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『太平記』の表現世界と宋元代の学芸

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(1)

『太平記』の表現世界と宋元代の学芸

著者 ? 力

著者別名 DENG Li

ページ 1‑63

発行年 2019‑03‑24

学位授与番号 32675甲第445号 学位授与年月日 2019‑03‑24

学位名 博士(学術)

学位授与機関 法政大学 (Hosei University)

URL http://doi.org/10.15002/00021759

(2)

『 太 平 記

』 の 表 現 世 界 と 宋 元 代 の 学 芸

D E NG Li (

力 )

(3)

法 政 大 学 審 査 学 位 論 文

『 太 平 記

』 の 表 現 世 界 と 宋 元 代 の 学 芸

D ENG Li (

力 )

(4)

『 太 平 記

』 の 表 現 世 界 と 宋 元 代 の 学 芸

目 次 序 章 本 論 文の ね ら いと 背 景

一 第 一 節 本 論 文 の目 的

一 第 二 節 南 北 朝 期に お け る宋 代 の 学問 の 伝 入に つ い て

一 第 三 節

『 太 平 記』 に お ける 中 国 文学 を め ぐる 先 行 研 究

二 第 四 節 宋 元 版 の渡 来

三 第 五 節 本 論 文 の概 要

三 第

一章

『 太平 記

』 にお け る 杜詩 の 受 容の 再 検 討

第 一 節

『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 につ い て

七 第 二 節 李 広 の

「恨 み

」 から 杜 甫 の「 恨 み

」へ

第 三 節

「 丹 青

」の 表 現

一 二

第 四 節

「 竜 馬

」の 典 拠

一 四 第

二章

『 太平 記

』 の表 現 と 中国 詩 集

―韓 愈

・ 蘇軾 の 受 容 を中 心 に

一 八

第 一 節

『 太 平 記』 に お ける 韓 愈

・蘇 軾 の 引用 に つ い て

一 八

第 二 節

『 太 平 記』 に お ける 韓 湘 説話 の 受 容の 再 検 討

一 九

第 三 節

『 太 平 記』 に お ける

「 精 衛填 海

」 の受 容 に つ いて

二 四

第 四 節

『 太 平 記』 に お ける 蘇 軾 の受 容 と その 詩 集

二 六 第

三章

『 太平 記

』 巻二 十 六

「黄 粱 夢 事」 に お ける 楊 亀 山 の漢 詩 に つい て

三 一 第 一 節 先 行 研 究に つ い て

三 一 第 二 節 宋 学 の 伝来

三 二 第 三 節 楊 亀 山 の受 容 と 五山 僧

三 三 第 四 節

『 太 平 記』 に 引 用さ れ た 楊亀 山 の 漢詩 に つ い て

三 四 第 五 節

『 太 平 記』 に お ける 楊 亀 山の 詩 の 出典

三 五 第

四章

『 太平 記

』 にお け る 黄庭 堅 の 受容 の 試 論

三 九

第 一 節 五 山 禅 林に お け る黄 庭 堅 の受 容 に つい て

三 九

第二 節

『太 平 記

』の 文 章 表 現と 黄 庭 堅

四十

第 三 節 天 正 本 の増 補 表 現と 黄 庭 堅の 受 容 につ い て

四 四 第

五章

『 太平 記

』 の表 現 と 中国 の 類 書―

『 韻 府群 玉

』 受 容の 可 能 性―

五 二

(5)

第 一 節 日 本 に おけ る 類 書の 受 容 につ い て

五 二

第 二 節

『 太 平 記』 に お ける 宋 代 の故 事 と

『韻 府 群 玉

五 三

第 三 節

『 太 平 記』 に お ける

『 世 説新 語

』 の故 事 と

『 韻府 群 玉

五 六

第 四 節

『 太 平 記』 に お ける 蟷 螂

・精 衛 の 表現 と

『 韻 府群 玉

五 八 終

章 む す びと 展 望

六 二

(6)

- 1 -

序 章 本 論 文 の ね ら い と 背 景

第一 節 本論 文 の目 的 南北

朝 時 代に 成 立 した

『 太 平 記』 は 多 数の 漢 詩・ 中 国 故事 を 引 用し て

、新 た な 時 代 の風 潮 を 反映 し て いる

。そ の風 潮 と は宋 学 の 盛行 で あ り、 禅 宗・ 儒 学・ 文学 を は じめ と す る 宋代 の 学 問が 日 本 知識 人 の 間に 急 速 に広 め ら れて き た こと を さ す

。『 太 平 記』 は 平安 期 以 来 の文 人 た ちに 愛 読 され て き た『 白 氏 文 集

』『 文選

』『 史 記』 だ けで な く

、宋 代 文 学 に尊 崇 さ れた 唐 の 韓 愈・ 杜甫

、宋 の 蘇 軾・ 楊 亀 山・ 司馬 光 な どの 詩 作 も しば し ば 引用 し て いる

。さ ら に

、宋 代 の 故事 を も 文章 表 現 に取 り 込 み、 文 学 の多 様 性 と時 代 性 を鮮 明 に 呈し て い る。

『 太 平 記』 に お ける 漢 詩 の受 容 に つい て

、こ れ まで の 研 究は

『 詩 人 玉屑

』『 三 体 詩

』『 古文 真 宝

』な ど の 宋 代 詩論 詩 集 の深 い 影 響を 指 摘 して い る が

、こ れら の 詩 論詩 集 に 収め ら れ ない 漢 詩 と 中国 故 事 が『 太 平 記

』に は見 ら れ る。 よっ て

、こ れら の 漢 詩・ 中国 故 事 の受 容 経 路を 明 ら かに す る 必 要が あ る ので は な いか

。 とこ ろ で

、宋 代 と 元代 は 印 刷 術の 発 展 とと も に

、宗 教・ 文学

・儒 学に 関 する 書 物 が 大量 に 印 刷さ れ た 時代 で あ る。 日 本 は貿 易 と 留学 僧 の 帰国 を 通 して

、宋 元刊 の 漢籍 を 受 け 入れ た

。 南 北 朝 時 代 の五 山 版 の 多 く は 宋 元 版 を 底 本 と し て 刊 刻 さ れ た もの で ある

。 そ の 伝 入 さ れ た 時 期を 考 え ると

、『 太平 記

』 作者 は 宋 元版 を 読 み得 る 環 境に あ っ たと 思 わ れる

。 こ れま で の 研 究で は

、『 太 平 記

』に 受 容 され た 漢 詩・ 中 国 故事 の 典 拠の 多 く を明 ら か にし た が

、そ の 受 容 経路 に あ たる テ キ スト に つ いて は あ まり 触 れ られ て こ な かっ た

。そ こ で

、本 論 文 は 南北 朝 期 に伝 入 さ れた 宋 元 刊の 漢 籍 を調 査 し なが ら

、『 太 平 記

』に 受 容 され た 漢 詩・ 中 国 故事 を 考 察 する こ と によ っ て

、そ の 表 現と 受 容 の経 路 を 明ら か に し たい

。 第二

節 南北 朝 期に おけ る 宋代 の 学問 の伝 入に つい て

『太 平 記

』の 成 立 した 前 後 の時 期 に

、宋 代 の どの よ う な書 籍 が 日本 に 伝 入さ れ て き たの か

。 芳 賀幸 四 郎 氏は 五 山 禅林 の 学 問及 び 文 学を 考 察 して

、宋 代 に尊 崇 さ れる 李( 白

)・ 杜( 甫

)・ 蘇

(軾

)・ 黄( 庭 堅

)な ど の 詩人 を 五 山僧 が 愛 読し

、 そ の芸 術 性 を評 論 し て、 自 作 に しば し ば 引用 し た こと を 指 摘し た

。 また

、文 学 だけ で な く、 宋 代 の 儒 学で あ る 宋明 理 学 も この 時 期 に伝 わ っ てき た

。足 利衍 述 氏 は中 世 に おけ る 儒 学の 受 容 の問 題 を 調査 し て

、『 普 門 院経 論 章 疏語 録 儒 書等 目 録

』に 朱 子 学 関連 の 本 が記 載 さ れて い る こと に 注 目し て い る

。小 島毅 氏 は 十三 世 紀 から 十 六 世 紀に か け ての 日 本 の朱 子 学 受容 は

、も っ ぱ ら 禅僧 に よ って な さ れ たと 指 摘 して い る

鎌 倉 時代 の 後 期に は 宋 学は 既 に 日本 に 伝 わっ て い たと 考 え てよ い だ ろ う。 その ほ か

、芳 賀 氏 は五 山 僧 たち が 中 国の 故 事 を引 用 し

、修 辞 の 技巧 を 弄し た 法 語 や疏 を 作 る 上で

、百 科全 書 的 な知 識 を 必要 と し、 さ ら に大 陸 の 詩文 を 鑑 賞理 解 し 自ら が 詩 文 を作 る 上

(7)

