多く、網羅主義的といわざるをえ ないものとなっている。また近代以後はやはり西洋中心の世界史記述であり、アジアの繁. 栄が一部盛り込まれているとはいえ、前後の章との繋がりが弱い。第11章の「アジア諸 国の繁栄」は、もっぱら中華文化圏の様子や、トルコ・イランやムガール帝国の記述に充. てられてはいるが、相互の交流や西洋との関連にはほとんど触れられてはいない。第1G 章の「ヨーptロッパ近代国家の形成」や第12章の「市民社会の成長」との間の繋がりは断 たれている。アジアとヨーロッパがダイナミックに接触するのは、やはり帝国主義や植民 地支配の文脈においてで、アジアやアフリカはここでもネガティヴな印象を与えるものと なっている。. 以上、従来の世界史教科書の構成を検討してみると、以下のような問題点が指摘できる。. まず、近代以前の歴史は、いくつかの文化圏や政治領域からなり、それぞれが半ば自生的 に発展、展開しているということ。次に近代では、西洋諸国を中心に市民社会が形成され、. 産業革命による生産能力の向上に伴って、次第に世界市場の形成に遭進ずるようになり、 その結果西洋諸国が主体となって世界が統合されていくという図式。そして、アジアやア フリカ、ラテンアメリカなどは、変革を受ける客体としてネガティヴに描かれ、西洋は変 革主体としてポジティヴに描かれているということなどである。二谷貞夫は、我が国の明 治期以来の世界史構成を考察する中で、西洋申心主義、中国中心主義、日本中心主義が強. 化されてきたことを指摘している7)。また、1970年の学習指導要領の改定にあたり、 東アジア、西アジア、ヨーロッパという三つの文化圏の設定によって、こうした問題を克 服しようとしたにもかかわらず、かえって三つの文化圏自体が、東洋、中型、西洋、とい 一10一.
(14) う枠組を一歩も出ることができずにいることも合わせて指摘している。農耕文明を最優先 にし、遊牧文明などを劣ったもののように扱っていることも含めて、地城世界の設定の再 考を促しているのである。. 2、改定学習指導要領の世界史構成. 平成元年版の学習指導要領に見られる世界史構成の特徴について考えてみたい。地理歴 史科を独立させ、世界史を必修科目にした背景には、その目標に明記されているように、 「国際社会に主体的に生きる民主的、平和的な国家・社会の一員として必要な自覚と資質 を養う」e)ためだと思われる。その中で世界史は、A、 B両科目に分けられたが、もっぱ らA科目の方は近現代を主眼に置き、世界諸国相互の関連を多角的に考察させることをね. らいとしているものである。またB科目の方でも、各文化圏の特色や文化の多様性・複合 性、相互交流などの点を重視したものとなっている。ともに前近代における文化圏学習を 通じて、それぞれの社会構造を学習し、文明相互の交流や多元的な社会認識の把握を目指 したものであろう。. こうした改定に対して原田智仁は、風土や生活、文化が具体的な歴史認識のための枠組 として機能し、それぞれの文明に固有の社会構造理解の上に立った事件史理解という内容 構成であると評価し、文明の相互の交流や接触のみならず、個々の事件のレベルを超えた より深い歴史の本質にまでせまっているとしているe)。F. Braudelによって提唱された時. 間の「多層性」の概念や、1.Wallersteinの世界システム理論さえ利用できる内容になっ ているというのである。こうした特徴は、特に「世界史A」の内容に如実に反映しており、. 従来の通史的な構成とは異なる世界史構成を可能にしている。確かにそれぞれの文化圏を 並列に扱い、相互の交流を明らかにするためには、それぞれの社会構造の理解の上に立っ た同時代的把握がなければ不可能であろう。しかしこうした文化史的把握だけではたして 十分なのであろうか。. 従来の政治史や経済史重視の姿勢が多くの問題を投げかけ、世界史構成を歪めてきたこ とは確かであろうが、ダイナミックな国家間の支配・.被支配関係や、政治体制の発展過程. を明らかにしてきたという意味もあったのである。19世紀以後を近代と位置づけている 今回の改定においては、帝国主義の成立と従属関係、20世紀の三つの国家群(自由主義 国家、社会主義国家、第三世界)など、現代の国際状況を理解するために必要な国際関係. 一11一.
