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滋賀の伝統的食文化図録

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(1)

教育研究学内特別研究報告

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滋 賀 の 伝 統 的 食 文 化 図 録

堀 越 昌 子

野 間 晴 雄

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C A V O -a 、 EU 三 / r l b n U レ l 、 . J 教育研究学内特別研究報告

I

滋 賀 の 伝 統 的 食 文 化 図 録

堀 越 昌 子 一

野 間 晴 雄

0870856775

滋賀大学附属図書館

1

993

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滋 賀 大 学 教 育 学 部

滋 賀 の 食 文 化 調 査 研 究 班

(3)

有 汗 多 毛 壬 う -

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三善 • 1992年度教育研究学内特別経費(文部省)による共同研究 『滋賀県を中心とした伝統食品・食事文化要素のデータベース化と マッピングによる学内共同利用教材の開発』 分 担 項 目 - 研究代表者 堀 越 昌 子 教授 食物学 5, 6, 7, 8, 9, 12章 - 研究分担者 小 林 健 太 郎 教 授 人文地理学 1章 高 橋 誠 一 教授 人文地理学 2章 野 間 晴 雄 助 教 授 人 文 地 理 学 4, 10, 11, 12, 13章 木 島 温 夫 教授 技術科教育 3章 林 宏 子 助 教 授 食 物 学 7章 - 配分額 9

0

万円 (第1年度)

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図録は

1

ページを基本として、写真、図、表と解説文をセットにしている。

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図表の番号は、章項と同じ番号の後に、掲載順に、通し番号をつけてある。 たとえば、図3.5.2は、 3章 第5項の2番目の図であることを示す。

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写真はほとんど共同研究者が撮影したものである。図や写真の一部は執筆者 以外の手になるものもあるが、文中、または参考文献として、その所在を明 らかにしておいた。

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執筆者は各項の文末に記しである。編者の責任で、レイアウトや字句は調整 した。

(4)

F亨 bこカ、ぷミ-(ご 法玄室室 0::>イ云走充白勺室主コ乞イヒ匡司袋衰0::>寛章華麗 食は、私たちの生命と直結し、くらしの柱であり、毎日の楽しみのひとつです。今の日 本はお金さえだせば何でも好きなものが食べられる結構な状況です。自分が苦労して育て なくても米や野菜は買えるし、手間をかけずに加工食品、調理済み食品が簡単に手に入り ます。安い輸入食品もぞくぞく食卓に入ってきています。そんな状況が、伝統的食文化を どんどん侵食していっています。また、食に無関心で、食の楽しみも味わえない子供達を 続々生み出しているように思います。 一方、食文化の基盤となっている農業や漁業も大揺れで、後継者の見通しも明るいもの ではありません。このままでは何千年もかかって作りあげられてきた「食の伝統」が、そ のうちずたずたになってしまいます。豊かさのあふれる中で寸断されていく食文化をこの ままなりゆきにまかせていいのでしょうか。いま何かしておかなければならないことがあ るのではないか、そんな思いにかられます。 数年前、滋賀のあちこちをまわって、昭和の初めの頃の食生活について、聞き取りをし たことがありました( fj'聞き書・滋賀の食事.0 )。当時は決して豊かな食環境ではなかっ たはずなのに、再現された食事には現代よりはるかに食の豊かさが感じられ、新鮮な感動 を覚えました。この時感じた豊かさは一体何だったのだろうか整理してみますと、貧しい ながらも必死で手間ひまかけておいしいものを作るという労力を惜しまない豊かさであり、 季節・旬の豊かさであり、村社会の祭りや行事食の豊かさであり、人の節目節目の祝い食 の豊かさであり、人間関係の豊かさであったように思います。また自分達の祖母や母達が 日々の生活の中で培ってきたたくましさ、知恵への素直な感動だったように思います。台 所の第一融から退いた女性達が、昨日のことのように料理を再現して、コツを教えて下さ るのです。長い年月鍛えてきた腕と頭には、難なく技術と知識が穆みこんでいて、これが 伝統のなせるわざなのだろうと思いました。 行事の時など近所同志で教えあい、また姑から嫁ヘ伝えられていく中で練り上げられて いく確かな技術と知恵。時には説明のつかない不合理なことを含んでいたとしても、長い 年月かけて整理されていく中で、伝統的な食文化にはみごとな合理性と科学性が付加され ていくのです。 伝統的食文化に支えられた食生活は、風土的限界はあってもその地域の中で到達出来る 限りの栄養バランスを獲得していくのです。豆とトウモロコシの組合せの妙、イモとココ ヤシと魚の組合せの妙。米・魚・豆・野菜・芋の組合せの中に見られる栄養的合理性。こ 可 。 a E d 旬 E A ﹁ l l L

(5)

れは生きとし生けるものの生物的な知恵の他に、人間の試行錯誤の実験を経ながら、科学 的に精錬され、伝承文化にまで仕上げられてきたものと言えます。 滋賀県には淡水魚のナレズシ文化を始めとする独特の食文化が残っています。日本の食 事文化は、東アジア食文化圏の中に含まれ、深い共通点を持つとともに、日本独自の発展 をしてきました。琵琶湖周辺の食生活は、豊かな米と淡水魚の組合せを軸に構成されてお り、タンパク質、カルシウム、脂質などの摂取も優れ、栄養的にもバランスのとれた優れ た食事パターンを形成しています。 食文化の伝統を守っていくためには、その伝統技術を継承していく人の存在だけでなく、 食材料になる作物の優良品種の保存や生物資源の維持なくしては語れません。滋賀は米ど ころであるとともに、葉菜類や大根カブ類の在来品種が豊富なことでも知られていますし、 琵琶湖は淡水魚の宝庫です。 ところが滋賀県は農家の兼業化率が高く、昔ながらの在来品種を維持していくことは、 至難のわざといえます。また漁業資額も、アユを除いては漸減し、見通しは明るくありま せん。また伝統的食事文化の多くは、都市よりもルーラルな社会でよりよく残ってきたの ですが、過疎化や兼業化の進行でそれを継承する主体自体が危機に頻しており、食文化の 継承も困難な状況を迎えています。 以上のような状況のもと、伝統食の材料や作り方をきちんと記録し、それを再現できる 形で残していく地道な作業がぜひとも必要だと私たちは考えています。民俗誌的な手法、 聞き書き、作り方のマニュアル集など貴重な記録もいくつかあります。現代の情報機器を フルに活用しながら、いろんな角度から記録していく作業とともに、それらの散逸的な記 録を系統的にまとめ、次世代を担う人々への教育に生かしていく努力も必要です。 今回、平成四年度の滋賀大学教育研究学内特別経費により、われわれは「滋賀県の伝統 的農作物・魚介類を用いた伝統的食品・食事要素のデータベース化とマッピングによる学 内共同利用教材の開発」研究班を組み、滋賀の伝統食の図録化を試みました。滋賀の食の スタイルを総合的に記録し、系統化していく作業のささやかな一里塚です。滋賀の「風土 的背景」や「食用作物」、 「伝統的な一品料理」や「日常の食 J

