富 山 医科 薬 科 大 学 看 護 学 会 誌 第
5
巻1
号2 00 3
ケア リ ン グ ・ マ イ ン ド
ー安らぎ と癒し
の
場と して の
「床」 を中心 に ‑津田 愛 子
富 山 医 科 薬 科 大 学 医学 部 看 護 学 科 臨 床 看 護 学 講 座
要 旨
最 近,
ケ
アリ
ングに
社 会 的な関 心が集ま って
いる
. ことに
, 複 雑に
して
機 械 化し た医 療の 中で
,本 来の ケ
ア
業 務を なす 時 間が奪わ れつ つ あ る看 護 関 係 者に よ
って
注 目さ れる よ
うに
な って
き た・そ
の背 景に は
精 神 的な安ら ぎ を求め
始め た
社 会の
意 識の変 化が あ る.ケ
ア リン グ とは
, 対 象を深 く 気づ かい
っ つその
利 益を願って
行 動して い
くこ
とで
あ り, 看 護 行 為そのもゐで
あ る と もいえ る・ヶ
ァリ ン グ ・ マイ
ンド
と はそ
う し た行 為を な す心のあ り方で
ある
.ケ
ア リン グ とは
ま さに
聖 書が 記 す小さい
人々
への
「 隣 人 愛」の
実 践に
も通じ る概 念で
あ る が, その
手 段の 一 つ は,とこ「 もて
な し」の実 践
に
おいて
示さ れて
いる
.そ
して そ
の 「もて
な し」 のプ
ロ セ ス の 中JL、に は
, 「床」 の存 在が あ っ た.こ
の 「床」は
ま た, 看 護 業 務に
おい て
も最 重 要な部 分で
あ る ため
,そ
の深い意 味を考 察 する
ことは
, 看 護に
お ける ケ
アリ ン グの意 味を再 確 認 する こ
とに
も なる
ので
ある
・ 本 稿で は
,「床」 が象 徴 す
る
「 もて
な し」の
具 体 的 意 味を主と して
聖 書と 『戒 律』に
おいて
考 察し, わ が国に
お け る看 護の文 化ない しは ケ
アリ ン グ文 化の再 建を主 張し た.キ ー
ワ
ー ドヶ
ァ リン グ・ マイ
ンド
, 小さい人々
へ の愛の実 践,ホ
スピ
タ リテ
ィ ー , 床,ケ
アリング文化の再 建序: 「ケ ア リ
ン
グ」 へ の関 心の高ま り 超 高 齢 社 会を迎えて
, 看 護 職に
対 する
社 会 的需 要が ますま す高く な って
いる
.そ
れに
対して
,ひ
と頃の深 刻な看 護 師 不 足は
山を越えた
ものの
, 供 給さ れる
看 護 職 員の数は
社 会の需 要を満た す まで
に は
い た って
いない. 毎 年, 多 数の新 卒 者は
出 す ちの の, 同様に
多 数の看 護 師 達が職 場を離れて
いく か ら
で
ある
.看護 師達が離 職す
る
最大の理由は
,オ
ー バ ー ワ ーク で
も低 賃 金で
もな
い と言わ れて
いる
.そ
れは
,仕 事の内 容へ の不 満なの
で
ある
. 延 命 医 学の発 達に
伴った
治 療 内 容の高 度 化は
, 各 種の 医療 機 器の 操 作 等へ の忙 殺に よ
って
, 看 護 師か
ら本 来の専 門 領 域, すな
わ ち患 者の療 養 上の世 話 (ケ
ア) を果た
す 時 間を奪い っ つ ある
. し か も, 独 自な看 護 行 為に は
,そ
れに ふ
さ わ しい報酬が支 払わ れる こ
と が ない とい っ た現 在の
矛 盾し た診 療 報 酬 制 度も手 伝 って
, 日常 業 務は ますま す患 者との
人 間 的な触 れ合い
か ら看 護 師達を遠ざ けて
い る. 仕 事に
生き がい を感じる
ことが で
き れ ば, 多 少オ
ー バ ー ワ ーク で
あ って
も, 低 賃 金で
あ って
も, 職 務を継 続した
いという意 思が看 護 師達に
ある
ことは
, 各 種の 調 査 結 果か
ら明らか
とな
って
いる
.最 近, 「
ケ
アリ
ング」 (c a ri
ng
)な る
語や概 念に
社 会 的 関心が
集ま り, 看 護 師 達も研 究 課題に
する よ
うに な
って
きた
.そ
れは
直 接 的に は
, 看 護や医 療を取り巻くこう した
