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・7y-othtwffMe
Maria-LeenaHeikkila-Horn
(J}k-F`,
IiJI
3:
ec
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-(ov)r(oesZ
M.
H
t
ffn})zts)
o
ptzz
ANote
ofSantiAsoke
Buddhist
group
in
Thailand
-Onthe
basis
ofthe
Study
by
Maija-Leena
Heikkila-Horn-Moribe,
Hajime
In
the
past,
I
analyzed the characteristics ofSanti
Asoke
by
referring toliterature
onSanti
Asoke
(cf
Moribe
1997,
Moribe
2009).
Of
above-mentionedliterature,
noticeable studies wereAkagi
1991,
Fukushima
1993,
Jackson
1989a
andEssen
2002.
However,
afu11-scale
study was onlyEssen
2002.
Therefore,
it
seemed thata study of
Santi
Asoke
wasinsuencient.
But
luckily,
I
got
the
book
writtenby
Malja-Leena
Heikkila-Horn
(Maija-Leena
Heiklcila-Horn
1997)
quite
recently.And
whenI
finished
reading thebook,
I
determined
to make ashortreport of
the
book.
The
book
is
a concise version of adoctoral
dissertation
writtenby
Maeja-Leena
Heikkila-Horn
on thebasis
ofher
fieldwork
in
Santi
Asoke
ofBangkok
frem
October,
1994
toApril,
1995,
According
toMania-Leena
Heikkilti-Horn,
in
thepast,
Western
scholarshad
little
interest
in
Santi
Asoke
Buddhist
group,
And
there was no voluminousbook
writtenin
English.
Besides,
studiesby
scholars
in
the earlydays,
such asJackson,
Olson
and rfaylor,were not
based
on sufficientfieldwork,
andtheir
interpretations
ofSanti
Asoke,
reflectedthe
images
ofSanti
Asoke
seenby
theleading
monksin
Thai
Buddhism
whomthey
studied.224
パーリ学 仏 教 文 化 学Asoke
’s
leader
,
Pothirak
’s
horne
environmentbefbre
becoming
aBuddhist
monk .(
2
)Relations
anddifferences
between
Santi
Asoke
and mainstreamBuddhist
groups
criticizedby
Santi
Asoke
.(3
)Social
classes whichSanti
Asoke
’s membersbelong
to.(4
)Why
did
Santi
Asoke
have
tobe
legally
banned
? キーワー ド :サ ンチ ・ア ソーク, ポ チ ラ ッ ク, 主流 派仏教 社 会階層,チ ャ ム iコーン はじめ
に筆 者は過 去 に二
度
,文献 研 究で サ ン チ ・ア ソーク仏 教運 動を取 り上 げ, 分析
して き た[
森部 1997]
,[
森部 2009 ]
。 その 過程
で筆
者が利 用 し た 目立 っ た研 究
と して は,[赤 木 1991]
,[
福 島 1993]
,[
Jackson
l
989a ]
そ して[
Essen
2002 ]
な どで あっ た。後述
す るM
.H
の言
を参考
にす る な らば, こ の 中で の本格
的な研究
はEssen
の もの のみ で あ る。 した が っ て ,当該運動
の研
究が あ ま り進
展 し て い ない こ とを残念に思 っ て い たの であ るが,最
近, バ ン コ クに あ るサ ン チ ・ア ソー クの本部
を研 究 したMH
の 著書 [
M
.Hl997 ]
を運 よ く 入 手で き,読んで み た とこ ろ, すべ ての 紹 介は無理で あ るが ,幾
つ か の テ ー マ に つ い て少
し ま とめ て紹
介す る価値
が ある と判 断 したの で , 小論で 取 り上 げる こ と と した。当
該著 書
は , バ ン コ クの サ ン チ ・ア ソ ー クで著 者
が1994 年
の10
月 か ら1995
年 の4
月にか けて 実 施 した調 査の 成 果に主 と して 基づ い て 書かれ た博 士論
文の簡
約 版 で あ る[
M
,Hl997
:35
]
。M
.H
によ れ ぼ, ア ソー ク運 動は 西 洋に お い て は ほ とん ど, 学 問的な関心を引きつ けて こ な かっ た し, そ れ につ い て英 語で 書か れ た大 きな研 究は出 版さ れて こ な か っ た とい う[
ibid
:26
]
。また,初 期の 研 究 者,た と えば , [
Jackson
1989a
,1989b
,1994
], [Olson
l
983
,1991
]
や[
Taylor
1990
,
1993]
な どの 研究
は き ち ん と し た現 地 調査
に基
づ くもの で は な く, ま た, ア ソー ク
集
団に関
する彼 等
の解釈
は,彼等
が主 とし て 研 究 し た タイ仏 教の リー ダ ーの 目を通 し ての もの だ っ た とい う[
M
.H1997
:タ イの サ ンチ ・ア ソーク仏 教集 団につ いて の覚 書 225
34]
