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』 受 容

ドキュメント内 『太平記』の表現世界と宋元代の学芸 (ページ 57-68)

の 可 能 性

はじ め に

『太 平 記

』に は 中 国の 故 事 成語 が 数 多く 引 用 され て い る。 奈 良 時代 か ら 既に 受 容 され て い た『 史 記

』所 収 の も のは も ち ろん

、新 たな 宋 代 の故 事 も 見ら れ る

。こ れ ら の中 国 の 故 事成 語 の 受容 に つ いて

、 先 行研 究 は

『明 文 抄

』『 玉 函 秘抄

』『 管 蠡抄

』『 世俗 諺 文

』な ど の 和 製の 類 書 か らの 深 い 影 響 を 指 摘 し た が

、『 太 平 記

』 に は これ ら の 類 書 に 収 め ら れ てい な い 中 国 の 故 事成 語 が 引用 さ れ てい る

。だ と す る と、 中 国 の類 書 か ら受 容 し た可 能 性 も考 え る 必 要が あ る

。本 稿 で は、

『 太 平記

』 に おけ る 中 国の 故 事 成語 を 取 り上 げ て

、そ の 表 現と 受 容 の経 路 を 考 察す る こ とに し た い。 第一

節 日本 に おけ る類 書 の受 容 につ いて 伊藤

美 重 子氏 は 類 書と は

、既 存 の 文 献か ら の 引用 文 か らな る こ と、 そ の 引用 文 を 何ら か の 類 に わけ て 整 理 編 集 す る こ との 二 つ の 要 件 を 備 え る 工 具書 で あ る と 指 摘 し た

。 類 書 に は

、 中 国 で 成 立 した も の と 日 本 の 文 人 に よ っ て 作 ら れ た 和 製 類 書 が含 ま れ て い る

。 日 本 の 歴 代 の 文人 に は 類書 の 使 用を 重 視 する 伝 統 があ る

。『 日 本 国 見 在書 目 録

』に は『 修 文 殿 御 覧』

『 藝 文 類聚

』『 初学 記

』な ど 中 国 の類 書 の 名が 載 せ られ て い る

後 に『 藝 文 類 聚』 に 範 を仰 い だ 和 製類 書 で ある

『 秘府 略

』が 生 み 出 され た

。そ れ 以降

、和 製類 書 の 編纂 が 絶 えず

、『 菁華 抄

『 幼学 指 南 鈔』

『 世 俗諺 文

』も 次 々 に完 成 し た。 さ らに 中 世 に 入る と

、『 君 子 集』

『 玉 函秘 抄

『 管 蠡 抄

』『 明 文 抄』 な ど の 新 た な 和 製 類 書 が 誕 生し て

、日 本 文 学 に 大 き な 影 響 を 与 え た

。 村 上美 登 志 氏の 考 察 によ れ ば

、『 十 訓抄

』『 徒然 草

』で は 漢 詩文 や 故 事成 語 の 引用 に あ たっ て

『 明文 抄

』を 中 心 と した 和 製 類書 が 参 照さ れ た 可能 性 が 高い と い え る

。村 上 氏 の 見 方は 遠 藤 光正 氏 の 指摘 と ほ ぼ共 通 す る。

『 徒 然草

』 と 同時 代 に 成立 し た

『太 平 記

』で も

、 和製 類 書 か ら引 用 し た中 国 の 故事 成 語・ 金 言佳 句 が 少な く な い

。し か し

、『 太 平 記』 で は こ れま で の 類 書に 収 め られ な い 宋代 の 故 事が 見 え る。 だ と する と

、『 太 平 記

』作 者 は 宋代 以 降 に 成立 し た 類書 を 利 用し た 可 能性 が あ る。 芳 賀 幸四 郎 氏 は中 世 の 禅僧 た ち が中 国 の 故事 を 引 用し