- 2 -

で も、 中国 の 辞 書・ 韻書

・ 類書 な ど にた よ る 必要 が あ った と 指 摘し て い る

。 よっ て

、新 た な 宋代 の 故 事を 受 容 する 経 路 とし て

、 宋代 の 類 書に も 注 目 する 必 要 があ る の では な い か。 以上 の 先 行研 究 に よる と

、『 太 平 記

』が 成 立 する 前 に

、日 本 の 知識 人 は すで に 宋 代の 広 い 学 問 を 受 容 した 可 能 性 が あ る こ と が わ か る

。 と り わ け 五 山 僧 たち は この 新 た な 潮 流 を 積 極 的 に吸 収 し た文 化 の 先鋒 と い える だ ろ う。 一 方

、近 年 の 研究 で は

、『 太 平 記』 作 者 は五 山 文 化 圏に 深 い 関わ り が ある こ と が指 摘 さ れて い る

そ こで

、『 太 平 記

』は こ のよ う な 文化 の 環 境 の中 で 誕 生し た も ので あ っ たこ と を 意識 し な がら

、漢 詩・ 中 国 故事 の 受 容の 問 題 を 考察 し た い。 第三

『太 平 記』 にお け る中 国 文学 をめ ぐる 先行 研究 早く

『 太 平記

』の 古注 釈 書 はす で に 中国 文 学 の受 容 に 触れ て い た。

『 太 平 記賢 愚 鈔

』『 太 平 記 鈔』 は

、数 多 く の 中国 詩 人 また 典 拠 につ い て 指摘 し た

。し か し

、取 り 上げ ら れ た 書名 が は っ きり 説 明 され て い ない と こ ろが 多 い

。例 え ば

、杜 甫 に つい て

、「 杜 子 美 詩集 十 巻 云」

、「 杜 詩 一云

」、

「 杜子 美 第 五ニ

」 など と 記 され る の みで

、 具体 的 な 書名 を 示 さず

、『 太 平記

』 が ど の よう な 書 を通 じ て 杜詩 を 受 容し た の かを こ こ から 窺 う こ とは で き ない

。 増田 欣 氏 は『 太 平 記』 に お ける 中 国 文学 に 関 する 研 究 の 大成 者 で ある

。増 田氏 は『 太 平記

』 に 引用 さ れ た漢 詩 に つい て 以 下の よ う な見 方 を 述べ た

。 以

、時 代 の 新し い 傾 向を 象 徴 する も の とし て 李 杜蘇 黄 尊 重の 風 潮 をと り あ げ、 そ れ に 対 す る『 太 平 記

』作 者 の 態 度 がど の よ うな も の であ る か を一 暼 し た。 作 者 が い くら か の 関 心 を 示 し て い る の は 杜 甫 で あ る が

、お し な べ て そ の 関 心 は 積 極 的 な も の と は い え な い

。そ れ は

、さ き に 見た

『 白 氏文 集

』に 対 す る 態度 と は 雲泥 の 差 があ る と い わね ば な る ま い

。『 白 氏 文集

』 や

『文 選

』 に対 す る 親昵 と いう 伝 統 的 な教 養 を 主体 と し

、動 乱 の 社 会 を 生 き る 者 の 歴 史 的 体 験 に よ っ て それ を 裏 づ け 再 生 さ せ る と い う の が

、『 太 平 記

』 作 者 の 立場 で あ った と 考 えら れ る

。 右

に 示 し たよ う に

、 増 田 氏 は

『 太 平 記

』 作 者は 伝 統 的 な 教 養 と し た

『 白 氏 文 集

』『 文 選

』 を 愛 読 し

、 宋代 以 来 尊 重 さ れ た 李 杜 蘇 黄 へ の 関 心 は 積 極 的 な もの と は い え な い こ と を 指 摘 し てい る

。だ が

、詩 人の 引 用 の次 数 か らみ れ ば

、白 居易 は 依 然と し て 第一 位 で ある が

、杜 甫・ 韓愈

・蘇 軾・ 楊 亀山

・司 馬 光 な どの 引 用 の次 数 を 合計 す る と、 実 は 白 詩に 負 け な いほ ど 多 い。 よっ て

、宋 代 文 学は

『 太平 記

』に 深 い影 響 を 与 えた と い える で あ ろう

。ま た

、増 田 氏 は

『詩 人 玉 屑』

『 古 文真 宝

』 など の 宋 代詩 論 詩 集に 収 め られ た も のと 合 致 する 例 が 多い こ と を あげ て

、そ こ か ら 受容 し た 可能 性 が 高い こ と を述 べ て いる

。後 に 柳 瀬 喜代 志 氏 も 同様 の 見 方を 述 べ てい る

。 要す る に

、こ れ まで の『 太 平 記』 に お ける 中 国 文学 の 先 行研 究 は 豊富 な 成 果を あ げ た一 方

(8)

- 3 -

受 容 の 経 路 につ い て は 十 分 明 ら か に し て き た わ け で は な い

。 これ ら の漢 詩 の 受 容 経 路 を 考 察 する 際 に

、宋 代 詩 論 詩集 の み に こだ わ ら ず、 個 人 詩 集、 儒学 の 漢 籍、 類書 な ど

、よ り広 い 宋 代の 漢 籍 を視 野 に 入れ る べ きだ と 思 われ る

。 その ほ か

、森 田 貴 之氏 と 張 静宇 氏 の 研究 は

、『 太 平 記

』作 者 は 五山 文 化 圏に 深 い 関わ り が あ るこ と を 示唆 し て いる

。さ ら に

、森 田 氏 と 大坪 亮 介 氏は 天 正 本の 増 補 記述 を 考 察し て

、天 正 本 の 成 立 圏は 五 山 禅 林 と 関 わ り が あ り

、 古 態 本 に は 受 容 さ れて い な い 漢 籍 を 利 用 し て 増 補 を行 っ て いた と い う指 摘 も 行っ て お り、 注 目 され る

第四 節 宋元 版 の渡 来

『 太 平 記』 に み え る 宋 代 の 詩 作 あ る い は 宋 代 の 故 事 は ど のよ う なテ キ ス ト を 経 由 し て 受 容 され た の か。 こ の 問題 を 明 らか に す るた め に、 南 北 朝期 に 渡 来し た 宋 元刊 本 を 確 認し な け れ ばな ら な い。 ま ず 長澤 規 矩 也氏 は 日 本に 現 存 する 宋 元 版を 調 査 して

、詳 し い 書 目 のリ ス ト を 整理 し た

し か し

、 現 存す る 宋 元 版 が すべ て 南 北 朝 期に 伝 入 さ れ た わ けで は な い

。 一 方

、宋 元 版 を底 本 と して 刊 刻 され た 五 山版 を 調 査す る と

、南 北 朝 に伝 入 した 宋 元 版 を一 部 分 確 認で き る と思 わ れ る。 こ れ につ い て は、 川 瀬 一馬 氏 の『 五 山 版 の研 究

