• 検索結果がありません。

市の平和―太宰治「走れメロス」における〈負債〉と〈信用〉

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "市の平和―太宰治「走れメロス」における〈負債〉と〈信用〉"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 市の平和―太宰治「走れメロス」における〈負債〉と〈信用〉. Author(s). 村田, 裕和. Citation. 旭川国文(31): 35-47. Issue Date. 2018-11. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11305. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 市の平和―太宰治「走れメロス」における〈負債〉と〈信用〉 . 村田 裕和. 負債の歴史を語ること、それは、必然的に、市場の言語がどのように. だが、近年盛んなアクティブラーニングのように、生徒同士の意見交 流や主体的・自主的な「読み」を促進したとしても、「語り」の作為を. いの裏返しでもあっただろう。(*3). 焦点化してきた従来の素朴な読み方に対する生徒の拒絶感や教師の戸惑 して人間の生活のあらゆる側面に浸透するようになったかを再構成する. 暴くことでメロスの評価を格下げしたり、メロスの振る舞いには問題が. あるが、(だからこそ)本質的・理想的には「友情」は大切だ、という. ような通俗的モラルの確認・強化に陥ってしまうことはないだろうか。. 物 語 内 容 を 肯 定 す る に せ よ 否 定 す る に せ よ、 友 情 譚 と い う フ レ ー ム に. よって読解することからは容易に抜け出せない。. 近代の公教育は、年齢と住所という客観的条件によって、それまで全 然無関係だった子供たちを一箇所に集めるところから出発する。「仲良. らどの程度逸脱しているかといった点に関心が収れんしてしまうのはい. 情」が顕在化されてしまい、読者が個々に抱く理想としての「友情」か. し」 友「情 「」協調」といった価値は、この制度基盤を安定させ、集団を 維持する上でもとりわけ重視されてきた。「学校」「教室」というフレー. 『走れメロス』」(『都留文科大学研究紀要』一九九三年三月) ト〉へ —— 以降、教室の中で「走れメロス」をいかに読む/教えるかという議論が. わば当然の成り行きである。この自明化された〈友情イデオロギー〉が. 5. 3. (35). ことでもある。(*1) デヴィッド・グレーバー『負債論』(二〇一一年) ——. はじめに 一九四〇(昭和一五)年五月号の『新潮』に発表された太宰治の短篇「走 れメロス」は、近年では多くの中学校国語科教科書に採用され、太宰治 の代表作の一つに数えられるほどになっている。また刊行される論文も 増加の一途をたどっている。. 活性化し、本作を論じることが、文学教材を読む/教える行為一般につ. 「信念」( )、 「信実」( )、 「信頼」( )や「信じる・ テクストには、. 教材たらざるをえない。. ムの中で読む限り、どれほど解釈を読者(生徒)に委ねても、物語の「友. いて論じることを代表するかのような議論の枠組みが形成された。(*. 批判的に吟味されないかぎり、「走れメロス」はいつまでも憂鬱な道徳. とりわけ、「利己的な「語り」」に注目した田中実の論文「〈メタ・プロッ. 2) 生徒も教師も、もはや単純な友情譚を額面通りには受け取れない。教 材研究における「語り」への注目は、あまりにあからさまに「友情」に. 1.

(3) )といった語彙が出現するが、「友情」とい. れば、これは「ダモンとピンティアス」などの名で知られた伝説で、シ. 所(教訓)も、それぞれの話・地域で大きく異なっている。五之治によ. チリアに実在した植民都市シラクサイ市の王ディオニュシオスにまつわ. )、「不信」(. う言葉は現れない(括弧内は使用回数)。「友と友の間の信実」という語. る「数ある」伝説の中でも「最も有名なもの」であるという。杉田の言. 信ずる」( 句が「友情」を想起させるが、はたしてそれは「友情」なのか。もちろ )、「誇り・誇る」(. ん、「友情」が描かれていないとは誰も断言できないだろう。だが、「愛 )、「義務」(. 葉を借りれば、「シラーの作品は突如としてヨーロッパ世界に出現した. )、「名誉/不名誉」(. と こ ろ で 周 知 の 通 り、「 走 れ メ ロ ス 」 の 本 文 末 尾 に は、「( 古 伝 説 と、 シルレルの詩から。)」(*4)という一文が付記されている。「古伝説」. を理解することは容易なことではなさそうである。. 日本の政治的・経済的な状況と緊密にかかわるテクストであることもふ. 「人質」や「信 本論では、これらの比較文学研究の成果を参照しつつ、 実」という言葉を再吟味する。また、「走れメロス」が一九四〇年代の. る。. ストを読み直すことの可能性を考察する。 一 「信実」と「信念」. 0. 0. 0. 0. 杉田英明によれば、ギリシアにおける原初的な〈メロス説話〉は、宗 教結社に近いものとされるピタゴラス派の結束を示す物語であった。た. 0. に近いものである」としているように、太宰は、物語のプロットだけで. だし、ここでは改心した暴君の仲間入りは許されない。. これがヨーロッパ世界に伝わり、キリスト教の説教本の中で流布する ことによって、「より普遍的な友情と信頼の美談へと変化」(*6)した という。. さらに、中東では、「人質」となるのは見ず知らずの男(多くは王の 家臣)であり、王のキリスト教への改宗によって幕となる物語もあると. シラーは、「人工」に対して、「自然」で「素朴」なるものの価値を称 揚した詩人である。彼は「人質」と同時期に書いた「素朴文学と情感文. いう。こうした多様な、しかし基本的には宗教的な教訓譚として流布し. 月)に詳しい。. ていた中で、これを近代的に読み換えたのがシラーであった。. シア・ローマから中東アラブ世界までの広がりをもっており、それぞれ. 杉田によれば、他者を人質として日限までに帰還することで王の改心 をもたらすというプロット(本論では〈メロス説話〉と呼ぶ)は、ギリ. 「『走れメロス』とディオニシオス伝説」(『西洋古典論集』一九九九年八. また、「古伝説」については、杉田英明「〈走れメロス〉の伝承と地中海・ 中東世界」(『比較文学研究』一九九六年一二月)および、五之治昌比呂. 借用している。(*5). なく、人名や会話文をほとんどそのまま小栗訳『新編シラー詩抄』から. 年一〇月)で明らかにされた。角田が「ほとんど、説話における「再話」. 角田旅人「「走れメロス」材源考」(『香川大学一般教育研究』一九八三. 太宰は、一九三七年刊行の小栗孝則訳『新編シラー詩抄』(改造文庫) に収められた「人質」をもとに「走れメロス」を書いた。このことは、. を指している。 書いたバラード「人質」 Die Bürgschaft. とはシチリア島を舞台とする物語であり、「シルレルの詩」は、この伝. わけではなく、むしろそれに先立つ文学的系譜が存在していた」のであ. )、. と誠」( )といった語彙との関係性の中で語られる「信実」. 1. まえながら説話的主題を再活性化させることで、現代においてこのテク. あるいは「正義」(. 3. 承をもとにドイツの詩人シラー(一七五九〜一八〇五)が一七九八年に. 3. の地域で少しずつ形を変えながら伝播してきた。また、物語が意味する. (36). 2. 3. 12. 2.

