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『保守の比較政治学』

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はじめに

⒡⒢

﹁青の時代﹂の先に

 近年、欧州各国で﹁保守政治﹂が再び優勢であるように見える。ドイツでは保守政党のキリスト教民主同盟・ 社会 同盟 (CD U/ C SU )が二 棚 一 三年選 挙で得 票率 四一 五 ⑫ と近 年ま れに見 る圧倒 的な 勝利を 収め 、メル ケル 政権を継続させた。イギリスでは二 棚 一五年選挙で保守党が単独過半数を確保し、キャメロン首相のもとで、実 に一八年ぶりに単独政権を樹立した。一九九 棚 年代後半から二 棚棚棚 年代までヨーロッパ諸国を席巻した﹁第三 の道 ﹂を掲 げる 社会民 主主義 政党 の時代 は過去 のも のとな り、保 守優 位の﹁ 青の時 代 ⅶ (青は 保守系 政党が しば しば 用いるシンボルカラー )が到来したかのようである。  保 守の 優位 は、 EU レベ ルでも 確認 でき る。 二 棚 一四年 の欧 州議 会選 挙で 最大 会派と なっ た欧 州人 民党 (キリ スト 教民主主 義系 )は、前 回より得 票率は減 ったもの の、筆頭 候補者の ユンケル ・前ルク センブル ク首相を 欧州委 員会委員長として選出することに成功し、EUの﹁政権﹂担当政党となっている (住沢 二 棚 一五 二一 )  翻って日本ではどうか。ヨーロッパ社民の﹁第三の道﹂と共通項をもつ民主党が二 棚棚 九年に実現した政権交 代に終止符を打ち、保守政権を樹立したのが、安倍晋三率いる自由民主党である。二 棚 一二年の衆議院選挙で地 滑り的勝利を収めて政権を奪還した自民党は、二 棚 一四年選挙でも圧勝し、自公連立による長期政権へと道を開 きつつある。日欧における保守の復権は、はからずも互いに呼応するかのように展開している。  本書の目的は、戦後ヨーロッパ政治の最も有力な政治潮流であり、現在も多くの国で政権を掌握している保守 政党、そしてこれに加えて新興勢力として台頭著しい右翼ポピュリスト政党という新たな保守系政党を対象とし、 はじめに v

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比較政治的に保守政治の構造変容の実態を明らかにすることである ( 1 ) 。  それでは、ヨーロッパの保守政治がなぜ大きな変化を遂げつつあるのか。そもそも現在の﹁保守の優位﹂は、 何ら 保障され たもので はない 。実は一 九九 棚 年 代以降の 保守勢 力、とり わけ既成 保守政 党は、い くつもの ﹁危 機﹂にさらされてきた。その﹁危機﹂の波を越えることで、現代の保守政治の一定の﹁復調﹂が可能となったと いってよい。  それでは、近年のヨーロッパの既成保守勢力が共通に被った﹁危機﹂とは何か。  第一の危機は、一九九 棚 年前後の冷戦の終結である。かつて冷戦下で﹁反共﹂を旗印として諸保守勢力を糾合 していたヨーロッパの保守政党は、冷戦が終結すると、反共という重要な結集軸を喪失して動揺した。特にイタ リアでは、万年与党の座にあったキリスト教民主党において、共産党の勢力拡大阻止のための政治コストとして その政治腐敗は﹁黙認﹂されていたが (伊藤 二 棚 一六 一六八 )、冷戦の終結 後、汚職摘発を端緒とする世論の強 い既成政党批判に曝され、党自体が崩壊する。  第 二の 危機 は、 一九九 棚 年 代半 ば以降 にお ける 社会 民主主 義勢 力の 躍進で ある 。 ﹁第 三の道 ﹂を 提唱 したイ ギ リス のブ レア 労働 党を旗 頭と して 、 ﹁新し い社 会民 主主義 ﹂を 打ち 出し た各国 の社 民政 党は、 求心 力を 失って い た保守政党に対し、福祉国家改革をはじめとするアジェンダを積極的に提示し、政権を次々奪っていく。  第三の危機は、一九九 棚 年代後半以降のポピュリズム系政党の躍進である。それまで弱小勢力に過ぎなかった 右翼ポピュリスト政党が各国で躍進する一方、政策的に共通する部分がある保守系政党は正面から競合を余儀な くされ、支持基盤を侵食されている。保守政党が﹁保守﹂を独占できなくなったのである。  しかしこれらの危機に対し、既成の保守政党が手をこまねいていたわけではない。二 棚棚棚 年代以降、各国の 保守政党は自己改革を進め、既成政治や既得権益を代表する旧来型の政党というイメージの払拭を図る。ドイツ では、東ドイツ出身のプロテスタント女性物理学者という﹁アウトサイダー﹂を擁してドイツのキリスト教民主

