著者 行田 望音
雑誌名 静岡市・用宗地区. ‑ (フィールドワーク実習調査 報告書 ; 平成26年度)
ページ 58‑68
発行年 2014‑12
出版者 静岡大学人文社会科学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/8070
用宗における食の変容
用宗における食の変容
行日望音
1 は じめに
2 現在 の用宗 の漁師像
21 用宗で働 く漁師
22 漁師 た ちの食生活 の近代化
3 用宗の食文化
31 調 味料
311 醤 油 31̲2 酢
32 持舟炸
33 住 民 の魚 食 へ の意識 とこだわ り
4食 を通 じての交流
5 お わ りに
1
は じめ に調査地が静岡県静岡市駿河区用宗 (もちむね)地区に決まつた とき、私はひ どく単純に
「用宗はシラスが有名だか ら食文化について調べよう
Jと
考えた。そ して漁師 さんにイン タビューすれば漁師 さん独 自の食事スタイルが、住民にインタビューすれば普段の食生活 と郷土料理が分か るはずだ と思い、それぞれに対す る質問事項 を考 えた ものだった。食事 とい うのは人間が生きる上で欠 くことのできない行為の 1つである。そ して、それ は生活様式や個 々人、 さらには時代によって形態が異なるものである。似たよ うな生活 を 送っている集団では食生活 も似て くる。 したがつて、用宗に住む人々の食事について考察 す ることによって、用宗地区における食文化や食事のスタイルを提 えなおす ことができる
と言えよう。
また用宗は、漁港があるため漁師がある程度いるが、漁師ばか りの町ではな く、昔か ら 漁師以外の人 も多 く住んでお り、 さらには用宗の外か ら来 る漁師 もい るとい う、ひ とくく りに漁村 と語 ることのできない場所である。そのため、今回の食文化 に関す る調査におい て対象者の職業が多岐にわたることを最初 に述べておきたい。
2
現 在 の 用 宗 の 漁 師 像21
用宗で働 く漁師用宗の漁師 と言 つてもひ とくくりにその像を語ることはできない。それ とい うのも用宗 漁港から漁に出ている漁師が用宗の出身者ばか りではないか らである。漁師 とい う言葉に 対 して私は次のよ うなイメージを持つていた。海辺の町に住む人々が近 くの海か ら船を出 して魚 を捕 り、それを生業に している。そ して、その生業は代々その家系で受け継がれて ヤヽる。
しか し、実際に用宗 を訪れ漁師たちへのインタビューを した際に居住地を尋ねた私は、
まずそのイメージを壊す ところか ら始めな くてはな らなかつた。用宗漁港組合支所長の上 山一仁氏 (男性、
45歳
)によれば、船主は用宗出身者が多いが、乗 り子 (乗組員)はほと ん ど用宗に仕事できているとのことであつた。また、上山氏は漁業組合の事務職員で漁師 ではない。現職 に就いたのは近親者に漁業関係者がいたか らではな く、「職業」 として選択したのである。また、用宗にかよつている漁師の住む ところは様々である。用宗漁港か ら 車で15分ほ どの西島 (にしの しま)に住む漁師のA氏 (男性、
50代
)などはまだ近い方 で、遠 くは静岡市清水区か ら車で働 きに来ている漁師 もいる。A氏の息子 (26歳)も
また 漁師であるが、A氏によれば息子に漁師になることを勧めたことはなく、自らの意志で漁師 になつた とのことであつた。また、清水か ら来ているB氏 (男性、31歳
)においては、他 の職業にも勤めていたが、漁師に長年憧れ を抱いてお り、知人のつてをた どつて用宗のシラス漁師になつた とのことである。 このよ うに用宗では漁師の 「サラ リーマン化」が当た り前 となつている。
なぜそのよ うなことが起 きているのだろ う力、1つには漁に出る時間の短縮があげられ る。
以前は 日の出 と同時に漁 を始め、遅ければ午後
3時
近 くまでや つていた。 しか し、今では 午前6時 30分