(15) を把握させることを重視している。だが、はたして前近代ではそのようなダイナミックな 国際関係や世界システムは存在しなかったのであろうか。風土や生活、文化の理解は、政 治や経済を理解する枠組としても利用されうるものなのである1 。)。 指導要領に見られる. 「世界史A」の内容を検討すれば、16世紀までは風土や宗教など文化、文明の多様な理. 解に意が注がれ、経済や政治の交流についての記述は、17・18世紀の世界になるまで 待たねばならない。世界が一体であるという見方は、何も19世紀になって初めて登場す るものではなく、謝世輝のように、古代オリエント以来存在するという見方もある11)。. その中ではイスラム文化が持つ歴史的意味が高く評価され、従来の世界史記述とは異なっ. た内容構成も可能なものとなっている。また19世紀以後の世界の一体化は、これまで見 てきたように西洋中心の世界史構成を暗示しており、Saidの言うオリエンタリズムを拭い 去ることは難しいと言わざるをえない。ここにおいても西洋中心主義、また西洋が発展し ており他は遅れているといった歪んだ歴史像の存在が否定できない。その背後には、市民 革命と産業:革命によってもたらされた進歩と発展という価値観が反映しており1,)、近代以. 後の歴史を描く際にはなかなか拭い去れない問題として残されるのである。. 第2節 アメリカの世界史教科書構成の分析と考察. これまで、日本の世界史構成の問題点を見てきたが、アメリカの代表的な世界史教科書 はどうであろうか.、。日本と異なり、アメリカの世界史カリキュラムは各州によって多様 性があるが、教育内容においては統一性が認められる13)。 日本のように小、中、高校で. 3度同じ内容を学習するのとは違い、高校にあたる第10学年と第11学年では、アメリ カ史と近代以後の世界史が中心のようである。そうした違いはあっても、世界史教科書の 内容を検討しておくことは、アメリカ合衆国における世界史教育が目指す目的と、日本の それとの比較という意味から、大きな意義があると思われる。 まず、D. C. Heath社のWorld History、4)を見てみよう。 内容は全部で10の単元から. なり、37の章によって構成されている。古代はオリエント、エジプト、インド、中国と いった伝統的な構成になっており、日本の文化圏学習を思わせるが、次のギリシャ・ロー マから急にヨーロッパが中心となる。アジアやアフリカなどは第4単元で扱われるのみで、 その分量も少ない。第5単元以後はまたヨーロッパが中心となり、ルネサンスや宗教改革、. ヨーロッパ内での近代国家の成立、産業革命といった、後述する近代化理論的な特徴が内 一tz一.
(16) 容を占める。いわばアジアやアフリカは、ヨーロッパを中心とした進歩の歴史の一一コマに. 割ってはいる「はめ込み式」の構成になっており、なかでも近代化を成功させた日本を、 アジアの中の特殊な国という見方で位置づけているのである。近代化の成功というものが、. 大きく価値基準の一つに数えられているのであろう。アジアの文明には多くの国々が参加 しているはずであるが、中国はその領土と人口、周辺国家への影響力から当然であるとし ても、それと同じくらいに日本を取り上げ、朝鮮半島や東南アジアの分量が少ないのもそ のせいと思われる。. また、イスラム国家の記述も極めて少ない。イスラム文明を扱うのは第8章の一部だけ であり、中世の時代に最盛期に達したイスラム文明は、その後発展することなく近代に至 り、ヨーロッパ諸国によって植民地化されたり、戦争によって打ち負かされるだけの存在 といった印象を拭えない構成になっている。第6単元以後の構成は、帝国主義へと向かう ヨーロッパと、植民地化されて行くアジア・アフリカという内容である。日本の教科書の 内容と同じく、この時期に第三世界の国々が成立することを、ヨーロッパを主語に置いて 描いている。アジアやアフリカはあくまでも客体であり、ネガティヴな印象を受ける。特 に第7単元は「ヨーロッパの支配」となっており、そうした意図が表されているといえよ う。. 次に、Houghton Mifflin社のHistory of the Worユd15)「はどうであろうか。これは全部. で10の単元と40の章からなっている。文明の始まりは、オリエント、エジプト、イン ド、中国の4つから構成され、第2単元のギリシャ・ローマ、インドと中国、アフリカと アメリカへと受け継がれている。第3単元ではギリシャとローマの部分が、ビザンツ、イ. スラム、ヨーロッパというように展開し、アジアやアフリカは第4単元でまとめて扱って いる。第4単元までの世界史構成は、ヨーロッパの記述が多いという特徴はあっても、全 世界的に各文明を紹介しようとしているようである。いわば、近代以前の文明を並列的に. 配置していることが分かる。しかし、第5単元以後は、はっきりとヨーロッパがその中心 として描かれ出す。第5単元から第7単元まではヨーロッパやアメリカ合衆国の通史であ. り、アジアが登場するのは第8単元の29章になってからである。またその内容も日本の 教科書記述と同じく、帝国主義国によって支配されるアジアという内容となっている。. 以上の分析から、教科書の構成を決定している基本的要素は、ヨーロッパの歴史を通史 としてまず理解させ、アジアやアフリカ、ラテンアメリカなどは、前近代において文明圏 として把握させるということ。近代以後のアジアやアフリカなどは、帝国主義のヨーロッ 一13一.
