アポリネールの歴史的位置づけをめぐる考察
辻 野 稔 哉
Une remarque sur la place historique d'Apollinaire
TSUJINO, Toshiya
Résumé
Apollinaire est un poète français que beaucoup de ciritiques littéraires situent entre le symbolisme et le surréalisme. Cependant est-ce que cela est pertinent ? On recherche, jusqu'à aujourd'hui, sa place historique dans la culture occidentale. On doit encore examiner, avec de la prudence, la façon dont des critiques ou des camarades littératures l'ont traité.
Mots-clefs : Apollinaire, avant-garde, hisotire de la littérature française Keywords : Apollinaire, avant-garde, history of the french literature
はじめに
20 世紀初頭のフランスの詩人アポリネールが活躍し た時代から,ほぼ1世紀が経過した今,あらためてこ の詩人の作品世界が見直されようとしている。アンナ・
ボ シ ェ ッ テ ィ のLa poésie partout Apollinaire Homme- Époque (1898-1918)1と い っ た モ ノ グ ラ フ ィ やAnja ERNSTとPaul GEYERの監修による論文集La Place d'Apollinaire2,雑誌Europeのアポリネール特集3,そ して同じ 2016 年にオランジュリー美術館で開催された 回顧展Apollinaire Le regard du poèteとそれに併せて出 版された論集4に至るまで,21 世紀の現在におけるアポ リネールをめぐる問題性が様々な角度から再び検討にふ されている状況だと言えよう。
もちろんこの小論で,アポリネールの多岐にわた る活動すべてに言及する余裕は無いが,先に挙げた
ERNST&GEYERの論文集の中で,その名もずばり「ア
ポリネールの位置«La Place d'Apollinaire»」というタイ トルを掲げたミシェル・ミュラMichel MURATの論が 示す見取り図を参照しながら,我々にとっての論点を整 理し,我々の立ち位置を改めて確認しておきたい。
1 サンボリスム(象徴主義)とシュールレアリスム(超 現実主義)のはざま
1900 年を挟んだ前後 15 年ずつのおよそ 30 年間を,
フランスではベル・エポック(良き時代)と呼ぶ。1880 年に生まれ 1918 年に亡くなったアポリネールは,まさ にこのベル・エポック期を生きた詩人である。何を持っ てベル・エポックの始まりとするかは捉え方によるが,
フランスではようやく共和政体制が落ち着きを見せ始 め,「ラ・マルセイエーズ」を国歌とし(1879 年),7 月 14 日の革命記念日を祝祭日と定め(1880 年),市町 村庁舎の正面に「自由・平等・友愛」の文字が刻まれ る(1884 年)。大革命から 100 年を祝うパリ万博の目玉 としてエッフェル塔が登場するのは,それから間もなく 1889 年のことである。文学の世界で言えば,1885 年の 5月にヴィクトル・ユゴーが没している。ユゴーが中心 と目される形でのロマン主義の動きはすでに衰退してい たとは言え,文豪の名にふさわしいであろうこの大詩人 であり大小説家の死とその国葬は,19 世紀前半の文学 的な大きなうねりの終焉を眼に見える形で示した。
一方,ベル・エポックの終焉はことの他はっきりと している。言うまでもなく第一次世界大戦(1914-1918)
であり,フランス語ではLa Grande Guerre(大戦争)と 呼ばれているこの戦争が古き良き時代の終わりである。
我々が考察の対象としているアポリネールもこの戦争に 参加し,負傷してパリに帰還するが,1918 年 11 月,休 戦発表のわずか数日前に,「スペイン風邪」として知ら れる当時大流行したインフルエンザによって死亡してい る。
