T.Hardyの小説における'Nature'の意義
著者 赤木 雅吾
雑誌名 主流
号 33
ページ 1‑32
発行年 1972‑02‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016741
T . Hardy の小説における ' N a t u r e ' の意義
赤 木 雅 ヨ王仁11
Hardyの小説では,殆どの作品に「自然」が姿を現わしている,しかも それは唯単なる背景としてではなし非常に重要な意味と役割をもってい るのである.従って Hardyを論ずる場合9 この「自然Jを無視しては論 じられないと云っても過言ではないであろう.
一般的に云って
r
白然J描写には二種類の方法が考えられる.そのー は「自然」を自に映ずるがままに描写する方法であり9 他の方法は想像力 によって,心に映ずる invisibleな, spiritualな性格,力を「自然」から 読みとり,描写するのである.従って,前者の場合は誰が描いてもそれ程 大差のない,いわゆる客観的「自然Jが描出されるであろうし,後者の場 合には,描く人によって千差万別な9 いわゆる主観的「自然Jとなるであ ろう.H丘rdyの「自然」は後者の主観的「自然」描写である.ほぼ同時代の Wi11iam Wordsworth (1770‑1850) の場合も同様である.しかし,描か れた「自然jそのものは両者とも「自然」が人間を支配する力の根源であ ると見なしている点では共通しているが,本質的な面では可成りの相違が 見られる(それについては後章でふれることにする).
Hardyの「自然」についての一般的概観は D. F. Barber の 'For
g
Thomas Hardy, nature is brutal, lowering dark and menacing.' とい う言葉の如し非情,残酷9 暗黒,冷酷等々の凄まじい言葉が,彼の「自 然」の代名詞となっていることに示されている.更に彼の「自然」につい ての具体的な批評の一般的なものとしては,彼の「自然」が多分に人間の
2 T. Hardyの小説における Nature'の意義
内部のものとしてというよりは,むしろ人聞の外部にあって,人聞を破誠
母
へと導く physical'な存在であると考えられ勝ちであることである.
従って,この小論の目的は,これらの一般的批評を根本的に再検討し乍 ら Hardyの意図する[自然」とは如何なる「自然」でありp その「自 然」がどの様に彼の作品ラ思想、と結びついているかを究明することである.
I
Irving Howeが指摘している様に, Hardyの「自然」は一定の基準に 基づ、いたものではなし untheoretic争'なものである.従って彼の「自然」
は非常に変化があり,広い範囲の意味をもっている。その上に, Hardyは 好んで capital1etterの N旦ture'を使用しているために読者は一層混乱 い誤解するのである.しかし,彼の「自然」を大きく区分すれば1"破 壊的性格をもつもの」と「創造的少建設的性格をもつものJとのこつの性 格に分類する事が可能であろう.ここでは先ず 'nature' という語だけ に限定してヲ彼の小説中に使われている「自然」の意味を検討していくこ
とにする.
創造的,建設的性格をもっ「自然、」
(1) 創造主としての「自然J
この種の「自然Jはしばしば彼の作品中に使われているものである.
a fair product of nature in the feminine kind'9 ,a fresh and
自
virginal daught巴rof nature'等の表現に見られる.
(2) 人間に慈悲を与えるものとしての「自然」
彼の小説が殆ど「自然jと密接な関係をもっ農民を背景にしている ので1"自然Jからの慈悲は当然予期されることであるが,それ程 顕著でははない.
.
. the continuance of this quiet process is throughout its length at the mercy of one particular whim of Nature; D
T. H呂rdyの小説における Nature'の意義 3 Two on a Tower (1882)では次の様な表現が見られる.
ぃ itwas
,
after all,
but Nature's well‑meaning attempt to preserve the honour of her d且ughterセconsciencein the trying quandary to which the conditions of sex had given rise. 8(3) 人間を災いから救う警告者,指導者としての「自然」
これは,広い意味では, (2)の意味に含まれる「自然jである.
Far F7局omthe Madding Crowd (1874)の中で, Gabriel Oakが
fノ グ グ ノγ ノ/
家の戸口でつまずいたひきがえると,更に家の中へ入り込んでいた なめ、くじを見てヲ天侯異変の前兆を感じとるのは,その好例である.
1t was Nature's second way of hinting to him that he was to prepare for foul weather.9
(4) 人間及び生物全般に内在する活力,或いは回復力としての「自然」
'.Vhilst a slow nature was imbibing a misfortune little by little
,
she h乱dswallowed the whole agony of it at a draught10)
and was brightening again.
(5) 人工的なものと相反する,生れながらの状態を意味する「自然j
人工的なものを falseと見なし,
r
自然」を truthと見なす考え方 が狂乱rdyの中に根強く見られる.lU
'She is as true to nature as f乱shionis false, ・・・2
人間を破滅に導く破壊的性格をもっ「自然」
(6) 破壊者としての「自然J
ζの意味での「自然」が彼の代表的なものと考えられている A Pair of Blue Eyes (1873)で Knightが 'the cliff without a name' を前にして感じる「自然」は彼を死へ追いやろうとする悪 魔的「自然」の姿である.
He could only look sternly at Nature治treacherousattempt to
lZl put an end to him, and strive to thwart her.
4 T. Hardyの小説における Nature'の意義
更に Twoon a Towerの Swithinは「自然」に破壊的な力を見 出している.
Hims邑lfnow calmed and satisfi.ed, Swithin, as is the wont of humanity, took serener views of Nature's crushing mechanics
1事
without,
(7) 人間に対して全く無関心な存在としての「自然」
The Woodlanders (1887)の Melburyの,娘 Graceに対する異 常なまでの深い愛情は悲劇的結末を予測させるものであったが,
「自然」は全く無関心,無干渉なのである.
Nature 'does not carry on her government with a view to
14>
such fe巴lings.
以上が作品中に語として表わされている「自然」をその意味の上から分 類したのであ{5が, ζれら以外に,いわゆる 'nature'という語では表現 されていないが, Hardyの「自然」を考える場合,当然,
r
自然」の範i薦 に入れて考えなければならない要素が残されている.その第ーは「時間」の要素である.この時間的要素は,特に刀leReturn of the Native (1878)や Tessof the D' Uシbervilles(1891)の中で,し ばしば用いられ,重要な意味をもっている.
r
時間」には,過去9 現在,未来という「時間」が人聞の心の重荷として亡霊の如くつきまとい,人間 を苦しめ,悲劇へと駆り立てる,或いは時と事件との偶然の一致が人間の 運命を狂わす9 という破壊的一面と
r
時間」の経過によって人間の苦し みを癒やす,という建設的な一面との二面性がある.その前者の例としては, Tessが「明日」という「時間Jの恐怖をClare に話す場面が挙げられよう.
