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集会条例改正案審議と公布後の法運用 : 参事院の 活動を中心に

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(1)

活動を中心に

著者 天野 嘉子

出版者 法学志林協会

雑誌名 法学志林

巻 109

号 2

ページ 13‑47

発行年 2011‑10‑14

URL http://doi.org/10.15002/00007666

(2)

明治一四年に設立された参事院は、内閣の命により諸法案を起草することを主たる職掌とし、その他にも行政官と

地方官との間の、あるいは地方官と地方議会との間の権限争議の裁定や、府県からの法律をめぐる同に対する回答な

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)一一一一 《目次》|本論の主題と先行業績二条例施行後の法制部宛質問と、元老院における改正案審議三「梧陰文庫」内の集会条例関連資料にみる参事院の見解四大審院判例にみる改正条例第一六条運用の実態五法制官僚の企図と現実の法運用

本論の主題と先行業績 集会条例改正案審議と公布後の法運用

l参事院の活動を中心にI

天野嘉子

(3)

とはいえ、残された資料及び文書が限られているゆえに、これまでの参事院に関する先行研究は、扱う主題がおの(1) ずと限定されていた。とりわけ、参事院の設立前後の経緯の分析に研究が集中しており、反面、設立か言ら明治一八年

の廃止に至るまでの四年間の活動実態については、数の少ない状況となっている。その最大の理由は、参事院におけ

る会議の議事録が残されていない点であり、このために研究者は、例えば「公文録」に残された、地方における権限

争議に対する参事院の裁定書などから、その活動実態を推定するほかない。(2) (3) (4) 権限争議の裁定や、菫碩願規則の制定、あるいは刑法改正草案の審議といった点については、「公文録」や「梧陰文

庫」に残された資料及び文書をもとに、すでに優れた先行研究が複数存在している。しかし、参事院の職掌の中でも

重視された、元老院における法案説明という活動に関しては、『元老院会議筆記』により、その詳細な実態を知るこ

とができるにもかかわらず、いまだ先行業績のきわめて少ない状況である。

よって、本論においては、元老院において参事院議官の同席のもとに審議された法案の中から、特に明治一五年の

集会条例改正案に着眼し、大幅に規制を厳しくする改正に際し、起草者である参事院議官と元老院議官との間にどの

ような議論が行われたかを明らかにする。中でも、明白に政談演説会と称する集会のみならず、学術会や懇親会等の

名称を有する集会をも監臨及び処断の対象に含めた第一六条改正案の制定に際しては、参事院及び元老院の双方の議(5) 宮から、取締を一層強化すべきとの一戸が出たものの、「梧陰文庫」に残された内務卿訓一不案を見る限り、実際の取締

に際しては警察官の行き過ぎに充分、注意するようにと訓示を行う案が存在したと推定され、明治一三年制定の集会 法学志林第一○九巻第二号一四

ど、立法事務を,中心に、行政事務にも参与する、きわめて広範な権限を有する機関であった。この設立には法制官僚

である井上毅が大きく寄与したといわれ、井上の遺文書である「梧陰文庫」には、複数の関連資料及び文書が残され

ている。

(4)

このように、集会条例改正案第一六条に着眼することで、立案段階の参事院及び元老院のそれぞれの見解のみなら

ず、それが実施される際の留意事項である内務卿訓示案という、個別に規範性及び拘束性を持つ法令の二つの側面を

知ることが可能である。さらに、本改正後に訴訟提起された大審院判例を検討することにより、ある時点で作られた

法規範が、その後どのような実態のもとに適用されて行くのかという経過を知ることもできる。本論においては、以

上のような問題意識を内に含みつつ検討を進めることとしたい。

なお、集会条例については、すでに貴重な先行業績が存在する。これらの諸業績は、主に①明治一三年の集会条例

制定の経緯や草案を扱ったものと、②その後の経過から一五年の改正に至るまでを扱ったものの二種に大別できる。(6) ①前者の業績として、松尾一早一の研究を掲げる。松尾は、新聞紙条例改正や集会条例制定といった表現の自由に関

わる規制立法につき、ポァソナードの関与を中心に据えて検討を行い、彼が自由民権運動を弾圧する立法において重

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、要な役割を果たしたことを指摘した。その一方で、ポァソナードは、「基本的には政府の政策を支持する立場に立ち

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ながら、その枠の中でいくらかでもブルジョア的改革に向かっての最大限の努力を、・・・(略)忠実かつ正々堂々と行

、、、(7) なった(傍点は原文のまま)」と評価する。しかし、ポァソナードの意思がどれほど現実の法政策に反映されたかと

いう点をも視野に入れると、自由民権運動弾圧政策立法におけるポアソナードの役割を評価するには、なお一層慎重(8) な検討が課題として残されると思われる。また、新聞紙条例改正の建議が、参事院議長山県有朋の名で出された点や、(9) 参事院がポアソナードに対して諮問を行っている点などを考慮すると、こうした規制立法をめぐり、参事院の果たし

た役割が小さくなかったと推察される。参事院の実質的活動がなかなか明らかになっていない現状に鑑みても、この

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)一五 考えられる。 条例を立案した井上毅は、学術会や懇親会等の名を有する集会への規制については、必ずしも積極的ではなかったと

(5)

法学志林第一○九巻第二号一一ハ

点は〈「後、検討に付すべき課題であろう。(、)さらに、森山誠一の業績により、そもそも明治一一二年制定の集会条例が、高揚する自由民権運動の抑制を第一の企

図としたものであり、運動に対して深刻な影響を及ぼした事実が再確認された。また、森山は、集会条例がプロシア

の法案を参照しつつも、井上毅とポアソナードによる積極的参画を経て作成されたものである点を明らかにしている。(、)「梧陰文庫」内には、ボァソナードの本条例適用に関する答議が残されており、本条例の制定及び運用に際し、ポア

ソナードの深い関与があった事実が改めて確認されるであろう。しかし、明治一五年の改正については、ポアソナー

ドによる答議資料が見当たらず、元老院会議においてもポァソナードの意見が存在したことを推定させる発言が皆無

であることから、’五年の改正は曰本人の提起によりなされたと考えうる。

②一三年の条例制定以降の経過を追った先行研究として、まず、手塚豊の業績が挙げられる。手塚は、明治一一一一年

四月から同年五月に至るまでの、集会条例適用に関する内務省及び各地方官庁から太政官法制部に対する質問を集め、(、)史料の紹介を行った。これにより、明治一一二年四月五日より施行された集会条例を適用するに際して生じた種々の問

題点、とりわけ、懇親会や親睦会といった名の下に政談演説会を行うような事例に対し、本条例を適用しうるか否か

ということが重要な論点として生じた事実を知ることができる。こうした実態を背景に、明治一五年の改正において

は、学術会等を規制の対象に含める第一六条の起草が主眼とされたのである。さらに、手塚の業績としては、元老院(田)において立案された集会条例改正意見書の紹介がある。これは、明治一五年の改正を経た後に、一元老院内部で、さら

なる条例の改正を企図し、政党そのものを全面的に禁止する旨の意見書が起草されていた事実を明らかにするもので

ある。手塚によると、本意見書は正式に元老院に提出はされなかったとのことであるが、多くの政党が弾圧にあい解

散を命じられた明治一六年という時期に、このような意見書が起草されていた事実は、注目すべきであろう。

(6)

(M) また、中原秀典の業績により、明治一一二年に集会条例が制定されるまでの経緯から、同一五年の改正に至るまでの経過が、一望のもとに概観できるようになった。中原は、|三年の条例施行後に、学術会や懇親会に名を借りた、(脂)「いわば脱法的な集会」が行われた事実についても一一一一巨及している。さらに、改正後の運用に関する内務卿訓一不案にも(陥)触れ、本訓示の完成に際して、井上が何らかの関与をなした可能性につき一不唆を行っている。中原は、改正後の地方