状 況に
対する
看 護 関 係 者の危 機 意 識か ら出
て
きて
いる よ
うに
思 わ れる
. 機 械 化さ
れた
臨 床現場で
バタ
バタ と
時 間に
追わ れ
,「人 間」
そ
の もの が見えに
く く な って
いる
現 実か ら, 本 来の人 間 的 触れ合い を取り戻そ
う と する
彼 等また は
彼 女 達の憧 慣に
も似た願 望がそ
の底に
ある
ので
は ないだ ろ う か. さ らに
, こ の動き を後 押 し して
いる
力と して
, こ こ十 年く らい の 日本 社 会の変 化も あ
る よ
うで
ある
. こ の社 会は
,こ
れ まで
人 間の 内面を直 視 す
る こ
と な く,ひ
た す ら走り続 けて
きた
の だ が,そ
の果て に
, 数々
のひ
ずみ を生 じる に
いた
った
.そ
して
今,そ
の反 省か ら医 療 界に
あ って は
, 「全 人 的 医 療」 とい う概 念も強 調さ れ始め て
いる
. また
, 人 間の生と死の問 題へ の関 心 か ら現 在, 終 末 期 医療や生 命 倫理 も注 目さ れる よ
うに
な って
き た. 看 護 関 係 者の ケ
ア リ ン グへ の 関心は
, こう した
社 会の変 化と も無 関係で は
ない
.そ
れは
一 方で
, 殺 伐と して
乾き切った
社 会に
, 香 護の力で
人 間 的な潤い や粋を回 復しよ
う と する
運 動で
ある
と も受け取れる
ので
ある
.本 稿
で は
, こ のケ
アリ
ン グ と看護に
つ いて
考 察 して み る
が, 特に そ
の 中で
, 「 もて
な し」 とい うとこ
視 点
に
お ける
「床」 の意 味に
注 目して み
るつ も りで
ある
. な ぜ な ら 「 床」 こそ
看 護 行 為の最 重 要な 部 分で
あ り, これに よ
って
,ケ
ア リン グの深い意 味を再 確 認で
きる
ので は
ないか と考え た か らで
ある
. 聖 書とベ ネデ
ィク ト ウ
ス の 『戒 律』に そ
の思 想 的 背 景を探 っ た上で
, 最 後に ケ
ア リン グ ・ マイ
ン
ド に
裏 付け ら れた
「ケ
ア リ ン グ文 化」 の再 建を 主張して み た
いと考え て
いる
.ケア リ
ン
グ と看 護オ
ック
ス フォ ード
英 語辞 典に よ る
と,ケ
ア (c a r e)に は
大ま かに
分 類して
,2
つ の意 味が ある
とい う.1
つは
, c a ri
ng
ab
o ut で
表 現さ れる
, 人やそ
の状 態
に
対する
態 度や
感 情, 心の 状 態を示す もので
,2
つ 目は
, c a ri
ng f
o rで
示さ
れる
スキ
ル の行 使を意 味する
もので
ある
.そ し て
,ジ
ュ ッカ
ー(
J
e ck
e r ,N
.S .) とセ ル フ(S
elf
,D
.∫
.)に よ
れ ば,看 護 行 為 ( n u r s
i
ng
)は
こ の2
つ の意 味を伴 った
時に は
じめ て
完 全な
ものと さ れる
ので
ある
Ⅰ). っま り対 象と
な る
人々 に
深く想い を 巡 ら すことな
くし
て, 真の看 護 行 為は
生 じ ないで
あろ
う し, また
,深く想い を 巡 ら すの
み で
実 行が
伴わな
け れ ば, 相1
2
‑手の状 態
は
何も改 善さ れる
ことは
ない. 看 護 行 為 (n u r si
ng
) が本 来, c a ri
ng
abo ut
と c a ring f
o r の意 味か ら な って
いる
と し た ら, 看 護は
c a ri
ng そ
の もの
, つま り, 相 手をひ
たすら気 遣い
っ つ その利 益の た
め に
行 動 する こ
とで
あ る とい って
もよ
く,ケ
ア リン グ ・ マイ
ンド
(c a ring
mi
nd) とは
,そ
う し たケ
アリ ング を なすため
の基 本と なる
心の あ り方で
あ る と考え ら れ る.とこ ろ
で
,ケ
ア と対 比さ れる