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祭礼の食J

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祝い食」 などを、写真や図表を中心にまとめてみました。この図録を、大学教育や学校教育の中で 生かし、次の世代に生きた形で食事文化が残していけたらすばらしい、そんな乙とを願っ ています。

199 3

3

月 [ 2 ] 滋賀の食文化調査研究班 代 表 堀 越 昌 子

(6)

自 主欠 序にかえて 滋賀の伝統的食文化図録の意義

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焼畑のカブラと信州カブ 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 9

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大蔽カブと矢島カブ 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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永源寺と近江八幡のコンニャク 一一一一一一一一一一一一一一一ーー

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坂本の食用キク 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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その他の淡水魚類 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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[ 3 ]

(7)

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アユの佃煮

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モロコの佃煮

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シジミの佃煮

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タニシの佃煮

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マスの洗い

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コイの甘露煮 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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ウグイの甘露煮 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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マスの味噌蒸し 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー ー 一 一 一 ー 一 一

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ヒウオの焼き串 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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ハスの塩焼き 一ーーーーーーーーーーーーーーーーーー一帯ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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ハスの味噌田楽 一 一 一 一 - 一 ー ー ー ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一

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ハスのナレズシ ーーー一一一ーーーーーーーーーーーーーー一一一一一一ーーーーーーーーーーー

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ウグイのナレズシ 一 一 一 - 一 ー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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オイカワのナレズシ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー司ー

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手長エピのてんぷら 一ーーーーーーーーーーーーーー一一ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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ウナギのじゅんじゅん

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日野菜の漬物 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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カブの漬物 一 一 一 一 一 一 - - - 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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はぐき漬け 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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菜の花漬け 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一

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ぬか漬け 一一一ーーーーー一一ーーーーー一一一一ーー一一ーーー一一ーーーーーーーー

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エピ豆 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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ひじき豆 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー----ーーーーーーー"一一ーーーーーーーーー

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草 餅 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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けそく餅 一ーーーー一一一ーーーー一一一ー一一ーー一一ーーー一ーーーーーーーーーー

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シジミの昧噌汁 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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フナのあら汁 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー ー -

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[ 4 ]

(8)

6 南犬玉~ 44

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1

西浅井町塩津浜のお講 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 44 6.2 木之本町杉野の山菜料理 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 45 6.3 近江八幡市沖島の湖魚料理 一一一一一一一一一'ー一一司一一一一ー 46 7 言周王里圭支争時 47 7.1 フナズシの製法 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー駒田ーーーーー 47 7.2 コアユ佃煮の製法 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 49 7.3 打豆の製法 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 51 7.4 味噌の製法 一一一一一ー一一一一一一一一一一ー一一一一一一一一一ー

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7.5 豆腐の製法 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 54

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ぴわ町南浜の漁家の献立 一一一一一一一ー一一一一一ー一一一一一一

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8.2 浅井町内保の兼業農家の献立 一ー一一一一一ーーー一一一一一一一一一 57 8.3 浅井町太田の兼業農家の献立 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 ー 一 一 58

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~託先或 <T> 宝乾季皇訪司王皇E 59 9.1 淡水魚消費量の推移 一一一一一一一一一一一一一一ーーー一一一一一 59 9.2 漁村と農村の食品群別摂取量の比較 一一一一一一一一ー一一一一一 60

9

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3

湖魚からのカルシウム摂取量の比較 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー ー 一

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1

9.4 漁村と農村の栄養素充足率の比較 一一一一一一一一ーー一一一一一一 62 9.5 滋賀県における昭和30年頃の栄養素充足率の地域別比較 ー一一一一 63

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実号本

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<T>主主寺均 一 ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 64 10.1 すしきり祭 一ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一一ーーーーーーーーー一一一ーー 64 10.2 オコナイ ー一一一ーーーーーーーーーーーーーーー一一ーー一一ーーーーーーーーーーー一一 67 10.3 山の神と野神の神撰 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 68

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奈佐芳ま <T>圭也主或

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全国の雑煮類型からみた滋賀の雑煮 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 一

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近江・伊賀・伊勢三国国境地帯の雑煮 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

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3 湖北・山東地域の雑煮 一 一 一 一 一一 一 一 一 一 一 一 一 ー ー 一 一 一 一 一 73

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ノ ニ て 三 / 74 12.1 ナレズシの魚種 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー崎司一喝ーーーーーーーーーーーーーーーー 74 12.2 淡水魚ナレズシの分布 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 75 12.3 ハスのナレズシの分布 一 一 一 一 一 一 一 司 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 76 [ 5 ]

(9)

12.4 オイカワのナレズシの分布 一 ー ー ー ー ー ー ー ー ー 司 ー ー ー ー ー ー ー 一 一 ー ー " ー ー ー ー ーー 77 12.5 サパのナレズシの分布 ー 一 一 ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 78 12.6 ナレズシの地域比較 一 ー ー ー ー ー 一 一 ー ー ー ー ー ー ー 一 一 ー 一 一 一 ー ー ー ー ー 一 一 一 ー 一 79 12.7 近江・伊賀・伊勢三国国境地帯のナレズシ摂取頻度とその噌好 一 80 12.8 蒲生町のナレズシ分布 ー ー ー ー ー ー ー 『 ー ー 一 一 ー ー 一 一 一 ー ー 一 一 ー 一 一 一 ー 一 一 一 一 81 工

3

~炎スk 魚羊美食 CD 読売量重と貝反安宅 83 13.1 滋賀県の淡水魚介類の盛衰 一 一 ー 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 ー ー 一 一'一 83 13.2 水産加工業者の分布 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 85 13.3 淡水魚専門庖の販売品目 一 一 一 一 一 一 一 ー 『 ー ー ー ー ー ー 一 87 13.4 淡水魚介類の流通 一 一 一 ー ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 ー ー ー ー 88 エピローグ 編集のまとめ 90 滋 賀 県 地 図 一 一 ー 一 司 自 ー ー 一 目 ー ー ー 一 一 ー 一 一 一 一 一 一 ー 一 一 ー ー 一 一 ー 92 [ 6 ]

(10)

