一 八 一 〇 年 代 に お け る ヴ ィ ル ヘ ル ム
・ フ ォ ン
・ フ ン ボ ル ト の 政 治 思 想
吉 永 圭
一 序 二 フン ボル トの 思想 展開
ઃ 国家 忌避 的態 度
教育 制度 改革 論に おけ る国 家へ の接 近 三 一八 一〇 年代 にお ける フン ボル トの 政治 思想
ઃ 政 治 環 境
フン ボル トの 政治 思想
⒜ ある べき ドイ ツの 形
⒝ 政治 参加 と陶 冶 四 フン ボル トの 政治 思想 と言 語思 想の 関係
ઃ フン ボル トの 言語 思想
言語 を通 じた 教養 の展 開 અ 出版 の自 由 五 政治 思想 の中 の新 人文 主義 的理 念
一 序 筆者 は過 日、 ヴィ ルヘ ルム
・フ ォン
・フ ンボ ルト の政 治思 想と 教養 の理 念を 現代 正義 論︵ 特に リバ タリ アニ ズム
︶ に資 する こと を企 図し て著 した 一連 の論 文を 一つ にま とめ
、上 梓
( )
した
。本 稿は 当時
、問 題に 気付 きな がら 文章 化に
1
間に 合わ なか った 作業
︱︱ フン ボル トの 一八 一〇 年代 の政 治活 動を 彼の 新人 文主 義的 理念 から 捉え る︱
︱を
、遅 れ ばせ なが ら行 うも ので ある
。拙 著と 本稿 を合 わせ
、フ ンボ ルト の思 想の 包括 的把 握に 少し でも 近付 くこ とを 願う
。 近代
ドイ ツ政 治思 想史 にお ける 優れ た業 績で ある
﹃世 界市 民主 義と 国民 国家
﹄に おい てフ リー ドリ ッヒ
・マ イネ ッケ は、 シュ タイ ン、 グナ イゼ ナウ
、フ ンボ ルト につ いて 次の よう に述 べて いる
。﹁ 彼ら にと って は、 当時 の精 神 的理 想は
、単 なる 言葉 のあ やと か、 純然 たる 政治 家で も影 響を 受け 取る こと があ り得 るよ うな 教材 であ るば かり で なく
、実 際的 活動 に忙 殺さ れて いる 間に も全 くそ れな しに は済 ます こと の出 来な い不 断の 生活 の糧 であ った
。そ こ で彼 らの 中に は精 神的 理想 が非 常に 深く しみ 込ん でい たの で、 それ は、 意識 的な 道徳 的確 信と なり 得た ばか りで な く、 彼ら の行 為と 思考 の無 意識 の前 提と もな るこ とが 出
( )
来た
。﹂
2
そし て一 八一
〇年 代の 政治 文書 に見 られ るフ ンボ ルト の思 想に つい て、 次の よう な興 味深 い記 述を して いる
。
﹁シ ュタ イン とグ ナイ ゼナ ウが プロ イセ ンの 国務 と軍 役の 中で 成長 した のに 対し て、 フン ボル トは 古典 的な 文学 と 哲学 の世 界で 成長 し、 国家 権力 の拡 大欲 に抗 議し
、先 に見 たよ うに
、国 民的 なも のを も純 粋に 人間 的な 意向 で捉 え たの であ った から
、政 治家 とし ての 彼は
、今 や全 く顕 著に
、国 民的 に再 生し たプ ロイ セン とド イツ を普 遍的 な掟 の 下に 置き
、国 家権 力や 政治 的に 統一 され た国 民の 自決 を束 縛し よう とし たは ずだ
、と 思わ れる かも しれ ない
。し か しな がら
、も し人 が一 八一 三︱ 一八 一六 年代 の彼 のド イツ 憲法 思想 を、 この 予想 に基 づい て吟 味す るな らば
、フ ン
ボル トは この 年代 には
、シ ュタ イン より もず っと
、自 主的 な国 民国 家の 理念 に近 づい てい た、 とい う意 外な 結果 が、 直ち に明 らか にな るの で
( )
ある
。﹂ しか し﹁ 彼は また 自分 の文 化理 想の 為に
、ド イツ が自 主的 な権 力国 家に 発展
3
する こと を、 十分 な意 味で は望 んで いな かっ たと いう こと
、彼 の国 民政 治的 な理 想は
