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新保守主義の経済社会政策 : レーガン、サッチャ ー、中曽根三政権の比較研究

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(1)

新保守主義の経済社会政策 : レーガン、サッチャ ー、中曽根三政権の比較研究

著者 川上 忠雄, 増田 壽男, 杉浦 克己, 山本 喜久治,  萩原 進, 金子 勝, 山本 健兒, 粕谷 信次, 鎌倉  孝夫, 藤川 昌弘

出版者 法政大学出版局

巻 5

ページ 1‑566

発行年 1989‑11‑24

URL http://hdl.handle.net/10114/7105

(2)

《比11咬維1斤(lI:究)リiIiH光シリーズ5》

新保守主義の経済社会政策

レーガン,サッチャー,中曽根三政権の比較研究

法政大学比較経済研究所 川上忠雄・増田寿男編

法政大学出版局

(3)

111

まえがき

1970年代木,左前になった新旧のアングロサクソンⅢ界|玉|家,イギリスと アメリカに1つの異変が起きた。高成長終焉の経済危機のただなかに,衝撃 的影響力を持つ新しい保守主義のALI潮が台頭し,その思潮を主要な支えとす るサッチャー,レーガン政権がLliまれたのである。そして,戦後資本主義世 界においていわば対11<(的な地位をえた'三|本にも,Iリ1らかにその思想的影響を 強く受けた11111!;'根政権が41iまれた。

サッチャー,レーガン,「|'曽根3政椛とその絲済社会政策の展開は,おの おのの国の社会と経済にiILiし難い刻「|]をlIl1した。しかし,すでに'三|'曽根政 椛,ついでレーガン政椛が退場した。その新保守主義の政策路線は次期政権 によって継承されると表|リ}されはしたが,すでにいくつかの破綻が表m化 し,いや応なく変化が始まっている。そして記録的な長期政権となったサッ チャー政椛にも,ようやく容易に兎11Mし難い'''1題が立ち現われ始めたかにみ える。その意味で,これら新保守主義諸政権とその経済社会政策を総括して みるときがそろそろ来たのではあるまいか。

法政大学比較経済研究所の3瀞'二|のプロジェクト,「新保守主義の経済社 会政策」は,1986年,これら新保守;ii義3政椛の経済社会政策の比較研究を テーマとして発足した。そしてすでに『経済のマネージァビリティー新自 111主義からの批判に耐えうるか』をまとめて11に'111うた゜これは,これらの 政権が拠り所とした新保守主義の経済1111論が,現代資本主義の枠組を榊成す るケインズ経済学とその「管理された経済」(managedeconomy)の考えに 対する集l11i1りな批判をおこなっている以上,たんなる政策の比較研究として だけでは十分な成果をあげることはおぼつかない,と考え,ケインズ経済学 を改めて|川いⅡ!〔しつつ,それをめぐる今'三1の論争を蕊IlIlしようとしたもので ある。

(4)

1V

このiIl《011i作業をM1iまえ,新|↓lWji義3政椛の経済イ'2会政策そのものの比l鮫 Ii1l:先をおこなうことが本11$の21i腿である。ただ,政椛を1iii提として11tに政策 とその効来を分析するという狭く|Ⅱ仇された手法をとらず,政椛そのものの 成立jM1とその榊成の政洲|<)イデオロギー(I<ノ性格にとくにilillしつつ,その 絲済イl:会政策の特[!〔と雁史(|<」意'1ノkをIiliiめることにノノをtliいだ。

序章は,問成災終馬後アメリカ,イギリス11''11兎|に薙」;ルしたiili政椛の経済危 機打|)'1策の実験をふ')返'),そのなかにレーガン,サッチャー政椛の経済危 機}TlⅢ1策とそのパフォーマンスを位'1'ilづける。

節1,2,3章は,アメリカのレーガン18(樅とその維済社会政策を扱う。マ ネタリスト,サプライサイダーのぢ・えに彩糾を受けながら,彼らによる111〔命 は挫折しあるいはイ《イliだったといえる金MII政策と税Ilill改fi:の如未,核心のii1lL 題である/M:|化停illl;の打|)}Iが締についたのかどうか,そしてそのもとで労仙 l兇l係はどう変化したか,がとりあげられる。

節4,5,6章は,イギリスのサッチャー放縦とその絲済イI:会政策を扱う。

サッチャー111〔命において核心となる'''101余IMlIIイ政戦''1片,吋飾化,労使DM係政 策の雁|)}|,そのサッチャーjII1':命をMUI<」にi((il)11iした労I1lill党/,(派の災験の失 敗,それに特殊緬域としての地域11j(策の変化がとりあげられる。

節7,8iWjiは,||本の''''1IlLliM(樅とそのlM1iil小行政改II1fを扱う。:新保守主義 がファッションのように諭堀に流行しながら,突際の繍汗社会政策は,|暖lLk

`llli,lilii義性,側1:`|'|iをいちじるしい特徴としたこと,それは,1Mこ(I<」には,

'1本に新保守とii義の'1ハえる新lLI1I[i(義(l<」経済社会政策を改めて孫)Ⅱしなけれ ばならないITI|人IiI0必然'llliがなく,もっぱら対タトilり契機を媒介として提起され たこと,が1リ1らかにされる。さらに,国鉄の分;I}11.M>↑化の,|]本ilOな企業 ji義(1り労使1111行の企1「Ii化をリiiIli'Iすることをjllぃとした11本(lり特殊性,典術lvli が探られる。

なお,ドili章は,新'''''1j三雄絲済」Ij(策をめぐる村I傘亮一iLilUiii勝論/('をlmlM1n し,とくに変11リ1|||場Ili1lをめぐる村I税に}I上'卜'ⅡI<」な検討を力Ⅱえる。

3fli余のイリ|:究会を爪オgl,WL2iYを終えて一lilがいま感じているのは,|Ⅱ(られ

た'1$:'''1と紙ll1iiiで扱うにはテーマが企')にも火きすぎたということである。だ

(5)

まえがきv が,戦後資本主義111:界が大きなDbi機に立たされている以I,」ihL代資本主義が

どう''1云換していくのかを兄迦すトータルな術lXlが切実に求められているので はあるまいか。われわれにはイWiが勝ちすぎたかMIIれないが,新保守主義諸 政樅とその経済社会政策を解IリIすることで,トータルな柵図(あるいは少な

くともその-部)をllll1iき}''1そうと努めた次第である。

米英ロ31玉|の比較イリl:究をi1nじて,新保守主義が労11リliilI谷・労働迎動の衰退 を行景とし,さらにそれをl1Ii逃したということ,しかもその'''心に「ロ本 化」(Japanization)があるということ,が浮かびIがった゜これは,資本主 義11t界の今'三|の人''1k換のなかで,経済の「Mミが|]本(l<」労使関係ときわめて強 い関係を持っている,ということであろう。ただ,本来新保守1主義政権の前 に複合的に提起された'111越一インフレ高進を核心とする短jUlの経済危機の 打llMの問題と長期の衰退のイTl#|にかかわる柵||:|玉|家のIV編の'''1題一を-|・分 結びつけて論じる総合(1<)分析に到達できなかったノハ(でなお11;いが残る。しか し,新保守Zii義諦政椛の維済イ]:会政策についての破初の総合「1り比較イリ|:究とし て,’1M題を投げかけるノノ作をそろえることができたと111〔してよいと思う。

さきに111にⅡⅢうた『継済のマネージァビリテイ』につづいて,本書が読者の 関心を呼ぶことができれば、'2;いである。

本プロジェクトのIUr先のjlM1では,いちいち名1iiiをあげるのは差し控える が,多くのノノ々から報〈liをいただき,貴重な示唆を受けた。ここに感謝の意 を表しておきたい。また本書の1:'1行にあたっては,iiii課につづいて法政大学 出版局の平川俊彦さんにお'11:i活になった。

1989年101121」

川l1忠雄

jM1l1か男

(6)

V1

|」次

まえがき

序章新保守主義政権の議場

I戦後IMLの終焉とイギリス,アメリカにおける新保守 主義政椛の登場1

11経済危機打I)Ⅱ莱の諸実験9

111「TIj場の失敗」と「|正|家の失敗」の後にくるもの‘3

川上忠雄’