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武二仁白勺李主

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1

金也}f;多 滋賀県は日本列島のほぼ中央 部に位置する内陸県で、その領 域は近江盆地というまとまった 地形区とほぼ一致している。近 江盆地の中心部には、面積が日 本最大で、最も古い時期に形成 された琵琶湖が、県全体の面積 の約6分のlを占めており、その 周辺には沖積低地と台地(段丘) や丘陵、それに盆地の外縁を限 る山地がほぼ同心円状に配列し ているが、沖積低地や台地(段 丘)・丘陵の分布には地域的な 偏りがみられ、南部や東部では 広いのに対し、北部や西部では 狭く、山地が湖岸に追っている。 山地は東辺の伊吹山地と鈴鹿 山脈や西辺の比良山地と比叡山 地のように、ほとんどが南北方 向に連なる。北辺の野坂山地も また南北走する数本の断層谷に 刻まれ、その谷筋は古来北国人 仁ヨ山 地 - 丘 陵 [JJ台地m丘} 仁コ沖!4fllc.... 10 4

図1.1.1

滋賀県の地形区分 20脂n s (日本地誌研究所編『日本地誌

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の交通路として利用されてきた。東の伊吹山は県下最高峰で、南麓を横切る関ケ原低地帯 は東西交通の動脈である。西の要衝は比叡山地南端の逢坂峠で、鈴鹿峠とともに、近江盆 地と外界を結ぶ交通路になっている。丘陵は標高 150~300m の小起伏を示し、鈴鹿山脈西 麓から西方へのびる一群のものが最も広く、湖西には堅田正陵などがある。丘陵の多くは 松林や雑木林に覆われているが、近年は住宅団地や工場団地、ゴルフ場開発が盛んである。 台地(段丘)は小規模なものが多いが、湖東の八日市台地と湖西の饗庭野がやや大きい。 琵琶湖周辺の低地は扇状地・自然堤防・後背湿地・三角州などに区分され、開発の古い穀 倉 地 帯 で 、 良 質 な 近 江 米 産 地 と し て 知 ら れ て い る 。 [ 小 林 】

(11)

き 大 4N

宇 品 の 差 温 気 の レ ﹂ 地 山 辺 周 レ ﹂ 地 低 岸 湖 も よ 差 温 気 の 一 わ 方 の 北 目 、 る 特 緩 し 北 単 か 地 候 湖 い く い の 温 響 南 定 は か 南 気 、 多 強 て 候 気 影 侮 に も 湖 岸 し が が っ 気 の に て 毘 的 に は 洋 対 雪 格 な 地 湖 地 つ 童 形 る に 平 に 積 性 に 盆 琶 低 あ 地 あ 的 太 の の の 点 は 琵 岸 も 3 は で 候 の す 冬 候 接 布 、 湖 と

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滋賀県の気温分布 (日本地誌研究所編『日本地誌

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以下と少なく、全体としては北部ほど多くなっている。このような降水量の南 北差が顕著になるのは冬季で、夏には南北差がほとんどなくなり、低地と山地との差のほ うが卓越する。大津と彦根を比パると気温には ほとんど差がないのに対し、降水量は夏には大 津のほうが多く、冬には彦根のほうが多くなっ 図1.

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滋賀県の降水量分布 (日本地誌研究所編『日本地誌

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大津と彦根の気候グラフ 折線グラフは気温、棒グラフは降水量 ( Ii'草津市史第一巻.!l

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(12)

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ヨ管I:S"主宣守重ヲむこ乏メLる主主寺霊ヲ かつて琵琶湖の周辺に住んでいた人達が、どういうものを食パていたかについては必ず しも全面的に解明されているわけではない。しかし、各地の遺跡から出土した動物遺体や 遺跡の化石などから、その概要を推定することは不可能ではない。ここでは、縄文時代の 遺跡として有名な粟津湖底遺跡などから出土した遺物の一覧表をかかげておく。もちろん 表中のものがすべて食物として利用されたわけではない。また、表中には含まれないが、 セタシジミを中心として、オトコタテボシガイ、タテボシガイ、マツカサガイ、イシガイ 科、ドブガイ類、カワニナ類、タニシ類などの員類も多く発見されている。[高橋

1

・参考文献 滋賀県教育委員会・滋賀県文化財保護協会『南湖粟津航路(2 )波諜工事に伴う発掘調査 概要報告書粟津湖底遺跡』、 1992 図

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1

粟津湖底遺跡の発掘現場 セタシジミの員塚 (小笠原好彦氏提供) -3

-1

粟津湖底遺跡

2

石山貝塚

Ir可三:列{平:j'i¥\W;~ 図2.

1

.

2 粟津湖底遺跡の位置

(5

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地形図「京都東南部」 1988年発行、に追記)

(13)

表2.2 粟津湖底遺跡Eトレンチから産出した大型化石の和名学名対応表 (滋賀県教育委員会・滋賀県文化財協会:1992) 府l 名 オニグルミ クリ ヅ7'ラジイ シイ属 クリまたはシイ属 イチイガシ シラカシ コナラ属アカガゾ亜属 コナラ コナラ属コナラ)!属 コナラ属 プナ科 クワ属 ムクノキ エノキ キイチゴ属 A キイチゴ鼠 B キイチゴR C サカキ トチノキ マタタビ サルナシ マタタビ属 モチノキ近似値 カラスザYショウ イヌザ y,-,ョウ サソショウ属 アカメガシワ ,、クウYポク エゴノキ ニワトコ ムラサキシキブ嵐 A ミズキ イ"ラモ ♂ 叫 f jllglallS si~boldiQl回 Max. CasJa'lI!a 即 日 個laS.elZ CasJall旧知isOIstidala (71omb.J却wllky. Casll回向日S CasJ,聞 が 酢 回laa,r1 or白slalWtisis Qw官<5gilw Blume 。 町 出myrsinaefo灯a.BI. 。 崎 町us51.抑 制 .Cycl伽 la出IS

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(14)

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琵琶湖南部の縄文時代遺跡出土の動物遺存体一覧 (滋賀県教育委員会・滋賀県文化財協会:1992) 粟 津 第3貝 塚 莱 浄 水 中 調 査 莱潟E水 中 調 査 石 山 貝 塚 石 山 貝 塚 滋賀里 遺跡 文 献 ~弁章 岡 田1984 岡田文男1980 丹 ・ 塚 本1956 金 子1985 亀井/金子1973 t(¥ 顛 *1 *2 コ イ 科 O O O コ イ O O ?

