• 検索結果がありません。

智山學報 第62 - 024片野 真省「真言宗智山派における教化研究(伝道学)の現況とこれから : 檀信徒と共に寺院を元気づける方法論」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "智山學報 第62 - 024片野 真省「真言宗智山派における教化研究(伝道学)の現況とこれから : 檀信徒と共に寺院を元気づける方法論」"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

宗智

研 究

伝道学

こ れ か

       

一檀 信 徒 と共に

院 を元

方法論

片 野  真 省

  は じ め に

 

天 才 画

の 名 を ほ しい ま まに した フ ィ ン セ ン ト・フ ァ ン ・ゴ ッ ホ。 しか し、 彼 自

が生 きてい

た画はたっ た

1

だ っ た と伝

られて い る 。 天才は究 して し ば ら く後 に、 その 称 号 を与 え られた こ と になる。 そ れは同 じよ

に天

才音

楽家

と誰 もが 認 め る ヴォ ル フ ガ ン デ ウス ・モ ー ツ アル トもそ

うだ

。 およそ

30

年前

に上映 されたア カ デ ミー

賞作

品 「アマ デ ウス 」 で

か れ る主

人公

の モー ツアル トは、

らの

才能が 評

されない

しみ と孤 独 に苛 まれ、

失意

ちに

交響 曲

レ ク ム 」

書 き

なが ら

を迎 える。

 

ゴ ッ ホ が

銃に よっ て 自殺 をはか り、

2

に死 を迎 えたの は

1890

7

月 末 の こ とである。 その

に描い た 「カ ラス の 群れ飛ぶ

畑」 はゴ ッ ホ

絶筆

の 作 品 と も伝 え られ てい る。 ゴ ッホ は弟の テ オ にあて た書 簡で こ の作 品の こ とをこう記 し てい る。 「僕は思い 切っ て

しみ や

極度

の孤 独 を

表現 し

と した。」 そ して

評論

の 小

秀 雄は ゴ ッ ホ の こ の

品に

撃 を

け 「これは

で はない 。

してい る とい

り寧

破壊

。」 と語 っ てい る。

 

ゴ ッ ホ もモ ー ッアル トも天賦の 才 をか た ちに

して逝っ た。 その

の評価 を 自 らは

る ことな

この

るこ とになる。 しか しなが ら、

らの

した もの は その

後永 く

数知

れぬ

多 く

の 人々 の 心 を

射抜 き

、 魅 了 した。

ら れ る もの と、 時 を

っ と

っ と語 り

が れ る もの 。 人の心 を突 き動か し、 支 え とな るもの、 そ

した

本物

に巡

り合

える な ら、 その 人に とっ て その 出会い は

っ とか けが えの ない もの とな るだろ

 

い ま我 々 が生 きて い る こ の

社 会に は、 圧 倒 釣な量の

情報

が垂 れ 流 さ れ、 人々 は その

き込 まれて

疲弊

っ て い る かの よ

る。

自分

し た必

情報

か も

か らぬ ま ま、 その

翻弄

さ れ、

らの立 ち

位置

か らな

自分

姿

かめ られ ない

まま リ

ア リテ ィ を

喪失

して い る。

自分

に とっ て

え となるの か、 か

が えの

い もの が

らない ま

、・

無為

77

(2)

智掬学報 第 しい

情報

もで きない あ りさまで ある。

  時

れる

で 、

本 当

の心 を

突 き動

本 物

で も、

られ ない ま

ま名 もな

ままに星 屑の よ

えて い くもの

も数多あ

るだろ

い だ され れ ばゴ ッ ホやモ … ツ アル の よ

にその

名 も作 品 も

真 実 を飛

び越

て まで語 り

が れる。 そ して、 な か な か 出会い 難 き本 物 に出会 えるな ら、 人々 は

突 き動

か さ れ感

、 そ して心 揺 さぶ られ る刹 那に、 リア ル な 自

を実

感す

るこ とに なる。 だ か らこそ本物が 目の蘭にある な ら、 そ れ を知 鞍得 る者は本 物 を広 く伝 え る使

っ て い る と言え る か も

れ ない 。 リア リテ ィ を

つ こ とが

しい こ の現

報 化 社 会だか らこそ、 自分の支 えとな りかけが えの ない もの を見つ ける のが至

である

だか らこそ、 良い もの を伝 え 弘め るこ とが 我々僧 侶 に も求 め られ て い る。

 

つ ま り、 仏の

えが

素晴

ら しい もの だと実

し てい れ ば、 自然 と伝 えずには い られ ない 。 垂 れ 流 される

情報

の 激 流 を突 き抜 けて 、

衆生

に届 けと願わ

にはい ら れ ない 。 さ らに書 え ば、 寺 院の ご本 尊の その ほとんど は、 その

間かか っ て覦 られて きた聖 なる存 在である。 長い 歴 史の 中で その 地 の人々 が

い を

め、

え として きた

祈 り

対象

で ある。 良い モ ノ、 本

だ か らこ そ長い

月に

っ て 、

もそ こに

存 在

してい る。 類 まれ なる素 晴 ら しい 存 在が こ こにある こ と を

れ去 ら れ る ことな

く伝

えるの は 、

々 の

使命

である。 なぜ 、 教

を行

の か ?

 

その 問い か け

え が こ こに ある。

本鯰

は教

況 と将 来に向 けて の 教 化の あ り方 を、

院 と

の 関係

の 中 か ら

っ て み たい 。 また

者が これ まで に

道 学 や 教

に関わ る教

研修 機 会

で 培っ て きた こ と をこ こ に

書留

め る こ とで 、

宗智

山派の

教 化研 究推進

の一助にな れば

い で

る。

 

1

教化

とは

か ?一

を伝える の か ?ど う伝 えるの か ?

 

教化

と は

か ?

