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『古今著聞集』巻四文学第五について

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『古今著聞集』巻四文学第五について

著者 下西 善三郎

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 8

ページ 1‑5

発行年 1978‑01‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/23712

(2)

十Ⅱ、私述が、各々の批船集の中に特定の意図を伴いつ二つのブロソクを形成していると認められる箇所を発見するのは、私達が志遮的に抽象するその説話の主題に依っているためではなく、説話災を細蕊するに当って、何を選択し、どこに位置付けるかを意識したlでの細肴の作業が私達に見て取れることに依っている。例えば、Aという脚緬が、力点の置き所を変えることに依って、又、その主迦をわざとに収りかえることに依って、異なる説話集においては異なった配世を強いられる筈なのであり、それは、言い換えれば、説柵集洲肴の一つの識見の表明であると見ることが出来るであろう。稲荷は、そうした糊者の兇識に文えられながら処々に散見しているある柿の説柵群を問題にしてみたい。即ち、こ、では、主に平安時代の桃文学世界を内容として取り扱っている説話群に目を注ぎたいと忠うのである。廠突だが、現作、戦者は、瀧文学世界の諸事象を背景に有せずには成立し得なかったそれらの個々の説話を、〈文学説話〉と名付けている。こ、で、一往、例えば『江談抄』『今昔物語集』「選集抄』などにも兄られ、「符間集』には勿論見られるところの〈文学説話〉について、縦者の雅本的な冴え方を示しておけば、こうである。即ち、ちょうど和歌が儲の中核となっている説話を「和歌説話」と呼{雄l)ぶことかできるように、〈文学説話〉とは、》操詩句が何らかの意味

『古今著聞集』巻第四文学第五について

で話の核としての位置を仙っている説話である、ということができ

る。但し、こ、では、幅を持たせて、説話を説話として語る(収録

する)際、説話者が何らかの意味において撰文学世界の諸事象に説話的な興味と関心を集中して説話を構成していると認められるもの、と定義付けておきたい。上述の説話に対して、何故、例えば「詩寺〈注2)説話」などとはせずに、〈文学説話〉と呼ぶのか。他でもない、「古今箸聞集』に、例えば「和歌説話」を収める「和歌締」などと対等の位世でしかも独立して筋目を与えられている「文学輪」を見るからである。「著聞集」の各々の説話は、編者成季の編纂意識に於いては、それが具有する内衝によって他ではなくまさにその繍目に位置付けられねばならなかった必然性を持っていた。そして、その各々の説話の意識的な、従って必然的な分類・整理の具体的結実が「著聞集」に於ける各縮目なのであり、それが、『著聞集」の各篇目の意味である。『著聞集』の「文学篇」は、成季の編纂意志から見れば、言うまでもなく、漢詩、・漢文の世界にまつわる諸事象を取り扱おうとし、実際に取り扱った具体的な成果である。以下、説話文学における〈文学説話〉の成立を確実にしたと目される『著聞集』の「文学儲」をめぐって、⑪、篇目名としての「文

学」の語義か②、「江談抄」及び「十訓抄』との関係、の二点につ 下西善三郎

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細稀成季が、「文学節五」という繍目を立てる時、その「文学」と

は何であったのか、更に又、その「文学総」をどのような意識によって部航したのであったかは、収集説話の内容からは言うまでもなく、仇按的には、「文学腕」に付されている小序に蝿うことができる》什縮に付された序文は、それぞれの箙を統括する機能を有していると思われるからである。成季は、「文学締」の序に次の如く述べて、「文」と「学」との効用を説く。伏搬氏の大下にfとして、はじめて識契をつくりて、繩をむすびし政仁かへ紬ひしより、文耕なれり。孔丘の仁義礼掛信をひろめしより、此巡さかりなり。書口「玉不啄不成器、人不学不知道ピメⅡ、「払風導併、虹尚於文、蝋教訓比、災善於学』文学の用たる、総かくのごとし。(岩波日本古典文学大系卒)灯の序文中、「替同」以下の引用文は、『書経』ではなく、『礼記』齢祀聯の一文であって、事実に相違してはいるが、注意すべきは、「文学」を次の加くに把えていることであろうと思う。即ち、「学」は人の血を知るためであり、「文」「学」の用は、良き風俗を弘め、川人を教導し、教えを蝋いて比を訓導することにあるという『礼記』の祀述を鴫守しようとした態度をまず明言していることである。こ