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(15)

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グ 高島郡マキノ町の蛭口(ひるぐち)という地域で古くから栽培されている、丸い根の赤 カブラ。このカブラは「蛭口カブラ」と呼ばれているが、最近この地域で「蛭ロカブラ」 を訪ねた時には、残念ながら知っておられる人に会うことができなかった。今やこの地域 では、ほとんど見ることは出来ず、知っている人も少なくなってしまったようである。 蛭ロカブラも葉に毛のない 「和種系・在来種系」の赤い カブラだが、葉・葉柄まで鮮マ 紅色になる点で「万木カブ」 とは異なっている。その葉ま で赤くなるカブラということ で、彦根の赤カブラがこの地 に伝わったのだという説があ る。この蛭ロカブラとそっく りのカブラが、現在では湖東 の彦根市の北に続く磯、入江、 朝妻筑摩、世継といった米原 町、近江町の湖岸で多く栽培 され、 「磯の赤カブJと呼ば れている。秋も深まると赤カ ブラの収穫が一斉に始まり、 どの農家の庭先にも漬物用の 赤カブラがハサに掛けられ干 されたものであるが、今でも よく見ることが出来る秋の風 物詩である。

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嫁に食わすな 赤カブラ」という言葉が残っ ているが、 これは古い時代に美味しいも のに対してつけられた褒め言 葉 な の で あ ろ う 。 [ 木 島 ] 図

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蛭ロカブラ 図

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磯の赤カブラ

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6-3 . 2 云庄主E カ ブ ラ 大津市浜大津近くの尾花JII、今や殆ど畑を見ることは出来ない町中になってしまってい るが、この地にかつて、 「近江カブ」と名のついた白いカブラが栽培されていた。 最近まで、 「おっちん潰」という漬物のカブラとして利用されていた。子供がお尻をつ けて座っていることを「おっちんする」と関西では幼児言葉で呼んでいたが、乙の近江カ ブラの形態が偏平で、その姿を連想させるところからこのカブラの漬物をそう名付けたの だといわれている。 ところが、江戸時代の書物『日本山海名物図会』に出てくる「近江カブラ」はまん丸い 一抱えもある大きな丸い根のカブラである。また明治の初めに書かれた「日本産物誌Jで は偏平になることが根の特徴になっている。 一方、江戸時代の比較的早い時期に書かれた『淡海地誌』等には度々「兵主蕪」と言う 名前のカブラが出てくる。野洲郡中主町の「兵主神社」がある、かつての兵主村地域で栽 培されていたカブラであるが、江戸時代末以後は書物等に登場しなくなる。やはり江戸時 代後半の「近江名所図会」の産物の項には、カブラの産地として兵主が挙げられ一抱えも ある根の丸い大カブとされている。察するところ、根の丸い「兵主蕪」が近江の代表とし て「近江カブラ」と称されていたが、別に偏平なカブラが尾花川近辺で栽培されていて、 それも「近江カブラ」と呼ばれていたための混乱ではないかと思われるが、いまでは誰に 図

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1

近江カブラ -7 -も解らないことの一つにな っている。現在「兵主カブ ラ」を見ることは出来ない が、これが今の京都の千枚 漬の材料になっている聖護 院カブラの元になったとい われており、いまもこの地 で栽培された聖護院カブラ を地の人は兵主カブラと称 し て い る 。 [ 木 島 ]

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3 . 3

7i E 主 良カ ブ 、 ラ 彦根市小泉地域を中心に栽培されてきたのが「小泉カブ」とその改良品種と恩われる「 入江カブjである。このカブラの根は短い大根のような長形で先端部で少し太くなり、鮮 紅色をしている。葉の葉脈まで赤くなり、かつては各家々で冬になると収穫され日向に干 されていた。これらのカブラを漬物等にして食べていたのだが、最近ではあまり一般的に は利用されていないとのことである。 この「小泉カブ」は江戸時代中ごろ彦根城下の小泉村のある人が、領主井伊家の庭園を 手入れしている際に庭の片隅に生えている葉と根の赤いカブを見つけて、それを栽培した のが始まりだと伝えられている 彦根では、 「彦根カブ(

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泉カブ」と「入江カブ」のこと は彦根城が見える所でないと出 来ない」との言伝えがあり、 実彦根城の見えない鳥居本 培したが失敗したと云うことを 聞く。このような言伝えはよく あり、愛媛県の「伊予緋カブ」 も同じ様に、 「松山城の見える 所でないと出来ない」といわれ ている。昔は食糧として大切な ものは他地域八広めず、地域で 護ろうと努力されたことによる のであろうが、しかし実際に地 域による出来不出来は生じたこ とで、それはカブラの生育に適 した土壌が砂質土壌であること に関係すると思われる。 小泉地域も犬上川と芹川に挟 まれた、砂質の土の畑であるが、 「彦根カブ」の栽培はほとんど 行われなくなっている。[木島] 図

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小泉カブラ 図

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入江カブラの漬物

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-8-3 . 4 甥 毛 大 田 の カ ブ 、 ラ と イ 言 少 ト

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カ τ 7 伊香郡余呉町の山間部には「山カブ」あるいは「天狗カブ」と呼ばれる赤紫の丸いカブ ラが古くから栽培されている。 中国大陸を横断し、古代にすでに日本海を渡り東北地方などの日本海側から各地に伝わ ったものと思われる。これらのカブラは主に、東北から北陸の山岳地帯で、焼畑と言う農 法で栽培されてきたが、その南の端は北陸と接する滋賀県の余呉町等の湖北山間部になっ ている。このように、東北地方から北陸、さらには東日本一帯に分布した日本海渡りのカ ブラを総称して「西洋系カブラ」といい、葉には細かい毛があり、春の開花が遅い性質が ある。 余呉町の焼き畑も、東北地方のそれと同じように、

8

月に山の傾斜地に火を入れて焼き、 その直後に自分の家で種取りをした種子を蒔き、 11月には収穫し、漬物にしている。 2年 目は同じその場所には違った作物を植え、山カブはまた新しい傾斜地に火を入れて栽培す るが、決して2年続けて同じ土地では作らない。これは農薬を使わないで、病気や害虫を 防ぐ、古代からの知恵なのである。 滋賀県にはもう一つ「西洋系カブラ」があり、それは愛知川町の「信州カブラ」と呼ば れ て い る 葉 は 緑 色 で 、 赤 紫 の 丸 い 根 の カ ブ ラ で あ る 。 [ 木 島 ] 図

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信州カブラ

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日 聖 子 主 主 力

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グ ラ 蒲生郡日野町を中心に栽培が広がったカブラに「日野菜カブラ」がある。応仁・文明の 乱後の聞もない噴、蒲生氏が現在の日野町に建てた音羽城の近く、日野鎌掛のあたり、爺 父渓(やぷそ)という所に葉も根も紫紅色したカブラが自生していたものを土地の人々が 観音堂にお参りした時に見つけて栽培し始めたのが「日野菜カブラ」の始まりとか。 こ のカブラを漬物にしたところ、色は桜の花のようで、昧もよく、時の城主・蒲生貞秀が、 栽培を命じ漬物として朝廷に献上したという記録がある。 これ以後、この日野菜の栽培と日野菜潰はこの地の名産品として各家庭でも広く栽培さ れ親しまれるようになり、今や滋賀県を代表するカブラの一つである。 蒲生氏はその後、伊予国(愛媛県)や伊勢(三重県)さらには会津(福島県)の城主に なって行くが、音羽城での日野菜が忘れられなかったのか、その食品としてのよさを知っ ていたからか、常に日野菜を携えていき、その地その地でこれを栽培させたようである。 愛媛県松山の伊予緋カブには、時の城主・蒲生忠知が近江から日野菜を導入したものだ との説もあり、また蒲生氏縁の三重県も 古くからこの百野菜を栽培している主な 産地の一つになっていた。 この日野菜カブラは、 「和種系・在来 種」で葉に毛がなく、根は細い大根のよ うに細長く、あまり肥大せず、根の上の 部分は紫色で、葉も紫になるが、根の下 部は白い色を している。 [ 木 島 ] 図