う問

い か

教 化

の概 念

規 定

につ い ては、

すで に

な機

に述べ て きたの で こ こで

こ とは避

。 シ ン プルに

せ ば 「釈 尊 や 根 師 え (に成る遡 を広

社 会一般 ・檀 信 徒 に流布 す る (伝 わ る)。」 とい

こ とになる。 ま た

伝道 学

教化学

教化研 究

も教

伝 道関 す研 究 ・ 学 問 とい こ とにな る。 しか し、

教化

が研

問の

対 象

に な るの か どうか、 こ の 議 論は本

にお い てほ とん ど

起 しない の が現 状で ある。 だが、 宗 派が教 化 鑑 進 を行政の一つ の

と して、

具体

的に

推進施

を策定 ・

展 開

してい る以上 は、 そ

(3)

真言宗智山派に お ける教化研 究(伝 道 学)の現 況 とこ れ か ら 片 野

進 施

の 効 果 を検 証 し、 新た な

施 策

を策定するための 研 究は不 可 欠で ある。 同

に 「

える側」 と 「伝 え られる対

」 さら に は 「

えられ る

内容

」 と 「

伝 え

る た めの

方法論

」 は、 その 関係 性 を含めて充 分に

EJf

対象

と な り得る もの で は ない か。

尊や祖 師の 教 え をい か に

える か ?

 

宗派

は、 寺 院 は、 僧 侶は、

を どの よ

檀 信徒

えるの か ?

 

教 化研

の原

は こ こか ら始 まる。

 

本宗

にお い ては、

くは伝 道 と言わ れ、 現

で は

道よ

も教 化と称 され るの が現 状で ある。

道 と は何 か ?と言

えば

、 「

を伝え

める 。

に仏の

世界

実感

し、 仏 と出会い 、 仏に成る こ とが

究極

前提

となる」 とい

こ と だ ろ

。 で は、 仏の世

と は何か ?

 

仏の世 界 とは どこにあるの か ? と問わ れ た ら何 と答 える の か ? 「世 界

の ご

さ まが 祀 ら れ てい る空 間その もの 」 で あろ

。 つ ま り伝 道の 意 味 を突 き詰め る と、 そ れ は仏に成 るこ との

意味

(成 仏 論) が問わ れ る こと になる。 智 山勤行 式の

向文

は まさ し

この こ とを我々 に問い か けてい る。

 

成仏

る た め に

が 必

か ?

 

我々 は

真言

僧侶

とな る

に、

教 相

事相

教 化

けて ゆ くわ けだが、 この

3

つ の 関 係

を次の よ

えるこ とがで きる だろ

   

教 相… …仏の教え を 正 し く理

解す

     

 仏

に成 る

を広め る 。 そ のた め に は

釈尊

と祖 師の教 え を正 し く学ぶ。

   事

相… …仏の教 え を実 感 ・体 現 する

    

 

教相

を実 感 する た め観 法 ・法 要 ・儀 礼 な ど を

践 し体現 ・継 承 する

   教化

… …

体 感

したこ とを表 現 する

    

 

教 え正 し

現に よ て得 られる

悉 地

を表現 し

える そ して、 こ の教相 ・

相 ・教 化真 言 僧 侶に と

目的た る

、 どれ も欠 くこ とがで きない の で ある。

向文

に 「

ら と

衆生

と皆 共 に仏 道を

ぜ ん こと を」 と

る よ

に、

ら しい 教

を正 し

し、 理

した こ と を 体

し、

め た こ とを遍

ぼす こと が、 その 目

指す

ところ となる。 ゆ

表現 し

た こ とが

わる 、 つ ま

表現

の 実践 的展 開に よっ て

相 手

わる こ とまで が教

となる。

伝道学

は仏に

る道 とは

か を衆 生に伝 え、 仏に

を共に

むこ とで ある。

 

この 教 相 と事 相 と教 化の 関係性 は 、 ひ と り

言僧 侶の 内に おい てバ ン ス を保 ち な が ら培われる こ とが望ま れ る。 教

び、

事相

し、 世 間に

かっ て教 (

79

(4)

智 山学報第六十二 化 を実

践す

る。 しか し、 こ の理想 型 をその ま ま実 現

るこ とは な か な か難 しい

院の

法灯

を受け継

檀 信徒 に応 える現 場で は 、理

と現

のギ ャ ッ プに誰 もが

忸怩

た る 思 い を 山 ほ ど抱 えて しま う。 そ ん な焦

燥 感

に塗れ た呪縛に苛 ま れ なが ら、 理

を貫 くこ とが

に現 実に時 間 を浪

費す

るのが現

で ある。 そん な現 場だ か らこそ、

院に おい て我 々 は ひ た

教 化 に打 ち込む他は ない の だと思

信 徒 と接 する

会 と

時問

多 け

れば

い ほ ど、

信 徒の切 実な想 い が

い ほ ど

わっ て くる。 檀 信 徒 と共に

院で の

教化活動

充実

させ る。 そ

すれ ば 自

とい つ の間にか、

事相

も教

い て くるの で ある。 教 相 を学 び、

事相

する こ と が必 要 と次

る。 それ こそが真 言寺院の 空 間で行 わ れる

本来

の 行

で あ り教 化 活 動で ある。 檀 信 徒の ための 教

化活動

は 、

言 僧 侶

自身

のポ テ ン シ ャ ル を引 き出 す結 果 を きっ と

き出して くれ る。 こ の こ と は智 山ジ ャ ーナル の 巻 頭 言に同 じ よ

に述べ ら れ い る。

 

2

教化研

・伝 道 学の要 素一教 化 に お け る

々 の

構 造

 

宗智 山派

にお ける教 化 研 究 および

につ い て

じる際に 「誰 を教 化

るの か ?」 「

教 化す

るのか ?」 「ど

う教化 す

るの か ?」 とい

う問題

こ とが求め られる。 つ ま

り教化

構 造

を ど

う明確

る か で ある。 まずこの 構 造 を 認 識 し、 そ の

構造

有効

教 化

わ れ るに は、 何 が 必 要 か を明 らかに して ゆ くこ とが求め ら れ る。 教 え を弘 め る た めの教化

造の 考 察は 、教 化 研 究に欠か せ ない 要 素で ある。 そ れ を以下 に

えてみ たい 。 a . 宗 団に お ける教 化の構 造

 

既 成 教

たる

宗智

教化

は、 かつ て は

団が教 化 方 針 と施 策 を打 ち 出 し、 そ れ に よっ て現 場の

院が檀 信 徒 教 化 を行 うとい

「理 想 と

現実

の ギャ ッ プ」 を生み出

もの で

っ た。 こ の

組織構

造は当た

前の 組

織 論

る が 現

に ほ とん ど即

しなか っ た。 こ

した

造下 で

開さ れ た

教化

運動 「つ く し あい

機 能

しない の は、 い ま顧 み れば当然の

帰結

で ある。 「

寺 院

と檀

信徒

の 理

め るベ ク トル 」

じ られ 。 なぜ応 じ られ なか っ たの か ?

