Life of Proteins
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Chaperone Newsletter
ライフオヴプロテインズ/シャペロン・ニュースレター第
14号(2005年3月発行)
編集人 遠藤斗志也 発行人 吉田賢右 発行所 特定領域研究「タンパク質の一生」事務局 〒464-8602 名古屋市千種区不老町 名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻 遠藤斗志也 Tel052-789-2490 Fax 052-789-2947 E-mail [email protected] 公式ホームページ http://www.res.titech.ac.jp/~seibutu/lifeofproteins/ 印刷:(株)荒川印刷 特定領域研究「タンパク質の一生」領域ニュース14
発行日:2005年3月2005 No.
2005年のあいさつ 吉田賢右 ……… 1 Information 総括班会議 国際シンポジウム ……… 2
Issue of the Issue タンパク質が通る孔 分泌経路における膜透過チャネル(トランスロコン) の構造生物学と新たな疑問 伊藤維昭 ……… 5 Interview Arthur E. Johnson インタビュー (聞き手)遠藤斗志也 ……… 9 Inseider Story 2004年ノーベル化学賞余話:その内幕と波紋 田中啓二 ……… 15 Essay 企業にとっての研究開発 矢原一郎 ……… 25 構造生物学とタンパク質社会学の接点 加藤晃一 ……… 27 ナイーブな科学者たち:科学における真理とは 中村暢宏 ……… 32 Mini Review 品質管理の最前線 品質管理とオルガネラ生合成の接点 森 和俊 ……… 38 細胞は小胞体ストレスをどのようにして察知するのか? 河野憲二 ……… 42 細胞内における O マンノース型糖鎖の機能 中務邦雄 ……… 45 表層ストレス応答のプロテアーゼによる調節 秋山芳展 ……… 48 Meeting Report 全体班会議 座古 保/長浜正巳/川原裕之/灘中里美/田口奈緒子 ……… 51 第 1 回 PRICPS(第 4 回蛋白質科学会年会) 河田康志 ……… 67 CHSL Meeting 2004 稲葉謙次/元島史尋 ……… 70 第57回日本細胞生物学会大会シンポジウム 松田憲之 ……… 76
2004 FASEB Summer Research Conferences
岸元愛子
……… 78
International Congress on Stress Responses in Biology and Medicine in Quebec City
後藤知己 ……… 83 特定領域研究「水と生体分子」,「タンパク質の一生」 共同主催 公開シンポジウム 田口英樹 ……… 86 第77回日本生化学会大会シンポジウム 岡 敏彦/石原直忠/長束優子 ……… 88 第27回 日本分子生物学会年会ワークショップ/シン ポジウム 金丸京子/成田新一/山中邦俊 ……… 93 第42回 生物物理学会年会シンポジウム 森 博幸 ……… 101 Replay 知への欲求━━死と読書 永田和宏 ……… 103 Calendar ……… 106 Epilogue ……… 107 ■表紙の説明 トランスロコンの砂時計 T. Rapoport らのグループが解明した古細菌のトランスロコンの X 線構造によれば,全体は中央部がくびれた砂時計型のチャネルを つくる。この狭窄部位がある程度ひろがり,ポリペプチド鎖が通過 するのだろう。 (→タンパク質が通る孔 p5)
ンパク質の一生」領域研究も、はや 3 年を過ぎ、 あと 2 年を残すところとなりました。いままで は、大変順調に成果をあげてきたと思います。昨年 9 月に行われた学術審議会による特定領域「タンパク 質の一生」領域研究の中間評価ヒアリングにおいて も、以下のように高い評価をいただきました。 「本研究領域では、蛋白質のフォールディング、 分解、品質管理等に関し、数多くの新しい発見が行 われており、期待以上に研究が進展した。この研究 分野は現在最も国際的に競争が激しくなってきてい るが、その中で脱凝集過程へのシャペロンの寄与の発見や新たな方法の開発など、極めて重要 な成果が得られていることは高く評価される。組織構成も素晴らしく、領域代表の強力なリー ダーシップのもと全ての班がバランスよく良い成果をあげている。若手への配慮なども評価に 値する。研究費の使途も、意図的で計画性がある。このまま原理を探求する姿勢を貫き、新し いコンセプトが確立される研究がいっそう進むことが望まれる。こういう過程において、種々 の病気の原因が解明されるはずである。計画班員の変更については、その応募を行うことが妥 当と考えられる。」 皆さんの活躍によって、これだけ誉められて私もちょっといい気分になりました。今後の2 年もしっかりやりたいとおもいます。この2年間、もう班員の交代はありませんから、おもい きって羽をのばして次に飛躍のできる研究をして下さい。
「タ
2005年のあいさつ
A
nnouncement
吉田賢右
領域代表(東京工業大学資源化学研究所) 吉田領域代表1 )報告事項 q1w 16年度の予算配分(吉田) 計画班員 11人,公募班員 59人 総額 509,600,000円 q2w 今年の全体班会議(吉田) 小椋さんのお世話で宮崎県シーガイアで行う。10月25日 (月)∼28日(木)と決定(→その後26(火)∼29日(金) に変更)。部屋は 1 人,2 人,3 人用の部屋があるので年齢, 本人の希望などで割り振る。 q3w 今年度の各学会のシンポジウム(吉田) 特定領域研究「水と生体分子」(代表 桑島邦博)と共催 で「蛋白質のフォールディングとミスフォールディング」 を 9 月11日(土)に日本科学未来館で開催予定。桑島さん がすすめている。 分子生物学会はワークショップを二つ(吉田,遠藤担当分, 永田,田中担当分)およびシンポジウム一つ(森(和), 森(正)担当)を予定。 生化学会は,公募に小椋さん担当で申し込んだが,採択さ れず。 q4w 蛋白質核酸酵素増刊号(吉田) 「蛋白質の一生」上梓。 q5w ニュースレター(遠藤) 13号を発行したところ。年度内にもう一号発行予定 2 )検討事項 q1w 中間評価に向けて 9 月に中間評価(15分発表,20分討論)がある。 昨年度の成果報告書(冊子)および「ハイライト」(10件 程度の班員の目立った研究成果を解説)を作成して資料と してはどうか。 q2w 計画班員の入替えについて 7 月に外部評価委員と代表で検討, 今回の 2 年分の成果報告を参考にする。 手続き的に可能かどうか,文部科学省に再度確認する。 q3w 2005年「タンパク質の一生(仮題)」国際シンポジウムの 準備状況 2005年10月31日(月)∼11月 3 日(木),淡路夢舞台メイ ンホールに確定 組織委員会:吉田賢右(代表),伊藤維昭(副代表),遠藤 斗志也,田中啓二,永田和宏,森和俊
セッション「Translation and folding」「Translocation and transport」「Quality control and degradation」「Disorder and
diseases」の 4 つ。Dr. Walter Neupert,由良 隆,矢原一
郎の 3 氏にdinner talkをお願いする。(前回決定済み) 7 月末までに計画班員の意見も聞いて,海外からの invit-ed speakerを最大30人ていどまでリストアップする。 海外からの若手研究者の参加を奨励(10万円の交通費補助, 参加費免除,30人くらいまで) 事務は学会センターに頼む q4w その他 科研費申請上の問題で今年度予算配当がゼロとなった公募 班員のうち,上田卓也,加藤昭夫,和田郁夫,嶋本伸雄, 村田昌之については,班員としての情報と友誼を維持する こととした。 次回の総括班会議を 7 月に開催する。 以上(文中敬称略) (記録者:名大・院理 遠藤斗志也)
第
5 回総括班会議議事録