の措置についても史料を掲げ、これにより、学術会や懇親会といった集会に対して、「探偵者」を差し向け、規制を(Ⅳ) 強化する形で県が改正に対応した事実を明らかにした。こうした改正後の取締の実態について知るには、前述のよう

に、大審院の判例もまた有益な資料であると筆者は考える。

本論においては、諸先行業績を参照しつつ、①元老院における参事院議官、とりわけ大森鍾一の活動実態、②特に

参事院議官による制度趣旨の説明と、大審院における運用との対照、③内務卿訓示案の作成に関与した井上毅が、必ずしも学術会の規制には積極的でなかった事実、の三点に留意しながら検討を進めることとしたい。

(旧)明治一一二年四月五曰より、集会条例(大政官第一一一号布告)が施行されたが、施行に際しては初期の段階から、行(四)政官庁による質問が発されている。その主要な論点の一つとIして掲げられるのが、現行条例の規制する対象であるか

否か微妙な規模及び性質の集会についてであった。例えば、同年四月一六曰の曰付で、岡山県令である高崎五六が以(加)下の質問を太政官法制部宛に発している。

公然公衆ヲ集会セサルモ数十人又ハ数百人相集会シ親睦会又ハ懇親会卜唱へ其実議長幹事等ヲ選定シ起立法ヲ

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)’七

二条例施行後の法制部宛質問と、元老院における改正案審議

(7)

Z己。(羽)これに対し、法制部は、原則的に「其見解ヲ以一ナ允当トス」と回答し、第一四条に関しては、日本政治のみならず

広く内外の政治に関する事項をも講談論議するものをさす(ただし、「外国ノミ一一関スル事項」はこの限りでない)、

第一五条に関しては、もっぱら「講学」や「智識ヲ弘ムル為メニ」演説又は論議を行う場合は、集会条例の適用対象

ということが論点とされた。 とはしないという見解を示している。(型)この他にも、「農工芸等ノ如キ其技術ヲ研究練磨スル目的ヲ以テ」公衆を集めた場〈ロは条例の対象外とみなすべきか否かなど、該集会が親睦や学術講演、技術の伝達等の性質を有するものであった場合に、いかように処分すべきか (理)また、明治一一二年四月一五曰の曰付で、石川県令である千坂高雅は法制部に対し、以下の質問を発している。

第十四条此条例一一政治二関スル事項トァルハ曰本帝国ノ政治上一一止ラス汎ク内外ノ政治二関スル事項ヲモ講 法学志林第一○九巻第二号一八

以テ政事二関スル事項ヲ論議スルモノ有之二於テハ該条例一一依り処分致シ可然乎(皿)これに対し法制部は、「其見解ヲ以テ允当トス」、すなわち親睦会や懇親会と称する集〈室も処分して構わないと述べ

条例一天関セサルモノト心得可然哉

ここで問題とされたのは、学術的な、

このように、運用上生じた疑問を解消すべく、政府は現行条例の大幅な改正案を企図する。本改正案は、元老院に 談論議スルモノヲ云う主義ナル哉

第十五条国事政体ヲ談論スルーーァラスシテ専ラ講学又ハ智識ヲ弘ムル為メニ漬説若クハ論議スル者ハ此集会

又は学術会における演説及び討議を処分の対象とすべきか否かという点であ

いかように処分すべきか

(8)

(妬)おける審議にさきがけて、大森鐘一らが中心となり、参事院において草案作成がなされたと推定される。さらに、|工(妬)老院〈云議の第一読会において、一兀老院議官の中から「全部付託修正委員」が選定され、草案に修正を加えた案を作成

し、第二読会の冒頭に修正案を提示した。(幻)|兀老院における改正案の審議は、明治一五年六月一日に行われた。本会議においては、「内閣委員」として、参事(羽)院議官である水本成美、同議官の大森鍾一、同議官補の久保田貫一の一二名が出席している。これは、参事院章程第九

条(「議官議官補及員外議官補ハ内閣ノ命一一由り内閣委員トナリテ元老院二出頭シ議案ヲ弁明スルコトアルヘシ」)の

規定によるものである。

社会ノ気運ヲ察スルニ十三年四月現行集会条例ヲ布告セン以来未夕三年ヲ過キス卜錐モ集会結社ノ活動曰|曰

ヨリ甚タシク復夕現行法ヲ布ク時ノ形勢一一アラスシテ各地方二於テ粗暴論激ノ徒巧二条例外二結社集会シ治安ヲ(羽)保持スルノ目的ヲ以テ創定シタル条例モ殆卜効ヲ奏セス(釦)(瓠)といった現状を背星皐とし、「治安ヲ保持」し、「治安二妨害アル集会結社ヲ全然検束スル」ことを主な目的として作成

されたものである。

審議においては、 会議冒頭では水本が、元老院会議に参事院議官が出席する場合は常にそうであるように、改正案の趣旨を述べた。これによると、本改正案は、

(蛇)分ス 議においては、冒頭から、改正案第一七条である、

学術会其他何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ラス多衆集会スル者警察官二於テ治安ヲ保持スルニ必要ナリト認ムルト

キハ之二監臨スルコトヲ得若シ学術会一一シテ政治二関スル事項ヲ講談論議スルコトァルトキハ第十条二依テ処

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)

(9)

法学志林第一○九巻第二号二○

という条文が問題とされた。鍋島直彬はこれに対し、

論激ヲ好ムノ徒ハ見テ警官ハ人民集会ノ如何ヲ問ハス直一一人家二間入シテ自由ヲ妨害ストナシ必ス云ハン既二

国会開設ノ聖詔アルノ今曰ニシテ此反対ナル人民ノ自由ヲ害スルノ条例ヲ布ク何ソ圧制ノ甚キャト愚民ダル者ハ(羽)此乏一一一一ロー煽動セラレテ政府ヲ以テ怨府トナスハ必然ナリ

と述べ、一七条のような条文が存在することにより、集会の性質を問わずむやみに検挙を行うかのような印象を人民

に与え、政府に対する怨みの念を植え付けるとして、改正案に反対の意を表明した。また、鍋島幹は、

学術会ヲ制スレハ更二他ノ方法ヲ以テ結社集会スルコトァルヘシ聞ク某地方一一於テハ結社集会上二充分ノ検束(弧)ヲナスョリシテ或ハ懇親会ヲ名トシテ公衆演説ヲナシ…実二検束二法ナシト

などと述べ、学術会を規制したところでまた他の名称の集会が現れるとし、同じく反対の意思を示した。

これに対し、大森は以下のように述べた。

肴ョ現行法ハ或ル点一一於テハ殆ト枯死セリ例ヘハ政談演説会卜云ハスシテ政治上ノ懇親会等ノ名ヲ以テ自由二(弱)公衆ヲ会シテ政治二関スル事項ヲ講談論議スルモ現行法ニハ明文ナキヲ以テ行政官ハ之ヲ検束スル能ハサル

ここから、改正の主眼の一つが、懇親会等に規制の対象を広げる点にあったことが看取しうる。

さらに、元老院議官・箕作麟祥は、現行条例に改正案第一七条に相当する規定が存在しないことが「現行法ノ欠(錨)典」であるとして、以下のように述べて大森を擁護した。

各地方粗暴ノ徒名ヲ懇親会等二仮テ自由二政治一一関スル事項ヲ講談論議スルノ景況ハ恰モ内務卿ノ述へシ如ク

始〆政談演説会ノ名ヲ以テ警察署一一届出テ演場一一於テ警官ノ中止スル所トナレハ忽チ懇親会或ハ学術演説会等ノ(W) 名義二変シ毫モ樟ル所ナキナリ豈之ヲ放榔シテ不問二置クヘヶンャ

