ある婦人の肖像
il
ルソ
1
ー ド
・ ラ
・ ト ゥ
1
ル夫人書簡における自己のフィギュ
1
ル桑
瀬
章二郎
その文通は十五年以上も続けられたのだから︑
いずれの手紙の作者にとっても貴重なものであったと言えるのかも しれない︒百八十通近くの手紙が書かれたという事実も︑二人が互いにかけがえのない文通相手であったことの証と なるだろうか︒そのうちの一人は大事に手紙を保存し︑誇んじるまで読み返し︑書簡集として公表することまで考え たのだから︑書簡は読み物としての連続性︑そして何よりも高い﹁対話性﹂を備えおり︑親密な言葉の交換と投影さ れた他者の言葉の痕跡をいたるところに見出すことができるのかもしれない︒しかし︑もう一人の対話者が約六十通 の手紙しか書かず︑そのほとんどが極めて簡潔な短信でしかないとしたら︑そして﹁すべてを語ること﹂を目的とし た自伝的著作の中で相手の対話者の名前が一度も引かれることがなく︑また親しい友人との手紙の中でも触れられる ことがないとしたら︑親密な交流など一方の幻想に過ぎなかったと考えるべきではないだろうか︒実際︑書簡の中
で︑消極的な一方の対話者は︑
いくつもの聞いの中から選び出したごくわずかの間いにそっけない回答を用意し︑そ れに︑自分は棺手が望むような﹁対話﹂に身を委ねることはできない︑という弁解を付け加えて送り返すことしかし
ていない︒限られた例外的瞬間を除いて︑この対話者には︑相手の言葉が深い影響を与えることはないように見え
2
だがこの書簡の中で焦点となるいくつかの主題が︑消極的な対話者 る
11
1
H
ジヤツク・ルソジヤン11
11
をほぼ同じ
時期捉えて離さなかった課題であったとしたら︑そしてこの私的な書簡の中で激しく求められながら︑決して差し出
そうとされなかったものが︑公的な著作という形で準備されていたとしたら︑やはり二人の対話者の間には︑ある種
の深い交流があったと考えるべきではないだろうか︒積極的な対話者
I
|ド・ラ・トゥIル夫人l i
はこの書簡の中
で︑真正な唯一の自己像の探し求め︑それを提示するという特別な経験を生きることになるのだが︑それはほぼ同じ
時期ルソ1が︵言︑つまでもなくもっと徹底した遣り方で︑あるいは彼自身の好んだ言い回しを借りれば︑特異な遣り
方で︶取り組んでいた課題にほかならない︒またド・ラ・トゥIル夫人は︑真情を吐露するために︑そしてより大胆
に自己を開示するために︑対話者からの信頼の表現︑対話者自身の真情の吐露を要求するのだが︑これもまたルソ
1
が︑夫人が想像することさえ出来なかったであろう過激な形で︑提示することを構想していたものにほかならない︒
ド・ラ・トゥ1ル夫人の試みとその挫折を検討することによって︑よく知られたルソ1の自伝の︑まったく知られて
︑
a
し ゃ
: ︑
れ
O
し﹁対
話性
﹂
が浮かび上がるに違いない︒
読むことから書くことへ
すべ
ては
︑
一つ
の小
説を
めぐ
る︑
もう一つの虚構のようだ︒
﹁新
エロ
1ヴ湖畔のlズ﹄は︑﹁アルプス山麓の小さな村に住む恋人たちの手紙﹂という副題が一不す通り︑ジユネイ
小村を舞台に繰り広げられる︑﹁徳を愛しながらも徳に背い﹂てしまう若き主人公ジユリと︑﹁誠実で感じやすく︑心
底弱いところがあり︑なかなか弁のたつ青年﹂︵序文におけるルソl自身の言葉︶サン川ブルーとの恋物語である︒恋物
語とは言っても︑この書簡体小説には脱線とも三守えるようなさまざまな挿話が含まれており︑またフランスやスイス
の習俗についてのいくつもの考察︑教育や﹁家政﹂︑自殺や決闘をめぐる議論などが展開するので︑粗筋を要約する
のは容易ではないのだが︑ここでわれわれの関心を引く二人の主人公の恋愛にのみ焦点を当て︑少々強引に物語を辿
るとおおよそ次のようなものとなろう︒
身分の異なる恋人たち︑ジユリとその家庭教師サン
H
プル
1は︑良き相談相手である従姉妹のクレールに見守られ
ながら愛を育んでいくが︑貴族的名誉を重んじるジユリの父親デタンジュ男爵は平民サン
H
ブルーを軽蔑し︑娘を身分相応の自分の友人に与えようとする︒二人の理解者であるエドワード卿は男爵に二人が激しく愛し合っていること
を明かし︑彼らの結婚を提案するが父親は取り合わず激昂し︑恋人たちは離別せざるをえない︒二人はそれでも隠れ
て文通を続けるのだが︑ジユリの母親デタンジユ夫人によって文通を発見され︑深く傷ついた母はそれがきっかけで