アポリネールの生涯はわずかに 40 年に満たないもの であり,ベル・エポックと呼ばれる時代も 30 年ほどの 短い期間ではあるが,この時代を例えばアメリカの文学 研究者ロジャー・シャタックRoger SHATTUCKは「祝 宴の時代」と呼び,この時代の華やかでもあり浮ついた 空気を言い表している。この『祝宴の時代The Banquet
Years』は,そのまま彼の 1955 年の著書のタイトルであ
り,副題が「フランスにおけるアヴァンギャルドの起源 -1885 年から第一次世界大戦までThe Origin of the Avant- Garde in France - 1885 to World War I」となっている。
しかも,その序文において,そもそもこの書物は彼がア ポリネールの翻訳に取り組んでいた時に着想を得たもの であり,シャタックはアポリネールの作品を通してこの 時代の魅力に出会ったと告白している。さらに彼はこう 続けている。
誰かひとりに的を絞って時代の全貌を詳らかにする のは容易でないが,ルソー,サティ,アポリネールの トリオは時代の特徴を多面的に体現しているから,こ の三人を通じて時代を解明することができるかもしれ ない5。
ルソーとは画家のアンリー・ルソーであり,サティと はもちろん作曲家のエリック・サティである。最終的に,
シャタックはアルフレッド・ジャリを加えた4人の芸術 家を通してこの時代を描くことになる。ここで確認して おきたいのは,この時代を多方面の芸術家に言及するこ と無しに描き出すことが難しいと述べられていることで あり,その上で文学の分野でアポリネールの名が真っ先 に挙がっていることである。勿論,この書物が世に出た のは今から半世紀も前のことであり,シャタックが綴っ た内容には検討が必要だが,少なくとも,アポリネール という詩人がこのベル・エポックという時代と密接に結 びついた存在であったことは確認できるだろう。そして,
そのことが今日でもおおよそ共通の認識となっているこ とを肯定出来る様に思われるが,それはどのような意味 でそうなのか,そこにはどのような力学が働いているの か。我々はそれを検討したいのである。
では,より具体的な文学史のレベルにおいて,この 1885 年から第一次大戦との間の何が問題になるのだろ うか。我々の文脈で見ると,19 世紀後半,特に 1880 年 頃からのパリにおける文芸雑誌乱立が一つの注目点であ る。言うまでもなく,19 世紀を通じてパリの出版業界 は飛躍的な発展を遂げるが,特に 19 世紀末には,数多 くの小雑誌が現れては消えて行った。85 年頃に注目す ると,良く知られる『ワグナー評論Revue Wagnérienne』 誌(1885 年創刊),『ヴォーグLa Vogue』誌(1886 年創 刊),『独立評論Revue Indépendante」誌(1984 年創刊)
などの雑誌の寄稿者に,いずれもマラルメの名が見ら れ,これらの雑誌も象徴主義を支えた雑誌として捉えら れている。勿論,1986 年にジャン・モレアスが「象徴
主義symbolisme」成立の宣言を行ったという文学史的
な事実はある。しかし,この時期の群小雑誌にあっては 雑誌毎の多少の傾向はあるにしても,寄稿者の主義主張
は様々であって,それらからまとまった何かが生まれて 来るという言うよりも,個々の作家,詩人の制作の受け 皿として多彩な雑誌が存在していたという印象が強い。
こうしたベルエポック期の言わば文学の業界をめぐる力 学をブルデューの言う「場champ」として分析したアン ナ・ボシェッティは,アポリネールが活躍した時期の最 も重要な雑誌として『新フランス評論La Nouvelle revue
française』を挙げて,詳細に分析している。しかし,そ
の一方で,とりわけ 1910 年代の主導的文学的ムーブメ
ント(mouvement)の欠落をも重視する。確かに,ユナ