か ら午前11時まで となつている。 これは規定によるものであ り、この時間 以降は漁が出来ない1。 しか し同時に、用宗シラス1まプラン ド化 して、高 く売れ るので、量 が とれな くて も収入 を得 ることができるため漁の時間が短 くなったのか もしれない とA氏は述べていた。始まる時間がやや遅 くなつたことや、仕事が午前中で終わつて しま うこと か ら、用宗 より離れた ところか らでも事で 「通勤」、「帰宅」できて しま うのだ。また、一 定ではないがかな りの収入 を得 ることができる。漁 とい うのがある種の博打のよ うなもの であると例える漁師は多 く、それ もあつて暇な ときはパチンコに行 くとA氏の息子ならび に一緒にいた同年代の若い漁師ほか
4人
は答えていた。A氏もそのよ うな漁師が多い と述 べていた。もう1つには用宗出身の漁師の高齢化 と、他地域か らの広い受入れである。上記 したよ うに、用宗以外か らも漁師が用宗で働 くためにやつて くる上に、や る気のある漁師をよそ 者扱いせずに受け入れている。そのため今は人手に困つていることはな く、む しろ受け入 1 午後6時ごろか ら由比漁港な どに赴 いて行われるサクラエ ビ漁は夜の漁であるため別である。
‐
59‑
用宗における食の変容
れ られない状態のよ うだ。今回の調査では
20代
か ら30代
の漁師に多 く会 うことが出来た。漁村の課題 として語 られ る後継者問題は、用宗では存在 しない。用宗出身の漁師の高齢化 が進んだ としても、他 の地域か ら若い漁師が勤めにやつて くるので、一層 rサラリーマン 化Jが進む と考えてよいだろ う。
また先程 も少 し触れたが、春期は3月か ら6月 に、秋期は 10月 か ら 12月 に、漁師の大 半がシラス漁 と同時にサクラエ ビ漁にも出る。 さらに、上山氏によると、年 130日 ほ どし
かシラス漁に出ることはできないとのことだった。すなわち、自然を相手にする仕事であ るがゆえに、天候などの影響により満足の行く漁が毎日できるわけではないのである。ま
た、豊漁か不漁かは天候だけでは判断できず、実際に海の様子 を見てみない と分か らない 上に、漁に出るには多 くの経費がかかる。 したがつて、収入が不安定にな り、シラス漁以 外にもサクラエ ビ漁 をお こな う漁師はかな りの数にのぼるのだ。 このように、給料額を考 えて仕事をす る点 もサラ リーマンらしさを映 し出 していると言えよ う。22
漁師たちの食生活の近代化用宗で「働 く」漁師たちはいつたいどこで何を食べて仕事をしているのだろう力、 調査に行く 前に私は、漁師 自らが作つて食べる「漁師飯」と呼ばれるもの、またはそれに相当するものが用 宗の漁でも見られるのではないかと思っていた。私は「漁師飯」の定義を、①漁師 さんが船内、
もしくは漁に出る前後に陸地で食べるもの、②漁師さん自身が作ることのできる手軽な食事、③ 漁師さんのオススメの食べ方 (※ただ し全てを満たさなくても良い。また、用宗特有のものとは 限 らない
)と
した。はじめてお話をうかがった とき、上山氏は「食事はとくに他の職業の人 と異なるとい うこ とはなく、同 じ。弁 当な ど食べている」「毎 日魚を見ているか ら、飽 きて しまつているかも しれないJ「いつ も鮮度のいい美味 しいものを見ているので、旅行先では魚 を食べない と聞 いたことがある
Jと
話 していた。 これが私の予想に反す る答 えであつたた め、2日 日以降、直接漁を終えた漁師にインタビューす ることに した。
i
まず、朝食である。A氏によると、今はコンビニで買つたおにぎ りな どを持つて乗船する ことが多い とのことであった。また、「おかずだけは持つてくる人」もいるとのことである。
また、「年寄 りは食べて くることが多い」 らしく、必ず しも朝食 を船上で皆が食べるわけで はないことがわかつた。B氏の場合、コンビニで買つてきたおにぎ りを午前
6時