死の床に臥し︑ジユリは深い悔悟の念に苛まれる︒結局ジユリはサン
H
プル!との結婚を諦め︑父の友人ヴオルマlルと結婚︑貞節な妻となることを誓う︒四年後︑サン
H
ブルーが世界一周の航海から戻ると︑ヴォルマlルは恋人たある鮒人のl'if象
ちの過去を知りながらも妻の貞節を信じ︑二人の子供たちと共に暮らすクラランにサン川ブルーを呼び寄せる︒かつ
ての恋人たちは様々な思いに囚われるが過ちを犯すことはない︒しかし息子を救うために誤って湖に落ち︑それがも
ととなって死の床に臥したジユリは︑最後に死が天の恵みであると打ち明ける:::
今日の読者にはこのような﹁単純な主題﹂︵作者自身の表現︶を持つ小説の魅力を理解するのは容易くはないが︑
4
この作品は出版されるや百や圧倒的な成功を収めて十八世紀最大のベストセラーとなり︑ジユリとサン川ブルーは世紀を代表する恋人たちとして︑そして何よりも︑美徳に対する愛と感情の真実とを鮮烈に表現する手紙の作者とし
て︑特別な憧慢の対象になった︒
﹃告白﹄第十一巻でルソlは︑小説が出版された当時のパリ社交界の興奮︑特に女性読者たちの熱狂的な反応をい
ささか自慢げに想起している︒﹁とりわけ女性たちは︑書物にも作者にも夢中になり︑もしも私がその気になったな らば︑身分の高い女性たちであっても︑征服できなかったような女性はほとんどいないと思われるほどだったじサ
ント
・ブ
1ヴによれば後の時代の作家︑例えばシャトlブリアン︑ラマルチlヌ︑パルザツクのような作家は︑登場
人物に自己投影しつつ小説世界に没入し︑虚構と現実を自ら進んで混同しようとするような熱狂的な﹁女性賛美者﹂
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2
壬 し芸会 員は
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ーズ
﹄ とは異なるまったく新しい関係を成立させることになったの創作行為と無縁であるだけではなく︑文学者たちとは何 のつながりももたない名もない女性読者が︑﹁作家﹂なる唆味な存在に向けて︑読書がもたらした印象を書き綴るよ うになったというのである︒自分たちが日々経験していながら言葉にすることが出来ないでいる微妙な感情︑社交の 空間では表現を禁じられているような内密な印象を彼女たちに代わって表現してくれた﹁作家﹂︑自分たちの心の秘 密を解明し︑その姿を作品の中で歌い上げてくれたこの﹁作家﹂に対し︑彼女たちは感謝の気持ちを書き送り︑さら には悩みを打ち明け︑﹁作家﹂との問に﹁交流﹂を打ちたでよろとする︒
われわれがここで問題にしようと思うド・ラ・トゥlル夫人とルソ1の書簡は︑まさにこうした﹁作家﹂とその熱
狂的な﹁女性賛美者﹂との書簡︑つまり﹃新エロイl
ズ﹄という小説を読むことによって心動かされ︑小説の登場人 物へ同一化し︑見知らぬ﹁著者﹂に向けて綴られた書簡であり︑
ルソ
1
﹁崇拝﹂の代表的証言として読まれることも
ある
最 ︒
初︑
ド・ラ・トゥiル夫人の友人であるベルナルドニ夫人がルソlに手紙を書くのだが︑今日から見れば滑稽で
しかないその接触の仕方は︑小説が二人の女性読者に与えた影響の大きさを物語っている︒彼女は﹁ジユリは死んで はおらず︑あなたを愛するためにまだ生き続けているということがお分かりになるでしょう﹂︵書簡ごと書き︑ド・
ラ・トゥ1ル夫人を﹁ジユリ﹂として紹介し︑自分を﹁クレ1ル﹂に擬えるのだ︒それに対しルソl
もま
た︑
﹁ジ
ユ
リやクレールのような女性がいるということであれば︑サン
H
ブルーのような人間もいることになるでしょう﹂と︑
当時の少なからずの読者が信じていた著者︵編者︶
ルソ
lH
主人公サン日ブル!という関係を引き受けつつ︑書簡に
よる関係を結ぶことに同意する︒こうして十五年以上も続く︑約百八十通の手紙からなる書簡空聞が聞かれることに なったのである︒
この新たなジユリとクレ1ル︑すなわちド・ラ・トゥ1
ル夫人とその友人ベルナルドニ夫人について︑残された手 紙の外部に探すことの出来る生の痕跡は︑ごく限られたものでしかない︒
ある対人のf'jfま:
ド・ラ・トゥl
ル夫
人︑
マリ川アンヌ・メルレ・ド・フソンは︑
一七
三
O
年十一月の七日もしくは十日︑ノルマンディ
l
地方出身の末流法服貴族の家系に︑パリで生を受けている︒二十歳のころ︑