 

そ れ は

事件

(現実)が現 場で

こ っ てい るか らで ある。

 

場で起 こる問題 に適 応 する教 化推 進 施 策を模 索 したの は

各宗派

も同 じで

る。

宗勢調 査

に よっ て既 成 教 団の現 実、 つ ま り宗 団の あ りの ま まの

姿

を顕 わに し よ

と した。 本 宗では、

勢 調 査に よ る デ ー

蓄積

究機

(5)

真雷智 山 派にお け る教化 研究 (伝道学)の現況とこれ か ら 片野 紀 研 究会 開 催で

くの

宗 内

を集

約 す

るこ とか ら 「つ

」 に

わる

し い 教 化推

進施策

策定

の環

わっ た。 そ して 、

山教

セ ン ター が企 画 した 教 化 推

進施策

は 、

議論

て 、

派の教 化 推

進施策

として

平成

9

4

月か ら

宗 内

悉知

さ れる

び となっ た。

 

こ の

施策

教 化

織構

造 は 「宗 団鮨 導 者)一

教 区

(教 匿長)一 寺 院戯 職 ・教 師 ・寺庭 婦 人)一

檀 信徒

」 で ある、、 一 、 何の

変 哲 もな

構 造

だが ポ イン トは大 き く

2

つ ある。 ひ とつ は 地域

。 も

格 差 が もた らす

院の

格差

る。 い わ ゆ る地 域

と経

済 性

とい

社 会の

造 その ものが本 宗に も当て は ま り、 よ り 深 刻 化 してい る。 それ を ど

うす

る か ?で ある。 つ ま り

宗 内

教化推 進

を有効かつ 現 実 的に行 うた めに は、 地 域

経済性

の格 差に対 応で

る教

化推 進施策

を講 じ なけれ ばな らない 。 この ための 役 割 を果たす鍵が 「

教 区活動

充実

」 で ある。

務庁

の 出

先機 関

と しての

性 質

か ら教 区管 内寺院の

活性化

をフ ォ ロ ー 、 地 域 人材 の

養成

確 保

とい

う宗派

の人材

成の 一

役詞

を教 区に

期 す

るの が この

織構 造

る。

 

寺院

経済

基 盤が一

になる中、 個々 の

院が 笶

で きない

檀 信徒教化

を フ ォ ロ ー

管 内住職

教 師

そ して

寺庭婦

人 会 ・

教 師 会 ・青

年会

総力

を結 集 して

院の活 性 紀 を

進 す る。 そ れ は そ の まま宗 派の教 化 推 進の み ならず 行 敢の 施

策推 進

に もつ な が っ て ゆ

。 寺 院が元

にな らなければ、

宗 派

発展

もあ り得 ない とい

う当

た り

の図

を、

内に

く悉 知 する ことが

急務

となっ てい る。

教化

は、

教 区活動

充 実

に よ

り教 化推 進

が機

能す る と

う構 造

によっ て

成 り

立 つ の で

る。

b

. 寺 院に お ける

教化

構造

 

宗 団

教化構 造

に、

今 度

寺 院

檀 信徒

に よ る

関係

性 を構 造 的に

てみ よ

。 寺 院は ど ん な

機 能

有す

るの か、 厂

院 とは何 か ?」 と問わ れ れ ばそれ は 、 ご

本尊

さ まを お麗 り

場所

あ り

の 世

を顕 現

る 空 胃 とい

こ とにな る。 「無 上甚深 微

を ビュ ア ル

し た もの。 ご

本尊

の 浄 土で あ

、 檀 信 徒が 死 んだ行

… … と も雷 えるだ ろ う。

院の 中核は ご

本 尊

であ り、 仏の 教 え を正 し く理

し、 ご本 尊へ の 信 仰 を弘め る役 割 をその

寺 院

住 職

っ てい る。 そ し て、 その

院と縁 ある衆

、 つ ま

り檀儒

寺 院

れ る とい

う構 造

再確認 す

るこ とが必

である。

 

つ ま

「ご

本尊

 

住 職 ・

族一

檀 儒徒

とい

う構 図

る。 檀

徒 が 祈る時 一 (

8P

(6)

智山学報 第二輯 亡 き 人の冥

を祈る、 願 い が叶 うよ

に祈 る一 には、 檀 信 徒の篤い 想い を背に受

なが ら、

住 職

はご

本尊

向 き合

い 、 ご本

さ まの

力によっ て

葬儀

引導

を渡

し、

追 善

、 さ らに は祈 願 を成就させ る。 その 一.

ts

今度

は ご

本 尊

さま

を背

に して、 その

え を檀信徒に

かっ て

す く伝

え弘め るの で

る。

職は ご本尊 さ まと檀

儒徒

の ご

を結び、

を深め る

媒介者

とい

こ とに なる。 い ま、 ご本

と檀 信

を結びつ ける

役 割

を我々 は どれ だ け

識 し、

践 してい る か ?

 

在 意

本尊

対す

信 仰

をその 地域に

え広め よ

と し て心 を 砕い てい るか ?