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日野菜カブラ n u -E A

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グ 彦根市湖岸の大蔽地域では、 200年以上昔からやはり地域独特のカブラが栽培されている。 このカブラは赤い根の長い「彦根カブ」と違って、葉や葉柄は緑で、根は丸く、少し偏平 になり、根の地表面に出た部分は紅紫色を呈し、土の中の部分は白い色をしている。また 葉の切れ込みが少なく、葉に毛がなく、冬の低温にあたると早く花が咲く性質がある。来 歴はわかっていないが、古代に中国の南の方から西日本に伝わったカブラの一種で、 「和 種系」とか「在来種」と呼んでいるものの一つである。 この「大監カブラ」は、人によっては少し苦昧があるといわれ、最近ではほとんど栽培 されなくなっており、彦根の漬物屈でも需要がないので、このカブを漬けるのを止めたと いう話である。 もう一つ、紫色のカブラが守山市の矢島で、やはり古く1560年頃(永録年間)から栽培 されているが、葉・葉柄も紫色になる点が「大監カブラ」と違っている。この「矢島カブ ラ」には、織田信長が江州に兵を進め、矢島の寺院を焼き、僧を殺害したが、その地にカ ブ ラ を 蒔 い た と こ ろ 濃 い 紫 色 の カ ブ ラ が で き た と の 言 い 伝 え が あ る 。 [ 木 島 ] 図3.6.1 大厳カブラ 3.6.2 矢島カブラ - ﹄ A

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3 . 7 万 7 f c カ ブ ラ 湖西地方、高島郡安曇川町西万木(ゆるぎ)地域を中心に丸い根の赤いカブラが、古く から栽培されているが、これは「和種系・在来種」で、葉・葉柄は緑色であるが、根は全 体が赤色である。 江戸時代はじめには、すでにこの地で赤カブラが作られていたようであるが、当地の精 農家たちによって品種改良が重ねられ、しだいに今日の「万木の赤カブラ」になったので ある。これが「万木カブラ」と呼ばれるようになったのは、明治時代に入ってからだそう である。 中江藤樹が伯香国(ほうきのくに=鳥取県)米子に長期滞在した際に、このカブラを携 えて、これが現在鳥取県の名産になっている「米子カブ」という赤カブラになり、さらに 伊予国にもカブラと共に旅をして、松山の赤カブラ「伊予緋カブ」になったともいわれて いる。 また一説には、逆に中江藤樹が伊予から近江八導入した赤カブラが「万木カブ」になっ たともいわれ、ともかく万木の 赤カブラは、安曇川町縁の中江 藤樹と一緒に、多くの旅をした ようである。 このカブラは、根の肉質が轍 密で柔らかく、早くから滋賀県 内各地で栽培されるようになり、 今や日野菜とならぷ滋賀県の代 表的な赤カブラになっている。 秦荘町の沖では、万木カブラを 米ヌカで漬けた「沖の八木菜潰」 が戦前から親しまれている。 [木島] 図

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万木カブラ 9 u

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8 モJJ-~てダイコン 坂田郡伊吹町近辺で古くから栽培され ている伊吹ダイコンは「辛昧ダイコン」 として江戸時代にはすでに全国に名を知 られていた。 地中海近辺に野生していたダイコンは、 古代エジプト文明の頃には人類の重要な 食糧になっており、日本へは農耕が始ま るとほぼ同時に伝わっていたと考えられ る。その後日本各地でダイコンの栽培が 行われ、今日のように多くの地域でその 地域独特の品種が形成されていった。い つから伊吹地方で伊吹ダイコンが栽培さ れ始めたのかは定かではないが、江戸時 代の書物『日本山海名物図会.JJ

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には、尾張ダイコンの項に、 「江州伊吹 大根又名物なり、尾張大根におとらず」 と記載されている。 このダイコンは根が短くネズミの尻尾 のように先端が細くなっているので、鼠 (ねずみ)ダイコンとも呼ばれている。 「伊吹山の産する処、味甚だからし、蕎に…叫 麦切に調味して甚だよしJ (Ii'近江輿地 志略.JJ

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とされるように、 「辛い」 ダイコンとして喜ばれていたのである。 現在草津市山田地域の特産である「山 田ダイコン」の親はこの伊吹ダイコンで あり、和歌山県のダイコンや京都桃山の ダ イ コ ン の 親 で も あ る 。 [ 木 島 ] 図

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伊吹ダイコン 図

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山田ダイコン 。 0

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3 . 9 オ<.詔京ミ子と云IIrr~rþ番のコンニニャク 滋賀県でコンニヤクといえば、茶色をした永源寺コンニャクと赤色の八幡コンニャクが 有名である。神崎郡永源寺町近辺で栽培並びに加工されている永源寺コンニャクは

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年も 以前に同寺を開いた僧侶が中国からその製法を伝えたとされている。一方八幡コンニャク は江戸時代初期からすでに現在の近江八幡市で加工され、八幡の名産とされていたようで ある。 コンニャクはコンニャクの植物のイモ(正確には塊茎)の成分であるマンナンを加工し たものだが、この植物はもともと日本のものではなく、中国南部からヒマラヤの麓の山岳 地帯一帯に(お米と同じように)自生していたもので、日本へ古い時代にもたらされたと 恩われる。 江戸時代の書物『近江輿地志略.!I (1734)には、入幡と勢多(瀬田)が産地として紹介 され、八幡コンニャクは、他のものより大きくて昧がよいと記されている。 入幡コンニャクの特色は何といってもその赤い色にあるが、以前はトウキピの実の皮を 煎じたものを混ぜて着色したというが、明治以後に食紅で色を付けるようになったようで ある。 この地域では、江戸時代から同業者同士 できびしい相互批判をし、手抜きなどを排 して、工夫を重ねて特産の八幡コンニャク の質を守ってきたとされてる。 コンニャクのマンナンを水に溶いて、昔 は灰汁で凝固させていたが、石灰汁を使う 製法に進歩させたのもこの地だったようで、 これは近くに伊吹山などにみられるような 良質の石灰を産出する地域があったからと 思 わ れ る 。 [ 木 島 ] -14