…And you seem to s問 numbersof to叩 orrowsjust all in a line
,
the fi.rst of them the biggest and clearest, the oth色rsg色ttingsmall巴r and smaller as they stand farther away; but they al1 seem very
T. Hardyの小説における Nature'の意義 d 戸
五erceand cruel and as if they said, I'm coming! Beware of m巴!
15.1
Bewar号 ofme!"
後者の例としては Tessが忌わしい過去から逃れる道を長い年月とい う「時間Jに見出していることに示されている.
At least she could not be comfortable there ti11 long years oblite‑
1申
rated h色rkeen consciousness of it.
The Woodlandersの GraceMelburyは Fitzpiersから受けた心の傷を 癒してくれるものが「時間」であると感じるのである.
Th己sadsands were running swiftly through Time's glass; she had often felt it in thes邑 latterd呂ys; ... If the IittIe breach, quarrel, or wbatev巴rit migbt be called, of yesterdy, was to be healed up it
l方
must be done by her on th巴instant.
第二の要素は一般に「本能」と呼ばれる要素である.それは人間の希望,
意、思に関係なし生物全体に働きかける「自然」の力である. Hardy は
18)
その「本能」を theappetite for joy', 'the invincible instinct towards
~
.
self‑deHght'或いは 'theinherent will to enjoy 等と呼んでいる.そ れは野生動物が何か獲物を求めて,前へ前へと進むのと同様に3 人聞が希 望p 幸福を求めて駆り立てられる種類の「本能」であり,性的衝動,欲望
を意味したものである.
The 'appetite for joy' which pervades aIl creation
,
that tremen‑dous force which sways humanity to its purpose
,
as the tide sways the helpless weed, was not to be controlled by vague lucubrations2])
over the social rubric.
第三の要素として考えられるものは I遺伝」の要素である.この要素 は Tessの中に最も強く表われておりヲ Tessの悲劇の一つの原因は彼女 の意思に反して Alecを魅惑してしまった母親ゆずりの早熟な,豊満な 体であったと考えられよう.勿論9 ζの要素も人間に不利益な面と利益な
6 T. Hardyの小説における Nature'の意義 面との両面を備えている.
She had an attribute which amounted to a disadvantage just now;
and it was this that caused Alec d'Urbervi1le's eyes to rivet them‑
selves upon her. It was a luxuriance of aspect
,
a fullness of growth,
which made her appear more of a wom旦n th乱n she r巴al1y was. She had inherited the feature from her moth巴rwithout the quality
2由
it denoted.
この様な Hardyの小説に見られる f自然」の意、味の検討からフ彼がしば しば用いている C乱pitalletterの「自然」は,その擬人化:こよって判断さ れる様に、主として「破壊者J,
r
創造主jの意味であり smallletterの「自然jは主として,その破壊者,創造主の「機能」や「力」を意味して いることが理解されよう.
従って,彼の「自然」は景色などの様なphysicalで, visibleな「自然J の意味にのみ限定されている場合は極めて少なし殆どの場合, visibl号な
「自然Jに或る種の道徳的意味や性格,力を与えている, いわゆる spiri‑ tualizeされた, invisibleな「自然Jなのである.その意味から,この小 論において使用する「自然Jも二,三の場合を除き,殆ど spiritualizeさ れた「自然」の意、味で用いている.
更に Hardyの小説の初期(1871"‑'78),中期 (1880,,‑,88),後期 (1891
"‑'95)を通して
r
自然」の意味の変化をたどって見ると,初期の作品で ある ,A Pair0 /
Blue Eyesや TheReturn0 /
the Nativeに見られる,擬人化され,象徴化され,いわゆる人間の外部にあって「自然」の力を示 す様な「自然」は,中期においては余り見られず,むしろ Theβ1ayor
0 /
Casterbridge (1886) の Henchardや ThelVoodlandersの Gilestこ現 われている様な,人間の内面にあって,良い意味でも悪い意味でも,人間 を支配する力として表わされている.後期作品では
r
自然」の意、味が更 に複雑化し,人間の内面に一層深く入り込み,人間を支配する本能とか遺T. Hardyのノj、一説における 'Nature'の意義 7 伝の力として示されていると云えよう.
n
次に問題として考えなければならないことはフ一主主における「自然」の 意味から直ちに Hardyの「自然jに対する考え方を推測することの危険 性である.そこに従来の運命論的批評が誤解を生じた原因があったと考え られる.と云うのは Hardyが如何に非情な意味を「自然」にもたぜた としても,その「自然」が各々の作品の中でどの様な意図で用いられ9 如 何に作品の主旨と関連をもっているかが最も重要な問題であると考えられ るからである.その意味から,ここでは一章での「自然」の意味が作品の 中でどの様な位置づけをされているか,又その主旨とどの様に結びついて いるかを検討する必要が出てくるのである.
先 ず9 破壊的性格をもっ「自然」を中心にして考えて見ることにする.
確に Hardyの小説では
r
自然」が非情な3 揮猛な怪物の如くに描かれ ているし9 その破壊的「自然」 に対し恐れ戦きラ非難の言葉を投げかけて いる人間達の様子がしばしば描かれている.例えば,被の典型的自然描写 であると考えられる TheReturn 0f
the Nativeの EgdonHeathは今 にも動き出して,人間を八つ裂きにするかに思える程9 荒々しい,鬼気迫る印象を与えるのである.
The plac号becamefull of a watchful intentness now; for when other things sank brooding to sleep the heath appeared slowly to awake and listen. Ev色rynight its Titanic form seemed to await something ; but it had waited thus, unmoved, during so many centuries, through the crisis of so many things, that it could only be imagin色dto await
2事
one last crisis‑the final overthrow.
2事
このネ芸な EgdonHeathを 'Hades'として忌み詞
t
っていた Eustaciaが 外の世界への脱出を試みた夜は,まるで「自然」の怒りを表わす様な9 星8 T. Hardyの小説における Natur巴'の意義 一つ見えない暗闇と大粒の雨を伴った嵐の夜であった.
It was a night which led the travel1町、 thoughtsinstinctively to dwell on nocturnal scenes of disaster in the chronicles of the world, on al1 that is t巴rribleand おrkin history and legend‑the last plague of Egypt, the destruction of S巴nnacherib'shost, the agony in Gethse‑ mane.