頃に食べ、空腹を感 じた ら作業中でない時を見計 らつて他にもパ ンや菓子類を食べ るとのことであっ た。また、B氏と同期であ り、同 じく漁師になる前は他の職業にも就いていた とい うC氏
(男性、
31歳
、清水区在住)は、奥 さんの作つた弁 当を毎 日持つて来て、午前8時
頃に船 上で食べていると話 していた。弁 当については特に漁師な らではの特徴があるではない と い う。 またC氏によると、船上で朝食 をとる人 とすでに食べて来た人は半々 ぐらいの割合 とのことである。B氏とC氏の事例か ら見て とれ るよ うに、朝食 とひ とくちに言つても皆 で食べ始 めるわけではなく、各々が 自由に とっていることがわかる。そ して漁師間で朝食の意識の統一は見 られず、形式はかな り自由なものであることがわかった。
次に昼食である。 これ も朝食 と同様に人それぞれである。家に帰つて昼食 をとることも あれば、 コンピニで買つて帰ることや外で食べて帰ることもあるとい う。実際、B氏とC
氏にインタビューをお こなつた場所 も用宗漁港にあるどんぶ リハ ウスで、
2人
は食事 を終え た ところだった。夕食は基本的には家に帰つて食べることが多い らしいが、サクラエ ビ漁があるときは異 なる。B氏のよ うにコンビニで買つて船上で食べる人 もいれば、C氏のよ うにいったん家に 帰つて弁当を持つて来る人 もお り、他の食事 と同様 にバラつきが見 られ る。「魚ばか り食べ ている」 とい うことはないよ うであらた。また漁師 とい う職業柄、毎 日のよ うに魚 を見て いるわけだが、魚 を見飽 きている漁師もいれば、そんなことはない とい う漁師 もいて、共 通する特徴は見当た らなかつた。
漁師の陸での付 き合いについても うかがつてみた。B氏な らびにC氏によると、漁師同 士で食事に行 つた り飲みに行 つた りす る人 もいるが、船の仲間全員で行 く、 とい うことは あま りない とのことであつた。 また、 どのようなときに大勢で食事に行 くか と尋ねた とこ ろ、「連体前や、船 を新 しくした ときな どではないか」 との回答が得 られた。ただ し船 を新
しくす ることは頻繁にあることではないことを記 してお く。
それでは上述 した 「漁師飯」にあたるものは用宗には存在 しなかつたのであろ うか。イ ンタビュー した漁師たちによると、料理 とまではいかないものの、今でもシラスと一緒に 捕れたタイや タチ ウオなどの魚 をさばいて食べることはあるとのことであった。 しか し船 に包丁は常備 しているものの炊事場があるわけではないので「そこらへんで さばいている」
とい う。 もちろん、捕れた魚 を持 つて帰ることもある。それ とい うのも用宗漁協がシラス 以外を取 り扱 つていないため、売 り物にな らないか らである。それ らは持 って帰 りたい人 が持つて帰 ることができ、順番や年齢、漁師歴 などはまつたく関係 なく、平等に行われて いるとい,。
漁師歴
33年
のA氏に尋ねた ところ、「10年から15年前までは船の上で食事を していた」との情報 を得 ることが出来た。 当時はプロパ ンガスでご飯を炊 き、捕れたシラスをご飯の 上に乗せて食べたり、シラスを混ぜて炊いた りしていた とのことであつた。また、漁師歴3 年のC氏も「昔、コンロでご飯を炊いてシラスを乗せて食べた り、捕れた魚 を食べた りす ることがあつたとい う話は聞いたことがある」 と述べていた。
それではなぜ、今ではお こなわれな くなつて しまつたのであろ う力、B氏とC氏はそれ について「仕事量が減ったか ら(時間が短 くなったか ら)、 作 らな くて も良 くなつたのでは?」
「コンビニなどが出来て、わざわざ作 らなくても手軽に食べ られるようになったからで は?」 「昔は今 よりも漁の時間が長 くて、おなかが空いたか ら作つたのでは?」 と述べてい た。ただ し
2人
とも、漁の時間が短 くなつた理由については聞いた ことがない とのことで ある。また、A氏の息子 とその同年代の漁師、B氏、C氏のいずれ も船上で炊事す ることに っぃて Fゃりたい とは思わないJと