(4) 0. 0. 0. 学について」(一七九五〜九六年)の中で、「自然」と「人工」の関係に ついて次のように述べている。 0. 0. 0. 0. 後述するように、石工(都市労働者)と、牧人(地方農民)のあいだ の一種の「友情」が市の平和を回復するという物語は、シラー的な人間. の崇高さの物語といささか異なる読解をもたらすだろう。シラーの詩で. 展開していく」物語である。(*8). て人間的回復を果たし、共同体に復帰していくというプロットに沿って. る。高橋によれば、「走れメロス」は、「人間不信に陥ってそこから抜け. は、あくまでシラクスの市民同士の「友情」として読むしかない。. 高橋宏宜は、「政治がわからぬ」牧人のメロスが、シラクスに秩序回 復をもたらす点を大宰版メロスの基本的なプロットとして読み取ってい. 0. してみれば、自然が人工にうち克つ0の0は0、0力学的な大きさとして 偉大さとしての形式に の盲目的な暴力によってでは0な0く0、0道0徳0的0な0 0 0 としてではなく、内的 よ0る0こ0と、つまり、自然がやむをえない必要. 引用者注〕が、 予期しなかった導き手によっ 出るすべを知らない者〔王 ——. 〔傍点原文. 必然性として0は0た0らくことが必要なのである。人工の不十分さでは によって自然が勝利をかち得たのでなければなら なく、その不当性 以下同じ〕 (*7) ——. 「共同体」への復帰を前景化することで、シラーによって確立された「個 人」や「人間」を軸とする物語解釈を相対化する契機がうかがえる。し. ない。 右の引用は、「自然」をメロス、「人工」を暴君ディオニスと置きかえ て読めば、「人質」の世界が一目瞭然に解釈されるだろう。直情家のメ. 0. かし、結局、王の人間性に帰すのは、シラーから受け継がれたヒューマ 0. ロスは、文明によって歪められた人間社会(人工)の救済者である。そ 0. ニズム的解釈の範疇を超え出るものではない。 0. こにはシラーの理想が投影されていた。シラーは、「内的必然性」に重. 大宰が参照した小栗訳「人質」には、「信実」という語は一度だけ出 現する。最終聯四行目、「信実とは決して空虚な妄想ではなかつた」と. きをおくがゆえに、詩「人質」では王が「美談」を伝え聞くことによっ て、おのずから「人間らしい感動」を覚えるのである。これは近代的「個. いう箇所である。暴君ディオニスの最後の発言中の言葉で、太宰もその まま採用している部分である。. 人」の出現を考える上でも象徴的な物語である。 〈メロス説話〉の系譜を俯瞰したとき、長らく宗教的な教訓譚とし0て0 あった物語が、シラーにおいて人間中心主義的な「主題」を持った作品. は、 対 等 な 関 係 の 他 者( 友 人 ) に 対 す る 誠 実 や 信 頼 を 文 脈 上 の Treue 意味するものと解釈できる。だが、一方のディオニスが発話した Treue. 」と「 Liebe und Treue」!とある。 実」の箇所以外に、「 der treue Freund 小栗は前者を「親友」、後者を「愛と誠」と訳している。たしかにこの. などにあたる。 どといった意味があり、英語では loyalty, fidelity ただし、 「人質」の原文では、この Treue は三度用いられていて、 「信. シ ラ ー の 原 文 で は、 こ の 行 は、「 Und die Treue, sie ist doch kein. へと大きく転換したことがわかる。大宰は基本的にこのシラーのバラー. 」(*9)となっている。「信実」は「 Treue 」を訳したも leerer Wahn, には、「忠実、誠実、信義、忠義(誠)」(*10)な のである。 Treue. ドをふまえて、さらにその世界を拡張したのである。 シラー「人質」と大宰「走れメロス」の大きな相違点は、①王が暴君 となった理由を対話によって説明、②メロスを牧人と設定、③友の名を セリヌンティウスと明示し、石工と設定、④フィロストラトスをメロス の忠僕からセリヌンティウスの弟子に変更、⑤王がメロスの帰還に立ち 会う、⑥メロスとセリヌンティウスが殴打を交わす、⑦緋色のマントを 掛ける場面を追加、といった点である。. (37).

