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我 が ア ン グ リ ア と ア ン グ リ ア の 人 々

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Academic year: 2021

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(1)

イスラエルの子孫は旅立ち (2)、多くの人々および羊や牛などおびただしい数の家畜も出立した。バアル・ツェフォン (3)を通り、シン(本 来の綴りはツィンだと思うが (4)、それはあまり重要ではない)の荒野に宿営した。雲の橋がその前に立ち、夜には雲の柱、昼には火の 柱となっていた (5)(アングリアの人々よ、まさしくそのようにエイドリアン王は描写していたのではなかったか)。出発に際し、エジ プト人から略奪したわれらの初 ういご子を撃ちこそしなかったものの (6)、「われらと運命を共にせよ。そうすればひどい目にはあわせない」

(1)Law Collection(Christine Alexander,ABibliography of the Manuscriptsof CharlotteBrontë, The Brontë, Society in assoc. with Meckler Publishing, 1982, pp.xviii-xix)の原稿の題扉。茶色紙カバー、一八ページ、手縫い本。題扉と署名、日付は筆記体。(2)『出エジプト記』12: 37-8、『民数記』34: 1-3を参照。チャールズ卿はヴェルドポリスから脱出して富を得ようとするアングリアの若者たちを、モーセがイスラエル人をとらわれの身から開放し、カナンの地へつれていった『出エジプト記』のイスラエル人に喩えている。これはおそらくブランウェル・ブランテの最近の原稿The Wool Is Rising Or The Angrian Adventurer, 26 June 1834(SHCBM, vol. I, p.412; facsimile only)にこたえて書かれたものであろう。その中では、ノーサンガーランドが聖書の言葉を使いながら、ヴェルドポリスの群集に「彼らのカナン」であるアングリアへ来いと駆り立てている。(3)『創世記』14: 2.(4)『民数記』34: 3-4.(5)『創世記』13: 21-2.(6)『創世記』13: 21-2. [翻訳]

我がアングリアとアングリアの人々

白   井   義   昭・訳

        チャールズ・アルバート・フローリアン・ウェルズリー卿作         一八三四年一〇月一四日 (1)

(一三七) 

(2)

と言って彼らを国外へ連れだしたのだ。「ハレルヤ!」が現在ヴェルドポリス全土の合言葉となっているが、「ああ!悲しいかな、悲 しいかな、栄光は去れり (7)」と叫ばずにはおられない者もきっといるだろう。