。さて , 以 下 の記 述に 当たっ て,特に注 目し, 取り上 げ る の は, 以下の 四点 で あ る。 一 つ は, ア ソー ク運 動の リー ダ ーで ある ポ チ ラッ クの 出家 以前の 生 活 状 況で ある。 二 つ 目は,サ ンチ ・ア ソー ク と サ ン チ ・ア ソー ク を除く タイ の 主流 派 仏教(1)との 関係や両者の 差 異で ある が, と りわ け, 両
者
が相
互を ど の よ うに考え, 認 識 して い るか とい う点で ある。 三 つ 目は, サ ン チ ・ア ソ ー ク を構 成す る 人々 の社 会 階層, 四つ 目 は , 何 故 , サ ン チ ・ア ソー ク集団 が 法 的に禁
止 さ れ たのか とい う問題
で ある。1
.出 家 以 前
のポ
チ
ラ ック
の生
活状況
筆 者 は か つ て 赤 木の 論 考
[
赤 木1991
:54
−55]
やJackson
の 論 考[
Jackson
l989a
:160]
に基づ い て 出 家 以 前の ポチ ラ ッ ク がバ ン コ クの芸 能界
で成
功 し て派 手な生 活を送っ て い た と指摘
した[
森部 1997
:176]
。 しか し, そ れ 以前 の彼
の 生活
が どの よ うな もの で あっ た か は,資料
が ない ために 言及 する こ と がで きな かっ た。 付け加える な らば, 矢野の論考
で もその 点に関 し て は論
及 が な い[
矢野1994
:82]
。 とこ ろが ,M
.H
の 著書
で は, 詳 し くは ない が , 注 目 すべ き記述
が あ る 。 そ れに よれ ば,後に ポ チ ラッ ク と称す るようになっ たMongkol
Rakpong
は ,1934 年 6
月5
日に , か ろ う じて 欲 求が充足 され うる と こ ろの大家 族 に生 ま れ た。 そ して 家 族 を 支 えるの を 手 助 け す る た め に10
歳 か ら彼
は アル バ イ トを し な け れぼな らな かっ た。彼
の 母が 亡 くなっ た後
、彼
は家長
となっ た。 そ して,6
人の 兄弟姉妹
を支え, 教育
を する責
任が あっ た とい う[
M
.H1997
:43]
。 つ ま り, 彼 は小 さい 頃 に極め て貧困 な 生活を経験 して い るの であ り, そ して家
族の ため に自
分を犠牲
に して働
い て い たの であ る。さて, 上記した よ うに,
彼
は後に芸 能界で 成功 し, 派 手 な生活を送 っ てい た。 矢野に よ れば,裕福
な暮
ら し を送る 一方で , 超 能 力や 心 理学あ るい は呪術
・霊媒
な どに も関
心を示
し, 一説
によ れば ,彼 自
ら霊媒
や心 霊治療
を行
っ て い た とい う[
矢野1994
:82
]
。 この点 につ い てM
,H
は以下の よ うに 述べ て
226
パ ーリ学 仏 教文化 学 い る。 芸能 ビ ジネス に お い て 絶頂 期をむ か え て い た彼は催 眠術 と黒 呪術に関 心を もつ よ うに なっ た。 そ して彼
は霊媒師
とな り, 仏 教に関 心が移 る前に, 何年もの 間, 人々 を宗 教的 に癒 し た[
M
.Hl997
:43]
。 その 後, 彼は出家 す る の で あ る が, 何 故 , 出 家 した の か に つ い て は,赤木
もJackson
も矢 野 も 言及して い ない [赤 木1991
:54
−55
]
,[
Jackson
1989a
:160]
,[
矢野1994
:82]
。 実は,M
.H
もその 点につ い て は ほ とん ど述 べ て い ない の で あるが , 以下の よ う な こ と を 指 摘 して い る点 は注 意 が必 要で あ る。 「ポ チ ラ ッ ク は以下の こ と をい っ て い る。 :歌の 製作者
と して の 私の経
歴はその絶
頂に あっ た。 仏 陀 の よ うに私は富
や名 声や 安楽に屈 しな かっ た。」[
M
.Hl997
:43 ]
つ ま り, 手 に入 れ た富や名 声や 安楽に彼 自身満た さ れ ない もの を感 じて い た と思 わ れ る の で あ る。 こ れは, あ くまで も推 測で ある が,少 年時代
に体験
した貧
困生活
を彼が再 評価 し た とい っ て よ い か も しれ ない 。 実 際 簡 素な 生活の 中で, 家 族の た め に 自己を犠 牲に し て働 く とい う精 神は, 彼が始めた ア ソー ク運動の 精 神, た と え ば, 兄 弟 愛 と か犠 牲 の 精 神[
森 部2009
:183
−184
,190
−192
]
と も一致す る とこ ろ があ る。2
. サンチ ・ ア ソーク と主 流 派
仏
教
相
互
の差
異 に
つ い て サ ン チ ・ア ソ ー ク と主流 派 仏 教 (こ れ につ い て は後 述 す る)相 互の差 異 につ い て お互い が どの よ う に認 識 し, 批 判 しあっ て い る か をM
.H
の考 察に 基づ い て整理 して お きた い 。 た だ し,M
.H
が考 察 して い る事柄で あっ て も, すで に他の 研 究 者の 論 文で 同様の 内容が指 摘さ れ て い る もの につ い て は, こ こで は取 り上 げ ない 。 い い かえ れ ば, 筆 者に とっ て 目新 しい と思 わ れ る指 摘 が な されて い るもの を取り上 げるこ と にす る。(
1
)
二 つ の派につ い てリ ーダーのポチ ラッ ク が
1973年
に タン マ ユ ッ ト派を抜
け ,マ ハ ーニ カ ー イ派で 再 出家して い るが, タンマ ユ ッ ト派を抜
けた理 由は彼が所 属 して い た僧 院
の 住職
がタ ン マ ユ ッ ト派
とマ ハ ーニ カー イ派
の僧侶
の会合
を組織
した いタ イの サンチ ・ア ソーク 仏 教 集 団にっ い て の覚書
227
とい うポ チ ラ ッ クの試み を許さなか っ た か らだ とい う[
M
.Hl997
:44]
。 二 つ の 派に分かれて い る体 制 に対 す るポチ ラ ッ クの批判
が こ こ に み ら れ る cf.[
ibid
:44
]
。 また, サ ン ガの トッ プの ヒエ ラル キ ー は無用 で あ り,彼等
は精
神 的な悟 りに達 して い ない し, 仏 教の 教え を誤 解さ え して い る とポ チ ラッ ク は示 唆す る[
ibid
:45]
。 ポチ ラ ッ クはタ ン マ ユ ッ ト とマ ハ ーニ カー イの双 方 を拒 否 し, “ 自分は 大乗
仏 教徒
で あ り, 上座仏
教徒