、一 八世 紀の 世界 主義 的教 養 から 来て いる 諸理 念に よっ て、 ドイ ツ人 は文 化国 民・ 人間 性国 民た るべ き使 命を 持っ てい ると いう 観念 によ って
、 弱め ら
( )
れた
﹂。
4
本稿 は右 に見 られ る、 微妙 なバ ラン スを 保つ マイ ネッ ケの フン ボル ト研 究を 下敷 きに して いる
。す なわ ち一 方で 現実 的な 政治 活動 の中 で国 家と して の利 益を 確保 する 姿勢 を保 ち、 他方 で新 人文 主義 的な 思想 を捨 てな い政 治家 と して のフ ンボ ルト であ る。 本稿 では 彼の 政治
︵国 家︶ に対 する 教養 の位 置関 係の 内、 特に 一八 一〇 年代 の範 囲に 絞 って 考察 する
。勿 論そ の準 備作 業と して
、そ こに 至る まで のフ ンボ ルト の思 想を 概観 する
。 もし マイ ネッ ケの 研究 に対 する 独自 性を 本稿 に求 める なら ば、 それ はフ ンボ ルト の実 践的 政治 文書 の中 に彼 の言 語思 想の 影響 を確 認し よう とし てい る点 であ る。 これ は次 のよ うな 仮説 に基 づい てい る。 フン ボル トは 若い 段階 で フィ ヒテ の影 響等 を受 けな がら 言語 への 思考 を深 めて いっ た。 一九 世紀 に入 って から は、 彼の 言語 研究 は大 きな 展 開を 見せ る。 そし て教 育改 革の 責任 者と して 著し た文 書に 言語 教育
︵特 に古 代ギ リシ ア・ ラテ ン語
︶の 重要 性を 訴え る箇 所が ある のだ が、 それ は彼 の言 語思 想︵ 更に は陶 冶思 想︶ を背 景に 持っ てい ると 考え られ る。 政治 活動 に多 忙 な時 期も 言語 に関 する 論文 を書 く努 力を し、 古代 ギリ シア 文学 の翻 訳を 完成 させ
、政 界引 退後 は言 語研 究を ライ フ ワー クに した フン ボル トで ある
。 優れ た政 治家 は、 政治 的実 践に 携わ る前 に構 築し た思 想・ 信条 を場 当た り的 に変 更す るこ とは しな い。 彼に 見ら れる のは 己の 矮小 さか ら来 る日 和見 主義 では なく
、長 期的 観点 から 来る 臨機 応変 であ る。 一八 一〇 年代 の、 ドイ ツ の自 立を 当時 の欧 州事 情の 中で 探っ たフ ンボ ルト の政 治文 書の 中に
、彼 の言 語思 想が 活か され てい ると 推測 する こ
とは
、彼 の政 治活 動全 体か ら眺 める なら ば、 そう 見当 違い では ない と思 われ る。
︵
︶ 吉永 圭﹃ リバ タリ アニ ズム の人 間観
﹄︵ 風行 社・ 二〇
〇九 年︶
。
︵
︶ フリ ード リッ ヒ・ マイ ネッ ケ︵ 矢田 訳︶
﹃世 界市 民主 義と 国民 国家
Ⅰ﹄
︵岩 波書 店・ 一九 六八 年︶
、一 七六
︱一 七七 頁。
︵
︶ マイ ネッ ケ・ 前掲 書、 二〇
〇︱ 二〇 一頁
。
︵
︶ マイ ネッ ケ・ 前掲 書、 二一
〇頁
。
二 フン ボル トの 思想 展開
ઃ
国家 忌避 的態 度 先に マイ ネッ ケの 研究 を引 用し たが、そ こで 言わ れる フン ボル トの 国家 忌避 的態 度が 最も よく 示さ れて いる のが 一七 九二 年に 著さ れた
﹃国 家活 動の 限界 を確 定せ んが 為の 試論
﹄で ある
。﹃ 試論
﹄の 次の 部分 は、 青年 フン ボル ト の政 治思 想が 鮮明 に表 れて いる が故 に、 多く の論 者が 言及 して きた
。﹁ 人間 の真 の目 的は
、︱
︱変 わり やす い傾 向 では なく
、い つま でも 変わ らな い理 性に よっ て示 され るの であ るが
︱︱ 人間 の持 つ諸 力を 最高 にし かも 最も 調和 の とれ た一 つの 全体 へと 陶冶 する こと