』が 参考 に な る

。 また

、宋 元刊 本 の 個人 詩 集 につ い て

、太 田 亨 氏は 五 山 禅林 に 受 容さ れ た 中国 の 杜 甫の 注 釈 書 を調 査 し てい る が

、こ こ か ら『 太平 記

』が 成 立し た 時 期に 日 本 にあ っ た 杜甫 の 注 釈 書を 確 認 でき る

。ま た

、 五 山 僧 であ る 中 巌 圓 月 の記 述 に よ っ て、 南 北 朝 に 受 容 され た 韓 愈 文 集 が 二 種 あ る こと が わ か る

。 王 連 旺 氏 は 五 山 禅 僧 に も っ と も 利 用さ れ た蘇 軾 文 集 に つ い て 指 摘 した

。 倉田 淳 之 助 氏 と 村越 貴 代 美 氏 は 南北 朝 期 に 宋 刊 の黄 庭 堅 の 詩 集 を覆 刻 し た も の が ある こ と を指 摘 し てい る

そ の ほか

、宋 代 の類 書 に つい て

、川 瀬 一 馬 氏は 五 山 版『 韻 府 群 玉』 に は 大陸 よ り 来日 し た 刻工 名 が 附刻 さ れ てい る こ とか ら

、南 北 朝 半ば 頃 の 開 版だ と 判 断 した

上述 の 先 行研 究 に よる と

、『 太 平 記

』作 者 は これ ら の 宋元 刊 本 に触 れ る 可能 性 が ある こ と が わか る

。 第五

節 本論 文 の概 要 以

、『 太 平 記

』作 者 の 創作 環 境

、南 北 朝 の宋 元 刊 本 の伝 入

、 及び

『 太 平記

』 に お ける 中 国 文学 の 受 容の 先 行 研究 を 大 まか に 述 べて き た

。本 論 文 は『 太 平 記』 に 引 用さ れ た 漢 詩・ 中 国 故事 を 再 考察 し て

、そ の 表 現お よ び 受容 の 経 路を 明 ら かに し よ うと す る もの で あ る。 先 に 言 及し た 先 行研 究 を 踏ま え な がら 考 察 を進 め る こと と な る

。 本論 は 五 章で 構 成 して い る

。 第一

『太 平 記

』に お け る杜 詩 の 受 容の 再 検 討

(9)

- 4 -

第二 章

『太 平 記

』の 表 現 と中 国 詩 集

―韓 愈

・ 蘇軾 の 受 容を 中 心 に― 第三 章

『太 平 記

』巻 二 十 六「 黄 粱 夢 事」 に お ける 楊 亀 山の 漢 詩 につ い て 第四 章

『太 平 記

』に お け る黄 庭 堅 の 受容 の 試 論 第五 章

『太 平 記

』の 表 現 と中 国 の 類 書―

『 韻 府群 玉

』 受容 の 可 能性

― 第一

章 で は『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 の受 容 に つい て 検 討す る

。ま ず 第 一 節で は

、中 世 文 学 及 び『 太 平 記』 に お ける 杜 甫 の受 容 の 先行 研 究 につ い て 述べ る

。宋 刊本 の 杜 工部 集 か ら、

『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 の受 容 を 再検 討 す る必 要 性 を指 摘 す る。 第 二 節 では

『 太平 記

』巻 四 に み え る杜 詩

「 将赴 荊 南 寄別 李 剣 州弟

」 の一 聯 の 引用 と

、「 天 涯 の 恨を 吟 尽 し」 と い う文 章 表 現 を 考 察 す る

。該 詩 は

『 詩 人 玉 屑

』 に も 収 め ら れる

。 だ が

、「 天 涯 の 恨

」 の 語 は

『 杜 工 部 集』 の 注釈 に 引 かれ る「 李 廣の 恨

」を 踏 まえ た 表 現と 思 わ れる

。第 三 節 では

『太 平 記

』巻 三 十 九 に

「筆 を 丹 青に 不 仮 して

、 十日 一 水 の精 神 を 斯に あ つ め」 の 表現 を 検 討 する

。「 十 日一 水 の 精 神」 とい う 表 現が

、杜 詩「 戲題 王 宰 畫山 水 圖 歌」 の一 聯「 十 日 畫 一水

」か ら 受 容 した も の だ とい う こ とは 先 行 研究 が 既 に指 摘 し てい る

。 その 一 方 で、

「 筆 を丹 青 に 不仮 し て

」の 表 現 は 宋刊 本 の 杜工 部 集 の『 分 類 本

』、

『 九家 本

』あ るい は『 草 堂 本

』の 注 釈 を 参考 に し た可 能 性 が 高い と い える

。第 四 節で は

、巻 十 三の

「竜 馬

」を め ぐる 描 写 につ い て 考察 す る

。こ の典 拠 に つい て は

、従 来 指 摘さ れ て きた 杜 詩「 房 兵 曹胡 馬

」 より

、「 李鄠 縣 丈 人胡 馬 行

」 の方 が ふ さ わし い と 思わ れ る

。ま た

、宋 刊 本 の諸 杜 工 部集 の 注 釈を 考 察 する と

、作 者 は『 九家 本

』よ り も『 分 類 本』 を 通 して 杜 詩 に接 し て いた 可 能 性が 高 い と思 わ れ る。

『 太 平記

』 に 引用 さ れ た 杜詩 に つ いて は

、先 行 研 究 の指 摘 に ある と お り、 宋 代 の詩 論 詩 集を 経 由し た も の があ る 一 方 で、

『 杜 工部 集

』 刊本 の 注 釈、 と り わけ

『 集 千家 註 分 類杜 工 部 詩』 の 注釈 に よ ると こ ろ も 少 なく な か った こ と を本 章 で は指 摘 す る。 第二 章 で は『 太 平 記』 に お ける 韓 愈・ 蘇 軾 の 受容 を め ぐっ て 論 述を 展 開 する

。第 一 節で は

『 太 平 記

』 にお け る 韓 愈

・ 蘇 軾 の 引 用 の 先 行 研究 に つ い て 述 べ る

。 第 二 節 で は

、『 太 平 記

』 巻 一の 韓 湘 説話 の 出 典を 考 察 する

。韓 湘 説 話に 叙 述 され る「 牡 丹」 は『 詩人 玉 屑

』に 見 ら れ な い一 方

、『 新 刊 五百 家 注 音辯 昌 黎 先生 文 集

』巻 二「 左遷 至 藍 関示 姪 孫 湘」 の 題 注 に引 用 さ れ る『 酉 陽 雜 俎』 に記 述 が 認め ら れ るこ と を 指摘 す る

。第 三節 で は

、巻 三十 四「 精 衛填 海

」 の 表現 が 韓 詩「 學 諸 進士 作 精 衞銜 石 填 海」 の 第 三聯 と 似 て おり

、記 述の 一 部 が『 朱 文 公 校昌 黎 先生 文 集

』に 収 め ら れた 同 詩 の題 注 の 内容 と 一 致す る こ とを 指 摘 す る。 第 四 節 で は『 太 平 記

』に お け る蘇 軾 の 受容 を 考 察し

、 巻二 十 七

「人 間 第 一ノ 水

」 の表 現 が

、『 王 状 元集 諸 家 注 分 類東 坡 先 生詩

』巻 十 三「 惠 山 謁 錢 道人 烹 小 龍團 登 絶 頂 望太 湖

」及 び そ の 注釈 を 参 考 にし た 可 能性 が 高 いこ と を 述べ る

。こ の よ う に、

『 太 平 記』 に お ける 韓 愈・ 蘇 軾 の 受容 に つ いて は

『 詩人 玉 屑

』だ け で はな く

、彼 ら の 詩集 及 び 注釈 を も 活用 し た 可能 性 が 高い

。『 太 平記

』 作 者 はこ う し た書 籍 に 身近 に 接 する こ と がで き る 環境 に い た ので あ ろ う。 第三 章 で は『 太平 記

』巻 二十 六「 黄 粱 夢事

」に お け る楊 亀 山 の漢 詩 を 考察 す る

。第 一節 で は まず

『 太 平記

』に おけ る 楊 亀山 の 引 用の 先 行 研究 に つ いて 述 べ る。 第 二 節で は

、宋 学 の 伝

(10)