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永源寺コンニャク

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老支ヌ~Q)主主 F目当ユク 大津市坂本地域から湖西の真野付近では、東北地方と同じようにキクの花弁をおひたし、 酢のもの、あえもの等にして食パる習慣がずっと昔からあり、今日まで続いている。芭蕉 の近江堅田での俳句に「蝶も来て酢をすう菊のなますかな」等があり、江戸時代にすでに この地域にキクの花弁を食べる習慣があったことがわかる。 現在も坂本や真野等では早生のキクと、晩生のキクが食用に栽培されているが、早生種 は花弁が管状になっており、晩性種は平らでねじれ気味の花弁で、ともに黄色をしている。 そして坂本付近ではこの早生種を「坂本キク」と呼んでいる。 キクは日本固有の植物の 繁 ように思われがちだが、日 本最古の歌集『万葉集』に はキクは歌われていない キクの原生地は中国で、日 本には奈良時代から平安時 代の初期に中国と日本を往 来した僧たちによって薬草 として伝えられたと考えら れる。当時は薬になる植物 は食用でもあったが、その 後、鑑賞用にもキクはたび たび導入され、当時から薬 食用の甘いキクと、鑑賞用 の苦いキクに分けられてい た。 平安時代の『延喜式』に は近江固から薬として黄菊 花ー欽二両が献上されたと あり、江戸時代に岩崎濯園 の書いた『本草図譜』には 坂本キクと類似のキクの図 が食用キクとして載ってい る 。 [ 木 島 ] 図

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坂本キク早生種 図

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坂本キク晩生種 p h J V

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支怠 4 . 1 ヲ7 二 工 学名はPlecoglossusaltivelis atlivelis TEMMINCK et SCHELEGELo 1年生の両側性回 遊魚で、年魚とも書く。その一生は、夏から秋に川で癖化した仔魚は海に下り沿岸で生活 する。そして春仁川を遡上し、中流域で付着藻類などを食パて成長し、下流部で産卵する。 琵琶湖では、南郷洗堰や天ヶ瀬ダムによって海との連絡を絶たれているため、すペて陸 封のアユである。このうちで、一生、琵琶湖で留まるアユは体長が10cm前後にしかならず、 コアユと呼ばれる。川に遡上するアユはオオアユと呼ばれ、 20cm以上になる。また稚魚は ヒウオ(氷魚)と呼ばれる。オオアユは塩焼きにして、たで酢で食ペる。かつては天然ア ユはなかなか庶民の口にはいらなかったが、最近は養殖ものの普及によって、日常の食卓 にもよくのぼるようになった。コアユは地元の業者によって佃煮にされ、淡水魚専門庖や 県下のスーパーで販売されている。自家用には、佃煮のほか、

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匹を竹串に刺して焼き、 三杯酢かどろ酢(酢味噌)で食べる焼き串や、干しアユにして保存もする。湖岸の農家で はかつてはコアユを肥料にもした。 ・参考文献 滋賀県教育委員会『びわ湖の魚携生活 1JJ、1979 5 10個 図4.

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1 アユ (滋賀県教育委員会:1979) 図4.

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2 塩焼き用の養殖アユ 図

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安曇川河口の カットリヤナに入ったアユ苗 P 0 4 E A

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商品としては、体長1~2cmの稚魚をエリやヤナ、オイサデ、四ツデ網などで生きたま ま捕獲し、養殖・放流用に鮎苗として全国に出荷する形態が重要である。 1988年では21億 円と琵琶湖漁業の48%を占め、他の鮮魚類すパての生産額よりも大きく、現在の琵琶湖水 産業はこれで成り立っているといって過言でない。 アユを肥育して販売する養殖業も、滋賀県が全国に先駆けて発達した。中心となったの は安曇川デルタの諸集落である。 1925年に西万木(にしゆるぎ)で、ショウズといわれる 低生産性水田を養殖池に変えて創始された。西万木や川島など、湧水による地下水が豊富 な集落に広がるが、養殖が本格化するのは、中央卸売市場で養殖アユの市場が確立した19

6

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年代以降である。しかし、現在では和歌山県や徳島県など新興産地に押され気味である。 1988年には、アユ養殖総生産額は全魚類養殖の73%、12億5千万円であり、アユ苗の生産額 の約3分の 2で あ る 。 [ 野 間

1

・参考文献 秋道智菊『アユと日本人』丸善、 1992 井村博宜「安曇川平野におけるアユ養殖業地域の形成過程」、地理誌叢(日本大学地理学 会)33-2

1992 野間晴雄「エリとヤナの民俗学J (滋賀大学湖沼実習施設編『びわ湖を考える』新草出版、 1992)

図4.1.

4

コアユ 小糸網で捕った焼き串用コアユ(湖北町尾上) 勾 t

(27)

4:

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1-コイ科で、琵琶湖ではゲンゴロウブナ Carassiuscuvieri TEMMINCk et SCELEGEL)、一 ゴロブナCarassiuscrassius gr釦 oculis (TEMMINCk et SCELEGEL)、ギンブナCarassius rassius gibelio

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ngdorfi(VALENCIENNES)の3種が生息する。このうち、前二者は琵琶湖 の固有種である。 ゲンゴロウブナは、フナのうちで最も体高が高い。河内地方で改良されたカワチブナが 全国に出荷され、ヘラブナの名前で親しまれている。いずれも、冬期は沖合にいるが、

4

~5 月に湖岸や内湖、ヨシ・マコモ平野に接岸して産卵する。 近江の伝統的珍味として知られるフナズシ(鮒酢)には、メスで子持ちのニゴロブナを 用いる。ブラックパス・ブルーギルなどの外来魚の増加、琵琶湖の埋め立て・干拓、乱獲、 水質汚濁などさまざまの要因が推定されているが、近年とみに資甑量を減らしてきており、 卸でキロあたり 8 千円 ~1 万円の高値となっている。そのため、県漁連による放流をはじ め、中国産の利用や養殖も試みられている。ゲンゴロウブナは骨がかたくフナズシにはむ かない。また、オスのニゴロブナはフナズシにしたときの見栄えから、商品価値はほとん どないが、自家用ではフナズシにされる。 ゲンゴロウブナは刺身(なます)、子まぶし(洗いに子をまぶしたもの)、煮つけ、味 噌汁(ふな汁)など、フナズシ以外の目的で食用にされるが、キロあたり 1000~

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円で メスのニゴロブナとの価格差は極めて大きい。 ギンブナは県下ではヒワラと呼ばれ、煮っけなどにされるが、商品としての価値はない。 かつて、フナは荒目エリで捕獲する最も重要な魚であったが、アユ苗をとる細目エリに大 部 分 と っ て 代 わ ら れ た 。 [ 野 間 】 図