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同盟 が政 権復 帰を 果たす 。ま たイ ギリス では 、 ﹁リ ベラル 保守 主義 ﹂を 掲げて 支持 を得 たキャ メロ ン下 の保守 党 が、やはり政権を奪還する。両党とも党内の一定の﹁革新﹂を経て保守勢力の再結集を果たし、長期政権への道 を歩んでいる。いわば保守の﹁革新﹂が各国で展開されるなかで、従来の左右軸とは大きく異なる政治的対立軸 が浮上しており、現代ヨーロッパの保守政治が新たな局面を迎えていることがわかる。  またこれらのヨーロッパの保守政党の足跡が、日本の自民党の歩みと軌を一にしていることにも注目したい。 一九九三年の細川内閣の誕生で三八年間継続した長期政権が終焉して野に下り、結党以来最大の危機を迎えた自 民党は、世紀転換期以降、政治戦略やイデオロギー・党構造などの変容を経て、二 棚 一二年より、かつてを凌ぐ かに見える保守政権を継続させている。  このように、一九九 棚 年代以降のヨーロッパ (および日本 )では、保守の政治空間に大きな変化が生じている。 また移民問題やグローバル化・ヨーロッパ統合の進展などの新たな争点は、そもそも﹁保守﹂とは何かをめぐる 政治理念の再定義を促している。この変化の時代にあって、各国の既成の保守政党は、まさに党の存続をかけて ﹁ 改革﹂を進めざるをえない。  そこで本書では、ヨーロッパ各国の現在の保守勢力、具体的には保守主義・キリスト教民主主義・右翼ポピュ リストなどの諸勢力を対照させつつ、そのイデオロギー的変化、政党間対抗関係の変容、党組織の再構築などを 手掛かりに保守政治の構造変容を検討し、変動著しい現代ヨーロッパ政治を理解する重要な視座を提供したい。 またそれと併せ、共通する特徴の多い日本の保守政党、とりわけ自民党の展開も明らかにすることで、現代日本 を含む先進諸国の保守政治の現状と今後についての見取り図を示すこととしたい。 ﹁ 保守政治研究の意味  ところで、前述のような保守系政党の持つ重要性にもかかわらず、保守政治を正面から扱った研究は極めて少 はじめに vii

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ない。ヨーロッパの保守系政党は、イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・ベネルクス諸国をはじめ多数の国 で戦後最大の政治勢力として、政権を長期に担当してきた。しかしこれら保守政党をめぐっては、イギリスの保 守党やドイツのキリスト教民主同盟・社会同盟などに関する個別研究はあるものの、ヨーロッパレベルの視点か ら比較政治的に分析したものは少なく、研究としては貧弱な状況にある。これは、社会民主主義政党が頻繁に比 較を交えて研究されたことと対照的である。  特に日本では、ヨーロッパの保守政治に対する研究上の手薄さは顕著である。ドイツ社会民主党やイギリス労 働党をはじめとする左派政党や運動が注目を浴びる一方、個別研究は別として、ヨーロッパ保守政治を総合的に 扱った研究はほとんどないといってよい。とりわけ大陸ヨーロッパの最大勢力であったキリスト教民主主義政党 につ いては、 ﹃キ リスト教 民主主義 と西ヨー ロッパ政 治 ⅴ ( 口・土倉 二 棚棚 八 )が刊行さ れるまで 、西川知 一の先 駆的業績﹃近代政治史とカトリシズム ⅴ ( 西川 一九七七 )を除けば、比較政治的な研究書は皆無に近かった ( 2 ) 。   ⅵ 保 守﹂ への 関心の 薄さ の背 景と して指 摘で きる のが、 いわ ゆる ﹁戦 後民主 主義 ﹂を はじめ とす る、 戦後の 日 本の知的空間における進歩的・近代主義的な政治への強い志向であろう。日本の﹁遅れた﹂政治・社会の目指す べきモデルとしての意味も含みつつ、ヨーロッパの社民政党や環境政党の動向、充実した福祉国家の建設をはじ めとする進歩的な政治のあり方は、強い関心の対象となった。しかしながら、ドイツやオランダにおける福祉国 家建設がキリスト教民主主義政党優位の政権で進められたことが示すように、重要な改革が保守政権のもとで生 じることは珍しくない。ドイツの全面的な脱原発への転換が﹁保守﹂のメルケル首相のもとで実現したことは、 記憶に新しい。  ヨーロッパの保守政治を理解することは、変動著しい現代ヨーロッパの政治のダイナミズムを知るうえで鍵と なるのはもちろん、日本政治への参考例を求める立場にとっても、重要な示唆を与える。ヨーロッパ政治を彩る のは、赤 (社民 政党 )や緑 ( 境政党 )ばかりではな い。青 (保守政党 )のもつ独 特の色合いを知 ってはじめて 理解でき

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ることも多いのである。 ヨーロッパの保守政党 ﹂  ここで、本書が扱う﹁保守政党﹂について説明したい。第二次世界大戦後の西ヨーロッパにおける保守系の有 力政党は、大別するとキリスト教民主主義政党と保守主義政党に二分できる。  まず大陸ヨーロッパの諸国では、保守系政党の代表格はキリスト教民主主義政党だった。すなわちドイツ・フ ランス第四共和制・イタリア・オーストリア・スイス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクなど多くの国々で、 キリスト教民主主義政党は与党として長期にわたって政権に参加してきた。前述のように欧州議会でも最大会派 として欧州委員会委員長を選出しており、ヨーロッパの﹁保守﹂におけるキリスト教民主主義政党の存在感は極 めて大きい ( 3 ) 。  これに対し、イギリスやスウェーデンでは、保守主義政党が有力な保守政党であり、欧州議会でもキリスト教 民主主義と異なる会派に属している。特にイギリス保守党においては、大陸のキリスト教民主主義政党が一致し て推進してきたとみえるヨーロッパ統合の進展への距離感・懐疑が根強く、これがEU離脱問題の一つの背景と もなっている。その意味では﹁ヨーロッパの保守﹂は一枚岩ではない。むしろ保守主義政党とキリスト教民主主 義政党の間を走る亀裂が、EUをめぐるイギリスと大陸ヨーロッパの間の疎隔と重なり合う。このようなヨーロ ッパの保守政治のダイナミズムを知ることが、現在のEUの理解に必須であるゆえんでもある。  またこれに加え、自由主義政党が保守陣営の一翼を担う国もある。オランダやデンマークでは、自由市場重視 の右派自由主義政党が保守勢力内の有力政党として地位を確保してきた ( 4 ) 。ただ、同様に自由主義政党であっても、 ドイツやイギリスの自由主義政党は中道政党として位置づけられており、自由主義政党が保守系政党と見なし得 るかは、各国の文脈による ( 5 ) 。 はじめに ix