言つていた。中にはその理 由を、お こなわな くてはい‑61‑
用宗 にお ける食の変容
けない作業が増 えて しま うと考えている漁師 もいた。時代の流れ にともない、漁師の食は しだいに近代化 していき、以前はおこなわれていた船上での食事は 「面倒なもの」 として みなされ るよ うになち た点は特筆すべきだろ う。人間の生活の根本 となる食生活 は、それ を取 り巻 く環境に左右 され るものである。今や都市部だ けでな く地方 にまで普及 したコン ビニエンスス トアは、漁師の食生活にも大きな影響を与えたといえるだろう。
3
用 宗 の 食 文 化31
調味料次に用宗の食文化 について述べ る。その中で も特 に調味料が用宗の食生活に強 くかかわ つていることが分かった。
311
醤油スーパーマーケ ッ トでお酢のことを知る前は、私は単純に「お寿司を食べるときに使 う 調味料 と言えば醤油 しかないだろ う
Jと
思つていたため、調味料売 り場 を訪れた:イ
メー ジ していたのは多 くの調味料が陳列されたスペースだったのだが、そこには「醤油の陳列 棚」があった。あるスペースは上か ら下まで全部醤 油だつた。それ も同 じ醤油がた くさん 置かれているのではな く、多種多様 な味 とポ トルの形 に分 けられた醤油が所狭 しと並んで いたのである。従業員の女性によると「やは り醤油は良く売れると感 じる」 とのことであ つた。ただ し、 どの醤油が売れ るかは分か らず、また醤油を買つている客に会 うことはで きなかつた。スーパーマーケ ットを訪れた 日の午後、私は鮮魚店に行き、商品 として魚を扱 う側の調 理方法について、お話 を うかがつた。お店では、イ ワシの番油干 し、サ ンマの醤油干 し、
備の醤油干 しな ど、醤油で作つた千物 もよく売るそ うだ。千物の仕上げには炒 り胡麻を振 る。醤油については薄 日か ら濃 口まであるが、特にこだわ りはない ようである。そ して「お 醤油屋 さんの番油はや つぱ りいい醤油だよォ」 と仰つていた。また、用宗には醤油屋が多
く存在 していた とい うことを、後 日、那須野秀勇氏 (男性、
87歳
、用宗在住)から聞くこ とができた。 しか し、それ らの所在地は住宅地図か らは分か らなかつた。現在でも鮮魚店 や人百屋な どが立ち並ぶ旧商店街沿いに醤油屋 はあるとお つ しゃつていたが、それ以外の 多 くの醤油屋 は今か ら15年
か ら20年
前に店をたたんで しまった らしい。時代の流れに伴 つて個人経営の専門店が相次いで姿を消すのは 日本各地で見られることだが、やはりかつ て醤油屋が何軒 もあつた とい う事実はこの地域 において、醤油は重要な もの として買い求 められていた とい うことが読み取れる。そ して住民は現在、スーパーマーケ ッ トを利用す るようになっているものの、醤油は必需品 として今 もなお使われている調味料であると言 えよう。312
酢用宗
3丁
目で米店 を経営す る前 田也枝子氏 (女性、60歳
、用宗在住)に、用宗の人々の 食事についてきいた際、 とても興味深い話を語つて くれた。それは、用宗には橙 (だいだ い)をしぼつて生 シラスにかける人がいるとのことである (シラスの食べ方についてはこ の節の3項
で述べ る)。 橙は [代々繋がる」 とい う意味で植 える人が多く、食べ るには酸つ ぱいが、香 りがよい果物なので、寿司酢 としても使 えるとい う。寿司酢は寿司を作 る際に 具が腐 るのを防 ぐために欠かせない調味料の1つである。 さらに、前田氏は静岡県中部の 酢は甘めで、西に行 くほど酸つぱ くなるとおつしやつていた。前 田氏は静岡県中部の藤枝 市の出身だが、藤枝 と用宗でも違いがあ り、用宗では甘い酢 を好む とのことであった。ところで、大塚滋は 「日本の酢の代表は米酢である。世界の多 くの酢 と同様、酒か らつ くられた。 日本の代表的な酒 は米の酒であるか ら、酢は米の酒 か らつ くられ始 めた と考 え られ る」「酒の歴史は人類の歴史 と同 じくらい古い といわれている。酢 も非常に古 くか らあ つた と考えられ、(中略)、 ノアの方舟に積まれたワインは酢になっていたであろ うとい う 人 もいる。もつとも古い酢の記録 は紀元前