第1章レーガンの大いなる突験

Iはじめに6J

杉浦克己61

IIリベラリズムのlllIib代の終崎と新保9$]:三iミ義のlllIi:代の|#|聯〃

IIIレーガン経済政策のf1u論(19支柱m lVレーガノミックスの実態77 V無理な「実験」の'五|際(1<jIii}紬IO3 VI経済符理の新たな体Ilillにlfilかう111

第2章アメリカにおける生産性'1111辿

山本薑久治129

~「|、]からの改善は成功するか-

1はじめに129

11産業榊近の変動とその特色I3I III生産性と競争力|lll復のiiMlI`2 1V生朧組織革新と'五|際競イ'への対応156 Vまとめ169

第3章転換期の労使関係とレーガン政権

Iレーガン政椛に」jえられた病題180 11レーガン政椛下の労使llM係lW III転換)91の労使関係2妬

萩原進180

第4章イギリス資本主義の危機とサツチヤリズム-増田寿男224

1はじめに224

(7)

目次v'1 サッチャー政椛の性格2a7

経済・社会戦略232

サッチャリズムの意義と限界2側 イギリスの選択一むすびにかえて〃0

労伽党のオルターナテイヴ喪失jMilと

II III IV V

第5章

金子勝303 サッチャリズムの成立

はじめに303

II III IV V VI VII

第6章

I II III IV

第7章

労働党左派の進{'1,と新経済戦llHの形成304 疑似マネタリズムと新経済戦略の放棄313 公共文{|Ⅲ減と''1発的所得政莱の破綻〃3 地方財政統Ilillと労lil11党の政莱破綻332 党内民三ii主義改血'IILと労働党の分裂3‘2 おわりに3‘6

イギリスの地域'111題とサッチャー政椛

はじめに352

サッチャー政椛の地域政策353

サッチャー政椛の地域問題への影響357 むすぴ3万

山本健児352

Ⅱ本における新保守主義の位イ11

粕谷信次382

-第2臨洲とil11iri1lM(if}の特質一 はじめに382

第2臨調・「'''11;'根行jII1fにおける「新lL1lll主義」の位)|Ⅱ3妬

「戦後Ⅱ本の総決算」政ihにみる新保守Zii義lIO統合の位|11431 総l1Iiと展望445

I II III IV

第8章

国鉄の「分iiill・民営化」

鎌倉孝夫457

_その''水「|(j特殊性UhLfMli-

I国鉄「分割・Ni剴化」は成功か-分析祝点457 11国鉄「分割・民営化」の背紫と'111111460

111「分iIfll・比営化」の典粥性とJRの実態‘97

;liilli章「新'二|山主義経済政策批判」の|Ⅱ|脳(と展望一

藤川昌弘529

(8)

序章新保守主義政椛の益場

I戦後|IMLの終11;とイギリス,アメリカにおける新保守:-ii義政椛の職」洲

戦後IlViLの終馬がlリIらかになるにつれ,1970イ1i代なかば過ぎからイギリス とアメリカliIljl玉|において新しい保守:j{義`'1M1が人きなうねりとなって台ljn し,やがてそのノMJ(を父えにする放縦を誕/|(させた。サッチャー政椛とレー ガン政椛である。

アメリカとイギリス1,lIlElは,節2次'11:ソ,L人iiiliの戦勝|正|であり,ソ述とのi令 戦に寵る戦後処」M1の過Fi1をとおして「アメリカの、M1」(PaxAmericana)

としての戦後安本1二銭lll:VILをつく|)あげ,そして支えた主役とそのドili佐役で あった。この戦後rMxiii義lWilは,節1次IllyiL入城後のそれとは異な'),1.

分な安定を{i雁係し,維済の人発股一rli本とii筏史|川のない異粥な問成災を 実りiIすることができた。この人発展のうちに,かつてのlM1ilE'’11リドイツ’

'1本があいついで経済「'<」にf7ljIlし,さらに-'1Vの!)wT側Ⅱ業潴IEIがIl14ilした。

ところが,このIuWIりなHM」iのなかで,’11:界体IlillのJ1iい川uを背11つた英 米li1IlJilには,停滞,衰退の様|''がり。われた。それは,11':ViLil<jな商成」tの終 jIIj,くり返し襲来する小破lmiとスタグフレーションの危機とともに’はつき

')衣iili化したのである。そればかりではない。f災)kllliilElは,いまや11|えがた いIMjとなってしまった'1Mし体IlillM、↑のためのコミットメントをあるいは催 jliしあるいは撒収するlWT,lJl1鯵の対タト政莱の鵬lHlをliillLli:にプMfなくされ た。これら21K|において,戦後111:ソ,Lのゆきづま'),問成長の終漏とともには じまった戦後'11:界その“)の終潟の危機は,もっとも鋭い)|診をとってjilわれ たといえよう。

新保守1;義は,戦後111:V1L終jMjの危機がもっとも鋭くリilわれた§英米illiill:|の,

その危機への1つの'111群にほかならなかった。)Wil1IL守:ii筏はすぐれてアング

(9)

ロサクソンi1りなUil象であった。それは,lim後体Ilillの術iiili,コンセンサスを はっきり否定しようとした。とくにイギリスのルタト,ケインズzli義によって 社会三ii義の方|(ilへさまよい11}た誤|)の11m後史を,さらに,それを容認迫|M1し た保守党の誤')の戦後史を総l1liし,【|分たちこそがⅡ1しい新時代を1%|くの だ,とii帳した。

サッチャー,レーガンの新保守主義政椛とは一体どのような性格の政椛な のだろうか。

それは,なによ')もまず,戦後社会に定符した)M1とIli'1度的イMllみを根本 から,言葉どおりの意味でラディカルに'111い111[そうとする新しいUIL守Lii義 ノ,L|、想の大きなうねりを支えにして議場した。(1)

この新保守主義ノIMlによるllIlいIHIしは,リji烈な''11人Zii義の復椛を》;(点にす えてお'),合LlLli義(1<ノな丁・段(l<」llil家観,すなわち道具となってあれこれのイ|:

会l-ll1<」を実現してくれる|';|家という'正|家'''1解をlli発する。その矛先は,いう(2)

までもなく,戦後体Ili'1に定群したケインズ流の「符Il1する国家」,そして

「i《Mネ||:国家」へ|イilけられている。’五1家の介入はiiiがなく,lllil人のiiliノノを奪い,

依頼心を植えつけてしまう,というわけである。「llj場のIL1Ⅱ1にゆだねよ!」

経済的日'11主義がそのル,IiiiiIiなのだ。その背後にはilTjiルシステムの|:|己訓l雛ノノ ヘの確信がある。だが,新保守12義のjW1Lは,認識論,イM1論,科学力法論 力、ら法↑'1,宗教,家族,教育,ボランティアiiMi1」にまで拡がっている。その(3)

肱が')において,新保守fii義のノ11A魁は|Al容的に伝統(1りな保守主義の)MAとお おむね爪なっている。斬保守三i三義を範嬬11<)に''1保守三iミ義から区別すべきでは ないであろう。ただ,そのラディカルなlIlUJl1i1<」'''1いnlIしとそれにもとづく乢 衆三に義(l<ノな戦liRlll1liというAl(で,伝統iI9な保守ziミ義にはない体質を持つのであ

る。

節2に,最爪妥のiiIMLlとなった経済危機打|)'1策として,新保守子i皇義lB(樅 は,「小さな政府」を11ち11}し,「l4llll放「[」(Iaissezfaire),すなわち'とlllIな ili場システムのもとでh1;|川のiiMをzilMiさせて絲済危機を克11Mしようとし た。

サッチャー政椛もレーガン政椛も,ケインズ政策批判をバックにしなが ら,戦後政治のコンセンサスー政府は充今MIIの実りilを第一義(1りな'二I標と

(10)