で ある” と主張す る。 彼 は, 大 長 老 会 議 とは異 な り, 大乗仏
教 と上座仏
教の問に対立 を見 出さ ない 。彼
は, ま た,自
分は仏教
を統 一 し た い とい う。 彼に よれ ば, ア ソ ー ク ・セ ク トは上座
仏 教 徒で ない と主張す るこ とに よ っ て 大 長 老 会議は上 座 仏教を誤 解 した 。 彼 は, しか し, 大 長 老 会議は仏教の 或る部 分を なお もっ て い る と み て お り, その 部 分か ら完 全に 自分は分 離 した くない と考
えてい る。 ま た , ポチ ラッ クは主 流 派 仏教 徒を ま す ま す 世俗
化 して い る と非難す る。 そ して, その 点で 婚姻 さ えで き る 日本の 大乗仏 教の僧侶
の よ うに な りつ つ あ ると非難す る[
ibid
:ll9〕
。こ こで注意して お き たい 点は, ポ チ ラ ッ クが
自
分は大乗 仏教 徒であ る と同時
に 上座仏
教徒
で も あ る と述
べ てい る こ とであ り, 彼が考
える 「大 乗 仏 教徒
」 と 「上座仏教徒
」 とい う二 つ の概念
の内容
を詳細
に検
討す るこ とが今 後 必要であろ う。ア ソ ー ク
集
団に よ るタイ仏教
の分 類アソ ー ク集団 は, そ れ らの 伝 統が 人 々 の 欲望を減ら して い るか ,増 加さ せ て い るか , そ して多 くの 人間の
苦
しみ を 引 き起こ して い るか ど うか を基準 と して,仏教
の伝統
を四つ の カ テゴ リ ーに分 ける 。 第 一 の カ テ ゴ リー は オ カ ル ト仏教で, こ の信 者 は不思議な力に依 存 し,迷 信や 宝 く じの 当た りの 予 想, 未 来 占い , 聖 水の散布, 護 符の配布を信じる。 仏教 を 教 え るこの方 法は, 生 活に お ける人々の 欲 望を増 加 させ る が, こ れ らの欲 望に対応
す る能
力は減
少 す る。 第二 のカ テ ゴ リ ーは, “ 資 本主義的 な仏教 ” であ る。 これは信 者の 欲 望 を増 加さ せ , そ し て, そ の欲望 を充足さ せ る能 力を増加 さ せ る。 仏 教の こ
228
パーリ学仏 教 文 化学 の 形 態は, 心 を鎮め るた め に か な りの 時間を使っ て瞑想の異なっ た種類 の実
践 を促す。 ひ とた び, 心 が 明快
に なるな らば
仏 教の この形 態に従 う彼等
, す な わ ち, ビ ジネス マ ン , 会 社 役 員, 銀 行 家は再 度, 相 互の 競 争 に没 頭 し, そ して再 度,社会 を 搾 取 し始 め る とい う。 第三の カ テ ゴ リ ー は,“秘 密の 仏 教” で , これは信 者の 欲望 を減
ら し, また, 欲 望を満
た す彼
等の能 力を減 ら す。 こ の 仏教の 形 態は,社会
か らの 孤立 を強
調 し, そ して 森で の 独 居 を促 す 。 そ して こ の形 態に従 う人 は ほ とん ど消 費 しない 苦 行 者 と な る が,森 林僧 が こ の タ イプの仏
教を代表
す る。 こ の タ イ プの 仏教は利己的だ とい う。 第四 のタ イ プが本物
の仏教あ るい は根 本 的な 仏教とよ ばれる。 こ の 仏 教伝統
に従
う者
は, 自分の 欲望を減 らすこ と が で き, 同時に 自らの 生産 性 と創造性を増 加させ る こ とがで き る。 その 伝 統は人々 が そ の利己性を減 ら し, よ り勤勉に な る こ とを助
ける。 そ し て, あ ま り消費
せ ず, 彼 等が もっ て い るもの の 残 り を社 会 と分け合 うよ うにな る。 ア ソー ク集
団 は上記の 第 一か ら第三 まで の カ テゴ リー を主流 派 仏 教徒
に 適合
す るもの と み な す。 主流 派仏
教徒
の代
表 と し て ア ソー ク集
団は タ ンマ カ ー イ や森林
僧を考えて い る [ibid
:ll2
−113]
。 もう少
し補
足 す るな らば
ポチ ラッ クは森 林 居住の 瞑 想の僧 侶を “ あ ま りに極端 で ” , “仏教
を超
えて い るか ら” とい う理由
で非難
す る。 彼は, 以下の こ と を強
調す る。 “ ア ソー ク集
団は森林僧
が行っ て い る ようなや り方で 世 界か ら逃 げよ う と望ま ない 。”[
ibid
:120]
こ う した点を考 慮す る な らぼ, ポ チ ラ ッ ク が森林僧
の 禁 欲的実
践に強
い影響
を受
けて い る とい う趣旨
のJackson
の 指摘
[
Jackson
l
989a
:160
]
は再考
の余
地が あ ろ う 。さ て, 主流派 仏教 に対 するサ ンチ ・ア ソークの 考え 方 を次 に もっ と具体 的 に み て み よ う。 その 点で
M
,H
が ア ソ ー クの 人々 に対 して 行 っ た質問
票に よ る調 査の結果
は興味 深い。 と りわ け, 興 味深い の は, 「あなたは主 流 派 仏 教 の どこが嫌い か ?」 とい う質
問へ の 回答
の 内容で あ る。 ア ソ ークの 僧 侶に よ る回答例 による と, 主流派仏教
の問題
点は以下
の 通 りで あ る。 :聖水の 散 布, 金 銭や価 値 ある もの の授受
,宝 くじ の当
選番号
の予 想,読経
の リズム , 呪術
的行 為をなすこ と,護符の 分配,予 言,車や店舗
の祝福
,花 ・線
香 ・ロ ーソタ イの サ ンチ ・ア ソーク仏教 集団につ いての覚 書
229
ク を手に して の 崇 拝, 破 戒,出 家後
に金持
ちにな るこ と, 明確
で ない 教え ,第
一 の戒律
を破
る肉食
,金 銭を受 け取るた めの 箱をもつ 。 迷信や聖 力 (サ ッ ク ・シ ッ ト)
を信
じ る よ うに人々 を促 す。 精 神 的な もの よ り物 質 的な もの に 価 値をお く [M
.H1997
:153
]。次に主 流 派 仏教に対す るア ソー クの 見習い僧の 批 判 点は, 以
下
の通りで あ る。 “ 主流派の 僧 侶の 日課は仏 陀の 教えに反して い る。 そ して 彼 等は戒律
に 大変に ル ー ズで ある。 ” [ibid
:154
]さらに, シ ッ カマ ッ ト に よ る批 判 点は 以下の 通りで あ る。 :主 流 派の
僧
侶は戒律を厳 格に遵 守 しない 。 彼 等は依 然 として , 金 銭を使い , 財 産を所有 で き,そ して シ ン プル ・ラ イ フ を実践 して い ない 。彼 等は 沢 山の金 銭 を費や し, い やし くも経 済 的で な く, ナ ン セ ン ス な こ とに 夢中
