真
言
宗智
山
派
に
お
け
る
教
化
研 究
(
伝道学
)
の現
況
と
こ れ か
ら
一檀 信 徒 と共に
寺
院 を元気
づ ける方法論
一片 野 真 省
は じ め に天 才 画
家
の 名 を ほ しい ま まに した フ ィ ン セ ン ト・フ ァ ン ・ゴ ッ ホ。 しか し、 彼 自身
が生 きてい る時に売
れ た画はたっ た1
枚
だ っ た と伝え
られて い る 。 天才は究 して し ば ら く後 に、 その 称 号 を与 え られた こ と になる。 そ れは同 じよう
に天才音
楽家
と誰 もが 認 め る ヴォ ル フ ガ ン グ ・アマ デ ウス ・モ ー ツ アル トもそうだ
ろう
。 およそ30
年前
に上映 されたア カ デ ミー賞作
品 「アマ デ ウス 」 で描
か れ る主人公
の モー ツアル トは、自
らの才能が 評
緬
されない悲
しみ と孤 独 に苛 まれ、失意
のう
ちに交響 曲
「レ ク イエ ム 」 を書 き
上げ
なが ら死
を迎 える。ゴ ッ ホ が
拳
銃に よっ て 自殺 をはか り、2
臼後
に死 を迎 えたの は1890
年
7
月 末 の こ とである。 その月
に描い た 「カ ラス の 群れ飛ぶ麦
畑」 はゴ ッ ホ絶筆
の 作 品 と も伝 え られ てい る。 ゴ ッホ は弟の テ オ にあて た書 簡で こ の作 品の こ とをこう記 し てい る。 「僕は思い 切っ て悲
しみ や極度
の孤 独 を表現 し
よう
と した。」 そ して評論
家
の 小林
秀 雄は ゴ ッ ホ の こ の作
品に衝
撃 を受
け 「これはも
う
絵
で はない 。彼
は表
現
してい る という
より寧
ろ破壊
してい る。」 と語 っ てい る。ゴ ッ ホ もモ ー ッアル トも天賦の 才 をか た ちに
残
して逝っ た。 その後
の評価 を 自 らは知
る ことなく
この世
を去
るこ とになる。 しか しなが ら、彼
らの遺
した もの は その後永 く
、数知
れぬ多 く
の 人々 の 心 を射抜 き
、 魅 了 した。時
を経
て忘
れ去
ら れ る もの と、 時 を経
てず
っ とず
っ と語 り継
が れ る もの 。 人の心 を突 き動か し、 支 え とな るもの、 そう
した本物
に巡り合
える な ら、 その 人に とっ て その 出会い はず
っ とか けが えの ない もの とな るだろう
。い ま我 々 が生 きて い る こ の 現
代
社 会に は、 圧 倒 釣な量の情報
が垂 れ 流 さ れ、 人々 は その渦
に巻
き込 まれて疲弊
しき
っ て い る かの よう
であ
る。自分
に最
も適
し た必要
な情報
が何
か も分
か らぬ ま ま、 その波
に翻弄
さ れ、自
らの立 ち位置
も分
か らなく
なり
、自分
の姿
を確
かめ られ ないまま リ
ア リテ ィ を喪失
して い る。自分
に とっ て何
が支
え となるの か、 かけ
が えのな
い もの が何
か知
らない まま
、・無為
に等
(77
)智掬学報 第六十二 輯 しい
情報
の波
に息
もで きない あ りさまで ある。時
が流
れる中
で 、本 当
に人
の心 を突 き動
かす
よう
な本 物
で も、見
つけ
られ ない まま名 もな
き
ままに星 屑の よう
に消
えて い くものも数多あ
るだろう
。見
い だ され れ ばゴ ッ ホやモ … ツ アル トの よう
にその名 も作 品 も
、真 実 を飛
び越え
て まで語 り継
が れる。 そ して、 な か な か 出会い 難 き本 物 に出会 えるな ら、 人々 は突 き動
か さ れ感極
まり
、 そ して心 揺 さぶ られ る刹 那に、 リア ル な 自身
を実感す
るこ とに なる。 だ か らこそ本物が 目の蘭にある な ら、 そ れ を知 鞍得 る者は本 物 を広 く伝 え る使命
を負
っ て い る と言え る か も知
れ ない 。 リア リテ ィ を持
つ こ とが難
しい こ の現代
の情
報 化 社 会だか らこそ、 自分の支 えとな りかけが えの ない もの を見つ ける のが至難
の業
である今
だか らこそ、 良い もの を伝 え 弘め るこ とが 我々僧 侶 に も求 め られ て い る。つ ま り、 仏の
教
えが素晴
ら しい もの だと実感
し てい れ ば、 自然 と伝 えずには い られ ない 。 垂 れ 流 される情報
の 激 流 を突 き抜 けて 、衆生
に届 けと願わず
にはい ら れ ない 。 さ らに書 え ば、 寺 院の ご本 尊の その ほとんど は、 その地
で長
い時
間かか っ て覦 られて きた聖 なる存 在である。 長い 歴 史の 中で その 地 の人々 が救
い を求
め、支
え として きた祈 り
の対象
で ある。 良い モ ノ、 本物
だ か らこ そ長い歳
月に渡
っ て 、今
もそ こに存 在
してい る。 類 まれ なる素 晴 ら しい 存 在が こ こにある こ と を忘
れ去 ら れ る ことなく伝
えるの は 、我
々 の使命
である。 なぜ 、 教化
を行う
の か ?その 問い か けの
答
え が こ こに ある。本鯰
は教化
の現
況 と将 来に向 けて の 教 化の あ り方 を、寺
院 と檀
信徒
の 関係性
の 中 か ら探
っ て み たい 。 また筆
者が これ まで に伝
道 学 や 教化
研究
に関わ る教育
・研修 機 会
で 培っ て きた こ と をこ こ に書留
め る こ とで 、真
言宗智
山派の教 化研 究推進
の一助にな れば幸
い であ
る。1
.教化
とは何
か ?一何
を伝える の か ?ど う伝 えるの か ?「
教化
と は何
か ?」 という問
い かけ