ニミスム(unanimisme)や未来主義(futurisme)といっ た「イスム」が知られてはいるものの,それらは 19 世 紀末の象徴主義(symbolisme)に比して,認識として も,またその考えへの同調という意味でも主導的な役割 を果たさなかった,というわけである6。そして,こう した象徴主義の文学史的後継争いに終止符を打ったムー ブメントが,(無論,文学の場という当時の状況におい て,という意味で,)シュールレアリスム(surréalisme) なのだとしている。ちなみにアンドレ・ブルトンが『シュ ルレアリスム宣言』を発表するのは,アポリネールの死 後,1924 年のことである。こうしたボシェッティの分 析は,表面的には特に新しいものではない。むしろ,フ ランス文学史的な常識と言えるかも知れない。では,今 改めて,こうしたアポリネールを中心とする論点にボ シェッティを始めとする少なからぬ研究者が言及するの はなぜであろうか。
問題は,上記の様な文学的ムーブメントの歴史を必然 的なもの,一つの流れ,といった概念で捉えてしまって 良いのかという点である。言い方を換えると,アポリネー ルの時代は,マラルメとブルトンとのはざまにある一つ の「過渡期」であるといった言われ方をすることがある が,そうした概念が妥当かどうかが問われている。
とは言え,このような一人の詩人をめぐる文学的な言 説がどうしてそれほど問題になるのか。シャタックが「誰 かひとりに的を絞って時代の全貌を詳らかにするのは容 易ではない7」と書いたのは,単に求心力のある大詩人,
大作家不在の時代という意味だったのではないか。ある いは,アポリネールがベルエポックと第一次世界大戦と いう振れ幅の大きな時代を生き,その詩作法が一貫しな かった,というだけのことではないのか。こうした当然 予想される疑問に答える為にも,アポリネールの時代を めぐってこれまで為された代表的な言説を,いま一度検 討しなければならない。
2 モダンとアヴァンギャルド
すでに言及した論考«La Place d'Apollinaire»の中で,
ミュラはドイツの評論家フーゴー・フリードリヒの名を
挙げ,彼の『近代詩の構造Struktur der modernen Lyrik』
(1956)に言及している8。フリードリヒは,この著作の 中で,特にボードレール,ランボー,マラルメといっ たフランス近代詩の大詩人にそれぞれ独立した章を割 き,続いて「二十世紀ヨーロッパの抒情詩」というタイ トルの章において様々な詩人達の動きを取り上げて論 を閉じている。ミュラはこの本について,分かりやすい 大きな見取り図を示している点で今日でも一つの起点に なると述べているが,アポリネールに対する言及が,結 局のところ 1918 年の講演「新精神と詩人たちL'Esprit
nouveau et les poètes」の要約に収斂することを指摘す
る。そして,この講演のキーポイントを <surprise(驚 きあるいは不意打ち)> に置くことで,フリードリヒは アポリネールを「ランボーからシュールレアリスムへの 流れ」の中に位置づけていると考察している。しかしな がら,もう少し詳細にフリードリヒの著作を読むと,上 記講演のレジュメだけでなく,詩編「地帯Zone」「夢 判断Onirocritique」や小説『虐殺された詩人Le poète
assassiné』など様々な作品について言及がなされている
ことが分かる。また,アポリネールをランボーとシュー ルレアリスムの間に位置づけるというフリードリヒの見 解はミュラの言う通りであろうが,そこには揶揄にも似 たある種のニュアンスが込められている。
シュルレアリストたちが 1920 年代以後に生み出し た作品と比較しても,先駆者アポリネールは依然とし て最も着想ゆたかな詩人だといえる。シュルレアリス トたちが現代のわれわれの関心を惹くのは,その主義 主張によってだけであるのかもしれない9。
ここでは,評価の内容については措くとして,1960 年頃にすでにこのような記述が登場している事実だけを 確認しておく。
ところで,このフリードリヒに対して厳しい批判を 行ったのがアントワーヌ・コンパニョンである。コンパ ニョンは 1990 年に発表した『近代芸術の五つのパラドッ クスLes cinq paradoxes de la modernité 』の中で,フリー ドリヒの『近代詩の構造』から以下の箇所を引用する。
不調和な美,詩の本質に「心」を沁み入らせること の拒否,意識の異常な状態,空虚な観念性,事物の具 体性からの隔たり,秘密と謎。すべてが言語の魔力か ら,架空の絶対性から生まれる。それゆえこの美は,
数学的抽象に,音楽の動きやリズムに近づく,ボード レールは,まさにこうした要素を用いて,次世代の詩 において成就されるはずのさまざまな可能性を創造す ることができた10。