 

い ま無 縁

社会

と言わ れ る現 代 社 会 だか らこ そ、 ご本 尊の救

を 地域の人々 に及ぼすこ と、 それ が公

益性

とも結びつ い て くるの で あろ

 

以 我 功 徳 力

 

如 来 加 持 力

 

及 以 法

 

普 供 養 而

、我々 は

こ の

身深 く

に刻 むこ とが求め ら れて い る。 ご

本尊

威力

檀 信徒

い を求め る

い 。 その

橋渡

しをしてご

を結ぶ 。 だか ら そのた め に

化が必 要 と な る。 こ こに

提示 す

教化構 造

うち

にこ の

寺院

にお

教化構 造

関す

視 点

は、 これ か らの

在 価 値

立 基 盤 を左 右

る こ とになる。 また、

で に

提 言

してい る

菩提 寺

の 「ご本

信仰 心 を確

立する 」 た め年 中 行

「本

まつ

講」 は、

檀 信徒

に ご本

信仰

を育み、

める契

となる。 さ らに

寺 院

に起 居 する住 職 ・教 緬は、 ご本 尊の ご縁 日で の本 尊 法の 修 法、 御 影 供や報 恩 講での 修

院に お

祀 り

さ れ る

本尊

・両祖 大

へ の

恩 謝 徳、 寺 院にお ける信

をかた ち とす る もの で ある。

毎朝

衣 を纏っ て

勤 行す

る こと も

め 、 こ

し た

で も

す ぐ

に で きる実 践が 、

活性化

と な る 。 c .

宗教

(仏 事 ・先祖供養 〉の

  家

宗教

い ま、

檀家

か に

づ い て い るの だろ

か ?

  先祖 崇拝

はや

寺檀 関係

に成

立 た な

くな

っ て い るの か ?

 

そ んな危惧を抱 きな が ら、 こ の

構 造

寺檀 関係

根 幹

となる こ とを検める必

が ある。 「お 仏 壇 とは

か ?」 と

檀 信徒

われ れば 「

菩提寺

中心

吶 陣)を凝縮

の 」

こ とに なる。 お仏壇 を通 じて

B

常的

祈 りを習

慣 化

さ せ 、一

菩提 等

中行事で

的 な

りに よ る

宗教 的

感動

を培

。 そ れ が

寺檀

関係の基 盤であろ

 

つ ま り、

檀家

で は

日、 お仏壇(ご本 尊と亡 き人 :ご先祖さま)に

向 き合

い 、 一・

無事

を祈 り、 一 日の

無事

感謝す

る。

い の ち ある もの の願い を祈 り、

は亡 き 人の 冥福を祈る。 家 庭 にお けるお 仏 壇は、 日本 人に とっ て 日常に祈 りを

げる聖 なる空間 と書 えるだ ろ

。 私たちは、

H

常の 生

を仏 さま、 ご

樹 さまに

見守

(7)

真言宗智山におる教 化 研究(伝 道学)の現 況とこれ か ら (片 野) れる こ とで 日常の行

めて きた。 生 活の 規 範は 、 お仏 壇の 中の 空 間に照 ら し 合わせ て きたの で ある。 「

さまが

てい る」 「ご先 祖 さまに

し訳ない 」 とい

規 範 は、 現 代 社 会で は古 め か しく堅

しい 感

か もしれない 。 しか し、 お仏壇を

み 、 家の 中に亡 き人の

存在

を折 に

れて 感 じなが ら

活様 式

は、 こ れ までの 日本 人の モ ラル を か たちつ っ て きた と

えるの ではない だろ

か。

 

に お い て は亡 き人(ご先 祖 さ ま)の

じ、 仏 さ まの ご加

を実

する。 そ して、

日常 には菩提

参詣

して 、

年 中行事

に よっ て四季折 々 に仏の世

を置 き、 願い が

叶 う

る。 また亡 き人の 仏

(年 回 忌法要 など)を

み 、追

善回向

に よっ て

安穏

生菩 提 を

る。 この よ

に 日

日常 に営 ま れ る

習慣化

した仏

に よっ て 、

教は脈々 と伝 えられ日本 人の意 識 に根 付い て き た と

え られ る。 こ

した

造に よっ て

教 は受 け継が れ たの だが、 もは や これ まで 通 りに はならない 状 況

っ てい る。 そ して、 この 構 造の 崩壊は

今後

も 加 速 度 的に進 み 、

寺檀

関係はい ま や窮 地に追い 込 まれ てい る。

寺 院

誰 も

が それ に気づ きなが ら

深い 問題の

解 決

先送 り

に した ま まに してい る。

d

寺 院

と檀

信徒

の信

仰 育成

構 造

 

これ まで家の 宗教が 日本 人の モ ラル 、 生

活規 範

根底

根付

い て きた と述べ た が 、

教 意 識の

薄 化

核 家族 化

に よ る

家族形態

変容

は、

教 を引 き

地 を根こそ ぎ絶や

す現実 を生

み落 と して い る。

宗教

復興

持 しな けれ ば、

菩提寺

の存立 基 盤 が危

くな る こと は 明 明 白 白である。 寺 院は これか ら檀 信 徒の 宗 教 意 識(家の 宗教)をど

うす

るの か ?

 

檀 信 徒 に家の 宗 教 を積 極 的に指 導 教 育してゆ くの か ?

 

その他の

徒教化

模索 す

るの か ?

 

檀 関係

きな分 岐 点にある と言

る し、

院が これ までの

活動

足れ る

素は何

もな

しい

 

人口減 少 と少 子 高 齢 化 (=無縁墓 地の増加 )、

宗教

識の

希 薄化

寺檀 関係

条 件 に弱体 化 さ せ る。 こ

した現況 にあっ て、 寺 院は何 をす れば

檀信徒

との

をい ま一

めて ゆ くこ とがで きるのか ?

 

に は

檀家任

せ に

るの で は な く、

檀 家

して

に意 識 的 ・積 極 的

指導 す

機 会

が 求め られ

もう

一つ

檀 家

菩提寺

を訪 れ機 会が

くな る よ

きか ける こと である。 ど んな工

えら れ るのか ?