ほぼ同じ階層に属するジヤン
H
パチスト・アリサン・ド・ラ・トゥl
ルと結婚するが︑この夫は品行定まらず︑放持を重ね︑結婚から数年後には後見
人をつけられてしまう
c
それからしばらくたった一七五五年ごろ︑夫人は夫と別居を始めるのだが︑
一七七四年ごろ
6
には︑どうやらこの夫の態度が原因でド・ラ・トゥlルの名を捨て︑ド・フランクヴイルの名Iーその由来はわから
ない||iを用いるようになる︒ルソl
に最初の手紙を送るのは︑
一七六一年十月︑夫人が三十一歳になろうとしてい るころであり︑すでに夫とは別居している︒夫人は名高い﹁ルソ
1
lヒ ュ
1
ム論
争﹂
の際
に︑
ルソーを擁護する論争
文書を匿名で書き︑さらにその死後︑作家の遺徳を称えるため︑そして彼の﹁敵たち﹂を攻撃するために︑雑誌に寄 稿し︑論争舎を著わしているが︑それらはほとんど話題にならなかった門ド・ラ・トゥ
1ル夫人について知られてい
るのはこの程度のことでしかないのだが︑友人のベルナルドニ夫人︑
マリ
u
マドレ
i
ヌ・ベルナlルについてはと言うと︑さらにわずかなことしか知られていない︒士宮の父と帯剣貴族の家系をひく母との間に︑おそらくはド・ラ・
トゥ
l
ル夫人よりも少し早い時期に生まれたこと︑そして︑イタリア出身で外交の世界で活躍した父を持つアントワ
ーヌ・ベルナルドニと結婚︑
一男一女を儲けたこと︑それくらいだ︒
後世にはほとんどルソーとの書簡を通してのみ知られていると言ってよいこの三人の女性が・有名な作家と文通を開 始し︑関係を深めていくことになるのだが︑ド・ラ・トゥ
1ル夫人は文通が始まってから約三年後の一七六四年九月
︵室百筒百十三︶︑それまで何の繋がりもなかった三人の問にどうやって書簡関係が成立し進行したのかを次のように説
明し
てい
る︒
﹃新
エロ
イ
1ズ ﹄
の読書は夫人に決定的ともいえる感動をもたらすのだが︑夫人はその感動をベルナルドニ夫人と
共有し︑この書物から浮かび上がる編者H
著者ルソーという人物について語り合う︒友人は︑読書が与えた特異な印 象を作者に対し率直に語ることによって︑夫人と作者との聞を取り持つことができるのではといささか楽観的に判断
し︑ルソ1へ手紙を書き送る︒ド・ラ・トゥ
l
ル夫人はルソーからの返事をさほど期待していたわけではなかったの だが︑意外にも親切な返事が書き送られてきたのを見て︑思い切って自分も手紙を書くことを決意する︒さらに友人 が︑夫人がどのような人物であるかを詳細に語るとルソーはそれに心動かされて二人の衡に信頼関係が生まれ︑夫人 の敬愛の念は一一層強まり︑書簡は次第に熱を帯︑びる︒だが︑夫人が頻繁に熱烈な言葉を書き送り︑
ルソーからもまた
同じような頻度で︑同じように熱意のこもった手紙を受け取ることを望むと︑独立不鴇を貫こうとする作家は手紙を 書くことが義務となることを嫌い︑文通の中断をほのめかす︒実際ルソ
1はしばらくの間沈黙を守るのだが︑夫人が
繰り返し書き送った悔恨の言葉に心動かされ︑文通を再開し︑情愛を誓一い︑さらにはしばらくして自分の著作﹁エミ
ール﹂を送る
躍賭いと誤解を乗り越えて二人は信頼と友愛の空間を形作るというこうした夫人の解釈は︑確かに書簡関係のある 一面を捉えており︑またころした解釈こそがこの書簡を通俗的な意味で有名にしてきたと言える︒だが︑作家ルソ
I
と読者との緊密な交流という図式を一旦括弧に入れてこの書簡を読み返すなら︑読者は夫人の解釈とはおそらくまっ たく異なった印象を抱くであろう︒二人が対話らしきものを成立させるのはむしろ例外的な瞬間であり︑そのごく短 い時期を除いては︑永遠に続くかと思われる誤解とすれ違いが書簡全体を支配しているように見えるのである︒ま
た︑ド・ラ・トゥlル夫人は自らをルソ1
へ純粋な賛美を捧げる女性︑さらにはこの気難しい作家のよき理解者とみ
ある財人の J'jf象
なすのだが︑彼女がこの作家の格好︑習慣︑信条を理解していたとは到底思えない︒ルソ
l
の書いた多くの作品や手紙︑さらにはいくつもの伝記を手にすることの出来る現代の読者には︑夫人が︑まさにこの気難しい作家の機嫌をそ こなわないためには決して書いてはならないと思われることを︑
いくつかの重要な局面で︑必ず書いてしまように見
える
ので
ある
︒
お互いがお互いを適切な対話者として認めることはないこの二人の︵最初のみコ一人の︶書簡は従って絶えず中断の