で あ る。 い か に貪
欲を減 らす か を教 え な い。 そのか わ り, 主流派 は個人 の プラ イ ドを支持 し, 人々 に寄 付を強 制 し よ う とす る[
ibid
:154]
。出 家 を 目指 す 男 性修 行者(3)に よ る批 判 点は 以下の 通 り で あ る。 :呪 術 的儀 礼を行う。 そ して 金銭 を使 う
[
ibid
:154]
。 一方 , 出家を 目指す女 性 修 行 者 (4) に よ る批 判 点は以下の 通 りで あ る。:動 物の 殺生, 巨大な僧 院の 建 設,在 家 の人よ り金持
ちで あるこ と, 人間
の苦
しみを止め る助
けに は な らない とこ ろ の宗
教 的な儀
式を支持
して い る[
ibid
:154
−155]
。最後
に, アソ ー ク集団 の 在 家の 人 々 に よ る批 判 点は 以下の 通 りで あ る。 : 主流派
の僧侶
は五戒さ え遵 守 して い ない 。彼 等
は戒律
を実
践 してい ない 。 た だ ,戒律 を記憶して い るだ け だ。 彼 等の 説 教は良い が ,自分が説 教 して い る こ と を実践で き ない 。金 銭や護 符の配布や 聖水の 散 布, 他の 呪術 的な実践 に 過度
に関
心 を もつ 。村
人の 日常
生活
に とっ て価 値 の ない 呪術を村人 に 教 え る。 貪欲で あ り, 控え 目で ない 。 セ ッ クス ・ス キャ ン ダル を頻 繁に起して い る。 汚 れ (kilet
) とみ な さ れ る ラン クへ の 強い 願 望 [ibid
:155
]。こ こで,
留
意 して お き たい こ とは, ア ソー ク集
団内部
の メ ン バ ーの差 異に 配 慮 し な が ら, タ イの仏教の他の諸 集 団に対す る ア ソー ク集 団の見 方や考え 方がM
.H
に よっ て明確に されて い る点で ある。230 パ ーリ学仏 教 文 化 学
人に対 する
評
価の違い と僧 侶の補充の仕 方につ い てア ソー ク運動は在 家の 人 々や シ ッ カマ ッ ト に重要な役
割
を与
えて い る が, これ は ア ソ ーク運 動の 重要な性 格で あ る。 他 方, 主流 派は僧 侶の み を評 価す る とい う[
ibid
;ll3
]
。とこ ろで, ポチ ラッ クは主 流 派仏 教の 僧 侶の 補 充の仕 方を批 判す る。
彼
に よ れ ば, た と え ,黄衣 を所有 して い て も, その 人は見 習い 僧 とは い え ない 。彼
に よ れば, ア ソ ークで は , 以下の よ うな 一 定の段 階を踏まない 限り,見 習 い僧に は な れ ない とい う。 見 習い僧に な ろ うとす る もの は, まず, 五戒を遵
守で きる こ とを 示 し,次に 八戒を遵 守で きる こ と を示 し, その後,十 戒を遵
守
で きる こ と を示さ な けれ ぼ な らない 。 そ し て よ うや く見 習い 僧 と して得度 さ れ るこ とがで き るが, その 得度の 前に彼は複 数の 僧 侶か ら構成
され る委
員 会で の面 接に臨む。 その 委 員 会が彼 を見 習い僧 とし て受け 入 れ る とい う決定 を す る場合
,満
場 一 致で な け れ ぼ な らない 。 要す る に在 家の 男性を僧 侶にす る の は僧侶
か ら構
成 さ れ る審
査 委員会で あ っ て , 先 輩の 指 導 僧 (upachaya)
で は ない 。 ポチ ラッ クに よ れば, 主 流 派 仏教 におい て は, 僧 侶か ら構 成 さ れ る委 貝会は現実
的な力を もたない[
ibid
:120]
。(
4
)
イ デ オロ ギー と実践M
.H
に よ れ ば, ア ソ ー ク集 団の イ デ オ ロ ギ ー , 特に仏 教 経 済 学の イデオ ロ ギ ーは, 主流 派 仏教の 指導 的 な僧 侶や タ イ仏 教の 有 力僧 (た とえ ぼ , プ ッ タ ター ト, キッ ティ ウッ ト ーや ラーチ ャ ワ ラムニ ー)
の そ れ と基 本 的に違わ ない とい う。 い わ ゆ るシ ュ ーマ ッ ハ ーの 仏 教経済
学に よれ ば, 消費
は人々 の 基 礎 的な欲 求を満た すこ との み を 目指
すの で あ り, これ らの基礎 的 な欲求
は 限定され た消費
に よっ て満 足さ せ られ るべ きで ある とい う。 仏 陀に よれ ば , 基 礎 的 な物
的欲 求は食
糧,衣 服,家
屋,薬
で ある。 そ して,M
.H
は主流派
仏 教 と ア ソー クの 差 異は イ デ オ ロ ギ ーで はな く,実 践 に あ る とい う[
ibid
:124
−125
コ
。た とえ ば, ア ソ ー ク集 団は, 主流 派 仏教に対して 以下の よ うな批 判を して
タ イのサン チ ・ア ソーク仏 教 集 団につ い て の 覚書 231 い る。 主流派 仏 教はあ ま りに精 巧で , しか し空
疎
な儀式 を行 う。主流 派 仏教の 怠 惰 な実践。
主流 派 仏 教は
物質
主義
的で, 金銭
を扱
う[
ibid
:125
]
。も う少し, 具体 的か つ 詳 細に い う と,ア ソー ク集 団に お い て は, 主流 派 仏 教の精 巧な儀 礼は否 定 的な現象 と して みな され る。 ま た , リズ ミカル なパ ー リの
祈
り と仏陀
の輝
か しい像
や他
の装飾
品は仏教
の教 義の 本質を 隠す もの と み な される。 さ らに, 主流 派の 民衆バ ラモ ン 的 あるい は呪 術ア ニ ミズム的な実
践 は拒
否さ れ る。 ア ソ ーク集 団は仏 教の 教 えの 文学
的な伝統
を強
調し, そ し て儀 礼を最 小 限に減ら した。 また, 呪術信仰
は阻止 さ れ る。 精霊(
ピー)
に対す る慰撫や精 霊の 影 響を熟考す るこ と一 それ は通常の ,特
に 田舎
の タ イ 人の生 活の 主 要 な部分 を 占め る の だが一 はア ソー ク集
団の仏
教か らは排
除さ れ る。 ゴ ース トを恐れ る人 は,自
分の 心 の内
側に精 霊を見つ け る よ うに 促さ れ , そ して, そ こ で , そ れ と戦 うように促さ れ る。 汚れ (kilet
)は精 霊(
ピー)
の形 態で 現れ る。 精 霊は,結
局は外界
の自
然の中
に は存在
しな い 。 し か し,人 間の 心に お い て の み存 在す る。 そ れ故, そ れ らは 呪術 的儀