- 5 -

来 に関 す る 先行 研 究 につ い て 述べ

、『 太平 記

』 が成 立 す る前 後 に は、 五 山 僧た ち が 宋 学、 特 に 程 朱 理 学 を受 容 し て い た こ と を 確 認 す る

。 第 三 節 で は 五 山 文化 圏 にお け る 楊 亀 山 の 受 容 を 考 察 し

、 五山 僧 に お け る 楊 亀 山 の

「 程 門 立 雪」 の 故 事 の 受 容 が

、『 皇 元 風 雅

』 の

「 十 雪

」 詩 によ る も のだ と 思 われ る こ とを 述 べ る。 第 四 節で は

、巻 二 十 六 に引 用 され た 楊 亀 山の 漢 詩

「 勉謝 自 明

」を 考 察 する

。そ の受 容 の 経路 に つ いて

、宋 代詩 論 詩 集 では な く

、ほ か の 漢 籍か ら の受 容 を 考え な け れば な ら ない こ と を指 摘 す る。 そ し て第 五 節 では

、『 太平 記

』 作者 が 元 刊 本『 性 理 群書 句 解

』か ら こ の漢 詩 を 受容 し た 可能 性 が 高い も の と指 摘 す ると と も に、

「 勤 勉

」に 関わ る 故 事や 詩 文 は『 太 平 記』 作 者が 特 に 関心 を 寄 せる と こ ろで あ っ たこ と を 述べ る

。 五 山に お い て宋 学 が 盛ん に な った 時 期 に成 立 し た『 太 平 記

』を 考察 す る 時に

、宋 代 文 学だ け で なく

、『 性理 群 書 句解

』 の よう な 宋 代の 儒 学 に関 す る 漢籍 も 無 視で き な いと 思 わ れ る。 第四 章 で は、

『 太 平記

』 の 文章 表 現 を取 り 上 げて

、 同 時に 天 正 本の 増 補 表現 を 考 察し な が ら

、黄 庭 堅 詩集 の 受 容の 可 能 性に つ い て論 を 進 める

。第 一節 で は 五山 禅 林に お け る 黄庭 堅 の 受 容の 先 行 研究 を 整 理し て

、少 な くと も『 太 平記

』作 者 が宋 元 刊 の山 谷 詩 集を 読 み う る環 境 に あっ た 可 能性 が あ るこ と を 述べ る

。 第二 節 で は、

『 太 平記

』 巻 二十 一 の

「戻 眼 空 く百 歩 の 威 にお ほ ひ

」と 巻 二 十五 の「 人間 百 年 の楽

」と いう 二 例 の表 現 を 考察 す る こと に よ って

、作 者 が黄 庭 堅 詩集 を 受 容し た 可 能性 が あ るこ と を 指摘 す る

。第 三 節 では

、天 正本 の 増 補 記述 を 考 察し て

、独 自 の 山 谷詩 集 か らの 受 容 につ い て 指摘 す る

。古 態 本 系の 二 例の 文 章 表 現と 天 正 本 の 三 例 の 増補 表 現 を 考 察 し て

、 先 行 研 究 で は あ ま り 触 れ ら れる こ との な か っ た 黄 庭 堅 詩 集 の 受 容 の 可能 性 を 検 討 す る

。 特 に 天 正 本 の 編 者 が 新 な 宋 代 の文 献 を利 用 し て 本 文 を 増 補 す る傾 向 を 示し て い た点 は

、 注目 す べ きで あ る と考 え る

。 第五 章 で は、

『 太 平記

』 に おけ る 中 国故 事 を 考察 し

、 宋代 の 類 書で あ る

『韻 府 群 玉』 か ら 受 容の 可 能 性を 論 述 する

。第 一節 で は

、ま ず 日 本に お け る類 書 の 受容 に 関 する 先 行 研 究に つ い て述 べ る

。元 版 の 流入 状 況 を考 え る と、

『 太 平記

』 作者 は

『 韻府 群 玉

』に 触 れ た可 能 性 も 否 定で き な いよ う に 思わ れ る

。第 二 節 では

、巻 二十 六 に みえ る 宋 代の 故 事「 戴 嵩 画 牛」 の 受 容 の経 路 を 考察 す る

。日 本 に 伝入 し た 宋代 の 漢 籍を 確 認 しな が ら

、『 太 平 記』 の

「 画工 闘 牛 之 尾ヲ 誤 テ

、牧 童 ニ 笑レ タ ル 事」 と いう 表 現 が

、『 韻 府 群玉

』 によ っ て 受容 し た 可能 性 が 高 い こと を 述 べる

。第 三 節で は

、『 太 平記

』巻 二 十 七に み え る「 喘 月 呉 牛

」と い う『 世 説新 語

』 の 故事 の 受 容に つ い て考 察 し

、こ の表 現 も『 韻府 群 玉

』に よ っ た 可能 性 が 高い こ と を 指摘 す る

。第 四 節 では

、『 太平 記

』 巻十 に あ る「 蟷 螂

」と

「 精衛

」 を 同時 に と りあ げ る 表現 に つ い て 考察 す る

。こ の 表 現は 宋 代 の詩 人 で ある 秦 観 の漢 詩 の 一句 と 相 似す る と ころ が あ るが

、よ り 直接 的 な 典拠 と し ては 同 詩 の一 句 を 収め た『 韻 府 群玉

』で あ った と 思 われ る

。百 科 全書 で あ る『 韻 府 群 玉』 に は 日 本に 伝 入 さ れて こ な かっ た 宋 代故 事 や 詩歌

、あ る いは 簡 略 し て金 句 化・ 成 語 化 した 中 国 故事 が 収 めら れ て おり

、こ れ に よ って 日 本 の知 識 人 たち は 最 新 の中 国 文 学 の情 報 を 手に 入 れ るこ と が でき た

。『 太 平 記

』作 者 も この よ う な類 書 を 使っ て 豊 富 な文 章 表 現を 形 成 でき た も のと 思 わ れる

。 以上

、 本 論は 五 章 二十 節 に よっ て 構 成さ れ る

。こ れ ら の考 察 を 通し て

、『 太 平 記』 に お け

(11)

- 6 -

る 漢詩

・ 中 国故 事 の 典拠 と 受 容の 問 題 を明 ら か にし た い

柳 瀬 喜 代志 氏『 日 中 古典 文 学 論考

』第 二 部 第四 節「 中 世 新 流行 の 詩 集・ 詩話 を 典 拠と す る

『太 平 記

』の 表 現

」( 汲 古 書院

、 一 九九 三 年

。初 出

、 和漢 比 較 文学 叢 書 一五

『 軍 記 と漢 文 学』

、 汲 古書 院

、 一九 九 三 年)

芳 賀 幸 四郎 氏『 中 世 禅 林の 学 問 およ び 文 学に 関 す る研 究

』第 二 編 第二 章「 大 陸 文 学の 鑑 賞 と研 究

」( 日 本 学 術振 興 会

、一 九 五 六年

。 思 文閣

、 一 九 八一 年 再 刊)

足 利 衍 述氏

『 鎌 倉室 町 時代 之 儒 教

』( 有 明 書房

、 一 九七

〇 年

、初 版 は 一九 三 二 年

)。

小 島毅 氏

「 日 本 の 朱 子 学・ 陽 明 学 の 受 容

」(

『 東 洋学 術 研 究

』 第 五 十 四 号、 二

〇 一 五 年

)。

芳 賀 幸 四郎 氏 注 2前 掲 書。

森 田 貴 之氏

「『 太 平 記

』の 漢 詩 利 用法

― 司馬 光 の 漢 詩か ら

」(

『 国 語国 文

』二

〇 一〇 年 三 月号

)。 張静 宇 氏「

『 太 平記

』と 呂 洞 賓 の物 語

」(

『 軍 記 と語 り 物

』第 五 十二 号

、二

〇 一 六 年)