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 上記のさまざまな既成の保守政党からなる、保守の政治空間に近年動揺を引き起こしているのが、新興勢力で ある右翼ポピュリスト政党である。移民・難民をめぐって急進的な主張を掲げ、EU離脱を含むヨーロッパ統合 への根本的な批判を繰り広げる右翼ポピュリスト政党は、近年のイスラム過激派によるテロ事件の続発を経て各 国で一層の支持を集め、支持基盤の重なる既成の保守政党にとって最大の脅威となっている。ヨーロッパ保守政 治における新たな、しかし重要なアクターとして、本書でも右翼ポピュリスト政党を正面から取り上げている ( 6 ) 。 本書の構成  前記の理解に基づき、本書は次のように構成されている。  まず第Ⅰ部﹁保守をめぐる理論と歴史﹂は、現代のヨーロッパ保守政治を理解するための理論と歴史的背景を 提示 する。第 1章﹁西 欧保守に おける 政権枠組 の変容 ⅶ (古賀光 生 )は、本 書全体を 貫く枠組 みを提示 する。 とりわ け、経済構造の変容と支持基盤の動揺などにさらされた旧来の保守政党が、右翼ポピュリスト政党と連立して政 権につくのか否かという重大な局面に立たされつつ、特定の選択を行う条件を分析する。現代の既成保守政党の 陥っているディレンマが鮮やかに描き出された章である。  次 に第2章 ﹁福祉国 家と西ヨ ーロッパ 政党制の ⅷ 凍結 ⅸ⒡⒢ 新急進 右翼政党 は固定化 されるの か? ⅶ ( 中山洋平 ) は、二 棚 世紀ヨーロッパにおける政党制の﹁凍結﹂の分析に福祉国家の諸制度という角度から光を当てるととも に、 近年 の新 急進右 翼政 党 ( 翼ポピ ュリ スト 政党 ) 成功 の可否 を、 福祉 国家改 革の あり 方か ら説明 する 。一 時的 現象とも見られていた右翼ポピュリスト政党の﹁固定化﹂の可能性を指摘する同論文は、近年の保守政治の変容 が持続的なものであることを示唆している。  他 方、第3 章﹁オラ ンダにお ける ⅷ 政党 ⅸ の成 立 ⒡⒢ 保守 党の失敗 とカルヴ ァン派政 党の成功 ⅶ (作内 由子 )は、 ヨーロッパ保守政党の展開を歴史的に明らかにする。オランダを題材としつつ、後のキリスト教民主主義政党に

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連な る宗 派政 党が 一九世 紀後 半に 結成さ れ、 順調 に発 展して いっ た一 方、 ﹁保 守主 義政 党﹂が 自立 に失 敗した プ ロセスを、当時の論者の議論を用いつつ検討する。大陸ヨーロッパ諸国の多くでキリスト教民主主義政党が保守 勢力を代表するまでに成長し、他方﹁保守主義政党﹂が育たなかったことは比較政治的にも興味深い論点である が、その﹁歴史の岐路﹂に迫る。  第Ⅱ部﹁ポピュリズムという挑戦﹂は、保守政治の新興勢力として近年強い注目を浴びている、右翼ポピュリ スト政 党そのも のに焦点 をあてる 。第4章 ﹁国民党 の興隆と スイスの 民主政 ⅶ ( 田口晃 ) 、伝統的 な既成保 守政 党だった国民党がブロッハーのもとで大きく転換し、反既成政治・反移民を掲げるポピュリスト政党として﹁成 功﹂ を収 める過 程を分 析す る。第 5章 ﹁変貌 するフ ラン ス ⅷ 国民 戦線 3 ( FN ) ( 土倉 莞爾 )は、極 右のア ウト サイ ダーとして出発した国民戦線が、新たな指導者マリーヌ・ルペンのもとで保守政治の表舞台に躍り出るまでの展 開を分析する。第6章﹁ ⅷ 自由 ⅸ をめぐる闘争 ⒡⒢ オランダにおける保守政治とポピュリズム ⅶ (水島治郎 )は、オ ランダの右翼ポピュリスト政党、特にウィルデルス率いる自由党について、その一 棚 年を超えて支持を保つ﹁持 続性﹂を可能とした戦略を明らかにする。  第Ⅲ部﹁保守の再編とその戦略﹂は、保守政党主流派の変容と新たな展開を分析する。既成保守政党の両横綱 ともいうべきイギリス保守党とドイツ・キリスト教民主・社会同盟 ( CDU/CSU )についてはそれぞれ、第7 章﹁イ ギリスの 保守の変 容 ⒡⒢ ⅷ 当 然の与党 ⅸ の隘路 ⅶ (今井貴 子 )、第8章 ﹁ドイツ保 守政治空 間の変容 ⒡⒢ キリ スト 教民主・ 社会同盟 の ⅷ 復活 ⅸ とそ の背景 ⅶ (野田昌 吾 )が扱う。 一九九 棚 年代に 下野して 以降、混 迷の中 にあっ た両党であったが、イギリス保守党はキャメロンのもとで﹁リベラル保守主義﹂を掲げ、ドイツCDU/CSU はメルケルのもとで旧来の保守政党の枠を超える﹁開放性﹂と﹁新しい中道性﹂を手にし、一定の﹁再生﹂を果 たして政権に復帰する。ただかつての長期政権を支えた保守地盤はもはや見る影もなく、右翼ポピュリスト政党 の挑戦は予断を許さない。他方、第9章﹁イタリアにおける保守主義政党 ⒡⒢ⅷ 例外 ⅸ としてのフォルツァ・イ はじめに xi

