博士(医学) 清水祐輔 学位論文題名
大う つ病 性障 害の 心 理社 会機 能に 認知 機 能障 害が 与える 影響および認知機能リハビリテーションの効果に関する研究
学 位 論 文 内 容 の 要 旨
【 背 景 と 目 的 】 大 う つ 病 性 障 害(major depressive disorder: MDD)は 一 般 的 な 精 神 疾 患 で あ る が 、 慢 性 の 経 過 を た ど り 、 家 庭 生 活 、 仕 事 な ど の 日 常 生 活 に 大 き な 負 荷 を 与 え る と 言 わ れ て い る 。MDDに お け る 一 般 的 な 臨 床 試 験 で は 、 臨 床 症 状 がHamilton Rating Scale for Depression (HAM―D) な ど の 症 状 評 価 尺 度 に お い て カ ッ ト オ フ 値 を 下 回 っ た 時 に 寛 解 と み な さ れ る 。 し か し 、 臨 床 症 状 の 寛 解 後 も 生 活 の 質(quality of life:QOL) を 含 む 心 理 社 会 機 能 の 障 害 が 残 存 す る と い う こ と が 報 告 さ れ て お り 、 そ れ に 対 す る 介 入 の 必 要 性 が 叫 ば れ て い る 。 近 年 、MDDに お け る 心 理 社 会 機 能 の 障 害 の 原 因 の ー っ と し て 、 神 経 認 知 機 能 の 障 害 の 可 能 性 が 指 摘 さ れ て き て い る 。MDDで は 神 経 認 知 機 能 の 障 害 は , 臨 床 症 状 と 多 数 の 認 知 領 域 に お い て 有 意 に 相 関 す る こ と が わ か っ て い る が 、 一 方 で 抑 う つ 症 状 の 寛 解 後 も 神 経 認 知 機 能 の 障 害 が 残 存 す る と い う 報 告 も 近 年 増 え て き て い る 。 し か し 、MDDに お け る 神 経 認 知 機 能 の 障 害 とQOLを 含 む 心 理 社 会 機 能 の 関 係 に つ い て の 報 告 は ま だ 少 な く 、 寛 解 期 のMDDに お け るQOLと 神 経 認 知 機 能 の 障 害 の 関 連 に つ い て は こ れ ま で に 報 告 が な い 。 そ の た め 、 第1章 で は 臨 床 症 状 が 寛 解 に 至 っ て い るMDDの 患 者 群 を 対 象 に 神 経 認 知 機 能 の 障 害 がQOLに ど の 程 度 関 連 し て い る か に つ い て 検 討 を 行 っ た 。
神 経 認 知 機 能 の 障 害 が 心 理 社 会 機 能 と 関 連 し て い る の で あ れ ば 、MDDの 神 経 認 知 機 能 障 害 を 改 善 さ せ る よ う な 治 療 戦 略 が 心 理 社 会 機 能 を 改 善 さ せ る 可 能 性 が 考 え ら れ る 。 統 合 失 調 症 に お い て は 神 経 認 知 機 能 の 障 害 に 対 し て の 治 療 的 介 入 と し て 、 近 年 認 知 矯 正 療 法(Cognitive Remediation Therapy:CRT)と い う 神 経 認 知 機 能 の 改 善 に 特 化 し た り ハ ビ リ テ ー シ ョ ン に よ る 介 入 が 進 ん で い る が 、MDDに 対 し て のCRTの 効 果 に つ い て の 先 行 研 究 は 少 な い 。 さ ら に 先 行 研 究 で は 治 療 導 入 に よ る 社 会 的 交 流 の 増 加 に 起 因 す る 改 善 効 果 の 影 響 が 考 慮 さ れ て お ら ず 、 こ の 点 を 統 制 し た 研 究 が 必 要 と 考 え ら れ る 。 そ の た め 、 第2章 で は そ の 効 果 の 統 制 を し た 上 で 、MDDに 対 す るCRTの 効 果 の 検 討 を 行 っ た 。
第1章 大 う つ 病 性 障 害 の 神 経 認 知 機 能 とQOL
