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テスにおける自我の問題 : Tess再評価への試み

著者 赤木 雅吾

雑誌名 主流

号 27

ページ 89‑101

発行年 1965‑11‑03

権利 同志社英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016700

(2)

テスにおける自我の問題

一 一Tess再評価への試み一一

赤 木 雅 五 口

本論に入る前に,先ず作品研究をする場合の最も重要な問題である,ア プローチの仕方を明確にして置く必要があると思う.

従来のハーディ批評の中には,いわゆる ImmanentWillからのアプロ ーチ,つまり外的要素からの作品批評とか,ハーディのlifeからの作品研 究等がしばしば見受けられる.しかしこの様なアプローチの仕方による作 品批評においては,ハーディが哲学者として考えられたり,或いはハーデ ィ即ち作中人物となったりする場合がしばしば起きるのである.この様な 誤解,或いは混同の多くは作品を批評し,研究する場合のアプローチの仕 方,つまり研究者の視点,批評基準の置き方の相違から起きていると考え

られる.

例えば9 今ここで問題として取り上げている作品 Tessの場合を考え て見ると,その視点の置き方として,一応三通りの場合が考えられ相であ る.その一つは,テスを取り囲む環境,殊に ImmanentWil1の立場から 考える場合,次に社会環境から考える場合,最後にテス自身に視点を置い て考える場合である. この様な三つの違った視点から出る結果がそれぞれ 違った結果になるのは当然の事である.つまり,第一の Immanent羽Till を中心とした場合には万物はオートメーション化し,殊に人間の存在など は,全く極少化,卑少化され,その存在意義は失われ,日住単に宇宙の内在 意志の強大さの前の犠牲者としての意味しかもたない事になるであろうし,

又第二の社会的環境を中心とした場合には,テスの如き人間は全く無軌道

(3)

テスにおける自我の問題

極まりない, abnormalな存在であり,社会にとっては有害,且つ危険人 物と云えるであろう.しかし乍ら第三のテス自身に視点を置いて考えれば,

この様な社会こそ abnormalであり,テスの normalさを阻害しているも のなのである.従ってテスが決して単なる宇宙の内在意志の操り人形でも なければ,又唯単なる機械でもない事が明白になるのである.

要するに,この視点をどこに置くかの問題は同時にこの作品の中心的人 物,主人公が誰であり,何であるかと云う問題なのである.その意味から すれば,第一の場合では ImmanentWillが主人公であり,第二の場合で は社会であり,第三の場合はテスと云う人閉そのものが主人公なのである。

以上の様な点から考えて,ここでの我々のアプローチの仕方はあく迄この 作品の中心人物テスに視点を置く第三のアプローチの仕方と云う事になる 訳である.

次に,この様なアプローチの仕方で,このテーマをどの様に取り扱うか と云う問題になるが,その事は次の引用文に,これから述べようとする事 の出発点及び方向が集約的に暗示されている.

Tess' said d'Urbervi11e. 

Threwas no answer.  The obscurity was now so great that  he  could seabsolutelynothing but  a pale  nebulousness  at  his  feet

, 

which represntedtheωhite  musline figure  he had left  upon the  dead  leaves.  Everything  else  was  blackness  alike.  D'Urbervi1le  stooped; and heard a gentle regular breathing.  He knelt and bent  lower, till  her breath warmed his face, and in a moment his cheek  was in  contact with hers.  She was sleeping soundly, and upon her  eyelashes there lingered tears. 

Darkness and silence ruled everywhere around.  Above them rose  the primeval yews and oaks of  The Chase, in  which were poised  gentle roosting birds in their last  nap;  and  about  them  stole  the 

(4)

テスにおける白我の問題 91  hopping rabbits and hares.  But

, 

might some say

, 

where was Tess's  gurdian angel?  Where was the providence of her simple faith? 