や教 化
の概 念規 定
につ い ては、も
う
すで に様
々 な機会
に述べ て きたの で こ こで詳
しく
記す
こ とは避け
よう
。 シ ン プルに表
せ ば 「釈 尊 や 根 師の教 え (仏に成る遡 を広く
社 会一般 ・檀 信 徒 に流布 す る (伝 わ る)。」 という
こ とになる。 ま た伝道 学
も教化学
、教化研 究
も教化
・伝 道に関 する研 究 ・ 学 問 とい うこ とにな る。 しか し、教化
が研究
や学
問の対 象
に な るの か どうか、 こ の 議 論は本宗
にお い てほ とん ど喚
起 しない の が現 状で ある。 だが、 宗 派が教 化 鑑 進 を行政の一つ の柱
と して、具体
的に推進施
策
を策定 ・展 開
してい る以上 は、 そ真言宗智山派に お ける教化研 究(伝 道 学)の現 況 とこ れ か ら (片 野) の
推
進 施策
の 効 果 を検 証 し、 新た な施 策
を策定するための 研 究は不 可 欠で ある。 同時
に 「伝
える側」 と 「伝 え られる対象
」 さら に は 「伝
えられ る内容
」 と 「伝 え
る た めの方法論
」 は、 その 関係 性 を含めて充 分にEJf
究
の対象
と な り得る もの で は ない か。釈
尊や祖 師の 教 え をい か に伝
える か ?宗派
は、 寺 院 は、 僧 侶は、何
を どの よう
に檀 信徒
に伝
えるの か ?教 化研
究
の原点
は こ こか ら始 まる。本宗
にお い ては、古
くは伝 道 と言わ れ、 現在
で は伝
道より
も教 化と称 され るの が現 状で ある。伝
道 と は何 か ?と言えば
、 「仏
に成
る道
を伝え広
める 。故
に仏の世界
を実感
し、 仏 と出会い 、 仏に成る こ とが究極
の前提
となる」 という
こ と だ ろう
。 で は、 仏の世界
と は何か ?仏の世 界 とは どこにあるの か ? と問わ れ た ら何 と答 える の か ? 「仏の世 界 は
自
坊 の ご本尊
さ まが 祀 ら れ てい る空 間その もの 」 で あろう
。 つ ま り伝 道の 意 味 を突 き詰め る と、 そ れ は仏に成 るこ との意味
(成 仏 論) が問わ れ る こと になる。 智 山勤行 式の普
回向文
は まさ しく
この こ とを我々 に問い か けてい る。成仏
す
る た め に何
が 必要
か ?我々 は
真言
僧侶
とな る際
に、教 相
・事相
・教 化 を身
に付
けて ゆ くわ けだが、 この3
つ の 関 係性
を次の よう
に考
えるこ とがで きる だろう
。教 相… …仏の教え を 正 し く理
解す
る→
仏
に成 る道
を広め る 。 そ のた め に は釈尊
と祖 師の教 え を正 し く学ぶ。事
相… …仏の教 え を実 感 ・体 現 する→
教相
を実 感 する た め観 法 ・法 要 ・儀 礼 な ど を実
践 し体現 ・継 承 する。教化
… …体 感
したこ とを表 現 する→
教 えの正 しい 理
解
と体
現に よっ て得 られる悉 地
を表現 し伝
える。 そ して、 こ の教相 ・事
相 ・教 化は真 言 僧 侶に とっ て最終
目的た る仏に成
るため 、 どれ も欠 くこ とがで きない もの で ある。普
回向文
に 「我
ら と衆生
と皆 共 に仏 道を成
ぜ ん こと を」 とあ
る よう
に、素
晴
ら しい 教え
を正 しく
理解
し、 理解
した こ と を 体感
し、身
に染
め た こ とを遍く
一切
に及
ぼす こと が、 その 目指す
ところ となる。 ゆえ
に表現 し
た こ とが伝
わる 、 つ まり
は表現
手法
の 実践 的展 開に よっ て相 手
に伝
わる こ とまで が教化
となる。伝道学
は仏に成
る道 とは何
か を衆 生に伝 え、 仏に成
る道
を共に歩
むこ とで ある。この 教 相 と事 相 と教 化の 関係性 は 、 ひ と り
真
言僧 侶の 内に おい てバ ラン ス を保 ち な が ら培われる こ とが望ま れ る。 教相
を学
び、事相
を修
し、 世 間に向
かっ て教 (79
)智 山学報第六十二 輯 化 を実
践す
る。 しか し、 こ の理想 型 をその ま ま実 現す
るこ とは な か な か難 しい 。寺
院の法灯
を受け継ぎ
檀 信徒 に応 える現 場で は 、理想
と現実
のギ ャ ッ プに誰 もが忸怩
た る 思 い を 山 ほ ど抱 えて しま う。 そ ん な焦燥 感
に塗れ た呪縛に苛 ま れ なが ら、 理想
を貫 くこ とが叶
わず
に現 実に時 間 を浪費す
るのが現場
で ある。 そん な現 場だ か らこそ、寺
院に おい て我 々 は ひ たす
ら檀
信徒
教 化 に打 ち込む他は ない の だと思う
。檀
信 徒 と接 する機
会 と時問
が多 け
れば多
い ほ ど、檀
信 徒の切 実な想 い が痛
い ほ ど伝
わっ て くる。 檀 信 徒 と共に寺
院で の教化活動
を充実
させ る。 そう
すれ ば 自ず
とい つ の間にか、事相
も教相
も身
に付
い て くるの で ある。 教 相 を学 び、事相
を修
する こ と が必 要 と次第
に感
じ取
る。 それ こそが真 言寺院の 空 間で行 わ れる本来
の 行事
で あ り教 化 活 動で ある。 檀 信 徒の ための 教化活動
は 、真
言 僧 侶自身
のポ テ ン シ ャ ル を引 き出 す結 果 を きっ と導
き出して くれ る。 こ の こ と は智 山ジ ャ ーナル の 巻 頭 言に同 じ よう
に述べ ら れて い る。2
.教化研
究
・伝 道 学の要 素一教 化 に お け る種
々 の構 造
真
言宗智 山派
にお ける教 化 研 究 および伝