礼に よっ て は征 服さ れ え ない 。 しか し, 汚れの 減 少を 目指した仏教実 践 に よっ て 征 服され うる とい う[
ibid
:156
−157]
。以下,ア ソーク集団 と主 流 派仏 教の実践 上の差 異に注 目 して,具体的 な事 例を幾つ か取 り上 げて い きたい 。
1
)
ア ソー ク集 団の 瞑想の 仕 方瞑想 に対す るア ソー ク 集団 の 態 度 は し ば しば 批 判 さ れ る とい う
[
ibid
:113
]。 他 方, ポ チ ラ ッ ク に よ れ ば, 瞑想 は仏 教 諸 集団 に よっ て しば しば誤 解されて い る とい う[
ibid
:ll4
]
。 さ らに彼
に よ れ ば,仏
教の サ ン マ ・サマ デ ィ(
正 しい集中)
は,単純
な瞑想 でな く, そ れは八 正 道 に お ける八番 目の 段 階で あ る とい う[
ibid
:ll4]
。 こ の 八 番 目の 段 階に 到 達 し, そ れ を成 し遂 げた時
, 人は, よ り勤 勉 に働
き,少
し消費
し, そ して自分
の所 有物
の残
り を社 会 と分 け合う とい う[
ibid
:ll5]
。 勤 勉 な 労働
少 しの 消費
, そ して施 与 行 為は, ア ソ ー ク集 団が共 有 し , 主 張す る価 値 観で あ り[
森部 2009
:184
,190
−191]
, サマ デ ィ瞑 想に成功
した 人 はこ の よ う な価値観
を体
現す る人で あ232 パ ーリ学 仏教 文 化 学 る とい っ て よい 。 ま た , サマ デ ィ瞑 想が ,
単
に労 働の みで な く, 消 費行 動や 施 与行 為 と も結 びつ けて考
え られて い る点
は注意
が必要
であ る cf[
ibid
:185
,196
−197]
。2 )第
三 の 戒律
の 強 調 と実 践 不道徳 なセ ッ クス を避 け る とい う第三 の 戒律は, ア ソー ク集 団に よっ て力 強 く強 調 され る。 セ ッ クス へ の 情 熱 (kama
rakha )は, ア ソー クの イ デ オロ ギ ーに おい て は, 基 礎 的な汚れ の … つ と みな さ れ る。 ア ソ ー ク集 団 に とっ て , すべ て の 性 活 動は “不 道徳” と し て分 類さ れ る よ うだ 。 主流派
の僧侶
や メー ・チ ーに要 求さ れ る よ うに,僧 侶や シ ッ カマ ッ トは独身で暮
らす こ とが期待
され る。在家
の従者
も同じ実 践に従 うように促され る。 彼 等 は分 離 さ れ た禁
欲 的な寮に滞
在す る よ うに促 さ れ る。 そ こで は,10
人か ら20
人の 人々 が部
屋 を共有 して い る。 既 婚の 夫 婦で さえ, 性行 為を控え る よ うに促さ れ る[
M
.H1997
:157]
。 こ う した ア ソー ク集団の 厳 格な見 解が ど こ か ら由来 し て い るの かに つ い てM
.H
は 以下の よ うに考えて い る。 一つ は,仏 教の 教え に 関す るア ソーク集 団の 厳格な解 釈。 他の 一つ は,セ ッ ク ス に取 りつ か れて い る よ うにみ え る タイ国全体の 状 況 や,1990
年代に幾 人かの 主流派の 僧 侶(
最 近 の よ く知 られ た 例 と して プ ラ ・ ニ コ ー ンやヤ ン トラの ケ ース)
が関与 した 広 く公表
され たセ ッ クス ・ス キャ ン ダル で あ る[
ibid
:157]
。3 )悟
りとニ ル ヴァ ーナポ チ ラッ クに対 す る最 も持 続的 な非 難 の 一つ は, 自分 は聖 者 (araha )あ るい は
将来
の 仏 陀(
菩薩)
で ある と彼が宣言 した こ と に 向け られて きた。上座 仏
教の伝統
に よ れ ば,僧
侶は自
分が悟
りに達 して い る とい うこ と を 自慢 す る こ とは許さ れ ない[
ibid
:ll6]
。 上 記 の 批判 に 対 して , ア ソ ー ク側 の 解 釈は, ポ チ ラッ ク は自分が悟っ て い るこ とを 自慢に して はい ない とい う。 彼 は単
に自分
が悟
りに達 して い る とい う事実
を い っ て い る にすぎない とい う[
ibid
:116]
。とこ ろで ,
悟
り とニ ル ヴァ ー ナに つ い ての ポチ ラ ッ クの概
念は主 流 派の教 え と明確
に違
っ てい る とい う。 まず
, ポチ ラ ックの考
え を整理 し よ う。彼
はタ イのサン チ ・ア ソーク 仏 教 集 団につ い て の 覚書 233 ニ ル ヴ ァーナを現在の ニ ル ヴ ァーナ と将 来の ニ ル ヴ ァ ー ナに区別 する こ とに よっ て その 概 念を わ か りや す く し た。 現 在の ニ ル ヴ ァ ー ナはそ こ ご こ に あ り, そ して , 汚れ を取 り除 くこ と に よ っ て 達 成さ れ うる。 そ し て, 現
在
の生 活に おい て の ニ ル ヴァ ーナ は心の 状 態 と し て表 明さ れ る。 ニ ル ヴァ ー ナの 状態
へ の発展
は , 一定の
諸段 階 (
sotapa1ma → sakadagami → anagami → araha)
を通 過 してい く。 仏 教 徒は
自
分自
身の闘 争を 通 じて そ こ に到 達で き る[
ibid
:116
−117
]
Dも う少 し, 詳し くみ て い こ う。 araha は
菩 薩
とみ な され, araha で ある こ と は心の 状 態で ある。 菩 薩は世 界の他の 人々を助けるこ と を期待
さ れ る。 とい うの は, 菩 薩 は もはや 自我 が な く, そ れ 故 , 自分自
身 を 他の人 々 に完 全に捧
げる こ とがで きるか らで ある。 ア ソー クのメ ンバ ー は ,皆
,悟
りに達 するた め に努力 するよ うに促 され る。 ア ソー クの解釈 に よれ ば, 上 記 の 一定 の諸 段 階は こ の世に お い て到 達 され うる。 最 低の段階
の sotapanna に 到達す るに は, 以下の こ とが満たされ る必 要が ある。1
. 六つ の悪 (
飲
酒, 喫煙, ギャ ン ブ ル, 社 会で認 め られて い ない セ ッ ク ス の 実 践,頻 繁 な夜
の娯楽
, そ して怠 惰)
か ら自由で あ るこ と。2
. 五戒を遵 守で きる こ と。3
. 三宝に敬 意を払
え るこ と[
ibid
:ll7
]
。 なお, ア ソ ー ク の解
釈に よ れ ば , sotapanna は結婚