(pp. 92‑93) (italics  mine)  これは,この小説の女主人公テスがアレック (Alecd'Urberville)によっ て身をけがされるチエイスの森の描写であるが,ここで我々の注目を最も 強くひく三つの存在が示されている.即ちその一つはこの場面の周囲の情 況を表わすdarkness,暗闇である.次はこの暗閣の中で,唯一つの最も(ま っきりその存在を表わしている白いモスリン服を着たテスの姿ヲ次はテス のguardianangel,つまりテスを守る天使である.更にこの三つの存在を より深く考えて見ると,第一の暗闇 darknessは直接にはアレックの住む トラントリッジ (Trantridge)の村,つまり現代社会を象徴していると考 えられるし,又この様な暗闇と対照的なテスの白いドレス姿のその白さは テスの自我を表わしていると共に,この周囲の黒さによって,その白さ,

つまり自我が今にも黒く汚されそうなテスの運命をも暗示している様であ る.又テスの天使はいわばこの暗闇から,テスの白さ,つまり自我を守り,

救い出す天使,即ちェンゼ、ル・グレア (Angel Clare)を象徴していると 考えられるのである.この様な三つの存在の中,特にテスの自我人間と

しての存在意識 の問題を中心に考えて見る事にする.

この小説では,テスに次いで脇役としての重要な役割を果している男性,

アレックとクレアの二人が登場している.この二人の男性を比較して見る と,アレッグの方は唯物主義的傾向を非常に強〈表わしている人間であり,

云わば世紀末における英国の姿とも云える9 唯物主義的世界の象徴と考え られるのである.それに反してクレアの方は唯心的傾向の余りにも強い男 性である.この二人は不思議にも,この作品の最初から最後迄,顔を合わ さないのであるが,この事も二人の住む世界の相違をはっきり物語ってい ると云えよう.

従ってテスが先ず最初にでくわす男性アレックの住むトラトリッジの村

(5)

は物質文明によって作られた,物質万能の世界なのである.テスが初めて この村のダーパァヴィル家を訪れた時,テスの目に映ったトラントリッジ の村はすべて人工的な匂いで充満した世界で,すべてが coin,金銭の如く 感じられるのである.

Everything on this sung property was bright, thriving, and well  kept; acres  of  glass七ousesstretched down the inclines to the copsS

at  their feet.  Everything  looked  like  money‑like  the  last  coin  issued from the Mint.  (p. 44) 

「何も彼も今,造幣局から発行されたばかりのお金の様であった」と云う テスの印象通り,この世界には,凡そ精神的なものは存在しないのである.

又この村で一週間の労働の疲れを癒すものは,決して信仰などの様な目に 見えない精神的な薬ではなく,人間の体に最も訴えるアルコールと云う物 質なのである.

Thchiefpleasure of these philosophers lay in going every Satur‑ day night, when work was don,巴to Chaseborough, a decayed market‑

town two or three miles distant; and rturningin the small  hours  of the next morning, to  spend Sunday in sleeping 0thedyspeptic  effects  of the curious compounds sold to  them as  berby the  mo‑

nopolizers of the once independent inns.  (p. 76)  従って,この世界の人間達にとって,日曜は教会へ行って精神的慰安を得 るのではなし土曜の夕方から大酒を飲み,結局日曜は二日酔で寝て過す のである.この点にも,この村の唯物的傾向がはっきり表わされている.

又,この世界では男女の愛情すら金銭で売買され得る物質的関係なのであ る.この世界の象徴的人物であるアレックがテスの白由意志を無視し,唯 自己の衝動的本能のままにテスを犯した事,又それに対して,次の引用文 の如く,物質で償いが出来ると思っている事等,正しくその唯物的な態度 の現れと云えよう.

(6)

テスにおける自我の問題 93  1 am ready to  pay to  the uttermost  farthing.  Y ou know you  need not work in  the  fields  or  the dairies  again.  Y ou know you  may clothe yourself wIth the best, Instead of in the bald plain way  you have lately affected, as if you couldn't get a ribbon more than  you earn.'  (p.  100)  この世界の人聞には最早,人間としての存在意識など全く見られないので あって9 云わば人聞の姿を見失った動物とも物質とも云えそうな存在なの である.つまりそこには神の子,或いは万物の霊長としての誇りも,理性 も倫理観も何もなく,唯あるのは動物的本能のみなのである.その事は 次の引用文の「誰も責任をかぶってくれる奴がいなけれや,畜生,ぼくは 自分の行為や情熱に責任をもっ積りはないさ」と云うアレッグの言葉に理 性も知性もない,人間本来の姿を見失った人間の姿がよく表わされている

と云えよう.