増 田 欣 氏『 太平 記 の 比較 文 学 的研 究

』第 二 章「 中国 詩 文 集 の摂 取 に 関す る 考 察」

( 角川 書 店、 一 九 七六 年

)。

増 田 欣 氏注 7 前 掲書

増 田 欣 氏注 7 前 掲書

柳 瀬 喜代 志 氏 注1 前 掲 書。

森 田 貴之 氏「 天正 本『 太平 記

』増 補方 法 小 考― 巻 四「 呉越 戦 の 事」 増 補 漢詩 に つ いて

(『 京 都大 学 国 文学 論 叢

』第 二 十二 号

、二

〇 九年

)。 大 坪 亮 介氏

「天 正 本『 太 平 記』 巻 四「 呉 越戦 事

」の 増 補 傾向

― 姑 蘇 城・ 姑 蘇 台と 西 施 の記 述 を 端緒 と し て―

」(

『 文学 史 研 究

』 第 五十 八 号

、二

〇 一 八年

)。

長 澤 規矩 也 氏『 長 澤 規矩 也 著 作集

』第 三 巻「 宋 元 版の 研 究

」「 関 東現 存 宋 元版 書 目

」及 び

「 関 西 現存 宋 元 版書 目

」( 未 定 稿

)( 汲 古 書 院、 一 九八 三 年

)。

川 瀬 一馬 氏

『 五山 版 の 研究

』( 日本 古 書 籍商 協 会

、一 九 七

〇年

)。

太 田 亨氏

「 禅 林に お け る中 国 の 杜 詩注 釈 書 受容 に つ いて

― 初 期の 場 合

―」

(『 中 国学 研 究 論 集

』 第九 号

、 二〇

〇 二 年)

王 連 旺 氏

「市 立 米 沢 図 書 館蔵

『 増 刊 校 正 王 状元 集 注 分 類 東坡 先 生 詩

』 残 7巻 考

― 朝 鮮 銅 活 字 版の 底 本 を中 心 に して

」(

『 中国 文 化

』第 七 十 四 号、 二

〇 一六 年

)。

倉 田 淳 之 助氏

『 黄 庭 堅

』「 解説

」( 集 英 社

、 一九 六 七 年

)。 村 越貴 代 美 氏

「『 山 谷 詩 集 注

』 を 読 む ため に

」(

『慶 應 義塾 大 学 日 吉紀 要

(言 語

・文 化

・ コミ ュ ニ ケー シ ョ ン)

』 第 四 十 八 号

、 二〇 一 六 年)

川 瀬 一馬 氏 注 13 前 掲 書。

(12)

- 7 -

第 一 章

『 太 平 記 』 に お け る 杜 詩 の 受 容 の 再 検 討

はじ め に 日本

に お いて

『 太 平記

』は

、杜 甫 の 詩作 を 引 用し た 極 めて 早 い 散文 作 品 であ る

。平 安 期 以 来 の日 本 文 学で は『 文 選』

『白 氏 文 集』 等の 受 容 が主 流 で あっ た が

、『 太平 記

』で はこ れ ま で 重 視 さ れ て きた 漢 籍 と 新 来 の 宋 代 詩 学 を 調 和 融 合 さ せ て 新 し い気 象 を開 く と い う 様 相 を 呈 し てい る

。そ のう ち

、杜 詩の 受 容 は

、こ う し た 新風 の 一 つの 現 れ では な い かと 考 え ら れる

。 これ ま で

、『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 は、 宋 代 詩論 詩 集 を経 由 し て受 容 さ れて き た と理 解 さ れ る傾 向 に あっ た

。 だが

、『 太平 記

』 中の 杜 詩 にも と づ く表 現 を 詳細 に 検 討し て ゆ くと

、 こ う し た 理 解 では 十 分 説 明 で き な い 事 例 の あ る こと に 気 が つ く

。 そ こ で 本 稿 で は

、『 太 平記

』 作 者が 杜 甫 の詩 集 を 直接 利 用 した 可 能 性に つ い て検 討 を 試 みる

。 第一

『 太平 記』 にお ける 杜詩 につ いて 中

世 末期 か ら 近 世 初 期 に 成 立 し た

『 太 平 記

』 注 釈 書 で ある

『 太 平 記 賢 愚 抄

』『 太 平 記 鈔

』 で は、

『 太 平記

』 中 の語 句 の 出典 と し てし ば し ば杜 詩 が 引用 さ れ る。 し か し、 典 拠 につ い て

「 杜子 美 詩 集十 巻 云

」、

「 杜 詩 一云

」、

「 杜子 美 第 五ニ

」な どと 記 さ れ るの み で

、具 体 的 な 書名 は 示さ れ ず

、『 太 平 記』 が ど のよ う な 書を 通 じ て杜 詩 を 受容 し た のか を こ こか ら 窺 う こと は で きな い

。 一方

、『 太平 記

』 の漢 籍 受 容を 網 羅 的に 研 究 した 増 田 欣氏 は 次 のよ う に 指摘 し て い る。

『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 が『 詩 人 玉屑

』か らの み 得 たも の と はい え な いが

、比 較的 長 い 古 詩 の なか か ら 一聯 の 対 句が 摘 句 され る 背 景に は

、詩 話・ 詩 論の 類 に おい て す で にそ の 対 句 が と り あ げ ら れ て

、 あ る 程 度 評 価 が定 ま っ て い る と い う よ う な 事 実 の あ る の が 普 通 な の であ る

。『 太 平 記

』作 者 が いく ら か の関 心 を 示し て い るの は 杜 甫で あ る が、 お し な べ て その 関 心 は積 極 的 なも の と はい え な い

。 増田

氏 は その 理 由 とし て

、『 太 平 記

』に 引 用 され た 杜 詩が

、 当 時五 山 僧 に深 い 影 響を 与 え た

『詩 人 玉 屑』

『 古 文真 宝

』 など の 宋 代詩 論 詩 集に 収 め られ た も のと 合 致 する 例 が 多 いこ と を あげ て い る。 そ の後

、柳 瀬喜 代 志 氏も

『 三体 詩

』『 詩 人 玉 屑』

『 聯 珠詩 格

』『 古 文 真 宝』

( 前 集

)と い う 四つ の 宋 代詩 論 詩 集が

『 太 平記

』に 影響 を 与 えた こ と を指 摘 し

、作 者 が 杜 詩を 学 習 し て い た 事実 は 窺 え る が

、 そ の 摘 句 に は 既 習 の 宋 代 詩 論 詩 話が 大 い に 影 響 し た と ほ ぼ 同 様 の見 解 を 示し て い る

。こ う し た 見解 に つ いて は

、『 太 平 記』 にお け る 杜詩 と 宋 代 詩論 詩 集 が 収め る 杜 詩を 一 首 ずつ 対 照 する こ と によ っ て

、検 証で き る と思 わ れ る。 増 田 氏 は 巻一

「 俊

(13)