で きる とい う [ibid
:ll7
]。次の 段 階で あ る sakadagami に は,
熱情
や 怒りか ら自由に な るこ と によっ て 到 達で き る とい う。 そ の た め に は八戒
に従
うこ と がで き な け ればな ら な い 。 特に注 意 すべ きは第三 番 目の 戒律に関す る ア ソー クの解
釈に従
い , 独身
で なければ な らない こ とで ある [ibid
:ll7
]。さ らに 上の 段 階の anagami の レ ベ ル に達 し た人は, あ ら ゆ る世 俗 的な事
柄
か ら自由となっ て お り, 世俗 的な楽 し み に誘 惑を 感 じない 。 そ して ,世 俗的 な出
来 事は 当人 に影 響 を も た ない 。 しか し, こ の レベ ル の人 は 依然 と して 心 の 中に或 る汚れを もつ 。 だ が ,そ れ らの 汚れ は外部
に は示され ない[
ibid
:118
]。最 終段 階
は araha であ る。 こ の 段階
に達した人の特 徴は,自
我の観念
か ら
234
パ ーリ学 仏 教 文 化 学 完 全に 自由で,他人 の利益 の ため に働 くこ とがで きる。 とい うの は,当人に は 自我が ない か ら で ある。 この 段 階はニ ル ヴァ ーナ とい う心の 状 態で , そ こ に は 自我が ない 。 非 利 己 的で , 怒 りが な く, 貪欲もな く, あるい は妄想 もな し) [ibid
:117
−118
] 。一方, タ イ仏 教
徒
の 一般 的な考えで は , ニ ル ヴァ ーナ は伝 統 的に は大 変に 遠 くに ある, 想 像で き ない , 到達 しえ ない 何もの か と して 記 述さ れ る。 僧 侶 の みが ニ ル ヴ ァ ーナ到達へ の 現実的な チ ャ ン ス を もつ だ ろ う。 普 通の 在 家の 人々 は, ニ ル ヴァ ーナ に向け て 自分を志 向さ せ るこ と さ え しない 。 その か わ り, 彼 等は来世 におい て , よ り好 ましい 社 会 的 ・経 済 的 な状 態に再 生される に足 る十 分な功 徳 (プ ン)
を稼 ぐこ とに集 中す る[
ibid
:ll8]
。とこ ろで , 主 流 派 仏 教 に お い て は, ニ ル ヴ ァ ーナ の 状 態 に至 る発 展 段
階
は,幾
つ かの再
生(
サ ンサ ーラ)
の長
い 道に お けるス テ ッ プ として み なさ れ る。 第 一段 階は sotapanna で あ り , 将 来, 七回 の 再 生 に お い て 聖人(
araha)
に な るとい う存
在で ある。 次の 段階
は, sakadagami で , こ の存在
は感覚
的な 楽し み と悪 意 とい う中間形 態を破壊 した。 次の段 階は anagami で ,最
高の 段 階は, araha で , araha は, 死ぬ時にニ ル ヴァ ーナ に入 るだ ろ う[
ibid
:116]
。いずれに せ よ, ポ チラ ッ クに よれば, ニ ル ヴァ ーナは心の
状
態なの で , 現 世で 到達 可 能だ とい う[
ibid
:118]
。 ま た, 僧侶
で あ れ,俗
人で あ れ, 努 力 次第
で この世 で ニ ル ヴァ ー ナへ の到 達が基本的に可能で あ る とい う考え 方 を提
示して い る。 さ らに, 上記で み る限 り, こ の 世で ニ ル ヴァ ーナに 至 る諸
段 階を比較
的詳 し く設
定して い る点は注 意が 必要
で ある。4
)Pluksek
の 儀 式ア ソー ク集 団は一年に何 度か すべ て の
僧
や シ ッカ マ ッ トや俗
人の た め に 国 内規 模の 集 会 を組織 し, 開催 する。 こ の 一つ が こ こ で扱うpluksek
の儀
式で ある。 こ の儀式
は毎年
,マ カ ブチ ャ の 日あ た りに シ ー サ ・ア ソ ー ク(5)で組織 さ れ る。 マ カ ブチャ 日は最 も重要
な宗教
日の 一っ としてあ ら ゆ るタイの仏
教徒
によっ て遵
守 され る。 そ して タ イの 公 の祝 日で さ え あ る。 主流 派 仏 教の 僧 院に お けるマ カ ブチ ャ儀 式はtien
wien 儀 礼を含み , そ こ で の儀 礼で は, 在タイ の サ ンチ ・ア ソーク仏教 集団につ い て の覚 書
235
家の 人々 は主た るス トゥーパ(
仏 舎 利塔)
の 周 りを手に ロ ーソ クやハ ス の実
を もっ て , 三度
, 周 回す る。pluksek
儀 式の 名 前は, 呪 術 的 な儀 礼
に言及
す る。 そ れはっ ま り, 主流派仏教僧
が護符
や, あるい は他の 宗教 的な もの を 聖 別 す るた め に な す儀 礼で あ る。 そ れ に対 して , ア ソ ー ク集団で い うpluksek
とは七 日間, 連 続 的に説 教 する こ とに よっ て人々 を聖 別す る こ と(
plUksek
khon
)
を意 味 す る[
ibid
;125
−126]
。 こ こ で, 注 意すべ きは, ア ソー ク集 団 が本 来は呪術 的で あっ た儀 礼の 名称の み を使
い , 内容
を変更
してい る点で あ る。こ の ア ソー ク主
催
のpluksek
の儀 式に関し て さ らに注 意すべ き点は, 以下 の 事 実で あ る。M
.H
に よ れ ば ,1995
年 に シーサ ・ア ソー クで開
催さ れ た当
該儀 式に は ア ソー ク集 団の 僧 侶が80
人 ぐ らい , そ して約 15
人の シ ッ カ マ ッ トが い た。 そ れ に加 えて , 主 流 派サ ン ガか らの僧 侶 と見 習い 僧が 合 わ せて50
人 ぐ らい い た。 そ の う ち, 若い 見 習い僧が約 10
人 ぐ らい いて ,彼 等の年 齢は10
歳か ら15
歳 ぐ らい の間
であ っ た。 以上 の50
人 ぐ らい の 僧 侶の 大 部 分 は東
北タ イの僧 院
か ら来
て い た。 彼 等は当該 儀 式の 問,つ ま り七 日間, シ ー サ ・ア ソ ー クに 滞在 した[
ibid
:126]
。 なお,M
.H
に よ れ ば, 主流 派の 僧 侶 は ア ソー ク集
団と接
触す る こ とが禁
止 さ れ て お り, も し,大 長 老 会 議が ア ソ ー ク と彼 等の 関係 を知っ た な ら,彼 等
を 還俗さ せ る こ とが で き る とい う [ibid
:126
]。 こ こ で , 注 意 して お きた い こ とは, ア ソー ク集
団 と主流 派の僧 侶が 相 互に全 く無縁