(5) には、臣民たちから王に向けられた忠誠や忠義(が妄想ではなかった). こうした混乱は一八〇六年の帝国滅亡後も、一八七一年にプロイセンに. した時代に「人質」というテクストを置いてみれば、王の市民(市)へ. よって一応の統一をみるまで続く。この疾風怒濤時代をどのように生き. 延びるか、「王」たちにとっては、切実な問題だったはずである。こう. 0. =信実には、信頼をめぐる二つ というニュアンスが読みとれる。 Treue の様相(友への信頼と君主への忠誠)が重ねられていたのである。 0. の仲間入りというモチーフはまったく自然なものだったにちがいない。. 0. 一方、小栗訳には「信念」という言葉も一回だけ出現する。メロスの 忠僕フィロストラトスが、メロスに走るのを止めるよう説得する中で、 (*12). シラー版「人質」は、正義の観念や約束の遵守といった市民社会を担 う個人(人間/市民)の確立と同時に、民衆に支えられた国王の誕生を. 〔/は改行を示す〕とある箇所である。大宰版においても、セリヌンティ. 0. 「暴君の嘲笑も/あの方の強い信念を変へることは出来ませんでした」 ウスの弟子に再設定されたフィロストラトスのセリフとして踏襲されて. 過渡的様相を象徴的に表していたのである。. ディオニスは「人の心」が信じられない。「民の忠誠」を疑っている。 そのことを非難するメロスに対して、人間は「私慾」のかたまりだと王. れメロス」の叙述を確認してみよう。. であろう。だがそれは王の人間性によってなされるのではない。以下、「走. 高橋が指摘したように、太宰の「走れメロス」もまた「人質」と同様 に、共同体の秩序(の回復)を寓意的に語る物語として読むことが可能. 二 道徳の系譜. 描くことによって、封建的な都市国家が近代的な国民国家へと変容する. 」で、日本語では「信[ずること]、 いる。この箇所の原文は、 「 Glauben 信用(頼)、信念」(同前)であり、宗教的な信仰心を意味することもあ に 相 当 す る だ ろ う。 身 代 わ り と な っ た「 友 達 」 か る。 英 語 で は belief らメロスに対する信頼であり、戻ってくるはずだと固く信じる気持ちを 表している。 と「 信 念 」 こ の よ う に、 シ ラ ー「 人 質 」 に お け る「 信 実 」 Treue. は、 意 味 的 に 近 接 は し て い る も の の 明 確 に 異 な る 語 彙 で あ っ Glauben た。日本語で「信実」という、一見ニュートラルな響きの. しかし現 ——. 側からみれば、メロスとセリヌンティウスとの間の「信義/. る約束を守るために走る。途中、その決意は揺らぐが、最後にはこの約. 言葉の向こう側には、民の王に対する「忠 代ではあまりなじみのない —— 誠」というもう一つのテーマが透けて見える。少なくともディオニスの 」の証しでもあったのであ ディオニス自身に対する民の「忠義/ Treue る。この文脈を強調するなら、物語は「個人」の誕生よりも、封建的な. 束を守り、王もまた「信実」の存することを認めることになる。. シラーの「人質」が書かれた一八世紀末の神聖ローマ帝国では、大小 「 三 百 有 余 の 諸 侯 国 」( * 1 1) が 入 り 乱 れ て い た。 た と え 弱 小 国 で あ. メロス自身が用いる「信実」は、大きく二つの関係性を含んでいる点で. 訳)の「人質」とは切り離して考える必要がある。ここで注意したいのは、. 存するところを見せてやらう」と意気込む。もちろん、シラー版(小栗. は返答する。一方、メロスは、友を人質として差し出し、友と王に対す. 国王が、近代国民国家の「立憲君主」へと巧みに変化する過程を暗示し. れ、領邦国家として主権を保有していた諸侯たちは、帝国解体の過程で. 」は、 Treue. ているように思われる。. 間違いなく、「走れメロス」は「信実」をめぐる物語である。メロス は村からシラクスに戻る朝、「けふは是非とも、あの王に、人の信実の. 「陪臣化」してプロイセンなどいくつかの大国のもとに従属していった。. (38).

(6) ある。一つは友人との約束を守ること(信頼・信義に応えること)であ. 債務者は、返済するという自分の約束を信用してもらうために、. ニーチェは『道徳の系譜』(一八八七年)の中で次のように述べていた。. である。前者は、互いの約束を表現する形式を持たない。無媒介的な関. り、もう一つは王と取り交わした約束を守ること(契約履行、義務遂行) 係である。後者はその反対に「人質」という形式によって結ばれた媒介. また自分の約束が真面目で神聖なものであることを保証するため に、また一方彼自身としては返済が自分の義務であり責務であるこ. 的関係である。. とをおのれの良心にきざみつけるために、返済しない場合にそなえ. オニスに「王は、民の忠誠をさえ疑つて居られる」と反駁する)。しか. るもの、たとえば、自分の身体とか、妻とか、自分の自由とか、時. られるのは、彼のまだ「所有している」もの、自分のまだ自由にな. て契約にもとづき債権者に対して何かを抵当に入れる。抵当に入れ. しもはやディオニスはその忠誠を信じることができないでいる。市の老. にはまた自分の生命とかいったものである(*14). 物語には、王と周囲の親族や臣下、そして民衆との関係性も描かれて いる。これらの関係は、「忠誠」と呼びうる関係である(メロスはディ. 爺はメロスに、誰も王に「悪心」を持っていないと言うが、そのことを 証明する手立てはない。それゆえ、王は臣下に「人質」を要求する。 「人質」. 同じことは、「走れメロス」にも当てはまるだろう。人質(セリヌンティ ウス)は、メロスの王に対する「忠誠」の表現であると同時に、商業的. ンテクストにおいても読解可能であることを示唆している。. 主義的なコンテクストで読解されてきた「人質」という詩が、経済的コ. の本質は、まさしく「担保」なのである。(*13)このことは、人間. 約束を守るために差し出されるものは、「担保」や「抵当」と呼ばれる。 シラーの「人質」は、「担保」とも訳されているが、「人質」という存在. ある。. 暮らし」の臣下に対して命じたことを、メロスは率先して実行したので. スは己の命の代わりに他者の命を「人質」として預ける。王が「派手な. 牧人メロスもまた、王に対して裏切らないという確信を持っている。 しかし王はすでに誰の「忠誠」も「誓い」も信じられない。そこでメロ. 場合は、信頼・信義に基づく無媒介的な関係性は失われよう。. ことができ、「緋のマント」に象徴される名誉を獲得するに至る。まさ. 済が自分の義務であり責務であること」を忘れることなく約束を果たす. ニーチェは、「「罪」「良心」「義務」「義務の神聖」といった道徳上の 概念の世界」の発祥地は、このような「債務法」の領域にあると述べて. ある。. 物でなければならない。互いに互いを等価だとする価値判断がここには. 問題は、ここでのメロスの判断を支えていたのは、セリヌンティウス がメロス自身の「身体」「自由」「生命」の代償物となりうるという計量. に生命を委ねられる関係)こそが「友」だと述べているにすぎない。. 利己主義者の道徳であって、テクストは互いを所有している関係(互い. ニーチェに従えば、メロスが友を担保にできたのは、自分が「「所有 している」もの」であったからだ。メロスの行為を身勝手だと非難する. は、不可視の「忠誠」を可視化するための媒介項である。ただし、その. な取引における約束の証し(担保・抵当)なのである。. に債務関係から道徳が誕生したのである。. いる(同前七七頁)。メロスにあっては、この担保(抵当)のおかげで、「返. 的な認識である。担保は、融資に匹敵するもの、つまり交換可能な代償. ことはたやすいが、テクストに言わせれば、それは真の「友」を知らぬ. 社会的・道徳的な語彙と経済的な語彙のこうした一致は偶然ではない。. (39).