1 )報告事項 q1w 中間ヒアリング(吉田) 9 月 8 日(学術総合センタービル),吉田,遠藤,森 (和俊)で対応。事前に「平成16年度科学研究費補助金 「特定領域研究」に係わる研究経過等の報告書」,公表用 資料を送付。当日,「14∼15年度研究成果報告書(冊子)」 を席上で配付。良い評価を得たと思われる。特定領域研究「タンパク質の一生」
第
4 回総括班会議議事録
日 時:平成16 年 5 月28日(金)13時00分∼ 場 所:千里阪急ホテル 出席者:吉田賢右(議長),三原勝芳*,田中啓二*,遠藤斗 志也(記録者),永田和宏,森和俊(*は評価委員) 議 事:以下の通り(文中敬称略)。 日 時:平成16年10月29日(金)13時00分∼ 場 所:ホテルシーガイア 出席者:吉田賢右(議長),三原勝芳*,田中啓二*,藤井義 明*,矢原一郎*,遠藤斗志也(記録者),永田和宏, 小椋光,森和俊(*は評価委員) 議 事:以下の通り(文中敬称略)。q2w 来年度以降の体制(吉田) ・総括班評価委員の方々の意見をうかがって,計画班員を 入れ替える。また,一部計画班員の予算の減額を行うこ ととした。 ・公募班員は,800万円と400万円の 2 通りの申請が可能と なるようにした。 q3w 今年度の各学会のシンポジウム(吉田) ・特定領域研究「水と生体分子」(代表,桑島邦博)と共 催で「蛋白質のフォールディングとミスフォールディン グ」を開催( 9 月11日(土)午前 9 時∼午後 6 時,日本 科学未来館)。盛会であった。 ・日本生化学会大会では,本特定領域研究に関連するシン ポジウムは盛会であった。 ・日本分子生物学会年会(12月 8 日∼11日,神戸ポートア イランド)はワークショップ二つ(吉田,遠藤担当分と 永田,田中担当分)およびシンポジウム一つ(森(和), 森(正)担当)を予定。 ・日本生物物理学会年会(12月13日─15日,国立京都国際 会館)は,稲葉さん(伊藤維昭研究室,さきがけ)主催 のシンポジウムに会場費50万円弱を補助する予定。 2 )検討事項 q1w 追加配分(吉田) 最大 5 %(2000∼2500万円)を,基本的に総括責任者に 配分するとの話。他の計画班員に配当するような申請は 不利か。進展のある班員に配分するのも困難な見通し。 森和俊さんと吉田代表で応募の予定。 また,総括班の研究費を次年度に持ち越すことは不可。総 括班は研究費(消耗品,備品)の申請も不可との話あり (田中) q2w 2005 年の「タンパク質の一生(仮題)」国際シンポジウム の準備状況(永田) 発表会場は座席が250だが,メモ台付きイスを入れれば 600人くらいまで対応できる ディナートーク会場はテーブル数に限度があるため,キャ パシティが問題。 全体で参加者の人数に上限を設ける必要がある?一般参加 も含めて参加人数の予測をする必要あり。 海外からの講演依頼者は一部を除き,ほぼ了承の返事を得 ている。日本人のスピーカーも同数くらい? 兵庫県から援助が見込める。 セクレタリーサービスに外国人との折衝などの業務を依 頼。 若手討論会の場所をどう確保するか。 q3w その他 次回の班会議(18年度)は北海道を予定(世話人:徳田さ ん+?) 班会議での発表の順序を内容別に分けたほうがよいのでは ないかとの意見。反対意見も。 若手の育成と今後のこの分野の発展方向について。新しい 研究室が育ってきて欲しい。 以上(文中敬称略) (記録者:名大・院理 遠藤斗志也)
国際シンポジウム
(平成
17年度全体班会議)のお知らせ
本特定領域研究では,平成17年度班会議を兼ねて国際シンポ ジウムを以下のように予定しています。班員の方は全員の参加 をお願いいたします。国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 「International Conference “Life of Proteins”」 ・日 時:2005年10月31日(月)∼11月 3 日(木) ・場 所:淡路夢舞台メインホール,宿泊は隣接するウエステ ィンホテル ・主 催・共催: 主 催:特定領域研究「タンパク質の一生」総括班 共 催:CREST永田グループ,CREST伊藤グループ,学 術創成森グループ ・組織委員会: 代表者:吉田賢右 副代表:伊藤維昭 (渉外兼務) プログラム委員長:永田和宏 庶務幹事:森和俊 組織委員会:伊藤維昭,遠藤斗志也,田中啓二,永田和宏, 森和俊,吉田賢右 招待講演者リスト(国内のスピーカーは未定) 1) Translation and folding:6 名
B. Bukau(Universitat Heidelberg, Heidelberg)
U. F. Hartl(Max-Planck-Institut fur Biochemie, Martinsried)
A. Horwich(Yale University, New Haven)
R. Sauer(Massachusetts Inst. Technol., Cambridge)
I. Braakman(Utrecht University, Utrecht)
E. Craig(University of Wisconsin) 2) Translocation and transport:6 名
A. Johnson(Texas A&M University, College Station)
W. Neupert(Ludwigs-Maximilians University, Munich)
N. Pfanner(Universitaet Freiburg, Freiburg)
J. Soll(Ludwig-Maximilians University, Munich)
R. Erdmann(Ruhr-Universit, Bochum) 3) Quality control and degradation:6 名
R. Kopito(Stanford University, Stanford)
P. Walter(最終確認待ち)
J. Weissman(University of California-San Francisco, San Francisco)
T. Sommer(Max-Delbruck-Center, Berlin)
D. Ron(New York University Medical Center, New York)
D. Ng(Pennsylvania State University, Pennsylvania) 4) Disorder(medical aspect):5 名
R. Morimoto(Northwestern University, Chicago)
R. C. Austin(McMaster Univ., Hamilton, Canada)
W. Paschen(Max-Planck Inst., Koeln) J. Yuan(Harvard Medical School, Boston)
E. Rugarli(Telethon Institute of Genetics and Medicine, Italy)
D. Cyr(University of North Carolina, Chapel Hill)
・班員は原則ポスター発表 ・ホームページ:http://www.s-off.com/member/protein/
本特定領域研究の公式ホームページのお知らせ