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タリア ⅶ ( 伊藤 武 )は、キリ スト教民 主主義政 党解体後 のイタリ ア保守政 治を担っ てきたフ ォルツァ ・イタリ アに ついて、そのイデオロギーや党組織を分析しつつ、ヨーロッパ保守政党としての﹁例外性﹂と﹁共通性﹂を明ら かにする。  最後に第Ⅳ部﹁変貌する日本の保守﹂は、日本の保守の展開に目を向ける。第 ヮ 章﹁日本における保守政治の 変容 ⒡⒢ 小選挙 区制の導 入と自民 党 ⅶ ( 北浩爾 )は、 自民党を はじめと する保守 政党の近 年の変容 を、特に 小選挙 区制導入の効果に注目しつつ明らかにする。一九九 棚 年代、下野して﹁アイデンティティの危機﹂に直面した自 民党は、小選挙区制度導入によりトップダウン型の党構造への変化を経る中で、安倍晋三のもとで右派的な理念 を強調し、新自由主義的改革によって無党派層の支持獲得を図る政党へと変容し、 ﹁本格的な復活﹂を実現した。 しかもその方向性は、右翼ポピュリスト政党ともいうべき﹁維新﹂との競合の中から編み出されていった。中北 はヨーロッパの保守政治との比較も行っており、日本の自民党や﹁維新﹂を国際的な保守政党比較のなかで位置 づける重要性を示している。  いずれにせよ、ヨーロッパと日本の保守政治は明らかに新しい段階に入っている。そして比較しつつ国際的に 保守政治の変容を分析する視点こそが、大きな曲がり角に立つ現代ヨーロッパの各国政治とEU、そして日本の 現代政治を理解する上で不可欠といえる。現代の﹁保守﹂に注目して欧州と日本の政治を分析する、おそらくは 日本では初めての成果となる本書が、その理解の一助となれば幸いである。   ⅵ 青の時代﹂の先には、どのような風景が広がっているのであろうか。 ( 1 ) 近年台頭の著しいポピュリズム系の政党については、現時点で統一された呼称はない。たとえばフランスで国民戦線は ﹁極 右﹂ とさ れる が、 北欧や オラ ンダ など のポ ピュリ ズム 系政 党を 極右と 呼ぶ こと はま ずな い。こ れを 踏ま え、 本書 では 共通概念としては﹁右翼ポピュリスト政党 ⅶ (あるいは﹁新急進右翼政党﹂ )を用いつつ、個別の国の叙述では、各国政治の

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文脈に即した呼称に従うこととする。 ( 2 ) なおイタリアの人民党 (キリスト教民主党の起源となった戦間期の政党 )を扱った村上 (一九八九 )は、キリスト教民主主 義の持つ思想的・社会的ダイナミズムとその限界を見事に描き出した研究として、今も多くの示唆を与える。 ( 3 ) 一九世紀末以来の各国の世俗化政策へのキリスト教勢力 (そのほとんどがカトリック )の対抗運動に起源を持つキリスト 教民 主主 義政 党は 、労 働者層 を含 む階 級横 断的 な動員 を進 め、 社会 改革的 な傾 向を 強め たこ とから 、 ﹁ 保守 系﹂ の政 党で はあっても﹁保守主義﹂を名乗ることはほとんどなく、政策的にも中道志向の階級融和的な傾向が強い。 ( 4 ) この点で杉村 ( 棚 一五 )の指摘は興味深い。彼によれば、都市・世俗的政党の存在感のある国では、当該の政党が競争 対平等をめぐる対立軸で明確に﹁競争﹂志向 (=右派志向 )の位置取りを行う傾向にある。これにより北欧やオランダ・ベ ルギーの自由主義政党が﹁保守政党﹂の有力政党として存在してきたことを、理論的に説明できる。なおベルギーの右派 自由主義政党とその新自由主義的改革については、松尾 ( 棚 一五 )を参照のこと。 ( 5 ) 党名に同じ﹁自由民主﹂を冠する政党であっても、オランダやスイス、および日本のそれが保守系政党と位置づけられ るのに対し、ドイツやイギリスのそれは中道政党であることに留意されたい。 ( 6 ) ヨーロッパの右翼ポピュリスト政党については、河原・玉田・島田 ( 棚 一一 )や高橋・石田 ( 棚 一三 )など、優れた共 同研究の成果が日本でも次々と公刊されている。またこれと関連し、ヨーロッパ政治の変容を﹁再国民化﹂という観点か ら分析した研究として、高橋・石田 ( 棚 一六 )も興味深い。 伊藤武 ( 棚 一六 ) ⅳ イタリア現代史 ⒡⒢ 第二次世界大戦からベルルスコーニ後まで﹄中公新書。 河原祐馬・島田幸典・玉田芳史編 ( 棚 一一 ) ⅳ 移民と政治 ⒡⒢ ナショナル・ポピュリズムの国際比較﹄昭和堂。 杉村豪一 ( 棚 一五 ) ⅳ ヨーロッパ政党政治の再考 ⒡⒢ 社会構造と政策対立の接点﹄志學社。 住沢博紀 ( 棚 一五 ) ⅵ ヨーロッパ・ドイツの社会民主主義の新たな展開﹂ ﹃生活経済政策﹄二二五号、一八 二四頁。 高橋進・石田徹編 ( 棚 一三 ) ⅳ ポピュリズム時代のデモクラシー ⒡⒢ ヨーロッパからの考察﹄法律文化社。 高橋 進・ 石田徹 編 ( 棚 一六 ) ⅳ﹁再 国民化 ﹂に 揺らぐ ヨー ロッパ ⒡⒢ 新た な ナシ ョナ リ ズム の隆 盛 と移 民排 斥の ゆ くえ ﹄法 律 文化社。 はじめに xiii