道学
につ い て論
じる際に 「誰 を教 化す
るの か ?」 「何
を教 化す
るのか ?」 「どう教化 す
るの か ?」 という問題
に応え
る こ とが求め られる。 つ まり教化
の構 造
を どう明確
にす
る か で ある。 まずこの 構 造 を 認 識 し、 そ の構造
に最
も有効
な教 化
が行
わ れ るに は、 何 が 必 要 か を明 らかに して ゆ くこ とが求め ら れ る。 教 え を弘 め る た めの教化構
造の 考 察は 、教 化 研 究に欠か せ ない 要 素で ある。 そ れ を以下 に考
えてみ たい 。 a . 宗 団に お ける教 化の構 造既 成 教
団
たる真
言宗智
山派
が展
開す
る教化
は、 かつ て は宗
団が教 化 方 針 と施 策 を打 ち 出 し、 そ れ に よっ て現 場の寺
院が檀 信 徒 教 化 を行 うという
「理 想 と現実
の ギャ ッ プ」 を生み出す
もの であ
っ た。 こ の組織構
造は当たり
前の 組織 論
であ
る が 現状
に ほ とん ど即応
しなか っ た。 こう
した構
造下 で展
開さ れ た教化
運動 「つ く し あい 」が効
果的
に機 能
しない の は、 い ま顧 み れば当然の帰結
で ある。 「寺 院
と檀信徒
の 理想
を求
め るベ ク トル 」 に現場
が応
じ られ なか っ た 。 なぜ応 じ られ なか っ たの か ?そ れ は
事件
(現実)が現 場で起
こ っ てい るか らで ある。現
場で起 こる問題 に適 応 する教 化推 進 施 策を模 索 したの は各宗派
も同 じであ
る。宗勢調 査
に よっ て既 成 教 団の現 実、 つ ま り宗 団の あ りの ま まの姿
を顕 わに し よう
と した。 本 宗では、宗
勢 調 査に よ る デ ー タの蓄積
と、研究機
関が主導
した地方
教真雷宗智 山 派にお け る教化 研究 (伝道学)の現況とこれ か ら (片野) 紀 研 究会 開 催で
多
くの宗 内
の声
を集約 す
るこ とか ら 「つ くしあ
い 」 に変
わる新
し い 教 化推進施策
の策定
の環境
が備
わっ た。 そ して 、智
山教化
セ ン ター が企 画 した 教 化 推進施策
は 、宗
内議論
を経
て 、宗
派の教 化 推進施策
として平成
9
年
4
月か ら
宗 内
に悉知
さ れる運
び となっ た。こ の
施策
の教 化
線織構
造 は 「宗 団鮨 導 者)一教 区
(教 匿長)一 寺 院戯 職 ・教 師 ・寺庭 婦 人)一檀 信徒
」 で ある、、 一見 、 何の変 哲 もな
い構 造
だが ポ イン トは大 き く2
つ ある。 ひ とつ は 地域性
。 もう
一つ は経済
格 差 が もた らす寺
院の格差
であ
る。 い わ ゆ る地 域性
と経済 性
という
日本
社 会の構
造 その ものが本 宗に も当て は ま り、 よ り 深 刻 化 してい る。 それ を どうす
る か ?で ある。 つ ま り宗 内
で教化推 進
を有効かつ 現 実 的に行 うた めに は、 地 域性
と経済性
の格 差に対 応でき
る教化推 進施策
を講 じ なけれ ばな らない 。 この ための 役 割 を果たす鍵が 「教 区活動
の充実
」 で ある。宗
務庁
の 出先機 関
と しての性 質
か ら教 区管 内寺院の活性化
をフ ォ ロ ー し、 地 域 人材 の養成
・確 保
という宗派
の人材養
成の 一翼
を握
う
役詞
を教 区に期 す
るの が この 組織構 造
であ
る。寺院
の経済
基 盤が一層
脆弱
になる中、 個々 の寺
院が 笶行
で きない檀 信徒教化
を フ ォ ロ ー し、管 内住職
・教 師
そ して寺庭婦
人 会 ・布
教 師 会 ・青年会
が総力
を結 集 して寺
院の活 性 紀 を推
進 す る。 そ れ は そ の まま宗 派の教 化 推 進の み ならず 行 敢の 施策推 進
に もつ な が っ て ゆく
。 寺 院が元気
にな らなければ、宗 派
の発展
もあ り得 ない という当
た り前
の図式
を、宗
内に早
く悉 知 する ことが急務
となっ てい る。宗
団教化
は、教 区活動
の充 実
に より教 化推 進
が機能す る と
いう構 造
によっ て成 り
立 つ の であ
る。b
. 寺 院に お ける教化
の構造
宗 団
の教化構 造
の次
に、今 度
は寺 院
と檀 信徒
に よ る関係
性 を構 造 的に見
てみ よう
。 寺 院は ど ん な機 能
を有す
るの か、 厂寺
院 とは何 か ?」 と問わ れ れ ばそれ は 、 ご本尊
さ まを お麗 りす
る場所
であ り
、仏
の 世界
を顕 現す
る 空 胃 という
こ とにな る。 「無 上甚深 微妙
の法」 を ビジュ ア ル化
し た もの。 ご本尊
の 浄 土で あり
、 檀 信 徒が 死 んだ行 く先
… … と も雷 えるだ ろ う。嵜
院の 中核は ご本 尊
であ り、 仏の 教 え を正 し く理解
し、 ご本 尊へ の 信 仰 を弘め る役 割 をその寺 院
の住 職
が担
っ てい る。 そ し て、 その寺
院と縁 ある衆生
、 つ まり檀儒
徒
が寺 院
を訪
れ る という構 造
を再確認 す
るこ とが必要
である。つ ま
り
「ご本尊
住 職 ・
寺
族一檀 儒徒
」 という構 図
であ
る。 檀信
徒 が 祈る時 一 (8P
智山学報 第六十二輯 亡 き 人の冥
福
を祈る、 願 い が叶 うよう
に祈 る一 には、 檀 信 徒の篤い 想い を背に受け
なが ら、住 職
はご本尊
さま
と向 き合
い 、 ご本尊
さ まの威
力によっ て葬儀
で引導
を渡
し、追 善
回向
、 さ らに は祈 願 を成就させ る。 その 一.ts