ふⅢ』|と力上の純の』皿.両は、円く八世紀中葉、『懐風糎』序文に、「瓜を鯛へ怖》」か|化むることは、文より向き一一とはなく、砿を淵らし身を光らすこ(棚3}し|は、机か学より先ならむ」と兄え、或いは又、『日本後紀』弘仁

.-.年{池一八Ⅱ一二日條に、柵勅として、「国を雑め家を耐由るに

虻より沸きはなく、身を立て名を側ぐるに学より向きはなし」と兇 いて、労えるところを芳干述べてみたいと思う。

える如く、古くから実学的傾向を持ち、対社会的効用を持つものとして、「文」「学」が把えられていること、軌を一にしているのであり、今日の所謂「文学」が所有する概念からは遠く隔ったものであることは言うまでもない。つまり、成季は、古代日本人が理解し

て来たと同様に、中国において使用された「文学」の語義をそのま

、借り用いているのである。例えば、『論語」先進篇第十一に、「

子曰、従我於陳・察者、皆不及門也。徳行顔淵・閏子甕・再伯牛・仲

弓。言語宰我・子貢。政事再有・季路。文学子勝・子夏】薪釈漢文大系本)の例を見、これを注して「論語疏」(この書、日本国見在(繊5)書目録」八、に出)は、「若文章博学、即有子勝・子夏也」と一一言う好く、「文学」の概念を広く詩文・学問の総称として理解していると見ることができるのである。こ、で「文学篇」第五の全体を見渡せば、川段は序、川段~皿段及び皿段~川段は詩文に関する説話、伽段~〃段は学問に関する説話とすることができる。因みに、六朝時代宋の臨川王劉義慶の撰になる『世説新語』は、上巻に「文学篇」を立てており、成季は、中国の説話書『世説」から「文学」の篇目の想を得たのであったかも知れない。この書は、「日本国見在書目録』Ⅲ二、小説家に「世説、十巻」として出ており、古く本朝に伝来していたことが確認され、成季がこの書を見ていなかったとは言い切れない。しかも、『世説」文学繍所収の説話は、前半は主として儒・老荘・論理学などに関する説話を収め、後半は主として詩文に関

する話を集めているのであっ爺6)「著聞集」文学篇とその扱う内容

が近似していると一一一一口えるのである。但し、「世説』は、孔門四科(徳行・言語・政事・文学)を順に上巻の篇目としているのであり、『苫間集』との差異もまた明らかである。以上、「文学輔」の序文、及び「文学篇」所収の説話から、「文学」の持つ意味内容を確認すれば、「文学」の直接の対象は、漢詩

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次に、「文学篇」所収の説話を、一つには、『著聞集』自らがその先輩であることを認めた『江談抄」との関連について、一つには、「文学篇」巻末に集中的な『十訓抄」との重複部分の意味するものについての二点から考えてみたい。

『著聞集』は、その序文に、「夫著聞集者、宇県亜相巧語之遺類、

江家都督清談之余波也」と述べて、『江談抄罠I江家都督清談)〈注7)の亜流であることをも表明する。確かに『著聞集』は『江談抄』を典拠とする説話を有する。『著聞集」が『江談抄』の何を亜いだのかを考える時、大きく、『江談抄』の精神といった漢としたものの継承、言い換えれば、文学におけるジャンル意識の継承、ということが考えられようけれども、こ、では、典拠関係からもう少し具体的に考えてみたいと思う。『江談抄』と『著聞集』の典拠関係については、既に、永積安明氏に御調査があり、氏は、両者が直接に関連する『著聞集』の諸段キー次の如く示されている。川・川・皿・叩.(Ⅲ)・川・囮.(川)・加・回・加・伽(□の内は『江談抄』を典拠としない説話。またご内は『江談抄」(注8}から、後人が抄入したかと考えbわれるものc)『著聞集』と「江談抄」の関連する説話章段は、右の他、『著聞集」の全段中、一四三段(和歌篇)・四二八段(愉盗篇)・五九五段( 文・漢学に限定されるのであって、巻第五和歌第六として編次されている「和歌篇」とは厳密に区別ざれつ、、「和歌」と対置されるものであったことが判然とするのであり、それは、当時一般の通念であったと認められるのである。