- 8 -

基 資朝 被 召 取関 東 下 向事

」の

「 同 官 モ肥 馬 ノ 塵ヲ 望 ミ

、長 者モ 残 盃 之冷 ヲ 啜 ル

」ほ か

、七 箇 所 の 杜詩 を 引 用 し た 表 現 を 指 摘し た

。 そ し て

、そ れ ら の 原 拠 は

「 奉 贈韋 左 丞 丈 二 十 二 韻

「 將赴 荊 南 寄別 李 劔 州」

「 兵 車行

」「 新 婚別

」「 送孔 巢 父 謝病 歸 遊 江東 兼 呈 李白

」「 贈 韋左 丞 丈 濟

」「 戲 題 王 宰畫 山 水 圖歌

」な ど 七 首で あ る こと も 指 摘 した

。そ の 一方 で

、七 首 のう ち

、「 將 赴 荊南 寄 別 李劔 州

」「 新 婚 別

」「 贈 韋 左 丞丈 濟

」「 戲 題 王 宰畫 山 水 圖歌

」 は『 詩 人 玉屑

』 に も 見 える こ と から

、『 太平 記

』 作者 は 詩 話・ 詩 論 の類 に と りあ げ ら れた 著 名 なも の を 引く だ け で

、李 杜 蘇 黄を 尊 重 する 時 代 にあ り な がら

、杜 甫 へ の 関心 は 積 極的 で は なか っ た と 述べ て い る

。 しか し

、果 た し て『 太 平 記

』作 者 は 杜甫 に 対 して ど の よう な 態 度を 取 っ てい た の か

、よ り 慎 重に 考 察 しな け れ ばな ら な いの で は ない か

。 例え ば

、『 太 平 記

』に お け る杜 詩 を 踏ま え た 例 とし て は

、増 田 氏 の指 摘 の ほか に も

、「 剣 門

」が あ る

。巻 四 十

「高 麗 人 来朝 事

」 に「 一 夫 忿 て関 に の そむ に

、万 夫不 可 傍

と いう 引 用 があ り

、諸 注 釈書 は こ れに 相 似 し た李 白「 蜀 道 難」 の「 一 夫 當 關、 萬 夫莫 開

」を 出 典 と して あ げ てい る

。だ が

、実 は こ の 詩作 は 杜 甫「 剣 門

」の

「 一夫 怒 臨 關、 万 夫 不 可傍

」と 一 致 し、 こち ら の 方が よ り 相応 し い 出典 だ と 考え ら れ る

。ま た

、「 剣門

」を 含 め

、原 拠 と なっ た 八 首の 詩 を 見 てみ る と

、「 剣 門

」は

『 三 体 詩

』『 詩 人 玉屑

』『 聯珠 詩 格

』『 古 文 真 宝』

( 前 集) に は 収め ら れ てい な い こと が わ かる

。 ま た、 確 か に「 剣門

」は 宋 代 の張 戒 に よっ て 編 纂さ れ た『 歳 寒堂 詩 話

』に は見 え る が、 先 行 研 究に よ れ ば

、『 太 平 記

』作 者 はこ の 詩 話に 触 れ てい な か った ら し い。 よ って

、「 剣 門

」の 出 典は ほ か の 文献 に あ るも の と 考え て よ いと 思 わ れる

。 とこ ろ で

、五 山文 学 の 開祖 と い われ る 虎 関師 錬( 一 二 七八

~ 一 三四 六

)は

『 済 北集

』に お い て、 日 本 で初 め て 杜詩 の 注 釈に つ い て引

用・ 考 証し て い る

。後 に

、そ の弟 子 の 中巌 円 月( 一 三

〇〇

~ 一 三七 五

)も

『東 海 一 漚集

「偶 看 杜 詩有 感 而 作」

「 效 老杜 戲 作 俳諧 体

」「 三 月 旦 聽童 吟 杜 句有 感

」 とい う 詩 作を 残 し て、 杜 詩に 学 ん だ姿 を 伝 えて い る

。こ の よ うに

、『 太 平 記』 が 成 立 する 前 後 に

、書 物 と し ての 杜 詩 注釈 書 は 日 本に 渡 来 し利 用 さ れて い た

。だ と す る と、

『 太 平記

』 作 者が 直 接 に杜 詩 注 釈書 か ら 杜甫 の 詩 を受 容 し た可 能 性 を探 る こ と も必 要 だ と思 わ れ る。 第二

節 李 広の

「恨 み」 から 杜甫 の「 恨み

」へ はじ

め に

、『 太 平 記』 巻 四 の杜 詩 引 用を 通 し て、 宋 代 詩論 詩 集 には よ ら ない

、 も う 一つ の 受 容経 路 の 可能 性 を 検討 す る

。巻 四「 囚人 配 流 事」 に は

、元 弘 の 変の 際 に 後醍 醐 天 皇 方と し て 捕ら え ら れた 人 々 が処 刑

、配 流 さ れ る記 事 が ある

。そ の中 の 尹 大納 言 師賢 の 配 流 の記 事 を 見 てみ よ う

。 尹

大 納 言師 賢 卿 をは

、下 総国 え な かし て 千 葉介 に 預 らる

、此 人志 学 の歳 の 昔 よ り和 漢 の 才 を 事 とし て

、更 に 栄 辱の う ち に 心を と ゝ め給 さ り しか は

、今 遠 流 の 刑に あ ふ 事露 計 も

(14)