そして,このフリードリヒの言葉に対して「弁証法的 で進化論的な先入見を,これ以上あからさまに告白する ことは無理なほどである11」と述べる。すなわち,ボー ドレールから,ランボー,マラルメへと続く「近代詩の 進化」とでも名づけられる様な後付けの見解(コンパニョ ンはこうしたシナリオを「正統的物語récits orthodoxes」 と呼ぶ)に従って,詩人たちを事後的に位置づける歴史 観を批判するのである。コンパニョンは,さらにこうし た「正統的物語」の歴史観と「アヴァンギャルド」の時 間意識の親近性を指摘する。「アヴァンギャルド」とは,
この場合,芸術の「進化」を目指す自己批判的発展とし て捉えられており,19 世紀の終わりから 20 世紀にかけ てのフランス芸術文化に顕著な目的論的な歴史観を指し ている。こうした「アヴァンギャルド」的な芸術は,理 論上,過去を乗り越え,伝統を否定し,「新しいもの」
を求めて未来を目指す。こうした指向性は,やがてポッ プアートや芸術そのものの定義を無効にする思考へと 至って,事実上意味をなさなくなる。コンパニョンは,
このポストモダンへの道筋はそれとして否定することは 無いが,とりわけボードレールの語った「モデルニテ」
について,その歴史への意識が「アヴァンギャルド」的 ではなかったと判断し,これを区別しようとする。
現在を感知するのに過去は不適であることを強調す るボードレールが,結果として「新しいものへの盲信」
を奨励したひとりであったとしても,彼にはそうした 崇拝の形跡はみじんもない12。
コンパニョンによれば,1880 年代頃に一つの認識論 的断絶の様なものがあり,これを無視することはできな いと言う。彼はこの区別について,次の様に述べている。
ボードレール的現代性が永遠と対話するために歴史 を拒否するのに対し,正統的物語によって飼いならさ れた現代性は,ニーチェが「デカダンス」と呼んだ歴 史の病に他ならない。(中略)アヴァンギャルドの時 間は,先取りという観念において,継起のプロセスと 結果とを混同する13。
これに対し,ミュラはコンパニョンのこうした捉え方 もまた,文学と芸術のモダンをめぐる諸神話の目録をな すものであり,例えばコンパニョンのアポリネールの捉 え方についても,彼の実践(詩や小説)ではなく,芸術 の理念をめぐる言述を捉えたに過ぎないと述べている
14。我々もまた,アポリネールをそうした「アヴァンギャ ルド」の典型と見る見方には賛同できないが,コンパニョ ンの「アヴァンギャルド」についての理論,そしてフリー
ドリヒに向けられるメタ理論的批判には基本的に同意し たい。順を追って見て行こう。
例えば,コンパニョンは「アヴァンギャルド」の「正 統的物語」に関してアポリネールを次の様に描き出す。
十九世紀末に現れたこの新たな正統教義によれば,
近代の伝統とは,芸術の純化の歴史,芸術を本質的な ものに還元する歴史である。(中略)たとえばアポリ ネールは,一九一二年,立体派の友人たちの作品につ いて,「そこに芸術家たちが,本質的な現実をたいそ う純粋に表そうとした絵」と述べる。純粋さ,本質−
少なくともマラルメ以後,芸術の自律的冒険を説明し ようとすれば,これらの語を使用しないわけにはいか ない15。
確かに,アポリネールは,上に挙げられた美術批評以 外の場所でも,キュビスムを目的論的歴史観によって擁 護する文章を残している。その典型的な例は『キュビス ムの画家たち』(1913)において,キュビストの友人た ちをフランス美術史の中で記述するその仕方に見ること が出来る16。そして,コンパニョンは,アメリカの美術 評論家グリーンバーグの以下の様な表現にも同様の歴史 観が見られると指摘する。
ピカソやブラックやレジェのキュビスムは,セザン ヌの始めたものを完成した。その成功は,セザンヌの 手法から問題が残っていたどんなものをも取り除い た。セザンヌが自分の洞察のほんのわずかしか使わな かったせいで,キュビストたちは彼から新発見の源の 総てを受けとる事ができた17。
これらを併せて考えた時,確かに,「アヴァンギャル ド」をめぐる「正統的物語」にアポリネールも加担して いることは否定出来ない。しかし,グリーンバーグの 語ったいわゆる「自己純化」とは,芸術の自己批評性が,
表現の抽象化,絵画表現の平面性へと言わば制限される ことを指しているのに対し,アポリネールの絵画に対す る言述はそのような理論的な具体性を伴っていない。コ ンパニョンは当該の著書の中で,基本的に詩人や作家,
