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日本佛教學協會年報 第9号(全)

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1

中世の蹄併と図家意識:・

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ー宗組御往生地の研究

1

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慈雲章者の理融経講義の党支に就て・:・:・:・応

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子守 (

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︵ 一 号 同 ︶ ;好 ︵ 八 八 ︶ 夫 ( 豆L ) 注 目 h H 日 二 五 九 ﹂

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一 角 、、ー〆

小乗教の各種の形態:::::

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六 五

昭 和 』十 度 雑

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必 殺 事 協 合 々

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弟 教 主要 協 合 々 員 名

簿

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(7)

長宗亭に於げる悌性の問題

ノ広、 ’f T

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説 悌 性 の 問 越 生 め ぐ り て . 種 白 川 と 性 宗 と が 、 な が い 聞 論 戦 守 つ ゾ け て 、 悌 救 々 壊 同 介 信 一 臓 は し に こ と は 、 あ ま り に 有名な事貫である。この問題が斯くまでに主要枕されたのは、買に悌教の日的とする、捕時迷開悟

ω

問 松 本 問 題 に 直 接閥係な有するからであるが、漸究論戦がつけ当けられるうちに、何百か三采家と一平楽家の、面目問題ででもある かのやういなって来たけれども、一苅来左様な戯論ではなく、悌道修行者の死活問題で、まことに昆剣な問題であ ヲQ O 同具宗に於ては、更らじ別な立場から.この問題が重要視されると思ふ。 衆主に成傍の性が、本有か本無かの問題であるのであるが、 といふのはも悌性問題とは皐寛、我等 一 一 来 設 と し て 島 宗 の 立 場 で は 、 本 有 で な け ね ば な ら ぬやうに考へられるけれども、絶封他力教としての立場では、本無とするのが常然であるやうにも想はれる。そ こで之れは、宗義上の悶えとでもいったやうな、封内的の問題であって、種宗’ H 一 性 宗 と の 聞 に お け る が 如 き 、 針 外問題ではないのである。従ってこの問題、必めぐって、本有本無の考察、か、すでに呉宗壊の初期時代から試みら I 国 艮 宗 皐 に 於 げ ろ 仰 性 の 問 題

(8)

日本体数皐協 A W 報 ︵ 第 九 年 ︶ 2 れて居るのである。けれどもこれはも種宗と性宗との如品 d .根本的に教系そ異にする、印ち思想的の立場の相異 から来る問題ではなく、本有本無の艶方が、共に性宗としての立場において、他力救漕の意義を極成せんとする ものであるといふ貼以.おのづから通塗

ω

悌性論と、趣を異にして居るのである o ではあるが、異宗に於ける仰 性問題も、他方救慣の原理に関するも

ω

であって、かの通塗の悌性問題が、韓迷開悟の棋本問題であるのと、同 じ意味に於て重要性を有してそるのである。か諮る重要性そ有して在るに拘ら守,この問題、か割合に曲学者の闘心 冶惹かないゃうであるのは、如何なる理由によるであしらうか、おそらく弐の加ま理由によるのではなからうか。 ︵一︶本無は勿論,にとへ本有そ談じても、救漕の全力は悌謹に在りと断予るのが、異宗の建て前であるから‘本 有本無は賓際の信仰上には、関係が極めて稀薄であると考へられるからであらう。︵二︶叉本有を談守る側にも、 本無読の長所がよく分り,本無そ談中る側にも.本有設の長所がよく分って、一一来教で同時に救漕教である、異 宗 の 立 場 よ り 見 れ ば 、

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こまでも白設を固執せねばならぬやうな理自のないことも、論議を白熱化せしめざる理 ︵ イ ︶ 由と考へられる。率先華汲の行照か、白波の健統設である本無説に侃って居 h り 乍 ら 、 雨 説 に お の / \ h 十難を指摘せ るが如きは、雨読互ひに長所あることを反謹せるもので、か

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考へ方が、白設への粘若力冶著しく阻害するも のであることは勿論である.会一﹀しかのみなら歩、本有設の論操となってそる、普通の法性異如観についても、 性宗の遁談に比すれば、極めて消極的であって、本有を談じっ?も、本無と相距ること

ω

、あまの遠からざる程 度であるといふことも、雨誌の論鋒をして犀利ならしめざる理由に数へることができゃう。これらのほかにも、 いろノ\理由があるではあらうが、この偽性論は、柑めて市︵要な問題である割合に、同県宗に於ては、油の乗らぬ 問 題 で あ る 。

(9)

しかし私がかく

ω

如き問題在、こ込に提け・米つに理山はや後に結論において述ぷるであらうが.従来曇宗壊に 於て、あまり出’認な捕はれて居らなかったやうに忠はれる‘山市組の拝壊思想といふことぞ‘こ

ω

問題に関連して 者へてみたいとおもふからである。蓋し仰性問題は‘皐立本質問題そ重黙とするのであるが、謂ゆる仰性の本質 ふ ベ 衆 生

ω

本有とする時は、法性異如の普遍性において、之そ認むるのであって、ニミに問題は常然、宇惜の本 陪

ω

問題に、展開し来るのである。またにとへ悌性の本無ゆ必力説するにしても‘ 一乗教としての旦京では‘浦陀 性の並円一過性、必.如何なる形式においてか、認めなければならないのである、この場合、その普遍的な噸陀性の本 質 を 、 法 性 同 県 知 ム 一 閥 係 、 、 つ け て 、 考 察 し な け れ ば な ら ぬ こ と も 常 然 で あ っ て . ニ ミ に 亦 た 問 題 は 、 宇 宙 の 本 躍 に む かつて展開するのである。そうしてみると、悌性問題といふ純宗教問題か、展開して行く常然の師結として‘宇 宙

ω

本 酷 問 題 に 到 達 し 、 本 樫 と は 何 ぞ や と い ふ 、 持 康 上 の 問 題 と な り 、 国 呉 宗 の 哲 車 十 、 結 局 宗 祖 の 折 什 関 学 思 想 時 、 如 何なるものであるかを、尋究しなければならぬことになる。而して宗組の本酷観が、如何なる思想睦系に属する ものであるか、といふことぞ窺ひ知ることが出来たならば、品川にこの悌性問題に局らす、国奥宗皐に於ける、他の 多くの重要問題の考察にむかつても、大ぎな示唆が輿へられるであらうとおもはる込のである。そこで私の目指 すところは.この仰性問題を契機として、宗組の哲撃に於けるも本睦の問題に鯖れてみたいとおもふのである。 而して宗祖のそれは、同時に昆宗撃としてのそれでなければならないからである。一たいこの問題にかぎら歩. 凡そ莫宗事の全躍としての根本理念は、如何なる問題の取扱においても、宗組の鼻立は果して如何であらうか、 といふことに蹄納して、取扱はるべきであって‘それそ外にしては、如何なる名論卓設なりと雄も、足宗の串と して、許容することができないのである。か λ る 根 本 理 念 に 持 つ 一 て . 人 ー の 品 川 件 問 題 を 取 扱 っ て 行 け ば 、 結 局 上 述 3 由 民 宗 単 に 於 げ る 例 性 の 問 題

(10)

日 本 刷 開 設 皐 協 合 年 報 ︵ 第 九 年 ︶ 巨H 4 のやうなところまで、突き謹んで行かねばならぬ。

初期異宗皐の備性論概観

真宗壌の偽性論の背景

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は 、 通 迭 の 悌 性 論 が あ っ て 、 国 呉 京 事

ω

悌性論以、そ山延長もしくは韓国と、見られる やうなこともないではない。故に初めに遁議悌性論的全貌な略述す, Q ことも事もとより無斐ではないのであるが 八ーその暇がないロ父子がこと vい述べんとする﹁且宗壌に於ける﹂といふ官立以、昆宗末徒閉じ、宗一義的皐的討究 が辿って来た、徳川の初期以後ぞ指す

ω

であって、それ以前卸ち宗組守中心として、宗組以前

ω

七組に湖り、宗 祖以後の且宗歴代に及惜し、その間に於てニ的問題が、如何に取扱体れて居ったかといふ、謂ゆる﹁真宗悌性論 的沿革﹂の如きも、もとより考察必要することであるが、これまた叙法

ω

暇がない。叉この問題に闘して汲生す る 呉 山 市 埠 一 上

ω

ノ 諸 問 題 F た と へ ば 機 般 論 、 府 持 論 、 一 止 国 論 等 に も 論 及 し 、 山 城 は 種 々 の 聖 歌 に あ ら は れ た ら 文 献 上 一

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矛盾衝突

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舎通ケ試みゐことないとも.決して無安ではないのであるが、これまたそ

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暇がない。た Y 悌性論中

ω

中 心 東 川 交 の 問 題 と し て

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、本質問題

ω

みに限定せざるを得ないこと守、あらかじめ断っておく。 出来且宗

ω

聖歌上にあらはれたる文献では、仰性

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本質

ι

閲して.二つ

ω

考へ方があったやうにおもはれる。 卸ちそ

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一 は 通 塗

ω

それぞ、そ

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ま三依用せられたやうにおもはると考ヘカである。他

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一は諾は通塗じとりで あ る が 、 そ こ に 凶 奥 山 不 調 特

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立義を、見出さんとすり

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やうな考へ方である。而しでか

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二つの考へ方は、宗組を はて時代を却し‘京組以前が第一一