(10)

箕作もまた、大森と同様に、警官に中止を求められた途端に「懇親会」や「学術演説会」であったと主張するような、(詔)「脱法的な集今室」への対策を急ぐべきと考えていたのである。

第一読会の最後には、九鬼隆一から、’七条に関して以下の質問が発せられた。

第二項ハ学術会ニシテ政治二関スル事項ヲ講談論議スル者ナルニ直二第十条二拠テ処分スルハ何ソャ若シ此ノ

如ク学術会ト|定ノ名称ヲ下タサハ明日ヨリハ直二名ヲ変シテ政治二関スル事項ヲ講談論議スルノコトァルへシ(羽)会ハ独り学術会ノミニ限ラサルヘキニ今特二学術会卜|定ノ名称ヲ下タセシハ抑故アル乎

すなわち、第一七条第一項においては、「学術会其他何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ハラス多衆集会スル者」とあり、規

制の対象とする範囲が広範であるにもかかわらず、第二項においては、処分の対象を学術会に限定するのはなぜか、

(釦)これに対しては大森が回答し、「実ハ立案ニモ大二苦心シタル所ニシテ」などと述べつつ、「第十七条ハ何等ノ集会(虹)ヲ問ハス冠婚葬祭ノ如キ者ヲモ含蓄スルノ意」であるとした。そのうえで、「学術会ノ外掲クヘキ者アラハ各位ノ考(胆)案二任センノミ」1と述べている。

第二読会においては、第一読会において選定された「全部付託修正委員」(津田真道、津田出、大給恒、箕作麟祥、

柴原和、九鬼隆一、西周の七名)による修正案が審議にかけられた。

このうち、第一七条については、第一項末尾に、「若シ其監臨ヲ肯セサルトキハ第十二条二依テ処分ス」の語句を(蛆)挿入し、また、第二項曰巨頭の「若シ」は削除すべきであるとの修正案が提出された。

これに対し、神田孝平及び九鬼隆一の二名が問題点として指摘したのは、第一一項の「学術会」の下に「等」の一文

字を加えるべきという点であった。これは、処分の対象を広げようと企図したものであり、前述した九鬼の質問を受

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)’’一 と九鬼は述べたのである。

(11)

持である以上、規制(

在すると推定される。 神田の修正意見に対し、大森鍾一が回答を行った。大森は、第一七条第一項の「学術会其他」とは、「親戚朋友ノ(“) 〈云即チ冠婚葬祭等ヲ含蓄スル者」であると答え、さらに以下のように述べた。

然ルヲ此一家ノ事一一シテモ若シ政談ヲナスーーァラサルナキヲ得ンヤト云テ監臨スルハ尚ホ不可ナキモ其監臨ヲ

肯セサルヲ以テ直二第十二条二依テ処分セントスルハ人ヲシテ殆ン卜憂慮二堪エサラシムルノ弊アルヘキヲ信ス

蓋シ此条例ハ治安ヲ保持スルカ為メー一成ル者ナレハ縦上政談ヲナスモ治安二害ナヶレハ放任シテ敢テ検束セサル(妬)ノ精神ナルヘシ…要スルニニ番ノ説ハ本条例ノ精神ニァラサルナリ

すなわち、冠婚葬祭等を含む私的な集会については、そこにおいて政談の行われる可能性があるにしても、通常の

集会とは別の対処をすべきというのが大森の見解であった。本発言の基底には、改正条例案の第一の目的が治安の保

持である以上、規制の対象となる集会は何らかの公共的な広がりを有するものでなくてはならない、という認識が存 法学志林第一

けてのことと思われる。

続いて箕作麟祥が発言し、大森と同様の見解を述べた。箕作は、「已二犯束者多キノ今日ナレハ成ヘク束縛セサル(妬)本案ノ趣』曰ナレハ如何ナル懇親会ヲナスモ治安二害ナヶレハ止ムベ」きであるとした。すなわち、箕作は懇親会の類

を一律に処分すべきとの発想ではなく、改正案の趣旨に鑑み、あくまで治安に害を及ぼすもののみを処分すればよい(灯)との考一えであった。箕作は、「学術会二弊風ノ多キ」ゆえに、本改正案が必要であるとしつつも、充分に検束を行わ(蛆)(⑬) (印)なくてはならないものは、例えば「長崎二起りシ社会党ノ如キ」「頗ル激論党」、「無頼ノ徒」であると述べた。

本改正案の趣旨を中心に据えて検討を行おうとする大森や箕作に対し、神田はあくまで、種々の名称のもとに隠れ

て行われる会を一律に規制するべきとの意見を固持した。神田は、コタヒ此法律ヲ布告セハ茶話会等ノ名ヲ設ケテ 第一○九巻第二号

(12)

(副)(記)政治ヲ論議スルハ必然ノ事」であるとし、「必然ノ事ナルヲ知ル以上ハ其検束法ヲ設ケサルヘカラス」として、「学術(記)会卜限ルハ狭陰」とする当初の主張を繰り返した。

以上のような議論を経たうえで採決が行われたが、神田の修正案に賛成の意を表明した者は四名と少数であり、結(別)果、本修正案は不採用上」された。

こうして、改正案第一七条は以下の文言において公布がなされた。

第十六条学術会其他何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ラス多衆集会スル者警察官一一於テ治安ヲ保持スルニ必要ナリ(弱)卜認ムルトキハ之二監臨スルコトヲ得若シ其監臨ヲ肯セサルトキハ第十一一条二依テ処分ス

当時の状況をふまえたこのような議論が、実際の適用の場においてはどういった形で生かされたのか、あるいは生

かされなかったのかということは、興味深い論点である。上述した元老院会議においても、ある議官が「『等』ノー(弱)字ニテハ警官中或ハ過誤ノ処分ナキヲ保セサルヘキモ其取舎圏酌ハ行政官ノ権内ニァル」と述べているように、現実

に行われる集会に対してどのような対応を取るかは、実際に監臨を行う警官の裁量に任される部分が大きい。本論に

おいては後に、判例を通じてこうした点を検討することとする。次章では、その前提として、井上毅の意見書類を通

じ、特に第一六条に対する参事院の見解につき確認をしたい。

井上毅の遺文書である「梧陰文庫」の中には、井上の筆により「集会」と記された封筒に収められた、集会条例関(印)連の六種類の文書がある。このうち、整理番号B’’○六四は、ポァソナードにより起草された「結社及集会条例草

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)一一一一一

三「梧陰文庫」内の集会条例関連資料にみる参事院の見解

(13)