【 対 象 と 方 法 】HAM−Dで8点 未 満 と 症 状 評 価 尺 度 上 は 寛 解 期 で あ る が 、 過 去 の う つ 病 エ ピ ソ ー ド の た め 未 就 労 で あ っ たMDD患 者43名 と 、 年 齢 、 教 育 年 数 が マ ッ チ す る 健 常 者43名 を 対 象 と し た 。 両 群 に 神 経 心 理 学 的 検 査 、 自 記 式 の 症 状 評 価 尺 度 と し てBeck Depression Inventory
―Second Edition (BDIーII)を 施 行 し た 。 さ ら にMDD患 者 に お い て はQOLの 指 標 と し て 日 本 語 版short―form 36 item health survey version 2(SF−36)を 施 行 し た 。 分 析 方 法 と し て は 、 ま ず 初 め にMDD群 と 健 常 群 の 人 口 統 計 的 デ ー タ と 神 経 心 理 学 的 検 査 の 成 績 を 比 較 し た 。 続 い て 、MDD群 に お い て 健 常 群 と の 成 績 に 有 意 差 を 認 め た 神 経 心 理 検 査 の 項 目 、 人 口 統 計 的 及 ぴ 臨 床 的 因 子 、SF−36の 各 項 目 の 間 で 単 相 関 分 析 を 行 っ た 。 さ ら に 、 単 相 関 分 析 に お い て 神 経 心 理 検 査 と 有 意 な 相 関 を 示 し たSF―36の 項 目 を 従 属 変 数 と し て 、 重 回 帰 分 析 を 行 っ た 。
―183一
【結果】寛解期のMDD患者 は精神運動速度、注意、言語記憶の認知領域で健常者に比ベ有意 に成績が低下していた。残遺抑うつ症状(BDI一IIのスコア)とSF一36で測定されたQOLの間 には極めて強い相関が認められた。重回帰分析の結果 、言語記憶はエピソード回数や残遺 抑うつ症状の影響を考慮しても、SF―36のサブスケールである全体的健康感に関連していた。
【考察】本研究において、寛解期のMDD患者で神経認知機能の障害が認められたことは先行 研究の結果と合致した。残遺抑うつ症状とQOLの強い相関からは、症状評価尺度上は寛解で あったとしても残遺症状に対する積極的な治療によりQOLが改善される可能性が示唆され た。言語記憶とQOLの間に は臨床因子とは独立した関連性がある可能性があり、日常臨床に おいて客観的な検査で神経認知機能を評価し、QOLの低下に関与しているかもしれない神経 認知機能の障害を検出することは有用であると考えられた。
第2章大うつ病性障害における認知機能リハビリテーションの効果
【対象と 方法】作業療法を導入中もしくは導入予定のMDD患者10名を対象(CRT群)とした。
対照群と してCRT群と、年齢、教育年数、神経心理学的検査の結果のべースラインがマッチ する10名 のMDD患者を抽出した(作業療法群)。CRT群、作業療法群ともに研究に参加後の3 カ月間作 業療法によるりハビリテーションを受けた。CRT群では作業療法の一部としてCRT が 行わ れた 。CRTとし てはNeuropsychological Educational Approach to Cognitive Remediation (NEAR)が施行された。ベースラインと30月後に両群の被検者は、神経心理学 的 検 査 、HAM―D.BDI‑IIに よ る 抑 う つ 症 状 の 評 価 、The Global Assessment of Functioning (GAF). SF−36による心理社会機能の評価を受け、両群でのその変化を反復測定 による二元配置分散分析で比較した。
【結果 】CRT群の患者では作業療法群の患者に比して、精神運動速度、言語記憶の認知領 域 で有意な 改善が認められた。心理社会機能は、CRT群において他覚的な指標であるGAF が作業療 法群に比して有意な改善を認めたが、自覚的な指標であるSF―36は改善が認めら れなかった。
【考察】MDDにおいてCRTにより神経認知機能が改善をしたことは過去の研究と一致した。