ω

考 へ 方 で ‘ 山 市 組 以 後 が 第 二

ω

考へ方であったや

7

におもはれる。かくの知念 思想瞳系が、八ーから辿べゐであらうとニろ

ω

.徳川時代以後

ω

京 曲 学 者 間 じ も あ ら は れ て を る 。

(11)

ま つ 初 期 国 奥 山 市 草 者 の 壁 一 堂 と い ふ べ き 、 本 祇 の 知 水 十 九 享 保 一 一 J 間 以 ︶ と 大 波 の 芸 宰 ︵ 享 制 作 六 間 以 ︶ の 仰 性 論 ケ み ゐ に 、 い づ れ ︵ ロ ﹀ も 通 建 一 的 解 稗 な 依 別 し て 、 未 に 一 歩 も 山 川 て 肘 な い ゃ う で あ ァ

ω

。知率は安楽集錨聞に、一切衆生悉有仰竹山主我々解 く に 、 十 地 粧 や 宗 鏡 録 そ 引 き 、 特 に 後 者 に よ っ て 、 如 来 諸 問 ︵ 隠 ︶ ム ー 一 一 出 身 ︵ 問 問 ︶ と 以 、 隠 期 間

ω

別に名けにも

ω

で、隠れ たる如来戒が内川となり、値仰といふ外報によりて‘法身奇嬬現するも

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でも成仰以こ

ω

川 内 縁 具 足 の 結 果 で あ る ︵ ハ ︶ L r し ・ 叉 妙 山 梨 大 師 ル 認 な 引 い て 、 国 民 如

ω

内 薫 力 に よ り て 、 悟 川 市 や 生 − 唱 ザ ザ り も

ω

な り L 一 し て 民 る 。 華 山 公 は 濯 搾 集 叢 林 記に、安楽集引文中

ω

一切衆虫悉有仰性必解して‘仰性は門業であり、値仰は外絡である、内外酌凶織なり L 一 簡 車 に い っ て 民 ゐ 貼 以 、 A t く知宰の錨聞と同訟であゐと見てよろしい。主主の後ル︸求けて、第二代の講師山守しばら ︵ 二 ︶ く 勤 め た 闘 澄 ︵ 字 削 作 二 放 し

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、 交 類 の 備 の 一 如 法 非 同 県 身 問 問 的 支 v M 1 解 い て 、 一 ’ 加 は 昆 瑚 平 等 の 相 で あ っ て . 法 制 介 も 亦大昆理の栴である‘国奥身とは且宜の身障‘この能読の身障がも所設の理に契ふたのな、極難聖衆の身酷とする といふてやるが、これ亦法性平等の理在日て、仰性の臨し﹂すゐ見解である。 常時にありて

ι

、日も穏健汲主見らるべき、目辛子ん人々でさへ、かく

ω

通 わ で あ つ に か ら 、 初 期 異 山 市 皐 界 で 、 日 れ も 著 名 な 法 論 ,

ω

ち づ 水 ・ 憾 の 間 航 い や 常 事 者 ’ と し て の b 同吟︵寛文三玖︶の如き位、時代も少し前ではあるが、見解 ︵ ホ ︶ の粗宋であつにこと

ι

、むしろ粍しむべきことでもない c 彼の一止伝偶安解に、人々木来倒牲ありと雌も、背費合 塵愛河の流に沈溺し、火宅の招に焚焼せらると説いて居る。同吟弘知率に先立って、本汲能化第一代的柴職にの ⋮ ゆ っ た 入 、 知 容 は M M いで第二代能化となり、菜室・園澄が大波の第一代第二代講師たりしことは、上述の如し。 日記等代表的障十者が、いづれも型選の遁談に阿って、側性問題そ取扱ひ、未、に晶宗壊の特色在、震揮するの解ぞな

"

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さ yh りしは、問題の性質上、或はそれを便宜としにやうな副知も、想像されぬこともないが、行信論の如品 d u 奥 宗 特 民、宗尽に於げろ併性の問題 五

(12)

日 本 側 品 批 准 協 合 年 報 ヘ 第 九 年 J ム 、 殊の問題についてきへも、火曜浮七宗並みの解探が、試み s り れ て 居 っ た 一 い 泊 、 ぎ な か っ た 貼 か ら 考 へ て 、 活 時 呉 宗 風ナが如何にも幼稚であって、仰我々壊や浮土敦壊の模倣時代であったことを物語って居るのである c

啓蒙時代の偽性論

初期一同県宗阜の悌性論が、通迭に准じたる法性普遍説であったことは上遁の通りである。しかるにか λ る模倣的 な解耀が、別塗法門の具宗教義を皐ぶもの守して、いつまでも満足せしむるものでなかったことは論を伎にない。 白 性 唯 心 論 者 ・ と し て 、 両 吟 守 弾 斥 し た 月 感 ︵ 延 賢 二 残 ︶ の 島 一 識 に も ‘ す で に そ の 片 鱗 必 見 る こ と そ 得 な い で は な い が、彼が提起した法論の動機には、議すべきものがないでもなくも純子たる持蒙運動とは、距離なきにしもあら ?である。そニで私はかくの如き初期呉宗皐

ω

、模倣的態度に慌らかして、時円蒙蓮動に乗り出しに人として、知 ∼ 慢 の 門 下 か ら 、 月 筆 ︵ 享 保 一 岡 山 政 ︶ と 若 森 ︵ 手 保 二

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妓︶とを見出しうること守,愉快とするものである。 月 本 一 の 殺 風 一 ・ は 、 華 肢 を 肘 り と し 、 如 来 戒 の 名 守 以 て 悌 牲 を 呼 ん で 居 ゐ の で あ る が 、 そ の 本 質 は 理 悌 で な く 、 事 ︵ へ 一 v 悌 冗 と す る 貼 が 、 持 る し く 国 民 京 皐 化 し た も

ω

といはねばならぬ。彼の著異宗関節の源説篇の中谷によれば、法界 一 遍 満 の 如 来 蔵 φ倍以て、国閣陀迦向の正凶仰性とし、これ地獄鬼市の境界にも、本来普遍的に具有するけれ h と も , 無 明 に覆はれて、其の妙用そ表はすことができない。然るに縁凶仰性の強力によって、はじめて正閃悌性の正凶悌性 たる性能を護揮すること、恰かも日光

ω

弧練によって、内眼が物そ見ゐこと吾、フる如くである。而して謂ゆる縁 凶悌悦

ω

強力とは何ぞやといは v ・如来週向の大前である。この大信よく正同仰性そして、一止凶仰性たらしむる が 故 に 、 縁 凶 仰 性 の 強 力 を 一 全 阿 古 と す と 、 一 い 心 の 品 要 な る 所 以 令 力 説 し て 居 る 。 月 答 の 仰 牲 論 は 、 も と 他 力 宿 持 論

(13)

の 困 論 で 、 兎 貼 セ 府 庁 内

ω

問 題 じ お い て 居 ゐ 、 謂 ゆ る 柄 、 ぎ と は ち 噸 陀 法 に 値 過 す る に 主 る 子 引 と な る 善 根 で ‘ 申 ぃ ム 遁 の諸説がそれであゐ、しかもこれ諸怖の我道にして、治仰は噸陀の分身なれば.その救法も亦た禰陀法の分岐と 見るべく、諸款は別ち漏陀法に引導せんが鍔めの、噛陀遡向の法門なりとするそ.彼れの伐法抗議 u 論父は桁善他 力説の要領とする。かくの如く一切の我訟の上に、噸陀他力迦向守一日同調したる月第は,轄じて所被の機般に於て も、亦た他力遡向を一品調すべく、ニ込に縁凶仰性の大信心

ω

みならす、正凶仰性の如来戒ケ以て、十界詳一過の如 来 の 性 徳 と し た の で あ み 。 こ 込 に 去 り て 廿 件 、 附 知 尽 の 仰 い 円 九 一 削 そ 一 服 れ は 、 借 り に 大 角 度

ω

韓 同 な る に 鰐 く は い 乙 で あ る 。 しかもこれは偶然か否か、調 J 別 指 い 山 ﹄ 悩 成 り し 月 中 全 凶 十 九 歳 の 一 手 保 同 年 は 、 師 知 宅 不 寂 の 想 年 で あ る こ と は 、 む し ろ皮肉である。察するに師矧空のみなら今、訴時の呉京臨ナ界

ω

一 般 的 政 勢 が 、 通 企 殺 陣 十 の 模 倣 は 外 、 何 物 も な か りしことに懐ら?とし‘編かに市川けま的思念守抱懐したりし月容がもにま/\人帥知空の示寂を契機として、その寅 際蓮動にうつりしものではなから、フか。果して然。とせば、これ恰かも後年、弘願助正読を抱懐せる石 F H ぷ が 、 正 反封の助正方便読な懐ける、同門の先京大減の示寂せる直後に於て、自説守護去したると好封限として、我教事 史上の一掃話とすることができゃう。 と も か く 月 竿 の 仰 性 論 は 、 高 潮 陀 性 油 一 円 一 一 過 況 で あ る が 、 彼 れ と 同 門 の 日 医 若 森 能 化 も 亦 ’ に ‘ 之 れ に 酷 似 し た 主 張 で ある。彼れは天台の救墜に叫って、山市義ケ解かんとした貼、月冬と好卦照である。而して係性論に於ては,性の ︵ 卜 ︶ 他 力 修 の 他 方 在 説 い て 、 舗 陀 牲 の 普 遍 芝 川 同 調 し て 居 る 。 其 著 正 一 泊 俗 開 首 に 、 行 容 備 前 の 文 中 、 畳 一 司 願 不 可 思 議 一 貫 且知海とある守解いて、一宮呉如といふは、 一 切 諸 法 の 控 併 で 、 高 法 こ と ん \ h く 之 ぞ 具 有 す る け れ か ﹂ も 、 高 潮 陀 如 一 一 貧 困 民 如 と い ふ と 前 提 し 、 共 に 禰 陀 の 賢 相 身 矯 7 来は、法性ぞ全ふして修嬬したまうであるから、高潮陀の修徳守、 長宗祭に於げち仰性の問題 七