、修 辞 の技 巧 を 弄し た 法 語や 疏 を 作る 上 で

、百 科 全 書家 的 な 知識 を 必 要と し

、さ ら に 大 陸の 詩 文 を 鑑賞 理 解 し自 ら が 詩文 を 作 る上 で も

、中 国の 辞 書・ 韻書

・類 書 など に た よる 必 要 が あっ た と 指摘 し た

。『 太 平 記

』が 成立 す る 前後 は

、宋 学 が盛 ん に な る時 期 で あり

、最 新 の 文学 情 報 を 載せ た 宋 代の 類 書 を使 う の は自 然 な こと だ と 思わ れ る

。 宋代 の 類 書と い え ば、 宋 末 元 初 の陰 時 夫 によ っ て 編纂 さ れ た類 書『 韻 府群 玉

』に 言 及し な け れば な る まい

。住 吉朋 彦 氏 は同 書 に つい

て「 十 四 世 紀以 降 の 漢語 世 界 に非 常 な 勢 いで 流 行 し

、 東ア ジ ア に お け る 学 藝 の 展開 に 広 範 な 影 響 を 与 え るこ と と な っ た

」 と 指 摘 して い る

。 ま た、 五山 僧 の 義堂 周 信 は『 空 華日 用 工 夫略 集

』康 暦 三 年( 一三 八 一

)十 一 月 二日 条 に「 同

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太 清和 赴 二 條准 后 之 招( 中 略

)和 漢 聯句

、始 用 今大 明 撰 洪 武正 韻 群 玉爲 韻

、遇 第 一東 字

」と 記 述し て い る

。 こ れは 日 本 にお い て

『韻 府 群 玉』 の 受 容に 関 す る最 古 の 記録 で あ る

。 この

『韻 府 群 玉』 に は 五 山版 も あ る。 川瀬 一 馬 氏は 五 山 版『 韻府 群 玉

』に は 大 陸 よ り来 日 し た刻 工 名 が附 刻 さ れて い る こと か ら

、南 北 朝 半ば 頃 の 開版 だ と 判断 し た

後 に 柳 田征 司 氏 は、 五山 僧 は 漢詩 聯 句 を作 る こ と を尊 重 し たた め

、韻 別 に 漢字 熟 語 を類 別 し た『 韻 府群 玉

』 は 非常 に 便 利な 書 物 とし て 利 用さ れ た と評 価 し て、 日本 に 現 存す る『 韻 府 群玉

』の 版 本を 詳 し く考 察 し た

。ま た

、 住 吉朋 彦 氏 は 以 上 の先 行 研 究 を 踏ま え て

、 文 献 学 から 改 め て 詳 し く『 韻 府 群 玉』 の版 本 を考 察 し た

。柳 田氏 と 住 吉氏 の 見 方 をま と め ると

、『 韻 府群 玉

』の 現 存諸 版 中

、最 古 の 刊 本は 元 元 統 二年

( 一 三 三四

)に 刊 刻 され た も のと な る

。ま た、 日本 で 最 も広 く 行 われ た の は元 統 二 年刊 本 を 底本 に し て刊 刻 さ れ た日 本 南 北朝 刊 本 であ る

。『 太 平 記

』が

『 韻府 群 玉

』か ら 影 響 を受 け た か 否か に つ いて は

、ま だ 検討 の 余 地が あ る

。し か し

、 元 版の 流 入 状況 を 考 える と

、『 太 平 記

』作 者 が

『韻 府 群 玉』 に 触 れた 可 能 性も 否 定 で きな い よ うに 思 わ れる

。 以 下は そ れ を前 提 に

『太 平 記

』と

『 韻 府 群玉

』 の 関係 を 考 察し た い

。 第二

『太 平 記』 にお け る宋 代 の故 事と

『韻 府群 玉』

『 太平 記

』に おけ る 中 国の 故 事 成語 に は

、巻 四「 呉越 合 戦

」の よう に 詳細 に 描 写 した も の が ある 一 方 で、 故 事 を 簡略 化 し た り、 熟 語 のよ う に 引 用し た り する 例 も 見ら れ る