 

中行

を新 し く始め る、 これ までの

を活 性 化さ せ る。 ま た

しい 教

化行 事

や教 化 活 動に よっ て

門に檀 信

き入

れ る

機会

る こ とも考えられ る。

本 宗

は 、教

化年

次テ ー

83

(8)

智 山 学 報第六 十二 調 す る教

化活動

を提

して い る。

 

こ れ は、

世 紀

に本 宗で推 進 さ れ たつ くしあい 運 動の際 に

び か け ら れ た 「

宗教

信 仰 ) ら個信 仰 … …

檀徒

か ら信 徒 」 を具 体 的に実 践

取 り

組み である。 そ の

当時

よ り も寺院の

か れ てい る状 況は

っ と

危 う

い 。 だか ら

は 「

宗教

信仰

教 化 行

展 開 」 の

寺檀

関 係 を強 化 す る

方策

としな

れ ば な らない 。

もう

に思っ た り、 頭 か ら

き ら め た

躊躇

してい る状 況 は過 ぎて い る。 理屈

きに取 り組 ま な けれ ば、

院の ご本

の 法 灯は きっ と

えて しま

宗教意識 を培

い 、 檀 徒の

信仰

を育む機会を

院 が創 れ な

れば、 その

将 来

は見る影 も ない 。 e . 菩 提 寺へ の信 仰 と

土(死 生)

に よ る構 造

 

檀 信 徒の 信 仰 を育 む。 その 信 仰 と は どの よ

な もの か ?

 

(釈尊)に対 する 信 仰 か、 祖

である

弘法大 師

空 海に対 する ものか。 そ れ も勿 論である が 、 こ こで は

っ と現実 的な視 点 をもとに場 面 を想 定 する。 家の

宗教

密接

に 対 する

信仰

、 つ ま

り菩提寺

の ご本尊 さ まに対 す る信 仰で ある。 つ ま り

寺檀

関係の 強 化 をは か る

心 となる の は、 菩 提

の ご本

さま と

をい か に結 びつ ?で お 墓 を

参 りす

る こ 、 ご本 尊さ ま に は

を 合 わ せ ない お 参

い とい

う風 景

が これ まで の真 言 宗

院で あ り、

檀信徒

の ご

本 尊

対 す

意識

は、

信 徒寺 院

に比べ てか な り低い だろ

 

寺檀関係の 強 化の最重 要 課題 は 、

檀信 徒

の意 識を

菩提寺

の ご

本 尊

へ い か に

る か ?

 

本尊信仰

をい か に

む かで ある。 この こ とを宗団挙 げて

教 化推 進

るこ とが 、 こ れ か らの

院の存 続に関 わるこ とに な る。

信 徒は

提 寺の ご

を心の よ

どこ ろ と し、 支 えとする。 そのた め に檀 信 徒が い かに ご本

へ の信 心 を発 し、

培 う

か ?

 

信 徒 の 信 仰 を育 成 す る に は どん な教 化 活

が必 要か ?

信 徒 が ご本 尊へ

心 を

め る

る の ? と

を抱 ひ とつ ひ と

実践 す

寺檀

関係強 化現 実 的 な も へ とか た

と になる。

 

真言 宗寺 院

の本

堂内

は仏の

を顕

させ た もの で

り、 ご本

さまの

土 を ビ ジュ ア ル化 した もの と も

える。 そ

した

意識 を我

々 が どれ く らい 日

か ら

き、

信 徒 に説い て い る だ ろ

か ?

 

その土 地で最 も由緒 正 しい 聖 な の 。 そ の 地に

らす人の よ りどこ ろ と な り、 暮ら しを支 えて きた

存 在

、それ が

菩提 寺

の ご

本尊

さまで

る。 そして、 檀 信 徒 が 死 を迎 えれ ば菩提 寺の

住職

に引導を渡 され

(9)

真言宗智山派に お ける教化研 究(伝 道 学 )の現 況 と こ れ か ら (片野 仏 と成っ て行 く先である浄土 、 そ れを目の 当 た りにで きる空 間が ご本堂 で あ る。

宗寺 院住職

檀信徒

に引

を渡 して

ず成仏

させ る。 だか ら、

々 は 日々 の勤 行、 自行

に よっ て ご本 尊の 威 力(パ ワ ー)を

め る

提 寺を持つ

檀信

は成仏

るこ とがすで に

約 束

さ れてい る。 死んだ後には、

菩提

寺の あの本 堂の

内陣

にある世

、 ご本

の 浄土へ と

るの で ある。

 

檀信徒誰

もの

密厳 浄

土は、 その 地にゆか りの

言寺院で 目 に

る こ と がで き る。 こ の ご

本尊

さま と檀 信 徒 を引 き

わせ 、 ご

を結ぶ 。

目を

々 は担 っ てい る。 だか ら、 ご本

さ まの

宝前

継承 式

を執 行 して ご縁を結ぶ こ と を

奨 して い る。

密厳 浄

土(菩提寺 = 修行道場)で仏 を

じ、仏 と出 会い 、 仏 と成 る。 こ

した

観 点

か ら も、 檀 信徒に とっ て菩 提

存在価値

を簡 潔に説 くこ とが住 職の 最 大の

役割

と な るので ある。

 

3

. 教 化研究 ・伝 道 学の範

教 化

伝道

を学ぶ た め に

 

真言

宗寺

院は自らの 存 立 を支

とい か に

接 す

る か ?

 

檀信徒

にご

本 尊

信 仰

を抱

 

その た め に、 い か に

檀 信徒

を寺 院に招 き入 れる か ?

 

寺 院

がこれ か ら

続 してゆ くには、 こ

した

檀信徒教 化

方法論

が 必

と なる。 現

寺 院住

職の

役 割

は、 これまで の

発想

慣 習

とは趣 を異とするだ ろ う。

接 す

る現

な状 況 を想 定 した

住 職

教 師を養

成 する こ とが、 これ か らの教

・伝 道 学に求め られて い る。 檀 信 徒が

院 を訪れ る

会 を増やすた め の ノウハ ウ 、

檀 信徒

と接 する ス キル をい か に身に付 ける か ?

 

その た めの トレー ニ ン グ が教

に お け る教 師養 成の 課 題である。 こ れ を踏 まえた

体系

的 な教 師

養成

の教 育カ リキュ ラム が以下 の とお

で ある。 教 化 概 論 教 化

各論

教 化 論

か ?」 「教 化

構 造論

」 「

仏教信 仰史

」 「

代教化 史

」 「

本尊 論

」 「

輪廻

死 生

」 「

先祖供 養論

宗 教

・ 仏

」 「

葬 送儀礼

」 「

験 論」 「

活性 論

中 ・教 化

行事

」 「

檀信徒 論

檀信

徒 が 望む もの 」 「信 仰

救 済論

一 檀 信徒 の 信 仰

育 成

」 「

情 報伝 達論

表現

方 法」 「社 会 問 題」 「地域

貢献論

」 教化演 習

1

一討 論 会 ・デ ィ ベ ー ト

       

行 く ?」 じる

救 われ る か ?