(17) パ諸国によって支配、統合されていく存在として描かれるということ。そしてアジアの特 殊事例として、日本を例外的に扱うこと。またその背後には、近代化へと進む西洋中心主 義的歴史像が、色濃く影響しているということなどがあげられるのである。第三世界が主 役として登場しえたのは、わずかに古代と中世の一部門あり、どうしてもネガティヴな印 象が強調されてしまうということが言えるのである。. 第3節 現行世界史構成の原理(近代化理論の世界史). 前節では、日本とアメリカの世界史教科書構成の特徴を西洋中心主義的であると批判し た。特に近代の記述においては、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの国々が歴史の主役 に成り得ず、ネガティヴな印象しか与えていないことをその問題点としてあげた。そうし た歴史構成の背景には、近代以後の西洋文明の影響と、その無条件の容認、歴史の目的と しての近代化への傾倒がうかがえる16}。近代化へと向かうことが歴史の本質であり、そ の先導役としての西洋がある。それは科学技術や経済、政治、近代的と呼ばれる文化全般 にわたるまで、ヨーロッパやアメリカ合衆国などの西洋がもたらしたものである。それゆ え、西洋と近代化とが、世界史を構成する主たる内容とされてきたのである。しかし、こ うした一面的な歴史構成だけでは、もはや歴史認識が深まらないこともあわせて指摘した。. この節では、伝統的な世界史構成の理論的背景を成している近代化理論を分析し、その問 題点をあらためて考える。. 1 原理としての「近代化」. 近代化という語彙の背景には、発展した国と未発展な国とを区別する意味合いがある。 社会発展のイメージは、D. Leanerによれば、三つのプロセスを経てきているとする17》。. まず帝国主義時代の、アングロ化、ガリア化、すなわちイギリスやフランスのようになる ことが近代化だというイメージがあった。そしてその後、これらを含めた概念としてヨー ロッパ化というイメージになり、第二次大戦後はヨーロッパのアメリカ化に伴って、西洋 間という言葉で代表されるようになったというのである。いうならば、近代化自身がすで に、その意味合いにおいて西洋中心主義的な見方を免れるものではないということが分か る。. 一一 14 一.
(18) またこうしたイメージの中には、資本主麟世界経済を生み出したものとしての近代とい う概念も含まれており、資本主義の発展が近代化の尺度であるとする見方があるtS}。 今 村仁司は、 「近代」を三つの区分から捉えている1、)。 第一の「近代」は17∼18世紀. にあたり、絶対主義という特徴をもつ国民国家の成立と、重商主義による国民経済の成立. によって代表される。第二の「近代」は19∼20世紀にあたり、市民階級によって経済 と政治が成長したことと、資本主義的「世界経済」の発展によって表される。特に第二の 「近代」においては、資本主義も社会主義も同じ根からもたらされたものであり、「生産 主義jというエートスの中から生じたものだとする。 「資本主義と社会主義との二つの経 済システムがあるのではなくて、一つの経済システムがあるだけだ」2。)と述べた上で、 こうした近代性の原理と構造が強められながら、 「南」の国々を吸収していき、ついには 包摂されつくす時に、この「近代」は終わるとしている21)。 第三の「近代」がまさしく. 現在以後なのであるが、こうした「南」の国が包み込まれる過程が、すなわちこの二世紀 にのぼる近代の特徴だというのである。. こうした見方は、生産性に基づいた科学・技術に信頼を寄せ、世界的な広がりを持つ経 済体制の成立を高く評価するものである。また、西洋のヘゲモニーが近代世界を構築して きたのだということも強調している。近代はまさしく、西洋をモデルにし、発展するもの なのである。またそこには、資本主義のみならず、共産主義国家もまた、西洋をモデルと した発展の理想型の一つであることを証明している。いわばソ三型共産主義的発展も、西 洋型資本主義早発展もともに、第三世界を西洋的価値観に方向づけていく、一方的な見方 でしかないということができるのである。こうした議論を踏まえて、次に近代化理論その ものの特徴と問題点を見てみよう。. 2 古典的近代化理論と新近代化理論. A.Y. Soによれば22)、 近代化理論は1950年代、マーシャルプランの発効と西ヨーロ. ッパの復興のための経済理論の必要性や、共産主義の広がりに対抗するため、アメリカ合 衆国を中心に盛んになったという。その背後には、独立を達成しっっあった第三世界の国. 国への働きかけという意図もあ6た。共産圏を第三世界に参入させないように、経済発展 と政治安定を促す目的があったのである。これは、第三世界がアメリカやヨーロッパを中 心とする資本主義世界経済の一員となり、自生的な発展へと向かうモデルを示すものでも. 一15一.