(14)

日 本 側 攻 撃 協 合 年 報 ︿ 第 九 年 ︶ ;¥_ 8 物身の二身に論及し‘賢相身とは、一切衆生の心牲に遍在すゐ悌身で、之れ法界賓相の納障である、一切衆生の 心牲には、強陀の賓相身が一遍在するに拘らか、衆生之を知らかして、自己の心性であると局限する位、迷妄であ る 。 か

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遍在衆生心性の賢相身を・性の他力といふ。修の他力とは、かご

ω

一 遍 在 衆 生 の 心 性 か ら 起 h り 、 願 行 成 就して、正豊を成じたまひし鋳物身ぞいふ。この身はこれ、衆生救潰のため衆生の無明ぞ破って、仰果に到らし むるところの、無碍の光明身である。もし睦相用でいはゾ、宜相身大る性の他力は躍にして、法界衆生の心牲に 一遍満して、衆生の心性を成じ、一切衆生をして、悉く捕陀性そ具せしむらのである。鋳物身印ち修の他力は、相 用にして、一切衆生の心性に印して、修成せられたる無碍の光明身︵相︶は、印ち衆生の無明守照破し.衆生そ救 捕して、仰果 uゼ成ぜしむる、漏陀の化用であゐと、いふのである。この設によらば、性、

ω

他力に約して、強陀性 の 普 遍 な る は 勿 論 で あ る が 、 修 の 他 力 に 約 す る も 、 無 山 町 の 光 明 身 は 、 十 方 北 町 一 照 に し て ‘ 郎 ち 衆 牛 一 回 介 に 持 越 す る 故 月竿の株閃仰性の他力組向設に比し、調陀性普遍の航法 ψ句 、 一 一 般 明 か じ し た も の 込 や う に お も 以 れ る 。 月 筆 や 若 諜 の 市 川 け 蒙 的 凶 奥 宗 単 一 一 い 、 若 田 械 の 嗣 法 議 能 化 ︵ 寛 保 一 冗 政 ︶ に 一 宇 一 り 、 同 州 淳 ム 一 の 論 詩 の 如 き 、 外 縁 に 刺 戟 さ れ て ︿ チ ︶ さらに韓化し、建に別途救阜の根本理念として、一二部中の大賊そ皐ぷべしとさへ喝破されたほどで、民宗串徒と ︵ リ ︶ しては、鼠、宗壌が有すら猫白の使命あることな、白壁すベぎこと冶促がしたのである。被れは汗土折衝篇に‘玄 義 分 の 呉 如 康 大 等 の 文 品 川 山 な 糟 明 し て 、 由 主 道 求 J 白 己 心 中 粥 陀 一 故 有 二 件 其 闘 頓 説 一 一 げ 土 手 一 端 陀 心 中 衆 生 一 故 有 ニ 願 生 西方議﹁といふて店ゐ。これは二門の串的態度の相以内

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不 し に も の で あ る け れ ど も . 八 ー の 仰 性 問 題 で い は 件 当 、 法 ︵ ス ︶ 牲 の 普 一 一 過 に 附 す る 冶 型 遊 門 と し ‘ 田 淵 陀 性 の 持 一 過 に 射 す る を . 浄 土 門 と す る と の 立 と 解 す べ き で あ ら う ふ 。 彼 の 阿 捕 陀 経 聖 汗 決 上 巻 々 一 叫 に お け る ‘ 聖 一 庁 二 門 の 三 同 七 回 丹 談 の 中 、 第 一 に 謂 ゆ る 理 性 本 具 の 如 き も . こ の 折 衝 篇 の 二

(15)

門間に封服すれば、理性の本具必以て‘直ちに仰れの心不具守談ぜんとするものでないことが解るのである。併し この法森

ω

如 き 考 ヘ 方 は 、 珂 性 の 北 川 一 過 伝 説 じ っ 込 ‘ そ の 無 力 無 功 在 説 い て 、 調 陀 性 の 北 口 川 地 句 位 以 て 奪 は ん と し た 、 石 瓜 の 仰 竹 論 に 、 示 山 崎 守 山 内 へ 亡 や う に も お も は れ ら の で あ ゐ 。 こ の こ と は 法 誌 の 頃 よ れ り 、 市 川 円 安 的 国 民 一 宗 串 が 漸 ゃ く 一軸して、一方には民主小原としての、特典壮ケ護持しつ\他方には通設教串 L ﹂ の 、 調 和 恥 ’ v T 見山さんと、試む る に 至 っ た こ と な 物 語 ら も の で 、 一 法 諜 の 殺 事 は ‘ こ の 立 味 に 於 て 、 叫 円 安 的 民 宗 阜 の 民 一 日 同 頂 で あ ゐ ム 一 同 時 に 、 韓 同 期の異宗撃の前腕そなせるものと見ることができる。 四 大一阪の侍統誌と異説 政 円 蒙 蓮 動 に μ い 、 主 も 仁 本 汲 の 単 品 引 が 乗 り 出 し て 居 る 。 大 波 に い い か や う な こ と も な く 、 殆 ん い と 無 風 航 忠 で 、 初 期 皐 匠 の 翠 設 が 、 そ の ま よ 暇 承 さ れ 、 自 然 に 彼 汲 の 傍 統 設 と な っ た 闘 が あ ヲ ω 。 そ れ は 強 ち 悌 性 論 に 限 ら 示 、 国 民 一 宗 風 十 在全面的に見て、その闘がある。大汲救阜の全感期の大立物として、信昭一そ一身に集めにやうな香月院深勘︵文 化一四校﹂の如きも、慧本一以来の壊設の、忠宜なる俸承者であり‘布術者であった、むしろさうであつにことが‘ 彼れぞ大にしに所以であ語らう。そこで仰性問題についても‘彼れは品川然にる法性北口遁論者で、本汲の壊者に見た やうな砕蒙蓮動など付加、彼れには全く顧みられなかったゃうである。のみならホ白波の傍統思想 d倍 、 ま す

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I

V

詳 ハ ル ︶ 細にし、徹底せしめにことは、随所に散見するのであるが、その一例’として彼れの大著本典講義の一節守紹介しゃ う、日く悌性とは我等の腹の中にち芥子ばかりの者のあるやうに岡山へか﹂も、爾らかも仰の大招提のことな

0

. 仰 の大記壊が、我等が煩悩に理れてぞるところ在、如来続仰性と名く、醐恒は仰の大担聴なり、 一 切 衆 生 大 畑 仕 襲 を 供 9 D m h b 不単に於げる仰性の問題 九

(16)

日 本 悌 致 凡 ド 協 合 住 ・ 報 へ 第 九 年 ︶

へ ぬ も の は 、 一人もない、悉く担挺に至るべき種を具へて居空戸。 前 後 IO 一 見 瀬 陀 性 普 遍 誕 の 如 く 思 は る 三 か 、 の文勢より、その然らざることは容易に看取せられる。而して担般市に至るべぎ種と、信心とを別躍とせる文も、 ︿ ヲ V 随所に散見して居ゐが,その一例也あぐれば、同書に叉日く‘他力の信心が直ちに悌性には非今、此信心が困と な り て 、 往 生 し て , 本 有 の 係 性 な 旧 制 は し 、 倒 岡 市 ぞ 泣 る な り 一 五 々 。 彼 此 封 笠 し て 、 彼 れ が 法 性 普 遍 論 者 で あ る こ と が ︵ ワ 一 ﹀ わかる。同代の後輩法海︵天保五妓﹀の者にも、同様の主張が見えて居るが、悌性は出撲に至るべぎ本有の種性、 信心は往生浄土の正凶、前者は衆生の本有、後者は如来迦向、といふ主張は、大波に於ける殆んどすべての皐者 の 抱 懐 せ る 悌 性 設 で 、 恰 か 丸 一 同 ︶ 恨 の 正 統 思 想 の 如 く 見 ゆ る の で あ る 。 と こ ろ が こ 誌 に 深 働 ム 一 同 僚 の 穴 明 ︿ 文 政 四 佼 − の 悌 性 誌 . 設 に や 二 後 代 の 謹 附 ︵ 嘉 永 四 段 ︶ の 夫 れ は 、 上 誕 の 大 波 の ︵ カ ﹀ 健統思想と、白から趣 v m − 具 に し た も