考えうる。 法学志林第一○九巻第二号二四

案・結社及集会条例施行規則」(原題)であり、明治一三年の草案と推定される。

また、整理番号B’一○六七は、「千八百八十二年一一月十六日」との曰付がある。これは、ポアソナードヘの質疑

応答のうち答議のみの文書であるが、以下の文言がみられることから、上述の懇親会等に関して質疑を行ったものと

一一三ノ親友ヲ会シテ懇話スル所ノ席二於テ誹議ニ渉ルモ未夕公然ノ誹議ト云う可カラズト雌モ其会席二集ルモ

ノ多人数ニシテ格別深交ナキ者ナレハ例ヘハ延遼館ノ会同ノ如キーー至テハ公然ノ誹議ト云フヘキナリ殊二席上演

説祝詞等ノ如キ高声ヲ発スルトキハ勿論ナリ尤其時ノ内情ヲ詳一一シテ鑑別スルヲ要ス

然しトモ政談会一一於テハ仮令私会ト称スルモ刑法上二於テ公然ト為スヘキコト疑ナシ

ここでは、前章において述べた元老院会議の大森意見にみられたような、主に会の性質により決定される、演説や

談話の公然性ということが問題とされている。ボァソナードは、①会に集まる者が多人数である、②集まる者同士に

格別の親交がない、という二点において、公然性を認めている。また、政談会の名を掲げた場合、私的な会合であっ

たとしても公然性を有するとしている。

このような質疑を経て、改正の必要性が認識されたことと思われるが、学術会等を新たに規制する第一六条の創設

については、井上は積極的な関与をなしたとは思われない。整理番号B’’○六一一は、明治一三年発布の同条例に井

上が修正の書き込みを行い、改正案となしたものであるが、井上の修正は第一条と第二条に集中しており、第一六条(卵)のごとき条文の必要性に一一一一巨及する文一一一三は本文書中にはみられない。

また、井上は六月二日(年代は明治一五年と推定される)の日付で、内務卿である山田顕義宛に以下の書簡を送っまた、(閲)ている。

(14)

集会条例愈発行相成候上者、地方之著手上、彼ノ党と社との区別至極必要と奉存侯、此際マノヌヶ候様之事有

之候而者、政府之威信二関係いたすべきに付、詳細ナル訓条御発付可相成との御趣意一一奉伺、就而者政社政党区

別之質問、参事院へ御差向ヶ相成候御手順、可成迅速二御運相成度奉存侯、…(帥)ここから、井上は条例改正の中でも、特に「政社」と「政党」の区別に注意を払っていたことが看取しうる。しか

し、学術会や懇親会の規制に対する言及はない。

書簡の中で、「詳細ナル訓条」とされたものは、おそらく整理番号B’一○六五とB’一○六六であろう。前者は

警視庁及び府県に宛てられた達の案であり、後者は内務卿の名で発される訓示の案である。

B’一○六五においては、学術会や懇親会等に関する言及はないが、「集会ノ国安ヲ害スル者」につき、「輸聚」

「強訴ノ企」「演説又ハ文書又ハ其他ノ方法ヲ以テ人民ヲ教唆煽動シテ政府ヲ怨望セシメ或ハ官吏ヲ疾視セシメ又ハ国(Ⅲ) 法ヲ怨忌セシム」「秘密ノ誓約」とあり、また、「匪法違令ノ集会二非サル者ハ妄二箱制又ハ告発シテ良民ノ交際ヲ妨

クベカラズ」とある点から、あくまで治安を妨害するものが第一に処分されるべき対象であり、「良民ノ交際」を促

進する集会までもみだりに規制すべきではないとの認識が存在したことが窺える。

B’一○六六の訓示案には、第一六条の実施につき以下の文言がみられる。

該布告第十六条二拠ルー一凡ソ何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ハラス多衆集会スル時ハ警察官此レニ臨監スルヲ得へ

シト錐トモ真ノ学術会真ノ懇親会等ヲ開クニ当り轍チ濫リニ立入ル時ハ其治安ヲ保持スル所以ノモノ却テ課業ヲ

妨ヶ歓楽ヲ乱リ人民ノ怨瑳ヲ招ク媒介トナルヘキニ付深ク注意シ必ス治安ヲ保持スルニ於テ不得已場合ナラサレ

ここでもやはり、処分の対象となるのは治安の保持にかかわる学術会及び懇親会のみであり、「人民ノ怨瑳ヲ招」

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)二五 ハ臨監セサルヲ要ス

(15)

法学志林第一○九巻第二号一エハ

かないためにも、みだりに会を規制することは避けるべきとの見解が一水されている。前述の一兀老院会議における大森

発言とあわせて考えても、参事院内で認識されていた改正の第一の目的とはすなわち治安の保持であり、学術会や懇

親会と名のつくものをおよそ取り締まることはその趣旨ではなかったことが改めて確認されよう。

以上、治安の保持を主要目的とする参事院の見解、及び、およそ学術会や懇親会の名の下に開かれる「脱法的な集

会」については処分すべしとの元老院会議における一部の見解を確認したうえで、実際の処分はどのような認識のも

とになされたのか、判例を通じ検討を行うこととしたい。

改正後の条例を初めて適用した大審院判例は、明治一五年二月一六曰上告、明治一六年四月一九曰申渡の、第四(舵)一九号であろう。以下の事例である。

明治十五年七月二十一日姫路軽罪裁判所会議局二於テ:.被告人大庭唯吉力独立論卜題スル学術演説中上三条太

政大臣ヨリ下人力車社会二至ル迄独立気象力乏シキ故条約改正モ出来スト演シ又貨幣濫出ノコト陸海軍兵備等ノ

事項ヲ説キタリト錐モ…之ヲ以テー概政治二関スル事項ノ善悪可否ヲ講談論議シタルモノト認定シ難キモノトシ

予審判事カナシタル免訴ノ言渡ヲ認可スルトノ判決ヲ為シタリ同裁判所検事補河野通信ハ右判決二対シ上告ヲ為

シ…改正集会条例第十六条第二項ノ法律ヲ適用シテ処罰スヘキ者ナルーー会議局ノ判決之二出テサルハ不当ナリト

姫路軽罪裁判所における判決は、被告人の演説中の表現は「要スルニ演題ノ論旨ヲ詳解セントスルノ精神ヨリ一一三

四大審院判例にみる改正条例第一六条運用の実態

ノ旨趣ヲ論告セリ…

(16)

ノ状況ヲ挙示シ」たものにすぎず、「政治二関スル事項ノ善悪可否」を論じたものとはいえないため、免訴とすべき

であると述べた。しかし、検事はこれに対し上告を行い、被告人の演説は「本邦政治二関スル最モ重大且顕著ナル事

項ノ是非得失ヲ痛ク講談論議シタル者」であるとし、この「独立論」と題された学術演説に対し、改正集会条例第一

六条第二項が適用されるべきであるとした。なお、被告人は、演説内の表現は「本論ノ主意ヲ明暢スルニ付キ其実相

ヲ籍リタル」ものであり、施政上の善悪是非を論議する意図ではなかったと述べた。

大審院の判決は以下である。

…被告人大庭唯吉力学術演説中講論シタル事項其政治二関スルハ監臨警察官吏ノ聞取書等二於テ明瞭ナレハ即

チ改正集会条例第十六条第二項ノ制裁ハ免レ得へカラサル者ナリ然ルー原会議局力前記ノ如ク判決シタルハ越権

検事の上告及び被告人の答弁においては、演説中の表現が施政上の善悪是非を論じたものであるのか、あるいは本

論の趣旨をより明確にするための一表現にすぎないものであるのかという点が中心的な論点になっている。しかし、

判決はこの点を論じることはせず、監臨を行った警察官吏の聞取書をもっぱらの判断根拠とし、被告人が政治に関す

る事項を論じたことは明瞭であるとした。(岡)判決の際のこのような態度は、明治一五年九月二一曰上告、明治一六年六月一一一曰申渡の第八○九号の事案におい

ても、引き続き踏襲されている。事案は以下である。

…被告人等ハ同志ヲ集合シ懇親会ヲ開キタル者ニシテ公衆ヲ集メタル一一非ス又政談演説ヲ為シタルーー非ス毫モ

集会条例二違背スルノ所為アルコトナシ然ルー原裁判所ハ警部巡査ノ証言及上聴取書其他会場ノ景況ヲ以テ犯罪

ノ証懸トスルモ警部ハ現場二監臨シタルニ非ス単二派出巡査ノ報告ヲ妄信シ之ヲ陳述スルーー止マル者ニシテ之ヲ

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)二七 ノ判決ナリトス:。

(17)

