博士学位請求論文審査報告書
申請者: 鈴木弥生
論文題目: 「バングラデシュ農村における援助と社会開発-クミッラ県にみる農村居住者へ のインパクト-」
1.論文の主題と構成
本論文は、バングラデシュにおける外国(特にアメリカと日本)の政府開発援助がどのよ うな影響を農村社会に及ぼしたかを、「コミラ・モデル」と呼ばれる農村近代化モデルを生み 出したクミッラ県において、克明に調査し、外国援助が地域社会の中での既得権益者層を利 する反面、本来目的とした貧困層の社会開発には必ずしもつながらないこと、このような貧 困軽減、社会開発の努力はむしろ、農村地域で活動している住民団体、NGO 等によって地 道にもたらされていることを論証したものである。
バングラデシュは、ムガール帝国滅亡後、イギリス植民地時代(イギリス領インドの東ベンガ ル州)、西パキスタン(現在のパキスタン)の国内植民地時代(東パキスタン)といった抑圧と苦 難の歴史を辿り、言語公用語化運動や独立・解放戦争を経て、1971年にようやく独立国家となっ たが、かつては美しい自然に恵まれ、豊かな文化・芸術を育んできたこの地域では、現在でも依 然として貧困や環境問題等が深刻な社会問題となっており、そのため「援助の展示場」とも呼ば れている。
実際、独立以降のバングラデシュには諸外国から膨大な額の援助資金が投入され、さまざまな 開発が行われてきた。中でも、日米の二国間援助は2003年までに約100億ドルにも上るが、。
それにも関わらず、この国における経済構造の歪みはかえって拡大している。貧富の格差は大き く、農村の貧困を背景に、職を求めて都市へと移動する人々が子どもも含めて急増し、都市スラ ムを増殖させている。
そこで本論文では、次のような構成で、1960年代に始まった農村近代化援助の効果をクミ ッラ県ダウドゥカンディ郡で先ず検討し、次いで、同県農村における社会開発のために、市民社 会・NGOの果たしてきている役割を同じ地域での検証により、分析している。
第1章「政府主導によるクミッラ県農村の社会開発」では、バングラデシュにおける農村開発 の原型である「コミラモデル」(1960-71年)を主題として取り上げ、先行研究や現地での聞き取 り調査を通してコミラモデルが導入された背景や実施状況を明らかにし、農村開発におけるコミ ラモデルの役割を検証している。
第2章「日米ODAの役割-クミッラ県ダウドゥカンディ郡にみる」では、バングラデシュ独 立以降の外国援助の中で日米 ODAを取り上げ、農村での社会開発、とりわけ貧富格差に及ぼす 影響を踏まえながらその意義と課題を検証している。具体的には、日米 ODA による援助供与額 の推移と特徴を概観したうえで、「メグナ・グムティ橋」東側に位置するクミッラ県ダウドゥカン ディ郡で実施されてきた「アメリカ食糧援助」と「モデル農村開発計画」(日本ODA)の実施状 況を現地での調査(1999年8月、2000年8月、2002年8月、2004年12月~2005年1月、2006 年3月)や現地で収集した資料を通して明らかにしている。
第 3 章「外国援助・開発による クミッラ県ダウドゥカンディ郡農村居住者へのインパクト-
貧富格差のダイナミックス-」では、アメリカ主導による「コミラモデル」の実験に引き続いて、
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日本 ODAによる「メグナ橋とメグナ・グムティ橋建設」及び「モデル農村開発計画」によって 近代農法が普及・拡大されたダウドゥカンディ郡において、これまでに実施されてきた援助・開 発が、当該地域の農作物の生産状況や農村居住者の生活状態にどのような影響を及ぼしているの かを現地での調査(2000年8月30世帯・215人、2002年8月34世帯・329人、2004年12月~
2005年1月及び2006年3月追調査)から明らかにしている。
日米主導による援助・開発によって貧富格差の拡大や生態系の破壊といった新たな問題が生じ ているが、そのしわよせは、とりわけ女性や子どもに及んでいると考えられる。
第 4 章「社会開発の課題- クミッラ県ダウドゥカンディ郡の女性と子ども」では、これらの 具体的な状況を、同郡での調査(2000年8月30世帯・215人、2002年8月34世帯・329人、
2004年12月~2005年1月及び2006年3月追調査)から明らかにしている。
第 5 章「社会開発と参加」では、 クミッラ県ダウドゥカンディ郡において、日米主導による 援助や市民社会を媒介とした各プログラムへの農村居住者の参加状況を明らかにしている。調査 対象者は、同郡7ユニオン、30世帯・215人(2000年)、同郡GauユニオンP村、30世帯・305人
(2002年)、同ユニオンエリア・オフィス、BRACメンバー、10世帯・56人(2006年)及び同 ユニオンS村、グラミン銀行メンバー、11世帯・68人(2006年)の計81世帯・644人である。
そして「終章」では、全体の考察・分析を行い、必ずしも外部援助に依存しない農村居住者の 内発的発展に向けた取り組みを理論的に解明している。
以上の分析から、本論文では「当該地域で実施されてきた日米主導による援助・開発は、農村 内の社会関係を無視した外部からの一方向的な供与であり、一部の既得権益集団に利益をもたら した反面、貧富格差の拡大や生態系の破壊といった新たな問題を引き起こした。外部援助を検証 すると、必ずしも貧困層のwell-being実現に顕著な成果をもたらしたとこれを見ることはできな い。とりわけ女性や子どもに貧富格差のしわよせが及んだ。このような状況に対して、現地NGO を始めとする市民社会が貧困層のwell-being向上への取り組みに努力している」という仮説を設 定し、論証を行っている。
