義山『観経隨聞講錄』の一考察
―明清の禅浄融合思想との関連を兼ねて―
陳 敏 齢
前言
江戸時代浄土宗僧侶である義山良照(1652–1717)の『観無量寿経随聞講録』(以 下,『観経随聞講録』と略す)は,弟子見阿素中による聴聞の記録である.義山は鎮 西三祖良忠門下の名越派に属す.彼の観経 釈は,基本的に浄土宗鎮西派の伝承 に依るが, 博の知識をもって歴来の観経注疏を一括しようとする意図も見られ る.従って,そこに引用された参考書は,広く仏教の諸流派に遍及して,「百数 十部六百数十巻」にも達する.これは仏教注釈書の中において抜群のものとも言 えよう. 本書の中で,江戸時代の浄土宗学における盛んな當麻曼荼羅の研究発展に伴っ て,浄土図像(當麻変相)に関係する論述も少なくない.中でも,中国明清時代 の幽溪伝燈の観経圖繪畵(14,594a),雲棲 宏の竹窓二筆(14,664a),徹庸周理の 谷響集(14,670b),幻有正傳の幻有老人録(14,670b)などの引用が目立っている. また,日本に伝わる黄檗の新風も言及されている.「日本ニテモ中比長崎來網皆 以珠造之 (14,591b)」という.こうした中国明清時代の仏教文献の引用は,日本に おいても従来の観経注疏には稀に見られないものである. 義山は観経を解釈する際,一体どのような関心から明清仏教の著作を引用する のか.また明清の禅浄合一の思想はいかに彼の念仏思想に影響するのか.本論文 では,義山『観経随聞講録』における光明遍照文(第九観)の解釈を手掛りに, 義山の念仏思想の特色を考えた上で,明清仏教の禅浄合一説との同異をも考えて みる. 1.第九観光明遍照文の 釈背景
義山の観経解釈には,特に夢中聖僧の指示される光明遍照(第九観)の文を 以って,一経兩宗の明據とすることが強調されている.第九観の光明遍照文の重視に関しては,その由来は古いが,隋唐の中国仏教においてまだ重視されていな い.ただ善導一人はその文に著眼して,三縁釈を以って光明の救済義を闡揚す る.善導はまた,こうした《観経》の文脈に沿って,特に第九「真身観」「一一 光明遍照十方世界,念仏 生摂取不捨(T12, 343b)」の経文に著眼して,この「念 仏 生摂取不捨」の念仏を,《観経》における一系列の観仏と分離させる.遂に 「一経兩宗」之説を掲げるようになった.法然の『選択集』第七章「阿弥陀光明 不照余行者,唯摂取念仏行者」において更にその旨が発揮され,念仏の優越性を 闡揚する.これは即ち,念仏が本願,余行が非本願という結論となる.こうした ことについて,遂に聖道門から厳しい批判が投げかけられると同時に,法然門下 の門流においても,第九観をめぐる本願非本願の説にも意見が多岐に亙ってい る.要するに,こうした内外の原因を背景に,義山が特に光明遍照文に関心をも つようになったであろう. 2.