ω

で あ ゐ こ と ん が ヨ 知 る の で あ る 。 ん H 一 明 の 説 以 、 砂 田 得 に 約 し て 悌 性 及 び 信 心 そ 談 じ 、 品 目 同 得 成 仰 山 町 川 得 抗 心 の 性 生 . 本 来 具 有 す る と な し 、 而 も 悌 性 ム 一 位 川 心 と な 別 税 せ ず る の 黙 は 、 恰 か も 後 に の よ る で あ ら う 所 の ‘ 本 一 ほ の 空 幕 内 γ ︶ 恨 の や 川 得 政 に 酷 似 し て 町 一 ω の で あ る 。 併 し 日 明 の 説 は 、 果 し て 法 性 持 一 過 説 な り や 、 漏陀性普遍説なりや v M 1 、明日に判定せしむる材料に乏しきも、尚一札昨に主つては、持願仰性説守立て込、明かに噸 ︵ ヲ ﹀ 陀悌性読に局するものなることそあらはして店ゐ。日く一切衆生に本来悌性ありと、畑山繋艇に説く、二乗三乗の 先別なし。一切衆生側性そ具足する放に‘一’として成仰せかといふことなし o 八 1 は 一 切 衆 生 の 悌 性 と 一 五 は 、 調 陀 の誓願なり、十方衆生

ω

お習なゐ故に、十 h M 衆生

ω

往 生 の 凶 と 、 日 記 ゆ 必 需 ひ 給 へ る 悲 願

ω

日行 φ倍以て、一切衆生念 悌

ω

困と定め給ふ云々。この誓願仰性就い、印ち仰建に成就せられたゐ、衆生花生の同積ケ K M 味し、事官は噸陀 性 時 一 過 説 で あ る 。 而 し て 特 に 白 波

ω

侍統思想たる、法性北 H 一漏説そ否定しないけれども、それに百及せ今、却って

(17)

随 庖 に 明 白 願 悌 性 の 悦 H 一 通 ル パ ヨ 説 い て 居 る 引 は 、

H M

に 法 性 よ り も 、 浮 川 市 川 に 京 貼 ケ 泣 い た 究 明 の 準 漬 か ら 、 さ ら に 一 時 し て、機港

ω

品 川 得 は 印 ら 仰 溢

ω

古約によるも

ω

であるとして、白から端陀仰性淀に進展したものであら、 7 と 芯 ふ 。 いづれにしても F h H 一 明 と 川 県 川 と の 悌 性 論 は 、 大汲に花 h りでは兵彩ケ放てるものであると云へやう o 特に霊附に 於て然りとする。これ恐らくは、穴明との思想的関係

ω

外に、頓成の機深一信白力説なる異安心に、刺激されたも の で あ ら 、 ヲ と 忠 ふ o 蓋 し 頓 成 の 県 内 義 め 思 想 的 岐 様 以 、 法 性 叫 す 逼 説 と 密 接 な 聞 係 が あ る か ら で あ る 。

捕 陀 性 普 遍 設 と 本 一 蹴 大波の悌性読は、法性普遍誌で殆んど統一されて居ったが、本汲では上述のゆり蒙時代の仰性論な承けて、噸陀 性普遍読を恋ホるものが最も多く、︷主苧龍華・豊前・越後等の初間半汲は、之に属するものである。但し末節で、 おの/\多少の主張貼そ具にするが、主要貼はほ作品一致するのである。 ハ タ ﹀ ま づ 空 華 閣 で 波 か ら の べ て み や う 、 同 波 の 特 色 は 、 官 得 説 で あ る 、 そ の 大 成 者 一 帯 譲 ︵ 明 治 一 九 残 ︶ は 日 く 、 田 淵 陀 、 か 其如法性の理 φ倍 、 名 披 に 修 団 側 し 、 こ の 名 披 機 法 一 躍 に し て 、 法 附 胞 の ま λ が印ち一切衆生のものとなる謹を、一切 衆生悉有仰性といふのである。ニれ印ち一切衆生の、不等に助かるべ会諜であって、之れ名競常得の義である、 之 れ は 行 容 一 一 来 仰 性 の こ

J

O

、突に信巻信柴揮下にいはゆる信心悌性に於ても、亦大宮得である、名披既に成就 して、一切衆生にみな得べき一信であるから.たとへ未信の者についても、一切衆生悉有偽性といふことができ る。叉異悌土山径の浬卿米側性も、吾等凡夫には、もとより示現前の境なれども、信心ぞうれば、常来かなら示、出 繋の果 J M 1 得 べ 品 川 、 が 故 に ‘ 品 目 同 得 に 約 し て 悉 有 悌 性 と 談 守 る こ と が で き る と 。 之 れ 水 一 華 汲 の 常 得 設 の 要 領 で あ る 。 彼 11 国 民 宗 皐 に 於 げ ろ 係 性 の 問 題

(18)

12 日本仰数卒協 A M U 年 報 ︵ 第 九 年 ︶ ︵ レ ゾ れ の 先 輩 行 照 ︵ 文 久 二 残 ︶ の 玄 義 分 轄 記 に は 、 ︵ ソ 一 ︸ 一屠くわしく述べてある o こ れ 汲 組 明 教 院 俄 路 ︵ 天 明 三 時 叫 ︶ 以 来 の 設 で 益 口 一 議 に 至 っ て 大 成 さ れ た 。 龍華汲の特長

μ

、機無法有設である、衆生本来全く仰性なし、たけゐ噺陀悌性ある

ω

み、印ち法措廻施の他力信 心のみそ悌性といふも衆生ルみなら・?、諸仰と離も亦爾り、強陀悌性そおいて、諸悌得遊山方術はなく、型選無 ハ ツ ︶ 併 で あ る と 樹 論 す る 必 で あ る 。 曇 龍 ︵ 天 保 二 一 政 ︶ の 異 京 市 女 義 論 題 所 載

ω

仰性請に詳述してある。 均 八 に 県 前 島 ナ 汲 の 特 色 は 、 月 珠 ︵ 安 政 三 残 ︶ に よ り て 主 張 さ れ た 性 徳 設 で あ る 、 噸 陀 修 旧 制 一 い 性 徳 川 い 外 に は 、 衆 生 の 性徳を許さない‘印ち輔陀

ω

光 言 海 守 以 て 、 異 知 性 徳 と し 、 そ の 性 徳 が 法 界 に 一 遍 満 せ る を 、 いふ、衆生海に在つては、心中に融入して衆生の心性となり、衆生をして如来

ω

光書出に居せしむるのである、 但しこれは仰知見であって、衆生は同県知

ω

都より迷ひ州でヘ現に悌性一

ω

外 に あ る か ら 、 来 批 安 養 界 に 一 宇 一 り て 、 ︵ ネ ︶ 之を詮する

ω

み で あ る と 、 同 月 ︵ 明 治 三 冗 妓 ︶ は 布 出 し て 居 る 。 越後汲

ω

興 隆 ︵ 天 保 一 一 一 一 政 ︶ は 、 噸 陀 問 繋

ω

果徳を

ω

みも仰性 t p一いふことができるといふ出繋誌を立てた、之れ は県前汲が、噸陀

ω

光存出。必性徳とし、嘱陀性普遍説守立てた

ω

と、似て氏るやう冗が、彼れは衆生

ω

性徳に約 し て 本 有 そ 諮 り 、 此 れ は 常 得 に 約 し て 強 引 一 過 ぞ 諮 る の 貼 に 、 左 右 が あ る や う で あ る 。 刀 人 容 華

ω

常得誌に似て居るや ︵ 十 ﹀ うで、しかもにゾ間襲来徳

ω

信符に約してか一み、強陀性普遍守談中る

ω

恥 H U B 一 厨 柑 端 で み ら 。 卵 、 降 ⋮ m w 設は、本 典 徴 決 に あ ら い い れ て 店 ゐ 。 而 し て 内 弟 併 則 三 幼 氷 川 政 ︶ に 一 ヤ 一 向 、 や 斗 緩 和 さ れ 、 月 珠

ω

説に類似するに王つに。 一 切 衆 生 活 有 悌 牲 と

.

.

.

.

.

.