本研究は 治療による社会参加の増加に起因する改善効果の影響を考慮してもこの改善が認 められる ということ、さらに先行研究の対象者よりもより臨床症状が少ない、寛解期に近 い患者に おいてもCRTが有効である可 能性を新たに示したといえる。GAFが有意に改善した 点からは 、本研究はMDDにおいてCRTが心理社会機能の改善に寄与する可能性を示した最初 の研究と言えるが、SF―36に改善がみられなかった点については抑うつ症状が交絡因子とな った可能性が考えられた。
【結論 】第1章では寛解期のMDDにおいて残遺抑うつ症状やエピソード回数とは独立して神 経認知 機能とQOLの間に関連がある可能性が示された。そのため、日常臨床において神経心 理学的 検査を用いてQOLに影響を及 ぼしているかもしれない神経認知機能の障害を検出す ること は有用であると考えられた。
第2章ではMDDの治療戦略の選択肢のーっとしてCRTが有用である可能性が示唆された。
しかし 、自覚的な心理社会機能に改善が認められなかったこと からは、CRTのみでは心理 社会機 能のごく一部しか改善が期待できない可能性が考えられ た。その観点からは、MDD におい ても認知行動療法など多様な治療戦略を含んだ包括的なりハビリテーションプログ ラムの 中でCRTを行っていくのが望 ましいかもしれなぃ。
―184―
学 位 論 文 審 査 の 要 旨
学 位 論 文 題 名
大う つ 病性 障害 の心 理 社会 機能 に認 知機 能 障害 が与 える 影響および認知機能リハビリテーションの効果に関する研究
大う つ病性 障害(major depressive disorder: MDD)は患者の心理社会機能に重篤な障 害を与えると言われており、その原因のーっとして神経認知機能障害の可能性が指摘され てき ている 。しかし、寛解期の両者の関係については報告が少なく、さらにMDDの神経認 知機能障害に対する治療法も十分に確立されているとは言い難い。そのため、本研究では 神経認知機能と心理社会機能の指標の1っであるquality of life (QOL)との関係を調査し、
さらにその治療法としての認知矯正療法(Cognitive Remediation Therapy: CRT)の効果 について検討を行った。その結果、言語記憶は残遺抑うつ症状やエピソード回数などの臨 床因 子の影 響を考慮 してもQOLと関 連していることが示された。また、CRTによって神経 認知機能や他覚的な心理社会機能を改善したが、自覚的な心理社会機能の改善は認めず、
こ れ に は 残 遺 抑 う つ 症 状 な ど の 因 子 が 交 絡 し て い る 可 能 性 が 示 唆 さ れ た 。 質疑 応答で は、生駒一憲教授より、MDD寛解期の神経認知機能の障害について実際には 患者に自覚があるのかにっいて質問があった。これに対して申請者は、先行研究で必ずし も自覚的な神経認知機能障害に関する表出と他覚的な検査による評価は必ずしも一致しな いこと、リハビリテーションを行う上で自覚があれば介入しやすいが、ない場合は自覚を 促す ような 関わりをしていくことを回答した。また、CRTにおける神経認知機能の改善に ついて患者や家族からの評価がどうであったかについても質問があり、患者の自覚的な評 価は概ね良好であり、これには日常生活との橋渡しをする過程が重要と思われる旨の回答 があ った。 飛騨一利准教授からは、MDDの神経認知機能障害についてどのような脳科学的 な基 盤が想 定されているかについて質問があった。これに対して申請者からは、MDDでは 海馬の体積が減少すると言われておりそれがエピソード回数と相関することを示す先行研 究があること、および事象関連電位などにおいて前頭葉機能の低下を示唆する報告がある が、寛解期の病態については未解明の点が多いという旨の回答があった。田中真樹教授か らは、抗うつ薬用量と神経認知機能の相関について質問があり、これに対し申請者は今回 の研究では相関がなかったことおよび一般的には三環系抗うつ薬の抗コリン作用などによ り急性作用として神経認知機能が低下するということが報告されているが、慢性投与時に ついては三環系抗うつ薬により神経認知機能が改善したという報告もあり、一概には言え