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田口晃・土倉莞爾編著 ( 棚棚 八 ) ⅳ キリスト教民主主義と西ヨーロッパ政治﹄木鐸社。 西川知一 (一九七七 ) ⅳ 近代政治史とカトリシズム﹄神戸大学研究双書刊行会/有斐閣。 松尾秀哉 ( 棚 一五 ) ⅳ 連邦国家ベルギー ⒡⒢ 繰り返される分裂危機﹄吉田書店。 村上信一郎 (一九八九 ) ⅳ 権威と服従 ⒡⒢ カトリック政党とファシズム﹄名古屋大学出版会。

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保守の比較政治学

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はじめに

⒡⒢ ﹁青の時代﹂の先に ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 水島治郎

第Ⅰ部 保守をめぐる理論と歴史

第1章 西欧保守における政権枠組の変容

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 古賀光生 ⋮⋮ 3 はじめに 3 一  ⅵ 保守ブロック﹂の再編 3 二 各国における政権構成の変容の概観 9 おわりに ⒡⒢ まとめと展望 20

第2章 福祉国家と西ヨーロッパ政党制の﹁凍結

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 中山洋平 ⋮⋮ 25 ⒡⒢ 新急進右翼政党は固定化されるのか? はじめに 25 一 西ヨーロッパ亀裂政治再び? 27 二  ⅵ 凍結﹂仮説と政治的サブカルチュア構造 30 三 社会保障制度とサブカルチュア構造 ⒡⒢ 福祉国家という補助線 32 四 新急進右翼政党と福祉国家再編 37

(13)

五 福祉排外主義の潜在力と新急進右翼政党の軌跡 43 おわりに 47

第3章 オランダにおける﹁政党﹂の成立

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 作内由子 ⋮⋮ 57 ⒡⒢ 保守党の失敗とカルヴァン派政党の成功 はじめに 57 一 保守主義勢力および正統カルヴァン派勢力の政党化・議会主義化 60 二 自由主義者バイスの政治観およびその問題点 66 三  ⅳ 我らが綱領 ⅴ 72 おわりに 74

第Ⅱ部 ポピュリズムという挑戦

第4章 国民党の興隆とスイスの民主政

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 田 口 晃 ⋮ ⋮ 81 はじめに 81 一  ⅵ スイス国民党﹂と﹁魔法の公式 ⅶ 83 二  ⅵ 国民党﹂の変貌 86 三 国民党の全国展開と急成長 91 目  次 xvii

(14)

四 二つの﹁政変 ⅶ 98 おわりに 101

第5章 変貌するフランス﹁国民戦線

(FN ) ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 土倉莞爾 ⋮⋮ 111 はじめに 111 一 初期FNの相貌 111 二 FN四 棚 年間の変遷 115 三 二 棚 一二年フランス大統領選挙とFN 118 四 二 棚 一四年フランス統一地方選挙、EU議会選挙、元老院選挙 125 おわりに 128

第6章 

自由﹂をめぐる闘争

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 水島治郎 ⋮⋮ 135 ⒡⒢ オランダにおける保守政治とポピュリズム はじめに 135 一  ⅵ 保守政治﹂とポピュリズム 136 二 自由主義系ポピュリスト政党の出現 ⒡⒢ ウィルデルスとフェルドンク 143 三 ポピュリスト政党の成否と﹁制度化 ⅶ 151 おわりに 157

(15)

第Ⅲ部 保守の再編とその戦略

第7章 イギリスの保守の変容

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 今井貴子 ⋮⋮ 163 ⒡⒢ ﹁当然の与党﹂の隘路 はじめに ⒡⒢ ﹁当然の与党 ⅶ 163 一 保守党の適合の政治の軌跡 167 二 サッチャリズム後の二大政党 173 三 キャメロン保守党とイギリスの保守の現在 179 おわりに ⒡⒢ ﹁一つの国民﹂の再来と保守党の展望 185

第8章 ドイツ保守政治空間の変容

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 野田昌吾 ⋮⋮ 195 ⒡⒢ キリスト教民主・社会同盟の﹁復活﹂とその背景 はじめに 195 一 遅れてきた危機 196 二 二 棚 一三年選挙における﹁復活 ⅶ 203 三 新しい保守派の現出 205 四  ⅵ 復活﹂はなぜ可能になったか 208 おわりに 214 目  次 xix

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第9章 イタリアにおける保守主義政党

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 伊 藤 武 ⋮ ⋮ 219 ⒡⒢ ﹁例外﹂としてのフォルツァ・イタリア はじめに 219 一 議論と分析枠組 220 二 イデオロギー戦略の変化 224 三 組織政策の変化 229 おわりに 235

第Ⅳ部 変貌する日本の保守

章 日本における保守政治の変容

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 中北浩爾 ⋮⋮ 245 ⒡⒢ 小選挙区制の導入と自民党 はじめに 245 一 自民党主導の小選挙区制の導入 246 二 二大政党化と自民党の変化 253 三  ⅵ 第三極﹂の台頭・衰退と自民党の復活 260 おわりに 268

あとがき

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 水島治郎 ⋮⋮ 273

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はじめに

 本稿は、二 棚棚棚 年代以降に西欧諸国で成立した保守政権について、その構成の違いを比較する。具体的には、 各国の事例を整理して、右翼ポピュリスト政党を含む新たな政権枠組がいかにして成立したかを検討する。

