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著者 高木 修, 福岡 欣治

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Academic year: 2021

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全文

(1)

阪神・淡路大震災における被災者をとりまく援助ネ ットワ‑ク : 親戚・知人の役割を中心にして

その他のタイトル Helping networks of refugees in the Great Hanshin‑Awaji Earthquake : The role of their relatives and friends

著者 高木 修, 福岡 欣治

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 27

号 3

ページ 57‑106

発行年 1996‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00022507

(2)

阪神・淡路大震災における被災者をとりまく援助ネットワーク

ー親戚・知人の役割を中心にして一

高 木 修•福岡欣治

Helping networks of refugees in the Great Hanshin‑A waji Earthquake :  the role of their relatives and friends 

Osamu TAKAGI, 

oshiharu FUKUOKA 

Abstract 

The  Great  Hanshin‑Awai i Earthquake that  occurred on January 17th,  1995,  has  seriously disrupted the  Lives  of  residents  in  the  areas  in and around  South  Hyogo.  As  a part  of  reports  on  "helping activities in  the disaster‑

stricken areas",  this  study focuses  on  the  helping  role of  the  refugees'  relatives  and  friends,  based on  the  surveys  conducted  in  the middle of  March  and April  in  1995,  in  7 shelters  at  Higashinada‑ward  in  Kobe  city  and  one  in  Ashiya  city. 

The  main  results  showed  that  many  of  the  refugees  received  emergency  help  from their  relatives and/or friends within one week after  the disaster.  They  also seemed  to  feel  some  indebtedness  to the  helpers.  Although  the  refugees  helped erch  other and  created  new  relationships  in  shelters,  they didn't  have  clear  perspectives on their future because of  the severe  damage  caused  by  the  disaster.  They were not  in  good  condition at  all  psychologically, which  indicates  the  need  to  improve  their situation. 

The  role  and  the  responsibility of  social psychologists to aid the victims  of  the  earthquake were  discussed,  along with  the  limitation  that  might  be  inherent  in  this  study. 

Key words: the Great Hanshin‑Awaji Earthquake, victims, relatives, friends, informal helping  networks 

要 約

1995

1

17

日に発生した阪神・淡路大震災は,兵庫県南部を中心に甚大な被害をもたらした。本 研究は「被災地における援助活動」に関する報告の一部として, 3月中旬と 4月中旬にそれぞれ神戸 市東灘区の

7

避難所と芦屋市の

1

避難所で実施された面接調査の結果に基づき,被災者の親戚や友 人・知人の果たしてきた役割に焦点をあてる。

被災者の多くは地震後すみやかに親戚や友人,知人から何らかの援助を受けていたが,同時に彼ら に対してある種の心理的な負債感を抱いていた。被災者は互いに助け合い避難所で新たな対人関係を 作り上げていたが,地震による大きな傷跡のために今後の生活に対しては明確な展望を持ち得ず,心 理的にも不健康な状態に陥っていた。これらは,被災者を取りまく厳しい状況の改善に目を向ける必 要性を如実に示すものであった。

被災者を支援すべき社会心理学者の役割と責任が,調査がはらんでいたかもしれない限界とともに 考察された。

キーワード:阪神・淡路大霧災,被災者,親戚,知人,援助ネットワーク

(3)

問 題

1995

1

月1

7

日午前

5

46

分に兵庫県南部で発生した大地震は,阪神・淡路地域を中心とし て甚大な被害をもたらした。このいわゆる「阪神・淡路大震災」による死者数は,関連死を含 めると

6,308

名に上り,住宅被害は全壊が

100,302

棟,半壊が

108,741

棟,一部損壊が

227,373

棟 , 合計

436,416

棟を数えた(同年

12

月2

7

日,消防庁調べ)。都市直下型の大地震であったがゆえに,

その発生直後から水道,電気,ガス,鉄道を中心とする交通網などのライフラインが寸断され,

近代的な都市としての機能が完全にマヒする事態となった。こうした中で,居住していた家屋 が倒壊あるいは損壊した多くの被災者は,学校や公民館などに設置された避難所,あるいは公 園等での,極めて不自由な生活を余儀なくされることになった。その数は地震

2

日後の

1995

1

月1

9

日で

275,000

人を超え(神戸市災害対策本部調べ),最も多い時では

310,000

人にも上って いたとされている。

極めて多数の被災者がこうした未曾有の被害に遭っていたにもかかわらず,彼らに対する政 府,自治体といった公的機関の対応は,極めて不充分なものであったと言われている。しかし,

これは,地震の惹起した緊急事態が予想をはるかに超えるものであり,従来の行政の危機管理 能力ではとても処理できなかったことにもよるのである。自らも同じように被災者である地元 の少なからぬ行政職員は,十分な災害対策の業務遂行マニュアルもないままに,一般市民であ る他の被災者を支援するために奔走していた。しかし,実際のところ公的機関の対応は遅れ,