危機合字み︑不均衡なものであり続ける︒興味深いのは最初期からすでに︑
ルソ
1
に返事を催促すること︑Yレ
、 ノ
ぴ )
手紙を要求することが︑彼女の手紙の主題そのものとなっていることである︒気遣い︑問いかけ︑懇願︑憤慨︑提
案︑通知︑依頼︑あらゆる手段を用いて返事を催促するのだが︑言葉の過剰と過大な期待︵サント・ブ
l
ヴは夫人が年老いた病のルソlをサン
H
プル!と取り違えていると指摘している︶はルソlの気持ちを遠ざけることにしかならない︒ルソl
は苦情を漏らし︑沈黙し︑夫人を叱責し︑非難し︑皮肉り︑ある時は侮辱するのだが︑その侮辱の一言葉
はベルナルドニ夫人を憤慨させ︑結局書館空聞から彼女を完全に撤退させてしまう︒またド・ラ・トゥ
1
ル夫人はルソーの怒りを静めるために︑繰り返し純粋な悔恨の言葉を書き送ったとしているのだが︑実際の彼女の手紙は悔恨の 言葉と言いうよりもへつらいに満ちていて︑彼女が夢見たジュリの手紙とはかけ離れたものになっている︒このよう に︑夫人の手紙は︑友愛と信頼の関係の上に書かれたものというよりも︑永遠に続く︑友愛と信頼の希求の表現にほ
かならないのだが︑まさにそのような観点からこのルソ
1
l
ド・ラ・トゥ1
ル夫人書簡を読み直すとき︑交換をめぐるある一つの興味深い主題が浮かび上がることになる︒
ボ ル ト
人物描写の交換
明らかに自分に好意を寄せている女性が書き送ってくる熱烈な手紙にそっけない返事を書き︑はっきりと表明され
た恋心を打ち消すかのように自らの病︵尿閉︶について詳述︑さらには面会を強く希望されると断固たる調子でそれ
を拒む︒生前から﹁社交嫌い﹂であるとまことしやかに噂されていたルソーならではの態度にド・ラ・トゥl
ル夫
人
は困惑を隠しきれないが︑それでも彼女は崇敬と愛情とが混じった好意を示し続ける︒そして夫人はある時︑画家に
描かせた自らの肖像を見たくはないかと作家に問いかける︒そう︑肖像の交換は︑これといった明確な主題を持たな
ボ ル ト
いこの書簡最大の話題の一つと言ってよい︒しかし差し出されるのは肖像画だけではない︒書かれた肖像︵人物描
写︶もまた準備され︑ルソl
に送
られ
るの
だ︒
ここで︑絵画と文学二つの分野においてそれぞれに固有の複雑な歴史を持ったボルトレ︵勺
OR
E −C
というジャンル
について詳述する余裕はない︒ここではこの語が︑ド・ラ・トゥlル夫人とルソ!との聞に書簡が交わされた時代
に︑ある人物の性格や容貌を精確に描きだすことによって︑﹁厳密な相似性﹂︵﹃百科全書﹄︶を実現しようとする﹁肖
像画﹂を意味するのと同時に︑散文や韻文による︑ある人物の﹁身体﹂もしくは﹁精神﹂︵﹃アカデミー辞書﹄︶
の描
写
をも意味していたことを想起すれば十分である︒ルソーにはド・ラ・トゥlル夫人の複数の肖像が送り届けられ︑そ
の中には肖像画︑︵舌口葉による︶身体描写︑性格描写のほかに︑さらには伝記的な人物紹介までもが含まれているの
一貫
して
ポル
トレ
︵℃
OR
B −同
︶と
いう
語が
用い
られ
て
だが︑そうしたさまざまな人物の表象と描写を指し示すために︑
ある財人の
f ' j
像いる
ので
ある
︒
ホ ル ト レ
その人物描写は文通のいくつかの重要な局面で興味深い役割を果たすことになる︒まずはその序曲とも言うべき第
一信
にお
いて
︒
すでに見たように︑ド・ラ・トゥlル夫人︑ベルナルドニ夫人︑そしてルソlの三者の手紙によって構成される書
簡空
間は
︑
ベルナルドニ夫人がド・ラ・トゥlル夫人をルソlに紹介し︑このニ人の問に書簡関係を打ち立てること
によって成立した︒ベルナルドニ夫人がルソ
1
に宛てた最初の手紙では従って︑ド・ラ・トゥlル夫人がルソーとの文通に値する存在であること︑
ルソ
i
が手紙を書き送り︑さらには送られてきた手紙に返事を書く価値のある女性であることをいかに証明するかが問題となる︒その価値を証明するためには当然ながらド・ラ・トゥlル夫人の魅力を
余すところなく伝える人物描写を書き送ることが必要になるのだが︑そこでベルナルドニ夫人によって用いられる手
段は興味深い︒夫人は︑﹁ジユリが死んでしまったなどということはなく︑あなたを愛するためにまだ生きているの
だ︑ということがお分かりになるでしょう﹂と書き送り︑ド・ラ・トゥ
1