一 

保守ブロック﹂の再編

1 保守の復権と新たな政権枠組の誕生  二 棚棚棚 年代以降、オランダやデンマーク、イタリアなど、多くの西欧諸国で保守政党が政権に復帰した。こ れら の国々で は、九 棚 年代以 降、中道 左派政党 の改革姿 勢が高 い評価を 受けて、 欧州に おける﹁ 中道左派 の時 代﹂を主導した ( 高橋 二 棚棚棚 ; 水島 二 棚棚 八a )。この 時期には劣勢に甘んじた保守政党で はあったが、その後 の刷新を経て、復権を果たした。  各国で成立した保守政権が直面した課題には共通点も多い。いずれの国でも、既に九 棚 年代から、冷戦の終結 や欧州統合の進展といった国際環境の変化に加えて、脱工業化や人口動態の変化などに伴う福祉国家体制の動揺

第1章 

西欧保守における政権枠組の変容

第 1 章 西欧保守における政権枠組の変容 3

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によって、改革は不可避と理解されていた (野田 二 棚 一 棚 ; 水島 二 棚棚 八a、二 棚 一二 )  しかし、こうした改革に取り組む際の政治的な基盤は各国で異なった。とりわけ、右翼ポピュリスト政党を政 権に含んだか否かが大きな違いであった。右翼ポピュリスト政党の多くは政治的な正統性が低く、イタリアやオ ーストリアなどでは、政権参加に際して周辺諸国から懸念が表明された (大黒 二 棚棚 三 ; 村上 二 棚棚 二 )。しかし、 現在では、右翼ポピュリスト政党の政権参加はもはや特異な現象とは見なされない。  右翼ポピュリスト政党の政権参加は、政権をめぐる政党間競合の枠組の変化によって実現した。従来、大陸西 欧の保守政党の多くは、政党システムの中道に位置して、中道左派政党、中道右派政党のいずれとも連立を組む ことが出来る立場にあった。あるいは、北欧諸国など、保守政党が﹁右派ブロック﹂を形成する場合でも、これ らの党の連立相手は、中道勢力であった。右翼ポピュリスト政党との連立は、こうした枠組の変化を意味する。  政権構成政党の変化は、当然ながら、政策にも影響を及ぼす。二 棚棚棚 年代以降、西欧の多くの国で、出入国 管理が厳格化され、移民・難民の受け入れが制限された。もちろん、右翼ポピュリスト政党の政権参加だけがこ うした政策変化をもたらしたものではないが、これらの政党の台頭が及ぼしている影響も無視できない。  そこで、本稿ではこうした変化を理解するために、政権構成政党がいかに変容したのかについて、各党の戦略 に着目して分析する。 2 新たな政権枠組の背景 ⒡⒢ 保守政党の選択  後掲中山論文が詳しく論じるように、右翼ポピュリスト政党の定着は、九 棚 年代以降の西欧の政党システムに おける最も大きな変容である。フランスの国民戦線やオーストリア自由党に代表される諸政党は、社会・経済構 造の変動に伴う失業率の上昇や生活の不安定化を背景に、こうした危機に対応できない既成政党を批判すること で支持を集めた。これらの党は、政治の現状が民意から乖離していると主張し、既得権を持つ政治エリートと自

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らを対置させることで政治的な正統性を主張した (古賀 二 棚 一三 一四 )  右翼ポピュリスト政党の獲得議席が増えるほど、これらの党を排除したままでは、保守政党を中心とする右派 ブロックが議会で過半数を確保することは難しくなる。保守政党が右翼ポピュリスト政党との連立を選択したデ ンマークやイタリアでは、これらの党の支持なしには右派が多数派となることが困難となっていた。ただし、連 立に取り込めるのであれば、これらの政党の勢力拡大は右派ブロックの基盤強化に結びつく ( Bal e 2 00 3) 。  さらに、九 棚 年代の下野に伴って保 守政党の支持基盤が揺ら いだことが重要であろ う ( 水島 二 棚棚 八a )。戦後 の保守政党の多くは﹁包括政党﹂として、広範な階層からの支持を集めた。その背景には、保守政党が、経済的 には再配分を重視して福祉国家建設に努めてきたことがある。しかし九 棚 年代に進んだ構造的な改革は、こうし た路線を難しくするのみならず、多くの場合、保守政党の伝統的な支持層の利害に反していた。中道左派政権の 下で改革の主導権を失った保守政党は、政権への復帰のためにも、旧来の支持層を繫ぎ止めながらも新たな支持 動員の戦略を構築する必要に迫られた。  このような中で、保守政党の多くは、経済的な改革を受け入れつつ、イデオロギーの再定義に着手した。西欧 の保守政党のほとんどは、七 棚 年代以降に提起された﹁脱物質的価値﹂の多くを受け入れ、離婚の合法化や人工 妊娠中絶などの争点では、新しい価値観を受け入れてきた。これらは、時代の変化への適応であったものの、一 面では、政党間の競争において保守政党の独自性を失わせるものであった。そこで、下野を契機に、保守政党は この時期に浮上した治安維持の問題や移民・難民争点、あるいは、それらに付随したナショナリズムやコミュニ ティをめぐる問題において、独自の﹁保守性﹂を模索した。  新たなイデオロギーの定式化は、連立枠組の変化からも影響を受けていた。経済争点における主要政党間の違 いが小さくなったことで、価値観の一致を基準とした新たな政権枠組も登場した。例えば、オランダやベルギー で成立 した、それ まで経済政 策では対極 に位置づけ られた自由 主義政党 (シン ボルカラー は青 )と社民政党 ( ンボル 第 1 章 西欧保守における政権枠組の変容 5