序章新保守主義政椛の蔽場3 して総済に政策的に介入する-を公然と否認した。失業対策よりインフレ Wl1制をはっきり優先させ,しかもそれを通貨益の↑''1ぴを仰IlilIする金融政策に よって達成しようと試みた。そして政府活動については,財政flil模そのもの を縮小させ,民'''1のiiIi「ノノをiIi生させること,無駄でゆきすぎの社会保障関係 支{ⅡなどのlllI減(spendingcut)-「フリーランチなんてありはしない」(4)

(`There'snosuchthil1gasafreelunch')-,補助金盤、11,税Ilill改革(tax reform)と減税(taxcut),それに各柧規ilillの廃」上と緩和(deregulation)が おこなわれた。さらに,イギリスでは,民営化(privatization),すなわち'玉1 打企業の株式売jillによるhlj営化’五|常(i三宅の払い下げも実行に移された。

第3に,新保守主義政椛は,川玉|の衰退を表mii化させたこの経済危機を,

たんに経済危機としてではなく,|可時にモラルの危機としてとらえ,家族,

学校の規律,コミュニティへの無償のイ蕊イ」:,古き良き'11:代の諸Illli(1mの復権を ノスタルジックに訴え,「法と秩序」のルIli持を強洲した。

サッチャー政椛もレーガン政椛もただ保守派の|]癖としてモラルの危機を 語ったのではない。いずれも196M1代の若粉たちやその他もろもろの要素の 社会的反乱を,そしてその結果挫得された解放をはっきり州旨して,まき返 そうとしたのである。犯ソ11の噸ノⅡ'’化|人的ならびに政治的錐力,法のlMl,

学校の規↑;|上低下,剛州,川fiの卿Ⅱ|,薬物の蔓延,ポルノの氾i艦,そしてす たれゆく行儀作法……。これらすべてが1960イF代の解放の結果なのであり,

イギリスでは栄光の「ヴィクトリアjlリ|主義」を,アメリカでは「アメリカ的 'Eiili様式」の誇りを駄'1にしてしまったというのである。そしてその責任(5)

は,「なんでも認め許してしまう」(`permissive')労働党あるいは比王党にリiT}

せられる。ともあれ,新保守主義政椛のこの「小さな政府」は,かつての ヴィクトリアjlリ11≦''11主義が''(=',えた「夜警|玉|家」がまさにそうであったよう に,「法と秩序」の侵害に対しては厳罰をもって懲らしめようと待ちかまえ る番犬国家にほかならなかった。

第4に,新保守主義政椛は,強いナショナリズムをもう1つのトレード・

マークに採用した。

レーガンは「強いアメリカ」を掲げ,ソ述を核ili拡競争で音をあげさせる ために軍平支''1,を威勢よく」11額した。そればかりか,|TTM諸|玉|との通i1W交渉

(11)

において次第に声高に扣手の非をならすようになった。サッチャーはさすが に「強いイギリス」とはいわなかったが,もっとマイナーにフォークランド 紛争で強硬政策を採り,EC統合に対しても|玉|民i1り利抽をこわもてで突っ(6)

ぱった。このナショナリズムは,冷徹な現実政策というよりは過去の栄光へ のノスタルジアに近い。しかし,それだけに,衰退するⅡ上界国家,あるいは かつての世界国家の'五|民の心の傷をなぐさめ,いやす快い響きがある。そし て実際,これまでの栄光のコミットメントを修IIi,撤収する挫折と抑繼の対 外政策に深く誇りを傷つけられたIli同IXiは,このナショナリズムに熱狂的な 支持を与えたのである。

最後に,新保守主義政椛は,高成長をとおして進行したLl1活水準の上昇と ともに新しく台頭した「'1朧階級を社会llOl蝋とし,戦後政1台の力学を突き破 るその新しい力学に依存している。

イギリスでは,国民的なL'1厳階級化がすすみ,階級的投票態度が|=|立って 衰えた。その'二|'産階級には,コーポラティズム体Ililのfif有ノj集IJI,労働組合(7)

とその連動一とりわけ「不iiMiの冬」-への不iiMi,嫌鵬,それに恐怖が 育っていた。したがって,いわば沈みつつある船の'11で出口もみえずなおも つづけられようとする階級対立の政治は,現実から浮き上がりつつあったの である。移民労働者に対する人種的反感もたまっていた。新保守主義は,そ のような新しい変化を一足先に|]覚的につかんで,政策の標準をこの新しい 中産階級に合わせたのである。戦後のコンセンサス,そのもとでの社会主義 者と保守主義者のli7Mのそとに,労働jNl合`向係主義によっても,政府や大企 業の世界によっても包みこまれ代表されたと感じもしない幾百万の人々-

「Il1流」(middle)の全体が排除されてきた!その発見にもとづいて,この(8)

「I'産階級が持つ,あるいは持ちたいと願っている,すべての家族のための財 産所有権,自発的努力,無償の公共奉化小企業倫1111などがクローズアップ

される。

アメリカでは,「ニューライト」あるいは「乢衆主義的保守」(populist conservative)と呼ばれる草の根保守の社会述動がふきIILてきた。このjiE(9)

動は,いまや「IIJ流アメリカ人急進派」(MiddleAmericanRadicals)として 知られるようになった,総人11の4分の1をも占める下層''1藤階級一とり

(12)

1樹i新保(〕:fii莪政椎の議場5 わけl4l人一をji囎燃としている。彼らは,はげしい労IMIとアメリカ(|<」jll1念へ の忠i減にもかかわらず,リベラルな政府,そのテクノクラートによってイ《公 IIiなrl狐を}111しつけられていると感じている。196Oイト代の社会的政治的激動 へのluij1として{]1,発し,「|fl激の政IIL}」を特徴とし,人M1賑中絶とポルノ への反対,ERAへの反対,リjMlillバス皿学への反対,l2i::枚での自発「10礼拝の 承認,|両|`Ni愛への)b()l(1,銃砲所持10(')締まり反対,爪税b(対,氏杣<」に代表 されていない労働組合のMillなど,Illil別のイト点をと')あげる運動として発展 した。そのような1ミリLiにおいて,これらニューライトは,きびしい文化,教 育批判をi、じて家族'''心のモラルをiIi1ili)0ノ:しようとする,原I1l1主義的なキリ スト教ニューライトといまやほとんど爪なっている。ノノ関係のilj云機をはっき ')みせつけたのは,カリフォルニアの納税調・の!)、(i1iL,プロポジション13の勝 イリだった。(10)

彼らは,共イ11党からはっきりlf1立しているばか')か,ダイレクトメールに よる盗金調達によって選挙を左イ「するノノをもつに至った。彼らの述Ili))は,

1880,90イ11代の比衆11義の通勤以来という深刻さで,来部エスタブリッシュ メントの政i台椛ノjと'If1稗を突きMIIしている。彼らこそ保守}ii義のなかの新し い多数派なのである。

このような新しい'''1酸llliIi級の台nmは,マルクスのいう意味において,すな わち'M:手段の所イil兇|係において異なる,新たな階級が41;まれたことを意味 するわけではない。災くつづいた戦後高成艮の過ノド,しにおいて,「脱二[業化」

ともいわれる第3次廠業のlllll大化ハIlilⅡlllilI,技術折または/脊理者隔の比IM1i 大という基礎的な変化とともに,Ⅱざましい化iili水i((iの」二界,高等教fjrの普 及,社会階層111|流動のiili発化などがすすみ,矛盾した性格をもつホワイトカ ラーが労働特化するよりは,むしろ逆に本来il(」な]:場労lli1l科のかな')の('1分 がlliii1iと意識のtでホワイトカラー,あるいは小所イjfiにひきつけられて いったといえよう。階級的述帯よりはイ1:公的地位への|兇|心が勝るようにな

ミドルクラス

る。かつて勃興する)寵業iM〈家たちを''1雌階級と呼んで以来,もともとイ11対 的なミドルの範mは~|、、へ1,.へと移血))してきた。そして戦後の新たな発股をと おして,一大部分がまた新たに付けlllえられたわけである。マルクスが『共 産党宣言』で見皿した,lli-のユlA均il<」な労|リリl料lWf級への収敞と階級Wイトの光

(13)