被災者の要求を満たすものではなかった。地震直後の救助活動の遅れや,その後数日間に及ぶ 主要幹線道路の渋滞による医療班の派遣や救援物資搬送の遅れによって,地震のもたらした被 害の少なくとも一部分は,人為的な問題によって生じた,いわば「人災」であるとさえ言われ ている。

公的機関の対応が遅れる一方で,今回の震災ではこれまでの自然災害ではみられなかった形 態の援助活動が展開された。それは,いわゆる ボランティア の活躍であった。地震発生の 直後から多数のボランティアが,被災者を支援しようとして現地に入っていた。特に今回の震 災で特徴的であったのは,従来から存在していたボランティア組織の活動以上に,震災以前に はとりたててボランティア経験をもっていなかった一般の人々の活躍であった。彼らは地震に よる被害の大きさと多くの被災者の存在を知ることによって,文字どおり自らの意思で現地に はせ参じて被災者のために活動した。

もちろん,震災の被害に対処し,困難な状況から被災者が立ち直るのを支援しようという活

動は,こうした外部ボランティアによってのみ担われていたわけではなかった。地震発生の直

後から,お互いの身の安全を確保し生活を維持していくために,多くの被災者が助け合う姿が

あった。それは時に被災者相互のインフォーマルなネットワークの形をとり,また時には被災

(4)

者が他の多くの被災者を支援する,という「被災者ボランティア」の形をとるものであった。

さらに,震災前から被災者とつながりのあった親戚や知人が,あるいは会社の同僚が,被災者 の安否を気遣って連絡を取り合い,時に必要な物資や金銭の援助を行う,といった活動がみら れた。その他,後手にまわりしばしば非難されながらも政府,自治体による公的な援助が始ま り,さらには間接的なものとして企業による物的・人的資源の組織的な提供も行われた。こう した被災者をとりまく様々な援助のネットワークは,

Figure1

のように要約することができる であろう。

公的機関・企業など

被災者 ◄ ► 被災者

各種ボランティア 親類・知人

Figure 1 

被災者をとりまく援助ネットワークの模式図

しかし,こうした援助のネットワークは,必ずしもスムーズに機能して効果を上げていたわ けではなかった。特に地震の発生から

1

週間,

2

週間と時間が経過し,避難生活が長引いてい くにつれて,当初とは異なる問題が指摘されるようになった。その最も大きなものの一つが,

今回注目された外部ボランティアをはじめとする多くの援助者と,そこからの援助を受けつつ 自らの生活を立て直し自立していこうとする被災者との間の相互関係に関わる問題であった。

地震発生の直後は,まずは被災者の生命の安全を確保し,衣・食・住に必要な最低限度の物 資をいかに速やかに提供するかが最優先されるべき課題であった。毛布や衣類,そして,水に パンやおにぎりといった食料などが避難所に運び込まれた。また,仮設のトイレや電話や炊事 場が設置されたりして,急場をしのぐための応急措置がとられていった。しかし,生存のため の必要最低限の物資が確保できるようになると,次にはその質が問われるようになる。また,

時間の経過とともに,被害の実態が明らかになってくると,個々の被災者が抱える問題の個別 性も徐々に顕在化してきて,彼らへのきめ細かな対応が必要になるのである。

しかし,援助行動研究の知見を引き合いに出すまでもなく,「人を助ける」こと,「人の役に

(5)

立つ」ことは決して簡単なことではない。ましてやそれが長期化していく場合,また援助者と 被援助者がともに複数である場合には,お互いの動機や要求の調整,あるいは円滑なコミュニ ケーションを含む様々な問題が生じてくるのである。とりわけ被災地以外からかけつけたボラ ンティアにとっては,個々の被災者が抱える様々な要求を正確に把握し,それぞれに適切に対 応することは容易なことでない。そしてまた,ボランティア自身もそれぞれに固有の動機や意 向をもって活動しているのであり,今回のように活動経験のない多くの外部ボランティアが組 織ボランティアや被災者ボランティアとともに活動する場合には,動機や意向を調整すること が困難になってくる。このように,地震発生後の時間経過につれて事態が推移し,それととも に変化する被災者の多様で個別的な要求と,被災者を支援すべく活動しようとする人たちの気 持ちとが必ずしも一致しない事態,すなわち 被災者側の援助要求と,外部ボランティアをは じめとする援助者側の活動意向とのずれ という問題が指摘されるようになってきたのである。

こうした問題状況を解決するためには, 1) 外部ボランティアをはじめとする援助者は,ど のような動機をもって援助活動に参加し,これまでどのような援助を行い,これから何をした いと望んでいるのか,

2)

被災者は様々な援助活動をどのように認知・評価しており,また様々 な援助者に対して今後何を期待しているのか,を明らかにすることが必要であると判断された。

そして,これらの問題への社会心理学的なアプローチは,被災者の現状と援助活動の実態を把 握することのみならず,今後の復興に向けた取り組みを,より円滑に,より効果的に進める上 で役に立つ実際的な知見を提供することができる,と期待された。