法学志林第一○九巻第二号二八

以テ証一一一三卜為スコトヲ得ス…

以上が被告人の上告内容の要点である。第四百十九号の事案とは異なり、懇親会であったのか、実質的には政談演

説会であったのかということが第一の論点とされている。また、本上告の中心的な論点は、被告人が政談演説を行う

意図ではなかったと主張するよりもむしろ、下級審における判断の根拠とされた現場に監臨の巡査による聴取書の信

愚性を問うことにある点に注目されたい。

本上告に対し、大審院は以下の判決を下した。

原裁判一一一一口渡書ヲ検スルニ…警察官吏ノ証言及上聴取書其他現場ノ模様一一依り名ヲ懇親会二仮リ公衆ヲ集メ政事

二関スル事柄ヲ演説セシモノト認定シ…之ヲ集会条例ノ正条一一照シ相当ノ処断ヲ為シタル者ナレハ越権ノ処分ア

ルニ非ス擬律ノ錯誤アルニ非ス…上告人等ハ…裁判官ノ採用セシ証拠ハ無効ニシテ其裁判一一一一巨渡ハ不当ナリト論告

スト錐モ諸般ノ証愚ヲ集取シ心証ヲ以テ罪ノ有無ヲ判断スルハ総テ事実裁判官ノ権内一一在ルモノナレハ…之ヲ以

テ裁判官ノ心証判断ヲ動カスコトヲ得サルモノトス…

以上の理由により、上告は棄却された。このように、大審院は現場に監臨した警察官吏の作成した聴取書及び証言を全面的に信頼し、これに依拠して判決を形成している。そのための論拠として、裁判官の心証形成の自由というこ

以降、判決の根拠となる巡査作成の報告書に信懸性なしとして「擬律ノ錯誤」を主張する被告人に対し、大審院は、

判決の形成に際してどのような証拠を採用するかは「裁判官ノ権内」であるとして、被告人の上告を退けるという形

式が踏襲されることとなる。 とが掲げられるのである。

以降、判決の根拠となっ

事案の内容としては、「学術演説」の内容が政治の論議に触れるものであった場合(明治一六年二月一日上告、同

(18)

(“) (髄)年一二月一一八日発付の第一一一一一六号、明治一六年一一一月一五日上告、同一七年一月一一一一日発付の第一一七号、明治一六(脆)年一月七曰上告、同一七年一一一月二六曰発付の第六九○号、明治一七年一一月一一五曰上告、同年四月九曰発付の第八七○(、)(船)号、明治一六年四月五日上告、同一七年四月一二曰発付の第八九六号、明治一七年一一一月四日上告、同年五月七日発付(的)(刀)の第一一一六一一一号、明治一六年七月一一○日上告、同一七年五月一一一一一日発付の第一五七二号、明治一六年七月一一一一一曰上告、(Ⅶ) (ね)同一七年六月一一日発付の第一八八一一号、明治一六年八月一一八日上告、同一七年六月一二曰発付の第一九○五号、明(ね)治一六年一○月一八日上告、同一七年七月一曰発付の第二一一一一一八号、明治一六年九月一四日上告、同一七年七月七日(別)(巧)発付の第一一一一一七○号、明治一七年五月一一一○日上告、同年九月一六日発付の第一一九一一一○号、明治一六年五月一日上告、(市)(両)同一七年一○月七曰発付の第一二一一八六号、明治一六年四月一一六曰上告、同一七年一○月一一九曰発付の第一一一六一一九号、(ね)明治一七年九月二六曰上告、同年一一月一一一一曰発付の第一一一九四一一号)と、懇親会の名目で開催した会が、実質的に政(ね)談演説会であった場合(明治一五年一二月一一一曰上告、同一六年一一一月一八曰発付の第一九八八号、明治一六年一一一(帥)月一七曰上告、同一七年一月一二一曰発付の第一一九号、明治一六年四月一六日上告、同一七年一一一月六曰発付の第四一一(皿)(配)一号、明治一六年六月六曰上告、同一七年四月二八曰発付の第一○八四号、明治一六年四月一一六曰上告、同一七年五(閉)(別)月七日発布の第一二六四号、明治一六年八月一一一一曰上告、同一七年六月一一曰発付の第一八八一号、明治一七年六月(開)(閉)’一一一曰上告、同年九月一一一日発付の第二八九○号、明治一七年七月一曰上告、同年一○月一一一曰発付の第一一一一一一一一九号)

の二種に大別される。当該演説が政談に及ぶ内容であったかを判断する事案のみならず、会が単なる懇親会ではなく

政談演説会であったかを判断する事案においても、裁判官は、現場に監臨した警察官吏による聞取書を全面的に信頼

し採用するという姿勢を一貫して変えていない。会が単なる懇親会であったとか、懇親会の席上において問題とされ

るような政談演説は行われなかったという上告人の主張に対しても、裁判官は、上告は「承審官力職権ヲ以テ為シダ

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)二九

(19)

法学志林第一○九巻第二号三○(師)ル事実判定上ノ当否ヲ論難シテ以テ不服ヲ訴」えるものであるとして、一律に退けている。

上告人の主張としては、当該演説につき「臨場ノ筆記者巡査…ノ傍聴録卜検察官ノ陳述卜一一拠り…断案ヲ下サレタ(閉)ルハ不当」とする内容を中心的な論点とするものが多いが、「現二演説シタル事柄ハ其本題ノ前置二述へダル一個ノ(明)臂噛二止リ決シテ政談ニァラサルナリ然ルー之レヲ政談ナリトセラレシハ不当ナリ」との主張のように、演説の内容

に及ぶ判断を裁判所に求めるものもある。しかし、いずれの場合においても大審院は、「各証懸ヲ採択シテ事実ヲ判(卯)(皿)定スルハ事実判官ノ職権内二在ルヲ以」「是全ク事実ノ判定.:二係り」といった理由で一律に上告を退け、当該演説

の内容にかかる判断を行うことはしていない。

このような判決の態度に対し疑問を投げかけたのが、明治一六年四月五日上告、同一七年四月一二曰発付の第八九(犯)六号における上告であった。本件においては、被告人波多野伝一一一郎の代一一一三人である高梨哲四郎が、以下の主張を行っ

ている。

(兜)治罪法第一四六条については、明治一六年二月一曰上告、同年一一一月一一八曰発付の第一一一一一六号において、裁判官

による一一一一亘及がある(「上告ノ要旨ハ…集会条例第一○条ニ依り処断セラレタルハ擬律錯誤二係ル不当ノ裁判一一付破棄

ヲ求ムト云フニ在リト錐各証愚ヲ採択シテ事実ヲ判定スルハ事実判官ノ職権内一一在ルヲ以漫リニ他ヨリ侵入スルヲ得

サルハ治罪法第一四六条第一一項二褐ケテ明確ナリ」)。これについて、代言人である高梨は、判断を一任された裁判官 治罪法第百四十六条二被告ノ白状云々其他諸般ノ証葱ハ裁判官ノ判定二任ストァリ其裁判官二任スノ一句ヲ誤解シ前後矛盾失実杜撰ナル巡査某ノ筆記及上政事卜学術トヲ識別スル能ハサル者ノ告発状等頗フル危険ナル者ヲ採テ以テ証愚トシ上告者力原裁判所ノ法廷二於テ正実二演説シタルモノヲ排斥セシハ即チ該条ノ注意二背キタリ卜云ハサルヲ得ス

(20)