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カラ ーは赤 )によ る連立政 権、いわ ゆる﹁紫 連合﹂が 典型的な 例である 。これら に対抗す るために 、保守政 党は新 たな 連立 パー トナ ーを必 要と した 。 ﹁保守 ﹂イ デオ ロギー にも 親和 的で あり、 かつ 、一 定規模 の議 席を 有しな が ら政権から排除されてきた右翼ポピュリスト政党は、格好の相手となりえた。  保守政党にとっては右翼ポピュリスト政党との連立にはリスクも少なくない。これらの党の政治的正統性の低 さに加えて、政策的な一貫性の欠如、党内の不安定性などが顕著なリスクである。しかし、右翼ポピュリスト政 党の不安定性は経験の浅さにも起因し、保守政党以外に連立可能な相手がいないことも加味すれば、連立交渉を 有利にする材料にも転じうる。保守政党の選択は、これらの利点とリスクの比較衡量を経て決定された。 3 右翼ポピュリスト政党の選択  保守政党が連立に利点を見出したとしても、右翼ポピュリスト政党自身の変容がなければ、これらの党を政権 に組み込むことは不可能であっただろう。当初は極右的な傾向を警戒された右翼ポピュリスト政党であったが、 その多くは、人種差別主義的な排外主義から距離を置き、有権者に受け入れ可能な形での移民抑制の主張に転じ た。オランダでピム・フォルタインが主張したような、イスラム教徒を同性愛者への差別で批判する手法は、そ の延 長線 上に ある 。こ うし た主 張は 、福 祉に おけ る﹁ 自国 民 (n a tiv e) ﹂優 先を 主張 する 福祉 排外 主義 (w e lfa re ch au vin is m ) 、同 時多 発テロ 以降 の治 安対 策の 必要 性の 主張 と結 びつ けて 展開 され 、そ の一 部は 、保 守政党 に も受け入れられた。  右翼ポピュリスト政党は、移民・難民問題を文化的な排外主義の観点のみではなく、福祉争点や治安争点と結 びつけた。福祉争点では、改革により社会保障制度が縮減する中で、移民・難民の増加が福祉制度への負担とな って いると 主張した 。こう した主 張は改 革の進展 により 打撃を 受けた人 々を想 定した もので ( K rie si et a l. 20 08 ) 右翼ポピュリスト政党が労働者層から支持を集める政党に成長した背景の一部と考えられている。

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 支持層の変化は、保守政党との競合関係を弱め、協力のハードルを下げることにも結びついた。既存の政治体 制の﹁改革﹂を掲げる右翼ポピュリスト政党は、党の成立当初は、規制緩和や国有企業の民営化などを掲げて、 自営業者など旧中 間層を中心とする、従来は保守 政党を主に支持した層へ訴求し た (古賀 二 棚棚 九、二 棚 一四 ) それにゆえに、これらの層をひきつけるために、競合関係にある保守政党を激しく攻撃した。既成政党を一括し て、 ﹁既得権益 保持者﹂と位置 づけたポピュリ スト的な言説 は、こうした動 員上の戦略によ る (S c h e d le r 1 9 9 6) 。し かし、中道左派政権の下での改革の進展により労働者の支持を得ると、一部の右翼ポピュリスト政党は、従来、 社民政党を支持していた労働者層への食い込みを狙い、これまで以上に批判の矛先を社民政党に集中させた。  右翼ポピュリスト政党にとっても政権参加にはリスクが伴う。これらの党は既成政党の批判を通じて支持を伸 ばしたため、政権参加により支持層が離反する恐れがある。また、オーストリア自由党のように、減税と福祉拡 充など、両立が容易でない政策を掲げた勢力は、政権参加後にその整合性を問われることとなる。同様に、EU からの離脱など、他党とは合意が不可能な主張をどのように位置づけるかも問題となる。  ただし、右翼ポピュリスト政党にとって、野党であり続けることにも、政治的な影響力が低下するリスクがあ る。議会において勢力を定着させれば、党内からは政権参加を求める声が高まる。さらに、野党であり続ける限 り、政策面で具体的な成果を挙げることは難しく、様々な主張における争点上の優位を失いかねない。例えば、 右翼ポピュリスト政党が支持を拡大する上で重要な役割を果たした移民排斥の争点も、保守政党がこの問題に取 り組み始めれば、動員力を失いかねない。この問題で右翼ポピュリスト政党が有利であったのは、西欧では移民 問題が一種の﹁タブー﹂であったためである。しかし、右翼ポピュリスト政党の主張によって主要な争点と位置 づけられたことで、既成政党がこの問題に取り組むことが相対的に容易になった。  こうした事情から、一部の右翼ポピュリスト政党は、政権参加の機会を窺って一定の穏健化を示しつつ、保守 政党への攻撃を弱めることとなる。保守政党にとって、この傾向はこれらの党との連立への忌避感を低下させる。 第 1 章 西欧保守における政権枠組の変容 7

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他方、保守政党が連立の可能性を検討すればするほど、右翼ポピュリスト政党内部で穏健化を支持する勢力が増 加する。九 棚 年代に多くの国で中道左派が政権を担ったことは、前述の社民政党への批判の集中を容易にし、従 来の既成政党批判と連立参加の矛盾を取り繕うのに、有利に働いた。 4 事例の整理  以下、本稿では、本書で扱われる各国の事例に加えて、典型的な右翼ポピュリスト政党が勢力を拡大したいく つか の国 (デンマ ーク 、オ ースト リア 、ベ ルギー 、ノ ルウ ェー ) つい て、上 記の 整理 に即し て政 権構 成を概 観す る。 新たな政権枠組の形成は、保守政党、右翼ポピュリスト政党それぞれの戦略的な転換によって両者の政策が近接 化したことで実現した。以下では、双方の接近が実現したか否かを中心に、保守政党と右翼ポピュリスト政党の 選択を整理する。  これまでの議論を踏まえて各国の政権構成を大別すると、まず、右翼ポピュリスト政党を含む政権が成立した 国とそうでない国がある。前者には、イタリア、オランダ、デンマーク、スイス、オーストリアがある。ただし、 スイスとオーストリアは、既成政党が急進化して右翼ポピュリスト政党と目されたことに注意が必要である。  後者は、さらに二つの事例に大別できる。まず、新しい政権枠組が形成されなかった国々のうち、それが右翼 ポピュリスト政党の弱さによって説明できる事例がある。具体的には、イギリス、ドイツ、あるいは、本稿では 扱わないものの、一九九 棚 年代までのスウェーデンがそれにあたる。次に、強力な右翼ポピュリスト政党を主要 保守政党が政権から排除した事例がある。具体的には、フランス、ベルギー、そして二 棚 一二年までのノルウェ ーである。