そこで第

1

筆者の高木は,主宰する社会心理学研究室の関係者とともに,これまでの援助行 動研究の蓄積をふまえて,以下のような

2

つの目的をもって被災地におもむき,調査を通じた 支援活動に従事することを計画した。その第

1

の目的とは,直接的。短期的なものとして,被 災者とボランティアの双方を対象に上記の問題を明らかにすべく調査を実施し,その結果をで きるだけ速やかに各避難所の代表者やボランティア・リーダーにフィードバックし,以後のボ ランティアと被災者との対応や援助の取り組みにそれらを活かしてもらうことであった。そし て第

2

の目的は,間接的・長期的なものとして,震災からの復興の過程の中で,避難所におけ る様々な援助活動の現状とその推移を,援助者としての各種のボランティアと,その受け手で あり復興の主役である被災者の双方の視点からとらえ,将来の災害対策にとって示唆的な資料 を提供することであった。

上記のような問題設定のもとで,方法論としては半構造化された個別の面接法を採用し,地 震後約

1

ヶ月,

2

ヶ月,

3

ヶ月の各時点において,神戸市東灘区(最も被害が大きい地区の一 つであり,関連死を含めた死者の数は

1,455

名と神戸市内の各区では最高であった)を中心とす る計

9

カ所の避難所を訪れ,被災者とボランティアの双方に対する聞き取り調査をおこなった。

なお,この調査の結果については,当初の計画通り,直接的・短期的な目的に照らして,各調

査の約

20

日後にそれぞれの要旨を各避難所にフィードバックしている。さらに,その間接的。

(6)

長期的な目的から,被災者を対象とする調査の概略,及び避難所生活において被災者が経験し た問題とそれへの対処,ボランティアを中心とした援助ならびに被災者相互の自助的活動に関 する被災者の認知,感想・評価,要望等については高木・田中

(1995)

において,またボラン ティアを対象とした調査結果の全貌については高木・玉木

(1995)

において,既に報告されて いる。

本稿は,これら

2

つの報告に引き続き,被災者を対象におこなった「被災地における援助活 動」調査の結果のうち,特に,被災者が震災前に彼らの親戚,知人,近隣の人たちとの間で形 成していたインフォーマルな対人関係が果たしてきた役割に焦点を当てようとするものであ る。具体的には,地震発生の 2 ヶ月後に行われた第 2 回及び 3 ヶ月後に行われた第 3 回の調査 における 親戚・知人からの援助 に関する質問への回答を中心に,震災前の地域における自 治会活動や地震が発生してから避難所に避難するまでに得た情報の源泉,避難行動,避難所内 での対人的なつながりについて,またさらに,それらを踏まえた上で,被災者の今後の生活に 対する展望,不安や健康状態について報告する。

なお,既に記したように,この調査は当初「ボランティアを中心とする援助者の援助意向と その受け手としての被災者の被援助要求とのずれ」という問題にアプローチすべく計画され,

開始されたものであった。そのため,地震発生の 1ヶ月後に行われた第 1回の調査では,こう したインフォーマルな関係からの援助が見ず知らずのボランティアからの援助と特に区別され ず,したがってそれに関する直接の質問項目は設けられなかった。しかし,被災者の被援助要 求を把握し,彼らの立ち直りに寄与するよりよい支援のあり方を考えていく上では,被災者を とりまく援助ネットワークをできるだけ広い視点から多面的に捉えていく必要があり,また,

そのことが,第

1

回調査の結果からも痛感された。そこで,第

2

回,第

3

回の調査では,親戚 や知人との援助関係についても別個に把握することにした。なお,親戚や友人,知人といった 関係からの援助が個人の安寧

(wellbeing)

に果たす役割は,ソーシャル・サポート

(social support)

の概念のもと,社会心理学や健康心理学の分野で近年大いに注目を集めており(例え

CohenSyme, 1985; Jung, 1987 ; 

浦 ,

1994),

被災者の置かれている状況を多少とも改善 していく上で,こうした関係からの援助は無視できないものと思われる。事実,自然災害によ ってもたらされる状況を一種のストレス事態と捉え,災害後の心理的・身体的な症状の緩和に 果たすソーシャル・サポートの役割や災害前後におけるサポート関係そのものの変化を調べた 先行研究が,既に幾つか行われている(例えば

CookBickman, 1990 ; Freedy, Shaw, Jarrell, 

Masters, 1992 ; Kaniasty & Norris, 1993)

。本稿は,こうした問題意識のもとで第

2'

3

調査において特に含められたいくつかの質問項目に対する回答から,震災前後における被災 者の親戚,友人・知人,近隣の人たちとのインフォーマルな対人関係の役割について報告しよ

うとするものである。

(7)

方 法

1)

調査期日

本稿の分析対象となった質問は,地震発生から約

2

ヶ月後である

1995

3

13 15

日の

3

日 間に実施された第

2

回調査(以後

3

月調査と記す)と,約

3

ヶ月後である同

4

13, 14

日の

2

日間に実施された第 3回調査(以後 4月調査と記す)とにおいてなされた。なお,調査は各日 とも

10:00

から

16:30

頃までの間に行われた。

2)