(19) あった。Soは、 M. LevyやW. Rostowらの理論を手がかりに、古典的な近代化理論の分析を 行っている。. まず、近代化理論には二つの流れがある23>。一つは、19世紀以来フランス大革命や 産業革命などの結果生み出された、社会の発展を第一義とする流れ、すなわち発展理論が それである。また二つめは、T. Parsonsなどのように、社会を人体になぞらえて、全体と. して自己完結した有機的な存在と見る機能理論の流れである。前者の特徴は、社会発展の 方向が単一であること、 「進歩」や「人間性の解放」など、社会発展はプラスに働くのだ. ということ、社会変化の速度は漸進的であり、決して革命的ではないということなどがあ げられる。また、近代の伝統的な価値である自由や平等を発展の基準とし、経済的繁栄に 裏打ちされた個々人の幸福の追求は、ヨーロヅパやアメリカ合衆国など西洋をモデルにす れば、第三世界でも可能なのだとするところである。後者の特徴としては、社会の各部分 は社会発展や安定維持のために働くということ。また、全体として伝統社会から近代社会 へと移行するというものである。社会の動きを、都市化や工業化、社会的移動など様々な 局面から捉え、伝統的な構造や価値も、新しいものに取って代わられると説明しているの である。これは社会の自己完結した内部構造が、伝統から近代へと自生的、発展的に変革 を遂げていくことを意味する。. こうした考え方に対して、Soは以下の点で批判を加えている24)。まず発展理論であ るが、これは西洋中心主義や自民族中心主義に陥りやすく、単一の価値基準しか認めない、. いわゆる単線的発展という弊害に陥るということがある。これは、西洋のみが唯一のモデ ルとして描かれる世界史像に如実に表され、全世界をカバーできないという欠点も含む。 また、第三世界の発展を、西洋の発展の軌跡と一一致させようとし、努力をすればどこでも. 社会発展は可能だという、楽観的にすぎるものであるということもあげられる。国による 特殊な事情や、西洋モデル以外の発展の道を認めないものとなっているのである。また機 能理論に対する批判点としては、伝統的と近代的という概念を対立的に捉えすぎていると いうことがある。機能主義論者が近代的としている基準と、伝統的としている基準とは、 排斥しあうどころか共存し、ときには近代化の推進力とさえなっている事実が多いという のである。. この他、両者に共通する批判点として、歴史的な関連をあまり参考にせず、議論が抽象 的なレベルに留まってしまっているという点。ネオ・マルクス主義者からの批判として、 革命的なイデオロギーを衰退に追い込む意図を持った、反革命勢力のプロパガンダである 一 16 一一.
(20) という意見。また、自国の自生的な発展にのみ考慮し、外国支配など、外部からの影響を 無視しているということも指摘されている。. こうした、古典的な近代化理論に対する批判によって、1960年代はむしろ、後述す る従属理論が社会的に隆盛を見ることとなった。しかし1970年代になって近代化理論 は再び浮上してくる。これまでの批判に対して多くの点で改良を加え、より説得力のある 理論として再構成する努力がなされたのである。特に、日本や台湾、香港などの西洋以外 の社会発展の例を検討することによって、また宗教など文化的要因が社会発展にあたえる 影響などを歴史的に考察することによって、より洗練された理論の構築を目指してきてい ると言えよう。伝統と近代とは、決して排斥し合うものではなく、ともに影響を及ぼし合 うものであるという点。また、高いレベルの抽象化、類型化といった方法の代わりに、歴 史上の特異なケースや例を比較検討するという手法を導入したこと。西洋モデルに向かう という単線的発展にとらわれない、第三世界なりの発展の道の可能性を認めているという こと。自生的発展だけではなく、外的要因も多く取り入れるようになったことなど、数々 の批判点に答えながら、新しい近代化の方向性を示す試みが展開されてきている。例えば S.Huntingtonの理論、、)などはその典型であろう。従来の理論では、民主主義発展の前提. 条件として経済的側面からのみ捉えていたのに対して、自治的な市民層が存在することや マーケット主導型経済、外的環境によるイニシアティヴの発揮26)、宗教の役割など複数の. 変数を設定することによって、より説得力のある理論となっていることが分かる。新近代 化理論は、社会発展すなわち近代化へと至る道を、従来の西洋型モデルという一一本道から、. 複数の道に増やし、その道幅をより広くしたものなのである。. しかし、いくら近代化への道を増やし、第三世界がその方向へ進む可能性が増えたと しても、一つの疑問が残る。すなわち、どこへ向かっていくのかということ、向かってい く場所が第三世界独自の場所であるのか、あるいは西洋的な近代国家であるのかというこ とである・・)。近代化理論の目的が、現代という利便性のある、個人の幸福を追求する世界. への参入というところにある限り、その模範としての西洋像はやはり中心の位置を占めざ るをえない。西洋中心主義はここでも残るのである。近代の歴史を描く場合、社会の発展 と進歩という近代化理論の枠の中でそれをすると、どうしても進歩の理想型はヨーロッパ やアメリカ合衆国という西洋的イメージになる。ところが近代化理論自身が扱うのは、決 して近代化した西洋ではなく、その対象は西洋の外の世界でしかない2s)。ヨーロッパやア. メリカ合衆国は、近代化理論が扱う範囲ではなく、そのために特別な位置を与え続けられ 一17一.