将しく「自然」の怒りが演出したかに見える暗闇と嵐の中でフ Eustacia は逆巻く渇流に身を投げるのであるが,彼女の「自然Jのもつ非情さと巨 大な力[こ対する最後の言葉は, Egdon Heathさえも震え戦かぜる程の,
凄まじい絶叫であった.
'How 1 have tried and to b色 asplendid woman, and how destiny has been against me!... 1 do not deserve my 10t!' she cried in a frenzy of bitter revolt. '0
,
the cruelty of putting me into this i1l‑conceived world! 1 was capable of much; but 1 have been injured and blight巴dand crushed by things beyond my control! 0, how hard it is of Heaven to devise such tortures for me,
who have done26)
no harm to Heaven at al1!'
この様な人間を悲劇へと落とし込む非情な「自然Jに対する絶叫は彼の
2百
多くの作品に乙だましているのである.それは, '1 am b回ten,beaten!' と叫ぶ Sueの悲痛な声であり,自己の野望を「自然」の力によって無残 にも打ち砕かれ, 'Throat-water~Sue-darling-drop of water‑please
o
please'と叫び乍ら死んでいく Judeの声であり,次ぎから次ぎへと 不幸を背負い込む TessのP 涙も枯れ果てた悲しみの声であり,自らの罪とは云えフ市長の座から一介の孤独な労働者に転落した Henchardの
2!ll
'Somebody's hand'に戦く声なのである.
この様iこ Hardyの描く破壊的「自然」は生命を与えられた巨人,怪 物の如き印象を与え,人間達の外部に存在して彼等を破誠へと追い込んで
T. Hardyの小説における Nature'の意義 9
いるかの如く見えるのである.
しかし,それは Hardyの奏でる見事な前奏であり,人間の内的菖藤を 暗示し,予知させる伴奏でもあると云えよう.と云うのは,彼の小説では
「自然」の invisibleな力を見抜くことの出来る人間と9 出来ない人間と が存在していることを見逃してはならないからである.つまり,彼の描く 人物達のすべてが I自然」の恐ろしさ,非情さを見抜いているのではな し大部分の農民達や,いわゆる sophisticateされた人間達は visible な「自然」に対してさえも全く無感覚なのである.
1887年1月13日の彼の日記の前半の部分では人聞を分類して,'themen‑
tally unquickened, mech叩 ical,soulless' と 'the1iving, throbbing, sufferingヲvital'の二種類に分け,更に前者が 'machines','c1ay'であ
り9 後 者 が ,soul 様に述べている.
"1 was thinking a night or two ago that people are somnambulists
‑that the material is not the real‑only the visible
,
the real beinginvisible optically. That it is because we are in a somnambu1istic
3申
hal1ucination that we think the real to be 、whatwe see as rea円l. 彼の言葉が示している如く, I自然」に何んら恐れ9憎しみを抱かない人 間違は「自然」の invisibleな姿,真の「自然」を見抜けない 'machines' であり, I夢遊病者達」なのである.だから「自然jの invisibleな姿を見 抜いている人聞のみが「自然」を恐れ,反抗し,非難すあζとが可能なので あり, I自然」の真の姿を知っている人間違なのでまbる.従って,その意味 では彼等の「自然」への絶叫は「自然」の力に打ちひしがれた弱者,敗北 者の泣き声ではなし人聞の可能性の極限まで「自然」と戦っているか9或
3])
いは戦い抜いた「勇土」のいわば雄叫びの芦であるとも考えられるであろう.
その意味で Hardyの描〈人間,達の「自然」に対する恐怖, 非難は 彼等の外部にある「自然」ではなく,彼等の内部に働く「自然jへの非難
10 T. Hardyの小説における Nature'の意義
であり,彼等自身の精神的葛藤の投影なのである. そ の こ と は Tessが Alec から辱しめを受けた後,森の中で彼女が抱いていた外なる「自然」
への恐怖は結局彼女自身の内部で作り上げたものでありラ問題は外部にあ るのではなし自分自身の内部にあると倍っていることに如実に示されて いる.
But this encompassment of her own ch旦racterization
,
based on shreds of conv巴ntion,peopl巴dby phantoms and voices antipathetic to her, was a sorry and mistaken creation of Tesぬ fancyー←呂 cloud32)
of moral hobgoblins by which she was terri五edwithout re旦son. 従って, Roy Morr巴11が Hardyの人物達は彼等自身に向けられるべき
3事
非難,責任を外なる「自然Jに転嫁していると指摘していることは確に卓 見であると云えよう.しかし,それに加えて,人間の内面の問題について の説明が当然必要になってくるのである.
つまり Hardyの描く人間達が外部の「自然」に非難,恐怖の目を向 けるのは,彼等が未だ精神的に不安定で,未熟である時期であり,彼等の 内部に不幸の原因が存在していることを気付いていない時期なのである.
Tess が外の「自然jを恐れていた時も,彼女が森の中での苦しい精神 的葛藤を経て[一人前の女性」へと成長する以前の「単純な娘J時代な のである.又, Hench乱rdが Somebody'shand'によって操られている と感じる時も彼自身の内部にある欠陥に気付いていない時である.更に具 体的には TheReturn of the Native を中心にして,検討してみること
にしよう.
この作品の冒頭に登場する EgdonHeathは「明と暗ム「昼と夜」とい う二つの相対立する面をもっている.しかし,これは単に外的な「自然J の姿ではなしこの作品の重要人物であるフ ClymとEustaciaの内面的 姿の反映であり,投影なのである.更に彼等の内面的未熟さからの脱皮を うながしラ彼等が究極的に到達する世界を象徴したものである.その意味
T. Hardyの小説における Nature'の意義 11 からp この作品は ClymとEustaciaいう二つの相反する力,性格が織り なす物語であると考えられよう. この二人の人物は共に致命的な未熟ふ 欠陥を備えていた.
パリーから故郷の EgdonHeathへ帰って来た Clymには Egdonの 一面である,美しさ,優しさをもっ「昼の顔Jは見抜くことが出来ても,
他の一面である,非情な「夜の顔jは理解出来なかった. その一面的な Egdonに対する見方が暗示している様に, 彼は「思想」によって肉体を
3争
蝕まれており夕空想に走り現実を無視するp という彼の内面的欠陥を備え ていた.それは, Eustaci乱への空想的フ自己中心的な愛にも見られるとこ ろである.
一方ラ Eustaciaも,Queen of Night 'にふさわしし Egdonの「夜の 顔Jは知っていても,それは一面的なものでありラ 「昼の顔」は知らなか った.それは Clym同様に, 彼女の内面的未熟さタ 欠陥を意味すること にクトならないのである.