特定領域研究「タンパク質の一生」のホームページを東工大 の吉田研のお世話で運営中です。URLは以下の通りです。 http://www.res.titech.ac.jp/~seibutu/lifeofproteins/ このサイトには,本特定領域研究からのお知らせ,関連シン ポジウム,活動記録のほか,国際学会などの最新情報,関係サ イトへのリンク集など,有用な情報が満載されています。本誌 のバックナンバーのpdfファイルもダウンロードできます。 インターネットによって誰でも広く世界に向けて情報発信できるようになったおかげで,いまやブログが 大流行だ。ブログすなわちウェブログは,言ってみれば個人ニュースサイト,あるいは what’s new 拡大 版。誰もがブログを持って,意見や情報を一方的に発信しまくる時代だ。とはいっても,さすがにラボ版ブ ログ,教授のブログといったものは,まだまだ少ないようだ(そりゃあそこまで暇じゃないですからね,教 員たちは)。それでも,研究教育も含めて,何につけても一言いいたい,あるいはウンチクを傾けたい研究 者の方は少なくないようで,そういう「雑文」とか「ちょっといい話」とか,をラボのホームページの片隅 に見つけると,つい読み入ってしまう。そこで今回ご紹介するのは,熊本大学発生医学研究センター胚形成 部門細胞複製分野・・・いや,昨年の班会議のお世話もしていただいた小椋光研究室のホームページだ。 http://mukb.medic.kumamoto-u.ac.jp/fukusei/index.html ここの注目ポイントは,「大番外」。小椋教授が自ら,サイエンスに関係あることないことを織り交ぜ,気 になることを思うままに綴るコーナーだ。ちなみに「大番外」は熊本弁で「うーばんぎゃ」と読むそうで, いい加減とか大雑把という意味があるとのこと。昨年11月 4 日に第一回が掲載されて以来,登場した話題は 1 月下旬 ですでに17件。ものすごいハイペースだ。採り上げる話題 は,米大統領選から女子マラソン,大リーグ,女子プロゴ ルフ,エンジンとモーター,マニュアル敬語など,小椋さ んの博識ぶり,好奇心の強さを見事に見せつけている。 次々に尽きないネタ,落ちないペース(さすがに1 月はち ょっと落ちてるか・・)。ただただ,感心するばかりだ。 ところで気になるのは,このページの読者。文章は,明 らかに関係者ではない人たちを意識しているのだが,ここ に一般の人がたどりつくのは簡単ではないはず。やはりい ろいろリンクを張ってもらったりしてるんだろうか。ある いは隠し言葉でサーチエンジンにうまくかかるようにして いるとか。たぶんそんなことは全く関知せずなのだろうけ ど,ぜひ一般の方々にも見ていただきたいページです。■ホームページ紹介
公式ホームページ(?)と AAA のホームページへのリ ンクあり。ランスロコンSecYEG/Sec61αβγ複合体の代表選手として2004年初頭に発表された
ArchaeaのSecYEβ構造決定のインパクトは大きい。ここではトランスロコンの構造に
関連した様々な疑問などについて考察する。なお,βはSec61β由来の名前である。この生物 にはSecAは存在せず,βにはSecGとのホモロジーがない。したがって,膜透過は
co-trans-lationalに起こるものと考えられる。以下,特に断らなければSecY,Sec61 をごちゃ混ぜで
Y/61 として議論する。Y/61は10個のTM配列を,E/γ,G/βはいずれも 1 ∼ 3 個のTM配列を 持つ。ポリペプチド鎖を通しつつイオンなど一般的な溶質の漏れを許さない機構は,最大の問 題点の一つであり,トランスロコンには必要な時にだけ開く「ゲーティング」機構が備ってい ると考えられる。分泌タンパク質の完全な移行にも,膜タンパク質の脂質層への組込みにも使 われ,縦および横(脂質層へ),2 方向のゲートを持つと想定される。 トランスロコンの構造: Rapoport モデル 構造の特徴 界面活性剤で可溶化した静止(closed)状態での解像度3.2Å結晶構造(図 1)は 以下の特徴を持つ。q1wYの前半部(TM1-5),後半部(TM6-10)が二枚貝のような疑似対象の 構造をとって縦向きに膜に組み込まれ,背側はSecEの傾斜した膜貫通部位で裏打ちされてい る。q2w細胞質側も細胞表層側もロート状に約20Åほど開口している(但し,後者は静止状態で は栓をされている)。q3wYの疑似対称構造の内部構造として,中央部が縊れた砂時計型のチャ
ト
2003年,タンパク質が通る孔の原子レベルの構造が Rapoport らにより,初めて明らかになった。 古細菌の細胞質膜に存在する,シンプルな砂時計型の孔の構造は,学会等で披露されるやいなや,すぐ に様々な議論を巻き起こした(論文発表は2004年)。これまでの膨大な変異体解析のデータとは見事な までによく合うが,一方でこの分野を主導してきた様々な生化学的,物理化学的データ/モデルとは矛 盾する点がたくさんあったからだ。それらをすべて「in vitro アーティファクト」と切り捨てられるの かどうか。振り返れば,Blobel がシグナル仮説を提唱したのは1971年だが,すでにそれ以前の66年ご ろからロックフェラー大学の Palade のグループでは,タンパク質が通る孔の存在が考えられていた (本誌11号,pp12-16)。この孔は,70年代にはまだ仮想的な存在だったが,89年に Simon と Blobel に よる電気生理学的実験からイオンチャネル活性が見いだされて,初めて実体として認識されるようにな った。その後,電子顕微鏡観察で孔の存在が確かめられたが,一昨年まではぼんやりした孔以上のもの ではなかった。その孔の構造がついに解明されたことのインパクトは大きい。しかし,今回の孔の結晶 構造は,MacKinnon がカリウムイオンチャネルの結晶構造から見事にイオンの高選択性と輸送の高効 率性を解き明かしたようには,すっきりと問題を解決してくれてない。むしろ,疑問がさらに増えたと 語る人も多い。何が解明され,何が新たな疑問として浮上したのか。最近,孔の構造生物学にも力を入 れているこの分野の第一人者(孔をつくる SecY の発見者でもある)京大の伊藤維昭さんに,解説を お願いした。タンパク質が通る孔
分泌経路における膜透過チャネル(トランスロコン)の
構造生物学と新たな疑問
Issue of The Issue
伊藤維昭
(京都大学ウィルス研究所)I
ssue of the Issue
ネルが想定できる。すなわち,複数のSecY複合体によりチャ ネルが形成されることは考え難く,Yの中に経路が存在する。 q4w狭窄部位は 5 ∼ 8 Åの径しかなく疎水性側鎖(イソロイシン) 数個がリング状に取り囲んでいる(Pore ring)。言わば襟が首 を囲むようにポリペプチド鎖のほんの一部をPore ringが取り 囲むとの考えである(基質との密な相互作用は最小領域で済ま す)。q5w砂時計の表層側半分では疎水性の栓(TM2a)がPore ringを塞ぐように位置している。静止状態ではこれが縦方向の ゲートとしてPoreを閉じている。q6w2枚貝の口側(TM2, TM3,TM7,TM8 など)は可動であり,背側を蝶番に動いて 膜の内部で脂質層にむけて開閉できると考える。 膜透過・組込みのモデル 元来細胞質側は開口しているのでシ グナルペプチドはかなり内部までアクセスできるだろう,そし て二枚貝の口側部分(TM7-TM2b間)に働きかけ背側を蝶番 に開く。これに伴い,逆側の栓(TM2a)が構造変化して跳ね 上がり,チャネルの表層側も開口する。同時に狭窄部位がある 程度拡がり,ポリペプチドを収容し膜透過が実行される。この 説によれば,静止状態では「栓」,膜透過状態では狭窄部(「襟」 或いは「ガスケット」)のポリペプチド鎖との密着により透過 障壁機能が維持される。すなわち,「ゲート」はY自体に内部 構造として備わっていることになる。また,膜貫通配列は,や はり二枚貝の口側(Lateral gate)を通ってチャネルから脱出し, 脂質層に分配されると考えられた。 Rapoportモデルに対する疑問 疑問 1 Hetero-trimerが 2 ∼ 4 個会合してリング状の構造を観 察した電顕解析との関係は? Rapoportらも膜に組み込まれ た機能状態では 2 個がBack to back(背中どうし)の会合をし (2 次元結晶解析のモデリング結果と合致),それらがさらに “side by side”に会合して4量体となることを認めている。チャ ネルとして機能しているのはそのうちの一つだが,SecAやリ ボソームが結合するのに超複合体状態が必要である(或いは結 合の結果である?)との考えである。超複合体状態でYの TMの配置が変化してよりチャネルが開きやすくなるなどの可 能性も考えられる。なお,我々も,遺伝解析,in vitro再構成 実験から,膜結合・機能状態のSecYはオリゴマー状態と考え 図 1.トランスロコン構造の模式図(Rapoport Model)左側は全体的なアレンジメントを, 右側は砂時計型のチャネル部分の概念図を示した。(細胞工学2004年12月号,p1381を改変)
シャペロンの独白