(7) 何らかの〈信用〉を前提としないような取引関係を私たちは知らないと. 「走れメロス」は〈信用〉をめぐる物語である。近代社会は、〈信用〉 を前提とする契約社会であって、一定程度以上の経済活動においては、. メロスのマントは、創世記における「いちじくの葉」(*15)のパ ロディである。禁断の(知恵の)木の実を食べたアダムとイブの物語が、 罪と羞恥の自覚によって「人間」の誕生を説くのに対して、大宰版〈メ 0. ロス説話〉では、負債(の返却)と羞恥の自覚によって、「真に打算し 0. いっても過言ではない。. 0. うべき存在」(『道徳の系譜』六九頁)、「約束をなしうる人間」(同七〇. セリヌンティウスは、王とメロスの契約における「担保」であった。 この場合、セリヌンティウスが人であるかどうか、メロスの意志を理解. 0. 頁)の誕生が示唆される。期限ぎりぎりで償還を終えた(村で財産も譲. し、その身勝手ともいえる依頼を心から許していたかどうかは問題では. 0. り終えた)メロスは、文字通り無一文の丸裸である。しかし、それゆえ. 0. に、メロスが負っていた負債(=メロス自身の命)の大きさとその返却. ない。問題は、メロスと王が取り交わした〈契約〉によって、債務者、. 0. は名誉たりうる。たとえ自分の命であっても、《借りたものは返さねば. 債権者、担保という三つの役割が生じたという点である。メロスは友を. メロスと王は〈契約する主体〉として立ち現れたのである。. う約束が機能するため、原理的に王との〈契約〉そのものは破られない。. 裏切ることも可能であったが、その場合には「担保」を没収されるとい. ならない》という経済道徳の遵守は名誉なのだ。 シュルデン. 」 Schuld と い う 道 徳 の 主 要 概 念 が、「 負 債 」. シュルト. ニ ー チ ェ は、「 罪. に 由 来 す る と 述 べ て い る が、「 走 れ メ ロ ス 」 は、 ま さ に こ の Schulden 理論をトレースするかのように、道徳的感情の源泉が、担保と融資をめ ぐるドラマの中にあったことを物語る。. 〈負債〉を負い目と考えるような道徳的感情を除去すれば、〈負債〉こ そが〈信用〉の証しである。逆に言えば、〈信用〉とは、可能性としての〈負. 保」を与えることによって、人は初めて〈信用〉を獲得することができ. 証」を求める(与える)ことが行われる。すなわち「担保」である。「担. 切りかけた。そこで、約束を守れない場合に備えてあらかじめ相手に「保. 常に裏切りの危険は伴う。実際に、王は親族を疑い、メロスは友人を裏. 者との間には交わされない。いや、どれほど信頼できる間柄であっても、. うことである。. そのシステムが長期にわたって安定」(同前七三頁)するかどうかとい. とは、「信用と負債[債権と債務]を尺度とする一定のシステムが存在し、. 16)ことを示していると述べている。共同体の秩序にとって重要なこ. 文化人類学的な資料は、「ほとんどの取引が 信 用を基盤としていた」(*. 以来の経済学神話であり、実際に確かめられているあらゆる考古学的・. 文化人類学者のデヴィッド・グレーバーは、人間社会が物々交換の経 済から出発し、次第に貨幣経済へと発展したというのはアダム・スミス. 債〉の大きさ(=融資枠)に比例する。. る。道徳的な装いゆえに、一見すると物語は人間性をめぐるドラマであ. 負債にともなう担保や抵当は、裏切りの可能性を前提としている。「信 実」とは、利害や打算を超えたところにある誠実や信義であると考える. るかのように読める。しかし、共同体の秩序の回復にとって最も重要な. 「走れメロス」の物語的な面白さは、メロスが王との〈契約〉を通じ て「担保」を差し出し、なおかつその約束を履行して「担保」を取り戻. こともできるが、しかし、こうした「信実」は、ふつう見ず知らずの他. ことは、この〈信用〉の回復だったのである。. すという行為を描いたところから生まれている。メロスはこの契約を通. クレジット. 三 〈信用〉の物語. (40).

(8) 保」がなければ、無事約束を履行できたかも定かではないということ、. 自身の命も救われるという〝劇的〟な結末を迎えるが、重要な点は、 「担. したのであって、その逆ではない。その結果、王の心を動かし、メロス. それを精神的・抽象的な「信頼」や「信念」へと昇華させることに成功. して、媒介項に支えられた物質的・具体的な〈信用〉を踏み台として、. たのだ。. される物語は、安全な市場が〈信用〉によって創出される物語でもあっ. 存在しないだろう。したがって、「信実」の力によって市の平和が回復. クの中で機能する。おそらくこれほどに純粋なる「信頼」の表現は他に. る〉という心理的トリックでしかない。通貨は、通貨同士のネットワー. のは通貨に対して、〈万民がその通貨を信用していることを私も信用す. とも読めるのである。. 契約社会の中にみずからを位置づけ生き抜いていく過渡期を描いた物語. け入れられるようにみえる。「走れメロス」は、封建制領主が近代的な. せよ、市民が「万歳」を叫ぶことで、王は改めて承認され、共同体に受. 王の依頼は、民衆向けのパフォーマンスかもしれない。しかしいずれに. 廃止されるわけでもなく、「わしをも仲間に入れてくれまいか」という. たちの仲間に入ろうとする。もちろん、王の仲間入りですぐさま王制が. に描いていたことになる。その上、王はみずから懲罰を撤回し、メロス. 諸個人の契約によって成り立つ近代市民社会へと変貌する過程を寓話的. ロス」という物語は、忠誠と懲罰によって支えられていた中世的社会が、. 証明した。またそこに王自身が参入できる基盤を作り上げた。「走れメ. を介した契約が〈信用〉を生み出し、市に秩序と安定をもたらすことを. 無秩序な私慾の追求が、シラクスの平和を根源的に破壊することへの深. は、裏切られる者の孤独というよりも、親族や市民の悪魔的な欲望の開. 発見していた。私慾の追求は、近代化へのエネルギーである。王の孤独. たとえば王ディオニスは、メロスに対して「人の腹綿の奥底が見え透 いてならぬ」と述べている。王は、人の腹の中に「悪心」と「私慾」を. 係を描く物語としての側面が浮上してくる。. おいて書き加えられた部分に注意するなら、個人と共同体の経済学的関. 代的な共同体の性質を寓意的に示す側面を持っていた。一方、太宰版に. シラー「人質」と大宰「走れメロス」では基本的なプロットは共通し ている。いずれも、物語の主旋律においては「友情」を描きつつも、近. て称揚したり、批判したりすることはできない。. ことを無視して、単に無媒介的な心情(信頼・信念)を描いた物語とし. 「走れメロス」を〈信用〉をめぐる物語だと解釈するならば、その〈信用〉 には、それを形に表すもの、すなわち〈媒介項〉が必要であった。この. 四 君民融和. つまり、「担保」は、約束を履行するための努力を生むという点である。 債権者は、担保を預かることで、債務者の努力を期待(信頼)し、みず からは働かずして、この債務者の労働の結果を巧みに回収するのである。. いやそれどころか、近代の国民国家は、国王の存続如何に関わらず、 王室から国家財政を分離し、中央銀行を設立することで成し遂げられた。. い危惧があったというべきである。. 王は、まさに債務者メロスから最大限の努力を引き出した。一見する と、メロスは何ものも生み出さなかった。だが、メロスの行為は、 「担保」. いうまでもなく中央銀行は、〈信用〉を基礎として通貨を準備する機構. それに対して、処刑という原始的・懲罰的な対処法はあまりに妥当性 を欠くだろう。興味深いのは、王が、贅沢な暮らしをしている者に「人. 花にさらされた領主の戸惑いに近い。あえてディオニスの肩を持つなら、. である。銀行の萌芽はすでに中世の高利貸しに見られたものの、現代の 通貨には、もはや個別具体的な「保証」や「担保」は存在しない。ある. (41).