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ニゴロブナ QU

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4 . 3 ニE l:コニコ コイ科の魚のうちでは美昧な小型魚で、販売用になるのは、ホンモロコ Gnathopogon caerulescsens (Sauvge)である。焼いたり、揚げたりするほか、佃煮にもする。県内の産 地淡水魚卸問匿を通じて、京都や大阪の卸売り市場などにも販売されている。他に、タモ ロコ、スゴモロコ、デメモロコ、カワパタモロコの

4

種が琵琶湖に生息する。昧はやや落 ちるが、スゴモロコやデメモロコも、佃煮用になる。 漁獲はおもに冬で、この間、モロコは活動が不活発になって、 40m以深の底層に移動す るので、それを小型動力船を用いた沖曳網(底曳き網)でとる。また、産卵期に岸辺に寄 って来る 5~6 月の春モロコも漁獲の対象にする。[野間] 図

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3

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1

ホンモロコ 図4.

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モロコの南蛮漬け -19

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。湖岸浅所や河川下流部に生 息するコイ科の魚で、日本在来種では唯一の魚食性淡水魚である。網エリ、四手網、ヤナ、 投網で捕獲する。漁獲は容易で商品価値は少ないが、湖北ではよく食べられる。近江舞子 の雄松崎ではハスの地曳網が現在も行われている。産卵期は 5~8 月で、湖岸に密集する ので、それをねらって漁獲する。オスは塩焼き、佃煮、などに、小型のメスは自家用のナ レ ズ シ に す る 。 [ 野 間

1

・参考文献 滋賀県教育委員会『びわ湖の魚携生活

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ハス(産卵期の雄) (滋賀県教育委員会:

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長浜市内の鮮魚庖でのハス n u n L

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。沿岸一帯、内湖、河川の中下流に生 息する。本来は降河性魚類で、

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年を淡水ですごした後、降海する。琵琶湖産のウナ ギは南郷洗堰、天ヶ瀬ダムに遮られているため、天然ものといっても、多くは放流された ものが漁聾されているらしい。たれをつけて蒲焼きにするほか、滋賀県の湖岸集落独特の 食ペ方としては、骨をぬいて 3枚おろしにしてた切り身に、ネギ・ゴボウ・豆腐などとい っ し ょ に 鍋 に 入 れ 、 す き や き 風 に し て 食 ペ る 「 じ ゅ ん じ ゅ ん 」 が あ る 。 ( 野 間 ] 図

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ウナギの

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、崎・占 図

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ウナギの蒲焼き 図4.

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ウナギの切り身 t i 内 L

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ィ'ミナそヂ ハゼ科の琵琶湖固有種で、学名は

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以深の湖底に生息 し、沖曳網でとる。湖北・湖西地方に多い。

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年代には多く漁獲されたが、近年は漁獲 量が非常に少なく、現在は、商品としてはほとんど流通していない。成魚でも体長 2~3 佃と小型で、佃煮や大豆といっしょに煮つける。このほか、青葱と誌を入れた肢い物に入 れ た り 、 す き や き 風 に し て 鍋 で 野 菜 と い っ し ょ に 煮 た り す る 。 ( 野 間 ] ・参考文献 滋賀県教育委員会『びわ湖の魚携生活

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の稚魚で、小型のハゼ科の 魚。湖岸部や河川砂礁など温水層で

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内外の浅所に生息する。沖曳網で漁獲する。沿岸 の水産物加工業者によって、エピや大豆といっしょに佃煮にされる。ローカルな需要に限 定されるが、滋賀県の淡水魚専門庖ではポピュラーな商品である。沖島ではよくとれるの で、漁師は北小松や近江八幡の水産加工業者に販売する(1

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月聴き取り). (野間] 図

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ゴリの佃煮 n L 円 L

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て 才 二 え 滋賀県に生息するマス類は、ピワマス Salmo(Oncorhynchus) masou ishikawai Jord釦 et MCGREGOR、アマゴ Salmo (Oncorhynchus) masou macrostomus GUNT田R、ニジマス Salmo (Oncorhynchus) masou mykiss Walbaumの3種である。 このうち、ニジマスは北米大陸からの移入種である。河川などに放流されたもので、量 的には少ない。アマゴは河川上流の清んだ水に生息する。塩焼きにするとたいへん美昧で、 遊漁者には好まれる。料亭・旅館で出されることはあるが、日常的にはあまり食べられな い。また、上流地域では、アマゴが重要である。野洲川上流に位置する土山漁業協同組合 が経営する土山町黒滝の養殖場では、

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キロ放流し、

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キロ、

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万円の漁護量 があり、アユに次ぐ重要魚種となっている。 滋賀県でマスといえば、ふつうは琵琶湖の固有種であるピワマスをさす。琵琶湖や河川 下流でとれ、別名、アメノウオ。暖期には

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の冷水層に生息し、冬は表水層にまで 移動する。漁獲は産卵期の秋に接岸してくるのを、エリ、小糸網、延縄、耳目j網、四手網な どで捕獲する。サーモンピンクの身は柔らかく、旅館では刺身にされる。非常に痛みやす い魚で、県外出荷は少ない。ただ、終戦直後には、外国人船員・軍人の携帯食として出荷 されたという(沖島、小川四良氏談)。家庭では、煮つけ、てんぷらにする。びわ町では、

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枚におろして、甘酢につけたマスズシにする( Ii'聞き書き滋賀の食事.!I)。 米原町上丹生の県営醒ヶ弁養鱒場は明治

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に設立され、ニジマスの種苗、種 卵を供給している

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年実績で種卵

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千粒、種苗

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千尾)。滋賀県漁連は、ピワマス の放流が行ない

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、 ア ユ に 次 ぐ 養 殖 業 生 産 高 を 誇 る 。 [ 野 間

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・参考文献 滋賀県教育委員会『びわ湖の魚拐生活

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日本の食生活全集滋賀編集委員会編『聞き書滋賀の食事』農山漁村文化協会、

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(滋賀県教育委員会:

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ピワマス

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学名Cuprinuscarpio LINNAEUS.滋賀県に生息し食用にするのは、野生品種のマゴイと 飼育品種のヤマトゴイ(大和鯉)である。このうちヤマトゴイは放流されて野生化してい る。湖岸や内湖の藻場、ヨシ・マコモ帯などの浅所や、河川の河口に生息する。