5000年
のパ ビロニアの記録 といわれ、当時バ ビ ロニアではデーツ (ナツメヤシ)や千 しプ ドウの酒や ビールか ら酢 をつ くつた といわれて いる」 と述べている (大塚 1990:6)。 つま り、酢は最初酒だつたものが発酵 したことによりできたのだ とい う。また、杉 田浩―は、調味操作、すなわち調味料 による「味付け」は、
食物の嗜好性 を直接的に支配 し、地域や民族の食文化の形成にも影響を与えてきた重要な 行為であるとしている (杉田 1999)。 つま り、調味料は人の好みによって変わ り、そ して それは地域の食文化にも影響 を与 える重要なものであると言 えるだろ う。 したがつて、今 回の調査では調味料、 とりわけお酢について注 目す ることに した。
まずは人々が集まつて買い物 をす る場所 として、用宗駅近 くにあるスーパーマーケ ッ ト を考え、実際に足 を運んでみた。鮮魚売 り場の従業員の男性が声をかけてくれ、陳列 され ていた魚の説明な どを して くれた。その際、野菜売 り場に近い場所 に置いてある梅酢を買 う人が多い と教えて くだ さつた。その梅酢は焼津の会社が作つたものだつた。従業員の男 性 によれば 「用宗では刺身で も、魚をまるまる買つて開 くに して も、漬 ける人が多い。梅 酢のみな らずお酢で しめる人は多い」 とのことであつた。梅酢が他の穀物酢な どのお酢 と 一緒に並べ られていないのもまた興味深い。 この梅酢は鮮魚店に行 つた際にも売 られてい た し、後述の醤油屋にも並べてあつた。それだけでな く、たばこ屋 にもお酢が置いてあつ た。やは り用宗には魚 を食べ る文化が根付いてお り、その調味料 としてお酢は 「なくては ならないもの」「どこでも手に入 る物」 として重宝 されているのだ と感 じた。ちなみに前述 の那須野秀勇氏が社長 を務 める用宗 1丁目のナスノ板金工場の女性事務員の方や、地元住 民の女1生によれば、お酢の違いは特に考慮 しない とのことである。 しか し、用宗の東隣の 広野地区にある干物店の店主は、お寿司を作 るときは穀物酢だ と仰 つていた。 このことか
ら酢へのこだわ りは個々人の問題 のよ うに思われる。
‑63‐
用宗における食の変容
32
持舟飾前節では調味料について具体的に見てきたが、次にそれらが使われるお寿司に注目して みたい。用宗には 1579年 に廃城となるまで持舟城があつた。それにちなんでか、「持舟炸
(も
ちぶねずし
)」と呼ばれるものがあるとインターネット上で知り、さつそく聞き取り調 査を開始した。
まず、インタビュー調査前に静岡空港を運営する航空会社フジ ドリームエアラインズ (FDAlのホームベージから情報を得た。このホームページでは、静岡空港から行くこと のできる都市での観光情報を掲載 してお り、名古屋・静岡は御 │1家康にまつわるものがま
とめられていた。「家康の元気めし」と題 して食の特集が組まれてお り、その中で取 り上げ られていたのである。ホームページによると、祗園祭の日に各家庭で 「混ぜず しJ偶J名持 舟炸)を漬ける習慣が今でも残っているということであつた (フジエア ドリームエアライ ンズ20141。 そして、第6章を担当した秋山陽香 と第
9章
を担当した渡辺萌子によるイン タピューから以下のようなことが分かつた│① (前田也枝子氏のお話によると)混ぜ寿司である。具材 としては、しいたけ、卵焼き、
さやえんどう、しょうが、魚。
②祗園祭のみならず祝い事の席でよく食べていた。
③用宗 4丁目の旧商店街沿いにあり、用宗で長 く営業 しているスーパー八百鉄で今でも 売つている (これについては実際に確認 してみたが、「持舟炸」ではなくどこにでも売