'Hang it, 1 am not going to  feel  responsible  for  my deeds  and  passions if  there's nobody to  be responsible to; and if  1 were you,  my dear, 1 wouldn't either!'  (p. 425)  この様な世界こそ,前に述べた darknessの象徴する世界,つまり暗闇の 世界なのである.又この様な人間の精神を無視し,人間性を喪失した世界 は同時に十九世紀末英国の一面を表わしたものと考えられるのである. こ の当時は自然科学の進歩,普及によって種々の思想を生み出しているが,

中でも Darwinの進化論程,一従来の思想を根底からくつがえす様な影響を 与えたものはなかったと云えよう.この様な自然科学の影響によって,一 切の現象を唯,物質とその運動の結果としてのみ解釈し,精神とか霊とか の漠然とした存在はすべて斥け,唯五官にふれる物のみ信じると云う唯物 主義的傾向が当時根強い力として存在していたのである.従ってすべての 物質が一つの機械的法則によって支配されているとすれば,唯単なる一物 質に過ぎない人間も同様にこの機械的法則の下に動かされているのであり,

(7)

94  テスにおける自我の問題

人聞は唯その法則の命ずるままに動くより仕方ないのであって,人聞の自 由意志などは全く存在しないと考えられるのである.この様な唯物主義的

2) 

な十九世紀末をハーディ自身は A New Dark Age,新しい暗黒時代と呼 んでいるが,この事は前に引用した darknessと云う言葉と関連づけて考

えれば非常に興味ある事と云える.

さて,この暗閣の世界でテスが最も強く味わった事は人聞の悲しみ,苦 しみなのである.この悲しみ苦しみはアレックの様な唯物的人間には全く 縁のないものであって,云わば人間と動物とを区別出来る,人間としての 最も高い次元の感情に属するものである.その意味で,悲しみ,苦しむ事 こそ,特にハーディの世界においては,人間である事の明しなのである.

つまり,ハーディの世界では「我悲しみ,苦しむ故に我在り」と云っても 云い過ぎではない様である.この点にハーディが常に人聞の悲劇を描き,

常に生きた人聞を描く所以があると云えよう.その意味で,テスがアレッ グの唯物主義的な世界,非人間的な世界に決して妥協しないで,進んで苦 しみ,悲しみの道を選んでいる理由が存在すると考えられるのである.

云え換えれば,アレックによって身をけがされると云うテスの第ーの悲 劇はテスが唯物的な社会に身を沈め,人間としての生命を失った動物とな るか,或いは,あく迄テスの自我を守り通すかの危機であり9 テスが人間 として成長するための大きな試練であったと云えるのである.次の引用文 に示されている様に,アレックが物質的に罪つぐないすると云うのに対し て

r

もし,その様な物を受け取れば,自分が貴方のおもちゃになってし まいます」と答えるテスの言葉に物質的なもので9 テスの自我を売り渡す 事が出来ないと云う,テスのはっきりした拒否の態度が表わされている.

1 have said 1 wi11 not take anything more from you

, 

and 1 wi1l  not 1cannot!  1 should be your creature to go on doing that

, 

and 

1 won't!'  (p.  100)  又,アレックのもとから去ろうとするテスを執撒に引き止めようとするア

(8)

テスにおける自我の問題 95  レックに対して,きっぱりと拒絶の態度を示している事も,例え,肉体は けがされようと披女の人間としての精神,自我は決して犯され得ない事を 表わしたものと考えられるし,又次の引用文のテスの言葉にもその事が如 実に示されている.

1 have said so, often.  It  is  true.  1 have never really and truly  loved you

, 

and 1 think 1 never can.'  She added mournfully

, 

'Per‑ haps, of all  things, a lie  on this thing would do the most good to  me now; but 1 have honour enough left

, 

little  as  'tis

, 

not  to  tell  that lie.  If 1 did love you 1 may have the best 0' causes for letting  you know it.  But 1 don't.'  (p.  101)  テスが自我を偽って,アレックに妥協してしまえば,テスにとっては実に 安全な道である事は知り乍ら,その様な嘘を云えないのは人間としての名 誉と誇りがテスの中に大きな位置を占めているからなのである.