アングリア人には「これを見よ」といわんばかりの華やかさを、しかもそれを派手に見せる傾向がある。この気質は血汐のように

たえずアングリア人の全身にくまなくゆきわたっている。このたびの移動も、そのような気質にあわせて大掛かりになされた。ある

日、ほとんど同時刻に、ヴェルトポリス東部 (8)の貴族の門前に馬車が止まり、日の出から日没まで、騎馬従者をしたがえた目にも鮮や

かな車列が押し寄せた。東方街道には轟音が轟き、別れの挨拶がそそくさとなされ、出発の予告が仰々しくなされた。旧体制派の者

たちは意味ありげに首を横に振り、若い成り上がり者どもは無礼にもはしゃぎまわり、勝ち誇ったかのように喜びあった。ある高貴

な女性は友に別れを告げて頭を下げたとき、その美しい口元には誇らしげにほころぶ微笑みがあった。下品さを感じさせない洗練さ

れたアングリア精神のエッセンスは凝縮され、それがこのような微笑みと、じらすような明るいまなざしとなったのだ。

穏健なグラスタウンの者たちにとって(年老いて気短になった貴族は言うまでもなく)、この数日間にわたる尊大な者たちの厚か

ましい態度は腹立たしかった。高貴、卑賎を問わず、やくざ者、ごろつきどもが、群れをなして屋敷から屋敷へ、通りから通りへ

と練り歩き、「大移動」の準備をせよとひっきりなしに声高に叫びたてていたのだ。準備とは言っても、ワイシャツやネッカチーフ、

靴下の替えを詰め込み、シリング貨とペニー貨が半ソブリン分入っている「メス豚の耳 (9)」を盗まれないように注意するだけのことだ。

この「財産」は時計の入っていない時計隠し )(1

(に必ずしまっておかなければならなかった。「日の出亭」や「紅旗亭」、「ノーサンガー

ランド紋章亭」の長椅子に不用心に腰掛けていれば、手先の器用さを試そうとするやり手の道連れから所持金を盗まれ、財布を軽く

される心配があったからだ。

彼らほど愚かでない者にとって、これまで住んできた町がこのような生意気な輩 やからに愚弄されるのは、きわめて嫌悪すべきであり、

非常に腹立たしいことだった。ここは父祖の故郷、女王たる大地ではないか。威厳に満ちたこの女王の顔容は雄大なニジェール川の

水 みなも面に映り、谷と小塔は遠いグアディアマ川 )((

(のきらめく流れに反射し、想像を絶するその美貌は、港の水面に晴れ晴れと映し出され

ているのだ。どっしりしたバビロン )(1

(よりも大理石で造ったおもちゃのごときエイドリアノポリスを、大地に深く根をはやしている樫

のようなギニア海岸の街よりもキノコのごときキャラバー川を好むとはまったく憤りを感じさせるものであった。

読者よ、私がシドニーやセント・ダリウス、あるいはアードラー )(1

(のように激怒したとお思いかもしれない。しかし、全くそのよう (一三八) 

(3)

なことはない。ならず者には立ち去る権利があるし、また出て行きたい )(1

(のなら、そうさせよう。立ち去ってもらって、むしろヴェル

ドポリスはせいせいしている。しかし、悲しいかな、みんながそう考えているわけではない。その証拠に、高貴なレディ・ジュリア・

シドニーが親友のレディ・マリア・パーシー )(1

(に宛てた三通の書簡の抜粋をあげることにする。いかなる運命に出会おうとも、友情は

深くて永遠で、決して壊されも妨げもされないと述べたそのあとでジュリアはこう続けている。

「マリア、あなたがとてもうらやましい。素晴らしいあなたですから、これは当然ね。まさしくアングリア宮廷の最高の女王(あ

なたをレディ・N )(1

(よりも上に置きます)、アングリアで最も立派で有能な大臣の妻、グレイト・アングリアの首相の義理の娘、アン

グリアのファッションの決定者、佳人、賞賛の的、それに美しいアングリアのバラなのですから。そのような高みに登りながら、ど

うして眩 めまい暈がしないのかしら?私ならきっとすると思うのに。マリア、あなたは壮麗になるべく生まれ、落ち着いた威厳のあるその

物腰は生来のもの。ですが、わたしの方はまったく忘れ去られてしまうでしょう。夫のエドワードがあなたの心の隙間をすっかり埋

め、そのほかの軽い思いは、全部愛しいアングリアと目もくらむばかりの栄光にきらめき輝く宮廷に捧げ尽くされることでしょう。マ

(7)『サミュエル記上』4: 21.(8)アングリアはヴェルドポリスの東にあるので、東洋の専制政治のイメージと結び付けられる。(9)「メス豚の耳からは絹の財布がつくれない」という諺に言及している。(

( 10‘fob’OED):「ズボンのウェストバンドに以前作られた小さなポケットで、時計や金などの貴重品を持ち運ぶために使用された」()

( 11Something about Arthur, n.38Alexander, vol. II, part I)以前は「グアディアナ」や「グアデイマ」であった。()を参照。

( A Leaf from an Unopened VolumeAlexander, vol. II, part Iれる。()では、「バビロンの陥落」とその指導者ザモーナの失墜が予言されている。 はのちに、シャーロット・ブロンテがバビロンの快楽・冒涜とより密接に結びついた街だと考えた、キャラバー川にあるエイドリアノポリスへ移さ 12)ヴェルドポリスはしばしば、ユーフラテス川に位置し、メソポタミア全土に勢力を振るっていた古代の大都市バビロンに喩えられる。このイメージ 13The Scrap)エドワード・シドニーとアードラー公爵アーサーは共に、ザモーナと彼の新王国に反対するヴェルドポリスの政治家である。以下の Bookにおける‘Letter to the right Honourable Arthur Marquis of Ardrah’を参照。「セント・ダリウス」は問題だ。シャーロット・ブロンテが一八三四年五月二日に詩を書いたダリウスに言及しているのかもしれない。Tom Winnifrith, ed.The Poems of Charlotte Brontë, p.158を参照。(