3Q
彼女には「とかく世間の逆に逆にと出たがる本能」が備わっていた.そ れは th色 appetitefor joy'の本能であり9 甘美なもの,自由なるものを 求めようとする9 人間の力で制御出来ない「自然」の力なのでのある.最 初の場面での彼女には,彼女の内面に働きかける, i本能j という「自然j
の力もヲまた,その力の限界も未だ気付いてはいないのである.従って,
「自然」のもつ「夜の顔」の表面的非情さは知っていても9 その底にある 真の姿は未だ見えないのである.
披女が「自然」の真の姿に全く無知であったこと fま3 彼女が最初の場面 3V
で常に持ち歩いている「望遠鏡」と「砂時計」に見事に象徴されている.
先ず「望遠鏡jであるが,その機能が示す様にタ彼女は遠くの物は見て も〉近くの物は見なかったし,事物の表面は見えても,その底にあるもの は見えなかったのである.つまり,彼女は卒も不幸も常に外の世界,遠く の世界から訪れるp と考えているのでありp それがすべて自分自身の内部
12 T. Hardyの小説における Nature'の意義
から起きている事には気付かないのである.だから彼女がお祈りをする時 も,常に Sendme great love from somewh巴re3~ であり,又,彼女の求
39)
める愛も Tolove to madness 'ではなく, 'To be loved to m吋ness なのである.その事はヲ云い換えれば,彼女が EgdonHeathの真の姿を 見落していたと同様に,彼女自身の姿,彼女に働きかける内なる「自然J を見落していることを表わしているのである.
この「望遠鏡J同様に
r
砂時計」も,彼女が「時間」という「自然、」の力を全く知らなかったことを示している.と云うのは,彼女にとって,
「砂時計」は唯単に「おもむろにこぼれ去る時間というものの物質的現わ
41))
れ」を見て楽しむ道具にしか過ぎなかったからである.
彼女の「時間Jに対する関心はヲ彼女が時計をもっていながら
r
砂時 計」を使っていることに示されている様に["未来Jへ続く「時」ではなしあく迄「現在」の時間なのである.
No. Only 1 dread to think of anything beyond the pr巴sent.
4I)
What is, we know '.. '
彼女が「砂時計」を使うのは,常に恋人との逢い引きの場合であるがラ それは,彼女にとって
r
未来」という未知な時間へ連続する「時間」の 流れからr
現在」の時聞を切り離す事が可能であるからである.つまり,逢い引きという快楽の「時間Jを明日へと続しわずらわしい「時間」か ら解放して,存分に,少しでも長く楽しむためなのである
" she dimly fancied it arose that love alighted only on gliding youth‑that any love she might win would sink simultaneously with the sand in the glass. She thought of it with an ever‑growing consci圃 ousness of cruelty
,
which tended to breed actions of reckless uncon‑ ventionality, framed to snatch a year's, a week's, even an hour's4争
P在ssionfrom anywhere while it could be won.
云い換えれば,彼女には「時間」の経過とL寸 visibleな「時間」は分つ
T. Hardyの小説における Nature'の意、義 13 ていても「今日」と「明日」との連続した「時間J,即ち, I未来」の被女 の悲劇へと続く invisibleな「時間」は理解出来なかった.だから Clym と結婚した後,情夫の Wildeveとの密会が「未来Jの彼女の悲劇へと結 びっくことなど考えてもいないのである.そこに「時間」という「自然」
の力を知らない彼女の内面的未熟きが見られるのである.
Hardyの世界では,人間の外部に示されるフいわゆるvisibleな「時間j
の経過が直接人聞の破滅の発端になるのではなし人聞の内部において,
「時間」の経過という「自然」の力が認識されているかp いないかが人間 の運命を大きく変えているのである.Tessが Alceによる不幸のために 散々苦しみを経験した後,何の予告もなし刻々に彼女を死へと追いや っている「時間j を悟ったことが彼女を 'simple girl'から,complex
451
wom在n へと成長させているのである.
IU
Hardyの「自然」の創造的性格を考える場合,見逃すことの出来ない要 素は「文明Jである.と云うのは,彼の「自然」は破壊的な力を備えた加 害者であるがp 同時に「文明」という人間が作り上げた力の被害者でもあ
り
, I文明」の破壊力から人聞を保護し, I文明」の行き過ぎを抑制し3 修 正する役割を果しているのであ~.従って,彼の作品では「自然」と「文
明」とは常に相対立するものとして登場している.
The Return of the Nativeの冒頭に示されている破壊的形相のEgdon Heathが the五naloverthrow'を加えようとして虎視耽耽と待ち受け ている相手はタ紛れもなし 「文明一!という名の敵なのである.
The untameable, Ishmaelitish thing that Egdon now was it always
4万
had been. Civilization was its enemy; ...
しかしフここで問題は, Hardyが一方では人間の力の及ばない「自然」
の巨大な力を認め乍ら,他方では「文明」という人聞の力を認めているこ
14 T. Hardyの小説における Nature'の意義
とに,彼の自然観の矛盾が存在していると考えられることである.
確に Hardyは「自然」に巨大な力を見出してはいる,しかし,決して,
「自然」の力が常に完全でありフ万物の完全なる支配者であるとは考えて いないのである.つまり,彼は「自然」の不完全さ,不備を認めているの である.それだからこそ,彼は人間の悲劇を描き,その中で「自然」の力 の不備,不完全さを非難しているのである.
1914年2月の彼の日記に, Friedrich Nietzsche (1844‑1900)の宇宙観 を評して次の様に述べている. (カヅコ内の記入は筆者)
He (Ni巴tzsche) assumed throughout the gr巴atworth intrinsically of hum拍 masterful1ness. The universe is to him a perfect machine which only requires through handling to work wonders. He for‑ gets that the universe is an imperfect machin弓 and that to do good with an ill‑working instrument requires endless adjustments
4自
and compromises."
宇宙が不完全でありヲ 'endless adjustments and compromises' を必要 としていることは,云うまでもな〈人間の力による調整,妥協の必要を意 味しているのである.
更に ,The Return of the 1>ゐtiveの中で次の様に the defects of natural laws'を言忍めている.
The truth seems to be that a long 1in色 of disillusive centuries has permanently displ乱cedthe Hellenic id巴aof life, or wh旦teverit may be called. What the Greeks only suspect己d we know well; what their Aschylus imagined our nurs巴rychildren feel. That old‑ fashioned reveIling in the general situation grows less and less possible as we uncover the defects of natural laws, and see the qu圃 andary that man is in by their operation.