が根拠とする、巡査の作成にかかる報告書が、きわめて杜撰なものであるとの指摘をなし、このような証拠に基づい

て判決を下すことは、かえって治罪法第一四六条に背くものであると指摘をなしたのである。

さらに、代言人である高梨は、処断の根拠条文である集会条例の趣旨についても、以下のように言及した。

原裁判言渡書二其何レノ事実何レノ場合力集会条例ノ支配スヘキ政談トナルカ其理由ヲ明示セサルハ不当ナリ

…集会条例ハ現今政策上ノ是非得失ヲ論議セシモノヲ罰スルノ制裁二過キス然ルヲ該条例二違背セシモノト濫リ

ニ認定シタルハ上告趣意書二於テハ擬律錯誤トセシモ其当ヲ得サルニ付越権ノ処分ナリト正訂スト云フニ在り

どのような事実、どのような事案が、集会条例にいう「政談」に該当するのか。その具体的内容を明示しないまま、

条例違反であるとの判決を下すことは、「越権ノ処分」ではないか。この代言人の指摘は当を得ている。前述した元

老院会議においては、九鬼隆一が、「『等」ノ一宇ニテハ警官中或ハ過誤ノ処分ナキヲ保セサルヘキモ其取舎圏酌ハ行(“) 政官ノ権内ニァル」と発一一一一口し、規制の対象である「学術会」の下に「等」の一宇を付して、それにより警官が裁量の

うちに判断できる範囲を広げようとする修正案が審議にかけられたものの、この修正案は結局、否決されたのであっ

た。かくして規制対象となる集会の要件を確定する作業が暖昧なまま改正案が成立した以上、本条例は政談演説会の

具体的要件を確定していないのであり、現実の裁判において、本会は政談演説会には該当しない、もし該当するとの

判断が下されたのだとしたら、判断そのものが不当であるとの主張が現れることは不可避であった。これに対し、裁

判官は、いかなる証拠を採用しいかなる事実認定を行うかは裁判官に一任された職権内の事項であるとし、治罪法第

一四六条を掲げることで、事実認定やその根拠となる警察官吏の報告書が不当のものであるという主張に対抗しよう

としたのである。

結果として、本件においても、大審院は以下のような判決をもって高梨の論難に応じている。

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)

(21)

法学志林第一○九巻第二号一一一一一

上告要旨ノ第一ハ不充分ナル巡査ノ筆記書及上告発状ヲ以テ上告者ノ論弁ヲ打消シ有罪ノ証ト為スニ足ルヘキ

モノカ其理由ヲ付セサルハ不法ナリト云う卜錐モ原判官力職権ヲ以テ為シタル判定上採証ノ如何ヲ論難スルー一過

キサレハ上告ノ理由ト為スヲ得ス何トナレハ上告論旨ノ如ク該筆記ノ本書卜写書卜語句ノ間小差アリ又塗抹アリ

記入等アリテ幾分力不備アルモノトスルモ之ヲ取捨選別スルハ特リ判官ノ職権内一一在テ既二其心証ニ採りダル上

ハ他ヨリ轍ク動シ得へカラサルモノナレハナリ

たとえ警察官吏の聞取書のうち、原本と写本の間に語句の小さな相違があっても、あるいは塗抹や記入があって不

備ありと判断されるような場合であっても、これを取捨選択するのは裁判官の職権内の行いであるとの見解を大審院

は明らかにした。

大審院判例のこの態度は、以降いっそう強固なものとなり、明治一六年八月一三曰上告、同一七年六月一一曰発付(弱)の第一八八一号では、「官吏職権上作リタル調書ノ如キ偽造ノ反証ヲ挙ケサル限リハ確実有効ノモノタル華輌ヲ俟タサ

レハ」云々として、警察官吏の作成した調書に対する全面的な信頼を表明するとともに、それを無効と主張するため

には、上告人の反証を要するとまで述べている。

こうした判決の態度に対し、上告人は、調書に「筆記ノ誤り」があるとして、裁判所においてその「更生」を求め(妬)ることをしているが、やはり退けられている。また、被告人が演説の中途に「計ラスモ酒気暴発シ精神錯乱シタル故

其後ハ何事ヲ漬シタルャ記憶」しないうちに知らず政談を行っていたとして、調書の通り政談演説を行ったとは認め(w) 難いと主張した事案があるが、これもまた退けられている。

なお、上告人が無罪である旨を判示したきわめて例外的な事案として、明治一六年八月一六日上告、同一七年六月(犯)一一一曰発付の、第一九○六号がある。本件は、明治一六年七月五曰に、秋田軽罪裁判所において、「被告力真ノ自由

(22)

ヲ得ルハ何レノ時ソト云演題ヲ以テ為シタル演説ハ純然ダル仏教演説ナルコト明白ナリトシ無罪ヲ言渡シダ」判決に対し、これを不当として、検事補上倉繁蔵が上告を行ったものである。

本件については、現場に監臨した警察官吏の作成による調書をもとに、当該演説の内容が政談にかかるものである

か否かという実質的な判断が行われている。その結果、大審院は、被告高城説厳の行った仏教演説の内容は政談には

該当しないとした。以下が判決要旨である。

被告力演説ハ仏道於テハ現世ハ真ノ自由世界ニアラス未来二於テ初テ真ノ自由ヲ得ルトノ純然ダル仏教演説ニ

シテ其中梢言辞政談ニ似タルモノァルモ帰着スル所仏教ノ真面目ナル現世未来ヲ説キ唯現世二於テ真ノ自由ヲ得ル能ハス真ノ自由ヲ得ルハ未来ニァルヲ説キタル迄ナレハ之レヲ以テ政事二関スル事項ヲ講談シタリト云ヲ得ス

元ヨリ集会条例ノ制裁ヲ受へキモノナラス

裁判官は、当該演説が仏教における現世や未来の自由につき説いたものであるとして、これを政談にかかるものと

被告が演説内において、「我国モ明治一一三年ノ暁二至ラハ我々同胞参政権ヲ有シ立憲政治ノ下二立チ自由ノ権利ヲ

伸暢スルヲ得へシト錐モ真ノ自由ヲ得ル能ハサルヘシ」といった表現を用いたことを検事補は問題としたのであるが、

裁判官は、やや政談に似る言辞があるものの、実質的には当該演説は純然たる仏教演説であると判断したのである。

ここから、改正集会条例第一六条の対象となる「学術演説」が、実は相当、限定された性質のものであったことが

わかる。現に、本件においては、根拠となる条文は同条例第一○条であり、第一六条ではない。視点を変えれば、改

正条例第一六条の対象とされた場合、ほぼ例外なく処罰されたということもできる。

また、これもきわめて例外的な事例であるが、政談を行ったか否かの事実が確定できないとして、再審を求めた判

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)一一一一一一 裁判官は、当該』は認定しなかった。

(23)