批評家の芸術に関する理論的な文章しか引用していな い。彼自身,アポリネールがもっぱら画家達に対して書 いたことをマラルメの名と共に「芸術の自律的冒険を説 明しようとすればSi l'on veut rendre compte de l'aventure
autonome de l'art」と言い換えているのだが,我々はこ
こに注意しなければならない。詩人・作家としてのアポ リネールの創作活動について言えば,むしろ表象の可能 性をあらゆる方向に探っていたのであり,作品の自己批
評性に意識的であったことは当然としても,少なくとも 表面上は言語による純粋な抽象的構築物を目指していた わけではない。こうしたことから明らかな様に,アポリ ネールの芸術理論的な言述は,彼の活動の一面を見せて いるに過ぎない。
とは言え,ここではアポリネールの布置をめぐる言説 が,このように近代芸術史を語る上での大きな問題性に 直結している事を確認しておこう。アポリネールが展開 したキュビスム擁護の「アヴァンギャルド」的な構え,
すなわちキュビスムを到達点としてそこへの過程を語る 方法論は容易に「芸術」という領域に拡大され,その結 果先取りと乗り越えの絶え間ない応酬となり得る。つま りアポリネールを「象徴主義とシュールレアリスムの過 渡期」に位置すると捉えるにせよ,あるいは「ランボー とシュールレアリスムの間」に位置づけるにせよ,コン パニョンに従えば,フランス近代詩の発展の「正統的物 語」の主導権争いに過ぎない。そして我々は,すでに述 べた様な留保を付けた上で,この主張に同意したい。そ れは,まさにアポリネールがこのような「正統的物語」
の枠組によって「語られて来た」側でもあるからに他な らない。アンドレ・ブルトンは 1924 年に次の様に述べ ている。
(・・・)先頃亡くなったギョーム・アポリネールに敬 意を表して,スーポーと私は,われわれが手に入れ,
一刻も早く友人たちにも利益を得させたいと思ったこ の純粋な新表現方法を,シュルレアリスムと名づけた。
(中略)そしてわれわれのこの語の受けとり方のほう が,アポリネールの受けとり方よりも,一般的にすぐ れたものとなったと思う。(中略)実際に,アポリネー ルのほうはまだ不完全なシュルレアリスムという文字 だけを自分のものにして,われわれをひきつける理論 的な洞察をそれに与えるということでは無能力をさら けだしてしまったが18(・・・)
さらに,第二次世界大戦後の 1946 年に行われたイン タビューでは,以下の様な言い方もしている。
アポリネールがその最後のエッセイ「新精神と詩人 たち」で述べているように,「驚きは新しい大きな原 動力である」こと,そして,シュルレアリスムはこの 意見に同意しただけでなく,それを自分たちの永遠の 掟としたことを今こそ再認識しなければなりません19。
こうしたブルトンの「正統的物語」に支えられた歴史 的見取り図こそ,「誰それとシュールレアリスムの間」
にアポリネールを置く見方に他ならない20。先に見た
1967 年のフリードリヒが,その批評家としての直感か らアポリネールの着想の豊かさを評価しながらも,彼を シュールレアリスムの「先駆者」として位置づけてしま うのも,この「アヴァンギャルド」的文脈,あるいは進 化論的な歴史観を共有してしまっているからに他ならな い。フリードリヒの,「シュルレアリストたちが現代の われわれの関心を惹くのは,その主義主張によってだけ であるのかもしれない」という文章は,事態を半ば意識 していながら,その枠組みを補強してしまう装置として 機能しており,皮肉としか言いようが無い。
結びにかえて
ここまで見て来た様に,アポリネールを歴史の何処か に位置づける行為は,「モダン」や「アヴァンギャルド」
についての文学史的な側面とその価値判断の双方に関わ る大きな問題系となる。我々は幾人もの研究者の指摘に 加えて21,我々の文脈においてもブルトンが語ったのは 彼自身のための「正統的物語」として相対化すべきだと 考えるが,それでは,アポリネール作品に固有の普遍的 価値を探すべきだろうか。ここでは,文学の受容論とし て読むことの出来るベンヤミンの次の言葉に耳を傾けた い22。
たしかに,何よりも作品とこそ格闘するべきだろう。