(9) 「担保」が必要だと言っているのである。. 求しようとするならば、あるいはその限界を拡大しようとするならば、. そが「正当の心構へ」だとも語っている。責任能力の限界まで私慾を追. 質」を差し出せと命じていることである。ディオニスは「疑ふ」ことこ. いうことになる。. メロス」は、本来のあるべき〈市民社会〉を暗示する巧妙な抵抗小説と. り限定的であるべきだ。このように読むなら、戦時下に書かれた「走れ. 注いだ。三八年四月公布の電力管理法や、翌三九年四月の米穀配給統制. 一九三八年四月に公布された国家総動員法は、以後数年にわたって、 金融、労働、生産、流通などの諸分野に無数の法令・省令となって降り. 別の角度から見れば、シラクスの構造的な問題は、王がマーケットの 独裁的支配者であって、中央銀行のごとき統治機関ではなかったところ. 一九歳の男子の身体検査が義務化された。「走れメロス」の初出発行日. 法、同年一〇月の価格等統制令などがその代表である。. 一方、市民や他国の商人たちの側から見れば、独裁的・強権的な王が 支配する市は、〈信用〉なき市場である。このような国家の市場に、誰. と同じ同年五月一日には、「健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加」を目的に. にある。暴君の孤独は、市民の「私慾」に対して、時代遅れの制度と対. が投資しようとするだろうか。時代や地域は明示されていないものの、. 掲 げ て「 優 生 手 術 」 を 合 法 化 す る 国 民 優 生 法 が 公 布 さ れ て い る。( *. 処法しか持ち合わせないところから来ていたのである。. この物語世界において、王が「担保」にもとづく〈信用〉という観念を. 18)この年開催予定だった東京オリンピック・札幌オリンピックは二. さ ら に、 こ の 総 動 員 体 制 は 身 体 の 管 理 統 制 に も 及 ん だ。 一 九 四 〇 年 四月には、「国民ノ体力ヲ管理」する国民体力法が公布され、満一七〜. 手に入れることは、「市の平和」にとって不可欠の契機だったのである。. 経済学者の柴垣和夫によれば、日本における統制経済のスタートは、 「一九三〇年の昭和恐慌を契機として」おり、「その本格化は三七年の日. 能だろう。だが、それだけにとどまらない。. 置き直してみれば、強権政治に抵抗する個人の姿をそこに読むことも可. ことを想起し、一九四〇年七月七日に施行された奢侈品等製造販売制限. しく派手な暮しをしてゐる者」に「人質」を差し出すことを命じていた. 融和の大団円へと巧みに回収されたことは手放しで喜べない。「走れメ. こうしたコンテクストの中に「走れメロス」を置いてみれば、「信実」 のために命がけで走るメロスの行為が、「王様万歳」の喚声による君民. 」さを称揚 する社会的圧力は極度に高まっていた。. 中戦争の勃発以降のこと」であるとされる。三七年に第一次近衛内閣が. 規則を直接の契機として、同年八月一日の興亜奉公日に「ぜいたくは敵. 年前に返上されていたとはいえ、心身を統制し、その 健「全. たしかに「走れメロス」は、シラーの「人質」が示した近代的個人の 誕生物語を基本的には踏襲している。暴虐な王に対するメロスの直情的. 成立すると、それまでの「産業自治」の基本原則は崩れ、翌年の国家総. だ」のスローガンが掲示されたことを併せ考えてみればよい。こうした. テロリズムを非難することは容易いが、初出の一九四〇年という時間に. 動員法によって、議会は「形骸化」され、「政府に実質的な独裁権」が. 文脈をふまえれば、「おまへらの仲間の一人にしてほしい」という甘い. ここには理想の市民社会とは正反対の全体主義社会が顔をのぞかせて いる。だが、大宰テクストが時局に対して抵抗的であったか迎合的であっ. 言葉ほどおぞましいものはない。. ロス」の世界は、国家総動員体制そのままである。暴君ディオニスが、「少. 付与された。(*17) 「走れメロス」の物語は、独裁権をもった国王の統治が行き詰まると ころから開始される。健全な市場において必要とされるのは独裁的な〈統 制〉ではなく、相互の〈信用〉である。統治機関の役割は、あたうかぎ. (42).