鋭化というシナリオとは逆に,ますます多)|イ化し流仙化した労働折に収敞へ の求心ノノ以」名の遠心ノノがI1lil1いて,「''1」愈織の人柴谷をつくりだした。その 人集合は,けっしてIl1ノノ:の連jlWをもって収敞したのではない。しかし,たん に幻想によるのではなく,社会'1M係の変化に根拠をもって,Lliiili水準と社会 (lり地位について共皿の意識を持つに発っている。その愈味では,これも階級 には違いない。そして彼らは,よ')狭いliiulj11をさした以iiijの111語法でもミド(11)

ルと呼ばれた戦前からの'M1Ⅲ!i級の人々とは異なり,Ill:界政策の挫折にはひ どく傷つき,ノスタルジックなモラルの復椛やナショナリズムへ北')やすい し,経済危機がやってくると,「|分たちが努ノ」して築き上げてきた仕事や地 位,財瀧を守ろうと,攻蝶11りなIjlI:守へlfilかう゜

もっとも,イギリスとアメリカの新保〈):]:筏政椛についてこのように共i、

点だけをみるのでは,それぞれの本質(l<j特徴のいくつかと両政椛のXIf場の意 義の爪要なイⅡ逮とをつかみlt1ってしまうことになる。

|両lじく斬保守主義`lML1を支えにしたとはいっても,アメリカの宗教的性格 を強く持った草のliu保守の述jiノノほどのIiiMはイギリスのそれにない。イギリ スでもたしかにlYiの根保守が支えになっているのだが,むしろサッチャーが IからそのIi4と連Ii1jをつくっていこうとする性格がいちじるしい。そしてア メリカ政WLiにとってはlll:界政策の比11tが依然として商いのに,イギリス政if)

にとってはすでにそうではなく,むしろツブImllllll題の比iKが高い。新''1朧階級 の強い反発も,アメリカでは1960イli代の,反戦,公11;椛述動,フェミニズム など,ニューディール迎合の枠を突き破っていったイMⅡ:化少数派あるい は少なくともこれまでイi効にlill撤されてない人たちのイ|:会的反iliLへと向けら れたのに,イギリスでは,なによ')もまず,1970年代はじめをjrl点とし,ふ たたび79イIiに「不iiiI1Ijの冬」となって|'画きH1,した労働打の}'1,'二lのみえぬ反iIiLへ

|(ilけられたのである。これは,アメリカが|Ⅱ:界国家として,家るイ1蝶が大き い代わ'),そのⅢ界政策を手抜きあるいは部分(1リに撤」|Xすることによって,G、

ぬきをする余裕があるといえるのに,衰退がさらに深刻で,いちITlく111:界llil 家そのものからずり落ちてしまったイギリスには,その余総さえなく切羽iiili

まっていることを示している。

まさにその点にかかわって,レーガン放縦がその絲済政策にii要に役立て

(14)

11をWt)W「保守jii樋放縦の益」坊7 たのは,サプライサイド・エコノミックス-それも多分に>11恕な質の-

であったのに,サッチャー政椛のそれはマネタリズムであった。この迷いは lTIj政椛のプロフィールを大きく変えた。レーガンは|正lh1jに|||き良きアメリカ

(12)

をすぐさまiMiする夢を売った。その経済政策の考えノフは,「再びの経済判 (economicsofmirth)と名付けられた。これにひきかえ,サッチャーのノス タルジアの対象はヴィクトリア、|リ1のイギリスであり,あま')に遠く,リil実の イギリスはあまりに衰退していた。サッチャーは夢を売らなかった。彼女 は,「政策の効」,ILがあがるまでにIⅡ当の11川'11を要するであろう,しかしその '''1,苫ソiiと職WIiをlIil1えしのぶように」と,’五Illljにはつき})詔った゜彼女''1身 は「鉄の女」と'1Vばれ,コンセンサスの政WL1に代わる彼女の政ifiは,「イガ念

(13)

の政治」(convictionpolitics)と'1Wまれたのである。

英米lTljlnilに台ljnした新保守:i三義のノM』!とその’'1MJ(を文えにした政椛の敬場 とは,|ii1じょうに高成災をとおして新'11瞳階級を/|iみ}'1,したうえ,その終潟 によって戦後111:界終焉の危機にllmliし,根本'1りな1'I編jlMl1に投げこまれた多 くの|玉|々に,大きな価撃を」7.えた。新保守11ミ義の)M』(の凧が吹いた。そして それに影糾を受けた政椛が各」山にノ|{まれた。行政改革,)Iイ政W)姓,それに戦 後政1台の総決算をlLl1げて歌」易した11本の''''1411根政椛も,とりわけ強く影響を 受けて成立した政椛の1つにほかならなかった。

しかし,戦後111:界とその終馬の危機における位|乱それまでにつく')あげ てきたIEI家体棚11の|W<の遠いのゆえに,影響を受けたとはいえ,各|Ⅱ:1でlilじ 過秘が進行するはずもなかった。

ilVドイツ,フランスなどヨーロッパ大陸洲玉|は,イギリスとアメリカ'71 様,1960イli代木に大きな社会(1<JⅨiliLの爆発を経験したものの,’11界政策のIF(

荷を背負ってつまずくことなく,EC統合によって絲済の不安定を緩和する ことができた。そしてまた11Vドイツの,労ilM・を企業の共|Tl決定に参lllilさせ た「社会(l<jTlj場経済」にせよ,フランスの,経済計llljlにもとづく行政Zi2禅の 経済運営にせよ,これらのlFl々は容易に一元的な維済(1<jlL111[11義に還元でき ない,あるいはコーポラティズム(I<Lあるいは椛威11義(1<」な'玉1家作Ilill,ネ|:会 Ilill度を発股させ定杵させてきていた。それで,1970イド代木以降これらの'五|に 議場する諸政権とその絲済危機打|Ⅲ|策の腿|)'1はいちじるしく多様で,影糾を

(15)

受けながらも,英米i''111K|のそれとは'Ili格もテンポい↓にすることになった。

11本も,1960イIiIt木の社会(1<川(iliLの統験を」Wiしたが,11:界政策のJMiは おろか,冷戦の川](さえたいしてrlわず,かえって1,,)」也戦争から大きなネ川 をえながら,商成lilUlをもっともi{11jい成」過率で駈けぬけて経済人|正|として台 nmした。むしろ「アメリカの〕|ムド11」としての戦後rii水ii義11界を絲済(I<jに突 きル'す尖兵となったのである。それは,「fl(易立|正|」,Iliiiii}11発Iji義のコンセ ンサスをもって,「''水株式会イ|:」と''1Fばれるほどに|)ll洲関係の癖を,|Jil家 7V僚}it禅の政官11イ渡谷体をもち,そのもとに「l]本(l<」絲営」という名でl1iⅡら れるようになる企業j1銭の-すなわち継営打のへゲモニーがきわめて仙 い,独特の企業コーポラティズムとでもいうべき労使llLl係を形成して,|#|放 iI<)なIu:ViLilj場における競イトにノノを集ll1してきたことによるものであった。そ れだけに,IlMLiljjルをイ〈安定におとしいれた経済/12機に大きなイ111僕を受けた が,その危機をいちllLくl1TlII<」にソLllliした。しかし,皮肉にも,そのために 他の圧|々からはげしい反発を'liPぴ起こし,それへの対応を'''1われた。した がって,それ以降の,経済危機への対応は,一ノノで,と')わけ対タト政策(〃

に,もっとも徹底してl11111TIi場(l<」なものになるとともに,他ノノで,その}Ⅱい 下としては,強ノノな政官財襖合体をili,1杯しながら,その-/f1に労I11ill述11111の111 編をjmじて労111{11||のいっそうの参りIilを認め,|正I家レベルのコーポラティズム i'Hillをも1確立しようとするものとなる。こうして,11本の111';」'1根政椛の新|米 守Zii義は,拙い手の体質と政策のチグハグな,|||:にM1妙な新保守Zii義であ る。したがってサッチャー,レーガン放縦のそれに衣liilきもっとも近似して いながら,そしてまたあるi「Iiではより'’11111'1場ilりでさえありながら,ザ「学を イ斥化こんでいるわけではなく,役にウ:つところだけをつまみ'食い(l<」に利111す