られているちらし寿司とのことであった)。
④握 り寿司の家ヽあり、家庭によつて違 う可能性がある。
⑤祗園祭のときには用宗を離れた人も帰つてくるので、そういつた人たちや隣近所の人 を呼んで夕飯を食べる際に振る舞われる。
⑥昔は寿司を作つていたが、今は買つて来ることが多い。また、寿司だけではなくフラ イなどいろいろなものを食べる。
⑦30年 ほど前はご馳走だった。
③6月 は梅雨時で食中毒が心配されたが、お祭 りなのでご馳走を生の状態で食べたいし、
食欲がなくなる季節だということもあつて、お酢をかけ始めたらしい。
⑨当時とれたカツオやマグロを入れ、生シラスも入つていた。
これらのことを踏まえて2014年
6月 12日、用宗 1丁 目のナスノ板金工場の女性事務員 2名 に持舟炸について聞いてみた
:まず、「持ヽ鴨」という名称を知らないということであ
つた。確 かに祗園祭の 日に寿司は作つていたが、それは単に祝いの席でのお寿司 とい う扱いに過ぎなかつたようである。なお、現在は作らずに出来合いのものを買つたりヽ出前を 取つたりしてしま うとのことである。彼女たちによれば、作つていたお寿司は以下のよう なものであつた。
①
20年
前までは家で握 り寿司を作つていた。ちらし寿司の家もあるのかもしれない (こ の点は前田也枝子氏と逆である。ここから推測するに、お寿司は各家庭のものであり、様式が統一されたものではないと思われる。)
②
20年
前まで家で作 られていたという握 り寿司は、屋号の書かれた木箱に詰めていた。③魚が今と比べて安かつたのでかたまり2で魚を買つてきて、家で切つていた。
④酢に砂糖と塩を入れてかな り甘めに作る家もあつた。
⑤祗園祭は
6月
で、生シラスがあまりとれないので 「あったら使 う」くらいだつた (前 田也枝子氏とは意見が異なるが、前田氏の言 う「当時」力れヽつごろのものであるのか 定かではないため比較することはできない)。持舟炸について話を開けた方はごくわずかであつたが、以上から分かることは、持舟鮨 と呼ぶか呼ばないかはさておき、祗園祭の時には各家庭で握 り寿司やちらし寿司などの寿 司を作つていたとい うことである。 これは魚の捕れる町だからこその祝いの食であり、そ れが寿司であつたからこそ酢がよく使われていたのだと考えてよいだろう。また、時代の 変化により、寿司はしだいに家庭で作 られなくなり、出来合いのものを買 うようになつた。
33
住民の魚食への意識とこだわ り次に、用宗に住んでいる人々の魚食への考えについて述べる。漁港のある用宗は漁村や 港町と形容 されることが多く、魚を頻繁に食べているイメージがあるが、住民は魚食につ いてどのように考えているのだろう力、 前田也枝子氏は
'(用宗の人は)魚を本当によく食 べる。(自分は)鮮魚店で買 う。鮮魚店で買つた魚は沿岸で捕れたものだから美味しく感 じ るし、とても贅沢だと感 じている」と話 していた。またD氏 (女性、用宗在住)も「魚は 漁師町だからみんなよく食べるが、若い人は食べない傾向にあるような気がする」と話 し てお り、この
2人
の話から想像するとやはり用宗の人はよく魚を食べているのだと感 じる。しかしながら一方で、E氏 (男性、
80歳
、用宗在住)のように「食事はその人、その家庭 によつて好き嫌いが分かれるので『漁村だから魚をよく食べる』 とい うわけじやなぃ。仕 事ではカロエや保存に携わる人がいる町だけど、だからと言つて家庭でもしているわけでは ない。それは今も昔も変わらない」と話 している人もいた。確かに前田也枝子氏やD氏の ように考える人も多いだろうが、E氏が言つていたように仕事 と家庭を切 り離 して考える人 もいるだろう。また、D氏
が年齢層について言及 しているが、これも関係があるように思 われる。2節
において、用宗の漁師のサラリーマン化について記述 したが、以前よりも漁(仕 事)と