(21) ることとなるのである。近代化理論によって世界史を描くことは、結局こうした弊害を免 れえないものとなっていると結論づけることができるのである。. 3近代化理論の世界史. 近代化理論には、歴史を進歩という流れの中に置くことによって、発展した国と未発展 の国という二つの区分けを行うという論理があった。その論理に従えば、現代文明の担い 手とされる西洋が先進的で発展したものであり、第三世界のような国々は未発展で遅れた ものであるといったイメージ化は避けられない。我が国の世界史構成は、明治期以来、こ. うした近代化理論に沿った形で形成されてきた。1960年代にアジア、アフリカ諸国で の独立が相次ぎ、 「地域世界」の構造全体を複合的に捉えようとする上原専禄らの世界史 の試みが現れるまで・g)、 第三世界はいわば忘れられた存在だったのである。より幅広く. 世界の諸文明を捉えるために1970年に導入された文化圏構想も、二谷貞夫は「19世 紀西欧中心史観の世界史像に加えて、r先進』r後進』の工業化=r近代化』型の世界認 識を重複化」したものに過ぎないと批判しているs。)。 その中では、日本は見事に「近代. 化」を遂げた見本として、この論を補強するものとなっている。西洋以外の国で近代化を 成功させた国としての日本SI)は、経済的な成功を模索する途上国への格好の模範例なの である。しかしK.E. Bouユdingが述べるように、経済的進歩は、道徳的、精神的進歩と一致. しないし32》、序章で触れたように、先進諸国も多くの困難な問題点を抱えているのも確 かなのである。ここでは、こうした問題をはらむ近代化理論に沿った世界史記述を、欧米 で一般的に読まれている書物から分析する。. H.G. Wellsのr世界史概観』、、}、3. これは、我が国においても古くから紹介され、よく読まれてきたものの一つである,・)。. 表3のような構成をとっているが、1から71まで、項目ごとに一つの流れで記述してい る。まず1の「世界と空間」から14の「最初のアメリカ人jまでをひとつのまとまりで 考えてみる。これには世界の創造から始めて農耕の開始に至る道が示される。自然の体系 から生物の誕生、人類の発生、農耕の始まりという風に、人類を生物学的に説明している のである。魚類や爬虫類、哺乳類そして人類へと、進化論的に人類を描こうとする試みの 一一 18 一.
(22) 中には、宗教的な歴史観から離れて、科学的な位置づけを行おうとする意図がうかがえる。. 次は、15から27までの項目であるが、オリエント世界からギリシャ、ヘレニズムと いう流れが描かれる。古代文明の中心としてのオリエント世界と、その継承者としてのヘ. レニズム世界というっながりになっている。ただユダヤに関する項目が2っにわたり、 「アレクサンドリアの博物館と図書館」が1っの項目になっているなど、キリスト教との. 関連や、後の科学技術と西洋文化との関連を予期させるものがあるのは、31以下のロー マ帝国の先進性を際だたせるための布石となっているのであろう。それに対して、28か ら30までのアジアの部分では、中国とインドのみが語られ、その内容も仏教と儒教、道 教に限られているなど、アジアの扱いは低い。. 31から40までは、ローマ帝国の盛衰とキリスト教が二つの柱となっており、ゲルマ ン民族は蛮族として扱われている。41から44までは、再びアジアに関するものである が、ササン朝や階・唐帝国など、トピック的に要部を補ったものであり、イスラム教もそ の歴史的役割の大きさから見て、非常に小さい記述といえよう。あくまでローマ世界が愚 心にあり、ゲルマンやイスラムはその周辺部分として補足的に紹介しているに留まってい る。特に中国を晴・唐で代表させ、イスラムをアラビアで代表させているところは、後の 項目に中国やイスラム世界について言及していないだけに、一面的で内容の乏しい記述に 終わっている。. 45以後はヨーロヅパの自生的発展と、その後の世界への拡張が描かれている。48の 「蒙古人による征服」は一つのエピソードとして挿入されたもので、前後の関係から判断. して、アジア全般の歴史とは直接つながってはいない。57、58、59は、進歩の本質 とも言うべき、科学や思想、知識の発展についての記述で、現代世界が形成される基盤と. しての社会の発展を印象づける。62の「海外の汽船・汽車の新帝国」は、こうした科学 技術の勝利が、ヨーロッパに力をもたらし、世界を一体化する原動力を与えたことを明ら. かにしているものである。65以後の記述は、著者自身が執筆のきっかけであるともした 世界大戦の部分であるだけに、5)、 西洋文明に対する反省色が濃い。特に1965年の改 訂版では、幻想的幸福感という言葉を用い、発展した物質文明の行き過ぎを批判し、現代 の社会に警鐘を鳴らそうとしているかのようである。. Wellsの世界史構成から言えることは、ヨーロッパ勢力の拡大とヨーーロッパ文明の世界 への広がり、それを支える科学技術や思想面での発展を重視しているということ。それを 生物学的なレベルから説き起こすことによって、現代の文明が進化論的に進歩してきたこ 一 19 一一.