14‘shog’:Cf. ‘Ah’ll be shogging on, and thoo’ll owertak me’ , East Yorkshire dialectWright’s)「立ち去る。徒歩、馬、馬車などでゆっくり進む」(方言)。( Dialect Dictionary)(

( 15The Spell,n.46)マリア・スニーキーが最近エドワード・パーシーと結婚した。を参照。

16)ノーサンガーランド伯爵夫人ゼノビア。

(一三九) 

(4)

リア、もし私が愛に値しない、つまらない存在になってしまったら気の毒に思って頂戴ね。今のわたしは、煉瓦と大理石の荒野でひと

りぼっちなの。ヴェルドポリスがどれほど暗く、陰鬱しいところになってしまったのか、おわかりにはならないでしょうね。太陽は東

から昇ったと思ったら、そのまま同じ東に沈むのです。とにかく、日の光がヨーク・プレースの窓から差し込むことは決してありません。

「エドワードはこれまでになく不機嫌になり、その顔は苦虫をつぶしたよう。あまり顔をしかめすぎて、まもなく目と鼻の区別が

つかなくなってしまうほどです。あの人にとって政治は、食べたり、飲んだり、顔を洗ったり、寝たりするのと同じこと。そのよう

な中で生活し、活動し、生きているの。他のことは全然眼中にありません。パーティを開くのも政治のためだし、お話も国家に関す

ることだけ。私たちの起床も就寝も閣議の長短によって決まるの。夢の中であの人がとっても勇敢に戦い、手と顔をまるで取りつか

れたかのように動かし、「わが祖国よ!」、「破壊的計画だ!」、「腐敗政治だ!」、「破廉恥な革新者め!」などという寝言をときどき

口にするのを見たり聞いたりしますが、おかしさを通り越して、涙がこぼれてしまいます。

「しかし、これは今始まったことではなく、昔からこうでした。お祭りの夜は別ですが、家庭はいつも私にとって退屈な場所でした。

しかし、今では、外でもっと楽しいことが起こっていても、それを見る権利も奪われています。昨晩は一日中ふさぎこんで、いらい

らしていて、しまいには馬車を呼び、ロイヤル劇場へ行きました。茶番劇が演じられていたのですが、わたしはその舞台は観ないで、

劇場の激変ぶりを嘆いていました。礼装で臨むボックス席はわびしいかぎり。たしかに、高位の人、高貴な生まれの人がたくさん詰

め寄せ、ダイアモンドの髪飾りや、羽飾りをつけた年配の伯爵夫人もおられましたし、一〇代半ばにも達しない高貴な生まれのお嬢

さん、白髪の伯爵、立派な子爵、歴戦の将官等々もたくさんおられました。ですが、高潔で、さっそうとしたダンディのカースルレ

ー様、勇敢で、礼儀正しい騎士のアランデル、ごくまれにしかお目にかかれないけれども、シャンデリアの照明を受け、星辰のよう

に見えた、傲慢でハンサムなエドワード・パーシー様、非常に一風変わっていて、おかしいくらい憂鬱な表情のノーサンガーランド

様、観客ではなくて芝居をいつも見にきていたまじめなソーントン、ロスリン、シーモア、アバーコーン、レノックス )(1

(様などは、ず

いぶん探したのだけれどもおられず、おられたのは年老いた勇士とそのご夫人たちだけでした。涙が頬を伝うのをこらえるのに大変

苦労しました。では貴婦人たち、あの黒い瞳と長い黒髪はどこに行ってしまわれたのでしょうか。ハリエットの、青白いながらも優

雅な表情を浮かべた顔立ちはどこに?背が高く、品位のあるレディ・アランデルはどこに?堂々としたゼノビア伯爵夫人はどこに?