- 9 -

心 に 懸 思は れ す

、盛 唐 詩 人 杜少 陵 か 天宝 の 末 の乱 に あ ふて

「路 経 灔 傾双 蓬 鬢

、天 入 滄 浪 一 釣 船

」と 天 涯 の恨 を 吟尽 し

、 吾朝 哥 仙 小野 篁 は 隠岐 国 に 被流 て

、「 大 海 の はら 八 十 嶋 か け て 漕出 ぬ

」と 旅泊 の 思 を述 告 し

、是 皆 時 の 難易 を し り て可 歎 を 歎か す

、運 の窮 達 を 見 て 可 悲を 悲 ま す、 これ

は 直 接に 杜 甫 の名 に 言 及 する く だ りで

、こ こ で は 師賢 の 遠 流が 杜 甫 の漂 泊

、小 野篁 の 配 流と 類 比 され て い る。 西 源 院 本を 除 き

、諸 本 と も 杜詩

「 將 赴 荊南 寄 別 李劔 州

」の うち

の「 路 經 灩澦 雙 蓬 鬢、 天 入滄 浪 一 釣舟

」を 引 用 し てい る

。た だ し

、神 宮 徴古 館 本は

「 澦

」を

「 傾

」、

「 舟」 を「 船

」に

、玄 玖本 は「 天 入」 を「 天 落」 と し て いる が

、杜 詩 か ら の引 用 で あ るこ と は 間 違 い な い。 一 方

、 西 源 院 本 で は こ の 詩 に よら ず

、「 洗兵 馬

」 の 一 聯

「 三 年 笛 裏 關 山 月

、 萬 國兵 前 草 木風

」を 引い て い る。 本 稿で は 西 源院 本 が 引用 し た 杜詩 の 検 討は ひ と ま ず措 き

、 多 数の 伝 本 に引 用 さ れた

「 將 赴荊 南 寄 別李 劔 州

」に つ い て 考察 す る こと に す る。 これ ま で の理 解 を 踏ま え れ ば

、『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 は宋 代 詩 論詩 集

、つ ま り『 三 体詩

『 詩人 玉 屑

』『 聯 珠 詩格

』『 古文 真 宝

』( 前 集

) など を 経 由し て 受 容さ れ た こと に な る。 右 の

「 將赴 荊 南 寄別 李 劔 州」 を 収め る の は『 詩 人玉 屑

』の み で あ る。 周 知の よ う に、

『 詩 人玉 屑

』 は 中世 か ら 近世 に か けて

、 日 本文 学 に 広く 影 響 を与 え た 漢籍 の 一 つと い え る。 し か も、

『 太 平 記』 が 成 立す る 前 に、

『 詩 人 玉屑

』は 日本 に 伝 えら れ て いた

。『 花 園天 皇 宸記

』正 中 二年

( 一 三 二五

)十 二 月二 十 八 日条 に「 近 代 有新 渡 書

、号 詩人 玉 屑

、詩 之髓 脳 也

」と い う 記 載が あ る

こ の ほか

、 虎関 師 錬 の『 済 北集

』 巻十 一

「詩 話

」 にも

「 玉屑 集

、句 豪 畔理 者

、 以石 敏 若 冰 柱懸 簷 一 千丈

、與 李 白白 髪 三 千 丈之 句 並 按」

と 記 さ れて い る ので

、鎌 倉 末 期・ 南 北朝 初 期 には

、 日 本の 知 識 人は 既 に

『詩 人 玉 屑』 を 受 容し て い た ので あ る

。 さて

、「 將 赴 荊南 寄 別 李劔 州

」の 詩 句は

『 詩 人 玉屑

』巻 二 の うち

、「 誠 齋 評李 杜 蘇 黄詩 體

」 と 題す る 文 章の 中 に 引用 さ れ てい る

。 麒

麟 圖 畫鴻 鴈 行、 紫 極 出 入黃 金 印

、又 白 摧 朽骨 龍 虎 死、 黑 入 太 陰雷 雨 垂、 又 指 揮 能事 回 天 地

、 訓練 強 兵 動鬼 神

、 又路 經 灩 澦雙 蓬 鬢

、天 入 滄 浪 一釣 舟

、 此杜 子 美 詩體 也

麒 麟 の 圖畫 鴻 鴈 の行

、紫 極 出 入す 黃 金 の印

、又 白 きは 朽 骨 を摧 き て 龍虎 死 し、 黑 きは 太 陰 に 入 りて 雷 雨 垂る

、又 指 揮 の 能 事に し て 天地 を 回 らし

、訓 練の 強 兵 にし て 鬼 神を 動 か す

、 又 路は 灩 澦 を經 雙 蓬 鬢、 天 は 滄浪 に 入 る一 釣 舟

、 此れ 杜 子 美が 詩 體 なり 右は

楊 萬 里( 誠 斎) が

、李 白

、杜 甫

、蘇 軾

、黄 庭堅 の 四 人 の詩 体 を 評論 し た うち の

、杜 甫 の それ を 評 した 一 節 であ る

。確 か に

、こ こ に 引 用さ れ た「 將 赴 荊 南寄 別 李 劔州

」の 一 節は

『 太平 記

』巻 四に 引 用 され た 詩 句 と一 致 し てい る

。だ が、

『 太 平記

』で は この 詩 句 が 杜甫 の

「 天涯 の 恨

」を 吟 じ たも の と して 紹 介 され て い るが

、『 詩人 玉 屑

』の 右 の 文章 に は そ うし た 理 解を 導 く 説明 は な い。 だと す る と、

『太 平 記』 の 作者 は『 詩 人 玉 屑』 のみ を 典 拠 にし て

(15)

- 10 -

師 賢配 流 の 一節 に 杜 詩の 引 用 を行 い え たの か と いう 疑 問 が 生じ て く る。 そ こで

、迂 遠 なよ う で はあ る が

、こ の 詩 の全 体 の 内容 を 確 認し て み たい

。 將

赴荊 南 寄 別李 剱 州 將 に 荊 南に 赴 か んと し て 李劔 州 に 寄 せ別 る 使 君 高 義驅 今 古

使 君 の高 義 今 古を 驅 る 寥 落 三 年坐 剱 州

寥 落 たり 三 年 剱州 に 坐 す 但 見 文 翁能 化 俗

但 だ 見る 文 翁 の能 く 俗 を化 す る を 焉 知 李 廣未 封 侯

焉 ぞ 知ら ん 李 廣の 未 だ 侯に 封 ぜ ら れざ る を 路 經 灩 澦雙 蓬 鬢

路 は 灩澦

を 經 雙 蓬鬢 天 入 滄 浪一 釣 舟

天 は 滄浪 に 入 る一 釣 舟 戎 馬 相 逢更 何 日

戎 馬 相ひ 逢 ふ こと 更 に 何れ の 日 ぞ 春 風 回 首仲 宣 樓

春 風 首を 回

ら さ ん仲 宣 の 樓

(『 集 千 家注 分 類 杜工 部 詩

』巻 二 十 一

) この

詩 は

、剣 州 に 一 年近 く 滞 在し た 杜 甫が

、荊 南 へ 赴く 際

、剣 州で の 生 活に 便 宜 を 与え て く れた 剣 州 刺史 の 李 某に 贈 っ たも の で ある

。冒 頭の

「 使 君」 は 李 某の こ と をさ し

、そ の優 れ た 政 化 を 文 翁の 事 跡 に 比 し

、 そ れ で も 栄 達 で き な い 彼 の 境 遇 を李 広 が侯 に 封 ぜ ら れ な か っ た 故事 に な ぞら え て いる

。 そ して

、『 太平 記

』 に引 用 さ れる 傍 線 部の 一 聯 では

、 こ れか ら 向 か う荊 南 へ の船 旅 に 思い を 馳 せ、 最 後 の一 聯 で は兵 乱 に よっ て 再 会は 期 し がた く

、仲 宣 楼 に 登 って あ な たの い る 方角 を 眺 める ほ か ない だ ろ うと 詠 ん で いる

。こ こ で 注 意す べ き は、 傍 線 部 は確 か に 杜甫 の 漂 泊す る 姿 を描 い た もの だ が

、そ れ が『 太 平 記

』の い う よう な 杜 甫の

「 天 涯 の恨

」、 つま り 僻 遠の 地 を さす ら う 恨み の 心 境を 述 べ たも の で は必 ず し もな い と い うこ と だ

。『 太 平記

』の 作 者 が なぜ こ の 詩に 杜 甫 の恨 み を 読み と っ たの か が

、こ こ では 問 題 に なる

。 そこ で

、杜 詩 注 釈 書を 経 由 した 理 解 が、 こ こ には 交 え られ て い るこ と を 検討 す る 必要 が 生 じ てく る

。 実は

、『 太平 記

』 が成 立 す る以 前 に

、宋 代 に 編集 さ れ た『 杜 工 部集

』 諸 刊本 は 日 本 に伝 わ っ て い た

。太 田 亨 氏 の 指摘

に よ れば

、 日 本 に お ける 杜 詩 研 究 の 開祖 と い わ れ る 虎 関師 錬 は

、『 済北 集

』に お い て 中国 渡 来 の『 集千 家 注 分類 杜 工 部詩

』( 以下

『 分類 本

』と 称 す

)を 受 容 し てい た

。ほ か に、 中 巌 円 月

、義 堂 周 信 を はじ め と する 禅 林 初期 の 五 山僧 も『 分 類 本

』 と

『 杜工 部 草 堂 詩 箋

』( 以 下

『 草 堂 本

』 と 称す

) の影 響 を 受 け て い た と い う

。 ま た

、 嵯 峨寛 氏 の「 杜 工 部集 傳 本 系統 表

によ れ ば

、宋 代 には 注 の ない

『 杜工 部 集

』の 刊 本が 既 に 複数 存 在 した

。だ が

、本 稿は 主 に

、注 釈 の施 さ れ た『 杜 工 部集

』の

『 太 平 記』 へ の影 響 を 検 討す る の で、 無 注 の『 杜 工 部集

』 は 今回 の 考 察か ら 外 す こと と す る。 太田 氏 の 研究 に よ れば

、『 太平 記

』 が成 立 し た時 期 に 該当 す る 禅林 初 期 まで に 刊 行 され た 杜 詩の 中 国 側注 釈 書 には

、『 王状 元 百 家注 編 年 杜陵 詩 史

』、

『 分 門集 注 杜 工部 詩

』、

『 九家 集 注

(16)