(23) とを明らかにしょうとしてきたこと。しかし、世界大戦が人類に新しい問題を投げかけ、 物質文明の行き過ぎを再考しなければならないのだという教訓を引き出そうとしているこ となどである。アジアやアフリカ、ラテンアメリカの記述が少なくなってしまったのは、 あくまでも世界史の「概観」であって、‘ヨーロッパ人から見て理解しやすくしたためであ. るとも考えられるが、ヨーロッパ文明の成立と発展、世界の一体化を強調しようとする近 代化理論に忠実に従ったためであろう。Norman Stoneは、この書物をヨーロッパ中心主義 的ではないとしているが3e)、生物学的な発展法則に歴史を当てはめることによって、現 代社会へと至る進歩の軌跡を追うことは、とりもなおさず西洋文明を主役として描くこと に他ならない。. 」』.RobertsのHistory of the World37}*4. 世界史を包括的に著した書物は数少ないが、それらのひとつにRobertsのHistory of. the Worldがある。イギリスの歴史家として活躍する彼が、1976年に出版して以来版 を重ねてきている。この世界史の構成について考えてみる。まず古代文明では、オリエン ト文明の記述の次に、「東アジアでの文明の始まり」として、中国とインドについて触れ、. 第2部の6では、アフリカやヨーロッパの古代文明や冶金技術、巨石文明について述べて いる。インドではカースト制やベーダ、仏教について説明し、中国では階級、家族、宗教、. 権威や儒教思想などに主な関心が寄せられている。いわば、仏教や儒教につながる歴史的 要素を、文化人類学的に探求するスタイルになっている。. 次に第3部を見てみよう。古典的地申海という表現で分かるように、ギリシャからヘレ ニズム、ローマ帝国を西洋の古典的なルーツとして扱い、あらゆる要素を一つに統合する 完結した世界として捉えているのが分かる、,)。 8の「古典的西洋のかげり」という見出. しが何よりそれを表している。第4部はこれとは異なり、諸伝統の時代として、四つの文 化圏に分かれた構成を持つ。ところが、9の「ヨーロッパ:最初の革命」以後は、ヨー・・ロ. ッパの特殊性に焦点をあてたものとなっているのである。ヨーロッパ申心主義的な意味合 いを巧みに避けながらも,g)、 11世紀以後のヨーロッパの変化がそのまま世界規模に拡. 大し普遍化されていくところが、ヨーロッパの優位を力説することとなっている。そして. 第4部の後半から第5部、第6部にかけて、世界の急速な一体化がヨーロッパを主体にし てなされてきたことを叙述する。特に第6部の「偉大な加速」という部分で、近代化への 一20一.