3

枚にお ろして、冷水でさらした刺身(洗い)にしたり、ぶつ切りにして内臓・うろこをとって醤 油・砂糖で煮つける。甲賀の重粘土の丘陵地帯では、ため池や水田でコイを冬のあいだ養 殖し、それを販売したり自家食用にすることが現在でもみられ、食用頻度が県下では高い。 米原町筑摩は古代以来の御厨の伝統を もっ湖岸の集落であるが、ここにハレの 日の料理として、コイそうめんが伝えら れている。ウロコと内臓をとったコイを 醤油・砂糖・酒で煮て、その煮汁でそう めんを炊き、大皿にコイとそうめんを盛 り合わせた一種のにゅうめん(暖かいそ う め ん ) で あ る 。 ( 野 間

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・参考文献 京都新聞滋賀本社編『近江ふるさとの昧』 サンブライト、

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ι9.1

ヤマトゴイ 1992年現在、卸でキロ当たり 1000~1500 円である 図

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コイの洗い 右手にあるのはマスの刺身 a q ワ 白

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1::::::' スジエピとテナガエピの2種が琵琶湖に生息する。スジエピはコエピ、ヌカエピといわ れ、海釣のエサとして

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年代前半は漁獲量は非常に多かったが、南氷洋のオキアミの出 現によって、現在はほとんど商品価値はない。地元で大豆といっしょに佃煮にする。 テナガエピはスジエピよりも大型で、からあげやてんぷらにして食ペる。藻場・砂磯地 [野間] 図4.

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エピをとる漁具 ーエピタツベー (沖島)

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三/三J ミ セタシジミ Corbiculasandai REIHARDT、マシジミ CorbiculaCColubiculina) leana PRIMEをはじめ、カワムラマメシジミ、ミズウミマメシジミ、マメシジミ、 ドブシジミが 琵琶湖に生息する。これらのうち、食用にされるのは、セタシジミとマシジミである。セ タシジミは琵琶湖の固有種で、かつては琵琶湖全生息貝類の60%を占めるほど、多く生息 していた。貝殻はよくふくらんだ卵型三角形をする。現在、南湖では激減し、シジミ掻き は壊滅状態にある。南湖ではマシジミと棲所交替を行なったが、現在では汚染に強いドブ シジミなどに再び取って代わられた。いずれも 10m 内外、とりわけ 2~5m の砂醗・砂・砂 泥底に生息する。 第二次世界大戦後の食糧難の昭和

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年代は、動力船がマンガンとかマエガキと呼ばれる 鉄製枠を曳く貝曳きが全盛を迎え、当時は琵琶湖産水産物のなかでセタシジミが最も生産 額が多い年もあった。沿岸の農民でも容易に参入できるため、従事者は非常に多かった。 近江八幡市沖島では、琵琶湖で最もよいといわれるセタシジミ漁場を近くに持ち、ほとん ど全戸がシジミ曳き中心で生業を組み立てていた。ただし、湖中の離島で交通条件が悪い ため、島でゆでて、ふるいで員殻と身を分離し、身シジミの形で佃煮用に販売された。島 に今も残る貝殻捨て場はその名残りである。 F h U 9 u

(35)

いっぽう、市場に近い瀬田川沿岸やず 南湖では、身シジミのほか、員殻のま 1 まの「皮シジミ」も多かった。旧東海 道に面した瀬田の唐橋たもとの橋本集 落は、近世以来、漁業としてはもっぱ らシジミ掻きのみを行なう特異な集落 であり、明治

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1)には、瀬田 親会社が、共同出荷、品質向上をめざ , して、資本金7肌 営 業 人75人で設立

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されている。 漁獲量は、

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年以降、急速に減少している。 その原因として、湖の環境変化や乱獲 のの扱いが増えている。とりわけ、わ が国最大のシジミ産地である宍道湖産 の汽水性のヤマトシジミが多い。 身は佃煮にされるほか、貝のまま昧 殉e 噌汁の具にする食ペ方がいちばん一般 的である。ボテフリと呼ばれる小売巡 回商人によって、

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年代までは、広 く内陸部や京都市内などの家庭の食卓 まで運ばれ、朝ご飯にシジミの味噌汁 はきわめて一般的であった。[野間

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・参考文献 滋賀県教育委員会『湖南の魚携活動一 琵琶湖総合開発地域民俗文化財特別調 査報告

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一』、

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シジミカキの道具 (滋賀県教育委員会:

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美恵美質 ワタカは学名をIchikaviasteenackeri (SAUVAGE)といい、琵琶湖の固有種である。内湖 や湖岸の浅所、ヨシ帯に生息するコイ科の魚で、わが国の在来種では唯一の草食魚である。 小骨が多くて腐りやすく、価格も低いので、沖島などの漁家が食用にするにすぎない。ナ レズシにもする。 ほか、コイ科のウグイTribolodonhakonensis (GU町'ER)、ギギ科のギギ Pelteobagrus nudiceps (SAUVAGE)などの小型魚もローカルには食べられる。ウグイは煮つけや佃煮に、 ギギは蒲焼きや煮つけにされるが、商品価値はあまりない。 ナマズ類では、固有種のイワトコナマズ Parasilurus lithophilus TOMODA、ナマズ Parasilurus asotus LINNAFUSが漁獲され、 煮つけや蒲焼きにされる。 移入種では、湖のギャングといわれる魚食 性のオオクチパス(ブラックパス)が食用に なる。この魚は、ニゴゴロブナの減少などに も関わるきわめて繁殖力の強い魚である。琵 琶湖で最初に確認されたのは

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年と新しい。 淡白な昧のため、刺身や洋風のムニエルなど 県内のレストラン・旅館で一部食用にされて いるが、むしろ、移入種のブルーギルととも に、県・漁民は 除去対策に頭を 痛めている。近 年ではエリにか かる魚の半分近 くがオオクチパ スのことも多い。

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年現在の卸 でキロ当たり千 円である。 [野間] 図

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ギギの蒲焼き 図

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オオクチパス (ブラックパス) 円 t ワ 臼

表 2 . 2 粟津湖底遺跡 E トレンチから産出した大型化石の和名学名対応表 (滋賀県教育委員会・滋賀県文化財協会: 1 9 9 2 )  府l 名 オニグルミ クリ ヅ 7 ' ラジイ シイ属 クリまたはシイ属 イチイガ シ シラカシ コナラ属アカガゾ亜属 コナラ コナラ属コナラ)!属 コナラ属 プナ科 クワ属 ムクノキ エノキ キイチゴ属 A  キイチゴ鼠 B  キイチゴ R C  サカキ トチノキ マタタビ サルナシ マタタビ属 モチノキ近似値 カラスザ Y ショウ イヌザ y , ‑ , ョウ サ
表 2 . 3 琵琶湖南部の縄文時代遺跡出土の動物遺存体一覧 (滋賀県教育委員会・滋賀県文化財協会: 1 9 9 2 ) 
図 7 . 1 . 3  高島町老舗のフナズシ桶

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