調査地点

3

月調査,

4

月調査とも,調査地点として,神戸市東灘区の

7

避難所,及び隣接する芦屋市 の

1

避難所の合計

8

避難所を設定した。具体的には,御影小学校,御影中学校,本山南中学校,

本山第二小学校,神戸商船大学,神戸商船大学白鴎寮,本山第三小学校,芦屋青少年センター の

8

地点であった。なお,両調査に先だって行われた第

1

回の調査

(2

1315, 17

日,以下 2月調査とする)では東灘小学校も調査地点に含まれていたが, 3月及び 4月の時点での調査 実施の了解が当避難所の本部から得られず,被災者への聞き取りはおこなわれなかった。

ところで,調査地点の選定の経緯をここで簡単に説明しておく。これらの調査地点は,いず れも

2

月調査の段階で選定されたものであるが,その直前の

2

月上旬の時点では,極めて多数 の公的,私的な避難場所が存在し,それぞれの地点における被災者やボランティアの人数を正 確に把握することは非常に困難であった(一部パソコン通信による情報が利用可能であった)。

また現地に至る交通網,とりわけ鉄道は,当時は分断されたままでほとんど復旧していなかっ た。さて,調査地点の選定に当たっては,ボランティアと被災者の両方を対象とする調査であ るから両者が相当数存在していること,調査員の人数が少ない上に

1

日に複数の避難所を訪れ る必要があるため移動が比較的容易であること,復旧状況が悪い鉄道を利用しても日帰りの調 査が実施できること(大阪からの直通では阪神電鉄の御影駅が最西端であった),被災者への調 査の影響を配慮して既に他の調査が行われていた避難所を対象から除外すること,などを考慮 する必要があった。そこで,

1)

事前の情報で避難者の総数が

300

名を超えているとされる比較 的大規模な避難所であること, 2)相当数のボランティアが活動していること, 3)日帰りの調 査が可能であること,を基本的な

3

条件として,神戸市東灘区を中心に幾つかの候補地を選定 した。そして,各避難所の本部を訪れ,現地で改めてそこでの状況を把握し,調査が必要であ るか,また可能であるかなどを確認した上で実施する,という方針で現地におもむき,結果的 に上記の避難所で調査が実施されたのである。

3)

調査対象

各避難所で生活している被災者を対象とした。被調査者の人数は,

3

月調査の場合には

62

(男性

21

名,女性

41

名 ) ,

4

月調査では

46

名(男性

19

名,女性

27

名)であった。なお,被調査者

(8)

の年齢構成等の詳細については高木・田中

(1995)

を参照されたい。

4)

調査員の構成

3

月調査では

5

名 ,

4

月調査では

8

名であり,いずれも社会心理学を専攻し援助行動研究に ついての知識をもつ大学院生ないし教員であった。調査員は全て,事前に質問の意味や方法に 関する研究グループの協議に参加していた。

5)

調査方法

半構造化面接法による個別の聞き取り調査を行った。所要時間は,短い場合で約

30

分,長い 場合には

1

時間

30

分程度であった。

6)

調査内容

本稿では,被災者にとっての震災前後の人的ネットワーク,地震発生後の親戚・知人からの 援助,及び現時点での被災者の今後の生活に対する展望・不安と健康状態,などに関する質問 への回答を分析の対象とした。

Table1

にその内容を示す。なお,これらの質問の提示順序は,

Table 1  本稿で分析対象となった質問内容

1)

被災者の震災後のネットワーク

・震災前の居住地域での自治会活動 自治会活動の有無

活動内容、関わり方

今回の震災にあたって役立ったか

(4

月調査のみ)

・地震発生から避難所に至るまでの情報源、同伴者 避難所についての情報源

(4

月調査のみ)

同伴者(一緒に来た人)の有無、内容

.避難所内での対人的なつながり

避難所での親しい人の有無、内容

(4

月調査では家族以外に限定)

ボランティアとのコミュニケーションの程度 被災者自身による自動的活動への関わり方

2)

親戚・知人からの援助

.援助の有無 (4月調査では地震後 1ヶ月間、及び地震後 2ヶ月目〜調 査時点までの

2

時点に分けて質問)

.援助者、内容、時期(同上)

・援助に対する感想・評価(同上)

.援助の継続性

(3

月調査のみ)

.援助者との震災前のつき合いの程度

その他してほしかった援助

・親戚・知人に対する今後の要望

・ボランティアの減少に伴う変化

(3月調査のみ)

3)

被災者の現状(展望、不安、健康状態)

• 今後に向けての展望

・今後の生活に対する不安

・健康状態

現在の体調(良い/普通/悪い)

個別の身体的・精神的症状の有無

(7

項目)

(9)

ほぼ実際の調査と対応しているが,一部本稿のために改変されている。調査全体での質問の提 示順序については,高木・田中

(1995)

を参照されたい。また,結果の項でも随時触れるが,

3月調査と 4月調査では質問の方法や内容が若干異なっている。

7)