作品の生活圏・作用圏の総体がその成立史とならん で,同等の資格をもって,いやもっと強調されて,登 場してこなくてはならない。(中略)じじつ肝要なこ とは,文学作品をその時代と関連させてえがくことで はない。そうではなくて,それの成立した時代のなか に,それを認識する時代−ぼくらの時代−がえがかれ るようにすることである。このとき文学は,歴史のひ とつの思考法となる23。
つまり,たとえ「正統的物語」自体は批判的に解体さ れるにしても,アポリネールの位置づけは「モダン」と「ア ヴァンギャルド」に股がる興味深い問題圏にあることに 変わりはない。おそらくは入り組んだコンテクストと結 びつく様々なテキストを検討しながら,時系列や見取り 図にばかり捕われるのではなく,作品自体の読みの可能 性を追求しなければならない。従って,アポリネールの 位置はこれからも繰り返し問い直されることになるだろ うが,例えばミュラは,三つの観点を提案している24。 一つは,<イノヴァシヨン>,<モダニスム>,<ア ヴァンギャルド>といった概念の諸関係を国境を越えた 形で考察を続けることである。この点ついては,上に記 した文学受容の態度を踏まえた上で,今後も検討して行 かなければならないのは勿論であるが,アポリネール自
身,フランス国外の文化に様々な形で目を向けていたこ とを考えれば尤もである。二つ目には,アポリネールを 小説の歴史の中に位置づけることが急務だと述べられて いる。これについては,彼の散文作品と様々な作家(ポー,
ユイスマンス,ヴィリエ,ショーヴ,ジャリ,ルーセル 等々)との関係性が指摘されるのと同時に,彼の現実再 現的ではないフィクションが,いわゆるモダンな小説に ついての「正統的な物語」に資するような特徴とは一線 を画すものとして注目されている。そして,そこでの「語 り」が彼の詩作品に反映して,その「物語性narrativité」 がモダンな詩における「語りの排除」というテーゼへ の反例となっていることが示唆されている。彼の小説に ついては,すでに様々な研究が行われているとも考える が,相対的に言及されることの少ない散文作品と詩作品 との相関関係に,よりアポリネール独自の特徴を見出す べきという指摘として捉えたい。最後に,「メディオポ エティック」の視点からアポリネールを捉え直すことが 提案される。これは直接的には,ボシェッティの著作を 評価する立場からの提案であるが,社会学的な観点も含 みながら,作品が表現媒体によって文学の場においてど のように組織化されていくかを検討することになるだろ う。また,そのような理論上の問題だけでなく,アポリ ネール自身が関心を持っていた様々な表現媒体(雑誌や 新聞とその印刷技術,また蓄音機,映画等の新たなメディ ア,あるいは個人的な手紙やハガキといった媒体)の持 つ問題性において,彼の作品を捉える事でもあろう。
その他,戦争と表象の問題ひとつを取ってみても,ア ポリネールをめぐって考察すべきものは少なくないと思 われるが,いずれにしてもこの詩人が我々に投げかけた ものは,今現在においても文学や芸術を考える上で非常 に興味深い問題であり,その問題圏は広がると同時に深 まりを見せている様に思われる。本小論は,そのことを 確認する為のささやかな一歩である。
1 Anna BOSCHETTI, La poésie partout Apollinaire Homme- Époque (1898-1918︶, Éditions du Seuil, 2001
2 La Place d'Apollinaire, Sous la direction d'Anja ERNST et Paul GEYER, Classiques Garnier, 2014
3 Europe, no.1043, Guillaume Apollinaire, mars, 2016 4 Apollinaire Le regard du poète, Musées d'Orsay et de
l'Orangerie, Gallimard, 2016
5 ロジャー・シャタック『祝宴の時代ベルエポックと「ア ヴァンギャルド」の誕生』,木下哲夫訳,白水社,2015,
p.9
6 Anna BOSCHETTI, Op.cit., p.15 7 シャタック,前掲書,p.9
8 Michel MURAT, «La place d'Apollinaire », in La Place d'Apollinaire, Sous la direction d'Anja Ernst et Paul Geyer,
Classiques Garnier, 2014, p.29.