この伯爵夫人は、N卿の隣にすわって熱心に舞台をご覧になっておられ、そしてN卿は、胸に伯爵の勲章をつけ、黒いモーニングを (一四〇) 

(5)

召しておられましたわよね(私は、そのお召し物がとても魅力的だといつも思っていました)。それにメアリー・パーシー(これ以

外の名前で呼ぶことはできません)様は何処に?あの方は落ち着きがあり、誇り高く、ほとんど回りを見回すことはしません。でも

なさるときには、見つめられていると思う方のほうに恥ずかしそうにまなざしをあてるのです。私がふと目を上げ、あの方のまなざ

しが私に向けられていると知って、わたしは感動のあまりぞくっとしたものです。これらの皆様はどこに行かれたのでしよう。そう、

一五〇マイルもの彼方へ行かれたのです。マリア、胸がつぶれそう。私がどれほど落胆し、がっかりしているか、あなたにはおわか

りにならないでしょう。すぐにお手紙をください。さもないと本当に心気症になってしまいそうです。今では、あなたの手紙が私に

残された唯一の慰めなのです。お手紙がいただけないのなら、自殺(felo de se )(1

()するしかございません」

レディ・ジュリアのことはこれまでとしよう。かわいそうに、アングリアの人々が旅立ってからというもの、彼女は非常に落ち込

んでしまった。彼女はどうすべきか。別居を申し出るべきだろう。夫は花嫁である国家に預け、ただちに粋な暮らしを求めて、憧れ

である東のパラダイスへ飛び立つべきなのだ。

読者よ、十人十色とは良く言ったもので、ジュリア・シドニーが渇望し、泣いて欲しがるあの特権を不肖チャールズ・ウェルズリ

ーは鼻であしらい、軽蔑する。ウィルキン・ソーントン将軍はエイドリアノポリスへ出発する前にあらゆる手を使って私を同行させ

ようとした。だが私は、約束をするといわれても、脅迫されても、暴力を振るわれても、ウンとは言わなかった。むしろ彼を嘲笑し、

愚弄し、引っ掻きまわし、抵抗したのである。暴君の家臣として進んで参加するのか。そうしたことはありえない。私は毅然として

一歩も動かなかった。このために将軍は私を残してガーニントン・ホール )(1

(を発たざるを得なかった。その後、私は白い館の鏡板に取

り囲まれたあの穴蔵でパラマウント卿と顔を突き合わせながら憂鬱な五日間を過ごした。そのうちに家に閉じこもっているのが嫌に

なり、表へでてこの国のありさまを見ても良いのではないかと思うようになった )11

(。そうしても、ソーントン将軍に屈することにはな

(

( Abercorn, SeymourThe Green Dwarf,n. 67Alexander, vol. II, part I)を参照。ロスリンはロスリン伯セント・クレア卿の息子。()を参照。 17High Life In Verdopolis, nn.25 and 40Lennox, )ヴェルドポリスの通常の若いしゃれ貴族。名前はすべて実際のウェリントン公爵と関連している。(

( 18‘felo de se’: )自殺(英国中世ラテン語の表現)

( 19The Spell,n. 81)を参照。

2013: 16-17.)『民数記』

(一四一) 

(6)

るまいと思ったのだ。六日目の夕方にそう決心し、翌朝それを実行することにした。翌日は、日の出前に起床して身支度をし、パー クロードまで一人で徒歩で行った。そうなのだ、読者よ。馬車を仕立て、供を連れてもよさそうなこの私が、途中で車に便乗する )1(