(10) 物語では、個人の誠実さや努力、見返り無き援助といった素朴なモラ ルと、国家や組織への忠実さや、契約の履行、義務の遂行といった社会. のを寓意的な物語に置き換えてみせた点にある。. る。むしろテクストの批評性は、こうした現実のあいまいな構造そのも. ズム体制が、紙一重のちがいでしかないところに起因しているからであ. ら右のような解釈の多義性は、理想的な市民社会と民衆参加型のファシ. たかという二者択一的な問いを立てることはあまり意味がない。なぜな. 完了するのに対して、ディオニスは妹婿・世嗣・妹・妹の子・皇后など. 興味深い対立を生み出した。すなわち、メロスが自分の村で財産贈与を. ロ ス 説 話 〉 の 基 本 的 な 設 定( 財 産 の 相 続・ 身 辺 整 理 ) で も あ っ た( *. 「走れメロス」は〈相続〉をめぐる物語である。メロスは、妹の結婚 式 を 執 り 行 い、 財 産 を 相 続 す る。 実 は こ の こ と は、 古 伝 説 = 古 代〈 メ. 体の秩序にもかかわる「義務の遂行」であったにちがいない。. 定的な継承は、単に一個人・一家族の利益を意味するのではなく、共同. かられる。受け取る側には、それを次世代に継承する義務が発生する。. 社会であれば、財産を分割せずに一人に継承することで一族の安定がは. れるだろう。それゆえ、相続ルールは社会秩序の基盤である。封建的な. 相続・贈与をめぐるトラブルは、今なお絶えることがない。たとえ親 族であっても、いや、親族だからこそ、遺産の争奪はほしいままに行わ. を次々と殺害し、相続先を見失っていたからである。. よつぎ. 1 9)。 こ こ に 太 宰 は、 デ ィ オ ニ ス の 乱 心 ぶ り を 具 体 的 に 描 く こ と で、. 的人格として要請されるモラルとの境界が、見分けのつかないかたちで ある 表現されている。多くの人々がそれを讃え、時にはメディアが ——. それを煽情的に報じるとき、そこに歓喜 —— や自己実現の満足を覚えないでいることなど誰にもできないだろう。. いはテクストの「語り」が. 五 相続の混乱. スがセリヌンティウスの弟子に変更されていた。物語世界には、市と村. 信用を、当の相手の命によって担保しようとする矛盾である。信じられ. 性は描かれていない。常軌を逸した殺戮が示すのは、信託すべき相手の. ディオニスの場合、他にも子や親族がいることは十分考えられるが、 世嗣を殺害してまで特定の人物に相続先を絞り込もうというような計画. このような相続は、一種の「信託」である。. の空間的対比が導入されると同時に、牧人と石工という職業的な対比も. 「走れメロス」では、ディオニスの人物形象が具体化され、メロスを 牧人に、友人セリヌンティウスを石工と設定し、さらにフィロストラト. 生まれることとなった。このことは物語にどのような陰影を与えるのか。. ぬから殺すのは、感情(憎悪)ではなく、〈信用〉をめぐるロジックの. ことは、妹の幸せもさることながら、「妹と羊」を、そしておそらくは. スに対して最後の努力を放棄させようと甘く囁いていたのではなかった. が師の工房を受け継いでいく可能性をうかがわせる。しかも、彼はメロ. セリヌンティウスの情報はあまりに少ない。だが、弟子の石工フィロ ストラトスの存在は、そこが徒弟制の職人社会であり、彼のような弟子. 担保を有効利用して相続を成功させたメロスと、相続をみずから混乱 に陥れるしかないディオニス。ではセリヌンティウスはどうだろうか。. 問題でもあるだ。. ここにこそ「走れメロス」の寓意を解く鍵がある。 牧人メロスが友を担保としてまで成し遂げようとしたことは、もちろ ん妹の婚礼である。この点はシラー版と同じであるが、同時に彼が遂行 したのは、村人の一人に妹をめあわせて、わずかな財産を託すこと、す. 彼の「家」と最後に眠った「羊小屋」を、無事に次世代に受け継ぐことだっ. なわち財産相続(贈与)であった。死を覚悟したメロスにとって重要な. たはずである。村落共同体に暮らすメロスにとって、こうした家産の安. (43).

(11) 鬼をもたらすものはない。一方、メロスは村で生前贈与を成功させた。. しまった。相続先を失った巨額の資産ほど、人々の欲望を煽り、疑心暗. つまり、物語には三者三様の相続(贈与)の関係が示されていたこと になる。ディオニスはみずから不信に陥り、相続人たちを次々と殺して. 大きな示唆を与えるものである。. 事例は、石工セリヌンティウスの人物像とその信用度を想像する上でも. ズ県選出の代議士となり、共和派の政治家として後半生を生きたナドの. イル語)に抑圧されてきた地域である。後に石工仲間に推されてクルー. ドの出身地のリムーザンはオック語圏に属し、支配的なフランス語(オ. こうした記録をふまえれば、地域の複雑な産業構造や入り組んだ民族 /言語地図の中に置かれたていた都市労働者たちの姿が見えてくる。ナ. 20). いた。さらにナドたちの元には、ドイツ人の見習い石工もいたという。(*. 労働者たちからは異端視されながら独自の石工コミュニティを形成して. ン地方出身の石工たちは、「移民労働者」としてパリに住まい、現地の. 石工の回想』(一八九五年)によれば、ナドたちフランス中部リムーザ. して働いたマルタン・ナド(一八一五〜一八九八)の回想記『ある出稼. 需要が飛躍的に増加したという。父子二代にわたり熟練の出稼ぎ石工と. とえば一九世紀のパリでは都市化が進み、人口増大に伴って「石工」の. セリヌンティウスは、メロスの「竹馬の友」である。したがって、セ リヌンティウスはメロスの村の出身者だと考えるのが自然であろう。た. 我々が想像するよりももっと非情なものであったことさえ想像させる。. 誠」もここにはない。彼が師の命を早々と諦めたのは、工房の師弟関係が、. トスは、そうはしなかった。無媒介的な「師弟愛」も、弟子としての「忠. にものぐるいで叱咤することもできたはずである。だが、フィロストラ. か。たとえ無駄であっても最後まで走り切るように懇願し、あるいは死. このような〈信用〉は、未来の時間に現在の生を託すという働きを持っ. いたことの何よりの証しなのだ。(*22). は、負債によって活性化される〈信用〉のネットワークを彼らが生きて. 継ぐだろう。セリヌンティウスがメロスの要求を黙って受け入れたこと. あれば、今回のメロスの借り(負債)は、別の機会にセリヌンティウス. 係の持続によって強固さを増す。右のような事情が一つもなかったので. 父がそれを買って出たことがあったかもしれない。〈信用〉は、貸借関. ないとき、出稼ぎ石工だったセリヌンティウスの父に代わり、メロスの. だろうか。たとえば、村から一人の若者を兵士として差し出さねばなら. 先祖から続く貸借関係の繰り返しの中に生きていたからだとはいえない. 〈信用〉のネットワークは、空間的な広がりの中だけにあるのではな い。むしろ、〈信用〉は時間に作用する力である。竹馬の友セリヌンティ. いえよう。. れていない広域的・複合的な〈信用〉のネットワークを示唆していたと. 牧人と石工という職業は、対立よりもむしろ村や市の内部だけに閉ざさ. 信用経済(*21)の混乱と安定を対照的に示していたのである。一方、. もあることをよく示している。つまるところ、市と村との空間的対比は、. 人的な貸借関係であると同時に、社会的に相互に関係づけられたもので. ある。メロスが村人たちを饗応したことは、〈信用〉というものが、個. のすべてであり、それゆえ共同体における〈信用〉のネットワークが十. 〈相続〉をめぐる混乱は、〈信用〉をめぐる混乱と微妙に重なり合って いる。なぜなら相続されるのは資産ばかりでなく、負債を含む貸借関係. ねばならない)。. ていた(少なくとも、彼が死んだなら、その工房は他の誰かの手に渡ら. に返されねばならない。もしメロスが刑死すれば、妹夫婦がそれを引き. ウスが、メロスの理不尽な申し出を二つ返事で受け入れたのは、彼らが. 全に機能する中で、はじめて安定的な受け渡しが完了するものだからで. また、セリヌンティウスは、彼の関知しない間に財産争奪の危機に瀕し. (44).