しかしラ 「文明」は「自然Jの不備の調整をしばしば誤まり i自然」
T. Hardyの小説における Nature'の意義 15 の長所までも破壊して来たのである.そのために, Hardyは「文明」の力 が「自然」の力とは別な力として人聞を苦しめていることをしばしば強調 しフ警告している.そのことは, Jude に Sueを aproduct of civiliz乱・
5111
tion'と呼ばせていることに,"natural law'と sociallaw'を常に対比 させ9その矛盾を指摘していることに,又, 'village life' と'townlife' との対比から後者の非人間性を批判していること,等に裏書きされている.
「文明」の力を具体的に表わしている第ーのものは「金銭」であろう.
Hardyの小説では 「ヴィクトリア朝の金の威光」がしばしば人間の心も 肉体も蝕ばみ9 人聞を破誠へと駆り立てている.唯「金銭jのために9 教 育を受 ~t,出t止を求め,恋愛をし,結婚をする.物品売買に使われる筈の
「金銭」が人聞の売買に使われる.Arabellaは「金銭JのためにJudeと 結婚し Henchardは妻子を 'fiveguineas'で売り飛ばし Gilesは貧 しいために Graceと結婚出来ない. Tessの悲劇の始まりも,
r
金銭」を 得るために9 不本意乍ら家族の犠牲にならざるを得なかったことから起きている.
最後には,経済的苦境から逃れるために, Tessの家族も Marlottの村 を棄てて都会へと逃避せざるを得なかった Hardyはこの離村を機械の 力によって川の流れを丘に押し上げている様なものであると
r
文明」の 力に対して皮肉をこめて評している.These familiesタwhoh丘dformed the backbone of the village life in the past, who were the depositaries of the village traditions, h旦d to s色ekrefuge in the large centres; the process, humorously de昨 sign乱tedby statisticians as 'the tendency of the rural popul旦tIonto胃
wards the large towns,' being really the tendency of w丘terto f1o
,
v52)
uphill when forc色dby m呂chinery.
しかしp このことは唯単;こ大都市への農村人口の移動だけの問題ではな し「自然」からの離反,つまり9 人間本来の「自然」な生活からの離別を
16 T. Hardyの小説における Nature'の意義
意味していると同時に,都会のもっている非人間性への移行を意味してい るのである.そのことは,The Hand of Ethelberta (1876)のEthelberta 一家が送るロンドン生活が,生きるためとは云え,悲劇的というより喜劇 的なものであったことにも示されている Ethelbertaが社会的体面を保 つために,両親タ弟妹達との関係をかくして,社会的には Petherwin夫 人と雇人という関孫を保っていたことは,凡そ正常な人間関係とは云えな い,不自然且つ虚偽の生活以外の何ものでもなかった.Ethelbertaの母親 の言葉がその不自然な生活から起る不安,恐怖を如実に物語っている.
人..
I f
you break down,
and we are all discovered living so queer且ndunnatural, right in the heart of the aristocracy, we should be the laughing‑stock of the country: it would ki1l me, and ruin us
53) all~utterly ruin us ! '
Eustaciaが EgdonH巴athから「文明社会」への脱出を試みた夜,彼 女の行く手をさえぎった直接の障害物が「自然」の力ではなし彼女があ こがれていた「文明社会」の「金」の力であったことは誠に皮肉な運命を 意味しているのである.
A sudden recollection had flashed on h巴rthis moment: she had not money enough for undertaking a long journey.... Money: sh巴
had never felt its value before. Even to efface herself from the country means were required.
しかし,この瞬間こそが彼女の人間的価値を決定づ、けた一瞬であったと は云えないであろうか.何故なら,この時に彼女は Egdon Heathに留 まるべきか,或いは自己の pride' を棄ててまで1"金銭」 のために
55)
Wildeve の情婦として逃避行をすべきなのか, という二者択一を迫られ ていたからである.云い換えれば1"文明桂会」への逃避が彼女の人間と
しての 'pride'という彼女本来の「自然J(一章分類(5))な姿の放棄であ ることを3 彼女がはっきりと悟ったのはこの瞬間であったに違いないから
T. Hardyの小説における 'Nature'の意義 17 である.第三編第一章のタイトル「わが心われにとりて王国なり」が暗示 している様に, Egdon 1王国thからの脱出は彼女の「心の王国Jからの脱 出を意味していたのである.
その二者択一において,彼女の投身自殺が物語っている様に,彼女はい わば,彼女のEgdonHeathであり,彼女の「自然J (一章,分類(5))で ある前者を選んだのである.つまり,彼女は EgdonHe旦th,彼女の「自 然」なる世界から一歩も外に出なかったのである.殊にp その場合に,彼 女が出れなかったのではなし出なかったことに注目しなければならない.
何故なら前述の如く彼女には選択の余地が残されていたのであるから.
この様な人間のp いわば心の「自然」を侵していく「金銭」という「文 明」の力と共に「文明」の影響を直接に受け 1文明jの根拠地とも考え られる都会9 殊にその都会のふん囲気の中で生活している人達の反自然的,
非人間的な思考及び感情が 1自然」な田舎のふん囲気を侵食しているの である.
Judeが
i
憧れた都会は夜になれば 'thecity of light and lore'であっ たがp 朝になればp 太陽の光もp 家々の台所から立ち昇る煙のためにあか がね色に変わり,田舎から流れ込んでくる新鮮な空気を煙の匂いのする空 気へと変えてしまう9 いわば煙の都なのである.Tall and swarthy columns of smoke were now soaring up from the kitchen chimneys乱round,spreading horizontally when at a great height, and forming a roof of haze which was turning the sun to a copper colour, and by degrees spoiling the sweetness of the n巴w atmospher巴 th乱thad rolled in from the country during
57)
the night, giving it the usual city smell.
都会はそこに住む者の顔を青白くし,体を痩せ細らせる不健康な場所で ある.文,快楽なしには一日たりとも過せぬ歓楽の都であり,いわゆる false hair' 'false dimple 'に象徴される様に,生れ乍らの「自然」なも
18 T. Hardyの小説における,Nature'の意義
の,真実なものが影をひそめ,人工的な,虚偽なるものが横行している世 界である.この世界の住人達は fashion'ss1ave'でありp 金銭,物質の 奴隷と化している.彼等の心は9 この様な人工的な,物質的な,虚偽なる ものに蝕ばれて,真実なるもの invisibleなものを見る目は失われてい るのである.この様な「文明」社会が作り上げる人間達は Fitzpierであ
り
, l¥1anston, Troy, Alec, Sue, Arabel1aなどの sophisticate'され,
cynic'な非人間的,自己中心的な人間達なのである.