85

(10)

智 山 学 報 第 六 十二

      

戒名

は な ぜ必 要 か 」 「

存 在

?」

宗教

体験

化演

1

一 グル ー プ (事例)研 究

      

葬 送儀 礼寺 院年 中行

」 「

」 「他 宗 派教 化 」 等 教 化 演 習皿一 ロ ー

      

相 談」 「発 心 継承)

」 「

結縁 灌 頂

」 「葬 送 儀 礼

教 化実習

1

教 化実習

1

教化

実 習皿 「法 話」 「

文書伝 道

御詠歌

巡礼

遍 路

少 幼 年 教 化)」 「阿 字

観実修

本尊法修

」 「作 法 集 」 「

修行体験

 

教 化研 究、

道 学 は 、 これ まで 「い かに伝 える か ?」 「

えるか ?」 が 主 題 とい

、 住 職 教 師が 主体で檀 信徒に何 を

る か 、 その 方 法 ・技 術 論 に

終 始

して きた。 また、 こ れ まで教 団の 教 義が い か に

社 会

問題に コ ミッ トする か 現 代

社 会

にい か に関 わるか、

宗教 学

や社 会 学 的視 点か ら論 じ られて きた。 しか し、 そ

した

教化研

手法

で は、 教

本 質論

に 至 るこ と は もう難しい 。

 

教化

研 究の 本 来の 目的は 「い

」 「 伝 え が 、 これ まで 対

となる

檀信徒

を主

研 究的視 点

はな か なか

立で きな か っ た。 ま た 、

信 徒の信 仰 をい かに

むか、

檀信徒

と共に

宗教 的感 動 を得

る とい

う仏

本 尊

へ の信 仰 育 成 プロ グ ラム もこ れ までの

化 研 究で は、 ほ と ん ど

じら れ て い ない 。 しか し、 檀 信 徒の視 点 を強 く意 識 し なけれ ば 、教 化 研 究の本

きつ こ と は困難である。 教 化は何 を ど

う伝

える か 、そしてそれ が伝 わ っ た か ど

か は、 その後の檀 信 徒の 信 仰 生 活、 その

え を

えと し拠 り所 と して きた か ど

か につ が っ て ゆ く。

 

ま た、

信徒が胸の 奥 底 に秘め る不

、 「人 は死んだ らどこへ 行 くか ?」 「

じ る

わ れ るか ?」 とい

う疑 問

応 え

な観点か ら学び、

檀信徒

に応

るス キル を

付 け

るこ と。 これ まで の 日本 にお ける仏教 信仰の流れ、

輪廻

・業や魂の

存在

につ い て

える

機 会

を常 につ くるこ とが

求め ら

れ るだろ

。 教理 と現 実の不 安 を、 い かに

びつ ける か とい

う感性 を養

こ とが

りも必 要

となっ て くる。 そ して 、これ か ら

住職

・教 師に なる人

養 成

に は

檀 信徒

と共 に歩み信 仰 を育 む姿 勢が最 も大切で あ り、 それ を教

伝道

根幹

教 育 ・ 研 修 を積む こ とが、 これ か らの 住 職に求め ら れ る。 その ため の カリ キュ ラム を こ こに

提案

した。

識 を学ぶだ けで な く、 ロ ー イ や

交換

、 グル ー

(11)

真言 宗 智 山 派にお ける教 化 研 究 (伝 道 学 )の現 況 と こ れ か ら (片野) 研

実修

な ど寺院の 現 場で即 実 践が可 能 となるス キル を 身につ る こ とに重 き を置い てい る。

 

4

本 宗

に お け る

化の実際一現 在の教 化 推 進の実 体

  真言宗智

に お

教 化推進

実 際

      寺 院

現場

檀信徒

教化活動

を実践で きる人材の養 成

      人材養成

教 師

の ス キルア ッ プのた めの

研修体 制

拡充

     

化推進

ソ フ ト(テーマ ・実 践 理構 築

      寺

院で

活動

を実践で きる教化ア イテ ム の 整 備

4

つ が

と な る。 こ の教化

進 施

宗勢

(総合)調査の デ ー タ 及 び宗 内 諸 機

、 そ して

教 区な どの 研

修機会

で の

参加

を可 能な限 り反 映 して構 築 さ れて きた。 そ れ が以下 の

智 山派の 教 化 推 進 施

の 実 体、 全 容で ある。

a

. ス ロ ーン(テーマ )運

継続

 

昭 和

40

代に 日本 中に吹 き荒 れ た新 宗教の 教 化 運 動 は、 既 成 教

に衝

的に

圧 として

び、

既成

教 団

も教化運動の

進 を余儀な

さ れた。

真 言宗智

山派に おい て

「つ

しあい

く教化

開」 に よ る

教化推 進

始 ま

っ た。 こ の

の ス ロ ーガ ンが 「つ

であ

、 こ れ に連

して教

派 出

版物

に は 「

さ れ た。 こ

し た教

の ス ロ ー は 運

形 骸 化の

徴 と揶 揄 さ れ る こ と が長 く続 くの だ が 、

真言

宗智

で は

9

年度

よ り、 そ れ までの 教 化運動の 体 制につ い て徹 底 的な検証 を企て、 新 しい 教 化 推 進 施

を構 築する に到っ た。 この 新 展 開に おい て、 何 よ りも まず教 化の ス ロ ー ガ ン を提示 する か ど

々 の

検証

がなさ れ た が、

最終的

には

宗 内外

しい

教化推

進施 策

に関

情 報発信

を行 う際に、

寺 院

檀 信徒

い 目

となるテ ー ー ガ

り必要

う認識

教化

「生 きる

らか なる心 を求 めて」 を提 案 した。 また、 こ

した 目標が

形骸化す

る こ とを避 けるた め、 教 化 目標 を 「中長 期 的 (

4

年間)目標」 と して、 その 下に具

的な

院 の教 化 活 動の指 針 と なる

4

年 間の 「教 化 年 次 ーマ を 以下の ように設 定 するこ とに した。

    