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二 各国における政権構成の変容の概観

1 新興の右翼ポピュリスト政党の政権参加 ⒡⒢ イタリアオランダデンマーク  イタリアでは、二 棚棚 一年に成立した第二次ベルルスコーニ政権に、ファシズムの継承勢力を母体とする国民 同盟と新 興の右翼ポピュリ スト政党である 北部同盟が加わっ た (伊藤 二 棚 一五 )。新た な右派ブロック が形成され た背景には、選挙制度改革とキリスト教民主党の分裂がある。小選挙区制中心の新たな選挙制度は、左右ブロッ ク間の競 争とブロック内部 での協調を各党 に促すものとなっ た (伊藤 二 棚棚 八 )。さら に、キリスト教 民主党が分 裂し たことで 、新たな 政権枠 組は、政 党そのも のの再編 を通じ て構築さ れた。こ の枠組 の中心と なるフォ ルツ ァ・イタリア (以下、FI )については、後掲伊藤論文に詳しい。  ただし、第二次ベルルスコーニ政権の成立までの道は、平坦ではなかった。新たな選挙制度の下で初めて実施 された九四年の総選挙において、結党から間もなかったFIは右派諸党での選挙協力を実現するために、候補者 調整に際して実際の勢力以上のポストを右翼ポピュリスト政党に提供した。この機会を利用して、戦後長らく極 右勢力として﹁ゲットー化﹂されていた国民同盟は、穏健化を模索する新たな指導者の下で組織を再編し、後に 右派ブロックの中枢を占める勢力となった。他方、北部同盟は、独自性追求のため後に政権を離脱し、第一次政 権を短命に終わらせた。この対応の違いは、FIとの支持層をめぐる競合を要因の一つとしている。すなわち、 台頭当初の支持基盤であった北部の新興企業経営者層の支持をFIと奪い合った北部同盟に対して、南部を地盤 とする国民同盟は、FIとの協調が相対的に容易であった。また、南部への公共投資を批判していた北部同盟に とっては、国民同盟との連立は、党の一貫性を脅かすものであった。  第二次ベルルスコーニ政権は、北部同盟が右派ブロックに復帰したことにより成立した。その際に、北部同盟 第 1 章 西欧保守における政権枠組の変容 9

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は移 民・ 難民 争点 へ傾 斜す るこ とで 新た な支 持層 を開 拓し て、 右派 内部 での 存在 感の 発揮 に努 めた ( 村上 二 棚棚 二 )。北 部同 盟の 離脱 によ り九 六年 の総 選挙 に敗 れた 右派 勢力 の側 も、 同党 の取 り込 みに 努め た。 二 棚棚 二年 に 成立した、移民の受け入れを厳格化したいわゆる﹁ボッシ・フィーニ法﹂はその象徴である。  オランダは、新たな枠組が形成された最も典型的な事例である。オランダでは、一九九四年の﹁紫連合﹂政権 の誕生 を契機として 、キリスト 教民主アピ ール (以下、CD A ) 再イデオロ ギー化が進展 した (水島 二 棚棚 八b ) 新たな保守像を模索する党内論争を経て、二 棚棚 一年以降、キリスト教的な価値に基づくコミュニティの重視を 主張するバルケネンデが台頭した。  CDAの自己改革に加えて、オランダにおける新たな政権枠組の構築に大きな影響を及ぼしたのは、フォルタ イン党 ( 以 下、LP F ) 登場であ る ( 水島 二 棚 一二 )。LP Fは西欧の 右翼ポピ ュリスト政 党の中で は相対的 に遅く 、 二 棚棚 二年に結成された。しかし、同年の総選挙で第二党の地位を獲得して政権に参加した。LPFがこれほど 急速に支持を集めたのは、党創設者で党首のフォルタインのパーソナリティや9・ ワ の同時多発テロ以降のイス ラム憎悪の他、紫連合の成立により、従来の﹁左右﹂間の政権交代の図式が消滅し、他の既成政党が政権批判票 の受け皿になりにくくなったことが要因に挙げられている ( 水島 二 棚 一二 )  LPFの政権参加も、CDAの協力なしには実現しなかった。両党は、選挙の段階から、連立交渉を見越して 双方の批 判を控えていた ( 水島 二 棚 一二 )。選挙直前 にフォルタインが 暗殺されたこと で混乱に陥った ものの、L PFは、第一次バルケネンデ政権に副首相を輩出するなど、わずかな期間ながら、政権を担った。  創設者を失ったLPFが解党した後も、オランダには新たな右翼ポピュリスト政党として自由党が台頭した。 自由党も 、二 棚 一 棚 年に、 閣外協力ながら 政権に関与してい る (水島 二 棚 一二 )。右翼 ポピュリスト政 党の登場自 体は遅かったオランダではあったが、これらの党を含む政権の枠組の形成は、周辺諸国に先行している。こうし た現状は、水島後掲論文に詳しい。

参照

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