語と して キ
ュ ア(c u r e) が あ
る
. 今で は キ
ュ アは
「 治 療」 と訳され,
ケ
アと対 立し た概 念のよ
うに
扱わ れて
いる
.し か し,
キ
ュ ア (c u r e)は
,オ
ック
ス フ ォ ード
英 語 辞 典に よ
れ ば, もと はラ テ
ン語の
c u r a r eよ
り きて
お り,そ
れは
c a r ef
o r(め ん
ど う を みる
) やt
ak
e c a r e of ( 気 遣う) を意 味して い
た とい
う.し
た
が って
,そ
こに は
今日
用い ら れて
いる よ
う な,ケ
ア と切りは
な さ れ た「 治 療」 の意 味はは
とん
どな
か った
. すべて は ケ
アリ
ングが
基 本に
あ った
ので
ある
.た
と えこ
れ を 「治 療」 と訳して
も,よ
く 考え れ ば,そ こ に
献 身 的なケ
アリ ン グ が な け れ ば,人
は
決して
癒さ れ ることは
ない
だ ろ う.こ
う した
意 味か ら す
る
と,ケ
アリ
ングは
看 護のみ な らず,医療 行 為
そ
の もの の基 本理念で
ある
とい うこと もで
き る. 黒 岩は こ
のよ
う な視 点で
,キ
ュ アとケ
アを包 括し
た
「 癒し」 を医 療の新た な概 念と して
提 唱して い
た2 ).し
か
し, こ こで は ケ
アリ
ン グ を広く医療というよ
り も, 看 護の視 点に
絞って
見て
い きた
い.看 護の起源 と愛の実 践
看 護 行 為
は
も と も とド
メ ステ
ィ ック
な行 為と して
出 発した
. 家 庭 内に
, ある
いは
同じ集 落の 中に
,病
ん で
いた
り負 傷した
人が
い れ ば,や
むに や
ま れぬ
同情心 を もって
ある
者は
援 助の手を差し伸べた
.これ
が
看 護の始ま りであ った
と多 数の看 護 史 家 達は
述べて
いる
.そ
こに は
, 単に
同 族の人々
の生 命 を守りた
いとい う意思 以外に
, 人 類に
アプ リ オ リ
に
備わ った
同 情心 (ある
いは
共 感) の発 露が
あ った よ
うに
思 われ る
.そ
れが
後に
, 自然な
形で
宗 教 的な 理念と結 合し,そ
の中で
, 意 味 内容を強 化させ て
発展して
い った と
言え る だ ろ
う.富 山医 科 薬 科 大 学 看 護 学 会 誌 第
5
巻1
号2 00 3
具 体 的
に
みて ケ
ア リン グは
, 例え ば, 聖 書に
記 さ れて
いる
「 愛の実 践」 や, さ らに
, 仏 教の慈 悲の行 為と も相通 じ る概 念
で
あ っ た. だ か ら,そ
れは
主と して キ
リスト
教の隣 人 愛や仏 教の菩 薩 業の一 環と し
て
, 熱 心な信 仰 者の手に よ
って
広め ら れ,救 療 活動 へ と開 花し
て
い っ たの
は言う まで
も ない
. 看 護や医療の歴 史を み れ ば 一 目 瞭 然で
あ る.こ
う し た 理念の依って
立っ思 想を考 察 すれ ば,「
ケ
アリ ン グ」 のよ
り具体 的な
内 容が明ら かに
なって
くる
こと だ ろ う. 今か らそ
れ を みて み
たい.こ
こ で は
, と くに
聖 書に
お ける
「 隣人 愛」 の思 想を 分 析して
みよ
う.「小さ き 人々」 へ の愛と 「 もてな し」
キ
リスト
教の 中心理念は
言う まで
も な く, 「隣 人 愛」で
ある
のだ が, これは
新 約の み な らず, 旧 約 聖 書も含め た
聖 書 全体を貫く重要な 理念で
ある
.ところ
で
,こ
こで
い う 「隣 人」 とは
誰の こと をい うのだ ろ う か. ルカ に よ る
福 音 書の1
0章に は
有 名 な 「良きサ
マリア人の た と え」 が出て
く るのだ が,こ
の 中で
, 「 隣 人」に
つ いて
の明 確な説 明が な さ れて
いる
. 聖 書に
お ける
「隣 人」 とは
, 物理的な 遠 近を指 すこ
と ばで は
ない
.こ の