ル夫人をジユリの生き写し︑つまり小説の畳場人物に酷似した存在として提示するのである︒
﹁で
すが
︑あ
たか
もあ
なた
が私
の言
︑つ
人物
言己
E注をご存知で︑その人物を元に︑特後をことごとく真似てジユリを作った︸︶ ことをお認めいただけるのではないでしょうか︒﹇ド・ラ・トゥ!ル夫人の﹈魂はつンユリと﹈同じように崇高で︑両親に対 し同じような思いやりと敬愛の気持ちを示し︑召使たちからは尊敬され︑彼らに対して同じような態度で接し︑また不予な
人々︑に対しては同じような優しさを持っています︒同じように才気に富み優雅で︑同じように才能に恵まれて明敏で︑すらす
らと自分の考えを述べることも出来ます︒そして何よりも︑ヴオルマ
l
ルのような夫とは似ても似つかぬ自分の夫に対しこの
上な
く寛
容な
心で
もっ
て接
する
ので
す︒
﹂︵
書簡
互利 エロ イ
1ズ﹂という小説を一読すれば明らかなのだが︑感じやすい魂︑両親に対する思いやり︑召使への寛大
な振る舞い︑不幸な人々への優しさ︑女性らしい才気や優雅さといった点はすべて小説の中で繰り返し強調されるジ
ユリの特異な個性の構成要素にほかならない︒つまりド・ラ・トゥIル夫人の輪郭は︑ジユリというモデルとの類似
性||ほとんど同一性といってもよい||に基づいて描かれるのだと言える︒夫婦関係をめぐる境遇の差異もこの場 合︑二人の人物が夫に対し同じように﹁義務﹂を果たしていることを強調するために利用されている︒またここには
奇妙な転倒を認めることが出来よう︒言うまでもなくジユリとド・ラ・トゥ1
ル夫
人の
類似
性は
︑
ルソ
lがジユリと
いう人物を創造し︑ド・ラ・トゥ
1
ル夫人とベルナルドニ夫人が﹃新エロイ1
ズ﹄を読むことによって見出されたもオ リ ン ナ ル
のにすぎないのだが︑ここではド・ラ・トゥl
ル夫人こそがジユリとの類似関係を決定する一克の人物であるとされる
のである︒これを類似性を強調するための単なる軽薄なレトリックと捉えてはならない︒登場人物との類似性から
オ リ ン ナ ル
ド・ラ・トゥlル夫人の個性なるものが導き出されたのだったが︑その個性が見出されるや否やそれが元の人物︑つ
まり一つの起源と考えられるようになるのである︒見出された自己は︑小説が描かれる以前から存在していたに違い
ご ︑
o
J h E b
こうして︑﹁新エロイlズ﹂という小説の延長線上に現実の書簡が位置づけられ︑ド・ラ・トゥl
ル夫
人︑
"
"
yレ
ナル
ドニ
夫人
︑
ルソ
l
の三者は︑あたかも小説の登場人物ジユリ︑クレール︑サンH
ブルーのように手紙を紡ぎ出していくことになる︒ド・ラ・トゥlル夫人がジユリに似ていればいるほど書簡は小説に類似し︑物語の再現︑あるい
ある島
l r
人の「if象は継続となるだろう︒なぜなら彼女たちにとってサン
H
プル
1はルソーその人に他ならないのだから︒﹁もしジユリ
が実際存在したなら︑あなたこそがきっとサシ
H
ブルーであるはずです己主百筒四︶
今日の読者なら失笑を禁じえないであろう︑こうした小説の登場人物への同一化は︑なるほど一時の軽薄な遊戯に
すぎず︑すぐさま放棄されるようにもみえる︒ド・ラ・トゥ
lル夫人はルソ1に宛てた最初の手紙の冒頭ではっきり
とこう述べているからだ︒﹁私のクレールが︑あの素晴らしい女性
h
ジユリ︺と私の間に認めた類似性ですが︑私にはとても認めることができません︒﹂︵書簡囚︶しかし︑それでもれ己の肖像を描くために絶えずジユリが参照される
こと︑白1しを眼差す視線にジユリの残像がはっきりと残っていることに変わりはない︒
﹁ジ
ュリ
との
共通
点と
いえ
ば︑
不幸
な方
々の
お役
にた
ちた
いと
いう
強い
気持
ちく
らい
です
が︑
﹇私
の場
合﹈
その
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結
ぶこ
とは
ほと
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ない
ので
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ある
いは
︑実
直で
感じ
やす
い魂
と︑
サン
H
ブルー
のよ
うな
男性
に対
して
︑こ
の上
もな
く優
しい
気持
ちを
抱い
てし
まう
こと
くら
いで
しょ
うか