で 、今度
は ご本 尊
さまを背
に して、 その教
え を檀信徒に向
かっ て分
かり
やす く伝
え弘め るの であ
る。住
職は ご本尊 さ まと檀儒徒
の ご縁
を結び、絆
を深め る媒介者
という
こ とに なる。 い ま、 ご本尊
と檀 信徒
を結びつ ける役 割
を我々 は どれ だ け意
識 し、実
践 してい る か ?本
尊
の存
在 意義
、本尊
に対す
る信 仰
をその 地域に伝
え広め よう
と し て心 を 砕い てい るか ?い ま無 縁
社会
と言わ れ る現 代 社 会 だか らこ そ、 ご本 尊の救済
を 地域の人々 に及ぼすこ と、 それ が公益性
とも結びつ い て くるの で あろう
。「以 我 功 徳 力
如 来 加 持 力
及 以 法
界
力普 供 養 而
住
」 の 意味
を、我々 は今
一度
こ の身深 く
に刻 むこ とが求め ら れて い る。 ご本尊
の威力
と檀 信徒
の救
い を求め る想
い 。 その橋渡
しをしてご縁
を結ぶ 。 だか ら そのた め に教
化が必 要 と な る。 こ こに提示 す
る教化構 造
のうち
、特
にこ の寺院
におけ
る教化構 造
に関す
る視 点
は、 これ か らの寺
院の存
在 価 値、存
立 基 盤 を左 右す
る こ とになる。 また、す
で に提 言
してい る菩提 寺
の 「ご本尊
へ の信仰 心 を確
立する 」 た めの年 中 行事
「本尊
まつり
講」 は、檀 信徒
と共
に ご本尊
の信仰
を育み、深
める契機
となる。 さ らに寺 院
に起 居 する住 職 ・教 緬は、 ご本 尊の ご縁 日で の本 尊 法の 修 法、 御 影 供や報 恩 講での 修法
も寺
院に お祀 り
さ れ る本尊
・両祖 大師
へ の報
恩 謝 徳、 寺 院にお ける信仰
をかた ち とす る もの で ある。毎朝
、法
衣 を纏っ て勤 行す
る こと も含
め 、 こう
し た誰
で もす ぐ
に で きる実 践が 、寺
院活性化
の第
一歩
と な る 。 c .家
の宗教
(仏 事 ・先祖供養 〉の構
造家
の宗教
はい ま、檀家
に確
か に息
づ い て い るの だろう
か ?先祖 崇拝
はも
はや寺檀 関係
の中
に成り
立 た なくな
っ て い るの か ?そ んな危惧を抱 きな が ら、 こ の
構 造
が寺檀 関係
の根 幹
となる こ とを検める必要
が ある。 「お 仏 壇 とは何
か ?」 と檀 信徒
に問
われ れば 「菩提寺
の中心
吶 陣)を凝縮したも
の 」 という
こ とに なる。 お仏壇 を通 じてB
常的
な祈 りを習
慣 化
さ せ 、一方
、菩提 等
の年
中行事で非
臼常
的 な祈
りに よ る宗教 的
感動
を培う
。 そ れ が寺檀
関係の基 盤であろう
。つ ま り、
檀家
で は毎
日、 お仏壇(ご本 尊と亡 き人 :ご先祖さま)に向 き合
い 、 一・日の無事
を祈 り、 一 日の無事
に感謝す
る。今
い の ち ある もの の願い を祈 り、今
は亡 き 人の 冥福を祈る。 家 庭 にお けるお 仏 壇は、 日本 人に とっ て 日常に祈 りを捧
げる聖 なる空間 と書 えるだ ろう
。 私たちは、H
常の 生活
を仏 さま、 ご先
樹 さまに見守
ら真言宗智山派における教 化 研究(伝 道学)の現 況とこれ か ら (片 野) れる こ とで 日常の行
為
を戒
めて きた。 生 活の 規 範は 、 お仏 壇の 中の 空 間に照 ら し 合わせ て きたの で ある。 「仏
さまが見
てい る」 「ご先 祖 さまに申
し訳ない 」 という
規 範 は、 現 代 社 会で は古 め か しく堅苦
しい 感覚
か もしれない 。 しか し、 お仏壇を拝
み 、 家の 中に亡 き人の魂
の存在
を折 に触
れて 感 じなが ら暮
らす
生活様 式
は、 こ れ までの 日本 人の モ ラル を か たちつ くっ て きた と言
えるの ではない だろう
か。日
常
に お い て は亡 き人(ご先 祖 さ ま)の魂
を感
じ、 仏 さ まの ご加護
を実感
する。 そ して、非
日常 には菩提寺
を参詣
して 、年 中行事
に よっ て四季折 々 に仏の世界
に身
を置 き、 願い が叶 う
よう
に祈
る。 また亡 き人の 仏事
(年 回 忌法要 など)を営
み 、追善回向
に よっ て現
世安穏
・後
生菩 提 を祈
る。 この よう
に 日常
と非
日常 に営 ま れ る習慣化
した仏事
に よっ て 、家
の宗
教は脈々 と伝 えられ日本 人の意 識 に根 付い て き た と考
え られ る。 こう
した構
造に よっ て家
の宗
教 は受 け継が れ たの だが、 もは や これ まで 通 りに はならない 状 況に陥
っ てい る。 そ して、 この 構 造の 崩壊は今後
も 加 速 度 的に進 み 、寺檀
関係はい ま や窮 地に追い 込 まれ てい る。寺 院
の誰 も
が それ に気づ きなが らも
、根
深い 問題の解 決
を先送 り
に した ま まに してい る。d
.寺 院
と檀信徒
の信仰 育成
の構 造
これ まで家の 宗教が 日本 人の モ ラル 、 生
活規 範
の根底
に根付
い て きた と述べ た が 、宗
教 意 識の希
薄 化、核 家族 化
に よ る家族形態
の変容
は、家
の宗
教 を引 き継
ぐ素
地 を根こそ ぎ絶やす現実 を生
み落 と して い る。家
の宗教
を復興
・維
持 しな けれ ば、菩提寺
の存立 基 盤 が危う
くな る こと は 明 明 白 白である。 寺 院は これか ら檀 信 徒の 宗 教 意 識(家の 宗教)をどうす
るの か ?檀 信 徒 に家の 宗 教 を積 極 的に指 導 教 育してゆ くの か ?