(12) 拍車をかけただろう。ディオニスの孤独は、時間の牢獄の中に閉じこめ. ことを意味する。相続先をみずから喪失したことは、さらにそのことに. であった。一方、他者の心が信じられないことは、未来を想像できない. 待し、そこに望ましい結果をもたらそうとする力を生み出すのが〈信用〉. ている。メロスが三日間の命を得て相続を成功させたように、未来に期. 表される市の人々)は、王に貸しを作る(〈負債〉を与える)ことがで. ろう。メロスたちがこの要請を明確に受け入れれば、メロスたち(に代. 入れたこと(あるいは王と民との新たな関係のはじまり)を意味するだ. それゆえ王は、「おまへらの仲間の一人にしてほしい」とメロスたち に依頼する。これに対する民の「王様万歳」は、民がふたたび王を受け. も必要だろう。そのような負債=国債こそが〈信用〉の証しなのだから。. がそれを守り、「信実」を証明できたのは、彼が広域的な村落共同体の〈信. 「信実」とは、端的にいえば〈信用〉のシステムが発揮する効力である。 セリヌンティウスとの間の約束も、ディオニスとの間の約束も、メロス. おわりに. というモラルによって成り立っている。一方、ディオニスがそうしたモ. 潤の追求ではなく、隣人・友人との約束を守る、信頼には信頼で応える. クは、グレーバーが「人間経済」と呼ぶものであって、資本主義的な利. メロスに、それを断る選択肢は残されていないようにみえる。. きる。本来であれば処刑されるべき命を許されている(王に借りがある). られている者の孤独でもあった。. 用〉のネットワークの中に生き、その〈信用〉のシステムに生かされた. ラルを、《借りたものは返さなねばならない》という「商業経済」の暴. あろう。〈負債〉の情報は広く共有されなければならない。〈信用〉のシ. 間に市に広まり、さらに「旅人」たちによって周辺の諸国にも届いたで. 命と時間を融資された(メロスは〈負債〉となった)。その情報は瞬く. は述べている。セリヌンティウスという担保によって、メロスは自身の. 〈負債〉そのものである。「定義上、 換言すれば、メロスという存在は、 負債とは信頼関係でありさらに記録でもある」(*23)と、グレーバー. 民が担保しなければならない。割を食うのはいつも民の方なのだ。我々. なのか。いや、民が投資するに値する機関なのか否か。王の信用度は、. 「走れメロス」は楽天的な市場復活譚などではない。真の問いはここ から先に発生する。ディオニスは良き統治者なのか、狡猾で野蛮な暴君. かったか。. かもメロス自身が、率先して〈契約する主体〉を実践していたのではな. 力的なロジックへと領略してしまう可能性も十分にある。(*24)し. しかし、ディオニスの参加は、彼がメロスらの信用経済の一員になる ことを意味するのだろうか。〈信用〉を基盤とするメロスらのネットワー. 存在だったからだ。. ステムに必要なものは、プレーヤーたちの相互の〈負債〉であり、その〈負. は彼の信用度を計り、それをコントロールするための知恵と技術を持っ. 0. ているのか。. 0. 債〉を「受領して債務を解消する意志を持つ任意のだれかが存在すると. 0. いうことを、だれもが知っている」(同前一一一頁)ということである。. 王の依頼に、メロスとセリヌンティウスはまだ答えていない。. 注. だとすれば、シラクスにおける〈信用〉のシステムの完成にとって、 王 が ま さ に な す べ き こ と は、 人 質 = 担 保 を 受 け 入 れ る こ と だ け で は な く、〈負債〉を「受領して債務を解消する意志」を示すことである。また、 それと同時に、より多く借りを作り、そのことを万民に知らしめること. (45).