(見

込み )11

(があれば良いがと願いながら、たった一人で一〇〇マイルの旅に出たのだ。

ガーニントン・パークは森といってもよく、年輪を経た木々が鬱蒼と茂り、大きな幹や巨大な枝から見える牧草地は、林間の空き

地のように思われた。私がそこを通っていくと、薄明かりの中に牧草地が見えた。あちらこちらで、鹿がゴリアテ )11

(のようなオークの

巨木や、ほっそりと生えた青白いカバノキの背後を駆け抜け、枝からはときどき驚いた雉がパタパタととびだし、遠くの静かな森の

奥では目覚めたばかりのヒメモリバトが低く太い声で鳴いていた。私は、ソーントン将軍に内緒で持ち歩いていた合鍵で、この場所

を閉ざしていた大きな門を開け、次にそれを閉じて鍵をかけ、こうしてこの「大いなる失望の城」から開放されたのである。嬉々と

して )11

(歩き進んで行った。前方の露に濡れた道も、これまで歩んできた後ろの道も、ともに朝日を浴び、涼風がそよそよと心地良く吹

いていた。後ろを振り返ると、庭園の真ん中に巣ごもりしていた(遠くからは、そのように見えた)エドワードストン・ホール )11

(とそ

の村は、薄青色の靄のヴェールを徐々に脱ぎ、その屋根をくっきりと天高くもちあげるようにみえた。まるで朝日を誘い、まずは自

分の上に輝いてくれと言っているかのようであった。

シドナム・ヒルズの地平線 )11

(は、えも言われない黄金の光を放って輝き、鮮やかな深紅に染まったかとおもうや、銀白色の青色に変

わった。この青は秋の朝にこそ完璧になる。夏の夜明け時の青も柔らかに明るく輝きはする。しかし、水平線に沿って青が色鮮やか

になるのは秋に限る。広い道を東、西とすばやく見渡してみた。だが、だれ一人としておらず、人影すらない。一羽の鳥もこの広大

な白い大地を飛んでいない。真っ白な世界だった。だが、空が紅く燃えていくにつれ、周りは急速に黄色に染まっていった。

急ぎはしないので、垣根の下に腰をおろして旅の道連れが来ないかと眺めていた。すると、まもなく、何か黒いものが遠いエドワ

ードストンの森から滑るようにやってきた。はるかかなただったので、最初は動いていると思われなかったが、近づいてくるにつれ、

人の輪郭が明らかになってきた。しかし、足音はまだ聞こえなかった。道の曲がり角でその姿がいったん消え、そしてふたたび現わ

れた。わずか八〇ヤードの距離だ。しっかりとした早い足取りの、背の低いやせ男で、黒い上着に灰黒色のズボンをはき、帽子はほ

とんど頭の後ろにかぶり、両脇の髪の毛は真っ赤な人参色で、それが両手を広げたように逆立っていた。高いわし鼻にメガネをかけ、

黒のネッカチーフを無造作に結んでいる。そしてこの絵の仕上げとして、小さな黒い籐のステッキを手にしていた。背筋をまっすぐ (一四二) 

(7)

にピンと伸ばし、歩き方を自慢する者がよくするように、身体を奇妙に左右にゆすりながら歩いていた。彼が近づいてきたので私は 立ちあがり、「やあ、ウィギンズ )11

(」と言った(彼だったのだ)。「おはよう。今朝は良い天気だな」

「めったにないほどの良い朝でございます、チャールズ卿様。お会いできて光栄至極に存じます。良いご旅行をなさいませ。御供

できますことを誇りに思います。もっとも、私に付いてこられたらの話ではございますが」

「心配するな、ウィギンズ。しかし、地の果てまでも行くつもりか。お前の歩きぶりからすればそのような気がするが」

「世界の果てまでとは、到底いきません。今のところ、ザモーナ )11

(よりそう遠くへは行かないと思っております。昨夜エドワードス

トンに到着し、一泊しました。グリーンウッド氏 )11

(がヴェルドポリスから私を呼びになったのです。チャールズ卿様、四〇マイルある

道のりを私は半日でやってまいりました。実際は四〇マイル以上ありましょうな。五〇マイルに近いといってよいくらいですよ。い

や、六〇マイルはゆうにあるでしょう。六五マイルかもしれないですな。どうです、一日に六五マイルですよ」

ウィギンズが誇張した言い方をするのを私は知っていたから、これには答えず、ただうなずいただけにした。彼はさらに話を続け

た。「今日ザモーナで大きな式典があるということでございます。アングリア人たちへのあの演説 )11

(に対しての集会で、カースルレー

(

( 21‘cast’: OED)「車に人を途中で乗せること」()

( vol. I, ch. XI: ‘Take care of this future magistrate, this church-warden in perspective.’ Shirley, ‘perspective’には「見込まれて」という意味もあり、シャーロット・ブロンテは『シャーリー』においてこの語をこの意味で用いている。 22 ‘perspective’: Shakespeare HeadSHCBM, vol. II, p. 7 ‘prospective’)の編集者たちが言っているように()、の誤用とは必ずしも限らない。

( 23 ‘Goliah’17:4.)原稿にはと綴られている。ペリシテ人の巨人。『サミュエル記上』

( 24Bunyan, The Pilgrim’s Progress, ed. Roger Sharrock1966, part I.)()