︵B il du ng で︶ ある
。こ の陶 冶の 為に 自由 は、 第一 の不 可欠 な条 件で ある
。し かし 人間 諸力 の発 達の 為に
、自 由と 密接 な関 係が ある のだ がそ れの 他に また 別の もの が要 求さ れる
、す なわ ち状 況 の多 様性 であ る。 最も 自由 で独 立し た人 であ って も、 単調 な環 境に 置か れて いた ので は発 達し 得な い。 確か にこ の 多様 性は 常に 自由 の結 果で ある 一方
、他 方で 人間 を制 限す るの では なく て人 間の 周り の物 に任 意の 形式 を与 える 制 約の 方式 でも ある
、よ って 自由 と多 様性 はい わば 同一 のも ので ある
。そ れで も両 者を 分け るこ とは 概念 の明 確化 の 為に はよ り適 切で
( )
ある
。﹂
5
青年 フン ボル トは
、人 間の 目的 を自 己の 陶冶 とし
、国 家は それ を妨 げる べき では ない とし たの であ る。
﹃試 論﹄ 第六 章で は教 育に 言及 する が、 フン ボル トは この 時期
、国 家に よる 教育 への 関与 に否 定的 であ る。 フン ボル トに よれ ば、 人類 は今 ある 段階 にい るの だが
、﹁ それ より 高い 段階 に至 るに は、 個人 の育 成に よっ ての み可 能で ある
。従 って
、そ のよ うな 育成 を妨 げ、 人間 を更 に大 衆に 詰め 込む 全て の制 度は 従来 より も今 や有 害で
( )
ある
。﹂ フ 6
ンボ ルト は次 のよ うに 主張 する
。﹁
…… 先ず 広く 影響 を及 ぼす 道徳 的手 段の 公的
、す なわ ち国 家に よっ て規 定 され た、 ある いは 管理 され た教 育は
、多 くの 側面 から 考え て疑 問で ある
。こ こま で述 べた 全体 から 判断 する と、 最 高の 多様 性に おけ る人 間の 育成 が正 に重 要で
( )
ある
。﹂ フン ボル トに よれ ば、 公教 育は 市民 ある いは 臣民 の育 成を 目
7
指す
。そ こで 目指 され るも のは 均衡 であ る。 これ は国 家の 安定 に通 じる と考 えら れて いる
。し かし フン ボル トに よ れば それ は何 の進 歩も ない か、 人間 のエ ネル ギー の欠 如に 至る ので ある
。 フン ボル トの 目指 す人 間は 以下 の文 章に よく 示さ れて いる
。﹁ 概し て、 教育 はた だ、 特定 の、 人間 に与 えら れる 市民 的形 式を 考慮 する こと なし に、 人間 を形 成し なけ れば なら ない
。だ から 国家 は不 要な のだ
。自 由な 人間 の下 で 全て の職 業は より 良く 進展 する し、 全て の芸 術は より 美し く開 花す るし
、全 ての 学問 は発 展す る。 自由 な人 間の 下 では 家族 の絆 もよ り親 密に なる し、 両親 はよ り熱 心に 子供 の世 話を して
、よ り裕 福に なり
、子 供の 希望 に応 じる こ とが 出来 るよ うに もな る。 自由 な人 間の 下で は、 熱心 に見 習う とい った こと が生 じる
、そ して 教師 の運 命が 国家 に よっ て期 待出 来る 昇進 より も仕 事の 成果 に依 存し てい ると ころ では
、よ り良 い教 師が
( )
育つ
。﹂
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当時 のフ ンボ ルト は身 分や 職業 によ って 規定 され る﹁ 市民
﹂で はな く、 その 存在 性の みを 拠り 所に する
﹁人 間﹂ の概 念と 教養 を結 びつ けよ うと して いた と見 て良 い。 しか し治 安に 関し ては
、フ ンボ ルト は国 家に 一定 の役 割を 認め る議 論を 展開 して いる
。﹁ 国家 はむ しろ
︱︱ 現実