魚食文化が密接にかかわつていないのかもしれない。次に、このインタビュー中に用宗ならではのシラスの食べ方について知ることが出来た ので報告 しておきたい。まずは生シラスの食べ方である。多くの人が言 うには用宗では醤
2この言葉からは、箱などに詰められた場合、魚1匹そのまま、もしくは刺身となる部分だけになった状 態のものである場合が想定されるが、話し手の口調から後者であると考えられる。
‐
65‑
用宗における食の変容
油、または酢味噌で生 シラスを食べ るとい う。酢 を使 うことで、生シラスが持 つている独 特の臭みを消す ことができるそ うだ。また、酢味噌 に砂糖 を入れて甘 くす る人 もいる。ち なみにこ うじ味噌は使 わないそ うだ。
続いて、シラス料理 についてである。お話 を うかがつてみ るとシラス入 り味噌汁やお吸 い物、シラスの天ぶ ら (これ らは残つたシラスの活用法だそ うだ)、 シラスの佃煮な どがあ ることが分かつた。 シラス入 りの味噌汁やお吸い物は、野菜 の甘み とマ ッチ してよい味が 出るそ うで、用宗
1丁
目の料亭「幸人Jで
シラス餃子 を提供する山本悦男氏 (男性、64歳
、 用宗在住)も親が作っていたか ら再現 して店で出 しているとのことであった。 山本氏はま た 「郷土料理みたいな ものだ と思つているのでこれは残 していきたい」 とも話 していた。さらに山本氏か ら聞いた話 によると、音は釜揚げシラスの茄で汁を冷ま した後にぬか床 に 入れてぬか味噌を作 つていたそ うである。
現在、用宗では地域活性化 のために新たにシラス餃子や シラス ピザな どを考案 し、売 り 出 している。 しか し、聞き取 りか らは用宗の人々が地域活性化のためだけに様 々な調理法 を生み出 したのではな く、以前か らシラスを 日常食 として有効活用 していたことが分かる。
4
食 を通 じての交流用宗では農業を生業 としている人は少ないが3、 家庭で野菜栽培をしている人は多い。そ うした人たちのほとんどは、育てた野菜を通して周 りの人々と交流をしている。用宗3丁
目で米店を営む前田也枝子氏のお話では、野菜をもらつて食べ方を教えてもらうこともよ くあるそ うだ。例えば 「先 日、出荷できないサイズのネギ (規定より短かつただけであと はなにも変わらないもの)をもらつておいしい食べ方を教えてもらつた
Jと
話 していた。また野菜だけでなく、「半分 (米屋の)お客で半分友達のような漁師さんがいて、生シラス をバケツー杯にもらうこともある」とい う。また、家で野菜を作つている者同士で野菜を 交換することもあるそ うだ。「みんなやっていること。今だつたら旬だからきゅうりをあげ た」 とスーパーに来ていた客の 1人は話 していた。 こうした交換は用宗では当た り前に行 われているよ うである。
他に 「おかず を作 りす ぎたか ら、食べきれないか らとい う理由でおすそ分けをす ること もある」 と話す人や 「野菜をご近所 さんか らもらうことはあるが、 自分は育てていないの で、いつばい作つた料理を分 けることは している
Jと
答えた若い主婦 もいた。「いつぺんに た くさん作つたか ら人にあげる」 とい う人は何人かいた。それが野菜であれ料理であれ、自分や 自分の家族 のためだけに作つているのではな く、あらか じめ余分に作つてそれを他 者にあげているよ うである。
前田也枝子氏の話 を うかがつているときに 「それは店のお米をあげたか ら野菜や果物を 3用宗の農業については李玉潔の第 3章 を参照 してほしい。
もらうのか」と尋ねたところ、「そ うではない、何かをあげたから何かをもらうというゎけ ではない」という答えが返つてきた。そして、それは「普段お手伝いをしたり多くの人と コミュニケーションをとつたりして友好関係を築いているからこそ」であり、「頂いた代わ
りに何かあればあげる、助ける、とい う感覚」でいるそ うだつた。これは興味深いことで ある。すなわち用宗では、おすそ分けの文化が築かれているのである。
5