しかし,テスの悲しみ苦しみは唯単に身をけがされたと云う,その事の みではなし次の引用文のテスの言葉に見られる様に,人間そのものの弱 さ,無力さに対する悲しみであり,苦しみなのである.

'Tis quite true.  If 1 had gone for  love 0' you, if  1 had evr sincerely loved you

, 

if  1 loved you still

, 

1 should not so loath and hate myself for my weakness as 1 do now!…M y  eyes werdzed by you for a little

, 

and that was all.'  (p. 99)  この人聞の非力さ,無力さに対する悲しみを通して,テスは自分の立場を 弁護し,理解し,共に悲しんで呉れる者がこの世に誰一人として居ない事 を知り,しみじみと孤独感を味わうと同時に,自分の弱さを補い,保護し て呉れ.c存在の必要を痛切に感じるのである.殊にテスに残された唯一の 慰安場所と云える教会は9 人間を罪悪意識で縛仇人聞の自我,人間の生 命を無視するものでしかなし最早人聞の魂の救済場所ではないのである.

テスが再起の生活を求めて訪れる第二の村, トノレポットヘイズ(Talbot‑

(9)

hays)はトラントリッジとは全く違った,凡そ,物質的なものとは縁のな い,精神の充満した世界なのである.又別な云い方をすれば, トラントワ

ッジの村がすべて新しい物ずくめの村,つまり文明社会とすればこのトル ポットへイズは云わば,古い,過去の社会とも云えよう. トラントリッジ の人間達が日曜日には前日の二日酔で寝て過すのと違って,この村では日 曜はそろって教会へ出掛けている点にもその相違が見られる.

この世界の象徴と考えられるクレアとテスは同じ様に,立場こそ違え,

文明社会の人間性喪失,人間の堕落を身をもって経験し,その様な社会へ の失望,嫌悪感から新しい世界を求めて,この村にやって来たのである.

その意味で共通な運命をたどった二人はお互の中に文明社会で見出し得な かったもの,求めて求め得なかったものを見出すのである.つまり,グレ アはテスの中に純真素朴な自然美を,テスはタレアに自分の弱さを補い,

守って呉れる天使としての姿を見出しているのである.従って,テスのグ レアに対する愛情は多分に激情的な,偶像崇拝的な愛情にまで高められる のである.

There was hardly  a touch of  earth  in  her love  for  Clare.  To  her sublime trustfulness he was all  that  goodness  could  be‑knew  all  that a guide

, 

philosophr

and friend should know. She thought  every line in thcontourof his person the perfection of masculine  beauty, his soul the soul of a saint, his intellect that of a seer.  The  wisdom of her love  for  him, as  love, sustained  her  dignity;  she  seemed to be wearing a crown.  The compassion  of  his  love  for  her, as she saw it, made her lift  up her heart to  him in  devotion. 

(p. 249)  テスにとってクレアは救済者であり,指導者であり,聖者なのである.確 にグレアに会う迄のテスは,決して暗闇の世界から脱け出ていた訳ではな し絶えず過去の暗いかげにつきまとわれ9 おびえ乍ら生きていた.この

(10)

テスにおける自我の問題 97  様な時にクレアに会った事は,テスがその暗い過去から救われ,暗闇に光 を見出した如く,自分の生きる道,方向をはっきり悟るのである.その事 は9 テスがブラジルに行ったクレアへの手紙の中で

r

あたしは,あなた から新しい生命の息吹きを吹きこまれて,別の女に生れ変ったのですJ(I  became another woman,五lledfull  of  new life  from you.  p.  434) 云う言葉にも,はっきり表わされている.成る程,このクレアに関しては,

種々の批評家から,凡そ,テスにふさわしくない男性であるとか,余りに も男性中心的なエゴイストであるとか云われているが,しかし問題なのは,

クレア云々ではなくて,このテス自身のクレアに対するラひたすら信じて 疑わない態度なのである.その態度こそ,懐疑,不信の文明社会に見られ ない面であり,テスの自我の特質と云えよう.更に,この事は結婚式の夜,