義山の第九観に関する仏体を中心とする 釈
但し,善導の観経 釈における弁証的二重構造に対して,義山は主に光明即阿 弥陀仏の仏体(仏意,本願)という概念から出発する.以下,十八字の光明遍照 文の文脈に沿って義山の解釈を分析する. 2.1. 色心二光 義山はまず光明遍照の光明を色光と心光との二つに分ける.こうした色心二光 説の由来を考察すれば,善導,法然にはなお明言していない.但し,およそ明恵 の法然批判における光明遍照文の 釈の波紋のため,法然門下に両種の解釈方式 が形成した.一つは照摂不同(浄土宗系)(鎮西派),もう一つは照摂一致(西山義系) である.良忠は十方世界と念仏 生を分立する読み方を取るので,照摂不同の訓 読法に属する.義山は良忠の説に沿って二義ある(14,615b)という.一つは色光 と心光を兼具する説,もう一つは心光のみ(唯明心光)の説.義山は『往生礼讃』 (観経),「日中讃」(『往生礼讃』),『般舟讃』などを取り上げて,前者の色心二光説 の合理性を強調しながら,西山派が唯明心光の一辺に偏っていると批評する (14,615b). 2.2. 色心二光不離 義山は光明遍照の光明を色光と心光との二つに分ける一方,また他方で,色光 と心光の二者が互いに離れてはいない,と述べる.義山は特に一つの挑燈送客に おける「正客與相伴人」の比喩を以って,色心不二の意味を説明する.これは華厳の主伴円融義に由来するであろうが,袋中良定の『當曼白記』にも見られる. ただ,義山はまた一転して,色心二光の区別こそ「鎭西義相傳」だと強調する. 「但離色光,非別有心光.譬如夜送客人,以一挑燈送正客與相伴人.正客見燈, 相伴人見燈,燈光一ツナレトモ,別亭主添馳走心,唯正客方計也.以此譬應知色 心二光差別也.凡分色心二光,是鎭西義相傳也 (14,616b)」という. 義山はなぜ一方で色心二光を区別しながら,また一方で色心不離を主張するの か.義山は,ただ色心二光説と唯明心光説との流動性を以って説明する.即ち, 「若依色心二光説,照字可流至世界(14,616a)…若依唯明心光説,照字可流至衆生 (14,616a)」という.義山の説明ははっきりしないが,聖冏の解釈を参照すれば, 「照摂在兩處,表色心二光 (03,869b).…若各存一義之時,互会互立,謂若就初義 会観念門等,以色光外無心光,故釈心光寄於色光.若就次義会般舟讃等,法在一 心,説必次第,照處是摂,故但心光(03,869b)」というように,色心二光説と唯明 心光説との両方がそれぞれ存在の理論根拠をもっているので,各自のことを強調 すれば「互会互立」という原則を持つべきである.これによって見れば,義山の いわゆる流動性は聖冏の「互会互立」の意に近い. 換言すれば,義山における色心二光を立てることから色心二光不離への理論展 開は,基本的に因分可説を借りて,果分不可説を表現するということである.こ れによって,弥陀の果徳である智慧光明を彰顕する. 2.3. 名体不離=名義不離=名義具足 上述したように,仏の光明はその果徳である智慧光明を彰顕すものであるの で,仏の光明は即ち仏体である.それで,義山は名体不離,名義不離,名義具足 などの用語から,仏光の摂化の原理を説明する. 義山はまず第九観における念仏三昧の念仏が称名念仏を指すことを確認する. 「扨念仏者,如今経惣通観称.爾今云此念仏者,定称名也(14,617a)」という.其 の次,義山は光明即ち仏の体であり,念仏即ち仏の名であるという定義から, 「名体不離」「名義不離(14,617a)」ないし「名義具足(14,618a)」の説に帰結する. 「所以然者,光明是義,即阿弥陀仏体.念仏是名,即阿弥陀仏名.然唱南無阿弥 陀仏,名下仏体不離故,名義不離,有不捨益(14,617a)」という .因みに,その 「名体不離」の義から念仏が必ず救われる必然の道理を明かす. 義山の解釈は基本的に,「名体不離(14,400b)」の概念から念仏の絶対善を説く という特色をもっている.こうした解釈の仕方は,曇鸞の「名即法」の説に由来 するが,世親『浄土論』における「称彼如來名,如彼如來光明智相,如彼名義,