。例 えば

『 太平 記

』巻 四「 呉 越 軍事

」に 引 用 さ れた

「窮 鼠 却 嚙 猫、 闘 雀不 恐 人」 と いう 中 国 のこ と わ ざ につ い て

、遠 藤 光 正 氏は 和 製 類 書『 玉 函 秘 抄』 の上 巻 に みえ る「 窮 鼠 齧狸

、戦 雀 不畏 人

」 を その 典 拠 と見 る べ きだ と 指 摘し た

し かし

、『 太 平 記

』に は これ ら の 和製 類 書 には 見 ら れ ない 中 国 故事 成 語 も引 用 さ れて い る

『太 平 記

』に お け る 宋代 の 故 事 を取 り 上 げて 考 察 しよ う

。ま ず 巻二 十 六「 従伊 勢 国 進 宝剣 事

」に 見 え る「 画 工闘 牛 之 尾ヲ 誤 テ

、牧 童ニ 笑 レ タル 事

」と い う故 事 を 取り 上 げ て、 そ の 受 容 の経 路 を 検討 し よ う。 大

納 言

、兼 員 ニ 向テ 宣 ヒ ケル ハ

、聊 三 種 神 器之 事

、家 々 ニ 相 傳 シ来 ル 義、 マ チ 〳 〵ナ レ 共

、資 明ハ 未 タ 是ヲ 信 セ ス、 画 工 闘牛 之 尾 ヲ誤 テ

、牧 童 ニ 笑 レ タル 事 ナ レハ

、御 邊之 申 サ レ ン スル 義 ヲ 以テ

、正 路 ト ハ可 存 ニ テ候

、聊 事 ノ次 ヲ 以 テ、 此 事 存 知シ タ キ 事 アリ

、 委 ク 宣 説候 ヘ ト ソ仰 ケ ル

、 太神

宮 へ 千日 参 詣 の志 を 立 てた 下 野 阿闍 梨 円 成は

、 満 願の 夜 に 三鈷 柄 の 剣を 海 岸 で拾 い

、 そ れ を 日 野 資明 に 献 上 し た

。 こ の 剣 は 元 暦 の 代 に 海 底 に 失 わ れた 宝 剣 だ と い う 神 託 の 真 偽 に つい て

、資 明 が 平 野社 の 神 主で あ る 神祇 大 副 兼員 に 問 い合 わ せ る場 面 で ある

。資 明 は三 種 の 神器 の 諸 説に は 信 をお き が たく

、世 間に 笑 わ れる こ と を避 け る ため

、兼 員 の 説 を 正説 と し た いと 述 べ た。 こ こ では そ の こと を 画 工が 牛 の 尾の 方 向 を誤 っ て 描き

、牧 童 に 笑 わ れた と い

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う 故事 を 引 用し て 説 明し て い る。 こ の 故事 の 典 拠に つ い て、