その他の
檀
信徒教化
を模索 す
るの か ?い ま、
寺
檀 関係は大
きな分 岐 点にある と言え
る し、寺
院が これ までの活動
で事
足れ る要
素は何もな
き
に等
しい だろう
。人口減 少 と少 子 高 齢 化 (=無縁墓 地の増加 )、
宗教
意
識の希 薄化
は寺檀 関係
を無
条 件 に弱体 化 さ せ る。 こう
した現況 にあっ て、 寺 院は何 をす れば檀信徒
との絆
をい ま一度
、強
めて ゆ くこ とがで きるのか ?一つ に は 仏
事
を檀家任
せ にす
るの で は な く、檀 家
に対
して常
に意 識 的 ・積 極 的に指導 す
る機 会
を創
る こ とが 求め られ る 。もう
一つ は檀 家
が菩提寺
を訪 れる機 会が多
くな る よう
に工夫
して働
きか ける こと である。 ど んな工夫
が考
えら れ るのか ?年
中行事
を新 し く始め る、 これ までの行
事
を活 性 化さ せ る。 ま た新
しい 教化行 事
や教 化 活 動に よっ て寺
門に檀 信徒
を招
き入
れ る機会
を創
る こ とも考えられ る。故
に本 宗
は 、教化年
次テ ーマ におい て強 (83
>智 山 学 報第六 十二輯 調 す る教
化活動
を提案
して い る。こ れ は、
半
世 紀前
に本 宗で推 進 さ れ たつ くしあい 運 動の際 に呼
び か け ら れ た 「家
の宗教
(信 仰 )か ら個の信 仰へ … …檀徒
か ら信 徒へ 」 を具 体 的に実 践す
る取 り
組み である。 そ の当時
よ り も寺院の置
か れ てい る状 況はず
っ と危 う
い 。 だか ら今
は 「家
の宗教
の復
興」 と 「個の信仰
を育
む教 化 行事
の展 開 」 の 双方
を、寺檀
関 係 を強 化 す る方策
としなけ
れ ば な らない 。もう
面倒
に思っ た り、 頭 か らあ
き ら め たり
、躊躇
してい る状 況 は過 ぎて い る。 理屈抜
きに取 り組 ま な けれ ば、寺
院の ご本尊
の 法 灯は きっ と絶
えて しまう
。宗教意識 を培
い 、 檀 徒の信仰
を育む機会を寺
院 が創 れ なけ
れば、 その将 来
は見る影 も ない 。 e . 菩 提 寺へ の信 仰 と浄
土(死 生)観
に よ る構 造檀 信 徒の 信 仰 を育 む。 その 信 仰 と は どの よ
う
な もの か ?仏
教
(釈尊)に対 する 信 仰 か、 祖師
である弘法大 師
空 海に対 する ものか。 そ れ も勿 論である が 、 こ こで はも
っ と現実 的な視 点 をもとに場 面 を想 定 する。 家の宗教
と最
も密接
な菩
提寺
に 対 する信仰
、 つ まり菩提寺
の ご本尊 さ まに対 す る信 仰で ある。 つ ま り寺檀
関係の 強 化 をは か る際
に最
も核
心 となる の は、 菩 提寺
の ご本尊
さま と檀
信徒
をい か に結 びつ けるか ?である。 お 墓 をお参 りす
る こ とはあっ て も 、 ご本 尊さ ま に は手
を 合 わ せ ない 、 お 参り
しない という風 景
が これ まで の真 言 宗寺
院で あ り、檀信徒
の ご本 尊
に対 す
る意識
は、信 徒寺 院
に比べ てか な り低い だろう
。寺檀関係の 強 化の最重 要 課題 は 、
檀信 徒
の意 識を菩提寺
の ご本 尊
へ い か に向
け る か ?本尊信仰
をい か に育
む かで ある。 この こ とを宗団挙 げて教 化推 進
の柱
とす
るこ とが 、 こ れ か らの寺
院の存 続に関 わるこ とに な る。檀
信 徒は菩
提 寺の ご本
尊
を心の より
どこ ろ と し、 支 えとする。 そのた め に檀 信 徒が い かに ご本尊
へ の信 心 を発 し、培 う
か ?檀
信 徒 の 信 仰 を育 成 す る に は どん な教 化 活動
が必 要か ?檀
信 徒 が ご本 尊へ の信
心 を深
め るには何
が で きる の か ? という
強い 意欲
を抱い て ひ とつ ひ とつ実践 す
れ ば、寺檀
関係の強 化は現 実 的 な もの へ とか たちを変
える こ と になる。真言 宗寺 院
の本堂内
は仏の 世界
を顕現
させ た もの であ
り、 ご本尊
さまの浄
土 を ビ ジュ ア ル化 した もの と も言
える。 そう
した意識 を我
々 が どれ く らい 日頃
か ら抱
き、檀
信 徒 に説い て い る だ ろう
か ?その土 地で最 も由緒 正 しい 聖 なる もの 。 そ の 地に
暮
らす人の よ りどこ ろ と な り、 暮ら しを支 えて きた存 在
、それ が菩提 寺
の ご本尊
さまであ
る。 そして、 檀 信 徒 が 死 を迎 えれ ば菩提 寺の住職
に引導を渡 され真言宗智山派に お ける教化研 究(伝 道 学 )の現 況 と こ れ か ら (片野) 仏 と成っ て行 く先である浄土 、 そ れを目の 当 た りにで きる空 間が ご本堂 で あ る。
真
言宗寺 院住職
が檀信徒
に引導
を渡 して迷
わず成仏
させ る。 だか ら、我
々 は 日々 の勤 行、 自行等
に よっ て ご本 尊の 威 力(パ ワ ー)を頂い て身
に染
め るの で ある 。菩
提 寺を持つ檀信
徒
は成仏す
るこ とがすで に約 束
さ れてい る。 死んだ後には、菩提
寺の あの本 堂の内陣
にある世界
、 ご本尊
の 浄土へ と渡