(14)

るという榧IlilI合とM`のlvl:格を色膿くもつことになる。

さて,新保守j(筏は,来たして彼らのいうとお'),誤')の戦後史を総'11i し,jliしい新時代を|)||くのだろうか。そのようなものとして,すでに戦後'11:

界終潟の危機を収拾イ111トlしたのか,あるいはその'|途をつけたのか。

われわれには,とてもそうはノ,1Aえない。しかし,新保守丁ii義のイデオロ ギーとり[l実の検討をとおして,liiR後|IMLの終焉のリミ像とその意味もよくみえ

(16)

序章新保守ZiI筏」B(権の籾ル9 てくることになろう。

新保守主我放縦の経済イ|:会政策の突っこんだ政策的検討は本論に被って,

この序章では,以1,.,1970イli化はじめからのイギリス,アメリカil1IjlKlの歴代 内Mとその継済危機打|》|策の展馴をIIlWiIlL,そのなかでのサッチャー,レー ガンiIIii政椛とその打|汁|蝋の位満をたしかめ,「,|i」#iの失敗」と「国家の失敗」

の後にくるものを腔望しておくこととしよう。

Ⅱ経済危機lⅢ#|策のiilji爽験

戦後11界の終焉の/12機は,1960イ'㈹木ヴェトナム戦イト介入の破綻による

「アメリカワ)W||」の/,KL機,ならびにそれを文えた経済(,<爪lj成長のフレーム ワーク,’五|際(l<」なimf・fY易体IIi'|の危機としてほぼ|可'11M<)にはじまった。高 成」iiは終った。そして絲済危機は,「アメリカの平和」の#'1分的な決壊と絡 みながら,安本祷積のIlill約に根ざしたインフレ(I<ノな小破Iniとそれにつづくス タグフレーションの形をとって,くり返し襲来するようになった。先進資本 FM&諸国はインフレ・失業・'玉|際収支赤字の三〕Mfに悩まされなければなら

なくなった。

先進資本Zii麺iilfl玉|ではさまざまな政椛があいついで議場し,それぞれに固 イjなや')力でliiR後の常搬から訣別しはじめ,i1l1「'の経済/6,機打開策の災験を 試みた。なかでも,戦後111:界体IliIlルlli侍のzMiを背負い,したがってまたその 終Miiの危機がもっとも鋭い形をとって邸ilわれたイギリスとアメリカでは,

サッチャーとレーガンが〈Iii場するまでに,実はイI:全的政ifiil<」な振りイ.ははげ しく/,i右にⅢ(れ,経済/血機イTlll1策の模索も'リⅡiliな選択とついでその反対力Ib1 へのフルという強烈なダイナミズムを生み}|',していたのであった。

イギリスとアメリカの絲済危機|11)'1策のiilji実験の股|)トlのなかで,サッ チャーとレーガンのそれがどのような位趙に〕>:つか-これをみることで,

新保守了ii義政椛の意義もまたそのlIIWhLも浮かびIがってこよう。

l所得政策1971-74年

fli成長時代の終焉を〈liげる品初の111:ソ,L的スタグフレーションが到来した

(17)

10

時,これとllXMl[んだのは,アメリカではニクソン共ネ11党政椛,イギリスで はヒース保守党政椛であった。

ニクソン政椛は,),Iil知のごとく,1969イ111)1,ヴェトナム戦争の収拾を旗 印として登場した。しかし,経済政策についても,斬たにIii要IHI趣として源 _こしつつあったインフレにDMして,保守へのシフトーしかもⅡ]いタイプの 保守でなく新しいタイプの保守へのシフトをもっていた。

フリードマンの形粋を受けたニクソンは,妓初の絲済jliM告で扉111と物(llli安

(15)

定のトレード・オフが避けられないという考えを退けた。そして当初ノインフ レpllllilIの優先を認め,しかもそれをZiiに金融政簸によって達成しようと

(16)

した。彼の経済政策11のスタッフ,経済諮'111委員会(CEA)議長のマクラッ ケン,|副委員のスタイン,それに行政二州:局憂シュルツ,人統緬補佐官のの ち連邦準lWillill度111叩会(FRB)議災となるバーンズ,いずれも保守派であ '),121然失業lHl1論に彩糾を受けていた。マクラッケンはフリードマン派かと

Ⅲlかれ,フリードマン瓜(Freedmanesque)と粋えた。ただ金融政策のX%

ルールには気をリ|かれるが,実施できる環境にはなく,また貨幣のみが重要

(17)

だとは考えていなかった。

だが,ニクソンはlTillIli:に失業に対してきわめてイ''1絲質だった。かつて FRBの金融リ|き締めのせいで大統価逃を失ったとAu、いこんでいた彼に徹底 したインフレlIl111illを求めるのはlllul1であった。実際には,ジョンソン政椛末 期にすでに財政lB(策Mr剛政策もり|き締めに、肱化ていた。したがって,

FRBのり|き締めが強すぎて景気後退を'1{くのではないか,というのがニク ソンの心配の櫛だった。シュルツもいち1丁し〈,フリードマンにしたがって,

FRBがすでにlJl1えすぎの局1,iに入っているのではないかとの懸念を衣Iリ1

(18)

した。

ところが,ヴェトナム撒兵発表とiに'1文Ⅱ1,大'''1,i減の兄jlnしが力Ⅱわって,

110カ月におよんだ」劃01繁栄は終I),1969イ|え10)lかい敵(後退がはじまった。

たちまち失業率は6%へ'2ケ卜した。にもかかわらず,物{I11il1鼎もほとんど減 速しないで根強くつづいた(図l参11(()。

ニクソン政椛は,たちまち-'21銭したところでは,「タイムリーに」

-政策をlIi入換した。1971年の大統緬経済報告は,絲済政策の鍵を「秩序あ

(18)

序章新保守主義政権の登場 図1アメリカの経済折標(ニクソン政権)01)

11 086420毛刊おお%8

0864202408%、Ⅲ川9876513% 7654 3%肥川皿皿86420%

612086120% I111

lOO

-lOO

-200 低ドノ

100

-100

-200 億ドル

lOO

-lOO

-200 億ドル

lOO

-lOO

-200 億ドル

19691970197119721973197`IイIi

Illjリi)S'〃"G)'Cl/Cノ〃ノゼ"IIB"s/"CSS;ECO"o"ノノCRG/)o〃

q/ノノICPノゼsノィノC"/:ノweノ"ノノ1?CSC/T)CBIイノノcノノ".

る拡大」においた。インフレ率の低下を継続させることもi1Mつたが,「現在

われわれが第1にしなければならないことは,より急速な総済の拡大を保証

(19)

すると|可時に,失業率を低下させることである」。|可11寺に提I1%された1972年

度予算案において,歳'''1は,平二M1iの大WI減にもかかわらず,いわゆる

|’

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1J

UUU

()NP災YT成及率(季節調整済・対IiiiKj1山fll率)

ⅢⅡ 、、

iMI費廿物価Iミル+((対前年|iil1l1上)

11イ政収又(季節調整済・fl1率)

ⅡIUⅢuIuI

UULIuuUU

’11際収支(綴常勘定・fl2率)

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L」U  ̄ ̄■P■■■■

01

 ̄ ̄ ̄UuUu ̄ ̄ UL」

・ドルの金交換僻11:.フロート ン合愈・ドル爽幼イlIj》て約11%切1くげ

スミゾニアン体制)il壊・フロート

、、 DB

n-nnnnI

(19)

12

「ヴェトナムの11'1U判としての,州・地ノノ'8(府のイ|:会・経済政策のための「一 般歳入分与」によって,164億ドル(対Iiliイli比52%噸)ふえた。)投入では,