自己顕示欲が強く、いつでも「私が・・」「俺が・・」と言う人が身近 にいたら、うとましいだろう。ところが、これが現代の研究者の一つの典 型である。(たとえたいしたことがなくても)自分のやっていることを、 強調し宣伝する。研究費の申請書で、講演で、論文で。 おそらく、多くの人は、できれば静かに気持ちよく譲り合って生きてい きたい、と思っている。双方が譲り合えば、それはお互いを尊重するとい うことだから、自分も大事にされる。我と我がいつもぶつかり合うような、 そういう関係の中で一生を過ごしたくない、とは誰でも思うことだろう。 しかし、研究者の世界では、謙譲は美徳でなく、敗北に通じる属性であ る。ジェームス・ワトソンが、「いやー私はたいしたことはありません、 ロザリンド・フランクリンやエルヴィン・シャルガフがいなかったら私は けっしてあの着想にたどりつかなかったでしょう。大体、私とクリックが あれを発見しなくても、ライナス・ポーリングが1 年(いや半年かも)以 内に必ず同じアイディアに到達したでしょう」なんて言えば、もう少し尊 敬してもいいのだが、彼は決してそんなことは言わない。研究者は、自分 の発見(と思っているもの)のプライオリティーを最大限に主張し擁護し、 自分の存在意義を強調する。 これは競争の中で生きていかねばならない現代人の宿命かもしれない。 しかし、競争がもっとも露骨な世界ではかえって自己宣伝はたいして役に 立つ資質ではないことがある。スポーツの世界がそうである。イチローは 黙ってヒットを打ち続ければよい。朝青龍は無愛想でも勝ち続ければよい。 いくら無口で無愛想でも成績がはっきりと競争の結果を知らせてくれる。 漁業も農業も、収穫がそのまま成績である。漁民農民にとって、自己宣伝 の能力は商売にはまるっきり役立たない資質である。 研究の業績というものは、たいていの場合、野球の打率や漁業の漁獲量 のようにわかりやすいわけではない。1 つの発見の功績を 1 人(あるいは 数人)に帰することは難しいことが多い。だからノーベル賞をめぐってそ れが正当だったかどうか、論議が絶えない。この画期的な発見は誰それが やった、とはっきりと言えるときですら、その発見以前の地味な蓄積的な 研究をやった研究者の業績を無視することはできないだろう。 研究の進展に対する個々の研究者の貢献というものの評価が難しくてあ いまいさを含んでいるので、どれくらい自分の貢献を宣伝するか、という ことも評価に重大な影響を持つ。そこで、自分のやったことを盛んに主張研究者の顕示と謙譲
吉田賢右
ている。 疑問 2 SecEの役割は,構造的(背側の裏打ち)だけか?大 腸菌EがYの安定化に必須であることと話はよく合うが,E の細胞質領域には保存されたモチーフが存在し膜透過機能にも 重要とも考えられる。また,SecAに対する高親和性結合部位 の形成にはSecYとSecEの両者が必要であるとの事実や,あ る種の変異によりYE相互作用が弱まるとチャネルがよりオー プン状態になり,SecAが働きやすくなるなども気になる点で ある。 疑問 3 チャネルの直径が60Åにも及ぶとのJohnsonグループ の蛍光消光実験の結果はどのように説明できるのか?実際に働 いているときにこの大きさのチャネルができるのだろうか?も っとも,この数字は必ずしも狭窄部位の直径である 5 ∼ 8 Åと 対比する必要はなく,たとえば,静止状態でも砂時計の中央部 から離れれば20Åまで開口していることを考えると,構造変化 による説明も可能だろうか? 疑問 4 同じくJohnsonらは透過障壁は細胞質側ではリボソー ムとの結合,内腔側ではBiPの結合によるゲート機能で保た れると主張している。Rapoportモデルのように,ゲートはト ランスロコンの内部装置だけで説明できるのか?電顕像ではリ ボソームとトランスロコンの間はあまり密着していないが,こ れらの本当の結合様式は? 疑問 5 Johnsonらは,リボソームトンネルに膜貫通部位が存 在する時点でシグナル伝達が起こり,逆側のBiPゲートが閉 じ,膜タンパク質の細胞質ドメインの形成が可能となるとのモ デルを出している。この件に限らず,彼らの考えは,基質が順 番にタンパク質相互認識によって異なる因子に受け渡されてい くと言うものである。これに対して,Rapoportらは,このよ うな特異的タンパク質認識の連鎖より,脂質も含め,トランス ロコン環境における熱力学的Partitionを重視する姿勢に思わ
れる。Whiteは前者をsequential point of view,後者を
concert-ed schemeと対比している。いずれも実験的な根拠をもってい るこの論争の行く末は興味が尽きない。 なお,疑問 3,4 とも関連するが,Truncated mRNAによっ て様々な翻訳途上,膜透過途上の状態を創り出して部位特異的 アミノ酸修飾と組み合わせ,基質タンパク質の状態を観察する の が , こ の 分 野 の 進 展 に 寄 与 し た 重 要 な 実 験 手 法 で あ る 。 Spiessらは,この方法では,時間軸がすっ飛んでいることを批 判している。たとえば,上記のLateral gateはあたかも呼吸す るようにいつも開閉を繰り返している,クロスリンク実験など を行う時点では本来の翻訳直後の状態は観察されておらず,ト ランスロコンの外周部位との相互作用をみているのではないか と言っている。もっとも,小胞体実験系では,一応ピューロマ イシンなどによってリリースしたときに反応が完結するため Dead-end状態にあるわけではないことも確かである。可逆的 Partition状態にあることは充分考えられる。 することになる。そして、お互いの最大限主張がぶつかったあげくの均衡 の境界線が、それぞれの業績の境界線になる。 自己顕示が天性のようにそなわっていて、「自分は大変なことをやって いる」と、いつもひるみなく主張することができる人がいる。自己顕示が 精神の一部となり、大学院生や研究員に、いつも絶対の優越感を持って説 教し指導できる人もいる。さらに、大きな研究予算や人事などを支配する ことを自己顕現のあかしとして無上の喜びと誇りを持つ人もいる。 私は時々、自分がこういう研究者の世界にとにかく生きてしまっている ことに、うんざり感というか、苦笑いというか、やれやれとつぶやきたく なる感覚が生じる。これが、最近は多くなった気がする。考えてみると、 トシのせいもあろうが、時代のせいもある。昔は、自己宣伝に関心の無い 者も、それに熱心な者も、それほどの差は生じなかった。まあ、みんな貧 しかったと言っても良い。ところが、この10年、研究予算が増えると同時 に「ばらまき=悪、重点配分=善」という政府の研究資源配分の方針によ って、大きな研究組織や巨額の研究費が一部の研究者に与えられるように なった。真にこれに値する研究者ももちろんいる。しかし、自分のやって いることがすなわち現在の重点なのだ、と自己宣伝と時代風潮迎合をたく みにできる人たちの繁栄も頻繁に目にするようになった。そんな風に繁栄 している人を見聞し憤りを感じ、それに自分がまきこまれるときには居心 持が悪く、あるいはいつのまにかこの自分もはったりを含んだ宣伝をして いることに思いあたるときはいささかの自嘲を感じるのである。 あまり自己宣伝しない静かな、しかし非常に生産的な研究者も多い。静 かなので目立ちにくく、日本国内のなんとか賞などというものはなかなか まわってこない。ときおり福井さんや白川さんのような静かな人がいきな りノーベル賞をもらったりするとみんなびっくりする。チトクロームを発 見したディビット・ケイリンのように、偉大な貢献をしながら(おそらく オットー・ワールブルグのネガティブな影響力によって)ノーベル賞をも らえなかった人もいる。しかし、彼はその不満を口にすることはなく、最 後まで研究に集中したという。 この世界はどんな風に出来てきて、現にどんな仕組みで動いていて、こ れからどんな風に変遷してゆくのか、これをもっと合理的に理解したい、 なにか発見して(あるいは他人の発見であっても)ああそうだったのか、 と謎がとけたことに興奮し膝を打つ瞬間が楽しい、自分はそういう人間だ と思ってこの道を選択したはずだ。そして、ありがたいことに、今までそ ういう感激を(小さいけれども)たくさん感じることができた。謙譲であ りながら真摯で生産的な尊敬すべき先輩同輩後輩の生き方を教訓としつ つ、さらにあと少しサイエンスを楽しもうと思っている。