欲如実修行相応故」という「名義相応」説に れる.ただ世親,曇鸞の理論的説 明に対して,善導,法然のいずれも,三縁釈から弘願の念仏に帰結する.これ は,名義相応の哲学概念から宗教的感性の方へと傾くようになったことを示す. また,日本中世の本覚思想の影響のためか,こうした「色心二光」「名体不離」 の分合弁証から,遂に弁証的論理から「名号即就仏体(02,631a)」「呼名赴自体 (03,873a)」というような名即法(実在論/実体論)の方に展開していく.義山の論 証も,この影を拭うことはできないようである. 2.4. 有体・無体之弁 上述したように,義山の解釈では,光明は阿弥陀仏の仏体(仏意,本願)とい う概念から次々と,名体不離=名義不離=名義具足など唯名の実在論の方へと展 開していく.従って,義山にとって,こうした絶対真実の仏体の探究及び有体無 体の弁別は,浄土念仏における必死の課題,終生の参究の課題とも言える. つまり,義山は「念仏衆生摂取不捨」の文を解釈する際,一方で念仏衆生摂取 不捨を「所観の境」だと強調する.義山によれば,「所観の境」とは,能観行者 が禅定の中で見られるものである.「謂能観行者定中見仏光時,自知念仏衆生摂 取不捨之益(14,618a)」という.義山はまた他方で,もし禅観に見られる実境でな ければ,釈 の説法はただ方便であり,無実の語になってしまう,と付け加え る.「釈 只方便言説,成無体.又見定中所観境,時釈 真実言説成有体,有体 無体其義懸隔(14,618b)」という. 義山はなぜ特に「摂取不捨之益」が「定中所観境」ということを強調するの か.又,彼はなぜ定中所観境を基準に釈 言説の有体無体を判定するのか.これ を西山派における能 之教と所 弘願の対応関係に当たって見れば,釈 の言説 は能 之教,弥陀の弘願は所 之法だからである.義山はおよそ釈 の能 之教 が如実であることによって,所 之法である弥陀弘願の真実を明かす.その上, 能 と所 の一致をもって絶対他力の真実性を彰顕しようとするためであろう. それ故,彼はまた繰り返して,釈 がただ如実に其の儘で説く(「釈 有儘説 (14,618a)」)ことを強調する.ここでも,挑燈送客における「正客與相伴人 (14,618b)」の比喩が再び引用される.義山の執拗ともいえるほどの用心は誠に一 般の浅識に及ばない. また,注意に値するのは,義山の説く釈 教説の如実性は,方便から真実へ, という権実相対の概念ではなく,方便即真実(相即相入,主伴具足)という意味で ある.だから,逸話の最後で,義山はようやく一般に言われる「此文定善段而説
散善念仏益(方便から真実へ)」の不徹底さに気付いて,「積年ノ疑 立地ニ消却 (14,618b)」という. 義山はなぜ「此文定善段而説散善念仏益」という説に対して深く反省するの か.蓋し,十六観の分け方に関して,聖道・浄土における異説が様々あるという までもないが,浄土門においても,前十三観が定善,後三観が散善という二分法 がよく見られる.その結果として,定善の観仏から散善の念仏へ,散善の念仏か ら称名の念仏へ,という機の不堪による方便の念仏範式も出てくる.もしこのよ うな理論が成立すれば,念仏のことも名義相応=名体不離というような大乗縁起 の深義から外れてしまう.正にこうした一点の曖昧さをも許さない所で,義山が 有体無体を峻別しようとする.彼が仏の光明摂取が定中所観の真実之境であるこ とを強調するのは,なによりも,こうした方便と真実との相即関係を表すためで ある.これと同時に,定善段の観仏と散善段の念仏の両者が相即関係であるが故 に,定散二善のいずれも念仏三昧の真実の意を離れていない意味も自ずと示され る.「定散之外,不可別立弘願一行(523c)」という. 3.