であ るわ けで は ない とい うこ と と,危険
を承知 で東
北タ イの 主流 派の 僧 侶 等が問題の儀
式に参
加 してい る とい うこ とで ある。 ま た , 後 者の 点は,東
北タ イの 僧侶 の 間で ア ソー ク集団 が 一定 の魅 力を もっ てい る こ とを示唆
す る。 そ して, その魅
力がい かなるもの であ る か, 今 後, 検 討が 必要
で あ ろ う。5 )葬
儀の や り方葬儀
の や り方に関
す る事
例を紹
介 して主流派仏教
とア ソー ク集
団の考
えの 違 い を提
示 した い。M
.H
に よ れ ば, ア ソー クの僧 侶 とシ ッ カマ ッ トは, しば しば, 他の 僧 院236 パーリ学 仏教 文化学 の 葬 儀 に
参
加 する。 た と えぼ, ア ソ ー クの 人の 家 族が亡 く なっ た時 家族 は通常
,主流派 仏教
の僧 院
の 一つ で伝統
的 な葬儀
を もちた い 。 こ う した場 合, 何 人かの ア ソ ーク僧 とシ ッ カマ ッ トは, 主流派
仏教の 僧 侶によっ てなさ れ る儀礼
に参
加 する よ う招 待され る。 理論 的に は,主流派
はア ソ ー クの 僧侶 を 招 待 す るこ とは許さ れ ない 。 あ るい は,彼 等 と接 触を もつ こ とは許
さ れ な い 。 しか し, そ れは, い つ も, 個々の 主 流派の 住 職の 決 定 次 第で ある[
ibid
:135
]。 こ の 場合の伝 統的な葬 儀は, 数 日の 徹 夜 の読 経 を含 む。 そ こ で は, 主 流 派の 僧 侶 は死 者が来 世 に到 達す るの を容
易に す るた めに パ ー リ経 典を読 む 。 こ う した伝 統的 な葬儀の 幾つ かの ケ ース で は , ア ソ ー ク の僧 侶は ま た, 主流 派の僧 侶の 読 経の後に話を す るた め に招か れ る。 ア ソ ー クの 僧 侶はパ ー リ語や タイ語で 読 経は し な い 。 その か わ り,彼等
は死者
で は な く, 家 族の メ ン バ ー を慰め るた め に言 葉を か ける [ibid
:135
−136
]
。 こ こで 注 意して お き たい こ との 一つ 目は, 理論 的に は許
され ない に もかか わ らず,葬儀
を行
う主 流派僧 院の 住 職の考え次 第で ア ソー クの 僧 侶や シ ッカ マ ッ トが葬儀
に参
加 可 能に な る とい う点で あ る。 二 つ 目は,葬 儀に対 する力 点 の置
き方の違 い で あ り, 主流 派が来 世 へ の 死者の 到 達 に 焦 点 を置
い て い るの に対 し, ア ソ ー クの 僧 侶は死 者の 家 族を慰め る ことに焦点
をお い てい る よ うに み える。さ らに少 し補 足 しよ う。
M
.H
に よれ ば, 葬儀 を含め て ア ソー クの諸儀 礼
は一般 に大 変にシ ン プル で ある とい う。 そ の理 由は, 主流 派が行う儀
式の有
す るすべ て の リ ズ ミ カル な読 経や線 香を燃や す こ と を欠い て い る た め で あ る[
ibid
:137]
。6
)その 他〈
菜 食 主義〉
主流 派 仏 教徒 とア ソー ク集 団の 問の 論 争の 一つ は菜 食主義に関す る もの で あ る とい う。 ア ソ ー ク集
団の菜食実
践の根
拠は仏 教の 経 典に ある とい う 。 つ ま り,仏 陀が以 下の こ と をい っ た とい うこ とを根 拠に して い る。 :僧 侶 等の 食 事の楽 しみ を増す た めに彼等
に 肉を捧
げる こ とは捧 げる者に とっ て は悪 行だ。 一方 ,菜食
を捧 げ
るこ と は完璧
な功徳
と な る[
ibid
:116
]
。 こ こで は,タ イの サンチ ・ア ソーク仏教 集 団につ い て の覚書 237 ア ソー ク集 団の菜 食主義の 根拠が 仏 教の
経典
に求
め られて い る点に注 意 して お きたい 。〈
仏像を もた ない ア ソー ク集
団 の僧 院〉
主流派 仏 教とア ソー ク
集
団 との 大き な差 異は, ア ソー ク集 団の 僧 院に は仏 像が ない とい う点で あ る[
ibid
:ll9]
。 そ れ 故 , ア ソー ク集 団は仏 陀を崇 拝 して い ない と非難
されて き た。 しか し, ア ソ ー ク集 団の説 明に よれば
ダン マ , つ ま り教 義
の みが仏陀
を表
すこ とがで きるの で あっ て , 仏像
が仏 陀を表
すの で はない[
ibid
:119
]。ポ チ ラッ ク は以下の こ とを強調 す る。 “
自分
はタ イの 人 が仏 像を崇 拝 する の を妨 げた くない 。 し か し, 自分は 仏像の 背後に ある観
念を崇拝
さ せ たい 。 ”[
ibid
:121]
こ の 観念は上記の ダン マ ,つ ま り教 義に他な ら ない 。 こ こ で は, ア ソー ク集 団の教 義重視
の 姿勢
に 注意して お き たい。〈
聖水
の散布 〉
ア ソー ク集 団に よれ ば, 主流派 仏 教の 僧 院で 行われて い る聖水の 散 布は カ ル マ の法 則や不 運か ら 人 を 自由に しない とい う。 い たず らに頭
を濡
らす よ りも散布
された言 葉 を獲 得 し, そ して 説 教 に耳 を貸
す方がベ タ ー だ とい う [ibid
:ll9
]。 こ こ で は, 僧 侶の 言 葉や説教 を重視す る ア ソ ー ク集団の姿
勢 に 注意 し て おきた い 。3
. ア ソーク
集
団 を
構成
す
る人
々 の出
身
地 域
と社
会 階 層
M
.H
は 自身が集め た統 計 資 料に基づ い て 考 察 を進めて い るが,彼
女の も っ 統 計 資 料 は , 以下 の 二 種 類の もの で ある。 一 つ は , mahapawarana と よば れ る国 内規 模の 集ま りに参加 した在 家の 人 々 と修 行 者を 合 計 した187
人 の 回答資料
で あ る。 他の 一つ は , 別の 国内規模
の集
ま りで あるplUksek
の儀
式に 参加 し た2181
人の在 家の人々 の 回答資料
であ る[
ibid
;201
]
。さて , 彼 女は , ア ソ ー ク集団の メ ンバ ーの
社
会階層
を 明 らかにす るため に 上記
の サ ン プル の中
か ら,代表
的な サ ン プル で あ る,僧侶
の サ ン プル と在 家
の人々 の サ ン プル の二 つ を用
い て,回答者
の出身地
,学歴
,出家
以前
の職業