た と え は, 強 盗に
襲わ れ傷っい た旅 人を見知らぬ
通り が か りのサ
マリア人が助け, 宿 屋
に
連れて
い って
介 抱した
とい う話
で
あ る が ( ルカ 1
0 の2
5 ‑3 7
), 「隣 人」 とは
ま さに
「隣 人に な る
」 ことが で
きる
性 質の概 念で
ある
という. 端 的に
い って
, 聖 書 的な 「 隣 人 愛」 とは
, ここ で
示さ れて
いる よ
うに
, 具 体 的な他 者,と く
に
「 小さい人々
」 へ の愛の
実 践を表 すこ
と ばで
ある
.し か し, さ ら
に
説 明が必 要で
ある
. こ の場 合,「小さい人
々
」 とは
い っ たい誰のこ
と をい って
いる
の だ ろ う か. 「小さい人々
」は
聖 書の中で は
,必 ずし も子 供
で
ある
と か体っ きの小さい人のこ
と を 意味し
て いる
の では な
い.そ
うで は な
く,そ れ は
助け を必 要と して
いる
す べて
の人々, と り わ け,貧 者, 病 人, 障害 者, 旅 人, 苦 悩す
る
人, 蔑 視さ
れて
いる
人々等, と くに
弱い立 場に
いる
人 間を指 し示すこと ばと
して
用い ら れて
いる
ので
ある
. 千 供も助け を 必要と して
いる
ので
, も ちろ ん
「小さ
い人」 の範 時
に は
入るのだ が,そ
れ だ け を指して
いる
ので は
ないというこ
と を銘 記して
お きた
い.「 隣 人 愛」 と
は
, と くに こ
う した
人々 に
対す る具 体 的な実 践の愛なので
あ る. 聖 書 的な愛とは
, 帆 上で
論じる
あこ
が れの中の抽 象 的な愛で は
な く,始め か ら終わ り ま
で
「実 践の愛」で
ある
.そ
して
愛の実 践の具 体 的な方 法の
一 つ が, 「 もて
な し」 (h
o sp iti
u m ) の行 為で
あ っ たの だ. 聖 書に は
こ の 「もて
な し」 を示 す 描 写が, 新 約, 旧約 を問わずに
頻 回に
出て
くる
.「 も
て
な し」 と 日本 語で
訳さ れて い
る語の 語 源は ラ テ
ン語の ho sp iti
u mで
ある
.こ
の語か らh
o sp i
c e やh
o spit
al
, hot
el 等の語が生ま れて
いる
の を み れ ば,b
o spiti
u m がい かに
奥 行きの深い思 想で
ある
か がよ
く わ かる で
あ ろ う. とこ ろ で
, 聖 書の 中で
描 写さ れて
いる 「 もて
な し」の プ
ロセ スに は
一 定の パタ
ー ンが ある こ
と が わ かる
. つま り,旧約, 新 約 聖 書を問わず, 「 も
て
な し」 が実 践さ れる
時に は
, お およ そ
次のよ
う な経 路を辿 って
いる
ので
ある
.つま り, 具 体 的な他 者,
こ
とに
「小 さい人」 が まず, あ る人の家に
招か れ, 食 事を与 え ら れる
.そ
して
彼 ( 女) はそ こ で
休 息を取り, 日々 の
疲れ や労 苦を癒さ れて
, 再び元 気に
な って
出 発 す
る
ので
あ る. 招か れ る人 物は時に
,そ
の地 方の名 士で
ある
と か, 使 徒で
あ っ た り予 言 者の場 合も ある
のだ が, 多くは
「小さい人々
」で
あ った
.そ
して
, こ の 「 もて
な し」に よ る
休 息と癒しの中JL、
に は
「床」 (bed
) が存 在して
いた
ので
ある
.看 護にお け る 「床」 の意 味
こ
こで
, 「床」 が 「 もて
な し」 のプ
ロ セ ス の中JL、
に
存 在して
いた
と する
と,そ
れは
実 践の愛の具体 例
で
ある
ho sp iti
u m の シ ンボ リ
ック
な意 味と して
浮か び上が って
くる
ことに
なる
. つま り, 聖 書に
おいて
, 「床」は
単に
寝る場 所で は
な く, 「 安 ら ぎと
癒し
」 を 具現化する
場と
して
存在した
ので
ある
.一 方,