︒私
に備
わっ
てい
ると
友人
が述
べる
他の
美質
はす
べて
︑な
んと
か身
につ
けた
いと
願っ
てい
るも
ので
しか
あり
ませ
ん︒
要す
るに
︑友
人が
手紙
で描
いた
のは
︑私
の見
本︵
B O
仏巳
内︶
であ
って
︑私
の肖
像︵
勺︒
コE
︶W
では
ない
ので
す︒
﹂︵
書簡
四 結局のところ︑それが﹁肖像﹂であれ︑﹁見本﹂であれ大差はないだろう︒現実の人物︵私︶
の輪郭は手紙の受け手
が誰よりもよく知るジユリ︑主日き手にとっても今や他人とは思えぬほど近しい存在となったジユリとの対比で明らか にされるのだから︒いずれにせよこの類似性は︑現在は認めることが出来ないとしても︑今後獲得されるべきものと
して特権化されている︒
﹂のように恐る恐る描かれていく︑
いささかちぐはぐな肖像の見返りとして期待されているものは一体何なのだろ
うか
︒一
言︑
つま
でも
なく
それ
はル
ソ
1の書かれた肖像ではない︒なぜなら︑
ルソ
lは﹁新エロイ
1
ズ﹄においてサンH
ブルーを通し︑自らの確かな映像をすでに提示し︑それをあたかも夫人に向けて︑差し出していたからである
Q
あれほど鮮烈な映像が提示されたというのに︑再び書かれた肖像を求める必要があるだろうか︒従って︑友人の助けを借
りて自己の肖像を提示しようとする夫人が求めるのは︑ルソーからの﹁返事﹂にほかならない︒一通自の手紙からそ
れは驚くべき正直さで告白されている︒﹁あなたから一通でもお手紙をいただければと︑激しく望んでおりますよ彼
女にとってルソーから手紙を受け取ること︑それはあたかもサン刊ブル!とジュリとを結ぶ虚構的な関係性の世界へ
自らもまた足を踏み入れることにほかならない︒そこでは︑ジユリとサンHブルーが互いにすべてを打ち明け︑際限
のないエクリチュ
l
ルに身を委ね︑緊密な語りの世界を築いたように︑自らも書くことによって存在し︑また書き記され送り届けられる他者の言葉によって︑自らの存在を確かめることができるだろう︒﹁どうしてあなたにお手紙を
書くのでしょうか﹂とド・ラ・トゥl
ル夫
人は
自問
し︑
いくつかの理由を探し出すのだが︑その理由の一つを次のよ
︑つに説明している︒﹁あなたに申し上げることがたくさんあるように思うからなのです︒﹂︵書簡四︶
二人の女性から頻繁に送られてくる手紙︑度重なる返事の催促︑病の治療をめぐるおせっかいともとれる過剰な気
遣い
︑
ルソ
l
は拘束の多いこの文通にすぐさま嫌気が差し︑一方的に奉仕されるのであれば︑そして切れ目なく送られてくる手紙すべてに返事をしなければならないのであればすぐにでも関係を絶つと宣言する︒ド・ラ・トゥ1
ル夫
ある紛人の J'jf象
人は絶望し︑書簡関係は早くも中断の危機に直面するのだが︑ここで再びベルナルドニ夫人が介入することになる︒
ホ ル ト レ
夫人は再び友人の︑今度はより詳細な︑人物描写をルソ
l
に送り届けるのである︒いかなる方法によって?この肖像は決定的ともいえる効果を持つのだが︑それがド・ラ・トゥ
l
ル夫人自身によってではなく︑彼女を誰よりもよく知る友人によって綴られることはやはり注目に値する︒過剰なまでに詳細で内密な個人的な肖像は︑本人に
よって描かれることはできず︑友人の力を借りて作成されなければならない︒あからさまな視線を自己へ注ぐことは
1 4
避けるべきなのだから︑自己の肖像はまず他者によって綴られることになろう︒この間像がどのようなものであったのか︑残念ながらわれわれは知ることができない︒おそらくは過度の賛美の表 現と︑夫の名誉を傷つける恐れのある極めて個人的な記述が含まれていたためであろう︑ド・ラ・トゥ
l
ル夫人は残
ホ ル ト し
された手紙の写しの中でこの人物描写を削除してしまうのである︒しかし︑われわれはそれが手紙の受け手ルソ
lに
どのような劇的な効果をもたらしたかを︑彼自身の手紙から窺い知ることが出来る︒ルソーはそれを読むことによっ て﹁陶酔の時﹂を過ごしたと打ち明け︑肖像の主題となったド・ラ・トゥ
1
ル夫人に特別な感情を表明するのだ︒