実施手続き

各避難所では,本部で調査実施の許可を得た後,それぞれの調査員が個別に被災者あるいは ボランティアに調査への協力を求め,了承を得てから面接に入った。なお被調査者の選定にあ たっては,可能な限り多様な年代層の人を対象にするよう留意したが,当時の状況ではランダ ムサンプリング等は事実上不可能であり,訪問時点の避難所で面接可能と思われる人を任意に 選び協力を求める,という形式をとらざるを得なかった。なお,被調査者の了承が得られた場 合に限り,面接内容を小型のテープレコーダーで録音した。その日の調査が終了した段階で全 ての調査員が集合し,実施上の問題点や感想等について話し合う時間を設け,質問の意図が被 調査者に十分理解されていることを確認しながら調査を継続した。

結 果 と 考 察

半構造化面接により得られた回答を整理・分析するために,筆者の

2

名を含む研究者グルー プが数度にわたり協議を重ね,適当な内容・数のカテゴリーを設定した。以下では,それらに 基づく結果を順次記述し,主なものについては図表に示す。なお,本稿の分析対象となった全 ての質問に対する回答についての単純集計の結果は,本文中で詳しく触れられないものも含め て

Appendix

に示しているので参照されたい。

1)

被災者の震災前後の人的ネットワーク

震災前の地域での自治会活動

3

月調査では,震災前に居住地域で何らかの自治会活動が行われていたと答えた人は約半数

(30

名 ,

30/62=48.4%)

にとどまっており,たとえ活動があってもそれほど活発ではなかった とする人が多かった。しかも,何らかの形で活動に関わっていたと答えた人はその半数にすぎ ず,積極的に関わっていた人はさらに少数

(9

名 ,

/30=30.0%)

であった

(Figure2)

この傾向は

4

月調査でも同様であり,地域で何らかの自治会活動があったと答えた人は半分 程度

(25

名 ,

25/46=54.3%)

であった。そして,活動があってもその内容については「よくわ からない」とする人が半数近くを占めていた。さらに,活動に自ら関わっていたと答えた人は そのうちの

3

割強

(8

名 ,

/25=32.0%)

で,既存の自治会活動が今回の震災において役立っ たとした人はわずかに

3

(3/25=12.0%)

でしかなかった

(Figure3)

神戸市東灘区や芦屋市のような都市部においても,地域社会の基幹的活動である自治会活動

(10)

が,一般的に都市について指摘されているのと同様に形骸化し,住民にとって重要なものとし て詔識されず,ましてや関わりの対象となっていなかったことが調査結果に示されている。現 実には,避難所の対策本部に自治会役員が加わって活躍したり,町内の防犯組織が避難後の町 内の見回りをしたり,避難時の住民の所在確認を自治会が行うなどの貢献の指摘があるが,そ れらを評価する人は非常に少ないのである。

自治会活 動の有無

活動への 関与

ぁった

■ 

なかった

園ゎからない

無 回 答

20  40  60 

積極的に関わっていた

l

関わっていたが積極的ではなかった

80 

l

関わっていなかった

無回答

Figure 2 

100 

 

自治会活動の有無と活動があった場合の自らの関与

(3

月調査)

50 

自治会活 動の有無

活動への 関与

■ 

あった

111

なかった

圃ゎからない

無 回 答

20  40  60  80  100 

 

関わっていた

園関わっていなかった

無回答

50  1 0 0

⑱ 

Figure 3  自治会活動の有無と活動があった場合の自らの関与 (4月調査)

(11)

地震発生から避難所に至るまでの情報源,同伴者

被災者は地震後,避難すべきかどうか,するならどこに避難すべきかなどについての情報を 必要としていた。 4月調査では,そのような情報の源泉として,家族・親族を挙げた人 (8名 ,

/46=17.4%)

よりも,近所の人を挙げた人の方が多かった

(15

名 ,

15/46=32.6%)

。両者を 加えると全体の半数になるが,これらの人は,こうしたインフォーマルな対人関係から避難所 などについての情報を得ていたことになる

(Figure4)

20  40  60  80 

近所の人など家族・親戚以外の他者

家族・親戚

ロ特定の情報源なし(自分の判断等)

事前の情報(指定されていた等)

( % )  

1 0 0 ~

Figure 4  避難所についての情報源 (4 月調査)

避難所へ避難したときに同伴した者(一緒に来た人)の有無については,

3

月調査によると,

被災者の大半

(58

名 ,

58/62= 93. 5%)

が誰かと一緒に避難所に来ており,一人で避難した人は

4

名しかいなかった。一方,誰と一緒に避難したかを見ると,家族・親戚と一緒に避難したと 答えた人

(45

名 ,

45/58=77.6%)

が多数を占めており,家族と近所の人と

(7

名 ,

/58=12.1 

%), 

あるいは近所の人と

(5

名 ,

/58=8.6%)

避難した人は,それほど多くなかった

(Figure 5)

また

4

月調査でも同様に,誰かと一緒に避難した人が多数を占めていた

(36

名 ,

36/46=78.3

%)。内容的には,

3

月調査と同じく,

4

分の

3

の人

(27

名 ,

27/36=75.0%)

が家族を挙げて いた

(Figure6)

。なお,一人で避難した人の割合

(10

名 ,

10/46=21.7%)

3

月調査に比べ

避 難 所 へ の 同

他の人と一緒に来た

伴 者 の 有 無 一人で来た

20  40  60  80  100 

 

日 家 族 親 戚

誰と一緒に 家族及ぴ近所の人

来たか 圃近所の人

20  40  60  80  100 

 

I

仕事の同僚

Figure 5  避難所への同伴者(一緒に来た人)の有無と同伴者がある場合の内容 (3 月調査)

(12)

避難所への同

I他の人と一緒に来た

伴者の有無

―人で来た

20  40  60  80  100 (%) 

誰と一緒に

p

. 