『 太 平記 鈔

』 は『 萬 花 谷』 第 三 十 三巻 の 記 載「 有 藏 戴崧 牛 闘 與客 觀

、旁 有一 牧 童 曰

、牛 闘 力 在 前、 尾 入 兩股 間

、今 尾 棹何 也

、 出 仇池 筆 記

」 を 取 り上 げ て

、『 仇 池 筆記

』 に こ の 故事 が 見 え る と し た

。 こ の『 仇 池 筆 記

』 は 様々 な 逸 話を 集 め た宋 代 の 筆記 で

、 作者 は 蘇 軾だ と い われ て い るが

、『 四庫 全 書 総目

』 は

「 好事 者 集 其雜 貼 為 之、 未 必 出軾 之 手 著」 と 述 べて い る

。ま た、 こ の 書が い つ 刊 刻さ れ た の かは わ か ら ず

、 現存 す る の は 明の 万 暦 年 間 に 趙 開美 が 刊 行 し た 版本 で あ る

さ ら に

、 こ の書 が 日 本の 南 北 朝時 代 に 受容 さ れ た記 録 も 残ら ず

、『 太平 記

』の 先 行 研究 で は 触 れら れ る こと は な かっ た

。 だと す る と、

『 太 平記

』 作 者が こ の 書を 直 接 利用 し た 可能 性 は 低 いと 思 わ れる

。 一方

、日 本 古 典文 学 大 系『 太 平 記

』の 頭注 は 蘇 軾の

「書 戴 嵩 画牛

」に 見 える 故 事 で ある と 指 摘し

新 編 日 本古 典 文学 全 集 の 頭注

同 様 の 文献 を あ げて い る

。一 方

、増 田氏 は「 蘇 東 坡の 文 に 発 し て すで に 成 語 化 して い た も の か と 疑わ れ る

」 と 指 摘し た

。日 本 古 典 文 学 大 系と 新 編 日本 古 典 文学 全 集 の注 釈 は 蘇軾 の「 書 戴 嵩画 牛

」の 名を あ げ たが

、こ の 故 事は 蘇 軾 の ど の 文 集に 収 め ら れ た か と い う 点 に は 言 及 し て い な い

。 実は

、 この 故 事 は 宋 代 の 筆 記

『 東坡 志 林

』に 見 ら れる 逸 話 であ る

。『 東 坡 志 林』 と は、 宋 人 の筆 記 の 代表 作 と 目 され

、 蘇 軾 の史 論・ 随筆

・雑 談 など を 集 めた も の であ る

。『 四庫 全 書

』は こ の 作 品を

「 子 部・ 雑 家 類・ 雑 説之 属

」 に定 位 し た。 で は

、そ の 中 の「 書 戴 嵩画 牛

」 と いう 記 事 を確 認 し よう

。 蜀

中 有 杜處 士

、好 書 畫、 所 寳 以百 數

、有 戴 嵩牛 一 軸

、尤 所 愛、 錦囊 玉 軸

、一 日 曝書 畫

、 有 一 牧 童見 之

、拊 掌大 笑 曰

、此 畫鬭 牛 也

、牛 鬭力 在 角

、尾 搐入 兩 股 間、 今 乃 掉 尾而 鬪

、 謬 矣

、 處士 笑 而 然之

、 古 語云

、 耕 當問 奴

、 織當 問 婢

、 不可 改 也

、 蜀

中 に 杜處 士 有 り、 書 畫 を好 む

、寳 と す る 所百 を 以 て 數ふ

、戴 嵩の 牛 の 一軸 有 り

、尤 も 愛 す る 所な り

、錦 囊 玉 軸

、一 日 書 畫を 曝 す

、一 牧 童 の之 を 見 る有 り

、掌 を 拊 ち 大 笑し て 曰 く

、此 鬭 牛 を 畫く な り

、牛 の 鬭 ふと き 力 角に 在 り

、尾 兩 股 の 間に 搐 き 入る

、今 乃ち 尾 を 掉 ひ て鬪 ふ

、謬 れ り と

、處 士 笑 ひて 之 を 然り と す

、古 語 に 云 く、 耕 すに は 當 に 奴に 問 ふ べ し

、織 る に は當 に 婢 に問 ふ べ しと

、 改 むべ か ら ざ るな り

、 右

の 内容 が

、『 太平 記

』 の「 画 工 闘牛 之 尾 ヲ誤 テ

、 牧 童ニ 笑 レ タル 事

」 とい う 表 現の 原 拠 だ と考 え て 間違 い な い。 そ れ なら ば

、『 太 平 記

』作 者 が『 東 坡 志林

』 を 利用 し た 可 能性 が あ る か否 か が 問題 に な る。

『 東 坡志 林

』 の成 立 と 版本 に つ いて

、 周先 慎 氏 は『 東 坡 志林

』 に は 一 巻本

、五 巻 本、 十 二 巻 本と 異 な る 伝本 が 存 在し

、流 布 本に あ た るの は 明 の万 暦 年 間 に趙 開 美 が刊 行 し た 五 巻 本で

、 商 濬 が 編集 し た 十 二 巻 本 も同 じ 時 期 に 完 成し た と 指 摘 し た

。 注 意 を払 う べ きと こ ろ は、 五 巻 本 と 十二 巻 本 の成 立 は『 太平 記

』の 完成 し た 後の こ と な ので

『 太平 記

』作 者が 触 れ るこ と は で きな い 点 であ る

。ま た

、南 宋 に 刊 行さ れ た『 百 川学 海

』に 一 巻本 の『 東 坡志 林

』が 収録 さ れ た が、 こ の 一 巻本 に は 蘇軾 の 十 三篇 の 史 論し か 収 め られ て

ドキュメント内 『太平記』の表現世界と宋元代の学芸 (ページ 57-68)

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