﹁あなたのお友達の記述に感動の涙を流したと申し上げても︑あなたはあまり驚かれないでしょうし︑またおそらくは喜ばれ ることもないでしょう︒あなたのことを知って涙せずにはいられませんし︑流す涙は何とも甘美なものなのです︒こんなこと を申し上げても︑あなたには少しも珍しくはないでしょうし︑興味もないでしょう︒ですが︑おそらく少しばかり特別なの は︑あなたの精神と魂のみがそうした効果を生んだということであって︑そこにはあなたのお姿はまったく関係し・なかったの でした︒それに実を一言うと私は︑あなたがどのような心をお持ちか垣間見ようとして実際にお会いしてみることなしにあなた を知ることが出来たことを︑そしてあなたに近づこうとする他のどの方々とも違った方法であなたを愛せることを大変喜ばし
く思
って いる ので す︒
﹂︵ 書簡 二十 確かになんとも奇妙な愛し方であるに違いない︒会うことなしにその人を深く知り︑深く愛することができたとい
うのだから︒しかしここで重要なのは︑後に神話化されるルソ
l
の﹁想像力﹂の作用を見ることではなく︑室田かれた
肖像
が︑
ド・ラ・トゥl
ル夫人によって夢見られた信頼と友愛の関係を成立きせる契機となっていることを確認する
ことである︒肖像はド・ラ・トゥIル夫人の﹁精神﹂と﹁魂﹂を見事に描き出し︑現前させ︑実際に会ったこともな
く︑話したこともない女性であるにもかかわらず︑受け手に現実の生々しい感情を抱かせるのである︒ルソ
1は完全
に屈服する︒﹁あなた以上に私の興味を引くものはありません︒﹂﹁あなたにふさわしい称賛の一言葉などありません︒﹂
さらにその感動は︑夫人の符姿や外観とは一切関係がなく︑それゆえに一層純粋で精神的なものであるとされるの
ホ ル ト レ
だ︒人物描写はこのように受け手と︑速くに位置する会ったこともない人物との聞に文字通りの﹁魂の交流﹂を成立
させ
る︒
ルソ
lが感嘆するのは間像の主題H主体であるド・ラ・トゥ1ル犬人その人だけではない︒肖像を描いたベルナル
ドニ夫人に対してもまた同じような最大限の賛辞が送られるのである︒﹁この得も言われぬ主題について︑彼女﹇
H
ベル
ナル
ドニ
夫人
﹈ の真情が︑何たる喜びの中で︑吐露されることでしょう︒何たる熱意︑何たる力強さで︑彼女は 友人の不幸と美徳を描き出すことでしょう︒﹂肖像画家は︑愛する対象を描くことによって︑そしてその魂を見事に 再現しながら︑必然的に自らの心をもそこに注ぎ込むのである︒こうして白像を媒介にし︑二人の女性と作家の間 に︑真情と友情が交錯する︑親密な真実性の空間が形作られていくかに見える︒
ある指!?人のi'J像
しかしこの空間には︑晴れ間が射したかと思うとすぐさま黒雲が立ち込め︑誓い合った友愛に臨調りを落とし︑疑念 と不信と失望の声ばかりが響き渡るようになる︒途切れることなく手紙を書き送り︑無理難題をふっかけ︑何よりも
返事を懇願し︑返事が来ないと対話者としてのルソlの怠慢を責める夫人と︑時に呆れ果てた様子で夫人を噌め︑ま
たある時は同じような調子で非難を続けるならすぐにでも関係を破棄すると憤慨する作家の対話はまさに﹁聞く耳持
たぬ
者同
士の
対話
﹂︵
仏正
︒∞
5 f
一8
5b
︶と呼ぶにふさわしい︒夫人の肖像を完成させるはずであった手紙は逆に肖
1 6
像の輪郭をぼやけさせ︑肖像が露わにすることのなかった夫人の欠点を明るみに出してしまう︒書くことによってル
ソーを一層自分に近づけるはずであったのに︑書けば書くほど作家を遠ざけてしまうことに苛立った夫人は︑ある
時︑いつものようにルソ1の冷酷な言葉に絶望しながら︑次のような提案を行うことになる︒
﹁あなたの想像力が私にとって有利に働くにせよ︑そうでないにせよ︑想像によってのみあなたに知られていることが耐えら
れな
くな
って
きま
した
︒も
し私
︑が
お邪
魔す
るこ
とが
奇異
なも
ので
ない
とし
たら
︑私
につ
いて
あな
たが
抱か
れて
いる
お考
えを
打
も砕きに行きたい︑あるいはより完全なものにしに行きたいという強い気持ちをこれ以上抑えようとは思わないでしょうよ
︵童
臼簡
五十
凶
どこまでも舌足らずで不十分なエクリチュ
I
ルに代わって︑出円像の主題たる本人が直接自己を開示する︒そこでは︑もはやルソi
にとっての夫人の映像と︑夫人自身が抱く自己の映像との関にいかなるずれもないだろう︒友人の
ボ ル ト レ
人物描写の中でルソーをあれほど感動させた夫人の﹁精神﹂や﹁魂﹂は︑あるがままそこに曝け出され︑それを見る
ものに再び一決を流させ︑失われた信頼を一瞬にして取り戻すに違いない︒そこには美化であれ︑歪曲であれ︑
ミ ミ
?