おわ りに第 2節で取 り上げたよ うに、時代の流れにともなって、漁師の食は近代化 してきた。漁 の時間が短縮 された り漁法が簡易化 された りして、同時に生活の根本である食事 も簡略化 されて しまつた。 もちろん、「昔か らや つているか ら」、「伝統だか ら」 といつた理 由だけで 続けることに必ず しも意味があるとは言い切れない。用宗の漁師が船上で米 を炊かな くな つたことは非難すべき事柄ではない。 しか しなが ら、「遠 くか ら通 つて来ている」、「職業選 択の 1つとしての」漁師が多 くなってきている昨今、漁師は変わつてきていると言つてよ いだろ う。そ うした事実は 「漁師は漁師飯 と呼ばれ る料理 を食べている」 とか 「港の近 く に住んでい る」な どといつた漁師像が今 も共有 されがちな場所では注 目され ることも少な い。
それでは用宗の食は伝統がなくなって変わつてしまつたと言い切れるだろうか。答えは 否である。第 3節では調味料を取 り上げたが、環境や歴史過程によつて作 られた人の嗜好 は長く続いてゆくものであると思 う。用宗において醤油などの調味料は、魚食文化 と共に 今も重宝されている。それは用宗の食事が根本のところで変わらず在 り続けていることを 意味している。
また、これは第4節で注目したおすそ分けの関係にも同じことが言える。あらかじめ余 分に作つてそれを他者にあげているように、おすそ分けが前提となっているのは興味深い。
もちろん、住民たちは誰かが食べ物に困つているから与えようとしていた り押 しつけをし ようとした りしているのではなく、これが近所との交流やコミュニケーションのツールの 一部として続いているのだ。
ある土地における食文化 ときくと、たいていはその地域の特徴的な集団にだけ注目して しまいがちである。すなわち、漁村だったら漁師、農村だったら農民、団地だつたら核家 族世帯、などといつたものである。 しか しながら、コミュニティはその特徴的な集団だけ で成 り立っているのではなく、複雑なものである。そのことを考慮するとき、必ず しも食 事スタイルが 1つだけだとは言えない。用宗においてもまた同 じである。漁師だけでなく 漁師以外の住民がいて、それぞれに食事スタイルがある。
ところで、永渕康之は、伝統といわれているもののなかには、過去から変わらぬもので はなく、新たに見出されたものが多いと述べている (永渕 1996:42)。 変わつて しまつたも
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用宗における食の変容
の、変わ らずにあるもの、さらには形成途中のもの、いずれ も伝統文化の一部である。そ れ ゆえに、変容 と維持の両方 を持つ用宗地区における食文化 とい うのは、一言では言い表 せない多様性 を含んだ もの といえる。
謝 辞
この報告書 を書 くにあた り、多 くの方 々にご協力いただいた。用宗漁港の漁師 さんたち は漁が終わつて疲れているところにもかかわ らず、快 くインタピューに応 じてくださつた。
また、私が調味料 に注 目してこの報告書を書 くことができたのは前日米店のご夫婦のおか げであった。その他 にも、仕事中や 買い物中にもかかわ らず、私の質問に答 えてくださつ た用宗の皆 さまに心よ り感謝 したい。
参 照文献
大塚滋
1990 「酢の文化史J飴山資・大塚滋編『 酢の科学』朝倉書店、
Q
杉田浩一
1999 「食品素材の調理特性」石毛直道編『調理 と食べ物 (講座・食の文化、第二巻)』
農山漁付文化協会、251・26亀 永渕康之
1996 「観光=植民地主義のたくらみ」山下晋司編『 観光人類学』新曜社、35‐亀 フジ ドリームエアラインズ (ひょいと
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2014 「元祖健康マニア家康の元気めし」(2014年7月 22日 取得、
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