9 Hugo FRIEDRICH, Struktur der modernen Lyrik, Rowohlt Taschenbuch Verlag GmbH, Hamburg, 1967(邦訳 フー ゴー・フリードリヒ『近代詩の構造』飛鷹節訳,人文書 院,1970,p.242)
10 Antoine COMPAGNON, Les cinq paradoxes de la modernité, Édition du Seuil, 1990(邦訳 アントワーヌ・
コンパニョン『近代芸術五つのパラドックス』,中地義 和訳,水声社,1999 年,p.87)
11 同上 12 同上,p.58
13 同上,p.92(一部改訳)
14 Michel MURAT, art.cit., p.29.
15 アントワーヌ・コンパニョン,前掲書,pp.84-85 16 しかしながら,この作品においても事はそれほど図式的
ではない。アポリネールの美術史への言及の仕方は言わ ば分裂しており,ピカソについての章とそれ以外との間 に,大きな違いがある。
17 Clement GREENBERG, Art and Culture, Boston : Beacon
Press, 1973(邦訳 クレメント・グリーンバーグ『グリー
ンバーグ批評選集』,藤枝晃雄訳,勁草書房,2005,
pp.199-200)実際にコンパニョンが引用しているのはこ の部分の最初の文章だけである(コンパニョン,前掲書,
p.112)。
18 アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言集』,江原
順訳,白水社,1983,pp.58-59
19 アンドレ・ブルトン「ジャン・デュシェによるインタ ビュー」(1946),『ブルトンシュルレアリスムを語る』
所収,稲田三吉,佐山一訳,思潮社,1994,p.273 20 ボシェッティは前掲書において,ブルトンが,アポリネー
ルを自らの地位の強化に利用したのだとしてこれを鋭く 批判しているが,ブルトンはその生涯の中で,様々な文 脈で何度もアポリネールに言及しており,これもまた稿 を改めての検討が必要である。
21 ミュラによれば,ボシェッティとジェニーは,「シュール・
レアリスムは,芸術の自立性を問い直し,ポエジーの領 域を限定し,純粋な表現というポスト象徴主義的思考に 立ち戻って,アポリネールに対して親殺しを完遂した」
と主張する。Michel MURAT, art.cit., p.24
22 コンパニョンは 1998 年の著書Le démon de la théorieに おいて,ヤウスの受容理論とベンヤミンの文学史批判を 結びつけている。Antoine COMPAGNON, Le démon de la théorie. Littérature et sens commun, Seuil, 1998(邦訳
『文学の理論と常識』,中地義和,吉川一義訳,岩波書店,
2007)
23 ヴァルター・ベンヤミン「文学史と文芸学」(1931),『暴 力 装 置 論, 他 十 篇 』 所 収, 野 村 修 編 訳, 岩 波 文 庫,
1994,pp.256-257 24 MURAT, art.cit., pp.39-40