疑問 6 膜貫通部位の組込みの方向性はどのように決まるの か?Spiessらの最近の説では,基質は常にN末端を先頭にト ランスロコンに入る,通常のシグナル配列やシグナルアンカー 配列はその後,N末端側が細胞質側に来るよう逆転すると言っ ている。逆転のし易さは,Topogenic signalの長さ,疎水度, チャージの配置などで決まる。一見従来の考えとは逆に感じら れ(「ループモデル」の終焉?),また,このようなダイナミズ ム が 砂 時 計 型 の 狭 い チ ャ ネ ル で 可 能 と は 思 え な い の だ が , Rapoportが主張するように,細胞質側の開口部でこのダイナ ミズムが起こるとすれば,納得できるかもしれない。すなわち, このロート状の部位にTopogenic signalとなるポリペプチドが 配向するのだが(長い場合はロートの全直径を横たわるよう に),中心から一方向に延びる特定のパッチ(半径分)が方向 決定部位となっており,この部位とTopogenic signalとの結合 の方向性によって,どちら側がPoreをくぐり抜けていくのか が決まる。Spiessらは膜タンパク質組込みの方向性に影響する Sec61 のプラスチャージ残基 2 個(TM2a栓の端),マイナスチ ャージ残基 1 個(TM8 細胞質側端)を同定し,トランスロコ
ン自体にPositive inside ruleを決める要因があると報告した。
疑問 7 トランスロコンは何本のポリペプチドを収容できるの か?大分以前の報告で,複数のTM配列が一旦チャネルに収 容されて相互作用をはたしたあとで,脂質層に移行するとの考 えがあったが,トランスロコンの構造から可能だろうか? Rapoportは,トランスロコンは最大で1本半?のポリペプチ ド鎖(完全にチャネルの内部と脂質との境界あたりに)を収容 できると述べている。シグナル配列は,タンパク本体が膜透過 するときにはこの境界あたりで脱出の機会をねらっていると言 った状況か? また,この考えは,Lateral gateは常に開閉(呼吸)してお り,TM配列の膜への組込みは脂質層へのPartitionが主な力に な っ て 起 こ る と の 考 え に 連 な る 。 な おW h i t eに よ れ ば , Topogenic signalは完全な脂質内部よりは脂質・溶媒境界領域 に対する分配係数に従って振る舞うと言っている。強い疎水性 領域は速やかに脂質層に分配されるが,それほどでもないTM 配列は,トランスロコンのLateral gate付近で複数が相互作用 した後で脂質層に移行するようなことも十分考えられる。この とき,TRAMやYidCと言った因子がMembrane chaperoneと して,その過程をガイドするとの考えも魅力的である。我々は SecYの膜タンパク質アセンブリーに関わる機能欠損変異を分 離しているが,Lateral gateを構成するTM2bのαらせんの柔 軟さを損なうと考えられるものなども得ている。 疑問 8 プロトン駆動力(Pmf)の役割は?バクテリアでは Pmfが膜透過の複数の過程を補助していることがわかってい る。トランスロコンにどのような影響を与えるのか?Pmfに よってチャネルがよりオープン状態になることが知られてい る。疑問 7 のポリペプチド鎖収容力が変化するのだろうか?
疑問 9 SecA insertionはあり得るか?SecAが膜透過を駆動す
るときトランスロコンに挿入するとのモデルは今回の構造から は考えられないのだろうか?SecA insertionは実験的にはペリ プラズム側から修飾試薬のアクセス可能であること,細胞質側 からのプロテアーゼに耐性を示すとの観察に基づく。「挿入」 の言葉が先行すると狭いチャネルの中に入ることは不可能だと いう議論になるが,砂時計型の実体を眺めると,ロート状に広 がった細胞質側への結合とペリプラズム側の栓が開くことで説 明出来ないだろうか?SecYEGにはSecAとリボソームが同時 に結合可能だという結果の報告もある。オリゴマーへの結合を 想定する必要もありそうだ。また,SecGがトポロジーを反転 させ,SecAの反応サイクルを助けることの構造的理解は原核 細胞型のトランスロコン理解のキーになるかもしれない。 疑問10 他の因子の役割は? 既に登場したTRAMとYidC
以外にもSec62/Sec63, TRAP, SecDF/YajC,など多数の膜内在性
因子が知られている。シグナルペプチダーゼやOSTなども近 くにあるだろう。これらがトランスロコンのあり方に根本的な 影響を与えることはないのだろうか? Further reading: 最近多くの総説がこの問題を扱っており,上 記の議論は私のオリジナルなアイデアより,印象に残った説の 紹介が多い。具体的には以下の文献である。
Clelmons, W.M.Jr.,──Rapoport, T.A.: Structural insight into the protein translocation channel. Curr. Opinion Struct. Biol. 14, 390-396(2004)
Rapoport, T.A., et al.: Membrane-protein integration and the role of the translo-cation channel. Trends Cell Biol. 14, 568-575(2004)
Alder, N.N. and Johnson, A.E.: Cotranslational membrane protein biogenesis at the endoplasmic reticulum. J. Biol. Chem. 279, 22787-22790(2004)
White, S.H.: Translocon, thermodynamics, and the folding of membrane pro-teins. FEBS Lett. 555, 116-121(2004)
White, S.H. and von Heijne, G.: The machinery of membrane protein assembly. Curr. Opinion Struct. Biol. 14, 397-404(2004)
Higy, M., Junne, T. and Spiess, M.: Topogenesis of membrane proteins at the endoplasmic reticulum. Biochemistry43, 12716-12722(2004)
Biochim. Biophys. Acta 1694, no. 1: 特集号Protein Export/Secretion in Bacteria (2004)
好評のインタビュー第3 回は,Art Johnson 博士で す。ご存知のように90年代から,タンパク質膜透過 に関わる重要な問題に,蛍光分光法など専ら物理化 学的手法で果敢に挑戦,得られた明快な成果を,細 胞生物学者の聖域(?)というべき Cell に次々に発 表してきました。いい加減なモデルが横行しがちな この分野にあって,定量的な議論と深い洞察には, いつも感心させられてきました。そんなユニークな 研究スタイルの原点はどこにあるのか。真摯な生物 物理化学者の素顔に迫ります。 ──まず,出身地のことを聞かせてください。 生まれたのは1942年,グレイスヴィルという, ミネソタ州の農業地帯にある人口5000人くらいの小さな町です。まだテレビもあまり普及して いないころのことです。ノースダコタとサウスダコタの州境に近く,木がほとんどない平らな 土地で,ただ農園だけが拡がっていました。冬は寒さが厳しく,ずっと強風が吹き荒れる,そ んなところです。現在,私がはるか南のテキサスにいるのは,当時の凍え死ぬような寒さがい やだったからかもしれません(笑)。 父はその町で,トラクターなどの農機具の販売をしていました。同じ頃都会で育った連中に は無限の可能性があったでしょうが,私の育った町では,行けるところも,将来の可能性もす べて限られているように見えました。大きくなったらカレッジに行ければいいなとは思ってい ましたが・・・大学の教授になれるなんてとても思えませんでした。 ──そんな町をどうやって脱・出・したんですか? 子供の頃,私は新聞配達のアルバイトをしていました。その新聞社の本社がミネアポリスにあ りましてね。新聞配達の少年少女向けに奨学金を出す制度を設けていたんです。そこで,私は ぜひ高校に行きたいと思い,それに応募しました。15名が選ばれてミネアポリスの本社で面接 を受け,その中から私も含めて 3 名が選ばれて,ニューハンプシャーの私立高校に行けること になりました。やがてわかったんですが,この高校は全米でも屈指の名門私立高でした。こう して,私は故郷の町では受けることのできない,高等教育を受ける機会を得ることができまし た。それだけでなく,自分の能力を初めて客観的に知ることができ,色々なことをやっていけ るという自信がつきました。田舎の小さな町を抜け出して,外のコスモポリタンな世界に出て これたおかげです。故郷の町の人にとっては15歳の息子を遠く東海岸の学校に一人で出すなん て無謀に見えたでしょうけれど,少なくとも両親はそう思っていなかった。いつか息子は外に 出て行くべきだという信念をもってくれていたおかげです。 ──それから大学に進学するわけですね。 この私立高生活も,いいことばかりではありませんでした。他の生徒たちの多くは,裕福な家