るの で ある。檀信徒誰
もの密厳 浄
土は、 その 地にゆか りの真
言寺院で 目 にす
る こ と がで き る。 こ の ご本尊
さま と檀 信 徒 を引 き合
わせ 、 ご縁
を結ぶ 。そ
の役
目を我
々 は担 っ てい る。 だか ら、 ご本尊
さ まの宝前
で発
心式
や継承 式
を執 行 して ご縁を結ぶ こ と を推
奨 して い る。密厳 浄
土(菩提寺 = 修行道場)で仏 を信
じ、仏 と出 会い 、 仏 と成 る。 こう
した観 点
か ら も、 檀 信徒に とっ て菩 提寺
の存在価値
を簡 潔に説 くこ とが住 職の 最 大の役割
と な るので ある。3
. 教 化研究 ・伝 道 学の範疇
一教 化
・伝道
を学ぶ た め に真言
宗寺
院は自らの 存 立 を支え
る檀
信徒
とい か に接 す
る か ?檀信徒
の 心にご本 尊
へ の信 仰
を抱 かせ るか ?その た め に、 い か に
檀 信徒
を寺 院に招 き入 れる か ?寺 院
がこれ か ら存
続 してゆ くには、 こう
した檀信徒教 化
の方法論
が 必要
と なる。 現場
の寺 院住
職の役 割
は、 これまで の発想
や慣 習
とは趣 を異とするだ ろ う。檀
信徒
と接 す
る現場
で様
々 な状 況 を想 定 した住 職
・教 師を養
成 する こ とが、 これ か らの教化
・伝 道 学に求め られて い る。 檀 信 徒が寺
院 を訪れ る機
会 を増やすた め の ノウハ ウ 、檀 信徒
と接 する ス キル をい か に身に付 ける か ?その た めの トレー ニ ン グ が教
化
に お け る教 師養 成の 課 題である。 こ れ を踏 まえた体系
的 な教 師養成
の教 育カ リキュ ラム が以下 の とおり
で ある。 教 化 概 論 教 化各論
「教 化 論一教化
とは何か ?」 「教 化構 造論
」 「仏教信 仰史
」 「現
代教化 史
」 「本尊 論
」 「輪廻
・業
論一 死 生観
」 「先祖供 養論
一家
の宗 教
・ 仏事
」 「葬 送儀礼
」 「宗
教体
験 論」 「寺
院活性 論
一年
中 ・教 化行事
」 「檀信徒 論
一檀信
徒 が 望む もの 」 「信 仰救 済論
一 檀 信徒 の 信 仰育 成
」 「情 報伝 達論
一表現
方 法」 「社 会 問 題」 「地域社
会貢献論
」 教化演 習1
一討 論 会 ・デ ィ ベ ー ト「人は死 んだ らどこへ 行 くか ?」 「信 じる
者
は救 われ る か ?」 (85
)智 山 学 報 第 六 十二 輯
「
戒名
は な ぜ必 要 か ?」 「魂 は存 在
するか ?」 「宗教
体験
」他
教化演
習1
一 グル ー プ (事例)研 究「葬 送儀 礼」 「寺 院年 中行
事
」 「仏事
」 「他 宗 派の教 化 」 等 教 化 演 習皿一 ロ ールプレ イ「
檀
信徒
相 談」 「発 心 (継承)式
」 「結縁 灌 頂
」 「葬 送 儀 礼 」等
教 化実習
1
教 化実習
1
教化
実 習皿 「法 話」 「文書伝 道
」 「御詠歌
」 「写経
・写仏
」 「巡礼
・遍 路 ・団参
」 「寺
小屋(青少 幼 年 教 化)」 「阿 字観実修
」 「本尊法修
法」 「作 法 集 」 「修行体験
」等
教 化研 究、
伝
道 学 は 、 これ まで 「い かに伝 える か ?」 「何
を伝
えるか ?」 が 主 題 という
よ り、 住 職 教 師が 主体で檀 信徒に何 をす
る か 、 その 方 法 ・技 術 論 に終 始
して きた。 また、 こ れ まで教 団の 教 義が い か に社 会
問題に コ ミッ トする か、 現 代社 会
にい か に関 わるか、宗教 学
や社 会 学 的視 点か ら論 じ られて きた。 しか し、 そう
した教化研
究
の手法
で は、 教化
の本 質論
に 至 るこ と は もう難しい 。教化
研 究の 本 来の 目的は 「い か に伝
えるか」 「何 を伝 えるか」 が主題で あっ た が 、 これ まで 対象
となる檀信徒
を主体
とす
る研 究的視 点
はな か なか確
立で きな か っ た。 ま た 、檀
信 徒の信 仰 をい かに育
むか、檀信徒
と共に宗教 的感 動 を得
る という仏
・本 尊
へ の信 仰 育 成 プロ グ ラム もこ れ までの教
化 研 究で は、 ほ と ん ど論
じら れ て い ない 。 しか し、 檀 信 徒の視 点 を強 く意 識 し なけれ ば 、教 化 研 究の本質
に行
きつ くこ と は困難である。 教 化は何 を どう伝
える か 、そしてそれ が伝 わ っ た か どう
か は、 その後の檀 信 徒の 信 仰 生 活、 その教
え を支
えと し拠 り所 と して きた か どう
か につ なが っ て ゆ く。ま た、
檀
信徒が胸の 奥 底 に秘め る不安
、 「人 は死んだ らどこへ 行 くか ?」 「信
じ る者
は救
わ れ るか ?」 という疑 問
に応 える術
を様
々 な観点か ら学び、檀信徒
の安
寧
に応え
るス キル を身
に付 け
るこ と。 これ まで の 日本 にお ける仏教 信仰の流れ、輪廻
・業や魂の存在
につ い て考
える機 会
を常 につ くるこ とが求め ら
れ るだろう
。 教理 と現 実の不 安 を、 い かに結
びつ ける か という感性 を養
う
こ とが何
よりも必 要
となっ て くる。 そ して 、これ か ら住職
・教 師に なる人材
の養 成
に は、檀 信徒