麗圃家族(夫,妻を含む)家族及び近所の人

来たか

圃 近 所 の 人

20  40  60  80  100   1圃職場の同僚

Figure 6 

避難所への同伴者(一緒に来た人)の有無と同伴者がある場合の内容 (4月調査)

親しい人 の有無

親しい人 は誰か

20  40  60 

■ 親しい人がいる

111親しい人はいない

80  100 

 

ti/¥

曹 ? < ? : / :

̲̲ 

I—冒

避難所で親しくなった人

Ill近所の人 .  家族・親戚 圃 そ の 他 20  40  Go  so  100 

I

■ 

無回答

(%) 

Figure 7 

避難所内での親しい人の有無と親しい人がいる場合のその内容

(3

月調査)

て多い。これは,家族や親族と避難した人がこの頃には徐々に避難所から他所に移りだし,単 身者と推定される彼らが取り残されて,割合が増えているのかもしれない。

避難所内での対人的なつながり

避難所内で親しくしている人の有無について見ると, 3月調査では,ほとんどの人 (58 58/62=93.5%)が避難所内に親しい人がいるが, 4名はそのような人が誰もいないと答えてい

る。ところで,その親しい人はどのような人であるかについて尋ねたところ,その多くは「近 所の人」または「避難所で新たに親しくなった人」(共に23名,各23/58= 40. 0%)であった。

そして,親戚,友人や知人,職場の同僚などを挙げる人は少なかった (Figure7)

4

月調査では,

3

月調査で家族を挙げる人が少数ながらみられたため,家族以外に絞って同

(13)

じ質問を行った。ここでもはやり,親しい人がいると答えた人が多数を占めていたが, 3 月調 査と比べるとかなり少なくなり

(35

名 ,

35/46=76.1%),

親しい人は誰もいないとする人が

11

(11/46=23.9%)

もいた。時間の経過とともに被災者間の関係も親密になっていくことが予 想されるのに,逆に,親しい人がいない人の割合が増加しており,ここから,孤独な人が避難 所に取り残され,事態が一層深刻になっていく様子がうかがえる。さて,親しい相手であるが,

4

月調査では,「避難所で新たに知り合った人」

(22

名 ,

22/46=62.9%)

が過半数を占めていた

(Figure 8)

3

月調査では同程度であった近所の人の割合は減少しており,以前の知り合いが それぞれバラバラになっていく状況が想像される。

親しい人 の有無

p

.  親しい人砂る 親しい人はいない

20  40  60  80  100 

(%) 

避難所で親しくなった人 親しい人

I■ 

以前からの知り合い・近所の人

は誰か 圃 そ の 他

20  40  60  80  100 

 

Ill

無回答

F i g u r e  8  避難所内での親しい人の有無と親しい人がいる場合のその内容

(4

月調査)

ボランティアとのコミュニケーション

ボランティアとのコミュニケーションの程度については,あらかじめ

4

つのカテゴリー(よ く話をする,時々話をする,あいさつ程度,話をすることはない)を定めておき,被調査者の 回答に応じてその都度いずれかに分類するという形式をとった。よく話をする人と時々話をす る人とを加えて,少なくともボランティアと何かの話をする人の割合を見ると, 3月調査では,

3月調査

■ 

ょく話をする

l

時々話をする

圃ぁいさつ程度 圃 な い

■ 

無回答

20  40  60  80  1 0 0

⑱  

Figure 9  ボランティアとのコミュニケーションの程度

(14)

4

割ほど

(25

名 ,

25/62= 40. 3%)

であるが,

4

月調査では

3

割弱

(13

名 ,

13/46=28.3%)

に 減少している

(Figure9)

。避難所の中での援助関係を通じて,お互いが徐々に馴染んでいき,

会話も増えると予想されたが,逆に減ってきている。これは,時間の経過とともに被災者のお かれている状況が益々厳しくなってきていることと,それとも関わって被災者が援助を単純に は受け取っていないことを暗示しているように思われる。

被災者の自助的活動への関与

被災者の自助的活動への関与が時期によって異なることが予想されたので, 3 月調査では,

地震後数日間,

1

ヶ月後までの間,

1

ヶ月後から

2

ヶ月後までの間に分けて質問を行ったが,

結果には差がなく,いずれの時期でも半数余りの人(約

50 60%)

が関与していたと答えてい た

(FigurelO)