−185―
樹
憲
利
郎
真
一
一
一
中
駒
騨
住
田 生
飛 久
授 授
授 授
教
教
教
准
教
査
査
査
査
主
副
副
副
な い 部 分 が あ る と 回 答 し た 。 ま た 、 言 語 記 憶 の 脳 に お け る 責 任 部 位 に つ い て の 質 問 が あ っ た が 、 こ れ に つ い て は 未 解 明 な 部 分 が 多 い も の の 、 海 馬 な ど の 一 部 の 部 位 と い う よ り は 神 経 回 路 の 異 常 が 想 定 さ れ る 旨 の 回 答 が あ っ た 。 さ ら に 、 言 語 記 憶 が 改 善 し た 点 に っ い てCRT を 言 語 記 憶 の 領 域 に 特 化 さ せ る こ と で 治 療 効 果 が 上 が る の で は な ぃ か と い う 指 摘 が あ っ た が 、 こ れ に 対 し 申 請 者 は 、 患 者 に よ っ て 障 害 さ れ て い る 認 知 機 能 領 域 が 異 な り 、 言 語 記 憶 が 低 下 し て い る 患 者 に お い て は そ の よ う な ア プ ロ ー チ を 行 う の も 一 手 で あ る が 、 治 療 自 体 の モ チ ベ ー シ ョ ン の 問 題 も あ る た め 患 者 が 興 味 を 持 っ て 取 り 組 め る よ う な 他 の 認 知 機 能 領 域 の 課 題 を 併 用 し た 方 が 認 知 機 能 の 向 上 が 見 込 め る 可 能 性 に つ い て 言 及 し た 。 久 住 一 郎 教 授 か ら は 、 他 覚 的 な 心 理 社 会 機 能 は 神 経 認 知 機 能 と 相 関 す る か に つ い て 質 問 が あ り 、 こ れ に 対 し て はMDDで 報 告 は 少 な く 、 寛 解 期 の 双 極 性 障 害 に お い て は 報 告 が あ る も の の 、 研 究 に よ っ て 自 覚 的 な 指 標 が 有 意 で あ る か 他 覚 的 な 指 標 が 有 意 で あ る か に つ い て は 差 が あ り 、 こ れ に つ い て は 患 者 背 景 な ど の 要 因 が 関 与 し て い る か も し れ な い と い う 回 答 が あ っ た 。 最 後 に 、CRTをMDDに お い て ど の よ う な り ハ ビ リ テ ー シ ョ ン と 組 み 合 わ せ て 行 う の が よ い と 考 え て い る か に つ い て 質 問 が あ っ た 。 こ れ に 対 し て 申 請 者 か ら は 、MDDの り ハ ビ リ テ ー シ ヨ ン に お い て 近 年 は 復 職 デ イ ケ ア が 想 定 さ れ る こ と が 多 く 、 そ の 中 で 認 知 機 能 低 下 が 認 め ら れ る 患 者 に 対 し て 行 う こ と を 考 え て い る と い う 旨 の 回 答 が あ っ た 。 こ の 論 文 はMDDの 神 経 認 知 機 能 の 障 害 と 心 理 社 会 機 能 の 関 係 お よ び そ の 治 療 法 に つ い て 検 証 し た 臨 床 研 究 の 論 文 と し て 高 く 評 価 さ れ る 。 今 後 、 さ ら に 研 究 を 継 続 す る こ と に よ り 、 よ り 効 率 的 にMDDの 神 経 認 知 機 能 及 び 心 理 社 会 機 能 の 障 害 を 改 善 さ せ る よ う な 治 療 法 が 発 展 し て い く こ と が 期 待 さ れ る 。
審 査 員 一 同 は 、 こ れ ら の 成 果 を 高 く 評 価 し 、 大 学 院 課 程 に お け る 研 鑚 や 取 得 単 位 な ど も 併 せ 、 申 請 者 が 博 士 ( 医 学 ) の 学 位 を 受 け る の に 充 分 な 資 格 を 有 す る も の と 判 定 し た 。
−186−