Hardyの作品では, この様な「文明社会」を目指して, 唯専らに自己 の栄光と物質的繁栄を求めて,精神的にも,物理的にも「自然」に恵まれ た農村から離れていくラ Sueヲ Ethelberta,Arabel1a等の人間違と, 逆に
「文明社会」を逃れて「自然」へ帰って来る人間達がいる.それは Clym であり, Angelである. 更に? いわば「自然jから生まれ
r
自然」の 中で育ちr
自然」を自分の世界としている人間違がいる.それは Tess, Marty Sowth, Giles, Diggory Venn等である.これら Hardyの自然人達の共通している点は彼等に visibleな「自 然」にひそむ invisibleな姿を見る目
r
自然jの芦なき声を聞きとる耳 が備わっていることである.そして宇宙に存在するものすべてに対して,それが動物であれ,植物であれ,非常に深い愛情を示していることである.
だから彼等にとって,有形無形を問わず
r
自然J全体がいわば彼等の家 であり仲間であり,厳しい指導者であり,慈母なのである .The Wood‑landersのGilesとMartyとの「自然」への愛若,同化はその典型的な ものである.
They had been possessed of its fIner mysteries as of commonplace knowledgεhad been able to read its hieroglyphs as ordin呂ry writing; to them the sight and sounds of night, winter, wind, storm, amid those dense boughs, which had to Grace a touch of the uncanny, and even of the supernatural, were simple occurr巴nces
,
T. H呂rdyの小説における 'Nature'の意義
63)
whose origin, continu託立ce,and la ws they 10r己]王立εw.
19
Far From the "Vadding Crowdの Gabr台10呂k ま宇宙のE大さから,
64)
人生の護小さをヲ 「目然」における人間の位置を教えられるのである.彼 は,人間のj立置タ震小さを知っている ;こラ万物(こ対する同情ラ 同族意 識を呼び起されるのである.
ζの援に Hardyの描くフ 創造的注格をもっ「自然」ぽ「文明社会」の 汚渇から逃れてLぺ人間違の避難所て、あり,傷ついた心を癌やす場所でも あ1;1,人生を知れ人間自身を知る場所でもゐる.
An environment which would have made a contentεd woman a poet
,
a suffering woman a devot巴町 a pious woman 呂 psalmist,
even65)
a giddywoman thoughtful, mad弓 ar己bellious¥vomaロsaturnine.
IV
Hardy にとっての関心三 7自然J とすでに詞和している人よりはp む しろ常 iこ「自然」 と不調和な人間;こ対して向げられておりラ その不調和な 人間の調和への努力の過程が伎の最も関心のあった問題であわ小説家と
しての設の主題であったと考えられる.
"The higl1est flights of the pε江 are mostly thεexcursions and revelations of souls unreconcil色dto life, while th色naturaItendency of a goγernment would bεto encourヨgεacquiescεnce in 1ife as it
66; lS
その点においては前!こふわした "¥Vordsworthの「自然Jと対照的である と云えよう.VV ordSivorthが「自然」を神意の顕現として見なし,人間と 調和した「自 を描き出しているの して, Hardyは「自然」を宇宙
;こ内在する巨大な力とし なものとしてではなく,
てばいてもヲ , omnipotent 'な 'perfect'
, imperfξctフな 6d巴fective~ なものとして捉え ている. つまりタ VV ordsworthが「自 を善なるものとして認ゐる一元
20 T. Hardyの小説における 'Nature'の意義
的な見方をしているのに対して Hardyは,いわば善と悪の二面を認めよ うとする.しかも彼は人間と調和した「自然」ではなし人間と不調和な
「自然Jに彼の主な関心がある.そこに両者の根本的相違が見られる.そ
67)
のことは,Tess の中で Wordsworthの「早春にしたためた詩」から Nature's holy plan'を引用して Wordsworthを皮肉っている言葉にも うかがえるのである.
Some people would like to know whenc号 the poet whose philo. sophy is in these d乱ysdeemed as profound and trustworthy as his song is breezy and pure, gets his authority for speaking of ' Nature's holy pl乱I1J
この様に Wordsworthが「自然」と人間との調和した世界を描いたの に対して
r
神を50年間探し続けたJHardyは「自然」と人間との調和タ 人生との調和を一生探し続けたと云えるであろう.その意味で,彼の作品 はすべて,その調和を探し求めた彼の足跡であり,その結果であると考え られる.殊に,後期作品である Tess,Judeは彼の小説におけるヲ彼の調和を求 めての旅の終着点であり9 総決算であると見るべきであろう.
これら後期の二作品は,初期の作品,殊に TheReturn 01 the Native に見られた外的な「自然」の荒々しさ,威圧的な様子はなしむしろラ人 間の内面的な「自然」の冷酷さ,激しさに作者の呂が向けられており,そ の意味でこれら両作品は人間の内的,精神的「自然」との調和を探究した 作品として考えられるべきであろう.両作品の主人公 T巴ss,Judeが自 然律と社会の法とに如何にして調和を見出していくべきか,肉体と精神と の均衡をどの様にして保つべきか,の問題で苦しみ,傷ついたという点で,
両作品は共通しているのである.
Te~s を考える場合,一応,彼女ををとり巻く外的なものとの葛藤と彼 女の内面的な葛藤とに分けて考察して見る必要がある.
T. Hardyの小説における Nature'の意義 21 先ず彼女が最初に出くわす人物は Alecであるが,彼は将しく性本能の 化身とも云える程9 抽象化され9 象徴化された存在である.別な云い方を
70)
すれば,彼をとり巻く環境がそうである様に,人工的に作り変えられた人 間であり9 彼の性格そのものが唯物的であり,固定化したもので,そこには 何んら人間的感情も精神性も見られない人物である.その意味から Alec は物欲と快楽への志向のみを目指す文明社会の異常性の一面を象徴してい
るグ、ロテスクな「半人半獣」である.