本 抵 の 法 性 者 一 地 一 説 と 折 衷 一 説

(19)

前 羽 に の べ 大 本 波 諸 島 ナ 汲

ω

恥 じ た 、 制 湘 陀 性 作 一 過 一 晶 体 、 恰 か も 持 蒙 期

ω

仰性論の延長 d は 、 横 充 と も 見 ら る べ く 、 大 波

ω

法 性 普 遍 説 ム 一 封 峠 し て ら 本 汲

ω

正 一 統 説 ル や う な 地 位 じ 花 っ た

ω

で あ ゐ 。 とニろがそ

ω

間 心 渇 し て 、 山 笠 々 一 法 性 品 目 J 過説守主張した

H

匠 , 訂 以 仙 川 抱 一 一 文 政 入 攻

ω

ト 仔 し か ぜ 見 逃 す こ と 川 抽 出 来 ね 。 こ れ 大 波 に 於 て 噸 陀 竹 山 川 円 一 週 前 々 持 し て 、 異 彩 そ 放 っ た の 抱 附 と 好 一 封 で 、 し か も 彼 れ

ω

出 皮 よ り も , ︵ 一 プ ︶ 無 功 説 で あ る 。 印 ち 彼 日 く 、 同 県 知 山 非 情 に じ 代 ゐ ル − 一 法 性 、 有 怖 に 心 仕 る 一 信 仰 牲 と い ふ 、 諸 宗 み な 且 如 、 必 読 ー ? 、 民 山 川 亦 ょの常々たるも的であつにも而して彼

ω

読は民知 大 之 を 談 十 べ き で あ り 、 安 脚 本 集

ω

丈や、心性もとより

ω

議 弘 、 彼は心 L T主としち此は仰を主とする、修 ψ倍以て性々奪へば、性徳無功.無始己来生死相績する、 そ い ・ 誌 で あ る 、 併 し 聖 浄 二 門 は 施 設

ω

相 異 に で 、 b 人 d 叩 こ JLLLAU 羽

F r

L 白 ソ j i v J J 3 4 f u v y d r q 漏 陀 修 得 掘 現 川 川 、 名 蹴 に 求 む ゐ

ω

み 事 之を他力といふ

ω

であって B 法 性 同 県 知

ω

普 遍 に 居 し 、 而もそ

ω

無力無功を よ り て 布 演 さ れ . 大 汲 め 内 音 一 ⋮ 詑 と ハ 仏 大 品 川 、 に 相 具 す る

ω

で あ る 。 一 心 泉 の 此 誌 は 後 義 山 ︵ 明 治 四 一 一 一 政 ﹂ に ︵ ム ﹀ 且 つ 港 町 華 汲

ω

常 得 就 が ︸ 加 味 さ れ て 来 大 。 併 し 本 一 葉 と は 、 立 場 リ ゼ 異 に す る か ら 、 彼 説 に 封 し て 十 談 ? ず る 山 ⋮ 貼 以 、 且 知 無 功 説 で P 二 一 難 場 信 教 へ て 居 る 。 凶県如無功ケ根底とし六五泉叫法性普遍誕は、本有悌性読として弘、きはめて微泊的なも

ω

であったが予彼より ハ ウ ︶ 少 し く 後 代 の 賓 雲 ︿ 弘 化 同 校 ︶ 及 ひ 市 淀 ︵ 一 苅 品 川 一 冗 政 ︶ は 、 や 込 極 端 な 本 畳 詑 と で も い ふ べ き 、 法 性 普 遍 説 を 立 て 込 居 る 。 衆生本兵

ω

理性街、そ

ω

ま二淵陀

ω

法性法身として開魔され亡、衆生此土に於ては、煩悩に隠覆せらるミ故に、 之、信関臨死することができないが、法性法身として成就されに、如来の大悲心な廻向さる斗、信心の困守護て、彼 土じ住坐すれば、悌

ω

願力によって、本兵

ω

悌性、が顕現するといふゆである。こ

ω

説は行泉の無功説よりも、よ り多く通迭に近く、こ

ω

臨本汲に於ける、法性普遁説

ω

最高峰を行くも

ω

といふことができる。併しこれは一通建 rn 国 民 、 宗

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に於げろ例性の問題

(20)

日 本 傍 款 問 平 協 点 目 年 報 ︵ 第 九 年 ︶ 四 14 の本質誌な、国具宗的に改作したといふ以外、何等特色あるも

ω

ではない、この貼大汲の内薫誌が、通設のそれと 簡ぶところのないのと好一封である。そこで本大雨汲を通じて、最も異宗的な特色そ有する、法性普遍設そあぐ る な ら ば 、 石 白 木 の 同 県 知 無 功 説 に と い は ざ る を 得 な い 。 石 山 水 の 設 を 同 県 宗 的 、 に と い っ た の は 、 同 県 知

ω

無功を談じた貼である。すでに草加無功であるから、住国の全力は 捕陀修掘酬の名競に在るといふ貼は、殆ん左端陀性普遍誌と異らない、そこで石泉の説は、法性普、遍を掘りとし た、折衷説、にといった方が安官であらう。之れに針して、強陀性普遍を据りとした折衷設は、月珠の性徳設である 蒲陀の性徳大る光書提が、衆生海に周一過して、衆生の性徳を成守ると談守る貼は、調陀性が衆生性の本有である と見る、一種の本有説にして、大いに法性普遍に准守るところがあり、折衷設と見らるべき所由である。石泉よ りも月珠が少し後輩であるが、丁度その頃が異宗皐界で、悌性論の最も高調せる時期であって、もはやいとの詑も 論じられる古けは、論じっくされたゃうである。であるから、行照の如きは.本一華汲の柔遠の高弟であって、噸 陀 性 普 遍 一 説 ぞ 最 も 高 調 し た 、 師 説 を 汲 む で 居 り な が ら 、 有 油 開 性 説 戸 法 性 普 遍 設 ︶ に も ‘ 無 悌 性 説 ︵ 輔 陀 性 普 遍 訟 ︶ に も そ れ ん \ E 幾多の難貼ぞ認めて居ったといふことは、前にのべに遁りであって、折衷設のあらはれて来るのはや川然 なことであるが、この時に常りて、事轍杭周波の遁振︵文政七妓︶が無自性の理の一遍在に約して、悌牲の本有冶唱 へたのは、おなじ塾轍から分岐した石泉が、法性の一過在ぞ認めて、しかも無力無功冶唱へたのと、行き方冶異に ︵ ヰ ︶ し て 居 る が 、 矢 張 り 一 一 極 の 折 衷 説 で あ る 。 委 し く は 仰 性 議 及 び 仰 性 拙 開 設 に 仰 性 紳 講 述 に 山 川 ハ ノ O 印ち無自性は諸法 一 過 在

ω

理であるから、制湘陀の本願力に遇へば成仰することがでぎる、従って成仰せしむる全力は、高潮陀の願力に 在めとす、こ

ω

動無仰牲設と同談である。石山水は法性普遍そ認めたが、無力無功として之必殺しに、遣振は無白

(21)

性として之伝活かし.而も救掛め λ 土 カ を . 嫡 陀 願 力 に 輿 へ た 一 ・ と こ ろ 、 お 内 水 ム ー 一 同 一 様 な 折 衷 説 で a r って、しかも仰性 問題と救樹原理一との聞に棋はる、柑めて微妙な問題を、闘滑に解決し得ゐの恥、石泉に比して、優越したものと い っ て よ か ら う 。

宗組の仰性論概観

国 具 宗 撃 の 初 期 以 来 , 仰 性 問 題 に 闘 す 一 ゐ 諸 家 の 見 解 は 、 概 ね 上 述 の 遁 り で あ る 。 初 め

ω

間は‘通企の法性普遍設 を 、 そ

ω

ま込取り入れて居った、か、漸弐これに懐らホとするやうになって、啓蒙時代の捕陀性普遍説が起って来 たのである。爾後全盛期

ω

皐界は、大波は慨して前識について、本汲は慨して後説について、設展し充賢したが、 そ の 間 少 数 の 関 学 者 に 、 間 持 説 そ 持 し た も の も あ っ た 。 か く す る 、 7 ち に 折 衷 説 が あ お り は れ 、 雨 説 の ど ち ら か に 据 っ て 他の設との調和貼を見出さんとした。これはいづれの皐設に於ても、きっとあらはれて来る傾向で、いは日聞学界 の定石である。而して是等の諸説が、いづれもみな上にのベーにやうな、国具宗墜の根本理念に立脚して、研鎖が積 まれにのである。印ち如何に考へることが、宗組の呉立に契ふものであらうかといふこと守、考察の基礎的観念 として居るのである。そこで今、私の連べゃうと息ふところも亦.か λ る根本理念に立って‘従来の諸家が殆ん か﹄禾花開拓してゐない、慮女地といふやうな貼在、この体性論に於て考察してみたいと思ふのである。それは何 であるかといへば、宗祖の哲皐思想といふ問題である o そ こ に 到 達 す る に は 、 一往宗組の悌性論ぞ概観する必要 が あ る 。 15 ハ ノ ︶ ハ オ ﹀ 門 ク ︶ さて宗組の仰牲に闘する解樟は、和讃や一多読交や唯信文立にも散見するが、本的問に於けるものが、最もまと 国 民 宗 皐 に 於 げ ろ 悌 性 の 問 題 五

(22)

日 本 仰 救 平 協 人 同 日 年 報 ︵ 第 九 年 ︶ ム ノ、 16 ま っ て 居 る 、 印 ち 行 径 四 四 丁 の 一 一 来 海 轄 と 、 一 い 一 山 谷 不 二 二 丁 の 信 梨 稗 と , 国 巣 仰 土 谷 の 終 二 九 丁 と

ω

一 二 筒 川 に 出 で ミ 居 る。但し行容と抗をと以、出襲経

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引文

ω

み で 、 同 県 仰 土 谷 に 僅 か に 御 白 樺 が あ る 。 ところが引文は直ちに組語と 見 る 睦 例 に 従 ひ 、 日 正 常 ザ 三 筒 所 の 偽 性 論 を 見 る に 、 蒋 文

ω

中 心 は 信 谷 で あ り 、 理 義 川 町 甘 ポ 鑓 以 行 密 で あ る や う じ 思 以 ︹ ヤ ゾ ︵ マ ﹀ れる。先づ稗文に掛っていへは、信忠住所引の出繋純文が、大慈悲守備性とする一段とも大信心を偽牲とする一段 ︿ ケ ︶ と、一子地を仰性とする一段と