(24) 加速と世界の一体化という近代化理論の重要な側面を描き出し、7の「ヨーロッパ化する 世界に対するアジアの反応」では、世界が西洋文明を受容しそれによって変質をとげてい くあたりを、中国と日本、インド、インドネシアを例に取って詳述している。. 第7部は「ヨーロッパ世界の終わり」、第8部が「脱ヨーロッパの時代」という風に、 第一次世界大戦を契機に、ヨーロッパの影響力の喪失を描いているが、脱ヨーロヅパの時 代が、そのまま冷戦構造を経て世界文明に収束しながら世界の一体化が完結したことを表 現したものであり、ここに近代化の完了を予見させる。. 以上の構成原理をWelユsのものと比較してみると以下のようになる。まず相違点である が、古代や中世のアジアやアフリカを文化圏として位置づけ、それぞれの文化的価値を等 しく置いているということがあげられる。と同時に、アジア・アフリカに関する記述も量. 的に多くなっており、内容も詳しくなっている。共通点は、20世紀に至って、第一次世 界大戦を重要なメルクマールと見て、世界の一体化の完成へと向かう契機である一方、ヨ ーロッパの影響力が薄れていく過程として捉えている点である。いわばヨーロッパの役割 がここで終了し、アメリカ合衆国やソ連にその役割が受け継がれていくことを表している。. また、近代の科学技術、思想の進歩によって、世界は急速に近代化していき、アジアやア フリカ、ラテンアメリカへと伝播していくという構成などがそれである。第三世界の記述 は、We1ユsよりも格段に多くなったとはいえ、歴史の主役としてよりも、ヨーロッパやア メリカ人から見た客体の位置を保ったままなのである。こういうことは、特に近代の植民 地化の時代に最も顕著にあらわれる。申国やインドが変容していくのは、ヨーロッパ列強 が進出し、社会環境が大きく変わったからなのであり、中国政府やインド政府の反応は、 常に外圧に対しての変化という記述になっている。これらの国々やオスマン帝国などは、 外圧がやって来る以前はほとんど変化がなく、停滞した国家にすぎないという印象がそれ に追い打ちをかけている。アジアやアフリカが、西洋の歴史に関連する時にだけ記述され、. 文化の盛時は近代以前の段階で終わっているという描かれ方が、こうしたネガティヴなイ メージに繋がってくる原因ともなっているのである。. ・一. @21 一.
(25) 註). 1) r新選世界史S. 東京書籍、1994年. 2)オスマン帯国、サファビー朝、ムガール帝国の隆盛は、この時期の覇権をイス ラム諸国が握っていたことを物語っている。 3) R.Buuljens, “G].obaユ History and the Third Worユd” ,Conceptualizing Global History, Westview Press, U. S. A, 1993. PP. 71−90.. 4) r新世界史』 第一学習社、1994年 5)アブデル・マレクは、歴史的な新時代を迎えようとする今日、アジア・中国 圏とイスラーム教圏が重要であることを論じている。. A・マレク「日本とアラブ世界における文明・文化・近代化」 r多元的共生と国. 際ネットワーク』有信堂、臼井・内田編、1991年、PP.67−86.. 6) r詳説世界史』 山川出版、1994年 7)二谷貞夫r世界史教育の研究』 弘生書林、1988年、参照。 二谷は、文化圏学習が結果的には近代化に成功した日本を中心とした世界史認識 に陥ると指摘する。また浜林正夫が社会発展型の世界史把握から、上原専禄や吉 田悟郎の地域世界論を「バラバラでとりとめもない世界史」と批判しているのに 対して、これこそ諸民族、諸民衆の連帯、共存にこだわる世界史にとって有効で あると高く評価している。. 二谷貞夫「世界史構成の諸問題について」社会科研究、第40号、1992年 8) 『学習指導要領』 文部省、平成元年版. 9)原田智仁「地理歴史科「世界史A」の認識論的考察」社会科研究、第40号、. ユ992年 10)原田は、こうした文化圏学習への偏りを、地域研究を設定することにより. 解決しようと試みている。. 原田智仁「世界史教育と地域史研究」社会系教科教育研究、第3号、1991年 11)謝 世輝は、グローバルな主流という表現を用いている。. 謝 世輝r世界史の変革』 吉川弘文館、1993年 12)こうした見方は、伝統的な近代化論によって代表されている。. 13)菊地 登「アメリカ合衆国一移民の国のアイデンティティ」中村哲編r歴史は. どう教えられているか』NHKブックス1995年pp.30−37. 一22一.
(26) 14)World History, D. C. Heath, U. S. A. 1994.. 15)History of the vrorld, Houghton Mifflin, U. S. A.1993.. 16)鈴木 亮は、1950年代の吉田 悟郎、上原 専禄らの発言を踏まえて、 「日本の世界史叙述が、十九世紀的西ヨーロッパ中心の世界史であり、先進中心の 世界史… 」であるとして、第三世界も含めたはみださない世界史叙述を訴えて いる。. 鈴木「世界史叙述の方法」r歴史学と歴史教育のあいだ』歴史学研究会 三省堂. 1993年P.189 17)Daniel Leaner, “Modernaization” lnternational Encyclopedia of Social Sciences, Macmillan, 1972.. 18)後藤 総一郎は以下のように言っている。. 「日本の近代化とはそのまま西欧化を意味し、それは当然のこととして資本主 義子を意味した。と同時にそれが文明化を意味したのだった。」. 後藤「文明と伝統」 r社会科の新展開3、文明と伝統の授業』小林、溝上、. 谷川 編 ユ977年 19)今村 仁司『近代性の構造』講談社選書メチエ1、1994年、PP.45−46.. 20)同書、32ページ 21)同書、50ページ 22)A.Y, So, Social Change and Development,Sage, U. S. A.199e.. 以下の内容はこれを参照。 23) ibid, PP. 1 9 一 2 3.. 24) ibid, pp. 5 3 一 5 9. 25) ibid, pp. 7 8 一 8 5.. 26)Soは、 「米軍の行くところ民主主義がつづき、ソ連軍の行くところ共産主義がつ. づく」と述べている。 ・ ibid, p. 81.. 27)A.ギデンズは、近代化について、「モダニティのもたらした根本的に重要な帰結. のひとつは、… グローバル化」であり、 「グローバル化は、西欧の諸制度を 世界中に浸透させていっただけでなく、その過程で他の文化を押しつぶしてきた。」. と述べている。. 一23一.