次の人物である AngelClareは Alecとは対照的に9 彼の環境である 書物,大学教育9学位,聖職,父子の神学上の討論等々が暗示している様に,
知性や精神性のみで生きている人物の典型である.彼の場合も彼の名が暗 示している如く,文明社会の異常性の他の一面である極端な知性9精神性を 象徴する Al巴cとは違った意味でク、ロテスクな,いわば「半神半人Jな のである.しかもこの二人が「虚偽J
r
虚構」の世界に住んでいる点では 共通している.Alecの場合は,先ず,家名そのものが,唯単に世間態のために, d'Ur‑ bervi11eを詐称している「偽名」である. Al巴Cの母親が可愛がっている
72)
鳥が,皮肉にも
r
うそJ(bul1flinch, bull=lies)であり Alecが何度 も Tessにはさわらない,という約束は常に「嘘」である.又r
スベ イドの女王JCarと今にもつかみ合いという時に Tessを助け出した彼の 親切は決して真実なものではなし Chaseの森での辱しめが示す様に,全くの「偽り」であったし,その後「君には二度と悪いことはしない」と 約束するが,これ又
r
嘘」であった.更に彼の歎踊性は一層発展し,第 六章の「改宗者」では,彼が過去の罪を悔いている説教師として登場して いる.しかし, Tessを見ると窓、ちに敬度な説教師の化けの皮は剥げ,色 事師へと変じるのである.この様に Alecは数え上げると際限がない程,「嘘Jで固められた人物である.
一方 Clareも, Alecの「嘘」とは質的に異っているが,彼の極端な
22 T. Hardyの小説における 'Nature'の意義
空想と知性で作り上げた,凡そ現実離れした「虚構」と「偽輔」の世界に 住んでいる.そのことが最もはっきり現われている場面は Tessの過去の 告白とその後の場面である.Clareがロγ ドンで素性も知れぬ女性との過 去を告白した後ラ Tessが彼女の告白の重大性をほのめかすと,それを軽 く一蹴しておきながら Tessの告白が終ると,途端に,血相変えて彼女
73)
を責めるのである.又,彼は Tessの家系が d'Urbervi1les家であること
74)
を知って 'Foryour own sake 1 rejoice in your descent.' と喜こん でいたにも拘らず T色ssの告白を聞いた後は, 'Here was 1 thinking you a new‑sprung child of n乱ture;there were you, thεbelated seed‑
75)
ling of an effete aristocracy ! 'と彼の態度を一変するのである.しかも,
彼の Tessに対する愛情は余りにも架空のものであり,現実離れした「虚 構」の世界の産物であった.
Yet Clare沿lovewas doubtless ethereal to a fault, imaginative to
76)
impracticabi1ity.
「自然」と「文明」とが相容れない存在であると同様に I文明社会J の両極端を代表する,この二人と 'afresh and virginal daughter of
77)
nature'である Tessとは元々,相対立する要素を備えているのである.
従って,この二人の「虚偽J I虚構」を見破る手段としては彼女の心の
「真実」とL、う「物差し」以外にはなかった.それが彼女の唯一の武器で あり,弁護者なのである.
彼女の一生には彼女の人生を決定づける,二者択一の機会が少なくとも 三回訪れている.その二者択一とは,前述の Eustacia同様,彼女の心の
「真実」を守るか,或いは,それを放棄して「虚偽」につくか,なのである.
先ず第一回目は Tessが Alecによって辱しめを受けた後フ彼女の故 郷の Marlottの村へ帰る途中,追いかけて来た Alecが彼女の愛を確め ようとする.その時,彼女が彼女の心の「真実Jを放棄して,被を愛し℃
いると「嘘」を云えば,当然 Alecの妻の座が与えられたでゐろう.し
T. H乱rdyの小説における Nature'の意義 23 かし,彼女には彼女の心の「真実」を裏切ることは出来ないのである.
'1 have said so
,
often. 1t Is true. 1 have never really and truly Ioved you,
and 1 think 1 never can.' She added mournfully,
Per‑ haps,
of aIl things,
a lie on this thing would do the most good to me now; but 1 have honour enough left,
little as 'tis,
not to tell that lie. 1 did love you 1 may have the best 0'四 国 間 for letting78)
you know it. But 1 don't.'
第二回目は, Cl丘町に彼女が過去を告白した後,尚信じることの出来な い彼は「テス!ゅうべのことはほんとうじゃないといっておくれ」と迫る
79)
のであるが9 彼女は'ItIs true'と答えるのである. この場合も,この 一言に彼女のこれから辿る運命のすべてがかかっていたのである.
最後の機会は3遂に Alecの手に落ちてしまった Tessが,彼女を迎えに 来た Clareに会って,再び二者択一を迫られるのであるが,Alecの殺害に よって, ["偽り」の世界から,再び彼女の心の真実を取り戻しているのである.
この数度に亙る二者択一の試練で,彼女の心の「真実」を守り抜いた忍 耐が, Clareを「虚構」の世界から救出し,彼との調和を得るという至福 を生み出しているのである.彼女が彼女の心の「真実」に常に忠実であっ たことは3 取りも直さず,彼女の心の「自然J (一章,分類(5))!こ忠実で あったことを意味しているのである.
しかし,この様な外部の存在との菖藤は同時に Tessの内部の葛藤で もあった.そこで,彼女の内部に働きかける「自然」の力を分,析して見る 必要がある.
彼女に働きかける「自然」の力の第一のものは,いわゆる,appetite for joy'という本能であり,第二は遺伝による力9 即ち, Pagan d'Urber‑
80)
villeの血をヲ│く父親からの精神力(彼女の pride,或いはdignityに示さ れるもの
λ
母親ゆずりの魅惑的な容姿,及び不用心さ,である.これら「自然」の力と同居している他の力はp いわゆる["文明」の力とも云う
24 T. Hardyの小説における Nature'の意義
べき彼女の知性(母親と比べると二百年のへだたりがある程の新しい教育
81)
を受けていた)である.
先ず,彼女の不幸の始まりである Alecによる辱しめの大きな原因の 一つは,母親ゆずりの不用心さという「自然」の力によるものであった.
それは,彼女がCarと悶着を起しかけた時, うかつにも Alecの馬に乗っ てしまったこと,又9 その途中,眠気のために,ねむってしまい,道を確 めなかったこと,更に Chaseの森で, Alecを信用してラねむってしまっ たこと等がその不用心さを物語っている.彼女が Alecを振り切って,家 に帰り,母親から Alecとの結婚の話を聞いた時ラ 「もしあの時,彼が結 婚を迫っていたら,世間態を考えて自分はどう返事したかわからない」と 思うのであるが,それ程9 不用心さという「自然Jの力は彼女に強く働い ているのである.
しかし,その不幸以前の彼女の知性は,未だ,その不用心さという「自 然Jの力を予見し,防止する力をもっていない child'の状態であった.
その事は,彼女が I男というものは,危いものだとなぜ教えて呉れなか ったのか」と母親を責める言葉にも裏書きされている.
. . .
Why didn't you tell me there was danger in men‑folk? Why84)
didn't you warn me?"