1

年 次 「檀 信 徒智 山 勤

行式

を お

えす

る よ

う徹底

は か

     

2

年 次 「檀 信 徒 が 常 的礼 拝 する こと を奨 励 しよう 【」

   

3

年 次

檀信徒

と共に

教 的 感 動 を体 験 しよ

【 (

87

(12)

智 山 学 報 第 六 十二

                   

御詠歌

、写 経 ・写 仏、 巡礼 ・遍路団参

   

4

年次

感得

目指

1

阿 字観 、 発 心 式、 結 縁 灌

  教 化

とい

ス ロ ー ガ ン を大 き く掲 げ、 しか し、 その ス ロ ー 色 あせ なめ に

具体 的

か つ

実践可

な活動を年 次 と し発 信 し 、 檀 信 徒 と

教 的

感動

を共感する ス タイル を考 案 した。 こ

した教 化 活

檀信徒

る こ と で

教 化

達成

道筋

を指 し示 したの である。

b

信仰 育成

(自己実現)のた めの具 体 的 ・実践 的

ロ グラム

 

こ の教 化 年 次テーマ の提 案は、 その まま寺院で檀 信 徒には た ら きか け、 共に

践で

る もの を

想 定

して い る。 「智山勤 行 式の 唱和の 徹 底」 と 「お仏 壇 の礼 拝の 奨 励」 は 、

院の檀 家が家の宗 教や仏

け継 ぐた めに欠か せ ない み で 、 お 仏

の荘 厳 ・礼 拝 を奨 励 し、

各家

の 仏

を根 付か せ るために最 低 限必 要 なこ とで ある。 これ まで は

各檀

家 が、 「家の宗 教」 を 自 ら伝 えて きた わ けだ が、

在の 社

会状況

で は、 これ まで

た り

伝 え

られ た

の が、 い つ の 間に か

失さ れ、

け継 がれな くな りつ つ る。 その 原 因は様々 に考 えられ る だ ろ

  物理 的

に は居 住 空 間の劇 的変 化一

の 中心にあっ た仏 壇 が 邪 魔になる現 況一や、 核 家 族 化一家の 宗 教の 伝 承の 困 難 さ一

が 大 きな要 因 となろ

。 檀 家 任せ にした

教 ・仏

承を 、

院が

極 的かつ

切 丁

指導

する よ

識を

、 現 実に対 応 するこ と を

び かけた。

教の 「

興 と

維 持

」 が こ の

2

に 渡る教 化 年 次テーマ の 底 流に ある 意 図であ り、 これは これ か らの寺 院存 立の根 幹 を成 す もの で もある。

 

家の 宗 教 と仏

は、 この

現代

社 会 が これ まで の 家 族 形 態の

崩壊

容認す

る な ら ば、 共に連 動 して家の

教 も

崩壊

の 道 を

的に進め るこ とに な る。 しか し、 こ の社 会は 「家 意 識」 の崩 壊 を簡 単 に受け容れ ら れる の だ ろ うか ?

 

確か に見た 目には 「

家意識

崩壊

始 ま

っ てい る。

完全

る かの よ

うな勢

い で

進展

してい る よ

に見 える。 だが、 果た して本 当に 「

意 識」 は崩 壊 するの か ?

 

同 じ よ

に墓

参す

る人々 か ら は、 本 当に先 祖 崇 拝 意 識が抜 け落 ちてい る の か ?

 

に 、 墓に対 する意 識 調 査 等、 デ ー か ら

う読

れる。 しか し、

実際

に は

在 的に我 々 が

綿

々 と

い で きた仏

崇拝

が 、 そ

う易

々 と現

人の

意識

下 か ら

喪失

して しま

とは

だに

じ られ ない 。 む しろ、現 代人 の ポテ ン シ ャ ル に

教 意識 は

い 眠

に陥っ た まま なの で は ない か と

確信 的

だ に抱い て い

(13)

真 言宗智山派に おける教化研 究 伝 道学)の現況とこ れ か ら (片野)

 

宗教 を復 興 し維 持

しな が ら、い ま

院が ダブル ス タ ン ダ ー ド と して も

一 つ

取 り組

む 必

さら さ れ い るの が 、個の 信 仰を育む活 動 を営 むこ である。 寺 院 が檀 信 徒 教 化に取 り組 ま なけれ ば 、 自らの 存 続が おぼ つ か な くなる時 代 をす で に 迎 えて い る。 檀 家の家 族 一 人一人が

菩提 寺

行事

や教 化

行 事

(活動)に

加 す るには何 をする か ?

 

檀 信 徒 がお寺 を訪れ るには ど

したらい い か ?

 

その 活動を ど

知す

る か、

徒 一

信 仰

育 ま

せ る と を イジ しな が ら

院 活 動を

時代

が到 来 してい る。

 

信 仰

を育むことが 所 詮、 理

だ と

える

寺院住

職 も恐 ら く

い だろ

かに

現 実

はそ れ ほど上 手 くい か ない 。 理

を語 っ てい るだ

で は生 きて行 けない 。 しか し、 「

実に 目を

けた ら、 そ ん な こ と は机 上の 空 論 だ」 と思 っ て し ま うな ら、 寺 院は単 なる風 景の 一と な

存 在

感 を見 出す 檀 信 徒 誰 もな く なっ て しま う。 その発 想 が長い 歳 月の 中で

み 上

ら れ 、

日の 寺 院の 現 況 と檀 信 徒の 宗 教 意 識希 薄化を招い て きた。 その張 本人 は 我 々 自身なの である。

 