法学志林第一○九巻第二号三四(卵)決がある。明治一六年四月一一七曰上告、同一七年七月一一一○曰発付の、第一一六一二○号事案である。本件においては、第

一に会の名義が懇親会や親睦会ではなく、「新聞購読会」であり、事前に県庁の許可も受け、警察の監臨をも受けて

開催されたものであった。演説をなした上告人真田九八郎は、「郡区長俸給ハ是マテ地方税ヨリ支出シタルヲ自今国

庫ヨリ支給サルトノコトナリ」と述べたまでであったが、証拠とされた巡査の筆記は、実際の演説内容とは全く異な

るものであると主張している。本件については、検事もまた、原審の判決には「事実理由ノ不備」と「越権ノ処分」

ある旨の意見を述べている。要するに、会は新聞を購読して評釈するにとどまるのみであり、これを政談演説会であ

るとした巡査の調書には問題があるとの意見が上告人、検事の両者より発せられたのである。

大審院による判決は、これまでのように、「諸般ノ証拠ヲ取捨鑑別シ事実ノ有無ヲ判定スルハ事実裁判官一一任従シ

タル職権」としつつも、演説の内容が政談にかかるものか否かの判断については、原審の判決文に「略記」が多く、

「以テ之レヲ見ルー一由シナシ」とした。以上のように、判決は、原審の判決文に省略が多く事実を確定するに足りな

いとし、以下のように理由を掲げて再度の審判を求めた。

…単一一法律上ノ罪名ヲ付シタルノミニ過キサレハ其政談二関スル事項トハ果シテ如何ナル事柄ナルャ之ヲ知ル

ー由ナキノミナラス本件ノ罪ヲ構造スルニ必要ナル真田九八郎亀山清太郎一一対スル事実確定セサレハ法律ノ当否

ヲ鑑査スル能ハサルモノナリトス

このように、本判決は、条文の「政談」要件に対応する事実認定を再度行う必要があるとの見解を示したのである。

再度の審判を求めた例外的な事案の第一一として、明治一七年四月一一一曰上告、同年一○月三○日発付の第一一一六七五(伽)号があげられる。事案は、被告森崎照士口等が、広徳館開館式と称し、無届にて政談演説会を行ったというものである。

本判決においては、以下に掲げる点が再審を求める理由とされた。

(24)

該裁判言渡書ノ初メニ公衆ヲ集メ政談演説ヲ為シタル者卜判定ストァリ後チニ障子一重ヲ隔テテ屋外二多人数

集合スルコトハ…森崎照吉ハ…知ラサルノ道理ナヶレハ其処二於テ起立シ云々其実公衆二対シ政談演説ヲ為シタ

ルモノナリト褐ケシハ事実ノ理由ヲ示スーー前後朝露スルモノトス何ントナレハ後ノ説明二依レハ其公衆ノ集合シ

タルハ森崎照吉独り之ヲ知リテ他ハ知ラサル者ノ如クナレハナリ

以上のように、判決は、原審における判決文において、最初は、演説をなした森崎が(公衆の集まっていること

を)「知らない道理がない」とされていたものが、後に森崎一人が公衆の集まっていることを知っていたように記さ

れ、表現に若干の齪鰭が生じていることを問題としている。

以上の二件は例外的な事案であるが、ここから、実際の判例が、学術会と称さないまでも「親睦会」「懇親会」と

称するものに対しては厳しく処断する姿勢を見せ、他方、「新聞購読会」「開館式」といった集会に対しては、拡張的

に処罰の対象として論じることにつき慎重な姿勢を見せていることを看取しうる。

なお、元老院会議においては、「学術会」以外の名称を用いた会をどのように規制するかが論議の対象となったが、(Ⅲ) これについては、「親睦会」(明治一六年八月一一一一曰上告、同一七年六月一一日発付の第一八八一号等)、「懇親会」な

どの名称を用いても、例外なく処罰される結果となっている。(皿)例えば、明治一六年九月七日上告、同一七年六月一九日発付の第二○一五号事案においては、「辻〈同会」の名の下

に、赤井村小学校において集会をなしたものの、「談会ノ趣旨ハ福島県二於テ否決シタル地方税追割ヲ納ムルノ可否

ヲ論議」するものだったとして、実質的に政談会であるとの判断が下され、被告による上告が棄却されている。(M) 同様の事案として、明治一六年八月二八日上告、同一七年七月八日発付の第一一一一一八七号事案においては、被告人は

「有志親睦会上一一於テ」演説をなしたものであり、聴衆は「皆同主義ノ会員」であるから、公衆を集め政談をなした

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)三五

(25)

本件においては、被告人山口角造の「転宅ノ祝宴」に「組合ノ者」が訪れ、政談演説をなしたことが問題とされた。

これにつき、原審は「集会条例二間フヘキモノニ非ラス」として、この集会については無罪とした。これに対し、検

察官が不当であるとの上告をなした。上告の要旨は、被告人は「転宅祝ヒノ名義二托シ二十有余ノ公衆ヲ集〆政談演

説ヲ為シタル者」であり、集会条例をもって罰することをしないのは「擬律ノ錯誤」だ、という内容である。

しかし、大審院は、「擬律ノ錯誤」との検察官の主張は、「既二判官二於テ事実ヲ認定シクルモノナレハ其当否ヲ批難スルー一過キサル者」であるとし、被告人の転宅祝宴に際しての政談演説が集会条例の規制する対象と重なるもので

あるか否かという実質的な判断には一切立ち入ることをせず、検察官の上告を棄却した。

以上、主に明治一六年から一七年の判例を概観したが、ここから、大審院が「学術会」「懇親会」「親睦会」等の名

の下で行われる集会について、厳正に処分すべきとの改正案趣旨を尊重しつつ、裁判において初めて提示された、現

場に監臨する警官の調書の信愚性を問う上告人の主張に対し、ほぼ例外なく、警察官吏の作成した調書を全面的に信

頼し、これを裁判官の職権の範囲内であると明示した事実を導出しうる。種々の性質の会に対する処分につき、類型

性が見られるか否かは暖昧な部分があるが、仏教演説や新聞講読会等の、政治的内容にかかる可能性が想定しえない

ような場合には、慎重な判断を求めていると考えられる。また、転宅の祝宴については無罪と判示するなど、会がど 法学志林第一○九巻第二号一一一一ハ

とはいえないと主張したものがある。これに対し、大審院は、「司法警察官ノ検証調書並一一当夜ノ情況等」から判断

を下し、該会は有志親睦会ではなく、公衆を集合し政談演説をなしたものであったとしている。

さらに、元老院会議において参事院議官である大森が一一一一亘及したような、冠婚葬祭等を含む私的な集会において政談(Ⅲ) が行われた事案が一件、存在する。それは、明治一七年一一一月一一一曰上告、同年一一[月一一九曰発付の第四一一四六号事案

である。

(26)

れほど公共的な性質を有するのかという点をも考慮に含めており、これらの判断については、各府県と法制部との質

疑応答が先例として参考にされた可能性がある。

最後に、これまで述べてきた参事院の活動に関する本論の趣旨に照らし合わせて、いま一度、集会条例改正案とそ

の運用に関する全体的な位置付けを確認したい。(順)井上毅は明治六年に、フランスにおける制度調査の途上で、「仏国大審院考」という覚え書きを記した。この中で(伽)(川)(川)井上は、「往々簡短ニシテ、疑似両通スル」法文の解釈運用に際し、「迷謬」のないように、「明法」を行う必要があ

ると書いている。井上の説明によれば、この「明法」には二種類あり、一つは、「法ヲ申ヘテ既二訴フルノ事ヲ断ス(柵)(川)(Ⅲ) ル」ことであり、これは「裁判官ノ任」であるが、このことは当該事件のみに適用されるもので、「一定ノ条規」と(皿)して「未来二例準スルコト」ができない。その一方で、立法官は、「法ヲ申ヘテ、一定ノ条例トシ、以テ将来ヲ侍チ、(川)(川)国民ヲシテ遵守セシムル」ことができる。井上は、この覚え書きの中で、「明法ノ将来ヲ定ムル」権限が立法官に属(畑)するものであり、「法ヲ申明ス」ることが裁判所の役割であるとの記述を繰り返し、強調している。しかし、同じ覚