。なお,無回答が各時期とも

25%

程度もあったが,これは,多くの被災者がお互 いに助け合っている中で,自分は関与していないと答えにくかったためではないかと思われる。

これに比して,

4

月調査では,自助的活動に何らかの形で関わっていると答えた人が大半を 占めていた

(37

名 ,

37/46=82.2%)

。なお,その中の多数

(33

名 ,

33/37=89.2%)

は,当番な ど決められたことへの参加・協力という形をとるものであった

(Figurell)

地震数日後

地震

1

ヵ月後

■ 

関わっていた

Ill

関わっていなかった 圃 無 回 答

地震

2

ヵ月後(調査

20 

Figure10  被災者の自助的活動への関与 (3月調査)

40  60 

80 

4 月調査時点

20 

40  60 

80 

0

)  

0% 

1 (  

積極的に関わっている

II

協カ・当番への参加 圃関わっていない

Figure11  被災者の自助的活動への関与 (4月調査)

(15)

2)

親戚。知人からの援助

援助の有無

3

月調査では,地震発生から

2

ヶ月後の

3

月調査時点までの約

2

ヶ月間に親戚・知人から何 らかの援助があったかどうかについて尋ねた。ほとんどの人

(54

名 ,

54/62=87.1%)

が,この 間に,ィンフォーマルなネットワークの中にある親戚・知人から援助を受けていたが,

1

割余 りの人

(7

名 ,

/62=11.3%)

は,何らの援助も受けていないと答えていた

(Figurel2)

4

月調査では,時期によって援助関係に変化が見られるかどうかを調べるために,地震直後 の

1

ヶ月間と

2

ヶ月目以降

4

月調査時点までとに分けて,親戚・知人からの援助の有無を尋ね た。まず地震後

1

ヶ月間では,援助があったと答えた人が全体の

4

分の

3(35

名 ,

35/46=76.l 

%)に上り,

3

月調査での割合よりも幾分減少しているものの,同様に多数を占めていた。な ぉ,援助がなかったと答えた人の中には,親戚も被災していることを理由に挙げた人が少数い た

(3

名 ,

/46=6.5%)

。これに比して,地震後

2

ヶ月目以降では,援助があったと答えた人 が約

4

(18

名 ,

18/46=39.1%)

と過半数を割り,逆に,援助がなかったと答えた人

(24

名 ,

24/46=56.5%)

の方が多かった。なお,なぜ援助を受けなかったのかの理由としては,自立の 必要性や遠慮を挙げた人が少数ながら見られた

(Figurel3)

これらの結果は,地震後比較的早い時点での援助は,インフォーマルなネットワークとして の親戚や知人などによって担われ,それが徐々にボランティアや行政などによる援助に取って 代わられたことを示唆している。

__~_ ̲JI 

.  なかった

無回答 ぁった

20  100 

 

F i g u r e !  2 

親戚・知人からの援助の有無

(3

月調査)

40  60  80 

﹇ 

地震後

1

ヶ月間

r:;~

受;11;1111~

'.I};11111~

~Ill以~1;

:1111111 

ぁった

Ill

なかった 圃 無 回 答

20  100 

 

Figure13 

親戚・知人からの援助の有無

(4

月調査)

40  60  80 

(16)

援 助 者

援助してくれた人は具体的に誰かを尋ねた。まず,被調査者単位で見ると,

3

月調査では,

援助者として親戚を挙げる人

(26

名 ,

26/54=48.1%)

が半数近くおり,親戚と友人・知人の両 方を挙げる人

(17

名 ,

17/54=31.5%)

もかなりの割合でみられた

(Figurel4)

。つぎに,援助 者単位で見ると,親戚が半数余り

(43

件 ,

43/77=55.8%)を占めていた。友人と知人は同じ割

合(各1

4

名,各

14/77=18.2%)

であったが,それほど多くはなかった

(Figurel5)

20 

親戚

友人・知人

回親戚及び友人・知人

100 

I

□ 

言及なし

 

Figure14 

被調査者単位でみた援助者の内訳

(3

月調査)

40  60  80 

■ 

親戚

■ 

友人

露 知 人 そ の 他

100 

I

言及なし

(%) 

Figure15 

個々の援助単位でみた援助者の内訳(複数回答による:

3

月調査)

20  40  60  80 

4

月調査の場合,地震後の

1

ヶ月間については,

3

月調査とほぼ同様の結果であった。援助 者として親戚を挙げる人

(18

名 ,

18/35=51.4%)

がほぼ半数おり,親戚と友人・知人の両方を 挙げる人

(12

名 ,

12/35=34.3%)

も3 割以上みられた。つぎに個々の援助単位で見ると,親戚 が半数以上

(29

件 ,

29/50= 58. 0%)

を占め,友人

(10

件 ,

10/50= 20. 0%)

と知人

(9

件 ,

/50=18.0%)

がこれに続いていた。これも,

3

月調査とほとんど同じである。さて,地震後

2

ヶ月目以降では,援助があったと答える人の割合が減少しているが,内容的には同様の結果 が得られた。援助者として親戚を挙げる人

(10

名 ,

10/18=55.6%),

友人・知人を挙げる人

(4

名 ,

/18=22.2%), 

親戚と友人・知人の両方を挙げる人

(3

名 ,

/18=16. 7%)