(27) アンソニー・ギデンズr近代とはいかなる時代か?』松尾、小幡訳 而立書房. 1993年 216ページ。 28)西谷 稔は’. 「近代化論は、アメリカの外部にある問題を解決するものであって. も、内部にある問題を解決する歴史観ではなかった」と述べている。. 西谷r歴史教授学研究』ミネルヴァ書房 1982年 124ページ。 29)二谷貞夫、前掲書、36ページ。. 30)同書、40ページ 31)西谷 稔はE.ライシャワーを引用し、 「アジアにおける後進国の近代化の手本 としての日本を実証しようとするものであった。」と述べている。. 西谷、前掲書、125ページ。 32)K.E.ボールディングr経済政策の原理』 (内田 忠夫ら 訳、東洋経済新報. 社1979年25ページ。 33)H.G. Wells, A Short History of the World, Penguin, U. K.1991.. 訳については、H. G.ウェルズr世界史概観』 長谷部、阿部訳岩波新書. 1991年を参照。 34)今日まで、多数の版を重ねてきていることでも明らかである。. 35)このあたりの事情は、前掲r世界史概観』(上)の訳者まえがきに詳しい。 36)Wells,Short History, Introduction. 37)J.M. Roberts, HSstyory of the World, Penguin, U. K.1990. 38)ibid, P. 173.. 39)ヨーロッパ中心主義的な言葉の使い方について言及している。 ibid, P. 458.. 一24一.
(28) *1 (表1)日本の「世界史」教科書構成. 『新選世界史』東京書籍 ユ994年 2、キリスト教の革新運動と宗教戦争. 第1部 古代の世界 序章 文明の始まり. 3、ヨーロッパ近代国家の発展. 第ユ章 古代文明の形成. 4、重商主義時代の植民地争奪 第3部 欧米市民社会の発展と世界の一体化. 1、オリエント文明の形成. 第7章 欧米市民社会の発展. 2、地中海文明の形成 3、南アジア文明の形成. 1、啓蒙思想. 4、東アジア文明の形成. 2、アメリカ合衆国の独立・ 3、フランス革:命とナポレオン帝国. 第2部 諸地域世界の展開. 4、産業革命. 第2章 東アジア世界の展開. 5、自由主義と国民主義の発展. 1、中国の分裂と晴唐帝国. 2、東アジア世界の発展. 第8章 欧米勢力の植民地活動とアジア,. 3、モンゴル民族の活躍. アフリカ. 4、明清帝国の繁栄と東アジア諸国 第3章 西アジア・アフリカ世界の展開 1、イスラム以前の西アジア、. 1、西アジア、アフリカの変動 2、インド、東南アジアの植民地化. アフリカ. 2、イスラム世界の成立と発展 3、イスラム諸国家の活動. 3、東アジアの変動. 第9章 帝国主義と世界の変動 1、帝国主義の形成と列強の動向. 第4章 南アジア・東南アジア世界の展開 2、列強の世界分割と民族運動 1、ヒンドゥー諸国家の展開 2、イスラム教徒のインド支配 3、東南アジア諸民族の発展 第5章 ヨーロッパ諸国の展開. 3、日露戦争と中華民国の成立. 第4部 現代の世界 第10章 第一次世界大戦とベルサイユ体制. 1、第一次世界大戦とロシア革命. 1、西ヨーロッパ世界の成立. 2、ベルサイユ体制と欧米諸国. 2、ビザンツ帝国と東ヨーロッパ世界. 3、アジア、アフリカの民族運動. 3、ヨーロッパ世界の変動 第6章 ヨーーロッパ世界の拡大と変貌. 1、ルネサンスと大航海時代. 第11章 ファシズムの台頭と第二次世界大 戦. 1、世界恐慌と各国の対策. 一25一.
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