ω

、 一 一 一 段 じ 分 れ ゐ

ω

であるが、この三段

ω

中では、第二段

ω

信心仰性が中心であ ︵フ﹀ る と い ふ こ と は , 信 谷 殊 に 信 脚 本 樟 下

ω

引 丈 で あ ク Q 貼ぞら見て、もとより常然であ v Q o 而してそ

ω

大 信 心 は 、 第 一 段の大慈大悲在韓とし 又 そ

ω

大 信 心 は 、 第 二 一 段

ω

一 子 地

ω

果 を 招 来 す る 。 そ こ で 第 一 一 九 二 第 二 と は 、 刷 版 相

ω

闘係 となり、第二と第三と位、同果

ω

闘係とな

0

如 来

ω

大 慈 悲 守 ‘ 廻向された他力の信柴を‘住生

ω

一 此 凶 と な す と い ふ こ と 冶 事 問繋純

ω

ぃ 火 、 必 円 て あ ら は さ ん と す り

ω

いが、宗組

ω

九 日 山 闘 で あ っ た ゃ う で あ ら の で 二 一 段 あ ゐ 中 前 後

ω

段は、中聞の第二段に統躍され、 顕 現 し て 、 λ 七 時 F 笠 通 じ て 、 九 日 心 悌 性 そ あ お ら は す の が 信 容 で あ る 。 こ め 同 悌 性 、 か 謹 川 市

ω

上 じ 光 虫 干

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ω

慢躍となったところ、印ち且悌土谷のが︶顕仰性で、これ果悌性であ ω Q C か λ る凶悌性も果悌性 も、己得といは今も常得といは−?、すべて事係性で、事貨に信心そ得て、事貰に仰果を控問糊する

ω

で あ る 。 、 ︶ 的 事 保 性 は 、 い づ れ も 本 願 力 廻 内 に よ り

ω

や勿論であるが、本願力廻向法が、機に受得されて、 a − 3 以 b p p 生

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、 ふ 己 主 主 克 明 土 ア v h ’d

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f J ︿ l 長 月 イ LJrt ノ 片 山 肌 H U 王 l u T O F U T J M d r カ J父にとへ抗心として受得せられても、現主で以仰性は頴現せが、 来世じ於てとケ顕現する、 そ

ω

顕 判 明 相 以 光 b 一 点 無 壁 で 、 柁 遡 向 ノ 川 崎 湖 陀 一 ム 一 一 同 酷 同 協 肌 で あ ゐ と い 、 ぺ そ ん 山 然 ゐ 理 由 は 同 市 して如何。挽古せば川仰竹川市仰性セ成 J V J J 1 基 礎 原 揃 べ が な け れ ば な ら な い 、 そ れ を あ ら い ゆ す い 山 が 、 行 忠 信

ω

仰性論 であるといふ

ω

が , 梓 主 山 w h 礎 と い ふ 立 時 で 、 之 な 州 ぺ 仰 性 と し ,

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、 , ゆ h v 小 仁 ヘ 問 ト 品 、 ふ 1 ゲ 乍 kfν ’ f 止 1 2 n l k − ︸

ω

叩 ぺ 仰 什 ト ザ 一 一 世 v Q d 勺

ω

で あ る

(23)

と 見 る こ と が で き る と 忠 ふ 。 }\ 救済の基礎原理としての備性 行 巻

ω

悌性談は、迫樺段の中、初め他力糟.究一一来海揮の二段ある中の、一乗海理に出で λ 居るが、迫稗段全 瞳の稗意より見れば、行の瞳に闘する説明である。爾るに初めの他力稗は、直ちに今家の立を顕はし、行とは何 ぞやといは r 、如来の本願他力であると解し、その他力は斯くの如くして成立せりとて、論註を引いて法蔵菩薩 の護願修行の脱態そのべられである、これは他力法成立の究第経緯を語り、以て行巻に明すと﹃︸ろの行は、かく の如き願行

ω

結晶たる、他力法そ

ω

ω

な瞳とするニとな,あらはされたものである。迫樟段の前までのところ で弘、行とは稽名であゐとも、名競であゐともも何れとも取られるやうな準法になってそるが、こ

ω

迫稗段に来 って、他力法であると断定された。これまでのやうに稽名古とか、名競立とかいふ、具韓的なものを出してない のは、郎ち名競にも、栴名にも普遍するところの他力法が、行の躍なりとせらるミこ

J

の で あ ら う o ところがよし他力法が成立したところで、如何なる基礎原理によりて、之な衆生の上に睦現せしむることが出 来るか、といふ問題は未解決であゐ、之れを悌款の本韓論に掘って、哲率的に説くのが、突の一莱海理である。 前の他力揮は、今家の意で直顕し、後の一乗海揮は、他家の義で准顕されたのである。一一来とは何ぞやといふニ と を 解 く に 、 高 有 の 普 遍 性 ぞ 詮 表 す る 、 種 々 の 名 栴 を 列 ね 、 そ の 一 ’ と し て 浬 般 市 経 の 悌 性 伝 あ け ら れ で あ る 。 悉 有 崩御性とあるからとて、高・有白樫の外に、間然として存在する或ものを認むるのではなく、高有白樺に印する理性 である、この理性は善悪津穣等、一定した性であってはならない、上遁の遁振の悌性設でいった如く、無自性の 17 長 宗 墜 に 於 げ る 岬 阿 佐 の 問 題 七

(24)

日 本 仰 我 山 手 協 令 年 報 ︵ 第 九 年 ゾ 八 18 理とせねばならない。剖ち高有は悉く無自性であるから事他力に遁へば、その強務によって,煩悩印菩提生死的 視 襲 − F一ヰ達することができる、もし自性か確定して居れば、如何に他方法の成就があっても、救惜の功を奏し難い。 ところが高有無自性

ω

理に蓮して、よく衆生救消

ω

他力守成就された、之れ漏陀法である、故に前に行と弘他力 法 で あ る と 、 試 き 、 今 そ

ω

他力法は、高有

ω

北 町 一 遍 性 た る 、 無 自 性

ω

理に達しでも成就されたものであるといふこと をあら拡さんとして,こ込に一一来治必稗がある必である c であるからこの一一来海的蒋では、無自牲の理が高右

ω

牲でもあ

0

.他方法そのもの三性でもあることそ、珊押顕せられたもめである。一角有と他力法とはかご匂一阪の相 通歩るものがあるところに、偽救漕の成立する安常牲がある、こ

ω

基 礎 原 理 そ 説 く 引 か 、 一 一 来 海 稗 あ る 所 以 で 、 これ雷に行といふ他力法

ω

説 明 の み な ら す 、 次 斤 山 信

ω

成立原理でもあり、叉詮異仰土

ω

果守、衆生に瞳現せしむ る所以の基礎原理でもあり得るのである。さうしてみればもこ

ω

一 一 来 海 理 と い ふ 宗 組 人 的 荷 風 了 ゼ 頴 閲 さ れ た 、 迫 稗 段の全睦の意義は、直接には行の睦ぞ迫稗せらる誌にあるけれ h ζ も 、 行 の 躍 に 印 す る 基 礎 原 理 ゆ 伝 説 品 川 、 、 か

J

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基 礎原理の上に,数行信設の他力廻向

ω

成 立 す る 、 九 日 川 然 性 安 常 牲 を 見 出 さ ん aとする、最も恨本的な教義を語るもの で あ る か ら . 開 押 文 の 位 置 は 行 谷 中 に あ り 乍 ら 、 四 押 議 の 地 位 は 、 本 典 全 館

ω

上杭にあって、同法を統一するも

ω

と も云ふベく、叉本典 λ 十 一 躍 な 支 へ て 、 問 法 そ 某 礎 づ け て 居 る と も い へ る

ω

で あ る 。 本 的 穴 は も と よ り 、 宗 祖 の 宗 教 伝 願閲するものであるけれども、そ

ω

統一的又は基礎的敬義として

ω

親驚折感拡、こ

ω

一 一 来 海 理 守 合 む 諮 問 押 段 に 顕 閲された仰性論に在 h りと見ねばならぬ、之れ五日人が本論的初に於いて一言せし如く、諮問の研究問題守濯びし重 要な理由で、悌性問題もこ

ω

本礎原理の究明まで準展して、はじめて徹底すると思ふのである。もとよりこの基 礎原理は、唯わノ悌性問題に局ら今、宗組

ω

前 一 望 教 義 、 曳 い て い い 異 宗 撃 に 於 け ゐ 、 種 々 。 主 要 問 題 守 、 統 一 し 某 礎

(25)

づける棋本原理であるが、 今之そ諭する廷がない c 五日人以こ込に本論な結ぶに常りて.ーにひ云 μ い ん Bと す る わ い く 己 批 宗 串

ω

根 本 理 念 は 、 京 ・ 洲 仏 教 早 み も 廿 北 本 と し な ければならぬと c 而して仰性論では、 席 ∼ dAV 山 中 心

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一 一 J ↓ H 袋 一 f E 3 F f J 、 ノ と L F \ 剛 亨 K E J 町 作 品 : f r 勺 ︷ 名 古 川 山 川 市

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じ そ 、 オ ﹃ l 軍 . 一 一

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︵ 行各一莱海蒋に於 けるそれであると繰返したい。叉疋に‘ か 、 ん 一 来 海 樫 仏 仰 性 論 ド 民 、 印ち宗祖の折川事であって、同県宗教串