- 11 -

杜 詩』

、『 杜工 部 草 堂詩 箋

』、

『 集 千 家 注分 類 杜 工部 詩

』、

『 集 千 家注 批 点 杜工 部 詩 集

』( 以 下『 批 点 本』 と 称 す) 等 が ある

。 なお

、『 王 状元 百 家 注編 年 杜 陵詩 史

』と

『 分 門集 注 杜 工部 詩

』 の 二 種は 当 時 日 本 へ 伝わ っ て い な かっ た ら し い と 指 摘さ れ て い る た め

、 今 回の 考 察 で は こ れ らを 除 く 四種 を 対 象に 検 討 しよ う と 思う

。 この 四 種 のう ち で

、五 山 僧 に 最も 重 視 され た の は『 集 千 家注 分 類 杜工 部 集

』と

『 集 千 家注 批 点杜 工 部 集』 の 二 つの 杜 詩 注釈 書 で ある

『 分 類 本』 は 宋 の 黄希

・黄 鶴 父 子 が 補注 を 施 し

、嘉 定 九 年( 一 二一 六

)に 成立 し て い る。 テ ー マ に よっ て 詩 を分 類 配 列し

、そ れ ま での 諸 注 を集 大 成 し、 さ ら に作 詩 年 代を も 明 確に し て いる

。 一 方、

『 批 点本

』 は 劉辰 翁 が 評点 を つ け て高 楚 芳 が編 集 し

、元 の大 徳 七 年( 一 三〇 三

)に 刊 行 され て い る。 こち ら は『 分 類 本』 と 違 い、 編 年 体 で詩 を 配 列し

、従 来 の諸 注 の 中で も 必 要 のな い も のは 削 り 落し

、自 ら の評 点 が 施 され て い る。 そ の ため

、 両書 の 内 容に は 差 異が 少 な くな い の であ る

。 また

、『 九家 集 注 杜 詩

』( 以 下

『 九 家 本』 と 称 す

) は 宋 代 に は

『 新 刊 校正 集 注 杜 詩

』 あ る い は

『 杜 工 部 詩 集 注

』 と も呼 ば れ てい た

。宋 人 で あ る郭 知 達 が詩 体 に よっ て 詩 を分 類 し

、九 家 の注 を 集 め たも の で あ るた め

、後 に『 九家 集 注 杜詩

』の 名 が 付 けら れ た

。最 後 の『 杜 工 部草 堂 詩 箋』 は

、宋 代 に 刊 行さ れ た 杜詩 注 釈 書の 一 種 であ る

。編 年 体 に よっ て 詩 を配 列 し

、編 者 であ る 蔡 夢 弼が 大 量 に 前人 の 旧 注を 引 用 して 校 訂 した も の であ る

。先 行 研 究 にお い て

、南 北 朝初 期 の 五 山僧 が 既 に 受容 し て いた こ と が確 認 さ れて い る 杜詩 注 釈 書で あ る

。 なお

、前 述 した

『 分 類 本』 には 二 種

、『 批 点本

』に は 一種 の 五 山版 が 存 在す る

。こ のう ち

『 分類 本

』の 一 種 に は永 和 二 年( 一 三 七六

)の 刊記 が あ り、 他 は 南北 朝 時 代の 刊 本 とは 見 ら れ るも の の 刊年 は 未 詳で あ る

。よ っ て

、『 太 平 記』 の 作者 が 五 山版 を 参 考に し て いた か ど う かは 不 明 であ る

。だ が、 五 山 版 の 存在 す る こと こ そ

、そ の 前 段 階に 五 山 僧の 間 で 広 く読 ま れ てい た 杜 詩注 釈 書 がこ の『 分 類 本』 と『 批 点 本

』で あっ た こ とを 示 す もの と 思 われ る

。で は

、つ づ い て以 上 の 四種 の 杜 詩注 釈 書 を参 考 に しな が ら

、『 太 平 記』 に お ける 杜 詩 を考 察 し よ う。

『太 平 記

』巻 四 の いう

「 天 涯の 恨

」 とい う 表 現と の 関 わり で 注 目さ れ る のは

、「 將 赴荊 南 寄 別 李 劔 州

」の 第 二 聯

「 焉 知 李 廣 未 封 侯

」 に つい て の 注 で あ る

。『 分 類 本

』 巻 二 十 一 に は

、 次 のよ う な 注解 が 施 され て い る。 洙

曰 李 廣傳

、初 廣與 從 弟 李蔡 俱 爲 郎、 蔡 積 功武 帝 封 爲樂 安 侯

、廣 不 得 爵 邑、 官 不過 九 卿

、 常 與 望 氣王 朔 言 之、 朔 曰 將 軍自 念 豈 嘗有 恨 者 乎

、廣 曰 吾 爲 隴西 守 羌 嘗反

、吾 誘 降者 八 百 餘 人

、 詐而 同 日 殺之

、 至 今恨 獨 此 耳、 朔 曰 禍莫 大 於 殺 已降

、 此 乃將 軍 不 得封 侯

、 洙

曰 く

、李 廣 傳

。初 め 廣、 從弟 李 蔡 と俱 に 郎 と爲 る

。蔡

、功 を積 み て 武帝 封 じ て 樂安 侯 と 爲 す

。廣

、爵 邑 を得 ず

、官 は 九 卿に 過 ぎ ず。 常

て望 氣 の 王 朔と 之 を 言ふ

。朔 曰 く

、將 軍 自 ら 念へ

。豈 に 嘗 て恨 む る 者有 る か

、と

。廣 曰 く

、吾 隴 西の 守 た り。 羌嘗 て 反 す。 吾

(17)

- 12 -

誘 ひ て 降る 者 八 百餘 人

。詐 り て 同 日に 之 を 殺す

。今 に 至 る まで 恨 む るは 獨 だ 此 れの み

、 と

。朔 曰 く、 禍 ひ は 已に 降 れ る を殺 す よ りも 大 な るは 莫 し

。此 れ 乃 ち 將軍 封 侯 を 得ず

、 と

『批 点 本

』『 九 家 本

』『 草 堂 本』 に も 同様 の 注 があ る

。こ こ で は 李広 が 侯 に封 ぜ ら れ なか っ た 理由 を 説 明す る 故 事を あ げ てい る

。李 広 は望 気( 運 気で 吉 凶 を 占う 者

)の 王 朔 に 自 らの 不 遇 を語 る と

、王 朔 は 李 広に 過 去 の 出来 事 で 後悔 し て いる こ と はな い か と尋 ね た

。す る と

、李 広 は隴 西 の 太守 で あ った 時

、羌 人 の 投 降者 八 百 余人 を 騙 して 即 日 全員 を 殺 した こ と が、 今 に 至 るま で の「 恨 み」 で ある と 答 え たと い う。 こ こで の 李 広の

「 恨」 は「 後悔 し て い るこ と

「 残念 に 思 うこ と

」 の意 味 で

、「 將 赴 荊南 寄 別 李劔 州

」に は 直 接に 使 わ れて い な かっ た 言 葉 で ある

『太 平 記

』で は「 路經 灩 澦 雙蓬 鬢

、天 入 滄 浪 一釣 舟

」の 句 は 杜 甫が 僻 遠 の地 を さ す らう こ と への

「恨 み

」を 詠 ん だも の と 解さ れ て い る。 この 詩 は 本来

、杜 甫 の「 恨 み

」を 詠 ん だも の で はな い が

、『 太 平 記

』の 作 者が そ の よう に 理 解し

、引 用 し たの は

、『 杜 工部 集

』の 注 に二 度 に わた り 出 てく る

、 李広 の

「恨

」 の 語に 影 響 され た た めで は な かっ た か

。だ と す ると

、『 太 平 記』 の 作 者は

、『 詩人 玉 屑

』に 引 か れる よ う な杜 甫 の 詩の み か らこ の 詩 を解 釈 し てい た の で はな く

、注 を 交 え た杜 甫 の 詩集 を 通 じて こ の 詩を 受 容 して い た もの と 考 えら れ る

。た だ し

、 注 に見 え る「 恨」 の主 体 や 語義 と『 太 平記

』本 文 に は 大き な 乖 離が あ る

。そ れ が 意 図的 な も の な の か

、『 太 平 記』 作 者 の 理 解 力 に 関 わ る も の なの か は

、 俄 に 判 断 す る こ と は で き な い。 な お、 当 該 箇所 は

、 四種 の 注 釈書 と も ほぼ 同 じ 注釈 で あ るた め

、『 太 平 記

』作 者 が 参考 に し た 刊本 を こ こか ら 特 定す る こ とは 困 難 であ る

。 第三

「 丹青

」の 表現

『 太平 記

』の 作者 が 杜 詩を 引 用 す るに あ た り、 杜 詩 注 釈書 を 参 考に し て いた 可 能 性 があ る こ とは

、右 に 見た と お りで あ る

。そ れ で は

、作 者は ど の 系統 の 注 釈書 を 参 照し て い た のか

、 明 らか に し てい き た い。

『 太平 記

』巻 三十 九「 諸 大 名讒 道 朝 事付 道 朝 北国 下 向 事」 には

、武 家 役 を引 き 上 げよ う と す る斯 波 道 朝に 対 し て不 満 を 持つ 佐 々 木道 誉 が

、道 朝 の 行う 花 見 の会 に 参 加せ ず

、都 中 の 遁 世 者を 引 き 連れ て

、大 原野 で 大 花会 を 催 す 場面 が あ る。 そ の 大 原野 の 情 景を 描 く 文 章に

、次 の よう な く だり が あ る。 春

風 香 暖に し て 覚え す 梅 檀の 林 に 入か と 恠 まる

、 眸 を千 里 に 供し 首 を 四山 に め くら す

、 煙 霞 重 畳と し て 山川 雑 峠 たれ は

、筆 を 丹 青 に不 仮 し て、 十 日 一水 の 精 神を 斯 に あつ め

、 足 を 寸 歩に 不 移 して 四 海

・五 湖 の 風景 立 に 得た り

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