2 本論文の評価
本研究は、克明な現地調査と一次資料の収集の上に、上述の仮説を論証している。
第一に、1960年代における先進国の農村近代化援助はそれが、「緑の革命」に結果したこと もあり、華々しい生産性上昇の面は大きく伝えられているが、それが農村での社会関係にどのよ うな影響を及ぼしたか、については必ずしも立ち入った研究がない。本書が、現地での8回に及 ぶ調査を通じる1次資料の収集・分析の上に、南アジア農村近代化の「原型」と見なされる「コ ミラ・モデル」の実態を明らかにした功績は大きい。
本論文では、近代化農法の導入とそのための組織作り(コミュニティ開発)が、貧困層の立場 向上よりもむしろ既得権益層の権力と富を強めた実態を明らかにしている。
第二に、農村における貧富の格差拡大、貧困層の生活窮迫に対応して地元で仕事をしてきた のは、行政よりもむしろ、現地NGOを始めとする市民社会であった。これら市民社会に共通し ていることは、農村内の伝統的な相互扶助関係や貧困女性の内発性を動員した活動を展開してい るということである。その根底には「慈善事業や施しでは貧困女性のwell-beingは向上しない」
という理念がある。それゆえ、市民社会による活動は、貧困層を援助の「客体」「対象」と捉える のではなく、むしろ、貧困層自身を主体とするエンパワメントを援ける役割を自らに課している。
本論文では、このような農村地域における市民社会の活動を分析し、貧困層が集団自助により、
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社会関係を変革していくことが社会開発につながることを豊富なデータで論証している。つまり、
援助による福祉(welfare)よりも、社会改革に取り組むなかで自ら力をつけていく過程が貧困軽 減につながるのであり、これが人間開発理論で言う「良い生活」(well-being)実現にほかならな い。このように、エンパワメントから社会開発への具体的道筋を農村での面接、アンケート等の 実証によって明らかにしていることは、本論文の第二の大きな特徴である。
12月15日に行われた面接では、これら本論文のメリットが評価される反面、次のような改 善点が指摘された。
(1) 序論で強調されている内発的発展が必ずしも本論で論証されていない。特にイスラム地域 の文化、相互扶助の慣習と村レベルでの社会開発の努力とどう関連しているのか。
(2) NGOであるBRAC(バングラデシュ農村振興委員会)とグラミーン銀行が並列的に議論 されているが、バングラデシュ農村における市民社会、NGO についての定義、両 NGO の特性、とくに市民性の表れ方について検討すると、両者の特徴、協業と分業関係が明ら かになる。
(3) ODAで社会、環境問題が必ずしも解決せず、むしろ悪化しているとの指摘が、第1-4 章でなされた。それでは、第5章で、人口、環境(砒素悪化問題等)に住民やNGOが同 対応しているかが、定量的な側面も含めて示されてよいのではないか。
(4) マクロ・データとミクロ・データ間の整合に配慮すると共に、ミクロ・データの持つ限界 を明示すべきである。
これらの指摘を踏まえて、申請者は、(1)内発的発展の村レベルでの文化慣習との関連、社会 組織の実態、(2)市民社会、NGO の定義と BRAC、グラミーン銀行活動の異同の分析、(3)
若干の社会開発に関する定量データ、(4)データ間の整合性、限界に関する叙述、を付け加え、
関連箇所を大幅に書き直した。未だ、環境問題への対応など、市民社会活動の限界をも含めて更 に将来の研究課題として取り組まれるべき点も見られるが、委員会は、面接で指摘された諸点に 関しては、顕著な改善が見られ、叙述の一貫性も著しく増したと考える。
3 結論
以上のとおり、本委員会は、本論文が(1)南アジアの発展途上国における農村近代化を目的 とする先進国援助の論理、実態、意義を明らかにしていること、(2)外部援助に代わる社会開発 モデルとしてのエンパワメント・モデルの実際、機能をバングラデシュ農村におけるNGO活動 を分析することによって明らかにしたこと、(3)開発理論を農村調査の実態に即して再考し、展 開の方向を示していること、の3点において高く評価する。
また、所定の口頭試問において審査員から指摘されたいくつかの論点や問題指摘について的確 な受け答えを示し、バングラデシュ農村における社会開発の実態、また、社会開発理論に関する 深い造詣を示した。また、その後のリライトを通じて、問題点の掘り下げに関する真摯な取り組 みを見せた。
もちろん、本論で指摘したように、本主題の掘り下げについては未だ若干の課題を残すものの、
以上の諸点の総合的な検討を通じて、本論文は早稲田大学大学院アジア太平洋研究科の博士(学 術)号に値する業績であると認め、本委員会は申請者に博士号を授与することが適当であると認 め、委員会にご報告をいたします。
2007年1月11日
審査員(50音順)
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早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授(Ph.D、Cornell University)阿部義章
恵泉女学園大学教授 大橋正明
(主査)早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授 (博士(学術)、早稲田大学)西川 潤
(副査)早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授(農業経済学博士、東京農業大学)原 剛
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