義山における「念観両宗」の解釈
上述したように,義山の定善(観仏),散善(念仏)という単純な二分法に対す る反省が深刻である.義山の観経理解は基本的に良忠の「念通観称」説に沿って いる.彼は特に各体不離の概念から浄土観門が一般の観仏に異なっていると強調 す る.「云 念 通 観 称, 本 願 十 念 是 称 念, 爲 顯 此 義, 簡 異 観 念, 云 念 声 一 同 (14,688a)」という.その上,彼は第九観の念仏三昧を観仏と理解するなら「不得 其幽旨(14,617b)」と批評する. 義山はまた観称,念称,念声など様々の「分合弁証」を通して,観仏から念 仏,念仏から称名への必然的転折を明かす.とくに流通分における一連の称•念 の「前後並擧(14,689a)」を経て,最後にただ称名の一行のみが掲げられる.それ 故,彼は最後に浄土の十六観門を一括して,その旨趣は一筋に「起観生信 (14,665b)」のためだと結論する.だから,義山は観門を廃棄しないのみならず, 曼荼羅などの観想をも重視する.また,こうした種種の「分合弁証」を通して, 最後にようやく登場するのは,観念二宗を超えた埓外の独存する太初の名号 (「独尊の称名念仏」(「口称三昧(14,615b)」)となった.これはまさに義山のいわゆる 「大器晩成(14,653b) (14,676a)」である.「夫以序文覆蔵,但説行福,含蓄六念.次 至正説,更開六念而摂本願念仏.然而,本願念仏其相未顯,始至於此(下品上生),正顯其相,以化極惡.復至流通,唯以此法,讃嘆付属,是則一經 概,只 窮于本願念仏一法矣,大器晩成,其此之謂歟(14,676a)」という. こうした次第性の説明のほか,特に注意に値するのは,義山もよく華厳の一多 相即の理論をもって,こうした観念,念称,念声など相対概念のいずれにもとら われない名號の不思議功徳(円融性)を闡明することである.彼はとくに勢渓蓮 陽寅載老人(14,323a)あるいは義誉観徹『浄土三部経合讃』(14,687b)の説を例と して,一念・十念の不二を説明する.その上で,絶対の一念(「一称義(14,676a)」) を強調する.「今家千福同存一称義」という.因みに,ただ一念の称名によって でさえ往生する(「一念摂逆(14,687a)」)と主張する.「今家釋本願唯除,以爲抑止 門,以本願唯除,例願成唯除,逆者一念,那亦疑乎」という.こうした絶対の一 念への強調は,「顯淨頓敎不思議也 (14,654b)」という.義山が第九観光明遍照文 における有体・無体之弁は,正にこうした頓敎大乗としての浄土義の不思議性を 表すためであろう.義山におけるこの究極性の追求は,禅門の大悟に匹敵するも のとも言える. 4.
禅浄合一思想との比較
上述した如く,義山の『観経随聞講録』における明清仏教の引用には,黃檗宗 の齎す仏教の新風のほか,幽溪伝燈(1554–1628),雲棲 宏(1535–1615),徹庸周 理(1591–1641),幻有正伝(1549–1614)などがある.その中で,龍池の幻有正伝は 雲棲 宏と同様に笑嚴徳寶(1512–1581)のもとで勉学しているので,師出同門と も言える.徹庸周理は嘗て夢の中で雲棲 宏の指示によって浄土法門への心眼を 開いた(谷響集,310b).近世に日本に渡る黃檗新宗も,雲棲 宏の思想を承継し ている.故に,本論文の「禅浄合一」も,暫く雲棲袾宏一系に沿って考えてみ る. 全体的に見れば,義山の観経注疏で引用された明清仏教の文献は主に散善義に 集中する.内容としては,雲棲 宏竹窓二筆の大悟小悟の説を除いて,七仏通誡 偈など倫理道徳に関する実践部分に限る.その引用した文字の数量は確かに多く ないが,もし日本浄土教の背景を視野に入れてみれば,古くから念仏における宗 教倫理の 藤を見逃すことはできない.因みに,義山が中国諸師の説を援用する ことには,持戒念仏を兼修する雲棲 宏(黃檗禅を含む)の思想によって,宗門に おける念仏と戒律の離反の現象(「託言仏願,不怖罪悪(14,682a)」)を一新しようと する意図が伺える.また,中国仏教においては,禅浄之間における有相無相などの争いも古くからの問題である.唯心浄土説によって事理不二之旨を闡明するこ とが,近代中国仏教の融合主義者の共通的基盤とも言える.こうした時代の雰囲 気の中で,義山も事理融合の立場に立つ上,大量に「事理」ないし「性具 (14,623b)」「心具(14,684b)」の説を取り入れようとする.但し,唯心浄土,自性 弥陀という説は到底,鎮西派の人間観や浄土観に,互いに相容れないところも随 分ある.これは,竹窓二筆に書かれる大悟小悟のこと,あるいは来迎正念正念来 迎,などのことに対する義山の批評にも窺える.義山は一貫して,機の自覚から 弥陀の弘願 (法)の深信へという絶対他力の旨を堅持しているとも言える.