L︐ 刀
争 匂
る表象の不純な磐りも認められず︑眼差される自己に組踊はない︒しかしルソlはと言︑っと︑夫人の提案に困惑し︑
怖気づき︑申し出を断るのだ
c
このように︑友人の描く向像によって開始され︑また書かれた肖像によって一挙に親密さを増した作家とその読者
の関係は︑文通によって決して深められることはなく︑﹁訪問﹂によって新たな展開を見ることもないまま︑次第に
破綻へと向かい始める︒この制約の多い文通にルソ
l
は明らかに倦み始め︑手紙は次第にまれになり︑短くなり︑パリ高等法院によって﹁エミ1ル﹄が断罪され︑モンモランシlを立ち去ることになると︑返事はしばらくの問︑完全
に途絶えてしまう︒
しかしこの書簡の最も本質的な側面の一つが露呈するのは︑まきにその時だ︒それまでも続けざまに長文の手紙を
書き送るのは夫人の方であって︑
ルソ
1自らが話題を提供することはほとんどなく︑従って書簡は最初から夫人の一
方的な語りの様相を呈し︑対話性はかろうじて維持されていたにすぎなかった︒しかしルソーがフランスを離れ︑暦
場所さえ巷を流れる風説を通してしか知ることの出来ないような瀧げな存在になってしまい︑返事を寄越さぬどころ
か手紙を受け取っているのかどうかきえもわからぬ不安定な対話者に姿を変えてしまうと︑ド・ラ・トゥ
i
ル夫人のモノ ロー グ
語りははっきりと独自へと向かい始めるのである︒
﹁二度といたしませんとお約束したのは︑お返事を書いてくださるようにとしつこくお願いすることであって︑繰り返しお手
紙を書いてあなたを困らせることではありません︒不幸にも私の手紙があなたをうん︑ぎりさせるのであれば︑それをおっしゃ
ある刺入のi『ii象
ってくださらないと︑繰り返し手紙を受け取られることになるでしょう︒そうおっしゃるのであれば︑私を絶え聞なく話し続 けさせてきた動機と同じ動機から︑口をつくむことになると忠います︒それは保証いたします︒ですが︑このように申し上げ ましたので︑黙るようにとおっしゃるまで︑まったく予賜せぬ時に私から手紙を何通もお莞け取りになられでも︑あなたは驚
かれ
ない
こと
と存
じま
す
o
﹂︵書
簡六
十五
それは決して認めるべきものではないが故にはっきりと文章化されることはないのだが︑4度書き始めた自分が︑今
や書かずにはいられないこと︑書くことが︑この名高い作家から手紙を受け取ることと同じ程に重要であることを︑
ド・ラ・トゥ1ル夫人は恐らくは理解し始めている︒最初の手紙ですでに︑受取人に対し︑語るべきことがたくさん
あると述べていたド・ラ・トゥlル夫人は︑実際その後も書き続けるのだ︑あらゆることがらについて︑つまり些細
なこと︑取るに是らぬことについてでさえ︒
モチエ・トラヴェールに辿り着いたルソ1は︑危機的状況の中︑あらゆる修辞を用いて返事を催促し続ける夫人に
アイロニカルな短信を送るのだが︑その短信に夫人がどのような手紙を書いてくるか︑想像することができたであろ
うか︒なんと夫人は︑自信を持って送り出した著書が断罪され︑逮捕令状が出され︑世論からの厳しい批判に曝され
るこの作家に︑自分の﹁詩﹂を送りつけ︑それを書いた自己の状況について長々と解説を加えるのである︒送られて
きた短信の六倍はあろうかというその返事の終わりになって︑彼女は自分が不自然なまでに長い間書くことに身を委
ねていたことに気づいてふとこう漏らす︒﹁この手紙もこんな途方もない長さになってしまったことに︑そろそろ気
づかなければなりませんJ
︵書
簡六
十四
︶
肖像が可能にするはずであった対話はもはや幻想にすぎず︑書き続けられていくのは宛先さえ定かではない独自の
ょうだ︒そしてその独白も︑ジユリとサン
H
ブル!の手紙のように自分の心の内奥へと降りていくことはなく︑まれにしか言葉を発することのない対話者をめぐるどこまでも皮相な空想となってしまう︒書くという行為を支えていた
他者の眼差しが弱まれば弱まるほど︑私は眼差されていない︑どうして私を眼差してくれないのか︑との岬きの声ば
かりが木霊一するようになる︒書くことは尽きることなく溢れ出てくるのに︑それがはっきりとした言葉となるには︑
ホ ル ト
今一度対話者によって何らかのきっかけが与えられる必要があるのではないだろうか︒人物描写を読んだ後で彼女に
示されたような関心が再び彼女に向けられるなら︑彼交は嬉賭いなしに︑自ら自己について書くだろう︒
肖像の交換
そのきっかけは何とも奇妙な形で訪れる︒
﹁エ
ミ
l
ル ﹄
の作者は︑後にカントをも驚嘆させることになる魅惑的な言語
11
i同時代人たちが好んで用いた表現
によれば力強い﹁文体﹂︑圧倒的な﹁雄弁﹂の持ち主であり︑また﹁新エロイ1
ズ ﹄
の中でサンブルーに誰にも真
似のできないような仕方で愛を歌わせ︑多くの女性たちを魅了した小説家でもあったのだが︑自らが実際に恋を歌い
上げるときには何とも不器用な恋人に変わり果ててしまうようにみえる︒病や老いによる身体の衰えといった自身の
障害をことさらに強調しながら︑時に徳や友情についての説教を交えてみせるこの作家の異性への手紙ほど︑軽やか
で優雅な恋文から遠いものはあるまい︒すでに見たように︑ド・ラ・トゥlル夫人に対して書き送った手紙も︑何通
ある財人のl'jf蒙:
かの例外を除いては︑無愛想で冷ややかなものでしかなかった︒しかしそんなルソーがある時︑珍しく自分から積極
的に夫人への露骨な興味を口にするのである︒