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松 本 山 月一であるといふことな、 重ねて

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ぷるも

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である o 二一、三 O ﹀ 丞 場 雪 害 目 ︵ イ ︶ 行 問 者 b 玄 義 分 時 一 記 各 一 二 、 第 三 十 円 席 内 場 町 ︵ ロ ︶ 安 楽 集 帥 間 同 町 二 七

γ

︵ ハ ︶ 選 探 集 造 林 記 一 一 国 民 会 ︶ 一 、 自 コ 一 O 頁 士 一 ︶ 文 類 紫 紗 間 昭 記 ︵ 国 民 会 ︶ ゴ 一 . ご 一 文 ︵ ホ ︶ 正 信 仰 要 併 一 、 二 一 丁 ︵ へ ︶ 国 民 京 金 書 に 牧 む ︵ ト ︶ 尻 市 川 叢 書 に 吹 む ︿ チ ︶ 日 決 勝 則 第 四 章 疋 墜 章 ︵ リ ︶ 浄 土 折 街 篇 ︵ 由 民 会 ︶ 下 位 位 二 二 一 良 一 三 ﹀ 訳 、 宗 議 書 に 牧 む ︵ ル ︶ 数 行 伝 説 講 義 五 第 九 二 席 一 九

O

頁︵ヲ︶数行信諮講義入、第六

O

命 日 入 ム ハ 瓦 ︵ ワ γ 哨 信 沙 文 京 半 巳 銭 ︵ 沢 一 大 ﹀ 一 二 . 一 冗 九 瓦 ︵ カ ︶ 数 行 伝 説 副 段 、 比 四、九頁︵ヨ︶文類講義三、.五七了︵タ︶本興西塑記伝谷川一丁巴下取志︵レ︶玄義分聴記三“第三十五席︵ヅソ 木 典 一 川 市 銀 ︵ 炉 、 叢 ︶ 行 径 一 四 二 一 具 、 信 念 二 一 二

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瓦 ︵ 叶 ノ ﹀ 庭 山 市 護 者 に 牧 む ︵ ネ ︶ 木 典 仰 信 銀 ハ 民 略 取 ︶ 五 、 円 五 −

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坂 意 ︵ ナ ︶ 員 宗 本 土 書 に 枚 む 、 同 者 六 、 二 六 八 頁 及 び 一

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、 一 一 二 三 良 参 照 ︵ 一 7L 玄 義 分 . 義 疏 円 二 一 J a k 意 ︹ ム \ 数 行 じ い 一 定 摘 解 ︵ 国 民 法 ︶ 一 一 一 一 七

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瓦参照︵ウ︶資↑雲御白耀筆記六四丁、南渓民文相時一当一.一七六台尿意︵ヰ︶桜山県宗全書に攻む︵ノ伊土和 設 の 内 諸 純 和 讃 、 悲 願 誠 一 懐 和 讃 ︵ オ , 二 念 多 念 誼 文 二 二 丁 目 民 主 功 徳 の 探 F グ ﹂ 唯 信 仰 一 文 意 円 九 丁 児 奨 の 惇 ヘ ヤ ︶ い を 本 一 二 ‘ 丁 右 ︿ マ ﹀ 同 二 二 丁 京 ︵ ケ ﹀ 同 一 二 二 一 J 右 ︵ 7 ︶阿一二了右︵三度仰土径二九丁左 19 民 自 弔 慰 に 於 げ ろ 仰 位 の 問 題 ji.

(26)

日 本 側 救 準 協 合 年 報 ︵ 第 九 年 ﹂ I

賓践哲卒としての

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日連聖人が﹃事

ω

一 念 一 一 一 千 ﹂ と し て 唱 導 せ る 慮 の も の ぞ ﹃ 宜 践 哲 壊 と し て の 一 念 三 千 ﹂ と 越 し て 究 明 せ ん と 欲 するものであるが、先づ第一にその貰時哲皐

ω

意味を明にするの必要がある。アリストテレスが哲皐ぞ区分して 理論的部門と賓践的部門との二つとなして以来此匝別は今日向人々の踏襲する所であるが、その理論的部門とは 知 口 一 識 の 問 題 で あ り 存 在 の 問 題 で あ り 、 賢 践 的 部 門 と は 人 生 の 問 題 で あ り 慣 値

ω

問題である。日蓮聖人は天台智者 大師の麿一副止観所立の一念三千の法門守理の一念三千と名け、之と甑別して自の所立な事の一念三千と名けられ たのであるが、その事の一念三千の中心ぞ矯すものは賓践であり、天台大師の理の一念三千そ枇曾的に貰現し て、いは Y 人生問題の解答として初めて事の一念三千と呼ばれたのであるから、之ぞ賓践門事と名くるに於て敢 て安常ならすとはいへない。勿論それが矯めに天台大師の一念三千を理論哲墜として片付けるわけではない。唯 . 術 者 を 比 較 す る と き 貰 践 哲 撃 は 事 の 一 念 一 一 一 千 に 冠 せ ら る べ き で あ る と す る も の で あ る 。

(27)

一念三千の法門は、天台大師が五十七歳の夏剤州の玉泉寺で摩剖止観を講じ、その第五仰をの正観点平に至って初 めて明にされたもの‘所謂大師の己心中所行法門といはるミ所のものである。其本操とは、 夫 一 心 具 ニ 十 法 界 刊 一 法 界 文 具 − L a 法 界 一 百 法 界 。 一 回 介 具 司 王 一 十 種 世 間 ﹁ 百 法 界 印 具 二 三 千 種 世 間 4 此三千在二念 心 4 若無 v心而己。介爾有 v心印具コ三千刊亦不 V 4 1 p 二心在レ前一切法在 v後。亦不 v言二切法在 v 一 心 在 一 v 後 。 j

i

− − − 今 心 亦 如 v日疋。若従二心一生二切法一者。此則是縦。若心一時合二切法一者、此卸是模。縦亦不可。横亦不 可。祇心是一切法、一切法是心。故非 v縦非 v横。非 γ 一 非 v 。 玄 妙 深 絶 、 非 − 一 一 誠 所 一 v 誠 、 非 ニ 言 所 と 一 員 。 所 以 栴 錦 ニ 不可思議境 4 意 在 ニ 於 此 4 云 々 止観にあっては、十境そ立てよ制法の封象となし、その各々について能闘の法として一乗観法在用ゐて修行す る。観不思議境といふのは十莱割引法の第一に位するもので、凡ての観法の根本となるも

ω

である。十境の内初め の除界入とは吾人現前の法であるが、その五陰十二入十八界向庚くして観境に遁しない c それでその内の五陰を 取り、五陰の中更に儲め四陰を措いて識陰在取る。陰誠申告取るのは印ち闘念論的立場である。そこで現前の一念 の心性ぞ取って、所観の境となし.この心三千ぞ具して不思議なり、玄妙深絹識の識る所にあらす言の言ふ所に あ ら す と 観 ホ ノ る 。 日 記 印 ち 一 念 三 千 の 観 法 で あ る 。 2 − 賀 践 哲 怒 と L て の ・ 一 念 三 千

(28)

M e 引 い 2 m m 設 川 中 協 ん 百 年 報 ︵ 第 九 年 ︶ 法華経守以てそ

ω

生命とせられには蓮聖人は 3 た怖として最も多く天台大浦心傾倒せられに人であつに ο 聖 人 がその問日紗巳於て﹃ざればは蓮が法華経の智解は天台俸敢には千高が一分も及ぶ事なけれど 4 h 難セ忍び慈悲 の す ぐ れ た る 事 は お そ れ 与 も い だ き ぬ べ し ﹂ ︵ 縮 刷 法 文 七 七 二 ︶ と い ひ 、 其 遺 文 到 る 慮 に 天 台 俸 故 以 嗣 大 師 、 ぜ 稽 鵠 し 、 法 集 宗 門 説 働 法 施 脈 ︵ 同 九 二 一 一 一 ︶ じ は 外 相 求 3と し て 天 台 大 師 守 高 組 と な し ‘ 漏 畑 悌 未 来 記 に は 、 ﹁ え ム 日 大 師 信 二 順 揮 迦 ﹁ 助 二 法 華 宗 一 敷 一 一 場 震 H 二 叡 山 一 家 相 二 永 一 九 ム 口 一 助 ニ 法 華 宗 一 弘 二 通 汀 本 一 等 一 去 々 。 安 州 日 蓮 恐 相 二 ↓ 本 土 師 石 川 二 法 草 山 市 一 流 ニ 一 連 末 法 ↓ 二 一 加 γ 一 一 概 ↓ 二 一 一 岡 四 師 己 ︵ 同 九 七 入 ︶ ? と あ っ て も いつでも両大師守法華経的行脊ト

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輩 ι 一 さ れ て 居 心 。 然 し ながら天台大師

ω

到達貼は印ち日蓮聖人叫出費酷であったと問。ふ。そしてそれ令ハツキリと示

3

れたのは概心本 堂妙である。翻心本電紗副肢には﹁関心法門少少在 v之、奉ニ太田殿教信御房等 4 此 事 口 述 常 身 大 事 也 。 : : : : ・ 仰 滅後二千二百二十儲年未 v ニ 此 書 之 心 斗 不 ν ニ 困 難 一 期 一 一 五 五 百 歳 一 波 ニ 説 之 一 云 々 。 ﹄ ︵ 同 九 五 七 ﹀ と あ い QO そ