と共 に歩み信 仰 を育 む姿 勢が最 も大切で あ り、 それ を教化
・伝道
の根幹
として教 育 ・ 研 修 を積む こ とが、 これ か らの 住 職に求め ら れ る。 その ため の カリ キュ ラム を こ こに提案
した。単
に知
識 を学ぶだ けで な く、 ロ ー ル プレイ や意
見交換
、 グル ープ真言 宗 智 山 派にお ける教 化 研 究 (伝 道 学 )の現 況 と こ れ か ら (片野) 研
究
、実修
な ど寺院の 現 場で即 実 践が可 能 となるス キル を 身につ ける こ とに重 き を置い てい る。4
.本 宗
に お け る教
化の実際一現 在の教 化 推 進の実 体真言宗智
山派
に おけ
る教 化推進
の実 際
は、寺 院
の現場
で檀信徒
と教化活動
を実践で きる人材の養 成人材養成
、教 師
の ス キルア ッ プのた めの研修体 制
の拡充
教
化推進
ソ フ ト(テーマ ・実 践 理謝 の 構 築寺
院で活動
を実践で きる教化ア イテ ム の 整 備 の4
つ が柱
と な る。 こ の教化推
進 施策
は宗勢
(総合)調査の デ ー タ 及 び宗 内 諸 機関 の 見解
、 そ して各
教 区な どの 研修機会
で の参加
者
の声
を可 能な限 り反 映 して構 築 さ れて きた。 そ れ が以下 の真
言宗
智 山派の 教 化 推 進 施策
の 実 体、 全 容で ある。a
. ス ロ ーガン(テーマ )運動
の継続
昭 和
40
年
代に 日本 中に吹 き荒 れ た新 宗教の 教 化 運 動 は、 既 成 教団
に衝撃
的に外
圧 として及
び、既成
教 団
も教化運動の推
進 を余儀なく
さ れた。真 言宗智
山派に おい ても
「つく
しあい 理念
に基
づく教化
運動
の展
開」 に よ る教化推 進
が始 ま
っ た。 こ の時
の ス ロ ーガ ンが 「つ くしあ
い 」 であり
、 こ れ に連動
して教化
関係
の宗
派 出版物
に は 「生 きる力
」 の言葉
が冠さ れ た。 こう
し た教化
運動
の ス ロ ー ガ ン は 運動
形 骸 化の象
徴 と揶 揄 さ れ る こ と が長 く続 くの だ が 、真言
宗智
山派
で は平
成9
年度
よ り、 そ れ までの 教 化運動の 体 制につ い て徹 底 的な検証 を企て、 新 しい 教 化 推 進 施策
を構 築する に到っ た。 この 新 展 開に おい て、 何 よ りも まず教 化の ス ロ ー ガ ン を提示 する か どう
か諸
々 の検証
がなさ れ た が、最終的
には宗 内外
へ新
しい教化推
進施 策
に関す
る情 報発信
を行 う際に、寺 院
や檀 信徒
に分
かり
やす
い 目標
となるテ ーマ ない しはス ロ ー ガ ンがやはり必要
という認識
に至り
、教化
目標
「生 きるカ
ー安
らか なる心 を求 めて」 を提 案 した。 また、 こう
した 目標が形骸化す
る こ とを避 けるた め、 教 化 目標 を 「中長 期 的 (4
年間)目標」 と して、 その 下に具体
的な寺
院 の教 化 活 動の指 針 と なる4
年 間の 「教 化 年 次テ ーマ 」 を 以下の ように設 定 するこ とに した。1
年 次 「檀 信 徒が智 山 勤行式
を お 唱えす
る よう徹底
をは か ろう
[」2
年 次 「檀 信 徒 が 日常 的に礼 拝 する こと を奨 励 しよう 【」3
年 次
「檀信徒
と共に宗
教 的 感 動 を体 験 しよう
【 (87
)智 山 学 報 第 六 十二 輯
一
御詠歌
、写 経 ・写 仏、 巡礼 ・遍路 ・団参 」4
年次
「心に安
心 の感得
を 目指そう
1
一 阿 字観 、 発 心 式、 結 縁 灌頂
」教 化
目標
という
ス ロ ー ガ ン を大 き く掲 げ、 しか し、 その ス ロ ー ガ ンが色 あせ な い ため に具体 的
か つ実践可
能
な活動を年 次テ ーマ と して発 信 し 、 檀 信 徒 と宗
教 的感動
を共感する ス タイル を考 案 した。 こう
した教 化 活動
を檀信徒
と実
践す
る こ と で教 化
目標
が達成
でき
る道筋
を指 し示 したの である。b
.個
の信仰 育成
(自己実現)のた めの具 体 的 ・実践 的プ
ロ グラムこ の教 化 年 次テーマ の提 案は、 その まま寺院で檀 信 徒には た ら きか け、 共に
実
践でき
る もの を想 定
して い る。 「智山勤 行 式の 唱和の 徹 底」 と 「お仏 壇 の礼 拝の 奨 励」 は 、寺
院の檀 家が家の宗 教や仏事
を受
け継 ぐた めに欠か せ ない 営み で 、 お 仏壇
の荘 厳 ・礼 拝 を奨 励 し、各家
の 仏事
を根 付か せ るために最 低 限必 要 なこ とで ある。 これ まで は各檀
家 が、 「家の宗 教」 を 自 ら伝 えて きた わ けだ が、現
在の 社会状況
で は、 これ まで当
た り前
に伝 え
られ たも
の が、 い つ の 間に か喪
失さ れ、受
け継 がれな くな りつ つ ある。 その 原 因は様々 に考 えられ る だ ろう
。物理 的
に は居 住 空 間の劇 的変 化一家
の 中心にあっ た仏 壇 が 邪 魔になる現 況一や、 核 家 族 化一家の 宗 教の 伝 承の 困 難 さ一等
が 大 きな要 因 となろう
。 檀 家 任せ にした家
の宗
教 ・仏事
の伝
承を 、寺
院が積