クレアが以前ロンドンで素性も知れぬ女性と関係をもった事をテスに告 白し,又テスはアレックとの関係を告白した時の二人の反応の相違にはっ きり示されている.このテスの告白を聞いて,クレアがあく迄,自己本位 的な,男性中心的な倫理観から,テスの過去を受け取り,テスの本質的な ものさえ疑うのに反して,テスはクレアの非難の言葉に唯受身一方で,何 んら抗弁もせず,その仕打ちを恨みもしないのである.この様なテスの受 動的態度は男性中心の道徳観への屈従であり,社会的因襲への妥協を示し たものであると考えられがちであるが,その様な解釈は正当なものとは云 えないであろう.と云うのは,この様なテスに対するクレアの因襲的態度 こそ,次の引用文に見られる様に,自分を疑う前に他を疑い,ひたすら自 己の欲望のみを追求しようとする現代社会の一面を表わすものであり,そ れに反してテスのすべてを自分の故とし,他を信じて止まない態度は,決 してこの様な懐疑と自己中心的な社会に妥協出来ないテスの自我を表わし たものと云えるからである.

But Tess did not think of this; she  took  everything  as  her  de‑ serts

, 

and hardly opened her mouth.  The firmness of her devotion 

(11)

to him was indeed almost pitiful;  quick‑tempered as  she naturally  was, nothing that he could say made her unseemly; sh soughtnot  her own; was not provoked; thought no evil  of  his  treatment of  her.  She might just  now have been Apostolic Charity herself  re‑ turned to  a self‑sekingmodern world.  (pp. 310‑‑H)  しかし,クレアと別れたテスはグレアを信じ愛するが故に受難と忍従の生 活を送らねばならないのであり,最早自分を守って呉れる天使のいないテ スは当然,誘惑と危険に身をさらす事になるのである.次の引用文の如く,

テスの忍耐のみがこの受難のテスに残された唯一の支えなのである,

But Tess set to work.  Patience, that blending of  moral courage  with physical timidity, was now no longer a minor feature in  Mrs. 

Angel Clare; and it  sustained her.  (p.  365)  従って,最後にテスがアレックの好計に落入ってしまう事は,このテスの 忍耐の限界を示したものであり,又アレックを遂に殺害する事は重苦しい 肉の生活,唯物主義的な生活への最後の抵抗であり,自我を見失いかけて いたテスの唯一の生きる道であったと考えられよう.アレックとの同岩生 活によってテスが「生ある意志、から切り離された方向へただよい流されて いる屍と化していた」事は,如何にテスが精神的存在であるかを示してい ると同時に,肉の生活,唯物主義の生活がテスにとっては死を意味してい た事を物語っている.

But he had a vague consciousness  of  one  thing

, 

though  it  was  not clear to him till  later;  that  his  original  Tess  had  spiritual1y  ceased to  recognize the  body before  him as  hers‑allowing  it  to  drift, like a corpse upon the current, in a direction dissociated from  i ts 1i ving wil .l (pp. 49192)  その意味で,このアレッグ殺害は,同時にテスの復活なのであって,テス の殺人と云う事よりは,あく迄人間的存在としての生命を全うしようとし

(12)

テスにおける自我の問題 99  たテスの精神力こそ,注目すべき事なのである.

しかし,更に見逃してならない事は再びテスを死の世界から生の世界へ 救い出したのはクレアである事なのである.その事は「貴方を見た時,ア レックを殺しても,貴方を取り戻さなければと云う考えが明るい光の様に あたしの心にかがやきましたJ ('  It  came to  me as  a shining light  that  I should get you back that way.' p.  500) と云うテスの言葉にも示され ている.確にクレアは欠点のある男性ではあるが,最後迄テスの自我を守 る guardianangelの役目を果していると云えよう.

その後,テスはクレアとの許しと和解の完全な至福と云う,彼女の幾多 の苦難を経て達した,この世での最大の幸福感にひたるのである.しかし その幸福感は,唯単にクレアとの再会,和解のためでなく,次の引用文の 如く,テスの自我を常に屈伏さぜようとする暗閣の世界で,最後迄自我を 守り通した事によって,テスの真の弁護者であり,救済者であるクレアを 完全に取り戻した幸福感なのである.