新しく27億ドルイ|閂の減I111i値」ill優遇柵!('1が導入された。ヴェトナムii鮒'への 介入縮小をイ'1殺して余')ある需要拡大策であった。このjr算案をH1,したニク ソンは,「いまや私はケインジアンである」と公了了した。シュルツは,11イ政 節度を強調する意味で,はじめて1971イli度予算に「充余H111Ⅱ均衡Ji畔」をlリl 示した。しかし,この」I雌が柵iiiい脳リLiへの11リノをIliIll(できるとはiiIliMj'、わ なかった。この域からニクソンはCEAの怠兄を聴かなくなる。」B(策が)91侍 した効采をあげず,I1l1論」二呑疋して,111,発したはずのインフレと失業のジレン マにさいなまれ,大統Iilli進の|iiiにじりitになるのに業を煮やし,劇的な打|Ⅲ1

(20)

策を探し求めはじめた。ニクソンはコナリーを||イ務踵’11.にすえた。

この桁イ''1分裂,ごちやまぜ,二imlVli,あるいはI)「哀|/|iというのがニクソン の経済18(策を特徴づけた。しかし,それがまたLL'1時のアメリカイ|:会の雰llll気 にぴったりマッチしていた。11、1ill院ともに民ii党がIIillしてもいた。

このllU,ニクソン政椛は,uWiilizlMのlML政策の111締に岐人のエネル ギーを投入していた。その作業はl971イト7)]のニクソン訪'11の劇(lりな発衣と なって稔った゜ニクソンは,’'1|';|とイⅡ111\し,ヴェトナムノ|Ⅱ平の条イノ|:をつく')

だすとliil時に,II1ソ'111に襖をイTちこむことに成功した。lliにそれだけではな い。それは,アメリカにとってもはやiIiilえがたくなっていた負lll-iWIを派 遣しても反共封じこめを遂行するという,節一義(Iりな政if抑事Iの''1:界政策 の負111を,谷I1l1化しl11Mil度解除して,その分,社会(l<)をiリ|)鵬状態にあるllil lノリの安定へノノを振り|hlけうることを意'1ノドした。グローバル・コミットメント からIFllノリ優先への過jil1がはじまったのである。

スタグフレーションへの’'1Aいきったイ11%l策の探求も,政治iWiL|(」iのIMLlB(

策の11i綱と|可じ性格の,経済Iの'1上界政策のT1i細の形をとった。

1971イド8)],イギリスからの金交換要求を合llXlに,「新経済政災」が抜き 打ちに発表された。もう1つのi1Iij撃だった。それは,(イ)いっそう横極的な雁 )Ⅱ拡大のための63億ドル|;1凶の減税(投盗税棚搾除,イlIil人所得税免税袖リ|き

」2げ,日勤I|〔物,liiI,税|散);&),(ロ)物Illli・賃金の90111111i來結,(ハ)lliiiii人課徴金 (10%),対外暖lⅡ)1111減,(二)ドルの金交換係I上を|ノ(l券としていた。政治il叩I:

(20)

序fif新llll;守三ii我政樅の登」粉13 のIML政策の負111につづいて,アメリカにとってもはやIIiilえlilli〈なっていた

ドル防衛などの維済化の'11:ソ,L政策の負}11を解除し,その分}Iイ政令別(リ|き締め の必要を免れて,|進||ノリの紫苑|Ⅲ|復と失業IWI(1111にノノをiiiごうというのであっ た。

ドル防衛にlIjlWLしてきた伝統(l<」保守派とは異なり,フリードマンは変仙為 柊jlⅡ」j坊Iljlm荷であった。それに1960イ'1代の統IIilli1<ノなドル防衛}併置の経験を経 て,金liMiLの態度もj1次化していたのである。他ノノ,lxliji党文llIuの議会は,す でに|iiiイ'二,大統倣に包I11i11<ノな賃金物I111i統Ilillをi;IILする椎ll1を与える経済安定法 をIliII定していた。景気後退1〈で大''1M賃IげをIllli格にDbi隊しにくくなっていた 朧業界も,賃上げをlIl1えるために政府の介入をjUl侍した。ともあれ,「新経 済政策」の発表はIlilhljから熱狂11<ノな支持を受けた。

アメリカにはすでにケネディ,ジョンソン政椛の賃金・物Illliガイドポスト

(21)

の実験が先イjしていた。しかし,そのiijliI111iは分かれたままであった。そのよ うな状況|〈に,「ケインジアン」になり,穣伽lりに景気を刺激しようと砦え るニクソンが,インフレ,MI1の定杵を''11:祝せず,対外(l(」不均衡から自然に働 く歯」こめを外してまで,需要拡大策をと')つづけようとして,結Ai),ニュー エコノミックスが愛川した)i1i得'8(策へ’11:いもどったのは,ある意味で当然 だったといえる。ll1lH1Il<)丁・段を飛び越して,しかも1M;たる成算もなしに,包 括(1<j強IliIIiI<」を統Ili'1というきびしい手段を採ったところだけが,いわばニクソ

ンのオリジナルであった。

物イllli・賃金統IliIlは,1束紡一緩イill-Wi來結の過イ1ilを経て,1974年4)1に廃」'1 されるまで3年近くつづけられた。その概要は表1のとおりである。

物|111i・貸金統hllは,約3000名のjMli且,360の地区センターを持つ爽施監督の 全lJilシステムに支えられた統Ilill機柵を/|きみlll,した(lヌ12参IMI)。{|lli格委員会 は,イ|i間売上高によって3グループに分類し,’億ドル以Iの企業には,I111i 格変史についての事iiil1iT1lIl1ノバ認Ilillを敷き,また'111半jUI征に{llli格・コスト・利 益についての報{'『を義務づけた。500ノノドル木iilI1jの企業には,報〈11を免除し たが,やはりガイドラインの遵守を求め,適切な記録の保存と必要な場分立 人')検査を受けることを義務づけた。述反には''''11命令が兆せられ,罰金が i探された。公労|>11三:折柵成の賃金評識会は,従業員Bil棋別に賃金改訂を3グ

(21)

14

表lニクソン政椛のniilト政策のllIi移

災紙(イド率%)

;TWTY77FiJ7TiiiT玉YTT悪

段階 '011111 【f金 物lllli

llHイガ (|'il'''1・物llli 1971イド

8111411以Iiii l力11の雌ilIli ノMIilユ1,.に i4〔紬 ガイドライ ン設定((f金 5%ⅢMII給 付0.7%)

lf」もげは亙|ド liiiノバ洲lill

liil/I((/Mll:

農廠物を除 く)

第1段階 鞭結

1971年 8月1511

~1971年 11111311

2.41.90.5

ガリ2段ルド リdillillAMIlill

1971年 11)11411

~1973イド l1110ll

ガイドライ ン設定(2.5

%)

11.上げはコ スト12ケ1.分 のみノバ認,Ilh 上げのL|(1iii 承認Ilill ガイドライ ン(l1ill:)

(1k」:げの''1 1iiiノバ柵lilllni l上 肢」と(jollllll の物IlIIilリill〔

結(/M1]:'&

'曜物を除く)

l1lI」:げのjl1 iiiiノバ柵lill1H iili 農朧物のfil1 lMlllill 朧業》'1の逃

》'1銃IIill 食料,'1,'1,|ク瓠(

のi聯'i解除

7.33.43.8

第3段階

’'1主jMliリ 1973年

1月1111

~1973年 6)ll21I

ガイドライ ン(l1il上)

{if上げのz'1

,iiiノkiiM'l1j6 1k lIill:

6.38.3-1.9

1973年 6月1311

~1973年 7)11711 第3.5段階

物(lllilIii4〔

7.69.6-1.8

第4段階 廠業》リリdi IlilUMlill

1973年 7)11811

~1974年 4月3011

lIilL

出jリi)労11リ1滴「illjL外労伽経済)lill」1974イM)l}).