極 的かつ懇
切 丁寧
に指導
する よう
に意
識を変
え
、 現 実に対 応 するこ と を呼
び かけた。家
の宗
教の 「復
興 と維 持
」 が こ の2
年
に 渡る教 化 年 次テーマ の 底 流に ある 意 図であ り、 これは これ か らの寺 院存 立の根 幹 を成 す もの で もある。家の 宗 教 と仏
事
は、 この現代
社 会 が これ まで の 家 族 形 態の崩壊
を容認す
る な ら ば、 共に連 動 して家の宗
教 も崩壊
の 道 を加
速度
的に進め るこ とに な る。 しか し、 こ の社 会は 「家 意 識」 の崩 壊 を簡 単 に受け容れ ら れる の だ ろ うか ?確か に見た 目には 「
家意識
」 の崩壊
は始 ま
っ てい る。完全
に崩
れ去
る かの ような勢
い で進展
してい る よう
に見 える。 だが、 果た して本 当に 「家
意 識」 は崩 壊 するの か ?同 じ よ
う
に墓参す
る人々 か ら は、 本 当に先 祖 崇 拝 意 識が抜 け落 ちてい る の か ?現
に 、 墓に対 する意 識 調 査 等、 デ ー タか らはそう読
み取
れる。 しか し、実際
に は潜
在 的に我 々 が綿
々 と受
け継
い で きた仏事
や先
祖崇拝
が 、 そう易
々 と現代
人の意識
下 か ら喪失
して しまう
とは未
だに信
じ られ ない 。 む しろ、現 代人 の ポテ ン シ ャ ル に宗
教 意識 は深
い 眠り
に陥っ た まま なの で は ない か と確信 的
理解
を未
だ に抱い て い る。真 言宗智山派に おける教化研 究 (伝 道学)の現況とこ れ か ら (片野)
家
の宗教 を復 興 し維 持
しな が ら、い ま寺
院が ダブル ス タ ン ダ ー ド と して もう
一 つ取 り組
む 必要
にさら さ れて い るの が 、個の 信 仰を育む活 動 を営 むこ とである。 寺 院 が檀 信 徒 教 化に取 り組 ま なけれ ば 、 自らの 存 続が おぼ つ か な くなる時 代 をす で に 迎 えて い る。 檀 家の家 族 一 人一人が菩提 寺
の年
中行事
や教 化行 事
(活動)に参
加 す るには何 をする か ?檀 信 徒 がお寺 を訪れ るには ど
う
したらい い か ?その 活動を ど
う
告知す
る か、檀
徒 一 人一 人の心
に信 仰
を育 ま
せ る こと を イメージ しな が ら寺
院 活 動を営
む時代
が到 来 してい る。個
の信 仰
を育むことが 所 詮、 理想
だ と考
える寺院住
職 も恐 ら く多
い だろう
。確
かに現 実
はそ れ ほど上 手 くい か ない 。 理想
を語 っ てい るだけ
で は生 きて行 けない 。 しか し、 「現
実に 目を向
けた ら、 そ ん な こ と は机 上の 空 論 だ」 と思 っ て し ま うな ら、 寺 院は単 なる風 景の 一部と な り、寺
院に存 在
感 を見 出す 檀 信 徒 は誰 もい な く なっ て しま う。 その発 想 が長い 歳 月の 中で積
み 上げ
ら れ 、今
日の 寺 院の 現 況 と檀 信 徒の 宗 教 意 識の 希 薄化を招い て きた。 その張 本人 は 我 々 自身なの である。個の 信 仰 を育 む手立 て は、 仏 教 にはい くつ も
培
わ れ てい る。 迷 える衆 生 を救 う方法論
は数
多
も編み 出さ れて 、 これ まで仏教の救済機能
として整
え られ て きた。 そ してその機
能は これ まで に充 分 すぎ
る効
果 を発揮 し実践
さ れ実証
されてい る。素 晴
ら しい 教 えが あ り、救済
の た めの実践 活動
(ノ ウハ ウ)を装備
して い るか らこ そ 、仏
教は今
日まで脈々 と息づ き、 人々 の 篤い 信仰
を集
めてい る。 そう
した機
能 があ
る こ と を知
らぬ ま ま、 その機 能を発揮
させ る能 力 を 身につ け なけれ ば、 実 践 的活動も理 想 という
机上 の空論
と化
して しまう
。 教化 年
次テ ーマ で提 案 する教 化活動
は どれ も皆、 苦し み、 迷 える 衆生 を癒 し、 生 きる力
を漲 らせ る もの である。 そ して寺
院の年
中行 事や教 化 活 動 を意 識 して活動す
れ ば、檀信徒
の信
仰 はい つ か 発 し、育
まれ 、深
まっ て ゆ く、 そ う した信 仰プロ グラ ム が 、 すで に自然 とか たち つ く られて きた。 だか ら仏教
は無上
甚
深微妙
の 法 なの であ
る。 c . 現 場 (寺 院 ・教会)で檀信徒
と接す る人 材 を養 成 する研修機会
こ
う
した仏教ない しは真
言宗
がずっ と培っ て きた機能
を認 識 し、 その機 能
を実
践向 き
に変換
した教化活動
を檀信徒に指
導
で きるス キル を身
につけ
る機会
は、 教 化推 進施策
の最大
の柱
となる。 つ ま り宗 団が行う
教 化の多
くは 、住
職 ・教 師 ・寺 庭 婦 人 などの ス キル ア ッ プ をは か る人的研鑽
の た めの研修機会
を多
く創 り
、更
に はそう
した研修機
会
の質
的向
上 をは か るプロ グ ラム を構 築 す るこ とで ある。この た め に、
真言宗智
山派 主 催の研修 機会
は この 十数年
に渡っ て 意 識 的 ・積極
(89
)智山 学 報 第 六 十二輯