の順であっ た。つぎに個々の援助単位で見ると,親戚が半数余り

(13

件 ,

13/22=59.1%)を占め,幾分友

人の割合が増加しているが,友人

(6

件 ,

/22=27 .3%)

と知人

(2

件 ,

/22=9.1%)がこ

れに続いていた

(Figurel6, Figurel 7)

以上のように,どの時期においても,ィンフォーマルなネットワークを通じた援助は,その

多くが親戚によって行われたようであるが,友人や知人も貢献し,親戚の援助を補完したよう

である。

(17)

.  地震後

l

1

地震後

2

ヶ月目以降

親戚

友人・知人

国親戚及び友人・知人

無回答

20  100 

( % )  

Figure16  被調査者単位でみた援助者の内訳 (4月調査)

40  60 

80 

地震後

1

ヶ月間

地震後

2

ヶ月目以降

親戚

Ill

友人 圏知人その他 口 無 回 答

100 

(%) 

F i g u r e !  7  個々の援助単位でみた援助者の内訳(複数回答による; 4月調査)

20  40  60 

80 

援助内容

親戚や友人・知人が,具体的にはどのような内容の援助を行ってくれたかを尋ねた。まず,

被調査者単位で結果を見ると,

3

月調査では,物質的な援助(食料,水,衣類,風呂,荷物の 保管等)を挙げる人

(22

名 ,

22/54=40.7%)

が最も多く,以下,金銭的援助(見舞金等)

(13 

名 ,

13/54=24.1%),

物質的援助と金銭的援助の両方

(10

名 ,

10/54=18.5%)

の順であった。

なお,避難所を訪問してお悔やみや慰めや勇気づけを行う精神的援助はあまり多くなかった

(Figurel8)

。つぎに,援助内容を個々の援助単位で見ると,物質的な援助が最も多く

(56

件 ,

56/90=62.2%), 

これに金銭的援助

(23

件 ,

23/90=25.6%)

と精神的援助

(11

件 ,

11/90=12 .2 

%)が続いており,やはり物質的援助が主体であったことがうかがえる

(Figurel9)

4

月調査においても,地震後

1

ヶ月間については,

3

月調査時点よりも物質的な援助(食料,

衣類,風呂等)を挙げる人が増加して半数以上となり

(21

名 ,

21/35=60.0%),

物質的援助及

び金銭的援助

(6

名 ,

/35=17.1%)

がそれに続き,精神的援助は少なかった。個々の援助単

位で見ると,物質的援助が

3

月調査よりも多く

(56

件 ,

56/71= 78. 9%), 

これに金銭的援助

(7

件 ,

/71=9.9%)

と精神的援助

(6

件 ,

/71=8.5%)

が少数ながら続いていた。地震直後

であるほど,物質的な援助が必要であったことを,これらの結果は示している。さて,地震後

(18)

= 

20  40  60 

80 

物質的(物資,食料等)

111金銭的(見舞金)

圃避難所への連絡.訪問

物質的及び金銭的援助

I胃勿質的援助及び連絡.訪問 Figure18 

被調査者単位でみた親戚・知人からの援助内容の内訳

(3

月調査)

20  40  60 

80 

1 0 0

⑱ 

物資(不特定)

.  食料 圃 衣 類

.その他生活用品 臨 風 呂 ・ 宿 泊 ・ 洗 濯

圃荷物の搬出・保管 図 鐸 的 ( 見 舞 金 )

1111111避難所への訪問

咳その他

Figure19 

個々の援助単位でみた親戚・知人からの援助内容の内訳(複数回答による:

3

月調査)

2

ヶ月目以降では,何らかの物質的な援助を挙げた人が最も多かったものの

(8

名 ,

8/18=44.4 

%),それに続くのは避難所の訪問・見舞いなどの精神的援助

(6

名 ,

/18=33.4%)

であっ た。個々の援助単位で見ると,この時期では物質的援助がかなり減少し

(12

件 ,

12/21= 57 .1%), 

逆に,精神的援助

(6

件 ,

/21=28.6%)

が増加していた。金銭的援助

(2

件 ,

/21=9.5%) 

の割合は,地震後

1

ヶ月間と同程度であった

(Figure20, 21)

。これらの結果は,見舞金などの 提供を受けた被災者が物質的欠乏の状況をある程度解決した後にインフォーマルなネットワー クの人々に期待していることが精神的な支援である,ということをネットワークの人々がよく 認識していることの反映でもあるように思われる。

なお,個々の援助単位での集計による

Figure21

には,地震後

1

ヶ月間と

2

ヶ月目以降で援助

の内容がどのように推移したかが図示されており,避難所の訪問・見舞いといった精神的援助

の割合が顕著に増加していることがはっきり見て取れる。なお,物質的な援助では,水の提供

が後者の時点では挙げられておらず,ライフラインの回復を反映する結果となっている。

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