238 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 につ い て 議論 して い る。 そ れ に よ れ ぼ, ア ソ ー ク集 団の 僧 侶の
35
% は, タ イ の 最 も貧
しい地域
で あ る東北
タ イ出身
で ある。 よ り豊か な地 域, つ ま り, バ ン コ クや 中部タ イ出 身の 僧 侶の割
合は47
%に 上 っ た。 次に ア ソ ー ク集 団 の 在 家の 人々の61
% は東 北 タ イ 出身で25
%は中部
タ イ出 身で あ っ た [ibid
:201 ]
。続い て学 歴につ い て い え
ば
ア ソ ー ク集 団の 僧 侶の うち ,小 学校
に の み通 学 し たの は25
%で あ っ た。 ま た、28
% の 者が 大 学で 勉 強 した。 残 りの 僧 侶 は , 中学校で 勉 強を終え た か, あるい は職 業学校
で の専門
教育
を受け るに と どまっ た。 次に ア ソ ーク集 団の在家
の人々 の学
歴に つ い て は ,51
%の 人々 が 小学校
の み で勉 学を終え,16
% が 大 学で勉 強 した[
ibid
:201
−202
]。さ らに, 職 業で ある が, ア ソ ー ク
集
団の僧侶
の う ち25
%の者
の 出 家 以前 の 職 業は農 民で あっ た。 ま た,20
% が役 人であっ た。 そ して,23
% が他の職業
で , その 大部
分は私 企業
で働い て い た が, よ り大 き な富
を もっ てい る と思 わ れ るよ うな商人で はなか っ た。 次に在 家の 人々 に つ い て い えぼ,26
%が農
民で あっ た。 そ して15
% が役 人で あっ た。 さ ら に27
% が 役人 か私企業
のい ずれ かで 働い て い た。 なお, 農 民や役 人は社 会を 上昇 移 動す る者
と して 明 ら かに通 常み な さ れ る階層に属 さ ない[
ibid
:202
]
。以 上 の 事 実を踏まえて , 彼 女は, ア ソ ークの人 々を都 市的で , 上昇 移 動を す る ミ ドル ク ラス を代 表す る者とし て みな す こ とは で き ない と
指摘
す る。 そ して , ア ソー ク集 団が タイ の 上 層 階級と ミ ドル ク ラス の なか の 上位者
を代表
す る とい う諸研 究 者たちに よっ て 主 張されて き た初 期の 仮 説を拒否す る の であ る
[
ibid
:202
]
。 上記
の諸
研 究者たちとは,Olson
[
ibid
:26
]
,Jackson
[ibid
:27 ]
,Taylor [ibid
:29 ]
,Suwanna
[
ibid
:30]
, cf.[Suwanna
l
990
]
,Swearer
[
ibid
:32]
, cf,[
Swearer
1991]
な どで あ る 。4
.何故
, ア ソ ーク
集 団
は法 的 に禁 止 され
たのか
?国家の 宗 教の
本 部
で あ るバ ン コ クの ワ ッ ト ・ボウ ォ ンニ ウ ェ ー ト出 身の 現 僧 侶や元 僧 侶に よれば, サ ン チ ・ア ソー ク は仏教
で は ない とい う[
MH
タ イのサン チ ・ア ソーク仏 教集団 につ い て の覚 書
239
1997
:15]
。1973
年にマ ハ ーニ カー イ派
で再 出家
し た後 , ポ チ ラッ クはナ コ ン ・バ トム にデー ン ・ア ソー ク とい うセ ン タ ー を設立 したわ け だ が , そ れ を 含 めて 主 流 派サ ン ガの 怠慢
な行 動へ の批 判 ,菜 食
の採用
, 眉毛
を剃
らない こ と, 明る い オ レ ン ジ色で は な く褐 色の 衣 を着 用 して い る こ と な どに関 し てサ ン ガ当局 は批 判 した[
ibid
:44
]。 また, ポ チ ラッ クの説
教が あ ま りに攻 撃 的で あ る とい う点でタイ仏 教徒の 主 流の信奉者
は彼
を批
判して きた[
ibid
:44
]
。 サ ン チ ・ア ソー クで はシ ッ カマ ッ ト と呼 ばれ る尼僧
の 立場や地 位を認 めて い るが , 主流 派 仏教の 僧 侶た ちは女性 の 出 家 を奨励 しない [ibid
:46
]。さて,
M
.H
に よれ ば,1980
年代
に タ イで は タ ン マ カ ー イ とサ ン チ ・ア ソ ー ク が多
くの 支持
を獲 得 し始め た。 そ して,普
通の タイ人の 俗 人は タン マ カ ー イの瞑想方法を しば しば批 判 し, ま た, ア ソ ーク集
団の厳 格さ も批 判 す る が , 当局に よっ て逸 脱 し,問
題の 余 地あ る もの と して認 識 さ れて い るの は ア ソー ク集
団の み だ とい う[
ibid
:12]
。当局
が その よ うな認識
を何 故 もっ て い るかに つ い てM
.H
は, 当局の 関心が 仏 教 的な関
心 よ り も政 治 的な関心に あ る か ら だ とい う。 っ ま り, サ ンチ ・ア ソ ーク運動
の最
も目立つ 俗 人サ ポ ー タ ーであ る元バ ン コ ク都 知 事で政 治家で あ るチ ャ ム ロ ー ン の政 治 的 影 響 力へ の関心 で ある [ibid
:13
]。当局の 関心が仏 教 的な
関
心 よ り も政治的関
心 に あ る とい う点にっ い てM
.H
が さ らに詳細
な議論 を展 開して い るの で, 以下
に紹
介 したい 。彼女 は, ア ソー クの 理論 と実 践につ い て の
検討
か ら,以 下の よ うに指摘 し て い る。 ア ソ ー ク集 団の 考え は指導
的な主流
派の僧
侶の プッ タ タ ー トの教 え に か な り近づ く。 っ ま り, 両者は呪 術 的 ・ ア ニ ミズ ム 的な実
践 を拒否
し,精
巧な儀 礼や装 飾さ れ た僧 院,仏像の 崇 拝を拒否す る。 こ の 意味に おい て, ア ソーク集 団が異端で あ る と か, 非 正 統で あ る と結論
す るこ とはむ しろ困難で ある。 また, ア ソ ー ク は社 会 に対す るプッ タ タ ー トの態度
や ,社会批
判を共 有 する。 さ らに消費
主義
金銭
や資
源 の無 駄 使い に対す る ア ソー クの 人々 の 批 判は近代
化や西 洋化
や タ イ国家
に対す るパ ユ ッ ト(6)の コ メ ン トと根 本 的に 違わない とい う[
ibid
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