ループに分緬し,5000人以」主の従業貝を対象とする賃金改訂はzl「前)iillM(認 Ilillとした。1000人未iililjを対象とする賃金改訂といえども,一般的な監視と立 入り検査を受けることにした。しかし,水力111:腿産物,イi{111i証券,uliliii出入1lx リ'’化|々の注文による物,lm1,およびサービス,特定の不Iil1雌などが当初よ')統 Mill対象から外された。ガイドラインに述反していないかどうかの判断は,当

(22)

序章新保守主義政権の登場15 図2ニクソン政椛の所得政策機構

愈靭-ト唖i【参

初よりけっして容易ではなく,しかも統Iillが長びくにつれ,公兀を確保する ため,各種の例外要求の取り扱いがふくれ上がっていくことになった。

最初しばらくのあいだ,統Ilillは効果をあげた(図l参照)。たしかに物価 も賃金も上げ足を弱めた。しかし,インフレを終息させないままでの財政金 融両mからの需要拡大策は,好況が到来するとたちまち全社会的な債務爆発

(22)

をリ|き起こしていった。金交換の歯」こめを外きれたFRBの積極i1勺を姿勢の もとで,公債も住宅ローンM1費者信川も,それに会社債務までもいちじる しくふくらんだ。それとともに物{illil1界と賃金上昇は駆け足となった。それ に物仙・賃金統llilIのありとあらゆる悪弊があらわれた。不合理,不公正につ いての不満が急速に高まり,熱狂的支持ではじめられた統IIilIなのに,もうつ づけることはできなくなってしまった。

もう少し大きくみておくなら,ニクソンがi11編した,対外的にはいわば手 抜きの新'1界政策は,1973-74年,その当然の帰結を迎えたのである。市場 システムに本来そなわっていたインフレへの歯止め-ドルの金交換一を 外してまで追求しようとした繁栄のための需要拡大策は,11界的なインフレ

(23)

16

高進をリ|き起こした。それにヴェトナム戦争の11tjくさ上の敗北,対外的な政治 i11事12のコミットメントの|Ⅱ州を認めたことは,アラブの杣lfl行11リノーガ川

次'11束Ⅱ卿と石11111蕊lliiiiiとなってはね返ってきた。そして,この2つが正なっ て,OPECのⅢ;〔illllllli格人''1m値_上げがまかりとおった。ニクソン政椛そのも のがインフレ商巡・第4次l1ulUiM卜・イiilll危機の小破)丙)の衝撃によって決定 的なダメージを受け,ウォーターゲートリド件で深刻な大統価府不Iriをj〕|き起 こして,葬られてしまったのである。

イギリスのヒース政椛もまた,1970イli61I,新しい保守のプログラム,節 2次'1外人戦後のコンセンサスからはっきり訳》||するかにみえるI21111Tlj場的 プログラムを)|隠して,スタグフレーションのただなかにXIf場した。総選挙 に勝つうえで大きな役;';'1を演じたのは,インフレを一気に収束させるという 約束であった。選挙綱航はほかに労働組合改jYf,経済への|玉1家介入の縮小,

公式の所得政策のlml避,政府文IlI11lU減と)リi得税減税,それに福祉におけるよ り大きな選別などを含んでいた。

いち早く落ちⅡになったイギリス経1升は,じつは1961イ'1のポンド危機以 来,効果をあげられず成艮を蝋なうストップ・ゴー政策への反省とともに,

いち早く所得政策を術時ⅢⅡしなければならなくなっていた。すぐiiiiのウィ ルソン政椛も,1965年4)|から1969イlil2j]まで,1年''11の賃金・物I111i凍結411ノユ 法を含む)リi得政策を展|)|]し,4M:'Wlill》約の締結を奨励した。そして強Ili'1(Iりな 所得政策への労IliI者の反感がストライキと賃金燃発となって噴き111,してくる ようになると,白書『紛イトにかえて-労使関係への政筑』を発表,労IujllM

(23)

係改111〔を企てたが果たせなかったのである。労I11iI党政椛のこの11りし跡は,つぎ の保守党政椛のすすむ近を川意していたといえる。ただヒース政椛は,労使 関係の改IIEについては肢jli要の政策として継承したが,瓜感の集ll1した所11ト

(24)

政策については,それに代わる力策をはっきり捉案することのないまま,lii にそれから遠ざかろうとしているかのようであった。

だが,発足当初の決然たる言葉にもかかわらず,ヒース政椛の経済政莱述

(25)

営を実|漂に特徴づけたのは「Uターン」だった。

景気後退のなかに議場したヒース政椛の岐初のlイ111の政策迎営のj州は,

(24)

17;iWt=新lIIWji筏政椛の議場17 インフレlIl1Ilillと労使関係法におかれた。川T1lI:税減税にはそれと一対の戯Il1ll1ill 減がおこなわれ,金剛IIB(策もllllIIi'1(l<)だった。公共iljl11lの賃IげMl1えられ た。そして71イli811には労i>1i関係i」〈を成立させた。これは,イギリスで岐初 の包{舌的なツノIMill法であったが,廃案となったツjrllill党の法案からストライキに ついての、1行投票と調停''1の争議体''2命令j0lllllの条Jr[をよりきびしくしてり|

き継いだばか')か,jlilI谷に対してIlljl人の椛利を():'),iⅢfgW)争議行為につい ての民事」主の免貞のliulIlを狭め,かつ2次(l<ノストライキを不当労働1丁為とBA 定した。ヴォランタリズムの髄城に政府があえて介入し,統lIillのきかない ショップ・スチュアードたちの非公認ストライキや2次的ストライキにT・を 焼いていたTUC(ツナ伽ルI[合会議)やlMiの、|(トパ|jたちを111')込むことによって 労使関係の安疋をもたらそうとしたのである。ヒース政椛は大変な決意を もって労使|兇I係の'11リ(l:突破「1りill細にT・をつけた。その念||ノドで,戦後火に終''2 符を打とうとする政椛であった。

ところが,1[1際i、賃危機が先17きイ〈安を''1Fぴ,失業がさらにふえ,100ノノ 人を越えるのをみると('又'3参11(1),l971イト7)1,ヒース政椛は公共事業計 画を発衣し,11雌固税をカットし,金融も級イⅡした。さらに,1972イド初頭,一 段と拡りljiil<)な]'hiil:を細み,公共部|'Wl1i人|l(度枠(PSBR)をiiii年の13億ドル から33億ドルへり|きLげた。しかもただ拡り脚l<」となっただけではない。ヒー ス政権は,倒廠したロールス・ロイス,アッパー・クライド造船所の|リイj化 庶業に介入し多額の:|(11i肋金を支llI,する樅|U(を皿旅宿にリえる工業法,炭鉱|M1 鎖ノjr針の逆lli式,ブリティッシュ・スチールの111F心11りな投資計mjlなどを実行す

る彼ⅡにlWiった。

そのうえ,llWM合の血I越しに'五lIMWlMkを人々にiサドえ,過大な賀」こげ要 求に抵抗する支任を経営fⅡ寸|体に説いていたヒース政椛は,いやいや所得政

(26)

策へI』いこまれていった。

1972イ|主の奥,失業が減少に転じるとすぐ,イW1朧投機に先導されて,イン フレが|V燃した(lIxl3参!|(1)。11論にllllされて,政lIl:とCBI(英|工l朧業連MH)

とTUCのあいだの協議がはじまった。政11]:は|{|発iI<ノなjリ『得政策を望んだ。

しかし,TUCが応じなかった。認められる賀}・げlllliiiが狭すぎること,物I111i Wl1IIillll柵が)ノiLぬけになること,illU当利イ・などその他の)リi得の規制との不公」|Z

(25)

18

図3イギリスの継洲H標(ヒース政権101)

LlMJiWL

lD/ 21I 0628101 Ru/o

部%861208642%Mmm86l202’Ⅲ/〃2810482ド’’@/01 1ン6181H1■I□’ 一一一日、10 』p⑰巴

11 12 10

,1

-2

-4

〃//〃

12

-1

-8

-12 億ポンド f形Nillリ|レート

''1りし'111(ll1イ'11(収支’

’11際収支(雑iiWjだ)

4

-2

-1

-6

-8 1恩ポンド

2.60

2.50

2.10

2.30

I1lIill19701971197219731971イl2

11l所)ルルノノノMyDjgCs/q/S/α/js//Cs;("のlcm/S/α/MCS.