個の 信 仰 を育 む手立 て は、 仏 教 にはい くつ も

わ れ てい る。 迷 える衆 生 を救 う

方法論

も編み 出さ れて 、 これ まで仏教の

救済機能

として

え られ て きた。 そ してその

能は これ まで に充 分 す

果 を発揮 し

実践

さ れ

実証

されてい

素 晴

ら しい 教 えが あ り

救済

の た めの

実践 活動

(ノ ウハ ウ)を装

して い るか らこ そ 、

教は

日まで脈々 と息づ 、 人々 の 篤い 信

めてい る。 そ

した

能 が

る こ と を

らぬ ま ま、 その機 能を発

させ る能 力 を 身につ け なけれ ば、 実 践 的活動も理 想 とい

上 の空

して しま

。 教

化 年

次テ ー 提 案 す教 化

活動

は どれ も皆、 苦し み、 迷 える 衆生 を癒 し、 生 きる

を漲 らせ る もの である。 そ して

院の

中行 事や教 化 活 動 を意 識 して

活動す

れ ば、

檀信徒

仰 はい つ か 発 し、

まれ 、

まっ て ゆ く、 そ う した信 仰プロ グラ ム が 、 すで に自然 とか たち つ く られて きた。 だか ら仏

無上

深微

の 法 なの で

る。 c . 現 場 (寺 院 ・教会)で檀

信徒

と接す る人 材 を養 成 する研

修機会

 

した仏教ない しは

がずっ と培っ て きた機

を認 識 し、 その

機 能

向 き

変換

した

教化活動

を檀信徒に

で きるス キル を

につ

機会

教 化

推 進施策

最大

となる。 つ ま り宗 団が行

教 化の

くは 、

職 ・教 師 庭 婦 人 などの ス キル ア ッ プ をは か る人

的研鑽

の た めの研

修機会

く創 り

に はそ

した研

修機

上 をは か るプロ グ ラム を構 築 す るこ とで ある。

 

この た め に、

真言宗智

山派 主 催の研

修 機会

は この 十

数年

に渡っ て 意 識 的 ・

積極

89

(14)

智山 学 報 第 六 十二

拡 充

をは かっ て きた。 その 主 な もの を

挙 げ

れば以下の とお

る。

    

教 師 総 合 研 修 会、 智 山伝

院講 座、阿 字

観指導者 養 成 講座

    

青 少 幼 年 教 化 指導 者 養 成 講 座、寺子 屋交流

   

寺庭婦

人 講 習 会、 寺庭 婦 人 入 門

習会、

寺院 子 弟 講 習 会

   

教 化活動 実 践

セ ミナー、 愛

宕薬 師

フォ ー ラ ム

   

信 徒 研 修 会、 別 院

真福寺 阿字観会

写経

写仏智積

院大 会

    

その他 (※

25

年度より住 職主管者講習会 ・布教 師 養 成 所 が 加 わる予定 )

 

これ らの

研修機 会

は、

住職

教 師対 象

の 、

寺庭

人対 象の もの、

寺庭婦

人 も

参加可

の、

檀 信徒対象

の もの とそ れ ぞ れ が有機 的に

連 関

っ てい る。 特 に近

は 、

寺庭婦

人 や

信 徒 も共 に宗 教 的 感

を得 られ る研

修機会

を提 供 す る 傾 向と な りつ つ ある信 徒 が

研 修 会檀 信 徒 対

加 した

職 ・教

檀 信徒

直接

践 的に

指導

で きる機 会と位 置 付け 開 か れ てい 。 住 職 ・教 師 ・寺庭婦人 ・

檀信 徒

が共に研 修で きるオー プ ン な機 会 を模

す る こ とで、 檀

徒 教

を、

っ て

実感

し な が ら、 互 い に学べ る利 点 を生か そ

とい

う試

 

また

研修

、 つ ま

り研修

プロ グ ラム の

充実 も

した研

機 会に欠か せ ない 。

述 した

教化研究

教 育

カ リキ ュ ラム をベ ース と して 、 更に内

の み な ら

、 研

修形式 も様

々 な手法を取 り入 れるこ とが 求 め られてい る。

寺 院

が 檀 信 徒 教 化 を実践 す る 場 面 を想 定 し た

事例研 究

や ロ ール プ レイ、

意 見交換

やデ ィ ベ ー ル ー プ

発表

な ど

参加 者

を持 っ て研 修で き、 ス キル を高め られ る

機 会

が ウエ ー

め る こ とになる。 檀 信 徒 教 化 に は 「教 え を正 し

く学

ぶ 」 「

し た と を

感す

る 」 実 感 し た を 表現 してわ る

教 相 ・

相 ・教

の リン ク が 欠 か せ ない 。 だ か らこそ、 教 化 研 修の テ ー

るだろ

し、 現

・現

に即 したテ ーマ 設 定 が 求め られる。 こ

した

研修機会

の 拡

宗 団

立 と

団教 化の生

命線

で ある。 何 故 なら、 研

修機会

の 拡 充は人

養成

最 も効果

期待

で きる もの で あ る し、 そ れ が

宗祖

弘法 大師

の 「

は人 に よっ て

まる のお 言

を体 現 する もの に

な らない か らで

d

寺院

活性化

(元気に)させ る地 域 研 究会 (教区教化研究会〉

 

宗派

が研

修機会

を さ ま

ざま

に拡

充す

る こと は、 そこで

実施

される研

修機 会

の内 容、研

プ ロ グラ ム の質 的 向上 につ が る。 そ れ と同時に 、

宗派

主催の研 修 機 会 の

充実

は勿

で ある が、 現 実 的に宗 派 が 開催

研修機 会

宗 内住

職 ・教 師 ・寺

参照

関連したドキュメント

第四章では、APNP による OATP2B1 発現抑制における、高分子の関与を示す事を目 的とした。APNP による OATP2B1 発現抑制は OATP2B1 遺伝子の 3’UTR

だけでなく, 「家賃だけでなくいろいろな面 に気をつけることが大切」など「生活全体を 考えて住居を選ぶ」ということに気づいた生

 英語の関学の伝統を継承するのが「子どもと英 語」です。初等教育における英語教育に対応でき

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった

レーネンは続ける。オランダにおける沢山の反対論はその宗教的確信に

EC における電気通信規制の法と政策(‑!‑...

﹁地方議会における請願権﹂と題するこの分野では非常に数の少ない貴重な論文を執筆された吉田善明教授の御教示

夜真っ暗な中、電気をつけて夜遅くまで かけて片付けた。その時思ったのが、全 体的にボランティアの数がこの震災の規