この不幸から,自分に働く不用心さという「白然Jの力の存在と,その 結果〈子供の誕生,死〉を知り,森の中での思索を通して彼女の心の傷を 癒やし,被女を child'から girl'へ,更に 'complexwoman'へと 成長させているものは9 主として彼女の知性の力なのである.そして新し い人生への方向づ、けと意欲を彼女に与えているのも,彼女の知性の大きな 力によるものであった.従って, この不幸によって, 彼女は 6乱 liberal
85) 86)
education'を受けたのであり, her mental harvest'を得たのである.
更にヲ Clareのプロポーズに対して,彼女がもがき,苦しむのは Clare の愛を受け入れるべきだとささや<,自己快楽本能と,後になって,彼女
T. Hardyの小説における Nιture'の意義 25 の過去を知仇彼を悲しませ,後海させてはならない,と主張する知性の 司とも云える良心の芦との争いのためなのである.
The struggle was so fearful; her own heart was so strongly on the side of his‑two ardent hearts against one poor little conscience
‑that she tried to fortify her resolution by every means in her power. She had cometo Talbothays with a made‑up mind. On no account could she agree to乱 step which might afterwards cause bitter rueing to her husband for his blindness in wedding her. And she held th丘twh丘ther conscience had decided for her when her
87)
mind was unbiassed ought not to be over ruled now.
確に,彼女の快楽本能をおさえた彼女の知性による判断は間違っていな かったのである.何故ならタ もし本能という「自然」の力の命ずるがまま に9 彼女の過去をかくしたまま, Clareと結ばれていたら9 例え一時的に は幸福であっても,必ず過去の過失が彼女を責め苛み,彼女を苦しめたで あろうし9 文,その過失が露見した時には彼女の決定的破滅となったで
2
う ろうから.そのことは,Judeにおいて本能の赴くままに快楽にふけることが「自然J の意図であると考えていた Sueが, Little F乱therTimeの手にかかって 二人の子供をなくした時に叫ぶ彼女の悲痛な後悔の言葉が如実に物語って
L 、る.
'1 said it was Nature's intention
,
Nature's law and raison d'etre that we should be joyful in what instincts she a妊ordedus‑instincts which civilization had taken upon itself to thwart. What dreadful things 1 said! And now Fate has given us this stab in the back88)
for being such fools as to take Nature at her word.'
この作品において,作者はしばしば Tessは社会の法は破ったが9 決
89)
して「自然の錠」を破りはしなかった,と述べているが3 作者の言葉は非
26 T. Hardyの小説における Nature'の意義
常に矛盾していると考えられるであろう.何故なら Tessは快楽本能と いう「自然」の力の命ずるがままに行動しないで,彼女の知性の力によっ て進路を決定しているのであるから,当然
r
自然の提」への不服従であ ると考えられるであろうから.この矛盾に対してはp 再び前述の Hardyの「自然は完全ではない」と いう言葉が,そのままその説明になるであろう.つまり Tessは,不用 心さという「自然」の力の不備を彼女の知性によって悟り,用心へと変え ているのであり,又,快楽本能の限界という不備を知性によって知り,抑 昔日しているのである.
Hardyの云う「自然」は知性によって,その不備を修正され,或いは妥 協によってこそ豊かになり9人間との調和が可能になるのであるb 逆に,知 性は「自然」によってその行き過ぎを是正され,補足されねばならないの である.その意味で, Tessが彼女の内部における「自然」との葛藤によっ て,修正し,妥協して,更に豊かな,充実した「自然」との調和を見出して いることは,作者の云う「自然の提」への服従を意味したものであふい わば,作者の自然観を見事に具体化したものと云えよう.
以上のことから,しばしば議論の的となって来た,この作品の副題 a pure woman'は唯単に Clareに忠実であり,精神的に純潔であったこと
を意味しているのではなしいわゆる「自然」に対しての純潔 'apure woman to Nature'を意味していると考えるべきであろう.
この様なHardyの小説に現れた「自然」の考察から,彼の説く「自然J は,究極的には人聞をとり巻く自然, 或いは, 自然現象の様ないわゆる visibleな自然を意図したものではなく,
A
r.母の内部にある invisibleな「自然」を意味しているのである.従って,彼独得な自然描写の凄まじさは,
人間の内的「自然」の凄まじさの投影でありP 象徴であると考えられるの である.又,その内的な「自然」の力も絶対的な力でも,完全な力でもな
T. Hardyの小説における 'Nature'の意義 27 七人間の知性の力によって補充し,修正してこそ初めて,人聞が下等動 物の世界から脱皮して新しい人間へと成長できるのである. もしそうでな いとするなら Alec,Manston, Troyなどの半獣半人達が彼の小説の主 人公にならねば矛盾することにたるであろう.
Hardyがこの様に人聞の内面深くに鋭いメスを入れ,快楽本能,遺伝と いう「自然」の力をえぐり出し,その力及び限界を示したことは,それが会 如何に非情な, pessimistic 'なメスであったにしても,人聞の病の最悪 の状態を示すことによって,最良の治療法を見出そうとする彼の深い人間 愛に基づ、いていたことを見逃してはならないであろう.又p この様な伎の 自然観が文明に対する鋭い批判であり,警鐘であったことも見逃しに出来 沿いことである. (1971年9月〉
注
1) Irving Howe, ThOJ即 sHardy (London: Weidenfeld and Nicolson, 1968)ゎ
p.23 著者i;tW ordsworthとHardyとの自然の類似性を次の様に指摘してい る.
There is a strong 羽Tordsworthianquality in Hardy's conviction‑perliaps‑ on巴shouldsay, Hardy's passionate intuition‑that the natural world is the source of and repository of aIl energies that control human existence. 他のVVordsworthの自然との比較論としては A.McDowall, Thomas Hardy (London: Feber & Faber, 1931), pp. 146‑61等がある.
2) D. F. Barber (ed.), J. Stevens Cox,白河cerningThomas Hardy (London:
Charl巴sSkilton, 1968), p. xi
3) 代表的批評家の一人は A. P. Elliott である.彼の著書 Fatali・sm in the Worksザ ThomasrJar,
の
(NewYork: Russ巴1& Russel, 1966), p. 82で次の 様に Hardyの自然を論じている.For him Nature is usually brooding, not rejoicing; weeping, not smiling. Bis conception of it 1S grotesque in its vastness. 1t is alive with mocking shadows. 1ts very breath is loaded with hatε1t lies in wait in ancient plac巴swhere Hardy's hero己sand heroines fr己司百entlymeet‑in Stonehenge, in the o!d amphitheatr邑ofCasterbridge, or near the Ancient Earthwork.け Seldom is Nature in her gayest mood.