2)

(注9)愛化篇)の一二段が挙げられる。即ち、両書が関連する説話は全体で十三段であるが、そのうちの十段がこの「文学篇」に集中・偏在するのである。両書とも、同じく「公事部」を設けているにもか、わらず、その同じ部類内での典拠関係は見られず、大量十段もの説話が「文学篇」に集中する事実は何を意味するのだろうか。即ち、これは、何故、「文学篇」と『江談抄』なのかという問題でもある。今、両者が関係する「文学諭」の説話について『江談抄』の側から検討してみると、『江談抄』を典拠とする説話は、『江談抄』第四・第五・第六からの引用であることがわかる。この「江談抄』の第四「(表題閥)」・第五「詩事」・第六「長句事」の三巻は、漢詩句の出典について、漢詩句の読みについて、漢詩句創作の由来について等(巻四)、漢詩総集の撰者のこと、詩作上における字音のこと等(巻五)、長句についての注釈、長句以外では願文・表・序や文選・周易についてなど、連句のこと等(巻六)を取り扱っている。これらは、種々雑多な集積物といった観を呈しているけれども、大きく見て、漢文学世界の諸事象を内容として持つ説話とすることができる。即ち、私見によれば、「江談抄』第四・第五・第六の三巻は、先に述べたく文学説話〉群と見ることができるのである。つまり、『著聞集」編者成季が、『著聞集』を「江談抄』の亜流でもあると表明する時、成季は、『江談抄』の特徴的事象を第四・第五・第六の如き〈文学説話〉群に見出していたのではなかったろうか。敢て言うなら、『著聞集』は、説話全体の世界から見れば微量であるにしても、『江談抄』以来見え隠れしつ、説話世界の中を流れて来た一つの〈文学説話〉の伝統を継承したのである。筆者の言う〈文学説話〉は、確かに種々の説話集に散見する。しかしながら、『著聞集」以前の説話集は、〈文学説話〉を例えば「能芸説話」の一部と(雄皿)してしか扱わなかったし、独立的な篇目の下に一括して扱うことjロ

(5)

しなかった。そのような『稗間集』以前にも兄られたく文学説話〉 を「文学筋」として定位せしめたのが、『薪間集」細者成季だった

のである。

次にもう一点、『+訓抄』との大量重複における、「文学篇」所 収の〈文学説話〉についてその在り方を検討したい。この重複は、 「文学綿」では、巻末部の一三四段から一四一段まで八段連続して

(加川)

出現する。これは、成季以外の後代人による抄入であるとされてお り、その抄入者が『+訓抄』説話の改変を行っているのが明らかな ので、その意味するものについて一瞥したい。次に例を挙げる。 併狼机、昌泰一一一年九月十日宴に、正三位の大臣の大将にて、うち にさぶらはせたまひけるに、一

君富春秋臣漸老思無涯岸報猶遅

とつくらせたりければ、叡感のあまりに、御衣をかづけきせたま ひしを、同四年正月に、本院の大臣の奏事不實によりて、俄に太 宰權帥にうっきれ給ひしかば、いかばかり世をうらめしく、御い きどほりもふか、りけめども、君臣の禮はわすれがたく、魚水の

ちぎりもしのびえずやおぼえさせたまひけん、みやこのかたみと

ては、彼御衣を御身にそへられたり。さて次のとしの同日、かくぞ

ゑいぜさせたまひける。去年今夜侍清涼秋思詩篇燭断腸恩賜御衣今在此捧持毎日拝餘香Ⅱ二著聞集一…j

源氏中将、須磨のうらにしづみける比、八月十五夜にこ、ろをす

I~まして、殿上の御遊も慾しく、上の御物がたりしたまひしもおもひ出られて、 みるほどぞしばしなぐさむめぐりあはむ月の都ははるかなれどもとながめて、此詩の下旬を論しつ、入たまひぬと、彼物がたりに