え書きに記されたポァソナードの言葉によれば、以下のようなことも一一一一コえる。

大審院ノ判決モ亦其ノ他各裁判所卜均ク民法書第五条ノ褐クル所二逃ル、コト能ハズ第五条法官ハ例則通規卜

云ヲ以テ訟ヲ裁スルコトヲ得ズ違う者ハ則チ立法ノ権ヲ奪うトス然ルー一大審院ノ判決往々明法ノ益ヲナス者ハ其

、、、、、、、、、、、、、、、、、(川)ノ権アルノ故二以テ理ヲ為スニ非ス乃チ其ノ理アルノ故二以テ其ノ権ヲ為スナリ(傍点は原文のまま)

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)三七

五法制官僚の企図と現実の法運用

(27)

法学志林第一○九巻第二号三八

すなわち、大審院の判決が「明法ノ益」をなすこともしばしばあるが、それは(立法官の有するような)「明法」

の権限を大審院が持つゆえに「理」となるものではなく、「理」あるがゆえに、(立法官の有するような)権限を大審

院が持つかのような外観となるのだ、とポァソナードは述べている。井上は、大審院の判決により法の具体的な内容

が確定され、それが一種の先例性を有する可能性については認識していただろう。しかし、井上にとってはその状況

はあくまで例外的なものであり、基本的に、法文の具体的な内容を明定する権限は立法官にあるとの見解であった。

いうまでもなく、ここでいう「立法官」とは議会のことではなく、法制官僚をさしている。(、)このような井上の認識は、明治二○年前後に作成された「憲法説明稿本」の説明部分において、さらに明らかとな

一(〕。

…法律ノ要ハ文理明白ニシテ人民ヲシテ明二其命スル所ト其禁スル所ヲ知ラシムル一一在り妹ルー不幸ニシテ法

律ノ條章往々暗漣ニシテ明ナラズ疎漏ニシテ備ハラズ以テ官民ヲシテ多岐二迷ハシムルハ事実ノ免レザル所ナリ故二法律ノ説明ハ以テ其鐸義ヲ一定シ範囲限界ヲ精確ニスルーー於テ尤モ止ムヲ得ザルノ必要タリ法律ヲ説明スル

ニニッノ道アリ其一ハ司法ノ説明トス即チ大審院ノ判決ハ法司ノ為二統一ノ説明ヲ子へ而シテ其説明ハ将来二向

テ規定ノカヲ有セザル者ナリ其ニハ是ヲ立法ノ説明トス羅馬人ノ古語二云立法ヲ作ルノ人濁り能ク法ヲ説クト欧

州各国ハ或ハ此ノ原則二従上立法議院二法律説明ノ権ヲ委ヌル者アリ而シテ其藥ハ細事ヲ以テ屡々議院ヲ煩スト

及議院ノ説明ハ毎二変遷浮動シテ恒久永定ノ要素ヲ欠ク一一在り是し我力憲法ハ既二司法部二委ヌルニ将来一般二

通行スル立法ノ畉漏ヲ補フノ権ヲ以テセズ又之ヲ立法議院ノ多数二委ヌルヲ欲セズシテ寧ロ中央ノ官局法制起草

ノ任二居ル所ノ参事院二属シタル所以ナリ…

これは廃条となった条文であり、参事院は大曰本帝国憲法体制下の機関としては実現されなかったが、この説明の

(28)

うちに、井上の判決というものに対する認識が表れている。すなわち、大審院の判決は、「法司」のために統一の説

明を与えるものであり、その説明が将来に向かって「規定ノカ」を有することはない。説明後半においては、「我力

憲法」が、「司法部」に対し、将来に向けて一般的な拘束力を有するような「立法ノ映漏ヲ補フノ権」を与えていな

いことも明記されている。そのような権限を有するのは、立法官たる「参事院」なのである。

以上に掲げた二つの資料を、単に日本法における成文法主義の採用(判例法主義の不採用)を示すものと見ること

もまた可能である。しかし、大審院が弓司法権独立は結構であるが、司法省より独立するのは不可である』との肢(川)行した司法権独立奎銅の下に置かれ」ていた明治期の状況を顧慮すれば、上記の資料はそれほど単純に解しうるもので

はなく、むしろ、中央政府内の法制官僚からなる専門集団と、大審院との間の、緊張関係を伴う上下構造を示すよう

しかし、ここで改めて、元老院での集会条例改正案の審議における、とりわけ大森ら参事院議官の説明と、それが

発布された後の大審院による運用を対照すると、井上の構想したような「明法」機能の、立法官と裁判所との役割分

担が、現実にはそれほど単純に行われえなかったことが明らかとなる。大森や水本は、立法者として、改正の趣旨が

第一に治安の保持にあることを繰り返し言明している。しかし、大審院の判決は、治安を乱したことを処分の要件と

して掲げることはせず、ひたすら現場に監臨した警察官吏の調書に全幅の信頼を置いて、判決を形成する旨を表明し

ている。さらに、その調書の信頼性そのものを疑問視し、また、条例違反の判断を下す根拠となる調書を警察官吏の

裁量範囲内に一任するのではなく、いかなる事案が集会条例の対象に該当するのかを明示すべきであると求める上告

人や代言人の主張は、おそらく立法の時点では全く想定されていなかった事態であったろうが、大審院はこれに対し、

調書を採用するか否かを決定するのは裁判官の職権であるとの見解を示している。

集会条例改正案審議と公布後の法運用(天野)三九 に思われる。

しかし、》

(29)

法学志林第一○九巻第二号四○(畑)井上は明治二一一年に、「検察官警察官弊害意見」と題された意見書を記しているが、その記述からは、上記のような裁判官と警察官の関係に対する強い不信の念を看取することができる。井上は以下のように述べている。

裁判官ハ其位地信用ノ何者タルヲ知ラス情実政略ノ干渉ヲ蒙リ情実一一動カサレテ警察官吏ノ過ヲ彌縫セントシ事ノ是非一一依り裁判スルニァラスシテ多クハ政府ノ意ヲ迎ヘテ裁判スルコソ一身ノ栄利ヲ計ルノ道ナリト誤信スルニ依ル…警察官亦其位地責任ノ何タルヲ知ラス内閣当局者ノ趣意ヲ誤解シ法律ノ精神ヲ了解セス其無学文盲ナ

ル見解二拠テ濫リニ法文ヲ解釈施行シ若シ之ヲ誤ルコトァルモ裁判官一一強ユルニ情実ヲ以テシー度告発シタル事

件ハ事実及手続ノ是非曲直ヲ問ハス飽マテ之ヲ支へ為メニ人権ヲ害スルモ括トシテ恥チサルノ勢アリ…今曰我内閣ハ警察政治一一依ツテ進退シ警察独り内閣政治ノ機関トナリ恰モ警察政府ノ外観アルヲ免力レス

井上のいう「内閣当局者」、すなわち参事院に集うような法制官僚たちの「趣意」とは、決して「政府ノ意ヲ迎ヘ

テ裁判スル」ことではない。さきに掲げた元老院会議における発言からも明らかなように、井上をはじめとする立法官の意思は、「法律ノ精神」そのものであった。井上は、終始一貫して、立法者意思の全てを起草された法に集約さ

せ、その外に「精神」は無いとの姿勢を貫き、従って、法に表れた立法官の意思、法律の精神に則って裁判を進める

ことを司法官に対し求めたのである。

大森鍾一もまた、全く別の側面からではあるが、同様のことを述べている。「大木喬任文書」内の、「集会条例改正(伽)追加以来一云々」と題された報告書の中で、大森は山県有朋参事院議長に宛て、以下のような地方巡察の報告書を提出

している。

今般巡回中集会条例実施二付困難ノ状況アルヲ間黙々一一付スル能カハサル所アルヲ以テ弦二其概況ヲ陳へ卿力

閣下ノ注意ヲ要セント欲スルモノァリ…警察官力学術会一一臨ミ其論議政治二関スルヲ以テ之ヲ裁判官ニ送り其処

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