(13) をどう超えるか. 2 たとえば田近洵一・田中実・須貝千里、座談会「読みのアナーキー. 一三四頁。原著二〇一一年。. 井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、二〇一六年) . 『太宰治『走れメロス』作品論集〈近代文学作品論集成8〉』(クレ. あることは、小栗による解説の中で紹介されている。 6 杉田英明「〈走れメロス〉の伝承と地中海・中東世界」、山内祥史編. は単に「友」となっている。この「友」の名がセリヌンティウスで. リヌンティウス」と小書き文字を使用する。 5 ただし、セリヌンティウスの名前は「人質」本文にはなく、そこで. 1 デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』(酒. 教育出版、二〇〇一年)において、「走れメロス」だけを分析する. 〈原文〉とは何か」(『文学の力 × 教材の力』 ——. かたちで「国語教育」「文学教育」におけるテクスト読解の方法と. ス出版、二〇〇一年)所収、三四〇頁。 7 フリードリッヒ・シラー「素朴文学と情感文学について」 一 ( 七九五 、石 ) 原達二訳『シラー 美学芸術論集』(冨山房、一九七七年). のために」(『都留文科大学研究紀要』二〇一五年三月)において、. 〜九六年. 立場が議論されているのが典型例。また田中は、「「物語」の重さ、「心」 アイヒマン裁判の例も引いて、語り手の凡庸さと愚劣さをあらため. . 頭見和夫「太宰治のシラー受容. 『走れメロス』の素材について」 ——. 工業高等専門学校』第四九号、二〇〇八年一二月)。 9 Schillers Werke, Bd.1, hrsg. v. L. Bellermann, Wien, Leipzig u., 小栗訳の底本に同じ。なお「人質」の書誌に関する詳細は九 1895.. 二三五頁。 太宰治「走れメロス」試考」(『福島 8 高橋宏宜「王のための物語 ——. て強く批判している。しかし「語り」に首尾一貫性と倫理性を求め、 読者(教師)にはテクストの背後にあって眼に見えない「原文」を 語「り 」それ自身が、密教的で神秘主義 看取せよと要請する田中の. 的な言説である。 3 たとえば中学校教員の近藤真は、実践記録「今『走れメロス』を読. (『東北ドイツ文学研究』一九八八年一二月)を参照。 10 木村謹治・相良守峯著『独和辞典 増補版』(博友社、一九五四. 代文学研究』第九号、二〇〇八年六月)は、メロスの物語行為が王. むこと」(『日本文学』一九九八年八月)の要旨(七五頁)において、「努. に過ちを自覚させデモクラシーを回復する物語と捉えている。シ . 年/初版一九四〇年)。. むこと」の秘鑰』(教育出版、二〇一二年))に、「教える側も教わ. . 力・正義・友情・信実・根性のドグマが潰え去り、関係ない人たち. る側も、共にリアリティを感じにくくなって来ている現状があると. 田前掲論によれば、メロスという名は、シラーが参照したとされる. がたまたま乗り合わせている教室で、今『走れメロス』を読むと言. 聞く」とある(一六八頁)。 4 「走れメロス」は初出の後、短篇集『女の決闘』(河出書房、一九四〇年) . ヒュギヌス(前六四〜一七)の『説話集』二五七節(友情で最も . 11 菊池良生『神聖ローマ帝国』(講談社現代新書、二〇〇三)二二四頁。 「走れメロス」論」(『阪神近 12 勝田真由子「王の法と語る身体 ——. に収録。本論ではこれを底本とする『太宰治全集』第四巻(筑摩書. うことの意味は何であろうか」と問うている。他に、安藤宏「『走 「読 (田中実・須貝千里編『文学が教育にできること —— れメロス』」. 房、一九九八年)所収のテクストに拠り、適宜初出を参照した。た. 固く結ばれた者たち)が初出であり、そこでのラテン語のモイロス. ラーの美学をふまえた興味深い考察である。譚詩「人質」が、市民 /国民の成立と密接に関わるテクストであるのは偶然ではない。杉. 「セ だし、本論の地の文では「セリヌンテイウス」などの人名のみ、. (46).

(14) 〈信用〉のネットワーク、それを基盤とする社会の仕組みを〈信用〉. のシステムと呼んでいる。 22 メロスとセリヌンティウスは、互いの内心の裏切りを告白しあい、. 互いに殴打することで心の負い目(罪/負債)を帳消し=相殺した。. が、 ド イ ツ 語 の メ ロ ス Möros に 変 化 し た と さ れ る。 Moerus とは「文字どおりには「市壁」を意味する」という。 Moerus 13 木村謹治「担保」(新関良三編『シラー選集』第一巻(冨山房、 一九四一年)所収)。なお、近年の諸種の独和辞典でも. このエピソードは、彼らが同一の信用経済を生きていた仲間であっ. Bürgschaft. の訳語は「保証(金)」や「担保」が一般的である。シラーの. 宰治「走れメロス」、もうひとつの可能性」(『山形大学紀要(人文. 逸文壇六大家列伝』(博文館、一八九三年)とされる。奥村淳「太. . 23 前掲、『負債論』三二二頁。 24 〈信用〉の両義的性格について、太宰治と同時代のマルクス主義. 力」を交換・取引する物語としても読みうる。. オニスの人質処刑やメロスのテロリズムなど、「走れメロス」は「暴. たことをうかがわせる。ここでの「暴力」は交換可能である。ディ. を「人質」と最初に訳したのは漣山人・霧山人編『独 Die Bürgschaft. 科学)』二〇一〇年二月)参照。 14 秋山英夫訳『ニーチェ全集』第Ⅱ期第三巻(白水社、一九八三年). の社会主義を体現するものであるが、それだけにまた、それは、欺. 融資本論』(改造文庫、一九二九年)二〇二頁。. 少数者の使用のために社会化する」と指摘していた。猪俣津南雄『金. 経済学者は、「信用はそれ故に、資本主義社会に適応せる形に於て. 七六頁。 15 共同訳聖書実行委員会編『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、. 瞞的なものでなければならぬ。当代の信用は、社会全員の貨幣をば、 その理念と現実」『戦時日 ——. 一九八七年)旧・四頁。 16 前掲、『負債論』六二頁。 17 柴垣和夫「「経済新体制」と統制会. 付記. 本経済(ファシズム期の国家と社会2)』(東京大学出版会、 一九七九年)二九七頁。. 本 稿 は、 北 海 道 教 育 大 学 旭 川 校 国 語 国 文 学 会 第 一 六 七 回 月 例 会 (二〇一五年五月二二日)における発表をもとにしている。. (むらた ひろかず 本学准教授). 18 法律第一〇五号(国民体力法)『官報』三九七四号(一九四〇年 四月八日)三六四頁、同第一〇七号(国民優生法)『官報』 . 三九九二号(同年五月一日)二頁。 19 前掲、杉田英明「〈走れメロス〉の伝承と地中海・中東世界」。 20 マルタン・ナド、喜安朗訳『ある出稼石工の回想』(岩波文庫、 一九九七年)二〇七頁。 21 ここでの信用経済とは、広義の負債(物品、人、労役、時間、あ るいは負債そのもの)を相互に、世代を超えて、あるいは三者以上 の関係において取り交わすことでバランスが保たれている取引、経 済およびその社会を意味する。こうした人々のつながりを本論では. (47).

(15)

参照

関連したドキュメント

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

はい、あります。 ほとんど (ESL 以外) の授業は、カナダ人の生徒と一緒に受けることになりま

太宰治は誰でも楽しめることを保証すると同時に、自分の文学の追求を放棄していませ

Frauwallner [1937:287] は下す( Kataoka (forthcoming1) 参照).本質において両者に意見の相違は ないと言うのである( Frauwallner [1937:280, n.1]

わかりやすい解説により、今言われているデジタル化の変革と

結果は表 2

⑥同じように︑私的契約の権利は︑市民の自由の少なざる ⑤