I
nterview
最初に問題ありき,そこから研究が始まる
Arthur E. Johnson 教授(テキサス A&M 大学)インタビュー
聞き手:
遠藤斗志也
(名古屋大学大学院 理学研究科)庭から来た人たちでした。一方私は片田舎から出てきたお上り さんです。それに当時はまだTVが普及する前でしたから,情 報も十分ではありませんでした。だから,私と他の生徒たちで は,着るものも何もかもが違っていました。そういう中で高校 生活に慣れるのは決して楽ではありませんでした。その結果, サイエンスに向かうようになっていきました。もちろん,数学 や理科が得意だったということはあります。しかし他の生徒た ちは,同じ階層の者同士ということで互いによく知っているし, コネクションもあります。だからもっぱらビジネスの世界に進 んで,お金もうけをすることを考えていました。一方私には, お金も,コネもない。だったらサイエンスの世界でやっていく のが良いのではないか,そう考えるようになっていったわけで す。サイエンスの世界では,ビジネスの世界よりは,実力がも のを言うはずでしたから。 問題は,どこに行くか,です。私は結局,東海岸の雰囲気に はなじめなかったので,東海岸の大学に行くのはやめようと思 いました。それでLAの近く,パサディナのカリフォルニア工 科大学に進むことにしたのです。 ──今度はUターンして東海岸から西海岸ですか。どうでし たか,初めての西海岸は? 良かったですよ。何もかもが東部とは全く違いました。レイド バックしてるし(笑),人々は,家柄よりもその人自身を見て 判断してくれました。そしてカリフォルニア工科大学で 60 年 から64年まで,化学を専攻しました。 ──生命科学ではなく,化学を専攻したのは? 当時,60年代初期は,まだ生化学という学問分野がやっと発展 し始めたときでしたから,専門の学部というのはなかったので す。だから私は化学教室に行きましたが,化学の中では,やは り生体分子に興味をひかれました。生体分子は大きいし,機能 も複雑で,それを研究することはとてもチャレンジングに思え ました。それで,物理化学者のNorman Davidsonのところで 卒研を行いました。様々なDNAを単離して,分光計に試料を 入れて融解曲線を書いて,ということをしていました。でも, 実験そのものは単純で退屈でしたねえ。 ──でも物理化学的な実験そのものの多くは,退屈ですよね。 出てきた結果を見て初めて,いろいろとエキサイティングな解 釈ができるわけで・・。 その通り。でも当時の私は若かったですから,多くの測定を積 み重ねて一つの結論に到達するなんて事はまだわからなくて, 何か一つ測定すれば,画期的な発見ができるんじゃないか,そ ういうものに憧れていたんです。だから卒研は現場の研究に触 れることができたということでは貴重な体験でしたが,実験そ のものはあまり面白くは思えませんでした。だから皆と違って, 大学院に行きたいという強い意欲は出てきませんでした。それ で,教師になることにしたんです。東海岸マサチューセッツ州 の私立高校,ミルトンアカデミーで 5 年間教師を務めることに なりました。 ──また東海岸に戻ったんですね。 ええ。私は化学の教員として採用されたんですが,赴任の直前 に物理の教師が亡くなりましてね。急きょ,物理を教えること になりました。翌年は化学を教えて,その次は物理・・,と 1967年フットボールのコーチ時 1968年フットボールのコーチ時
色々こなしましたよ。当時私は寄宿舎に住んでいました。生徒 たちと一緒にね。だから私は12∼21歳くらいまでの生徒のスポ ーツも面倒見なければならなかった。カリフォルニア工科大学 ではフットボールをやっていたので,フットボールのコーチも していましたよ。 ここでの教師としての経験は,私にとってたいへん貴重なも のとなりました。カリフォルニア工科大学では,私は化学教室 の学生でしたから,物理や生物のことはあまりよくわかりませ んでした。境界領域というものを実感できなかったのです。し かし高校生を相手に理科を教えるには,物理をあらためて色々 な角度から勉強しなければなりませんでした。そうすると,物 理を教えるほうが化学を教えるよりも楽しくなってきたので す。物理の方が,色々と面白い問題を考えることができるんで すね。たとえば,物体の運動を予測したり,スーパーマンの飛 行軌道を考えるとかですね。実にいろんな,生徒を喜ばせるよ うな問題を考えられます。それだけでなく,個人的に,もう一 度物理学を勉強する必要性を感じ始めました。それで,大学院 に行って,生体分子を物理学的手法で研究したいと思うように なりました。 ──それから大学院に行ったのですね。 ええ,オレゴン大学の大学院に進学しました。また西に逆戻り です。当時の指導教官は,有名な生物物理学者のPeter von Hippelでした。1969年に,彼が大学院の生物物理化学の講義 をしました。そこで細胞内のタンパク質の話をしたんです。リ ボソームでタンパクが合成されて,リボソームから遊離すると 自発的に一番エネルギー的に安定な構造にフォールディングす る。それを聞いて,私には疑問が浮かびました。もしそれがタ ンパク質にとって一番安定な状態なら,分泌タンパク質はなぜ その後あらためて分泌されるということがあるのだろう?っ て。彼の答えは,いい質問だけど,答えはわかっていないよ, というものでした。それで,分泌タンパクはどうやって細胞膜 に行くのか,それらはいつフォールディングするのか,といっ た問題の答えを見つけたいと思うようになりました。こうした 問題に答えるためには,リボソームや膜タンパクがたくさんあ る中で,合成途上の新生鎖だけを観察しなければならない。そ れには,新生鎖に何かプローブを入れればよいだろう。という わけで,tRNAに光反応性プローブを導入することを,当時す でに考え始めていました。 ──大学院の研究テーマは何になったのですか? 私の大学院の研究テーマは,John Menningerのもとで,ペプチ ジルtRNA分解酵素のことを調べることでした。具体的にはペ プチジルtRNAがこの酵素とどう相互作用するのかを見ようと いうのが彼のアイデアでした。私は,tRNAにスピンラベルを 入れてそれをアミノアシル化すれば,大きなペプチジルtRNA 分解酵素と相互作用することでESRシグナルが変わるだろう, と考えました。でもアミノアシルtRNAをリボソームに結合さ せる場合,リボソームを活性状態に保つには還元的条件が必要 で,そうするとスピンラベルが使えないことがわかりました。 それでスピンラベルはやめて,Lys-tRNAを修飾して,蛍光プ ローブを導入することをトライしました。そうすれば還元の問 題はなくなるし,さらに蛍光プローブの方がスピンラベルより も検出感度が高いという利点もありました。 ──でも蛍光だといろんな問題が出てきますよね。散乱とか 消光とか。 その通りです。たとえば,蛍光色素の多くは疎水的ですから, 色々なものにベタベタくっついてしまいます。蛍光プローブを 共有結合で導入しても,フリーの色素がリボソームや膜にベタ ベタくっついてしまっては何を見ているのかわからなくなてし まいます。 ──でも,修飾したtRNAを精製してから使うのであればフ リーの色素の問題はないのでは? いや,翻訳系には様々な加水分解酵素があるから,どうしても 分解が起こるんですよ。そうするとフリーの色素と無傷の tRNAをどうやって区別するかという問題が出てくる。 ──そうすると,かなり難しいプロジェクトだったというこ とになりますね。 そうです。私は論文審査を含めて様々な論文を読みますが,試 料をキュベットに入れて蛍光の測定値を読んでただ記載するだ けという論文がほとんどです。蛍光色素の何をみているのか, 色素は均一かどうか,何も考えていない,そんなものが多すぎ ます。今日の研究のやり方で私が懸念するのは,みなキットと かに慣れ過ぎてしまっていて,昔は重要だった基本的な技術上 の問題を忘れてしまっていることです。だからうまくいかなか ったとき,どうすればいいか分からない。そうすると,まわり の人に聞くしかなくなってしまうのです。学生は,もっと自分 自身で問題を解決することを学ばねばだめです。 ──そしてポスドクに行くわけですね。 博士論文の研究で,アミノアシルtRNAを化学的に修飾して非 天然アミノ酸をチャージし,これを使ってタンパクに非天然の 蛍光アミノ酸を導入する方法を確立しました。それでポスドク では,蛍光プローブでラベルしたtRNAを使って,リボソーム の構造,機能,そして新生鎖のフォールディング等を調べたい