かけるこそ、まことならぬあらましなれども、おもひょせられた

る風情のほどいとおかし。……(中略)・恥……讃臣によりて罪

をかふむることそのためし、むかしもなきにあらず。

(「十訓抄」第六、第十四段、岩波文庫本)

右に『十訓抄」の本文を抄出したのだが、「著聞集』との本文比 較から、追補者は『十訓抄』を直接に参照しながら、『著聞集』へ の抄入を企てたことが認められる。そして右に見られる如く、『+、 訓抄』の説話の形態をくずしての抄入であることが明白であり.書 き写しの段階における、それ故の改変の容易さに乗じての説話の切 り総てが行われているのてある。即ち、漢詩文に関係する項目のみ を取り挙げた、逆に言えば、和歌の部分を切り捨てなければならな かった追補者の意識は、「著聞集』文学篇の説話が最初に待ってい た性質(「文学」-淡詩文・漢学)に逆規定されているのであるP

ということは、とりもなおさず「文学篇」の特質が何であるかを追

補者が看破して後の作業であるということであり、「文学」という 概念及びその概念に関係する説話について、どういう形が最もふさ

わしいのであるか、ということに関して、『著聞集」編者と追補者の間で、〈文学説話〉について最低限の共同の観念が成立していた

ことを意味するのである。しかしながら、それは、形式的な面で一 往成功しているかのように見えながらも、説話のもとの形態を切り 崩しての作業である故に、追補者の賢しらは、『十訓抄」編者の説 話への自由な裁量と、説話としての内容とを同時に破綻せしめるこ

(注哩)とにもなった。、氷積氏が既に述べておられるように、追補者は、〈文

学説話〉の形態だけは模倣し得たけれども、「著聞集の主題や編著

者の発想」を充分には洞察し得てはいなかったと言わねばならない

(6)

卓⑤の叩狂。()

注ijlO9

iiji柱注IijiIiji 76543

典咽的なものとしておられる。注2、水枕安明氏は、「『古今著聞集』の本文批評」(『中世文学の可能性』岩波書店)で、この語を使用しておられる。 (1、久保川淳氏「利欲脱緬の系譜」(『日本の説話』4、所収。火京美術刊)は、和歌を中核に柵えての説話を「和歌説話」の のてある。

「十三経往疏」8所収。幾文印書館。中国古典文学大系9「世説新語・顔氏家訓」(平凡社)による。岩波大系本頭注は、「遺類」「餘波」を「亜流」と注す。こ

例えば「今昔物語集』本朝部・巻二十四は、各種技術讃を扱う

中に、〈文学説話〉を収めている。1段~笏段は各種技術説話、沁段~釦段は、〈文学説話〉、剖段~訂段は「和歌説話」である。.また、『撰集抄」巻第八は、「なにとなき物語のしな人~なる詩歌雑談」(撰集抄倣)の類を収める。巻八・第七七話に次の語を見る。「小野篁は、人王の御耳をよろこばしめて相公にいたり、都良香は御神の感得にあづかる。能藝はげにかたじけなくぞ侍る」(岩波文庫本。傍点筆者)。因みに、巻八は、第乃段~鋼段が〈文学説話〉、開段~川段が「和歌説話」、川段行術、朏段1M段鞠術、川段琵琶、Ⅲ、 岩波大系による。 氷枕氏前掲書『中世文学の可能性』PⅢ参照但し、算用数字に改めた。番号は、大系本の説話章段を示すものである。 岩波日本古典文学大系「懐風藻』序文による。読みは大系本による。

IiiIの 普TIIP能 181性参一

|H1岩。。。」_

れに従う。 国史大系本による。原漢文。 川段仏道結縁護である。注u、岩波大系本解説、P調。注皿、岩波大系本解説、P、~P鋼。(福井県立敦賀工業高校教諭)

参照

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