( 25)アングリアの辺境にあるヴェルドポリス・ヴァレーにおけるエドワード・パーシーの田舎の屋敷。

26‘A National Ode for the Angrians,’ 17 July 1834Christine Alexander, The Early Writings of )「シドナムの古い丘」。アングリアの陸標。( Charlotte Brontë,p.126)を参照。(

( 27Corner Dishes‘A Day Abroad’)パトリック・ベンジャミン・ウィギンズ。ブランウェル・ブロンテの戯画で、の第二章で登場。

( 心としてのエイドリアノポリスとなる。 28)ザモーナの新しいアングリアの州にあるオリンピア川沿いの繁栄した産業都市。カースルレー卿の管理下にある。のちに、アングリア国家社会の中

( 29Corner Dishes1, n.92)を参照。

(一四三)  30‘Address to the Angrians by His Grace the Duke of Zamorna’ in The Scrap Bookbelow.)

(8)

卿が司会をし、エドワード・パーシー氏が演説をするそうです。どうしても聞きたいものです。あの方は一昼夜で一〇〇マイル歩か

れた本当にすごいお方です。ぴったりフィットした燕尾服を着ており、その高い襟は巻き毛の頭にまで達していました。今朝私はエ

ドワードストン・ホールの入り口で半時間以上ひざまずいておりました。ほら、ズボンの膝をご覧ください。チャールズ卿様、ズボ

ンのこの土はパーシー氏の御足がしばしば踏まれた土に相違ございません。私の背中も同じ名誉に浴すれば良いのにと思ったのです

が、それはあまりにも厚かましい願いというものでございましょう。パーシー氏はさようなことをなさらないでございましょう」

ちょうどそのとき、背後に馬の近づく音が聞こえ、ウィギンズの長広舌はさえぎられた。私たちが振り向くと、私の話し相手が賞

賛していたその主が鹿毛の馬にまたがり、お供も連れずに、早足で現れたのだった。彼の地位と権力を示すのに、供の者はほとんど

必要としなかった。背筋をピンと伸ばして堂々と鞍にまたがり、手綱を巧みに操り、優雅にしっかりとそれを引いていた。万全の装

備で、拍車は光り、鐙 あぶみ革は金色に輝き、「はみ」と「くつわ」は純銀の光を放っていた。黒玉色の長靴、黄茶色の外套。クリーム色 のズボンは、第一級の仕立て屋 )1(

(の手になるもので、若い運動家の均整のとれた肉体を見事に浮き立たせ、見る者に賞嘆の声をあげさ

せた。鷹のような眼は前方をまっすぐ睨 にらみ、彼の高貴な顔 かんばせを二つの宝石さながらに輝かせていた。その碧眼が怒りの炎をあげて激し

く燃えるとき、その視線に耐えられるものは誰もいなかった。彼は一言も発せず、一瞥もせずに私たちの側を通りすぎていった。そ

れが遠くに離れて見えなくなるまで、私はその姿を追った。ふたたびウィギンズに視線を戻すと、なんということか、(ベンジャミン・)

ウィギンズはカレイ )11

(のように顔を地面につけ、死んだニシンのように微動だにせず倒れているではないか。そして新たに昇ってきた

太陽を拝むパールシー教徒 )11

(のように東にむかって平伏していたのであった。

「ベンジャミン、立て。おるのはわしだけなのに、こんなばかな真似はやめろ」

だがベンジャミンは返事をしなかった。アングリアの乗合馬車の音が雷のように遠くから聞こえてこなかったら、どれほど同じ姿勢

のままでいたかわからない。馬車には内にも外にも乗客がいて、屋根の上には荷物が積み重なり、馬は湯気を立てていたが、乗客は

大声で冗談を言っては笑い、車掌と御者もそれにあわせてわめいていた。彼らが通りすぎていくときの喧騒は耳を聾するばかりであ

った。それでウィギンズはすぐさま跳び起き、立ちあがるやいなや「畜生、糞食らえ。おれという奴はなんというおいぼれか。もう

ろくした、くだらない盲目の虫けら、不格好な雑種、恥知らず、盗人、追いはぎ、刺客、殺害者、スリ、コソ泥、犬泥棒、伝染病・

ペスト・飢餓の張本人か。ノーサンガーランドのご子息パーシー様が、おれを撃たず、おれに唾をはきもせずに側を通りすぎたとい (一四四) 

参照

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