と考えました。そこで,当時リボソーム研究の第一人者であっ たコロンビア大学のCharles Cantorのところに行きました。 ──ということは,今度は東海岸,ニューヨークに行ったわ けですね。 ニューヨークはマンバッタンの126ストリートのあたりに引っ 越しました。当時(70年代)のハーレムは危険でしてね,北に は行くな,東にも行くな,南には行けるけど昼間だけにしな, と言われました。西はハドソンリバーだし。あるときアパート の外が騒がしかったので窓から外を見ると,道路に死体が転が っていましてね,白いTシャツが赤く染まってるんです。2 時 間くらいして,やっと警官が運んでいったでしょうか。とんで もないところに来てしまった,と後悔しましたよ(笑)。でも, まあ結局,私たちはトラブルに巻き込まれることはありません でした。いつもTシャツにジーンズで,あまり金を持ってい るようには見えなかったんでしょうね。Charlieのラボに行っ たのは,蛍光のことを色々と学びたかったんですが,実際に始 めたのは光架橋実験でした。そっちのほうが速いし,簡単だっ たからです。 それから,蛍光プローブをtRNAに入れた実験を始めました。 すなわち,f-Met-tRNAとPhe-tRNAのL字形分子の角にある 4 チオウリジンに異なる蛍光プローブを入れて,f-Met-tRNA はリボソームのP部位に,Phe-tRNAはA部位にいれて,エネ ルギー移動を測定しました。これが,リボソーム上で二つの tRNAが隣り合って結合していることを直接証明する最初の実 験となりました。いまから20年以上前のことです。距離は 3A と見積もられましたが,これは後に明らかになった結晶構造か ら計算された値と極めて近いものでした。この仕事で最も難し かったのは,当時はmRNAを合成する技術がなかったので, 有機合成でAUGAAUを作らねばならないことでした。結局こ の研究をやり遂げるのに 5 年かかりましたよ。 ──なるほど,これはいい仕事ですね。82年の,
JMB
の論文 ですね。 ええ,私はこの仕事がとても好きですし,誇りに思っています。 今日,エネルギー移動は頻繁に使われるテクニックですが,定 量的に解析している仕事は多くないですね。 ──で,次はどこに行ったのですか? 今度はオクラホマ大学に,助教授としてのポジションを得まし た。ここの化学教室がよかったのは,物理化学の人も無機化学 の人も,有機化学の人も,みな一緒に自由にディスカッション する雰囲気があったことです。ハーバードやUCSFとちがっ て学生は十分な研究経験があるわけではないので,PhDを出 すのに時間がかかるのが普通ですが,私のラボに来た学生はみ な優秀でしたよ。 ──そこではどんなプロジェクトを始めたんですか? ここで私は分泌の研究したかったんですが,in vitro
の実験を するのは簡単ではありませんでした。SRPが発見されたとこ ろでしたが,まだ手に入りませんでしたからね。だから,とり あえずはtRNAと延長因子の研究をすることにしました。当時 はまだ延長因子の正確な機能はよくわかっていませんでした。 ブレークスルーになったのは,EF-Tuが結合するとtRNAの 4 チオウリジンの蛍光プローブの蛍光が変化したことでした。消 光実験から蛍光プローブは溶媒に露出していることが分かって いましたから,蛍光変化はtRNAのコンホメーション変化によ るものでした。蛍光プローブのフルオレセインの近くにリン酸 基が移動して,静電的相互作用で蛍光が変わったのです。ま た, EF-TuとtRNAの結合が大変強いこともわかりました。 蛍光変化はtRNAによって違いましたが,EF-Tuに結合すると すべてのtRNAは同じ蛍光を示しました。これは重要なことで す。リボソーム上のtRNA結合部位にはどのtRNAも同じよう に結合しないと,正確なコドン-アンチコドン認識ができない はずです。したがってリボソームに結合するときは,どの tRNAも同じコンホメーションをとらねばならない,そのため にはEF-Tuとの結合が重要だということが示唆されたわけで す。 ──オクラホマ大学にはどのくらい,いたんですか? オクラホマには17年間いました。その間血液凝固に関する共同 1978年オクラホマ大学にて研究もしました。そして,10年前にテキサスA&Mに移りまし た。 ──私がJeff Schatzのラボにいたころ(86-88年),あなたが Jeffに出した共同研究の可能性を打診する手紙を見せてもらっ た記憶がありますよ。あのまま私がJeffのラボに残っていた ら,あなたとの共同研究が実現したかもしれませんね。 ええ,そうですね。私はもともとタンパク質の膜透過に興味が ありましたから,80年代にSRPが見つかった直後に,Blobel をオクラホマに招待したんです。それで,光架橋基や蛍光プロ ーブを導入したtRNAがあるから,これを使って分泌の問題を 色々研究してはどうか,と提案したのです。しかし彼は興味が ないの一言でした。それで今度はJeffにオクラホマに来てセ ミナーをしてもらって,色々とお互いに連絡をとるようになり ました。ただ結局Jeffもその時点ではわれわれの技術を応用 できる段階ではないだろう,ということで,共同研究には至り ませんでした。ただ,BlobelのところでPhDをとった学生が UCSFにポジションを得たので,会ってはどうかと言われまし た。それがPeter Walterでした。それで彼とはゴードンコンフ ァレンスで会って,色々な可能性を話し合いました。 それから,シグナル配列がSRPと架橋されることを期待し て,架橋基を結合させたtRNAを送りました。2 ヶ月毎に電話 しては,状況を聞いていたのですが,色々問題があってなかな か実験が進まないみたいでした。そこで,私がサバティカルを とってUCSFに出向き,4 ヶ月滞在して,SRPの単離法とかを 色々学びました。そして,SRPとの最初の架橋産物と思われ るバンドがやっと見えたのです。84年のことでした。それは, とてもかすかなバンドでしてね。誰もが笑いましたよ,うちの 学生もね。でも結局それは,SRP54との架橋産物だったのです。 こうして共同研究がうまくいくことになりました。それから膜 タンパクに移行したけど,Peter Walterはそちらにはあまり興 味がなかったので,私たち自身の仕事として進めていくことに なりました。 ──そうすると,そのサバティカルはあなたの研究にとって 大変重要だったことになりますね。 そうです。何か新しいことをしようと思ったら,専門家のとこ ろに行ってまず学ぶことが一番ですからね。論文に書かれてい ない大事なことが,たくさんあるのですよ。 ──私も,そうでしたね。もともとはNMR屋だったけど, Jeffのところに行って方向転換したわけですから。 こうして,光架橋から膜透過の研究が始まったわけですが,蛍 光を使った実験の方は,アイデアが生まれてから,論文にする までに10年かかりました。蛍光の実験で難しいのは,先程も言 ったように,いかに試料を均一にするかということです。蛍光 光度計に試料を入れれば,すべての蛍光色素の蛍光が見えてし まうわけです。だから一番大変だったのは,蛍光プローブを導 入した新生鎖以外の,あちこちに吸着した色素から来る蛍光を どうやって減らすかということでした。たとえば,新生鎖に入 っていない色素NBDがリボソームに強く結合するのです。何 回リボソームを洗っても,色素を除くことができませんでした。 そこで考えたのは,結合が強過ぎて解離に時間がかかるのだろ う,ということです。50cmのゲルろ過カラムに非常にゆっく りとかけてみました。そうすると解離に十分な時間があるので, 見事に色素をリボソームから除くことができました。80 年代 末から90年代はじめのことです。わかってしまえば,簡単なこ とですけどね。 1992年オクラホマ大学にて 2001 年テキサス A&M 大学の研究室にて