(26)

序章新保守]i義政椛の登場19 などが1111接の理IlIだった。けれども,すでに導入されていた労使関係法が政 府と労働細谷の関係をひどく恕化させつつあった。TUCは,左派組合のイ ニシアテイヴのもとに,労使関係法上の議録の拒否を決定し,さらにこれに 逮反した組合の追放へ動いた。そして1972イliに入ると,多発する争議のなか で労使関係法にもとづく2次ピケットlI1Il1命令がつぎつぎに出され,その違 反料の逮lliiをめぐって,抗議ゼネスト計1川非常事態宣言,中のI|)動と,祉 会的緊張は極点に高まっていった。この物情騒然たるなかで,政府は,結 局,l972frll)]から901三IllI]イ111i格,’'11[l当および賃金をi來絲する強制的所得政策 に采り'11,したのである。

ヒース政権の般後までつづけられた)リi得政策の概要は,表2のとおりであ る。

この所得政策のもとで,なんとか斜陽から脱け''1,し,成踵率を高めて完全 歴111を達成しようと,PSBRをさらに50%拡大する83イ'1度予算がポ|[まれた ことが兄逃せない。金融政策も拡りliil1<)になっていた。これではいかにきびし い物Illli・賃金統IIillを課しても,支えきれるものではなかった('又'3参||(1)。労 使関係法で城後史に終」'2符を打つかにみえたヒースは,依然として戦後コン

(27)

センサスの人だった')である。

111:界政策同家から脱落してECのl川M|玉|となる苦脳'ミの選択の途lをにあっ たイギリスにおいては,経済政策の成否はすぐさま政椛を左右するほどの決 定(1<)求要性を持っていた。労使ljM係法への反発に,物イlllilIl1Ilillが尻ぬけになっ た所得政策第3段階への反発が合流した争議の大波のなかで,ヒース政椛は 非常瓢態宣言と)fil距仙LからのIi場の週31」操業に追いこまれた。そして

「'五|を1台めるのはだれか」を'''1う総選挙においてまで敗れてしまった。

ニクソン政権もヒース政椛も,新しい保守の要素を持ち,インフレ(|〈ノな経 済危機に直面して,インフレ抑IlillをIMIし,戦後経済政策の大前提となって きたコンセンサスー政府は完全扉)'1実現のために政策的に介入すべきであ る(アメリカにおける1946年雇川法とイギリスにおけるベヴァリッヂ報告)

-から少しでも脱け}'1そうと試みた般初の政権であった。しかし,その遂 行のために必要なだけの政策理論(1<ル(省とそれにもとづく,MIli19断絶を火い

(27)

20

表2ヒース政椛の)リilM苛政箙のlIIi移

災紙(イ'1率%)

iJWlJii胴

段階 1011111 【f企 物Illli

|iii段階 rlllI

1971年7Ⅱ

~1972イド 10)1 1972年1111

61]

~1973イド 2月 1973イM)1

111

~1973年 1011

ク〔|Iill曜業jUlM(CBI)が(l11i

lバリ|上げ「111111'し合わせ 13.87.06.4

第1段Hf 凍結

ID(府のTUCにヌ,Iする|`l ii)Mli'|の説{{トリtllI(後に禅 人.配』1,利「・ともに90 111111i聯'i

物(lllilf余W《'''1(1ポン ド・プラス4%=、lAjムノイド 8%)(1人あたりイli250 ポンドを」zlIl)

90111111iII(緋

3.07.4-4.1

第2段階 ldiIlilⅡMlill

①輪川人,Y,,薬,'1,1,,季節 食,!i,1,を除外.

②Il11i俗リI」きげは'M:''1位 あたり「許容コストj#」

を超えてはならない.(労 I|Ⅱlコストj竹の50%のみ転 嫁できる)

③物('11i姿`1分の111iiiノバ調 Ilill

①11「lMiノバ認Ili'1統it

②Jli1iiiノパ認を必要とする 企業の範|)111リ(人(イMi-l iH5000ノノポンド以I)

16.411.94.0

①lf」二げは7%またはju1 2.25ポンド以|Al(1人あ たりイ12350ポンドをⅢl()

②11M}条J[(('Mi物Ill1iが 1973イlilO11のノMI1を7%

以l2I:まわるなI、),jul40 ペンス,それ以上1%jW ごとに40ペンスのlRl2lf を認める)

③さらに1%のITIげを mHMifl会のノハ,洲lillで,

'Mfflilhllz,lff来)Ljli,

lI1lljMf余などのためにiiU める

節3段階 強Ilill呪Ilill

l973flill1l 711

~1974イド 2Ⅱ

15.5

''1,リリi)労MlY1「11リLタトツブIトリ締斤川ill」1974イl;5Ⅱ}):U、K、,/I/Oノノノノノ1Vノ)/)?〔?s/Q/S/α//s//(,s、

てお'),lIlHがふらついていた。したがって,実際に失業が」1#大すると,これ までのMII習どおりケインジアン的な需要拡大策を採り,さらに)リi1M:政策をた んにそれをド111完するものとして,すなわちケインジアンの11M論づけどお'),

インフレー失業のトレード・オフを級71illするものとして,採川したにとど まった。〃i得政簸にはそれ以12の怠味はこめられていなかった。

(28)

1↑:WIi新保'、):二ii義18(樅の《f」ル21 1i1i得政策,と')わけ物I111i・15余の変動をi」《(I<ノリiiIli'|によって統Ilillしようとす るリjiルリイ'り)リilM:lB(策は,たしかに'ljjiルシステムのなかに異質な1%('''1,)W〔な機 柵を持ちこむものである。しかし,そのi水ハIiとか-11M'1%アップまでは認め るとかという機械11<」な』iW<を,1M(の活11j))する経済?i1体に災)(l111UIll1しつけつ づけることには,本来(1<」な)ll1Ill1があるというべきであろう。機械11<ノな基iリミ は,あくまで絲済の変化してゆく火態に根拠を時たない,機械(1<」な」,(準なの である。したがって,避かれ'1Lかれ,コストその他の諦条|ノ|:の変lij1にともな うIllli格の変化を柔I|攻に受け入れるために,各柿の|ダ11外搬置をIi1iみI1tねていか なくてはならなくなる。それはしかしみずからぬけ六をつくってやることを も急味している。しかも,物Illli・lf金統Ilillは今1(Iiil<)であることによってはじ めて社会(|<」公]liをIillIiI米しうるといえるが,||,'iUIlllの榊行とiダ11タトlilliIliIlの巡1Ⅱは,

liMJ1りには統llill機'14の集めうる11'i報と速)又に対するIIiIl故とにllWiLがあるた め,範lFlを拡げれば拡げるほど,さまざまなイ〈谷1111,イ〈公lIiな決定を21iむこ とを避けるわけにはいかなくなる。こうしてりiiIIilliI<」を所1(ト政策には,不介 1111,不公]'1へのb(苑を呼び起こすことによって'’1分の」if盤をlIliI)iiiしてしま

うliiilイ丁のIW1lイ,1が洲んでいるというべきであろう。

そのうえ,たとえいかにljリノなIlillAIIiと罰l1lIをともなっているとしても,TIj 場システムの'11'|で,財政余MM(策がインフレ(l<ノなままでは,)リi1ML1B(策が長)111 にわたってインフレをMl1Ilillすることは不i'1能なのである。1」《のぬけ穴を利I|I するか|+11へもぐるかして,やがて必ずインフレは衣1「li化せずにはいない。そ してその際,とくに))。ぬけになりやすい物I1lli(および利ilM)が賃金をiiiiいて けぼ')にしてMし,そのノ11Kでのi|:会(1リイ《公jlH感とIB(策不hirを決定(l<」にして

しまうわけである。

ともあれ,IMVILll<ノな高成li;のiWi条(ノトが失われたにもかかわらず,ドルー金 交換のIlill度「I<j歯I|:めを外したうえ,インフレ1111侍の定杵によって破綻が1リIら かとなったケインズ的需要}広人策を採っては,たちまちインフレを高進さ せ,〃『得政策がこれまでuIの決疋(l<ノイ《Iiiを買って}7:イMiするのは必定だっ た。戦後絲済」B(策の慣習総体の,いいかえれば「/i↑;11'1された絲済」(managed economy)そのものの徹底した1i先い直几が求められていたといわねばなら ない。しかも1,1,j放縦のUターンは,戦後からの|析絶,DlizlII1を葱lLltするその作

参照

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