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観心

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法門とは、事の一念二一千で、天台大師

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理 の 一 念 二 一 千 と 匝 別 せ ら る λ 所である。大師

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一 念 二 一 千 と は 座 棺 観 法 に 依ゐ詮呆であるから、仮令そ

ω

門詮に於て相過する所、があっても、聖人が之を理

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一念三千となし、自ら

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立 場 に依る成偽印要道そ事

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一 念 ﹂ 一 − 千 と 呼 ば れ た も の で あ る 。 ・ 明 一 人 は そ の 二 一 十 二 歳 の と き 法 華 経

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行者として出費さ れ た

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であるが、更に三十九歳

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時鎌倉幕府に封して立正安岡論なる宗教諭策一篇を献上された。此立正安岡論 は , 躍 に 幕 府 ︶ 信 一 練 暁 し に 献 白 書 で な く し て . そ

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形式に於てもそ

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門 容 に 於 て 主 事 一 人

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一代な週十ゐ宗教運動で あった札りである。それ故に聖人は爾来こ

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立正安岡

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主張在日て闘と人とに相針された。就中立正安岡論中に諌 言されたる他園佼道難

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遁中ケ契機として、文、水五年から八年へとかけて、猛烈なる立正安岡

ω

運 動 、 化 さ れ た の で ある。撰時紗︵同一、二四一︶に﹃余に三度的高名あり﹄といふて居られるのは、聖人の一代の中一業が以て立正安

(29)

岡山り貫時運動に始終して居ることな読すもりである。その他立正安岡論を再演しその蓮動な高調せる著述として は、丈永五年

ω

女 同 論 御 勘 山 来 が あ り 、 同 六 年 の 安 国 論 奥 壮 一 日 が あ り 、 丈 永 十 一 年

ω

同 州 立 正 立 紗 等 が あ る 。 向 御 臨 終 の前にも立正安岡論生講ぜられたと僚へて居る。更に私共が英深の出立を捕はねばならぬ事は、聖人の宗教的迫 害が悉く立正安岡論献上並じそ

ω

ω

立正安園の運動から起った事である。大難問度小難数

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− 切 ら ム ダ と い ふ そ れ 等の迫害は、悉く立正安岡論

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惹起せる宗教的迫害である。立正安岡論なかりせは聖人

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宗救的泊害も或はなか っ た か も 知 れ な い 。 それで聖人は天台大師

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如 く 、 所 謂 徒 衆 な 謝 遣 し て 山 谷 に 隠 居 し 、 採 田 ポ 汲 水 制 問 念 翻 法 J佐 川 崎 畠 わ さ れ た と い ふ 風 に 見えないけれども

7

この立正安園論的運動に於て一身ぞ日本固に打覆ふて、有ゆる忠難泊害に身な岡−されにい嵐が 印 ち 聖 人 一 的 十 法 成 一 来

ω

観法ではなかったかと忠ふのである。聖人が最初伊豆に流罪せられた泊寄生活は聖人に取 って止問

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境 致 で あ っ た の で あ る 。 流 罪 生 活 め 中 に 聖 人 は 自 費 と 反 劣 ︵ 或 は 感 謝 と 峨 悔 ︶ の 宗 殺 生 活 守 設 一 ら れ た ︵ 同 問 一 七 回 二 四 ︶ O そ

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感謝ム一儲悔との生活の中から、聖人の宗教の基礎概念は創造されたのである o 救機時国序 の五綱的教制是である︵同四二凹四二九︶。それから文永八年九月十二日の語口の

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難並に佐渡への遠流は聖人一 代の大難であった冗けに聖人

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内諮問刷費に有力であつに事は申すまでもない。住渡へ流されて翌年

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二月、零中 の 塚 原 コ 一 昧 堂 に あ っ て 位 界 引 片 山 u 日伝聞かんとて苦かれた開け紗 u必見ると、一間四而的二一昧堂の写の中に飢ゑ凍え つ為、その境致から油然として捕き出で来る本池上行の大自費と、吾、が身の過先生的罪業のみなら今、高人の罪 ,! に代らんとする儲協滅罪とが表裏あぎなへる縄

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如くに、伊豆の時よりも居一唐明瞭に明白に顕はれて来れるな 悶 る の で あ る 。 斯 り 如 品 川 、 以 迫 害

ω

最も懐憎たりし佐渡

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流罪生活が、聖人に成って止親りこよなき封境であった −

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践 哲 同 学 と し て の 一 念 コ 一 千

(30)

日 本 併 殺 皐 協 合 年 ・ 報 ︵ 第 九 年 ︶ 四

事を物語るものでなからうか。聖人の止闘を凝らす境界は徒衆そ謝遣し山谷に隠る?ものでなくして、枇舎に出 でて人々に打交りつヘ誠には園家枇舎を諌めて、そして迫害されて患難の流罪生活を巷られたその官所であっ たのである。それ故晩年身延に隠棲して九ク年の静寂なる生活を設られた時も、その生活は伊豆や佐渡の流罪地 にも等しい生活であった。所謂誓願配流の生活であつに。そこに聖人は舎で身で讃んど法華経そ聾古代朝暮に諌ん で、只管備に仕へ仰と

ω

みあかし暮されたのである。舎で佐渡に於て国顛せられた悌滅後二千二百二十齢年末曾 有の本章を針境として哨題三昧して暮された。そこから聖人の宗教の三大行式たる本門の本隼、本門の題目、本 門 の 戒 壇 が 護 表 さ れ た の で あ る 。 四 聖人は上述

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立場そ事の一念三千といふて居られるが、事とは事貫であり、観念そ事とする理と区別すべきも のである。草山の元政上人の十六字翻といはるよ翻二郎 v 心 一 日 疋 潟 三 理 観 4 朝 二 郎 v 色 一 H R ニ 事 観 4 吾 腎 三 折 得 二 此十六字己とは、能く事と理との匝別冶道破して居ると忠ふ o 事と理との匝別は、山林に隠れ個人的に行ひすま すのと、謹んで枇曾に出で岡家祉舎に妙法を貰現するとの相違である。理観としての一念三千観に於ては、幽界 の ご 一 陣 四 魔 そ 退 治 す る の で あ ら う が 、 一 耽 曾 的 貫 現 に 於 け る 事 の 一 念 三 千 は 三 障 四 魔 は 勿 論 の 事 人 間 悉 く が 悪 魔 と なり悪鬼となって陣擬ぞ錯すのであるから、尋常一様の決心費悟で出来るものでない。治病紗︵同一寸一

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一 二 ︶ に 止 観

ω

十境十乗の観法は天台大師説き給ひて後行する人無し。妙柴俸教の御時少く行かといへいとも敵人弱きゅ 止観に三陣四魔と申すは椛経を行守る行人の障にはあら今、今日蓮が時具に起れの。叉天 へ に さ で す ぎ ぬ 。

(31)

台俸数等の時の三降四魔よりもいまひとしはまされり

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i

− − − 一 念 三 千 の 観 法 に 二 あ り 。 一 に は 理 二 に は 事 な り 。 天 台 俸 教 の 御 時 に は 理 也 。 A ーは事也。概念すでに勝るが故に大難叉色まさる。彼は迩門の一念三千、此は 本門の一念三千也。天地はるかに殊也こと也。 ・とある。斯の如きは全く聖人白らの経験冶語られたものでなくて何であらう。聖人が伊京の流罪地に於て懐かれ た観念、小松原の万枝の下、龍口の首の座、殊には佐渡

ω

流罪地で屡々殺されんとしたる聞に懐かれた観念とは 蛮じいふ観念すでに勝るの観念であったらうと思ふ。かやうに聖人の一念三千観は多く泊書生活の顛難流離の聞 に由来あがつにもので、事観の妙味は全く其慮に存すると息ふ。 葱で私は聖人の信仰論に踊れて見たいと思ふ。聖人の宗教心理論は天台大師に操られて居る。識分の研究に於 て、眼耳鼻舌身の前五識と第六識とは凡夫識であり、第七末那識は二乗識であり、第八阿頼耶識は苓捧識であり、 第九庵摩羅識は悌識であるとされてある。聖人は日女御前御返事に﹃此御本章全く儀所に求むる事なかれ。口八我 等衆生

ω

法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の内固におはしますなり。是を九識心王国呉如の都とは申す なわ﹄︵同一、六二六︶といはれて、信はこの根本心の護動なりとするのである。法華経並に聖人に従へば、その 本章といふのは宇宙法界の根本法であるから.これと相針する信もまた根本心でなければならない。 少しく宗教哲事者の所設を引いてこれを解四押すると、シュライエルマッヘルの宗教心理論に依れば、﹃私共の 生活は

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符 ﹃ 豆 町 一 宮 ロ ︵ 自 己 内 滞 在 ︶ と ﹀ ロ 包 岳

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5

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︵自己外通過︶との蓮頑せる晶君化である。前者は意 識であり後者は行震である 0 ・意識は亦二つの異なれる形式を取る口印ち智識と感情とである。智識は認識された も の と し て は 白 己 の 官 研 一 円 F E n

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ロであるが、認識としては自己の﹀

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即 日 岳

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に依りて現賓となる、その限 食 践 哲 撃 と し ℃ の 一 念 三 千 五

参照

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