──たとえば非蛍光性の色素アナログで前もってリボソーム の色素結合部位をふさいでおくようなことはできないんですか ね。 それはやりませんでした。リボソームに変な影響を与えること はできるだけ避けたかったですから。私たちの仕事について当 時いつも出てくる批判は,そんな大きなプローブを入れて機能 が変わらないのか,ということでした。 ──テキサスA&Mに移って,色々と面白い仕事が出ました ね。最初の論文が出たのは1993年の
Cell
でした(Cell
73, 1101-1115(1993))が,当時はあのような物理化学的な論文が Cellに出るのは珍しかったですよね,論文を通すのに苦労はあ りましたか? 大変でしたよ。レフェリーの一人はAlex Spirinだったと思い ます。彼は新生鎖はリボソームトンネルを通るのではなく,ペ プチジルトランスフェラーゼ中心からすぐに外に出てくると考 えていました。これはわれわれの解釈とは一致しないものでし た。しかし彼は,データはいいし,解釈もいいと言ってくれま した。他の2人のレフェリーはポジティブ,しかしもう一人は ひどく否定的でした。それで 4 回にわたって編集部とやりとり をしました。その過程で,否定的なレフェリーに蛍光の基礎か ら教育することから始めなくてはなりませんでした。それでも 彼を説得することはできなかったので,Cell
の編集長は直接私 に電話をしてきました。私はこの人にこれ以上蛍光の基礎から 教えても説得できないだろうと答えました。で,結局論文は通 ったのです。 ──あの論文がCellに出たのは衝撃的でしたよ。そもそもど うしてCellを選んだのですか? Cellは物理化学者は読みません。だからほとんどの物理化学者 は私の名前なんか知らないと思います。彼らは,単に新しい測 定法や測定装置にしか興味がない人も多いです。でも,物理化 学者は蛍光を使って,いろいろな問題を解決することができる のです。私には蛍光の新しい測定法を開発するよりも,生命科 学上の重要な問題を解決することに興味があったということで す。 Northwestern大学にセミナーをしに行ったときのことです。 ある人がやってきて,彼は私の論文のことで面白いことを教え てくれました。学生に一番人気があるのがCellでしたから, 彼は,大学院の講義をするにあたって,まず図書館に行って最 新の 1 年分のCell誌に全部目を通したんだそうです。そうし たら,その中で唯一「数式」が出てきたのが私の論文だったそ うです。こうして彼は,Cellは非定量的な論文誌であることを 証明できたって(笑)。 ──あなたの場合,まず何かを測定してみて面白い結果が出 たら,それを追及していくというスタイルなのか,それともま ず問題を設定して,それを解決する方法を考えるのか,どちら なのでしょう。まず問題が先?それとも測定が先? 最初に問題ありきです。10年前のNIHのグラント申請書に, すでにいまやっていることはちゃんと提案してあります。ただ, 時間がかかるだけです。もちろん予想しなかった結果が得られ ることもあります。たとえば最近の,リボソームが膜貫通配列 を認識する,という発見は私たちも予想していないことでした。 しかしこの場合も,私たちは,疎水的な膜貫通配列はリボソー ム内で合成された後,まずリボソームトンネルの水溶液の環境 をずっと通過していって,最後に突然小胞体膜の二分子膜の疎 水的環境に出会うのか,という基本的問題の答えを探っている 中で,発見したのです。だからすべての結果を予想することは もちろんできないけれど,まずは非常に基本的な問題を設定し, それを解決するにはどうしたらよいかを考えて,実験を組み立 てていくのです。こうしたやり方をする理由の一つは,5年間 私立高校で教師をした経験によるのかもしれません。高校生と コミュニケートする最良の方法は,まず問題をできるだけ明快 にきちんと言葉を選んで論理的に提示する,次にそれを筋道を 立てて解いていくことが大事だって,学んだのです。だから, 研究でもグラント申請でも,私はできるだけ慎重かつ論理的に, 基本的な問題の設定を行うのです。 よくセミナーをすると,結局あなたのモデルは何なんです か?と最後に聞かれることがよくあります。しかしたとえば私 のラボで,私がまずモデルを立てれば,学生はそれを証明しよ うとするか,あるいは否定しようとするか,いずれにしても実 験にバイアスが入ってしまうでしょう。大事なのは,まず解決 すべき問題を見つけ,色々な方法でアプローチし,出てきた結 果を見て,それを論理的に自分で考えることなんですよ。 ──そうするとあなたの頭の中には,今後 5 年間くらいの重 要な問題のアイデアがつまっているんですね。 そうかもしれませんね(笑)。 ──いまの研究環境には満足していますか? ええ,いい同僚にも恵まれていますし,そんなにグループは多 くないけど,自由に議論できますしね。現在私は三つの部局に 属しています。化学教室だけでなく,医学部にも属しています し。教育のデューティはなくなりましたが,運営に関わる仕事 は多いですね。教室主任をしている関係でいろんな委員会が多 くてね。できるだけ断ろうとしてるんですが,全てを断ること はできないです。──今後はどう研究を発展させていく予定ですか? 私のラボは小さなグループですから,焦点を絞るのが大事だと 思っています。ミトコンドリアに一人,細菌に一人,ポア形成 トキシンに2人,ERに 3 人・・ ──ずいぶん色々手を出しているじゃないですか(笑) 他の人ができないことをやろうとすると,こうなってしまうん ですかね(笑)。われわれのようなアプローチは,他の人には 敷き居が高いのかもしれません。でも,たとえば昨年出した論 文(Cell116, 725-736(2003))のFRETの技術は,シャペロン とタンパク質の相互作用を定量的に調べていくのに必須だと思 います。相互作用の強さを分光学的に測定できるのですから。 ──蛍光の実験上のテクニックに関する解説書を書いたらど うですか? それは無理ですよ・・(笑)。いや,でも重要かもしれません ね。実際,かつて化学教室で物理化学実験を担当したときに手 引き書をつくりましたが,理論とか数式とかはあまり使わず, 実際に実験をする上で,この方法は何が長所で何が短所か,ど うやればデータを正しく解釈できるか,そういうことに力点を おきました。いつか,そういうことをまとめて書いてもいいか もしれませんね。 ──最後に,サイエンス以外のことを少し聞かせてください。 そうですね,かつてはいろんなことに興味があり,色々なこと をしました。バスケットボール,コーラス,いろんなことが好 きでした。しかしだんだんと年齢を重ねるにつれて,サイエン ス以外のことは切り捨てて,結局いまではサイエンスだけにな ってしまったようです。 最近,大学教授と地元の人たちの夕食会がありましてね,隣 に座った牧師夫人に,「あなたの趣味は何ですか?」ってきか れて,そう言えばいまの私には何も趣味が残っていないことに 気付きました。だから今は,サイエンスをただ楽しんでいる, それがすべてだと思います。 (2004年10月17日 名古屋マリオットアソシアホテル シーナリーにて) Arthur E. Johnson テキサス A&M 大学システム健康科学センター主任教授 1964年カリフォルニア工科大学化学教室卒業。1973年オレゴン大学化学教 室で Ph.D 取得(化学)。1973-77年コロンビア大学でポスドク。1977年オ クラホマ大学化学教室助教授,83年同准教授,87年同教授。1994年テキサ ス A&M 大学化学教室教授。