To her he was, as  of old, all  that was perfection, personally and  mentally.  He was sti1l her Antinous

, 

her Apollo even; his  sickly  face was bautifulas  the morning of her affectionate regard on this  day no less  than when she五rstbeheld him; for was it  not the face  of the one man on earth who had loved her purely

, 

and who had  belivedin her as pure.  (p. 501)  このようなクレアとの完全な合体と調和の境地を見出した後,更にテスは 古代民族の太陽崇拝の遺跡であるストーンヘンジ (Stonehendge)で,宇 宙の提との完全な調和を見出すのでゐる.これ迄,絶えず過去の忌まわし い亡霊を避け乍ら9 転々として逃げ廻って来たテスが「どうせ来るべきも のは来るのだJ(' What must come wil1 come.' p.  507)と云う境地に達 し,ストーンヘンジの「いけにえの石」に横たわり乍ら 1今,わたしは 自分の故郷へ帰った様な気楽さです」と語り9 動こうとしないテスの態度

(13)

には,古代民族が宇宙のシンボルとも云える太陽を崇め,その淀と調和し た生活を見出していたと同じ様に,宇宙の提にすべてを委ね切った安らか さがうかががえるのである.

On ofmy mother's people was a shepherd  hereabouts, now 1  think of it.  And you used to  say at Talbothays that 1 was a hea‑ then.  So now 1 am at  home.' 

He knelt  down beside  her  outstretched  form

, 

and put his  lips  llpon hers. 

Sleepy are you, dear?  1 think you are lying on an altar.'  ゴlike  very much to be here ',she murmured.  'It is  so  solemn  and lonely‑after my great happiness‑with  nothing  but  the  sky  above my face… (p. 511)  以前から宇宙の万物にひそむ霊を恐れ,又慰められていたテスが,背を大 地につけ,頭上に大空をあおぎ見乍ら,横たわっている姿は最後迄,宇宙 の提に従い,順応して来た事を示していると同時に,受難の中にも,常に 自我を守り続け,遂に自我の充足, fulfilmentに達した事を示していると 考えられよう.そこには社会に対する恐怖も,死の恐怖もすべて超越し切

った境地が見られるのである.

又,最後にテスを捕えに来た捕吏達に向って

r

さあ,参りましょう」

(1 am ready.' p.  514)と云うテスの言葉に,云わば人生の戦いを終えた 人間の落着きと威厳が感じられるのである.

この後,テスは処刑され,短い一生を終るのであるが,次の引用文に述 べられている如く,人生の大きさはその生涯が占めた外見的な幅や時間に よって客観的に計られるものではなしその主観的な経験に基づくものな のである.

Many bsidesAngel have learnt  that  the  magnitude  of  lives  is  not as to  their  external  displacments

but  as  to  their  subjective 

(14)

テスにおける自我の問題 101  experiences.  The impressionable peasant leads a larger

, 

ful1er

, 

more  dramatic life  than the pachydermatous king.  (p. 200)  その意味からして,テスが短命であった事には何んら意味はないのであっ て,テスが自我を押しつぶそうとする力に最後迄,屈せず,人間としての 威厳と勇気を保ち続け,人間が唯単なる物質的存在ではなしあく迄精神 的存在である事を身をもって示した事に大きな意味が存在するのである.

又その点にこの作品のもつ特質と価値があると云えよう.当時十九世紀の 作家,殊にディッケンズ9 サッカレイ,エリオット等があく迄社会の一員 としての人聞を描いて満足していたのに反して, ハーディが社会の out‑ siderとしての人間, 宇宙における存在としての人聞を描いた事にハーデ

ィの偉大さがあると同時に,現代文学において,自我の喪失の問題が主要 なテーマとなっている事から考えれば,現代文学の先駆者ハーディの意義 は大きく評価されるべきであろう.

一一この論文は日本ハーデイ協会第七回大会(19641121日,於同志社女子大 学〉における iTe回に於ける Selfについて」の発表論文を一部修正したもの である一一

1)  以下Tessに関しての引用は, T. Hardy, Tess 0/ the D'Urbervilles, London,  Macmi1lan Co., Ltd., 1950.による.

2)  T. Hardy, Late Ly'csand Earlier, London, Macmillan Co., Ltd., 1928,  p. XIV. 

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